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46話

【法術クラス】

 ペルが急いでやってきた法術クラスだが、既にラヤンが前列中央の席に陣取っていた。先程の乱闘には、参加していなかったようである。ペルを見つけるや否や、右手で手招きして呼びよせる。今回も選択科目生徒と、法術専門クラス生徒との合同授業のようだ。

(うう……あれじゃ断れないよう。今日は、ひっそりと地味に目立たなくしていようと思ったのに……)

 ガックリと小さな肩を落とすペルである。

「何してるの。ペル。さっさと来なさい」

「は、はいいいっ、ただ今まいりますう! ラヤン先輩っ」


 尻尾をホウキのように逆立たせたペルが、すっ飛んでラヤンの隣の席に座った。相変わらず、周辺の生徒たちから冷たい視線が送られて、陰口をたたかれているが、今のペルには気にする余裕もないようだ。



 それから1分ちょっとしてから、マルマー先生が教室に入ってきて教壇の上に立った。相変わらずの豪勢な法衣をまとった姿である。ペルの顔を一目見るが特に不快な顔をすることもなく、そのまま授業を開始した。

(あれ?)と、首をかしげるペル。


 授業の前振りの話題として、マルマー先生が先の救護所テントでの武勇談を話し始めた。当然のように、すぐにジト目になったラヤンがダメ出しをして強制中断を試みる。しかし今回、マルマー先生は引き下がらなかった。

「今回の授業は、『細胞の運命転換』についてだ。私が今から話す予備知識がないと、理解が難しい法術だぞ。まあ、黙って聞きなさい。ラヤン・パスティ」


 そこまで自信に満ちた目線で言われては、さすがのラヤンも黙るしかない。「コホン」と咳払いをして、マルマー先生が講義を続ける。

「この世界を支配するものは因果律であり、物理化学法則であることは知っているね。魔法とは、それらから逸脱する結果を生み出すことだ。法術も例外ではない」

 特に〔蘇生〕や〔復活〕法術は、まさしくこれに該当する。


「しかし逸脱し過ぎると、この世界とのつながりが切れて弾きだされてしまう。そのバランスを取りながら魔法を行使するのが、魔法や魔術使いであり、法術使いでもある」

 ペルやレブンの場合では、これに加えて『化け狐』化というリスクもある。


「この場合、魔法を使っても、得られる結果は1つだけになることは分かるね? それが最も因果律に沿うからだな。そうやって、因果律や物理化学法則という『山』を越えて、その向こうにある逸脱した1つの結果にたどり着く」

 ペルが思った以上に真面目な表情で話すマルマー先生である。

「空を飛んだりトンネルを掘ったりして向こうへ行くよりも、山を歩いて越えた方が確実で、低コストなのだ」


 ラヤンが紺色のジト目のままで、「そんな事とっくに知っている」と言おうとした。しかし、隣のペルが目をキラキラさせて聞いているので、何とか押し留まったようだ。

 マルマー先生が話を続ける。

「〔治療〕の場合、最終目的は大体一つだ。『元の健康な』細胞、組織、神経反応、そして体だな。従って、法術以外でも、ウィザード魔法招造術やソーサラー魔術、生命の精霊魔法などでも〔治療〕行為ができる。山越えは馬や猿でもできる事と同じだ」


 ここでマルマー先生が白い桜色の顔をやや紅潮させて、茅色の癖の強い前髪を「ファサッ」と揺らす。そして、焦げ土色の黒い瞳でペルの顔をじっと見た。「ビクッ」とするペルである。

「だが、限界があるのだよ。ウィザード魔法には契約魔神が持つ『常識』、ソーサラー魔術では術者本人の『常識』、そして精霊魔法では契約精霊の持つ『理』、だな。それは、因果律や物理化学法則と匹敵するほどの高い『山』であることが多いのだ。さらに、以前の授業で教えたように、参照できる生体情報の質と量が、圧倒的に弱いという点も大きいがね」


 いつもの口調で、さんざん他の魔法を卑下するマルマー先生だ。いつもの事なので、生徒は誰も反論したりはしていない。

 マルマー先生の口調に熱がこもってきて、豪華な法衣の裾をこれ見よがしに、ひるがえした。

「法術にも常識の『山』は存在するが、信者たちによる生体情報の多様性があるので、それほど深刻な問題にはならない。つまり、同じ〔治療〕結果を得るために越えなくてはならない『山』の高さは、法術が最も低いということだ」


 ペルに視線を再び向ける。

「さて。ここから再び、先日の救護所テントの話になるのだが……なぜテントという閉鎖空間が必要なのか、分かるかね? 答えなさいペル・バンニャ」

 ペルがビクビク震えながら、席から立ち上がった。何かの人形のような印象になっているが、それでも答える。

「え、えと……その。法力場を高めると法術が効きやすくなる……からでしょうか。マルマー先生」


 意外にもマルマー先生が焦げ土色の黒い目を細めて、良い笑顔になった。ペルと隣のラヤンまでもが驚いている。他の生徒たちもザワザワしている。

「うむ。術式を走らせる燃料が多くて濃いほど、効きやすくなるのは道理だな。だが、法術にはもう一つ理由があるのだ」


 ラヤンをはじめとした法術専門クラスの生徒たちの目の色が変わった。生徒たちの集中力が跳ねあがり、いきなり教室が静寂に包まれる。

 その空気の変わりように、思わずキョロキョロと生徒たちを伺い見るペルだ。

「同じ〔治療〕結果を出すために越える『山』の高さが違う。つまり、最も高い『山』を越えてきた術式まで、上ることができる。言い換えれば、その高度までは空を飛べるし、因果律などにも触れないということだ」


「おお……」と、どよめく教室。

 つまり、法術で越える事ができる低い『山』と、他の魔法や魔術で越える場合の高い『山』との高低差の分だけ、自由度があるという事になる。高低差がある分だけ、様々な法術が使える『余地』があるという事だ。


「さて。空中に浮かぶと当然だが視野が一気に広がる。つまり実現できる可能性の数が飛躍的に増える」

 高低差の分だけ魔力の余裕が生じているので、他の魔法へ振り向ける事ができる。

「言い換えると、1つの結果を実現させるために、より多様な法術が使えるようになるのだよ。そして、それは法力場の強さと強い相関性がある。専門クラスの生徒は、その法力適性が高いので、強い法力場でも耐性がある。そのため、実現できる可能性の数が増えるということだ」

 法力場は法力を行使するための燃料の役割を果たす。法力適性が高いので、多くの燃料を扱う事ができるという事だ。


 ラヤンを含めた法術専門クラスの1、2年生は好奇心の目を輝かせているが、さすがに3年生は既に学んだ内容のようだ。「なあんだ……」と、がっかりしている。

 マルマー先生も少し苦笑しているが、話を続ける。

「救護所テントでの〔治療〕で『こういった利点』を生かすとすれば、何が考えられるかね?」


 ざわざわと小声で相談し始めた生徒たちであったが、やはり分からない様子だ。すぐに静寂に戻る。

「〔治療〕の目的は大体1つ、だったね。欠損したり機能を失った組織などの〔再生〕だ。法力場はエネルギーなので物質化できるのだが、これはどうしても無理がある。同じ信者とは言え、他人の生体情報を使うわけだからね。残っている自身の細胞を利用するのが最も因果律に沿いやすい」

 臓器移植手術を例にすると分かりやすいだろうか。拒絶反応が起きにくいのは自身の細胞からなる臓器だ。

「知っての通り、普通の細胞は増やしても同じ細胞にしか分化しないのだが……空中に浮かんで、『山』の高低差の分だけ、可能性の数が増えた場合どうなるか」


 3年生が「おお……」と、どよめきを上げ始めた。

 ラヤンも何か察したようだ。頭と尻尾の赤橙色のウロコが逆立って膨らんでいる。白い長袖シャツと紺色のベストの制服も、中から押し上げられて変形しているようだ。ペルは、まだ首をかしげているままだが。


 マルマー先生がドヤ顔になった。ゴテゴテと過剰な装飾が付いた大きな杖で、床を「ドン」と叩く。

「普通の細胞を万能幹細胞へ一発〔変換〕できるのだよ。後は、法力で増殖と定着を〔促進〕してやればいい。今回は、主に神経組織だったが、〔治療〕方法は同じだ。強烈なストレスで破壊されて機能喪失した神経組織を丸ごと、自身の一般細胞から作った万能幹細胞で〔再生復元〕する。これを『細胞の運命転換』法術と呼ぶ」

 ここまで話したマルマー先生が「ふう……」と一息ついて、3年生の専門クラス生徒たちに顔を向けた。


 そこへ、級長のバタル・スンティカンが取り調べからようやく解放されて、教室へ入って来た。顔にいくつかアザが出来ている。マルマー先生と顔を合わせるなり、深々と申し訳なさそうに頭を下げた。ウロコも何枚か破損しているようだ。

「遅れて申し訳ありません、マルマー先生。お話の途中でしたか。これは失礼しました。急いで席につきます」

 そのまま、ペシペシと尻尾で床を叩きながら、自身の席へつく。彼の仲間も同時に開放されていたようで、次々に教室へ入って来て、マルマー先生に謝罪した。


 それを鷹揚な態度で聞くマルマー先生。改めて、級長たちにこれまでの授業内容を簡単に説明して、頬を少し緩めながら謝った。少しどよめく生徒たちである。

「済まなかったね。これまでは、軽い火傷や切り傷を『数日かけて〔治療〕』するような、非常に簡易な法術ばかりだった。先日来の騒動で、教会上層部もようやく本腰を入れ始めたようでね。私もこうして、まともな授業ができるようになった。私は記憶にないのだが、森の妖精の『ある魔法』が特に効いたようだな。さて、術式を渡そう。皆、簡易杖を向けなさい」


 生徒たちが一斉に、簡易杖をマルマー先生に向けた。同時に、自動的に術式が生徒たちに渡されていく。その状況を確認しながら、マルマー先生が注意点を述べた。

「この法術だが、遺伝子をオンオフさせるスイッチは初期設定のままだ。患者の容体に応じて、遺伝子スイッチを〔操作〕して最適化することを忘れないように。うむ、転送完了だな。後で各自、練習を繰り返して、この法術に慣れておきなさい。練習台は森のネズミやトカゲでも充分だろう」

「はい。先生!」

 生徒たちが元気でハッキリした返事をする。


 ペルもようやく理解して、少し興奮しているようだ。ゾンビ以外で使える、初めてのマトモな〔治療〕用魔法なのだから当然ではある。


 マルマー先生が装飾過剰な大杖を下げて、残り時間を確認した。まだ充分に授業時間は残っているようだ。

「ちなみに……」

 と、余談を始めた。

「可能性の数が飛躍的に増えると、矛盾するようだが、得られる結果も別のものに変わることがある。この場合では、単なる傷の〔修復〕や機能の回復だけではなくて、より高次の結果だな」

 少し考えてから、話を続ける。

「例えば……次からは同じ攻撃を受けても負傷しなくなる効果や、身体機能自体を攻撃に対して防御面で最適化させる効果などだ。その点についても、簡単に付記で解説してあるので、参照しておくと良いだろう」


 ペルが慌てて自身の簡易杖に導入された法術の『使用説明ファイル』を呼び出して、〔空中ディスプレー〕に表示した。

 確かに術式の文章量は少ないが、『オプション機能』がついている。ラヤンも同じ作業をして、ざっと速読し、頭に短期記憶で刻みつけた。

 彼女もかなり興奮しているようである。頭と尻尾のウロコが膨らんでいて、尻尾が床を小突くリズムもアップテンポだ。



 マルマー先生が黒板ディスプレー画面に別の話題を表示した。ウィザード語で〔治療補助〕法術とある。

「次に進むぞ。法術をかけて傷を〔治療〕する際に、〔高速細胞分裂〕と〔組織再生〕の術式を使うことは常識だ。しかし、それでも瞬時に〔治療〕が終わる訳ではない。それどころか、患者の体にかかる負担という面では、急速な回復は意外に良くないものだ。基本的には1日程度かけて『ゆっくりと』回復させる方法が望ましい」

 確かにそのとおりだ。生徒たちも同意する。

「そうなると、『傷口の保護』が必要になる。ただし、条件として必要な期間だけ傷口を保護し、それを過ぎたら簡単に分解できるものだな。直接手が届かない、『体内の傷口』保護もあるわけだからね」

 絆創膏や包帯のような物を想像するペル。しかし、『体内の傷』と聞いて少し混乱している。


 マルマー先生が選択科目の受講生徒を見回して、ペルと同じような反応をしている者にドヤ顔で補足説明した。

「ウィザード魔法やソーサラー魔術、生命の精霊魔法では、往々にして『高分子ポリマー』を使うことが多いな。高分子ポリマーは『共有結合』という非常に強い結合で、パーツである分子ポリマーをまとめ上げ、鎖状に連結されている。ただ、丈夫すぎて体内で分解させるのに手間がかかる欠点がある。何度も〔治療〕しに病院へ出向く必要もあるな」


 マルマー先生の話に耳を傾けるペルだけは、ちょっと首をかしげた。

(確か、テシュブ先生が折れた牙を〔再生〕してもらった時は……エルフのお医者様だから、生命の精霊魔法だと思うけど……高分子ポリマーとか使わずに『手をかざしただけ』で〔治療〕した……という話だったけどな。マルマー先生の話は、初心者向けということなのかな)

 そう思い、特に異論を提示することはしなかった。マルマー先生の話に再び耳を傾けるペルである。ラヤンの方は、サムカの牙の話は知らない様子だ。


「法術では『超分子ポリマー』を代わりに使う。これはパーツである分子ポリマーを『水素結合』や『分子位置相互作用』という、より緩やかな結合で鎖状にまとめ上げたものだ。この接着であればポリマー分解薬を服用するだけで容易に結合が外れて、元の分子に戻り、そのまま体内に吸収される。作成も簡単だ」


 そう言って、マルマー先生が黒板ディスプレー横の教壇引き出しから素材をいくつか取り出し、教壇の上に乗せた。豪勢な法衣の裾が華麗に広がる。

「それでは、実習をしよう。これらの素材を使って、『超分子ポリマー』を各種作ってみなさい。銃創、骨折、大動脈損傷、内臓損傷、腕切断、頸椎損傷、脳の損傷にそれぞれ〔最適化〕すること。材料は人数分以上あるから、失敗を恐れずにどんどん合成するように。では、始め」




【招造術クラス】

 レブンは、ウィザード魔法招造術のスカル・ナジス先生の選択授業に1人で参加していた。まだ帰省したままの生徒もいるので、受講している生徒数は20名ほどだ。よく見ると、招造術の専門クラスの生徒も数名席に座っている。赤点ギリギリな人は強制的に参加を義務づけられているのだろう。


 が、そこにはリーパット主従の姿は見られない。リーパット主従はここの専門クラスの生徒だったりするのだが、先程の寄宿舎ロビーでの大暴れで、今頃は警察署内で叱られているのだろう。

(主犯格なので当然だろうなあ……)そんなことを、ぼんやりと思うレブンであった。


 しかし、教室内の生徒にも『リーパット党員』が増えているようだ。レブンの席から離れた所に座っている1人の狐族の男子学生が、「ブツブツ」と独り言を漏らし続けていた。耳を傾けて聞いてみると、リーパットを褒め称えてバントゥと宰相を非難しているような口ぶりだ。


 レブンが肩をすくめて、意識を彼から逸らした。面倒臭そうな人には近づかないに限る。

 とりあえず、名前だけを検索すると、招造術専門クラス生徒のチャパイ・ロマという情報が返ってきた。今はこれだけの情報で充分だろう。授業に集中するレブンである。


 黒板ディスプレーには、ゴーレム製造関連の情報やグラフ、表などが所狭しと表示されている。

 そのゴーレムが1体、黒板ディスプレーの隣に直立して立っていた。起動はしておらず、今は各種行動術式の導入中だ。

 基本的には、以前に教員専用カフェで働いていたゴーレムと同じだろう。頭らしき部分はあるが、目鼻口などの感覚器官はなく、センサー機能を持つ石や樹脂が埋め込まれているだけだ。

 素材は土と石で、手足はあるが関節はない。土で作った人形の巨大版といったところだろうか。かなり、ずんぐりとした印象だ。レブンたちと同じく、腕には5本指の手袋をはめていて、足先もイス足カバーの巨大版のような靴下をつけている。身長は2メートルで、重量は200キロ程度だ。


 ……が。カフェにいたゴーレムと、決定的に違う点が1つだけあった。

(土や石が金属化してるんだよね……『土に見せかけた、金属製ゴーレム』というところかな)

 黒板ディスプレーに表示されている情報群を、レブンが簡易杖に読み込ませながら、少し首をかしげる。


 ちなみに、ここでレブンが言う『金属化』とは、土や石が鉄や銅に〔錬金変換〕されたということではない。『土と石のままで、金属のように電流が流れやすくなっている』状況を指している。


(ゴーレム表面が水を弾くように樹脂でコーティングされているから、野外で雨に打たれても溶けて泥になったりはしないのか……校舎の修理作業では防水機能が必要なんだろうな。とにかく今回の授業、今のところは事故もなく順調だな。〔召喚〕実習もしないようだし)

 レブンが徐々に安堵してリラックスした表情になっていく。他の生徒たちも同じように感じているようだ。徐々に、教室の空気が緩くなってきた。

 ナジス先生がいつも通りのヘラヘラ笑いを顔に浮かべて、視線をどこかあらぬ方向へ向けているのも、それを加速している。


 彼の服装は、以前とほとんど何も変化していなかった。白衣風のジャケットと短い長靴も、ヨレヨレな長袖シャツにヨレヨレなズボンも、熊襲撃事件の前と同じだ。褐色で焦げ土色の髪も、相変わらずほとんど手入れがされておらず、枝毛と切れ毛だらけの髪の先が肩の上でヒョコヒョコと踊っている。杏子色の白い顔も肌が荒れたままだ。

「ずず」と鼻をすすってから、ナジス先生が講義を再開した。

「以上で、室内作業用のゴーレムの起動術式や、メンテナンスについての講義は終わります。ずず」

「さて、次にですが……」


 ナジス先生が鼻をすすりながら一呼吸置いた。細い目の奥に収まっている紺色の瞳を、鈍く輝かせる。

「タカパ帝国では、現在、ずず」

「各地で復旧復興作業が続けられていますね。人力では、なかなか危険で難しい作業が多いものです。ずず」

「教育指導要綱には載ってないのですが、魔法世界の私の所属機関の指示で、今回、ずず」

「土木作業にも耐えることができ、丈夫で長期間安定稼働できるゴーレムについて講義をします。ずず」

「過酷な野外作業を半自律式で行うためには、室内向けのような土石製のゴーレムでは無理です。ずず」

「このような、金属と絶縁体を模した魔法強化型を使う必要があるのですよ」


(まあ普通は……そうですよね)と思うレブン。

 樹脂コーティングだと思っていたが、土石を魔法で『金属状態』にしたために、見た目がツルツルで光沢を放つように変わったのだろう。また、魔法世界から土木作業用のゴーレムを大量に輸入しても、そのオペレーションというか操作維持管理ができる現地作業員がいないと、ただの無用の長物になってしまう。


「ゴーレムに限らず、野外刻印した魔法陣や魔法具でも言えることですが、ずず」

「長期安定稼働のためには、周辺環境にある光、熱、電磁波、振動、ずず」

「それに圧力などの多様なエネルギーを入力して発電する必要があります。ずず」

「ボディが土石のままでは効率が悪いので、こうして疑似的に『金属化』と『絶縁体化』をさせているのです。ずず」

「電子と磁場、それに光子を扱うには、ずず」

「金属状態と絶縁体状態の組み合わせが便利ですからね」


 鼻をすする音が耳障りだが……慣れるしかない。それと、焦点が合わない紺色の視線とヘラヘラ笑いも、だが。


 一般に、光や電磁波から電子を生み出すことは容易だが、振動や熱、圧力などから電子を生み出すことは難しい。そのため、電子ではなく磁場を発生させる手法が、代わりに採用されることが多い。

 金属と絶縁体とで構成されているデバイスがそれらの『外部刺激』を受けて、電流の代わりに磁場の流れである『スピン流』を発生させる……という仕組みだ。

 スピン流には、そのスピン回転に対して垂直な方向に起電力が発生するという性質がある。磁場により『電流』を生み出すのである。


 ただ、光の場合は少し複雑になる。デバイス表面の金属粒子が持つ自由電子が、光を受けることで振動を始めて『電場』を発生させる。この電場と、光自体が持つ『光電場』とが共鳴して、デバイスに安定高出力の『スピン流』が発生する……という仕組みである。以降は同じだ。


 そのような内容のナジス先生の講義を聞きながら、レブンがふと思う。

(多様な入力形態だから、野外向きだよね。このゴーレムを停止させるためには、これらの入力全てを魔法で〔遮断〕しないといけないのか。うわ……面倒だな)



 ナジス先生が次の話題に入った。黒板ディスプレーの情報が一新されて、表面はっ水や、はつ油処理の問題が提示された。漢字で書くと撥水、撥油となる。専門用語を用いると、『はつ液処理』の問題ということになる。

「皆さんも薄々想像できたと思いますが、ずず」

「ゴーレムが太陽の光や熱、電磁波に振動、圧力などから起電力を効率よく得るためには、ずず」

「ゴーレム表面が汚れてしまうことを避けないといけません。しかも、ずず」

「全自動で汚れを落とす機能が必要になります。もちろん、ゴーレムは定期的に自律行動で水浴びなどをするように行動規定されています。が、ずず」

「作業効率を考えると、できるだけ水浴びなどをする時間を、節約することが重要になります」


 ナジス先生が黒板ディスプレーを見上げた。

「ゴーレムのボディ表面加工の重要性がここにあります。ずず」

「今回は、塗料を使用する場合を説明しましょう。ずず」


 塗料には、その成分である樹脂やゲルの骨格成分、添加剤、それに液体成分が混じり合っている。しかし、互いの親和性が低いと、添加剤や液体が『相分離』して、塗料の表面へ移動してきてしまうのだ。

 ちょうど、ヨーグルトの『乳清』、『ホエイ』のような状態だ。これを『離しょう』と呼ぶ。ちなみに、チョコレートの表面が白くなって粉をふく現象は『ブルーミング』と呼ぶ。


 このような説明を、鼻をすすりながら終えたナジス先生が本題に移った。

「さて、『離しょう』が意図的に、わずかに起きるように工夫した塗料をゴーレム表面に塗ります。ずず」

「これにより、水と油汚れを、両方ともに弾くことができるようになります。ずず」

「氷雪の付着に対しても効果が高いですし、ずず」

「貼りつく性質を持つ生物に対しても、高い防御効果を発揮します。ずず」


 ナジス先生の講義を聞きながら、「へええ……」と感心するレブンである。

(やはり、ゴーレム表面に塗料を塗っていたのか。土石の金属化だけでは、少し不自然な光沢だったし。僕の故郷は海中だから、網や家にフジツボや海藻が大量に付くんだよね。これ良いな、試してみようっと)


 早速ナジス先生が術式や参照情報などをまとめて、生徒たちに配信し始めた。それを受信して簡易杖に導入し、生徒ごとに最適化する。

 ナジス先生が授業の残り時間を確認した。まだ少し残っているようだ。

「ずず」

「さて……金属型ゴーレムは、土石型と比較すると、丈夫で大電力が使えますので、パワーも大きいものです。ずず」

「ですが、不心得者の精霊魔法使いや妖精、ソーサラー魔術使いどもによる、〔電撃〕や〔光線〕、電磁波攻撃には、残念ながら構造上、ずず」

「弱いのです。特に、ゴーレムを動かす行動術式を演算する『コア』部分は、影響を受けやすい構造ですね。ずず」


 ナジス先生の話に同意するレブンである。確かに金属型ゴーレムが、〔雷撃〕や〔レーザー光線〕や強い磁石に弱いというのは広く知られた話だ。さらには熱にも弱い。


 ナジス先生が再び鼻をすすって、傾いた姿勢を別の方向へ傾けた。足が疲れたのだろう。

「そこで、今回は『コア』部分の強化も行います。ずず」

「これは教育指導要綱には書かれていませんので、よく注意して聞くように」


 再び鼻をすすったナジス先生が、焦げ土色の髪の先を肩あたりで振って軽く咳払いをした。ちょっと得意気になっているようにも見える。

「コア部分は超電導状態です。この環境で電子と光子の中間の性質を持つ『特殊な素粒子』を発生させ、それを使って『量子演算』を行います。これは『マヨネズ粒子』と呼ばれる、電気的に中性で、光子と同じスピン回転をする素粒子です。これにより、外部からの電撃、光線、電磁波による干渉を無視することができるようになるのですよ」


 生徒たちの間に、どよめきが静かに広がった。3年生も口を開けているので、知らないのだろう。魔法世界の教育方針が変わったという噂は、どうやら本当のようである。


 早速、ナジス先生が生徒たちの簡易杖に、術式パックと関連情報、参照情報を送信し始めた。レブンの意識が少し眠くなったので、慌てて気を入れ直す。

(おっと、いけない。予想以上に大容量の術式量だ。これだけでも、もしかすると、今までの授業で教えてもらった術式や情報の量よりも大きいかもしれないな。先生を送り出した団体も、少し本気になってくれたのかも)



 通信時間がさすがに数分間ほどかかるので、その間にナジス先生が改めて簡単にこの魔法を、以下のような内容で説明し始めた。


 ゴーレムを動かし仕事をさせる『コア』は、量子演算回路が標準だ。杖のような魔法具や、室内作業用のゴーレムでは、耐久性や周辺環境も過酷ではないので、電子や光子を使って量子演算をすることが普通である。


 しかし、今回のような野外で半自律作業を行うゴーレムの場合は、それでは不安定になりやすい。

 量子回路を走る光子や電子が、周辺環境から干渉を受けて機能しなくなるからだ。雷を1発受けただけで回路が壊れてしまうようでは、よろしくない。


 解決方法としては、光子や電子を、もっと安定性のある『他の素粒子』で代用すれば良い。

 そこで、今回使われることになったのがナジス先生が話していた『マヨネズ粒子』である。これは電気的に中性な上に、周辺環境からの干渉を受けにくいという特徴を持っている。光子は電気的に中性ではあるが、周辺環境からの影響を受けやすく不安定なのだ。


 しかし、このマヨネズ粒子は特定の条件の下でしか発生しないという難点がある。光子や電子と違い、どこにでもある素粒子ではない。

 今回のゴーレムのコアの場合では、超電導状態の量子演算基板の上に、特殊な絶縁体をスプレーして覆う。この絶縁体は、その内部だけが絶縁状態で、表面は超電導状態に非常に近い導体という『トポロジカル絶縁体』と呼ばれるものだ。


 この処理をした量子演算基板は、スプレー層内は『絶縁』状態で、そのスプレー表面は基板の影響を受けて『超伝導』状態という、『トポロジカル超電導』状態になる。この状態になると、素粒子を流すために必要なエネルギーは『ゼロ』になっている。


 しかし、当然ながらこれは『疑似的』にトポロジカル超電導状態にしているので、本来の状態と比較すると『不完全』なのだ。が、この不完全さが原因で『特殊な量子状態』が発生するのである。マヨネズ粒子の発生だ。


 後は、基板に量子演算回路と魔法回路をプリントして、この粒子を使って術式を走らせれば良い。マヨネズ粒子自体の振る舞いは一般の物理法則に則っているので、ウィザード魔法の魔力もそれほど必要ない。

 本来、この『特殊な量子状態』を発生させるには極低温環境が必要なのだが……それを魔法を用いて、物理法則を局所的に〔操作〕して実現しているだけである。ゴーレムの長期安定駆動には適した魔法と言える。


「ですが、ずず」

「この粒子は、反物質とも強い関わりがあります。ずず」

「さらに、宇宙創成にも関わる重要なものなので、取り扱いには注意が必要です。ずず」

「術式パックのサイズが非常に大きいのも、その安全性確保のための〔保安用〕術式が大量に含まれているからですよ。ずず」

「なお、高度に量子暗号化されていますから、術式の〔解読〕をしようとしても無理ですからね」


 ナジス先生の注意にガックリするレブンである。男子生徒を中心に、他の生徒たちも多くが落胆したようだ。


 そうこうする内に、ようやく術式の導入と個人向け〔最適化〕が完了したようである。ナジス先生が、珍しく視線を生徒たちの顔に戻した。生徒たち全員が手元に表示させている、〔空中ディスプレー〕画面の設定完了シグナルを、教壇から確認してうなずく。

「無事に術式導入を完了しましたね」


 そして、流れるような視線の動きで、黒板ディスプレーそばの1体のゴーレムを見る。

「では、このゴーレムを起動させましょう」

 瞬時に起動したゴーレムが、直立不動のまま、全身から鈍いオレンジ色をしたガスを発散した。ガスはたちまちの内に教室中に充満していく。


 ナジス先生がヘラヘラ笑いを浮かべたままで、《バタリ》と床に頭から倒れて動かなくなった。

 生徒たちの間から悲鳴が上がるがガスの充満が速く、彼らもあっという間に昏倒して床に倒れて気絶していく。級長のレタック・クレタはバントゥ党の幹部なので、取り調べ中なのか教室にはいない。そのために、生徒をまとめる人がおらず、パニックになっていった。

 悲鳴を上げて教室の外に逃げようとする生徒が、扉の前でドミノ倒しになって倒れていく。


 大混乱に陥った生徒たちの中から、先程レブンが検索した狐族の男子生徒のチャパイ・ロマが立ち上がった。しかし、彼もかなり慌てている様子でパタパタ踊りを始めているが。

「皆! 落ち着けっ。ガスの成分〔分析〕を行って、〔防御障壁〕を展開するのが先だ! その後で、〔解毒〕の法術を適用すれ……うぎゃ」

 演説の途中で、ガスに巻かれて昏倒してしまった。そのまま、ピクリとも動かなくなっている。


 レブンも簡易杖をガスに向けて〔分析〕をしていたが、ガスの勢いが強烈で、あっという間にガスに包まれてしまった。

「あ、ヤバイ。これは……やば……」

 レブンの意識が《ブツリ》と切れて、何も見えなくなり、何も聞こえなくなり……そして何も感じなくなった。平衡感覚がなくなり、頭に強い衝撃が走ったのを最後に……意識が途絶えた。




【魔法工学クラス】

 運動場を挟んだ向かいの東校舎2階ではドワーフのマライタ先生が、選択科目でアンドロイドの日常メンテナンスについて、講義と実習を行っていた。教員宿舎カフェや用務員で採用された同タイプのアンドロイドでの実習である。

 そのアンドロイドの首の骨辺りを開いて、中のメンテナンス用の端子穴に触れる。すると、端子穴から空中ディスプレーが発生して、メンテナンス作業画面が映し出された。文字はウィザード語であるが、この魔法学校の生徒たちは問題なく読むことができる。


 そのディスプレー画面の情報を、マライタ先生が生徒たち全員に共有させる。赤いクシャクシャ癖毛で頭から頬から顎までびっしりと覆われているマライタ先生だが、少しは散髪したのだろうか、心持ち整った印象だ。 

 相変わらずの白くて巨大な歯をズラリと見せて話している。

「前回、作成したミニチュアアンドロイドと基本的には同じ設計だ。残念だが、これまでの騒動に巻き込まれて全て破壊されてしまったがな。ドワーフ世界から、補充のミニチュアアンドロイドの作成キットが届くまでは、このカフェのアンドロイドで代用を……ん?」


 マライタ先生がその太い赤毛のゲジゲジ眉をひそめた瞬間、教室の中で警報音が鳴り響いた。同時に警報の内容を記した空中ディスプレー画面が、いくつも出現する。これはウィザード語ではなく、ドワーフ語だ。


 それを一目見たマライタ先生が大きな鼻を膨らませ、ため息をついて生徒たちの顔を見た。

「まーた緊急事態だ。向かいの西校舎1階の、ナジス先生のクラスで死者が多数出ている。今日の授業は、残念だがここまでだな。皆、迅速に寄宿舎へ『歩いて』避難するように」

 軽く頭をかく。

「前回のような、生徒全員強制〔テレポート〕は、今回は使えないんだ。帰省している生徒まで強制的に、故郷から寄宿舎へ〔テレポート〕させてしまうからな。長距離の自動〔テレポート〕は、座標設定にエラーが起こりやすい。土中や水中、空中数百メートルとかへ、座標誤差で出現したら、また大騒ぎになるんだよ」


 瞬時に反応して、席から勢いよく立ち上がったのはムンキンだった。早くも臨戦態勢になりつつある。

「ちょ、ちょっと待てよ。今、ナジス先生の選択クラスに出ているのは、レブンじゃないか!」

 警報を止めて、ディスプレー画面も消去していくマライタ先生に、ムンキンが食ってかかる。

「マライタ先生! 一体、何が起きたんだよっ。教えろ!」


 同じ授業に参加していたムンキン一党メンバー数名も、ムンキンに合わせて席から立ち上がり、マライタ先生の立つ教壇に駆け寄ってくる。その中には、先程の大乱闘の主犯格の1人だったバングナン・テパの姿はなかった。やはり彼も、取り調べの最中なのだろう。


 マライタ先生が丸太のような太い腕をグルグル振り回して、ムンキンたちを追い払い、そのクシャクシャ赤毛頭を無造作にかき上げた。

「監視カメラや測定器からの情報を総合すると、ゴーレムから『毒ガス』が噴射されたようだな。それと、何かの『病原体』も噴射している。今は無策で救援に向かってはいかんぞ。毒ガスと生物兵器の餌食になるだけだ。あと数分もあれば、毒と病原体の分析、同定が終わるから、それまで待て」


 マライタ先生にそう言われると、「ぐぬぬ……」と唸るしかないムンキン党である。

 〔防御障壁〕では毒や菌も弾くことはできるが、そのためには何の毒か、菌やウイルスかを『特定』しないといけない。未知なるモノには〔防御障壁〕が効かなかったりする事が多いからである。


 マライタ先生が寄宿舎までの避難経路を素早く算出して、空中に矢印をいくつも発生させて案内標識にしていく。現在の風向きや、毒ガスや病原体を含む空気からの安全距離を、演算変数に加えたのだろう。

「とりあえず、寄宿舎まで一時避難する。風上だからガスや病原体も簡単には届かないし、寄宿舎には専用の〔防御障壁〕用の魔法場サーバーがあるからな。未知の毒ガスや病原体でも、風と炎の壁で、ある程度は防御できる。行くぞ」


 マライタ先生が教室の扉を開けて廊下へ出て、生徒たちの避難誘導を始めた。ムンキンが苦虫を噛み潰したような表情になっている。

「うぐぐ……今は避難が最優先か。仕方がないな。レブンのことは、俺たちの安全が確保できてから対処する。野郎ども、俺に続け」

 ムンキンが先頭に立って、ムンキン党と他の生徒たちを誘導した。そのまま、廊下を駆け足で矢印に従って避難していく。ムンキン自身は、相当にイライラした表情で尻尾を振り回している。

「レブンよ。もう死んでいるだろうが、心配するな。すぐに〔復活〕させてやるからな」




【幻導術クラス】

 ミンタはその頃、レブンの隣の教室でウィザード魔法幻導術のプレシデ先生の選択授業を受けていた。授業内容は、法術のマルマー先生や招造術のナジス先生とは異なり、何も目新しい内容はなく、ミンタが既に履修したものばかりであった。

 当然、半分居眠りしていて、金色の毛が交じる尻尾もデレンと垂れている。

(クモ先生の古代語魔法授業が、もっと増えればいいのになあ……木星の磁場〔操作〕、やっとコツがつかめてきたのに)


 どうやら、あれから何度か木星まで行き来して自習をしているようだ。

 エックス線バースト現象それ自体は、今回は半年間ほど断続的に続きそうなので自習も容易である。先行してニュートリノの変動が前触れとして変化するので、その後でやって来るエックス線バースト波を〔予測〕しやすい。


 そんなミンタであるが、やはりというかドワーフ製警戒システムほど鋭敏ではない様子だ。マライタ先生が避難を開始し始めてから、ようやく隣の教室の異変に気がついた。教室ごとに簡易〔結界〕で包まれているので、伝わってくる魔力場の量が非常に少ないことも影響している。

 ミンタの眠気が吹き飛んで、ガバッと起き上がった。

「生命の精霊が大騒ぎを始めてる……! 廊下にいる虫が次々に死んでるわ。先生! 隣の教室で何か魔法事故が起きたみたいです」


 プレシデ先生に早口で告げながら、ミンタが簡易杖を黒板ディスプレーに向けた。当然、黒板ではなくて、その壁の向こう。ナジス先生のクラスの状態を〔診断〕する。

 フワフワ毛皮の頭に2本走っている金色の縞模様が、彼女の魔力に反応して「キラリ」と輝き出した。口元や鼻先の細いヒゲ群も両耳と共に、一斉に壁向こうに向けられている。


 プレシデ先生はミンタに突然授業を中断されたのだが、特に怒っていない。しかし、隣のクラスにも関心がない様子である。

 かなり癖のある黒い煉瓦色の長髪は、頭の後ろで束ねられていて、その毛先が四方八方に跳ねている。同じく褐色の肌をしている顔に刻まれた細い吊り目の瞳も、いつもの黒い深緑色で、流れ作業モードのままだ。服装は先生らしいスーツに革靴なのだが。

「隣は隣です。授業を続けますよ、ミンタ・ロコさん」


「以上のことから、術式の〔解読〕には暗号解読という大きな障壁があるのです。特に、量子暗号は厄介ですね。そこで次に考えられたのが、術式そのものではなく、術式を使用した際に発生する『魔法場の痕跡』を手掛かりにする手法です。これを〔側溝攻撃〕と呼びます」

 どこまでも平然とした口調である。

「魔法発動によって発生した、魔法場の痕跡の特徴には、かなり個性が出ます。それを事例集と〔参照〕して術式を〔解読〕します。非接触で暗号解読できるという利点がありますが……」


 ミンタが再び席から立ち上がった。イスがひっくり返って大きな音を立て、他の生徒たちも驚く。生徒たちと先生の視線が向けられたミンタは、簡易杖を黒板の向こうへ向けたままで、手が震えていた。

 手元には〔診断〕結果を表示する〔空中ディスプレー〕画面が浮かんでいる。そこには、大きく目立つエルフ語と精霊語が点滅していた。

「隣、全員死んでる! 先生っ。緊急避難を要求します!」

 同時に、校舎中にドワーフ製警報機の音が鳴り響いた。




【ヒドラの洞窟】

「……う」

 レブンの目に、木の枝葉が茂る樹冠が見えてきた。

 どうやら木の根元から上を見上げているようで、急速に意識が明瞭に戻っていく。森の匂いと、土の匂いがして、後頭部に森の下草の葉が当たる感触がした。

「ここは……ああ。古代遺跡がある洞窟の入口か。ええと……」


 体に力が入るようになったので、上体を起こして周囲を見回す。確かに、ここはワームゾンビ群を収納している古代遺跡につながる洞窟入口だ。レブンがもたれている木の幹には、〔テレポート〕魔術刻印が刻まれている。


(あ。そうか)と思い、5本指手袋の手首部分に巻きつけてあった『リボン』を見る。

 以前にこの洞窟探検用にペルとミンタ、ラヤンが共同で作った、緊急避難用の〔テレポート〕術式が織り込まれたリボンだ。あれから様々な事件が起きて、外すのをすっかり忘れていた。


「このリボンが『起動』したということは、僕は一度『死んだ』ということか。あっけないものなんだな。死んだことに自分でも気がつかないなんて。頭を確か強打したはずだったけれど……それも治ってる」

 リボンの術式に〔治療〕法術も編み込んであったのだろう。ミンタとラヤンに感謝するレブン。


「ええと……つまり、ナジス先生の教室でゴーレムを起動した直後に、ガスが大量に発生した……場面までは覚えている。その後で死んだのか。ということは、毒ガスだったのかな」

 レブンが半分ほど魚頭に戻りながらも、努めて冷静に分析し、自身の白い制服の長袖シャツの袖の臭いをかいでみる。

「んー……無臭の毒ガスだったのかな」


「回復しましたね、レブン君。私が君の衣服や体内に残っている致死性の毒ガスと、ついでに致死性の病原菌を〔消去〕しました。ちなみに悪臭が少々していましたよ。硫化水素を含む硫酸ガスと、高濃度の炭酸ガスが主な構成でした」

 聞き覚えのある声がして、レブンが洞窟の入口に顔を向ける。


 そこには墓用務員の姿があった。相変わらずの薄いゴマ塩状態の頭の、冴えない中年小太り男である。作業服は、ちょっと泥などで汚れているようだ。

「〔消去〕しないと、君は何度も即死と〔蘇生〕を繰り返すことになりますからね」


 レブンが立ち上がって、墓用務員に挨拶をした。この辺りレブンらしい。

「墓さん、こんにちは。そうですか、どうもありがとうございました。やはり、即死性の毒ガスでしたか。おかげで助かりました」

 礼を述べてから、首をかしげる。

「でも変だな。あのゴーレムには、そんな装備や術式なんて見当たらなかったのですが。普通の授業実習用のゴーレムでしたよ。長期の半自律型での野外作業を想定してはいましたが」

 制服の土汚れを軽く手で払い落として、更に首をかしげるレブンである。


 それを見て柔和な笑みを浮かべた墓であった。

「体力も回復しましたね。良かったですよ。君のシャドウも無事のようですね。認識できなくても仕方がなかったと思いますよ。あの毒ガスと病原菌は半分がバジリスクが棲む異世界のものですから。即死するしかないでしょうね」

 墓が空を見上げてから、視線を戻す。

「このバジリスクは異世界の金星に棲んでいるようですね。金星の大気も一緒に吐き出しています。精霊場も帯びていますね。バジリスクの毒ガスと併せて、それを受けてレブン君が亡くなったのでしょう」


 陽だまりで世間話をするような、墓用務員の気楽な口調の説明に茫然とするレブンである。

 金星の大気には酸素はほとんど含まれていない。二酸化炭素が主でこれに硫酸が含まれる。猛毒だ。更に金星の精霊場が加わっているので、魔法場汚染も加わる。そしてバジリスクが吐く毒ガスだ。即死は避けられない。

「え!? そ、それって大変な事態じゃないですか。学校の先生も生徒も、全員が即死してしまいますよ」


 ……が。墓は依然として微笑んだままである。

「問題ないと思いますよ。地球上で金星由来の魔法場が発生しました。しかも獣人世界ではなくて異世界の魔法場です。因果律にすぐに触れてしまいますよ」


(あ……そうか)と思うレブンである。ハグ人形も折に触れて同じようなことを話していたと思い出した。

「そ、そうか……では、因果律崩壊を起こして、僕たちの世界から弾きだされてしまうんですね」


 ここでようやく、墓用務員の表情が少しだけ真面目になった。

「毒ガスも病原菌も、それは分かっている様子ですけれどね。自身の魔力をどんどん『劣化』させて、この世界に残ろうとしています。が、それはつまり……『普通』の弱い毒ガスと病原菌に『変化』するということです。そろそろ、君たちでも充分に対応できるようになりますよ」


 毒ガスと病原菌に、そのような高度な知能と戦略眼があるとは、なかなか思えないレブンであったが……ここは素直に墓用務員の言に従うことにした。何しろ、命の恩人である。

 それよりも、レブンの頭には別の疑問が湧き上がってきていた。多分、こちらの方が毒ガスよりも重要だろうと予感する。

「あの……墓さんは、どうしてここに居るのですか? 確か、墓所は新たな〔ステルス結界〕に覆われて、ここからの侵入は『不可能』になったはずですが。実際に、僕が有するゾンビワームたちも、墓所を〔察知〕できていません」


 墓用務員の表情が、さらに真面目なものに変わった。

 柔和な笑みもほとんど消える。レブンを見て、(話そうか……どうか)少しの間迷いがあったが、それも数秒で決めたようだ。困ったような顔になって口を開いた。

「実はですね……死者の世界の貴族の策に嵌りまして、しばらくの間〔ロスト〕していたのですよ。ハグも一緒に〔ロスト〕していましたが、今は〔復活〕していますのでご心配なく」


 目を点にしているレブンに、優しく微笑みながら話を続ける。

「そのことが、墓所の住人の間で話題になりました。結論として、この世界で勝手に潜入している『全て』の異世界人の『違法な拠点』と、隠密潜伏している工作員のステルス装備や魔法を〔解析〕して、『強制解除』しようという事になりました」

 ますます目が点になっていくレブン。

「今までは、特に悪さをしていなかったようですので無視していたのですが……我々に危害を加えてくれば、話は別になります。それで、私がこうして準備のために呼び出されたのですよ。そろそろ変更作業が『完了』する頃です」


 既に顔が完全にマグロの頭に戻っているレブンであった。両目が白黒して、青磁のような銀色の大きな魚の口がパクパクと動いている。

 慌てて簡易杖をポケットから取り出して、短期記憶をそのまま杖に〔記録〕する。リアルタイムでの映像記録には及ばないが、それでもかなりリアルな映像で〔記録〕できる魔術である。ただ、短期記憶なので、60秒以内にこの魔術を使わないと、脳内の記憶が先に失われてしまうという欠点があるが。


 簡易杖を確認して、無事に〔記録〕ができていることを確認し「ほっ」とするレブンである。少しだけセマン顔に戻った。

「あ、あの、墓さん。僕の想像が正しければ、学校の多くの先生方は『秘密裏』に魔法場サーバーを設けています。そのステルス偽装も『全て無効化』される、ということですか?」


 墓用務員が朗らかな笑顔でうなずいた。

「そうですよ。私たちの安眠を妨害する人たちには、退場してもらいます」


 ふたたびレブンの顔が魚に戻る。その魚口をパクパクさせながら、墓に食い下がった。

「僕たちが困ります。先生方が追い出されては、魔法の勉強ができなくなります。学校も閉鎖になってしまいますよ」

 その指摘を受けて、初めて墓の表情が人形のようになった。考えていなかったようだ。

「……ちょっと、待って下さい。今、墓の住人で話し合っています」


 レブンがジリジリしながら待つ。しかし、時間としては数秒間ほどの間だろう。墓の表情に生気が戻った。

「君の指摘を『検証』しました。一理ありますね。魔法学校が閉鎖になっては、私たちの情報収集にも支障が生じます。目的である、墓所の〔ステルス結界〕や防御システムの改良にも支障が生じるでしょう。魔法学校の敷地だけは、今回の措置の『例外区域』とします。学習上、必要な魔法場サーバーは『全て』学校の敷地内に移動して下さい」


 ほっとするレブンである。が、少々ジト目になった。

「僕のような一生徒に伝えるよりも、シーカ校長先生に直接伝えた方が良いと思いますよ?」

 墓もジト目になって答えた。

「それはできません。私たちの正体を知っているのは、貴方たち『特定の者』だけですから。また、歴史〔改変〕をすることになりますよ」


「う……」

 ガックリと頭を垂れるレブン。生徒がいくら言ったところで、先生たちが素直に秘匿サーバーを学校内へ移してくれるわけがない。(また大騒動になるなあ……)と思うレブンである。


 墓用務員はレブンの心の声を知ってか知らずか、微笑みながら妥協案をもう1つ提示してきた。

「そうですね……移動、設置のための『猶予期間』が必要ですね。一斉に全世界の隠れ家や隠密工作員を暴くことは止めておきます。3日ぐらいかけて、ゆっくりと実行しますよ」


 レブンが曖昧で固めの笑みを口元に浮かべた。ひきつった笑みとも言う。

(妥協して3日間だけか……それって、一斉に暴くよりも混乱の度合いが激しくなるんじゃ?)

 一方で思い直す。

(いやいや。墓所にとっては、その方が情報収集が行いやすいかな。墓さん1人でやるみたいだし)

「分かりました。僕らだけでは、大したことはできませんが……それでも最善を尽くしてみます」

 レブンのある意味、悲壮な決意を含んだ返事に、ニコニコしながらうなずく墓である。

「がんばって下さいね」



 レブンが気持ちを切り替えて、別の質問を墓にした。

「気になっていたのですが……この世界には、他にも多くの古代遺跡というか『墓所』があるのですよね。彼らも同意しているのですか?」


 墓が肩をすくめた。

「いえ。現状では、覚醒している墓所は我々と、もう1ヶ所だけです。我々が呼びかけても、どこの墓所も、まず返事はしてきませんよ。相変わらずゴミ捨て場などに、魔法の武器を埋めて釣りをしていますね。我々も、貴方たちによる偶然の発見が起きなければ、眠ったままでした」


 そう言われると、レブンも何も言えない。調子に乗って、墓所の罠や保安術式を全破壊した張本人である。その様子を楽しんで見ているような墓が、話を続ける。

「まあ、しかし。我々が眠りから起きたという『事実』は、他の墓所にも知れ渡っています。都合が悪くなったり、興味が出たりすれば、自発的に他の墓所も使いを寄こしてくるでしょう。墓所も土中だけにあるわけではありませんしね。墓所によって関心事も様々なのですよ」




【森の中】

 その後レブンは墓と別れて、洞窟の中に収納していた7体のゾンビワームの背に乗って、学校へ急いで救援に向かった。


 ……のであるが、森の中でパリーに見つかって、通行止めを食らってしまった。

「あら~レブン君~。なにそのゾンビ~。森の中を爆走して~良いとでも思ってる~?」

 有無を言わせない圧倒的な迫力を出して、レブンに迫って来るパリーである。姿はどうみても、そこら辺の赤毛の女の子なのだが。

 先日、エルフ先生に叱られたせいか、機嫌がかなり悪そうだ。

 腰まで伸びた赤いフワフワ髪の先が、ヘビか何かのように不気味な動きをしている。足元からも次々に木の芽が強制発芽していて、周囲が急速に深い森になっていく。


 冷や汗をかいて、顔が半分以上魚に戻ってしまったレブンである……が、それでも必死に状況を説明した。手足にツタや草が生えてくるので、それを引っこ抜きながらではあったが。

 ゾンビワームも崩壊して灰を撒き散らし始めたので、かなり焦り気味だ。


 決め手は、「墓用務員との時のように、学校が閉鎖になるかも」という訴えであった。トドメに「エルフ先生が失業する恐れがある」ことも伝えると、ようやく態度を一転させるパリーである。

「も~。そんなに大変なら~先に言いなさいよね~。危うく君を~虫とかに~〔変換〕するところ~だったじゃないの~」

 のんびりした声で容赦ないセリフを吐くパリーに、冷や汗を滝のように流すレブンであった。

 最後に体から生えてきていた木の芽を、引っこ抜いて地面に捨てた。体からは血も出ずに、傷も見当たらないのだが、恐怖感は相当のものだ。

(た、助かった。カカクトゥア先生が言っていた、『森に食われる』って、こういう事か)


 本当に、妖精の考えることはよく分からない。とにかくも、道を開けてくれたことに感謝して先を急ごうとするレブン。


 ……であったが、彼の背にパリーが乗りつけてきた。

 レブンは長さ数メートルのゾンビワームの背にまたがっているのだが、そのレブンの背中に垂直に立って、レブンをサンダルで踏んづけている。

 レブンの背中に『しっかりと』パリーの体重を感じるので、重力が働く方向を〔操作〕しているのだろう。実際に、パリーの長い赤髪と寝間着のような服も、レブンの背中に向けて垂れている。レブンの背中に垂直にパリーが突き刺さっているようにも見える。


 パリーがニコニコしながらレブンに指図した。もう、ご機嫌のようだ。

「よいしょ、と~。これなら~汚い~臭い~ゾンビに触れずに~、君と一緒に~学校まで行けるわね~」

 そして、背中の上でピョンピョン跳ねた。「ドスドス」と結構な重量の衝撃が、レブンの背中から腹に突き抜けていく。

「さあ~出発だ~いけ~ゾンビ使い~」


 ジト目になっているレブンが辛うじてセマン顔を維持したまま、ゾンビワーム群を走らせ始めた。灰が全身から、「ぶわっ」と吹き上がったが、表面だけで済んだようだ。活動には特に支障はなさそうで安堵する。

「どうせ僕は死霊術使いですよ。パリーさん、落ちないようにお願いしますよ」


 森の先住民である猿顔や猫顔の原獣人族が、巨大なゾンビワーム7体の高速疾走に驚いて、森の中を逃げまどっていく。時折、マンティコラやヒドラが〔ビーム〕攻撃や〔石筍ミサイル〕を発射して攻撃してきたが、その程度では何ともない。反対に跳ね飛ばして、連中を木々の幹に叩きつけるゾンビワーム群である。


「へ~。なかなか丈夫じゃないの~」

 パリーがレブンの背中を垂直方向に踏みつけながら、吹っ飛ばされて気絶しているマンティコラやヒドラを見送る。

 レブンも少し得意気な表情になった。

「そうですか? 森の妖精さんに、そう評価してもらえると嬉しいですね。帰る際は、土中をゆっくりと進ませますので、森の中が騒々しくならないと思いますよ」

「いい心がけね~。そろそろ~学校だよ~」

 パリーが指摘した通り、その数秒後には森の中を抜けて、いきなり視界が開けた。ちょうど、運動場の端に出たようだ。




【運動場】

 割れた陶器の山みたいなものが、運動場の真ん中あたりにあるのが見えた。そのそばには、エルフ先生とノーム先生がライフル杖を肩に担いで、何か話し合っている姿が見える。校舎の窓には、多くの生徒たちが身を乗り出して見物している。

 迫撃砲や対戦車砲のような魔法武器で武装している駐留警察部隊と軍の警備隊も、運動場には入らず待機しているままだ。


 エルフ先生が突如森の中から出現した7体のゾンビワームを見て、「ギョッ」とした表情になった。しかし、すぐにレブンとパリーの姿を確認して、構えていたライフル杖を下ろす。

「レブン君、どうしたの? それ、洞窟内に収めたゾンビワームでしょ」

 ノーム先生もライフル杖を下ろして、銀色の口ヒゲとあごヒゲを片手で撫で下ろした。

「もしかして、ゴーレム退治の助っ人として呼んだのかね? もう、全て片付いたよ」


 運動場の隅では、即死したはずのナジス先生が生徒たちと共に何やら嘆いている。そのそばには、豪勢な法衣姿のマルマー先生が、「疲れ果てた」と言わんばかりに仰向けになって寝転がっていた。スンティカン級長とラヤン先輩たち、法術専門クラス生も、同じように疲れて寝転がっている。

 マライタ先生はウィスキーを飲みながら、何やら空中ディスプレー画面を操作しているようだ。


 そんな状況を察して、安堵のため息をつくレブンであった。

「僕の杞憂だったか。さすがですね。そのゴーレムは〔雷撃〕や〔光線〕攻撃に耐性があるはずなのに。毒ガスや病原菌もばら撒く、厄介な追加機能までついていたんですよ、それ」


 エルフ先生がライフル杖を再び肩に担いで微笑んだ。

「金属型のゴーレム相手には、〔ガンマ線レーザー〕がよく効くのよ。覚えてきなさい。コアの量子演算回路や魔法回路は、放射線被曝に弱いのよね。今はもう、〔浄化〕処理したから放射線を発しないわ。普通に触れても大丈夫よ。もうただの『焼けたレンガ』だから」


 ノーム先生はライフル杖を〔結界ビン〕に早くも収納している。

「毒ガスと病原菌も、ドワーフのマライタ先生がすぐに〔分析〕してくれたよ。なぜか勝手に毒性が加速度的に弱くなっていったけれど、数分で中和、消毒殺菌を完了できた」

 墓の予想通りである。

「毒ガスを浴びて死んでいたナジス先生や生徒たちも、法術のマルマー先生の活躍で〔蘇生〕できた。ただの心肺停止で、脳死まで至っていなかったから、〔蘇生〕の悪影響も無かろう。まあ、しょせんはウィザード魔法のゴーレムだからな、対処も色々と確立されているんだ」

(え、そうなの? てっきり死んだものと思ってたけど……)

 思わず反論しようとしたレブンであったが、何とか我慢した。この点は、墓の予想が外れた様子である。


 レブンがゾンビワーム群に、穴を掘って土中を進んで戻るように指示する。パリーは非常に退屈そうな顔になっているが、とりあえず今は無視するレブンだ。

 校舎の窓から、ムンキンとその一党が手を振っているのを見つけて、レブンも軽く手を振った。

「僕が思っている以上に、防衛力が強化されているんだなあ。ああ、そうだ。先生たちに墓さんからの通達を伝えないと」


 レブンが自分の簡易杖に〔記録〕した情報を、エルフ先生とノーム先生に伝えた。歴史〔改変〕前後の記憶が残っている数少ない先生なので、レブンのもたらした情報を理解した様子である。それでも、かなり驚いているが。

 特にノーム先生の表情が深刻なものに変わっている。

「墓所の連中め、また余計なことをしおったのか……これは、いよいよ授業どころではなくなってきそうだわい」


 ノーム先生が情報を全ての先生に向けて送信しつつ、校長先生や、関連省庁、警察や軍、そして恐らくノーム世界の政府にも伝えながら、銀色の口ヒゲとあごヒゲを数回撫でた。


 エルフ先生はまだピンと来ていない様子だ。両耳の先が不規則に上下運動を続けている。

「ラワット先生。墓用務員の忠告の通りだとしても、違法設置した魔法場サーバー拠点や、ステルス装備で潜伏して諜報活動をしている情報部員ぐらいしか困らないと思いますが……何か重大な事故が起きる可能性があるのですか?」

(そう言えば、そうだな)と思い直したレブンだ。パリーはヘラヘラ笑ったままである。


 ノーム先生が口ヒゲを手でかきながら、エルフ先生の顔を見上げた。やはりまだ、深刻な表情のままである。

「カカクトゥア先生の派遣元の、エルフ世界ブトワル王国は、正式にタカパ帝国と文書を交わしておるからな。違法行為もしておらんようだし、特に何も困ることは起きないだろう」

 当然のような顔をするエルフ先生である。警官なので法令順守は絶対だ。


 しかし、ノーム先生は少し違うようである。話を続ける。

「僕自身の授業内容にも大した影響は出ないよ。ただ、社会性のない偏屈なノームの研究チームが不法侵入していて、勝手に研究所を作っているんだよ。彼らの〔ステルス結界〕が無効化されると、ノーム政府としては困ることになるんだ。その『対処』に僕も駆り出されることになるだろうから、授業をしばらくの間、休講にしないといけなくなる」

(ああ、なるほど。そういう危惧か)と、納得するエルフ先生とレブンであった。パリーは、あくびをして運動場に座り込んでしまっている。


 ノーム先生の周囲に、いくつもの緊急通信用の〔空中ディスプレー〕画面が発生し始めた。それらを、全て着信拒否にするノーム先生である。1つだけ、本国世界の警察上司の顔が映った画面だけ表示しているが、これも通信を一時停止している。

「他の先生は……もっと大変な事態だろうね。僕たち精霊魔法使いは精霊と『契約』するから、魔法場サーバーの増設を法に触れてまで強行する必要は低いのだけど、彼らは違う」

 同情気味な口調になっていく。

「大きな魔力の魔法や法術を使うには、大きな出力の魔法場サーバーが必要だからね。違法に増設したサーバーが丸見えにされたら、攻撃の的にされてしまうよ」


 パリーが座り込んだままでノーム先生の話を聞いていたが、ニヤリと微笑んだ。

「そうね~。もしそんなのがあったら~、妖精の名にかけて~叩き潰すわね~」

(うわ、言い切ったよ、この妖精)

 レブンが口元を魚に戻しながら、密かに冷や汗をかいている。(……でも、僕の故郷の海中都市の近くで、そんな秘密基地が発見されたら、自治軍もパリーと同じ反応をするだろうなあ……)とも思う。

 明らさまな領土侵略行為であるし、施設で行われている研究や魔法場サーバー管理は、魔法場汚染を周囲に撒き散らす恐れがある。


 エルフ先生もその点を理解し始めたようだ。日焼けした白梅色の表情が険しくなっていく。

「……そうか。今までは、ウィザード先生や法術先生が頑張っているなと思う程度でしたが……考えるまでもなく違法行為ですね。今までは〔ステルス障壁〕などで認識できないようにしていたので、見過ごして咎めませんでしたが……強制的に解除されるのでしたら、状況は全く異なってきますね」

 ノーム先生が固い笑みを浮かべた。

「組織の自業自得だから、擁護する気もないけどね。先生たちへ同情はするけど」


 しかし、「そうは言ってもね……」というような表情に変わる。

「ただ、そうなると、当然ながらウィザード先生や法術先生は、長期休講に追い込まれるかもしれない。魔法場サーバーが使えなくなるわけだから、授業で使う魔法ですら不自由になるはずだよ」

 サーバーが使えなくなると、必然的に魔法や法術の使用に大きな支障が出る。


 ノーム先生が銀色のあごヒゲを片手で撫でた。

「マライタ先生も多分、学校の保安警備システムの機械の一部を、学校の外に設けているはずだ。彼の部屋だけでは、とてもじゃないがシステムを収納する空間が確保できない」

 色々と想定を始めるノーム先生。口ひげも片手でつまみ始めた。

「同様に、ソーサラー魔術のバワンメラ先生もだろうな。彼は自力で魔術を使うけれど、強力な魔術を使うには、それなりの個人用魔法場サーバーや魔法具セットが必要になる。彼の部屋や教室だけでは、面積が足りないよ」



 焼けたレンガの山になっている元ゴーレムが、運動場の土に飲み込まれ始めた。大地の精霊魔法による〔吸収〕と〔分解〕である。


 エルフ先生も運動場に沈んでいく元ゴーレムを見送りながら、両耳をパタパタと上下させた。背中の真っ直ぐな金髪も、何本か逆立って静電気を放っている。

「ラワット先生の危惧する通りになるかもしれませんね。私も上司から、他のエルフ王国が秘密裏に作っている、違法な施設の探索を命じられています。それらも、これによって存在が明らかにされるかもしれません。エルフとしては恥ずかしいことですが。そう言えば、サムカ先生は大丈夫なのかしら」


「ポトリ」と、上空からハグ人形がエルフ先生の頭の上に落ちてきた。

「サムカは問題ないぞ」

 パリーの顔が不機嫌なものに変わるが、他の3人は慣れてしまったようだ。普通に挨拶を交わす。特にエルフ先生は、ハグ人形が自身の頭の上に落ちてきても慌てなくなっている。払い落とすこともしていない。


 エルフ先生が頭上のハグ人形に語り掛ける。

「ハグさん、今回の騒動はもう終わったわよ。少し来るのが遅かったわね」

「確かにね」と、レブンとパリー、ラワット先生もうなずいている。しかしハグ人形は、別の話題をいきなり持ち掛けてきた。

「ちと、〔ロスト〕しておったのでな。色々と後始末をするのに手間取った。それで本題だが、つい先ほど、カルト派貴族の拠点施設を守る〔ステルス障壁〕が、全消失しおった。警戒システムや武装も全て動かなくなっておる。言うまでもないことだが、施設は全て違法建築で、違法営業だ。このままでは、森の妖精や『化け狐』どもに発見されて、攻撃を受けるのも時間の問題だろう」


 エルフ先生が首と片耳を少し傾けた。

「良いことじゃないですか。追い出されていくのを、手を振って見送るだけでしょ?」

 至って真面目な表情なエルフ先生に、ハグ人形が口をパクパクさせる。

「忘れたのか? 奴は100万の熊とフクロウのゾンビ兵を保管しているんだが」


 嫌な予感がしてきたレブンである。口元が魚に戻ってきた。それを横目で見ているかのように、ハグ人形が話を続ける。

「その英雄、カルト派貴族のナウアケ卿からの緊急の要請が届いたんだよ。済まないが急行して、死者の世界へゾンビどもを全て〔転送〕し終わるまで『時間稼ぎ』をしてはくれまいか」


「はあ!?」

 素っ頓狂な声を上げるエルフ先生とノーム先生の隣で、レブンが空を仰いだ。

「ヤバイです……テシュブ先生」


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