66話
【笑うパリー】
果たして、〔テレポート〕した先は一面の更地になっていた。まるでエルフの兵器級の光の精霊魔法を乱射したかのような惨状だ。確か、地図情報ではここは広大な森だったはず。
塵が舞う岩盤が露出している大地に立ち尽くすエルフ先生の目に、愉快に笑っているパリーの姿が映った。
いつもの着潰した寝間着のような服装に素足、腰まで伸びた赤髪は、塵混じりの風になびいて揺れている。そして、その素足の下には、何か大きな物体が痙攣して倒れているのが見えた。イノシシ型の森の妖精だ。
辺りを見回すと、土砂に半分以上埋まっている状態で、他に500体もの森の妖精が倒れ伏しているのが確認できた。いずれもトラックくらいの大きさで、クモ、甲虫、トカゲ、ムカデ、鳥にネズミ型と多種多様である。
自身でも頭から、「すうううっ」と血の気が引いていくのを実感しながら、エルフ先生がパリーの元へ歩いていく。機動警察の制服に丈夫なブーツなので、「ザクザク」と足音が荒野に響いた。その音に振り向いたパリーが無邪気な笑顔で手を振っている。
「やっほう~。みてみてえ~こいつらよわい~」
「きゃはははは」と明るく笑うパリーに、血の気の引いたジト目を向けるエルフ先生。膝がカタカタと震え始めている。
「……ぱりー。何してるのよ」
パリーが足元のイノシシ型妖精にトドメの蹴りを叩き込んで、動けなくしてから、エルフ先生の元へスキップしてやってきた。
「だってえ~。こいつら、帝国ぶっつぶすとか~言い出したのよね~。説得するの面倒だったから~ぶったおした~楽勝~」
パリーの小さな手を両手で握りしめるエルフ先生。
パリーの身長が130センチで小学生のような体型なのだが、エルフ先生も身長が145センチで中学生のような体型なので、子供同士が手を取り合っているようにも見える。仕出かしたことは子供のイタズラのレベルではないが。
エルフ先生の両手が、震えてしまっていた。
「パリー……気持ちは分かるけど、ケンカは良くないわよ。森も大変なことになってるし」
エルフ先生が震える声を抑えながら、パリーに説教をしようと試みる。
その時、15メートル先の土中から10トントラックほどの大きさの森の妖精が起き上がった。ヘビ型で、パリーの攻撃を受けたせいかウロコがボロボロにされている。しかし、その赤く光る両目は、燃え盛るような怒りを放っていた。
「お、おのれパリーめ。不意打ちとは何たる卑怯。許さぬ、決して許さぬぞ」
エルフ先生が≪ビクッ≫と震えた。冷や汗が大量に額を流れ始めている。しかし、一方のパリーは「フフン」と鼻で笑っただけだった。次の瞬間。ヘビ型妖精が爆発して、無数の肉片になって飛び散る。
「ばあか~めえ~。弱っちい奴が悪いんだよ~奇襲だまし討ちは正義~」
エルフ先生にもその肉片が飛び散ってきたが、〔防御障壁〕で防御する。その目に、土中から1000を超えるほどの数の森の妖精が起き上がってくるのが映った。
目まいと共に、背筋に悪寒が電気のように走り抜け、頭の中に危険警報が鳴り響く。それらの森の妖精も、先のヘビ型と全く同じ色の目をパリーと、なぜかエルフ先生にも向けてきた。
声にならない悲鳴を喉元まで上げながら、エルフ先生がパリーを抱き寄せて数歩後退する。膝の震えは激しくなるばかり。しかし、腕の中のパリーは余裕しゃくしゃくの表情で「ケラケラ」笑っているままだ。
さらに、水晶でできた石筍を土中から無数に発生させて、それを妖精の大群に投げつけた。絶叫する妖精群に、にこやかな笑みを浮かべるパリー。
「これでもう、あんたらは〔テレポート〕できないわよん~。せいぜいこの荒れ地で~のたうち回って苦しめ~きゃはは」
「パリー! 何てことしたのよっ。ひとまず逃げるわよっ」
顔面蒼白になっているエルフ先生が、パリーを抱きかかえたままで〔テレポート〕して脱出した。
1000を超える数の森の妖精群も、追撃で〔テレポート〕しようとしたが……絶叫を上げて地面に倒れてのたうち回った。
「ぐはああっ。何だコレはああっ。〔テレポート〕できぬ」
「体が引き裂かれるようだっ。何をしたパリー!」
パリーに爆破されて細かい肉片になっていた、リーダー格のヘビ型妖精が早くも〔再生〕を果たした。が、やはり〔テレポート〕ができない。
「こ、この魔術は〔石化〕かあああっ。妖精の風上にも置けぬ外道めえええっ」
怨嗟の絶叫を放ってパリーに復讐の宣言をする妖精群、その数は1000を超えて更に増え続けていた。
「パリー! 許さぬ、絶対に許さぬぞおおおっ」
【サムカの居城】
サムカが〔召喚〕時間満了で死者の世界へ戻ってきた先は、いつもの城門の前だった。門番の兵が機械的な動きで膝をついてサムカに礼をし、そして何事もなかったかのように立ち上がって、門の警備を再開した。
いちいち城門を開閉するのも面倒になっていたので、最近は小さな通用門を使って城内へ入るようにしているサムカである。
今回もそうしようと通用門に歩いて行くと、場内から執事が血相を変えて飛び出てきた。そのままサムカの足元へ駆け寄って、膝をついて禿げ頭を下げる。
「旦那様、緊急事態でございます」
サムカが執事の慌てぶりに内心驚きながら、報告を促した。
「どうした。何か起きたのかね? ハグを通じて私に連絡する手筈だったはずだが」
執事が膝をついたまま顔を上げた。かなり急いで来たようで、大汗をかいていて、執事服のシャツがずぶ濡れだ。
「そのハグ様がご不在で、どうやっても連絡が取れませんでした。このような状況になるとは、全く想定しておりませんでした。お許し下さい旦那様」
サムカの山吹色の瞳が少しジト目になる。
「まったく、ハグめ。どこに遊びに行っているのやら……して、緊急とは何かな?」
執事の杏子色の両目が、動揺で揺らいだ。
「はい。商船が現在襲撃を受けております。敵はかなりの勢力の模様で、オーク軍も関与しています」
サムカがジト目を止めて、真面目な顔に戻る。慌ててはいないようだ。執事を立ち上がらせながら、サムカが落ち着いた声で聞く。
「やはり来たか。船長に緊急通信用の魔法具を渡していたのだが、役に立ってしまったようだな。して、我が船の被害は?」
「現在、騎士様が現地へ〔転移〕なされて防戦をしております。無傷ということでございます」
闇魔法版のテレポート魔法が〔転移〕である。この魔法は生徒たちに教えていない。サムカが山吹色の瞳を細めて執事に微笑んだ。
「であれば、特に問題はないだろう。良い対処をしてくれたな」
そして、毅然とした貴族の顔に戻って、執事に命じる。
「我が城も戦時体制に移行することにしよう。執事は使用人を連れて城を出て、自治都市の警備をせよ。巨人ゾンビと、先行して届いている熊ゾンビを連れていけ」
「かしこまりました、旦那様」
執事がサムカに一礼して、機敏な動作で城内へ駆け戻っていった。入れ違いに、ルガルバンダ勢が完全武装して森の奥から駆けつけてくる。
「よう、テシュブの旦那。エッケコから緊急の呼びかけがあったんだが、何があった」
身長が4メートルもあるヒグマ顔の巨漢なので、サムカが見上げるように顔を上げた。彼の爛々と光る朱色の瞳は、既に戦闘態勢だ。黒褐色の固い髪を兜の中に強引に押し込んで、4本の腕にはそれぞれ異なる武器や杖が握られている。
彼の5人の部下も同じような姿なので、相当な迫力がある。肩高2メートルの魔犬も5頭引き連れてきていて、上空には数匹のコウモリ型の傭兵魔族が旋回していた。
サムカが、ルガルバンダ勢の用意の周到さに感心しながら、簡単に状況説明を行う。
「……という事だ。敵は我が商船を襲っている。我が領地には、今の所、敵影は確認されていない。が、警戒はしておくべきだろう。ルガルバンダ殿は、まず自身の村の防衛を最優先にしてくれ。その上で余剰兵力を、執事に割いてくれると助かる」
少し安堵した様子のルガルバンダであったが、すぐに快く同意した。いつもの豪傑笑いをして、左手に持っている長さ3メートルにもなる大槍の石突で地面を「ゴツン」と叩く。
「了解だ。ワシが引き連れてきた、この部隊をエッケコに預けるとしよう。村の方は万全の警戒態勢だから安心してくれ。せっかくテシュブの旦那が先日来て教えてくれた、タマネギとニンニクの苗畑を荒らされては面目ないからなっ。鶏と豚の保温施設も昨日できたばかりだし」
ルガルバンダと手下たちが完全武装の全身鎧姿なので、農作業や家畜の話をすると違和感が出てしまう。しかし、それはサムカも同じだ。頬を緩めてうなずいた。ちなみにサムカは貴族なので、バンパイアとは異なりニンニクやタマネギも平気だ。
「そうだな。苦労して育てているのだから、邪魔者は徹底排除せねばならぬ。では、情報網を〔共有〕するとしよう。訓練を重ねてはいるが、実戦となるとまた別だ。ケガ人を出さぬように気をつけてくれ」
すぐに、ルガルバンダと手下たちの全員の手元に、小さな〔空中ディスプレー〕画面が発生した。サムカの手元にある画面と瞬時に同期して、その報告がウィザード文字で表示されていく。
ルガルバンダが白い牙をズラリと見せて豪快に笑った。丸太のような腕に厳つい籠手を装備しているのだが、それで自身の甲冑の胸板を「ゴツン」と叩く。軽トラックが電柱に正面衝突したような音が鳴る。
「おう! 任せておけ。じゃあ、ワシらも配置につくとするか。行くぞ、野郎どもっ」
気勢を上げたルガルバンダ勢が魔犬を連れて、エッケコがいるオーク自治都市へ向かって地響きを立てて駆けていった。
彼らの後ろ姿を数秒間ほど見送ったサムカが、ひょいと飛び上がって城壁の上に立った。そこにいたセマンの警備隊長に声をかける。
「隊長。済まないが、警戒度を最大に上げておいてくれ」
隊長はまるで〔予知〕していたかのようだ。余裕の表情でパイプから紫煙を吐き出しながら、当たり前のようにサムカの隣へ歩いてくる。
「最大か。了解した。俺たちが使用する武器の制限は、どうすればいいかね?」
サムカが当然のような顔で即答する。
「無論、制限なしだ。警告なしで敵を殺して構わぬ。だが、我が領地を破壊しない程度で頼むよ」
隊長がニヤリと笑った。
「了解した」
すぐに隊長がサムカの元を去って、携帯電話型の通信器で部下に指示を出し始める。
それを見送ったサムカが手袋を外して、左手を前に突き出した。同時に、城内から飛んできた愛用の槍が左手に収まる。3メートルにも達する無骨な槍先が、冬の日差しを鈍く反射した。
その槍を頭上で1回転させると、城内の全アンデッド兵士が拠点防衛の配置へ動き始めた。同時に、城を包む闇魔法場の出力が、一気に跳ね上がる。100羽ほどのカラス型の使い魔や、シャドウが城の上空に一斉に舞い上がり、四方八方へ高速で飛び去っていく。
執事とオークの使用人たちは、ちょうど城門を出て自治都市へ駆けていくところだった。彼らの後ろには1体の地雷由来の巨人ゾンビと、数体の熊ゾンビが一緒について走っている。城のアンデッド兵に代わって、自治都市防衛では心強い戦力になるはずだ。
オークの自警団の練度もかなり高まってはいるが、生者なので死んだり負傷するのはサムカとしても避けたい。アンデッドであれば〔修復〕魔法が使えるので気楽に運用できる。彼らが向かうオーク自治都市内でも警報が鳴り響いて、騒々しくなっているようだ。
一連の初動を終えてから、サムカが城壁の上で〔念話〕を騎士シチイガに飛ばす。数秒後、返事が返ってきたので安堵するサムカだ。槍が長距離通信のアンテナの役目をしているのだろう。
(かなりの距離があるが、通信に支障は出ていないな。状況を教えてくれ)
サムカの質問に、数秒後騎士シチイガから音声だけで返事が届いた。光通信ではないので、どうしても通信に時間がかかる。さらに、映像情報はリアルタイムで届かない。使い魔がリレーして、映像情報のデータファイルを手渡しで届けることになる。
(はい。我が主。主様が〔召喚〕なされた後、10分後に商船船長から『襲撃を受けた』との緊急連絡を受けました。当時、私は自治都市内の巡回をしていたのですが、すぐに〔転移〕して商船へ到着いたしました。ですが迎撃して良いものか、私では判別できかねました故、商船の防御に専念しておりました)
サムカが苦笑する。ということは、かれこれ1時間半以上は敵の攻撃を防ぎ続けている事になる。
(うむ……まあ、よかろう。現在地はどのあたりかね?)
(は。城との直線距離で800キロほどかと)
騎士シチイガの返事を聞いてサムカが腕組みをする。この距離では現地の映像情報がこちらへ届くまで、数分間かかるということになる。詳細な作戦指示は出せそうにない。
(そうか。では、卿に任せることになるな。敵の戦力はどの程度かね? 手に余るようであれば、私も〔転移〕して向かうが)
数秒して、騎士シチイガからの返事がきた。ちょっと興奮している口調だ。
(海生魔族が500、ガーゴイル群が2千、その背後にオーク軍の10万トン級戦艦が5隻、5万トン級潜水艦が3隻、千人乗り揚陸艦が5隻です)
(我が方の商船の水夫がオークですので、商船を私の〔防御障壁〕で包むことはできませんでした。現在は、敵の攻撃を個別に〔消去〕しております。私からは反撃をしておりませんが、商船への被弾はゼロですので、私だけで対処できるものと愚考します。ちなみに、商船内にいた敵への内通者どもは既に処分し、〔消去〕しております)
サムカが藍白色の白い顔色を変えずにうなずく。
(そうか。その程度であれば、私が出向く必要はなさそうだな。念のため、映像情報を見て判断するとしよう。敵は核兵器や反物質兵器などを有しているかね?)
数秒して、騎士シチイガが返答してきた。さらに興奮気味になっているようだ。
(種類は分かりませんが、15発ほど短距離ミサイルを戦艦内に有しているかと。敵軍は、商船に騎士がいることを知らない様子です。我が方の水夫が防衛用の魔法具を使用して、攻撃を耐えていると思っているようです。その電池切れを待っている状況かと)
サムカが槍を持っていない手で錆色の短髪をかく。
(まあ、普通はそう考えるだろうな。騎士が商船に乗ること自体が普通はない。が、敵もそろそろ、私が死者の世界へ戻ったと知る頃だろう。そうなると、使うだろうな。揚陸艦まで用意しているということは、我が船を沈めた後で交易港を総攻撃して、上陸し占拠するつもりなのだろう。お。早くも来たようだ)
サムカの手元にカラス型のシャドウが1羽、音もなく飛び込んできた。すぐに〔空中ディスプレー〕画面が生じて、現場海域の映像情報が表示される。このタイミングで届いたということは、サムカが城門に現れた時点で執事が騎士シチイガに頼んだのだろう。
騎士シチイガが現場から情報ファイルを〔転移〕して、直接サムカへ届けることも可能ではある。が、その場合、魔法場を〔察知〕されてしまうので、敵が〔転移〕に介入して、攻撃魔法を紛れ込ませることができるという欠点があるのだ。
何よりもこちらの動きが筒抜けになってしまうので、通常はこうして秘匿性やステルス性の高いシャドウを伝書鳩のように使用している。
それでも直線距離で800キロを、数分で結ぶような高速飛行をする使い魔だ。ちょっとしたミサイル並みの速度である。
得られた映像は白黒で音声なしだったのだが、それでも状況をつかむには充分だった。サムカが真面目な表情でうなずく。
商船の周囲にはガーゴイルの大群が乱舞しており、直径2メートルほどの火球を無数に放射してきていた。海中には、これまたクラーケン族に似た魔族が商船を取り囲んでいて、腐食性の液体を吐いたり、〔電撃〕を放っていた。
オーク軍の艦船の姿は水平線上に並んで見えていて、砲炎が間断なく上がっている。艦砲射撃をメインにして、ロケット弾攻撃や魚雷攻撃を織り交ぜているようだ。
これら全ての攻撃が、商船に届く直前に〔消去〕されていた。爆発も破裂もすることなく、ただ、かき消される。腐食液も、その成分が選択的に〔消去〕されているようだ。船に届く頃には、ただの海水になっている。
全て、騎士シチイガが個別に〔消去〕しているためだ。闇魔法の〔防御障壁〕を使って商船を包み込んで守ると、オークの水夫たちが魔法場に耐えきれなくなって精神異常を起こしてしまうので使えない。
一方でガーゴイルやクラーケン様の魔族は、測位の仕事もしているようだ。水平線上に展開しているオーク軍艦船に、商船の位置や航跡情報を流している。
死者の世界では電子機器が使えない上に、レーダー等による電波探査や光学兵器も使用できない。そのために、こうした原始的な測位に頼っている。
精霊もいることはいるのだが、獣人世界と違って非常に弱い。精霊魔法の魔力供給源としては期待できないのだ。ウィザード魔法も魔力サーバーなどがないので、現場では使用できない。
飛行機を飛ばすにしても、精密機械の不要なプロペラ機程度しか使えない。ガーゴイルの方がはるかに機動性があるくらいだ。ミサイルも自動追尾機能が使えないので、撃つ前に飛翔軌道と時限信管を入力する必要がある。
戦況を概ね理解したサムカが、騎士シチイガに〔念話〕を送った。
(敵の殲滅を許可する。ゾンビ用の死体も不要だ。熊ゾンビが大量に入荷予定だからな。だが、戦闘記録は撮っておけ)
騎士シチイガが「待ってました」と言わんばかりの口調になって、数秒後に返事が返ってきた。
(かしこまりました、我が主!)
サムカが〔空中ディスプレー〕をいったん消去して、隣へやって来た警備隊長に振り返った。3メートルの無骨な槍を垂直に立てて、その石突で城壁の床を叩く。
「……さて。不審者はいたかね?」
警備隊長がパイプを口から抜いて、紫煙を吐き出しながらニヤニヤしている。
「いや。だが、厄介な奴らがそろそろ〔転移〕してくる。俺たちの兵力じゃ太刀打ちできないから、旦那に任せるよ」
サムカの山吹色の瞳が鋭く光った。
「騎士か貴族かね?」
警備隊長が再びパイプをくわえて目を細める。
「まあ、そんなところだ。こっちだ、来てくれ」
【自治都市】
〔転移〕した先はオーク自治都市内で、食料や作物を保管する大きな倉庫の前だった。警備隊長もサムカと一緒にシレッと〔転移〕している。闇魔法に暴露しても〔運〕のおかげで何ともない様子だ。
現地には、既にルガルバンダの手下たちが4名、魔犬4頭を連れて待機していた。ルガルバンダ本人は彼の村の防衛指揮をするので、ここにはいない。
代わりに部隊長の4本腕魔族が、サムカとセマンの警備隊長に頭を下げた。全身甲冑の姿なのだが、全く音がしない。〔遮音障壁〕を展開しているのだろう。
「我らの1名は、オーク自警団の応援に残っております。周囲の警戒を終えておりますが、特に不審な者は見当たりません。オークの作業員の避難も完了しております」
サムカが鷹揚にうなずいた。素手の左手で持っている大槍の石突で、軽く地面を叩く。
「うむ。さすがに手際が良いな。君たちは散開して、引き続き周辺の不審物や不審者の警戒を続けてくれ」
それぞれが4メートルに達する巨体ぞろいなのだが、実に敏捷に散開していく魔族たちだ。あっという間に姿が見えなくなった。サムカが視線を転じて倉庫に向ける。彼の藍白色の白い顔が険しくなる。
「ここは、以前にオークの工作員どもが爆破しようとしていた倉庫だな」
警備隊長は平然としたままでパイプをふかしている。
「だな。どうやら、ここに核爆弾を持ち込んで爆発させるようだ。そろそろくるぜ。2人だ」
サムカが素手の左手だけで3メートルの槍を振り上げた。その槍先から、強烈な強さの闇魔法場が溢れ出す。右手は手袋をしたままで腰に当てている。
「おっとっと……」と大袈裟な身振りと足取りで、警備隊長がサムカから離れた。
同時に、2人の人影がサムカの前、ちょうど倉庫のシャッター扉の前に現れた。影からはサムカと同じような闇魔法場が発生していて、その場所が暗くなっていく。
サムカが無言で、その影に槍で斬りつけた。さすがに周辺の施設を気遣ってか、槍先からは衝撃波も爆音も発生していない。
が、2つの影が脳天から縦に真っ二つに裂けて、そのまま実体化した。
見るからに裕福そうな貴族と、その騎士と分かる服装をした者たちだった。驚愕の表情をしてサムカを見ている。次の瞬間。大量の血を噴き出して内臓と脳片を撒き散らしながら、朽木が倒れるような音を立てて地面に崩れ落ちた。
彼らは一抱え程ある箱も持ち込んで来ていて、それも地面に《ゴトリ》と音を立てて落下する。サムカが展開している〔防御障壁〕の最外殻が青白く光り、水面に広がる波紋のように広がった。サムカの山吹色の瞳が、嫌悪の色を帯びる。
「核爆弾か……」
そうつぶやきつつ、サムカが槍を一振りする。瞬時に爆弾と貴族、騎士の姿が全て〔消去〕されてしまった。血の跡も何も残っていない。地面が表層数センチほど、巻き込まれて一緒に〔消去〕されている。
何事も起きなかったかのような表情で、サムカが槍を肩に担いだ。黒マントの裾が風に吹かれて揺れる。
それを10メートルほど離れて見ていたセマンの警備隊長が、ニヤニヤしながらサムカに聞いてきた。
「貴族と騎士みたいだったが……斬り捨てても良かったのかい?」
サムカが黒マントの裾を右手で払って、土埃を落としながら肩をすくめる。
「見ての通り、血が通っていただろう? カルト派だよ。特に何も問題はない。察するに南のオメテクト王国連合の所属だろうな。ナウアケの仲間だろう。もう〔ロスト〕したから〔復活〕もしないし、存在した証も〔消滅〕する。君も間もなく彼らのことを忘れるよ。しかし……」
サムカが整った眉をひそめた。その一方で、山吹色の瞳には好奇心の灯がついているが。
「セマンの〔予知〕魔法というのは、恐るべきものだな。ここまで分かるのかね。おかげで、自治都市が核爆弾で吹き飛ばずに済んだよ、ありがとう」
セマンの隊長はニヤニヤしながらパイプをふかしている。
「ん? 何のことかな? ここで何か起きたのかね? おっと、仕事場に戻らないといけないな。じゃ」
白々しい口調で、そのまま〔テレポート〕して消えた。さすがにサムカも苦笑している。
「いくら何でも、忘れるのが早すぎるだろう」
周囲を見回して、ルガルバンダ勢に告げる。
「敵の排除を完了した。念のために、もう数分間ここで警戒を続けてくれ。その後、執事の指揮下に復帰するようにな」
倉庫の陰から、部隊長がヒグマ顔を見せた。
「了解でさ、テシュブ殿」
サムカの手元に着信を知らせるシグナルが灯る。
「お。シチイガからか」
〔念話〕に切り替えて、騎士シチイガからの報告を受けるサムカだ。騎士からの意気揚々とした〔念話〕が飛び込んできた。
(我が主。ご指示通り、敵を殲滅いたしました。生存者は残っておりませんし、ゾンビ用に再利用もできないように分子状態にまで粉砕しておきました)
【サムカの居城】
サムカが〔転移〕して城の城壁の上に戻り、使い魔やシャドウに作戦終了の命令を下しながらうなずいた。床に落とした左手用の手袋も拾い上げる。
(うむ、ご苦労だったな。船長や船員、船体と積荷の状態を確認してから、城へ戻ってくれ)
通信を終了したサムカが、また不機嫌な顔になる。槍の石突で城壁の床を叩く。
「おい、ハグ。今頃何をしに来た」
ユラリと出現したハグも、サムカに負けず劣らずの不機嫌な顔だ。服装は、これまでで一番ボロボロな状態である。
「オマエな……まともな挨拶の仕方くらい、いい加減に覚えろ」
ハグの文句を聞き流して、サムカが自治都市にいる執事に、〔念話〕で作戦の終了を告げた。それを済ませてから、ようやくハグに顔を向ける。
「……危うく、我が領地が核爆発で焦土にされるところだったのだがね。君が行方不明になってくれたおかげだよ」
今度はハグが肩をすくめて、淡黄色の瞳を曇らせる。
「獣人世界へ、ドラゴンが1頭侵入しようとしていたのだよ。そいつと戦っておったのだ。ああ、心配は無用だぞ。因果律崩壊させて吹き飛ばしたわい」
サムカが意外そうな顔になる。ようやく山吹色の瞳も穏やかな光を帯びてきたようだ。
「世界間移動中にそんな芸当ができるのか。しかし、ドラゴンとは珍しいな。迷い込んできたのかね?」
ハグも気楽な表情になった。そして、足元の石造りの城壁が石の粉を吹き始めているのに気がついたようだ。空中に浮き上がって、サムカの周囲をゆっくりと回り始める。その場所に留まると、ハグの発する魔法場で城壁が〔浸食〕されて砂の山になってしまう。
「まあ、そのようなところだろうな。ノームの教師によると、帝国の教育研究省の地下施設にドラゴンのゴーストが出現したそうでな。依代となっていた魔法具の杯を破壊したという報告が先ほど届いた。恐らくは、その杯が探知ブイのような機能をもっていたのだろう。ドラゴンはイモータルの癖に食欲があるからな」
「ほう、そうかね」
普通に感心して聞いているサムカを見て、ハグが呆れた表情になる。
「サムカちん、オマエのことだよ。1000年ほど昔にドラゴンと戦っただろう? そいつだ。腕かどこかを食われたんじゃないかね?」
サムカが「そう言えば……」と記憶を呼び起こす。腕組みをして黒マントを冬の湿った風に揺らした。
「……ああ、確か左腕を丸々食われた……かな。まさか、その味が忘れられないから、ずっと探しているというのかね?」
ハグがニヤニヤと笑った。本当にセマンのような笑い方になっている。
「そうだろうな。よほど美味だったのだろうさ。ドラゴンのゴーストや杯が帯びていた魔法場と、今回ワシが戦ったドラゴンの魔法場とが一致した。恐らくは、サムカちんが最初に〔召喚〕された際に、地下室にあった杯が反応して、本体のドラゴンへ知らせたのだろうよ。セマンのような〔予知〕魔法なども、イモータルなら使いこなせるからな。ワシでもある程度は使えるし。予知が確定したので、故郷の第6世界から飛び立って、はるばる獣人世界まで旅をしてきた……というところだろう」
サムカが呆れたような表情になった。錆色の短髪の先が風に吹かれて波打っている。
「初回の〔召喚〕時に感じた視線はソレだったか。しかしそれならば、直接ここへ飛んで来れば良いだろう。1000年も待つ必要はないぞ」
ハグがサムカを上回る呆れ顔になる。思わず〔浮遊〕高度も10センチほど落ちてしまった。
「サムカちん、オマエな……1000年前に暴れたせいで、奴がこの世界へ来ることを禁じられている。そのくらい知っておけ。いわゆる『出入り禁止処分』ってやつだ。この世界の王ミトラ・マズドマイニュと、第6世界のドラゴン社会とが合意した処分だよ」
一介の田舎領主に、そのような話は伝わってくるはずもない。サムカの師匠である右将軍は知っているのだろうが、あの性格だ。
ハグがサムカをジト目で見ながら、話しを続ける。
「世界〔改変〕もできるドラゴンがホイホイと気軽に異世界へ介入したら、300万年前の魔法大戦みたいなことになりかねない。墓どもが行った小規模な〔改変〕ですら、あちこちの異世界で被害が出たのだからな」
サムカもハグにここまで言われて、ようやく理解したようだ。一応、腕組みしたままでうなずく。
「うむ、そうか。しかし、ドラゴンは『イモータル』だろ。殺して排除することは不可能なはずだが」
ハグも空中〔浮遊〕の高度を元に戻して、再びサムカの周りを回り始める。
「不可能だ。だから、今回は吹き飛ばした。今頃は第6世界のドラゴン社会で、何か罰でも受けておるだろうさ」
そしてサムカに柔和な笑みを向けた。この時ばかりは善人そのものに見える。
「だから、今後も予定通りに〔召喚〕されてもらうぞ。邪魔者は排除したのでな」
サムカが思わず吹き出して微笑み返す。
「よかろう。契約は守るよ。私も教師仕事に面白みを感じてきたところだしな」
ハグが満足そうに何度もうなずいた。その度に、ハグが着ているボロ布が〔風化〕されて粉になっていく。
「結構、結構。それじゃあ邪魔者ついでに、もう1つ話をしておこう。今回の一連のテロ騒ぎの下っ端幹部ラタ・マタハリの件だが」
サムカの山吹色の瞳に鋭い光が宿った。表情も一気に険しくなる。
「うむ。何か分かったのかね? ハグ」
ハグが再び肩をすくめて、真面目な表情になった。
「あれから、獣人世界タカパ帝国の情報部が奴を捕えたんだが……『意識』が逃げ去ってしまったようでな。すぐに死体になってしまったらしい。奴はもうタカパ帝国への入国はできなくなったから、排除という意味では成功だな」
サムカが少々がっかりした顔になっていく。
「むう……やはり逃してしまったか。私もセマンの盗賊どもを捕まえることは難しいから、あまり期待はしていなかったが……そうか、残念だよ」
しかし、ハグの表情は落ち込んだものではなかった。「フフフ」と怪しい声で、含み笑いまでしている。
「まあ、サムカちん程度の魔力では無理だろうな。だが、ワシはリッチーなのだがね?」
落ち込んでいたサムカの顔が、パッと明るくなる。山吹色の瞳がキラリと輝く。
「賊の居場所をつかめたのか?」
ハグがドヤ顔になった。そのままクルクルとサムカの周囲を回る。ハグ史上一番のボロボロ服ということもあり、〔風化〕で生じた粉が舞い上がって『かなり』うっとうしいが……ここは我慢するサムカだ。
「ワシの商売の邪魔をしたのでな。根回しを済ませておいたよ。『召喚ナイフ契約』は、どの異世界でも注目されておるのでね。現地生成クローンだが、奴は今、南のヴィラコチャ独立オーク国の指令室にいる。ユルパリ将軍と何やら話しているようだな」
ハグの情報に喜びながらも、微妙な顔になるサムカ。
「うむむ……ヴィラコチャ独立オーク国か。敵国だが、防衛体制はかなり堅固だ。師匠の軍をもってしても突破は困難と聞く。私では到底手が出せないな……残念だ」
ハグがニヤリと笑った。大量の〔風化〕した衣服の粉が舞う。髪のフケのようだ。
「『根回しを済ませた』と先程言ったはずだが。セマン世界から賞金首として登録させたし、リッチー協会からも排除許可を得ておるよ。……で。ワシはリッチーなのだがね」
サムカが次第に驚きの表情になっていくのを、にこやかな笑顔で見つめながら、ハグが木蓮の花の色のような色をした瞳の奥に光を宿していく。
「異世界出身の賞金首の討伐であれば、ワシも協力することに否定的ではない。オークどもを狙うわけではないのでな。それでも、まあ……巻き添えを食らってしまう不幸なオークが出ても、それは仕方がないだろう。これだけの遠距離狙撃だ。少々不正確になるのは当然だろ?」
サムカが呆れた顔をしながら苦笑する。
「『根回し』とは、そういう事かね。さすがリッチーというか何というか。つまり、この暗殺は『合法』ということになってしまったのかね」
ハグが当然のように真面目な顔になった。
「当たり前だ。違法行為など、このワシがするはずないだろう」
「よく言うよ、この坊主」と口元まで出かかったツッコミを、何とか飲み込むサムカ。「コホン」と咳払いをして、サムカも真剣な顔になる。
「そういうことであれば、くだんの賞金首の討伐に協力願いたい、ハーグウェーディユ殿」
ハグが淡黄色の瞳でウインクする。銀髪のトラ刈り坊主頭から伸びている、数本の切りそびれた髪が風にそよぐ。
「賞金は山分けだぞ。ワシの分は魔法学校の改築資金として『寄付』してくれ。セマン世界の金だから、タカパ帝国の金に『闇両替』できるはずだ。ワシが賞金を得ても、使い道がないのでね」
サムカが口元を少し緩めて同意した。
「分かった。だが、ハグよ。その衣服を新調する資金としても良いのではないかね?」
ハグがドヤ顔になって胸を張った。そのままサムカの周りをクルクルと回る。風化した繊維が粉となって、ハグの周囲に更に舞い上がっていく。
「これだから田舎者は。このファッションセンスが理解できないとはな」
実はハグにとっては、これは外出用の晴れ着だったようだ。少なからずショックを受けているサムカに、ハグがクルクル回りながら南の空へ左手を差し出した。
「ホレ、サムカちん。狙撃の用意をせぬか。ワシが射線上の全ての〔防御障壁〕を一時的に〔消去〕する。その隙に賞金首を〔呪殺〕すれば良かろう」
〔呪殺〕と聞いたサムカの顔が険しくなる。
黒マントの中から右手を出して、白い手袋を外して城壁の床に落とす。これで両手が素手になる。3メートルの無骨な槍を、両手持ちで右肩に担ぐ。
「……むう。やはり、その手しかないかね。〔呪殺〕は、可能であれば避けたいのだが。貴族らしからぬ卑怯な手なのだよ。私だけでなく、国王陛下や我が騎士、友人貴族にも迷惑がかかる」
しかし、ハグはジト目になっただけだ。サムカも1つ大きくため息をついて、顔を南の空へ向ける。
「仕方がないか……通常攻撃や〔ロスト〕魔法でも、〔消滅〕するのはクローン体と意識体だけだ。異世界にいるセマンの本体には影響が及ばないからなあ。〔呪い〕を意識体にかけて、それを本体に戻して、本体を呪い殺すのが確かに確実ではある……な」
サムカが槍を両手で構え、槍先を南の空へ伸ばして……再びため息をついた。
「後で、陛下に謝罪文を奏上せねばなるまい。師匠や悪友どもにも必要か。賞金も全額、国王陛下へ献上することにするか」
サムカが左手で後頭部をかいた。右手だけで槍を構えているのだが、槍先は微動だにしていない。
「我が教え子には、到底見せられない所業だな。どう説明したものか……」
ハグがニヤニヤしながらツッコミを入れた。
「さっさとやれ」
ようやく、サムカが意を決したようだ。槍を両手で持ち直し、山吹色の瞳を鋭く光らせる。
「分かったよ。では、参る」
サムカの槍先が闇で包まれて、その闇が矢のような形状になった。〔呪い〕の〔実体化〕である。それが、音もなく射出されて南の空へ飛んでいく。それだけなので、実に地味な攻撃だ。
〔呪い〕が飛んでいった方向を確認したサムカが、左手で槍を持って肩に担ぎ、まだクルクル回っているハグに聞く。床に落ちていた右手用の手袋を拾い上げた。
「ハグ。自動追尾機能をつけてはいるが……ここからだと、途中にヴィラコチャ独立オーク国が張っている〔結界〕をいくつも通り抜けることになる。飛行距離は、優に4000キロになるだろう。〔転移〕攻撃は無効だから使えないし。それでも大丈夫かね?」
独立オーク国は貴族の超遠距離の魔法攻撃に対処するために、領土上空にいくつもの〔結界〕を設けている。
空間を折り畳んでいるので、地図上の距離が1キロだとしても、実際の距離は10キロ以上に増量される事になる。その、『割り増し』した空間に、多数の〔防御障壁〕や術式の〔解読〕魔法具を設置している。
〔テレポート〕や〔転移〕も、転移先の空間が絶えずシャッフルされて入れ替わっているので、目的地へ行けなくなっているのだ。
さらに魔法術式のジャミングも常時なされているので、これまでオーク独立国には、貴族の組織的な攻撃が及んだことはない。
しかし、ハグは「フフン」と鼻で笑っただけだった。
「このような小手先の策を破ることなど造作もないわい。リッチーを何だと思っている」
そこへ、騎士シチイガが〔転移〕して戻ってきた。ハグがいることに驚きながらも、まずはサムカの足元に片膝になって頭を下げる。
「シチイガ・テシュブ、ただ今戻りました。商船に損害は出ておりません。順調に航海を進めております」
そして、やや大きめの〔空中ディスプレー〕画面をサムカの前で発生させた。ハグも興味を抱いたのか、サムカと一緒に画面を見上げる。
「録画した殲滅作戦の一部始終です。ご確認ください」
「うむ」とサムカがうなずくと、すぐに録画の再生が始まった。これはフルカラーでノイズも全くなく、鮮明な映像だ。
撮影者は飛行できる魔族のようである。かなり手慣れているのか、映像にはブレやピンボケもない。それどころか撮影者は数名ほどいたようで、既に編集もなされていた。
商船の甲板上で、1人仁王立ちしているのは騎士シチイガ本人の姿だった。黒いマントをなびかせて、長剣を鞘から抜いて頭上に振り上げている。周囲にはオーク水夫の姿は1人も見当たらない。全員が船内に避難しているのだろう。
上空には2000羽ものガーゴイルの大群が乱舞しており、直径2メートルにもなる火の玉を雨のように商船へ放っている。それら火の玉を全て個別に〔消去〕しながら、騎士シチイガがカメラ目線で作戦開始を告げた。
「では、これより海賊どもの殲滅を開始します。まずは上空のガーゴイルを」
騎士シチイガが長剣で≪ブン!≫と一閃した。それだけで2000羽のガーゴイルが火の玉ごと〔消去〕される。
以前にオーク自警団と共に、渡りガーゴイル群を退治したことがあった。その時のサムカと騎士シチイガは〔防御障壁〕の担当だった。攻撃はアンデッド兵とオーク兵による魔法処理された弓矢攻撃であった。しかし、それなりに時間がかかっていた。
今回は騎士シチイガ1人なのだが、文字通り一瞬でガーゴイル群が〔消去〕されてしまった。
上空の視界がいきなり回復する。水平線上に並んでいるオーク軍の艦船から砲弾やミサイルが飛んで来ているのが、よく見えるようになった。これらも騎士シチイガが個別に〔消去〕しているので、1発も商船に届いていない。
再び騎士シチイガがカメラ目線になった。
「続いて、海中の魔族群を殲滅いたします」
カメラが切り替わったのか、映像が上空から商船を見下ろす構図になった。敵魔族が船を取り囲んでいる様子がよく分かる。巨大なイカ型の魔族なので、その脚が海中でユラユラと揺れているのも見える。500匹もいるので、結構、気持ち悪い映像だ。
甲板上で、騎士シチイガが再び長剣で一閃する。次の瞬間。あれだけいた魔族が〔消去〕されてしまった。脚1本、泡1つも残っていない。
「溶解液も、有害成分だけを「消去」しました。では、次に敵船団を殲滅いたします」
騎士シチイガの声だけがして、上空から撮影しているカメラが水平線上の敵艦隊の船影を映し出し、光学ズームで拡大した。数キロほど離れているので、途中の水蒸気による画像の揺らぎが生じている。
次の瞬間。全ての船影に円形の大穴が無数に開いて、船影が数秒ほどで削り取られて水平線上から〔消滅〕した。
確か騎士シチイガの報告では、10万トン級戦艦が5隻、5万トン級潜水艦が3隻、千人乗り揚陸艦が5隻だったはずだが……潜水艦も含めてあっさりと消されてしまった。この規模であれば敵水兵は2万人以上もいただろう。全滅である。
「以上で、作戦を終了します」
騎士シチイガの声がして、画像が消えた。
片膝をついたまま頭を下げている騎士シチイガが、サムカに報告の完了を告げる。
「以上でございます、我が主。これでよろしかったでしょうか。海上ゆえ、我が魔力を制限なしで行使いたしましたが」
ハグが少し呆れた顔をしている。
「は? オマエさん、こんな程度の魔力しかもっていないのかね。おいサムカちん、甘やかし過ぎだろ」
「ムッ」としている騎士シチイガ。白い手袋を両手にしたサムカが、彼に手をかざして抑えた。そのままハグを見る。
「リッチーの基準を、我々に当てはめないでくれ。我が騎士の魔力は、王国連合騎士の中でも上位だよ」
そして、改めて騎士シチイガに顔を向けた。
「よくやってくれた。これで他の商船の航行も安全になるだろう。では、通常業務に戻ってくれ」
「は。我が主」
騎士シチイガがハグに鋭い視線を投げかけて立ち上がり、サムカに一礼して足早に去っていった。
一方のハグは、相変わらずサムカの周りをクルクル回っている。水田の雑草除草をし忘れたようにピョコンと長く伸びている銀色の髪を、数本ほど風になびかせている。
その淡黄色の瞳が満足そうに細められた。
「うむ。成功だな。確認したよ。ラタ・マタハリの意識体へ〔呪い〕をかけることに成功だ。セマン世界に潜伏している本人へも、無事に感染したようだな。間もなく発狂して死ぬだろう。ん? この〔呪い〕は……」
ハグが回るのを中止した。城壁の上で〔浮遊〕しながら、小さな声で吹き出す。そして、サムカに淡黄色の瞳を向けた。
「サムカちん。これは〔バンパイア化の呪い〕かね。しかも、見つめられた相手も〔バンパイア化〕する術式か」
サムカが両目を軽く閉じて肯定する。
「ラタ・マタハリ氏の周囲には、本件の共謀者も同席しているはずだからな。マタハリ氏が『見たもの全て』が強制的に〔バンパイア化する呪い〕だ。生者だけではなく、壁や床に机なども含めて、奴が見たもの全てが〔バンパイア化〕する」
……と、事もなげに語る。〔呪い〕は術者がいなくても機能する魔法一般を指す。そのため、異世界にいる標的であっても効果が出る。
「これで少しは、無念の死を遂げた者たちへの手向けになるだろう。ついでに、運良く黒幕の誰かにも〔呪い〕がかかればしめたものだが……そうはいかぬだろうなあ」
基本的にアンデッドは運が悪い。
更に補足説明を加えると、この〔呪い〕は貴族が使う闇魔法の1つだ。死霊術と呼ばれるウィザード魔法の系統ではないので、〔防御障壁〕や法術などで防御しにくい。もちろん、ペルたち生徒には教えていない魔法になる。
残念そうな顔をしているサムカに、ハグが城壁の外側の空間に浮かびながらニヤニヤしている。
「それでもしばらくの間、敵の関係者を慌てさせるには充分だろう。しかし、サムカよ。この〔呪い〕には敵が〔解呪〕や〔解読〕をしようとすると、その敵に問答無用で〔ロスト〕の反撃をするように処理をしておるのだな」
次第に、愉快そうな口調になってきている。
「さらに、〔バンパイア化〕した者の魔力を『騎士相当』にまで強制的に上げて、しかも〔発狂〕状態にさせるのか……ん? 遅延魔法までつけたのか。規定時間が経過すると、氷の精霊魔法で自爆……か。なかなかに面白い趣向だな」
サムカは至って普通の真面目な顔のままだ。
「そのくらいは当然だ。自爆機能はつけておかないと、証拠として残る恐れがあるからな。攻撃は匿名の方が良い」
そして、自爆で思い出したのかハグに質問をした。
「ハグ。学校を襲撃したオーク兵だが、全員が脳内に自爆用の爆弾を埋め込んでいた。このような手術や魔法術式の調整は、魔力を持たないオークでは無理だろう。セマンでも恐らく無理だ。ということは、腕の立つ魔法使いが関わっていると見た方が良いのかな」
ハグが空中に浮かびながら、その位置でクルクルとコマのように回転し始める。
「だろうな。だが、その程度の魔法工学であれば、多くのウィザードやソーサラーどもができる。ノームやエルフでも可能だろう。それを手がかりにして黒幕を調べることは徒労に終わるよ。それよりもだな……」
そこへ、セマンの警備隊長が血相を変えて駆け寄ってきた。だが、手にはしっかりと火のついたパイプを持っているが。
「旦那! 南からすげえ数のミサイルが飛んできているんだが、いったい何をやったんで?」
キョトンとしているサムカの横で、クルクル回りながら浮かんでいるハグが大げさな身振りで驚いた。
「おおっとオ。うっかり敵の〔防御障壁〕やら防衛システムを停止させたままだったわい。〔逆探知〕されてしまったようだな。ははは」
(確信犯だな……)とジト目になっているサムカに、白々しく愛想笑いを浮かべるハグである。南の空を見上げて、また大袈裟なアクションをして驚く。
「おお! 核弾道ミサイルが100発ほど、この小城に向かって飛んできておるなっ。いやあ、失敬失敬。うっかりしていたよ、ああ、非常にうっかりしていた。あはは」
サムカのジト目がさらに険しくなった。左手の白い手袋を取って、右手で持つ。手袋を床に落とすのも面倒になっている様子だ。抱えていた槍を素手の左手だけで持ち上げて、その槍先を南の空へ向ける。
「まったく……ああ、確かに100発のミサイルが飛んで来ているな。今は高度300キロの上空か。遠距離攻撃は得意ではないのだが……仕方がないな。ステワめ。こういう時に限って、遊びに来ていないのか」
そして〔ロックオン〕を手早く済ませ、槍先から闇魔法を放った。自動追尾式の迎撃魔法のようだ。先程の〔呪い〕ほどではないが、サムカの周囲の空間が薄暗くなる。しかし、見た目はそれだけだ。これもまた地味な攻撃である。
迎撃作業を終えて、サムカがハグに顔を向けた。
「しかし、ハグよ。100発とは景気が良いな。今までこのような反撃はなかったと記憶するが」
ハグがまだクルクル回転を続けながら、これまた素人芸のような動きで両手を「ポン」と合わせた。
「おお。言い忘れておったわい。サムカちんの〔呪い〕攻撃な、やはり周辺にいたオークにも当たったようなんだよな。その中にヴィラコチャ独立オーク国のユルパリ将軍も含まれていたようだ。その報復攻撃だよ、これは」
「お前な……」と苦笑するサムカと警備隊長。サムカが「コホン」と1つ咳払いをして、警備隊長に微笑んだ。
「私が今、全ての核ミサイルを〔消去〕したよ。済まなかったな、ハグのせいで余計な心配をかけた」
警備隊長がすぐに部下からの観測結果を携帯電話のようなトランシーバーで聞いて、軽く肩をすくめる。
「さすがは貴族だな。本当に全弾消滅している。旦那、御前試合を断った理由って、こういった技の腕が鈍っているって事じゃなかったのかね?」
サムカが視線を逸らして、微妙な表情になっていく。代わりに、ハグがニヤニヤしたままで答えた。
「サムカちんだぞ。引きこもりの田舎貴族の。御前試合に出るのが面倒だっただけだよ。そもそも、なぜワシがサムカちんを『召喚ナイフ契約』に誘ったと思っているんだね。愚鈍な貴族を指名するほど、ワシは暇でも酔狂でもないぞ」
しかし、サムカをチラリと横目で見て、付け加えた。
「……が、サムカちんが師匠に会いに南へ行った際は、魔力がほぼゼロな状況だったようだがね。エルフ娘と妖精を守るために、自身の魔力のほぼ全てを捨てるような真似をしおった。自身に〔エネルギードレイン〕魔法でもかけおったんだろ。おかげで、師匠にも鈍らだと誤解されているようだがな」
サムカが槍を肩に担いで、両目を閉じた。錆色の短髪が風にサラサラと揺れている。
「……うむむ。さすがにハグには分かっていたか。ああでもしないと、私の魔力と客人の魔力が衝突して、大爆発を起こすところだったからね。非常手段だよ」
警備隊長もおおよそのことは理解できた様子だ。パイプを口にくわえてニヤリと笑った。
「まったく。面白い旦那だな。ん? ちょいと失礼」
携帯電話のようなトランシーバーに何か報告が入ったようだ。セマンの警備隊長が数歩引いて、サムカとハグに横顔を見せるような姿勢になりトランシーバーを無言で耳に当てる。
すぐに報告が終わった。再びサムカとハグに顔を向ける。口にくわえていたパイプから、一筋の紫煙が吐き出された。
「〔テレポート〕魔術刻印か魔法陣を仕込んでいた。そこの森の中に、オーク兵が数名潜んでいる。偽装しているが、簡易シェルターも持ち込んでいる」
そう言って城壁の上から身を乗り出して、森の中の一点をパイプの先で示した。距離にして3キロほど西になるだろうか。
ハグも〔察知〕したようだ。サムカの周囲をクルクル回りながら、淡黄色の瞳を細める。
「確かにおるな。魔力がない連中だから〔察知〕が難しいわい。手際の良さからしてオーク独立王国軍の特殊部隊か何かかね。核ミサイル攻撃の混乱に乗じて何かするつもりだったか」
警備隊長が追加の情報をトランシーバーから聞いて、呆れたような顔をする。
「核ミサイルの精密誘導をするための部隊のようだぜ、旦那。死を覚悟の特攻部隊だな。測位機器を森の中で設置している。今は肝心のミサイルが消えちまったもんだから、混乱しているようだな」
ようやくサムカも森の中の敵を〔察知〕できたようだ。藍白色の白い顔を少ししかめて、整った眉を寄せている。
肩に担いでいた槍を手袋を外したままの左手だけで持ちながら、森の中へ槍先を向ける。しかし、その槍先が微妙に揺らいだ。手袋をした右手を腰のベルトに当てる。
「うむ……無駄かもしれぬが、捕まえてみるか。何か情報を持っておるかも知れん」
ハグと警備隊長が顔を見合わせて、揃った動作で首を振った。
「まあ、やってみたいなら、やってみたらどうですかね、旦那。無駄だと思いますがね」
「無駄なことが好きだな、サムカちん。だが、早く行かねば、奴ら自爆や自決してしまうぞ」
無駄だ無駄だと2人に言われて、サムカもややジト目になる。が、やはり捕まえる気のようだ。槍を腰溜めして、いきなり姿を消した。
再び顔を見合わせるハグと警備隊長の2人。隊長がトランシーバーに口を当てて、何事が命令を出した。ハグが城壁の外で〔浮遊〕しながら、森の方角を見る。
「確かにオマエさんの部下を避難させるのは、手順ではあるか。だが、大丈夫そうだぞ」
森の中で<キラキラ>と何かが光ったが、それっきりだった。森の鳥もリスも騒いでいない。
隊長がパイプから紫煙を一口吐き出す間に、サムカがガッカリした顔で戻ってきた。黒マントに数枚の落ち葉や草の葉が付いている。槍を肩に担いで、左手に手袋をする。
「奴らが逃げるのを封じるために、先に〔テレポート〕魔術刻印を破壊してから取り押さえようとしたのだが……私の姿を見るなり自爆してしまったよ」
ハグがニヤニヤしながら、再びサムカの周囲を回り始める。
「だから言っただろう。自爆すると。もっと素早く行動することだな。自身を〔ファントム化〕するなりして『実体を捨てて』おけば、いくらでも高速で作業できたぞ。この怠け者め」
サムカも残念そうな表情で左手で後頭部をかいた。
「ああ、そうか。実体のない霧状態になってから接近すれば良かったか。であれば、音速を超える動作をしても周辺の森に被害は出ないな。うむむ……次回からはそうしよう」
警備隊長も余裕の表情のままで、ニヤニヤしながらパイプをふかしている。
「ですが、まあ……自爆の瞬間に敵を〔消去〕してくれたことには感謝しますぜ、旦那。小型の反物質爆弾のようでしたからね。特徴のある微量のガンマ線が飛んできたんで。あのまま爆発してたら、俺たちも一時撤退する羽目になるところでしたぜ」
サムカが警備隊長にも山吹色の視線を向けた。すっかり落ち込んでいる。
「自爆用の爆弾は、『核』か『反物質』というのが常識だからな。周辺を放射線照射と放射性物質で汚染して、我々を混乱させることができる。除染作業もしなくてはならんから、手間もかなりかかるしな。なので、自爆時に信管に火花が飛んだ段階で、強制〔消去〕することは定石だ。まあ、君たちに悪影響が出なかったようで良かったよ」
警備隊長が再びトランシーバーで何かやり取りをして、サムカとハグに顔を向ける。
「終わったようですな。部下からの報告じゃ、もう不審な者は領内にいないと。不審な〔テレポート〕魔術刻印や、魔法陣も残っていないですぜ、旦那」
サムカもカラス型のシャドウと、使い魔群を呼び寄せて報告を受ける。合計で100羽ほどもいるので、壮観な眺めだ。どちらかと言うと、悪の大ボスとその使い魔群という見た目だが。その彼らの姿が一斉に消えた。
「うむ。私が放った使い魔と、シャドウからの報告も同じだな。ご苦労だったな、隊長殿。何か褒美を与えたいところだが、何か要望はあるかね?」
サムカの問いに、セマンの警備隊長がパイプをふかしながら左手を軽く振る。
「不要だよ、旦那。今回の騒動の記録だけで充分だ。貴族やリッチーが魔法行使する映像なんて、なかなか出回っていないんでね。今回の映像だけで、結構な高値で売れるさ」
サムカとハグが顔を見合わせてキョトンとした顔になった。サムカが山吹色の瞳を細める。
「ふむ……そういうものかね。では、お言葉に甘えておこう。まだ今のところは金欠でね」
セマンの警備隊長が「ふいー……」と口から紫煙を一筋吐き出して、ニヤリと笑った。
「知ってるさ。じゃあ、俺はこれで。通常業務に戻るよ」
【戦闘が終了して】
こうして、サムカの領地では大きな被害は生じなかった。しかしながら、半日以上も通常業務ができなかったことは事実であり、そして実害でもあった。
収穫作業やその加工作業、貯蔵作業は、ひと段落ついている。連合王国各地への陸路での出荷も、最初の山場を過ぎてはいた……のだが。それでも出荷便の荷馬車群が、半日以上も足止めを食らってしまった。
おかげでオーク自治都市では、荷馬車の運行調整に大忙しだ。執事も城内での仕事を指揮する。これと併せて自治都市での仕事の手助けを行っていた。今も携帯電話型の通話器を通じて、矢継ぎ早に指示を飛ばしている。
ルガルバンダ勢も、執事の指揮下で荷運びを手伝っているのが見えた。(やはり野良着が良く似合うものだな……)と頬を緩めるサムカである。
畑作業も当然ながら中止されていた。そのため種まきや種苗の移植作業が、大忙しで再開されている。自治都市で使用しているゴーレムやゾンビ、スケルトンも、50体ほどが緊急に駆り出されているようだ。
基本的に種まきや移植は、当日に終わらせないといけない。翌日に持ち越されると、発芽処理した種子や活着処理をした苗の品質が落ちてしまい、発芽率や活着率の低下が起きるのである。ここは死者の世界なので、生命の精霊場が弱い。ちょっとしたことで枯れたり萎れてしまう。
積荷を満載した荷馬車隊が、次々に自治都市の門から駆け出して行く。その様子を、城の窓からサムカが見守っている。地雷由来の巨人ゾンビも、積荷の積み込み作業で重宝されているようだ。それでもなお、大量の木箱や樽詰めされた荷物が集積所に山積みになっている。
「やはり、業務に大きな支障が出ているようだな。まったく……オーク独立王国には困ったものだ」
執務室の窓で、軽くため息をつくサムカ。服装は室内着なので、かなり気楽なものだ。足元にはスリッパを引っかけている。
机の上には大量の文書があり、サムカのサインを待っている状況だ。もちろん、国王や悪友貴族、交易相手の貴族や商人向けの書状である。大半は詫び状だが。
結局、書類仕事はその日のうちには終わらず、翌日の昼前までかかってようやく終えることができた。万年筆を机の上に置いて、背伸びをするサムカだ。
すぐに執事を呼んで、書類の山を引き取らせる。段ボール箱で3つほどはある分量だった。
「ふう……やっと終わったか。さすがに今回は多かったな」
執事がマンゴをひと盛り、蔦籠に入れてサムカのために差し出した。
「お疲れさまでございました、旦那様。獣人世界からの第一便が、そろそろ王都に到着する頃でございます。そのサンプルの検疫検査が終わりました。合格との由、おめでとうございます。これは、その検疫検査後のサンプルです。一部を分けてもらいました」
サムカが山吹色の瞳を輝かせて、蔦籠からマンゴを1つ取り出す。早速牙を突き立てて潜在魔力を吸い、満足そうな笑みを浮かべた。
「……うむ。相変わらずの品質だな。香りも良い。机仕事の疲れも取れるよ」
そして執事に顔を向けて、苦笑しながら肩をすくめた。
「だが、我が領地産のマンゴの強力な競争相手でもあるな。複雑な心境だよ」
執事も特にコメントせず、サムカと同じように苦笑している。




