54話
【大深度地下の精霊】
急展開で、目が点になっていたエルフ先生とノーム先生が、圧縮情報をもらって状況を把握する。改めてハグの魔力に感心する先生たちである。
エルフ先生が自身のライフル杖にかかる精霊魔法の魔力の増大を感じながら、不敵な笑みを浮かべた。
「まったく……仕方がない生徒たちですね。くれぐれも、ここには〔テレポート〕しないように。おかげで助かりました。これで脱出も容易になります」
そして、サムカ熊を興味深そうな視線で見つめた。
「この魔法場は、サムカ先生ですね。それなりに可愛いですよ」
「……う。ばれてしまったか」
サムカが照れ隠しにする、後頭部の短髪を片手でかき上げる仕草をする熊である。もちろん、熊人形の頭には髪は生えていないので、後頭部を熊手でこすっているようにしか見えないが。
ノーム先生がライフル杖を垂直に立てたまま、片手で口ヒゲを軽く弾いた。
「ふむ。今晩は新月で月の光は得られないんだが、星明りだけで、これほどの魔力支援を得られるものかね?」
画面の向こうでミンタがドヤ顔して解説しようとし始めたのを、エルフ先生が微笑みながら制して止める。
「ラワット先生、これは光による共振現象ですよ。ミンタさんがミュオンという素粒子をここへ照射して、それを光に〔変換〕しています。それが、この回線を通じて送られている赤外線領域の光を励起させて、大出力の光の精霊場を発生させています。同時に磁場の強さも跳ね上がってしまいましたので、使用不可能になる魔法も増えてしまいますけどね」
ノーム先生とサムカ熊が、「ほう……」と頭をかいた。全く同じタイミングと動作である。ついでに再起動したハグ人形も同じ行動をしている。ミンタのドヤ顔がさらにドヤ顔になっているので、その通りなのだろう。
エルフ先生が一言ミンタに指摘する。
「ですが、ミンタさん。ミュオンは核融合反応にも使える素粒子です。磁場の〔操作〕と共に、使用の際には慎重にしなさい」
「はーい」
エルフ先生が微笑みながら、ノーム先生に顔を向けた。
「では、私たちも撤退しましょう。これ以上、長居しても無意味です」
「いや、それは困る。もうしばらく、そこにいて作戦を継続しなさい」
いきなり聞き慣れないオッサン声がして、サムカ熊の腹画面にノームの顔がワイプ窓表示で映し出された。
警官の制服姿をしていて、胸の階級章と勲章が鈍く光っているのが目立つ。初老の風貌だが、これまでのノームとは違って、冷徹な印象が前面に押し出された表情だ。声もかなり低く、ドスが効いている。
「その研究所にある情報は、非常に貴重なのだ。残らず回収して、我々に送信完了するまで、撤退は許可できない」
「はあ!?」
となるエルフ先生と、同じ画面に分割して映っている生徒たちである。
しかし、エルフ先生とミンタが怒りの抗議をするよりも早く、もう1つのワイプ窓が光速の速さで開いた。今度はエルフ側の警察の偉い人のようだ。さすがはエルフと言うべきか、制服もかなり簡素であるが、迫力は引けをとらない。
「そんな命令をエルフの警官にするなど、越権行為もはなはだしい。カカクトゥア‐ロク。構わん、さっさと撤退しろ。ついでに違法施設を光に〔分解〕しても一向に構わん」
たちまち、サムカ熊の腹ディスプレーを舞台にして、ノームとエルフの偉い人が激しい口論を開始した。
ハグ人形がサムカ熊の頭の上で寝そべりながら、口論の音声を聞いている。あくびのつもりなのか、口を不自然に大きく手と使って歪めてパクパクさせる。
「この〔防御障壁〕強度であれば、かなり余裕で維持できるだろ。情報送信しても問題ないぞ。というか、この回線はワシが作ったんだが。ただでさえ遅くて細い赤外線回路だから、余計なことで帯域を占領されては困るぞ」
ノーム先生とエルフ先生が顔を見合わせて、すぐに窓から外の様子を調べる。
目視した範囲だけだが、確かに光、法術、闇、死霊術の多重〔防御障壁〕の堅牢さは相当のものだ。大深度地下の大地の精霊も、なかなか岩盤から違法施設まで伸び出てきていない。岩盤の表面で不気味に蠢いてはいるが、それだけだ。轟音や振動も、すっかり弱くなっている。
エレベーターシャフトだけはクチャクチャに押し潰されているようで、もう使い物にならないが。
ノーム先生が「ふむ」と銀色の口ヒゲを指でつまんだ。
「……確かに、情報送信できるかも知れないな。赤外線回線で遅いが、それでも何とかなりそうだ」
エルフ先生も軽いジト目になったままではあるが、ノーム先生に渋々ながら同意した。
「そうですね……残念ですが」
そのまま、ノームと口論を続けている上司に、エルフ警察式の敬礼をしながら報告する。
「閣下。時間の余裕はありそうです」
結局、この違法施設で収集した情報を、エルフ警察とタカパ帝国軍とで『共有』することで決着した。
サムカもいるので、事実上はファラク王国連合にも筒抜けになってしまうことが、最終的な決め手になったようだった。ハグが構築した回線なので、当然そうなる。
2本のライフル杖も今は、所有者が持つ必要もなくなり、床に突き刺さった状態で魔法を放ち続けていた。
情報送信にかかる時間は、意外に短いものだったことも幸いしたようだ。ほとんど全ての情報が数字や信号で、量子通信をすれば10分間ほどで済む量だった。それを知ったミンタが片耳をかいて呆れている。
「2年間もかけて収集した情報量が、これだけって……バカじゃないの?」
さすがにペルも苦笑いをするだけで、ミンタに無言で同意している。一応、ノーム先生だけは苦し紛れではあるが弁解するようだ。ノームの立場としては、そうするしかない。
「地下200キロで、オフライン状態の孤立施設だったからね。施設も直径10メートルの球形で、測定機器の設置場所も確保が難しい。魔力供給も自動で行えないから、エレベーターを使って所員が担いで魔力パックを交換していたようだし。色々と大変だったんだよ、きっと」
そのくせ、〔結界ビン〕をサッカーボールのように足で交互に蹴り上げて、リフティングしているが。
エルフ先生とサムカ熊は、窓から外の様子をじっと見ていた。
「ミンタさんの杖爆発事件の時も思いましたが、光と闇の〔防御障壁〕の組み合わせって、かなり使えますね」
「うむ。私もこれほど強固だとは想像できなかった。今回は更に、法術と死霊術の〔防御障壁〕も加わっている。教員宿舎を粉砕したほどの威力がある精霊群を、見事に抑え込んでいるな」
サムカ熊の腹画面に小窓で分割されて映し出されているレブンが、時間を知らせた。
「送信開始から5分経過。情報送信は50%まで終了。順調です」
すっかり、のんびりした雰囲気になっている違法施設内である。
ハグ人形もどこからかカラオケ機材を呼び出して、1人で歌い始めた。意外に歌声が美声なので、微妙に腹が立つ関係者たちである。
エルフ先生もジト目で固い笑みを口元に浮かべながら、両耳をピコピコさせた。
「ボイストレーニングまでやってるのね。私に言われたせいかしら。それなりに上達してるわよ、ハグさん」
ムンキンとラヤンが画面の向こうでジト目になって、エルフ先生のコメントに渋々同意している。
「ぐぬぬ。パリーといい、コイツといい、墓といい、どいつもこいつも能力高過ぎだぞ。何という不公平だよ」
「不条理よね、まったく」
そのハグ人形がマイクをポイ捨てして突然カラオケを止めた。
「もっと厄介な連中が、やって来たぞ。さらに深い場所に巣食う大地の精霊のよ……」
激しい振動と爆音に近い轟音が違法施設を直撃した。再び、ブランコ運動が始まる。
無数といって良いほどの巨大で禍々しい牙状の物体が、違法施設を360度で取り囲む岩盤から突出してきた。牙があまりにも多いので、ウニの殻のトゲを内側に反転させたような有様だ。
最外殻に展開されていた、死霊術と闇の精霊魔法の〔防御障壁〕が、簡単に突破されて穴だらけにされた。法術の〔防御障壁〕も突破されて、何とか最内殻の光の精霊魔法の〔防御障壁〕に衝突して止まる。
画面の向こうでは、ペルとレブン、ラヤンが驚愕の表情になっている。ムンキンも口を大きく開けたままだ。
ミンタが両耳を細かい動きでパタパタさせた。
「……ひゃ~。危なかったわね。何とか止めたけど、光に〔分解〕されないな、コイツ」
普通ならば光の壁に当たり続けると、光に〔分解〕されてしまうか、弾かれてしまうものだ。狼バンパイアなどもそうだった。しかし、この牙は〔防御障壁〕に食い込んだまま一歩も引かない。それどころか、徐々に突破しつつある。この〔防御障壁〕を突破されたら、もう遮るものは何もない。
エルフ先生とサムカ熊も驚きを隠せていない様子だ。
「何て強力な精霊。魔力としては、パリーの10分の1くらいあるかも」
「中型の『化け狐』とほぼ同じ魔力だな。よく止めたものだ」
ノーム先生が素早く〔解析〕をかけて、この新たな精霊の正体を明かしてくれた。
「僕も驚いたよ。これは、『マントル遷移層』に棲む精霊だね。僕たちノームが普段使役するのは、『地殻』に棲む大地の精霊だけなんだよ。大深度地下の精霊の多くは、その下の『上部マントル層』に棲んでる」
先生の瞳が好奇心でキラキラ輝き始めていく。
「こいつは、さらに下の『マントル遷移層』に棲んでいると思われている奴だ。これまで直接観測されたことは、ほとんどない希少種だよ。普段は、地下410キロ以上の深さにいるんだけどね。この騒ぎで呼び寄せられたみたいだな。見ての通り、非常に強力で凶暴だ」
エルフ先生がジト目になってノーム先生の報告を聞いている。
「嬉しくない情報ですね。本当に、地球って化け物だらけなのね」
エルフとノームの偉い人たちも同意見のようだ。表情には出していないが、かなり動揺しているのが分かる。
魔力量と種別が準リアルタイムで測定されて、それが回線を介して〔共有〕されているためだ。具体的な数値情報として目に入ってくるので、その数値の跳ね上がり具合に、恐怖感を覚えてしまうのだろう。
「この強度の光の精霊魔法の〔防御障壁〕でも、止めるのが精一杯とは……こんな化け物じみた大地の精霊が、我々エルフ世界の土中にも棲んでいるというのかね」
エルフの偉い人が冷や汗をかいてつぶやく。その横の小窓画面では、ノームの偉い人が青い顔をしていた。
「まずいな。おいラワット。情報送信速度をもっと上げろ」
ノーム先生がノーム警察式の敬礼をして答える。
「残念ですが閣下。これが最大速度です。赤外線回路ですので、速度上限が低いのですよ」
ハグ人形が機嫌を損ねて、サムカ熊の頭の上で『ふて寝』し始めた。尻を手でかく仕草までしている。
「へっ。どーせ遅い回線ですよお。面倒になってきたぞ。回線を破壊して帰ろうかなあ、もう」
冗談とは感じていなかったのだろう、ノームの偉い人が大いに真面目な顔になって警告してきた。
「やってみろ、このアンデッドめ。そうなったら、ノーム世界の総力を挙げてリッチー協会を叩き潰すぞ」
エルフの偉い人も額の冷や汗をハンカチで拭きながら、ノームに同調した。
「エルフ世界も……まあ、成り行き上、ノームに助力するしかないだろうな」
そんな物騒な会話をし始めたところへ、ミンタからの怒声が割り込んできた。
「だから、細い回線をケンカなんかで占有するなっての! 余計に情報送信速度が落ちるでしょうが。黙ってろ。ハグ、この邪魔な人たちを回線から追い出しなさいよ」
ハグ人形がいきなり生き生きとした動作で、サムカ熊の頭の上から跳ね起きた。
「そうだな。じゃ、遠慮なく」
「あ、コラ、貴様なんということをす……プチっ」と回線が切れて、うるさい偉い人たちのワイプ窓画面が消えた。
エルフ先生は、とりあえず窓の外を見たままで黙っている。ノーム先生はニヤニヤしながら、あごヒゲを撫でまわしている。そのノーム先生の小豆色の瞳がキラリと光った。
「おう、送信速度が上がったわい。排除は正解だったようだな。後で始末書を、また山のように書くか。だが……」
ノーム先生が、エルフ先生と一緒に外に視線を移す。
「光の精霊魔法の〔防御障壁〕でも、完全には止められそうにないな」
エルフ先生が両耳を少し下げて、窓の外の凶悪そのものな岩石の牙の大群を睨みつける。
「そのようですね。何とかあと2分間だけ、時間稼ぎができれば良いのですが……」
そこへペルの声が、サムカ熊の腹のディスプレー画面から届いた。
「私とレブン君のシャドウで、迎撃してみましょうか? 闇の精霊魔法で、牙の群れを削ることができると思います」
ミンタからも声が届く。
「カカクトゥア先生。ミュオンの放射量を上限一杯まで上げましょうか? その分だけ、光の精霊場が強くなります。他の〔防御障壁〕はもう破壊されていますから〔干渉〕の心配は不要です」
エルフ先生の両耳がピンと上向きになった。
「そうですね、お願いします。ラヤンさんは、私たちが〔石化〕された際の〔解除〕法術を準備してもらえますか。〔精霊化〕されてしまうと無理ですが」
ラヤンの冷静な声が返ってきた。恐らくは、全員の中でハグを除いて最も冷静だろう。
「分かりました。くれぐれも〔精霊化〕だけは避けて下さい。そちらの〔式神〕から、〔石化〕予防用の法術を発動させます。〔砂化〕や〔塩化〕に〔樹脂化〕についてはどうしましょうか」
エルフ先生もラヤンの冷静な声に助けられて、気持ちの動揺が抑えられてきたようだ。声の調子がいつも通りに戻ってきた。
「大深度地下の精霊ですから、〔石化〕だけに注意すれば良いでしょう。放射性金属化とかシャレにならない魔法を繰り出されたら大変ですけど……」
「うおっ。攻撃を開始してくるぞ、カカクトゥア先生」
エルフ先生の話を遮って、ノーム先生が警告を出した。大地の精霊に詳しいので、攻撃時の精霊場の変化というかニュアンスが直観で分かるようだ。そして、それは見事に的中した。
違法施設を取り囲む岩盤から、無数の牙となって伸びていた大地の精霊のうちの1本が、爆発して岩塊の砲弾を放った。砲撃と同じような発射音と爆発音が、直径20メートルほどの球形の空間内に鳴り響く。
エルフ先生とノーム先生は〔遮音障壁〕を展開していたのだが、それでも両耳を塞いで口を開けて対処しなくてはならないほどだった。サムカ熊とハグ人形は平気の様子だが。
爆風が吹き荒れて違法施設内の機器が大量に吹き飛び、土煙の向こうへ消えていく。
「情報の送信状況は?」
ノーム先生が珍しく慌てた声で、土煙の中でキョロキョロしている。落としそうになっていた〔結界ビン〕を、急いで懐の内ポケットに突っ込む。
サムカの声がして、熊の人形が土煙の向こうで動いた。
「心配無用だ。私が関連機器を保護している」
ほっとするノーム先生とエルフ先生である。
同時に空気を切り裂く飛行音がして、その軌道に沿って土煙が〔消滅〕していく。ステルス状態のシャドウ2体が飛んでいるのだろう。土煙が急速に薄まって、視界が回復する。
そのあまりの変貌に、思わず声を上げてしまう先生たちであった。
違法施設の外壁は全て、きれいさっぱり〔消滅〕していた。
この違法施設は天井から吊り下げられていたのだが、そのワイヤーも全て消えてしまっている。エレベーターシャフトは跡形も残っていない。違法施設の内部が丸見え状態になっていた。
ワイヤーが〔消滅〕しているのに落下していないのは、〔浮遊〕魔術がかけられているおかげだった。その発動元をたどると、サムカ熊に行き当たった。〔浮遊〕魔術は得意ではないので、違法施設全体が不安定に空中を漂っているが。
「済まなかったな。今の私では、行使できる魔力量に大きな制限がかかっている。この機器を守って、違法施設を浮かべるだけで精一杯だ」
サムカ熊が言った通り、違法施設が空中で横滑りしたり、不意に落下したりしている。自ら牙に当たりに行っているような気がしないでもない。
エルフ先生が、土埃に覆われた顔を「パンパン」と片手で叩いて微笑んだ。もう一方の手にはライフル杖がしっかりと握られている。
「充分に助かりますよ。違法施設が落下していたら、今頃は全員牙に貫かれて串刺しになっていました。〔精霊化〕されて、今頃は3人ともに仲良く岩になっていたでしょうね。ただ、もう少し安定〔浮遊〕を心がけて下さい」
空洞の底にも無数の岩石の牙が生えて蠢いている。これでも、光の精霊魔法による〔防御障壁〕のおかげで、襲い掛かってこれないのだろう。先程の爆発は100本の牙のうち、〔防御障壁〕を突破した1本が破裂したためだと分かる。
その牙も、次々にごっそりと削られて〔消滅〕していく。これは2体のシャドウによるものだろう。ステルス化されているので、姿が全く見えない。
数秒で10本強の岩石の牙が消えてなくなっていく……のだが、全て消し去るまでには至らない。〔防御障壁〕を突破した牙が、次々に違法施設へ襲い掛かって来ている。高速のシャドウといえども、大量の牙相手では手が回らないようだ。
牙はそのまま違法施設に直撃して、ごっそりと削ったり、爆発して岩塊弾丸をばら撒いたりしている。
違法施設がフラフラと〔浮遊〕しているので、光の精霊魔法の〔防御障壁〕に衝突したりして『余計な被害』も生じている気がするが。
先生たちとサムカ熊はそれぞれ〔防御障壁〕を展開していて、先程の攻撃を〔解析〕していた。そのおかげで、何とか直撃弾や直撃牙を受けずに済んでいる。
一方で違法施設は、まるでタケノコの皮やレタスの葉をむくように次第に小さくなって削れていく。
ムンキンとミンタが操作している2つの〔オプション玉〕は全方位〔レーザー光線〕を間断なく放って、牙の群れを爆破、破壊していた。ただ、これは単に爆破しているだけなので、15秒ほどで再結合して牙に戻ってしまっている。
それでも時間稼ぎとしては充分に役立っているといえた。ミュオン放射量も増えたようで、オーロラ状になって空間自体が緑色に光っている。
ラヤンが操る紙製の〔式神〕は爆発で穴だらけになり、さらに半分ほどが燃え失せていたが、まだ機能は維持できるようだ。〔石化予防〕の術式を2つ起動させて、いつでもエルフ先生とノーム先生に放つことができるように準備している。
サムカ熊による通信回線は赤外線回路なので通信速度がかなり遅い。遠隔操作で迅速に法術を発動させることが難しい。そのため、〔式神〕が独自で法術を行使できるように自動化しているのだが……敵の魔力の方が遥かに勝っている様子だ。〔石化予防〕がほとんど効果を発揮できていない。
そのため、岩石弾が当たった場所が急速に〔石化〕していく。金属や樹脂製の床や機器なのだが、お構いなしで〔石〕にされて脱落していく。
元素変換のような魔法ではないので、単に金属や樹脂が土に取り込まれて純度が大幅に下がった状態にされただけだが、見た目は石にされたようにしか見えない。鉄が鉄鉱石にされるようなものだ。当然体積も増えるので、機器類から石が生えてくるようにも見える。
〔精霊化〕攻撃は幸いなことに、この大混乱による精霊場の錯乱でうまく機能していないようだ。光の精霊場が、かなり強力なおかげだろう。土中で光の精霊場が発生するようなことは普通ないので、敵も対処が難しいようだ。
何もしていないのは、当然ながらサムカ熊の頭の上にいるハグ人形だけであった。また性懲りもなく、カラオケ機器を〔修復〕して調整作業を始めている。意地でも何か歌うようだ。
エルフ先生がフルパワーでライフル杖から光の精霊魔法を放ちながら、レブンに聞く。
「送信完了まで、あとどのくらいですか」
違法施設も削れに削れてしまい、もう数メートル四方ほどの床しか残っていない。天井も消滅してしまった。サムカ熊が情報送信関連の機器を抱いていなかったら、ここで終了になっていただろう。
情報通信に必要な魔力と電力供給は、赤外線のエネルギーを使用するようにミンタが切り替えていたので、特に不具合は生じていないようだ。魔力や電力と、通信帯域とは直接の重複が無いので可能になった芸当である。
「あと、10秒です!」
レブンが叫んで、カウントダウンを始めた。
それを合図にしてエルフ先生とノーム先生が、サムカ熊の腹ディスプレーに向かって後退していく。ラヤンの悲鳴が画面向こうから届いた。
「い、急いで下さい! ヤバイのが来たっ」
その瞬間。全ての〔防御障壁〕がかき消されて、シャドウと〔オプション玉〕が消滅した。オーロラ光も消されて真っ暗になる。紙の〔式神〕も粉塵にされてしまった。
背筋に電流のような寒気が走り抜ける先生たちである。しかし鍛えているおかげか、後退する速度は落ちない。
2メートル先で機材を抱いているサムカ熊が、腹を突き出してディスプレー画面を最大サイズにした。もはや、明かりはその画面だけである。
サムカ熊が落ち着いた声で、エルフ先生とノーム先生に告げた。
「後は私に任せろ」
レブンの大声が、サムカのセリフと重なる。
「送信完了です!」
同時に、先生たちがサムカ熊に振り返って、腹の画面に向かって飛び込んだ。
ノーム先生は身長120センチほどの小人族なので、余裕で画面に飛び込めたが、145センチのエルフ先生は、さすがに引っかかった。肩幅を縮めて、強引に画面に体を突入させる。
女性だが結婚していないので、体型は少年のようなものだったことも幸いしたようだ。何とか体が入った。しかし最後は、サムカ熊が両手でエルフ先生の膝を持って、自身の腹に押し込んだが。
サムカ熊が抱えていた機材は用済みになったので、そのまま捨てる。捨てた機材は〔防御障壁〕を通過した瞬間に、大地の精霊たちに食べられて〔石〕になってしまった。
その一瞬後に、違法施設全てが〔石〕の粉末にされて粉塵と化した。金属も生物も見境なく岩にしてしまう〔精霊化〕攻撃に、一瞬だが感心するサムカ熊。
腹のディスプレー画面を消す。この違法施設には、他にはもう誰も残っていない。明かりも失せて真の暗黒になった。
視覚が全く役に立たないが、サムカのような貴族にとっては特に気にするものでもないようだ。落ち着いた声のまま、頭の上のハグ人形に語りかける。
「忘れ物はなさそうだな。では我々も撤退するとするかね」
その時、サムカ熊の腹に手のひらサイズの小さな〔空中ディスプレー〕画面が生じた。そこに映っているのはノームの偉い人であった。
「待て。まだだ。この未知の精霊の観測情報が必要だ」
サムカ熊が感心したような口調になって、腹の人に熊の顔を向ける。
「さすがはノームだな。研究熱心なのは称賛しよう。では、このまま押し潰されて消滅するまで、生中継でもするかね」
ハグ人形もマイクを手にして同意した。しっかりと小指をピンと立てている。
「うむ。ワシも歌いたいしな」
いきなりハグ人形のぬいぐるみの体から、曲の伴奏が流れ始めた。どうやらカラオケ用の関連機器類を全て、機能コピーしてしまったらしい。今や、ハグ人形そのものがスピーカー付きのカラオケ機械だ。
「はあぐさまあ~はあぐさま~わしはかしこい、はあぐさま~とってもかしこい……」
などと勝手に弦楽伴奏付きで歌い始めた。当然のように無視するサムカ熊である。
サムカ熊が顔を上げて、真っ暗になった空間に視線を投げた。小さなディスプレー画面からの光のおかげで、うっすらとだが視界が戻ってくる。
サムカが展開している球形の闇魔法の〔防御障壁〕の外には、びっしりと大地の精霊が貼りついて蠢いていた。1つ1つは岩なのだが、集合体になると生き物のような脈動をしているのが分かる。
「……ふむ。魔力は貴族をも上回るか。今の私では、文字通り紙装甲だな」
その通り、1秒ももたずにサムカの〔防御障壁〕が突破された。無数の岩の牙がサムカ熊を引き裂いて〔石〕の粉にする。違法施設が収まっていた直径20メートルほどの空洞も、そのまま押し潰されてしまった。
ハグ人形の歌だけは、なぜか弦楽伴奏付きで延々と流れているが。
【教員宿舎の近く】
「戻ったぞ。大丈夫かね?」
学校の運動場そばにある雨よけ屋根つきの通路に、サムカ熊が出現した。
そのまま、帰還者であるエルフ先生とノーム先生の背に、ぬいぐるみの手を当てる。2人ともうつ伏せで、大きく肩を上下させて荒い息をしている。
サムカ熊も手足に違和感を感じたが、10秒ほどで正常に戻った。強力な精霊と対峙したので、当然と言えば当然である。一方、サムカ熊の頭の上では、ハグ人形がかなり不満そうにして寝そべっている。
「あのバカ精霊め。もう10秒も待てないのかね。せっかく『ワシの歌』の2番を披露しようとブツブツブツ……」
寝返りをうって両手足をバタバタさせているハグ人形に、サムカ熊が聞く。
「ハグ。〔分身〕たちも全滅かね?」
「あ? ああ、そうだな。使い捨ての〔分身〕だから、別に構わんだろ」
ハグ人形の投げやりな回答に、肩をすくめるサムカ熊である。ぬいぐるみなので、ハグ人形と同じく顔の表情は変えられない。代わりに小さくため息をついた。
「せっかく200体も〔分身〕を生み出したのだが……全滅であれば仕方がないな。1体につき『騎士見習い』程度の魔力を持っていたから、私の城へ持って帰ることができていれば、それなりに使えたのだが」
サムカ熊が先生たちに顔を向けた時、《ズシン》と横揺れがして地震が起きた。
ペルが短い悲鳴を上げてミンタに抱きつく。ムンキンとラヤンは直立不動の姿勢のままで警戒態勢をとる。レブンもパニック気味のようで、完全に頭が魚に戻ってしまった。
ミンタがペルを抱き止めながら、両耳をピンと立てて周囲を警戒する。
エルフ先生はまだ疲労困ぱいのようで、ろくなアクションも起こせていない。そのまま床に突っ伏したままである。
その隣で一緒に床に伏せていたノーム先生が、「ふう……」と大きく深呼吸をしてから起き上がり、石敷きの通路の上にあぐらをかいて座り直した。
「この地震は、違法施設が空洞ごと押し潰された際の衝撃で起きたものだな。連中が我々を追いかけてくるようなことにはならないよ。通信回路も消したしね」
口ヒゲを撫でて、頬を緩める。
「それにしても危機一髪でしたな。君たち生徒とテシュブ先生、ハグさんの助けがなければ、我々は〔占い〕の通りに死んでいただろうねえ」
サムカ熊の頭で『ふて寝』しているハグ人形が、寝返りをうって口をパクパクさせる。
「闇魔法『風味』の魔力回線だから、〔逆探知〕はできないさ。連中がここへ襲撃して来ることはない。今頃は、違法施設があった場所の直上の森の妖精とケンカしてるかもな」
ようやくエルフ先生も起き上がって、正座を崩したような座り方をして一息ついた。
「森の妖精には……災難な話ですね、それ。後日……お見舞いに行ってきますよ。ラワット先生……最後に登場した大地の精霊ですが……桁違いの魔力でしたよ。何ですかアレ」
ノーム先生も冷や汗をかいて、肩をすくめるばかりである。口元もかなりの緊張で、こわばっているようだ。
「未知の大地の精霊だな。魔力も大地、闇、炎に加えて、わずかだか水の精霊場も〔検知〕した。4種の精霊が混合しているなんて、聞いたこともないよ。魔力量も1桁違うな。推察でしかないけど、相当深い場所に棲む大地の精霊だろうね。地下600キロ以上であることは確かだよ」
エルフ先生が呆れたような笑みを浮かべる。
「地球って……偉大ですよねえ」
ノーム先生が冷や汗を袖で拭きながら、固い笑みを浮かべた。
「僕の直感が正しければ、『大地の妖精』も出現していたようだ。精霊よりも魔力が高い相手だから、逃げて正解だったと思うよ」
サムカ熊とエルフ先生が顔を見合わせた。ノーム先生の言う事が正しいのであれば、大地の妖精というのは、かなりの化け物だ。
サムカ熊が2人の先生たちの姿を見て、熊頭をかしげる。
「見たところ、体のあちこちが〔石化〕しているようだが、大丈夫かね?」
「はっ」として、自身の体の状態を確認する先生たち。
サムカ熊が指摘した通り、警察の制服はボロボロに崩れ始めていて、その破損部分から見える肌も〔石化〕し始めている。特にエルフ先生は最後に脱出したので、精霊場をより多く浴びてしまったようだ。軍用ブーツは完全に〔石〕の粉になって消滅し、素足も〔石化〕が急速に進行している。
ラヤンが慌てて簡易杖を先生たちに向けて、〔石化解除〕の法術をフルパワーで放った。光の精霊場と〔干渉〕するせいで、静電気のような火花が通路全体に飛び散る。
「だ、大丈夫です先生方。予防措置をしていましたから、〔石化〕は表皮だけです。数分間じっとしていて下さい」
ラヤンが杖に火花を散らせながら、治療法術を放ち続ける。
確かにラヤンの言う通り〔石化〕は表皮で止まったようで拡大していかない。肌も次第に〔石〕状態から元に戻り始めていく。
ミンタとムンキンも顔面蒼白になりながら簡易杖を先生たちに向けて、何かの法術を発動させようとした。それを毅然とした態度で、制して止めるラヤンである。
「必要ないわよ。あなたたちは精霊場が強いから、法術の効率が悪くなる。今は学校の法力サーバーが再稼働したばかりで、半分程度しか機能していないのよ。支援してくれるなら、法力サーバーを使わない方法でお願いするわ」
ミンタがジト目になりながらもラヤンに了解する。ちょっと気に食わない様子でもあるが。
「そうね、分かったわ。今は夜で森からも離れているから、ソーサラー魔術の〔蘇生〕魔術にするわよ、ムンキン君」
「了解、ミンタさん」
手持無沙汰で顔を見合わせているのは、ペルとレブンであった。レブンが残念そうに口元を魚に戻す。
「僕のは死霊術だから、ゾンビ向けだしなあ。ごめんなさい、先生方。法術や、治療用のソーサラー魔術はまだまだ基礎の基礎しか修めていないんです」
ペルも両耳を伏せ、顔の全てのヒゲと両耳に尻尾を垂らして、先生たちに謝った。
「私もです。ごめんなさい。うう……もっと法術を勉強しないといけないな……」
ノーム先生とエルフ先生も回復して楽になってきたのだろう、表情に余裕が伺える。
「そうですね、勉強を頑張りなさい。幸い、〔石化〕は皮膚だけのようです。内臓や筋肉には影響ありませんよ。まだ、こわばっているので、うまく体が動きませんけど。ラワット先生はどうですか」
ノーム先生も大きな三角帽子を胸に抱いて、あぐらをかいて床の上に座っていたが、エルフ先生の問いかけに明るく微笑んだ。口ヒゲとあごヒゲを右手で撫でているが、いくばくかのヒゲは〔石〕の粉になってしまったようだ。
「部屋に戻ったら、ヒゲの手入れを行う必要が生じましたが……生徒の皆さんのおかげで回復には支障ないでしょうな」
〔石〕になっている皮膚が突っ張るので動きにくそうだが、痛みはそれほどでもなさそうだ。
「光の精霊場が強く働いてくれたおかげで、〔石化〕魔法を食らうだけで済みましたね。〔精霊化〕の魔法は大混乱状態の違法施設では〔干渉〕されて、効果を出せなかったのでしょうな。助かりましたよ。でもまあ、次はないでしょうけど」
サムカ熊が同意する。
「うむ。連中にとっては、光や法術に死霊術の〔防御障壁〕を見ることは初めてだっただろうな。確かに、次の幸運はないだろう」
しかし、サムカ熊の頭の上に乗っているハグ人形には、少し異論があるようだ。
「ラヤンちゃんの〔占い〕だが、実際は外れておったな。君たち生徒が加勢しに駆けつけなければ、先生たちはさっさと自殺して、母国で時間をかけて〔復活〕処理されていただろう。土中ゆえ、死亡確認に1年くらいかかるだろうが、それさえ済んでしまえば2年後には再会できたはずだ。その場合ノームの研究員は、情報共々全滅しているがね」
それをミンタとムンキンが嫌がったので、こうなったのだが……
「オマエさんたちが頑張ってしまったせいで、さらに強力な精霊を呼び寄せたんだよ。ワシはそう思っておるよ」
(その手筈を整えた張本人が言うかね……)とサムカ熊が思ったが、一理あるので黙っている。
ミンタが何か反論しようと、ハグ人形を睨みつけて口をパクパクさせたが……「うぐぐ……」と唸って黙り込んでしまった。他の生徒たちも同じ感想に至ったようで黙っている。
エルフ先生も細長い両耳の先を下げながら、ノーム先生と顔を見合わせた。
「……ハグさんの言う事も正論ですね。不法入国者の保護という命令を強制実行して、エレベーターが使えなくなった時点で自殺しておけば、それで済んだ作戦でした。私たちも、重要情報の保護という欲が出てしまったということなのでしょうね」
エルフ先生が正座になる横で、あぐらをかいているノーム先生も、荒れた口ヒゲを両手で整えながら少しだけ肩をすくめた。
「左様ですな。我々は警官だから、命令に従う事は絶対だ。でも、不可抗力ということで命令が実行できない場合は、その限りじゃあない。一応、自分の命で、命令の不実行の謝罪をするわけだしね」
話しながら、手足を伸ばして感覚の確認をする。
「〔復活〕も完全に元通りになることは原理上ない。どうしても記憶欠損などが起きる。それに性格が微妙に変わったりとかね。それを回避できたこと自体には、私たちは君たち生徒に感謝しているよ。むう……結構な量のヒゲが失われてしまったか」
再びノームの偉い人の声がして、サムカ熊の脇腹に手のひらサイズのディスプレー画面が生じた。
「今のラワットの音声記録は、〔石化〕治療中の一時的な精神混乱による妄言、という記録にしておこう」
慌てて正座に座り直すノームのラワット先生である。アワアワ言っているノーム先生だが、偉い人は表情を変えずに話を続ける。
「サムカさんのおかげで、50秒間の追加観測情報が得られた。ラワットが推測するように、最後の怪物的な大地の精霊は、深度600キロ以上の大深度地下『マントル遷移層』に棲む種類だろう。他に『大地の妖精』と思われる存在も確認できた。貴重な情報だ。後日、公式に感謝状を送ることにするよ」
ノームのラワット先生が上司の口調に何か感じたのか、小首をかしげた。しかし、とても偉い人なので質問などできないようだ。代わりにミンタが質問する。
「ノーム警察の偉い人さん。名前も階級も伏せているので、何となく想像できるのですけど……もしかして、ノーム世界で大事件が起きているんじゃないですか?」
「……コメントはできない」
厳格な表情が、一層硬直したようになった。図星だったようだ。
(魔法世界で島が沈没するくらいだし、ノーム世界でも何か世界〔改変〕の悪影響が起きるよね……)と目配せする生徒たちである。
ノームの偉い人が腕時計を見た。
「では、私はこれで。任務ご苦労だった」
そのまま、サムカ熊の脇腹の手のひらサイズ画面が〔消滅〕し、ただのぬいぐるみの表面に戻る。
入れ替わりに、反対側の脇腹に手のひらサイズの画面が発生し、今度はエルフの偉い人の顔が映し出された。
「では、次は我々の仕事だ。カカクトゥア、出動を命じる」
サムカ熊が両手を腰に当てて、軽くため息をつく仕草をした。
「この熊人形はテレビ電話ではないのだがね。クーナ先生。行動はまだ無理ではないか? 魔力も使い果たしてしまっている様子だが」
サムカ熊が床に正座しているエルフ先生に聞く。ラヤンとミンタ、ムンキンによる治療は、まだ継続中だ。エルフ先生が自嘲気味に微笑んだ。
「命令ですから。ですが、もう少し回復に時間がかかりますね。魔力回復は、後でパリーを呼んで行いますよ」
「ふう……これで回復できたかな」
ラヤンが簡易杖を下ろして、法術を停止した。ミンタとムンキンもラヤンに続いて簡易杖を下ろし、ソーサラー魔術の〔回復〕魔術を停止した。発光が止み、通路が元通りに暗くなっていく。
「ど、どうですか? カカクトゥア先生、ラワット先生」
ミンタが心配そうな表情で聞く。竜族のムンキンとラヤンは表情の多様性という面では、やや乏しい。しかしその分、大きな目で気持ちを表現している。
エルフ先生とノーム先生が簡易杖を自身の体に当てて、自己〔診断〕を行った。
「……うん、完全回復したわね。ありがとう」
エルフ先生が微笑んで3人の生徒たちに礼を述べる横で、ノーム先生も〔診断〕を終えて安堵した表情になった。
「私も完全回復したようだ。感謝するよ」
そして、エルフ先生に視線を向けた。
「……それで、これから出動するのかい? 今なら、魔力不足による任務遂行不可ということで、サボることができそうだが」
エルフ先生が少しヨロヨロしながらも立ち上がった。軽く背伸びをする。
「とりあえず、現場へ行きますよ。さて、パリーを呼ぶかな。あ。その前に着替えか」
【エルフの違法施設】
その15分後。機動警察の制服に再び着替えたエルフ先生が、イライラした表情で森の中に立っていた。
両耳が不規則にピコピコと上下に動いていて、腰まで伸びた真っ直ぐな金髪も40本の単位で静電気を発して四方八方へ逆立っている。足元にも静電気の火花が散っている。明らかに『魔力過剰』な状態であった。
「もう、パリーってば。これじゃあ魔力制御が思うようにできないじゃない」
ライフル杖にも静電気が走っていて、全体が薄ぼんやりと青く輝いている。
ミンタもさすがに近寄りにくいようで、一歩離れた場所にいる。
「ですよね、カカクトゥア先生。ラワット先生は過剰魔力供給のショックで気絶してしまいました。あの森の妖精、余計なことしかしませんよ」
そう言えば、ノーム先生の姿が見当たらない。今頃は学校にある教員宿舎の自室で、うなされて寝ているのだろう。これだけ活躍したのに、理不尽なパリーの仕打ちである。
「前から疑問に思っていたのですけどっ。精霊魔法の専門クラスなのに、ラワット先生クラスの生徒って参加しませんよね。教え方が悪いんじゃないですか」
ミンタの文句に似た指摘に、エルフ先生が不機嫌な表情のまま口元に指を当てた。
「そんなことはありませんよ。単に魔法適性の強弱の問題です。現に私のクラスでも、ミンタさんとムンキン君しか参加していませんしね。他の生徒たちには負担が大きいのですよ。やっていることは『ほとんど実戦』ですから、命に関わります」
そう言ってから、エルフ先生が軽く肩をすくめる。
「ラワット先生の専門クラスのビジ・ニクマティ級長は、何度も参加したいと申し出てきましたけれどね。却下しました」
そう言われて、今度はラヤンがジト目になった。尻尾を2回地面に叩きつける。
「フン。私は強引に参加していますけどね。ですけれど、〔運〕の加護がなければ、確かに危険ですね。他の生徒たちには推薦できません。私も、担任のマルマー先生の救出中に死んでしまいましたし。私に救出前の記憶が全くないのは、さすがにちょっとモヤモヤするわね」
今度は、ペルとレブンが顔を見合わせて微妙な表情になった。
「そう言えば元々は、私たちの実習授業として始まったような気が……いつの間にか、こんなことになっちゃったのね」
「僕たちの場合は、魔力のバランスを保つための実習だったけどね。全ては、あのカルト貴族が出しゃばったせいだと思う。おかげで今は、体の調子も良好になってるけど」
サムカ熊もその場に立っている。ハグ人形は見当たらない。
「明日の朝、シーカ校長に報告して叱られてくることだな。私にも責任の一端があるから、一緒に説教を受けるとしよう。そろそろ、ハグが偵察から戻って来る頃だが……またどこかで道草を食って遊んでいるようだな。クーナ先生。この闇魔法の〔防御障壁〕だが、体調は悪くなっていないかね?」
この森は学校からかなり遠いようで、同じ亜熱帯なのだが樹種が別物だ。
相当に内陸の乾燥気候に適応した樹種が多い印象で、学校周辺の森に比べると明らかにコケや地衣類の量が少ない。そのために樹木の樹皮がよく見え、森らしい森といえる。樹高50メートル級の高木が林立している深い森のようだ。
その森の中を、水や風の精霊や、小型の『化け狐』群が、50体以上の群れになって同じ方向へ向けて飛んでいくのが見える。
サムカ熊たちが立つ場所の真上にも、数体の『化け狐』と風の精霊が通過していった。サムカが闇魔法のステルス〔防御障壁〕を展開しているので、〔察知〕できないようである。この〔防御障壁〕は、エルフ先生を含めた生徒たち全員も包み込んでいた。
その大量の精霊と『化け狐』群を見送りながら、エルフ先生がサムカ熊に礼を述べた。
「問題ありませんよ。ありがとうございます、サムカ先生。ハグ人形については、学校から遠く離れた西の森なので物珍しいのでしょうね。この闇魔法〔防御障壁〕の術式は〔解読〕済みで、中和処理ができています。ラヤンさんとも術式を〔共有〕したので、体調は大丈夫みたいですね」
ペコリと頭を下げるエルフ先生だ。サムカ熊が少し戸惑いながらも、同じようにペコリと頭を下げた。
エルフ先生がサムカ熊の仕草を見て、吹き出すのを堪えながら話を続ける。
「今回の敵はエルフです。同じエルフの私が〔防御障壁〕を展開すると、精霊や『化け狐』に、敵の仲間だと『誤認』されて襲われる危険性があります。ハグさんが戻ってきて敵の位置や術式情報などが分かれば、術式を異なるものにして対処できるのですが……それまで〔防御障壁〕展開を、お願いします」
サムカ熊が張っている闇魔法の〔防御障壁〕の中で、余分な魔力を電気に〔変換〕して、それを地面に流し続けているエルフ先生だが、ようやく一息つける状態になったようだ。表情がいくぶん和らいで、生徒たちを見回した。
「生徒の皆さんをここへ連れてきてしまったことは、間違った判断でしたね。過剰魔力のせいで、どうかしていました。ここは、私とサムカ先生だけで対処しますので、あなたたちはすぐに学校へ戻りなさい。敵はエルフの特殊部隊です。兵器級の光の精霊魔法を繰り出す恐れがあります。あなたたちでは防御できませんよ」
すかさずミンタが反論して食い下がってきた。
「防御できないのは、カカクトゥア先生も同じだと思います。警察装備で軍の特殊部隊に対抗できるとは、とても思えません」
図星だったようだ。ミンタの指摘に感心しながらも、怒ったような顔になるエルフ先生である。
「エルフ世界には軍隊は存在しませんよ。警察の特殊部隊です。私が所属するブトワル王国の警察部隊が、トリポカラ王国の警察部隊と対峙することは『外交上良くない』という上層部の判断なのですよ」
(また面倒臭そうな話になってきたな……)と思うサムカ熊であった。ミンタとムンキンも険しい表情を続けたままだ。
エルフ先生が「コホン」と小さく咳払いをした。
「……ですが、トリポカラ帝国の違法施設と不法入国エルフを見逃すことはできません。タカパ帝国との条約に背くことにもなりますからね」
ミンタとムンキンの表情には変化は出ていない。一方のラヤンは「もっともな話だ」とうなずいて聞いている。ペルとレブンは、ミンタとムンキンが暴れ出さないか気がかりで仕方がない様子だ。
エルフ先生が口調を少しだけ軽くした。
「そこで、私のような一介の警官兼教師を差し向けて、お茶を濁すことになったのでしょうね。一応は戦闘準備をしていますが、こうして遠くから観察するだけです」
サムカ熊にも空色の瞳を向けて、改めてミンタたちに穏やかに微笑んだ。
「正確な違法施設の位置はまだ分かりませんが、とりあえずこれだけ離れていれば、エルフの私は何とかできます。心配は無用ですよ。ですから、ミンタさんたちはすぐに戻りなさい」
ゆっくりとした口調ではあるが、有無を許さない厳しさを込めたエルフ先生の説得に、さすがに反論できなくなるミンタである。他の生徒たちもエルフ先生の穏やかな迫力に気圧されて、うつむいてしまった。
さすがに少し厳しく言い過ぎたかと反省したのか、エルフ先生が更に口調を優しいものにした。
「それに、シャドウと〔式神〕は、もう手元にないでしょ? 遠隔操作できる手段がない以上、参加することは許可できませんよ。危険ですからね」
ムンキンがそれでも顔を上げて反論してきた。このあたりは、さすが竜族というところだろう。
「僕とミンタさんは〔オプション玉〕をまだ作成できます。これで遠隔操作することが……」
ムンキンの訴えを途中で遮るエルフ先生である。
「いけません。〔オプション玉〕魔術に装備できる魔法の種類は、非常に限られたものでしょ。〔防御障壁〕を展開しながら〔飛行〕して、自動測位して魔法攻撃をし、その効果を検証する……最低でもこれだけの術式を同時並行で走らせなくてはいけません」
そのため、こういった作戦では小隊単位での行動になるのが標準だ。
「地下では狭い空間でしたから、〔防御障壁〕に専念できたので使えましたが、今回は広域です。敵に逆探知されてしまいますよ。少なくとも、実体を伴った自律型の〔分身〕でないと使用に耐えられません。それに、ここは私たちも地形を詳しく知らない西の森です。地の利もない以上、慎重になるべきですよ」
見事に理論立てて否定されたので、ムンキンも口を閉じて黙ってしまった。〔分身〕魔術は習得しているのだが、かなりの魔力を消費する。連戦後の現状では魔力不足で使えない。
ミンタも同様で、残念そうな表情でうつむいたままである。彼女も慣れない古代語魔法まで使用したので、残り魔力はかなり少なくなっていた。それさえ使わなければ、参加できる余力はあったのだが。
エルフ先生が少し無理に微笑んで行動を促した。
「分かりましたか。では、学校へ戻って……」
ハグ人形が森の奥から転がるように駆け込んできた。時速100キロは出ている。
サムカ熊が展開している闇魔法の〔防御障壁〕の中に走り込んで、急停止した。おかげで、落ち葉混じりの大量の土煙が巻き上がる。
「エルフの奴ら、本気で攻撃してくるぞ。急いで〔防御障壁〕を……」
ハグ人形が、口パクさせる余裕もないまま訴えたのだが、それでも間に合わなかったようだ。夜で真っ暗な森の中が、いきなり青白い光で満ち溢れた。
エルフ先生が闇魔法の〔防御障壁〕の中で、驚愕の表情を浮かべている。
〔防御障壁〕は大きく揺らいでいるが、破壊される事態には至っていない。しかし、〔防御障壁〕の外は大変なことになった様子だ。大量の粉塵と水蒸気が発生して、視界が完全に失われているので目視できないのだが、それだけは直観できた。
サムカ熊が感心したような仕草を見せながら、周囲を見渡す。
「……ほう。これが兵器級の攻撃型の光の精霊魔法か。大した威力だ。ここに貴族がいることを、エルフの連中が想定していなかったのが幸いしたな。うむ。術式を取得した。次の攻撃に対処できるから、安心してよいぞ」
ハグ人形もサムカ熊の頭の上の指定席に戻って、同じようにキョロキョロしながら見物している。
「おうおう。派手にやりおったな。他にも性悪な精霊魔法を使っておるようだ。サムカ熊ちゃんよ、用心しておけよ」
アンデッドの2人には、粉塵と水蒸気で視界が閉ざされていても周囲が見えるようだ。エルフ先生や生徒たちは、そんな特技は持っていないので混乱したままである。
まず最初に状況を理解できたのは、闇の精霊魔法に優れたペルだった。顔面蒼白で声が震えている。
「アワワ……た、大変なことになってるよ。ミンタちゃん……森が……」
その1分後、ようやく粉塵と水蒸気のガスが薄くなり始め、周囲が見え始めた。新月の夜なので、本当にうっすらではあるが。
エルフ先生が言葉もなく、へなへなと地面に座り込んでしまった。意識が集中できなくなったのか、再び全身から静電気の火花が派手に散り始める。
ミンタも相当にショックを受けているようで、棒立ちで茫然としている。
次に言葉を発したのは、ラヤンだった。尻尾を1回だけ「パシン」と力なく地面に叩きつけて、斜め上を見上げる。
「エルフのくせに、森を消し去ってしまったわね。あの粉塵は、木々が〔分解〕されたものだったのか」
地面から高さ数メートルを残して、その上にあった木々が全て〔消失〕していた。巨木の切り口は鋭利で、少し焼け焦げたようになっている。樹液がこんこんと切り株から湧き出して、地面に流れていた。
森が消えた上空には、100を超える『化け狐』と各種精霊がマヒしたように震えながら、空中に浮かんでいる。
地面の上には、まだ『化け狐』や水の精霊群がいた。彼らは何事もなかったかのように、攻撃を発した敵がいる方向へ殺到して飛んでいく。意識や自我がない自然現象に近い存在なので、この程度ではひるまないのだろう。
上空に震えながら浮かんでいる『化け狐』や各種精霊群を、レブンも見上げて、憐みの視線を投げかける。
「これ……もしかすると、支配用の魔法じゃないですか。『化け狐』や精霊を同士討ちさせようとしているのでは」
ハグ人形が肯定した。
「そうだろうな。ワシは精神の精霊魔法には、それほど詳しくはないが、症状は敵方のゾンビやゴーストを〔支配〕した際の待機状態に似ているな。お。また来るぞ」
再び、世界が青白く輝いて視界が効かなくなった。第二波攻撃だ。今度は、地面ごと粉塵化して水蒸気ガスが噴き上がった。
サムカ熊の〔防御障壁〕は、今度は微動だにせず攻撃に耐えきった。視界が15秒ほどで回復していく。今回は粉塵になる木々の量が少なかったせいだろう。
先程までは地上から数メートルまでは、森の木々が残っていたのだが……今は、地面ごと〔消滅〕してしまった。一気に視界が開けて、地平線まで360度、砂漠のようになっている。草が残っているのは今や、サムカたちが入っている〔防御障壁〕の中だけである。
サムカ熊が「ふむ」とうなずく。
「これで君たちも視界が確保できるな。敵の居場所もこれで一目瞭然だ。直線距離で4キロ強というところか」
サムカ熊が左の熊手を向けた先、地平線の際にポツンと点のような小さな気球が浮かんでいる。
ムンキンが歯ぎしりしながら濃藍色の瞳をギラつかせて、その気球を睨みつけた。
「光は直進しかしないから、初撃は地球の丸さに阻まれて、数メートル上からしか塵にできなかった、ってわけか」
再び青白い閃光が輝いて、一瞬視界が効かなくなる。
と、サムカたちの背後の森が粉塵と水蒸気を大量に発して〔消滅〕した。ムンキンが尻尾を地面に叩きつける。
「ち。さらに森を消すつもりかよ。気球が上昇する分だけ、遠くまで破壊できるってわけだ」
ムンキンの言う通り、気球の高度がゆっくりと上昇していた。気球から再び閃光が放たれて、さらに後方の森が〔消滅〕する。もう既に気球から半径10キロ圏内は砂漠状態だ。
それと同時に、上空で麻痺して震えていた『化け狐』と各種精霊群が反転して、後方へ飛んでいく。たちまち、地平線上の上空で、『化け狐』や精霊とが互いに戦い始めた。
ハグ人形がサムカ熊の頭の上で寝転んで観戦しながら、口をパクパクする。
「やはり、ワシが思った通りか。精霊と『化け狐』を支配して〔操作〕する、精神の精霊魔法の一種だろう。敵の軍勢をそのまま味方の手駒にする、エルフの有名な戦術だ。ワシらリッチーも似たようなことをするがね」
≪バシイイン!≫
エルフ先生の全身から稲妻がほとばしった。
サムカ熊や生徒たちは、先程からずっとエルフ先生が静電気を放ち続けていたので予想していたようだ。対電撃用の〔防御障壁〕をそれぞれが展開していたおかげで、感電死せず無事だったが、それでもビリビリきたようだ。ペルに至っては地面に座り込んでしまった。
サムカ熊が展開している、闇魔法の〔防御障壁〕の内側にも稲妻が走り回ったので、〔防御障壁〕が崩壊してしまった。慌ててサムカ熊が新たに〔防御障壁〕を張り直す。
「お、おいおい、クーナ先生。いきなり〔雷撃〕魔法を放つのは止めてくれ。私の〔防御障壁〕とは相性が悪い魔法なんだ」
しかし、サムカの文句もエルフ先生には届いていないようだ。
エルフ先生がすっくと立ちあがり、ライフル杖を頭上でグルグルと振り回し始めた。腰までの金髪も全て逆立って、怒髪天を向く有様になっている。しかも雷を帯びているので近寄れない。
「ゆ、許せないわ! エルフなのに何て事をしたのよっ」
再び〔雷撃〕が四方八方に放たれて、またサムカ熊の〔防御障壁〕が吹き飛んで消えた。ガックリと熊頭を伏せるサムカ熊である。もう、〔防御障壁〕を張り直すことも諦めたように見える。
しかし、この〔防御障壁〕が消えたことで、エルフ警察との回線がつながった。サムカ熊の胸板に小さなディスプレー画面が発生し、警察の偉い人の顔が映し出される。彼もかなり焦燥したような印象である。
「……やってしまったな。カカクトゥア、観測は終了だ。これほどの攻撃をされてしまっては、我々ブトワル警察としても静観はできない。攻撃を許可する。逮捕を優先とするが、抵抗してくれば殺しても構わん」
エルフ先生がハンターの鋭い目つきになった。やや震える吐息を吐いて、上司に質問する。
「……了解。それで、ブトワル警察からの応援は期待できるのですか?」
偉い人がジト目になって肩をすくめた。
「それは無理だな。双方の警察部隊による正面衝突だけは避けたい。エルフ世界で国家間の戦争に発展しかねない。従って、君が単独で突入して『殉職』してくれれば、それで良い。後で〔蘇生〕なり〔復活〕なりしてくれ。もちろん、生還してくれれば経済的で申し分ない」
「うわー……」と、エルフ先生を含めた全員がドン引きしている。ハグ人形だけは、愉快そうに手足をヘロヘロさせているが。
サムカ熊が「コホン」と軽く咳払いをして、胸元の画面をのぞき込む。
「あー……、私は死者の世界の貴族のテシュブという者だが、カカクトゥア先生に助力しても問題はないかね? 職場の同僚でね」
エルフ先生の顔がキョトンとしたものになった。ついでに怒髪も元に戻る。静電気だけはそのままだが。
エルフの偉い人も、画面向こうで「コホン」と咳払いをした。
「人道的な支援ということであれば、歓迎するよ。君は、医局からも感謝されているからね。それに、カカクトゥアの定期報告でも、死者の世界での適正な処遇については、我々警察も高い評価をしている。公式記録には詳しく記載できないが、歓迎しよう」
「なかなか面倒だなあ……」とコソコソ話を交わす生徒たちである。ミンタが代表して、エルフ先生と偉い人に顔を向けた。
「では、私たちも人道的な支援ということで、カカクトゥア先生とテシュブ先生への同行を提案します」
「それは許可できない」
「いけません」
即答する偉い人とエルフ先生である。
特にエルフ先生が、ひと際大きな静電気を放ってミンタに詰め寄った。しなやかな指が、ミンタの鼻先に触れそうだ。触れると電気が通ってミンタが感電してしまうので、指先を離して、一応の配慮はしている。
しかし、それでもピリピリとした静電気の火花が、しっかりとミンタの巻き毛の先に届いているようだが。
「どさくさに紛れて提案するんじゃありません。学生は寄宿舎へ戻りなさい。もう残り魔力も乏しいでしょ」
「ぐぬぬ……」
地団駄を踏む生徒たちである。その頭上を、再び青白い閃光が走り抜けた。地平線が爆発したようになる。それを見上げて、愉快そうに眺めていたハグ人形が振り返った。
「では、ワシがガキどもを学校まで送り届けよう。あまりのんびりしている余裕もなさそうだしな」
「え~っ!?」
口を尖らせて文句を言い始める生徒たちを無視して、ハグ人形が話を続ける。
「今夜は闇夜の新月の夜だ。これだけ派手にピカピカ光っておると、月の『化け狐』がやってくるぞ」
ハッとする先生と生徒たちである。ラヤンだけは首をかしげているが。サムカ熊とエルフ先生が、同時に夜空を見上げた。
「今はまだ、予兆は出ていない……が、時間の問題だろう。月の『化け狐』が降り立ってしまうと、この地は本当に不毛の大地になってしまうぞ」
サムカ熊の懸念に、エルフ先生が素直にうなずく。
「ですね。では、サムカ先生。申し訳ありませんが、同行お願いします。ハグさんは、生徒たちを無事に学校寄宿舎まで送り届けて下さいね」
ハグ人形がサムカ熊の頭の上で『月面宙返り』の大技をして着地を決め、ぬいぐるみの胸を叩いた。
「任されよう。では、戻るぞ、この悪ガキども」
と、言い終わるが早いが、生徒たちと一緒に姿を消した。エルフの偉い人も、一言だけサムカ熊に挨拶して消えた。
いきなり静寂が戻って、苦笑する2人の先生である。
サムカ熊がとりあえず両手足を地面につけて四足になった。エルフ先生に頭を向ける。
「〔飛行〕すると、その魔法場で我々の存在が敵にばれてしまうだろう。地上走行であれば〔探知〕されにくいはずだ。背中に乗ってくれ」
エルフ先生がライフル杖を肩に担いで、四足サムカ熊を見つめた。エルフ先生の目元や口元に頬が、かなり緩んでいる。
「それじゃ、本当に熊ですよ。サムカ先生の師匠様が言っていた意味が、少し分かったような気がします。実は変人でしょ、あなた」
さすがに少し『ふて腐れて』丸い尻尾を振り回すサムカ熊である。
エルフ先生が視線をサムカ熊の後方へ向けて、サムカがよくするように、杖を持たない左手で自分の後頭部をかいた。
「乗り物の心配でしたら、解決しそうですよ」
はるか彼方の、粉塵と水蒸気ガスがたなびいている地平線から、高速で何かが走ってやって来た。かなりの地響きを立てて、荒野と化した大地に土煙を巻き上がらせて、こちらへ駆けてくる。
サムカ熊が立ち上がって振り返ると、急停止して止まった。10トントラックぐらいの大きさを有する森の妖精だった。パリーと異なり人型ではなく、巨大なクモのような姿をしている。それが4体到着した。
「オマエは、パリーの契約者であるエルフだな。先日の騒動では世話になった。して、我らに敵対するのか、それとも合力するのか、どちらだ」
エルフ先生が大グモ型の森の妖精4体を見上げて、毅然とした表情で答える。
「もちろん、合力するためですよ。あの無法者のエルフを討伐する命令を受けています。奴らの光の精霊魔法は兵器級です。〔防御障壁〕を私が張って、攻撃を緩和してみましょう」




