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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
移動教室あっちこっち
64/124

63話

【在りし日の砂浜】

 砂浜の〔修復〕作業では〔ログ〕を事前にとっていたので、ソーサラー魔術の〔復元〕魔術が一応は使えた。しかし、肝心の生徒たちの魔力残量が底をついていたので、サムカがエルフ先生とノーム先生を呼んで魔力支援してもらうことになっている。

 真っ白だった砂浜が、見るも無残にドロドロに溶けて固まったガラス状に成り果てている。


 呆れた顔でそれを眺めるエルフ先生とノーム先生。いつの間にかティンギ先生もヒョッコリやってきて顔を出している。

 エルフ先生が両手をミンタとムンキンの肩に当てて、2人に魔力支援しながらサムカに文句を言う。

「また酷い有様ですね、サムカ先生。ここは観光地なんですよ。それに隣の港町で『サーバーが爆発した』って知らせが入ってますけど」


 ジャディがヘロヘロになりながらも、背中の翼をパタパタさせてエルフ先生を威嚇する。さすがは忠義の飛族である。

「う、うるせえ。数千の敵相手に戦ってたんだぞ。この程度で済んで良かったってなもんだ」


 エルフ先生が片足で「ポン」と砂浜を蹴り上げる。その舞い上がった砂が超電磁砲になって、ジャディの体に襲い掛かった。

 魔力が切れているので〔防御障壁〕を張る余裕もなく、断末魔の呻き声を上げて森の中へ吹き飛ばされていく。あっという間に、ジャディの姿が熱帯の森の中へ落ちて見えなくなった。


 うるさい鳥がいなくなったので少しは気分が良くなったのか、エルフ先生の顔に笑みが少しだけ戻った。ミンタとムンキンに優しい声をかける。

「ミンタさん、ムンキン君。ご苦労さまでした。〔復元〕魔術用の魔力ですが、私が送っている光の精霊場からの〔変換〕効率でも、それほど問題は出ないようですね」

「はい、カカクトゥア先生」と口をそろえて返事をするミンタとムンキン。確かに、2人が杖から放っているソーサラー魔術の〔復元〕魔術は、滞りなくガラス状の岩盤を元の白い砂浜に戻している。


 ノームのラワット先生はペルとレブンの肩に手を当てて、魔力支援をしている。サムカが謝った。

「すまないね、ラワット先生。私の魔力支援では修復作業には向かなくてね。反対に塵にしてしまいかねない。2人の魔力バランスの回復にもなるし、助かるよ」


 ノーム先生が銀色の垂れ眉を上下にヒョコヒョコ動かして答えた。大きな三角帽子の陰なので、サムカからは見えない動きだが。

「気にすることはないよ。僕の契約精霊は大地だからね、適しているよ。幸い、生徒と観光客、カチップ管理人は、森の中の避難所にしばらく足止めだ。白い砂浜と美しい建物に戻っていれば問題にならないさ。まあ、沖合いにできたクレーターは巨大すぎて〔修復〕できないけどね」

 ムンキンとミンタが「ムッ」としたが、とりあえず今は黙っていることにしたようだ。


 ティンギ先生がニコニコしながら、パイプにタバコを詰めて火をつけた。紫煙が潮風に流されていく。

「なかなかに楽しかったよ。溶けた砂浜の上を、石製の竹馬で走り回るのはスリルがあった。爆風や真っ赤に溶けた砂の雨を避けようにも、すごい閃光で視界が真っ白になってたからね。ははは」

「やっぱりか……」と肩を落とす先生と生徒たち。

 〔予知〕などで役に立つことがある一方で、圧倒的にどうでもいいことに命を懸けている。本人には、そのどうでもいいことが『生きがい』なのだそうだが。


 そのティンギ先生が海の方向に黒い青墨色の瞳を向けてキラキラさせた。

「遅れてきた客が来たようだぞ」


「ギクリ」となって、一斉に戦闘態勢になる先生と生徒たち。生徒にはもう魔力がないので、かなり動揺している。

 エルフ先生とノーム先生が魔力支援を中断して手を放し、ライフル杖を呼び出して構えた。サムカも両方の手袋を外して、それを復元したばかりの砂浜の上に落とす。


 海面が不自然に盛り上がり、触手のないクラゲ状になった。目や口もなく、ただの海水の塊にしか見えない。

(我は『海の妖精』なり。この地の人魚族の緊急要請により駆けつけた。海を荒らしたのは貴様らか?)

 〔念話〕で問いかけてくる。


 サムカが呆れて口元を緩めた。

(やれやれ。こいつもパリー並みの魔力持ちかね。化け物だらけだな、この世界は)

 もちろん、そんな感想は顔にも声にも出さず、冷静に説明を始めるサムカである。至近距離での〔念話〕なので、映像を含めた情報送信も数秒で終わる。

 クラゲ妖精の敵意が少し和らいだ。

(ふむ。荒らしたのはクラーケン族か。退治してくれて感謝する。が、海底の地形を変えたのは、やり過ぎであったな)


 ミンタとムンキンが大いに焦り始めて、挙動不審な動きをする。

 エルフ先生が杖をベルトのホックにかけてから、空いた両手でオロオロしている彼らの肩を押さえた。精神安定の魔法をかけているようだ。


 ジャディが森の中から何か喚き散らしながら、こちらへ飛んできている。それを見たペルとレブンが、ジャディに慌てて状況説明を〔念話〕で行った。

(ち。何だよ。敵じゃないのかよ。紛らわしいな)

 ブツブツ文句を言いながらも、納得したジャディが、弧を描いて森の奥へ飛び去っていった。ほっとするペルとレブンだ。

「良かったあ……海の妖精さんにジャディ君が攻撃なんかしたら、大騒ぎになるよね」

 ペルの心配に、心からうなずくレブンであった。魚状態に戻っていた顔をセマン状態にする。

「うん。ジャディ君には、後で僕から念入りに説明して納得してもらうよ……あ」


 レブンがクラゲ型の海の妖精の視線を感じた。慌ててペルの手を引いて、ノーム先生の陰に隠れる。妖精には嫌われやすい魔法適性の2人なので、用心したのだろう。


 教え子たちの行動を見守っていたサムカが、錆色の短髪をかきながら〔念話〕を使って、海の妖精に弁明する。

(敵の数が多かったのだ。こちらは見ての通り、これだけの人数しかいなかった。妖精の貴公が憤るのは理解できるが、ここは黙認してもらえぬかね)


 そこへ、森の中から先日のイノシシ型の森の妖精と、先日の湖にいた水棲甲虫型の森の妖精、さらに地下水脈を司っているという陸上の水の妖精が、いきなり〔テレポート〕して姿を現した。一気に生命の精霊場の強度と濃度が跳ねあがる。


 サムカの表情にかなりの緊張が走った。

 〔復元〕したばかりの砂浜が、見る見るうちに浜植物で覆われていく。それどころか、どこから湧いてきたのか、大量のヤドカリとカニの大群が砂の中から顔を出した。「そのついで」とばかりに早速、サムカが展開している〔防御障壁〕の最外殻が破壊されてしまった。


 陸上の地下水脈を司る、おなじクラゲ型の水の妖精が言葉を発する。ふよふよとクラゲのボディが上下に揺れている。

「海の妖精よ。アンデッドの教師もいるが、彼らは自衛したまでだ。そこの人魚族の村には攻撃を加えておらぬだろう」

 水棲甲虫型の森の妖精も、同じく声に出して言葉を発した。浜辺で見ると、やはり巨大なゲンゴロウだ。

「我の守護する湖の浮島は、狐族どもに破壊されて消えたが、その後、地元獣人族の争いの調停に来てくれた。葦原がかなり消失したが、特に不満はない。部分ではなく全体の評価で考えることだ」

 最後にイノシシ型の森の妖精が口を開いた。

「我は、ここの森を守護する義務がある。場合によっては、我も静観できぬことになるぞ」


 海の妖精に『臨時の口と目』が生じた。どう見てもクラゲの器官のようだが、機能面では問題なさそうだ。それが声を発して答える。

「ほう……これほどの数の妖精が、このアンデッドや獣人族、異世界の者どもに助力するか。では、我も軽率な行いは慎むことにしよう。実際、人魚族の死者は出ておらぬしな」

 そして、数歩ほど引いて海に戻る。

「この一連の騒動は、またクラーケン族の仕業のようだな。彼らも我の庇護の下にある民ではあるが、少々暴れ過ぎのようだ。よろしい、我の方で軽く罰を与えておこう」


 イノシシ型と水棲甲虫型の森の妖精が、互いに顔を見合わせた。イノシシ型は両耳をモソモソさせ、甲虫型は節くれだった触覚をブンブン振り回す。

「どこの妖精も、庇護では苦労しているのだな」

「あまり、きつい罰は与えるなよ、海の妖精」

 意外に人情味が溢れるコメントに、驚いている先生と生徒たちだ。

(ということは、パリーってやはり凶暴な部類に入るのかな……)とか何とか思うペルとミンタである。


 海の妖精は、そのまま海に溶けるように沈んでいく。

「……では、我はこれで。アンデッドと獣人族よ、我も今回の事は覚えておこう」

 それっきり魔法場が消えて、ただの海水になった。

 他の妖精たちも、サムカたちに挨拶することもなく、あっけなく姿を消していく。


 息詰まるような魔法場がなくなったので、ほっと安堵する先生と生徒たち。特にサムカは心底ほっとしている様子である。

「ふう。〔防御障壁〕の残り枚数が2枚になってしまったから、慌てたよ」


 エルフ先生がいたずらっぽく微笑んで、空色の瞳をサムカに向ける。

「アンデッドですからねえ、あなた。急なトイレで、席を外すと言えば良かったんですよ。バンパイアは排泄しますからね。たまにはバンパイアのふりをするのも悪くないかも」


 さすがにジト目になるサムカである。が、真面目なのかちょっと考えたようだ。

「……うむむ。貴族としての矜持が許さぬが、緊急事態の言い訳を何か考えておいた方が良いか。カルト派貴族の中には、体内の汚物を〔消去〕せずに、排泄をする『趣味』を持つ者がいるらしい。奴らから、何か情報が得られるかも知れぬ」

 周囲の連中がサムカの独り言を聞いて、一斉に不快な表情になった。貴族にとっては、排泄は趣味の1つになるらしい。


 サムカがもう1つ何か思い出したようだ。

「そういえば……カルト派の調査資料の中に『下痢愛好会』なる秘密結社が、あったな。食べてから何分後に、排出できるかを競う会らしい。賭け競技が人気だと書かれていた。奴らを捕まえて、情報を聞き出してみるか……」

 エルフ先生がサムカに頭を下げた。

「ごめんなさい。私が悪かったです。お願いだから、忘れて。でないと、『うっかり』サムカ先生を撃ってしまうわ」

「ふむ、そうかね」

 淡々とうなずくサムカである。


 それでも少しの間、色々と考えたようだが……結局後で考える事にしたようである。熱帯の太陽光を反射する砂浜を眺めて、満足そうに微笑んだ。

「妖精のおかげで予定よりも、早く砂浜の〔復元〕が完了したな。一部、行き過ぎた場所もあるようだが、まあ良かろう」

 見事に白い砂浜が〔復元〕されていた。ハマナスやツタ性の浜植物が大量に発生して、ヤドカリの大群が浜を縦横に駆け回って、無数のカニ穴が浜にできているが、この程度ならば許容範囲だ。


 サムカが手袋を拾って両手にはめながら、小型の〔空中ディスプレー〕を手元に表示して時刻を確認する。

「うむ。まだ時間が残っているな。では、授業の続きをしよう」

「うげえ……」となる生徒たちであった。




【出港】

 今回は、サムカ熊の暴走事件が起きたための緊急〔召喚〕であった。予定外の〔召喚〕だ。

 そのため、時間満了で元の死者の世界へ戻っても、落ち着く間もないサムカである。すぐに作業着に着替えて、城の外へ愛馬を駆って出る。


 日差しはすっかり冬の穏やかなものに変わっていて、吹く風も北の冷たく乾いたものになっていた。本来ならば、亜熱帯気候なので冬季は雨期でもある。しかしティンネア高原の東西にそびえる山脈の影響で、にわか雨程度が断続的に降るだけだ。曇りの日が多くなるが、実感としては雨期というほどのものでもない。

 ただ、東西の山脈では豪雨になるので、下流にある川の水位が顕著に上昇する。地下水位も同様で、かなり地表までせり上がって来る季節だ。


 きちんと道普請が行き届いた街道を単騎で駆け抜けるサムカに、領民のオークたちが慌てて道を譲り平伏していく。 

 道の両側に広がる農地や果樹園、ブドウ園は、すっかり収穫を終えて閑散としていた。だが、地下水位が上昇している時期なので、次の種まきや、苗の植えつけ準備が着々と進んでいる。

 もう既に、半分ほどの面積の農地で、畝立てや溝切りが完了しているようだ。来週には播種や苗の移植が始まるだろう。


 他の農地でもオークの農民たちが20人ほどで、鍬や熊手に鎮圧ローラーなどを手にして作業しているのが、あちらこちらで見えた。機械を使わずに人力だけでやってのけるので、やはりオークという種族は力持ちが多いのだろう。


 死者の世界では、生命の精霊場が非常に弱い。

 そのために病原菌や害虫の活動も非常に弱いので、意外なことだが連作障害がほとんど発生しない。ウイルス病にさえ用心しておけば良く、それはサムカらによる闇魔法処理で充分に対応できている。

 かなり逆説的な話になるが、生物が少なく弱々しいが故に、豊穣の大地を維持できているのだ。肥料の施用量も、おかげでかなり少なくて済んでいる。作物には闇の因子への抵抗力が備わっているので、これも特に問題なく栽培できる。

 一方で、ゾンビの維持管理に必要な毒素を生産する、柑橘の樹に寄生するキジラミも成長が抑制されるので、良いことばかりではないのだが。


 渡り魔族の駆除も終えたので、街道沿いの畑では収穫したジャガイモやニンジン、サツマイモにカブなどを、大きな木の柵に入れて、一時乾燥させているのが散見できる。地下水位が上がっているので畑の土が湿っており、乾燥した風にさらして泥落としをしている。

 もちろん、このまま風にさらし続けると乾き過ぎてしまう。表面の泥が乾いた段階で土を払い落として、自治都市内の貯蔵庫へ運搬する手順だ。


 その作業独特の土の臭いが街道に流れてくる。ややカビ臭いが、サムカはそれほど嫌いではない様子だ。騎士シチイガや悪友貴族のステワにとっては、悪臭以外の何物でもないのだろうが。



 そのまま街道を愛馬で疾駆したサムカがオーク自治都市の門をくぐり、中へ入った。住民が膝をついて頭を下げる中、ゆっくりと蹄の音を立てて愛馬を歩ませ、最初の目的地である貿易事務所へ向かう。


 その事務所では既に騎士シチイガが来ていて、ある程度までの事務処理を終えていた。早速サムカがその書類を見て、映像データを〔空中ディスプレー〕を通して確認する。

 満足したようで、笑みを騎士シチイガに向けた。

「うむ。良い状態で出港できたようだな」

 騎士シチイガが立礼する。

「は。何とか間に合いました、我が主」


 雨期が本格化してくると、交易港のある町へ続く街道が豪雨や土砂崩れによって不通になる。

 サムカの領地から陸路で港へ輸送するには、途中で東の山脈を横断しなければならない。一年中雨が降っているような山脈だが、この冬季の雨期は豪雨が何度も襲うので、通行不能になる事がよく起きるのだ。


 交易船の出港スケジュールは『ずらす』事ができても、せいぜい数日程度だ。そのために、一度大規模な土砂崩れが起きて街道が不通になってしまうと、船積みができなくなる。

 保険をかけてはいるが、損失の全てを補填できるわけではない。やはり本格的な雨期前に出港するのがベストなのだ。最悪の場合でも、〔テレポート〕魔術を使うことで荷物を港まで届けることができるが、それはやはり最後の手段だ。軍や兵站の突発的な移動に、対応できない恐れがある。


 今回の場合は、領主サムカが行う国際貿易であり完全な商売目的なので、他の貴族や領主に迷惑がかからないよう万全を期している。特に、出稼ぎオークの取り合いで仲が悪い隣国コキャング王国の貴族ピグチェンなどは、サムカが失態を見せればすぐに口出しをしてくるだろう。また、悪友のステワも何か仕出かしてくることは容易に想像できる。


 本来の交易スケジュールでは、南方のオメテクト王国連合向けの輸出だったのだが……中止となった。

 ナウアケ事件の混乱がまだ続いているようで、治安悪化によるコスト増を嫌った現地の物流業者がそろって逃げ腰になってしまったせいだ。なので、船をオメテクト王国連合の港へつけても、荷卸しができる保証がない。


 港では商慣習として、交易船の着岸後6時間以内に船から積み荷を降ろし終わらないといけない。いつまでも貨物船が埠頭を占拠し続けると、港湾管理者としては商売ができなくなるためだ。

 港へ降ろした積み荷は、更に6時間以内に指定された倉庫に搬入されないといけない。これらの作業が遅滞すると、港湾管理者が超過料金を請求してくる。これがかなり高額で、通常手数料の4倍は当たり前で、6倍になる事も多々ある。

 オメテクト王国側の積み荷受け入れ業者が渋っていると、たちまちサムカ側は赤字になってしまうのだ。

 船荷証券では、契約は積み荷を指定倉庫まで期限内に無事に届けるように定められている事が標準である。このようなオメテクト王国側の混乱状態では、超過料金が膨れ上がって赤字になる確率が高くなる。


 そこで急きょ、北のコゴゴーポガン王国連合向けに話をつけた次第だ。だが、商船に満載された農産物の量は相当なものである。そのため様々な交渉が重ねられた。


「これで利益は最低限確保できた。あとは、無事に船が先方の港へつくことを祈るだけだな。港へ着いてしまえば、後は滞りなく進むだろう」

 サムカが書類を貿易事務所の所長オークに返却して一息つく。


 一方で、騎士シチイガが〔空中ディスプレー〕画面を見つめながら、やや不安な顔になった。淡い山吹色の瞳の奥で、光がロウソクの炎のように揺らいでいる。

「我が主。海賊どもの動きが活発化しているという情報が届いております。我々の城へ緊急事態を知らせることができるように、船長に魔法具を渡しておりますが……敵が魚雷を撃ち込んでくれば、すぐに撃沈されてしまうでしょう」


 サムカも騎士シチイガの不安を認めた。陶器のように滑らかな藍白色の騎士シチイガの顔に、山吹色の視線を戻す。

「うむ。冬の海だから、1発の魚雷で転覆や沈没する恐れもあるだろうな。我々が1日じゅう乗船して警備するわけにもいかないから、撃沈される恐れはゼロにならない。沈んだ場合は赤字になるが、仕方あるまいよ。できる限りの支援をするだけだ」


 その後、細々とした書類仕事を終えて、貿易事務所を後にするサムカ主従。

 事務所を出ると、そこにはセマンの警備隊長がパイプをくわえて待っていた。黒紅色で癖が強い短髪を、今日は少しだけ整えている。ニヤリといつもの笑いを浮かべて、サムカに挨拶してきた。

「よお。サムカの旦那。ちょっといいかい?」


 事務所横の狭い路地に、立ち話でもするようにサムカ主従を誘い込む。サムカが首を少しかしげた。

「どうかしたのかね? 近くの喫茶店で話を聞いてもよいが」

 騎士シチイガが剣の柄に手をかけて警戒しているのを、余裕の表情で見つめる警備隊長だ。紫煙を一筋パイプから立ち上らせる。

「いや。すぐ終わるから、ここでいい」


 そして、隊長の黒い紺青色をした瞳が鋭い光を帯びた。顔はにやけたままだが。

「実はな、旦那が〔召喚〕されているタカパ帝国で、『竜族独立派』が大きなテロを起こす。資金援助を魔法世界から受けたようでね、セマン族にも傭兵の募集が来たんだよ」

 隊長の瞳の光が強まっていく。

「そこまでは良かったんだが……途中で『中抜き』が横行したようでね、実際に支払われる賃金が安くなっちまった。さらに用意された魔法兵器もショボいものだらけでな。嫌気がさしたセマン族が結構出たんだよ。で、この情報漏れが起きたんだが。買うかい?」

 サムカが即答した。

「買おう。いくらかね」


 騎士シチイガが警戒したままで、サムカに注意を促す。真っ直ぐで短い黒錆色の髪の下で、彼の淡い山吹色の瞳が殺気を宿し、セマンの警備隊長を見据えている。

「我が主。簡単に乗ってはなりませぬ。何かの策略かも知れません。そもそも異世界の争い事です。召喚契約に書かれていないことに、我々が関わる義務はありません」


 サムカが振り返って騎士シチイガに微笑んだ。同時に自虐的に肩をすくめる。

「卿の言う通りだ。領主としては、実に愚かな行為だろう。だが、生者に関わると、時としてこういう事をする羽目にも陥るのだよ。さて。こうは言ったが、あまり高価では買いたくとも買えぬぞ。交易船が出港したばかりで、今は金欠なのだ」


 騎士シチイガもサムカの反応を予想していたようで、それ以上は何も言わなかった。手を柄から離してサムカに恭順する。

 セマンの警備隊長も、プカリと紫煙を口から吐き出して目元を緩めた。セマン特有の大きな耳とワシ鼻が自己主張する。

「知ってるさ」



「……で、そんな事のために、わざわざワシを呼びつけたのかね。このバカ領主は」

 ハグが呆れた顔で路地に立っている。既にセマンの警備隊長は姿を消していた。路地にはサムカと騎士シチイガが残っているだけだ。

 ハグの服装は相変わらずのひどいものだった。今回は裂けた古着シャツを無造作に数枚重ね着して、ひらひらしている切れ端をタコ糸で強引に縫いつけて束ねている。サンダルは片方が草で編んだ草履で、もう片方は底の抜けかけた革靴だ。ただ、裁縫技術は格段に向上している。

 そのハグが淡黄色の瞳を不気味に鈍く光らせている。ちょっと怒っているのかも知れない。


 サムカが仕入れたテロ情報をハグに渡すが、機嫌は良くならない様子だ。数秒ほどで全ての情報を読み込んだハグが、1つため息を吐いた。

「テロ計画、実行者名簿、武器装備、他もろもろか。まあ……サムカちんが、わざわざ金を払って買い取った情報だからな。ワシもこれ以上は文句を言うつもりはないよ。確かにシーカ校長へ伝えよう。ではパパラパー」

 そのまま、消えてしまった。


 騎士シチイガが目を閉じて深くハグに同意しているのを、錆色の短髪をかいて見つめるサムカである。

「すまんね、こんな領主で。さて、騎士シチイガよ。次の仕事を片付けに行こうか。確か、ルガルバンダの村での野菜栽培と家畜管理についての指導だったな」

 騎士シチイガが微笑んで、路地の向こうを指さす。

「待ち切れずに、出向いていますね」


 サムカが振り向いて、路地の先を見る。ヒグマ顔をした身長4メートルにも達する巨漢が、4本腕を振り回して駆けてきていた。鎧姿ではなく、丈夫な木綿の野良着だ。体重が重いので、走るたびに地響きがする。

「おおおおい、テシュブ殿、騎士シチイガ殿。皆、待っておるから早く来てくれい」


 サムカが山吹色の瞳を細めて手を振り応える。

「了解した。しかし、甲冑姿よりも似合っているものだな」




【寄宿舎ロビー】

「……ということなのさ、ベイビー」

 毛糸でできている銀色の自身の髪をハグ人形が数本引っ張って、竪琴のようにきれいな音色を奏でながら、サムカが買った情報のいくつかを語り聞かせた。

 聞き手はムンキンとラヤン、それにミンタ、ペル、レブンのいつもの面々である。ジャディはやはりどこかを飛んでいるのだろう、姿が見えない。

 バングナン・テパと数人のムンキン党員の姿もある。ほとんどが1年生の竜族と狐族の男子生徒で、いつもムンキンとつるんでプロレスごっこをしている連中だ。


 ちょうど夕食前の時間で、生徒たち全員が寄宿舎に集まっている時間帯だった。食堂へ向かう人の流れができている。その流れを背にして、ムンキンが激高して叫んだ。

「あの大馬鹿野郎! 絶対に許さんぞっ」

 怒りのあまり、頭と尻尾の柿色のウロコが限界まで膨らみ逆立って、制服を内側から破りそうな勢いになっている。濃藍色の瞳もギラギラした光を帯びている。


 隣のラヤンも無言ながら相当に怒っている様子だ。こちらもムンキンと同じように体が膨らんでいて、紺色の目も鋭い光を放っている。そして冷徹に一言、ムンキンに告げた。

「行くわよ、ムンキン君」

「おう!」と、再び吼えたムンキンが、すぐに〔テレポート〕魔法を起動させた。ペルとレブンが止めるのも聞かずに、あっという間に転移して姿が消える。


 ハグ人形だけは、嬉しそうにピョンピョン跳んではしゃいでいる。期待通りの反応と行動に満足しているようだ。

「おう。若いって良いね! ジジイには羨ましいっ」


「どうしよう、どうしよう」と早くもパニックになってパタパタ踊りを始めているペルを、ミンタが強引に押さえつけて、床に組み敷いた。ハグ人形を睨みつけて聞く。

「どうして私たちに知らせたのか、何となく分かったわ。まったく、パリーといい、アンタといい……この情報は、シーカ校長先生に知らせるべき内容でしょ。反応はどうだったのよ」


 ハグ人形がようやくピョンピョン跳びを止め、腰に両手を当ててふんぞり返った。黄色いボタンの両目の縫い留めが緩んでいるのか、微妙にボタン目がプラプラ揺れる。

「当然、真っ先に知らせてあるわい。サムカちんとの約束だからな。そこのペル譲と一緒で、踊りながら上司に報告しておったよ。今頃は軍や警察が、オマエさんの故郷の街を駆け回っているだろうさ」


 ミンタの表情が一層険しいものになった。組み敷かれているペルが悲鳴を上げているが、聞いていないようだ。(ペルさんの腕の骨が、変な音を立てているような気がする……)と思うレブンである。

 レブンは格闘術でもミンタに到底かなわないので、距離をとってひたすらミンタを言葉でなだめている。

 折り悪くというか、ちょうどムンキン党員もいたので怒って騒ぎだしている。そんな彼らをなだめるのに必死で、とてもペルの救助に手が回らない。


 一方のアンデッド教徒は現金なもので、スロコックを先頭にさっさと食堂へ行ってしまった。政治色を嫌うグループなので、こういった騒動には関わらないのだ。

 ミンタの悪友のコントーニャは、もういつもの風景なのかペルを助けようともしておらず、他の生徒たちと談笑を続けている。今日の食事にはマンゴのチャツネが出るらしい。


 サムカが買ったテロ情報によると、今回の大規模テロの舞台はミンタの故郷の街だった。そして、ハグが公開した情報には、退学した元バントゥ党の側近、竜族のラグ・クンイットの名前があった。

 さらに、使用する予定の武器には、先日バントゥがボイラー室に仕掛けたエルフ製の光の精霊魔法爆弾の形式番号があった。ムンキンとラヤンが激高するには充分すぎる内容だ。


 ミンタが手元に小さな〔空中ディスプレー〕を表示させて、軍と警察の暗号無線を〔傍受〕し、それの〔復号〕を自動処理で行い始めた。復号というのは暗号文を解読する作業を指す。

 50以上もの無線ラインを同時に〔復号〕したので、何を言っているのかまるで分からない混線音声になったが……ミンタには理解できたようだ。ペルから離れてハグ人形を見下ろす。

「そうね。軍と警察の動きも、アンタの話を裏づけるものだわ。っていうより、前もって追跡していたようね。シーカ校長先生が焦ったのか一般通信回線で警察長官に伝えたものだから、テロ実行犯側にも漏れてしまって大騒ぎになっている……ってのが実情ね。まったく、このアンデッドは」


 ハグ人形はそうなることも見越していたのか、非常に嬉しそうに口をパクパクしながら踊っている。

 ミンタがそんなハグ人形を無視して、まだ床に転がって尻尾をパサパサ振って痛がっているペルの手を取り、強引に引き上げた。

「私たちも行くわよ、ペルちゃん。街を更地にされてたまりますか」

 既に〔テレポート〕術式を走らせていたようで、ペルが涙目になって何か言おうとする前に、転移して一緒に消えた。


「また突っ走ったかー。変わらないなあ、ミンタは」

 コントーニャが諦め風味の笑顔で肩をすくめている。

「じゃ、私も失礼するわねー。情報ありがとー、レブン君」

 レブンに軽く挨拶をしたコントーニャが「商売商売稼ぎ時」と、友人たちと談笑しながらそのまま立ち去っていく。


 レブンが1つため息をついて、ミンタの故郷の街へ〔テレポート〕しようと術式を詠唱し始めた。それをハグ人形が止めた。レブンの制服のズボンの裾を、器用に両手で引っ張っている。

「いや。オマエさんには、別の用事があるぞ」

 そう言って空中に浮かび上がり、レブンの顔あたりまで上昇して小さな〔空中ディスプレー〕を発生させた。


 その情報を一目見たレブンの顔が、いきなり魚顔に変わる。ハグ人形が愉快そうに口をパクパクさせて、空中で平泳ぎをした。

「そういうことだ。海賊がオマエさんの町を攻撃する可能性が非常に高い。町の助勢に行ってきてはどうかね?」

 レブンが魚顔のままで即答する。

「僕の町には自治軍がいます。前回も僕は自警団に回されました。ですので、やはりミンタさんの助勢を優先します」


 レブンが〔テレポート〕していったのを後にして、ハグ人形が今度はムンキン党に近寄った。思わず、数歩ほど引き下がるバングナン・テパ。腰のホルダーから簡易杖を引き抜いて、ハグ人形に向ける。

「な、何だよコラ……!」

 総勢10名ほどのムンキン党も一斉に警戒して、杖をハグ人形に向けていく。その彼らに、ハグ人形が朗らかな声をかけた。

「オマエたちにも、一仕事を頼もうかね。学校を取り囲む森の中に先程、オーク兵の軍団が〔テレポート〕してきた。パリーがいるし、警察や軍の警備隊もいるし、ドワーフ製の保安警備システムも稼働しておるから放置しても良いのだが……せっかくだから、オマエたちも暴れてきてはどうかな? 飯はその後でも食えるだろ」


 ハグがそう言い終わるか終わらないかのタイミングで、寄宿舎ロビー内に警報が鳴り響いた。同時に天井の4面ディスプレーに、森の外の敵性勢力の配置と武装情報がウィザード語で表示されていく。大文字で生徒向けに、『寄宿舎に退避するように』という指示も出される。


 その画面を見上げたバングナンが不敵な笑みを浮かべた。

「またオークかよ。いいぜ、ハグさん。俺たちムンキン党の威力を見せてやるよ」

 食堂の方角からリーパットの雄叫びが聞こえてきて、一気に騒然となっていく。


 バングナンの掛け声でムンキン党員が気勢を上げる様を、愉快そうに眺めるハグ人形。

「うむ、面白くなってきたわい。サムカちんには、ああ言ったが……こうやって情報サービスを無料でするのも、なかなかに楽しいものだな。さて。ついでに、あのバカ鳥にも知らせてやるとするか」




【ミンタの故郷】

 ミンタの故郷の地方都市は、テロが起きる恐れがあるとは思えないほど日常の風景が広がっていた。

 交通の要所で物流基地もあり、工場も多く稼働しているので人口がかなり多い。街の主要道路には、多くの燃料電池式トラックやタンクローリーが行き交い、乗用車に混じって多くの労働者が自転車や乗り合いミニバスに乗って走り回っている。

 歩道にも人が多く、カフェやバー、軽食屋も繁盛しているようだ。帝都とは異なり、服装もよりカジュアルな日常服を着ている者がほとんどで、その分、生活感が溢れている。

 夕方なので、市場で買い物や食事をする人が道に繰り出し、学校帰りの学生も加わって賑やかになってきていた。


 その市場がある通りの片隅にちょっとした公園があり、そこにミンタとペル、それにムンキンとラヤンが難しい顔をして手元の〔空中ディスプレー〕を操作している。レブンは〔テレポート〕先を間違えたようで、この公園へ向かっている最中だ。


 この公園も人通りが多いので、あまり広く場所を占有できていない。ミンタがイライラした表情で、尻尾と両耳をパタパタさせている。夕方の赤みがかった日差しを浴びて、彼女の輪郭がキラキラと赤銅色に輝いた。

「警察も軍も自警団も、『素人の子供が何しに来た帰れ』の一点張りなのよね、この街」

 ミンタが手元の〔空中ディスプレー〕を操作し続けながら、文句を垂れている。


 そのそばでは、ペルが少しだけ諦め顔で立っている。彼女の場合は、夕暮れの闇に早くも溶け込み始めていて、徐々に存在感が薄くなってきている。

「実際、私たちは学生だし。だけど、ラグ先輩の持つ生命の精霊場の個人情報が、まだ学校に残っていたから何とかなるよ。私のシャドウに読み込ませて、捜索中だから」


 ムンキンもミンタと同じような渋い顔をしたままだ。彼の場合は柿色のウロコが夕日に反射して、かなり目立っている。

「僕とミンタさんの紙ゴーレムも飛ばしているけど、街が広すぎるし、人口も多すぎる。闇雲に探しても見つかりそうにないなあ。ラヤン先輩の式神はどうです? 何か反応ありましたか?」


 ラヤンもムンキンと同じく、夕日に赤橙色のウロコを反射させて紺色の目を半眼にしたまま動かない。

「法術で使う、〔治療〕用の個人情報の一部だけ使えるけど……こう人が多いと難しいわね。ジャディ君がいれば、上空から一気に調べることもできたんだろうけど、相変わらず使えない鳥よね。どこフラフラ飛んでるのよ、あのバカ」

 ペルが、とりあえずジャディを擁護するが、あまり説得力が感じられない。「それよりも」と公園の中をキョロキョロと見回す。

「レブン君の姿も見えないよね。まだ、こちらへ来ていないみたい。何かあったのかな」

 ムンキンが尻尾を1回だけ<バン>と石畳の公園の地面に叩きつけた。

「ハグのせいで術式が乱れたんだろ。そのうち来るさ」


 ここで、ミンタが空を仰いで軽く叫んだ。ストレスが限界に達したようだ。

「あーもーっ! 軍と警察の無線も、暗号を30秒ごとに変えるから、魔法でも〔解読〕できないじゃないのよっ」

 どうやら、無線の盗聴工作を先程からやっていたらしい。地団駄を踏んで悔しがっているミンタの肩に、ペルが両手を乗せて体重をかけた。

「ミ、ミンタちゃん……何をやってるのかと思えば。それって普通に犯罪だよ」


 ミンタがペルの体重を背負って、よちよち動きになる。それでも、尻尾は元気にブンブンと振られているが。

「まあ、それでも……警察や軍が緊急出動をしているのは確実ね。自警団には、まだ動きはない。テロが起きると真剣に考えていないようね。まったくもう……」


 ムンキンもミンタ同様に落ち着きがない。尻尾のリズムが変拍子になっている。

「テロを起こす前に、何とかラグ先輩を発見して抑えつけないといけない。それだったら、まだ投降する余地があるんだ。こんな時間帯にテロなんか起こしたら、大惨事になる。ラグ先輩も問答無用で射殺対象になるぞ」

 ラヤンが少し意外そうな顔でムンキンを見た。

「あんな自主退学した先輩なんか、私はどうなろうと関知しないけど。どうして、そこまで気にかけるのよ」

 そう言いながらも、ムンキンと共に『真っ先に』この街へ〔テレポート〕した張本人なのだが。


 ムンキンの濃藍色の瞳がギラリと輝く。

「ここはミンタさんの故郷だ。テロなんか起こされたら、僕の理性がどうなるか分からない」

「ギョッ」としているペルと、「有難迷惑」と言いたげに微笑んでいるミンタを横目で見たラヤンが「フン」と鼻を鳴らした。ついでに、尻尾を1回だけ石畳に叩きつける。公園に面してある小さなカフェに、その鼻先を向けた。

「理性がどうにかなっても、私がチャッチャと〔治療〕してあげるわよ。とりあえず探索結果待ちなんだし、そこのカフェにでも行って、お茶でも……あ」

 ラヤンの体が一瞬硬直した。竜族特有のコマ送りのような動きになって、ミンタたちに視線だけ向ける。

「何かきた! 〔防御障壁〕を全力で張りなさい!」


 その1秒後。真っ赤な炎を従えた爆風が、通りの向こうから高速で襲い掛かってきた。

 衝撃波が幾重にも発生していて、通りに面している3階建ての赤レンガ造りの建物が粉砕され、破片が大量に空中に舞い上がっていくのが見える。それが瞬く間にこちらへ向かってきていた。


 ラヤンの直前〔予知〕のおかげで、1秒間ほど余裕があったのが幸いした。ペルが対爆破用の〔防御障壁〕を、かなり広範囲に広げて展開することができた。それでも、〔防御障壁〕内に入れることができた通行人の数は、10人余りだったが。


 その次の瞬間。爆炎と衝撃波を伴った爆風が、容赦なくミンタたちに襲い掛かった。

 大量の瓦礫や破片が〔防御障壁〕にぶち当たって、その軌道を変えて飛び去っていく。炎の温度も600度程のようで、〔防御障壁〕が破られる事にはならなかった。

 しかし、黒煙と炎で視界が全く利かない。


 〔防御障壁〕の中では、何が起きたのか全く把握できていない通行人たちが腰を抜かしている。いくつかの買い物かごがひっくり返って、かごの中の卵や魚が路面に飛び出ていた。


「え……何が起きたの?」

 ミンタが〔防御障壁〕の中で、腰砕けになって公園の地面に座り込んだ。栗色の瞳が、これまで見た事もないほど曇っている。状況が把握できていない様子だ。

 ペルがすぐにミンタに抱きついて、周囲を観察し始めた。闇の精霊魔法を使っているおかげで、この視界ゼロの中でも、ある程度は状況把握できる。ペルの表情が、次第にこわばっていく。


 ラヤンは腰を抜かしてこそいないが、驚愕で目が丸く見開かれたままだ。ミンタと同じく、この事態に直面して、為す術もなく呆然としている。


 その隣では、ムンキンが怒りで全身のウロコを逆立てている。白い長袖シャツと紺色のベストの制服を、破く寸前にまで膨らませていた。

 その彼が喚きながら暴走し始めたが、レブンが危ういところで抑えつけた。レブンはあの爆炎を浴びたようで、制服のあちこちが焦げているが、ケガはしていない様子だ。

「ちょ、ちょっと落ち着け、ムンキン君っ」

 拙いながらも、覚えたての精神の精霊魔法を使って彼を落ち着かせる。レブンがムンキンを抱きしめながら、ペルに視線を向けた。彼もかなり動揺しているようで、深緑色の瞳がかなり濁っている。

「ペルさん……これって、〔爆裂〕魔術だよね」


 ペルが固い表情のままで、ミンタを抱きしめながら肯定した。薄墨色の瞳が、怒りで白く光り始めている。ミンタはまだ目の焦点が定まっていないような表情だ。呆然として声もなく震えている。

「……うん。ステルス機能のある何かを使って、姿を隠していたのね。私たちに向けて撃ってきてる。レブン君、もう容赦できないよ」


 爆炎がまだ荒れ狂う中でレブンとペルが同時に、攻撃が来た方向へ簡易杖を向けた……が、反応がない。

「くそ。もう逃げたか」

 レブンが悔しがる横でペルが両耳を数回パタパタさせ、鼻先を右斜め45度方向へ向ける。

 新たな爆音が地響きと共に、その方向から数回聞こえてくる。崩壊寸前の3階建ての建物越しに、黒煙が何本も上がっているのが見えた。


 爆音が起きるたびに、腕の中のミンタが≪ビクリ≫と震える。ペルが精神の精霊魔法をミンタにかけながら、ほとんど白くなった両目を黒煙に向けた。

「高速移動しながら、無差別攻撃してる。テロの実行者はラグ先輩だけに見えるけれど、絶対他にもいると思う」



 黒煙と炎が収まってきたので、〔防御障壁〕を解除する。熱風が吹き抜ける中、すぐに数名の武装した私服の狐族や竜族が駆け寄ってきた。ペルたちの警戒を解くために、彼らが身分証を提示して見せる。

「我々は、警察の捜査班だ。君たちを監視していたんだが、よく無事だったな。さすが魔法使いだ」

「民間人の保護に尽力してくれて感謝する。負傷はしていないようだが、救護所に案内しようかね?」


 ラヤンがジト目気味になって申し出を断った。

「私はラヤン・パスティ。法術専門の学生です。ここにいる人たちは全員無事ですよ。それより、私たちを監視する人員があったら、このテロ竜族を追いかける方へ回しなさいよ」

 しかし、それ以上は抗議するのを控えるラヤンだった。彼女もショックで足元がまだ定まっていない。


 すぐに、10名ほどの私服警官が物陰から現れた。ペルが展開した〔防御障壁〕のおかげで生き残った10人余りの通行人を、担架に乗せて去っていく。まだショック状態のようだが、ラヤンが〔沈静化〕の法術処置を施したおかげで、特に暴れたり混乱してはいない。大人しく担架に乗せられて運ばれていった。


 それ以外の通行人は、ほぼ全滅したようだ。爆炎と衝撃波のせいでバラバラになって燃えているので、瓦礫の山に紛れてしまい『人影』が見当たらない。お茶をしようと向かっていたカフェも、完全に破壊されて原型を留めておらず、瓦礫の山に埋もれていた。



 次第にミンタが正気に戻ってきた。呼吸が安定して、体の震えも収まっていく。ほっとするペルである。レブンが精神〔治療〕しているムンキンも回復し始めた。

 ラヤンが感心した様子でペルとレブンを見つめる。

「へえ。なかなかやるじゃない。その2人は、もう大丈夫よ。安心しなさい」

 法術専門クラスのラヤンに言われて、ようやく脱力したペルとレブンであった。半分ほど腰が抜けている。


 近くでは、私服警官の班長が無線で応援要請を送っている。

 その様子をペルたちが見守っていると、シャドウと紙ゴーレムからの映像通信が入ってきた。瞬時に、ペルたちの手元に〔空中ディスプレー〕が生じる。現地からの映像だ。


 そこに映っていたのは、ラグ先輩の姿だった。高温の攻撃魔法を連発したせいか、制服やマントのようなものが輻射熱で燃えて焼け焦げている。

 そのせいでステルス効果が失われたのだろう、姿がはっきりと画面に映し出されていた。ウロコもあちこちが魔法の輻射熱で焼けて変色しており、異様な姿になっている。


 彼は〔防御障壁〕を展開しているのだろう。十字砲火を浴びても、ガス弾や閃光弾が炸裂しても、対人ロケット弾の直撃を受けても、果ては〔マジックミサイル〕を食らっても平気のようだ。歩くスピードを緩めずに、無差別の〔爆裂〕魔術攻撃を放っている。


 その爆音と地響きが、ミンタたちがいる公園跡地まで《ビリビリ》と空気と地面を震わせて伝わってくる。火災により、有毒ガスもあちこちから発生しているようだ。〔防御障壁〕の警報に従って、ペルたちもラヤンの指示に沿って、空気〔浄化〕の精霊魔法やソーサラー魔術を起動する。

 私服警官たちは、その装備がないので、ラヤンたちに何か警告しながら撤退していった。ペルが呆れたような表情で肩をすくめる。

「『テロ現場への進入禁止』って……ここも、現場なんですけど」


 ムンキンが天に向かって吼えた。復活したようだ。

「うおおおおおおっ! ぶっ殺す!」

 案の定ブチ切れたので、すぐにラヤンとレブンの2人がかりで〔精神安定化〕の法術を再度処方する。それでも、なおグツグツと煮えたぎっている様子のムンキンに、ペルが白色の視線で見据えた。今まで見たこともないような冷たい色の光を帯びている。

「私たちがラグ先輩の前に現れたら、攻撃の的になるだけだよ。ミンタちゃんの街が余計に壊されるから、それは却下。盾役は警察や軍に任せて、私たちは、ここから遠隔攻撃で殺すことにしましょう」


 ムンキンが無言でうなずいた。何とか落ち着きを取り戻したようで1回だけ尻尾を瓦礫だらけの地面に叩きつける。

「了解だ。で、俺は何をすればいい」


 ペルがムンキンから少し顔を離して、〔空中ディスプレー〕画面を見せる。そこには警察と軍のホットライン回線がオンラインになっていた。大混乱状態であるようで、騒音や怒声が画面から伝わってくる。

「〔側溝攻撃〕の許可をもらって。ラグ先輩の〔防御障壁〕って、かなり高度な量子暗号を使っているのよ。普通に魔法で〔解読〕していたら、1時間はかかる。面倒だから、〔側溝攻撃〕で全部破壊しちゃおう。復号化された〔防御障壁〕は、私が闇の精霊魔法をぶつけて消し去るよ。そうすれば、軍や警察の通常武器も通用するようになるから」

 ムンキンがその画面を自分用の〔空中ディスプレー〕と連携させ、共有通信網に入った。

「よし、任せろ」


 ペルがラヤンにも指示を出す。

「ラヤン先輩は、私とミンタちゃんが攻撃魔法を準備するまでの時間稼ぎをして下さい。〔式神〕を送って、ラグ先輩に語りかけて『投降』の呼びかけや『武装解除』の説得をお願いします。そうする事で『私たちは一般人の立場』だと、警察や軍に主張します。私たちが率先してラグ先輩を殺しちゃ、私たちまで殺人の容疑がかかるので」

 ラヤンが紺色の瞳を閉じて、うなずいた。

「……分かったわ。ペル、アナタって怒ると『徹底的に』冷徹になるのね。悪くないわよ」


 そう言ってラヤンが早速、〔式神〕をラグの近くへ飛ばして音声通話の術式を起動させた。これで手元の〔空中ディスプレー〕画面を通じて、直接ラグと会話ができる。もちろんこれは法術ではなくソーサラー魔術の術式だ。まだ、黒煙や有毒ガスが漂っているので、軽く発声練習を行う。


 次いで、ペルがレブンに視線を向けた。レブンもペルの異様な迫力に気圧されている。

「レブン君は、アンデッドの管理をお願い。私のシャドウの指揮権を渡すね。テロ現場の生存者の発見と救出をお願い」

 レブンが深緑色の瞳を暗くして、うなずく。

「分かった。任せてくれ」


 最後にペルがミンタに顔を向けた。ペルが薄墨色に戻った瞳を緊張でこわばらせて、両耳の先をピクピクさせる。

「ミンタちゃん、私たちは、警察や軍がラグ先輩を仕留め損なった際に備えて、攻撃魔法を準備しよう。場合によっては、私、〔ロスト〕攻撃もするから」

 ミンタがようやく栗色の瞳をしっかりとペルに向けた。

「そうね……私の街を、こんなに破壊して無差別殺戮までしたんだから、相応の罰を受けてもらうわ」


 固いながらも口元を意図的に緩めてペルが微笑む。

「ミンタちゃんの実家と親戚の家は、無事だったよ。さっき、シャドウを飛ばして確認した」

 ミンタの瞳に光が戻った。同時に不敵な笑みも浮かんでくる。

「よかった……じゃあ、心置きなく成敗できるわね」




【ラグ・クンイット】

 ラヤンの紙製の〔式神〕が、ラグの顔の横に出現した。血走った眼を見開いたラグが、ハエを払うように〔火炎放射〕の魔術を〔式神〕に放つ。

 〔式神〕は燃えても燃えても次々に新しく発生してきて、ラグに語りかけてきた。

「ラグ・クンイット君。私は魔法学校の生徒代表のラヤン・パスティです。このような暴挙を直ちに中止して、投降しなさい。もしくは武装解除して地面に伏せなさい。アナタのしていることは、ただのテロ行為ですよ」

 ほとんど棒読みの呼びかけだったが、ラグを釣るには充分だったようだ。


 すぐに、ラグが血走った眼で顔の前に浮かんでいる〔式神〕を睨みつけた。この間にも軍と警察は、四方から絶え間なく銃撃を浴びせていて、ロケット弾も撃ち込んでいる。それらの直撃を受けて、ラグの全身が爆炎に包まれていた。

 しかし、〔防御障壁〕のおかげで全くの無傷だ。足取りを遅らせることすらできていない。神経毒ガス弾の煙が、瓦礫の山と化した商店街を覆っているが、彼の視界を遮る効果も出していない。

「やかましい! 俺の故郷が滅んだのは、この街を守るために軍や警察が集中配置されたせいだ。この街さえなければ、俺の町は、軍や警察の応援を呼ぶことができたんだ」


「いや、そんなことにはならないぞ」

 空気を読まない返しが、ラグを取り囲んでいる警察や軍の中から拡声器を使って伝えられた。とは言え、距離は優に1キロ以上も離れているのだが。

 ちなみに先程から射撃やロケット砲を撃ち込んでいるのは、警察や軍が所有する軍事用のアンドロイドやゴーレムである。山のような瓦礫だらけなので、戦闘車両は突入できずにいた。十字砲火とロケット弾の集中攻撃で、瓦礫が現在進行形で大量生産されている。


(これ以上、火に油を注いでどうすんのよ)

 ラヤンが呆れた顔になったが……すぐに気をとり直して、ディスプレー越しに語りかけを再開する。

「私も竜族ですよ。故郷には、軍や警察は応援に来ませんでしたが、何とか防衛することができました。アナタの故郷は残念な事になりましたが、親類がまだどこかの町に残っているはずです。復興はできますよ。アナタが暴れるほど、復興への道が細く困難になることを自覚しなさい」

「そうだぞ、投降しなさい!」

 とか何とか、拡声器を使って軍と警察からも呼びかけが始まった。


 ラグが血走った両目から大粒の涙をこぼしながら、〔式神〕に食ってかかる。彼のそばの2階建ての店が、ロケット弾の命中と、十字砲火の流れ弾を大量に食らって、轟音と共に崩壊していく。

「俺はバントゥ党員だった。奴の家が失脚したせいで、政府の要職へ就ける可能性は消えうせたんだ。このまま生き延びても、どこか田舎町の閑職行きだ。俺にはもう、未来なんてものは無いんだよ!」


(うわあ……ぶん殴りてえ)

 ラヤンが喉元まで来た言葉を、強引に飲み込んだ。努めて穏やかな声で語り続ける。

「いいえ。アナタが今ここで暴れることを中止すれば、アナタの支族にも何らかの政府支援が出るでしょう。アナタがここで破滅すると、それも水の泡に帰する恐れがあるのですよ」

「支族が泣いているぞ! 復興支援を妨げているのは君だ。暴れるほど、政府支援の優先順位が下がっていく事くらい分かるだろうっ」

 とか何とか拡声器で叫んでいる警察と軍は、今は放置することにしたラヤンだ。というか、うるさい。


 ラグもそんなことは知っているようで、凶悪な笑みを浮かべて天を仰いで叫んだ。

「そんな可能性はない! 俺の故郷はもう滅んだんだ。ならば、できることはただ1つ。この街を徹底的に破壊して、支族の無念を晴らすことだけだ!」

 《ズシン!》

 ラグの体が衝撃を受けて震えた。服に1つ穴が開いていて、腹部から鮮血が噴きだす。


「な? なぜ銃弾が俺の体に当たる?」

 慌てたラグが両手をばたつかせて、そして愕然となった。慌てた拍子で、魔法の手袋が外れて地面に落ちる。ラグのトカゲ手が現れたのだが、ラヤンがそれを見て怪訝な表情になった。

「ん? 左手の親指が切り取られて無くなってるわね。〔復活〕用にどこかへ保管しているのか。でも、残念ね。アナタの生体情報は、全てのサーバーから削除されてるわよ。どうやっても〔復活〕はできない。最後の機会ですよ、ラグ先輩。投降しなさい」


 しかし、ラヤンの最後の説得もラグの耳には届かなかったようだ。自身の胴体に開いた大穴をまじまじと凝視して、両手を震わせている。

「ま、マジかよ。俺の〔防御障壁〕が全部消え去って……」

 次の瞬間。ラグの体が蜂の巣になった。全身に銃弾を浴びて鮮血を噴き出す。たまらずに、近くの瓦礫の山の陰に逃げるが……その瓦礫の山にロケット弾が着弾爆発して、爆炎と共に吹き飛ばされた。

 血だらけのラグが土煙の中から走り出て、つまずいて転ぶ。


「わあああっ」という歓声が拡声器を通じて、軍と警察から聞こえてくる。ラヤンが〔空中ディスプレー〕画面を遠ざけて、〔式神〕に帰還命令を出した。

「本当にやっちゃったのね。〔防御障壁〕の全解除かあ」


 ムンキンが手元に表示させている〔空中ディスプレー〕画面には、ホットラインでつながっている軍と警察の現地指揮官の顔が映っていた。共に狐族の彼らも驚きながら歓喜している。ムンキンに称賛の言葉をかけているのだが、当のムンキンはまだ渋い顔をしたままだ。

「〔側溝攻撃〕はできたけど、ソーサラー魔術の〔回復〕魔術までは阻害できなかったか」


 ラグは今も毎秒10発もの銃弾を浴び続け、ロケット弾の直撃を受けて爆発して燃え上がっている……のだが、しっかりと瓦礫で覆われた地面に立っている。

 ムンキンが指摘した通り、ソーサラー魔術の〔回復〕魔術をフル稼働させていた。そのおかげで、ロケット弾の直撃を受けても、体が四散することがない。


 組織の〔強制結合〕という魔術のおかげだ。爆破で発生した、体組織を四方八方へ吹き飛ばす力のベクトルを、魔術で円形や螺旋ループに強制的に〔変換〕する。これにより、爆散するはずの体組織は、その場に留まる。

 ……のであるが、爆破で生じた力は体内を駆け回り続ける。その、骨や内臓を粉砕するような、言語に絶する激痛に耐えることを要求される魔術である。

 同時に、損傷した体組織を〔修復〕するソーサラー魔術も並行して使っている。法術ほど強力ではないのだが、即死を逃れる役には立っているようだ。


 今や、衣服は全てちぎれ飛び、燃え尽きてしまっていた。ミンチを無理やりに竜族の姿に固めたような姿に成り果てている。顔もミンチの塊で、何かの粘土細工のようだ。ウロコの破片や肉片が足元に散乱している。


 それでも、なおも仁王立ちを続けるラグに感心するムンキン。画面を見て唸っている。

「いくらなんでも、耐え過ぎだ。まだ何か奥の手を隠しているのか?」

 ペルが薄墨色の瞳を暗くした。

「もう動けないし、反撃もできない状況だと、考えられるのは自爆しかないかな……」


 レブンが手元の〔空中ディスプレー〕画面を見ながら、共有回線で報告した。

「要救助者の救助を終了。テロ実行犯からの半径300メートル圏内の無人化を確認」

 そして、ペルに告げる。

「ペルさん。借りていたシャドウを返すよ」

 ペルが機械的にうなずいた。

「ありがとう、レブン君」

 そのまま、ミンタに報告する。

「私のシャドウの配置を完了。ミンタちゃん、準備できたよ」


 ミンタもペルと同じ画面を見ながら、栗色の瞳を閉じて答えた。

「広域の〔爆裂〕魔法の術式を、遅延発動させているわね。カウントダウン中よ、今。もう、暗号化する余裕もないから術式が丸見え。これはペルちゃんの言う通り、自爆するつもりね」

「ふう……」と一息ついて、ペルがそっとミンタに寄り添う。

「もう、楽にしてあげようよ。本気で、この街を吹き飛ばすつもりだよ、彼」


 ミンタが目を開けた。

「分かってるわ」

 そう言って、ミンタが紙ゴーレムに命令を下した。狐型のゴーレムが、仁王立ちしているラグの足元に降り立つ。同時にペルの子狐型シャドウも、ひっそりと隣に寄り添った。

「起動」

 ミンタが一言告げる。紙ゴーレムが紙吹雪に〔分解〕されて、ラグの足元から舞い上がった。


 それだけの事だったのだが、ラグの腰から下と、右半身の全てが消え去った。ちょうど紙吹雪に触れた場所だ。

 カウントダウン中だった広域の〔爆裂〕魔法の術式も、露のように儚く消えた。〔回復〕魔術の術式も、同じく霧散していく。

 瓦礫で覆われた地面に、ミンチの塊状態のラグの体の残り部分が「ボトリ」と落下した。


 ムンキンが画面を凝視しながらつぶやく。

「〔エネルギードレイン〕か……アンデッド以外の敵に使うと、こうなるんだな。ジャディの時は、あっという間だったからよく分からなかった」

 ラヤンもほとんど絶句して見ている。

「高位アンデッドが使う魔法でしょ、これ。ミンタ、魔神にでもなる気?」


 ミンタの表情が落胆したようなものになった。口元と鼻先の細いヒゲ群が、両耳と一緒に張りを失って垂れる。

「うう……完全消滅はできなかったか。〔ロスト〕は失敗ね。ペルちゃん、ごめん。残りを消してあげて」

 ペルが薄墨色の瞳を少し潤ませてうなずいた。

「うん……分かった」

 子狐型のシャドウがふわりと浮かび上がった。それと同時に、声にならない絶叫を放っているラグのミンチ状の左上半身が〔闇玉〕に包まれて、そのまま〔消去〕された。


 ラヤンが手元の〔空中ディスプレー〕画面を消去して、ミンタたちに振り返る。ムンキンの画面からは、警察と軍とが大喜びして騒いでいる映像と音声が流れている。それもムンキンに消去させた。

「では、お別れを言いに向かうわよ。画面越しにサヨナラなんて、私が許さないからね」



 15分ほど瓦礫の山の中を歩いてラグが亡くなった現場へ到着すると、もう死体は警察が回収して死体袋へ詰め終わった後だった。車両が進入できないほどの瓦礫の山なので、警察のゴーレムが肩に担いで運び去っていく。その死体袋には、ほとんど何も入っていないようで平べったい。ウロコがこすれ合うカサカサという乾いた音だけがかすかにしている。


 その袋を見送りながら、黙祷するミンタたち4人。落胆しているミンタとムンキン、それとペルに、ラヤンが瞳を向ける。

「ウロコ数枚だけでも残ったわね。あれなら墓地に埋葬できるわ。バントゥなんか蒸発してしまったから、墓地へ納める物が何もないのよ。後日、墓へお参りに行きましょう」


 早速、警察の現場検証班が到着して仕事を始めたので、追い出されるミンタたちであった。

 警戒線の外まで追い出されてしまい、さすがに不満を口にしている。そこへ軍の将校が1人のセマンの男を連れてやって来た。

「やあ、学生の皆さん。今回はご協力ありがとう。〔防御障壁〕の解除をしてくれたおかげで、我々の攻撃が通用するようになったよ。勢い余って、ほとんど原型を残さないほど破壊してしまったけれど、仕方がない。これだけの破壊行動をしたテロ実行犯だからね」


 将校の自慢めいた話しぶりを聞きながら、互いに目配せをするミンタたち。〔エネルギードレイン〕や〔闇玉〕攻撃のことは認識できていない様子である。まあ、説明するのも面倒なので、そのまま聞き入ることにする。


「ラグ以外のテロ実行犯は10名まで逮捕もしくは射殺したよ。残党の数名は逃走中だけど、軍の内偵が追跡していたから、逃げられないさ。だけど1つだけ問題が残っていてね。エルフ製の爆弾も仕掛けられていたけど、これの解体を頼みたいんだが……いいかな? 時限装置と信管は解除してあるから、爆弾本体の破壊をね」

 すぐにミンタとムンキン、ペルが了解した。


 将校と一緒に現場へ向かおうとした時、同行していたセマンの男が口を挟んできた。

 背格好はティンギ先生とほぼ同じだが、服装のセンスはこちらの方がかなり上だ。かなり高級そうな仕立てをした作業服姿で、ポケットがあちこちについている。

 やはりパイプをふかしているが、かなり高級そうな銀の装飾が施されているパイプだ。そのパイプを口から離して、紫煙を一筋、口から吐き出した。

 くすんだ黒い深緋色で毛先が丸い長髪をしており、墨色の目が、ちょびヒゲと共に存在感を主張している。大きくて平たい耳と、同じく大きなワシ鼻も、セマンの特徴を雄弁に物語っている。

「ちょっといいかな? 1つ質問したいことがあるのだが」


 立ち止まった軍の将校が、今になって思いだしたようだ。照れ隠しを浮かべながら、ミンタたちに紹介する。

「これは失敬。彼はセマンの商人でね。今回のテロ計画の情報を、君たちの通報があった後で、別口で垂れ込んでくれたんだ。後で、我が軍からきちんと報奨金を支払う約束だよ。ミンタさんたちは残念ながら学生なので、感謝状しか渡せないけれどね。質問は手短に頼むよ。我々はまだ爆弾の処理が残っているからね」

 ペルがややジト目になりながら、将校を見ている。(口が軽い人だなあ……)とでも思っているようだ。


 そのセマンがミンタに質問してきた。墨色の目がギラリと鋭く輝く。

「では、1つだけ。君たちが通報したそうだけど、どこから情報を得たんだい?」


 ミンタたちが顔を見合わせたが、特に隠す必要もないと合意したようだ。ありのままに、「死者の世界で働いているセマンから得た」と話す。

「なるほどね」と深く何度もうなずくセマンの男。毛先が丸まった深緋色の長い髪が、顔の動きに合わせて跳ねている。

「そんな情報ルートもあるのか。勉強になったよ、ありがとう。私の質問はこれだけだよ」

「よし、では行こう! セマンの商人、後で軍本部へ来てくれ。報奨金を出すから」


 将校がミンタの手を引いて駆けだす。もちろん、ここにいる狐族と竜族は全員、魔法の手袋をしている。強く引っ張ると抜けてしまう手袋なので、ちょっと慌てるミンタだ。

「ちょ、ちょっと。そんなに急がなくても大丈夫ですよ、将校さんっ」

 一緒に走っているムンキンが、ペルを見てニヤリとする。

「ペルさんに合わせて走らないと、現場に着く頃には息が上がって使い物になりませんよ」

 その通りなので、「うう」と涙目になるペル。

 レブンが走りながら手を挙げた。

「じゃあ、僕は故郷の町へ行ってくるよ。ミンタさん、気をしっかり持ってね」

 ミンタが走りながらレブンに力強くうなずいた。その顔を見て微笑んだレブンが〔テレポート〕して姿を消す。


 ムンキンが少し呆れた表情になって見送る。

「忙しい奴だな。少しくらい休んでいけばいいだろ」

 ペルが全力で走りながら、両手をパタパタ振った。

「レブン君らしいよ。真面目すぎるのがちょっと……だけど」


 ふと振り返ると、もうセマンの商人は姿を消していた。「忙しい人なんだな……」とペルが首をかしげていると、ラヤンがペルに声をかけてきた。

「ペル。上空に何かいる」

 ラヤンの緊張した声に、思わずペルも上を見上げる。


 そこには、ドラゴンの姿をした透明な物体が〔浮遊〕していた。ペルも小さく悲鳴を上げて、尻尾の毛を全て逆立てる。

「ド、ドラゴンのゴーストだ……でも、どうしてここに?」


 ようやくミンタとムンキンもペルの異変に気がついて上空を見上げ、同じような反応をした。将校には見えていない様子で、上空を見上げてキョロキョロしている。

 街には、今は外出禁止令が出ているので、外には誰もいない。車も通っておらず、その代わりに路肩に駐車して運転手がどこかへ避難していた。

「ご、ごーすと? かね? どこだ?」


 まだ魔力の弱いゴーストのようだな……と合意に達するミンタたち。ムンキンが杖をゴーストに向けて、無造作に光の精霊魔法を撃ち込んだ。それだけで、あっけなく爆発して消滅する。

 さすがに、このいきなりの爆発に腰を抜かしそうになって驚いている将校だ。ミンタが笑いを抑えながら、将校の手を引っ張った。

「退治しましたから、もう安全ですよ。さ、爆弾の処理をしに行きましょう」


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