55話
【大グモ】
大グモたちが、笑ったような雰囲気を出した。人間のような口を持たないので、このクモ顔では笑顔がつくれない。しかし、口調は完全に笑っている。それもご機嫌のようだ。
「よかろう。我が背中に乗れ。共に侵略者を撃ち滅ぼそうぞ」
サムカ熊が右手で後頭部をかきながら、大グモに話しかける。
「私は、カカクトゥア先生の同僚だが、同行しても構わないかね? 死霊術やら闇臭いが、そこは我慢してくれると助かる」
再び、大グモたちが笑ったような雰囲気になった。
「パリーから聞いて知っておるよ。死者の世界の貴族だろう、お主。今回は、我々は敵対せぬ。背中に乗るがよい」
その時、森の妖精たちが駆けてきた地平線が激しく光り輝いた。再び光の精霊魔法による攻撃を受けたのだろう。
しかし、今度は爆発は起きていない。それどころか鏡で反射されたように、敵の違法施設が光り輝いて爆発を起こした。
よく見ると、精霊と『化け狐』群の支配も〔解除〕されたようだ。再び、大軍勢となってこちらへ〔飛行〕して向かってきている。
「ほう。さすがは森の妖精殿だな。もう、エルフの攻撃魔法を〔無力化〕や〔反射〕できるようになったか」
サムカ熊が感心している横で、大グモの1体が脚を曲げて背を低くしながら答えてくれた。やや声色にドヤ顔風味が混じっている気がする。
「パリーほど歳を経ておらぬから、まだ魔力は弱いがね。それでも、こう何度も繰り返し魔法を『見れば』、理解できるものだ。さて、我が背に乗るがよい、貴族よ」
エルフ先生とサムカ熊が、それぞれ別の大グモの背中に飛び乗って〔防御障壁〕を前面に展開した。光と闇の二重〔防御障壁〕である。
と、そこへ。大地がいきなり盛り上がって、岩塊でできた人形が湧き出てきた。
「やあ。エルフと貴族だね。土中では『ずいぶんと』暴れてくれたようで、あれから精霊どもを鎮めるのに結構大変だったぞ」
もちろん初対面なので、大グモの背中の上で顔を見合わせるエルフ先生とサムカ熊である。
「あの、すいませんが、どちら様で……あ」
エルフ先生が思い至ったようだ。冷や汗が出ている。サムカ熊も予想できたようで、軽く腕組みした。
しかし岩塊人形は突っ立ったままだ。何とか人型に見える程度で、目や口などは当然のようについていない。その岩塊人形が話し始めた。
「君たちの言う『大地の妖精』だよ。森の妖精の大地版ってやつだ。心配無用だ、攻撃するつもりはないよ」
軽く手のような突起物を左右上下に振る。サムカの拳大の石が数珠つなぎになって、それが振り回されているだけだが、人の仕草を真似ているのだろう。
(スケルトンと似たような魔法だな……)と思うサムカ。しかし、スケルトンは発声できないので、この岩の人形の方が明らかに高度である。
その岩塊人形の声も最初は機械的な合成音声だったのだが、徐々に生物らしさを帯びてきている。
「何せ、〔世界創造〕以来、初めての客だったからね。なかなかに面白い経験だった。それで地上に興味が湧いて、こうして遊びに来たというわけだ。また面白そうなことをしそうだな。私も混ぜてくれ」
エルフ先生がサムカ熊を顔を見合わせて、肩をすくめながら答える。
「そうですねえ……では、敵エルフが地中へ逃げないように見張ってもらえますか。何なら食べても構いません」
岩塊人形が笑った。岩をこすりつけるような音の笑い声である。
「分かった。エルフは有機物だから、〔石〕にしてから食べるとするか。では」
そのまま、土中に没していなくなった。
「聞いてはいたのだが、大地にも妖精がいるのだな。驚いた。この分では、海や湖にも妖精がいそうだ」
サムカ熊の感想に、エルフ先生もやや複雑な笑顔で答える。
「妖精はそういうものですよ。ミンタさんの話では木星の中にもいるようですし。ラワット先生に後で教えてあげましょう」
エルフ先生がライフル杖を腰だめして構えながら、進撃の合図を下した。エルフ先生とサムカ熊は、別々の大グモの背中に乗っている。他の2体はそれぞれ最前列に陣取った。
「では、突撃! 敵を殲滅します」
4体の大グモが、エルフ先生程度なら丸呑みできそうなほど巨大な咢を《ギシギシ》と噛み合わせて応え、8本の極太の脚で大地を蹴った。ジェット戦闘機のカタパルト発進並みの加速度が先生とサムカ熊にかかるが、そこはそれぞれの魔法で〔緩和〕して耐える。
サムカ熊がエルフ先生のライフル杖を見て、(そう言えば武器がないな……)と思ったようだ。熊手で後頭部をかく。
「『大地の妖精』よ。武器を持ってくるのを忘れた。何か適当なものはないかね」
すぐに反応が返ってきた。さすがに声だけであるが。
「この、うっかり者めっ。じゃあ、これでも使ってくれ。ついでに、『妖精契約』を結んでやったぞ」
たちまち、サムカ熊の右手にアイアンクローのような、金属質の爪が生えてきた。爪の長さは優に2メートルはある。材質は、金属だと分かるだけで不明だ。
軽く素振りをして、感触を確かめる。意外にも気に入った様子である。
「……ふむ。熊としては5本欲しいところだが、3本爪でも使えそうかな」
そして、エルフ先生の不安そうな視線に気がついた。エルフ先生が声をかける。
「サムカ先生……うっかりついでに、大地の妖精と『妖精契約』を結んでしまっていますよ。大丈夫ですか?」
サムカ熊が3本の爪を出したり引っ込めたりして感覚を調整しながら、山吹色の瞳を細めた。
「まあ、問題あるまいよ。私も最近、精霊魔法に興味が湧いていたところだ。クーナ先生とパリー氏との関係のようなものだろう? 話し相手が増えたと思えば良いさ」
エルフ先生が微妙な笑顔でとりあえずうなずいた。
「そ、そうですね……一応、忠告しておきますが、あまり調子に乗って精霊魔法を使いすぎると、サムカ先生であっても〔精霊化〕して岩になってしまいますからね。まあ、貴族の魔力量を考えれば、特に気にする必要はないでしょうけれど。一応、気に留めておいて下さい」
サムカ熊が素直にうなずく。
「うむ。心得た。まあ、この大グモ殿に乗っている間は使う場面はなさそうだがね」
そう言って、サムカ熊が爪を伸ばして適当に振る。
10トントラックサイズの大グモの背中に乗っている状態では、2メートル程度の長さの武器を振り回したところで地面には届かないのだが……そこは貴族としてのノリだろう。
上空を見上げると、早くも『化け狐』群と風の精霊群を先頭に100体ほどの第一陣が、衝撃波を放ちながら通過していった。向かう先の地平線上のエルフの違法施設から、〔光線〕が放たれて容赦なく命中する。
しかし、もう被害を与えることはできていない。大グモ氏の言った通り、攻撃魔法の術式を〔解読〕されてしまったのだろう。もはや、ただのまぶしい光に過ぎない。
空中で生じた衝撃波と爆音が、地上を疾走しているサムカ熊たちにも届く。周辺の荒れ地は衝撃波を受けて土煙を上げて震えているのだが、サムカ熊たちは二重の〔防御障壁〕に包まれているので何ともない。
(あの大きさの『化け狐』であれば、魔力量は『騎士見習い』ほどはあるか。音速を超える速度を出しながら、光の精霊魔法攻撃を〔無効化〕することもできるだろう。しかし、風の精霊も同程度の魔力を帯びているとは驚いた。見たところ、上級精霊ではない様子だが)
〔念話〕で思考するサムカ熊の疑問に、エルフ先生が微笑んで答えてくれた。距離は15メートルほど離れているので、大グモ4体を含めた〔念話〕回線を構築している。
(10体余りが合体しているんですよ。それに光と風の精霊場は『親和性』があります。攻撃で受けた光の精霊場を風のそれに〔変換〕できるのですよ)
(ああ、そう言われればそうだったな……)と思うサムカ。彼も生徒に教えるほどの知識は持っているが、実際の現象を見た経験はそれほどでもない。
その〔光線〕魔法は当然ながら、サムカ熊の乗る大グモ小隊にも間断なく浴びせられている。しかし、光と闇の二重〔防御障壁〕のおかげで、完全に防御されている上に〔ロックオン〕もされていないようだ。
つまり〔察知〕されていないステルス状態になっている事でもある。荒れ地を高速で疾駆しているので、後方で土煙が巻き上がっているのだが、土煙ごとステルス処理している。そのために、敵側からは目視でもサムカたちを発見できていない。
進撃を開始してしばらくすると、上空を通過していった第一陣が、突如大爆発を起こして全滅した。大グモの背から見上げるエルフ先生の表情に殺気がこもる。
(あいつら、多チャンネルの『複合型』光の精霊魔法まで使ったわ。これは、さすがに〔解読〕は無理ね。逮捕が優先だったけど、こんな『大量破壊兵器の使用』を目の当たりにしては、もう無理かな。殺します)
大グモの剛毛だらけの背中の上で、エルフ先生が立ち上がりライフル杖を構えた。かなりの上下動をする疾走中なのだが、ライフル杖の先は全く乱れず正確に違法施設の方向を向いている。
その1秒後。地平線上で大爆発が起きた。エルフ先生のライフル杖の根元から、錠剤型の魔力カプセルが10個吐き出されてクモの背中に落ちていく。そのまま跳ねて、後方へ流れて土煙の中に消えた。
(術式変更、完了、発射)
エルフ先生の冷徹な〔念話〕がサムカにも〔共有〕される。再び、違法施設が大爆発を起こした。
(術式変更、完了、発射)
まるで呪文のように、同じセリフを10回繰り返すエルフ先生である。
上空を第二陣の『化け狐』と風の精霊群が通過していき、爆音と衝撃波が伝わってくる。続いて第三陣、四陣が通過していった。この後方陣になると、水の精霊や虫の群れも混じっている。
それらが、次々に空中で爆発して消えていく。容赦のない敵エルフだ。
「ふう……」と一息ついたエルフ先生が、杖を肩に担いでサムカ熊の方を向いた。非常に残念そうな表情で、口がへの字になっている。
(さすがに特殊部隊ですね。〔防御障壁〕を破壊できただけでした。それも、すぐに〔修復〕されてしまうでしょうね。残念ですが、違法施設は無傷のままです。手持ちの魔力はこれで全部使い果たしてしまいましたし、どうしましょうか)
違法施設側もエルフ先生の攻撃を〔逆探知〕したようで、サムカ熊たちの大グモ小隊の周辺に爆発が集中し始めた。
ステルス状態が維持できているので命中弾はないのだが、土煙が周辺に巻き上がり視界が利かなくなってくる。
高速疾走し続けているので、接近中の敵の違法施設もようやく大きく見え始めた。直線距離にして1キロ強まで接近できたようだ。
3階建ての石造りの要塞のような建物から無数の突起物が突き出していて、そこから攻撃魔法を放っている。上空高くには気球型の砲台も浮かんでいて、盛んに光の精霊魔法を放っている。最初に見えた気球は、これだったようだ。
この違法施設からの攻撃は砲弾発射や火炎放射ではないので、視覚的に派手な映像にはなっていない。突起物や気球の周囲の空間が帯電して、薄ぼんやりと発光している程度だ。
違法施設の外壁の外には人影は見られず、ゴーレムなども配置されていない。光の精霊魔法に絶対の自信がある故だろうか。
エルフ先生がジト目になって大グモの背中に片膝をついた。
(まったく……新月の夜だというのに、これほどの光の精霊魔法を撃ち続けることができるなんて。どれだけ大量の蓄電池を持ち込んでいるのよ)
(そう言えば、電気は光に〔変換〕できるとクーナ先生が言っていたか……)と思い出すサムカ熊。
(確かに、この〔防御障壁〕は厄介だな。このまま突撃して、私がこの爪で切り裂いて……おや)
突如、地震が起きたかと思うと、要塞のようなエルフ違法施設周囲の地面から、無数の巨大な牙が突き出してきた。しかも、〔防御障壁〕の内側からである。たちまち、3階建ての石造りの違法施設にがっちりと咬みついてしまった。
先程の大地の妖精が、地面をスピーカーにして通常音声で宣言した。呑気な声だ。何となくパリーに似ている口調である。
「じゃあ~、いただきます」
瞬時に〔防御障壁〕が破壊されて、巨大な石造りの違法施設が沸騰するように泡立ち始めた。泡からは次々に石が吐き出されていて、建物が溶かされていく。
ノームの違法施設で機材が石の塊を噴き出しながら消滅していくのを見たが、その大規模版だ。
違法施設上空へ侵入に成功していた『化け狐』や精霊群が、巻き添えを食って〔石化〕した。キリキリ舞いをしながら地面に墜落して砕け散っていく。
サムカ熊たちの大グモ小隊も、地面に接している脚先が問答無用で〔石化〕して砕けた。慌ててサムカ熊とエルフ先生が、苦手なソーサラー魔術の〔浮遊〕魔術を発動させて、クモごと空中に退避する。
それでも、クモの体表が急速に〔石化〕し始めてきた。サムカ熊とエルフ先生も同じ状態になっていく。
(お、おい。これでは、私たちまで一緒に〔石〕にされてしまうぞ)
サムカ熊が慌てる隣で、エルフ先生も両耳をピコピコさせている。
(うわ。パリー以上の魔力だわ。こんなの防げないわよ)
その時、石の塊を噴き出しながら消化されていく違法施設内から、とりわけまぶしい閃光が起きた。視界が真っ白になる。
「げ。まぶしい~。た、退却だ~」
大地の妖精の間延びした悲鳴が、大地スピーカーから大音量で流されて……それっきりになった。巨大な牙が光に〔分解〕されて消滅していく。
閃光を浴びたのは大グモ小隊も同じだった。疾走速度はそのまま保持されていたので、慣性運動で空中に浮かんだまま違法施設へ接近している。
その剛毛だらけの大グモの背中の上でサムカ熊が、水から上がった犬のように体を身震いさせて、全身にこびりついた石を落とした。体の表面だけの〔石化〕で収まったようだ。
(あの妖精め。余計な混乱だけ引き起こして逃げたか。というか、目があったのか? まぶしいとか言っていたが)
エルフ先生も杖を持たない左手で、軽く体を叩いた。石の粉が巻き上がる。
(命拾いはしましたけれどね。さて、敵の違法施設は〔防御障壁〕と外壁が壊れています。突入しましょうか)
サムカたちは違法施設のすぐそばまで来ていた。〔防御障壁〕は全て消滅しており、石造りの外壁も大地の妖精による同化攻撃で、ズタズタに裂けていた。これなら侵入も容易だ。
「援護感謝する。では我々は、このまま攻め込むとしよう。また会おう、エルフと貴族よ」
足先が〔石化〕されているままの大グモ4体が、背中のサムカ熊とセルフ先生を弾き落とした。背中の剛毛もかなり〔石化〕されていたので、それも砕けて粉になる。
しかし大グモたちも、〔石化〕は表皮だけで収まっていたようだ。礼を述べて、そのまま外壁の裂け目から建物の内部へ突入していった。
たちまち、〔レーザー光線〕が違法施設内で飛び交い始める。
上空からも、後続の『化け狐』や精霊群、虫の群れが大量に侵入し始めた。振り返ると、森の縁から次々に大グモ型やトカゲ型の森の妖精が、軍団になってこちらへ疾駆してくるのが見える。その数は100ほどにもなりそうだ。
エルフ先生が背伸びをして、軽くジャンプする。ライフル杖を小指の先ほどの大きさの〔結界ビン〕に〔封入〕し、内ポケットの中に収めた。
「魔力切れですからね。格闘術しか使えません」
両手がぼんやりと青く光り、両足先と膝、肘、肩も光を帯びた。もう、〔念話〕をする必要も魔力もないので、直接会話に戻っている。
サムカ熊は両手の3本爪を軽く袈裟斬りのように振る。空気が切り裂かれる冷たい音がした。
「おや……右手だけではなく、左手からも爪が出るのか。私は、クーナ先生の支援に徹することにしよう。どういう方針でいくのかね?」
エルフ先生が準備運動を終えて一息つき、崩れた3階建ての違法施設内部をのぞき込みながら、両耳を数回上下させた。
「すでに内部は乱闘状態です。逮捕する余裕はないですね。森の妖精や精霊に『化け狐』たちによる、〔妖精化〕や〔精霊化〕の攻撃が入り乱れているはずです。特殊部隊でもこれを回避することはできません。間もなく全滅するでしょう」
ここで再び、1呼吸間を置くエルフ先生である。
「放置しても構わないのですが、特殊部隊員にも家族がいます。遺品や体の一部の回収に専念しましょう。死亡確認が取れれば、エルフ世界での〔復活〕魔法が使いやすくなります」
サムカ熊がうなずく。
「了解した。では、急いだ方が良かろう。今はまだ森の妖精は4体だけだが、間もなく100を超える援軍が到着する。そうなってからでは、我々も調べる事ができなくなる。それに月の『化け狐』も、そろそろ気がつく頃だろう」
エルフ先生が警察官の顔になってうなずいた。
「そうですね。では、急いで中へ……」
石の泡が無数に発生している違法施設の外壁に生じた大きな裂け目から、一歩踏み込んだエルフ先生が、軽い悲鳴を上げて後ろへ跳んで戻ってきた。
サムカ熊が首をかしげる。
「どうかしたかね? 何か罠でも仕掛けられていたのかな」
エルフ先生が両耳を不規則にピコピコ上下させながら、「キッ」とした鋭い視線をサムカ熊に向けた。
「〔妖精化〕や〔精霊化〕の魔法場が早くも充満しています。中に入ったら最期ですよ」
そして、再び違法施設内へ視線を向けた。今度は一転して困惑している。
「まだ、特殊部隊員の生命反応は残っています。さすがエリートというところですが……時間の問題でしょうね。困ったな。遺品や体の組織を回収に行けないわね」
サムカ熊がおもむろに違法施設内へ足を踏み入れた。驚くエルフ先生を制して、数歩さらに中へ歩み入る。突如、動きがぎこちなくなり、ぬいぐるみの体が痙攣を始めた。
「サ、サムカ先生?」
何か引っかけて引っ張ることができそうな長い棒を探して、周辺をキョロキョロするエルフ先生。
「ダ、ダイジョウブ、ダ」
サムカ熊が激しい痙攣を起こしながらも、何とか違法施設の外へ脱出して戻ってきた。同時に痙攣が収まる。
「確かに、私も満足に動かすことができないな。だが、姿勢制御だけに集中すれば何とかなりそうだ」
サムカ熊がエルフ先生に顔を向ける。
「クーナ先生の意識を、この熊に〔憑依〕させて操ってくれ。私は闇魔法の〔防御障壁〕を展開しつつ、熊人形の姿勢制御と反応速度維持に専念してみよう」
サムカ熊が軽くその場駆け足をする。
「クーナ先生は、この熊を操って格闘術を行使してくれ。ああ、それと光の精霊魔法の〔防御障壁〕の展開もだな。二重〔防御障壁〕であれば、かなり効率的に〔妖精化〕と〔精霊化〕を防ぐことができるだろう。クーナ先生の本体は違法施設の外にいるから、影響は出ないはずだ」
エルフ先生がキョトンとした表情になってサムカ熊の提案を聞いていたが、すぐにうなずいた。
「……なるほど。ですが、私はウィザード魔法の幻導術や、ソーサラー魔術の傀儡〔操作〕魔術は苦手なのですよ。生命の精霊魔法で行うのが、私にとっては便利ですが……その場合、熊人形を疑似生命体にして、その意識を私が精神の精霊魔法で乗っ取って操作する、ということになります。そうなると、サムカ先生の思念体が追い出されてしまいませんか?」
サムカ熊が素直にうなずく。
「だろうな。その方法では事実上、クーナ先生1人だけで熊人形を動かすことになる。それでは意味がない。ここは私の案を採用してくれないかな。私が、クーナ先生から思念体を一部引きずり出す。それを、この熊に〔憑依〕させる。これならゾンビ作成手順とほぼ同じだ。内部分割をして、私の思念体が熊の姿勢制御と反応系を担当、クーナ先生の思念体が熊の操作を担当、ということにすれば良いはずだ」
「なるほど」と苦笑するエルフ先生。
「考えましたね。さすがアンデッドを日常的に作成運用しているだけありますね。いわば〔分身〕ですが、体がぬいぐるみで非生物ですから、〔精霊化〕や〔妖精化〕の目標として認識はされにくいでしょう。まあ、それでも時間の問題で、最終的にはどちらかになってしまいますが」
そういう事らしい。
「ですが、生身で入るよりは安全ですし、行動時間も長く確保できますね。熊人形が〔妖精化〕や〔精霊化〕されても、本体の私たちには直接の悪影響は及ばないと思います。思念体の一部を失うので、後で精神の精霊魔法での〔治療〕を受ける必要はありますが、すぐに回復できるでしょう」
そして、サムカ熊の前に歩み出て両手を広げて胸を張った。
「では、お願いします。サムカ先生」
サムカ熊が感嘆の声を上げる。
「ほう……エルフにしておくのはもったいないな。君なら私の師匠の右腕にもなれただろう。では、思念体を少し引き抜くぞ」
サムカ熊がいったん熊手の長大な3本爪を全て消去させ、通常の5本爪の熊手に戻してから、エルフ先生の胸板に右手を突き当てた。「ドスン」と鈍い音がして、熊手がそのまま引かれる。
と、ぬいぐるみの5本爪に、何か虹色の風船のようなものが引っかかって、エルフ先生の胸板から出てきた。
「……あれ? 特に違和感も何もありませんよ」
エルフ先生が拍子抜けした顔をして、自分の胸板に両手を当てている。サムカ熊が右熊手に乗っている虹色の思念体を確認した。
「見ての通り、普段の森で漂っている程度の弱い出力だからな。うむ。成分は問題ない。エルフの思念体は初めて扱うが、何とかなりそうだ。では、出力を強制的に強化しよう」
そう言ってサムカ熊が、右熊手の上に乗っている虹色の思念体を闇で包んだ。たちまち、どす黒い雲状になって激しい稲光を発し始める。
「よし。この程度であれば充分だろう。〔憑依〕開始」
真っ黒い雲が、あっという間にサムカ熊の頭部に吸い込まれて消えていく。
「起動。死霊術場なので、いったんウィザード魔法幻導術に〔変換〕して、〔念話〕の術式でクーナ先生の意識と連絡して……いるはずだ。どうかね?」
サムカ熊がただの人形に戻った。しかし、姿勢制御はサムカが維持しているので、倒れたりはしておらず、しっかりと力強く地面に立っている。もちろん二本足である。
エルフ先生の両耳がピコピコと上下して、背中を流れる金髪から数本の大きな静電気が地面に向けて走り抜けた。サムカ熊が再び動き出す。エルフ先生が空色の瞳を輝かせながら微笑んだ。
「問題なく動かせますね。へえ……これがアンデッドを〔操る〕感覚かあ。面白いですね」
(うむ。うまくいったようだな。音声系もクーナ先生に渡したから、私からの通信はこの〔念話〕形式だけになる。爪の〔操作〕も渡したので、必要となれば使ってくれ)
サムカからの〔念話〕が、エルフ先生の頭の中で聞こえるようになった。通常は、『音声化』させる必要があるので、耳の内耳器官で〔念話〕通信が行われるのだが、今は思念体レベルで意識が連絡しているのでこうなったのだろう。
エルフ先生本人と熊とが同時にうなずいた。
「では、格闘術の術式を走らせます」
熊が変形して直立する狐になった。やはり、生命の精霊場の影響を強く受けるせいだろう。背は180センチのままで、大きな尻尾と狐耳が発生する。
手足は人間のそれで、獣や獣人型ではなく、人間型の狐になっている。全身金色の毛皮に包まれた優美な姿だ。その両手、両足先、膝と肘、肩が光に包まれた。
「あらら。狐になってしまったわね。ライカンスロープ病の後遺症かな。まあ、いいか。術式は正常。では、爪を出してみましょうか」
クーナ狐がそう言って、両手を前に突き出す。同時に3本の鋭い爪が、それぞれの手の人差し指、中指、薬指の根元から生えた。ちょうどアイアンクローのような見た目である。爪の長さを調節して、長さ40センチほどで固定する。指も全て自由に動かせるようで、『結んで開いて』を数回繰り返して動作確認を終えた。
「足からも出せるのかしら」
クーナ狐が両足先を見下ろす。と、3本の爪がニョッキリと生えた。
これにはサムカも驚いたようだ。
(ほう。足からも爪が出せる仕様だったのか。あの大地の妖精め、説明を怠ったな)
クーナ狐が微笑みながら、足の爪の長さを調節する。これは10センチ弱で固定であった。あまり爪が長いと俊敏な動作の邪魔になるからだろう。
尻尾で地面を掃いて両耳をピンと立てた。一時、病気のせいで狐だったので、意外に手慣れた動作になっている。
そのまま、違法施設内に足を踏み入れて、数歩ほど歩いた。振り返って、違法施設の外に立っているエルフ先生本人に手を振る。
エルフ先生も微笑んで手を振り返した。
「頑張ってね、いってらっしゃい」
クーナ狐が本人からのエールを聞いて、違法施設内の様子を伺う。上空から次々に新手の精霊と『化け狐』が違法施設に突入してくるのが見え、違法施設内でも、すぐそばを精霊と『化け狐』が群れをなして飛行していく。
クーナ狐の顔のそばに、〔空中ディスプレー〕画面が生じ、特殊部隊員の位置情報が示された。生命の精霊場の反応として表示されている、つまりまだ生きているということだ。
「これなら、結構長時間動けそうです。では早速、突入しましょうか」
(了解した。存分に暴れてくれ)
外壁の崩壊で瓦礫が散乱している通路を、クーナ狐が疾駆していく。
それを見送ったエルフ先生が少し肩をすくめて、違法施設から距離を取るべく後退し始めた。
(足にスパイクがついていると、動きやすいのね。〔分身〕魔法はよく使うけれど、人形に〔憑依〕する感覚は別なのか。とりあえず3キロほど、この違法施設から離れておきましょう)
迫りくる100体ほどの森の妖精群に視線を向ける。
「到着まで、残り2分弱かな。月の『化け狐』も、気がついたみたいね」
新月の夜空なので、無数の星の海が上空に広がっているのだが、その星の1つがゆらゆらと不安定な動きをしている。斥候の狐だろう。
【クーナ狐】
「うげっ」
クーナ狐が光の精霊魔法の〔レーザー光線〕攻撃を全身に浴びて、穴だらけにされた。サムカによる姿勢制御が間に合わず、崩れ落ちるように瓦礫が散乱する通路の床に倒れる。クーナ狐の周囲にいた、数体の水の精霊と『化け狐』は、耐え切れずに穴だらけになって〔消滅〕した。
攻撃したエルフの特殊部隊員はクーナ狐を見ようともせず、輪郭が揺らいでそのまま姿を消した。姿がはっきりと見えないので、ステルス仕様の戦闘服なのだろう。
後続の『化け狐』と精霊がすぐにやって来て敵エルフを探すが、見つけられないようだ。そのまま空中を飛んで去っていく。
(ふむ……さすがはエルフの特殊部隊だな。無駄がなく致命的な攻撃をする。よし、とりあえずぬいぐるみの体は魔力で〔修復〕した。立っても大丈夫だ)
サムカが〔念話〕でエルフ先生に知らせると、クーナ狐がゆっくりと起き上がって後頭部を右手でかいた。
「さすがですねえ。一介の警官程度じゃ、相手にもなりませんね。光と闇の二重〔防御障壁〕を展開していたのに、見事に貫通されてしまいました。〔精霊化〕や〔妖精化〕に対する防御も大してできていませんし、無意味ですから、解除しましょうか」
サムカも同意して、二重〔防御障壁〕を解除する。クーナ狐が傷の完全回復を確認して、その場で数回軽くジャンプした。大きな尻尾が2拍子ほど遅れて上下する。
「〔防御障壁〕がなくなった分、機動性は増しましたけど、これでも歯が立たないでしょうね。特殊部隊といえども、違法施設を破壊するような大出力の攻撃魔法は使ってこないと思っていたのですが。それ以前の問題でした」
(まあ、建物内での魔法戦の訓練はしているだろう。それで、どうするかね? 撤退するのも手だが)
サムカの問いかけにクーナ狐がジャンプを止めて、両耳を交互にピコピコと上下に動かした。
「〔妖精化〕や〔精霊化〕していく途中の特殊部隊員だけを狙いましょう。この爪で、まだ正常な組織を切り取って、〔結界ビン〕に〔封入〕します。それで死亡確認ができますし、母国での〔復活〕も滞りなく進むはずです」
サムカも同意する。エルフ先生が手元に〔空中ディスプレー〕を発生させた。違法施設内の地図が表示されて、そこに50個以上もの赤い点が動いている。
「ほとんどは〔分身〕ですね。特殊部隊員の本体は、生命の精霊場が比較的強い値の赤い点でしょう。これを、いったん保存して、〔追尾〕と」
10個ほどの赤い点が〔追尾〕されて、それぞれに強調マークと経時変化グラフがつく。
「既に〔妖精化〕や〔精霊化〕してしまった隊員は手遅れなので除外しました。生命の精霊場の値が急激に変化し始めたら、〔妖精化〕や〔精霊化〕が始まったという事になります。攻撃力も急激に低下するはずなので、そうなったターゲットから順に狩りましょうか」
(ほう。これは便利だな。私には使えない精霊魔法なので羨ましいよ)
サムカの素直な感想に、クーナ狐の両耳がシンクロしてピコピコと前後に動く。
「早速1つ変化し始めましたね。急行しましょう」
両足先の3本爪が「ガキッ」と床に食い込んで、残像を残すような勢いでクーナ狐が疾走する。通路には精霊や『化け狐』が群れをなして飛び交っているのだが、それらを器用に避けてすり抜けていく。
森の妖精が『エルフ先生とサムカは敵ではない』と知らしめているおかげで、直接攻撃される心配はなかった。
(だが、確実に〔精霊化〕の方は進行している。水と風だが、それほど長くはもたないぞ)
サムカの警告に、クーナ狐が疾走を続けながら答える。四つ角を1ステップで曲がり、散乱する瓦礫の山を、跳び箱を跳んだり障害物競走でもしているように柔軟な動きでかわしていく。速度は『化け狐』や精霊よりも少し遅い程度だ。
「あと1分ちょっとで、森の妖精の軍勢が押し寄せます。それまで動くことができれば、それで充分ですよ。いた!」
瓦礫の山の陰に迷彩服姿のエルフが床に倒れていて、のたうち回っている姿が見えた。ステルス機能も消失しているようで体の輪郭がはっきりと見え、服だけでなくヘルメットや杖なども大破しているのが分かる。その裂け目から見えるエルフの顔は、もうドロドロに溶け始めていた。
クーナ狐が突撃速度を全く落とさないまま、両手から爪を3本ずつ突き出した。そのまま流れるような動きで振りかぶって、すれ違いざまに一閃させる。隊員の左手が手袋ごと宙に舞った。しかし、斬り口からはほとんど血が出ていない。
両足で床を蹴って反転し、再び倒れている隊員に駆け寄るクーナ狐が、宙に舞っていた左手をキャッチした。
そのまま離脱する。入れ替わりに水の精霊が数体飛び込んできて、隊員の全身を包み込んだ。声もなく断末魔の痙攣を始める隊員が、その戦闘服ごと消化されていく。その姿を見ずに、クーナ狐が通路を駆けていく。
精霊や『化け狐』をかわしながら、狩った左手を見る。その顔が少し険しいものになり、すぐに爪を振って左手を分解した。小さな骨付きの肉片を切り出して、それをキャッチし、そのまま〔結界ビン〕の中へ入れた。
「親指のつけ根部分だけか。それ以外は〔精霊化〕が始まってたわ。ちょっと遅かったか」
(体組織は大きな方が、〔復活〕作業では有益だったな。あとはエルフ世界の医師に任せるしかあるまい)
次の標的を〔ロックオン〕したクーナ狐が、走りながらうなずいた。
「そうですね。私がやっているのは、ブトワル王国のアリバイ作りですからね。採取することに政治的な意義があるのでしょう。次、行きますよ」
1分弱の間に、さらに4体の組織片を切り取って採取したクーナ狐である。
急激に外壁の向こうが騒がしくなり、地鳴りが大きくなった。急停止して、外壁を支える丈夫な柱につかまって爪を立てる。
「来ましたね」
クーナ狐が最後まで言い終わる間もなく、爆音と衝撃波が違法施設の全体を貫いた。外壁がボロボロと崩れて落ちていく。天井や床も崩落し始めた。
まだ揺れているのだが、クーナ狐が爪を柱から引き抜いて両足を踏ん張る。尻尾を大きく振ってバランスをとりながら、手元の〔空中ディスプレー〕を見つめた。
「特殊部隊は全員が1ヶ所に集まっていますね。ここは……倉庫かな」
サムカも感覚を〔共有〕しているので、見ることができるようだ。
(ふむ。カルト派貴族のナウアケが逃げようとしていた場所と似た部屋だな。そこに『世界間転移ゲート』があるのだろう)
急激に強烈な精霊場が違法施設内に充満していくのを感じながら、クーナ狐が力強くうなずく。
「でしょうね。では、そこに向かいましょう」
【世界間移動ゲート】
クーナ狐が全力疾走で駆けつけ、その倉庫の壁をぶち壊して部屋の中へ突入した頃には、残念ながら全てが終わっていた。
大グモ型の森の妖精4体が先着していたのだ。サムカとエルフ先生を背中に乗せてくれた大グモである。敵エルフの〔石化〕攻撃を受けて、脚や体表面が〔石〕になっていたのだが、すっかり元通りに〔復元〕していた。
そのうちの1体が、頭だけをこちらに向けてクーナ狐の姿を確認する。
「遅かったな。エルフと貴族よ。ん? 依代か。まあよい。敵は殲滅した」
大グモが告げた通り、床には数名の戦闘服姿のエルフが倒れて痙攣していた。もはや、正常な組織は何一つ残っていないほど徹底的に〔妖精化〕されてしまっている。戦闘服ごと拳大のクモの群れに〔変換〕されつつあった。
「はあ……遅かったか。ここまで〔妖精化〕されてちゃ、サンプル採集も無理ね」
クーナ狐が尻尾と両耳を伏せて肩を落とした。クモの群れがワサワサと倉庫から出ていくのを見送る。
その2呼吸ほど後。倉庫の中央の空間が歪んで、古びたゲートが出現した。まだ扉は閉じたままだが、エルフ先生には見おぼえがありすぎるゲートである。
「サムカ先生が予想した通り、『世界間移動ゲート』を〔召喚〕していたのですね。一応、トリポカラ王国の公式〔召喚〕なので、使えるのか」
その後、大グモに軽く説明をするクーナ狐である。その間に、次々と他の森の妖精が壁を破壊して侵入してきた。クモ、トカゲ、ムカデ、アリなどを巨大化した姿をしている。それぞれは軽トラックほどの大きさだ。
ちなみに大グモたちも、今はその体を小さくしている。10トントラックではなく軽トラックのサイズだ。このサイズが違法施設の中を動き回るには適しているのだろう。
(私も、王国の公式任務で時々使うゲートだな。〔召喚〕だが、そんなに手間がかかるのかね? 私の経験では、30分もあれば充分なのだが)
サムカが〔念話〕で、まだ森の妖精たちに説明を続けているクーナ狐に質問する。
ようやく説明を終えたクーナ狐が、森の妖精や精霊の『ゲートへの敵意』が緩んだのを確認してサムカの問いに答える。
「エルフは精霊魔法は得意ですが、それ以外は苦手なのですよ。この特殊部隊も、ずっと〔召喚〕を行い続けていたはずです。数時間はかかりますよ。もう少し耐えれば、逃げることができたのでしょうけど。あ。開いた」
古めかしいゲートの扉がゆっくりと開いていく。やはり、貧相なシャッター扉である。その奥に背の低いカエル顔の坊主の顔が見えた。
すぐにクーナ狐が警告する。
「お坊様。この〔召喚〕はトリポカラ王国の警察特殊部隊による身勝手なものです。タカパ帝国は認めていません。速やかにゲートを閉じて下さいますか。でないと、森の妖精たちの総攻撃が始まりますよ」
サムカにも急激な闇魔法場の濃度上昇が感じられた。もちろん、ゲートの向こうから漏れてきた魔法場である。
カエル坊主が少し開いた扉の向こうから顔を見せた。
「ん? そうなのかね。確かに、〔召喚〕した者どもは全滅しておるな。分かった。契約不履行で扉を閉じることにしよう。では」
あっさりとカエル坊主が述べて、そのまま扉を閉めていく。
その扉に、数体ほどの精霊と『化け狐』が体当たりして、派手な音を立てた。数体の森の妖精も、つられて突入して、激しく扉に衝突する。爆音に似た激突音が数回起きたが、すぐに収まった。ゲートが消滅したせいである。
安堵して、持ち上がっていた尻尾を床に下ろすクーナ狐。
「これでよし。サムカ先生、脱出できそうですか?」
(いや。残念だが、もう無理だな。足の〔精霊化〕が始まった)
サムカが〔念話〕で告げた通り、クーナ狐のぬいぐるみの両足がガスを噴き出し始めた。
「ああ。風の〔精霊化〕ですね。じゃあ、このぬいぐるみは、ここで廃棄しましょう。その前に、これを本体に届けないといけないわね」
クーナ狐がぬいぐるみの体の傷をほじって、中から〔結界ビン〕を1つ取り出した。5片の組織が中に封入されているのを再確認して、それに風の精霊魔法をかける。
たちまち、ロケット弾のようにクーナ狐の手の中から発射される。そのまま違法施設の外へ、風切り音を立てて飛んでいった。
「これでよし。じゃあ、私たちもぬいぐるみとの連絡を切りましょうか」
飛んできた〔結界ビン〕を、両手でキャッチするエルフ先生。あれからさらに後退していて、違法施設から5キロの距離に立っていた。〔結界ビン〕を機動警官の制服ポケットに突っ込む。
「サムカ先生……? 応答なしか。人形が消滅したから通信が切れちゃったのかな」
そして、違法施設の上空を見上げた。
(危うかったわね。ギリギリ間に合ったか)
白く光り輝く『化け狐』が、違法施設の真上上空をゆっくりと旋回していた。しかし、かなり上空にいるようで、見かけ上の長さは1メートルほどだが。
そのまま、数回ほど上空を旋回していたが……飽きたのだろうか、不意に姿を消してしまった。
再び新月の夜の暗さに戻り、満天の星空を見上げるエルフ先生である。少し雲が出てきたようだ。
(光の精霊場も、あのゲート発生でかなり打ち消されたし、妖精や精霊も取り込んでくれたおかげかな。もう、通常の精霊場強度に戻ってるわね)
「ふう……」と大きく安堵のため息をついてから、手元に小さな〔空中ディスプレー〕を発生させる。そこには既に、あのエルフ警察の偉い人の顔が映っていた。その彼に、エルフ警察式の敬礼をするエルフ先生。
「任務終了しました。これより撤収します」
【寄宿舎】
学校の寄宿舎ロビーは、夜も更けて来ていたので生徒の姿は少なくなっていた。ロビー中央には大きな〔空中ディスプレー〕画面があり、ニュースを流している。復興関連の情報ばかりで娯楽番組がほとんど休止になっているために、集まっている生徒の数も少ない。
ただ、ロビーの片隅のソファーに座っているバントゥ党は、互いに何か口論を続けているようだ。党員の数もすっかり少なくなっていて、今は15人ほどになっている。中心メンバーは変わっていないようだが。
魔法工学のベルディリ級長と、チューバ、ソーサラー魔術のラグ、幻導術のウースス級長、招造術のクレタ級長、それにバントゥが深刻な表情で、他の党員生徒と口論している。党員たちのほとんどが離党したいと申し出てきていたので、幹部の生徒が引き留めている様子だ。
「我々が動揺してどうするんだ。今こそ、バントゥ党の結束が試される時じゃないか!」
「宰相の策略に乗ってはいけないぞ。我々は罠に嵌められたに違いないんだ」
一般党員との口論の中心になっているのは、竜族のラグと魚族のチューバだった。この2人が怒ったような顔で、他の党員生徒たちと言い合っている。
気勢を上げるのは、ウースス級長とクレタ級長の2人組だ。どちらも竜族なので、尻尾を揃えてバンバン床に叩きつけている。
「バントゥ君から、今まで多くの便宜を得ています。このような些末な事で裏切っては、竜族の名に恥じる行為ですよ」
クレタ級長の丁寧な口調ながらも有無を言わせない迫力に、ひるむ党員生徒たち。クレタ級長の隣に立っているウースス級長も、顔色を青くしながら精一杯の援護をしている。
「その通りです。バントゥ党が弱まれば、独善的なリーパット党が勢いづく事になります。竜族や魚族の立場が、さらに弱まる事態になりかねません。ここは……あたたた、胃が痛くなってきた」
ウースス級長が紺色のベストの上から、白い魔法の手袋をした両手を腹部に当てて、猫背になった。
その彼を支えるベルディリ級長。理知的なクルミ色の瞳を細めて、紺色のベストの内ポケットから、何かの魔法具を取り出した。短い杖のような形だ。隣のクレタ級長の肩にも腕を回して落ち着かせる。
「少し興奮を鎮めなさい。感情的になっては、去る者が増えるだけだよ」
ベルディリ級長が魔法具を背中を丸めているウーススの腹部に当てた。すぐに効果が現れたようで、呻き声が収まっていく。
代わりに、ラグとチューバが大声を張り上げて、党員生徒を鼓舞し始めた。
「竜族の街に何が起きたのか、思い出せ! 宰相の好き勝手には、断じてさせないぞっ」
明らかな帝国批判を言い放ったラグだ。ロビー内の生徒たちが一斉にどよめく。ベルディリ級長が慌ててラグを諫めようとしたが、先にチューバがラグの片手を持って高く掲げた。
「我々の身は、自力で守らねばならない! 例え、それが宰相閣下であってもだっ」
さらに生徒たちからのどよめきが起きる中、ベルディリ級長が固い笑みを浮かべる。
「言ってしまったか……。まあ、こうなっては仕方がないかな」
クレタ級長もラグとチューバに賛同して、再び大声で演説を始めた。ウースス級長も、腹を両手で押さえながらも尻尾を振り回して加勢している。
それをソファーに腰かけたバントゥ本人が、ぼんやりとした表情で眺めていた。『心ここにあらず』といった印象だ。
一方のリーパット党は、急速に勢力を増大させていた。
今やリーパットの周囲には10名余りの取り巻きがいる。リーパットはソファーを独り占めして、どっかりと腰を下ろしてふんぞり返り、その黒茶色の瞳を細めていた。
取り巻きは、そのソファーを囲むようにして立っている。リーパットのすぐ近くには、やはり側近のパランが立っているのだが、彼の横に新たにもう1人の狐族の男子生徒が立っていた。側近を2名に増やしたようである。もちろん、リーパット党は狐族至上主義なので、党員は全員狐族ばかりだ。
皆そろって、バントゥ党の内紛をニヤニヤしながら冷かしている。ミンタの悪友のコントーニャの姿が、いつの間にか彼らの中に交じっていた。さも最初からリーパット党員だったかのような表情で、急増したリーパット党員と一緒に『しれっと』バントゥ党を煽っている。
そんな勢力争いには関心を寄せず、反対側のロビーの隅で集まっているのはミンタたちだ。
ムンキン党のバングナン・テパが率いる男子生徒たちや、ミンタの友人の女子生徒、ノーム先生の精霊魔法専門クラスのビジ・ニクマティ級長と級友たち、それにラヤンの法術専門クラスのバタル・スンティカン級長と級友たちに、レブンが教祖みたいになっているアンデッド教のライン・スロコックと6人のメンバーまでいる。総勢で30名弱にもなっていた。
皆で輪になって一心不乱に、輪の中央に浮かんでいる大きめの〔空中ディスプレー〕を食い入るように見ている。そこには、エルフ先生とサムカ熊から警察や軍へ送られている現地映像と、関連情報が表示されていた。もちろん、違法行為である。
サムカが教えた〔側溝攻撃〕を、早速不正使用していたのであった。使用には警察や軍の『許可』が必要なハズなのだが……ティンギ先生とマライタ先生が『しれっと』輪の中にいるので、この2人のせいだろう。
画面を見上げていたミンタが心から安堵して、大きく深呼吸する。
「良かったあ……カカクトゥア先生がご無事で」
腰が抜けたようで、隣のペルと友人たちに体を支えられる。ペルも薄墨色の瞳を白黒させて両耳をパタパタさせながらも、ミンタと彼女の友人たちに満面の笑みで微笑んでいる。
「うん。本当に良かったよ。テシュブ先生があまり役に立たなくてごめんね」
先生2人も含めて、輪になって見ている生徒たちの間から笑い声が起きた。ミンタも栗色の瞳をキラリと光らせて、ペルを見上げる。
「そうね。でもまあ、熊だし。仕方がないかな」
そして、今度は目をキラキラさせて尻尾を大きく振った。室内照明の光に、金色の毛がチカチカと反射する。
「そんなことよりも、カカクトゥア先生の狐姿見た? すっごい綺麗だったわあ~」
ペルもミンタの友人たちや、ムンキン党の狐族の男子生徒と一緒になって即座に同意する。見事に尻尾の振り方が揃って、『同期』してしまっている。
「きゃあきゃあ」と盛り上がるミンタたちを、少し呆れた笑顔で見つめるのは竜族と魚族だ。
特に法術専門クラスのラヤンとスンティカン級長は大いに微妙な顔になっている。ラヤンが早速紺色の瞳をジト目にして、尻尾を数回床に「パンパン」と叩きつけた。
「お気楽ね、まったく。エルフとアンデッドが協力して戦うなんて、前代未聞のことなんだけど。あんまり、エルフがアンデッドに馴れ馴れしくすると、私たち法術専門クラスは敵に回るわよ」
スンティカン級長とラヤンの友人たちも、当然のような表情になってうなずいている。
「アンデッドは『害悪』だという事を、忘れている生徒が増えて困るな。いくらテシュブ先生が真教教会から『排除例外指定』を受けていると言っても、必要以上に馴れ馴れしくするモノではないんだぞ」
同じ竜族のムンキンとその仲間はニヤニヤしているばかりだ。ムンキン党のバングナン・テパも同じような顔になって、狐の両耳と鼻先のヒゲをヒョコヒョコ愉快そうに動かしている。
「じゃあ、僕たちとも戦うことになるな。ラヤン先輩とその他大勢の神官坊主候補生よお」
ラヤンが大げさな身振りで肩を落として見せた。ため息をつくのも忘れない。
「まったく……竜族は団結心ってものが希薄なのよね。安心しなさい。スンティカン級長もさっき言ったけれど、マルマー先生ご自身が「テシュブ先生は浄化討滅の対象外」だと宣言したもの。私たちも従うしかないわ。ただし、必要最低限の譲歩しかしないわよ」
そして、ミンタに再び視線を戻した。もう今はジト目ではなくなっていて、通常モードだ。
「それで、カカクトゥア先生の状態はどうなの? 法術〔治療〕が必要なら早く言いなさいよね。事前準備が色々とあるから」
スンティカン級長も、すぐに法術専門クラスの生徒の『まとめ役』としての立場に戻ったようだ。鉄紺色の瞳を理知的に光らせて、逆立っていた頭と尻尾の渋い柿色のウロコを正常に戻す。
「そうだな。法力サーバーはまだ完全稼働ではない。優先順位というものがあるのでね。サーバー負荷が高い施術は、早めに準備しないといけないんだよ」
ミンタが頭の金色の縞を手でかいて、片耳を数回パタパタさせた。
「うーん……テシュブ先生が思念体を引き抜いたから、その影響がどうなるかよね。このモニター画面の情報では判断できないなあ」
それについては、レブンが詳しいようだ。「コホン」と軽く咳払いした。
「あの程度の量なら、問題は起きないよ。一晩眠れば回復すると思う」
「レブンすげえなー」と、取り巻きの男子生徒数名が色めき立っている。アンデッド教の信者だ。特に同じ魚族のライン・スロコックは、青緑色の瞳をキラキラさせている。これでも占道術専門クラスの級長で、最上級生なのだが。
彼ら信者には、死霊術の魔法適性はほとんどないのだが「何とかして使えるようになりたい」とレブンに圧力をかけている。サムカに死霊術の魔法具の作成を急かしたり、死者の世界の試供品の現地使用試験を申し入れたり、といった動きの元凶の1つだ。
バントゥやリーパットのように、帝国中枢に影響力がある子息たちは結構な人数でこの学校にいる。彼らの魔法適性は当然ながら様々で、実家もそれぞれの政治派閥に分かれているのだが……死霊術に魔法適性を有していないという点では皆『共通』している。
そのせいで、いわば超党派の集まりになっていたりするのだ。が、レブン自身には政治的な関心はないために、『勝手連』のような現状になっている。
そういう事なので、法術専門クラスの生徒たちとは『犬猿の仲』になりつつあった。しかし、レブンとラヤンがそれなりに仲が良いので、決定的な対立までには至っていない。スンティカン級長とスロコック級長も、どちらかと言えば穏健派なおかげもあるのだろう。少なくとも、今現在も吼えるように演説をしているバントゥ党のラグやチューバ、それにクレタ級長ほどではない。
とりあえずレブンの所見を聞いて、ラヤンとベルディリ級長も安堵したようだ。
「そう。じゃあ、ここで解散しましょう。夜も遅くなったし。明日、校長先生からの説教を受けないといけないから、寝不足じゃまずいわよ」
そう言って、アンデッド教徒たちと睨み合いを始めた法術専門クラスの生徒たちを、ベルディリ級長と共に落ち着かせた。アンデッド教徒側にも、レブンとスロコック級長が介入して落ち着かせていく。
新たな騒動の火種が消火されたのを見て、ガッカリしているのはリーパット党だ。先程までニヤニヤしていたのだが、今は口を尖らせてジト目になっている。特に2人めの側近になった狐族の男子生徒が、露骨に残念そうな表情をしている。そのジト目の党員の中には、当然のようにコントーニャ・アルマリー嬢の姿もあった。
ラヤンの忠告には、ミンタも賛成のようだ。金色の毛が混じる両耳をピコピコ動かした。
「そうね。じゃあ、解散にしましょうか。何事も起こらなくて良かったわ。シーカ校長先生の説教を受けるのは、私たち主犯格だけだろうから、安心して休んでね」
笑い声が湧き上がり、拍手も起きる。
そこへ、怒声が飛び込んできた。バントゥ本人がかなり焦燥した顔でミンタたちを睨みつけている。
「うるさいぞ、君たち! 呑気に笑うなっ」
ラグと演説を続けていた魚族のチューバも、ミンタたちに顔を向けた。かなり魚顔に戻ってしまっている。
「バントゥ君の言う通りだ。僕たちは今、結束の危機を迎えているんだぞ。雰囲気を読んでくれ」
しかし、クレタ級長だけは、なおも演説を続けているが。さすがにベルディリ級長とウースス級長が、力なく首を振って、お手上げの仕草をした。
ミンタが虫でも見るような目つきで言い捨てた。
「は? アンタたちのために学校があるんじゃないわよ。ロビーで何をしようと私たちの勝手でしょ。関わってくるな」
ムンキンやラヤンたちもミンタに加勢して、バントゥ党を睨みつける。
そんなバントゥ党の側近で竜族のラグが、ひと際大きな声を張り上げてバントゥに背を向けた。手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面が出ている。ニュース画面のようで、同じ画面がミンタたちが見上げている大きな同画面にも表示された。
そこには、ペルヘンティアン家の『処分』が決まった事が、『速報』として狐語で表示されていた。その大きな画面を睨み上げるラグだ。手元の小さな〔空中ディスプレー〕画面を、手で叩くようにして消した。
「あーっ、もう、どうでもいい! 俺は去るっ。無力になった組織に残る意味はない。じゃあな!」
慌ててチューバがラグの腕をつかむ。
「お、おい待てよ! さっきまでの演説は何だったんだよっ。そんな勝手が許されると思っているのか」
しかし、ラグの青藍色の瞳に燃え盛る青い炎は収まらない。手を振りほどいて、「フン」と鼻を鳴らした。
「ああ、許されるね。というか、当然の権利だ。画面を見ろよ。ペルヘンティアン家の閉門処分が確定した。バントゥ君も、宰相側の分家に引き取られるのだろ。だったら、もう俺の敵だ」
「分家?」と、首をかしげるレブンに、アンデッド教徒のスロコック級長が耳打ちして教えてくれた。
「ペルヘンティアン家は大勢力なんだよ。いきなり潰れたら、帝国の中枢が大混乱になる。それで、分家を中心に再編処分が行われる予定さ。バントゥ君はかなり魔法適性があるからね。分家の養子とか預かり扱いとか、そんな形で残すみたいだよ。この学校にも残るはずだ」
「なるほどー」と納得するレブンやムンキンたちである。
さすが名家スロコック家の長男だ。こうなるという情報を、既につかんでいたのだろう。一方のラヤンやミンタは、「心底どうでもいい」という顔をしたままだが。ペルはどう反応していいのか分からず、オロオロしている。
ラグによる敵宣告に、バントゥもついに激怒の表情になった。赤褐色の瞳をギラリと光らせながら激高して、ラグに震える指を向ける。
「そ、そんなことをしてみろ。僕が口利きをしたから、君はこの学校へ残っているのだぞ。そうでなければ、とっくに難民キャンプ送りになっていたところだっ」
チューバが、バントゥの言葉に《ビクリ》と反応する。他のバントゥ党員も同じような反応をした。
クレタ級長は目を点にして口を開けたままになり、ウースス級長は再び起きた胃痛に、両手で腹を抱えて猫背になった。ベルディリ級長は、残念そうに俯いて顔を振るばかりだ。
ラグが不敵な顔で笑った。青藍色の瞳が冷たい光を放ち、頭と尻尾の黄赤色のウロコが逆立って金属質な光を帯びる。
「もう、こんな学校には用などない。宰相派のお前たちは、今を以って俺の敵だ。じゃあな!」
そのまま雄叫びを上げながら、階段を駆け上がって寄宿舎の自室へ戻って行った。半分、発狂状態にも見える。
それを見送るリーパット党はニヤニヤしたままだ。さすがに元バントゥ党のコントーニャだけは、残念そうな表情で顔を伏せたが、彼女も特に何も言わなかった。
代わりに、2人めの側近が口笛を吹いた。
「バントゥ党の最後だなっ。愉快愉快。ねえ、リーパット様っ」
「チ、チャパイ・ロマ君。さすがにそんな軽口は慎んだ方が……」
最古参の取り巻きのパランが狐耳と尻尾をパタパタさせて、この新参の取り巻き狐に注意する。しかし、大将のリーパットは、せせら笑うだけだ。
「パラン。情けは無用だ。バントゥよお……『竜族は信用できない』と我が何度も言っただろう。自業自得だな。魚族の君や、他の連中も、今後の身の振り方をよくよく考えることだ。我の傘下に加わることは許さんがね」
バントゥとチューバが、殺意すら込めていそうな鋭い視線をリーパットとその取り巻き連中に投げる。が。すぐに悔しそうに顔を伏せた。
ミンタとラヤンがそろってジト目になる。こういう『政治ゲーム』には、心底うんざりしている様子だ。
「さて。私たちは、こんなの見ていても時間の無駄だから、戻りましょう」
「そうね、ミンタさんに賛成。さっさと戻りましょう」
それをきっかけにして、一斉にロビーから自室へ戻っていくミンタたちである。
バントゥも苦渋の表情のままで、仲間たちに告げた。
「僕たちも、部屋へ戻ろう。今は嵐が過ぎ去るのを待つしかない」
魔法工学のマスック・ベルディリ級長が天を仰いで、大きく吐息する。
「……そうであれば、いいのですが」
リーパットと新参の取り巻きたちが勢いづいて、退散していくバントゥたちとミンタたちの背中にヤジを投げかける。特に、リーパットは嬉しそうな顔だ。ちゃっかりとコントーニャもミンタに声をかけて、からかっている。
ペルがかなり呆れた表情になって、コントーニャを見つめた。薄墨色の瞳が困惑で白黒している。
「あ、あれ? コントーニャさんって、バントゥ党だったよね。いつの間にリーパット党に……」
ミンタが悪友からの冷やかし声を浴びながら、ジト目になった。巻き毛混じりの尻尾の毛皮が少し逆立っている。
「いいのよ。コンニーは昔から、ああいう性格なの。『長い物には進んで巻かれよ』ってのが座右の銘なのよ」
「ほえええ……」
ペルが目を点にしているのを横目で見たミンタが、頬を緩ませた。
「さあ。さっさと部屋に戻りましょ」
ロビー内にはリーパット党だけが残った。時計を見たパランがリーパットに顔を向ける。
「リーパットさま。僕たちもそろそろ自室へ戻りましょう。明日の授業に差支えます」
上機嫌のリーパットがうなずいた。
「そうだな。よし、我らもこれで解散だ」
その時、寄宿舎の外からゴーストのような透明の何かが、ロビー内へ音もなく侵入した。
警報も何も発せられないまま、そのゴースト状の霧はリーパットの体に巻きつく。そして、そのまま体内へ染み込むように〔侵入〕して見えなくなった。
当のリーパットは、一瞬何か異変を感じたようで、両耳を数回パタパタさせて階段の下で立ち止まり、辺りをキョロキョロと見渡した。
首をかしげているリーパットを見て、腰巾着狐のパランが階段の途中で振り返る。
「どうされましたか? リーパットさま」
2人めの側近のチャパイ・ロマや、他の取り巻き連中も階段の途中で振り返る。
「リーパット様? 何かお気にかかる事がありますか?」
リーパットが怒ったような笑顔になり、両耳をさらに数回パタパタさせながら右手を振った。
「いや、何でもない。さあ、戻ろうか」




