61話
【運動場の戦い】
寄宿舎上空で爆発音が連続して発生した。
衝撃波も加わって、爆音と爆風が前庭に襲い掛かる。これは、〔防御障壁〕のおかげで防ぐ事ができたようだ。ほっとしているラヤンとスンティカン級長の横顔が見える。
ミンタとムンキンが爆発が起きた上空で、魔法場に死霊術場が混じってきたのを〔察知〕した。治療施術中のラヤンも〔察知〕して上空を睨んでいる。
シャドウはステルス性能が高いので、なかなか〔探知〕できない。魔法適性の低いミンタやムンキン、それにラヤンでは、戦闘行動中のシャドウの姿はとらえきれない。
現状の魔力では魔法場を感じるだけで、シャドウの存在と、いる方角が不正確ながら分かる程度だ。
すぐにペルとレブンがポケットから〔結界ビン〕を取り出して、フタを開け、杖を取り出した。さらにもう1つの〔結界ビン〕のフタを開ける。一気にロビーの気温が下がり、暗くなったので、ミンタとムンキンもシャドウが放たれたことを直観した。
シャドウはすぐにロビーを出て外へ飛び出していったようだ。気温や明るさがすぐに元に戻っていく。
上空がさらに激しく爆発し始めた。しかし、シャドウが見えないので、爆発や真っ黒い〔闇玉〕が次々に発生するという『結果』だけが観察できる。
ともあれ、2人のシャドウの活躍のおかげで、この寄宿舎の〔防御障壁〕は破壊されずに済んでいると確信するミンタ。マルマー先生の護衛には、レブンのアンコウ型シャドウから放たれた〔オプション玉〕が向かっていると報告を受ける。
サムカ熊の情報がようやくまとまってきたので、それを手元の〔空中ディスプレー〕画面で確認しているミンタとムンキン。その視界の隅に、また何かが〔テレポート〕されてきた。
ソーサラー魔術のバワンメラ先生と、ドワーフのマライタ先生の生首と、バラバラに斬られた胴体、手足に大量の血液とちぎれた内臓や骨片であった。やはり前庭に「どさどさ」と落下して、血の池ができていく。
ラヤンたちが、「またかよ」と文句を言いながらも手早く回収していく。すぐに新たな魔法陣を呼び出し、その上に回収物を投げ入れながら、死者〔復活〕の法術式を走らせた。
ムンキンが半ば感心した表情になって、その作業を見守っている。
「テシュブ熊先生ってすげえな。熊のくせに強すぎるだろ。ナウアケよりも強いんじゃないか」
ミンタが肩をすくめながら、同意する。
「……そうかもね。ちなみに、あの熊の爪は、『大地の妖精』からの贈り物みたいね。今はパリーからの〔干渉〕で、威力が相当に抑えられているってカカクトゥア先生からの情報。本来なら、分子状態にまで粉砕されてしまうらしいわね。『肉塊止まり』になってること自体がラッキーみたい」
そんな話をしている間に、ウィザード魔法幻導術のプレシデ先生、招造術のナジス先生の生首と切り刻まれたバラバラ胴体が〔テレポート〕されてきた。
ミンタがムンキンと作戦を立案して、それを生徒たち全員に送って〔共有〕させながら両耳をパタパタさせた。ちょっと興奮しているようだ。
「かなり即席な作戦だけど、これでいいよね。もたもたしていたら、先生たち全員が斬り殺されて、バラバラになってしまうわ」
運動場ではサムカ熊が仁王立ちしていて、それにエルフ先生とノーム先生、それにタンカップ先生が肩で息をしながら対峙していた。ティンギ先生は後方にいて、〔運〕の支援を続けている。なぜか撮影もしているようだが。
核爆発の膨大な熱はドワーフ製の保安警備システムによって回収されて、気温は常温に戻っていた。大量の放射線も出たはずなのだが、どういう仕組みなのか、それも全て回収されて平常値に戻っている。
その直後にサムカ熊の闇魔法によってシステムの一部が破壊されてしまったが。熊のぬいぐるみとはいえ、かなり賢いようだ。今は運動場を取り囲む〔防御障壁〕も消失してしまっている。
その〔防御障壁〕魔法の発生源だった東西校舎は、サムカ熊からの攻撃を受けて外壁が全て崩落していた。
廊下側通路は、1階も2階も全て破壊されてなくなっている。教室の壁も穴だらけになっていて、吹き飛ばされて山積みになっている机やイスが運動場からでも見える。
さらに、魔力サーバーがある地下もむき出しになっていて、瓦礫の山に押し潰されていた。校舎の鉄骨も相当に破壊されているようで、柱が砕ける音が断続的にしている。一言でいえば、倒壊一歩手前だ。それは、教員宿舎も同様だった。
運動場には、ライフル杖で使用された錠剤型の魔力カプセルが散乱している。核爆発の高熱で地面が溶けて溶岩状やガラス状になっているが、今はそれを気にする余裕はない。
その高熱の運動場の上に立つサムカ熊がほとんど無傷なので、これまでの攻撃の効果はなかったようだ。
「熊のぬいぐるみのくせに強すぎ。これだけ魔法で集中攻撃したのに、毛糸の先が少し焦げたり溶けただけって……でたらめすぎるわね。ナウアケのボディだったら、とっくに2、3人分は破壊できているんだけど」
エルフ先生が空色の瞳をジト目気味にしながら、サムカ熊に向かい合ってライフル杖を構えている。
サムカ熊の体から次々に生まれて襲い掛かって来るシャドウを、エルフ先生と一緒になってライフル杖を使った迎撃魔法で消滅させながら、ノーム先生も不敵な笑みを浮かべた。
普通のノームにはシャドウは見えないのだが、さすがにこれまでの騒動を生き延びてきたラワット先生だ。しっかり見えている。
「テシュブ先生が教えてくれた口の中の弱点も、なかなか見せてくれませんなあ。カカクトゥア先生、そろそろ僕の杖も限界だ」
タンカップ先生もいつものタンクトップの半ズボン姿、汚れた運動靴で、大きく肩で息をしている。
彼もサムカ熊から発生して来るシャドウの群れを次々に魔法で撃ち滅ぼしていたが、さすがに息が上がってきたようだ。脂ぎった小麦色の顔や腕や足が、さらに脂ぎってテカテカ光っている。もちろん大汗もかいているので、タンクトップや半ズボンもずぶ濡れだ。
やや癖のある黒柿色の髪も、汗でべったりと顔に貼りついているが……鉄黒色の瞳の力強い輝きは全く衰えていない。むしろ、暑苦しさが数割増しになった分だけ、迫力が増している。
「熊の魔力残量は、確実に下がっている。地面からの魔力補給は絶たれているからな。ここは根性だ」
エルフ先生がシャドウをまた1体撃ち滅ぼして、すぐに同意する。
「そうね。パリーもいることだし、勝機はありそう」
しかし、ノーム先生は少し悲観的な表情だ。口ヒゲに手を寄せかけるが、思いとどまってそのままライフル杖を握る。彼の場合、シャドウを滅ぼすのには2発以上撃ち込まないといけないらしい。
「すでに大地からの魔力供給は、パリー氏の魔法で遮断されている。しかし、あの熊さんの爪は『大地の妖精』からの贈り物だ。あまり期待をしない方が良いだろうな。いざとなれば、あの爪を地面に突き立てるだけで、魔力補給ができてしまう可能性がある。『森の妖精』よりも『大地の妖精』の方が、大地の精霊魔法については専門家だからね」
タンカップ先生が不敵な笑みを浮かべた。汗の玉を顔を振って弾き落とす。彼はさすがに力場術の先生だけあって、シャドウ相手でもノーム先生と同等の戦力を持っているようだ。
「まあ結局は、やっつけるしかねえだろ。まったく、面倒なアンデッドだぜ」
と、言ったばかりのタンカップ先生とラワット先生の足元の地面が、〔闇玉〕に飲み込まれて〔消滅〕した。直径1メートルほどの球状の穴があいて、慌てて飛びのく2人の先生。
それを見たエルフ先生が、ティンギ先生に視線だけ送って礼を述べる。
「ティンギ先生、ありがとうございます。さすがセマンの〔予知〕魔法ですね」
ティンギ先生がサムカ熊からの〔闇玉〕の連射攻撃を踊るように避けながら、左手を振った。
右手には小型のハンディカメラを持っていて、手ぶれを極力抑えて撮影を続けている。そのため、ティンギ先生の全身が激しく踊っているのに、右手のカメラだけが異様に動かない。これも根性の一種だろうか。
「〔運〕を付与しただけだよ。人数が減ったから、〔運〕の割り振りも増えてる。致命傷はこれで避けることができるだろう」
要は、『今までは余計な連中が多くいたけれど、これで適正人数になった』と言っているようなものだ。
「それに、サムカ熊先生のシャドウは、私が生徒向けに頼んだモノだ。本来の戦闘力じゃないよ」
その点も悔しいが同意せざるを得ない。
少し不満そうな表情になる3人の先生であるが、今は戦闘中なので黙っていることにする。
しかし、確かに今になって、サムカ熊が放つ〔闇玉〕や爪の攻撃が当たらなくなってきたことを実感する。
法術などの〔治療〕魔法では、傷の治療に時間がかかる。少なくとも戦闘中に、負傷してすぐに回復、復帰することは難しい。格闘戦の前にかける〔瞬間治療〕魔法は、負傷する部位が特定されていて、なおかつ負傷する時もある程度分かっていないと効果が出ない。不意に撃たれたりした場合には、この魔法は起動しないのだ。
もちろん、パリーのような妖精やマルマー先生よりも高位の神官であれば、瞬時に〔治療〕を終えることもできる。しかし、あいにくだが、この辺境の学校にはそんな有能な人材が来るわけもない。サムカの歯科治療をしたようなエルフ医師は、帝国の首都にしかいないように。
そういう意味で、攻撃を〔運〕で回避できるということに、少し興味を惹かれる3人の先生である。もちろん、そんなことは口に出すこともないが。
(エルフも秘密主義だとかよく言われているけど、セマンの方が上よね。さて、パリーがここに来ているわけだけど……)
パリーの姿を森の中に見つけて、魔力支援を受けようか思案するエルフ先生。しかし、パリーがヘラヘラ笑って、この騒ぎを楽しんでいるようなので思いとどまった。余計に校舎を破壊することになってしまいそうだ。
せっかく、先生たちが頑張って魔力サーバーや警戒システムを復旧更新したのに、それをパリーの暴走で再び灰燼にされてはかなわない。今回はぬいぐるみとはいえ、敵がアンデッドなのでパリーも容赦ないだろう。
「せ、先生方! 僕たち2人も加勢しますよっ」
崩壊した校舎の陰から、バントゥとチューバの2人が制服姿のままで運動場へ飛び出してきた。
「ギョッ」とするエルフ先生とノーム先生、それにタンカップ先生。ティンギ先生は、ヘラヘラ笑っている。
「ティ、ティンギ先生! また性懲りもなく生徒を呼び出したのですかっ。シャドウが相手なのですよ!」
エルフ先生が、烈火のように怒った。容赦なく〔闇玉〕を撃ってくるサムカ熊に対峙していないといけないので、顔や杖を向けることはできないが。
ノーム先生とタンカップ先生も同じような顔になって、サムカ熊からの〔闇玉〕攻撃を回避している。
「ティンギ先生、これはいくら何でも非常識すぎますぞ」
「バカか、貴様は! 俺様へ付与するべき〔運〕が減るだろうがっ」
ティンギ先生は白々しくとぼけて撮影を続けている。器用にサムカ熊からの〔闇玉〕の連射攻撃を避けているのはさすがだ。
「は? 何のことですかな? 私にはさっぱり理解できませんが」
議論も抗議も無意味だとすぐに悟ったエルフ先生が、視線と杖の先をサムカ熊に向けたまま、声だけを無謀な生徒2人に向けた。
「来てはいけません! 大至急、寄宿舎の中へ戻りなさいっ。あなたたちの魔力では、このクソ熊には傷一つつけることはできませんよ。無駄に殺されるだけです」
ノーム先生もライフル杖でシャドウの群れを撃ち滅ぼしながら、エルフ先生の警告に賛同する。
「左様。君たちでは無理だ。無駄死にして、マルマー先生を怒らせるだけだよ。寄宿舎へ帰りなさい」
タンカップ先生も〔光線〕魔法でシャドウを穴だらけにして撃退しながら、野太い声で吼えた。彼だけは、バントゥたちに視線を向けている。バントゥは幻導術の専門なので『同じウィザード魔法の生徒』という意識があるのだろう。
「そもそも、貴様らの魔法では大した攻撃力は期待できないだろうが。さっさと戻れ、このバカどもめ」
しかし、バントゥとチューバは全く引かない。さすがに、先生たちがいる場所へ来ることはしていないが、運動場に入って仁王立ちをして、簡易杖の先をサムカ熊に向けている。
かなり機能しなくなったとはいえ、まだドワーフ製の保安警備システムによる〔防御障壁〕は生きている。校舎からでは、バントゥたちが攻撃魔法を放っても運動場を包む〔防御障壁〕に弾かれてしまうのだ。
一方で運動場にいるサムカ熊が校舎に向けて攻撃魔法を放った際も、実はこの運動場を包む〔防御障壁〕によって遮られて、その威力が減衰されている。それでもサムカ熊の魔力が強すぎて〔防御障壁〕を貫通してしまうために、校舎が破壊されているが。
〔防御障壁〕が機能している以上、確実にサムカ熊に攻撃を届かせるためには、運動場へ入って、〔防御障壁〕の内部へ進む必要があった。先生たちが遠距離攻撃をせずに、今もサムカ熊と至近距離となる運動場で向かい合っている理由も同じである。ティンギ先生だけは、スリルを求めるためだけに運動場内に入り込んでいるが。
そのティンギ先生がサムカ熊からの攻撃をヒラリヒラリと華麗に回避しながら、口を尖らせた。
「まったく……保安警備システムが高度になると色々と面倒になるよねえ。これじゃ、命に関わる危険が増すだけだよ。後でマライタ先生に文句を言っておくか。少なくとも、〔テレポート〕攻撃くらいは許可して欲しいものだよね」
ティンギ先生が他人事のように気楽な口調で撮影しながら、独り言を大きな声で言う。しかし、口調がかなり白々しい。ほとんど棒読みだ。
危険が大きくなるほど魔神からの加護が増える、占道術ならではの物言いである。
そのセリフで、察するエルフ先生とノーム先生であった。真意は逆なのだろう。実際、ティンギ先生の表情は実に楽しそうだ。
「まったく、ティンギ先生。あなたって人はっ」
エルフ先生がサムカ熊の両手振り回し攻撃を華麗に回避しつつ、ライフル杖でカウンター攻撃の光の精霊魔法を腹に撃ち込んで文句を言う。長さ30センチに達するサムカの爪を数センチの見切りで回避している。同時に、時間差で襲い掛かって来る〔闇玉〕の群れも回避した。
「バントゥ君、チューバ君。こんなギャンブル好きの先生に付き合う必要はありませんよ。すぐに寄宿舎へ戻りなさい」
しかしなおも、この2人は仁王立ちを続けたままだ。
かなり膝が震えているようだが、ソーサラー魔術のレーザー光線を放った。〔ロックオン〕しているので、サムカ熊に命中する。しかし、全く効果は出ていない。それでも、必死な形相でレーザー光線を撃ち続ける2人である。
バントゥが今度は〔火炎放射〕の魔術を放ちながら叫ぶ。
「この学校は、多民族共栄の理念の象徴なんです。これ以上、壊すことは許しません!」
チューバは完全に魚頭に戻っているが、彼も全力で攻撃魔術を放ち続けている。
「その通り! 僕たちを裏切った生徒や先生はどうでもいい。死ねばいい。だけど、この学校だけは守る」
エルフ先生とノーム先生がサムカ熊の爪と〔闇玉〕乱射の攻撃を回避して、同時にカウンターで撃つ。激しい爆発がサムカ熊の腹部に起きて、5メートルほど吹き飛んだ。
その爆風を〔防御障壁〕で受け流したエルフ先生が、厳しい視線をバントゥとチューバに向ける。
「そんな理念だけで、具体的な作戦も立てないなんて、どうかしていますよ! 命令です。寄宿舎に戻りなさいっ。邪魔になるだけです」
ラワット先生も爆風を〔防御障壁〕で防ぎながら、小豆色の瞳を鋭く光らせる。
「左様! 我々の邪魔にしかならないよ。さっさと、寄宿舎へ……」
ノーム先生の警告を遮って、タンカップ先生の大声の怒声が運動場に轟いた。彼も15発の〔マジックミサイル〕と6発の曲がる〔ビーム光線〕をサムカ熊に放ち、爆炎で包み込んでいく。
「バカ者が! 政治ごっこなどする暇があるなら、もっと魔法の勉強をしろっ。ガキのくせに生意気を言うなっ」
意識がバントゥに向いてしまったせいで、サムカ熊の〔闇玉〕が右足をかすってしまった。「うぐ……」とだけ呻いたタンカップ先生だが、すぐに傷口を焼いて応急措置をする。
そんな先生の言葉だったが、バントゥたちには届かなかったようだ。赤褐色の大きな瞳を敵意に染めて、歯を剥き出して叫ぶ。
「ガキじゃない! 僕の両肩には、ペルヘンティアン家の再興と名誉回復がかかっているんだ。宰相側についている分家に引き取られた僕の気持ちが、君たちに分かるものかっ。本家再興のためなら、宰相も帝国皇帝も敵にまわす覚悟はあるん……ぎゃああっ」
サムカ熊が放った〔闇玉〕が数発、バントゥとチューバの体を貫いた。腹と胸、足に穴が開いて、鮮血が噴き出す。それでも、なおもサムカ熊に攻撃魔法を繰り出す2人。もはや、その顔には狂気すら宿っていた。
エルフ先生がサムカ熊に光の精霊魔法を撃ち込みながら、ため息をついた。
「仕方がありませんね。殺します」
サムカ熊の3本爪をかわして、身をひるがえしたエルフ先生が、流れるような動きでライフル杖の先をチューバに向ける。彼はバントゥよりも重傷で、もう立っているのもやっとの状態だ。そのままエルフ先生が、〔レーザー〕攻撃を放った。
次の瞬間。チューバの体が10個ほどの肉片になった。そのまま、〔テレポート〕されて消滅する。
「チ、チューバ君? カ、カカクトゥアああああっ。こ、殺したなああああっ」
バントゥが発狂状態になり、初めて見せるような鬼気迫る顔でエルフ先生に杖を向ける。そのバントゥの体が縦横に切断された。タンカップ先生が杖を向けているのが、バントゥの目に映る。
(タ、タンカップ。君もかあああっ。許さん、許さんぞおおっ)
もはや肺も気管も数個に分断されてしまっているので声は出せないが、〔念話〕で断末魔の怨嗟を吐き散らすバントゥであった。
(君ら全員、許さんからなあああっ。絶対に殺してや……)
「さっさと死になさい。邪魔だよ。そして、さっさと〔復活〕してきなさい」
ノーム先生が杖を向けて、〔テレポート〕した。サムカ熊の〔闇玉〕攻撃を避けて、ライフル杖の先を再びサムカ熊に向ける。
「こうでもしないと、寄宿舎へ飛ばしてもすぐに戻ってきてしまうだろうからね。あれだけ細断すれば、法術といえども〔復活〕に時間がかかるだろう。ついでに記憶も少し無くしてくれれば助かる」
エルフ先生も再びサムカ熊を撃ちながら賛同する。
「そうですね。ティンギ先生。もう、こんな邪魔はしないで下さいよ」
タンカップ先生も〔光線〕魔法を何本もサムカ熊に撃ち込みながら同調した。
「そうだぞ、糞ティンギ。おかげで、生徒から嫌われてしまったじゃないか。生徒からの教師評価も査定に響くんだぞ。俺様の給料が下がったら、貴様のせいだからなっ」
ティンギ先生はヘラヘラ笑ったまま、サムカ熊の攻撃を踊るように避けていた。
「だから、何のことか私にはサッパリなんだがね。だが、魔神殿も喜んでくれたようだ。ちょっとだけ魔力が上がったよ」
エルフ先生たちからの冷たいジト目視線を受け流して、手元のハンディカメラの設定画面を見る。
「よし。映像のリアルタイム編集のプログラムのチェックが完了した。では、お待ちかね。生中継の始まりだ。字幕とマップ情報、ワイプで君たち先生の表情も出すぞ」
ティンギ先生がこの戦闘を生中継で放送し始めた。
寄宿舎にいる生徒たちの個人用〔空中ディスプレー〕画面にも、当然のように割り込んできている。寄宿舎のロビー内の天井にも4面の臨時ディスプレー画面がいつの間にか用意されていて、そこでも戦闘現場の映像が垂れ流され始めた。
間違いなくティンギ先生による、学校の通信システムへの『不正介入』なのだが、校長を含めて今は文句を言う人がいない。皆、忙し過ぎてティンギ先生に怒る時間もないためだが……それにしても、やりたい放題である。
それはそうと実際の所、手ぶれがほとんどなくて見やすい映像に仕上がっている。
ちなみに寄宿舎は地下シェルターがあることから、電源や水道ガスなどは独立ラインである。校舎や教員宿舎が全壊しても、1ヶ月間ほどは籠城ができる設計になっている。
そのため、校内の魔力サーバーが全滅していても、こんな大画面での生中継が余裕でできてしまうのだ。
一応、生徒たちも〔オプション玉〕を数多く放出して映像情報を得ようとしたのだが、全てサムカ熊が放ったシャドウ群に破壊されてしまっていた。
ペルとレブン、それにやっと加わったジャディのシャドウでは、寄宿舎の防衛が精一杯で、撮影する余力はない。
学校に駐留している軍や警察も壊滅したので、今となってはティンギ先生のハンディカメラからの映像情報が、唯一の現場情報源となっていた。
上空には帝国の情報気球が浮かんでいるのではあるが、操作する者がバラバラ死体になっていて、今は〔復活〕処理中だ。マライタ先生の個人趣味の映像情報も、サムカ熊による闇魔法のジャミングで機能していなかった。当のマライタ先生が〔復活〕処理中なので、復旧もできない。
サムカ熊とシャドウ群からの絶え間ない攻撃を受けて、ついにドワーフ製の保安警備システムが、ほぼ機能停止した。それに伴い、運動場を包む〔防御障壁〕が次々に消失していく。
エルフ先生が自虐的に微笑んだ。サムカ熊には断続的に攻撃魔法を撃ち込みながら、〔闇玉〕による反撃を回避している。
「バントゥ君たち、もう少し後で運動場へ来れば助かったかもしれないわね……」
一方で、〔念話〕がかなり自由に使えるようになった事に、皮肉を感じているミンタであった。現場のエルフ先生やノーム先生、それにティンギ先生やタンカップ先生とも、この〔念話〕を介して情報交換を開始する。
サムカ熊の放ったシャドウは、ほとんどがエルフ先生たちによって滅されていたが、それでも生き残ったシャドウがいる。それらが寄宿舎に襲い掛かってきていた。
レブンたちのシャドウと空中戦を繰り広げながら、ソーサラー魔術での攻撃を毎分1回程度の頻度で寄宿舎の〔防御障壁〕に命中させている。そのたびに派手な爆発が起き、爆音がロビー内まで響いていた。
闇の精霊魔法や死霊術ではないので、こうして爆発現象が起きているのだが、これについて不思議に思うペルである。片方の耳をパタパタさせて首をかしげた。今はかなり落ち着いているようだ。
「どうしてソーサラー魔術の〔爆破〕魔術なんか使っているんだろ。〔闇玉〕なんかで攻撃した方が、強力なのにな」
それについては、レブンがセマン顔のままで冷静な声で答えてくれた。
「爆音や閃光がする派手な攻撃魔術を意図的に使っているよね。僕たちをここに足止めさせて1ヶ所に集めるためだと思うよ。運動場の戦闘が終わった後で、ここに集中攻撃をかければ僕たちを効率よく殺すことができる」
さすがにペルがレブンにきつい視線を投げかけるが、レブンの表情には変化はない。
「あの熊はテシュブ先生じゃないよ。暴走した人形だ」
そしてペルをなだめるように、自分にも語りかけるように静かに告げた。
「僕たちのシャドウだって、暴走したらああなってしまうんだ。しっかりと目に焼きつけておくべきだよ」
ミンタがペルとレブンの会話を横で聞いていたが、ふと立ち上がって、〔空中ディスプレー〕越しでラヤンに呼びかけた。
「ラヤン先輩。〔治療〕の進捗はどの程度? 地下シェルターに搬送できるなら、そこの方が安全だけど」
前庭の臨時野戦病院は、負傷者全員の体の〔再結合〕と、損傷した臓器などの〔再生〕が一通り終わった段階だった。ラワット先生の〔復活〕魔法よりも桁違いに早い。
しかしながら、まだ息を吹き返すまでには至っていないようで、魔法陣のベッドの上に寝かされている全裸の警官や軍人に先生たちは、青白い人形のような印象だ。つい先ほど、細切れ状態にされたバントゥとチューバも到着している。
ラヤンがスンティカン級長と少し話してから、ミンタに顔を向けた。級長はそのまま〔治療〕に小走りで戻っていく。
「まだ無理だって。息を吹き返して〔蘇生〕するまでは、ここから動かせないわね。あと30分くらいかかりそう。じゃ、私もこれで」
すっかり、法術専門クラスの窓口役になっているラヤンである。彼女もすぐに、負傷者の臓器〔再生〕の続きを始めるべく、ミンタとの話を打ち切って背中を向けた。
ミンタが次に呼び出したのはハグ人形と墓用務員だった
「じゃあ、次にハグさんと墓さんね。ちょっと顔を出してもらえるかしら。っていうか、今まで無視しているんじゃないわよ。何様よアンタたち」
爆音と閃光が再び〔防御障壁〕の上からと、校舎側からした。「あの熊人形、調子に乗ってるんじゃないわよ」とジト目になるミンタである。
ミンタの杖の先からハグの声がした。人形の姿は見えない。
「相変わらず無礼なガキじゃな。ワシはお前さんよりも年長者だし、偉い人なんだが」
ハグの声はいつもの人形モードではなく、威厳を感じさせる重々しい声だった。本来のハグの声に近いのだろう。そんなことに関知せず、ミンタが杖の先を睨みつける。
「うるさいな、このアンデッド。今暴れてるのも、アンタの手下でしょうが」
ハグの声が急に人形モードになった。
「かはは。手下か。言われてみれば、確かにそうだな。ははは」
「笑うな、このアンデッド。こっちは緊急事態なんだぞ。アンタたちは手助けしてくれない予定なのかしら。それだけ聞きたいんだけど。戦力になってくれるというなら、大歓迎よ」
ミンタがジト目のままで杖の先に尋ねると、ハグのそっけない声が返ってきた。
「は? そりゃ無理だ。何を言いだすのかと思えば、このガキは。死霊術の基礎も知らんのか、このガキは」
「なんだと、この野郎」と杖を振り上げて叩き壊そうとするミンタを、慌ててレブンとペルが2人がかりで抑えてなだめた。振り上げた杖にしがみついて、ハグへの攻撃魔法の発動を阻止しようとするレブンが、魚顔に戻りながらミンタに訴える。
「ミ、ミンタさん、落ち着いてっ。僕が説明しなかったのが悪かったから、とにかく落ち着いて」
ミンタに抱きついているペルも、必死の顔で訴える。互いの顔のヒゲが絡まりそうだ。
「ミ、ミンタちゃん。ここで暴れてハグさんたちとケンカしたら良くないよっ」
2人にそうまで言われては、さすがに顔と耳の先を赤らめて大人しくなるミンタであった。
「……ちょっと気が張っていたようね。もういいわよ、冷静になったから。で、どういうことなのか説明してくれるかな」
レブンが少し改まって、ミンタに話し始めた。こちらもセマン顔に戻っている。
「うん。テシュブ先生が〔憑依〕している熊人形は、その術式の『原型』がハグ人形さんのものなんだ。だから、熊人形が暴走していると、ハグ人形さんにも影響が及ぶ恐れがあるんだよ」
ハグの声がレブンの説明を補足する。
「世界間通信だからな。時間差が相当に出るので、人形にはかなりの自律機能がついておる。今回、サムカ熊は大地の精霊や水の精霊やらを取り込んだだろ。さらにエルフ嬢の思念体まで取り込んだ。故障するには、それで充分だわい。そんな熊人形がワシの人形に触れてみろ、あっという間にワシの人形まで汚染されるわ」
『汚染』という単語に、再び目を吊り上げるミンタであったが……話の内容は理解できたようだ。
「まあ、だいたい分かったわよ。つまり、『ハグ人形は役に立たない』という事ね。まったく、これだからアンデッドは」
今度はハグが杖の先から、「なんだと、このガキ」と、いきり立ち始めたが、通信を容赦なくぶち切るミンタである。
「で、『墓さんも役立たず』って事でいいのかしら?」
墓用務員はヘラヘラ笑いを浮かべながら「ぺこり」とうなずいた。ホウキと塵取りを両手に持っていて、滞りなく掃除を続けている。『用務員としては有能』というアピールだろうか。
「そうですねえ。人目に触れるのは避けるというのが、私の行動原則ですから」
それだけ言って、そそくさと人混みの中に紛れて姿を消そうとする。それを改めて呼び止めるミンタだ。
「ちょっと待ちなさい。じゃあ、『化け狐』とか月の狐とかは動かないの? この世界の守護者なんでしょ。さっきから映像を見てるんだけど、1匹も姿が見当たらないのよね」
ムンキンとペル、レブンが一斉に手元の〔空中ディスプレー〕画面を見る。確かに、見当たらない。
墓用務員がハグと同じような声を出した。予想外の質問だったようだ。
「あれ? 知らないのでしたか。『化け狐』は『この世界に危害を与える魔法』に対して反応するんですよ。今回、サムカ熊さんは学校の中だけで暴れています。あなたたちや軍や警察の人が死のうと、この世界には悪影響は出ませんよ。妖精のパリーさんや精霊たち、原獣人が殺されたり、森が破壊されたりすれば別ですけどね。今までもそうだったはずですが」
そうではなかった場合もあったような気がするが……ミンタたちも墓用務員にこれ以上問い詰めるのは無意味だと悟って解放した。あっという間に人混みの中に紛れて見えなくなる墓用務員である。
ミンタが1つため息をついて、ムンキンとレブン、ペルに顔を向ける。
「まあ、連中が関わってこないと分かっただけでも収穫よね。それじゃあ、熊退治の作戦を……」
《ドガガガララララ!》
床を揺るがす地震のような揺れに、重低音と破壊音が外から飛び込んできた。生徒たち全員の手元にある〔空中ディスプレー〕画面に、ティンギ先生からの映像が届く。
「げ」
東西の校舎が同時に崩壊して崩れていく様子が、克明に映し出されていた。瞬く間に、瓦礫の山に成り果てていく。土煙も盛大に巻き上がっていて、運動場のあちこちに小石サイズの瓦礫の破片が飛んできて跳ねている。
レブンが口元を魚に戻して最初にコメントした。
「テシュブ熊先生……やり過ぎです」
ペルも呆然とした表情だ。それでも、何とか原因を推測する。
「テシュブ熊先生が放った〔闇玉〕が多すぎたのかな。校舎の基礎や重要な柱を削って穴だらけにしちゃったのかも」
ムンキンがサムカ熊の攻撃力に冷や汗をかき始めている横で、ミンタが「はっ」となって外のラヤンに声をかけた。
「ねえ、ラヤン先輩! 法術〔治療〕に支障は出ている? 校舎が崩壊したんだけど、地下に『法力サーバー』があったよね」
15秒ほど経って、ラヤンが面倒くさそうな顔で姿を見せた。一応、各所に確認をとってくれたようだ。
「問題ないわよ。マルマー先生が死守しているから平気。今頃は生き埋めになってるだろうけど、後で掘り起こせばいいでしょ」
そう言って、再び背を向けて治療チームに戻っていく。
ミンタが呆れたように笑ってから、エルフとノーム先生の精霊魔法専門クラスの仲間たちに視線を向けた。運動場の〔防御障壁〕がほぼ消滅したので、緊急招集をかけていたのだった。
「窒息死する危険性があるから、だれか1人、マルマー先生がいる場所へ風の精霊魔法で〔送風〕してあげて。レブン君のシャドウの〔オプション玉〕がいるけど、あれは警備用の術式しか入っていないのよ。あと、要望なんかがあったら聞いてきて。救出は明日以降になりそうだから」
しかしその命令は、ノーム先生の精霊魔法専門クラスのニクマティ級長に拒否されてしまった。理知的な黒茶色の瞳をミンタに向けて、狐の尻尾で床の埃を払っている。
「それは承諾できないな、ミンタさん。今は、いつサムカ熊先生がこちらへ攻撃をしても不思議じゃない状況だ。1人といえども、貴重な戦力を分散させたくないな」
「ムッ」としたミンタであったが、すぐに理解したようだ。
「そうね。マルマー先生は、死んでもまた〔蘇生〕や〔復活〕させれば良いだけだしね。先生が死んだ場合は、法力サーバーも破壊されているだろうし、どっちみち生き返らせる事はできないか」
その時、ムンキン党のバングナン・テパが狐耳をピンと立てて手を挙げた。
「冷たい連中ばかりだな。俺がマルマー先生への『送風係』をするよ。俺の専門が力場術だから、空気分子の〔遠隔操作〕くらい簡単だぜ。魔力サーバーは埋まってしまったけど、軽い魔法なら使えるぞ」
そう言ってムンキンにドヤ顔でニヤリと笑いかける。
ムンキンが肩をすくめながら同意し、顔をミンタに向けた。
「だな。ここはバンナに任せて構わないと思うぞ」
ミンタが金色の毛が交じる両耳をパタパタさせた。
「了解。では、えーと、力場術のバングナン級長さん、お願いするわね」
「おう、任せろ」
彼が早速、力場術の風魔法を起動するのを見て、ミンタが腕組みをした。埃やゴミが付いてしまった尻尾が揺れて、両耳も交互に左右に動いている。
「さて、と……熊退治だけど、どうしようかな。ウィザード魔法はサーバーが機能不全だから、大出力の攻撃魔法は使えないよね。精霊魔法とソーサラー魔術しか選択肢がないのか」
ムンキンも腕組みして濃藍色の目を閉じ、尻尾でリズムを取り始めた。
「むう。サムカ熊の戦闘力が桁違い過ぎるな。弱点を狙い撃ってみるか、それか、攻撃を誘導して森を焼き払うか何かさせてパリーたちを味方につけるか……じゃないか」
それには、消極的なペルとレブンである。
「う……それじゃあ、テシュブ熊先生がかわいそうだよ。もう、授業をしに学校へくることができなくなるよ」
ペルの訴えにレブンも同調する。
「あまり良い作戦とは思えない。森の妖精と熊人形がケンカしたら、テシュブ先生が〔召喚〕禁止になるよ。それに僕たちが攻撃を誘導したことも、じきにばれてしまう。森の妖精に敵対したとなれば、この学校が閉鎖される恐れも出てくる」
「へ、閉鎖とはどういうことですか!?」
校長がサラパン羊を伴ってやって来た。すっかりミンタの精神操作魔法の影響はなくなった様子で、キビキビと動いている。気絶という休憩もしたので体力も回復しているのだろう。
ミンタとムンキンから概要を聞いて、一緒になって考え込む校長である。
「うむむ……それは難題ですね」
隣のサラパン主事は毛を刈ったのか、少しスマートになっている。いつものように、何も考えていないのが丸分かりだ。
「ここに来れば、同士ハグに会えると思ったんだけどなあ。いないのか、残念」
ここに至っても、まだ遊ぶ気なサラパン羊に呆れる一同であるが……サラパン羊には伝わっていない。
校長がサラパン羊の手を取って、どこかへ行かないようにしながら、少し恥ずかしそうにしてミンタたちへ説明した。
「今日が、保安警備システムの再起動の日ですからね。役場の『召喚担当』も出席することになっていたのですよ。特に何もすることはないのですけどね」
そして再び考え込み始めた。
「テシュブ先生の弱点ですか……うーん」
【熊退治】
ミンタが1つ提示する。
「テシュブ先生本人から聞いたのですが、サムカ熊の弱点は、口の中にあるそうです。ここを破壊すれば停止するということなんですが、ずっと口を閉じたままなんですよね。何か話すような状況にならないと、口を開かないようです。校長先生、何かテシュブ先生が怒るようなネタってありませんか?」
校長が腕組みをしたまま、両耳をパタパタさせて記憶をたどる。
「いつも穏やかな人ですからねえ……ああ、そういえば、1つだけありましたよ」
「え?」と、ミンタたち4人が校長を注視する。校長が口ヒゲを撫でつつ記憶をたどって話してくれた。
「ハグさんが、〔召喚〕時に『掛け声』をつけようと提案されたことがありました。その掛け声の案は、結局不採用になったのですが……その時のテシュブ先生は相当に怒っていたように見えました。気恥ずかしかったのでしょうね。彼は領主という地位がありますし……」
「思い出はいいから、その掛け声を教えて!」
のんびりした口調の校長に、食って掛かるミンタたち4人である。ムンキンに至っては校長の胸ぐらをつかんでいる。
「ええと、何でしたっけ。忘れてしまいました」
校長の朗らかな答えに、ガックリと肩を落とす4人。レブンが自嘲気味にムンキンにささやいた。
「これで、僕たちの命運も尽きたかもね。もう、シャドウでは攻撃を防ぎきれなくなってきた」
確かに、鳴り響き続けている爆発音と閃光の頻度が、1分に1回から3回くらいにまで上がっていた。たまに、ひと際大きな爆発音と揺れが起きるのは、恐らく寄宿舎の屋上に攻撃が届いたせいだろう。〔防御障壁〕が破られるのも時間の問題だ。
そんな悲壮感を漂わせている4人には気づかず、校長がサラパン羊の手を引っ張って引き寄せた。
「サラパン主事でしたら、何かご存じではないですか? 〔召喚〕の『掛け声』をよく口ずさんでいたではありませんか」
サラパン羊が羊毛に包まれた体をひょいとバウンドさせた。
「ああ、あれかね。パパラパーだよ、パパラパー。いいだろ、パパラパー」
(はあ? 何を言っているんだコイツ……)という顔をする4人であるが、校長だけは顔を「ぱあっ」と明るくさせた。
「ああ、それです! パパラパーだけではなくて、ええと、他にもまだ……あ、そうそう。思い出しましたよ」
そして、自信に溢れた表情で4人に微笑みかけた。
「『呼ばれて、わき出て、パパラパー』ですよ! テシュブ先生とハグ人形様とで、机を壊すほどのケンカになったのです。よく分かりませんが、何か怒らせるような呪文の効果があるのかもしれませんね」
さすがにサムカに同情する4人である。呪文どうこう以前の問題で、「誰だって怒るだろ」と喉元まで言葉が出かかるが、無理やり飲み込む。
ミンタが「コホン」と軽く咳払いをして、校長にうなずいた。
「ええと、確かにこの言葉は、効果的だと思えます。口を開かせるには充分でしょう」
ペルとレブンは非常に消極的になって、互いに顔を見合わせている。
「さすがに、こんな言葉をテシュブ先生に投げつけるなんて……できないよう」
「うん。僕たち、『教え子』という立場からしても良くないよね」
一方のミンタとムンキンは大いにやる気になったようだ。目をキラキラと輝かせ始めている。多分、速攻でラヤンにも伝えるだろう。
「うるさいぞ。今は緊急事態だ。テシュブ先生には、後で謝ればいいだろ」
ムンキンの叱咤にミンタも同調する。
「そうよ! あれはテシュブ先生じゃないって言ったばかりじゃないの。ただの熊のぬいぐるみよ!」
校長が頭を上げた。ちょっと調子に乗ってきたようだ。
「あ。もう1つありましたよ。『闇の中での視力は、どのくらいなんですか?』と、質問した際も機嫌を悪くされたようでした。剣を抜いたほどでしたから、相当だったのでしょうね。恐らく、この記憶も残っていると思いますよ」
ミンタとムンキンが両目をキラリと輝かせて、校長を指さした。
「それも採用するわ!」
「分かったぜ。よし、武器が2つになったな!」
ペルとレブンは「えええ……」と、ドン引きしているが……やるしかないと、諦めたような表情になった。
新たに、1人のバラバラ死体が〔テレポート〕してきたせいもあるだろう。さすがにもう、悲鳴は上がってこなくなり、「えーまたかよー」とか不謹慎なブーイングが、法術専門クラス生徒の間から起きている。しかし、専用の魔法陣を作って、その上に死体を乗せていく作業は滞りない。
深刻な表情で前庭を見つめているのは、レブンと校長くらいなものだろうか。
「……ティンギ先生、あなたって人は、もう」
エルフ先生が肩で息をしながら、サムカ熊と20メートルの距離をとって対峙している。両隣にはノーム先生と、タンカップ先生が戦闘態勢で杖を構えている。その背後にいたティンギ先生が、サムカ熊の突撃攻撃をかわしきれずに7つの肉塊となって倒れてしまった。
その突撃の直前に〔空中ディスプレー〕画面を通じて、『サムカの怒らせネタ』を知ったことが致命的になったようだった。「プークスクス」というティンギ先生の吹き出し笑いを、エルフ先生たちは確かに聞いている。
ノーム先生が杖の先をサムカ熊に〔ロックオン〕したままで、銀色の垂れ眉を上下に動かした。
「彼らしい最期と言えば言えるかな。さて。校舎が崩壊して、ティンギ先生が倒れた。次は我々の番だろうね」
タンカップ先生も杖をサムカ熊に向けて〔ロックオン〕している。その筋肉質の背中を盛り上げて舌打ちした。
「あの熊め。弱点が口の中だと分かっているんだろうな。でなけりゃ、ここまで頑なに口を閉じたまま闘わないぞ」
ノーム先生が同意する。
「そうだな。口を閉じてさえいれば、核爆発だろうが我々の魔法攻撃だろうが、全て耐えることができると分かっているんだろうさ」
その時。サムカ熊が、これ見よがしに口を大きく開けて咆哮した。瞬時に3人の杖の先から攻撃魔法が放たれた。しかし、効果は全くない。
タンカップ先生が再び舌打ちする。
「〔防御障壁〕か。俺たちの魔法攻撃の術式を全て〔解読〕してしまったようだな。それで勝利の雄叫びを上げた……という事かよ」
エルフ先生が目を据わらせて一息つく。
「そのようね。じゃあ、格闘戦で仕留めるしかないか」
サムカ熊の背後の森の上空に数頭の『化け狐』がフワフワと泳いでいるのが見える。全くサムカ熊に敵意を示していない。
「まったく……ハグ人形がベースってことだけあるわね。これだけ暴れても大丈夫だなんてね」
「はあ!? 何でオレ様が殿に刃向かわなきゃいけないんだよ。オマエら、ぶっ殺すぞ」
ジャディがミンタに呼び出されて寄宿舎ロビー内へ戻ってきた、その第一声がこれであった。それを何とかなだめるレブンとペルである。
「あのテシュブ熊先生は、残念だけど暴走して制御不能になってる。テシュブ先生もカカクトゥア先生に『暴走時には破壊してくれ』と依頼しているんだよ。このままじゃ、死者が増えるばかりだ。僕たちテシュブ先生の教え子の手で、暴走を終わらせるべきだと思わないかい?」
レブンの説得も、若干声が震えている。内心の葛藤は相当なものなのだろう。ペルに至っては、大粒の涙を流しっぱなしである。それでも泣き出さないあたりは成長したのだろう。
「ジャディ君。制御不能なんだから、あの熊はテシュブ先生じゃないよ。次の授業で、一緒に叱られようよ、ね?」
級友2人にここまで説得されては、さすがに誇り高い飛族としても事情を呑み込むしかない。苦虫を1ダースほど一気飲みしたような、苦渋の顔をしたジャディだったが……背中の翼と尾翼を最大限に広げて胸を張った。
「分かった、分かったよ! だから泣くなよ、オマエら。こうなった元凶は酒樽ドワーフなんだろ。じゃあ、奴が回復したら半殺しにしてやるよ」
そして、悪人顔をミンタに向けて、猛禽の鋭い瞳を光らせた。
「それで、オレ様は何をすればいいんだよ。さっさと言え」
(……分かったわ、ミンタさん。それが一番効果がありそうね)
エルフ先生が杖の魔力残量を確認しながら、ミンタからの〔念話〕による作戦案に賛同した。他の先生2人も、渋々という表情で賛同している。杖の魔力残量はゼロになっていた。もう、使い捨ての盾ぐらいにしか使えない。
今は、サムカ熊の文字通り熊のような四足走行での突撃攻撃を、何とか地面に転がりながら回避している3人の先生だ。
突撃速度が秒速400メートルほどで音速を超えているので、衝撃波を含んだ爆音がひどい。土煙も突撃のたびに盛大に巻き上がって、煙幕のように視界を遮っていた。
身長が180センチほどある熊人形なので、四足走行でもかなり大きい。走り方も、本物の熊のように全身を躍動させて弾むような走り方ではない。短足の虎のようなダイナミックで柔軟な動きなので、急停止や急な方向転換も自在である。
そして、獲物に肉薄すると上体を起こし、両熊手から6本の2メートルもある鋭い爪を瞬時に伸ばして、逆袈裟切りのような刃筋で、地面すれすれから斬り上げてくる。
〔防御障壁〕が一切効かないまま、体を縦に7等分されてしまい、寄宿舎前庭に強制〔テレポート〕されて退場……というのが定型パターンになっていた。
突撃を回避しても、サムカ熊の周囲2メートル圏内に展開されている闇魔法場の〔攻性障壁〕に触れてしまう恐れがある。この〔攻性障壁〕に触れると、全身〔麻痺〕になって激しく痙攣を起こし、地面に倒れてしまうしかない。
もちろんエルフ先生が、すぐに〔治療〕魔法をかけてくれるので回復はできる。しかし、手足の痺れは残っているので、完全回復するまでの10秒間は、次の突撃攻撃をかわすことが困難になってしまうのだ。
エルフ先生が地面を転がって、サムカ熊の突撃をかわしながらグチをこぼす。
「まったく……あの大地の妖精。厄介な武器を与えてくれたものね」
あの妖精は大深度地下に棲んでいるようで、あれ以降会っていない。文句を言う術がないのは頭にくるものである。
生き残りの3人の先生は、これで、10回以上はサムカ熊の突撃をかわしたはずなのだが、サムカ熊の動きは全く衰えていなかった。加えて、連射砲のように間断なく〔闇玉〕を撃ち込んでくるので、相当な魔力消費量になっているはずなのだが。
すでにドワーフ製の保安警備システムが、完全に破壊されて機能停止していた。それに伴って、運動場を囲むように展開されていた〔防御障壁〕が消滅している。
こうなると、サムカ熊も運動場の外へ出ることができるようになっているのだが、留まり続けている。まだ、サムカ本人の意思が残っていて自制しているのか、それとも、この3人を始末することに関心があるのか。
「どれだけ魔力量があるのよサムカ熊。ほとんど底なしね。確かにこれじゃあ、魔力供給源の〔遮断〕作戦も意味がないか」
エルフ先生がさらにもう1つグチをこぼしてから、再びミンタとの〔念話〕交信を再開する。
(でもミンタさん。これは作戦とはとても呼べないわよ。これを作戦だなんて言ったら、警察や軍から怒りの苦情が入るってことは、自覚しておきなさいね)
そう言いながらも、作戦のカウントダウンを開始した。森の中からヘラヘラ笑いを浮かべて眺めているパリーに視線を送るエルフ先生。
「最後はパリー頼みになるわね。よろしく。3、2……開始!」
「それじゃあ、いくぜ!」
ジャディが運動場の中央上空に音速飛行で到達した。上空200メートルで急停止し、そのまま両翼と尾翼を大きく広げて、ホバリングみたいにその場で羽ばたいて静止する。
杖を振り回して、サムカ熊を大きく取り囲むように風の精霊魔法で魔法陣を配置した。魔法陣の形状は、大型のスピーカーのように見える。どれも正確にサムカ熊に正対するように、その場に浮かびながら面を向けて自動追尾している。
少し、風に流されている魔法陣もあるが、おおむねサムカ熊から100メートルの距離を保って取り囲んでいた。ここまでの作業を、わずか1秒以内で終えるジャディ。
そのジャディが大粒の涙を凶悪な双眼からこぼしながら、術式を起動した。
「殿! すまねえ、殿おおおおおっ」
その魔法陣の1つから、ミンタの声が鳴り響いた。
「呼ばれて、わき出て、パパラパー!」
熊のように四足で音速移動していたサムカ熊が、いきなり挙動不審になった。
姿勢を大きく崩したかと思うと、運動場に盛大にスライディングして、そのまま10メートルほど土煙を上げて地面を削りながら止まった。
それでも無傷のようで、素早い動きでパッと起き上がる。キョロキョロと熊頭を回して、音源を探している。
ノーム先生が口ヒゲを片手で整えながら、小豆色の瞳を細める。彼の杖も、魔力残量がほぼゼロになっている。
「効果てきめんじゃな」
タンカップ先生が地面から起き上がって、杖を捨てた。タンクトップシャツと半ズボン姿の下の、木彫りのような全身の筋肉が盛り上がっていく。
「止まったか。では、格闘戦用意!」
両手足と膝に肘が、燃え上がり始めた。もちろん魔法の炎なので、タンカップ先生の体が燃えているわけではない。
それを合図にして、エルフ先生とノーム先生も杖を捨てた。こちらは薄ぼんやりと光り始める。
3人が横一列に並んで足を踏ん張り、10個以上もの支援魔法を自動起動していく。いちいち術式を詠唱していては時間がかかり過ぎるので、前もって詠唱を完了しておき〔パッケージ化〕しておいて、最後の〔発動キー〕を唱えるだけにしておくのである。これで瞬時に全ての支援魔法が起動する。
さらに、3人の先生がそれぞれ運動場を逃げ回っている間に、行動支援用の魔法陣も描き終えていた。これを、支援魔法と組み合わせることで、サムカ熊と同等以上の機動力を発揮できるようになる。
サムカ熊がミンタの声が発せられた魔法陣を見つけ出して、〔闇玉〕を連射して破壊した。しかし今度は、別の魔法陣からムンキンの声が鳴り響いた。
「呼ばれて、わき出て、パパラパー!」
サムカ熊が大口を開けて吼えた。かなりの爆音だ。
余りの音圧で、上空のジャディが思わず意識を失いかけるほどだったが、何とか20メートルの落下だけで済んだ。先生たちにも爆音が襲い掛かったが、これは〔防御障壁〕で難なく〔無効化〕している。
その先生たちの両足が地面からわずかに浮いた。地面と靴底との間は1センチもないが、静電気の火花が激しく散っている。超電磁砲や電磁式マスドライバーの原理だ。
先生たちの背中に〔オプション玉〕が3つずつ発生して、ロケットエンジンのように点火した。いきなり30G、重力加速度の30倍もの加速度が先生たちにかかる。普通なら即死か気絶だが、そこは支援魔法で保護されている。
ムンキンの音声スピーカーとなっている魔法陣を破壊したサムカ熊の眼前に、3人の先生たちが肉薄した。
慌てたサムカ熊が両腕を交差させて防御するが、先生たちはそのまま体当たりをして、サムカ熊に拳を叩き込んだ。爆音が轟いて、土煙が巻き上がり運動場が揺れた。この衝撃波で校舎もさらに崩壊する。
息をのんで、ジャディからの生中継映像を見ている生徒たち。しかし前庭に、2人分のバラバラ死体が〔テレポート〕されてきたのを見て落胆する。
ムンキンもさすがに落胆の表情になったが、隣のレブンが肩を軽く叩いて、ぎこちなくも微笑んだ。口元は完全に魚になっているが。
「相討ちだね、ムンキン君」
土煙がまだ立ち込めているが、何とか映像でもサムカ熊とエルフ先生の影が分かる。
そのエルフ先生がサムカ熊の腹に右手を突き刺して、大穴を開けていた。ちょっと汚れた綿が、その大穴からはみ出している。視線を転じると、サムカ熊の両腕が肩から消滅していた。
同時に〔闇玉〕のカウンター攻撃を警戒するが、仕掛けてこないし、魔法場の動きもない。ここまでの近距離になると、サムカ熊自身の体まで〔闇玉〕に飲まれて、体が削られてしまうせいだろう。
ラワット先生とタンカップ先生は、その身と引き換えにサムカ熊の両腕を破壊したようだ。が、モタモタしていては、すぐにサムカ熊が腕を〔修復〕してしまう。
(やはり、直接攻撃は効果があるのね。じゃ、このまま急所の喉奥に!)
エルフ先生が右腕をサムカ熊の胴体から抜き取って、左拳をサムカ熊のあごへ打ち込んだ。
その左拳が途中で止まった。
「……が、は」
エルフ先生の腹に、サムカ熊の右足爪が3本突き刺さっていた。短足の熊のくせに、予想以上に柔軟である。
エルフ先生が腹の激痛に耐えながら両足裏に、ひと際激しい火花を散らした。自身の体を弾にして超電磁砲を放つ。
雷が四方八方に伸びて地面を這った。森にも雷が及んだが、これはパリーが弾いている。目をキラキラさせて大喜びのようだ。プロレスショーか何かを観戦しているつもりなのだろうか。
サムカ熊の口が開いてニヤリと笑った。サムカ熊とエルフ先生が、超電磁砲の影響で、地面から3メートルほど浮き上がっていた。
「残念、だ、ったな。エルフ」
エルフ先生の左拳はサムカ熊のあごに2センチほど、めり込んだだけで終わっていた。喉奥の急所には届いていない。サムカ熊の頭全体を電気が走り抜けていったが、それだけだった。
サムカ熊が、エルフ先生の腹に左足を蹴り入れた。すぐに足の爪が伸び、腹を貫いて背中から3本の爪が生えた。先の右足の爪と合わせて計6本、両足の爪が、エルフ先生の腹を貫いている。
エルフ先生はウエストが細いので、腹の中で右足と左足の爪が交差しているようだ。そのまま、自由落下して地面に落ちる。思ったよりも軽い音が運動場を通り抜けた。
胃や肺にまで爪が及んだようで、口から血を噴くエルフ先生。その両拳の光はまだ強いが、サムカ熊の両足をつかむことしかできない。
その右足をエルフ先生の腹から引き抜いて、彼女の手を振り払ったサムカ熊が、サッカーボールを蹴るように右足を振り上げた。血に染まった3本の爪が、その爪先から血の雫を、熊の背後の空間に撒き散らす。
「呼ばれて、わき出て、パパラパー!」
「呼ばれて、わき出て、パパラパー!」
「呼ばれて、わき出て、パパラパー!」
ジャディ、ペル、レブンの悲痛な叫び声が、一斉にそれぞれの魔法陣から放たれた。が、サムカ熊の右足キックがエルフ先生の頭を直撃した。土煙が再び上がる。
「ごほっ……」
口から血を吐きながらも、両手を交差させてサムカの蹴りを防いだエルフ先生が、不敵な笑みをサムカ熊に投げかけた。もはや、気管や肺の中が血で溢れているので、声を出すことができない有様だ。代わりに〔念話〕をサムカ熊に送る。
(最後に『また』動揺したわね。私の勝ちかな)
3つの魔法陣を〔闇玉〕の放射で〔消滅〕させたサムカ熊が、エルフ先生に顔を向け……そして驚愕した。
サムカ熊の左足が、狐の足に〔変化〕している。
そして、腹に爪を突き刺したままで、エルフ先生をその足で引き上げていく。この動作は、サムカ熊が意図したものではない。動揺して口をパクパクさせているサムカ熊を見上げるエルフ先生が、再び〔念話〕を送る。
(無駄よ。左足は私が〔支配〕しました。さあ、覚悟しなさい)
既に、エルフ先生の頭とサムカ熊の頭が、ぶつかりそうな程に接近していた。もう充分にエルフ先生の拳が届く距離だ。
慌ててサムカ熊が開いていた口を固く閉ざす。同時に両腕が〔再生〕を始めた。
(く……さすがにサムカ先生ね。思ったよりも冷静になるのが早いな)
エルフ先生が両手をサムカ熊の口元に突っこんで、強引に口を開けさせようとする。ぬいぐるみのくせに、なかなか口を開いてくれない。歯や牙などはないので、手をケガする恐れはないのだが。
「サムカ先生、闇の中での視力は、どのくらいなんですかあ?」
唐突にミンタの声が、魔法陣から大音量で発せられた。まだ他に数個ほど魔法陣が残っている。それらからも、一斉に放送が始まった。上空からはジャディが大粒の涙をこぼしながら叫んでいる。
「サムカ先生、闇の中での視力は、どのくらいなんですかあ?」
「サムカ先生、闇の中での視力は、どのくらいなんですかあ?」
「サムカ先生、闇の中での視力は、どのくらいなんですかあ?」
「サムカ先生、闇の中での視力は、どのくらいなんですかあ?」
「サムカ先生、闇の中での視力は、どのくらいなんですかあ?」
ラヤンまでいつの間にか加わっているようだ。
サムカ熊が再び挙動不審の動きをし始める。まるで壊れたリモコンロボみたいだ。そして、大口を開けて吼えた。
「貴様らあああああっ!」
激怒しているサムカ熊の口の中へ、エルフ先生の両腕が叩き込まれた。
パニック状態に陥っているサムカ熊のガラス製のつぶらな黒い目に、エルフ先生の素敵な微笑みが映る。口元は血まみれだが。
「うが、ぐ、が、ご……」
サムカ熊が何か喚こうとした、次の瞬間。エルフ先生の魔法が炸裂した。瞬時に、サムカ熊の頭がごっそりと光に帰って〔消滅〕する。
サムカ熊が『ただの頭のない熊のぬいぐるみ』に戻って、地面に「ポテ」と倒れた。足の爪も消滅して、エルフ先生が真っ青な顔をして地面に降り立ち、うずくまる。
生命の精霊魔法による血止めや、〔治療〕魔法をフル稼働させてはいるのだが……この傷では時間稼ぎにしかならないようだ。魔力が切れるとともに、血が大量に噴き出してきて、うずくまった足元に血の池ができていく。
意識が急速に無くなっていく馴染みの感覚に苦笑しながら、ピントが合わない白黒映像になった視界の隅にパリーの姿を確認する。先程のサムカ熊の咆哮を至近距離で聞いたので、両耳も破壊されて聞こえなくなっていた。それを知ってか、わざわざ〔念話〕で話しかけてくるパリーだ。
(おもしろかった~。今度はいつやるのお~? ね~ねえ~クーナあ~)
(後でぶっとばす……)と固く誓うエルフ先生であった。




