60話
【金星の大地】
金星の地表面は赤い砂礫で覆われていた。雲が地球以上に分厚いせいで薄暗い。思った以上に風が弱く、そよ風程度である。しかし、細かい粉塵が空中に漂っているので、視界はあまり良くない。当然ながら水たまりもなく、草木は1本も生えていない、灼熱の赤い大地だ。
大気はくすんだオレンジ色である。大気が分厚いのと、土埃などが空中に浮遊しているため、赤い波長の太陽光しか地表に届かないのだろう。
学校から無事にテレポートを果たしたサムカが、〔防御障壁〕を白い手袋を外した白い素手で触って、調節を済ませる。特に問題は起きていないようだ。それを確認してから、生徒と先生〔分身〕たちに視線を向けた。
「どうかね? 〔防御障壁〕は機能しているかな? 不具合があったら、すぐに地球へ戻りなさい」
彼らも特に問題はなさそうだ。しかし、呼吸に必要な酸素が金星にはないので、これは地球からの持ち込みになる。ノーム先生〔分身〕が、生徒全員の状態を手元の小さな〔空中ディスプレー〕画面で確認して、顔をサムカとエルフ先生〔分身〕に向けた。
「今回の金星滞在時間は、最大で10分間だな。それ以上は酸素が足りなくなる」
サムカが鷹揚にうなずいた。彼の場合は死体なので、呼吸そのものが不要だ。
「うむ、了解した。では、始めようか。レブン君とペルさん、まずはシャドウを呼び出して飛行させてみなさい」
「はい!」
元気な返事をした教え子2人が、〔結界ビン〕を開けて中から自身のシャドウを呼び出した。ペルのシャドウは影の薄い小さな子狐型で、レブンのはアンコウ型だ。どちらも地球で呼び出した時とは違って、鬼火をいくつも周囲に発生させている。
目を丸くする2人。
「うわ……魔力がいつもと違う」
レブンの驚きに、ペルも両耳をパタパタ振って同意する。
「うん……倍、くらい魔力が上がってる」
ミンタとムンキンも死霊術魔力の増大を察した様子だ。感心している。
「へえ、凄いわね。テシュブ先生の言う通りなんだ」
ムンキンも腕組みをして唸っている。
「うむむ……これなら確かに金星で実習した方が良いな。納得だ」
一方のエルフ先生〔分身〕は怪訝な表情になっていた。
「うわ……こんなに違うものなのね。滅するのに手間取りそう」
ノーム先生は興味津々の表情で、しきりに銀色のあごヒゲを指でかいている。
「ほうほう、ほう……興味深いですな」
ラヤンに至っては、〔浄化〕衝動を抑えるのに苦労しているようだ。尻尾をグルグル回している。
「うわー……〔浄化〕してやりたいわあ……」
それぞれの反応を楽し気に見ていたサムカが、教え子2人に話しかけた。
「では、好き勝手に飛ばしてみなさい。攻撃魔法も好きなように撃って構わないよ。ミンタさんたちも、全力で攻撃魔術を撃ちなさい。10分間しかないから、手っ取り早く金星の妖精や精霊を怒らせて呼び出そう」
ムンキンが満面の笑みを浮かべて、杖を〔結界ビン〕の中から取り出した。既に攻撃魔術の術式を起動させている。その杖を赤くかすむ地平線に向けて、いきなり直径1メートルもの〔レーザー光線〕をぶっ放した。地平線上で直径500メートルほどの火球が発生する。
金星の大気には酸素がほとんど含まれていないので、通常の爆発燃焼は起きない。精霊魔法でも起きない。ソーサラー魔術ならではである。
「待ってました! 吹っ飛べ金星っ」
ミンタも栗色の瞳をキラリと光らせて杖を呼び出し、遠慮なく三日月型の〔光の刃〕を飛ばした。刃は光速で巨大化しながら飛び、地平線上で爆発していく。視界全周の3分の1ほどの地平線が爆発して、天空高く爆炎が上がった。輻射熱を体じゅうに浴びながら、ミンタがご機嫌で金色の毛が交じる尻尾を振り回す。
「ストレス発散には最適ね。気に入ったわ、金星」
レブンとペルのシャドウも、地平線上を飛行しながら絨毯爆撃を開始した。とは言え、闇の精霊魔法の〔闇玉〕の大量放射なので、爆発や閃光は発生しない地味な映像だが。しかし、確実に金星の丘陵地がデコボコに削れていくのが明瞭に見える。
ペルが薄墨色の瞳をキラキラさせて、両耳と尻尾をパタパタ振っている。
「うわあ、これ凄いね。制限がないと、こんなに動きやすいんだ」
レブンも明るい深緑色の瞳を輝かせてうなずいた。
「うん。生物がいないから残留思念もなくて、ゴーストを作れないのが残念だけど。いいな、ここ」
エルフ先生〔分身〕は、ノーム先生〔分身〕と顔を見合わせて、しばらくの間、突っ立って眺めているだけだった。しかし、それぞれの警察上層部から、『魔法を撃て』と命令が下されて、渋々ながら地平線に向かってライフル杖を向ける。
さすがに兵器級の攻撃魔法なので、地平線の形が撃つたびに削られて変わっていく。こちらは、光の精霊魔法なので、対象物を強制的に光に〔分解〕する魔法のようだ。
エルフ先生〔分身〕が、ジト目で撃ちながら口を尖らせる。
「まったくもう……命令とは言え、『地形が変わるほどの攻撃をしろ』とか、とんでもないわね」
ノームのラワット先生も諦め顔で口元を緩めるばかりだ。彼もまた地平線の形状が変わるほどの攻撃魔法を連射している。しかし、こちらは大地の精霊魔法なので、巨大な石柱が次々に発生しているが。
「左様ですな。さて、これだけ騒動を起こせば、そろそろ精霊や妖精が怒ってやって来るでしょう」
サムカがミンタやムンキンが爆破した地平線の向こうに視線を投げて、うなずいた。
「うむ。来たぞ。では、予定通り脱出の準備を整えてから、精霊と、できれば妖精の固有精霊場をサンプル測定しなさい」
爆炎に包まれた地平線の向こう側から、500以上もの風の精霊がこちらへ飛んで来るのが見えた。足元の地面からも、大地の精霊群が大挙して向かっていると分かる。地中深くから、地震波が断続的に発生しているためだ。
ノーム先生〔分身〕がライフル杖を地震の震源に向ける。
「到着まで、2分もなさそうだ。さっさと観測して逃げるか」
エルフ先生〔分身〕も、地平線上からこちらへ迫ってくる黒雲のような精霊の大群にライフル杖を向ける。
「そうですね。金星では私たちは部外者ですからね」
サムカが2人の先生〔分身〕の話を聞いて、首をかしげている。
「ふむ……確かに我々は部外者だな。金星の妖精は確認できるかね? 私がシャドウを飛ばして、挨拶してみよう」
思わず個々の〔防御障壁〕の中で頭を抱える、エルフ先生〔分身〕とノーム先生〔分身〕であった。危うく観測術式にエラーが出そうになったので、慌てて修正する。
エルフ先生〔分身〕がライフル杖の先で地平線上空を指し示した。黒雲がさらに凶暴化していて、内部で盛んに稲光のような発光が断続的に起きている。
「金星の大気はほとんどが二酸化炭素です。プラズマ化しにくい気体なんですよ。それが、ほら。精霊魔法であんなになっています。物理化学法則が滅茶苦茶になりつつあるんです。それほど凶暴な精霊ですよ。それら精霊を束ねる妖精に至っては、とても話の通じる相手とは思えません。挨拶なんて不可能ですよ」
ノーム先生〔分身〕もライフル杖で地面を「コツコツ」叩いてサムカを見た。断続的に起きている地震が、急激に激しいものになってきている。重低音の地鳴りが激しい。
「左様。大地の精霊が凶暴なのは、テシュブ先生も経験しているでしょう。こちらも、話ができる相手とは思えませんな。観測を終えたら、一目散に逃げるのが唯一の正解だと思いますよ」
2人に完全否定されて、サムカが腕組みをして唸った。
「ふむ。言いたいことは理解できたよ。しかし、シャドウを残していくとしよう。このシャドウは死者の世界産だから、君たちには迷惑はかからないはずだ。どのくらい危険なのか、私なりに調べておきたい」
シャドウが不可視状態になり、どこかへ飛んでいく。観測衛星の代わりに使うのだろう。
それらを見送ってから、サムカが軽く肩をすくめる。
「実は死者の世界では、我が王国連合軍が演習場として金星を使っているのだよ。金星の精霊を狩っている。おかげで今では精霊の数もかなり減った。妖精に関しては目撃情報すらない。そんな金星に比べると、この金星はまだまだ元気だな」
ドン引きしている先生〔分身〕と生徒たちである。コホンと咳払いしたエルフ先生がサムカに告げた。ジト目になってサムカを罵倒しようとしているミンタとムンキン、それにラヤンを抑えている。
「そんな事をしていると罰があたりますよ、サムカ先生。そろそろ危険ですね。〔ロックオン〕される距離になりつつあります。地球へ戻りましょう」
【西校舎2階のサムカの教室】
無事に教室へ〔テレポート〕して戻ってくるサムカたち。
まだ興奮している生徒たちを放置して、エルフ先生〔分身〕が冷や汗を警察服でぬぐって、壁にもたれかかった。
「ふう……なかなかに緊張感があったわね。見つかって、顔でも覚えられたら大変な事になっていたわよ」
サムカと生徒たちが首をかしげる中で、ノーム先生〔分身〕が同じように冷や汗を袖で拭きながら解説してくれた。
「僕たちの顔が分かる様な近距離になると、〔妖精化〕や〔精霊化〕といった回避不可能な攻撃の射程圏内に入るからだよ」
「なるほど」と納得するサムカ。ノーム先生がほっとした表情で微笑んで、ややボサボサになっている口ヒゲを整える。
「後は、テシュブ先生が残したシャドウたちに期待しよう。金星の妖精や精霊連中が、どのくらい凶暴なのか、話を聞く可能性はあるのかを探るのは必要だね」
レブンが首をかしげながらサムカに聞く。
「テシュブ先生。金星の雰囲気というか精霊場なんですが……これって、ナウアケが帯びていた魔力と似ていませんか? 『化け狐』が彼を食べた際に放出された魔法場に似ていると思うのですが」
サムカが呆気なく認める。
「ありうる話だな。カルト派貴族は元々の魔力が小さいのだよ。世界間移動や、獣人世界で大規模な闇魔法を使用するには、魔力をどこからか『補給』する必要がある。その魔力提供者が金星の精霊だったのだろう。金星には生命の精霊場がほとんどないから、貴族にとっては好都合なのだよ」
「なるほどー」と納得するレブンである。ペルたちも理解した様子だ。
その後は通常通りに、教育指導要綱に沿った死霊術と闇の精霊魔法の授業を終えた。
教室の壁かけ時計を見て、サムカが〔召喚〕時間の終了を待ちながら生徒たちと雑談をする。経験上、〔召喚〕終了まで残り数分というところだろう。サムカが腰の剣を収めた鞘を「ポン」と叩いた。無骨な音がする。
「先日、やっと御前試合が行われてね。我が悪友どもの練習相手で忙しかったが、それも終わりだ。併せて、他の王国連合向け商船への、交易品の積み込み作業も本格化してきている。タカパ帝国との交易の準備も進んでいるようだしな、熊人形が他に3つほど欲しいくらいだ」
(口ぶりからして……地雷から取り出した巨人ゾンビは、それほど役に立っていないのだろうな……)と推測するレブン。ついでに熊ゾンビも役立たずなのだろう。
その時、学校中に警報が鳴り響いた。生徒と先生それぞれの手元に、緊急用の小さな〔空中ディスプレー〕画面が生じる。サムカの手元にも同じ画面が発生し、それを見たサムカの顔が曇った。
「オークの襲撃……だと?」
そのまま画面を見ていると、すぐに『武装解除済み』というウィザード語での表示が出た。銃声も爆発音も、喚き声さえも外から聞こえないので、さすがに首をかしげるサムカだ。
「……ともかく、ドワーフ製の保安警備システムの警戒度が通常に戻った。窓から見ても差支えないだろう」
ちょうど授業も終えたのでサムカと生徒たちが教室を出て、運動場に面した廊下側の窓から外を確認する。他の教室からも大勢の生徒たちが出てき始めた。
サムカが山吹色の瞳を細めて厳しい顔になり、運動場と森との境界を注視する。
間もなく、50名もの重武装の兵士が森の中から転がるように飛び出てきた。そのまま運動場で倒れて、手足をバタバタさせて苦悶している。
すぐに駐在の警察と軍警備隊が運動場に駆け込んできた。倒れてもがいているオーク兵を手慣れた作業のように拘束し、手の平サイズの〔結界ビン〕の中に押し込んでいく。
オーク兵は皆、何か叫んでいるようだったが……口をパクパクさせているだけで声になっていない。音声で起動する魔法も多いので、ドワーフ製の保安警備システムで『強制的に言葉を話すことを禁じられている』のだろう。
軍と警察も同様の魔法具を使用しているので、二重に言葉を発することができない状況に陥っているようだ。
サムカの姿を認めて視線が合ったオーク兵が、ひと際大袈裟な身振りをして暴れながらサムカに向かって指をさしている。その様子からすると、サムカに向けた誹謗中傷のようだ。
「確かに、オークだな。もう無力化されているようだから、危険はなさそうだが」
手元のディスプレー画面では、ごく基本的な情報しか表示されていないので、詳しいことは分からない。
とりあえず現状で分かることは、『所属不明のオーク部隊が森の中に潜んでいたのを、ドワーフ製の警戒システムが察知して自動迎撃が行われ、森から追い出されて御用になった』という程度だ。
オーク兵たちは完全に戦闘能力を奪われていた。武器を投げ出して地面に伏せ、〔結界ビン〕に封じられるのを待つ状況である。しかし、それを待つ間にも、数名が〔妖精化〕や〔精霊化〕されて、虫の群れや水たまりに変化していく。パリーの仕業だろう。(恐らくは、〔結界ビン〕の中に封じられたオークたちの多くにも起きているのだろうな……)と思うサムカ。
オーク兵は光学迷彩を施されたステルス仕様の戦闘服に、厳つい防護アーマーを着ている。兵の身長はサムカよりも少し低い170センチほどで、やはり小太り体型だ。
その姿で、体よりも一回り大きい人型メカに搭乗している。一見するとSF映画にでも出て来そうな武装パワードスーツ姿だ。銃器も装甲車に搭載するようなサイズのものばかりで、レーザー光線砲や、ロケット弾を充填したバックパックも装備している。
そんな武装パワードスーツの高さは2メートル半ほどになるだろうか。しかし既に機能停止されている。さらに強制排出モードになっているために、中のオーク兵の全身がよく見えている。
サムカの隣に立って窓から見下ろしているムンキンが、バカにしたような表情と声でコメントした。
「マライタ先生の授業で習った光学迷彩かあ。生命の精霊場による〔探知〕には無力なのにな。「的が大きくなるだけで、発見されやすいって」マライタ先生が言ってたけど、その通りだな」
光学迷彩というのは、光を含む電磁波を操作して姿を見えなくしたり、温度探知を回避する技術一般のことだ。
この場合の光というのは、可視光線だけではなくて、赤外線や紫外線領域の光も含まれている。赤外線は温度にある程度の関連性がある電磁波だ。この他に、以前に授業で出ていたテラヘルツ波や電波にマイクロ波、長周期波も含まれる。
いわゆる透明人間になる装備なのだが、自身が発する生命の精霊場までは消すことができない。ウィザード魔法幻導術やソーサラー魔術では、別の魔法場に〔変換〕することでごまかすこともできるのだが、この装備では無理だったようだ。
そういう意味では、サムカの教え子たちが使うシャドウのステルス性の方が上回っているといえる。
〔精霊化〕と〔妖精化〕は、無機物相手では時間がかかるので、戦闘服の中身のオークだけが先に消滅していた。空気が抜けるように、戦闘服と防護アーマーに包まれた人の姿が失われていく。その数秒後に服や機材が消滅を開始していく様子を、じっと見守る先生と生徒たち。
警官と軍も、オーク兵を〔結界ビン〕の中に封じる作業を途中で中断してしまった。もはや手遅れと判断したのだろう。接し過ぎると、〔精霊化〕や〔妖精化〕の巻き添えを食らう恐れもある。
「オーク兵は、あれでも強力な戦闘力を有する。あの装備であれば、この校舎全てを瓦礫の山にすることも可能だ。それを野犬を扱うように手際よく処理できたのは、高く評価できるだろうな」
サムカが手元の警報を表示している小さい〔空中ディスプレー〕を消去する。そして、ムンキンの向こうに立って一緒に外の様子を見ている、レブンとペルに告げた。ジャディは早速森の方へ飛んでいったようだ。
「そろそろ〔召喚〕終了の時刻だ。後で、この事件の詳細をハグ経由で知らせてくれ。私の方でも調べておこう」
【サムカの居城】
詳細は、その日のうちにハグ本人から伝えられた。
居城の執務室で、サムカが輸出用の積荷の最終確認をしているのを横で見ながら、ハグがレブンからの報告書を読み上げている。
ハグも相変わらずの酷い服装のままだが、やはり一向に気にしていない様子だ。今回は左右の黒カビに覆われたサンダルが、どちらも右足用である。
「やはり、南のオーク独立勢力、ヴィラコチャ王国ユルパリ将軍配下の特殊部隊だったよ。サムカ卿、君を狙っていたようだ」
サムカが部屋の隅に立っている3体のゾンビに、しっかりと防護シートがかけられていることを確認し、軽く腕組みをした。イスの背もたれがギシリと軋む。
「ふむ……このところ、やけに活発だな。ナウアケの支援を受けていたとばかり思っていたから、そろそろ資金が尽きて、活動が鈍ると予想していたのだが」
ハグもシートの状態を横目で確認し、サムカの考えにうなずく。
「他にも支援者がいる……という事だろう。なに、よくあることだ。貴族を襲うには、やはり〔召喚〕先の方が便利だからな。魔力も1割程度にまで落ちているし、制限も色々とかかっておる。君のような田舎領主といえども、貴族を滅したとなれば、貴族社会の動揺も相当なものになるだろうからね」
サムカが軽いジト目になっているが、気にしないハグである。
「ちょうどナウアケが滅された後の、オメテクト王国連合の混乱を見ていると容易に想像がつくよ。あれほど混乱すれば、テロ組織や敵国は嬉しいだろうさ」
ハグの淡々とした言い分に、サムカが整った眉をひそめた。確かに、ナウアケの消滅から以降は、まともな貿易契約が結べなくなっている。オメテクト王国連合での混乱が酷くて、物流に支障が出ているのだ。
おかげで、サムカ領の産物のオメテクト王国連合向け輸出量が、計画よりも大幅に下回っている。在庫が増える一方だ。
そのため、別の販路の開拓に頭を悩ますことになっているサムカであった。が、その苦悩をハグに知られるのは癪に障るようで、顔には出していない。ハグが親元の召喚ナイフ事業のシステムに、指摘を入れるだけに留めた。
「その設定をつけた張本人が、私の目の前にいるのだがね。しかし、ハグよ。オークが部隊単位で異世界へ行けるとは、どういうことだね? 正規のルートでは無理だろう。またドワーフやセマンどもが絡んでいると思うかね?」
ハグもサムカにつられたのか、難しい表情になって肩をすくめて見せる。
「恐らくはそうだろうな。ただ、ワシも調べてみたのだが、証拠がない。連中は魔法を使わずに世界間移動をするから、魔法場の痕跡やらの証拠が残っておらんのだよ」
そう言いながら、ハグが意味深にニヤついた。
「サムカちんの居城では、痕跡や証拠だらけだな。残しても問題ないと、相当に舐められておるという事だ」
サムカが完全に仕事の手を止めて、イスに座ったままで背伸びをした。
確かに、セマンの盗賊や冒険者たちは、これまでは好き勝手にサムカの居城に出入りしていた。〔テレポート〕魔術刻印や、それに類する魔法場の痕跡も城内に残したままだ。確かにハグの指摘した通り、バカにされているのだろう。
今はさすがにセマンの警備会社のおかげで平穏な城内である。彼らにかかれば世界間移動も容易なのかもしれない。
「やれやれ……だが、オークの特殊部隊を動かすには、それなりの準備が必要だろう。右将軍閣下や諜報部のファントムたちに聞いてみたのだが、そのような動きはないそうだぞ。となると、獣人世界に連中の軍事拠点があるはずなのだが……あのパリーが見落とすとは思えぬ」
ハグもサムカの疑問に同意した。
「そうだな。分かった、引き続きワシも調べてみよう。商売仇になりそうなネタは、早めに潰しておかなくてはいけないからな。しかし、ワシもセマンの世界間移動の技には非常に興味がある。『運の魔神』の力というのは、侮れないものだな」
そして、話題を変えた。
「それで、金星の妖精には面会できたのかね?」
サムカが両目を閉じて、整った眉をひそめる。
「クーナ先生とラワット先生の指摘の通りだったよ。凶暴過ぎて、とても話ができる相手ではなかった。交渉に当たったシャドウも、問答無用で消滅させられたよ」
ハグはこうなる事を予想していたようで、ニヤニヤしている。
「それは災難だったな。この死者の世界にも金星がある。そこにもし妖精どもがおれば、同じような反応をする可能性が高そうだな。その事が分かっただけでもワシにとっては収穫だよ。ご苦労だったな」
サムカが両目を開けて、軽く腕組みをする。
「確かにな。シャドウが残した記録を見ると、金星の妖精たちは非常に好戦的だ。地球と比較しても、妖精や精霊の種類も数も少ないために、社会性がないな。シャドウに向かって、「死者の世界へ攻め込んで、征服してやる」と脅されてしまったよ。他にも色々と脅されたようだが、残念ながら精霊語の翻訳精度が低くてね。ほとんど意味不明だった。悪口や脅迫関連は翻訳できたのだが、彼らの暮らしについては不明のままだ」
ハグが少し同情的に口元を緩めた。
「まあ、あんな灼熱の大地で何十億年も暮らしていては、おかしくもなるだろうさ。雲が分厚くて、夜空の星も見えないからな。金星なんか捨てて、もっと住環境の良い星へ移住したいと思うのも仕方あるまい。地球には生命が溢れておるから、金星の妖精どもにとっても魅力的に見えるのだろうさ」
ハグが何となくしみじみとした口調で話すので、サムカも少し思い直したようである。しかし、考えを改めるまでには至らなかったようだ。腕組みをしたままで、再び整った眉をひそめた。
「精霊語の翻訳については、クーナ先生やラワット先生と相談して精度を上げていくよ。しかし、基本的には敵対関係だな。獣人世界の地球へ侵略に来てもらっては困るから、接触はしないように金星での実習をするよ」
ハグがサムカから金星の観測情報を得て、流し読みしながら同意する。〔空中ディスプレー〕画面には、貴族が使用する独特の言語が洪水のように流れている。魔力を帯びた言語なので、生徒や他の先生には見せられない。
「ふむ。その方針で正解だろう。基本的に妖精は不死だから、魔法があまり使えない獣人族では排除は難しいだろう。地球の妖精どもと大ゲンカになる事も予想できるしな。それで、固有の精霊場は把握したのかね?」
サムカが素直にうなずく。
「うむ、それは成し遂げたよ。地球の妖精と違って単純だからな。容易く誘き出せた。金星の妖精や精霊に対しては、ほぼ完全な〔ステルス障壁〕が作成できるようになったよ。金星実習で飛び回っても、気づかれる恐れはなかろう」
ハグもサムカの判断に異論はなさそうだ。足元の石畳の床や壁、それに天井までが〔風化〕によって粉を吹き始めている。部屋の隅で防護シートを被せている3体のゾンビにも、一応気を配るハグ。
そろそろ退散する頃合いだと感じたのだろう、最後に一つ質問をした。
「それはそうと、君が次に〔召喚〕されるのは、いつ頃だね? 校長から、事務職員不足でゾンビ作成用の人工生命体の手配ができなくなったと聞いた。今は熊ゾンビが大量に余っているから、それを用立てることができるぞ」
サムカも気になっていたようだ。ハグの申し出に腕組みをしたままで答える。
「予定では、3日後だな。前日にドワーフ製の学校保安警備システムが本格的に再起動する。ウィザードや法術使いたちのサーバーが本格稼働したそうでな。最後に私の〔召喚〕を行って問題なければ、『完全復旧』になる。次にゾンビの素体調達だが、確かに厳しいな。ハグが都合してくれるのであれば大歓迎だ」
【保安警備システムの再起動】
サムカが〔召喚〕される前日、学校では予定通り保安警備システムを再起動することになった。
東西校舎の地下にはマライタ先生による突貫工事のおかげで、かなり広大な地下室が出来上がっていた。校舎の1階部分がそのまま地下1階になったほどの空間である。そこには、ウィザード魔法で使う各種の『魔力サーバー』と、法術で使う『法力サーバー』、関連機器が収められている。
ソーサラー魔術使い用の倉庫も東校舎の地下にできていて、既にマンティコラやヒドラなどの魔法生物が何頭か檻に入っていた。さすがに、精霊や『化け狐』といった危険なものは、もう扱われていないようだが。
他には森で採集した薬草や毒草、キノコや虫にクモ、小さなワームにスライム状の粘菌、それに土壌微生物を培養しているガラス瓶などが見える。棚にはまだ余剰があるので、今後も増えていきそうだ。
ドワーフのマライタ先生が、ソーサラーのバワンメラ先生とシステムの最終確認を終えて、ほっと一息ついた。丸太のような太い腕を、腰ベルトに引っかけて首を回す。
「何とか間に合ったわい。バワンメラ先生の倉庫が一番厄介だったんだよな。緊急時の『自滅システム』だが、強制〔テレポート〕先を月面の洞窟に設定してある。自動で起動するから、巻き込まれないようにしてくれよな。ちなみに月の洞窟も自爆して埋まるようになっている。中性子爆弾を使ってるから、普通の生物は即死するはずだ」
ソーサラー先生がその詳細を手元の〔空中ディスプレー〕画面で確認し、目を上げてからマライタ先生を見下ろした。190センチもあるので、マライタ先生との身長差が60センチにもなる。首や手首に足首、腰や頭に過剰についている装飾具が「ガチャガチャ」と音を立てている。
「さすがに月面送りは嫌だな。まあ、魔術サークルもメンバー交代したし、変な研究はしないさ。監視の目もついてしまったしな。そんな場所で研究するような変人はさすがにいないだろ」
次にマライタ先生が訪れたのは、隣の法力サーバーだった。それを管理するマルマー先生も部屋にいて、マライタ先生を出迎えた。さすがに今は作業着姿である。それでも、どことなく派手な印象だが。
「やあ、マルマー先生。サーバーの調子はどうだい? そろそろシステムの再起動が始まるぞ」
マルマー先生が「ふう……」と一息ついて背伸びをした。かなり疲れている様子だ。いつもの人を見下すようなドヤ顔と、上から目線の姿勢ではない。
「うむ。徹夜続きだったが、間に合ったぞ。私も本国でシステムエンジニアに転職できそうな勢いだ」
マライタ先生は、(そんなわけないだろ。エンジニアを舐めるなコラ)と内心思ったが……顔には出さずにニコニコ笑顔で応える。
「そうかい、そりゃあ良かった。機械に詳しい人が増えてくれるとワシも嬉しいよ。さて。法力サーバーは魔力サーバーと違って『暴走しても特に害は出ない』という事なんだが、その認識で本当に良いのだな? 何度も確認してすまんが、これが最終確認なのでな」
言っている内容は、『法術なんか全然信用していないぞ』ということなのだが、ニコニコ笑顔でごまかしている。
マルマー先生も普段であれば意図を察して、反論して噛みついてくるはずなのだが……疲れているせいか、つられて微笑んだ。
「うむ、問題ない。法術は信者の信仰エネルギーに基づいておるからな。暴走して爆発して魔法場汚染が起きても、奇跡が起きる確率が上がるだけだ。むしろ、その場所が長寿と健康をもたらす『癒しの地』となるからな、爆発を推奨してもよいくらいだ」
マライタ先生が笑顔を凍りつかせて相づちをうつ。
「そうかい。そうなっても良いけど、ここは学校だからな。生徒の教育の邪魔になったら本末転倒だぞ」
マルマー先生が「はっ」としたような顔になった。考えていなかったようだ。
「お、おおう……そうだな。まあ、この地域には病院がないし、流行病なんかが起きたら大変だろ。臨時の病院としても充分に機能できるほどの法力サーバーだから、安心安全だ」
(あまり分かっていないようだな……)と内心思うマライタ先生。とりあえず話すべき項目を伝えることにした。
「法力サーバーは、他の魔力サーバーが暴走したり、重大事故が起きて全機能の強制停止が起きても、部分的に稼働できるようにしてある。緊急時用の法術稼働回路が組み込まれているからだな。ただ、その場合、1時間ごとにマルマー先生か、他の事前登録済みの法術使いが、ここにいるかどうかの確認があるんだ。盗難防止のためなんだけどな」
マライタ先生が赤いモジャモジャひげを触りながら念を押す。
「というわけで、非常事態になったらマルマー先生はここに張りつけになってしまう。その事を承知してくれよな。でないと、緊急用回路も強制停止するぞ」
マルマー先生が疲れた顔をしながらも、焦げ土色の黒い瞳を光らせて胸を張った。茅色で褐色の癖のある前髪も、これ見よがしに片手で跳ね上げる。
「それも何度も確認しているだろう。任せてくれ、このサーバーと緊急用回路は私が死守するから。セマンどもに盗まれて転売されてたまるか」
「へえへえ」と聞き流しながら、マライタ先生がそのまま部屋を出た。手元の空中ディスプレーを操作して、他のウィザード魔法の各魔力サーバーの稼働状況を確認する。
「こいつらは後回しでいいか。増強したとはいえ、市販のサーバーだしな」
市販とはいえ、誰にでも扱えるような代物ではないのだが……『マシンスペック教徒』ともいえるドワーフにとっては、後回しリスト入りする程度なのだろう。
実際、この程度の魔力サーバーはドワーフのエンジニアが日常的に扱っているので、手慣れているということもある。システム再起動後に、調整をすれば済む。法術だけは大病院並みの能力のサーバーだったので、さすがに気になっていたようであるが。
それと、ウィザード先生たちの魔力サーバーは、運動場をはさんだ向かいの西校舎の地下にある。行くのが面倒になったのもあるかもしれない。
カウントダウンが自動で開始されたのを、手元の〔空中ディスプレー〕画面で確認する。小麦色の顔の中央で存在感をいかんなく発揮している、大きな鼻の頭を指でかいた。
「さて。ワシも一応地上へ出ておくか」
【西校舎2階のサムカの教室】
その頃。サムカ熊は、彼の教室で選択科目としての死霊術や闇の精霊魔法についての講義をしていた。結局、校長が当初希望していたように、専門クラスの生徒以外にも教えることになってしまっている。
(実際に授業を行ってみると、それほど面倒でもないものだな)
サムカ熊も意外にまんざらでもないようだ。すっかり先生の仕事が板についてきたのだろう。
受講生もそれなりに多い。さすがに、ドワーフ製の丈夫なイスと机は足りないので、普通のものを持ち込んでいるが。
警察と軍から1名ずつ。それに、レブンの仲間であるアンデッド教のライン・スロコックと、ムンキン党のバングナン・テパ、それにミンタの悪友のコントーニャの姿があった。
マルマー先生作の紙でできた〔式神〕も1つあって、教室の後ろの壁に立てかけてある。録画して記録するようだ。
講義内容は初歩的なものなので、ペルたち教え子や、ミンタたちには不要な内容である。今回は、シャドウを〔探知〕できるようになるための訓練を兼ねた講義であった。ゴーストの〔探知〕は、既に全校生徒ができるまでになっていたので、その応用編の授業になる。
受講している生徒の中では、魚族のスロコックが非常に熱心に学んでいる。彼も、徐々に死霊術を使えるようになってきていた。そろそろゴーストであれば作成できる段階になっている。バングナンとコントーニャも同様だ。(もしかすると、獣人族は後付けで魔法適性が育つのかも知れないなあ……)と思うサムカ熊。
それでも、彼らを含めて、まだ多くの生徒はシャドウの〔探知〕が苦手のようだ。現状では、集中しないと〔察知〕できない程度である。
まあ元々、シャドウそれ自体がゴーストの上位種で、ステルス性能の高いアンデッドだ。〔察知〕できるようになるだけでも、大した事である。
(生徒たちは、もう全員が〔探知〕できるようになったとばかり思っていたが……意外にそうではないのだな)
残留思念を手鏡に導入して、小さなカラス型のシャドウを発生させながら、サムカ熊が思う。
まだ、このシャドウが〔探知〕できていない受講生たちに熊顔を向けた。
「さて。まだ見えていないと思うので、これから、このシャドウに接触してもらうことにしよう。ただ、これも魔法適性が関与している。1回で〔探知〕できるようになるとは限らない。その場合は、私に申し出てくれ。繰り返し何度が接触すれば、見ることができるようになる、だろ……う」
サムカ熊の感覚がいきなり途切れ始めた。今まで、何度か数秒間ほどの機能停止現象が起きていたが、(これは深刻なものになる……)とサムカ熊が直観する。
生徒と受講生も、サムカ熊が挙動不審な動きを始めたのを見て、ざわめき始めた。やはりアンデッドなので、恐怖感が湧き上がるのだろう。軽い悲鳴を上げて席から立ち上がる狐族の生徒が1人出ると、パニックが伝染し始めた。
アンデッド教徒のスロコックだけが青緑色の瞳をキラキラさせて、教壇に向かっていく。その彼がムンキン党のバングナンに制服の紺色のベストの奥襟をつかまれて、引き戻された。
スロコックがバングナンを肩越しに睨みつける。
「ちょ……何をする、離せ。死霊術場が急激に大きくなってきているのだぞ。最前列で見るべきではないか」
ジタバタもがくスロコックに、狐族のバングナンが怒りの目を向けた。褐色の瞳がギラギラ光っている。
「バカかお前は! 普通は逆の行動だろっ。オイ、教室の外へ逃げるぞっ」
「う、うるさいっ。貴重な場面になるかもしれないのだぞ。ちょ、離せって、コラ」
なおも暴れるスロコックを肩に担いだバングナンが、廊下に向けて駆け出した。
既にコントーニャは廊下に脱出していて、窓から手を振っている。
「ほらー、さっさと避難しなよー。みんなー走れー」
そう言い残して、さらに階段へ向かって駆けだした。運動場に逃げるつもりなのだろう。
彼女の危機判断力と回避に向けての行動力に、思わず感心するバングナンであった。まだ教室に残っている生徒に声をかける。
「オイ! 全員とりあえず脱出しろっ。そこの警官と軍人さんもだ!」
しかし、さすがと言うべきか。警官と軍人は、顔を蒼白にしながらも教室内に踏みとどまっていた。生徒たちの避難誘導と保護に全力を傾けるつもりのようだ。簡易杖を取り出して、サムカ熊に向けている。
「ここは我々が盾になります! 生徒の皆さんは大至急、ここから退避しなさいっ」
サムカ熊も薄れ行く意識の中で、魔法場の大幅な変動を〔察知〕した。
「そ、そういえば……今、ドワーフ製の保安警備システムが本格的に再起動しているのだったな……私を排除対象に選んだ、のか」
ヨロヨロと、サムカ熊が黒板にもたれかかる。既に、バングナンと警官と軍人の誘導で、受講生徒は全員が教室からの避難を終えていた。熊手を振って感謝を伝えるサムカ熊だ。
(この熊人形はつい最近導入したのだったな……保安警備システムに認証登録されていなかったか)
サムカ熊の行動制御が限界点を突破したようだ。熊手から3本の爪が伸びてきて、熊人形の手足が震えはじめた。それを見ながら、まだ教室に残っている警官と軍人に告げる。
「どうやら『暴走』し始めた。急いで、この学校から寄宿舎へ避難するように。間もなく、制御ができなくなる。授業は終了だ。至急避難しなさい」
怒声や喧騒が、隣の教室や1階から聞こえてきた。恐らく、コントーニャが知らせて回っているのだろう。バングナンは肩にスロコックを担いだままで、簡易杖を持って廊下で1人踏ん張っている。
教室内の警官と軍人は青い顔をして震えながらも、サムカ熊に簡易杖を向けたまま、なおも踏みとどまっている。
そんな彼らにサムカ熊が震える口を開いて、奥の縫い目を熊手の爪で指し示した。
「この熊人形の『コア』の位置だ。君たちの攻撃では無理だが、魔力の高い先生に頼んで、ここを狙って破壊してくれ。もう今となっては、自爆も受け付けないのでな。恥ずかしいことだ。君たちは急ぎ、上司に緊急事態発生を報告してくれ。私は、ここにいては危険だから先に失礼するよ」
そう言って、サムカ熊が右手を振り上げた。既に3本の爪が30センチほども伸びている。
それを一閃させて、小さなシャドウを消去した。森の妖精すら切り裂く爪である。シャドウ程度を滅するのは造作もない。
しかしその爪が、ぬいぐるみの手足の中へ戻らない。それどころか、足の先からも3本の爪が生えて伸び始めた。制御不能で『暴走状態』に陥ったことを確認する。
「我が使い魔よ現れよ。そして、我をここから排除して、運動場中央まで連れ去れ」
「我が主の御意のままに」
いきなり気温が数度下がって薄暗くなったかと思うと、サムカ熊のすぐ隣にヒグマ顔で4本腕4枚翼を持つ2メートルほどの背丈の使い魔が出現した。
ルガルバンダを小さくしたような印象で、〔ステルス障壁〕を展開しているのか半透明だ。この教室を守護するように、サムカから命じられている使い魔である。
先日バジリスク幼体に〔石化〕されてしまったのだが、すっかり元通りに〔復活〕していたようで、元気過ぎる姿を見せた。半透明なので表情までは分からないが。
ちなみに、使い魔は魔族でアンデッドではない。オークと同じ生者で、使役契約を結んで仕事をする。前回のサムカ〔召喚〕で一緒にやって来ていて、再び同じ任務についていたのだろう。食事やトイレはどうしているのか気になるところではあるが。
バングナンが思わず数歩ほど引き下がった。その肩に抱えられているスロコックは、逆に生き生きとした表情になっている。明るい口調で半透明の魔族を見上げた。
「す、すごい。これって、魔族って奴か?」
ウキウキしているスロコックを肩に担いでいるバングナンが、使い魔が発する膨大な魔力を感じて、冷や汗を全身にかいた。
「バカ野郎。そんな事言っている場合かよ!」
隣の教室から、次々に生徒が廊下に出てきた。エルフ先生とノーム先生の姿も見える。まだ、何が起きたのか把握できていないようで、キョロキョロしている。
バングナンが吼えた。
「サムカ熊が暴走寸前だ! 逃げろおっ」
その大声に≪ビクリ≫と反応する2人の先生と、生徒たち。そして、それは教室内にまだ残っている警官と軍人も同様だった。
「!!」
ようやく、声にならない悲鳴を上げた警官と軍人が、法術の〔浄化〕攻撃を杖の先から放った。しかし、何の効果も出していない。
使い魔も撃たれたことにすら気がついていないようだ。爛々と赤く燃える瞳を、サムカの顔から逸らそうともしていない。
「御免!」
そのまま、サムカ熊に猛烈な勢いで体当たりをした。サムカ熊の3倍以上の体重がありそうな巨大な熊型なので、半端ない威力になった。
爆発のような現象が起きて、机とイスが吹き飛ばされた。ドワーフ製ではないので、瞬時に砕け散る。
破片が床と天井の間を、数回ほどバウンドして往復するほどの衝撃が起きた。窓ガラスが全て外側に向かって砕け散り、天井の照明器具も全て粉になる。
警官と軍人には、使い魔とバングナンが〔防御障壁〕をかけていたようだ。吹き飛ばされて学校の外に落下し、そのまま13メートルほど転がっていったのだが、特にケガはしていない。
慌てて起き上がって、上司へ報告しようと通信器を取り出す。……が、完全に壊れていた。仕方なく、そのまま急いで駐留警察署と軍警備隊詰所へ駆け出していく。
バングナンもスロコックを肩に担いだままで、〔防御障壁〕を展開していた。しかし運悪く、同じ方向に使い魔がサムカをタックルしたので、瓦礫と一緒になって運動場に吹き飛ばされてしまった。
バングナンとスロコックの眼前を、巨大な熊型の魔族がサムカ熊と一緒にかすめ飛んでいく。危うく衝突するところだったが、スロコックの機転で〔飛行〕魔術が稼働して、何とか回避する事ができた。
「す、すっげえ……」
スロコックが感嘆の声を上げる横で、バングナンも鼻先のヒゲをピンと張ってうなずく。
「ああ……こりゃあ、すげえ魔力だぜ」
次の瞬間、運動場に落下して気絶する2人であったが。
2階の壊れて崩れた廊下ではエルフ先生とノーム先生が目を白黒させて、ライフル杖をあちらこちらへ向けているのが見える。
「な、何が起きたの!?」
「うわ。何だこの爆発は!?」
確かに、理解が追いつかないのも仕方がない。いきなり爆音と共に、隣の教室が破壊されて、巨大な熊型の半透明な化け物がサムカ熊に体当たりを仕掛けて、廊下が壁ごと大破しているのを見ては。
コントーニャが早くも運動場へ駆けだしてきて、地面に転がって気絶しているバングナンとスロコックの下へ向かった。途中で振り向いて、大穴が2階に開いた学校校舎を見上げる。直径2メートルくらいあり、今もなお瓦礫を運動場にバラバラと落としていた。
「うひゃあー。これは大穴だわー」
受講していた生徒たちは、〔テレポート〕で寄宿舎ロビーへ避難を済ませているのを、続いて確認するコントーニャである。バングナンとスロコックのケガの状態を素早く〔診断〕して、それらの情報を学校共有回線に〔転送〕する。
「気絶してるだけかー。じゃあ、こいつらも寄宿舎へ吹っ飛ばーす」
速攻で2人の男子生徒を寄宿舎へ〔テレポート〕させたコントーニャが、運動場に視線を移した。
「やばい、やばいー。私も逃げるぞお」
次の瞬間、コントーニャの姿も〔テレポート〕して消えた。鮮やかな逃げっぷりである。
運動場では、熊型の巨大な使い魔が連続してタックルをサムカ熊にかけて、運動場の中央へ向けて突き飛ばしていた。その度に、爆発音のような音が運動場に鳴り響く。使い魔が半透明なので、サムカ熊が勝手に動いているようにも見える。
使い魔は魔法でサムカ熊を吹き飛ばしているのではなく、タックルの物理攻撃で突き飛ばしていた。魔法では、サムカ熊の〔防御障壁〕に跳ね返される恐れがあったからだ。
それにしても……大穴が開いた校舎を見ると、大した『壊しっぷり』である。熱もかなり発生したようで、砕けた窓ガラスの半分以上が溶けて水あめ状になっている。
使い魔は指示通りに、そのままの勢いでタックルを繰り返しながら、サムカ熊を運動場の中央まで押し込んでいく。
しかし。そのゴール地点につく前に、サムカ熊の両熊手から伸びた3本ずつの爪が、電光石火の一撃を使い魔に食らわせた。
縦に7等分される使い魔。〔ステルス障壁〕が破壊されて、実体を現した。まさに4枚の翼を持つ小さなルガルバンダである。全身から血と臓器、それに魔法場を噴き出しながら、それでも命令通りにサムカ熊を押し続けていた。
この一撃で声を発する器官も破壊されて、目も潰され、両腕も切断されているのだが、魔力で強引につなげている。そんな血まみれの姿で使い魔が最後のタックルを決めようと、いったん数メートルほど離れてから、地面を蹴立てて突撃してきた。
その使い魔に向かって、サムカ熊から〔闇玉〕が放たれた。サムカ熊まで、あと1メートルまで迫った使い魔だったが……大きなスイカ玉サイズの〔闇玉〕を次々に全身に食らって、体をえぐられていく。
それでも自身の血と肉片を撒き散らしながらも、サムカ熊にぶち当たった。ひと際大きな爆音が鳴り響く。
あと数メートルという距離まで一気に押したのだったが……サムカ熊の両熊手が再び一閃すると、あっけなく崩壊してしまった。今度は血吹雪も上げることができず、灰のような粉状になって〔消滅〕する。
サムカ熊が両手の爪についた血糊を、無造作に振り払って落とした。
その瞬間。ドワーフ製の警戒システムがフル稼働した。運動場を取り囲むように、強力な磁場をメインにした〔防御障壁〕がドーム状になって発生する。同時にサムカ熊が立っている場所から、ほんの数メートルほど離れた運動場の中央で核爆発が起きた。
ちょうど地下から外に出て、運動場の隅でタバコを吸っていたマライタ先生が、いきなりのシステムフル稼働に慌てて立ち上がった。核爆発の火球も見えているが、防御障壁越しなので目も焼かれず、放射線被害も受けずに済んでいる。
しかし、さすがに1000万度にもなる火球の熱全てを防御障壁で遮断できるはずもなく、炎で顔を炙られたような痛みが走る。すぐに彼に装備されている防御システムが色々と自動で起動して、やけどをするような大事には至らずに済んだようだ。
ちなみにマライタ先生が使用しているのは機械式だ。魔術や魔法による〔防御障壁〕ではない。
「お、おいおい……どういうことだよ」
すぐに自動で環境測定が行われ、放射線被害は運動場の外では生じていないことを確認する。運動場を囲むように植えられている木々や花壇の花も、自然発火していない。校舎のガラスにも異常はない。
核爆弾も小型のものなので、破壊力はかなり小さい。いわゆる『対人用の核地雷』だ。魔法使いなどにはミサイルや化学兵器を含めて無効化する〔防御障壁〕を使う者が、特殊部隊を中心にいるので、このようなオーバーキル兵器が使用される。
システムの障壁内での核爆発だったので、1000万度の超高熱が及ぶ面積もかなり限定的だ。核爆発に付きものの巨大なキノコ雲も発生していない。
やがて火球が消えて土煙が薄くなってきた。それと共に視界が回復し、溶岩状になっている爆心地の近くに立つ熊人形の姿が見えてきた。何と全くの無傷のようだ。
「は? 何でテシュブ熊先生がいるんだ? あ……まさか」
慌ててマライタ先生が手元の〔空中ディスプレー〕を操作して、直近のシステム稼働ログを調べる。すぐに判明したようで、ガックリと筋肉に包まれた肩を落とした。
学校中に最高警戒を知らせる警報が鳴り響くのを、赤いモジャモジャ髪をかき回しながら聞く。
「……そうか。『確認漏れ』か。すまねえ、熊先生。こういった作業は、一介の先生に任せるもんじゃねえな」
【サムカ熊暴走】
警戒システムが作動して、事務職員や生徒たちは速やかに寄宿舎に避難を完了した。ミンタやペルたちも、その中に含まれている。
なお、寄宿舎の地下には強固な避難用シェルターがあるので、これ以上事態が悪化すれば、その中へ避難する手順になっている。狼バンパイアや幼体バジリスク騒動などが起きたので、新たに設けられた避難所だ。
「もしかするとー、地下シェルターへ避難することになるかもねー。ミンタ」
サムカの教室から無事に避難してきたコントーニャから話を聞いたミンタが、かなり呆れたような顔で肩をすくめている。そのまま、寄宿舎のロビーの壁の柱にもたれかかる。
コントーニャはさすがに疲れた様子で、早々にどこかへ退散していった。
「じゃあ、私はこれでー。ここに残っていたら面倒ごとに巻き込まれそうー。あとはよろしくねー、ミンタ」
気絶したままのバングナンとスロコックの2人を、ラヤンが他の法術専門クラスの生徒と救急医療室へ運びながら、彼女の後ろ姿に怒声を送った。
「こ、こらー! 現場の状況をマルマー先生に説明しなさいよっ」
しかし既にコントーニャの姿は、人混みの中に消えてしまっていた。代わりに謝るミンタである。
「ごめんなさい、ラヤン先輩。あのバカは昔から無責任なのよ」
ラヤンが他の法術専門クラスの生徒と一緒にジト目になっている。しかし、人混みの奥からスンティカン級長の怒声が聞こえてきたので、尻尾で床を数回叩くだけに留めた。
「……仕方ないわね。負傷者を見つけたら、臨時の救急医療室の前に運んでちょうだい。じゃあ、みんな。〔治療〕を始めるわよ!」
ラヤンが級長の呼びかけに応える形で、気絶した2人を担架に乗せて運び去っていった。途中の人混みを、容赦なくソーサラー魔術の風魔法で吹き飛ばしていくのは、いかにもラヤンらしい。
ミンタが一息ついて、周辺を見渡した。校舎から避難して来る生徒や先生、それに事務職員らで、寄宿舎のロビーが人で溢れ始めている。特に大ケガをしている人は見当たらない。
視線を窓の外に向ける。≪ビリビリ≫と窓ガラスが枠組みごと激しく振動している。
「これは、ちょっと油断ならない事態かもしれないわね。学校の保安警備システムが最新版に更新されたばかりなのに……その想定以上の事件が起きたって事かしらね」
寄宿舎ロビーの窓の外では、爆音と閃光、地響きが絶えず起きていた。建物が崩壊する際に生じる、独特な重低音を含んだ轟音も聞こえる。まあ、これまでに何度も起きていることでもあるので、生徒や事務職員も慌てたり悲鳴を上げたりする者は出ていない。慣れとは怖いものである。
ロビー内では竜族の数名が、帝国政府への批判も含めて、学校の保安警備システムの信頼性を糾弾して気勢を上げていた。いわゆる『援助クレクレ派』で、自身の町への補助金増額を狙っての騒ぎだ。
「今は、そんなこととは関係ないだろ。バカか貴様ら」
リーパットが一喝する。側近のパランとチャパイに命じて、たちまち竜族の生徒たちを取り押さえて拘束した。
それでもなお騒ぐので、猿ぐつわまで口に噛ませてしまった。
床に転がって「ムームー」唸っている竜族をリーパットが蹴り飛ばし、ロビー内に避難してきている生徒たちに向けて大声で叫ぶ。
「また異世界の連中が騒動を起こした! 例え教師であっても『こいつら』は全く信用ならないと、貴様らにもよく分かっただろう。異世界人どもは、これから何度も騒ぎを引き起こすぞ。一刻も早く、我々狐族だけで全てを行えるようにしなくてはならない! そもそも、この学校に劣等民族が……」
演説を始めたリーパットを無視したミンタが、人混みの中からようやくやって来たレブンとムンキンに顔を向けた。
「それで、レブン君。サムカ熊が暴走した原因って、やっぱりドワーフ製の保安警備システムの再起動と関係ありそうなの?」
レブンもセマン顔のままで、かなり冷静に手元の〔空中ディスプレー〕を操作して調べていたが、ミンタの問いに素直にうなずいた。ひどい人混みの中なので、しょっちゅう他の生徒や事務職員とぶつかって、足をよろめかせているが。
サムカの教室から無事に避難した生徒たちが、レブンやムンキンにも何が起きたのかを詳細に伝えてくれた。そのおかげもあって、かなり冷静に対応している。
「ドワーフのマライタ先生の所在が分からないから確定ではないけど、状況証拠から見てそうだろうね。ムンキン君の友人が、テシュブ熊先生がそのような事を口にしていたって話してくれたし」
ムンキンが尻尾を数回ロビーの床に叩きつけて、濃藍色の半眼になった。ムンキン党員たちも、ほぼ同じようなことをしている。
「全く、あの酒樽先生は。時々、強烈な失敗を仕出かすんだよな。サムカ熊も暴走なんかするなよ。で、この後どうするんだ?」
ペルが息を切らせてミンタたちが集まっている場所へ、人混みをかき分けてやって来る。それを確認し、軽く手を振ってこちらへ呼び寄せるミンタが「コホン」と咳払いをした。
ほっとして緊張の糸が切れたのか、泣き出したミンタの友人を含む避難者たちの背中を優しくさすっている。
「今は駐留警察と軍警備隊、それに先生たちが迎撃しているわね。その動向を見て、対策を考えましょ。まずは状況確認ね。サムカ熊の戦力と破壊目標の推定が最優先。警察や軍から一般向け情報をもらえるから、すぐに分かると思う」
友人たちを落ち着かせてから、ミンタが話を続ける。
「とりあえず最初にすることは……この寄宿舎全体を〔防御障壁〕で何重にも包み込むことかな。生徒全員でやればできるでしょ」
ケガ人2人を運び終えて戻って来たラヤンにも視線を投げて、上から目線で指示を出す。
ラヤンも、コントーニャに聞けなかった詳しい話を、サムカの教室から避難してきた生徒から聞いていたようだ。彼女もおおよその状況が把握できていると見て良いだろう。
「ラヤン先輩は、他の法術クラスの仲間と共に、負傷者や死者が出た際の〔蘇生〕〔復活〕や〔治療〕法術を諸々準備することね。警官や軍人の生体情報も法力サーバーにあるんでしょ。さっさと呼び出して」
ラヤンがジト目になった。赤橙色の尻尾の先をクルクル回している。
「そのくらい、もう準備してるんだけど。まあ、スンティカン級長に伝えておくわ。マルマー先生がまた行方不明になってるけれど、何とかなるでしょ。確かにミンタの言う通り、ここにいるよりは救急医療室の前で待機している方が有意義よね。じゃあ、私はこれで。負傷者は少ない方が良いんだから、効率よくクソ熊を破壊しなさいよ」
再び人混みの中へ消えていくラヤン。ラヤンの迫力に圧倒されたのか、目を白黒させているペルとレブンであった。ムンキンは党員と共に、作戦案を色々と考えているようだ。
ラヤンの背中を見送ったミンタが、鼻先のヒゲをモニョモニョ動かした。
「どうせマルマー先生は、地下の法力サーバーのそばにいるんでしょ。そういえば、ラヤン先輩はクラスでも中位の成績だったわね。指揮は級長に任せる方が良いのか」
法術自体の成績で見れば、ミンタが学校で1番なのだが……暴れたいという欲求が勝っているのだろう。最上級生である3年生が基本的に任されている級長に、治療関連を押しつける気のようだ。
ちなみにミンタはエルフ先生の精霊魔法専門クラスの級長ではない。ムンキンが級長に任じられている。
リーパットの演説は、人混みの中でまだ続いていた。
調子が出てきたようで、声にもリズムや張りが出てきている。しかし……さすがに今演説をするのは、このような緊急時にはふさわしくない。
実際に熱心に演説を聞いているのは、側近の腰巾着のパランと、チャパイの他、数名程度しかいない。他の一般生徒たちにとっては、次第に雑音や騒音の類として認識されつつあった。
パランも途中でその事実に気がついたようだ。演説に陶酔しているリーパットの白い長袖シャツの裾を、慌てて引っ張った。
「リ、リーパットさま。聴衆があまり聞いてくれていません。今は、緊急時ですので、もっと他の……」
「うるさいぞ、パラン! 今、良い場面なのだっ」
リーパットが陶酔気味の顔のままでニコニコしながら、パランの手を振り払った。パランの顔が感電したかのように≪ビクッ≫と震える。
「で、ですが。せっかく増えた党員が、離れてしまいます」
「知るか! 我の正論に刃向かう奴は党員でも何でもないっ」
リーパットが徐々に不機嫌な表情になって、パランを睨みつけた。
代わりに、他の取り巻きたちがリーパットを褒めたたえ、2人めの側近であるチャパイがパランを引きはがした。尻餅をついて転がっていくパランである。
「古参だからといって、口うるさいんだよ! リーパット様の仰ることは絶対なんだ。いちいち口を挟んで邪魔するなよ、パラン!」
やいのやいのと、チャパイと新参の取り巻きたちがリーパットとパランの間に割り入って騒ぎ立て始めた。リーパットも、パランに向かって上から目線で罵る。
「そうだぞ。貴様はただの『従者』だ。我に注進するな。身の程をわきまえろ」
さすがに、ここまで言われると黙るしかないパランであった。床に座り込んだままで、うつむいている。
そんな主従の前に、スロコックに率いられたアンデッド教の生徒たちが数名歩み出てきた。早くも気絶から回復したようである。
そのスロコックが青緑色の瞳を細めながら、リーパットに指を向ける。さすがに魔法の手袋までは、土汚れを落としきれていない。
「そんなもの、演説とは呼ばぬわ。ただ喚いているだけであろう。避難してきている我ら生徒は、大いに不安なのだ。貴様の戯言を聴く余裕などない。不安を煽り立てるだけだ。黙っていろ、この赤点狐め」
さらにバングナンに率いられたムンキン党の数名もアンデッド教徒に合流して、リーパット党を非難し始めた。彼らも気絶から回復したようである。こちらは武闘派なので、リーパット党と小競り合いを始めだした。
「最近になって調子に乗ってきやがって、鬱陶しいんだよ。魔法も満足に使えない落ちこぼれども! ゴミはゴミらしくロビーの隅で吹きだまっていろや!」
当然の帰結として、乱闘が始まった。
一般生徒たちの間から悲鳴や怒声が湧き上がった。攻撃魔法が撃ち込まれ、〔防御障壁〕が発生して、何人もの生徒がロビー内で吹き飛ばされる。一部では逃げようとした生徒たちが将棋倒しになっていた。
校長を始めとした事務職員たちが、何とか暴動を鎮めようと躍起になっているが、生徒の数が多すぎる上に、狭いロビー内なので何もできない。無情に群衆に飲み込まれて流されていく。
ムンキンも嬉々として、その乱闘に参加しようとしている。それを、魚頭になったレブンが必死で抱きついて引き留めていた。ペルは薄墨色の瞳を白黒させ、パタパタ踊りを始めている。
そんな中、呆れた表情で軽く首を振ったミンタである。
(もう。仕方がないな、私がやるしかないか)
〔結界ビン〕をポケットから取り出して、ふたを開け、中から杖を取り出してロビーの天井へ向ける。金色の毛が交じる尻尾が振られて、優雅に弧を描いた。
「はい、皆さん、注目!」
それだけで、騒がしかったロビー内の群衆がピタリと静かになった。当然のようにミンタに注目する。
しかしリーパットだけは、この精神の精霊魔法にかからなかった。
演説中だったので驚いたような顔をしていたが、すぐにミンタの仕業と分かって激高する。ミンタに指さして抗議してきた。尻尾が逆立って斜め上45度の角度になって固定されている。
「ミ、ミンタあ! 貴様、我の正論に逆らうつもりかあっ」
「もう、うるっさいな。この赤点狐は」
ミンタが杖をリーパットに向けて、容赦なく〔電撃〕の精霊魔法を放った。
「ぎゃ」
全身の毛皮を逆立てて床に倒れそうになるリーパットだが、必死でこらえた。両足がガクガクと震えているが、まだ元気である。両目がザクロ色に輝いている。尻尾の角度は現在60度だ。
「こ、この程度の攻撃、我には効か……ぎゃあああっ」
2発目の〔電撃〕がリーパットに襲い掛かり、尻尾の角度が90度になって直立した。そのまま全身から煙を吹いて、「バタリ」と倒れて痙攣している。
側近のチャパイは視線をリーパットに向けようともしないで、他の党員と共にミンタに黙って注目したままだ。かなり強力な精霊魔法を使ったのだろう。しかし唯一パランだけは、チラチラと視線を焦げているリーパットに向けているようだが。
レブンとペルが少々冷や汗をかきながら、互いに顔を見合わせている。
(うは。無茶するなあ……)
2人は闇の精霊魔法による〔防御障壁〕を展開していたので、この精霊魔法の影響を受けずに済んでいる。
他に影響を受けずにいたのは、ムンキンと他数名の生徒だけのようだ。そのムンキンも残念そうに首を振っている。騒ぎが収まってしまった事を残念に思っている様子だ。
校長までミンタの精神操作の精霊魔法を食らっていて、他の事務職員と一緒にミンタに注目していた。キラキラした黒い瞳が、今は逆に物悲しく感じる。
ゴミ捨てを終えたような表情をしたミンタが、「コホン」と咳払いをした。ロビーの外の爆音と閃光が、ひと際派手になる。
「あ……しまった。シーカ校長先生にまで魔法が効いちゃったか。仕方がないな。じゃあ、ここは私が指揮を執るわね」
ミンタが全く悪びれることもなく、反省の色も見せずに、〔浮遊〕魔術で50センチほど浮き上がった。これでロビーにいる者全員がミンタの姿を明瞭に見る事ができる。当然ながら精神の精霊魔法もその効果を増すことになる。
「まずは全員で、この寄宿舎を守る〔防御障壁〕を作りましょう。その後で、熊退治の手伝いを行います」
《どさ、どさどさ……》
寄宿舎の前庭に、突如14名の警官と軍人が〔テレポート〕されてきた。防護アーマーの重武装なのだが、見事に胴体や首、手足が切断されてバラバラになっている。
血や、胴体から噴き出した内臓なども一緒に〔テレポート〕されてきたので、前庭がいきなり血みどろのスプラッタ劇場になってしまった。
さすがに寄宿舎内の生徒や事務職員たちの間から悲鳴が上がる。
ミンタがすぐに精神沈静化の追加魔法を全員にかけ、パニックを未然に抑える。そのままラヤンに顔を向けた。
「ラヤン先輩! 早速で恐縮だけど、〔復活〕法術を始めなさいっ」
「命令系統を混乱させるんじゃないわよ、治療班のボスは級長なのよっ」
ラヤンがスンティカン級長の指示に従って、他の法術専門クラスの生徒を叱咤しながらロビーの入口を開け放った。そして、肉片や肉塊が散乱して血の海になっている前庭に、先頭きって飛び出していく。
そのまま簡易杖を振って、法術による〔復活〕作業を開始した。警官と軍人の〔復活〕用の生体情報を、法力サーバーから呼び出す。
人数分の魔法陣がラヤンたちの腰あたりの高さに出現した。地面に水平な平面型の魔法陣で、数は同数の14個。
地面に散乱している肉片や臓器などが、それぞれの魔法陣に関連付けられて薄い光の線でつながり、収集ラインを形成する。ちょうどクモの巣が急速に形成されていくような風景だ。
ラヤンと法術専門クラスの生徒が地面に落ちている『それら』を拾って、それぞれの魔法陣の中へ投げ入れていく。血液などの液体も、それぞれの魔法陣の中へ自動で吸い込まれ始めた。
30秒もしないうちに、血の海だった地面がきれいになり、全ての肉片と血液等がそれぞれの魔法陣の中に収められた。なお、衣服は作業に邪魔なので、魔法陣の真下の地面にゴミとして分別処理されて落ちている。
ざっと見た感じでは、人体を〔復活〕させるための材料がそろったように見える。サムカの爪の切れ味が良すぎたせいなのか、体のパーツを寄せ集めるとそれだけで元の姿に仮組みができている。
魔法陣が手術台のようにも見えるので、何かのドラマの場面のようだ。
ムンキンが感心して腕組みをし、隣のミンタに感想を述べた。
「さすがだな。法力サーバーがまともに機能したら、こんな一度に〔復活〕させることができるのか。ラワット先生が四苦八苦して〔復活〕させていたけど、やっぱり生命の精霊魔法と法術って違うんだな」
ミンタも実際ここまで大規模な〔復活〕法術を見るのは初めてのようだ。両耳をパタパタさせて素直にうなずいている。
「そうね。狼バンパイアが襲撃してきた頃は、まだサーバーが弱かったからね。本来の法術って、こういうものなんでしょ。〔復活〕に必要な材料はほぼ回収できたみたい。足りない分は法力場を〔物質変換〕して補えばいいし、記憶や意識も用意できているみたいね。それでもちょっとした記憶障害や意識障害なんかの副作用は起きるだろうけど。さて、私の方も情報収集がだいたい完了したわよ」
ミンタが軍と警察、それからエルフ先生からの情報を統合した。ラヤンに告げる。
「ラヤン先輩! 前庭を野戦病院に指定するわね。〔防御障壁〕の有効範囲を広げるけど、それでも前庭全部をカバーすることは無理。治療場所を移動して〔防御障壁〕の中に集約して。でないと、戦闘の流れ弾が当たるわよ。それから、警察や軍の医療班はいないから、その分も頑張ってね」
ラヤンは当初、返り血などを浴びて全身が真っ赤に染まっていた。しかし今は、法術の起動で血糊も全てそれぞれの魔法陣の中に回収されたので、きれいになっている。
「使えないわね、ミンタ。前庭全部を覆うくらいやりなさいよ。まあ、いいわ。〔防御障壁〕の中に負傷者と体の部位を全て移動しましょう、スンティカン級長。私たち、法術専門クラスの実力を見せつける時です」
これまでの事件で法術を使う機会が多かったおかげか、意外に早く混乱状態から回復する法術クラスの生徒たちだ。スンティカン級長もまだ顔を青くしたままだが、しっかりと治療チーム分けをして的確な指示を出し始めた。
まず、負傷者を警官と軍人のグループに分ける。参照する〔復活〕用の生体情報が別々なので、法術の効率が低下するのを防ぐためだ。
さらに、〔復活〕部位を分けて担当を決めていく。特に神経系は繊細なので、上級生が担当することになった。1年生は比較的簡単な筋肉や骨格に関節、それに血管やリンパ管の担当だ。ラヤンはちょうど中程度の成績なので、内臓の再生を担当することになった。
回収した中には、消化器官中にあった未消化の食物や糞尿なども混じっているので、それらをまず分別して排除する。腸内の細菌叢は必要になるので、これは別途保存する。マルマー先生が実習授業を行っていたのだろう、かなり手際がよい。さすが専門クラスといえる。
ムンキンがロビーの中から、そんなラヤンたちの死者〔復活〕作業を眺めながら「フン」と鼻を鳴らした。
「さすが鉄の女。来年の法術専門クラスの級長はラヤン先輩に決定だな。それで、ミンタさん。〔テレポート〕されてきた警官や軍人さんって、サムカ熊に斬り殺されたのを、カカクトゥア先生が〔テレポート〕して送ってきたんだよな」
「ギョッ」としているペルとレブンを、とりあえず今は無視したミンタが、険しい表情のままでうなずいた。口元のヒゲもピンと張っている。
「2回確認したけど、そうね。今はまだ警官も軍人も配置総数が少ないから、ここに送られた人数がほぼ全てね。駐留警察署や軍警備隊に残っているのは、通信連絡員や事務員しかいない。彼らは戦闘能力を持たないから、これで事実上、軍と警察が『壊滅』したことになるのかな」
ひと際大きな爆発音が鳴り響いて、地面が≪ビリビリ≫と鋭く揺れた。同時に、ミンタを含めた生徒たち全員の手元に浮かんでいる〔空中ディスプレー〕に、新たな警告情報が出る。
生徒たちが一斉に動揺してどよめく中、ミンタが右の耳をパタパタさせて、ついでに片手で耳をかいた。これ以上の精霊魔法の連発は、さすがに止めたほうが良いと思ったのだろう。ちなみに、リーパットは床に倒れたままだ。煙は収まったようだが。
まだミンタに注目し続けている生徒と校長たちを、いったん気絶させる。数分後には気がつくはずだ。おかげで寄宿舎ロビーの床が、倒れた生徒と事務職員で埋まってしまった。
「ドワーフ製の保安警備システムが破壊されたか。ウィザード魔法の魔力サーバーにも被害が出てるわね。法力だけはマルマー先生が現地で死守してくれているのかな、大丈夫そう」
ミンタがペルとレブンに鋭い視線を向けた。栗色の瞳がキラリと光る。
「熊人形だけでは、ここまで効率よく設備を破壊することはできないわ。多分、シャドウか何かを使っていると思う。寄宿舎にもすぐに襲ってくると思うから、迎撃してくれるかな。できれば、マルマー先生の護衛もしてくれると助かる」
レブンとペルが顔を見合わせて、すぐに力強くうなずいた。
「分かったよ、ミンタちゃん」
「了解だ、ミンタさん。ジャディ君も多分、この近くの上空を飛んでいるはず。連携してシャドウの迎撃をやってみるよ」
そう言えば、(あのバカ鳥が見当たらなかったな……)と思うミンタである。
「あまり当てにはしていないけどね。でもまあ、見つけたらよろしく言っておいて」




