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58話

【墓所のステルスシステム検査】

 3分後。エルフ先生が呆れたような表情で一息ついた。簡易杖を下ろす。

「驚いたな……光や生命、水に雷の精霊魔法が全く効かないわね。特殊部隊が使うような魔法は、私では使えないから検証できないけど……それ以外の人には、完全にお手上げね」


 続いて、ミンタとムンキンを筆頭にして生徒たちがあの手この手で魔法を放ってみたが……これも全て〔無効化〕されてしまった。術式を発動させても何も起きないので、地団駄を踏んで悔しがっている。

「うぐぐ……大地の精霊魔法だったら、いけると思ったんだけどな。無理か」

 ミンタが杖を下ろして、両耳をパタパタさせている。


 墓用務員が満足そうに微笑んで、フラフラと上体を揺らして笑っているノーム先生を横目で見た。

「大地の精霊魔法はノームの彼に検査してもらうつもりでしたが、これで不要になりましたね」


 レブンは1体のゾンビワームを〔防御障壁〕に突入させたが、難なく弾かれてしまったので降参した。ペルに至っては、〔防御障壁〕を見ただけで戦意喪失して、しょんぼりしてしまう始末である。

 ラヤンも法術と占道術で色々と突破口を探っていたようだったが、彼女も降参した。

「〔占い〕も拒否するなんて、最強の〔ステルス障壁〕ね。まったく……」


 後ろの方でティンギ先生がケラケラ笑っていたが……墓用務員が視線を向けると、とたんに人形のようにギクシャクと動いて、〔防御障壁〕の前までやって来た。

 墓用務員が、ちょっと考えてティンギ先生に命令を下す。

「〔占い〕での検査は終わっていますから、次は〔運〕の検査ですかね。じゃあとりあえず、突撃して下さいな。〔運〕が働けば、弾かれずに通過して向こう側へ出るでしょう」


「うおー……」

 感情が全くこもっていない棒のような声を上げて、ティンギ先生が〔防御障壁〕に体当たりした。そのまま普通に弾かれて気絶し、手足を痙攣させて床に倒れる。


 ラヤンが紺色のジト目を閉じて呆れたような顔になり、墓用務員に指摘した。

「バカね。〔運〕の加護は、正気じゃないと魔神からの魔力を得られないのよ」

 そう言って、床に転がっているティンギ先生の体をまたいで〔防御障壁〕の前に立つ。ティンギ先生が邪魔なので、ついでに尻尾を振って弾き飛ばした。「オイオイ」とムンキンがツッコミを入れたが、無視するラヤンである。


「触っても、普通に弾かれるだけなのね。じゃあ、私が直々に触れてあげましょう」

 ラヤンがそれでも慎重な動作で左手を〔防御障壁〕の中に突っ込んだ。しかし、すぐに弾かれ、ラヤン自身の体が1メートルほど後ろに飛ばされた。転ばずにしっかりと立っている。

「……確かに、〔運〕も〔無効化〕されるみたいね。物理的に侵入することは無理か、これじゃ」


 墓用務員が満足そうにうなずき、次いでドワーフ先生に視線を向けた。

「では最後に、ドワーフによる検査をしてもらいましょうか。君も突撃して下さいな」


 再び、「おー」と全くやる気も意欲もない声を上げて、今度はドワーフ先生が〔防御障壁〕に千鳥足で突撃して体当たりした。

 やっぱり見事に弾かれて床に倒れ、同じように手足を痙攣させている。丸太のように太いので、痙攣もまた派手だ。同時に、ドワーフ先生の周囲にいくつもの小さな〔空中ディスプレー〕画面が発生して、ドワーフ語で何か警告文が表示された。

 それを上から眺めて確認する墓用務員である。これが目当てだったのだろう。

「各種の危険察知システムからのエラー警告ですが……それによると、未知の脅威による警告ばかりです。〔防御障壁〕を認識できていませんね。はい、ありがとうございました。気絶していますし、精神〔支配〕を解除しましょう」

 ドワーフ先生とティンギ先生を引きずって、〔防御障壁〕から距離を置く。まだ痙攣している。


 白旗降参が次々に出たので、機嫌を良くする墓用務員である。頭の上のハグ人形も感心しているほどだ。プライドがあるせいなのか、特に何も言わないが。

 それはサムカ熊も同様であった。彼もいくつか〔探知〕魔法を使ってみたが、全て反応なしに終わった。「おお……」と単純に感心している。


 墓用務員が満足気にうなずいた。

「ふむふむ。皆、お手上げですか。これで墓所の皆も安心して……」

「ちょっと待ったあ!」

 手を挙げたのは、千鳥足のノーム先生だった。精神〔支配〕が解除されて正気に戻ったようだ。大きな三角帽子はカフェのテーブルに置いてきているので、いつもとは印象が少し違って見える。手には簡易杖を持っているので、何か魔法を試してみるつもりなのだろう。

 墓用務員に怒るか文句を言うかと思えたが、ニコニコしたままだ。

「別に精神〔支配〕なんかをかけなくても良かったのに。秘密は守るよ。さて、僕にも遊ばせてくれないかな。すべて拒否、〔無効化〕ってことは、逆手に取るとだね……」


 誰からの許可もとらずに、いきなり杖の先を床に突き刺す。

 《ズシン!》と地鳴りがして、洞窟全体が揺れた。突き上げるような揺れに横揺れも混じっているので、目が回るような気持ち悪い揺れになっている。


「うげ……なにこれ。地震波?」

 たまらずにエルフ先生が口を両手で抑えて、床にうずくまった。生徒たちも目が回ったようで、床にへたり込む。サムカと墓用務員は特に何も感じていないようで、不思議そうに首をかしげているが。ドワーフ先生とティンギ先生は、気絶したままなので特に何も反応していない。 


 その代わりと言っては何だが、洞窟内の500匹ものヒドラが一斉に蠢き出した。床面を這う重低音が洞窟内に響き渡る。〔遮音障壁〕を調節する先生と生徒たち。


 洞窟壁面は以前の魔法回線開設時にかなりの補強を施していたので、この程度の揺れではびくともしていなかった。若干の土埃が天井や壁から巻き上がった程度である。

 墓用務員がその丈夫さに感心しながら、ノーム先生に聞く。

「大地の精霊魔法は、すでにミンタさんが使って検査済みですよ。地震波をぶつけても、何も反応しないはずですが」


 ノーム先生が不敵な笑みを浮かべて、杖を持っていない方の手で頭をまさぐった。帽子を被っていないことに気がついて、すぐにその下の垂れ眉を撫でることにする。

「ふっふっふ。これを見てごらん」


 そう笑いながら、洞窟中央に大きめの〔空中ディスプレー〕を発生させた。立体地形図が表示されて、地下数キロまでの三次元地形図が形作られていく。その中央に、直径2キロほどの『情報なし空間』が描き出された。

「地震波による探知に反応しない部分は、こうして空白表示になる。そっくりそのまま、墓地を包む〔ステルス結界〕の形にね。おお。前回とは形が違うね。体積もかなり減っている」


「おお……」と歓声を上げる生徒たち。墓用務員も感心してディスプレー画面を見上げている。

「な、なるほど。『探知できない結界』であるために、かえって目立ってしまうということですか。これは、探査魔法の種類に応じて、偽情報を返すような術式の改良が必要ですね。盲点でしたよ、ありがとうございます」


 ノーム先生が千鳥足のまま洞窟の壁に「ゴンゴン」とぶつかりながら、ドヤ顔でふんぞり返った。まだ後遺症が残っているようだ。

「いやいや~。それほどでもある。周辺が空気だったり水だったら流動するから、この手は使えないんだけどね。岩石は別だ。ちなみに、素粒子でも探知できるはずだ。ミンタさん、やってみな」


 ミンタが半信半疑ながらも、素粒子であるミュオンを木星の磁場から呼び出して地球へ〔テレポート〕させ、ミンタが座っている場所から全方位に放射した。今回は、ミュオンを電磁波に〔変換〕していないので、空気が帯電発光することは起きず、オーロラは発生していない。


「あ。本当だ」

 ミンタ自身も驚きながら、〔空中ディスプレー〕画面を観察する。他の生徒や先生たちも興味津々の様子である。先程の地震波による空白空間をなぞるように、ミュオンによる探査でも『情報なし空間』が描かれていった。ほぼ同じ形状の空間である。地震波の波長がミュオンよりも長いので、ミュオンによる探査の方が少し詳細にも見える。


 これにも墓用務員が真面目に受け止めて分析を始めた。

「ふむむ……宇宙線による〔探知〕魔法ですか。これも想定していませんでした。素粒子ミュオンとは、これまた盲点でしたよ。感謝します」


 ミンタがドヤ顔で指摘してきた。

「ちょっと違うわよ。ミュオンは二次宇宙線って分類されてて、宇宙線が大気の空気分子と衝突する時に発生する素粒子なのよ。ちなみに、宇宙線のほとんどは陽子で、ミュオンはほとんど含まれてないのよ」

 よく理解できていない様子の墓用務員であったが、とりあえず笑顔でミンタに礼を述べた。


 そして、中年オヤジ顔を他の生徒や先生にも向けた。満足したような穏やかな表情になっている。

「では、これで検査を終えることにしましょうか。皆さん、ご苦労さまでした」

 すぐに、洞窟の外へ〔テレポート〕して脱出する。緊急脱出用のリボンを使用していないので、通常の〔テレポート〕である。外は、すでに夕闇に包まれていたが、かすかにまだ西の空が赤い。




【ヒドラの洞窟の外】

「あれ?」

 ムンキンが警戒して全身のウロコを膨らませ、森の奥を睨みつけた。続いてラヤン、ミンタ、ペルにサムカ熊の順で反応する。


 そこには、狼族と牛族、それにワニとカエルが直立して人間に擬態しているような姿の連中が、完全武装で待ち構えていた。エルフ先生の姿を見つけるなり、雄叫びを上げている。

(見覚えがある顔ね……)と呆れた顔になって思うエルフ先生。


 その代表と目される狼族の大柄な男が大音声で名乗りを上げた。いつぞやの頭目である。牛族なども含めると総勢30人くらいか。

「ガハハ! エルフめっ、今度は油断しねえぞ。武器商人の魔法使いどもから、大金はたいて装備を整えた。これでオマエもオシマイだあっ」


 エルフ先生が呆れた表情になり、簡易杖を自身の額に当ててコツコツ叩いた。

「困ったわね。もう日没を過ぎたから、光の精霊場がないんだけど……ちょっと痛いわよ」

 言うが早いか、エルフ先生が簡易杖を向ける。

 空気中の水分が瞬時に凝集して拳銃弾サイズの水玉になり、それが風をまとって宙に浮かぶ。土壌からも水分が放出されて、これも大量の水玉になって浮かぶ。それが帯電して青白く輝き始めた。


 突撃の雄叫びを上げる狼族ら賊が、エルフ先生に向かって襲いかかった。銃器などの火器を派手にぶっ放して、銃弾の雨とロケット弾を撃ち込みながらの突撃だ。

 その2歩めの脚を地面につけるかつけないかの間に――エルフ先生の周囲に生まれた100発ほどの水玉が出来上がり、そして当たり前のように発射された。


 火薬を使わないので、風切音だけしかしない。水玉の弾丸は、空中でその弾道を変えて獲物に正確に命中した。攻撃魔法なので、自動追尾機能が標準で装備されているのだ。

 一方で賊が撃った銃弾やロケット弾は、先生と生徒たちが展開している〔防御障壁〕に虚しく阻まれて、爆発もせずに地面に音を立てて落下した。そのまま溶けて大地に〔吸収〕されていく。


「ぐあああっ!?」

 断末魔の悲鳴や呻きを上げて狼族『以外』の賊が、静電気の火花を全身から花火のように飛ばした。

 火花の中で全身を激しく痙攣させ、朽木が倒れるように湿った音を立てて、次々に頭から崩れ落ちていく。そのまま痙攣して白目を剥き、口からは泡を吹いてしまった。


 しかし、狼族だけは平気であった。銃器は『効果がない』と見切って投げ捨て、魔法のナイフを取り出す。

「ガハハ! 魔法処理された防護服だ! そんな魔法なんか通用するかよっ」

 狼族の頭領が勝利の高笑いをして、高速でこちらへ駆けてきた。瞬時にトップスピードに入ったようで、時速100キロに達している。


 エルフ先生が呆れた顔を続けながら、簡易杖を下ろした。『戦闘終了』である。それを見て、勝利を確信した狼族だったが……

「ぐは!?」

 足をもつれさせて、あっけなく倒れた。こもったような派手な音が人数分だけ起きる。

 速度がかなりあるので地面も削れ、芝の葉がちぎれて舞い上がっていく。意味不明な呻き声を断続的に上げながら、手足を痙攣させる狼族である。

 もう、言葉を発することもできず、白目をむいて口から泡を吐き出し始めている。


 簡易杖を向けて追撃しようとしていたムンキンとミンタに、エルフ先生が振り向いて、彼らの杖をそっと下ろした。レブンとペルも簡易杖を出していたが、エルフ先生と倒れている賊を交互に見て、全てが終わったことを理解する。

 洞窟前の広場とはいえ、もちろん運動場より遥かに狭い。狼群とエルフ先生の距離は、せいぜい10メートルあったかどうかだ。呆気に取られてしまうのも仕方がない。


 エルフ先生が「コホン」と軽く咳払いをする。

「ええと……一応説明するわね。水の精霊魔法に〔電撃〕魔法をかけて、それを風の精霊魔法で撃ち出しました。水なので、魔法付与された防護服の隙間から内部に侵入できます」


 ノーム先生が簡易杖を下ろしてベルトのホルダーケースに収納し、エルフ先生に1つ質問した。

「それは説明をされるまでもなく分かるんだが……なぜ、こんな賊がここにいるんだい? 我々の行動予定なんか知らないだろう」


 その答えはハグ人形がしてくれた。墓用務員の頭の上で偉そうにふんぞり返っている。

「それなら、ワシがもう連中の記憶を調べたので分かったぞ。森の中の警備が手薄になったので、その隙をついて『意趣返し』にやってきたんじゃよ。お前さんの匂いを追跡して、ここまでたどり着いておる。さすがは獣人族というところかな。ここには、エルフ先生は何度か来ておるようだからな、匂いもそれだけ強いようだ」

 そして、森の茂みの中に顔を向けた。

「そこにおる、ネズミ族がエルフ先生の居場所を探っていたんだよ。学校、寄宿舎、教員宿舎を探って見つけられなかったから、ここにいると目星をつけた……ということだな。さすがに鼻が利きおるわい」

 もちろんパリーら森の妖精が『いたずら心』を起こして、賊に便宜を図った事は黙っている。


「チイイ!」

 悲鳴が上がって、森の茂みのあちこちから物音が立った。ハグ人形が言うネズミ族なのだろう。一目散に逃げていく。


 そのハグ人形の土台になっている墓用務員が肩をすくめて、ため息をついた。

「……やれやれ。目撃者は生かしてはおけませんね」

 その言葉を言い終わるが早いか、森の中から「ドサドサ」と無機質な音が次々にした。それっきり静かになる。


 エルフ先生とノーム先生が生徒たちを抱き寄せて、墓に警戒の目を向けた。地面に倒れている狼族たち賊を横目で睨みつける。既に〔石化〕していた。

「〔石化〕を解除しなさい。殺すことは許しませんよ」

 エルフ先生が目を据わらせて、冷静な動作で簡易杖を墓用務員に向けた。杖の先は微動だにせず、墓用務員の眉間を狙っている。ノーム先生も同じ狙いをつけて、息をゆっくりと吐いた。

「パリー氏にも知られてしまいますよ。ここは〔石化〕を解除して〔蘇生〕してくれると、お互いに助かると思いますが、どうですかね」


 あっけなく墓用務員が両手を上げて降参のポーズをとった。頭の上のハグ人形も、なぜか同じポーズをとっているが。

 ちょうど墓用務員を逆L字型で挟むように、左手側にサムカ熊が立っていて両熊手を向けているせいもあるのだろう。3本の爪も既に両手から生えている。


 墓用務員がサムカ熊の両手から生えている3本の爪を興味深そうに見つめ、改めて降参のポーズをとった。

「仕方がありませんね。墓所としては何度も申した通り、あなたたちと敵対するつもりはありません。〔石化〕を解除しましょう。彼らの記憶を〔消去〕すれば問題ないでしょうし」

 つい先ほどカフェで、先生と生徒たちを〔ロスト〕して抹殺しようとしたのだが……とりあえず今は文句を入れない事にするサムカ熊と先生生徒だ。


 墓用務員からの要望もあって、洞窟周辺のエルフ先生の匂いや足跡を、闇の精霊魔法で〔消去〕するペルとサムカ熊。当然のように、ハグ人形は手助けをしていない。

 その作業は3分もかからずに終了し、空中に浮かんでいるエルフ先生が礼を述べた。レブンもエルフ先生から離れた空中に浮かんでいる。


 賊は〔石化〕を解除されて、記憶も〔消去〕され、エルフ先生による風の精霊魔法に乗せられて、どこか遠くへ吹き飛ばされていった。その飛行先を見もせずに、エルフ先生が生徒たちに告げる。

「では、解散としましょう。夕ご飯の時間ですね」



 生徒たちは森の上空まで飛び上がり、エルフ先生とサムカ熊に挨拶をしてから寄宿舎前庭へ〔飛行〕していった。ノーム先生も簡易杖を振って〔テレポート〕して退場する。

 墓用務員は頭の上にハグ人形を乗せたまま、気絶している2人の小人たちを小脇に抱え込んで〔テレポート〕して消えた。


 残ったのはエルフ先生とサムカ熊であった。そのサムカ熊が首をかしげている。

「どうかしましたか? サムカ熊先生」

 エルフ先生の問いかけに、1呼吸ほど遅れて反応したサムカ熊であった。「あれ?」とエルフ先生も違和感を感じる。エルフ先生は空中に浮かんだままなので、足元が思わず揺れた。


「うむ……何度か、それぞれ数秒間ほど、記憶が残っていないのだ。『動作不良』を起こしているようだな。後で、術式のエラー修正をしておこう。どうも、ハグ人形のようにはいかないな」

 エルフ先生も少し心配そうな顔になっている。

「かなり手荒く運用しましたからね、その熊人形。私の思念体も入れてしまいましたし、大地の精霊まで関与していますしね」


 サムカ熊が両手を腰に当てて、ラジオ体操のような運動をする。それを見る限り、特にぎごちない動きにはなっていないようだ。しかし、サムカ熊の声は真面目なままだ。

「今はもう、通常通りに動くが……『誤作動』を起こす恐れは残っているな。うむ、クーナ先生。もし、この熊人形が制御不能になって暴れはじめたら、遠慮なく破壊してくれ。私の思念体を収めている『コア』はここだ」


 サムカ熊が大口を開けて、のどの奥を見せた。ただのぬいぐるみなので、口の中は縫い合わされているのだが、ぼんやりと暗い影のような場所がある。

「発声をする必要性から、この位置にある。私が口を開けた時に、光の精霊魔法でも何でも良いので撃ち込んで破壊してくれ。口を閉じている間は、闇魔法の〔防御障壁〕で完全に包まれているから破壊できないだろう。よろしく頼む」


 エルフ先生も真面目な表情になってうなずく。

「眉間か心臓かと思っていましたが、口なんですか。分かりました。では今のうちに、爆弾か何かを埋め込んでおきましょうか?」

 サムカ熊が熊手を振る。

「良いアイデアだが、残念ながら無意味だ。私の思念体の制御を失った瞬間に、異物と認識されて自動排出されてしまうよ」

 本気なのかどうなのか、エルフ先生が腕組みをして両耳を数回ピコピコさせた。

「そうですか。それは残念ですね」




【魔法学校の事務室】

 翌日になると、一般向けの講習会のニュースが各地に広がっていて、問い合わせが学校に殺到していた。同時に卒業生の採用問い合わせも増えて、嬉しい校長である。 

 ただでさえ大忙しな事務職員たちは悲鳴を上げているが、叱咤激励して士気を高めている。


 業務時間は固定されていて、基本的には残業や休日出勤はない。そのため必然的に、事務業務の取捨選択を校長が考えないといけない。

(様々な業務を削らなくてはいけませんね。問い合わせの窓口担当も、交代制で決めないといけませんし)

 校長机の上に〔空中ディスプレー〕を表示させて、業務の効率化と人員の割り振り、待機用の事務職員のリストを作りながら、校長がため息をつく。頭の白毛が数本ほど跳ねて、〔空中ディスプレー〕の光をキラキラと反射している。

(……教育指導要綱以外の授業内容で使う備品の準備は、先生方で行ってもらわないといけませんかね。テシュブ先生向けにゾンビ作成用の人工生命体の手配もしていたのですが……これもリストから削除ですね)


 そのディスプレー画面の底辺に、ニュース速報がタカパ帝国の公式文字である狐語で流れてきた。それを目にとめた校長の表情が曇る。


 タカパ帝国の海軍の本隊が、魚族の自治軍の連合軍と共に、海賊が支配している海域に到着したというニュースが流れた。間もなく、掃討作戦が開始される。


 次のニュースは、竜族独立派によるテロが河川地域沿岸の町で発生して、死傷者が多数出ているというものだった。爆発と砲撃や銃撃戦が起きたのは『交通の要所』とも呼べる町で、狐族の住人がほとんどを占めている。 

 その長距離バスのターミナルでテロが起きたようだ。既に犯行声明が竜族独立派から出ている。現地のテロ実行犯は半数が射殺されたが、残りは逃亡中だということだった。写真や動画へのリンクも出ていたが、校長は首を振っただけで見ない。


(急に活発になってきていますね。生徒間で衝突が起きないように、駐留警察にお願いしておきますか)

 そして少し考えて、学校へ問い合わせをしてきた個人や団体のリストを表示した。

(素性を調査してから、返答する方が良いでしょうね。ティンギ先生にまた頼むとしましょう。タカパ帝国と敵対している国の動向がキナ臭いという、情報部からの話もありますしね)




【リーパット党とバントゥ党】

 このテロ事件のニュースは、生徒もすぐに知るところになった。

 狐族と竜族の生徒の間で、校長が危惧した通りに衝突が起き始めている。すぐに駐留警察による介入で、騒ぎが大きくなることにはならなかったが『わだかまり』は依然として残っているような雰囲気だ。リーパット党が率先して、狐族の純血主義を声高らかに訴えているので、なおさらである。


 その頃には、バントゥとチューバも学校へ戻って来ていたのだが、すっかり味方はいなくなっていて孤立していた。それどころか、石を投げつけられている有様だ。

 特に、リーパットの取り巻き狐たちは、虫を見るような視線でバントゥとチューバを迫害している。他の竜族や魚族の一般生徒たちも、迫害を恐れてしまって助けに行かない。


 唯一、怒っているのはミンタたちくらいだ。今もリーパットに詰め寄っている。

「こら、リーパット先輩! 学校内で暴力の嵐を起こすんじゃないわよ。非常に迷惑なんだけどっ」

 ミンタとペル、その後ろにミンタの友人たちを連れて、リーパット党に正面から文句を言う。


 しかし、リーパットは余裕の笑みを浮かべるだけだ。

「学内の秩序を厳格に守っているだけだ。帝国をこれほど混乱させた連中がいる学校だからな。ミンタ・ロコ、貴様が活躍したことは評価してやるが、あまり調子に乗るなよ。いくらでも断罪できるんだからな」

 取り巻きの狐族が、堰を切ったようにミンタたちを糾弾し始めた。いつもの腰巾着狐のパランも一緒になって罵っている。


 しかし、ミンタはそんな連中を鼻でせせら笑った。

「赤点ギリギリの成績で、よくそんなことが言えるわね。どうせ卒業しても、ろくな仕事は望めないわよ。そんな『政治ごっこ』をやってる時間があったら、勉強しなさいよね」

 さすがにペルが薄墨色の瞳を白黒させて、ミンタの制服の裾を引っ張る。

「い、言いすぎだよう。ミンタちゃん……」


 リーパットが激高してミンタに食って掛かろうと向かってきたが……たちまち〔電撃〕魔法をミンタから食らって気絶してしまった。側近のパランが血相を変えてリーパットの下へ駆け寄る。

 もう1人の側近のチャパイは、悲鳴を上げて逃げ出してしまった。他の取り巻き党員も、悲鳴を上げて引き潮のように後ろへ引いていく。党員から完全にリーパット主従が取り残される形になった。


 ミンタが冷ややかな目でパランを見下す。

「ほら見なさい。アンタたちの仲間なんて、いざとなれば逃げだすのよ。そんな連中の人気取りなんかして、何が楽しいのかしらね」

 白目を剥いて口をパクパクさせているリーパットに、法術を詰めた〔結界ビン〕を開けて〔治療〕しているパランが鋭い視線をミンタとペルに向けた。その鋭さに、「ビクリ」と震えるペル。

「そんな事は承知の上だ。僕はリーパットさまにどこまでもついていく、それだけだ」


 ちょっと感動しているペルの隣でミンタが、汚物を見るような目つきに変わった。

「損得勘定ができない奴って、一番嫌いなのよね、私。ペルちゃん、ちょっと離れて。こいつを再起不能にしてやるわ」

 ペルが顔じゅうのヒゲを逆立てて、慌ててミンタを強く抱きしめた。尻尾や両耳も見事に逆立っている。

「ちょ、ちょっと待ってミンタちゃんっ。そんな事したら退学になっちゃうよ!」


 そこへ、ふらりとコントーニャが割り込んできた。簡易杖をミンタに向けて、リーパット主従を背中にかばう。そして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてミンタを見据えた。完全にバカにしている表情だ。

「損得勘定が出来ないのはー、どちらかしらねー。リーパット家の派閥とー、私の実家を敵に回してー、どうやって利益を得るつもりいー? ミンタ、私も撃ってごらんなさいなー。あなたの家業を潰してえー、乗っ取ってあげるわよー」

 ミンタを煽りながら、ペルにアイコンタクトを送るコントーニャだ。すぐにペルが察して、ミンタに訴えた。

「そうだよ、ミンタちゃんっ。こんな『つまらない事』で退学になんかなったら、嫌だよっ」


 2人から言われて、ようやく気持ちが収まってきた様子のミンタである。簡易杖を下ろして、両耳をパタパタさせた。

 殺気立った目がジト目になって、ペルとコントーニャの視線から微妙に逃げていく。

「う……そうね。こんなゴミクズ潰したところで、つまらないだけよね。フン。今回は見逃してあげるわ」


 ペルとコントーニャが視線を交わして、小さくガッツポーズをし合った。

 代わりに、ミンタが怒りの口調でコントーニャに命令する。かなり恥ずかしく思っているようで、金色の毛が交じる両耳と尻尾が、勢いよくパタパタ動いている。

「ほ、ほら! そこのゴミクズをさっさと片付けなさいよ。せっかくリーパット党員になっているんでしょ。せいぜい主人に恩を売りつけておくことね。コンニー」


 コントーニャが簡易杖を下げてミンタにニンマリと微笑んだ。完全に商談に勝った商人の表情になっている。

「当然でしょ。さあ、パラン先輩! 急いでマルマー先生の所まで行きましょう。危ない転び方をしていましたよ。後遺症が出ては大変です」

 パランも必死の形相でリーパットをかばっていたのだが、コントーニャに言われて我に返ったようだ。跳び上がってリーパットを背中に担ぐ。

「そ、そうなのか? おい、ミンタっ。もしもリーパットさまに、もしもの事があったら、絶対に許さないからなっ。コ、コントーニャさん。済まないがリーパットさまを一緒に運んでくれないか。僕も足腰がガタガタなんだ」

 コントーニャが実に『善良な微笑み』を満面に浮かべる。

「かしこまりましたあー」


 そのまま、一目散にパランとコントーニャの2人がかりで、気絶しているリーパットを運び去っていった。先程まで逃げていた新参側近のチャパイが、大げさな演技で駆け寄ってくる。

「リーパット様っ。マルマー先生は既に教室でお待ちしています。もう少しのご辛抱ですよっ」

 ……などと言いながら、あっという間にリーパットの運送に加わった。彼もまた、なかなかの処世術の持ち主のようだ。


 ペルがミンタから体を離して、コントーニャの後ろ姿を見送っている。かなり感心している。

「ひえええ……なんか、凄い人だね、コントーニャさん。大物だあ。ミンタちゃんの友人だけあるなあ」


 ミンタが「フン」と鼻先で笑った。簡易杖の先で自身の額を「ポコポコ」叩いている。少しは反省している様子だ。

「腐れ縁よ、ペルちゃん。さて。もう片方がまだだったわね。ねえ、バントゥ先輩?」

 取り巻きたちが大慌てになるのを捨て置いて、石を体に受けてうずくまっているバントゥとチューバに視線を向ける。この視線もリーパット党に向けた種類のものと同じだ。

「いつまでも、ふて腐れているんじゃないわよ。まったく」


 バントゥがチューバに肩を貸して起き上がった。彼らは魔法の成績が良いので、〔防御障壁〕を常時展開していて無傷だ。うずくまっていたのは、精神的なショックのせいだろう。

「う、うるさいっ。僕たちの気持ちなんか君たちに分かるものか。どれだけ、僕たちが傷ついたと思っているんだ。き、君たちが余計な活躍をしたせいでもあるんだぞ」

 声が少し裏返っている。

 そして、恨みがましい視線をミンタとペルに投げかけた。その異様な迫力に、小さく悲鳴を上げて後ずさるペル。一方のミンタは、呆れ果てたような目をしている。

「そうね。分からないし、分かるつもりもないわよ。それが何か?」

「ぐぬぬ……」と唸ったバントゥとチューバが、簡易杖をミンタに向ける。


 その時。緊急ニュース速報が流れてきて、ミンタやチューバの手元に表示された。

 それを見たチューバの顔が一瞬で硬直して完全に魚頭に戻り、全身を震わせ始める。ペルの目には、彼の黒い紫紺色の瞳から生気が一瞬で抜けたように見えた。

「あ? うわああああああああああっ! ああああああっ」

 そのまま絶叫して失神するチューバ。慌ててバントゥがチューバを抱え、パニック状態になりながら背を向けて逃げ去っていく。


 その後ろ姿を見て、残念そうに首を振るミンタであった。

「まったく……どいつもこいつも」

 ペルがすぐに手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面を呼び出して、バントゥたちが見ていたチャンネルに合わせた。彼女の薄墨色の瞳も精彩を欠いて白っぽくなっていく。

「ミンタちゃん……これ……」


 ミンタがニュースの詳細を見て、顔をしかめる。

 帝国海軍と魚族の自治軍の連合軍が、海賊が支配している海域にあった全ての魚族の町を破壊した、という情報だった。『生存者なし』というカテゴリーにある魚族の町の中に、チューバの故郷があった。




【竜族と魚族】

 先の大熊と大フクロウの大群襲来の際も、結局被害が大きかったのは自警団しかいない竜族の町だった。狐族の町の多くは帝国軍や警察による支援があったことを、不満に思っている竜族の者は少なくない。


 ムンキンがジト目で尻尾を≪バンバン≫床に叩きつけながら、容赦なく言い放つ。

「俺の街は軍備を整えていたから、それほど大きな被害にはならなかったけれどな。帝国が当てにならないことは、分かり切ったことだろ。軍備を怠った竜族の町の言い分なんか無視すればいいさ」

 ラヤンも概ね同意見のようだ。こういう所は、竜族の特徴なのだろうか。

「そうね。私の町は結構な被害を出したけど、軍備と訓練を怠ったせいなのよね。学生の私ですら、あの時は重宝されたほどだったし。死んだ方には気の毒だったけど、あの襲来以降、町の防衛力が強化されたのは良かったわね」


 そして2人で同時に、竜族の生徒たちを冷ややかな目で見据えた。視線の先には竜族の生徒数人ほどが集まっていて、帝国からの『補助金の増額要求』デモをしている。リーパット党の台頭に対抗するように、竜族の中にも帝国からの援助要求を公然と掲げる者が出てきていた。


 デモ隊が掲げるプラカードと声高な要求を聞いたラヤンが、頭と尻尾の赤橙色のウロコを逆立てる。

「帝国に頼るなんて、それこそ竜族の誇りに傷がつくと思うわ」

 隣でムンキンも同じようなウロコ状態になっている。

「だよな。ちょっと行って、ぶちのめしてやろう」


 そう言って、竜族相手にケンカをしに行こうとするムンキンとラヤンの2人を、慌てて抑えるレブンとペルである。

「ちょ、ちょっと待って。待って。ここでケンカになっても、得るものは何もないよ。それこそ、テロ組織に都合が良い展開になるだけだって」

「そうだよ。警察の人に任せようよ」


 レブンとペルにそう言われると、さすがの竜族2人も足を止めざるを得ない。


 レブンの町は海中なので、竜族以上に帝国からの支援は望めない。加えて、町の周辺ではクラーケン族の海賊団が跋扈している。ニュースでは流れてこないのだが、実際はもう魚族の自治軍と海賊との全面衝突に至っているようだ。

 レブンもある程度関わっている『アンデッド教』のスロコック級長の情報網によると、帝国海軍は、海賊の返り討ちにあって壊滅したらしい。戦闘もかなり激烈なものだったようで、10以上もの小島や岩礁が粉砕されて地図から消えたそうだ。


 ペルの村は狐族の村ではあるが、かなりの田舎なので今現在でも警察や軍の手が回らない状況だ。狼族や牛族、獅子族に飛族などの盗賊団が跋扈していて、かなりの緊張状態に陥っている。ペルがほぼ毎日1回、村へ〔テレポート〕して、各種〔防御障壁〕や迎撃〔罠〕の整備をしている状況だ。

 それでも彼女にとっては、村の中に入ることが堂々とでき、村の役に立っていることが嬉しいようである。


 ミンタは裕福な街の出身なので、一歩引いていた。両耳が垂れて、鼻先と口元のヒゲ群も垂れてしまっている。いつものドヤ顔ミンタらしくない姿だ。

 ペルがそれを見て、少し怒ったような顔をする。

「こら。ミンタちゃんも、『らしくない』よ」

 ミンタが固い笑みを口元に浮かべて、右耳をかいた。

「そ、そうね。うん」

 そして、手元に小さな〔空中ディスプレー〕を表示させ、時刻を確認する。もう見事に両耳がピンと立っていた。

「それじゃあ、次の授業が始まるまでに、厄介ごとを片付けてきましょう」


 そう言って、〔テレポート〕の術式を起動させた。瞬時にミンタたち5人の姿が消える。

 周りの生徒たちも一瞬驚いたような顔をしたが、「なーんだ。またアイツらか」と分かって次の授業の教室へ向かって歩いていく。すっかり、生徒たちの間でも認知されてしまったようだ。




【森の掃除】

 〔テレポート〕した先は、騒動の初期に故ナウアケの違法施設があった森の中だった。レブンが少し嬉しそうな声色でため息をついた。明るい深緑色の瞳がキラキラしている。

「うわー……確かに、これはひどいね」


 違法施設それ自体は、完全に破壊されて欠片も残っていない。戦闘のせいで木々が粉砕破壊された様が生々しく残っている、森の中の空き地である。

 森の妖精のおかげなのか、今はかなり森が回復してきている様子だ。空き地も、今は故ナウアケが籠っていたドーム型違法施設の床面積より狭くなっている。


 レブンにとっては見慣れた虹色の油膜のような風船が、100個もの単位で密集して浮遊しているのが見えた。この風景は、やはり普通の獣人から見れば異常といえるだろう。

 今はミンタやムンキン、それにラヤンにも、この残留思念が〔知覚〕できている。ただもちろん、その反応はレブンと正反対だが。


「げ。なにこれ。ゴーストだらけじゃない! 急いで〔浄化〕しなくちゃ。ちょっと待ってて」

 当然のように、真っ先にラヤンが簡易杖を取り出して、アンデッド〔浄化〕用の法術式を展開し始めた。それを、できるだけ紳士的に制止しようとするレブンである。

「ラヤン先輩。あの、お気持ちはよく分かりますが、ここで〔浄化〕法術を使うと連鎖爆発を起こして、森が焼けてしまいますよ」


 死霊術と法術は相反する性質を持つ。衝突すると、その一部が熱エネルギー等に変わってしまう。簡単にいえば爆発するということになる。これだけ大量の残留思念に法術を放つと、それは山火事に油をばら撒く事と同じになってしまう。


「うぐぐ……そ、そう言われれば、そうかもしれないわね」

 さすがにラヤンも授業で学んでいるので、渋々ながら杖を下ろした。法術式は消去せずに一時停止したままであるが。


 ほっとしたレブンの隣で、ムンキンが濃藍色の瞳を輝かせてドヤ顔をしている。頭と尻尾の柿色のウロコを膨らませ、簡易杖を真上に向けた。

「そんなことはないぜ、ラヤン先輩よ。爆発の火の粉が森に届かない場所なら問題ない」


 そう言って、ムンキンがヒャッハーな顔で生命の精霊魔法を光に乗せて、真上に向けて放った。残留思念の群れは、森の上空にも数多く浮遊しているので、それらを狙っている。

 次の瞬間、森の上空で巨大な火の玉が10個も一度に生まれた。半秒ほど遅れて爆音と衝撃波が地面まで届き、それから少し遅れて、爆風に乗った熱風が地面を舐めていった。

「パリーの森じゃ、こんな爆発なんかできないからな。地味なやっつけ方法しかできなくて、ちょっと不満だったんだ。こりゃあいいや」


 レブンが口元を魚に戻して呆れている横で、ラヤンも元気を取り戻した。紺色の瞳がキラリと輝く。

「あら、そうね。火の粉を森へ飛ばさないようにすれば良いのね。それは有益な事を聞いたわ」

 そう言って、一時停止していた法術を再起動させ、ムンキンと同じように上空に向けて撃ち始めた。


 ますます爆音が大きくなって火の玉の数が増え、森の中なのにかなり明るくなってきた。ミンタも嬉々として参加しようとするのを、何とか制止するレブンである。

 不満で頬を大きく膨らませるミンタに、魚の口のままで懇願する。

「ミンタさんまで攻撃を始めたら、それこそ森が大変なことになるよっ。魔力が大きいんだから。森の妖精や精霊も、この場に来ているから自重して下さい。お願いします」


 確かに、上空の火の玉で明るくなった森の中には、巨大なクモやトカゲにムカデの姿をした森の妖精たちと、水の精霊などの姿が見える。今のところは森への被害がないので、花火を見上げて傍観しているだけだ。


 ミンタが少しガッカリした顔になって、レブンの申し出に従った。気持ちを切り替えて、森の中に佇んでいる森の妖精たちに視線を向ける。

「……依頼者ね。パリーから直々に依頼されたから、妖精だろうなとは思ってたけど」


 森の中から、水に包まれた半透明のクラゲのような姿をした妖精が進み出てきた。それをきっかけにして、他の森の妖精も空き地に出てくる。

「ごぼぼ……ごぼ。ええと、発声はこれでいいのかね。ごぼぼ。聞こえるか、体もつ者よ」

 森なのにクラゲ型妖精が代表者なのだろうか。(見たことがない妖精だな……)と不思議に思うレブンであるが、どこか親しみやすい印象も抱く。

「はい。聞こえます。妖精さま。パリーさんから依頼を受けて来ました。残留思念を退治すれば良いのですよね」


 レブンのきびきびとした返事に、クラゲ妖精が満足そうな声色になった。動きも少しレブンぽくなる。

「うむ。我は水の妖精だ。君は魚族だな。陸上はお互いになかなか面倒なことが多い。最近アンデッド臭が酷くてな、困っておったのだ。我も森の妖精も、物体を取り込むことは容易だが……空気中を漂う臭いまでは、なかなか消せぬ」

 クラゲ型なので取り込むのは得意なのだろう。

「まだ何か残ってることは分かるのだが、〔察知〕できぬのだ。森の妖精に聞くと、君たちの名前が挙がってな。こうして依頼をしてみたという次第だ。この爆発は、その臭い消しに有効なのかね?」

 水の妖精が上空の爆発を見上げながらレブンとミンタに聞いた。ペルはおどおどしていて、ミンタの後ろに隠れてしまっている。


 代表してレブンが答えた。軽く身なりを整えて、クラゲ型の水の妖精に深緑色の瞳を向ける。

「はい、そうですね。今、僕たちの仲間が退治しているのは、ゴーストの卵というか元になる、残留思念というものです。あなたたち妖精や精霊さまには、〔察知〕できない相手ですよ」


 水の妖精が仲間の森の妖精と何か精霊語で話し合い始める。


 ミンタには聞き取れるようでレブンと、後ろでしがみついているペルに小声で教えてくれた。

「ええと、ね。妖精でも見えない分からない存在があることに驚いているわね。でも、現実として、この爆発を見て、認めざるを得ないという結論になってきてるわ」

「さすがミンタさん」とレブンとペルが褒める。ドヤ顔がかなり戻ってきたミンタだ。


 ムンキンとラヤンは、もう完全に『焼き尽くせヒャッハー』状態になっているので、とりあえず放置することにしたレブンであった。

「じゃあ、僕は森の中や土中にいる残留思念を退治するよ。ミンタさんは森の妖精さんと協力して、この場の生命の精霊場を強めてみて。潜んでいる残留思念も、それで全て網にかけることができるから。ペルさんは、妖精さんたちに気づかれないように、闇の精霊魔法でナウアケさんが残した闇魔法場の残滓を〔消去〕していって。残留思念が集まってきた原因はそれだろうからね」


 すぐに了解するミンタとペルである。

 ミンタは早速、森の妖精たちがいる場所へ向かい、精霊語で作戦を説明し始めた。ペルは自身に闇の精霊魔法の簡易〔防御障壁〕を被って存在感を薄くし、空き地の中央部に向かった。当時『世界間移動ゲート』があった場所である。


 レブンもポケットからシャドウが入った〔結界ビン〕を取り出して、ふたを開けて開放した。

「じゃあ、僕たちも仕事をしようか。『深海1号改』、残留思念を全部食べてしまえ」



 1分もしない内に退治が完了した。ミンタの指示で森全体の生命の精霊場を通常状態に戻す頃には、上空の爆発も終わって静かな青空になっていた。


「おお。確かに、不快感や悪臭が消滅しているな。やるではないか、体もつ者よ」

 森の妖精たちが精霊語で何か感動している。しばらくして、彼ら妖精を代表して水の妖精がレブンとミンタの近くへやって来た。

「パリーは暴れ者で厄介者なのだが、その友人は大したものだな。我ら妖精を代表して礼を申すぞ、体ある者よ」

 恐縮しているミンタとレブン。


 ムンキンとラヤンは魔法を撃ち過ぎたのか、満足したのか、肩で息をしながら地面に腰を下ろしていて大人しい。ペルも〔防御障壁〕を解除して、ほっとした表情をしている。それでも相変わらず存在感が薄いのは仕様だが。


 レブンが騎士を真似て、『膝を曲げた立礼』を妖精にした。

「困った時はお互いさまですよ。これで、もう大丈夫だと思います。地下水脈に紛れ込んでいた残留思念も、あなたたちの生命の精霊魔法のおかげで分別できましたので、〔浄化〕できましたよ」


 レブンの解説を聞いて、水の妖精の姿がさらに変わっていく。レブンみたいな人型になった。

「ほう。それは更に良い。実は我がこうして出てきたのも、地下水脈が悪臭を放ち始めたからであったのだ。『地脈』と君たちが呼ぶものに近いか。精霊語では「ガガガガガピピ……」となって翻訳できぬのだ。ご苦労だったな。困ったことがあれば、我らに申し出るがよい。協力できることもあるだろう」

 そう言って、水の妖精が森の妖精や精霊群と共に、かげろうのように姿を薄めてそのまま消えた。


 ほっと一息つくレブンである。手足を振って、異常が出ていない事を確認する。

「カカクトゥア先生やテシュブ先生にも内緒で、どうなることかと思ったけど……何とかなったね。よかったよ」


 いつの間にか、そこにパリーがいた。

 相変わらずの超絶ラフな姿である。腰までのウェーブがかかった赤い髪の先をクリンクリンと跳ねさせて、昼寝から起きたばかりの猫のような足取りでやってくる。

「ごくろーさまあ~。あの森を焼いたエルフのせいで~ちょっと今~エルフの評価が混乱してるのよね~。まあ、あんたたちの先生がクーナってのは~もう知れ渡ってるからあ~、これでクーナの信用は回復するはず~エルフは知らないけど~」

(相変わらずの独自思考だな……)と思うレブンたちである。が、もう慣れてきているので、特に何も反論したりしない。


 ミンタが代表して、パリーに告げた。

「カカクトゥア先生の名誉のためなら仕方がないわ。後でまとめて怒られましょう。依頼は、あと1つね。もう次の授業が始まるから、いったん学校へ戻るわよ。っていうか、パリー。アンタは魔力が強いんだから、他の森へ気軽に来ちゃいけないはずでしょ」

「わかった~」

 パリーの姿も消える。単に『野次馬』しに来ただけだった様子だ。


 ミンタがラヤンにチラと視線を向ける。

「ラヤン先輩には特に関わりはないから、無理してつき合うことはないのよ」

 ラヤンが「よっこらせ」と起き上がって尻尾で地面を数回叩いた。

「何言ってるのよ、この下級生は。先輩として付き合ってあげるのは、当然の義務というだけよ」

 ムンキンも起き上がってニヤリと笑う。

「こうして、ストレス発散で法術を『撃ち放題』できるしなっ。なかなかスッキリできるもんだなっ。法力サーバーに替わって大正解だぜ」




【大地の精霊魔法】

 学校へ〔テレポート〕して戻り、そのまま次の授業へそれぞれ向かう。

 ペルの次の選択科目は、ノーム先生による『大地の精霊魔法』の授業だった。ギリギリで間に合って、空いている席に何とか座る。(まだまだ体力が足りないなあ……)と痛感するペルである。他の仲間は別の選択科目のようで、ここではペルだけだ。

 まだ故郷へ災害復旧のために帰省中の生徒が多いので、クラスにいる生徒数はいつもの8割程度だろうか。おかげで、遅れてきても余裕をもって席を確保できる。


 隣の席の生徒たちがペルに気軽に挨拶をして、よもやま話をしてくる。その話に加わって、一緒にクスクス笑いあいながら、(ずいぶんと変わったなあ……)と思うペル。サムカが来るまでは、自分の魔力制御に精一杯で、とても友達を作るような余裕はなかった。

 今、思い返すと(かなり危険な状態だったんだな……)と感じる。(でもまあ〔精霊化〕しちゃっても、あの『化け狐』の仲間になるだけと分かったし。それも魔力制御の上で良かったのかな……)とも思う。

 一方で〔妖精化〕は嫌っぽい様子だが。あのパリーの手下になるのには、さすがに抵抗があるのだろう。


 ビジ・ニクマティ級長が他の男子生徒と何か話し終えてから、ペルの席へやって来た。黒茶色の瞳が理知的な光を帯びている。

「ペルさん。何か焦げ臭いんだが、また何か仕出かしてきたのかい?」


 ペルが慌てて席から立ち上がって、自身の制服の袖に鼻を当てた。すぐに鼻先のヒゲが、数本ほどピリピリと細かく動く。仕出かしてしまったようだ。

「す、すいません。すぐに臭いを消しますっ」

 ペルが腰ベルトのホルダーケースから簡易杖を引き抜いて、自身の額に押し当てた。


 その一方で、先程までペルと談笑していた女子生徒たちが、怪訝な視線をニクマティ級長に向ける。

「ちょっと、いくら3年生で専門クラスの級長だからといって、女の子にクサいとか、何て事を言うのよ」

「口に出して言うんじゃないわよ。そっとメールか何かで知らせてあげれば良いだけでしょ。まったく、これだから男子はっ」

 などなど、一斉に級長に文句を言い始めた。「ぐぬぬ……」と半歩ほど後ろに引き下がる級長である。

「そ、それはうかつだった。謝るよ」


 ペルが闇の精霊魔法を発動させたので、1秒間ほど姿が見えにくくなる。それもすぐに終わり、ペルが改めて制服の裾に鼻を当てた。

「ど、どうでしょうか? お騒がせしてすいません、ニクマティ級長さん」


 女子生徒たちが、一斉ににこやかな笑みをペルに向けた。

「すっかり消えてるわよ。闇の精霊魔法って消臭にも使えるのね」

「いいな、便利だなあ。ねえねえ、私たちにもその魔法を〔結界ビン〕に詰めて分けてくれないかしら」

 ペルが黒毛交じりの両耳をパタパタさせて微笑んだ。

「うん、いいよ。魔法具扱いにすれば、誰でも使えると思うから、やってみるね」


 そして、ニクマティ級長に改めて頭を下げる。

「お騒がせしました。実はミンタちゃんたちと一緒に、森の中の残留思念のお掃除をしていたんです。ちょっと数が多かったので、爆発が起きてしまいまして……以後、気をつけます」


 ニクマティ級長が少し呆れた表情になって肩をすくめた。

「爆発って……あまり危険な真似は控えるようにな。困った事が起きたら、遠慮なく私に相談してくれよ」

 その通りなので、素直にうなずくペルであった。



 その時、本鈴が鳴りノーム先生が教室へ入ってきた。一転して静かになる教室である。ニクマティ級長も急いで自身の席へ戻っていった。ペルと談笑していた女子生徒も、ペルに挨拶してから席へ戻っていく。

 ノーム先生が扉を締めながらペルの顔を見て、今日の講義内容を決めたようだ。(そうだった、ラワット先生って、意外に適当な面があるんだった……)と内心で苦笑するペルである。


「今日は、何となく『爆発臭い』ので、『熱』について講義しましょうかね」

(あ。バレてる……)と、内心で冷や汗をかいているペルを、あえて無視してノーム先生が教壇に立った。

 もちろん、身長が120センチほどしかないので、30センチほどの高さがある台座の上に立っている。それでも、大きな三角帽子の存在感が凄いのは変わらないが。


 背後の黒板型の大きなディスプレー画面に、『熱の流れ』を示す、ごく一般的なモデル模式図が表示された。それを見上げるノーム先生。三角帽子は邪魔ではない様子で、教室の中でも被ったままだ。

「熱は磁場をかけることで、その熱量の8割程度までは『意図する方向へ誘導』することができます。ウィザード魔法力場術やソーサラー魔術では〔熱反射〕の術式を、この原理を用いて組み立てている事は、以前の講義でも説明しましたね。今回は、大地の精霊魔法でもそれができるという話をしましょう」


 ノーム先生がスラスラと授業の導入話を始めた。受講している生徒たちは、ほぼ全員が既にそのウィザード魔法やソーサラー魔術を習得しているので、すんなりと話を聞いている。

 ペルは残念ながらそうではないので、参考資料を手元の〔空中ディスプレー〕に呼び出して、必死で理解に努めているが。


 魔法使いが高温の炎の渦巻く中を行動できたり、溶岩の上を歩いたりできるのも、その熱の〔誘導〕をしているせいである。もちろん、せいぜい8割程度までしか〔誘導〕できないので、耐熱防護服や〔断熱障壁〕などを組み合わせている。これは因果律には抵触しない一般の物理法則なので『安全』とされて、よく使用されている。

 高熱に対処するだけではなく、その逆に、極寒環境の中で体温を維持するためにも使われる。冷たい水中での行動の場合では、なおさら重要になることは言うまでもない。


「熱は火の精霊に属しますが、火の精霊は大地の精霊とは、それほど強く対立しない関係を持ちます。大地の精霊の中に、火の精霊が流れやすい道をつくってあげることで、熱を意図的に〔誘導〕することができるのです。身近な例を挙げると、地殻とマグマの関係でしょうかね」


 ノームやエルフ世界では、火は大地に対して優位にある関係だ。しかしこの世界では、それほど優劣の差はない。拮抗しあう関係である。実際に、大深度地下の大地の精霊は、火の精霊要素も帯びている。


 ノーム先生が黒板型ディスプレーに、火山の模式図を表示した。確かに、熱が一様に分散されていれば、マグマという熱の道は生じない。大地全てがドロドロに溶けているか、その反対に溶けていないかのどちらかだ。 

 熱を集約させることで、溶ける場所が限定されて、おかげで大地全体が溶けずに済んでいる。その原理を利用した精霊魔法ということだろう。


「ですが、この手法でも熱を全て〔誘導〕させることはできません。では、この余った熱をどう処理するか。大地の精霊魔法で吸い取れば良いのですよ。〔吸熱〕魔法です」

 ここでノーム先生がペルの顔に視線を向けた。

「といっても、熱を〔消去〕する魔法ではありません。吸い取って、誘導先へ放出させる魔法です」


 ノーム先生が火山の模式図を消去して、今度は鉱物の化学式を表示した。

「身近な鉱物ではなく合金ですが、窒化マンガンガリウム合金という金属があります。これは1000気圧程度の圧力をかけると、外に磁場を発生させない反強磁性体から、磁気が消失した常磁性体に変化して、その際に大きな吸熱をするという特徴があります。つまり、圧力をかけることで冷却ができる金属です」

「この原理を大地の精霊魔法を使って、通常の岩石や土に対しても疑似的に再現させる……という魔法ですね」


 ペルが参考資料を手元の〔空中ディスプレー〕で呼び出して、実際のその合金の詳細情報を確認する。吸熱量は、『その合金1キロ当たり6キロジュール相当』という意味の文章がウィザード語で書かれていた。


 ノーム先生がペルを含めた生徒たちの反応を見ながら話を進める。

「もちろん、実際にこんな大きな圧力をいちいちかけるのも手間ですから、魔法で『疑似的に圧力をかけた』と世界を騙します。さらに、この合金も魔法で疑似的に再現してしまえば良いので、ただの泥やペンキでも代用できます。吸熱量も因果律に触れない程度に『改ざん』すれば良いですね」


 現代魔法が、こういった実際の物理化学法則や鉱物の特性を『改ざん』するものなので、生徒たちも当然のような表情をして聞いている。

 ペルが(そういえば……)とノームの違法施設の環境を回想した。

(地下深い場所に違法施設があったけど、暑くなかったな。大地の精霊と〔防御障壁〕と、この〔吸熱〕魔法で温度を調節していたんだ。なるほど)


 ペル自身は現地に行かずに、代わりに子狐型シャドウの『綿毛ちゃん2号改』を送ったのだったが、環境情報はシャドウ経由で見ていた。その中の気温表示は、確かに室温だった記憶がある。もちろん、違法施設から外へ出ると灼熱世界になっていたが。

 ノーム先生がペルの感情を読み取ったのか推測したのか、ちょっと微笑んだ。

「さて。では次に、熱というエネルギーから発電することについても説明しましょうかね」




【熱帯の湖からのお願い】

 授業が終わり、休み時間になった。ペルが急いで教室を後にして周辺に生徒がいない場所を見つけ、そこで〔テレポート〕する。


 結局、先生たちが関わっていた各地の違法施設跡では、魔法場汚染が起きてしまっていた。

 魔法とは、物理化学法則に表面上は則っていても、結局のところは『ありえない現象』を引き起こす事になる。魔法を使用した場所には、多かれ少なかれ物理化学法則が通用しにくい空間ができてしまうのだ。


 通常は、魔力の小さい魔法ばかりを使用しているので、環境に希釈されて問題なくなる。

 しかし、今回のような強力な魔法ばかりを使用した場所では、希釈が間に合わずに濃い濃度で魔法場が残留してしまう。


 多く起きる魔法場汚染の例としては、植物や昆虫、ネズミやトカゲなどの小動物を中心にした、奇形や異常行動が挙げられる。

 また、異常高温、異常低温、長雨、竜巻、突然の発火や爆発、地鳴りなどが長期間続いたりもする。ウィザード魔法やソーサラー魔術、法術でも似たような現象が起きるものだ。


 本来は、元凶の先生たちが責任をもって対処すべきなのだが……森の妖精たちの不信が高まっていて、現場へ行くことすら危険な状況になっている。見つかり次第、問答無用で〔妖精化〕や〔精霊化〕攻撃を受けてしまうだろう。

 タカパ帝国の軍や警察も、都市部での治安維持のために手が回らない状況だ。


 結局こうして、森の妖精や精霊群による環境浄化の『手伝い』として、ミンタたちが呼ばれることになってしまった。まあ、半分以上はパリーによる余計な宣伝のせいでもあるのだが。どうやらミンタたちは、かなりの好評価を森の妖精から受けてしまったようだ。


 エルフ先生やノーム先生も高評価だそうだが、始末書の山を提出したばかりの現状では気軽に出かけるわけにもいかない。寒波被害や、違法施設の件もあるので、地域によっては評価が揺れているというパリーの言もある。

 なお、サムカはアンデッドなので、基本的に『否定的黙認』という扱いだ。生命の精霊から見ればサムカは死霊術の塊なので、そんなものだ。実際は闇魔法場の塊だが。


 この掃除作業は、実は前日から『秘密裏に』行っている。そして、これが最後の掃除だった。

 その場所は、学校がある『亜熱帯の森』よりも更に南の『熱帯の森の中』だ。もちろん、こんな場所は知らない。

 季節はもう冬なのだが、さすがに熱帯だけあって気温は33度を少し下回る程度だ。熱帯特有のヤシやヘゴの大木が混じる緑の魔境は、狐族の生活圏では見られない。珍しそうにキョロキョロしているペルである。


 地面は泥炭質で、泥沼のようだ。〔浮遊〕魔術で浮かんでいなければ、たちまち膝まで沈みこんでしまうだろう。トカゲやヘビに似た原獣人や動物たちも、木の根の上を伝って移動している。

 森の高さも相当なもので、地面まで直接届く光はほとんどない。薄暮のように暗い森の中、直径10メートルに達する巨木が林立する魔境を、矢印型のナビゲーション案内に従って、慎重に空中を進むペルだ。


 ちなみに〔テレポート〕魔術刻印も、この巨木の幹に印されていた。帝国軍や警察が標準で使用している、かなり原始的な術式の刻印で、サムカが最初に校長と共に学校へ訪れた際に使用していたものと同じ形式だ。

 ペルたちが使うような、魔法も〔テレポート〕できるような能力はない。


「うう……臭いなあ。暗いし。湿度高いし。やっぱりニクマティ級長の厚意に甘えて、大勢の生徒たちで手分けして掃除するべきだったんじゃ……」

 ペルが鼻を両手で覆いながら顔をしかめ、両耳を伏せたままで森の中を〔浮遊〕してゆっくりと進む。地面が泥炭質なので、異臭が立ち込めているのだ。

 主に卵が腐敗したような硫化水素臭に、ドブ川のヘドロ臭が混じり、これにカビ臭やキノコ臭が混然一体となっている。嗅覚が優れている獣人族には、なかなかつらい環境だ。

 これに無臭の二酸化炭素ガスなども加わっているので、健康的な環境ではないことは確かである。


 〔防御障壁〕を展開すれば、それで悪臭遮断して充分に対処できるのだが……今は悪臭を含めたこの場所への興味の方が勝っている表情である。おかげで、高湿度のために汗だくになってしまっているが。

 獣の狐はイヌ科なので汗をかきにくいのであるが、狐族は汗をしっかりかく。そのために、亜熱帯でも暮らしている。


 作業効率という面では、全校生徒にお願いして、魔法場汚染の掃除を分担するべきだろう。それができなかったのは、ミンタとムンキンが自身で全てやると言って、提案を聞かなかったせいだ。

(……まあ、リーパット党とかアンデッド教徒とか、面倒そうな人たちもいるし。かえって、森の妖精さんを怒らせて、状況を悪化させるかもしれないわよね)

 とか何とか、ペルが自身を説得しながら、暗い森の中を進んでいく。森の中はかなりの湿度のようで、毛皮が次第に重く湿気てきたのを感じる。


 ものの2分ほど進むと、いきなり視界が開けて明るくなった。森の外に出たようだ。

 そこに広がっていたのは、対岸も霞んで見えないほど巨大な湖だった。泥混じりの砂浜に恐る恐る着地する。「グジュリ……」と変な音が砂浜からして黒い水がにじみ出てきたが、足が沈み込むようではない。

 しかし軽く悲鳴を上げて、すぐに再び空中に浮遊するペルであった。浜は巻貝がびっしりと占領していて、その間を糸ミミズのような虫がウジャウジャと蠢いていたせいである。


 湖の水を魔法の手袋をはめた指ですくって、臭いと味を確かめる。

「う……毒水? ではない……かな。さすが熱帯だなあ、水も全然違うんだ」

 湖の水平線の向こう側からは、かすかに重低音を含んだ地鳴りのような音が先ほどから延々としてくる。それを両耳を立てて聞き取るペルである。

「……あそこが、問題の場所みたいね。魔法場も色々出ているなあ……」


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