72話
【鍵】
サムカの目の前に浮かぶ〔空中ディスプレー〕画面では、指令を受けたゴーレムが、壁画の下に開いている鍵穴に器用に鍵を差し込んだ場面だった。ゴーレムの手が土製なので、使い捨てできるタイプだ。
鍵が「カチリ」と音を立てて、鍵穴にしっかりと差し込まれた。ここでいったん動作を中断する。
数秒間ほど周囲の様子を伺うが……特に何も変化はない。
アイル部長がいつの間にか、別の記録用の操作盤がある〔空中ディスプレー〕を出して、狐語で記録を打ち込んでいる。(そう言えば、これも正規の発掘調査だったな……)と思い出すサムカ。墓次郎の介入も起きていないので、この程度は許容範囲なのだろう。
一通り環境データを記録し終わったアイル部長が、魔法の手袋をした両手で日焼けした顔を拭った。ついでに、上毛を含んだ顔のヒゲ群についた細かい埃も拭い取る。そして1呼吸置いてから、ゴーレムに指令を出した。
「では、鍵を回しますね」
数秒ほど遅れて、ゴーレムの手が動き始めた。ゆっくりと時計回りに鍵が回って、カチリと音が……しなかった。そのまま惰性で鍵が回転していて、手応えが消え失せたようだ。
画面を見ているサムカ以下、全員が声もなく緊張する。エルフ先生とノーム先生が校長とアイル部長を抱き寄せて、両目を手で塞いだ。サムカも長剣を強く握る。
〔空中ディスプレー〕画面では突如、幾何学模様の壁画が膨張してゴーレムに急接近してきた場面で画像が途切れた。信号も完全に消えてしまい、数秒ほどしてから予備のカメラが起動する。これはエルフ先生が送り込んでいた〔オプション玉〕によるものだ。その映像中継に切り替わる。
背丈が1メートル半ほどあり、胴体もサラパン羊以上に太かったゴーレムが……壁画の中に吸い込まれている様子が映し出されていた。ものの2、3秒で全身が全て壁画の中に飲み込まれて消え、壁画のモチーフに加わる。幾何学模様の中に、ゴーレムのシルエットらしき線が確認できる。そして、鍵が壁画の中から吐き出されて床に落ちた。
同時に〔赤いビーム光線〕が60本ほど一斉に発射されて、正確に〔テレポート〕刻印を逆走し、校長室にいるサムカに直撃した。闇魔法の〔防御障壁〕が全てを〔消去〕しているので、サムカや後ろの連中には被害は出ていないが……それでも攻撃は30秒間ほど延々と続いた。
やっと〔ビーム〕攻撃が終わり、静かになった校長室でサムカが肩をすくめる。後ろの4人もほっとしている。
エルフ先生がやや興奮しているのか、両耳を軽く上下にピコピコさせて校長を離した。
「やはり光魔法の迎撃だったわね。術式も初めて見る型だった。エルフの通常の〔防御障壁〕では防御できなかったかも。さすがサムカ先生ね」
ハグ人形が愉快そうにニヤニヤしながら、校長の頭の上に再び出現する。
「いや、残念だがエルフの先生。これは見た目が光魔法というだけの死霊術攻撃だよ。当たると強制的にゾンビにされるという奴だ。さらに、サムカちんにも防ぐことはできておらぬよ。半分くらいは命中して食らっておる」
サムカが錆色の短髪をかきながら、黒マント越しに後ろを振り返った。
「悔しいが、ハグ人形の言う通りだ。古代語魔法だったからな、全て無効にすることはできなかった。実害はないから安心してくれ」
「ええ……?」と怪訝な視線をサムカに向けるエルフ先生とノーム先生。校長とアイル部長は理解の外のようで、キョトンとした顔をしている。ハグ人形がニヤニヤしながら、校長の頭の上で宙返りをした。
「サムカちんはアンデッドだからな。もう死んでおる。これがバンパイア程度の下級アンデッドであれば乗っ取られてしまっただろうが、こやつは貴族だからな。この程度ではびくともせぬよ。反対に死霊術場を浴びて元気になるくらいだ。なあ、サムカちん」
サムカも再び肩をすくめて、微妙な笑みを浮かべている。
「まあ、確かに気分は良くなったかな」
そして、画面の壁画を改めて見つめた。
「反撃の魔法攻撃が死霊術か。であれば、鍵関連の基本術式も死霊術だな。ふむ。クーナ先生、死霊術を軽く使ってみても構わないかね? 死霊術でゴーレムを作れば良いはずだ。他の魔法だったから、自動迎撃の術式が発動したのだろう」
エルフ先生が一瞬だけ険しい顔をしたが、すぐに普段の表情に戻った。そのままサムカの後ろでノーム先生と相談する。すぐに話がついた。
「分かりました。もしこれでも〔ゾンビ化〕攻撃が放たれた場合に備えて、今度は私とラワット先生の、光と生命の精霊魔法による〔防御障壁〕を展開しておきますよ」
「うむ」と了解するサムカ。画面に映るキノコだらけの床を一通り見ていく。
「ここには残念ながら死体や骨はない。従って、散乱している刀剣を代わりに使うとしよう。残留思念は学校周囲の森から適当に引っ張ってくればいいし、死霊術場も先ほどの攻撃で必要十分な量が溜まっている。では、気分が悪くなるかもしれんが、少しの間我慢してくれ」
サムカが校長室の窓を開けて、森の中から数個の虹色をした風船状の残留思念を呼び寄せた。それを無造作に捕まえて〔空中ディスプレー〕画面に突っ込む。洞窟内に無事に転送された。
それをいつもの手順の通りにサムカが闇の精霊魔法で包んで活性化させ、黒い雷雲状に変化させた。洞窟内部には、サムカが指摘した通りに大量の死霊術場が発生しているのか、それを吸い込んで急速に成長していく黒い雷雲だ。
「うむ。この程度まで育てれば充分だろう」
サムカが小鳥でも見るような視線と口調で、その雷雲を床に散乱している刀剣に吸い込ませていく。
刀剣が振動を始める。魔法の糸がまるでキノコの菌糸が伸長していくように床一面に伸びていく。15秒ほど経過すると、床が地鳴りのように振動してきた。頃合いを見計らって、サムカが白い手袋をした左手の人差し指を、クイっと上に曲げる。
それをきっかけにして、100本以上の刀剣が一斉に床から起き上がり、互いに組み合わさってネズミのような姿になっていく。
「使用した残留思念が森のネズミ由来だったのだな。スケルトンの作成方法もこのようなものだ。こうして、遠隔操作でも大量生産できるから、留意しておくと良いだろう。魔法の糸で操作できる形にできれば、素材は何でも構わないのだよ。枯れ枝でもよい。ちなみに、この術式はもう教えてあるから、我がクラスの生徒たちと模擬戦を行う際には用心した方が良いだろう。彼らは今はシャドウに夢中だが、スケルトンも上手に使える」
のんびりとした口調と声色で、サムカが先生と校長たちに解説をする。その間に、ネズミ型のスケルトンが1体出来上がった。大きさは尻尾を除いて1メートル半というところか。
スケルトンの指の部分は、短剣や金属片が集まって形成されている。短剣の柄部分が指先に相当していて、意外に器用に床に落ちていた鍵を拾い上げた。それを両手でしっかりと持つ。
「では、再度挑戦してみるか。念のため君たちは、光と生命の精霊魔法の〔防御障壁〕を展開しておいてくれ。私とハグ人形には使わないようにな」
サムカがエルフ先生に促したが、そのエルフ先生がドヤ顔気味に微笑んだ。隣のノーム先生もニコニコしている。
「サムカ先生も包んで差し上げますわよ。二重〔防御障壁〕のノウハウも出来てきています」
「ほら」とばかりにエルフ先生がライフル杖を振った。
見事にサムカとハグ人形まで含んだ、光と生命の精霊魔法の〔防御障壁〕が、サムカの闇魔法の〔防御障壁〕の上に重なって発生した。サムカにも全く悪影響が出ないので、さすがに感心して腕組みをする。
「うむむ……これはすごいな。光と闇の二重〔防御障壁〕と違い、さらに生命の精霊魔法まで加わっても安定しているのか」
エルフ先生も空色の瞳を細め、肩をすくめた。
「私も詳しい術式は分かりませんけれどね。サムカ先生が歯医者にかかったでしょ。あの時の術式や魔法場を生かしたみたいですよ」
「なるほど……」
さらに唸るサムカであったが、ハグ人形が急かしているので本題に入る事にしたようだ。
「では、鍵を回すとしよう」
今度は「カチリ」と音がして、鍵が鍵穴の中で回って止まった。壁画の絵が再び膨らんで変形したので、警戒する。
……が、カウンター攻撃は来なかった。ほっとするサムカと後ろの面々。壁画が幾何学模様から変わって、風景画になった。森の中の巨大な岩の絵だ。
サムカが首をかしげている横で、エルフ先生が無地の黒マント越しに顔をのぞかせた。もう、水の〔反射鏡〕を介して画面を見なくてもよいと判断したのだろう。
「これって……この場所を探せって意味かしらね」
ノーム先生も続いて顔を見せて、銀色のあごヒゲを片手でつまみながらうなずく。
「そうだろうなあ。まあ、そんなに遠くない場所だろう。カカクトゥア先生。〔探査〕してみてはどうかな」
エルフ先生が校長室から外に出る。運動場に歩み入って簡易杖を振り、光と風の精霊をいくつか〔召喚〕した。
「ちょっと調べてちょうだい」
言われたままに、精霊たちが一斉に森の中へ飛んでいく。四方に向かっているのは、場所の特定をさせるためだ。校長とアイル部長も、つられて一緒に運動場へ出ている。ノーム先生も出てきた。すぐに運動場に〔テレポート〕魔術刻印を刻む作業を始めている。
サムカもその作業を手伝いながら、エルフ先生に聞いてみる。
「クーナ先生。授業が滞りなく進んでいるかどうか、確かめておきたいのだが。一時ここを離れても構わないかね?」
エルフ先生が空色の瞳を細めて微笑む。日差しを浴びているせいか、腰まで伸びるべっ甲色の髪がキラキラと輝いて見える。
妖精たちが来襲したせいで一時的に寒気が入り込んでいるのだが、それがまだ居座っている。そのおかげで乾いた心地よい風だ。普段なら今の季節は、湿気を多く含んだ重い風が吹く、曇りがちの天気が続くのだが。
「もちろんですよ。〔探査〕完了まで10分程度かかるでしょうから、その間、先生の仕事をしてきて下さいな」
【地下2階のサムカの教室】
サムカが地下2階にある教室へ到着すると、熊型の使い魔がシャドウと共に主人を出迎えた。生徒たちの姿は見当たらない。サムカが軽く使い魔に挨拶すると、戸惑ったような表情で何か口ごもった。
サムカが小首をかしげて聞く。
「どうかしたか?」
「は。実は……」
恐る恐るという表情で答える使い魔である。
「金星で問題が生じております。その……瀕死の状況かと。法術のマルマー先生を呼びましょうか」
更に首をかしげるサムカであった。とりあえず、使い魔が用意した金星への〔テレポート〕魔法陣の上に立つ。
「瀕死……? 今回はリベナントだが。既に生徒たちによって袋叩きにされて、消滅しているのではと予想していたのだが。今頃は退屈を持て余しているのでは?」
熊型の使い魔が、冷や汗をかいて「アウアウ」言いながら口ごもっている。背中の4枚の翼と4本の腕が不規則にバタバタしているので、相当に慌てている様子だ。今は教室内に誰もいないのだが、それでも半透明の姿のままだ。
「私の任務から外れる内容ですので、あまり出過ぎた事は契約違反になるかと……」
サムカが察したようだ。表情を引き締めて、使い魔に謝る。
「確かに、君の任務はこの地下教室の保護だな。契約外の注文は良くなかったな、すまんな」
「アワアワ」と恐縮する使い魔である。身長が2メートルほどある熊型なので、熊が謝っているようにも見える。羽と余分な腕が生えているが。
「は……畏れ多い事でございます」
サムカが「コホン」と小さく咳払いをして、使い魔に命じた。
「引き続き、この地下教室の維持に努めよ。マルマー先生には、私から連絡を入れておく」
すぐに〔念話〕でマルマー先生にケガ人発生の知らせを入れて、〔テレポート〕魔法陣を起動させた。瞬時にサムカの姿が魔法陣の上から消える。
使い魔が大きくため息をついた。
「まだ息があれば良いのだが……」
【金星】
サムカが金星へ到着すると……赤く焼けた岩盤が目立つ大地と、暗く赤い空が広がっていた。夕暮れ前の時刻だ。
いつもの金星の地表風景である。気温は500度に達していて、気圧も90ちょっとある。さらに、酸素がほとんど含まれていない大気組成なので、生きている者は地球から持ち込んだ空気を使って呼吸するしかない。
しかし、風はそよ風程度なので、それほど砂塵は舞っておらず視界は良好だ。
上空や地中に、金星固有の精霊や妖精の精霊場がない事を確認し、サムカが〔テレポート〕魔法陣から出る。
サムカの場合は死体なので、呼吸の必要はない。そのため、〔防御障壁〕も金星の精霊や妖精に対するステルス機能の追加だけで済んでいる。
実習現場は〔テレポート〕魔法陣から30キロほど離れた場所に設定されていたので、そこへ〔飛行〕魔術で向かう。相変わらずのフラフラ〔飛行〕であるが、徒歩で向かうよりは速い。
〔飛行〕するにつれて、サムカの顔が険しくなっていく。
「う……生命の精霊場が消滅しかけているではないか。どういう事だ?」
実習現場に到着したサムカが着地する。思わず目が点になっている。
かなりの修羅場になっていた。
ちょっとした高台では、サムカ熊が高笑いをしながら仁王立ちで立っている。その周囲の大地が大小のクレーターだらけになっていた。〔闇玉〕による絨毯爆撃の跡だ。それが向こう側に広がる地平線まで、延々と穴だらけ風景となって続いている。
その1つのクレーターの底に、血まみれで動かなくなっている軍と警察からの講習生の姿があった。彼らの隣には、生徒たちも倒れていた。皆、満身創痍になって息も絶え絶えである。
そのクレーターの縁には1体のオーク型リベナントが立っていて、「ガオガオ」と吠えて何か踊っている。こちらは、ほとんど無傷だ。
「あれ?」
サムカが首をかしげて、生徒たちが集まって倒れているクレーターの底に降り立つ。
すかさず、ミンタが折れた杖を向けて威嚇した。紺色のブレザー制服もズタボロで血まみれだ。
「ア、アンタね……! 私たちを殺す気なのね、そうなのねっ」
ラヤンがその横でボロ雑巾のようになって、痙攣しながらうつ伏せで倒れている。ジャディとレブン、それにペルは四肢が全て切断されて、血の海で痙攣していた。血も500度の気温で焼けていて、何かのペイントのようだ。彼らの手足が、焼けた岩盤に散乱して転がっている。
サムカが首をひねったままで腕組みをして、踊っているリベナントの隣に立った。戦闘態勢のままだが安全装置が作動していて、今は待機状態になっていた。正常に機能している。
「変だな。このリベナントはそこまで強くないはずだが……あ」
高台から呼び寄せたサムカ熊を見て、整った眉をひそめるサムカだ。熊人形の両手両足から伸びている3本爪の先が真っ赤に染まっている。それで全てを理解したサムカであった。すぐに熊人形を停止させる。
「そうか。この熊人形も戦闘に参加していたのか。それでは戦力バランスが崩れても仕方がないな。軍と警察からの講習生も、熊人形が攻撃対象にしていたのか。変だな、設定が書き換えられたのか?」
ムンキンが血まみれで四つん這いになっていたが、何とか顔をサムカに向けて睨みつけた。左目が完全に切り裂かれて潰れている。頭の傷は脳にまで達しているようで、黄色い脳漿が血液と共に噴き出ていた。法術が起動していて徐々に〔回復〕してはいるが、そのペースは非常に遅い。
「その爪で斬られると、傷がなかなか回復しないんだよ。魔力サーバーとの通信も遮断しやがるし」
そのムンキンが、踊っているリベナントに容赦なく蹴り飛ばされた。
風切り音を立ててぶっ飛んで、そのままボトリと床に落ちて動かなくなった。ついでに体が急速に〔腐敗〕してドロドロになっていく。
サムカが再び小首をかしげて腕を軽く組む。
「待機状態なのに攻撃するとは、不安定だな。もしかして、金星の大地の精霊や妖精の〔干渉〕を受けたのか?」
ミンタが虫の息で、毒づいた。唯一、赤く焼けた地面から起き上がっている。
「そういう事よ、このバカ! ここの妖精は凶暴性が高いんだから、〔干渉〕を受けたら暴走するに決まっているでしょっ、このバカっ」
ここで、ミンタも気力を使い果たしたようで《バタリ》と倒れてしまった。
サムカが錆色の短髪をかく。
「なるほどな。生命もいないから、さらに死霊術が活性化してしまったのも要因のようだな。これは失礼した。死者の世界の金星と同じ設定にしていたのだが……世界が異なると設定も異なるという事か」
そう言って、サムカがサムカ熊とリベナントを停止させた。体の表面から、鈍いオレンジ色した金星の精霊場が湯気のように放出されていく。これが暴走の原因となったようだ。
クレーターの底に散らばっている生徒たちの手足や肉片を、再起動させたサムカ熊とリベナントに命じて回収させる。ペンキ状態になっている血は、さすがに回収できなかったようだが。
次いで、生徒と講習生を全員引き寄せて、〔結束〕魔術でひとくくりに梱包する。家畜の精肉工場から出る生ゴミのような見た目である。
「では、地球へ戻るとしよう。まだ死んでいないようだな。感心、感心」
ペルが薄墨色の瞳を黒くしながら、〔念話〕で懇願した。
(テ、テシュブ先生……はやく、〔治療〕して……もう、だめです。しんじゃう……)
手足と尻尾が斬り飛ばされて、首の骨も切り離されて、文字通り首の皮一枚で胴体と繋がっている状態だ。
法術を封じ込めた〔結界ビン〕を使って、何とか死なずにいる状態であった。切断面はサムカ熊の爪のせいで〔石化〕と〔消去〕が同時進行していたが、サムカが解除する。
サムカが他の生徒と講習生の切断面にも同じ処置を施し、回収した手足や尻尾を数えて軽くうなずく。リベナントの手足の爪にかかった場所は〔腐敗〕が進行していたが、これも解除する。
結構、のんびりしている。
「わかった、わかった。では戻るとしよう」
次の瞬間、サムカの教室に戻った。同時に学校の保安警備システムが反応して、負傷者発生の警報が鳴り響く。
出迎えたのはマルマー先生だった。相変わらずの豪華な法衣に、過剰なほどの装飾が施された大きな杖を掲げている。〔テレポート〕して戻って来たサムカたちを見るなり、呆れた表情を露骨に見せる。
「うは……これはまた、酷いな」
マルマー先生の後ろには、法術専門クラスの生徒たちが控えている。級長のスンティカン3年生も先生と一緒に、呆れた表情を顔一面に浮かべていた。
「どんな実習をしたら、こんなバラバラ状態になるんだよ。しかし、よく生きてるな」
サムカが申しわけなさそうに、頭を先生と専門クラスの生徒たちに下げた。
「すまないね。また、私の落ち度のせいだ。至急、〔治療〕を頼む」
マルマー先生が真面目な表情になって、杖を掲げてスンティカン級長に命じる。
「では早速、〔治療〕を始めよう。そろそろ死んでしまいそうだ」
そこへ、エルフ先生〔分身〕とノーム先生〔分身〕が血相を変えて教室へ駈け込んできた。既に手にはライフル杖を持って、腰溜めにして構えている。
先生たちの後ろにはビジ・ニクマティ級長が簡易杖を構えていて、総勢60名ほどの専門クラスの生徒を指揮していた。既に臨戦態勢だ。
エルフ先生〔分身〕がサムカの顔を見るなり、ライフル杖を向けた。
「サムカ先生、また何を仕出かしたの……うわっ! な、何事ですかこれはっ」
サムカが慌てて教室の外に出て、エルフ先生〔分身〕とノーム先生〔分身〕に釈明する。一見するとバラバラ殺人事件の現場にしか見えないので、当然すぎる反応だ。
何とか納得してもらったようで、一息つくサムカ。エルフ先生〔分身〕が、きついジト目でサムカを睨んでいる。ライフル杖は肩に担いだままだ。
「まったく、もう……落ち着いたら、説教をしますからね。ミンタさんとムンキン君まで瀕死にするだなんて、やり過ぎですよ。ですが、よく軍と警察の受講生が生き残っていましたね」
平謝りを続けるサムカに、今度はノームのラワット先生〔分身〕が銀色の口ヒゲを手袋をした指でいじりながら微笑んだ。
「確かに、やり過ぎだな。ははは。新兵訓練もほどほどにな。テシュブ先生」
ニクマティ級長はサムカへの攻撃ができなくなったので、残念そうに鼻先と口元のヒゲをモニョモニョ動かしていた。
「むう、残念。テシュブ先生に体を穴だらけにされた仕返しができる好機だったんだけどなあ。またの機会にお預けか」
いまだに、以前受けたサムカの授業で、〔闇玉〕に身体中を穴だらけにされた事を根に持っているようだ。しかしそこは級長としての立場をわきまえているニクマティである。気持ちを切り替えて、理知的な黒茶色の瞳をキラリと光らせ、サムカに手を振った。
「では、私たちもこれで失礼します。授業時間がまだ残っていますからね」
エルフ先生〔分身〕に引率されて戻っていく精霊魔法専門クラスの生徒たちを見送ったサムカが教室に戻る。どうやら、他にサムカの教室へ突撃してくる生徒や先生はいないようだ。
「このところ、私の信用が暴落中だな。何とかしなければ」
サムカが熊人形の行動術式を〔修正〕して、ロッカーに押し込んだ。オーク型のリベナントについては、行動〔ログ〕を取得してから手頃な〔結界ビン〕に封じる。また再利用するつもりなのだろう。どちらからも、鈍いオレンジ色をした精霊場が染み出てきたので、キッチリと〔消去〕しておく。
ロッカーの扉を閉めて鍵をかけるまでには、〔治療〕が完了していた。マルマー先生がため息混じりに安堵する。
「ふう……これで良かろう。精神的なショックの〔治療〕は、放課後にでもやってあげよう。忘れずに、〔治療〕を受けに来るようにな」
ペルたち生徒と軍警察からの受講生は、まだ意識が混濁しているようで視線が定まっていない。唯一、ジャディだけは早くも正気に戻っているようで、キョロキョロしている。
「な、何だ何だ。何が起きて……あ!」
惨劇を思い出したようで、ガタガタ震えはじめるジャディである。
そんな鳥を放置して、マルマー先生がスンティカン級長に声をかけた。
「よし、記憶喪失も起きてないな。完了だ。では教室へ戻るぞ。テシュブ先生のおかげで、よい救急医療の実習ができたな。ははは」
級長が渋い柿色のウロコで覆われた尻尾を《バシン》と教室の床に叩きつけてマルマー先生に答える。鉄紺色の瞳が充実感に満たされているのが分かる。
「そうですね、マルマー先生。ラヤンさんには悪いけれど、良い実習になりました」
マルマー先生が少しご機嫌な様子でサムカに手を振った。豪華な法衣の袖がバサバサと揺れる。
「じゃ、我らはこれで。テシュブ先生、あまり生徒をいじめないようにな」
恐縮するばかりのサムカであった。法術専門クラスの生徒たちを引き連れて、意気揚々と去っていくマルマー先生の雄姿を見送る。
「法術か……なるほど、生者にとっては大切な魔法なのだな」
そして、教室の隅に隠れていた使い魔にも礼を述べた。
「すまなかったな。後で追加報酬を出そう。何が希望か、考えておいてくれ」
熊型の使い魔が、恐縮して頭を下げた。まだ姿は半透明のままだ。
「は。有難き幸せ」
そう言い残して、教室の天井の中に潜っていった。
10秒後。ジャディに続いて他の生徒と受講生の意識が戻った。それでもまだ呆然とした表情で、カタカタ震えているが。杖や制服までは〔修復〕されていないので、血まみれのズタボロの見た目のままだ。
サムカが錆色の短髪をかきながら謝る。
「私の不注意だった。精霊魔法に疎いせいで、迷惑をかけた。精神〔治療〕を、放課後にマルマー先生の下でしてくるようにな」
ジャディがいち早く正気に戻って、サムカの足元に飛び込んできた。早速「オンオン」泣き始める。
「殿おおおおおっ! 熊ァ強ええッス、スゲエ強ええッス、けど、これでこそ殿ッス! さすがッス」
マルマー先生の〔診断〕の通り、サムカ熊との戦闘の記憶も無事に残っているようだ。記憶の欠損は、最低限で済んでいると見て良いだろう。
サムカが申しわけないと言わんばかりの表情になり、ジャディの羽毛で覆われた頭を「ポンポン」叩く。
「いや、これは私の失敗だ。金星の精霊場環境が、ここまで地球と異なるとは思っていなかった。熊人形とリベナントの暴走が、予見できなかった私の落ち度だ。すまなかったね」
「まったくだ、このクソ教師」とか何とか毒ついているのは、言うまでもなくミンタとムンキン、それにラヤンであった。2人の講習生も瀕死の重傷を負った経験がこれまでなかったようで、混乱している。ちなみに彼らの生体情報はないので、死んでいればそれっきりだ。
「今回はクーナ先生や、ラワット先生の〔分身〕が参加していなかったな。やはり安全策は多重に施さねばならぬようだ。金星での実習は、生者には危険すぎたな。今後はもう行わないようにしよう」
さらに反省するサムカ。
確かに彼らが同席していれば、このような惨事には至らなかったはずである。(校長やエルフ先生からの説教は、避けられそうにもないな……)と覚悟するサムカであった。
レブンとペルは意識が戻った後も、神妙な表情をしたままサムカを見上げている。まずレブンが口を開いた。
「いいえ、テシュブ先生。このまま実習授業を続けて下さい。ラヤン先輩には攻撃しないように設定し直せば、即死しない限り〔回復〕できます。これまでの宿題とは違って、この実習は非常にやりがいがあります」
ペルもミンタの顔色を心配そうに見てから、意を決したように顔を上げる。
「私たち、これまでの事件で調子に乗っていたのだと思います。私が闇の精霊魔法で攻撃する時間もなくて、一撃で切り刻まれてしまいました。魔力はあるのに死ぬのを待つだけなんて、初めてです。次は、もっと上手に戦えます。実習を継続して下さい」
ミンタが少し呆れた顔になりながらも、うなずいた。両耳が交互にパタパタしている。
「そうね……ペルちゃんの場合、強力な闇の精霊魔法を使えるのは良いんだけど……反動で体が傷まないように、色々と補助魔法をかけないといけないのよね。おかげで術式の発動まで、結構時間がかかる。その隙に直接攻撃されたら、為す術もないわね。実際、そうなったし」
ムンキンもジャディやレブンに感化されたのか、先程までのサムカに対するジト目非難攻撃を止めていた。反対に、爛々と濃藍色の両目を燃え上がらせる。接合したばかりの尻尾を≪バン≫とボロボロの床に叩きつけた。
「俺も、次はこうはならねえぞ。テシュブ先生、続けてくれ。竜族の意地を見せてやる」
サムカが困ったような顔をして、ラヤンに山吹色の視線を向ける。
ラヤンも血まみれボロボロ服でジト目ながらも、肩をすくめて見せた。「特に異論はない」という事になる。
サムカもそれを見て、小さくため息をついた。口元が少し緩んでいる。
「仕方がないな。では、熊人形の爪は使用不可にしておこう。リベナントの麻痺攻撃には腐敗効果が混じっていたので、これも除外しておこう。それと、君たちの魔法攻撃が存分にできるように、金星の実習場所の保護も必要だな。これは熊人形に任せるか」
ペルが手を挙げた。
「テシュブ先生。それと、金星でもウィザード魔法や法術が充分に使えるように、学校のサーバーとの回線も設置した方が良いと思います。今のままでは、前もって〔結界ビン〕に魔法を封じておかないといけないので、大出力の魔法や法術が使えません」
これにはラヤンが即座に賛成する。
「法術だけでも金星の実習場との回線を設けるべきね。〔結界ビン〕だけの使用では、すぐに限界になって倒れてしまうし」
ムンキンもラヤンに賛同した。彼もかなり真剣な表情になっている。
「僕も同意です。今回の実習では、地元金星の精霊や妖精に〔探知〕されない〔ステルス障壁〕が無事に機能しました。〔干渉〕までは防ぎきれませんでしたが、これも次回から克服できるはずです。せっかくの実習場を放棄するのは、非常にもったいないと思います」
ミンタも大きくうなずく。
「そうね。ウィザード魔法の実習も必要なのよね。学校の運動場じゃ大出力の魔法は使えないし、〔結界〕内でやっても、やはり限度があるのよね。〔結界〕が壊れるくらいの魔法は使えない。木星は地面がないから、大地属性の魔法は使えないし、風系統が強すぎて不便なのよ。風が穏やかな金星は捨てたくないわね」
レブンも控えめに賛同する。
「死霊術の実習をする場所が、学校にはありません。生命のいない金星は、僕にとっても助かります。木星も良いですけれど、僕はまだ〔飛行〕魔術が得意ではなくて」
最後にペルが考え込みながら、サムカに薄墨色の瞳を向けた。黒毛交じりの両耳が規則的にピコピコ動いている。
「金星への魔法回線の敷設は、魔法工学の知識で何とかなります。しばらくの間は試行錯誤しないといけませんが、マライタ先生と相談すれば何とかなるはずです」
生徒たちからの思わぬ抵抗を受けて、面食らっているサムカであった。しかし改めて考えると、確かに金星の利点はある。
ロッカーから再びサムカ熊を呼び出す。それをもう一度、念入りに行動術式を確認するサムカ。特に問題はなかったようで、山吹色の瞳をペルとレブンに向ける。
「では、授業の残り時間内で、再度金星での実習を許可しよう。しかし、また何か起きたら、すぐに私を呼び出してくれ。先程は連絡する間もなく倒れたようだが、今回は大丈夫だろう。ラヤンさんへの攻撃はしない設定にしたしな」
ラヤンがジト目のままで不敵な笑みを浮かべた。
「まあまあ……責任重大ね。私は成績中位なんだけどな。でもまあ、頑張るわよ。色々と試したい支援法術もあるし」
サムカが手元に小さな時刻表示の〔空中ディスプレー〕画面を呼び出した。アラームが鳴っている。
「おっと。そろそろ私は戻るよ。遅れると、クーナ先生の逆鱗に触れてしまいそうだ」
【運動場】
運動場のエルフ先生たちがいる場所へ、自身を霧状にして土中を潜航して戻るサムカである。地上へ出てから実体化し、軽く身なりを整えた。そのままエルフ先生と校長に『あわや生徒全滅寸前事件』の顛末を伝える。
校長が白毛交じりの尻尾を見事に逆立てて、カタカタ震え出した。
「テ、テシュブ先生……大惨事になりかねないですよ、それ」
アイル部長の手を引いて、急いで地下の教室へ駆けこんでいく。
「生徒たちと講習生の様子を見てきます。ゲームの方は授業時間内に終わらせて下さいよ。終わらない場合でも、放課後のクラブ活動に支障が出ないようにして下さいね。では! アイル部長も手伝って下さい」
アイル部長は古代遺跡でのゲームに興味がある表情だったが……問答無用で校長に引きずられていった。
「あああ……無念です、実に無念です」
それを見送って、サムカがエルフ先生とノーム先生に謝った。
「済まないことをした。確かに、校長の言う通りだ。熊の爪が凶器だったことを失念していたよ。精霊や妖精ですら攻撃可能な魔法の武器だったな。生徒では、対処のしようがない」
一方のエルフ先生は、それほど怒っていない様子である。ノーム先生は冷や汗をかいて動転しているのがよく分かるのだが。「コホン」と軽く咳払いをして、エルフ先生が空色の瞳をサムカに向けた。
「今の学校には、強力な法力サーバーが稼働しています。〔ロスト〕攻撃を食らわない限りは、死んでも〔蘇生〕〔復活〕できますよ」
そういう事らしい。(そういえば、マルマー先生も落ち着いていたな……)と思い出すサムカ。エルフ先生が普通の口調で話を続ける。
「むしろ、私もリベナント相手に戦闘訓練をしてみたいくらいです。サムカ熊さん相手では一度しか戦ったことはありませんし、ほとんど引き分けでした。今度は完勝してみたいですね」
ノーム先生が呆れたような視線をエルフ先生に向けているが、無視しているようだ。サムカも山吹色の目を数回ほど瞬きしていたが、やがて納得したようにうなずく。
「さすがは警官だな。死者の世界へ移住する事になったら、私が責任をもって迎えよう。立派な貴族に育ててみせると約束するよ。クーナ先生ならば、私の師匠の右腕にもなれるやも知れないな……とまあ、冗談はこのくらいにして、壁画に描かれた場所は分かったかね」
エルフ先生が本気でサムカを攻撃しようとする気配を見せたので、話題を切り替えたサムカであった。
エルフ先生の金髪が見事に全て逆立って、文字通りの怒髪天を衝く状態になり、さらに静電気が雷のように地面に放たれて、空気も帯電しつつあったので……これで察しなければ相当な鈍感だろう。
エルフ先生が気持ちを落ち着かせるまでの間、ノーム先生が愉快そうに声を立てずに笑いながら、サムカの無地の黒マントを「ポンポン」叩いた。
「悪い事は、えてして重なるものだよ。ハグ人形さんが、この場にいなくて幸運だったかな」
ハグ人形は校長の頭の上にいたので、そのままついていったのだろう。確かにハグ人形がいれば、煽りに煽りまくるはずだ。(一戦起きていたかもしれないな……)と思うサムカ。
エルフ先生が再び「ゴホン」と咳払いをした。まだ若干、髪が逆立ったままだが……落ち着いたようだ。
「ここから120キロ東の森の中でした。パリーの管理する森の外ですので、少し探し出すのに手間取りました。その岩の周辺ですが、風と光、それに水の精霊を介しての調査を終えています。特に罠などは確認されませんでしたので、このまま〔テレポート〕して向かいましょう。魔術刻印もすでに精霊に命じて刻んであります」
【亜熱帯の森の岩】
すぐに3人が運動場から〔テレポート〕して森の岩の手前に移動する。そこは、樹高30メートルにもなる巨木が、無数に林立している深い亜熱帯の森の中だった。
しかし、岩の周囲だけは木が生えておらず、不自然な草地になっている。草の丈は1メートルほどだろうか。すぐにノーム先生が生命の精霊魔法で、草をクローバーの群生に〔変換〕する。
岩も木々に劣らず巨大で、高さ3メートル、周囲は50メートルほどもある。しかも一枚岩で、地層の縞模様がくっきりと見える。岩の表面にも小さな木が生えていて、草とコケでびっしりと覆われていた。
ここの森の中でも、猿顔や猫顔、それに犬顔をした原獣人族の小さな群れがあちこちにあって、木々の葉の陰からサムカたちを観察している。しかし彼らもノーム先生の魔法に驚いて、狐語で何か文句を喚き立てながら一目散に森の奥へ逃げていった。あっという間に、深山の森の中のように静寂になる。
エルフ先生が周囲を見回しながら、軽くため息をつく。
「また、パリーに文句を言われそうね」
パリーの庇護地域ではないのだが、『妖精ネットワーク』という厄介な情報網があるのだ。悪評が立つと、あっという間にあちこちの森の妖精に知れ渡ってしまう。
エルフ先生があれこれ考えている間に、サムカが作業を進めていく。手元に出した〔空中ディスプレー〕画面で洞窟の壁画と比較しながら、納得した様子でうなずいた。
「うむ。確かにこの岩だな。しかし、よく見つけたね。木や草で覆われているではないか。これはもう、100年ほどは誰も来ていないのではないかね」
エルフ先生もサムカの感想に同意している。
「そうね。人がいた形跡もないみたい。まあ、〔探査〕それ自体は、単純に『岩の形』で突き止めただけなんだけどね。なので、この岩じゃないかもしれないわよ。似ているだけで、別物かも」
ノーム先生が岩の周囲を歩きながら、ライフル杖を岩の一点に当てた。
「カカクトゥア先生の〔探査〕で正解だよ。一見、自然石の岩のように見えるけれど……ここだけ岩の状態が不自然だ。墓所に通じていたヒドラの越冬洞窟の『偽装』と、同じ雰囲気だね」
そう言われてもエルフ先生とサムカには、どう見てもただの『岩の筋』にしか見えないが。
キョトンとした顔を2人揃ってしているので、思わず笑い声を吹き出すノーム先生。しかし、すぐに「コホン」と小さく咳払いをする。杖を持っていない方の手で、ちょっとだけボサボサになった口ヒゲを整えた。
「岩の筋というか、木目のようなものが、自然石では必ずあるのだよ。それには決まった類型がありましてな。ここの部位だけは、その類型から外れているので、一目で見分けがつくのですよ」
そんな説明をしてくれても、エルフ先生とサムカには、やはり分からない。
それはノーム先生も先刻承知のようである。特に落胆したような仕草はせずに、そのままライフル杖の先で、その場所を叩く。
《ボコ……》
あっけなく、岩の表面がはがれ落ちた。ラワット先生が杖を持っていない方の手で「ポンポン」と叩いて、岩くずや埃を払い落とす。
その場所に、サムカの手の平サイズの大きさのディスプレー面が現れた。もちろんガラス板ではなく、岩が鏡面状態になっている状態だが。明らかに人為的に作ったものだ。
とりあえずノーム先生が数歩引いて、〔防御障壁〕を展開し警戒する。
大岩の周囲の空気が帯電し始めた。同時に、高さ3メートル、周囲は50メートルほどもある大岩に着生している木々や草、コケにカビまでが一斉に枯れて、炭の粉状になってしまった。岩が埋まっている周囲の土地に生えているクローバー群生も、たちまち枯れて粉になってしまう。
数秒もかからずに、大岩から2メートル圏内の生物がカビも含めて全て塵になってしまった。3人の先生たちは空中に浮かんでいて、さらに〔防御障壁〕で全身を包んで守っていたので被害はない。
サムカが手袋をした左手でポリポリと錆色の短髪をかく。無地の黒マントが、ゆるやかに森の風に揺れている。フラフラ〔浮遊〕は相変わらずで、時々地面に落下しそうになっているが。
「うむむ……これも死霊術だな。いわゆる即死効果のある『掃除』魔法だよ。畑の除草などでよく使う。ラワット先生がとっさに離れたのは流石だな。その場に留まっていれば、今頃は恐らく塵の仲間になっていただろう」
ノーム先生がサムカの近くに〔浮遊〕しながら、ライフル杖を担いで「トントン」と自身の肩を叩いた。彼は空中姿勢が安定している。
「まあ、あれほど胡散臭い墓次郎さんの作ったゲームだからね。用心するに越したことはないさ」
そして、杖を地面と大岩に向けて、魔法場の〔探知〕を手早く済ませる。
「他には罠は見当たらないな。じゃあ、降りて続きをしようか」
そのまま「ボフッ」と、塵の層の上に降り立つノーム先生。塵の層はせいぜい数センチしかない厚さだったので、作業には支障は出ないだろう。
「『掃除』魔法か。確かに、見違えるほどきれいになったなあ」
ノーム先生がライフル杖を石製のディスプレー画面に当てながら、大岩の全体を見渡す。岩の表面がピカピカになっていて、先程とは別物のようだ。それでも、ただの大岩だが。岩の表面が静電気を帯びていて、わずかに青白く発光している。
サムカも続いて降り立ち、静電気の成分を調べた。
「光魔法のように見せかけているが、実際は死霊術場の放電だな。私が残留思念をゾンビ用に強化した際に発生しているものと同じだ。生者はうかつに触れない方が良いだろう。精神に〔干渉〕する恐れがある」
エルフ先生が最後に降り立って、ライフル杖を肩に担いだ姿でサムカからの〔解析〕情報を〔共有〕する。すぐに、自身の〔防御障壁〕プログラムに〔修正〕を加えた。
「サムカ先生が来てくれて正解でしたね。おかげで、この罠に引っかからずに済みました。エルフにとっては、静電気というものには警戒しない癖があるのですよ。守護樹が抱く岩が常時帯電していますからね」
そして、ノーム先生に空色の瞳を向けた。彼もまた〔防御障壁〕の〔修正〕を終えたようだ。手袋をした手で岩面ディスプレーをペタペタ触り、杖の先でも「コンコン」叩いている。
「ラワット先生。何か分かりそうですか?」
ラワット先生が数回ほど連続して杖の先でディスプレー面を叩いていく。しばらくして、《ブオン……》という音というか、空気の振動が起きた。
「システムの自己診断をしていたようだね。それが終わったから、起動したようだ。ん? これかな」
鏡面加工された手の平サイズの岩面のディスプレー中央に、カーソルのようなものが出現して、それが点滅を始めた。ジト目になるノーム先生。
「暗証情報の入力画面のようだな。さて、どうしようかね」
エルフ先生もジト目になって肩をすくめる。
「鍵の模様を〔解析〕しろ、ということなのかな。面倒ね、まったく」
「では……」とサムカが一歩進んで、ノーム先生の横に並ぶ。地下階教室での授業を想定しているので、乗馬用の革靴に〔消音〕魔法をかけており、全く歩く音が出ていない。そのまま白い事務手袋を外して、左手をディスプレー面に当てる。
「時間もそれほどないしな。壊そう」
サムカがいきなり闇の精霊魔法を大岩に撃ち込んだ。カーソルが消える。
「さて……これでシステムを初期化したはずだが」
大岩が《ギリギリ》と軋み始め、細かい割れ目が一斉に表面を覆い始めた。周辺の地面も〔液状化〕し始めて泥の池になっていく。
ノーム先生が空中に浮かんで避難しながら、面倒臭そうに笑った。
「自爆でもするのかな」
エルフ先生も避難して、ノーム先生の隣で浮かんでいる。ライフル杖は一応、大岩に向けているが。
「だとすれば、これでゲームは終わりね。その方が助かるんだけど」
しかし、サムカは残念そうな表情で岩ディスプレー面の前に立ったままだ。何か文字列が浮き出てきた。それを岩ごと切り取って取り出す。
「古代語のようだ。これが暗証情報か何かなのだろうが……私では読めないな」
サムカも空中に浮かび上がって避難する。同時に大岩が粉々に砕けた。爆発はせずに、ただ、砕石の山になっていく。
サムカが切り取った岩面の文字列を、エルフ先生とノーム先生も近寄ってきて見てみた。が、やはり分からないようだ。
「精霊語でもないわね。エルフ語でもない」
「ノーム語でもないな。文字の形から見て、やはり古代語だろう」
サムカも「そうかね……」とだけ答える。予想していた答えだったのだろう。それよりも気になる事があるようだ。
「〔テレポート〕魔術が無効化された。ついでに、この辺りの空間が丸ごと〔結界〕に包まれたようだ。が、この程度では突破できるぞ、墓次郎よ」
サムカが無造作に素手の左手を上空に向けて、闇魔法を放った。
爆音と爆炎が発生して、空間の一部が崩壊する。因果律崩壊だ。たちまち〔結界〕の一部が巻き込まれて消滅した。
エルフ先生とノーム先生もライフル杖を、まだ残っている結界壁に向けて光の精霊魔法を放つ。再び爆発が起きて〔結界〕が完全に消滅した。因果律崩壊は運よく起きなかったようだ。
「そうね。ちょっと甘い術式ね。この程度だったら、簡単に破壊できるわよ」
「左様。古典的な術式だね。これでは、我々を〔結界〕に封じることはできないな」
ややドヤ顔になっている先生2人であるが、墓次郎は姿を見せなかった。
その代わりに小石の山が再結合していき、巨大な石のゴーレムに変化した。早速、4本の腕を振り回して先生たち3人に襲い掛かる。元が周囲50メートルにもなる大岩だったので、ゴーレムも身長20メートルにもなる巨人型だ。
それでも周囲の大木群が30メートル級ばかりなので、相対的にはそれほど大きく見えない。
地面はまだ液状化したままだったので泥沼化しており、その中でゴーレムが大暴れしている。派手に泥水が跳ね上がって森に降り注いでいくので、不機嫌な表情になっていくエルフ先生であった。ゴーレムには発声機能は実装されていないようで、ひたすら無言で暴れているのが、どこか滑稽だ。
「面倒だな、まったく」
ノーム先生が泥水のしぶきから身をかわして、ライフル杖の先を石の巨人に向けた。瞬時に〔ロックオン〕されて、大地の精霊魔法が放たれる。
途端に巨人がピタリと止まり、すぐに崩壊を始めた。巨人の形が、ただの石の山になっていく。そして、富士山型の山の形になり、そのまま再び一枚岩に変化して彫像化していった。ちょうど頂上が噴火口のように窪んだ山の形の彫像になる。
この間、かなりの騒音と振動、地揺れが続いたので、不機嫌な顔になっている3人の先生。
避難している原獣人族や森の動物が文句と悲鳴を上げて、さらに奥へ逃げ込んでいくのが音と精霊場で分かる。(迷惑この上もないだろうな……)と気の毒に思うサムカであった。
しばらくして、すっかり動かなくなった山を見下ろしていたサムカが空中から降りた。
手元の岩面に浮かんでいる文字列を魔法で〔複製〕して、クローバーで覆われた地面に焼きつける。〔液状化〕して泥沼になった部分がほとんどだが、森との境界辺りだけは無事だ。森の木々は泥水を大量に浴びて、見るも無残な状況だが。
「……むう。やはり、ただ転写しただけでは無理か」
ガッカリするサムカの横に、エルフ先生とノーム先生が続けて着地する。ノーム先生が銀色の口ヒゲにわずかに付着している泥と埃を、片手で拭い取りながら提案した。
「古代語か。では、クモ先生に聞いてみるかね?」
サムカが残念そうな表情で否定する。
「いや。恐らくはクモ先生でも無理だろう。死霊術の系統ばかりだからな。ここはやはり、ハグ人形を呼ぶしかないか」
即座に登場するハグ人形である。どうやら、出番をずっと待っていたようだ。サムカの錆色の短髪の上に、<パパラパー>というラッパ音と共に落ちてきた。
「呼ばれて湧き出て助っ人参上~。何かなあ~ん~何かなあ~」
(かなり嬉しそうだな……)と、頭上で「ポンポン」跳ね回っているハグ人形にジト目視線を送るサムカ。とりあえず今は、ハグ人形とケンカしている時間はないので、すぐに用件に入る。
「素早い対応、感謝するよハグ。この文字列なのだが、翻訳してくれないか」
ハグ人形がサムカの短い前髪を容赦なくつかんで、藍白色の白い顔の前にぶら下がる。顔の前でプーラプーラと揺れながら、石版の文字列を見下ろした。
「ん? これは基礎古代語ではないな。応用古代語でもない。どちらも、こんな平面板に印すことができるような文字じゃない。ウィザード文字ですら立体文字だろ。魔力を帯びた文字ほど立体化したり多次元化したりするものだ。だが、雰囲気は確かに古代語だな」
プランプランとサムカの山吹色の目の前で、前髪につかまっているハグ人形が振り子のように揺れている。
それを見ながらエルフ先生とノーム先生が声を潜めて肩を震わせている。サムカももう慣れたのか、特に不快な表情をしていないのも、2人の先生の笑いのツボに嵌っているようだ。
数秒ほど、そのままブランコのようにサムカの顔の前で揺れていたハグ人形だったが……ピタリと止まって、サムカの鼻の先に着地した。重力を無視したかのように、地面に平行に立っている。
そして、そのままサムカの山吹色の目を見下ろして告げた。一応これも、上から目線になるのだろうか。
「〔解読〕はできないが、流れからすると罠の術式が起動するはずだぞ。どれ、念のためにワシがこの石版を持ってやろう。カウンター攻撃が仕込まれている恐れもあ……」
ハグ人形がサムカから石版を受け取って、鼻先で仁王立ちになり頭上に掲げた瞬間、人形の動きが急停止した。そのまま「ポトリ」と地面に落下して、石版ごと粉々に砕けて、ただの砂の山になる。
サムカが思わず吹き出す。
「済まないね、ハグ。後で城でコーヒーでも御馳走するよ」
砂が動き出して魔法陣を描き出し、そのまま岩になって固まった。
ちょうどクローバーで覆われた森との境界の狭い場所に、岩でできた『やや歪な楕円形をした魔法陣』が描かれた。
同時に、泥沼状態だった石山の周囲が、急速に通常の乾いた地面に戻っていく。まるで土色をしたコンクリートの床のように滑らかだ。
魔法陣にはびっしりと古代語が書かれていて、それらがミミズの大群のようにグネグネと蠢いている。かなり邪悪な印象の魔法陣だ。もちろん先生たちには読めないのだが唯一、歪んだ楕円形の魔法陣の縁にウィザード語で何か文章が記されているのを発見した。
「……何かの術式断片だな。〔テレポート〕魔術か?」
サムカが腕組みをしている横で、ノーム先生がうなずく。
「左様。かなり古い記述方式だが、ソーサラー魔術の〔テレポート〕魔術の術式断片だろう。〔テレポート〕先は固定されているようだ。この古代語を操ることができれば、別の座標へも転移できるのだろうけど……我々では無理そうだね」
ノーム先生がライフル杖をかざして、術式断片をノームのデータベースと照合させながら〔修復〕、〔追記〕して完成させた。ウィザード魔法特有の術式起動で生じる魔法場が発生して、目を丸くするエルフ先生。
「え? あんな断片から術式を〔復元〕しちゃったの? 凄いのね、ノームの魔法辞書って」
サムカも驚いている。
「これは大したものだな。さすがは魔法の学者が多いノームだな」
ノームのラワット先生が照れて、銀色の垂れ眉を上下させた。
「僕は下っ端の田舎教師だけどね。ノーム世界の本国と通信回線が繋がっているから、本国の専門家先生のおかげだよ。僕は杖をかざす役をしただけさ。さて、これで起動したけど、どうなるのかな……」
岩製の古代語魔法陣がぼんやりと輝き始める。同時にミミズのように蠢いていた古代語の群れが固定されて、そのまま岩の一部になって同化した。ノーム先生が少し銀色の垂れ眉をひそめる。
「あらら。古代語が、ただの模様になってしまったか。〔解読〕してみたいと思っていたんだが……まあ、仕方がないな」
そして改めてライフル杖の先を、岩の魔法陣に「コツン」と当てる。すると、小さな泥団子型の大地の精霊が杖の先から出現して、魔法陣の表面にポトリと乗った。
「では、この〔テレポート〕先の情報を収集してきてもらいましょうか。転移開始」
ノーム先生が一言。すると、泥団子が岩の魔法陣に飲み込まれて消えた。が、紐のようなものが残っている。
「有線で遠隔操作できる精霊だよ。魔力供給も容易だしね。……うん、大よその情報がつかめたぞ」
早くもノーム先生の手元に浮かんでいる〔空中ディスプレー〕画面に、ズラズラっとノーム語の単語列と数式らしきものが表示されてきた。
サムカにはノーム語は分からないのだが、それでも興味深げにノーム先生の肩越しに眺めている。(死者の世界のシステムとは雲泥の差だなあ……)と改めて実感しているようだ。
しかし、ものの10秒も経たないうちに通信が途絶えてしまった。砂嵐画面にはなっていないが、画面も待機状態になっている。
ノーム先生が少し険しい表情を浮かべながら銀色の口ヒゲを左手でいじり、画面を睨みつける。
「うーん……これは、直前の魔法場の動きから推測するに、〔ロスト〕魔法の類を食らったようだな。念のため記憶を消されないように、僕たちも記憶のやり直しを行っておこう」
早速ノーム先生が〔空中ディスプレー〕画面をもう1つ出現させて、それにライフル杖の先を接触させる。
「では記録開始。10秒ごとに僕たちに『記憶として反映される』ように全自動化した。この記録術式は〔結界〕の中に保管しているから、軽度の〔ロスト〕攻撃までなら対応できるよ。世界〔改変〕級には無理だけど」
サムカもノーム先生の対応に同意する。さらに、彼自身でも別個に記憶の保護を行う。
「私の方でも、闇魔法の〔ログ〕管理に組み込んでおくとしよう」
そして山吹色の瞳を少し輝かせて、エルフ先生とノーム先生に視線を投げる。
「ここは私がまず対処してみよう。〔ロスト〕魔法であれば闇魔法との相性が一番良いからね」
ノーム先生も素直に同意した。
「そうだね。10秒間ほどの洞窟探査だったけど、ある程度の情報は得ている。この洞窟は、ここから100キロほど離れていて、地上に開口部がない『自然洞窟もどき』だね。〔ロスト〕魔法と推測される罠は100個ほど。その一番奥はちょっとした広場になっていて、そこで行き止まりだ。地下200メートルで、酸素濃度はほぼゼロ。ほとんど二酸化炭素だけの空気組成だね。気温は80度……というところかな」
「うげ……」とジト目顔になっているエルフ先生に、軽く目で微笑んだノーム先生がサムカに視線を向けた。小豆色の瞳がキラキラしている。
「罠の詳細と、洞窟内の攻略ヒントは、残念だけど時間不足で分からなかった。ペルさんがやったように、闇魔法を直接、罠にぶつけるのかい?」
サムカが錆色の短い前髪を振って、否定した。
「いや。そうすると、爆発が何度も起きて、洞窟が落盤して潰れて埋まってしまうだろう」
エルフ先生はジト目のままで口元に笑みを浮かべている。
「それでも構いませんよ。ゲームオーバーは大歓迎です」
サムカも口元を緩めて、軽く肩をすくめる。無地の黒マントの裾がゆったりと波打って、腰に吊るしている長剣の鞘がくぐもった音を立てた。
「それでも構わないのだが、頼まれた以上は最善を尽くしてみようと思う。闇の精霊魔法は使わないとなると、やはり死霊術だろうな。〔ロスト〕魔法というのは元々生者に対する攻撃魔法だが、擬似生命体であるゴーストにも有効だ。幸い、現場は生命の精霊場が非常に弱い。残留思念や死霊術場が集まりやすいし、活動的になりやすいのだよ」
そう言って、サムカが周辺の大森林を見回す。
富士山型の岩の彫像はすっかり落ち着いたようで、滑らかなコンクリートフロアのような地面から聳え立っている。山の高さは3メートルほどだろうか。
それをぐるりと取り囲むように、亜熱帯の大森林がある。樹高は30メートルにもなる大木ばかりなので、見上げると青空が小さい楕円状に縁取られたようにも見える。ちょっとした井戸の底のような趣だ。大木の幹は泥だらけになっているが。
その木々の間には、虹色の風船が次々に湧き出しながらゆっくりと浮遊している。パリーの管理する森では、生徒たちがせっせと残留思念の掃除を続けているので少ないが、掃除されていない森ではやはり数が多いようだ。
サムカが山吹色の瞳を細める。
「うむ。死霊術が使われたから、残留思念が集まってきているな。これなら、全て集めれば100個くらいにはなるだろう」
もちろん、サムカが自力でゴーストやシャドウを作り出す事も容易なのだが、ここは魔力を温存する事に徹底するつもりのようだ。
【自然洞窟もどき】
さすがは貴族と言うべきなのか、2分もかからずに100体のゴーストを残留思念から作り出すサムカであった。
「予備として、さらに20体つくった。合計120体だな。では、彼らに突撃してもらうとするか」
サムカがゴーストの1体を左手でつかんで、岩製の〔テレポート〕魔法陣の中に叩き込む。カウンター攻撃を一応警戒しているのか、左手は素手で、古代中東風のシャツも肘までまくり上げている。
〔テレポート〕を終えて、洞窟の奥へ飛び出していったゴーストだったが……すぐに〔ロスト〕魔法の罠が作動して、消えた。音声発生機能をつけていないようで、絶叫を放つことなく消滅してしまっている。
同時に〔ロスト〕魔法を放った洞窟の罠も消滅した。とはいっても、洞窟の岩盤に刻まれていた術式が、えぐられるように消えるだけだが。
「騒音が出ないのは評価項目ですが、1回限りの魔法なんですね」
エルフ先生がライフル杖を右肩に担いで、それで自身の肩たたきをしながら空色の瞳を輝かせている。サムカが横目でエルフ先生を見ながら、次のゴーストをつかんで投げ込んだ。
「〔ロスト〕魔法とは、局所的な因果律崩壊を起こす魔法だからね。罠も存在を消し去らないと、つじつまが合わなくなる。我々は、こうして遠くから映像を介して見ているだけだから、影響は限定されるがね。せいぜい映像を見た記憶がなくなる程度だ。それも今は『定期的な再記憶』のおかげで忘れずに済んでいる」
次のゴーストは、先のゴーストよりも50センチほど進んでから同じように〔ロスト〕された。
呆れ顔になっているエルフ先生の横で、ノーム先生が記憶のやり直し用の〔空中ディスプレー〕画面を見ている。その表情がほっとした様子になった。
「朗報ですな。我々への〔ロスト〕魔法の影響は、映像記憶の〔消去〕以外には出ていない。これまで通りに記憶のやり直しだけを続けるよ。テシュブ先生の予想通り、あの洞窟内部限定の〔ロスト〕魔法のようだね」
サムカが次から次へゴーストを、岩製の〔テレポート〕魔法陣の中へ投げ込みながら、うなずいた。
「墓所が最優先するのは『見つからないこと』だからな。広域での〔ロスト〕魔法では、魔法場汚染も残るから目立ってしまう。だがラワット先生の言う通りに、『記憶の定期回復』は続けた方が無難だろう。この程度の映像記憶は別に消えても問題はないが、念のためにな」
口調が少しだけ重くなる。
「何せ墓所が使う魔法だ。我々には予想がつかない魔法を、ひそかに繰り出してくる恐れもないとは言えない。以前に墓が使ったような歴史〔改変〕魔法とかな」
サムカもゴースト投入のコツを何かつかんだようだ。それからは毎秒1体のペースでリズムよく投げ入れていく。
「とても100キロも先の土中200メートルの、洞窟内での操作とは思えないほどの扱いやすさだな。死霊術を大量に使っているのだが、体感の待ち時間はほとんどない。さすがは古代語魔法だな。貴族が使う遠隔操作術でも、100キロも離れると遅くなるものなのだが」
エルフ先生がノーム先生と視線を交わしてサムカに微笑んだ。やる事がほぼないので、少々退屈しているようにも見える。
「光の精霊魔法では、100キロの距離なんかはないのと同じですけれどね。こんな地下では魔法場不足で、大した精霊魔法は使えませんけど。そういう面では、参考になる古代語魔法ですね。これも〔記録〕して本国の研究所に送っています。何か面白い魔法に加工できるかもしれませんよ」
サムカがちょうど101体目のゴーストを最深部の広間へ飛び込ませた。ついに罠の通路を抜けたようだ。すぐに測位を開始するゴースト。
「〔ロスト〕魔法の罠は、予想よりも少しだけ多かったか。これで通路の安全が確保できた訳だが……酸素がないのでは、あまり意味はなかったかな」
エルフ先生が両耳の先を上下にピコピコさせて、サムカに話しかけた。
「そうですね。別に正直に正面から罠に対処しなくても良かったのかな。ゴーストでしたら、土中に潜らせて広間まで行った方が確実だったかも」
サムカが苦笑して、錆色の短髪を手袋を外した左手でかく。
「実は試してみたんだが、土中にも何かの〔ロスト〕魔法の罠が仕込まれていたよ。だけど、数も密度も大したことなかったな。クーナ先生の言う『土中潜入ルート』が正解だったかもしれない。墓次郎さんに後で報告しておくと喜ばれるだろう」
そんな雑談をしている間に、最深部の広間をゴーストがクルクル回って調べていく。あらかじめ入力された動作なので、迷いも気負いもない動きだ。
エルフ先生がそのゴースト群の動きを画面越しに見ながら、少々呆れた表情になった。
「19体が生き残りましたか。こういった洞窟内部の探索にはゴーストって便利ですね。光や風の精霊魔法では、精霊場不足で誤作動を起こしかねませんよ」
サムカが少しいたずらっぽく微笑んで返す。
「実は、もう少し多いけれどね。セマン族の警備隊を真似てステルス特化した、ゴースト部隊も数体ほど到着している。しかし、確かにこのような地中では使いにくいだろうな。この最深部の広場は、地下198メートル。最深部の広間よりも、罠の通路の方が若干深い構造だな。恐らくは地下水などの排水路も兼ねているのだろう」
〔空中ディスプレー〕画面の各種観測値の中で、闇と大地の精霊場が急激に上昇し始めたのを確認する。
「広場自体はただの岩盤だが……ここでも罠に注意すべきかな」
サムカが世間話をするような口調で、エルフ先生とノーム先生に告げる。何となく笑いのツボに嵌ったようで、顔を見合わせてニコニコしている2人の先生であった。




