56話
【西校舎2階のサムカの教室】
翌日の朝。サムカ熊はまだ〔修復〕中で動けなかった。サムカの教室のロッカーに入れられた状態で、ひたすら先生と教え子に謝っている。
「すまん。ここまで破壊されるとは予想していなかった。〔修復〕を果たしたら、校長に会って謝るつもりだ」
ロッカーにすっぽりと収まって身動きできないでいるサムカ熊に、エルフ先生が同情の笑みを向けた。
「仕方がありませんね。後で、きちんとシーカ校長先生や関係各所に謝ってくださいね」
ジャディも来ていたが……サムカ熊が謝罪に行かないと知って、途端に傲慢な表情に戻ってしまった。
「殿が行かないんだから、オレ様も行かねえぞ。第一、あれだけ活躍したのに何で謝らないといけないんだよっ。納得いかねえ!」
そのまま翼を広げて、窓から森へ飛んでいってしまった。代わりにペコペコ頭を下げるのはペルとレブンであった。
「すいません。ジャディ君の分まで僕が謝ります」
「ごめんなさい。ごめんなさいい」
サムカ熊は特にジャディを咎めるでもなく、狭いロッカーの中で体をモゾモゾ動かしてペルとレブンに告げた。
「ジャディ君は自由気ままな飛族だからな。強制する事は難しいものだ。規則上、彼は正式な生徒ではないから尚更だな。入学試験を受けていない以上、受講生の身分だ」
ロッカーがサムカ熊の身じろぎで「ガタガタ」音を立てて変形していく。
ミンタとムンキンも特に気にしていない様子だ。軽くため息をついただけで、ペルとレブンのペコペコ謝罪を中断させる。ムンキンが濃藍色の瞳をキラリと輝かせて、頭の柿色のウロコを膨らませた。
「そうだぞ。気にするなってレブン。後で撃ち落してやれば済む話だろ」
ミンタも明るい栗色の瞳を同じように輝かせて、金色の毛が交じる尻尾を優雅に振った。
「そういう事ね。後で、相応の罰を与えてあげればいいわ」
ラヤンは「心底どうでもいい」という表情をして、あくびをしている。
エルフ先生がノーム先生と視線を交わして、サムカ熊が入っているロッカーの扉に手をかけた。
「では、ゆっくり〔修復〕して下さい。校長先生には伝えておきますから」
サムカ熊が申しわけなさそうに、熊頭を下げた。
「うむ。よろしく伝えてくれ」
【校長室】
その後、校長室に出向いて首を垂れているエルフ先生とノーム先生、それにミンタたち5人である。ノーム先生は、大きな三角帽子を頭から外して、背中に引っかけている。
シーカ校長がジャディの不在を聞いて、サムカ熊と同じような口調になった。白毛交じりの両耳が微妙にパタパタ動いている。
「ジャディ君は、今回は不在で構いませんよ。テシュブ先生の仰る通りですしね。実際、エルフとノームの違法施設には行っていません」
今現在やっている授業サボリについては、「別枠で考える」と述べた校長が、目元を厳しくした。
「さて……今回の説教は長くなりますよ」
そして30分後……まだ続いていた。
「何度も繰り返し言いますが、あなたたちは軍人ではありません。今は学校の先生と生徒の身分です。あなた方母国政府の要請に従う義務はないのですよ。タカパ帝国の教育研究省の預かりなのですからね」
さすがに30分以上も延々と説教を受けて、ジト目になってきている先生と生徒たちである。それでも、竜族は尻尾でビートを刻むような真似は我慢している。狐族も毛皮が逆立ち始めている尻尾を、何とかなだめている様子が丸分かりだ。
それをやってしまうと、説教の時間が倍になることを知っているのだろう。レブンも、魚顔に戻らないように努力しているようだった。
その後、無事に〔修復〕を終えたサムカ熊が校長室へ入ってきた。申し訳なさそうに、熊頭の後頭部を熊手でかく。
「遅れて申し訳なかった。ようやく歩けるまでに〔修復〕できたよ。シーカ校長、今回も苦労をかけてしまったな、申し訳ない」
エルフ先生たちがジト目でサムカ熊を出迎えた。どうしてこう、アンデッドは『悪いタイミング』で行動するのか。
校長が不敵な笑みを口元に浮かべた。説教の口調に力がこもる。
「それは良かったです。では、ここへ来てください。しっかりと『道理』を説いて差し上げましょう」
結局、説教時間が倍になった。
それも終わり、ようやく校長室から解放された先生と生徒たちであった。ノーム先生が時刻を、手元の〔空中ディスプレー〕画面で確認する。
「うは。もう昼休み前か。こってり絞られたなあ……ははは」
ノーム先生の口やあごヒゲが、説教のストレスでボサボサ状態になっている。それを、ため息混じりで見るエルフ先生だ。疲れてしまったのか少し猫背になっていて、両耳が斜め下45度の角度で垂れ下がっている。
「笑い事ではありませんよ。ラワット先生」
エルフ先生がかなり焦燥した表情でノーム先生をたしなめる。
「今日の午前中の授業自体は、私たちの〔分身〕を使ったので、問題はないでしょうが……やはり、どう考えてもシーカ校長の言う通りですね。無謀過ぎました」
数歩後ろを歩いているサムカ熊は、特に何も発言してこない。代わりにノーム先生が大きな三角帽子の曲がりを整えながら、エルフ先生に視線を向けた。
「とは言うが、我々は警官だからなあ。上司の命令には逆らえないさ。まあ、今後はタカパ帝国側の目も『多少は』気にすることになるだろう。違法施設がばれてしまったからね」
そして、明るい声のままでエルフ先生に質問した。
「それで。あのトリポカラ王国のエルフ違法施設って、いったい何をやっていたんだい? 我がノームの地下研究所は、あの通り、大深度地下の大地の精霊の研究と、鉱物資源の調査だったんだが。倉庫には何もなかったのだろう?」
エルフ先生も肩をすくめるだけである。
「報告書の通りですよ。私があの時に潜入して調べた限りでは『もぬけの殻』でした。エルフ世界へ持ち逃げしようにも、肝心の『世界間移動ゲート』が開く前に全滅してしまいましたからねえ。元々、何もなかったとしか思えません」
サムカ熊が後ろを歩きながら、口を挟んできた。
「『世界間移動ゲート』は使用履歴が残って、申請があれば誰でも閲覧できる。違法施設での研究成果を、わざわざ公開するような真似はしないだろう。私が思うに……」
いったん間を開けて、サムカ熊が話を続ける。〔修復〕されたばかりのせいか、体の動きに少し違和感があった。すぐに直ったが。
「セマンが関わっていると見たが。で、あれば、ティンギ先生が嘘の〔占い〕をして我々に知らせることで、その後の一連の出来事での我々の行動を『利用』できるだろう。まあ、証明することは不可能だが」
エルフ先生がキョトンとした顔になっている横で、ノーム先生の垂れ眉にシワが寄っていく。
「つまり……森の妖精や各種精霊、『化け狐』に対する攻撃魔法や〔防御障壁〕の『実証試験』を設定して、我々に『観察させた』ということかい? カカクトゥア先生が組織サンプルの採取まですると見越して」
ここまで考えを進めたノーム先生だったが……すぐに首を振って否定した。大きな三角帽子の先端が、ふるんふるんと揺れる。
「……いや、それはないだろうな。違法施設がトリポカラ王国のものだということは分かっている。獣人世界での精霊魔法兵器の売り込みをする上では、マイナス要素でしかない。ブトワル王国に利するばかりだよ。単に、〔ステルス障壁〕や防衛システムが機能しなくなってパニックになって暴れたというオチじゃないのかな」
サムカ熊も、ノーム先生の考えに同意し始めたようだ。熊手で腕組みして、軽く頭をかしげながらうなずく。
「そうかもしれないな。まあ、真実が明かされることは無いだろう」
エルフ先生だけは、冷や汗をかいている。
「結果的に、今回の一連の騒動では……『ブトワル王国だけが利を得てる』わね……うう、これ以上は考えないようにしようっと」
生徒たち5人は、ちょうどサムカ熊の後ろを歩いてついてきていた。先生たちの会話を聞いて、微妙な顔をして生徒同士で顔を見交わしている。
そして、こういう場合に最初に口を開くのは、やはりラヤンであった。
「黒幕がカカクトゥア先生の母国だとすると、後味が悪いですよね」
すぐにミンタとムンキンからの、きつい視線の集中砲火を浴びることになったのだが、当然のように動じない。
「ですが、利益を得ているのは他にもいますよ。マライタ先生とティンギ先生は、実質無傷で撤退に成功しています。さらに今回の騒動で施設保安や警備関連の需要が増すでしょう。獣人族は大多数が魔法を使いこなせませんから、ドワーフ製の機器に注文が殺到するはずです。セマン族のボディガードや警備会社も進出の足がかりができたはず」
一歩引いて見ているせいか、容赦なく指摘をしてくるラヤンだ。
「法術ですが、私の担当教官のマルマー先生が非常に上機嫌なところを見ると、利益が見込めるのでしょう。一方のソーサラー魔術やウィザード魔法は、立場がさらに弱くなったと思います。テコ入れとして色々と譲歩や無償援助などがされることになるでしょう。魔法世界への接近と認知度向上を目指しているタカパ帝国としては、一概に悪い面ばかりではないかと」
レブンもラヤンの意見にかなり同意している。
「ラヤン先輩の見立てには、僕も概ね賛成かな。この騒動の震源地は言うまでもなく墓所だから、彼らに近い立場の者ほど対処がより早くできたのだと思う。実際に、カカクトゥア先生とラワット先生、テシュブ先生の母国が最も対応が早かった。反対にソーサラー先生やウィザード先生たちは、ほとんど関わりがなかったから対策が後手後手に回って大被害を受けた。そういうことなのでは」
ムンキンがレブンの肩に手を回して、上体を預けながらニヤリと笑う。
「確かにな。だけど、それは結果論だ。どこも、こうなることを予想して準備していたわけじゃあない。予想していたら、ノームの地下研究所やエルフの要塞での大騒ぎなんか起きないさ。特殊部隊だって隊員の育成と維持にコストが相当にかかってる。わざわざ無駄になるような扱いはしないぜ」
「確かにね」と再びうなずくレブンである。ラヤンもある程度は同意しているようだ。
ミンタが尻尾を軽く振って、両耳を交互にパタパタさせた。
「タカパ帝国にとっては、今回の一連の件で魔法の重要性をより深く感じたんじゃないかな。通常兵器の効かない敵がいるって、改めて分かったんだし。死霊術や闇の精霊魔法への風当たりというか、偏見が弱まったことも、今回の特徴になるかもね。光の精霊魔法についても兵器級の威力が示されたし」
「そう言われてみれば、そうなのかな」
ペルが両耳を伏せたままで、ミンタの考えに反応した。確かに、あのカルト派貴族の活躍で悪い印象が薄まったような感じはする。
(でも、それは全て表面的な事に過ぎないと思うなあ。もっと、何かどす黒い取引を誤魔化すための、陽動的な騒動だったような……でも、確証は無いなあ)
口にはしないで、とりあえず『思考のメモ』として頭の隅に残す事にしたペルであった。現状は、事件が解決しているので、普通に喜べばいい。
生徒たちの雑談を聞いていたエルフ先生が、微笑んで振り返った。
「では、一緒にランチをとりましょうか。教員宿舎のカフェでいいかしら」
【教員宿舎のカフェ】
今日のランチは、ニジマスの切り身のムニエルと炭火焼に各種ソース、鶏もも肉のグリルに蜂蜜や果物のソース、卵料理には野菜入りオムレツ、各種パンにヨーグルト、新鮮野菜のサラダに果物盛り合わせだった。
トレイに好きな料理を乗せてテーブル席へついて座り、トレイと手荷物を置く先生と生徒たち。サムカ熊は当然ながら食べることができないので、飲み物コーナーに行ってエスプレッソを小さなカップに注いでいる。
トレイからスプーンとフォークを取ったムンキンが料理を見て首を少しかしげ、隣のレブンに聞いた。
「なあ。まだ物流が復旧していないはずだろ? なんでこんなに豪華なんだよ。僕の故郷の街は、まだ非常食の配給制だぞ」
レブンも不思議そうな表情ではあったが、スプーンを持ち、一応考えを述べてみる。
「近隣の農家からの直送だからじゃないかな。元々ここは辺境の田舎だから、地産地消が基本だし。パリーさんのおかげで、この地域が大きな被害を受けていなかったせいもあるかも」
そして、トレイのニジマスの炭火焼を、スプーンの先で指した。
「メインディッシュは川魚で養殖もの。海魚や貝類甲殻類は使っていない。ここまで運ぶ手段がまだ復旧していないから、出ていないのだと思うよ。果物もドラゴンフルーツやマンゴで、この近辺の種類だし。北のリンゴは、まだ届けられないんだと思う」
ムンキンが少し感心したような口調になって、レブンの背中を叩く。
「さすが魚族だな。トレイを見ただけで、そこまで推測できるのかよ」
まだ午前の授業終了前だったので、他に先生の姿はカフェ内に見当たらなかった。早番の事務員が数名休憩しているだけだ。
カフェ中央には大きな〔空中ディスプレー〕画面があり、午前最後のバラエティー番組を放送していた。自警団に帝国から配給された、無反動砲のような形の魔法兵器の試し撃ちを取り上げている。
狐族の芸人が武器を肩に担いで、1キロほど先の白い的に狙いをつけて撃っていた。芸人のせいか無駄に騒いで、動作も大袈裟になっているようだが。
しかし〔ロックオン〕機能があるので、訓練をしていないような芸人でも見事に的を破壊していた。魔法は赤い〔レーザー光線〕のようで、光線の軌跡は見えない。
芸人がドヤ顔になってスタジオの司会者に感想を述べている。その様子を聞いたムンキンがジト目になって、尻尾で床を数回叩いた。早くも鶏もも肉のグリルを半分ほど食べている。
「へっ。早速、ドワーフの武器商人が売り込みをかけてるのかよ。あんまり効かなかったのによっ」
ラヤンも似たような表情でバラエティー番組を見上げている。しかし、特にコメントはしないようだ。鼻で笑っただけであった。
ペルは最初興味深そうに番組を見ていたのだが、ムンキンとラヤンの反応を見て首をかしげてしまった。とりあえず、スープを2口ほど飲む。
「そうなんだ……効きにくいのかあ。私の村には配備されなかったから、いいなあと思ってたんだけど」
レブンが早くもニジマスのムニエルを骨ごと平らげて、サラダを口の中に放り込みながら、ペルに指摘する。
「僕の町も海中だから配備されなかったよ。気にする事はないよ」
サムカ熊だけは、別のテーブルでエスプレッソをすすっている。身長が180センチある熊なので、一緒のテーブルにつくことを遠慮したのだろう。
エルフ先生がその様を見て頬を緩めた。無反動砲についてはコメントする気はない様子だ。
「サムカ先生。無理にカフェにいる必要はありませんよ」
サムカ熊がカップをテーブルの上に置いて「コホン」と咳払いをする。ぬいぐるみなので肺も気管もないため、気分的なものなのだろう。
「気遣い無用だ。アンデッドなので食欲も失われているのだよ。特に何も思わないので、食事を楽しんでくれ」
(まあ、熊のぬいぐるみですしね……)と1人で納得するエルフ先生である。
「では、遠慮なく。サムカ熊先生」
今回もエルフ先生は、虫の幼虫の唐揚げを1皿追加していた。早速1つ、つまんで口の中へ放り込み、にやけ顔になる。
ノーム先生は軽くあごヒゲを左手でかいて、エルフ先生の表情を見るが特に何も言わない。
生徒たちも、帝都市場でのエルフ先生の行動を見ている上に、昆虫を食べる習慣は当たり前のことなので、これまた当然のように何も言わない。レブンに至っては、エルフ先生のその皿を見て、自分も注文しようかと真剣に考えているほどである。
ミンタとムンキンだけは、少しガッカリした表情になっているが。
雑談を続けながら食事をとっている間に、授業時間が終了した。〔空中ディスプレー〕画面ではバラエティー番組が終わって、定時のニュース番組に変わっている。
第一報のニュースは、各地の復興状況のリレー中継だった。それと並行して地域ごとの救護所の診療スケジュールや、食事配給サービスの時間割とメニューといった情報が、小窓表示で繰り返し表示されている。
魔法が使える世界の住人であれば、自身が知りたい情報を魔法で呼び出して知ることができる。魔法が使えないドワーフ族であれば、視聴者の意識とニュース情報とを繋げて必要な情報を自在に選択できる。
しかし、この獣人世界ではそのようなサービスは利用できない。結果として、大量の情報が表示されてしまってゴチャゴチャした画面になっていた。
ノーム先生がそれを一目見て、垂れ眉をひそめながらもサラダをかき込んだ。ノームとしては、情報が整理されずにただ流れている状況は許せないものなのだが……おとなしい。先程までの校長による説教が効いているせいだろう。
「連日の報道も、ようやく初期救助活動の終了を告げるようになってきたね。学校のあるここも、救援事業は来週には終了になるだろうな。相当な僻地だから村も数えるほどしかないし、パリー氏のおかげで大きな被害も出なかったからね」
エルフ先生も幼虫の唐揚げを一つ口に入れてもぐもぐしながら、うなずいた。これの味は今一つのようだ。
「そうですね。パリーも相当ひどいことをしていますけど、皆さん知らないだけですし」
そして、生徒たちに顔を向けて告げた。(空色の瞳がやや曇っているな……)と思うサムカ熊である。
「タカパ帝国の警察や軍から定期的に情報を得ているのですが、『お知らせ』があります」
「コホン」と小さく咳払いをするエルフ先生。生徒たちの反応を伺いながら話を続ける。
「被害が広域すぎる上に犠牲者数も多いので、竜族や魚族の自治都市まで手が回っていない状況が続くそうです。幸い、森の妖精たちが治安維持協力をしてくれていますので、盗賊や暴徒の被害はあまり出ていませんが……」
竜族のムンキンとラヤン、それに魚族のレブンの表情を見るエルフ先生だ。続いて、狐族のミンタとペルにも空色の瞳を向けた。
「あなたたちの故郷で人手が必要でしたら、遠慮なく学校を休んで下さいね。友人や級友が困っていたら、そう伝えてあげなさい。実際に、多くの生徒が故郷へ一時帰省しています。特に北部では、寒波の被害も重なっていますしね」
当然のようにミンタが真っ先に反論してきた。金色の毛が交じる尻尾も、斜め45度の角度で固定されてしまって逆立っている。
「故郷からは、私たちが通常通りに授業を受けるよう、指示を受けています。立派な魔法使いになる事が、私たちの使命です。私も、これまで以上に頑張らないといけないと分かりましたし」
次いでムンキンがニジマスのムニエルを完食しながら、尻尾で床を叩いた。
「そうです。今回の一連の事件で、軍の特殊部隊のようなものが相手だと分かりました。全く通用しない相手でもありませんでしたし、大きな学習目標ができたと喜んでいます」
ラヤンが目を閉じて黙々とニジマスの炭火焼を食べながら、ムンキンに冷徹な声で指摘を入れる。
「それは、法術とウィザード魔法世界の連中だけね。ソーサラー魔術協会の部隊なんか、古代語魔法みたいな魔術を当たり前に使っていたし、エルフの特殊部隊も防御困難な光速の攻撃ばかりだったわ。闇雲に勉強しても敵わないわよ。相手の情報をよく収集して弱点を研究しないといけないわね。実際、それでカルト派貴族を倒すことができたんだし」
正論なのだが、立場上微妙な表情になるエルフ先生とノーム先生であった。サムカ熊は素知らぬ熊顔で、隣のテーブルでエスプレッソをすすっている。
場の空気が微妙になったので、レブンが「コホン」と軽く咳払いをして食事を終えた。相変わらずの早食いである。
「軍や警察も、予備役や警察学校や士官学校の学生まで動員しているって、ニュースで伝えている。違法施設って、まだ他にもあるみたいだね。僕たちにも公式に、治安維持に駆り出される命令が出されるかもしれないよ」
ニュース映像では、盗賊やテロ組織、海賊の活動が活発化していると伝えていた。森の妖精は基本的に、森の中と周辺で動いているので、都市部など森のない地域への監視の目は弱くなるのである。特に、海域は広大なので余計に難しい。
タカパ帝国の版図の簡易地図が表示されて、警戒すべき地域が赤塗りで示された。ミンタがサラダを食べながら、地図を見る。
「広大よね。軍や警察に自治軍、森の妖精まで加わっても、まだ人手不足なんだもの」
ペルも口をもぐもぐさせながら同意している。
「そうよね、ミンタちゃん」
異世界ごとに地形はかなり異なっているので単純な比較は難しいのだが、この地図を見るとタカパ帝国の領土は、ユーラシア大陸の東半分を占めている。もちろん、この獣人世界では最大最強の帝国であることは言うまでもない。
「実際は、これに属国や占領地も加わるけどな」
ムンキンが食べ終わって、顔の柿色のウロコを膨らませた。しかし、食べ終わったので気持ちが穏やかなのか、特に気負った声色でもない。
「僕の故郷の都市国家も、赤く塗られているのか。でも、テロ組織の連中は排除しているそうだから、治安は良いけどね」
ムンキンが『僕』と自分のことを表現しているので、実際に治安は良好で、特に問題は発生していないのだろう。
一方のラヤンは「ムスッ」とした表情になって、黙々とサラダを口にしている。彼女の故郷の都市国家も赤く塗られていた。
「私の都市では小競り合いが起きているみたい。熊襲撃の被害からまだ立ち直っていないのよね。困ったものだわ」
レブンも同じような表情になっている。セマン顔を維持しているので、それほど深刻な事態ではなさそうだが。
「僕の町は、海賊に警戒しているって。クラーケン族がまた暴れ始めているみたいだ」
ペルが大いに心配そうな表情になって、仲間たちを見回している。おかげで元々、食べるのが遅い上に更に遅れてしまっていた。
「そうだったんだ……私の故郷の村は、森の近くで安全だと家族から聞いていたから、他もそうなのかなと思ってた。でも、残っている違法施設ってそんなに大きなものでもなさそうだし……それが片づけば、治安も回復すると思う」
エルフ先生が食事を終えて、口元を紙ナプキンで拭いた。
「警察や軍の話だと、あと1週間ほどで正常に戻るはずですよ。でも裏返せば、テロ組織や盗賊にとっては、この1週間はやりたい放題できる絶好の期間ということ。レブン君が危惧するように、あなたたち生徒にも治安出動の要請が、タカパ帝国から出るかもしれないわね」
生徒たちの表情が真剣なものに変わる。それを見て、ノーム先生がエルフ先生に無言で視線を送った。エルフ先生の両耳が不規則に上下にピコピコと動く。
「……あ。今のところは、そんな打診は軍や警察からは来ていませんよ。来たとしても、直接現場へ出向いて戦闘させるような真似はさせません。あら、ナジス先生。こんにちは」
エルフ先生が、カフェに姿を見せたウィザード魔法招造術のスカル・ナジス先生に挨拶をして、場の空気をごまかした。
当然ながらナジス先生は、そんな事情は知らない。白衣風ジャケットから右手を出して鼻をすすり上げながら、「むにゃむにゃ」と生返事を返してきた。そのまま食事をとりにいく。
他にも、力場術のタンカップ先生に、幻導術のプレシデ先生もカフェへ姿を見せた。至っていつも通りな雰囲気である。彼らもエルフ先生とノーム先生に軽く挨拶をして、食事をとりに行った。
彼ら先生たちもサムカ熊には気がついているようだが、特に何も反応はしていない。それは、法術のマルマー先生も同様であった。そっけない態度である。
サムカ熊も特に気にする仕草は見せず、じっとニュース画面を見上げたままだ。次のニュースでは、帝都や主要都市の中で、怪獣の咆哮する声を聞いたという話題が取り上げられていた。
「怪獣か。獣人世界では、ドラゴンを見たことがない者が多いせいかな。ああ、そうだ。ハグから1つ注意というか、気にかかる点を、君たちに伝えるように言われていた」
エスプレッソはまだ半分程度残っているが、そのカップをテーブルに置く。
「空間の亀裂が起きやすい状況は、まだ続いているそうだ。ドラゴン成体はイモータルだから、この世界へ出現しても時間の問題で弾き出されて消えるだろうが、それまでの間、大暴れする恐れがある。くれぐれも『立ち向かって何とかしようなどとは考えないように』とのことだ。私もそう思う」
ノーム先生が銀色のあごヒゲをさすりながら、垂れ眉をひそめる。
「『ドラゴンゾンビもどき』ですら、あの魔力でしたからな。僕も、出現してこないことを祈りますよ」
ドラゴンと聞いて露骨に反応したのはソーサラー魔術のバワンメラ先生だった。既にテーブルについて大盛りに盛りすぎて、少々こぼれてはみ出ているランチをガツガツと音を立てて腹の中へ押し込んでいる。
その作業を中断して、大きな紺色の目をさらに大きくし、長い銀灰色の髪を振り回した。身長が190センチあってボクサーのような体型なので、結構な迫力が出ている。
「ド、ドラゴンは、我々のソーサラー魔術協会とは一切関わりはないぞ! 我々はこの世界に漂っていた思念体を採集しただけで、保存管理も万全だったんだからなっ」
生徒たちがジト目気味にソーサラー先生の弁解を聞いている。その横で、ノーム先生が銀色の口ヒゲを紙ナプキンで拭いて掃除しながら、大げさな身振りでうなずいて見せた。彼もそろそろ食べ終わる段階で、食後の一服の準備も始めている。
「知っていますよ、ご心配なく。むしろ、ドラゴンの思念体を捕まえていてくれた事には感謝しているくらいです。テシュブ先生が危惧するように、ドラゴンが異世界からこの世界へ思念体を侵入させて何かしていたら、もっと面倒なことになっていたはずですからな。皇帝陛下や宰相閣下に〔憑依〕して『ドラゴン実体化』……という可能性もあったわけでね」
そう言われて、少し興奮が収まった様子のソーサラー先生である。再びランチを胃の中へ押し込む作業を始めた。相変わらずのヒッピースタイルなので、意外に似合っている動きだ。
「う、うむ。そうだな、そうなんだよな。タカパ帝国も我々ソーサラーの苦労を、少しは認めるべきだろう。魔術協会も、今回の事件で帝国から面倒な条文を飲まされたみたいでな。この俺にも、とばっちりが……あ、忘れてくれ。うまいな、このニジマス」
「ソーサラーって、胃袋で味を認識できるのね」と感心しているエルフ先生である。
そう言えば、彼もライカンスロープ病から回復して以来、余計に大食いになったような気がする。ちなみに、彼が獣化した時の姿は、牛族に猿族を掛け合わせたようなものだった。
当然ながら、生徒たちや獣人族の校長や軍や警察の目にも不格好に映ったようで、不評だったことは言うまでもない。
エルフ先生がその当時のソーサラー先生の姿を思い出して、にやけ顔になりそうになったが、それを強引に自制した。
「……それでバワンメラ先生。あの時集まっていた、ソーサラー魔術師たちの素性はまだ分かっていないのですか? エルフ警察からも、『組織ぐるみの隠ぺい』かと疑われていますよ」
それは、タカパ帝国の警察や軍も同意見のようだ。ランチをとりにやって来た警官や軍人たちが、一斉にソーサラー先生の顔色を窺う。数は総勢で20人ほどだろうか。これでも、最近になってようやく人数が増えてきたほうである。この間までは、数人程度しか居なかった。
しかしソーサラー先生は、厳つい肩を大げさにすくめて見せるだけだった。その間にもトレイ上のランチが、次々に胃袋に押し込まれてなくなっていく。
「『匿名』で同好会や結社に参加するってのは、ソーサラー魔術師では『ごく当たり前』のことだぞ。魔術協会も公式に認めているしな。ウィザード魔法使いどもや、法術神官みたいに堅苦しい社会ではないのでね」
話しながらも実に器用に、ランチが胃袋に詰め込まれていく。
「メンバー名が分かることは、永遠にないな。そもそも記録も〔ログ〕も何もとっていないし。俺が知っているのも、使い捨てのニックネームだけだ。名前を知られるだけでも、魔術使いにとっては致命的な事態になるからな」
ゴテゴテした首飾りや腕輪にヘッドバンドなどが、ことさらに派手な音を立てて揺れる。
その姿を見るだけでも、規律や内規法などとは『無縁』だと分かるので、それ以上は追及しないエルフ先生であった。紅茶を1口飲むだけである。
一方で法術のマルマー先生が代わりに、話に食いついてきた。彼もランチをとりに来ていてテーブルについて食事をとっていたのだが、ソーサラー先生の話しぶりにカチンときたようだ。
「おい、バワンメラ先生。名前すらも把握できていない組織なんて、酷いという代物ではないぞ。そんなことだから、いつまで経ってもソーサラー魔術師は『社会のはみ出し者』としてしか認識されていないのだ。むしろ、テロリストや盗賊どもの温床になってしまっているではないか。今回の帝都テロでも、使用されていたのは主にソーサラー魔術だと報告を受けている。恥ずかしいとは思わないのかね」
豪華な法衣を見せびらかせながら、見下すような視線で言い放つマルマー先生である。
彼のそばに生じている2つの小さな〔空中ディスプレー〕画面に映っている神官たちも、珍しく同調して一斉にソーサラー先生を非難し始めた。
「真教ごときの主張に同意するのは『はなはだ不本意』だが、我が新教もソーサラー魔術使いどもの横暴を苦々しく感じておる。今回の一連の事件でも、君たちは解決や対処に関わらなかったからな。テロリストを陰で支援していたと勘ぐられても文句は言えまい」
「真教や新教ごときの言い分に同意せざるを得ない、我々神教の者にも謝れ。貴様らが役に立たないせいで、我々の法術治療が大いに認められたことだけには、一片の存在価値を認めてやってもよいがね」
相変わらずの、上から目線での断定的な話しぶりである。しかもなぜか早口だ。定型文でもあるのだろうか。
ソーサラー先生はもう聞き慣れているようで、全く反応せずにランチを食べ続けている。ガン無視である。
〔空中ディスプレー〕画面の2人は更に非難の口撃を続けているが、マルマー先生は口をモグモグさせながら、サムカ熊に視線を向けた。
「魔法場の特徴と仕草から推測するに、テシュブ先生の身代わり人形ですかな。詳細は、そこのラヤンからも聞いておる。我が真教は『例外措置』としてテシュブ先生の即時排除勧告を取り下げたので、安心して授業を行ってくれてよいぞ。無論、アンデッド〔浄化〕法術の実験台には、これまで通りなってもらうがね」
サムカ熊は再びエスプレッソカップを片手で持ってチビチビとすすっていたが、特にこれといった反応は示していない。
「実験台になった覚えはないが、授業が安全に行えるならば歓迎することにしよう。法力サーバーはかなり復旧したと聞いたが、他のウィザード魔法各派の魔力サーバーはどうなのかね? 使用できなくなった魔法があれば、私に知らせてほしい。私の教え子に、死霊術や闇の精霊魔法の使用を制限するように伝えなくてはいけないからね」
サムカ熊の問いかけに、大いに不満そうな表情と視線を投げ返してくるウィザード魔法の先生たちである。幻導術のプレシデ先生が真っ先にサムカ熊に言い返してきた。
「調子に乗るのはまだ早いですよ、アンデッド先生。エルフやノームに飽き足らず、法術使いまで手なずけるとは、実に気味が悪いですね。魔力サーバーは数日のうちに稼働します。アンデッド先生に伝えることは何もありませんよ」
プレシデ先生の服装は、相変わらずの先生らしいスーツ姿だ。
しかし、黒い煉瓦色の癖の強い髪が、肩下あたりで大暴れしている。褐色の顔に刻まれた、切れ長で黒い深緑の瞳も精彩を失って、疲労の色が濃い。連日の学校地下での、幻導術用の魔力サーバー増強工事のせいだろう。彼1人で黙々と行っているようだ。
獣人世界の住人は基本的に魔力を持たないので、作業員としても使えない。ゴーレムで代用するにしても、これはこれで魔力が必要になる。違法施設の件で、不法入国者がかなり発見されている事も痛かったようだ。
そのせいで、魔法世界から作業員として魔法使いを呼ぶことも、なかなか面倒になってしまった。
生徒を作業員として使うことは、教育研究省として賛同しかねる案件になっている。校長も反対しているので、動員は見送られている。さらに今は、故郷の復興のために一時帰省している生徒も多いので、なおさらだ。
結局、学校の先生が1人で、せっせと組み立て作業をしなくてはならない羽目に陥っているのであった。当然、当初の契約に想定されていない時間外労働になって、どうやら関連手当の支給も適当のようである……とは、マライタ先生とティンギ先生からの情報だ。
マライタ先生は元々魔力に依存していないので、自作のアンドロイドや自動工作機械などを駆使して、復旧作業を終えてしまっていた。
ウィザード魔法占道術では魔力サーバーが必要なのだが、ティンギ先生はセマンなので必要としていない。必要に応じて、簡易な魔力サーバーを使用する事で済んでいる。
大きさも小人族のティンギ先生が片手で持ち運びができる程度の、コンパクトなサイズである。以前の魔法場サーバーと大して変わっていない。
それ以外のウィザード先生は、本国からの色々な追加業務をこなすために、大きな魔力が必要となっていた。
その結果、大規模な魔力サーバーの設置が、どうしても不可欠になってしまっていた。衣装ロッカーほどの大きさの機械を、いくつも連結しなくてはいけない。
当然、繊細な組み立て作業と調整作業をしなくてはいけないので、心労や疲労も結構溜まっているようだ。機嫌が悪くなってしまうのも仕方がないのだろう。
幻導術のプレシデ先生が文句を垂れ流し始めたのをきっかけにして、他のウィザード魔法招造術のナジス先生、力場術のタンカップ先生も、ランチを食べながら文句をダラダラと垂れ流し始めた。彼らも魔力サーバー設置作業をしているので、鬱憤が溜まっているのだろう。
そんな先生たちの怨嗟の呪文のようなグチには耳を貸さず、サムカ熊がエルフ先生に顔を向けた。
「クーナ先生。そういえば今回も、闇の魔法などで使われるような〔ステルス障壁〕に苦労していた様子だったが。光の精霊魔法では対処は難しいものなのかね?」
エルフ先生もウィザード先生たちの垂れ流し文句を完全に無視して、優雅に紅茶をすすっていた。しかし、このサムカ熊の指摘に、両耳がピクリと跳ね上がって反応している。それでも冷静さを保って、ゆっくりとティーカップをテーブルの上に戻した。
「……そうですね。エルフである私は、嗅覚や聴覚についてはそれほど鋭敏ではありません。ミンタさんたちの方が優れています。私は視覚に大きく依存している状況ですね。特に今回のような遠隔地に対する魔法では、魔法場の〔察知〕にも制限が出てしまいます」
ここでミンタたちの顔を見るエルフ先生。軽く咳払いをして、話を続ける。
「……せっかくですから、一般の魔法使いや、私たちエルフのような亜人が、主に視覚に頼って存在を認識するということを、脳の働きとも交えて説明しましょうか」
首をかしげているミンタたちである。サムカ熊も同じように首をかしげている。
ミンタが顔のアンテナヒゲを不規則に上下左右に動かしながら、両耳まで不規則にパタパタさせた。
「え? カカクトゥア先生。先生と私たちって、対象物の認識方法が違うんですか?」
ムンキンやラヤンは両目を見開いて、パチパチと瞬きを始めている。レブンも口元が魚に戻りつつあるようだ。サムカ熊も意外そうな表情で、両耳を交互にピコピコさせている。
そんな彼らの反応を、空色の瞳で微笑ましく見つめるエルフ先生とノーム先生。
ノーム先生が口ヒゲ、あごヒゲを掃除ながら補足説明する。早くもパイプと煙草が入った袋を手元に置いていた。
「左様。君たちは、嗅覚や聴覚、それにヒゲやウロコなどを介しての触覚による相手の認識を、視覚によるものと同時並行で行っているんだよ。利用できる情報の種類と量が、我々よりも多様で多いのさ」
エルフ先生がノーム先生の話を受けて話を進める。
「私たちは『視覚情報で相手の存在を認識する』ことが9割以上かな。嗅覚や聴覚は残り1割に過ぎないの。特に、遠隔地の相手に対してはね。あなたたちも遠くの相手を認識する際には、視覚情報にほとんど頼ることになるけれど」
「それを魔法で認識させない、というのが〔ステルス障壁〕や魔法の特徴ね。つまり、視覚情報を邪魔する魔法ということになるかな」
エルフ先生が左手をテーブルから上げて、天井に指を向けた。そのまま〔赤い光線〕を放つ。
「水蒸気の水分子に当たると、錯乱するように調整してるから、〔赤い光線〕が真っ直ぐに天井に伸びているのが見えると思う」
皆が、「見えている」という意思表示をエルフ先生に示した。ウィザード先生たちも食事をしながら見ている。
エルフ先生が天井に向けた指をクルクルと回し始めた。
「『見えている』というのは、この光線が水蒸気に当たって四方八方へ散らばった光が、あなたたちの目に届いている、ということです。見えなくさせるには、目に届く光をなくせばいい。こうね」
とたんに生徒やウィザード先生たちの視界から、〔赤い光線〕が消えた。
「水蒸気に当たっても乱反射して散らばらないようにしたの。さて。実は今、私の目にはこの赤い光がはっきりと見えているのよ。天井から跳ね返った光を見ているんだけど。あなたたちとは真逆ね。これがステルスの基本的な仕組みです」
エルフ先生が光の精霊魔法を終えて、左手をテーブルの上に戻す。
「あなたたちが普段見ているこの景色も、あちこちから跳ね返ったり飛び込んできた光を見て、形状を認識しているおかげで知覚できています。では、どうやって光の集合体から形状を認識しているのか。それはね、脳が『輪郭』を認識しているおかげなのよ」
エルフ先生が再び左手を上げて、空中に様々な直線や曲線を描き出していく。
「こういった直線や曲線を、自動で検知する機能が脳にあるの。経験による補強もされるけれど、これによって映像から対象物を『切り取って』識別するのよね。これを邪魔する魔法も、ステルス効果を発揮するのよ。見えているけれど、認識できないということね。まとめると……」
エルフ先生が空中の線を消去して、指を2本立てた。
「1つは、光そのものを目に届かないようにさせる魔法。もう1つは、届いた光を見ても形状を認識させない魔法。この2つが、基本的な〔ステルス障壁〕や魔法の仕組みです」
サムカ熊が興味深くうなずいた。
「なるほどな。確かに、我々アンデッドが相手を認識する手段とは違う。ゾンビやスケルトン、ゴーストといった低級アンデッドは、視覚よりも魔法場の濃度で、対象を認識するものだ。そちらの方が、処理が軽くて単純で済むからね。ヘビの温度センサーに近い。従ってその分、魔法によって嗅覚や聴覚、触覚を発現させて補っている。視覚としては白黒映像になるかな。繊細な作業ができない理由でもある」
レブンがメモを取ろうとして、メモ帳を忘れたのに気がついて天井を仰いでいる。仕方なく、手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面を呼び出して、自動〔記録〕を始めた。
ペルや他の生徒たちも、一斉に同じ〔記録〕魔法を起動させている。それを眺めるサムカ熊。自動〔記録〕が終わった頃を見計らって、話の続きを始めた。
「視覚を発達させるのは、さらに魔力が大きいシャドウ、リベナントからになる。それでも、フルカラーでの認識は難しい。セピア色での認識になるか。生者と同等の視覚になるのは、さらに上の騎士見習いやファントムからだ。私のような貴族になると、紫外線や赤外線まで色として見るようになる。普段は可視光線だけを認識するようにしているがね。確かに違うな」
エルフ先生が、同意しながらサムカ熊に顔を向けた。
「そこなんですよね。可視光線だけのステルスであれば、代わりに熱などで知覚する事ができます。ですが、赤外線や紫外線領域の光までステルス処理されてしまうと、残るはエックス線か、ミリ波のような長周期波長の電波になってしまいます。これらは視覚としては扱いにくいので、どうしても貴族が使う闇魔法の〔ステルス障壁〕は苦手になるんですよ」
「なるほど」と素直にうなずいているサムカ熊に、肩をすくめながらも微笑むエルフ先生である。
「ですので、視覚以外の情報で相手を認識するように、色々と考えないといけませんね。まず考えられるのは、精霊場を〔察知〕する方法かな。生命の精霊場を使うのはパリーがよくやっているでしょ。でも、これだと死霊術場や闇の精霊場は全く〔察知〕できないから、他にも補完的な手段を考えないといけないけれど」
生徒たちはまだ今一つ理解できていない様子だったが、〔ステルス障壁〕や魔法が厄介なものだということは理解できたようだ。早速、専門家のペルとレブンに、質問と勉強会の強制を始めるミンタとムンキンである。ラヤンは残念ながら魔法適性がかなり乏しいので、1人で対処法を考えているようだ。
【軍からのお願い】
ウィザード先生やソーサラー先生がランチを手早く食べ終えて、そそくさと自室へ戻っていく。魔力サーバーの設置やら何やらが山積み状態なので、仕方がない。本国からもきつい催促が続いているのだろう。授業も再開されたので、なおさらだ。
彼らと入れ替わりに校長がカフェにやって来た。学校に駐留している軍の警備隊詰所の隊長も一緒で、2人とも浮かない表情をしている。談笑していた軍と警察の人たちは慌ててテーブルを立って、小走りでカフェから退散し始めた。
校長と隊長が、エルフ先生とノーム先生に軽く手を振って挨拶する。
「すいません、カカクトゥア先生、ラワット先生。先程、ああ言ったばかりなのですが……早速、軍からの応援要請が来てしまいました。教育研究省の次官も了承していて、私では断れませんでした」
手早くランチの料理をトレイの上に乗せて、校長と隊長が申し訳なさそうな顔でやってくる。
「軍としても、駐留して警護している対象の生徒たちに、このような依頼をしなくてはならない事を申し訳なく思います」
隊長も狐族なので、校長と同じように両耳を伏せて尻尾をだらりと床に這わせている。
「生徒ですか?」
エルフ先生が真っ先に反応して、怪訝な表情で校長たちの顔を見つめる。ノーム先生も同じような表情になっている。サムカ熊も1拍子遅れてエスプレッソをすするのを止め、顔を向けた。
隊長がさらに恐縮したような顔になっていく。トレイをテーブルの上に置いてオズオズと席に着いた。
「はい。魔法学校の先生方を、今回の事件で『信用できない』と主張する上層部の者が増えまして……代わりに『学校の生徒を使え』と命令が」
「はあ!?」
エルフ先生とノーム先生が思わず声を上げた。サムカ熊は特に何も反応していない。
校長が隊長に続いてトレイをテーブルに置いて、席につきながら話を継ぐ。
「教育研究省も、軍や警察への影響力の強化が期待できるという判断で、あっけなく提案を呑んでしまいました。一介の校長の身分では、もう何もできません。すいません、皆さん」
大きなため息をつく。
「多くの生徒が〔蘇生〕法術や〔蘇生〕魔術を習得していることが、『利用』されてしまいました。「死んでも生き返るから問題ない」とか何とか……万能ではないと説明したのですが、どうも理解されていないようで」
ため息をついてうなだれている校長と隊長に、ノーム先生が口ヒゲを整えながら口を開いた。彼も驚きのあまり、自慢の口とあごヒゲがボサボサ状態になっている。
「元はといえば、我々が違法行為をしていたことが原因ですからな。一時的な信用喪失は、やむをえまい。しかし、〔治療〕と〔蘇生〕と〔復活〕を混同している様子ですな、上層部の方々は」
エルフ先生も続いて反論したがっている様子だったが、ここは黙っている事にしたようだ。
ティンギ先生とドワーフのマライタ先生は近くのテーブルについて白々しく世間話をしながら、ランチを食べている。その赤いモジャモジャヒゲから下駄のような白い歯を並べて見せながら、マライタ先生がティンギ先生に世間話をする。口調がかなり演劇調だ。
「おお、そう言えばティンギ先生よお。ワシの趣味の盗聴によるとだな、軍や警察で、宰相派の偉い連中に対する懐柔作戦が順調に進んでいるようだぞ。文句を言ってる連中も、数日の間に大人しくなるだろうな、ガハハ。個人情報や趣味趣向や関連組織の弱み収集をしているおかげだな、ガハハ。おっと、どこの連中が暗躍しているのかまでは、一介の田舎教師のワシでは分からないけどなっ」
ティンギ先生も白々しい笑顔でマライタ先生のガハハ笑いにつき合う。こちらも演劇調なのだが、棒演技の素人役者のようだ。
「そうですか、それは良い知らせですね。私の知り合いのセマンの情報屋も、これまで集めた情報を高く売るチャンスだと喜んでいますよ。ねつ造スキャンダルも色々仕込んでいるとか何とか。誰が左遷されて失脚するかの賭けも盛況ですね。オッズ表もここにあるんですが、マライタ先生も一口参加しますか? まあ、当たっても現地通貨での報奨ですから、両替手数料でかなり引かれてしまいますけど」
当然聞こえているので、ジト目になるエルフ先生と校長、隊長である。ノーム先生はどこか嬉しそうな雰囲気をにじませているが、顔には出していない。
サムカ熊がややうんざりした口調でエスプレッソを1口すすった。正真正銘のぬいぐるみなのだが、コーヒーの染みで口元が汚れたりはしていない。本当に飲んでいるかのようだ。実際は闇魔法で、すすったエスプレッソの液体を〔消去〕しているだけなのだが。
「本当に厄介で面倒な種族だな」
そして、熊顔を校長に向けた。
「その口ぶりから想像するに、何か面倒な事態が起きているということかね?」
校長がうなずいて、隣に座っている帝国軍の警備隊隊長に目配せをした。隊長がニジマスのムニエルを半分ほど食べて、ナイフとフォークを置く。
「はい、その通りです。ええと……あなたは確かテシュブ先生の代理ですよね。我々は魔法学校の警備任務を担当する部隊なのですが、人手不足が深刻でして。この地域の違法施設の破壊も担当することになってしまいました。幸い、この森はパリー氏のおかげで違法施設はないのですが、それ以外の場所で発見されまして……」
エルフ先生の両耳が不規則に上下運動をしてピコピコと動いた。背中を流れる真っ直ぐな金髪の表面にも「パリパリ」と青白い火花が散る。
「ちょっと待ちなさい。パリーが管理する森って、かなり広大なんだけど。その外の荒れ地ってこと?」
隊長の両耳が、毛皮に埋まりそうなくらいに前に伏せられてしまった。鼻先と口元のヒゲや上毛も、全て力なく垂れ下がる。
「……はい。この学校から直線距離で190キロ北にある氾濫地です。現地には既に自隊の隊員が配置されています。心苦しいのですが。どうぞ映像をご覧ください」
隊長がごそごそと軍服の上着の中に片手を突っ込んで、巻紙のようなものを取り出し、それを広げた。
取り出した巻紙が簡易スクリーンになり、自動で固定三脚が出てきてテーブルの上に置かれる。身長が1メートルほどしかない狐族なので、軍服の懐から出したスクリーンもかなり小さい。縦横10センチほどか。
それを隊長が両手で上下左右に引っ張って伸ばし、縦横50センチほどのスクリーンにする。起動させて認証を済ませ、現地との映像回線をつなげる。すぐに沼地の映像が映し出された。
「私は魔法適性が乏しいので、この魔法具で我慢して下さい。この中央右に見える、鏡で覆われている建物が違法施設です。おい、目標物の位置を中央にしろ。ずれているぞ」
隊長がスクリーンに向かって指示する。と、2秒ほど遅れて、撮影を担当していると思われる隊員の声が届いた。作戦中なので、かなり低いささやかな声である。
画面が揺れて、無事に違法施設が画面中央に見えるようになった。確かに多面体で、鏡で覆われているようなドーム状をしている。高さは2階建てほどもあるだろうか。
エルフ先生がまだ不機嫌な表情のままで、左の耳だけをピコピコさせる。
「機械式の映像通信か。これって、時差が生じてしまうのね」
(そういえば、これまでの光の精霊魔法を使った映像通信は、時差が全くなかったな……)と思い出すサムカ熊であった。貴族はウィザード魔法やソーサラー魔術を使った映像通信を使うが、かなり原始的な術式なので、時差が生じてしまう。
隊長がスクリーン中央に映し出されている建物を睨みつけながら、先生と生徒たちに説明を始めた。
「音波探査などをしてみた結果、この鏡は防御壁ということが分かりました。球形のドーム型で、土中にも壁が張られています。この鏡のドームの中に違法施設があるはずです。〔防御障壁〕は消失していますので、このドームさえ破壊できれば、中の違法施設を攻撃できます」
ノーム先生が首をかしげながら、あごヒゲを撫でる。
「だったら、ミサイルや砲撃で直接攻撃して破壊すれば良いのではないかね?」
隊長が力なく首を左右に振った。
「残念ですが、駄目でした。跳ね返されてしまうのです。そうですね、実際に見てもらいましょうか。オイ、榴弾を撃ち込んでくれ。時限信管でやれ」
「了解」と低い返事が2秒後に届いて、「ポン」と気の抜けた音がし、1発の榴弾がガラス張りのドームに向けて撃ち込まれた。放物線を描いて榴弾が鏡面に衝突……したかに見えた。が、次の瞬間。榴弾が鏡に吸い込まれて、その隣の鏡面からそのまま吐き出され、正確に撃ち込んだ場所めがけて飛んできた。途中で、時限信管が作動して空中で爆発する。
その爆発映像を横目で見ながら、隊長が顔を先生と生徒たちに向けた。
「……このように、攻撃を跳ね返されてしまうのです。壁の手前で爆破して、その爆風で壁の破壊を試みましたが、それも効果が認められませんでした。それどころか、レーザー兵器も反射されてしまいました。我々では、対処できません」
ノーム先生が銀色の垂れ眉を上下させながら腕組みをする。
「反射というより、〔テレポート〕魔法だな、これは。鏡面に接した全ての物体やエネルギーを〔テレポート〕して、隣接している別の鏡面から吐き出す術式だよ。ソーサラー魔術ではなくて、魔法場サーバーを備えたウィザード魔法幻導術になる。軍用車両や輸送機の装甲に施されているやつだな」
そうらしい。
「だがまあ、熱や光は全て反射してしまうと中が真っ暗の極寒になってしまうから、ある程度は通るはずだけどね。それと、外部との通信用の電波なども通すはずだよ」
エルフ先生の表情がキョトンとしたような雰囲気になっていく。
「え? この程度の〔テレポート〕壁でしたら、水の精霊で包んで溶かしてしまえば……あ。使えないのでしたね」
そして、ちょっと考えてから校長と隊長に顔を向けた。髪の静電気がすっかり落ち着いている。
「この違法施設が、最後なのですか? 他にはありませんよね」
隊長が素直にうなずいた。
「はい。違法施設で破壊ができていないのは、これだけです。軍の情報部による内偵調査も終えていますので、確実な情報です。これさえ破壊できれば、我々が担当する地域は安全地域になります。皆さんに協力をお願いするような事も、今後は起きません」
ここで、隊長の表情が深刻に曇り、校長と顔を見合わせた。校長も同様に深刻な表情をしている。隊長がムンキンとラヤンに顔を向けた。
「我が帝国軍の情報部によると、この違法施設を拠点にしているのは『竜族独立派』のテロ組織です。ですので、違法施設内にいるのは竜族という事になります。もちろん狐族や魚族も、若干名ほど加わっているのですが……」
ムンキンが鼻で笑う。
「気にしなくても構いませんよ。タカパ帝国に不満や恨みを持つ竜族は多いので。竜族のテロ構成員なんかをいちいち気にしていては、僕の故郷を守る事なんかできませんよ」
ラヤンも半眼になってムンキンに同意した。尻尾で床を≪パシン≫と叩く。
「その通りです、警備隊長さん、校長先生。テロ組織を野放しにする事こそ、私たち竜族を苦しめる事に繋がります。『テロ構成員は見つけ次第始末する』その、帝国の方針に従いますよ」
レブンもセマン顔のままで、うなずいた。
「魚族の僕も異論はありません。海賊行為を働く魚族も多いですから。作戦後に、僕たちの精神状態を〔診断〕してもらって、必要に応じて魔法や法術での〔治療〕を受ければ、それで済む話です」
校長先生がムンキンとラヤン、レブンに謝る。
「学生は、学業に専念すべきなのですが……申し訳ありません」
隊長も、校長と同じような表情で謝る。
「我が軍が不甲斐ないばかりに、申し訳ありません」
エルフ先生が大きくため息をついた。そして、ノーム先生とサムカ熊に戸惑い気味な視線を送る。
「……どうしますか? この程度でしたら、生徒たちだけで充分に破壊できると思います。遠距離の魔法攻撃に限定すれば、精神的な負荷も少なくて済みます」
ノーム先生が口ヒゲを指でつまみながら同意する。
「だろうな。わざわざ現場へ出向く必要もあるまい。カカクトゥア先生の言う通り、ここから遠距離魔法攻撃を繰り出せば片が付くじゃろ。敵の顔を見ずに済めば、それに越した事はない」
サムカ熊もうなずく。ちょうどエスプレッソを飲み干したようで、カップをテーブルの上に「コトリ」と置いた。
「私も同意見だ。攻撃術式を起動させたシャドウを送り込めば良いだけだな。後は、シャドウが自動で作戦を遂行する。それに、テロ構成員を殺す必要性もない。無力化すれば、それで目的を達成できる」
サムカ熊の言う通りなので、隊長も同意した。途端に、生徒と先生たちの間から安堵の雰囲気が生じてくる。
一方でマライタ先生とティンギ先生は、あからさまに退屈そうな顔になっている。どうやら、ひと悶着起きることを期待していたようだ。そのせいか、エルフ先生と目が合っても残念そうにそっぽを向くだけである。
先生たちの様子をうかがっていた隊長の表情が、ぱあっと明るくなった。
「で、では……許可して下さるのですねっ」
校長も意外そうな表情をしている。
「え? 簡単な仕事、なのですか? カカクトゥア先生、ラワット先生、テシュブ先生?」
エルフ先生がため息をつきながら肯定する。
「敵を気絶させるだけですし。午後の授業がそろそろ始まりますし、さっさと破壊して片付けてしまいなさい。とりあえず、リーダーはミンタさんで良いかしらね。私たち先生は手出ししませんから、好きにやってみなさい」
「はい! カカクトゥア先生っ」
ミンタがテーブルの席から跳ね上がるように起立して、エルフ先生にキラキラ光る両目を向けて答えた。そして、すぐに仕切り出す。
「それじゃあ最初に私が、この糞遅い回線を光の精霊魔法で〔高速化〕させるわね。マライタ先生、魔法で強化できる仕様なんでしょ? この通信回線って」
マライタ先生が至極つまらなそうな顔をして、テーブルの上で頬杖をつきながら気だるそうに答える。
「そうだよ。ワシがシステムを組んだやつじゃないけど、その型式なら対応してるぞ」
「了解っと。ほい」
ミンタが右手をスクリーンの上辺に乗せた。
数秒間だけ画面が砂嵐状態になったが、すぐに収まり、現地映像が再び映し出された。杖を使うまでもなかったようで、ミンタがそのまま画面向こうの撮影部隊員に聞く。
「遅延無しの双方向通信にしたわよ。どう? そちらの撮影機材に悪影響とか出てる?」
「いえ。機材は問題なく動いていますよ。一瞬、ピカピカ光り出したので驚きましたが」
すぐに画面向こうから隊員の返事が返ってきた。本当に先ほどまであった通信の時間差遅延がゼロになっている。
それを確認して少々ドヤ顔になるミンタ。
「了解。通信回線から機材内の回線まで全て光回線で〔統一〕したの。光速だから、この程度の距離なら体感時間がゼロになるのよ。さーて、と。魔法も使えるようになったわね。カカクトゥア先生が仰っていたように、水の精霊魔法で壁を包み込んで〔液化〕してしまおうか?」
ムンキンが尻尾を数回床に叩きつけながら否定した。
「いや。それだと時間がかかるよ。ペルさんの闇の精霊魔法で、壁を消し去るのが手っ取り早いだろ」
「え? 私!?」
たじろいでいるペルはまだトレイにサラダを残したままだったが、考え直して強くうなずく。
「……うん、わかった。ミンタちゃん、私の闇の精霊魔法も使える仕様だよね」
ミンタがドヤ顔でうなずく。
「当然でしょ。これまでペルちゃんが使用した闇の精霊魔法なら全部使えるわよ」
エルフ先生とノーム先生が、少々驚いたような表情で顔を見合わせた。
「凄いわね、それ。エルフじゃできないわよ」
「いくら術式が分かっているとはいえ、光の精霊魔法に闇の精霊魔法を乗せるのか。これは興味深いな」
サムカ熊も両耳をピコピコさせて興味津々の様子である。
「ふむ。私とクーナ先生が使った、光と闇の精霊魔法の二重〔防御障壁〕の応用か。だが、安定的な通信を維持するためには、絶縁体のような魔法を間に入れる必要があるだろう。何か他に使っているのかね?」
ミンタのドヤ顔がさらにひどくなって、サムカ熊に「フフン」と鼻で笑いかける。
「鋭い指摘だな、さすが貴族ね。その通り、間にソーサラー魔術を挟んでいるわ。じゃあ、あとはよろしくね、ペルちゃん」
ペルが席から立ち上がって、簡易杖をスクリーンに向ける。
「うん。それじゃ、やってみる。えいっ」
杖の先が闇に包まれて見えなくなったが、すぐに元通りに戻った。しかし……
「あれ?」
ペルとミンタが同時に首を同じ方向にかしげた。すぐに現地の撮影部隊から、戸惑ったような声が届く。
「あ、あの。何も起きませんでしたが……」
「ぷぷぷ」と笑うのは、やはりラヤンである。
「テスト‐ランくらいちゃんとしなさいよ。これだから、頭でっかちの優等生は。ぷぷぷ」
「なんだとお?」と、顔を赤くして反抗するミンタを無視して、冷静に術式を〔解析〕するラヤンである。すぐに、これ見よがしにため息をついてみせる。
「ミンタ。あんた、肝心の闇の精霊魔法の術式が、ペルが使った術式を複製して、貼りつけただけじゃないの。余計な術式記述文があって、それがペルの放った闇の精霊魔法と衝突して、術式が流れるのを遮ってしまってるのよ。リボンの時と同じじゃない。バカなの?」
「ぐぬぬぬ……」と地団駄を踏むミンタである。彼女の闇の精霊魔法の魔法適性は低いので、致し方ないことではあるが。代わりに、レブンが術式を〔解析〕してから提案してきた。
「それじゃあ、僕が死霊術でペルさんの闇の精霊魔法を包むよ。テシュブ先生、どうでしょうか」
サムカ熊が「うむ」とうなずく。
「問題ないな。だが、死霊術ではなくレブン君の所有するシャドウを使って魔法を運ぶ方が良かろう。シャドウであれば魔法の保持も楽にできる。ソーサラー魔術の絶縁層に接触しないようにしながら、自律飛行もできるだろう」
そして、ちょっと熊頭を熊手でかいて、ラヤンに顔を向けた。
「ラヤンさん。君も〔式神〕を出して、法術を一通り準備して装備させた方が良いだろう。あの違法施設の中にはテロ構成員とはいえ、竜族の同胞がいる。〔式神〕を現地へ送り出して、自律行動させて救助と〔治療〕を行わせてみてはどうかな。ここから遠隔操作で〔治療〕しても良いだろうが、少々面倒だろう」
サムカの提案を聞いて、エルフ先生とノーム先生が顔を見合わせて微笑んだ。しかし、特にコメントはしない。
ラヤンが素直に了解した。サムカに対しては、意外にも一目置いているのかもしれない。普段は、「アンデッドは滅ぶべし」と叫んでいるのだが。
「そうですね……分かりました。〔式神〕を数体作って、現地へ〔テレポート〕しましょう。私の法力では、できる〔治療〕は限られますけど……ミンタに負担をかけさせるのは不本意ですしね」
ミンタがジト目になってラヤンとサムカ熊を睨みつけたが、すぐに肩をすくめて『降参』の仕草をする。
「そうね。それじゃあ、救助と〔治療〕はラヤン先輩に一任するわね。私も通信回線の維持に専念できるし。違法施設への攻撃はムンキン君に任せるわね。塵芥にしてあげなさい」
ムンキンがひと際強く尻尾を床に叩きつけて胸を張り、頭と尻尾の柿色ウロコを逆立てた。
「おう。オレに任せろ。光に帰してやるよ」




