59話
【岸辺】
ペルが岸辺を空中散策していると、すぐにミンタたち全員が次々に〔テレポート〕して集まってきた。皆、空中に〔浮遊〕していて地面に足をつけていない。今回はジャディの姿もあった。さらに……
「あわわ。テシュブ先生……ばれちゃったか」
サムカ熊の姿もそこにあった。エルフ先生の姿は見当たらないので、彼女にはまだ知られていないようだが。
やはり空中〔浮遊〕は苦手のようで、上下左右にフラフラして安定していない。それでも、口調は貴族らしい威厳に満ちたものだった。
「不審な動きをしているから、気になって来てみれば。こんな場所で何をするつもりかね? 湖の対岸で何やら騒動が起きているようだが、それに関係することかね?」
サムカ熊が代表であろうミンタに詰め寄る。
ミンタもこうなることは予想していたようで、尻尾を振って愛想笑いをするばかりだ。隣のムンキンとラヤンも、ミンタと視線を交わして愛想笑いを浮かべている。レブンだけは、さすがに少しおどおどしているが。ジャディは、気楽に湖の上空を飛び回って、野鳥の群れをいじめている。
ミンタが代表して、サムカに真面目な視線を向けた。
「パリーさんからの秘密依頼よ。ここはソーサラーの違法施設があった場所で、魔法生物のエサを生産していたみたい。」
ここまではサムカ熊も報告書を読んで知っている。ミンタの口調がサムカに対してぶっきらぼうなのも相変わらずだが、これも特に指摘しないようだ。その代わりに、森の中からこちらへ向かってくる勢力の存在に気がつく。
チラとそちらへ視線を向けたが、すぐにミンタの顔に視線を戻した。
「うむ。タカパ帝国軍が破壊したのだったな。確か、湖面上に浮島を作っていたのだったか。浮島ごと粉砕したと記録にあるが」
「そうね。森の妖精や精霊と協力してね」
ミンタの説明の通り森の中には、数体の森の妖精と精霊群が姿を見せていた。もちろんパリーのように人型ではない。
それを一目見たサムカ熊が、彼ら妖精に会釈する。彼らに敵意が見られないことを確認したようで、迎撃などのアクションは起こしていない。森の中の妖精と精霊群もいわゆる棒立ち状態で、攻撃するつもりは無さそうだ。無言で、じっと様子を伺っている。
「ふむ……彼ら妖精からの申し出とは、いったい何だね?」
ミンタが意外と明るめに微笑んで、妖精たちに視線を向けた。金色の毛が交じる尻尾も、気分に乗って大きく振られる。
「それは、彼らから直接聞くべきね」
上空でジャディが吼えた。簡易杖を右手に握りしめて、杖の先をミンタに〔ロックオン〕している。
「コラ、糞ミンタああああっ! 殿に無礼な物言いなんかするなやコラああああっ。ぶっとばすぞ!」
警告しながら、いきなり、風の精霊魔法に闇の精霊魔法を含めた魔弾をミンタに撃ち込んできた。
ペルがジト目になって簡易杖を振り、ミンタに〔防御障壁〕を被せる。そのおかげで、ジャディが放った全ての魔弾が〔防御障壁〕に吸い込まれて〔消滅〕した。同時にミンタが簡易杖を上空で旋回しているジャディに向ける。
「うるさいな、このバカ鳥は」
その一言で、ミンタを守っていた〔防御障壁〕の表面に穴が開いた。その穴を通って、ミンタが放った〔赤いレーザー光線〕がジャディに殺到する。もちろん、全弾命中だ。
「ぎゃ」
ジャディが展開していた〔防御障壁〕が、全く役に立っていない。いきなり10発もの〔レーザー光線〕を食らって、新調したばかりの制服が燃え上がった。羽毛にも引火している。
慌てて水の精霊魔法を発動させて消火するジャディに、今度はムンキンが同じ〔赤いレーザー光線〕を浴びせ始めた。
ミンタとムンキンによる十字砲火を浴びては、ジャディといえども為す術がない。
「ち、ちっくしょおおおっ。今は引いてやるっ。覚えていやがれ! あちちちっ、燃える燃えるううう」
黒い煙を出しながら、湖とは反対の方角の空へ逃げていくジャディであった。
ムンキンが簡易杖を下ろして、「フン」と鼻を鳴らす。
「ばーか。手加減してやったんだよ。焼き鳥にしても美味くないからなっ」
ミンタも大きくため息をついて、明るい栗色の瞳を森の妖精と精霊群に向けた。
「30秒ほど、余計な時間を浪費しちゃったわね。まったく、あのバカ鳥。何しに来たのよ」
ペルとレブンが、いつものように謝っている。
「ごめんねミンタちゃん」
「申し訳ない、ミンタさん、ムンキン君。後でジャディ君に言っておくよ」
ハエでも追い払った後のように、ミンタが清々しい笑顔で妖精たちを出迎えた。
「さて。うるさい鳥もいなくなったわね。森の妖精さんたち、私たちに用事って何かしら。精霊語の方が良いなら、私が通訳するわよ」
妖精たちはなおも、ゆっくりと接近してきていて、手を伸ばせば触れそうな距離だ。姿は、やはり巨大な甲虫やクモ、ムカデ、トカゲのようで、サイズはそれぞれが数メートルほどある。
精霊群は、よく見かける水や風、光に大地の精霊だった。意識はありそうだが意思を有していないので、森の妖精と異なり、話ができるような相手ではない。自然現象の延長線のような存在だ。
その精霊群をミンタたちから少し遠ざけて、話がしやすい環境にする森の妖精たちである。
「いや。パリーと言語処理で〔同期〕しておるので、ウィザード語で構わぬよ。狐語では、そこの熊人形殿に通訳が別途必要になるだろうからな。翻訳に齟齬が生じることもあろうが、そこは遠慮なく指摘してくれ」
かなり流暢だ。初老の屈強な男が話すような野太い声で、代表の巨大甲虫の姿をした森の妖精が答えた。湖に近いせいか水棲昆虫のゲンゴロウのような姿をしている。
もちろん、虫の発声器官そのままでは『人の声』の発音はできないので、何かの精霊魔法か妖術を使って合成しているのだろう。
妖精の話を要約すると、以下のようなものだった。所々、翻訳が成功せずに意味不明になる点もあったが。
〔ステルス障壁〕が解除され、違法施設が破壊された後。この湖と沿岸に、獣人族や原獣人族が住みつき始めた。あわせて、精霊や森の妖精、それに水の妖精の配下も棲み始めた。ここまでは、よくある話だ。
ちなみに、ソーサラーたちの違法施設があった時分は、〔ステルス障壁〕や警戒システムが機能していた。そのせいで、魚貝や水草に水棲昆虫などばかりで、ほぼ誰も住んでいなかったらしい。湖を〔認識〕できなかったのだから、当然だ。
しかし、この湖の面積が『かなり大きかった』ことが災いになった。普通は、これほど広大な面積が一度に居住可能になるような事は起きない。川や地下水脈の移動に伴って、沼や池が生じたり、消滅したりする程度だ。
いわば、現地の者にとっては、一大『移住ブーム』が起きたことになった。これまで長い間、上位捕食者である獣人族や原獣人族がいなかったので、湖は野生生物や魚貝に虫の楽園になっていた。それもあって、なおさら『移住ブーム』に熱がこもったらしい。
そして当然のように、獣人族や原獣人族の間で『縄張り争い』が起きた。ソーサラー施設の破壊処理を行ってから、それほど日数が経過していないのだが……こうした争いが起きるのは存外早いものだ。
そして色々起きて、結局……森の妖精の調停で、大方の『縄張り』が決定したのである。従わない者も当然いるが。
サムカ熊が妖精から話を聞きながら、(死者の世界の森と大差ないな……)と内心思う。
(……まあ、生者は食事をしなくてはいけないのだから、縄張りは死活問題になるのだろう)
と、とりあえず理解する。
(貴族に当てはめると、沐浴の場での場所争いに近いか)
貴族の場合は、死霊術場の流れの強い『流央』で沐浴する方が、魔力蓄積に都合が良い。なので時々、沐浴場では『流央』を巡って、ひと悶着が起きる場合がある。普通は決闘や賭け事で決まるのだが、この湖では集団戦闘になったようだ。
「……ふむ、なるほどな。家族や一族の繁栄を望むのであれば、より良い条件の場所へ執着するのは理解できる。しかし、森の妖精諸賢は相当強力な魔力を有しているはずだ。強制力などを発揮して、力づくで納得させることはできなかったのかね?」
生徒たちも、サムカ熊と同じ疑問を抱いているようだ。『パリーの横暴』をいつも見ている身としては、当然の疑問である。
代表の巨大水棲甲虫型の森の妖精が、やや自虐的な口調になって解説してくれた。虫の頭なので、表情は変わらないが、その分、触覚による精妙な仕草が感情をよく表している。水棲昆虫のゲンゴロウに似ているので、触覚は短くて節くれだっており、ちょっとした武器にもなりそうだ。
「我ら森の妖精も、当事者に含まれるのでな。獣人族や原獣人族、それに森の生物全般から、生命の精霊場を得ておる。従って、我らにも派閥が生じるのだよ。特定の獣人を優遇することは避けたいのだ」
(色々と妖精の世界も面倒なんだな……)と思うサムカ熊。何となく貴族社会の領主の仕事にも似ている。
「事情は、何となくだが理解できた。我らであれば、この森とは直接の利害関係がない。第三者の立場で調停することができるということか。それで、どの獣人族が『縄張り争い』をしているのかね?」
サムカ熊の言葉に、森の妖精の代表がその6本足を踏み直した。頭が動いて、出窓ほどもある一対の複眼と帽子サイズの二対の単眼で、サムカ熊と生徒たちを見回す。
彼らも空中に浮かんでいて、足を地面につけていない。泥の浜を、無数の巻貝や糸ミミズのような虫たちが占拠しているので、そのままの意味で『足の踏み場がない』という事情もあるのだろう。
「うむ。ワニ族とカエル族の『縄張り争い』をまとめてもらいたい。場所は、この湖の対岸だ。ここと違い、遠浅で葦原になっておって、魚や虫の巣になっている」
さすが魚族というべきか、レブンが即座に納得した。
「葦原があるのですか。そりゃあ縄張り争いに発展しますよね。ここのような、普通の渚だったら問題なかったのでしょうけれど」
他の生徒たちは竜族のムンキンとラヤンも含めて、「へえーそうなのか……」という表情をしている。
竜族は二足歩行なので、身動きがとりにくくなる泥沼の浅瀬は苦手である。流れがある川沿いや、泥混じりではない砂浜を好むものだ。日光浴も好きだからだが。
狐族に至っては説明するまでもないだろう。葦原は、蚊やアブにヒルの巣窟でもあるので、近寄ろうともしないものである。
ペルとミンタが微妙な表情になって顔を見合わせた。ペルが両耳を前に伏せ気味にしている。
「ミンタちゃん……パリーさんから聞いていた話と違うよお。『残留思念の掃除』じゃないよ、これ……」
ミンタも仏頂面になりつつペルに鼻先を向けた。
「やられたわね。まったく……。でもまあ困っているようだし、力になってあげるべきよね」
レブンもムンキンと視線を交わしてからミンタとペルに同意する。
「そうだね。妖精さんと仲良くなる事は、大切だしね」
代表の巨大甲虫妖精がレブンに頭を向け、満足そうにうなずいた。一対の巨大な触覚が勢い余って、≪ブオン≫と風を切って音を立てる。こういった仕草には慣れていないようだ。
「見ての通り、豊潤な餌場だ。だが場合によっては、この騒動の元凶でもある葦原を消し去ってもらっても、我らとしては構わぬよ。判断は任せる」
そう言われると、にわかに勢いづくのは、やはりムンキンとミンタであった。ジャディもいつの間にかシレッと戻ってきていて、一緒になって興奮している。
「よっしゃあ! 任せろっ。光に帰してやるぜ」
ムンキンが自信満々な顔で濃藍色の瞳を輝かせ、柿色の尻尾を浜辺に≪バンバン≫叩きつける。巻貝やら糸ミミズやらが砕けて潰れて飛び散った。
その上空では、ジャディが早くも数個の旋風を発生させて宙返りし、ムンキンに対してビシっと指を向けている。
「黙ってろトカゲ。オレ様の闇の精霊魔法で、上空から一撃で跡形もなく消滅させてやる。満足に飛べないトカゲは、指をくわえて黙って見てろ」
早くもジャディとムンキンとが魔法で攻撃を交わし始めたのを放置して、ミンタが仕切った。
「それじゃあ、森の妖精様。現場まで案内して下さい。私たちも、次の授業が控えていますからね。あまり長時間ここにいる事はできないんですよ」
【葦原の戦い】
現場は本当に広大な葦原だった。広さは50ヘクタールはあるだろうか。葦の草丈も3メートル弱はある。その上空数メートルに〔浮遊〕しながら、見下ろす生徒とサムカ熊に森の妖精たちである。
現場では、すでにワニ族とカエル族の大集団が合戦を始めていた。その数は、それぞれ500ほどだ。狼族の盗賊団がしているような装備で完全武装している。弓矢と手斧が主体だが、魔法銃まで持っている者がいる。
(狙撃兵や伏兵も葦原に散開しているのだろう……)と思うサムカ熊。不安定な〔浮遊〕魔術なので、流れ弾や矢を回避する事は出来ていない。仕方がないので、まとめて〔防御障壁〕で対処している。
「確かに大騒動になっているな。対岸まで聞こえるわけだ。だが、軍事訓練は大して積んでおらぬようだな。組織戦闘を行えておらぬので、暴徒どもの乱闘に類する」
サムカ熊や生徒たち、果ては妖精たちにまで、流れ矢や流れ弾がいくつも飛んできている。
水の精霊魔法がやはり得意なようで、強酸や強アルカリ、毒水の放水もあちこちで起きていた。他には、これらが霧状になった攻撃や、〔電撃〕の精霊魔法に、スライム〔召喚〕などもしている。
しかし、サムカ熊が指摘した通り、指揮統制された攻撃は為されていない。各自が好き勝手に直接攻撃や魔法を行使しているだけだ。
ワニ族もカエル族は二足歩行が『可能』という程度の獣人である。通常は四足歩行で、衣服もボロ切れをまとめた程度だ。常時水中にいるので、衣服も擦り傷の防止のために着用している程度の認識しかない。
今は両手に武器を持っているので二足歩行になっているが、『無理をして立っている』という印象が強い。
飛族や狼族と同じくタカパ帝国民ではあるのだが、村や町のようなものは作らない。実質は、森の妖精の庇護下にあるというのが本当のところである。
まず、最初に巨大水棲甲虫型の森の妖精が、葦原の上空スレスレの高さで浮かびながら、両陣営に警告した。
「お前たちが延々と駄々をこねておるから、こうして調停者を呼ぶ羽目になった。恥を知れ恥を。どのような結果になっても、我ら妖精は関知せぬ。例え、この葦原が調停者によって焼き尽くされてもな」
たちまち、怒号が両陣営から巻き上がった。森の妖精相手なのだが、容赦のない罵倒だ。
「そんなことさせるかよ! ここはオレたちワニ族の土地だ! 森の妖精だろうと何だろうと、全力で反抗するのみだぜ」
「カエル族の土地だと言っておるだろうが、この水トカゲめ。我らの決意の固さ、思いしれ。断固として立ち退くものか」
怒号に雄叫びが混じり始め、それが興奮の度合いをどんどん加速的に増していく。(ああ、これは暴動の炎に油を注いだだけだったな……)と思うサムカ熊であった。
葦原が魔法攻撃で溶けたり踏み倒されて、相当の被害が出ているのだが……もはやどうでもよくなっているようだ。戦闘に巻き込まれた魚や虫も大量に死んで、泥だらけの水面にびっしりと浮かんでいる。これでは本末転倒である。
サムカ熊が熊頭を軽く振った。
「仕方がないな。ミンタさんを攻撃隊長にして、好きにやりなさい。もはや説得で何とかなる段階ではない」
サムカ熊の許可発言に、すぐに嬉々として反応するミンタである。
「言われなくても好きにしちゃうけどね。じゃあ、みんな。やってしまうわよっ」
そして、ラヤンに栗色の視線を向けた。
「ラヤン先輩、ケガ人の治療をがんばって下さいね」
ラヤンも準備完了しているようだが、紺色のジト目になって、赤橙色のウロコを心持ち膨らませている。
「調子に乗って、殺しちゃダメよ。〔蘇生〕用の生体情報が手元にないし、私の法術もそれほど万能じゃなんだからね」
ジャディが悪人顔をさらに凶悪にしてラヤンに凄む。ほとんど猛禽がトカゲに襲い掛かるような勢いだ。
「はあ? だったら、どのくらいまで痛めつけてやりゃあ良いんだよ。このトカゲ」
ラヤンがジト目をさらに細めて、ひと際強く尻尾を振り回す。さすがに下級生からの悪口にも慣れてきているのか、条件反射的な反撃行動には自制が利きつつあるようだ。
「そうね、手足の1本を吹き飛ばす程度までね。首を吹き飛ばすような攻撃は保障外。胴体に風穴をあけるような攻撃もダメね。それから、手足を吹き飛ばしたら、きちんと傷口の止血処理の法術もかけておいて。失血ショックで死ぬことが多いのよ」
ジト目が更に強まっていく。
「とにかく、死んだら無理ね。心肺停止になって60秒以内までが許容範囲よ」
かなり衝撃的な内容の会話をしている好戦派である。
ミンタやムンキンも法術や他の〔治療〕魔術を使えるのだが、ここは黙っている。攻撃に専念したいのだろう。ラヤンもそれを分かっている様子で、何も言わない。
ペルとレブンは互いに顔を見合わせてから簡易杖を下ろした。見ているだけに決めたようだ。
ラヤンの法術〔治療〕では、レブンの死霊術やペルの闇の精霊魔法による傷に対処できない恐れがある。それどころか、術式が互いに衝突して、爆発する恐れすらもある。
周辺警戒に方針を変更する2人である。サムカ熊に自身の訓練の成果を見せたい気持ちもあったが、それはまたの機会に延期となった。
残念そうな表情の2人に、サムカ熊がフラフラと〔浮遊〕しながらやって来て「ポン」と肩を叩いた。なぜかサムカ熊の方が50センチほど落下してしまったが。慌てて高度を回復する。
「杖は下げずにいた方が良いだろう。ペルさん、これをポケットに入れておいてくれないかな」
そう言いながら、サムカ熊が両手から3本の爪をニュッと出して、流れるような動作でそのまま自身の熊の尻尾を切り取った。それをそのままペルに手渡す。
キョトンとしているペルとレブンに、爪を出したままで答えるサムカ熊。
「森の妖精も、どうやら一枚岩ではないように思えるのでね。『殺意』というか、『敵意』を発している妖精が1体いる。その尻尾は……まあ、保険のようなものだ。しばらくの間、預ける」
サムカ熊にそう言われて、緊張するペルであった。無言で何度もうなずく。
サムカ熊に言われて、レブンも違和感というか不穏な雰囲気を、森の妖精の団体から嗅ぎ取ったようだ。シャドウを入れた〔結界ビン〕をそっとポケットから取り出して、ゆっくりとふたを開けた。いつでもシャドウが瓶の中から飛び出せるように準備する。
そんなサムカ熊とペル、レブンの動きを横目で確認していたミンタが完全にドヤ顔になって、眼下のワニ族とカエル族の軍勢を見下ろした。既に全標的を〔ロックオン〕済である。何本もの矢弾や、水の精霊魔法がミンタにも襲い掛かり始めていたが、全て〔防御障壁〕で弾き返されている。
「じゃあ、ぶちのめしてやりますか」
〔結界ビン〕のふたを開けて、中から簡易杖ではない杖を取り出した。魔法工学の授業で新たに製作したようだ。
魔法回路の強化が為されているので、それだけでミンタの周囲の魔法場濃度が上昇した。それは、ムンキンにラヤン、ジャディも同様である。ペルとレブンは、まだ簡易杖だけを手に持っているので、魔法場の変化は生じていない。
既に敵の〔ロックオン〕情報が杖に読み込まれているので、そのまま攻撃魔法の術式が走り始めた。もちろん、得意な光の精霊魔法である。魔法場の特徴から、(精神の精霊魔法も加わっているか……)と直感するサムカ熊。
「喰らえ!」
ミンタとムンキンが揃って杖を敵の軍勢へ向けた。
しかし同時に、水蒸気に包まれている戦場がまぶしく輝いた。戦闘を繰り広げている、ワニ族とカエル族全員を丸ごと包み込むような巨大なドーム状、まるでこれは……
「〔防御障壁〕か」
サムカ熊を含めた生徒たち全員の視線が一斉に、ある森の妖精に集中した。
その鋭い視線の先にいるのは、リーダー格の巨大水棲甲虫型の森の妖精の後ろに控えていた妖精だ。トカゲ型で、大きさは尻尾を含めて数メートルほどはある。見事に空中に浮かんでいて、葦の葉の上にフワリと乗っていた。
トカゲらしく微動だにしない妖精に向けて、ミンタが杖の先を向けた。簡易杖は腰のポケットに無造作に突っ込んで収めている。
「あんたの魔法ね。一応聞いてあげるけれど、どうして邪魔をするのかしら」
トカゲ型の森の妖精が、口をわずかに開けた。他の部分は目を含めて凍りついたように動かない。ラヤン以上に必要な部分だけしか動かさない主義のようだ。巨大水棲甲虫型のリーダーや他の森の妖精たちが、動揺しているのを見ても身じろぎもしない。
「ワニ族、カエル族の中に、我と『契約』している者がいる。生命の精霊場を我が得る見返りに、我の魔力の庇護を与えるという『契約』だ。彼らに危害を加えることは、看過できぬ」
ミンタが呆れたような表情になった。ためらわずにトカゲ型妖精を〔ロックオン〕する。
「はあ? 今さら何を言いだすのよ。『関知しない』と宣言したばかりでしょ」
巨大水棲甲虫型の森の妖精と、他のムカデ型やクモ型の森の妖精が慌てた様子で、反旗を翻したトカゲ型の森の妖精を精霊語で激しく罵った。精霊語での口論が始まったが、すぐにトカゲ型の森の妖精が攻撃魔法を発動する。最初から攻撃する気だったようだ。
他の妖精は攻撃準備をしていなかったので、為す術もなく100メートルほど彼方へ吹き飛んでいった。
「風の精霊魔法か」と看破するサムカ熊。すぐに前衛へ飛び出して、生徒たちを守る。
そのサムカの行動は予想されていたようだ。トカゲ型の森の妖精が、今度は生徒たちに向けて攻撃魔法を発動した。
水面が大きく盛り上がって弾け、大量の水しぶきが上がる。それがそのまま弾丸状になって、サムカ熊が浮かんでいる場所を迂回して弧を描くように、彼の背後の生徒たちに襲い掛かった。
続いて、葦が爆発して無数の破片となり、それらがそのまま弾丸化して襲い掛かる。水中からは大量のヒルや虫が飛び出してきて、それらも続いて宙を飛んで襲い掛かってきた。
最後に、盛り上がった水面それ自体が巨大なスライムに〔変化〕し、津波のようになって迫り、サムカと生徒たち全員を飲み込んだ。
水面に浮かんでいた大量の死んだ魚や虫が空中に舞い上がり、戦闘をしていたワニ族とカエル族も巻き添えを食らってスライム津波に飲み込まれていく。が、彼らは森の妖精による保護を受けているおかげなのか無傷だ。
トカゲ型妖精が、ここでようやくニヤリと口を開いて笑う。
「ふふ。造作もないな」
その瞬間。
スライムが爆散して消滅した。スライムの腹の中から、サムカ熊と生徒たちが現れる。驚くトカゲ型妖精。さすがに頭や手足がバタバタと動いている。
「な? 耐えたのか?」
サムカたちも全くの無傷だ。ただ、サムカ熊だけは『ずぶ濡れ』状態でフラフラと浮かんでいるが。
同時に、トカゲ型の森の妖精に攻撃魔法が炸裂して、爆発が起きた。15メートルほど吹き飛ばされて水面に落下するトカゲ型の森の妖精である。派手な水しぶきを上げて、驚きの表情を浮かべている。
「わ、我を吹き飛ばした、だと?」
泥色の水面に浮かんでいるトカゲ型妖精に、上空からミンタがドヤ顔のままで杖を向けた。サムカ熊を含めて生徒たちを包み込んだ大きな〔防御障壁〕が発生している。色と魔法場の特徴から、ペルによる闇の精霊魔法による〔防御障壁〕だろう。
「バカね。私たちも、そのくらい予想済みよ。ペルちゃん、ありがとうね。もうしばらくの間、この〔防御障壁〕を維持してね」
「まかせて」
ペルが元気よく答える。と、同時にペルの巨大な球状の〔防御障壁〕の外に、50個もの光球が発生した。〔オプション玉〕である。
闇の精霊魔法の〔防御障壁〕の中から他の攻撃魔法を使うと、場合によっては相互〔干渉〕を起こして爆発などを起こしてしまう。それを回避するため、〔防御障壁〕の外に半自律型の〔オプション玉〕を発生させたのだった。自律型なので、当然ながら行動術式に従って作動する。その標的は――
「掃射開始」
ムンキンが〔防御障壁〕の中で杖を振った。同時に50個の〔オプション玉〕から一斉に〔光の矢〕が、地面で津波をやり過ごしたばかりのワニ族とカエル族全員に向けて放たれる。既に〔ロックオン〕していたので、どうあがいても必中するしかない。
火炎放射や砲撃ではないので音が全くしない魔法攻撃だが……数秒後。呻き声を上げて、両陣営それぞれ500もの暴徒が、泥だらけの水面に倒れ伏して痙攣し始めた。
丈夫な防護服や、盾などの魔法強化された防具を装備している暴徒もいるのだが、全く意味がなかったようだ。
ようやく現場へ戻ってきた巨大水棲甲虫型の森の妖精たちに、ムンキンが〔防御障壁〕の中からドヤ顔で解説する。
「心配無用だぜ、妖精さん。神経〔麻痺〕の精霊魔法だけだ。後遺症は出ないよ」
そしてそのままの勢いで、水面から飛び上がってきたばかりのトカゲ型森の妖精を半眼で睨みつけた。先程からずっとミンタが魔法攻撃を続けていて、トカゲの体があちこち吹き飛んでいるのだが、全く気にしていない様子だ。
「残念だったな、トカゲの森の妖精さんよ。支持者たちには泥をなめてもらったぜ」
トカゲ型の森の妖精の姿が変化し始めた。輪郭がしだいにはっきりとしなくなってくる。体に受ける攻撃魔法の被害が次第に蓄積されて、〔憑依〕しにくくなってきているのだろう。
それでも全くお構いなしで、トカゲ型の森の妖精が咆哮した。さすがに森の妖精である。大気も湖の水面も激しく振動して、スライム津波を耐えた葦原の葉もちぎれて破片になっていく。ほかの森の妖精は、静観することに決めたようだ。
それを苦々しく思うムンキンとラヤン。
「まったく……見物を決め込むつもりかよ、あいつら」
「中立の立場ということなんでしょうけど、ちょっと腹が立つわね」
地面に倒れて痙攣していた双方500もの暴徒が、一斉に立ち上がった。〔発狂〕状態になっている。
「げ。精神の精霊魔法まで〔無効化〕しやがったか」
「というか、〔発狂〕状態にして精神支配を上書きしてるわね。〔麻痺〕状態のままで強引に〔発狂〕させて支配しているみたい。あのままじゃ全員、脳神経が焼き切れて死ぬわよ」
ラヤンの冷静な指摘に、更に怒りの視線をトカゲ型の森の妖精へ向けるムンキンであった。
「あの野郎、獣人族を何だと思ってやがる!」
レブンも素早くワニ族とカエル族の精神状態を〔診断〕し終わって、顔をしかめている。
「まずいな。もってあと2分程度だ。放置すれば全滅するよ。強制的にもう一度気絶させるのが手っ取り早いかも」
ペルが状況を整理し終わったようだ。手を挙げて作戦案を出した。
「提案。ミンタちゃんは、継続してトカゲ型の森の妖精の動きを封じて下さい。私は闇の精霊魔法の〔防御障壁〕を維持します。レブン君とムンキン君、ジャディ君は暴徒に魔法攻撃をかけて『完全に気絶』させて下さい。ラヤン先輩は、その過程で生じる負傷者の手当をお願いします。テシュブ先生は、ミンタさんの援護を」
ミンタに皆の視線が集まる。ミンタが不敵な笑みを返して、優雅に尻尾を一振りした。
「了解。ペルちゃんの作戦案を採用するわ。詳細情報は〔共有〕通信網で補完してちょうだい。じゃあ、作戦開始!」
「させるかあ!」
トカゲ型の森の妖精が半分ほど体を崩壊させながらも、湖面から空中に浮かび上がり咆哮した。ミンタからの攻撃魔法の集中砲火を延々と受け続けているのだが、ほとんど効果が出ていない。ただ、この時間稼ぎで今は充分だ。トカゲの表皮がさらに弾け飛んで、妖精の魔力が放出されていく。
ソーサラー魔術でいうところの〔マジックミサイル〕に相当する、魔力の塊をミサイルにして飛ばす魔術が、トカゲ型の妖精から放たれた。100発にも達する魔力エネルギーのミサイルがミンタたちに襲い掛かる。当然ながら、自動追尾方式なので命中していく。
連続して火球が発生し、爆音と共に、ペルが展開している巨大な〔防御障壁〕が炎と雷に包まれて、周辺の大気ごとプラズマ化した。爆風が起きて、下の葦原が根こそぎ吹き飛ばされていく。
湖も大きくえぐり取られて、泥混じりの土砂が上空100メートルまで噴き上がった。
暴徒たちもほぼ全員が爆風に飲み込まれて、そのまま四散して果てた……ように見えたが、ジャディの高笑いが、プラズマの中から〔念話〕が森の妖精たちに届いた。
(危ねえな、この野郎。信者全員ぶち殺す気かよ)
生命の反応を感じた森の妖精たちが、一斉に視線を上空500メートルの一点に向ける。巨大水棲甲虫型の森の妖精が、感嘆したような声を上げた。
もちろん虫顔なので、表情には全く変化は見られない。しかし、一対の触覚の混乱したような動きが心理状態を雄弁に示している。何となく狐族のパタパタ踊りを連想させる動きだ。
「おお……一瞬で、ワニ族とカエル族を上空へ逃したのか」
1000近くの黒い点状の何かが上空に見える。この2つの種族が、自由落下しているようだ。ジャディの風の精霊魔法で、あの高度まで一気に巻き上げたのだろう。
噴き上げた際にかかった重力加速度は10を超えているはずなので気絶しているようだ。黒い点には、手足を動かしたり暴れたりしている動きは全く見られず、ぐったりとしている。
プラズマが晴れて、周辺の視界が回復した。さすがペルの〔防御障壁〕だ。これだけの爆発も〔無効化〕している。当のペルはかなり疲弊しているようだが。
その数秒後。無事に湖面に盛大な水柱を立て、轟音を鳴り響かせて暴徒が落下した。距離は、ここから500メートル沖だ。ムンキンが「ふう……」と一息つく。
「ある程度は水による緩衝で落下の衝撃を分散できたけど……やっぱり無理だったな。結局湖の底にぶち当たって跳ね返ってしまった。まあ、丈夫な連中だし、腕や足の1本くらい、もげても大丈夫だろ。ラヤンさん、あとの治療を頼むよ。首が折れている連中も多いから」
ブツブツ文句を言いながらも〔治療〕作業を始めようとしたラヤンに、レブンが助言する。
「ちょっと待って下さい、ラヤン先輩。まだ〔発狂〕状態の者が残ってます。僕のシャドウで〔発狂〕状態を恐怖で塗りつぶしますね。ショックで心停止すると思いますが、あとはよろしく」
まだ爆発の煙が濃く立ち昇っている中から、アンコウ型の半透明なシャドウが飛び出した。
森の妖精には〔察知〕できない様子で、シャドウが攻撃されることもない。
そのまま、水面上で暴れている〔発狂〕状態の暴徒15名余りの体を、次々に通り抜けていった。ひと際激しく痙攣を起こして、電池が切れた人形のようになって動かなくなる。全員が白目を剥いて絶叫状態の失神顔で、口からは泡を吹いているが。
ラヤンもようやく視界が回復してきたので、暴徒たちを視認できるようになってきた。〔探知〕魔法を習得してはいるのだが、まだまだ不得手なのだ。
「……うわ。滅茶苦茶するわね、アンタたち。『全員』が心停止や呼吸停止で瀕死の重傷じゃないの。湖底に沈んだままの奴も多いし。私の法術は万能じゃないって言ったでしょ!」
文句を垂れながらもラヤンが、〔防御障壁〕の外に飛んで出ようとする。その彼女の尻尾をつかんで、引っ張って引き戻すレブンだ。
「ち、ちょっと待って下さい、ラヤン先輩。この〔防御障壁〕からまだ出てはいけません」
〔防御障壁〕全体が、再び炎と雷に包まれて爆発した。ペルが小さな悲鳴を上げながらも、〔防御障壁〕でそれらを〔無効化〕する。
「トカゲ型の森の妖精が、まだ健在なんです。〔防御障壁〕から外に出たら、すぐに殺されてしまいますよ」
ラヤンのジト目がさらに不機嫌に細くなった。尻尾を≪ブン≫と振ってレブンの両手を引きはがす。
「フン。どいつもこいつも……『遠隔操作』での集団〔治療〕って、また難易度が高いのを要求するわね、いいわよ、やってやるわよ。コラ、ミンタ! 怠けていないで、さっさと糞トカゲを粉砕しなさいよね。すっごい邪魔なんだけど」
ミンタが大出力の攻撃魔法を連射し続けながら、不敵な笑みを浮かべて口元を緩める。相手は精霊魔法の使い手なので、ソーサラー魔術での攻撃がメインになっているようだ。ウィザード魔法は、魔力サーバーが近くにないので事実上使えない。
「簡単に言わないでよね、もう。この森の妖精って、パリー並みの魔力持ちなんですけどっ。もうちょっとで肉体を破壊できるから、待ってなさ……げ」
ミンタの鼻頭に大粒の冷や汗が浮かんだ。鼻先と口元のヒゲが、両耳と尻尾と共に「ピン」と張ってこわばる。
トカゲ型の森の妖精が、再び吼えた。これまでとは、明らかに異なる魔法場が噴出されていく。これは……
「〔妖精化〕の魔法だな。ご苦労だった、ミンタさん。後は私が引き受けよう。私が敵の肉体を破壊した後に、〔エネルギードレイン〕魔法を使って仕留めなさい」
「ポン」と軽くミンタの肩を叩いたサムカ熊が、無造作に〔防御障壁〕の外に出る。そして、両手両足の先から3本ずつ爪を伸ばしていく。伸ばし過ぎて2メートルにもなる爪は、刀のようにも見える。
同時に、ペルの〔防御障壁〕の最外殻があっけなく消滅した。
〔妖精化〕の魔法は不可視なのだが、もう〔防御障壁〕に接触し始めたようだ。サムカ熊の表面も、ざわざわと蠢き始める。しかし生物ではなく『ただのぬいぐるみ』なので、〔妖精化〕の効果もすぐには出ないようだ。
下の葦原では、すでに〔妖精化〕が始まっていて、葉がトカゲになっていく。
「ペルさん、預けた尻尾で〔復活〕するから、大事に持っていなさい。この体は、間もなく〔妖精化〕する」
サムカ熊がほとんど他人事のような口調で、ペルに告げる。
ペルも最大出力で〔防御障壁〕を維持しながら、元気に返事をした。既に手足の先が痺れ始めているが、もうしばらくの間は〔防御障壁〕を維持できるだろう。
「はい! テシュブ先生」
「良い返事だ。では、参るぞ。森の妖精殿」
サムカ熊が爪を振りかぶって、弾丸のような速度でトカゲ型の森の妖精に突撃した。しかし、残念な事に真っ直ぐに飛べずに、酔っぱらいの千鳥足のような飛び方になっているが。
その妖精が体の半分以上を崩壊させたままで、嘲るようにサムカ熊に告げた。
「愚か者め。通常の武器が、我に通用すると思うのか。消えうせろ、アンデッドめ」
無数といって良いほどの大量の〔マジックミサイル〕と、円盤型の〔攻性障壁〕が、サムカ熊に向けて射出された。
同時にサムカの姿が消える。次の瞬間にトカゲ型の目の前に〔テレポート〕して出現した。
「!?」
声に出す時間すらも与えず、サムカ熊が両手両足先の3本爪を一閃させた。斬れ味が良すぎるようで、トカゲの肉体を切断した音も聞こえず、斬った反動も熊手に返ってこない。ただ、空気を斬り裂いた鋭い音が鳴っただけだ。
次の瞬間。数メートルもの巨躯を誇るトカゲが、粉状に粉砕された。妖精の『思念体』がむき出しになる。光り輝くガス状の風船だった。かなり狼狽している。
(は? な、なぜだ)
「撃て、ミンタさん」
サムカ熊が全身から小さなトカゲを湧き出しながら、冷静な声を背後のミンタにかけた。
同時に、ペルの〔防御障壁〕の最後の1枚が消滅し、生徒たち全員の姿がはっきりと見えた。その中で、ミンタが妖精の思念体に杖を向けて〔ロックオン〕している。同じ魔法をムンキンとレブン、それにジャディも仕掛けている。
「了解!」
杖の先が白く輝いた。光の精霊魔法に乗せたので、やはり無音である。
しかし、その魔法は確実に妖精の思念体に命中したようだ。射線上にいたサムカ熊もトカゲを噴き出しながら、そのトカゲごと光に帰っていく。
(ぐは!?)
トカゲ型の森の妖精の思念体が、驚きと苦悶の念を発した。風船の中の空気が抜けていくように、シワシワと光球がしぼんで、その光が弱くなっていく。が……
「貴族と同じで、完全消滅は無理か。さすがね」
ミンタが肩で息をしながら、泥だらけの地面に落ちた。他の生徒たちも後を追うように力尽きて落下する。
幸いというか、先程からのスライム津波によって浜辺や葦原の生物が飲み込まれて、ほぼ全て〔消化〕されてしまっていた。そのため、糸ミミズやヒルまみれになることは避けられた。泥水まみれではあるが。
ペルは半分気絶状態で、ラヤンが文句を垂れながらも法術をかけている。元気なのはジャディだけだ。ミンタの指示で1人飛び回って、暴徒たちを水面や水中から救い上げては、泥だらけの岸に放り投げている。岸には津波の跡が酷く残っているのだがお構いなしだ。
(ま、まだまだだ……まだ我は負けておらぬ)
思念体がフラフラと鬼火のように空中をふらついて、何とか逃げようとしている。それを取り囲むのは、巨大水棲甲虫型の森の妖精と、その仲間の妖精たちであった。
「我らの面汚しめ。消滅せよ」
と、宣告するが早いか、鬼火状の残留思念に襲い掛かってスープをすするように『食って』しまった。
1秒もかからない出来事だったので、弁明も怨嗟も何も発せないまま、思念体が完全に消滅する。
何事もなかったかのように森の妖精たちが、座り込んでいるミンタたちの近くに着地し、虫型の頭を向けた。
「驚いたぞ。我ら妖精を、ここまで追い詰めるとは。一体、どのような魔法なのだね?」
ミンタたちが互いに顔を見合わせる。この場合の適任者として、すぐにムンキンが皆から指名された。
「仕方がないな。ええと、ですね……」
ムンキンが簡潔に説明を始めた。レブンがペルから尻尾を受け取って、1人その場から歩いて離れていく。
●ミンタたちが使用したのは、〔エネルギードレイン〕魔法で、魔法を発する源である特殊な原子核と分子構造に直接作用して、そのエネルギー準位を強制的に下げてしまうものであること。
●それでも、この術は一時的な効果しかなく、ミンタの場合では数時間程度で元に戻ってしまうものであること。
●しかも、敵が肉体を有する場合は、効果が期待できないこと。
●なので、こうしてミンタとサムカが協力して肉体を破壊していたこと――を素直に説明した。
「……ふむ。実に興味深い魔法だな。今回の奴のように、我ら森の妖精は意外に情緒的に不安定なものなのだ。暴走すると、あのように手がつけられなくことが往々にして起きる。君たちの魔法で、我らを滅することはできぬだろうが、正気に戻すことはできるだろう」
ジャディとラヤンの救助活動を遠くに眺めながら、ミンタがペルの肩を抱き寄せる。まだ気絶しているままだが、彼女の魔力のバランス異常が回復しつつあるのでほっとする。
レブンは、500メートルほど離れた浜辺に立っていて、サムカ熊の〔復元〕を始めたようだ。虹色や黒色の残留思念の群れがどんどん集まってきている。
その姿を目で追ったミンタが、視線を再び妖精たちに戻した。
「できれば、自力で正気に戻って欲しいところですけれどね。今回も、テシュブ先生の手助けがなければ無理でしたよ」
ミンタの指摘に、素直に反省する森の妖精たちである。
皆、数メートルもの巨躯なので、反省の仕草が意外に可愛く見える。
「うむ……その通りだな。そういえば、もう1つ疑問点がある。貴族のぬいぐるみの武器なのだが、あれほどの破壊力は想定外だったぞ。分子の状態にまで肉体が粉砕された。魔法の武器とは凄いものなのだな」
その点については、気絶から回復して息が整ってきたペルから説明があった。まだ手足の先が痺れていて、動かせないようだが。
「テ、テシュブ先生の爪は……『大地の妖精さま』から与えられた特別な武器だと聞きました。貴族の武器は……闇魔法を強く帯びているので……この世界では使いにくいそうです。『化け狐』の群れを呼び寄せてしまうとか……」
そう言いながら、(今回の騒動には、『化け狐』は参加していないな……)と思うペルである。暴徒も森の妖精や精霊も、闇の因子を含んだ魔法を一切使用していないので、興味が沸かなかったのだろう。
ムンキンとペルの説明に、概ね納得した様子の森の妖精たちだ。虫頭をジャディとラヤンに向ける。
「後は、我らに任せてくれ。ご苦労だった。何か困りごとが起きたら、遠慮なく我らに申し出てくれ。協力を惜しまぬよ」
ジャディが最後の救助者を泥だらけの浜に投げ捨てて、凶悪な笑みを返した。彼の体はまだ焦げ跡だらけなのだが、次第に法術によって〔治療〕されて元に戻ってきている。黒い風切り羽を自慢げに広げて見せた。
「おう。法術使いのトカゲのおかげで、死者は出ないで済みそうだ。溺死から救ってやったオレ様にも感謝しろよ。まあ、こんな南まで来るような用事は、もう無いだろ。オレ様の羽毛が湿気でカビてしまう。暖かくなったら、オレたちがいる森まで遊びに来いよ。歓迎するぜ」
ラヤンも〔治療〕措置を終えたようで、ほっと安堵の表情になっていた。
念のために持ってきていた、法力を充填した〔結界ビン〕が、全てほぼ空になってしまったのを確認する。せっせと作り置きをして数を用意していたのだが、この戦闘だけで使い切ってしまったことに内心ショックを受けているようだ。赤橙色の尻尾の先が微妙に震えている。
「そうね。このバカ鳥の言う通りね。いつでも遊びに来なさい。竜族は泥浴びをする習慣はないから、ここへ来ることはないわよ。あとで、こいつらワニとカエル族のしつけを、改めて厳しくしなさい。騒動が起きるたびに来るほど、私たちは暇じゃないのよ」
レブンがサムカ熊の〔復元〕を無事に終えて、一緒に戻ってきた。レブンも魔力をかなり使ったようで、足元がフラフラしている。
「魚や虫が大量に死んだから、死霊術場や残留思念が豊富で簡単だったよ。ついでに掃除もできたし」
サムカ熊が尻尾をフリフリさせ、次に両耳をピコピコさせて動作確認を終え、うなずく。
「うむ。〔復元〕は完全だな。かなり、魚と虫の残留思念を使ったから、水の精霊場を多く取り込んでいるが。まあ……問題なかろう。〔妖精化〕の影響も出ていないようだ」
そして、森の妖精たちに一礼してから、生徒たちを立たせた。
「さて、急いで戻るぞ。もう次の授業が始まっている」
さすがに、げんなりする生徒たちであった。ミンタですら両耳と鼻先のヒゲが力なく垂れてしまっている。
「マ、マジなの……魔力が空なんだけど……」
ミンタたちが無事に学校へ戻り、その日最後の授業を受けた後、エルフ先生とノーム先生に呼び出されてひどく叱られたことは言うまでもないだろう。さらに校長にも知れてしまい、さらに怒られることになった。
「本来ならば、停学処分を適用するところですが……軍と警察から、「穏便に済ますように」と圧力がかかっていましてね。教育研究省の上層部も同調してしまいました。困ったものです。とりあえずは、学校の草むしりをしなさい」
なぜか、サムカ熊も同罪とされて、生徒たちと一緒に草むしりの罰を受けることになってしまった。ジャディも渋々ながら、校舎や寄宿舎、それに教員宿舎の屋根や屋上に生えている雑草の草取りをしている。
しかしパリーだけは当然のように、どこかへ逃げてしまっていた。
そんな草むしり作業をニコニコして眺めているノーム先生が、隣のエルフ先生に話しかける。
「森の妖精たちからも、それなりに期待されているようですな。パリー氏の宣伝のおかげでしょうかね。最近になって、特に変わってきたような気がしますよ」
エルフ先生もある程度までは同意のようだ。しかし、険しい表情のままであるが。
「それにしては、無謀すぎます。森に食べられてからでは遅いんですよ」
【西校舎2階のサムカの教室】
翌日。ようやくサムカの〔召喚〕が行われ、無事に授業が進められた。
教室で教え子のペルとレブンの魔力バランスを確認して、満足そうに微笑むサムカである。執務中に呼び出されたようで、少しだけカジュアルな服装だ。マントや帯剣はしているが。
「うむ。ここ一連の騒動を乗り越えた成果が出ているな。2人ともに魔力バランスが安定している」
ペル、レブンがハイタッチをして喜んでいる。その様子を見ながら、サムカがミンタとムンキン、それにラヤンに対しても魔力分析を行った。
「ふむ。君たちもなかなかのものだな。恩師であるクーナ先生に感謝するように。ラヤンさんは法術のマルマー先生にだな」
ドヤ顔になって喜んでいる三人を、山吹色の瞳を細めて見つめたサムカが、ペルとレブンに顔を向けた。
「ジャディ君は、今日は欠席かね?」
レブンが肩を落としてうなずく。
「はい……まだ、羽毛が焦げているとかで、テシュブ先生の前に姿を見せるのを恥ずかしがっています」
ペルも同じように肩を落として、ついでに黒毛交じりの両耳も前に伏せた。
「すいません、テシュブ先生。強引にでも、ミンタちゃんやラヤン先輩の前に連れて来て、〔治療〕を受けさせれば良かったです」
ジャディを〔レーザー〕攻撃で燃やしたミンタとムンキンは、仏頂面をしている。しかし、悪い事をしたという意識はあるようで、特に反論はしていない。ただ、険しい顔をして黙り込んでいるだけだ。
ラヤンはどことなく嬉しそうな表情で、口元が緩んでいる。
教壇の隣で立たせているサムカ熊の肩を、サムカが「ポンポン」叩きながら、軽く肩をすくめた。
「私は気にしないのだがなあ。まあ、ここはジャディ君の意思を尊重するとしよう。さて……」
微笑んでいるエルフ先生とノーム先生の〔分身〕に、サムカが視線を向ける。
「私が常時滞在することは無理なので、今回こうして熊人形を使ってみたのだが……感想を聞いても構わないかね?」
エルフとノーム先生の〔分身〕が、顔を互いに見合わせた。まずエルフ先生〔分身〕が述べる。立体映像のような状態ではなく、体を持つ〔分身〕だ。
サムカにはよく分からなかったのだが、パリーたちのような妖精が実体化する際の方法を真似ているそうだ。恐らくは、森のネズミ等を依代に使って、〔分身〕の土台にしているのだろう。
「そうですね。概ね好評だと思いますよ。ですが、少し気になることもあります。時々、記憶が飛んでいたり、動きが停止したりしていますよ。『誤作動』には注意した方が良いかと思います」
ノーム先生〔分身〕も同意して、口ヒゲを手で整えた。
「左様。テシュブ先生の魔力は熊人形の状態でも、かなり強力だからね。誤作動で暴走すると、校舎を破壊したりしかねない」
今回は、警察や軍からの受講生は参加していない。まだ忙しいのだろう。彼らからの意見も聞きたかったのだが、仕方がないかと思うサムカだ。
「そうか。もし熊人形が暴走した際には、遠慮なく破壊してくれ。『コア』部分は口の中、奥中央にある。口を開いた瞬間に狙い撃てば良いだろう。まあ、私が状態を調査したところでは、これといった問題点は見られないが」
サムカが、ほぼ同じ背丈の180センチの熊人形の頭を「ポンポン」叩く。今は待機状態なので、ユラユラとゆっくり頭を揺らしながら、ただ立っているだけだ。
教室の後ろにあるロッカーの中に入るように命令する。サムカ熊がノソノソと動きながら、自身でロッカーの中に入って扉を閉めて、中から鍵をかけた。
その様子を見守ったサムカが、頬を少し緩ませる。
「では今回は、金星に行って実習をするとしよう」
白い事務用の手袋をした右手を黒マントの中から出して、教壇の上に差し出す。指先が闇で包まれて、魔法陣を形成し始めた。
ペルとレブンが熱心に見つめる中、サムカが山吹色の瞳をキラリと輝かせる。
「ドワーフのマライタ先生にお願いしていてね。この教室と、金星の赤道上の地表とを〔テレポート〕魔術でつないだ。無論、地球と金星との環境は『かなり異なる』から、途中に緩衝区を設けてある」
ミンタとムンキンの目もキラキラしてきたのを見ながら、サムカが注意事項を述べる。
「金星は知っていると思うが、無酸素で500度近い高温だ。重力は地球の9割弱だが、気圧は90倍だ。それに対応した〔防御障壁〕を展開させておきなさい。炎の精霊魔法は、酸素がほとんどないので難しいと思うぞ。それと水の精霊魔法もだな。生命はもちろんいないので、代わりに死霊術と闇の精霊魔法の使用には好都合になる。では、準備は良いかね?」
ミンタが手を挙げた。
「テシュブ先生。金星にも妖精や精霊がいるはずです。木星にもいるくらいですし。その彼らに対しては、どうするつもりですか?」
サムカが素直にうなずく。
「うむ。当然ながら、我々に対しては敵対するだろう。まともに戦っても勝ち目はない。〔妖精化〕や〔精霊化〕されて、金星の一部になってしまうだけだ。今回は、その彼らの固有精霊場の情報を得る事を主眼とする。地球に情報を持ち帰って、彼らに対する〔ステルス障壁〕の術式を構築する事が、今回の宿題だ」
「うへえ……」
ラヤンとムンキンが机に突っ伏した。一方のミンタとペル、レブンは反対に目を輝かせている。
ペルが薄墨色の瞳をキラキラさせながら、サムカに宣言した。
「分かりましたっ。上手く固有精霊場情報を得られるように頑張りますっ」
珍しくガッツポーズまでしているペルだ。
レブンも明るい深緑色の瞳をキラキラさせている。気負ってはいないようで、顔はセマンのままだ。
「僕も頑張ります。絶好の練習場所ですからねっ」
ミンタも両耳をパタパタさせて、鼻先のヒゲをヒョコヒョコ動かしている。
「木星の妖精や精霊と会うためにも、こういった練習は必要ね。不服はないわよ」
エルフとノーム先生の〔分身〕にも、サムカが顔を向けた。
「君たちも参加するかね?」
エルフ先生〔分身〕が不敵な笑みを浮かべてライフル杖を肩に担ぐ。既に杖の底部に錠剤型の魔力カプセルを詰め込んでいるようだ。
「当然です。金星の風の精霊には興味があります。警察上層部からも『行ってこい』という命令を受けていますよ」
ノーム先生も大きな三角帽子を頭に被って、銀色の口ヒゲを軍用グローブでいじった。彼もライフル杖を呼び出して肩にかけている。
「僕も命令を受けているよ。否応もないですな。ノームの場合は、大地の妖精や精霊に興味があります。それに、法力サーバーには生体情報が保存されているし、組織サンプルも使用期限内だ。このまま破棄するのは、少々もったいないかもね」
ラヤンがジト目になって、小さくため息をつく。
「使わないのが、一番良いのよ。本当はね」
そして、サムカに紺色の瞳を向けて首をかしげた。
「でも、私たちが直接金星へ〔テレポート〕しなくても良いんじゃないの? シャドウやゴーレムや〔式神〕だけを金星へ送りつけて、実習すれば済むじゃない?」
これには、ラワット先生が代わりに答えてくれた。
「そうだね。だが、地球と金星の直線距離が問題なんだよ。光通信でも、片道数分かかる。超遠距離での術式操作は難しい。やはり一度だけでも、実際に現地の金星へ出向いて回線の状態を確認して調節しないといけないんだ。そうしないと、術式の伝達が中断されたり停止して、魔法が不発になったり暴走したりする恐れがある」
ミンタとムンキンもうなずいているので、ラヤンも仕方なく納得した。赤橙色の尻尾で1回だけ床を叩く。
「了解。じゃあ、くれぐれも死なないようにしなさい」




