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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
移動教室あっちこっち
74/124

73話

【ゴーレムと罠】

 調べ始めてから2分ほどが経過した時、広間の岩石の床から何かが沸いて出てきた。金属光沢がある手や頭のような物が、床からボコボコと泡のように出現してくる。

 サムカがその様子を画面越しに見つめて、少しだけ肩をすくめた。

「当然ながら警備兵くらいは配置しているだろうな。金属製のゴーレムのようだ」


 そして一目で、このゴーストでは到底勝てないと判断する。残っている全てのゴースト18体を多重壁の陣形に組んで、1体のゴーストだけを守るように指示を出した。すぐに三重のゴーストの壁が形成される。

 壁に守られる形になった1体のゴーストに、サムカが〔テレポート〕魔術刻印を床に刻むように命令を出した。同時に、サムカが2人の先生に、岩製の〔テレポート〕魔法陣から退避するように指示する。


 先生たちが素直に従って10メートルほど後方へ飛びのくのを確認してから、サムカが岩製の魔法陣を闇魔法で〔消去〕する。その魔法陣ごと、大きく地面が丸くえぐられた。

 その場所から数本の〔マジックミサイル〕と〔光線〕魔法が飛び出してきたが、サムカが難なくミサイルを〔消去〕する。〔光線〕魔法は自動追尾できないようで、そのまま森の上空へ駆けあがって去っていった。


「自動迎撃魔法だな。消し去るのが遅れたが〔ロックオン〕されなかっただけ良しとするか」

 他人事のように上空を見上げるサムカに、エルフ先生が感心したような表情で言葉をかける。

「サムカ先生、さすがは領主様というところかしらね。罠の予想と対策が手慣れていること」

 特に嫌味でもないようで、彼女の両耳がピコピコと上下に動いている。ノーム先生も同じ感想のようだ。


 サムカが新たな〔テレポート〕魔術刻印を地面に刻みながら、少しだけドヤ顔になる。

「私の役職は、こういう罠を『仕掛ける側』だからね。さて、我がゴースト隊は恐らく全滅しているだろうが……」

 サムカの手元に1つの〔空中ディスプレー〕画面が発生した。ウィザード語で洞窟内の状況や座標情報などが、映像と共に表示される。

「現地の映像や測位観測情報も必要だから、ステルス強化したゴーストを別に4体送り込んでいたのだよ。岩盤の中に潜ませてある。ふむ……やはり通常ゴーストは全て消滅したか。だが、〔テレポート〕魔術刻印は健在だ」


 そして、数秒ほど画面をじっと見る。

「金属製ゴーレムも迎撃行動術式を終えて、今は待機状態だな。そして……残念だが、洞窟通路内に仕掛けてあった、100余りの〔ロスト〕魔法の罠も全て〔復元〕されたようだ」


 しかし、エルフ先生とノーム先生は平然とした表情だ。そのままいったん退避していた場所から、サムカが立つ場所まで戻ってくる。

 そして、サムカが洞窟の岩の中に配置している4体のゴーストからの情報を〔共有〕し、それぞれの手元の〔空中ディスプレー〕画面上で表示した。ウィザード魔法の幻導術を使っているので〔共有〕できている。


 エルフ先生が自身の〔空中ディスプレー〕画面に何か操作を加えて、ドヤ顔の笑みを浮かべた。

「敵ゴーレムの座標が特定できたので、これでもう充分ですよ。地下200メートルだろうが何だろうが、問題ありません。破壊しましょう」

 既に攻撃魔法の術式は完成していたのだろう。一言、エルフ先生が精霊語で〔発動キー〕を唱えて、〔空中ディスプレー〕画面にライフル杖の先をつけた。

「数分ほど待って下さいね。今、竪穴を掘っていますので」


 そう言って、エルフ先生が別の〔空中ディスプレー〕画面を発生させた。森の上空の風の精霊からの映像だろうか。亜熱帯の湿地帯の一点に天空から1本の真っ赤な光が伸び、斜めの角度で突き刺さっている。

 物凄い熱量のようで、赤い光の束が当たった場所が半径1キロほどの範囲で干上がって、さらに泥炭に引火していた。湿地帯全体が燃え上がっているようだ。周辺の亜熱帯の森には全く影響は出ていないのだが、猛烈な黒煙と爆炎が起きているのが明瞭に見える。


「この洞窟広場の真上は森でしたので、20キロほど離れた湿地帯から縦穴を斜めにして掘っています。あ。やっぱり溶岩もできちゃうか。まあ、いいか」

 エルフ先生が現地映像を見ながら説明してくれた。


(ここから100キロ離れた場所の地下200メートルの目標に、これほどの大出力魔法を使えるのか……)と感心しているサムカである。

 赤い光の束は直径が10メートルほどなのだが、膨大な熱量のために、地面が溶けて溶岩化してしまっている。その溶岩すらも気化していく赤い光だ。



 数分後。赤い光が地下の広間に到達した。あっという間に現地映像が途切れる。サムカが用心のために観測用の4体のゴーストを避難させたせいだ。

 その最後の観測情報を確認して、満足そうにうなずくエルフ先生。

「よし。届いたわね。サムカ先生、ゴーストは溶岩中でも移動できるの?」

「うむ、大丈夫だ。実体がないからな。ただ、もう少し待ってくれ。まだ光と炎の精霊場が強すぎるので近寄れないのだ」


 サムカの返事に、ノーム先生がニヤリとして銀色の口ヒゲを片手で撫でた。

「〔テレポート〕魔術刻印があるから、もう我々だけでも対処できるよ。どれ、どうなったか見てみようかね」

 ノーム先生がライフル杖を軽く振ると、瞬時に3人の手元の〔空中ディスプレー〕画面に現地映像が映った。

「おお……見事に大穴が開いてるねえ」


 広間の天井には直径10メートルの大穴が開いていて、20キロほど先の出口から星の明かり程度の光が差し込んでいる。10体の金属ゴーレムは溶けてしまい、床の岩盤に混じり合ってしまっていた。

 大量の溶岩も天井の穴からやって来たはずだが、これらは全て通路へ流れ去ってしまったようだ。〔ロスト〕魔法の罠が起動したので、溶岩も〔ロスト〕されてきれいさっぱり消滅している。


 これにはサムカも驚いたようだ。山吹色の瞳が好奇心の光を放っている。

「ほう。無機物である溶岩までも〔ロスト〕できるのか。欲しいな、この術式」

 エルフ先生が少しジト目になった。

「何に使うつもりですか、サムカ先生。止めなさい」


 金属ゴーレムだった金属と岩石の混和物を、ノーム先生が念のために大地の精霊に食べさせている。こうする事で大量の岩石と混和されて希釈されるので、ゴーレム復活の可能性を下げることができる。

 その顔が険しくなった。彼の手元の〔空中ディスプレー〕画面に、警告メッセージが次々にノーム語で表示されていく。

「残念だが、テシュブ先生。術式の収集の時間はなさそうだよ。床の岩盤の原子が〔変換〕されそうだ。このエネルギー準位の推移から察するに、〔疑似反物質化〕だろうな。大爆発して直径数キロのクレーターでも作るつもりらしい」


 サムカも呆れた顔になる。右手の白い手袋を外して、自身の〔空中ディスプレー〕画面に当てながらぼやいた。

「ひっそりと暮らしたいのではなかったのかね。まったく……」

 サムカが無数の〔闇玉〕を、反物質化中の広間の床面に向けて放つ。爆発もせず閃光も放たずに、ただ〔消滅〕していく床面。ちょっと考えたような素振りを見せたサムカだったが……継続して〔闇玉〕を放ち続けた。



 30秒後。広間があった場所に、深さ100メートルほどの垂直な大穴が出現した。

 ちょっと錆色の短髪を右手でかくサムカ。両手に手袋をしながら一応弁明する。

「100キロ彼方での作業は、大雑把になってしまうな……ゴーストからの測位情報は得ているんだが」


 ノーム先生が愉快そうに笑いながら腕組みしている。

「ははは。派手にやったなあ。まあ、反物質化の範囲全部を消し去ったから、これで良かったよ。この術式は大地の精霊魔法と関連づけているから、空気にしてしまえば無効化できるわけだからね。空気は風の領分だ」


 エルフ先生もかなり呆れた表情で画面を眺めていたが、サムカが開けた大穴の底に何か魔法場の動きが出たのを〔察知〕した。一瞬警戒して底に光を当てるが、すぐに空色の瞳の光を和らげる。

「この場所は無事制圧したようですね。絵が岩盤からにじみ出てきましたよ」


 エルフ先生の指摘した通りに、穴の底から地下水がにじみ出るように、徐々に何かの絵が浮かび上がってきた。 

 それを見て、3人の先生がガッカリした表情になっていく。

 絵は『ハシゴ型の橋』の絵だった。しかも、長さも太さもバラバラな建材を組み合わせた橋なので、かなり不格好で非実用的に見える。


 ノーム先生が肩をすくめた。

「こんな適当に組んだ橋の絵、初めて見たよ。なんだいこりゃ。ネズミでも渡れなさそうな設計強度だな」

 エルフ先生が大きくため息をついて、べっ甲色の髪から数本の青白い静電気の火花を散らす。

「まだ続けるの? 何かのヒントなのでしょうね、これって」


 サムカが黒マントの裾についた土埃や、草の破片などを払い落しながら絵を眺める。サムカも少々飽きたような口調になってきている。

「これまでのことから推測すると、最初の洞窟の絵に関連するのだろう。そう言えば、あの床には刀剣が散乱していたか。あれを、この橋の建材と見立てれば良いのではないかな」


「ああ、そうかもね」と納得する2人の先生。ついでに、重ねてため息をつくエルフ先生。

「仕方がないわね。じゃあ、最初の洞窟に戻りましょうか。あまり長くは遊んでいたくないのだけど」




【亜熱帯の森の岩窟】

 すぐに〔テレポート〕して、大岩が描かれていた壁画のある最初の洞窟に戻る3人であった。


 絵は大岩ではなくなり、富士山型の山の絵に変わっていた。

 そんな変化にはコメントせずに、ノーム先生が大地の精霊を使う。精霊が呼び出されて、ネズミ型のスケルトンにしていた刀剣を、橋の絵のように真似て組み上げていく。


 作業自体はものの2、3分で終わった。広間一面に生えているキノコは〔火炎放射〕やらでかなり焼き払われてしまっているので、照明の強度が半分以下にまで下がっている。サムカが死霊術を使って、鬼火を10個ほど発生させて、広間に配置する。それでも最初の明るさまでには至っていないが。

 一応、エルフ先生とノーム先生に注意を促した。

「何かの攻撃魔法がかけられている恐れも、ないとは言えない。くれぐれも触れないようにな。その大地の精霊も、作業後は汚染されている可能性がある。早急に処分した方が良いだろう」


 実際、その通りになった。大地の精霊がノーム先生の制御を無視して暴れはじめたので、〔テレポート〕させて橋の絵がある大穴の中へ捨てる。

 さすがに発狂状態の大地の精霊なので、深さ100メートルの縦穴でも平気でよじ登ってきた。しかし、そのまま洞窟通路に駆け下りていって、再生した罠にかかって〔ロスト〕して消滅してしまった。それを数回繰り返すと、やっとポンコツ橋が出来上がった。


「やれやれ……もっと難しいゲームかと思っていましたが、そうでもないですねえ。さっさと終わらせて、授業の準備でもしたいところですが」

 ノーム先生が退屈し始めたのか、銀色の垂れ眉を両手でゴシゴシこする。エルフ先生もそれには同意見のようで、両耳の先を上下させた。

「300万年も寝ていれば、多少はボケるのでしょうね。あ。ボロ橋が動き出しましたよ」


 大小100本ほどの刀剣で組み上げたハシゴ型の橋が、床に音もなく沈んでいく。そして完全に床に飲み込まれてしまうと、新たな絵が床に湧き上がってきた。サムカが再び錆色の短髪をかく。

「むう……せっかくの発掘物が消えてしまったな。アイル部長には悪いことをしてしまったようだ」


 一方ノーム先生はにこやかに微笑んで床面の絵を見ている。ちょっと興味が湧いてきたようだ。

「いや、そうでもなさそうですな。『杯の絵』が出てきましたぞ。それと暗証情報の入力画面も」

「じゃあ、また壊すか」とサムカが左手の白い手袋を外そうとするのを、ノーム先生が制止する。

「ここでシステムを初期化すると、これまでの苦労が水の泡になるかもしれないよ。ここは、僕に任せてみてくれないかな」


 ちなみに、空調システムは〔テレポート〕魔術刻印に組み込まれているので、特に息苦しいようなことには至っていない。鬼火と発光キノコだらけの地下広間に新鮮な森の空気が循環しているのは、よく考えると不自然ではあるが。


 今は3人とも、念のために空中に〔浮遊〕して移動している。

 床に降り立つと、何か罠が作動する恐れがあるためだ。サムカとエルフ先生は、フラフラした〔浮遊〕状態だが、ノーム先生はさすがに安定して浮かんでいる。


 そのノーム先生が、すうっと床の上ギリギリを〔浮遊〕しながら水平移動し、床面に現れている暗証情報の入力画面の上で静止した。ちなみにこれはソーサラー魔術の1つで、簡易な重力制御魔術になる。重力で床に引かれる力と、そのベクトルを操作している。


 ノーム先生がライフル杖の先を入力画面に向けて、何やら調べ始めた。数秒ほどして、彼の手元の〔空中ディスプレー〕画面に結果が表示される。ウィザード語での表示だ。

「最新の入力痕跡は……これかな。こいつを複製して、入力画面に貼りつける……と」

 素早く暗証情報を入力したノーム先生が、急いで離れた。カウンター攻撃への警戒だ。


 しかし、今回はその心配は不要のようだった。床の『杯の絵』が、見る見るうちに写実的になってくる。最初は子供の落書きのような拙い線画だけの絵だったのだが、黄金色の金属光沢の色まで着き始めた。『杯の絵』も、見事な装飾が施された芸術品のような趣を帯びていく。


 サムカがノーム先生の隣へ〔浮遊〕してきて、『杯の絵』を上から眺め、少しだけ整った眉をひそめた。

「どうやら、これを取り出せということだな。しかしこの手の罠は、生贄というか供物のような『代償と引き換え』ということが多いものだ。とりあえず、まず私が取り出してみよう」

 そう言って、サムカが両手の白い手袋を外す。古代中東風のシャツを肘までまくり上げ、両手を差し伸べた。

「ゴツ……」

 サムカの両手は床に当たってしまい、絵の中へ入ることはできなかった。「むう……」と唸るサムカである。

「今までは、散々に死霊術ばかりの罠だったのだが……ここで拒否されたか」


 同時にサムカの藍白色の白い両手が、いきなり〔砂〕にされていく。すぐに肘から先をゴーストに命じて切断する。

「やはり、自動迎撃の魔法が仕掛けられていたな」

 平然として絵の上空から見下ろしているサムカである。エルフ先生とノーム先生が心配して声をかけるが、山吹色の瞳を細めて微笑んだ。

「ああ、先程量産したゴーストの生き残りだよ。もったいないので連れて帰ってきた。シャドウほどではないが、私の腕を切り落とすこと程度はできる」

 さすがにエルフ先生が苦笑して、サムカにツッコミを入れた。

「いえ。心配しているのは、サムカ先生の両腕なのですが」


 サムカが思い出したかのように両腕を胸の前に持ち上げた。見事に肘から先がスッパリと切れている。アンデッドということなのか、血などは全く出ていないが、水蒸気のような煙が切り口から立ち上っている。

「ああ……これか。心配は無用だ。〔砂化〕される前に切り離しただけだよ。シャツには被害が出なくて良かった」

 そう言って、サムカがおもむろに両手を完全に〔再生〕する。藍白色の白い肌をした元の状態に戻っている。


(死者の世界へ行った時にも似たようなことになったわね……)と思い出すエルフ先生。ふと疑問が浮かんだので、遠慮なくサムカに聞く。

「血などが出ないのですね。やはり死んでいるからですか?」


 サムカがまくり上げていたシャツの袖を戻しながらうなずく。

「うむ。細胞が死んでいるからな。血液はもう必要ない。代わりに水を使って組織の冷却と潤滑をしている。この水蒸気がそうだな。発熱などは、冷却魔法でも制御しているがね」

 そして、改めてエルフ先生とノーム先生を正面から見つめた。

「私では無理だな。杯の取り出しを頼むよ。念のために肘先を切断する準備もしておくと良いだろう」


 2人の先生が大きなため息をつきながら目を合わせて同意する。

「仕方ないわね……じゃあ、自動〔治療〕の術式を用意しておきましょうか。ラワット先生」

「そうですな。他にも罠があるかもしれないね。肘に神経伝達の遮断壁も用意しておきますかな」


 2人の先生もサムカにならって長袖のシャツと制服をまくり上げて、肘から先を露出させた。肘には何枚かの〔防御障壁〕が食い込んでいるのが見える。ふと考え直したのか、エルフ先生がサムカに空色の視線を向けた。

「念のために、サムカ先生も剣を抜いておいて下さい。私たちが気絶したり即死したりすると、腕を切り離すことが自力では難しくなりますから」

 サムカが素直にうなずいた。黒マントの中の長剣の柄に左手を添える。

「心得た」


 準備が整ったようだ。床の『杯の絵』の上空に、エルフ先生とノーム先生が浮かんで向かい合う。両手を床に差し伸べ、互いに目で合図する。


 今度は、絵の中に抵抗なく2人の両手が入り込んだ。そのまま杯を4本の手でつかむ。

 ……が、その絵の中の腕が、杯に吸い込まれ始めた。かなり写実的ではあるが絵なので、まるで現実感がない。

 エルフ先生とノーム先生の目から生気が失われて、そのまま杯の絵の中に引きずりこまれていく。肘先までが絵の中に飲み込まれた瞬間、サムカの長剣が一閃した。


 今回はさすがに、大量の血が2人の肘先から噴き出した。サムカに切り離された腕先は、あっけなく絵の中に吸い込まれて消滅してしまっている。

 自動〔治療〕法術が発動し、大出血がピタリと止まった。同時に2人の先生のポケットから、空になった〔結界ビン〕が1個ずつ排出されて床に落ちる。

 床に血が撒き散らされて、一気に生臭くなってしまった。それをサムカが再び長剣を一閃させて、血だまりごと臭いを〔消去〕する。ついでに空の〔結界ビン〕も消している。


 その頃には、気絶状態だった2人の先生も正気に戻ったようだ。肘から先が見事に斬り飛ばされているのを見て、諦め顔で微笑んでいる。

 すぐに〔再生〕法術が起動して、急速に腕が完全復元され始めた。再びポケットから1個ずつの空になった〔結界ビン〕が排出されて床に落ちていく。しかし〔再生〕スピードは、サムカの時よりも10倍以上は遅い。エルフ先生とノーム先生ともに法術は苦手なので仕方がない。


 エルフ先生がジト目になって1つため息をつく。出血のせいで貧血気味になっているようだ。床の上に浮かんでいてもフラフラしている。

「まったく……精神の精霊魔法の罠まであるのか。さぞ、良い情報が収集できたでしょうね、この墓所はっ」

 ノーム先生も同じく貧血気味でフラフラして浮かんでいるが、こちらは確信した様子だ。銀色の口ヒゲを片手でサッと撫でた。

「しかし、もうこれで罠も終了でしょう。杯に、我々の血と魔力が取り込まれましたからな。所有権の主張ができるようになったはず」


 数分程かけて、自前の生命の精霊魔法を使って回復を終え、他の魔法攻撃を受けていないかの確認も終える。腕はすっかり元通りに戻っていた。


 安堵の表情になったノーム先生が、エルフ先生に小豆色の瞳を向ける。

「では、もう一度。今度は杯を、絵の中から取り出すことができるはずだよ」

 エルフ先生はまだ不審そうに首をかしげていたが、サムカも促すので渋々、再挑戦することに同意した。

「分かったわよ。これ以上、貧血になったら私は学校へ戻りますからね」


 再びエルフ先生とノーム先生が向かい合って、絵の真上に浮かび上がる。そして再度、絵の中へ両手を差し入れていく。

 サムカも警戒していたが、ノーム先生の予測通りだったようだ。今度は何事も起きなかった。

 そのまま絵の中で腕を動かして、杯をつかむ。ここでようやくエルフ先生も確信した表情になっていく。空色の瞳が少しだけ輝いた。


「このまま杯を、絵の外へ引き出しますぞ。カカクトゥア先生」

 ノーム先生が合図して、そのまま絵の中へ突っ込んでいる両腕を引き上げる。何ともあっけなく、実物の杯が絵の外に出てきた。黄金色に輝く豪華な装飾が全面に施された杯だ。


 同時に、杯の中に血が湧き出てきて、それがグツグツと溶岩のように煮えたぎってきた。湯気が洞窟内の広場に充満していく。再び生臭くなってきたので、ノーム先生が〔テレポート〕魔術刻印の排気機能を強くする。

「どうやら……『この溶岩状の血を、山の窪みに注げ』ということかな」

 ノーム先生の推論に、サムカも同意する。

「そうだろうな。でなければ森の中にできた、火山型の彫像の存在意義が問われることになるだろう」


 一方のエルフ先生は、ジト目のままだ。

「えー……まだ続くの? もう飽きたんだけど。さっさと降参してしまいましょうよ」

 サムカが素直に同意しながら、黒マントの裾を整える。長剣は既に鞘に納められている。

「正論だな。まあともかく、ここからは出た方が良いだろう」


 〔テレポート〕魔術刻印を使って洞窟から脱出し、富士山型の彫像がある場所へ転移した。

 サムカが先に火山型の彫像の周囲を飛んで、危険がないかどうかを確認する。〔飛行〕魔術は苦手のようで、安定して飛べていない。それでも火山型の彫像の周りを1周して、山吹色の瞳を細め、ノーム先生に合図を送った。

「罠はない。では、作業を始めるとするか」


 黄金色の杯は、サムカにはちょうど良い大きさなのだが、小人族であるノームには少し大きい印象だ。しかも、杯の中には溶岩状の血が入っていて、グツグツと湯気を立てて煮えたぎっている。

 エルフ先生はすっかり興味をなくしてしまった表情で、森の大木の幹に寄りかかって眺めているだけだ。貧血もあるので、なおさらなのだろう。


 ノームのラワット先生も貧血気味ではあるのだが、こちらは興味と好奇心の方が勝っている表情をしている。小豆色の瞳がキラキラ輝いている。フラフラしながらも、空中を〔浮遊〕して富士山型の岩の彫像に向かい、その山頂部の窪みに杯の中身を注いだ。

 量は1リットルもないので、窪みの中にあっという間に吸い込まれていく。


 数秒ほどして、窪みからこんこんと清水が湧き出し始めた。たちまち山頂部の窪みから溢れて、火山型の彫像が一転して噴水岩に変わった。

「噴水と呼ぶには、水の量が少なすぎるかな。森の変な泉というところかね」

 ノーム先生が銀色の口ヒゲを指で捻りながら、肩をすくめる。その水で杯を洗って、清水を杯で汲み上げた。すぐに杯の中の水が、杯に吸収されて消えてなくなる。



<パパラパー>と、どこかで聞いたようなラッパ音が鳴り響いて、杯が黄金色に強く輝いた。

 同時に噴水岩の真上に『ゲームクリアおめでとう』というウィザード文字が表示された。といってもウィザード文字自体が分子模型を複雑にしたような形状なので、火山型噴水の飾りだと言われても不自然さはないが。


 ここで、ようやく安堵して3人が地面に着地する。 

 エルフ先生とノーム先生は貧血気味なので、そのまま座り込んでしまった。2人の先生が両手を、森との境目に残っているクローバー畑の上に乗せる。まだ泥水でかなり汚れているが、今は構わないようだ。同時に2人の先生の体を精霊場が包み込んだ。

 ノーム先生が、一応サムカに注意を促す。

「森の生物から少しずつ生命の精霊場を分けてもらっているんだ。テシュブ先生は近寄らない方が良いよ。ふう、やっと一息つけそうだ」


 エルフ先生もノーム先生と同じように、森から生命の精霊場を吸収している。その日焼けした白梅色の顔が、次第に元の元気な血色に戻っていく。身だしなみにも気を遣う余裕が出てきたようだ。

 まずは、べっ甲色の真っ直ぐな髪についている泥汚れなどを、静電気を使って弾き落としている。汚れをイオン化や帯電させて、静電気力で分離させる手法だ。彼女の周囲の空気も帯電するので、ノーム先生が少し移動して距離をとった。

 ノーム先生も同じような魔法を使用した。おかげで2人の先生から、一斉に細かい塵が噴き出しているようにも見える。


(マットや絨毯の汚れを落とすようなものか……)

 サムカが内心で思う。どうも、この古本貴族は、2人の先生をそのような物とでも思っている節があるようだ。


 それでも、頑固な汚れは残る。それを今度は、直接手で叩いて落とすことを始めたエルフ先生とノーム先生。余裕が出てきたエルフ先生が、改めて整った眉をひそめて空色の瞳を閉じた。

「結構、苦労したけど、得た物が金ぴか杯と、変な形の森の泉だけって……墓次郎なんかの依頼を断れば良かったかしらね。どうせ記憶の〔消去〕だけで済んだ話だったし」


 森の陰から湧き出るように、墓次郎が現れた。

「まあ、まあ。そんな邪険な事を言わないでくださいよ。我々もできる限りの配慮はしたつもりです」

 我々と言う割には、墓やハグ人形の姿は見当たらない。そして、やはり貼りつけたような笑顔を顔に浮かべて拍手した。

「おめでとう。貴重な情報が多く入手できました。これで我が墓所の保安警備システム更新もはかどります。感謝しますよ」


 エルフ先生が目を開けて、ジト目視線を墓次郎に向けた。ついでに「よっこらせ」と立ち上がる。もうすっかり回復できた様子だ。

「配慮って……まあいいわ。罠や仕掛けについては、探索の素人である私たちだけでも、こんな短時間で突破、解決できるくらいだから『要検討』という評価ね。ウィザード語でいいのよね、ハイ、これが報告ファイルよ。受け取りなさい」

 エルフ先生が手早く評価を記した報告書を仕上げ、それを関連ファイルごと一まとめにした。彼女の手元の〔空中ディスプレー〕画面に、圧縮ファイルが1つ出来上がる。

 そして、墓次郎に空色の冷たい視線を投げて、「フン」と細いあごをしゃくって合図した。『転送するから、さっさと受信箱を開けなさい』という合図だ。


「はい、喜んで。カカクトゥア先生」

 素直に受け取る墓次郎であった。彼も〔空中ディスプレー〕を手元に呼び出す。そして、それに受信した報告ファイルをすぐに解凍して、中身を簡単に確認した。

 満足できる内容だったようで、顔に貼りついた笑顔がさらに人工的な笑顔に変わっていく。

「確かに受領しました。では、今回作成した洞窟や、ここの噴水岩以外の仕掛けは全て無に帰すことにしましょう。魔法場汚染も〔浄化〕しますので、安心してください」


 ノーム先生がようやく回復を終えて立ち上がった。三角帽子をしっかりと被り直して墓次郎に質問する。

「君たちの墓所は、どこか別の場所にあるのかね? 後学のために、墓所の見学や観光もしてみたいのだが」


 墓次郎がにこやかな笑みを顔に貼りつかせて、否定的に手を振る。

「我々の墓所は、ここではありません。我々の墓所への立ち入りは、今後も認めません。今回のゲーム形式の調査でも、我々の墓所の半数近くの者が反対していまして。残りも条件付きで賛成の者ばかりでね。とても、君たちを招待できるような環境ではないんですよ」

 声を少し小さくする。

「実は、君たちを生かしておくことも、破格の譲歩だったのですよ。本来ならば、ゲーム終了後に〔ロスト〕して処分するところです」


 エルフ先生がサムカとノーム先生に視線を投げて、肩をすくめた。

「まあ、そんなところでしょうね。予想はしていましたよ」

 そして、火山型の噴水岩と、ノーム先生が地面に置いた金ぴかの杯に視線を移す。

「森の珍名所と、美術的な価値がありそうな、なさそうな杯。まあ……見返りはこんなもので構いません。本国への報告も、発掘調査の手伝いということにしますよ。じゃあ、墓次郎さん。さっさと墓所に戻って寝なさい。永久に」


「そうですね。お疲れさまでした……」と墓次郎が姿を薄めて消えていく。そして、消え際にこんな言葉を残していった。

「その金杯ですが……テシュブ先生が死体確保に困っていると方々から聞きました。水を金杯に満たしてから、残留思念でもいいし、生者の先生の髪の毛でも汗でも構わないので、入れてみると良いでしょう」


「は?」となる3人の先生。墓次郎はそのまま消えてしまった。

 サムカが山吹色の瞳をジト目気味にさせて、杯を改めて見つめる。

「まさかとは思うが……嫌な予感がする。ちょっと試してみてよいかね」


 サムカが2人の先生から同意を得てから両手の白い手袋を外し、地面に置かれている金杯を手に取った。無地の黒マントを軽く整えてから、金杯を持っていない方の左手を頭上に掲げる。

 すぐに氷の粒が空中に発生して、それが溶けて水玉になっていく。それを数秒間ほどかけて、水玉の量を杯の容量程度まで増やした。

「空気中と、地面、それに周辺の草木の中から、少しずつ水分を集めてみた。うむ、このくらいの量が溜まれば使えるか」

 サムカが空中に浮かんでいる水玉を、杯の中に落とす。そのまま、15秒間ほどじっと見る。


 特に何も起きない。

 それを確認してから、サムカが墓次郎の言った通りに、森の中を〔浮遊〕している適当な残留思念を呼び寄せた。虹色の油膜状の風船を無造作につかんで、それを杯の中へ突っ込む。続いて、森の中を飛んでいる羽虫を1匹捕まえて、これも無造作に杯の中へ投げ入れた。

 ……が、何も起きない。


 ようやく、ほっとした表情になるサムカである。

 杯の水を地面に撒いて、捕えていた残留思念を解放した。虹色の油膜シャボン玉のような印象の残留思念と羽虫が、ふわふわと森の木々の中へ去っていくのを見送る。

「〔ゾンビ化〕させる杯かと思ったが……思い過ごしだったようだ」


 エルフ先生も同じようにほっとしている。しかしノーム先生だけは首をかしげながら、銀色の口ヒゲを片手で撫でている。そして、おもむろに口を開いた。

「テシュブ先生……まだ安心とは言えないよ。何のために、あの奇妙な泉が残されたと思うんだい? 他の洞窟は、もう全て〔消滅〕したというのに」

 エルフ先生が急いで追確認する。またもや顔が険しくなった。

「……そうね。もう、全ての洞窟が世界から消滅しているわね。私たちが使った魔術刻印だけが残されてる。光の精霊魔法で穿った大穴も、すっかり〔修復〕されている」


 サムカも再び険しい顔に戻りつつあった。素直に金杯をノーム先生に渡し、新たに残留思念を呼び寄せて捕まえた。それを金杯の上空に浮かばせて待機させる。

 金杯を両手で受け取ったノーム先生が、金杯の中に残っている水を全て排出させて、〔浮遊〕魔術を起動して浮かび上がった。そのまま、富士山型の噴水岩に向かっていく。

「多分、この泉の水を使わないといけないのだろう」


 すぐに火口型の泉の湧き出し口の上空に到着する。ちょっと姿勢を制御してから、ノーム先生が両手で金杯を持ったまま、その泉の水を汲みあげた。量としては1リットルほどか。サムカの方へ顔と金杯を向ける。

「それでは、その残留思念を飛び込ませてみようか、テシュブ先生。カカクトゥア先生は、対アンデッド用の攻撃魔法を何か準備しておいてくれ。僕は両手が塞がっているから、杖が使えないのだよ」


 無言でライフル杖を構えるエルフ先生。既に術式の起動は終わっていたようだ。サムカも黒マントの下の長剣の柄に右手をかけている。そのサムカが空いている左手を、頭上に掲げた。

「了解した。一応、ラワット先生にも〔防御障壁〕を追加した。では、始めるぞ」

 そのまま、サムカが左手を下へ「すいっ」と下ろす。上空を〔浮遊〕していた残留思念が、金杯の中へ飛び込んだ。


 次の瞬間、金杯の中から立派な野牛が1頭飛び出してきた。

 《ズズン……》と地面を震わせて着地し、さらに巨大化していく。そして、肩高2メートルのサイズになった。

 そのまま「ぐもー」と唸りながら、森の奥へ逃げ去っていく。


 目が点になっている3人の先生。数秒ほど経過して、ようやくサムカが口を開いた。目の色が辛子色になっている。

「……驚いた。残留思念を〔実体化〕させるとは」


 そして、まだ驚いたままの2人の先生に一応の説明をする。

「あのような芸当は、私では無理だ。残留思念とは、生物から常時漏れ出ている生命の精霊場の一種だ。放出後、相転移して死霊術場に親和性を持つようになる。そのため、疑似生命としてアンデッドを作成する際に使用する」

 この部分はエルフとノーム先生も既に知っている。サムカが少し興奮気味な口調で話を続ける。

「しかし。普通の残留思念は、魔力はかなり弱い。闇の精霊魔法で包んで魔力を強化しない限りは、ゾンビにすることは無理だ。ましてや生体に戻すとなると、魔力が絶対的に足りない。せいぜい細胞数個ほどを生体に戻す程度の魔力だ。それなのに……古代語魔法の一種なのだろうが、とんでもないな」

 そして、ようやく我に返ってきつつある2人の先生に告げた。

「残留思念は、いくらでも生物から漏れ出てくる。つまり、ほぼ無限に生物を量産できる金杯ということになる」


「マジですか?」と言いたげな表情になっているエルフ先生。

 一方のノーム先生は、金杯の水を空にしてから銀色の垂れ眉をひそめている。ゆっくりとサムカの隣へ着地した。

「墓次郎氏の言葉によると、生物の破片でも良いということでしたな。つまり、僕の髪の毛一本を、この杯に入れて泉の水を注ぐと……僕がもう1人誕生してしまう。ということか」

 そして、エルフ先生に顔を向けた。

「どう思いますかね? カカクトゥア先生。この金杯は、相当に厄介な代物だと思うのだが」


 エルフ先生も深刻な表情になっていく。

「……厄介ですね。自身の思念体を使えば、不老不死すら可能になるでしょう。しかも自身を大量生産もできる。家畜の大量生産もできるので食料問題の解決につながるのでしょうけど、争いの元になるのは確実かな」


 サムカもうなずいて同意した。

「カルト派貴族にとっては、どんな代償と犠牲を払ってでも手に入れたい品だろう。死者である貴族には無用だが、寄生生物に対しては有効だ。いや、待てよ。残留思念の〔実体化〕ができたのであれば、我々貴族の思念体も〔実体化〕できるのか。うむむ……死者の世界が大混乱になりかねないな。今ここで破壊するか、墓次郎に返品する方が良いだろう」


 ノーム先生が金杯を地面に置いて、銀色のあごヒゲを両手で撫で下ろした。

「全員一致ですな。破壊するのも面倒ですし、墓次郎氏を再び呼び出しますか」



 結局、金杯は墓次郎に返品された。ただ、そうすると考古学部のアイル部長が大いに悲しむので、無害な模造品を代わりにもらい受けることになった。

 墓次郎がすぐに金杯の模造品を呼び出して、それをノーム先生に手渡した。受け取った本物の金杯は、墓次郎が無造作に片手で吊り下げて持っている。

「欲がありませんねえ。この金杯を巡って、愉快な物語が量産できると楽しみにしていたのですが」


(やっぱり、そういう魂胆だったか……)

 ジト目になる3人の先生。エルフ先生がやや憤りながら、墓次郎に文句を言う。

「これ以上、厄災は不要です。私がどれだけ始末書を書いたと思っているんですか。私の故郷の守護樹も、今後数年間の無償ボランティアを義務づけられているのですよ」

 その隣ではノーム先生も同じような表情になっている。

「左様。僕の場合は、さらに罰金が冗談じゃないほどの額になっているんですがね。帰省時に親族や友人たちに、謝罪と借金の乞食行脚をしなくてはいけない身にもなって欲しいものですな」


 サムカも困惑気味の表情だ。黒マントの下の長剣の鞘がベルトに当たって、くぐもった音を立てている。

「私も、これ以上カルト派貴族が暴れると困る。南のオメテクト王国連合の混乱が長引くと、産品の輸出に大きく悪影響を及ぼすのでね」

 そして、手元に時刻表示を出した。

「さて。私もそろそろ〔召喚〕時間切れだな。熊人形とリベナントの対戦実習については、済まないがクーナ先生、後でハグ人形にでも伝えてくれないか。多分もうケガはしていないと思うが、改良点は積極的に考慮することにしよう」


 エルフ先生がようやく明るく微笑む。

「分かりました。何が起きたのか、まだよく知りませんが……聞き取りして伝えておきますよ。召喚契約以外の頼みごとをしたのは私ですから、そのくらいのことは問題ありません」


「では」と再び姿を消した墓次郎を見送ったノーム先生が、両手の模造品の金杯をしげしげと見つめる。

「……本物と比較すると、装飾の密度と精度が適当すぎますなあ。アイル部長が『こんな物』で喜ぶのか疑問だな。美術価値もないような……」


 それから間もなくして、<パパラパー>という軽快なラッパ音と共に水蒸気の煙が発生して、サムカを包みこんだ。別れの挨拶も途中で途切れてしまったが、無事にサムカの姿が消える。もう、巻き添えになって消滅する物は出ていない。

 エルフ先生も時刻を確認して、ノーム先生に空色の瞳を向けた。すっかりいつもの表情に戻っている。

「私たちも学校へ戻りましょうか。次の授業の準備があります」




【サムカの居城】

 サムカは無事に城門前に出現した。いつもの通りに、門番のアンデッド兵が機械的に立礼をサムカにする。

 ポケットから今回アイル部長からもらった地雷を取り出し、太陽にかざした。中に何か入っているようには見えないが、尋常ではない魔法場の気配はする。

「この巨人ゾンビは、ステワに渡すとするか。まあ、荷運び要員としてであれば、使えることが分かったしな」


 サムカが以前に1体配備した巨人ゾンビは、城下町のオーク自治都市の荷役を行っていた。獣人世界に最適化されていたようで、ここ死者の世界では期待していたほどの機能ではなかった。

 術式改良も試みたサムカであったが、ベースが古代語魔法なので挫折してしまっている。ハグに頼んでも、面倒臭がられて一向にやってくれない有様だった。


 ガラス製の地雷に、ひび割れがないことを再確認する。その地雷をポケットに突っ込んで思案するサムカだ。

(戦闘ではまるで使えない、『ただの大きな的』だったのは誤算だった。オメテクト王国連合から届くはずだった無償提供の熊ゾンビも、混乱のせいで有償になったし。思うようには進まぬものだ)


 執事が通用門を開けて城外へ出てきた。すぐにサムカに立礼する。

「お帰りなさいませ、旦那様」

「うむ」と鷹揚にうなずくサムカ。地雷を袋に入れて執事に渡す。魔力の漏れはそれほどでもないが、やはり危険な兵器であることには変わりがない。

「今回発掘された巨人ゾンビ入りの地雷だ。宰相閣下に届けてくれ。その後でステワに渡れば良いだろう。私からもすぐに、使い魔を宰相閣下宛に飛ばすこととしよう」


 執事がサムカから袋を受け取り、その禿げ頭を深く下げて恭順の意を示す。

「旦那様のお考えのままに致しましょう。巨人ゾンビですが、おおよそ100馬力という測定結果になりました。本来の能力は数万馬力と思われますが、これでも荷運びには充分でございますよ」

 サムカが執事からの報告を受けて、整った眉をひそめて腕組みする。

「100か……オーク住民にとっては、その程度の方がかえって扱いやすいか。腰痛に悩むオーク住民も多いことであるしな」


 執事が微笑みながら、頭を上げた。

「別件なのですが。北のコゴゴーポガン王国連合のタンパールメジャ王国の商人より手紙が届きました。荷痛みも許容範囲だったようで、期待通りの売上げになる見込みだとか」


 サムカもほっとした表情になった。手紙を受け取り、開封して読む。

 そして執事と共に通用門から城内へ戻り、そのまま執務室へ一緒に向かった。手紙の文字は魔法が使えないオーク族なので、彼ら独自の文字であるオーク語になっている。

「良い知らせだな。急な輸出だったが、よくやってくれた。後で私からも一筆手紙を書くことにしよう。南方面が思わしくない現状では、大いに助かるよ」


 機嫌よく執務室へ入ると、そこにはハグが待っていた。床上10センチの高さで浮かんでいる。途端に真顔に戻るサムカであった。ハグがニヤニヤ笑いを口元に浮かべて挨拶する。

 執事はハグの姿を見て、急いで茶の用意をするために執務室から小走りで出ていった。その禿頭の後ろ姿をチラリと見送ったハグが、淡黄色の瞳をサムカに向ける。

「そう、露骨に落胆するなよ。サムカちん。エルフ先生と校長から有難いお言葉をことづかって来たぞ。心して聞くように、そこの田舎領主」


 とりあえず、部屋の隅に立っている3体のゾンビに、サムカが急いでシートを被せる。少し体表面に粉が吹き出しているが、それ以外ではハグ出現の悪影響は出ていないようだ。

 サムカが無地の黒マントを脱いで、壁のハンガーに引っかける。そして、ベルトに吊るされている長剣を鞘ごと外した。それを壁に立てかけて、ようやくハグに顔を向ける。

「部屋を強化しておいて良かったよ。さて、ハグ。伝言を聞こう。我が教え子たちの実習のことだが、あれ以降どうなったかね」


 ハグが浮かんだままで、ゆっくりと時計回りに回転し始めた。今回も独特なファッションなので、カカシが風車に取り付けられて回っているようにしか見えない。上着やズボンも、あれから数種類のカビが生えたようだ。それを強制的に漂白除菌したのか、色むらがさらにダイナミックになっている。

「うむ。教師としての自覚が出来てきたようだな、実に結構、結構。まずはエルフの先生からだ。最大限の罵声を君にプレゼントするそうだ。オークのリベナントだが、彼女によるとカルト派貴族が学校で差し向けたゴリラ型の奴よりも強力だったそうだな。危うく二度目の全滅寸前だったらしいぞ」


 サムカが不思議そうに首をかしげた。執務机の書類棚に先程の商人からの手紙を収め、イスに腰かけて腕組みをする。

「かなり弱体化させたのだが……まだ何か見落としていたか? 我が生徒も今や、そこそこ強いはずだが」


 ハグがクルクル自転しながら、超絶適当な銀髪のトラ刈り坊主頭を左手でかいた。淡黄色の木蓮の花の色の瞳の奥も、微妙に光を帯びている。

「能力仕様や魔力量自体は、かなり低くなっているのだが……サムカちん。オマエさん打撃の弱体化をしなかっただろ。リベナントは本来、格闘戦向けのゾンビだぞ。急所攻撃の連打設定と、回避運動の速度設定すら、初期設定のままだった。ルガルバンダのような歴戦の魔族を相手に、格闘戦をするように設定したままのリベナントじゃ、オマエさんの教え子では太刀打ちできぬよ。現にホレ、全員が全身の骨をへし折られておるわい」


 そう言って、ハグがサムカに映像データを渡した。サムカがイスに腰かけたままで、机上に〔空中ディスプレー〕画面を発生させて、映像を確認する。

 エルフ先生が金星に行ってからの映像だが、既にボロくずのようになって赤く焼けた岩盤に転がっている、6つの影が白黒画面でも分かる。すぐにエルフ先生、ノーム先生とリベナントとの格闘戦闘が始まったのだが、明らかに苦戦している様子だ。


 白黒映像の上にノイズ混じりで解像度が悪いせいもあるが……リベナントの攻撃と回避運動が速すぎて、映像として見ることができない。まるで半透明な怪物と2人の先生が戦っているような印象だ。

 リベナントがステルス機能や、術式の反射を行っているので、余計に見えにくい。さらに〔ロックオン〕されても身代わりの〔オプション玉〕を放出して、2人の先生からの光の精霊魔法の射撃攻撃を全て回避している。

 たまに先生の攻撃がリベナントに当たっても、それは実体を有する〔分身〕で、本体ではなかった。


 サムカの山吹色の瞳が辛子色に曇った。

「うむむ……また失敗してしまったか。騎士用の練習設定のままだったか。カルト派貴族がリベナントを出して、クーナ先生とラワット先生によって撃破されたと聞いていたから、格闘設定のことを軽く考えていたよ」

 ハグが愉快そうに淡黄色の瞳を細める。回転の角速度も落ちて、ゆっくりになってきている。

「そりゃあそうだ。カルト派と、サムカちんの魔力を同じと勘違いしちゃいかん。一応、オマエさんはドラゴンを単騎で撃退できるほどの魔力持ちなんだからな」


 間もなく映像では、エルフ先生とノーム先生のライフル杖が粉砕されて、リベナントに殴り飛ばされ、蹴り転がされて……岩盤に叩きのめされて動かなくなった。

 そして、画面上で誰も動かなくなった後、近くの岩の上に立って観戦していたサムカ熊が、のんきな声をあげて熊手を掲げて実習の終了を告げた。

 ここでようやくリベナント本体の姿が、白黒ノイズ画面に現れた。動きが止まったためだが……全くの無傷だ。それどころか、傍目には偉そうにふんぞり返っているようにも見える。


 サムカが机の上に突っ伏すようにうなだれる。

「……これは宜しくないな。次回の〔召喚〕では、皆に謝罪して回ることになりそうだ」


 ハグは愉快そうにニヤニヤしながら、サムカの肩に軽く手を差し伸べて慰めた。

「まあ、誰も死んでおらんから、大丈夫だろうさ。何も問題ない。死んだら死んだでワシが立派なリッチーに育ててやるから心配するな。10万年も面倒見れば、ひとかどのリッチーになれるだろ、多分」

(いや、それは慰めとしては根本的に何かおかしいぞ……)と思うサムカである……が、彼もアンデッドなので、思うだけだが。何がおかしいのかまでは理解の外だったりする。なので――

「その時は、私が責任をもって騎士にまで育ててみせよう。我が後継者は騎士シチイガだが、どこか辺境の領主に仕える程度にはなれるはずだ」

 ……とか何とか、別方向の話になってしまった。


 ハグもそれ以上は特に興味もない様子で、別の伝言をサムカに伝えることにしたようだ。再びクルクル回転の角速度が上がっていく。

「長居すると、さすがに強化された執務室であっても心配だ。もう1つの伝言を伝えて帰るとしよう」

 エルフ先生たちがボロくずのようになって、岩盤の上に倒れているままの画像を、容赦なく消すハグとサムカ。 

 記録映像なのと、回復したエルフ先生が烈火のように怒っている別の映像ファイルのサムネ画面があるので、全員無事だったのだろうと判断したせいでもあるが。


 ハグが「コホン」と軽く咳払いをする。

「ワシとしては、こちらの方が本題になる……例の古代遺跡洞窟で発見された数々の刀剣類だが、全て消滅したそうだな。代わりに墓次郎が、出来の悪い金杯をオマエさんたちに渡したということだが。やはり、アイル部長と校長の落胆ぶりは相当なものだったぞ。このバカもの。召喚ナイフ契約に悪影響が出かねないではないか、このバカもの」

(わざわざ、バカと二度も重ねて言うほどの不始末だということか……)と再び、執務机に突っ伏すサムカであった。

「言い訳はせぬよ、ハグ。クーナ先生も呆れていたし。これも次の〔召喚〕時にシーカ校長に謝罪しておくとしよう」


 ふと、(ハグにゲームの顛末を詳しく話そうか……)と思うサムカであったが、止めた。どうも話すと『良くない結果になる』という予感がしたせいである。その代わりに、別の話題を振った。

「リベナントとの実習で、生徒たちの杖が破壊されてしまった。映像を見る限りでは先生たちの杖もそうだろう。『杖の強化』ということで、何か良い案はないかね?」


 ハグが回転を止めて、フラフラと空中に浮かんだまま静止する。が、すぐにまたゆっくりと回転を始めた。

「ないな。現状では、アレが生者にとって扱える上限だろう。アンデッドである我々が使うような魔法具は、『呪われた道具』となる恐れが高いから、使えないよ」

 サムカも同意するしかない様子で渋々うなずいた。イスの背もたれに体重をかけて天井を見上げる。

「確かにな……別の手法を考えなくてはならないか」


 ハグが何か思い出したようだ。回転を再び止めてサムカに顔を向ける。

「おお、そうだった。次回の〔召喚〕は、定期〔召喚〕ではなくて臨時〔召喚〕にするかね。杖で思い出したが、ドワーフの先生から頼み事があるそうだ。『杖の強化につながるかもしれない』らしいぞ」

「ふむ……」と視線を天井からハグの顔に向けるサムカ。

「彼には、以前に杖の強化を相談したことがあった。何か良い案が浮かんだのかな」


 ハグが淡黄色の瞳を鈍く光らせる。象牙色の顔と銀色の坊主頭とが、窓から差し込む日の光に照らされて渋い光を帯びた。丸刈り頭のトラ刈りの刈り残しのアホ毛さえミョンミョンと揺れていなければ、辛うじて格好良いと言える場面だったのだが。

「サムカちんも貿易船のことで今は忙しいだろうから、断っても構わないぞ。契約には記載されていない案件だからな」


 が、サムカは山吹色の瞳を細めて、提案を受ける意思表示をした。机の上には数十枚ほどの書類が山になっているが、それを指で小突く。今は白い手袋を両手にしている。

「まあ、これだけあるから忙しいと言えるだろうな。販売店との契約がほとんどだがね。だが、臨時〔召喚〕に応じることにしよう。杖を壊した責任の一端は、私にもあるからな。1時間半程度の〔召喚〕だし、書類仕事をする時間は何とかできるだろう」

 そして、少しいたずらっぽい視線をハグに投げた。

「しかし、これまで何度か勝手に〔召喚〕されているのだが……今更、『臨時』と断らなくてもよいぞ」


 ハグが頬を緩めて、トラ刈り銀髪の丸刈り頭をかく。

「文句はサラパン同士に言ってくれ。さすがにワシでも、羊の酔っぱらいの思いつきで〔召喚〕って事態には対処できぬわい」

 そして、さらに言い訳じみた話を続ける。

「世界〔改変〕で生じた異変の〔修復〕、〔再構築〕は、順調に進んでおるぞ。死者の世界と獣人世界との連結強度も格段に向上している。おかげで、召喚ナイフの精度もかなり向上した。これまでは、誤〔召喚〕が起きると最悪の場合、〔召喚〕されずに〔ロスト〕してしまう事故も起きていたんだけどね。今後は、そういうことは起きなくなるよ」

 さすがにサムカがジト目になった。

「そうあってもらいたいものだ。罰ゲーム中に〔ロスト〕とか、冗談では済まされないぞ」



 臨時〔召喚〕といっても、すぐに準備できるということにはならず、その間は通常の領主業務をすることになったサムカである。

 一番の元凶はやはり、サラパン羊のスケジュール調整であったようだ。校長が頑張って日程調整をしているようだが、そこは『仕事をしたくない派』のサラパン主事だ。「ああいえばこう言う」というのを地でやっているようで、なかなか決まらないようである。


 それでも何とか説得というか買収ができたようで、「明後日の臨時〔召喚〕が決まった」という知らせが夜遅くにハグから〔念話〕でサムカへ知らされた。

 それを聞いて、執務室で書類仕事をしながらサムカが苦笑している。販売店契約書をまた1つ仕上げて、イスの背もたれにもたれかかって背伸びをした。

「結局……定期〔召喚〕日の前日か。まあ、あの羊らしいと言えばらしいか」


 学校の破壊やらあったので、他の専門科目の授業が遅れ気味になっているという、ハグの話だ。3人の生徒だけの授業しか持たないサムカは、選択科目と同じ扱いだ。

 しかし、週一の〔召喚〕授業なので、影響はそれほど出ていなかった。圧縮学習ができるマライタ先生も授業の遅れはあまり出ていないようで、こうして臨時〔召喚〕に応じる余裕がある。


 サムカがイスから立ち上がって、窓の外を見た。

 満月を過ぎた辺りの夜で、曇り空の隙間から月光が領地の畑道を明るく照らしている。植えつけが済んだ畑は漆黒の闇に包まれていて、サムカにとっては心安らぐ風景だ。

(農閑期ではあるが、明日の朝は鶏舎の様子でも見に行くとするか。病気はもう出ていないという報告だったが、一応は確認した方が良いだろう)


 ドアがノックされて、セマンの警備隊長がひょっこり顔を出した。いつもの愛用のパイプから紫煙が優雅にたなびいている。

「よお、旦那。明日、自治都市へ行くなら、ついでに自警団の様子も見てきた方が良いぞ。〔予感〕の段階だけどな、何か起きそうだ」

 サムカが軽く肩をすくめて、隊長に山吹色の穏やかな視線を向ける。

「うむ、そうかね。またオーク独立国の工作兵かな」

 隊長もそこまでは〔予知〕できていないようだ。サムカに合わせて肩をすくめて見せた。

「さあな。まあ、準備だけはしておくと良いだろうさ」




【オーク自治都市】

 翌日。養鶏場や豚舎などの巡回視察を終えたサムカと騎士シチイガが、そのまま自治都市の理事会館に残って、オーク住民らと談笑していた。

 会館の1階はバーが併設されている大きなロビーになっている。人数は20人ほどだろうか。窓の外は夕方も過ぎていて、急速に夕闇に閉ざされていく。


 サムカはいつもの銀糸の刺繍が入った黒マントに、古代中東風の長袖シャツとズボン姿だ。騎士シチイガも同じような服装である。2人ともに、鎧や槍などは用意していない普段着だ。

 オークたちは軽食をとっているが、酒などは飲んでいない。サムカと騎士シチイガはコーヒーをゆっくりとすすっているだけである。


 養鶏場のオーク場長がサムカの元へ歩いてきて、深々と礼をした。禿げ頭に汗の玉がいくつも浮かんでいる。

「領主様。このたびは、わざわざ視察をして下さりまして、ありがとうございました。あれから急ぎ、近隣諸国とも連絡を取り合いました。鶏の熱病はどこも発生していないという事でございます」

 サムカが山吹色の瞳を細めてうなずく。

「うむ。君たちにとっては最も手軽なタンパク質補給源の1つだからな。供給体制には万全を期すべきものだろう。だが、この季節は空気中の湿度が上昇するから、他の消化器系の病気も起こりやすい。くれぐれも注意するようにな」


 鶏と言ってはいるが、3本足の赤い羽毛で覆われた立派な魔族の獣である。しかし繁殖が容易で、卵や肉が美味ということで、オークの間では評判だ。餌は鶏と同様の物を使用している。


 オークの場長が再び、深々と禿げ頭を下げた。

「は。鶏の管理には、更なる注意を注ぐ所存にてございます。重ね重ねのご配慮、まことにありがとうございます」

 場長がそのまま会館ロビーから退出していく。緊張から解放されたのか、若干顔が紅潮しているようだ。


 そんな場長の後ろ姿を眺めていた騎士シチイガが、コーヒーを1口すすってから窓の外の気配を〔察知〕した。

「我が主。敵の使い魔が町外へ出ました。いよいよでしょうか」

 騎士シチイガが〔指向性の会話〕魔法でサムカに話しかける。サムカも視線を合わせないままコーヒーを1口すすって答えた。

「だろうな」


 そこへ数体のシャドウが、音もなく理事会館の外壁をすり抜けて中へ入ってきた。ステルス機能を使っているようで、サムカと騎士シチイガ以外のオークたちには全く〔察知〕できていない。

 そのシャドウ数体が音もなくサムカと騎士シチイガの足元にひれ伏し、〔念話〕で何事か報告して消えた。


 サムカが騎士シチイガに、ここでようやく山吹色の瞳で合図を送る。同時に騎士シチイガがコーヒーカップを机に置いて、オークたちに向き合った。

 談笑していたオークたちが一斉に真剣な表情になって騎士シチイガに注目し、重い静寂が唐突に会館ロビーを包んでいく。

「〔予感〕が当たった。皆の者は予定通り、所定の作戦を開始してくれ」


 騎士シチイガが告げると無言でオークたちがうなずき、すぐに理事会館から駆け出していった。それを見送りもせず、騎士シチイガがいつの間にかそばに控えていたカラス型の使い魔に告げる。

「ルガルバンダ殿にも、作戦開始を伝えてこい」

「御意のままに」

 低い声で答えた使い魔が、これまた音もなく開いたドアから飛び去っていく。


 理事会館には、執事ほか数名のオークだけになっていた。すぐにスマホ型の通信器を取り出して、有線接続をし、各部隊への指示と情報収集を行い始める。 

 死者の世界では電子機器の故障がよく起きるので、かなり原始的な有線電話の発展型のような通信機器を使っている。


 それでも、1分もしないうちに敵の情報が入ってきた。オーク語で暗号通信を行いながら、情報をまとめていく執事たちである。

 2分程度でそれもまとまったようだ。執事がサムカに豚顔を向け、杏子色の瞳を鋭く光らせた。若干緊張しているのか、薄い赤柿色の顔色が紅潮している。

「旦那様。敵の概要がつかめました」


 そう言って、すぐに魔法具を使い〔空中ディスプレー〕画面を理事会館の部屋に出現させた。魔力のないオークでも使用できる仕様なので、解像度や性能はかなり落ちる。しかし、ハグが使うような白黒ノイズ画面よりははるかに良い。

 そこには、オーク自治都市を中心とした地図が表示されていて、3つの集団が記号で表示されていた。まだ、かなり距離があり、領地の境界線を突破したばかりの段階だ。


 執事がオーク語で表示されている画面を見ながら、サムカと騎士シチイガに説明する。

「犬型の魔族が2種類、ライオン型の魔族が1種類でございます。オーク軍の姿は確認されておりません。どうやら、流浪の盗賊団だと思われます、旦那様」


 騎士シチイガが一気に退屈そうな顔になってきているのを横目で見ながら、サムカが今一度画面を確認する。

「そのようだな。数は500ほどで、〔ステルス障壁〕のみを展開中か。その程度では意味はないのだが。まだ我々が気づいたと思っていないようだな……うむ。〔ロックオン〕も完了したか」


 サムカと騎士シチイガがそれぞれの手元に出した〔空中ディスプレー〕画面に、先程放った使い魔とシャドウ群からの〔ロックオン〕情報が表示された。敵の総勢は627という表示も出る。

 その中から、サムカが敵の使い魔の〔ロックオン〕情報だけを解除する。彼ら使い魔は傭兵で、こちら側の使い魔とも行き来があるような連中だ。生かすことで今後、雇用する機会もできる。排除後の数字は607になった。


 それを騎士シチイガが割り振って、各部隊に担当させていく。アンデッド兵は全て城の中に待機させていたので、彼らに半数の300を担当させる。一番大きな敵部隊への攻撃が目的となる。

 オーク自警団には次に大きな敵部隊、数にして200を担当させる。最後にルガルバンダ以下の魔族には残る敵部隊、数にして90と、遊撃や斥候小隊の17を担当させた。


 15秒後。「攻撃準備が完了した」という知らせが各部隊から届き始めた。それを確認した騎士シチイガが、サムカにキリリとした顔を向ける。さすがに、もうコーヒーカップは持っていない。

「我が主。整いました」

 サムカがコーヒーカップをテーブルの上に置いてうなずく。

「うむ。攻撃開始せよ」

 騎士シチイガが全軍に攻撃開始の指示を下した。

「攻撃開始!」




【迎撃】

 オーク自警団や、ルガルバンダたち魔族は、自治都市のあちこちで思い思いに食事していたり、バーで飲んでいたり、帰宅してベランダで談笑していたり、夜の散歩をしていたりしていた。

 そんな彼らの目の前に、〔転移〕魔法陣が一斉に出現した。城内を定期巡回警備しているアンデッド兵たちの前にも、同じ〔転移〕魔法陣が一斉に出現する。


 その次の瞬間。ほとんど条件反射のような勢いで、オーク自警団の面々が、腰のホルダーに収めていた魔法銃を抜いて魔法陣へ撃ち込んだ。

 同じく魔族らも、起動完了していた攻撃魔術を一斉に魔法陣目がけて撃ち込んだ。彼らはどちらも、〔マジックミサイル〕と〔光線〕魔術がメインだ。

 城内のアンデッド兵は矢を弓につがえて、魔法陣の中へ撃ち放った。



 1秒後。領地の境あたりで、連続して爆発の閃光と火球が1500個ほど発生した。曇り空になり、星や月明かりが届かなくなった漆黒の夜空が、一瞬だけ鋭く輝いて……すぐにまた闇に包まれた。


 しばらくしてから会館ロビーに爆音が届いた。同時に情報収集をしていたシャドウと使い魔の部隊から、敵の被害情報が次々に入ってくる。それを確認した騎士シチイガが、すぐにサムカへ報告した。

「殲滅を確認しました。敵の生存者はおりません。作戦の終了を具申いたします」


 サムカが窓の外を眺めて、山吹色の両目を閉じる。自治都市のあちこちから、子供の泣き声が聞こえてきている。

「うむ。城内の死体回収小隊を派遣せよ。魔族ゆえに、肉片からでも再生する可能性がある。肉片は手順通りに焼却して炭化後、清掃獣に与えよ。他の全部隊は作戦を終了」

「仰せのままに。我が主」

 騎士シチイガが作戦の終了を全部隊に伝達し、城内から15体ほどのアンデッド兵を放った。〔火炎放射〕の魔法具と、〔結界ビン〕を携帯した小隊だ。彼らは同時に、戦闘地での火災鎮火の仕事もすることになっている。そのために、消火用の闇魔法の手榴弾も、腰に10個ずつぶらさげていた。

 単純な行動術式の作戦なので、スケルトンの小隊である。ゾンビでは焼却や鎮火作業中に燃えてしまう恐れがあるので、今回は動員されていない。


 窓の外に整列しているシャドウと使い魔群に、騎士シチイガが解散を命じる。さらに城のセマンの警備隊にも、有線の通信器を通じて作戦の終了を知らせた。まだセマンには不信感を抱いているようで、騎士シチイガの表情があからさまに険しくなっているが。


 セマンの隊長からは、音声だけだが返事が届いた。しかし、いつものような口調ではない。

「そりゃあ良かったな。だがよ、どうもまだ不安感が消えねえんだよな。敵の残党は、本当にいねえのかい?騎士の旦那」

 騎士シチイガがジト目になって機械的に答える。癪に障ったらしい。

「戦闘可能な敵は全て殲滅してある。肉片が散乱しているだけだが、それもすぐに回収小隊によって処分される手筈だ」


 それでもまだ釈然としていない様子の隊長である。

「まあいいや。一応、こちらでは警戒を続けておくさ。それで、テシュブの旦那」

 いきなり口調がいつもの調子に戻った。

「面白い作戦だったな。結構、敵は強いと思ってたが、やるじゃねえか。旦那たちの出番すらないなんて驚いたぜ」


 騎士シチイガがより一層険しい表情になる。その彼をサムカがなだめて、代わりに答えた。通信器を騎士シチイガから受け取る。

「貴族や騎士が戦うとなると、農地への魔法場汚染がどうしても起きるのでね。今は植えつけを終えたばかりで、苗もまだ弱い。畑にまいた種も、そろそろ発芽が揃う頃だからな。余計な悪影響は避けたいのだよ。前回のように収穫直後であれば、心おきなく運動できたのだがね」


「なるほどねえ……」と納得している様子のセマン隊長だ。

 ロビーに戻ってきたオークたちも、話を聞いて素直に納得している。サムカが話を続けた。

「隊長には感謝しているよ。〔予感〕もそうだが、魔法兵器の手配も見事だった。自警団や魔族に見合った兵器ばかりで、値段も良心的だ」

 スケルトン小隊からの現場情報が入り始め、それを素早く確認するサムカ。

「魔法場汚染も、ほぼ起きていない……か。良い兵器だ」


 さすがにセマンの隊長も照れている様子だ。音声だけなのだが、口元がかなり緩んでいるのが聞いていても分かる。

「へへ。そりゃあどうも。兵器の代行輸入と販売とかって、警備会社の収入の柱の1つでもあるけどな。まあ、今後ともよしなに」

 それで通話を切った隊長であった。まだ大いに不満そうな顔の騎士シチイガの肩をサムカが軽く叩いて、スケルトン小隊の作業状況を眺める。

「特に、問題となりそうな要因はなさそうだな。肉片の焼却も終わった。効率よく兵器で粉砕できたから、残っていた肉片も少量だったようだな。後は炭を清掃獣に与えれば終了だ」


 そこへ、おずおずと執事が近づいてきた。

「質問してもよろしいでしょうか、旦那様」

 サムカが飲みかけのコーヒーカップに手を伸ばしていたが、それを中断して執事に顔を向ける。

「なんだね?」


 執事が周りにいる10名余りのオークたちと、目配せをする。

「今回の敵魔族ですが、我々の持つ資料では、それなりに強い部類に属します。犬型魔族は〔火炎放射〕を吐きますし、大型の犬型魔族は別名『ゾンビ喰い』とも呼ばれるものです。ライオン型の魔族は姿を透明にできる能力を持つと記されています。偵察用の魔族を雇うほどの資金力もありましたし、〔ステルス防御障壁〕も展開していました」

 確かにガーゴイルやネズミとは比較できないほど強力だ。執事が遠慮しながらも質問を続ける。

「今回、敵を殲滅できたのは、不意討ちに成功したためと考えて良いのでしょうか。自警団の兵をねぎらいたいとは思うのですが、調子に乗らせて増長させてしまうと良くないですので」


 サムカが鷹揚にうなずいた。目元が嬉しそうな印象になっている。

「我々が定石通りに戦闘部隊を派遣していれば、敵も警戒して防御策を厚くとっただろう。その分、戦闘が激化する。自軍に死者も出るだろうし、農地への被害も出る。それは避けたい。自警団へは、不意討ちが成功したためだと伝えておいてくれ。それにだな……」


 サムカが手元の〔空中ディスプレー〕画面を大画面にして、執事たちにも見えるようにする。そこには、生前の敵魔族の姿が映っていた。解像度が悪く、色も白黒基調でノイズが多く混じっているが、明らかに特徴ある点が映っている。

「敵の目が赤く光っている。精神支配されていて、さらに発狂状態に近いという状況だ。背後に何者かがいるのだろうな。オーク独立王国か、オメテクト王国連合の過激派貴族かは知らぬが。ともあれ、こういう状態では、まともな戦術思考はできないものだ。反面、最後の一兵になっても攻撃を止めない、面倒な敵ではあるがね。こういった話もしておいてくれ」

「なるほど……」と改めて納得している様子の、執事たちオーク勢。


 そこへ、<バーン!>と大きな音を立ててロビーの出入り口のドアを開け放ち、魔族のルガルバンダ大将と友人の2人の大将が、ガハハ笑いを派手に立てながら乱入してきた。

 オークに変化しているようで、いつもの身長4メートルの巨体ではなく、サムカよりも20センチほど高い身長2メートルのサイズだ。4本腕ではあるが。友人の2人も、オークに変化していて、同じような背丈である。

 それでもなおオーク以上に体重があるので、板張りの床が悲鳴を上げて軋む。その音も合わさり、一気にロビーの空気が賑やかになった。


「なるほどなあ! 狂ってたのかよ。だったら皆殺しするのが一番手っ取り早いよなっ」

 一斉に逃げ腰になるオークたちを頬を緩めて見守りながら、サムカが魔族の大将たちをねぎらった。

「良い活躍だった。貿易の収益が確定したら、何名か傭兵として雇うことにしよう」

「よっしゃああああっ!」とルガルバンダの後ろで2人の大将がガッツポーズをしている。


 2人とも、以前にサムカに傭兵の売り込みをかけてきて騎士シチイガに粉砕された魔族の部族長だ。本来は、1人は身長が4メートル半もある2本腕と2本ハサミを持つ魔族で、名をダエーワ。もう1人は全長6メートルにもなるイボイノシシ型の羽付き魔族のオメシワトル。どちらもルガルバンダより巨体だ。

 そのままの姿ではこのロビーには入りきれないので、こうしてオークに変化している。


 大将は3人ともに巨体なので、一気にロビー内が窮屈な感じになってしまった。丸太をより合わせたような厳つい腕も3人で合計10本もあるので、その分だけロビーの空間が占拠されている。ジャディほどではないが背中に翼を持つ大将もいて、それをバサバサさせているので尚更だ。


 ルガルバンダがすぐに真面目な顔になってサムカに聞いてきた。

「あの敵魔族だがよ。意外に名の知れた豪の者なんだぜ。ワシたちほどじゃないがな。狂っていたとは言え、一撃で殲滅とか、やるじゃねえか」


 サムカが騎士シチイガと視線を交わして苦笑する。

「敵がまともな思考でなかったことも、殲滅理由の1つだ。だが、夜襲を仕掛けてくるような輩には、私も容赦はしないさ。ルガルバンダ殿と、ご友人2人は、日中正々堂々と我々に挑んできた。さらに、農地へ被害を与えていなかった。その違いだよ」


 魔族の大将3人のガハハ笑いが大きくなったその時。

 それをさらに上回る爆音にも似た大音声が、外から鳴り響いてきた。ちょっとした音波兵器並みで、空気が振動し、ロビーの窓ガラスが一斉に割れて砕け散っていく。

「テシュブよ出てこい! 我を忘れたとは言わせぬぞっ」


 オークたちが悲鳴を上げて床に伏せる中、サムカが騎士シチイガを連れて会館の外に飛び出た。剣などの武装はしておらず、普段着に近い姿のままだ。

 夜の自治都市上空を睨み上げるサムカ。かなり雲が出ていて、満月を過ぎた月や星が見えないために、かなり暗い。敵は雲の中に潜んでいるようだ。

「この声には、聞き覚えがある。昔、私が撃退したドラゴンかね」


 そして、何事か騎士シチイガに耳打ちしてから、サムカだけ城の物見矢倉に〔転移〕した。再び雲で覆われた夜空を見上げる。

「どうやら、この騒動は君が仕掛けたものだったようだな。あいにくだが、もう殲滅してしまったぞ。相変わらず杜撰な作戦だな、ドラゴンよ」




【ドラゴン】

 このサムカによる挑発にあっけなく乗るドラゴンであった。雲の中からその巨体が姿を現す。


 会館の外に飛び出てきた魔族の大将たち3人が、それを見上げて驚嘆の声を上げた。

 オーク状態を解除して本来の巨体に戻ったルガルバンダの朱色の瞳が大きく見開かれて輝き、毛皮の薄いヒグマのような顔を興奮で紅潮させている。ズラリと並んだ真っ白い牙がよく見える。背丈が4メートルもあるので、4本の厳つい腕を大きく振り回すと、さらに大きく見える。

「スゲエ! 本物のドラゴンじゃねえかよっ」


 彼の隣でも友人の魔族の大将2人が本来の姿に戻り、同じように興奮して手と翼を大きく広げて振り回している。身長が4メートル半と6メートルもあるので、ちょっとした小屋ほどの大きさだ。

「初めて見たぜっ。話に聞く通りの姿だなオイ!」

「でけえええっ。翼はあるけど魔力で飛ぶタイプかっ」


 その通り、雲の中から姿を現したドラゴンは巨大だった。翼と尾はそれぞれ100メートルほどあり、長い首を含めた胴体も全長が100メートルある。

 全身が赤く発光している。周辺の空間に亀裂が何本も走って稲光がそれにまとわりつき、既に因果律崩壊が起き始めている……が、そんなことは気にしていない様子だ。

 ドラゴンの巨大な顔には、爛々と赤く輝く赤サンゴを磨き抜いたかのような両眼があり、存在感を周囲に放っている。その視線はサムカが〔転移〕した先の、城の物見矢倉の上に注がれていた。


 魔族の大将が指摘した通り、ドラゴンは魔力で浮かんでいるようだ。背中の巨大な一対の翼が、呼吸に呼応するように、ゆったりと上下に動いている。羽ばたいているという動作ではない。


 まるで何かの体験型の見世物を見物して楽しんでいるような大将3人を、騎士シチイガが諫めた。既に戦闘態勢になっていて、かなり低い声になっている。

「大将殿3人に、お願いしたい。ドラゴンの攻撃が始まれば、この街はひとたまりもないだろう。その際には済まないが、住人の全てを安全な場所まで、〔テレポート〕魔術で飛ばしてくれないだろうか」

 魔族はソーサラー魔術を使う者が多い。騎士シチイガが城の方角に視線を移す。

「私は、城のアンデッド兵と、資産などを避難させねばならない。オーク住人の生体情報も城の中に保管しているのでね、〔蘇生〕や〔治療〕の際に必要になる」


 気楽に応じる3人の大将だ。すぐに自治都市の全住民への〔ロックオン〕作業を開始する。騎士シチイガも会館の屋根に飛び上がって、そこから見える城に向けて同様の〔ロックオン〕作業を開始した。


 先程まで街のあちこちから聞こえてきた子供の泣き声も、今はすっかり静かになっている。オークたちも地下室などへ避難を完了したのだろう。このドラゴンであれば、その地下室ごと街を破壊できるだろうが……

「まさか、ドラゴン本体が現れるとは……このままでも、数分後には因果律崩壊して死者の世界から弾き出されるが、そこまで待ってはくれぬだろうな」


 城の闇魔法場の濃度と強さが、加速度的に上昇しているのを感じる騎士シチイガである。まるで掃除機が埃を吸い込むように、領地の全ての闇魔法場がサムカ個人に集まり始めた。


 騎士シチイガの藍白色の白い顔が、ドラゴンの発する赤い光と、空間崩壊の青白い稲光に照らされている。突風も吹き始めて、彼の黒錆色の短髪の先が激しく揺れる。その下の淡い山吹色の瞳が、鋭い光を帯びた。

「我が主も本気だな。因果律崩壊を起こさねばよいのだが」



 そのサムカは城の物見矢倉の上で仁王立ちをして、ドラゴンと話を続けていた。銀糸刺繍の施された黒いマントが突風に大きくたなびくが、サムカの体は微動だにしていない。

「なるほど、思い出したよ。済まないね、貴族といえども1000年という時間は長いものだ。南の大穴は、今では立派な観光地になっているよ。今度遊びに行けばよい」


 ドラゴンが「フン」と大きく鼻息をついた。ただの時間稼ぎの策とは思っていない様子だ。

「我も、ウィザード語を使うのは久しぶりだ。この世界では、色々と面倒な魔神どもの目があるのでな。暴れることはできぬ。オマエが獣人世界とやらへ〔召喚〕される時を待っていたのだよ。1000年かかったが、ようやく復讐できる」

 ドラゴンの口元にある空気が大きく揺らいだ。

「なぜか先日、世界〔改変〕が起きてしまったから、その調整でまだ少しの間は待ってもらうことになるが、それもすぐだ。今度こそ、オマエを滅ぼしてやろう。アンデッドごときに不覚をとった我の苦悩、思いしれ。我がドラゴンの世界で、どれほどバカにされたか……その1万分の1であってもな」


 突風が吹き荒れる中、サムカが錆色の短髪を無造作にかいてドラゴンの両眼を見返した。軽く膝を曲げて、足元の石畳の床を踏みつける。〔防御障壁〕が機能しているせいか、足音が全く出ていない。

(そう言えば、この『ザクロ色』は学校の生徒でも見かけたな。リーパットという生徒だったが、彼をアンテナに仕立てて私を探し当てたということか……)

 などと思い至る。なかなか根気強いドラゴンだ。よほど暇だったのだろう。


「私の〔召喚〕は仕事でね。残念だが、君の復讐に付き合う理由はない。君の世界へ苦情を入れることにするとしよう。今回の魔族を操っての襲撃も、一応は犯罪だ」

 そして、山吹色の瞳をキラリと光らせた。

「君もそろそろ、この世界での滞在限度になる頃だろう。自主的に帰ってくれることを期待するよ」


 サムカの元には、既に城内のセマンの警備隊とアンデッド兵、それに重要な文書や資産などを避難完了したという知らせが、騎士シチイガから〔念話〕で届いていた。今は、この城に残っているのはサムカだけだ。

 魔力もかなり吸い込んでいるので、力がみなぎっているのを感じる。石畳の床の表面が〔風化〕して粉を吹き始めた。


 しかし、ドラゴンはサムカの申し出を鼻先で笑った。その鼻先が急激に輝き始める。

「今宵は挨拶に来たまでだ。あの魔族どもには、我のブレスの使用許可を与えたのだったが……使う間もなく滅びおった。情けない奴らだ。ドラゴンといえばブレスだからな。置き土産に我が直々に見せてやろう。その程度の時間は残っておる。貴様には1000年ぶりか」


 無言のまま、サムカが手袋をしたままの両手をドラゴンに向けた。その手袋が瞬時に崩壊して〔消滅〕する。さらに服の袖も蒸発するように〔消滅〕して、藍白色の白い肌の両腕が肩まで露わになっていく。

 同時に足元には、〔転移〕魔法陣が出現した。周囲の空間が歪み、ドラゴンが浮かんでいる空間と同じように稲光が走り始める。闇魔法の〔攻性障壁〕をサムカが展開しているようだ。足元の床が一気に〔風化〕し始めて、石の粉が大量に舞い上がり始めた。


 そんなサムカを、ニヤリと鼻先で笑うドラゴン。

 次の瞬間。胴体の長さ100メートルの巨体を上回る、直径1キロの空間がドラゴンの鼻先で崩壊し、サムカごと城を光速で包み込んだ。無数の青白い雷が空間に満ち溢れ、大地を揺るがす爆音が轟く。

 垂れこめていた雲が一気に地平線の向こうまで消滅し、満月を過ぎて欠け始めた月が輝く、きれいな星空が広がる。


 それと反比例するかのように、ドラゴンの赤く輝く巨体が幻のように薄まって消えていく。土煙が巻き上がって視界が全く利かなくなる中、ドラゴンの愉快そうな声が闇の中で響き渡った。

「では〔召喚〕先で会おう。逃げた場合は、タカパ帝国をこのように消してやるぞ」

 それっきりドラゴンの姿が消え、気配も消失してしまった。因果律崩壊に巻き込まれて、死者の世界から放逐されたようだ。



 土煙の中ルガルバンダが興奮して、騎士シチイガのいる会館屋上まで駆け上がってきた。4本のたくましい大腕が、子供のようにブンブンと振り回されている。朱色の瞳が両方ともにギラギラと輝いていて、この対決をかなり楽しんだようだ。

「スゲエな、スゲエなオイ! なんつう破壊力だよ。アレが噂に聞く『ドラゴンブレス』ってやつかよ。さすがはドラゴンだなオイっ」


 一方の騎士シチイガはかなりのジト目になっている。会館の屋上で少しだけ肩をすくませて、軽く首を振った。

「私も直接見るのは初めてだが……城が丸ごと消えてしまった。リッチーの〔浸食〕にも、ある程度は耐える仕様だったのだが。大した置き土産だよ、まったく……」

 土煙が騎士シチイガの放った闇魔法によって消されていき、急速に視界が回復していく。半月になり始めた月が青く輝く、雲一つない冴え渡った夜空が現れて、その月の光に照らされた現場が見えてきた。


「おお……」

 ルガルバンダが騎士シチイガの隣で、朱色の瞳を大きく見開いて驚いている。遅れて駆けつけた2人の友人魔族も、その目を丸くして口を半開きにしている。

 騎士シチイガは大よその有様を〔察知〕していたようであったが……改めて目で直接見て、驚きを隠せない様子だ。

「これで挨拶代わりか。たまったものではないな」


 直径2キロほどの円形のクレーターがそこにあった。

 城は石片一つも残さずに〔消滅〕している。城壁も全て〔消滅〕していて、自治都市の一部もクレーターに飲み込まれて消えてしまっていた。

 そのクレーターは高熱で溶かされたりしたわけではなさそうで、溶岩などは見当たらない。ただ単に『削り取られた』という印象だ。


 冷めたクレーターの上空へ飛んでいって見下ろしている騎士シチイガの顔が険しくなった。風に流されて、頻繁に数メートルほど落下しては上昇する事を続けている。


 ルガルバンダたち3人の大将は飛べないので、クレーターの縁に《ダバダバ》と地響きを立てて駆けていって、キョロキョロして嬉しそうに騒いでいる。

 そんな遠足児童のような浮かれぶりの魔族3人衆を、少し呆れた目で見下ろした騎士シチイガが、視線を戻してため息をついた。

「生命の精霊場……か」

 クレーターの底から泥水が湧き出してきた。この場所は、このまま完全に〔浄化〕されてしまうようだ。


 呆れた表情の騎士シチイガの近くで、魔法陣が出現した。1呼吸ほどおいてから、サムカが空中に出現する。突風がまだ続いているので、騎士シチイガと一緒に風に流されて手足をバタバタさせた。2人とも、〔飛行〕や〔浮遊〕魔術は得意ではない。

 そのサムカもクレーターと泥水を見下ろして、白い人形のような固い表情をしている。


挿絵(By みてみん)


「シチイガ。私は大丈夫だ。あのドラゴンに一矢報いてやろうと、迎撃をしてみた。まあ、それなりの傷は与えただろう。もう治癒しているだろうがね」

 そして、まず先にオーク住民の死者を確認する。サムカの顔が曇った。

「……むう。10名余りの住民が即死か。このブレスに巻き込まれたのだな。後で合同葬儀を執り行うとしよう」

「は。我が主」

 騎士シチイガが立礼をし、そのままクレーターの縁で「キャッキャ」と無邪気に騒いでいる魔族の大将3人を、冷ややかな視線で見下ろした。

「魔族は、あまり役に立たなかったようです。もう少しは、住民を守ってくれるかと期待していたのですが」


 サムカが山吹色の瞳を細めて騎士シチイガに微笑む。(シチイガも、以前とは少しだけ変わってきているようだな……)と思うサムカである。オーク住民のことを、少しは気にかけるようになっている。

「そういった訓練をしていないからな、仕方あるまい。さて、次に我らの軍と資産などの損失が生じているかどうか確認するか。商取引の契約書を多く書いたからな、その努力が水の泡になっていては困る事になる」


 そして、1羽の使い魔からの報告を聞いて落胆するサムカであった。〔浮遊〕高度が数メートルほど落ちる。

「酒造所が壊滅したそうだ。今年のワインの出来は良いものだったのだが……」

 再び突風が吹いて、サムカ主従が空中でクルクル回転してしまった。騎士シチイガが短い黒錆色の髪をボサボサ状態にして、姿勢制御を試みながらサムカに淡い山吹色の瞳を向ける。

「そ、そろそろ地上へ降りても良いでしょうか」

 サムカもクルクル回りながら錆色の短髪をかいた。銀糸刺繍が月光に反射して、キラキラと輝いているマントの裾をまとめた。

「そ、そうだな。ホウキの作成キットを、急いで組み上げる必要があるな……」


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