43話
【大移動】
それからの動きは迅速だった。
ほとんどの生徒たちが、故郷へ戻って防衛戦に参加することを宣言したせいである。特にリーパット主従と、バントゥ党は頭に血が上ったようになって、雄叫びを上げながら興奮している。
ノーム先生の精霊魔法クラスのビジ・ニクマティ級長や、力場術クラスのバングナン・テパ級長も、専門クラスの生徒と共に気勢を上げている。
占道術クラスのライン・スロコック級長も気負っている様子だ。レブンに駆け寄ってきた。
「レブン殿! 至急、我々『アンデッド教徒』に、何かゴースト等のアンデッドを提供してくれないかっ。今こそ、アンデッドの素晴らしさを世に知らしめる好機なのだ!」
紺色のベストをつかまれて、首を揺らされるレブンだ。しかし、冷静なセマン顔で断った。
「残念ですが、スロコック先輩。僕の魔力支援が及ばない遠距離でのゴーストの使用は、推奨できません。暴走して、反対に迷惑をかけてしまうだけです」
「ぐぬぬ……」
軽く地団駄を踏んで残念がるスロコック級長と、他4名のアンデッド教徒であった。
レブンが申しわけなさそうに重ねて謝る。スロコックは魚族でも指折りの名家の長男なので、他にやるべき事があると思うのだが……ここでは指摘しない事にするレブンである。セマン顔の黒髪をかきながら、明るい深緑色の瞳を向けた。
「今回は、我慢してください。何か方法があるかどうか後日、研究しますから」
その一言で、気分を直したスロコック級長であった。青緑色の瞳をキラリと輝かせる。
「うむ。期待しているぞ」
その一方で、筋肉隆々のタンカップ先生を除くウィザード先生たちは、かなり辟易しているようだ。ソーサラー先生はどこかへ飛んで行って行方不明、マライタ先生とノーム先生は、森の中の酒の確認に飛び出していって、これも行方不明である。法術先生は、救護所から離れる訳にはいかないと『籠りきり』である。ティンギ先生は散歩中だ。
生徒たち各自が寄宿舎に戻り、装備などを整えてから前庭に集まってきた。故郷への連絡は〔念話〕や通信器を通じて取れている。今のところは、故郷が熊やフクロウ群に襲われたという情報は入ってきていない。
真っ先に前庭へ戻ってきたのはリーパット主従であった。既に頑丈な戦闘用の外骨格装備で、銃のような攻撃用魔法具と盾を持ち、ヘルメットを被っている。さらに、大きな登山用のリュックサックを背負っていた。
SF小説に出てきそうなパワードスーツ姿だ。ドワーフ製なのだろう。
「熊や鳥など、我らブルジュアン家の精鋭軍の前には手出しも何もできぬ! 行くぞ、パラン!」
先程の対熊戦でもこの魔法具と防具を装備していたのだが、すぐに魔力切れになってしまっていた。その後は、ひたすら悲鳴を上げて熊から逃げ回っているだけだったので、その反省だろう。予備弾倉や魔力カートリッジを、大量に背中のリュックサックに突っこんでいるのが分かる。それは腰巾着のパランも同様で、二回りほど大きなサイズを背負っている。
その彼も高揚しているようだ。
「はい! リーパットさま」
そのまま、勝手に〔テレポート〕して消えてしまった。
見送るのは校長だけだったが、手元の〔空中ディスプレー〕画面でリーパットたちの〔蘇生〕〔復活〕用の生体情報と、組織サンプルの状態を再確認する。まだ曇った表情のままだが、自身に言い聞かせるようにうなずいた。
「万一、亡くなっても〔蘇生〕や〔復活〕できる準備はできていますが……今は、これが最善なのでしょうね」
そして、不安そうな顔で森を見つめた。
「頼みますよ。パリーさん」
前庭には、まだ他の生徒や先生たちは戻って来ていない。事務職員だけが名簿作成や帝国各地の状況を調べているだけだ。「ふう……」と重い息を吐いて、森を眺める校長である。
次に戻ってきたのは、バントゥと竜族ラグ、それに魚族のチューバの3人だった。彼らも完全武装して、背中に大きなリュックサックを背負っている。手には新しい杖が握られていた。先程の戦闘で破損してしまったのだろう。
バントゥは一番乗りだと思ったようで、意外に上機嫌である。手下の2人にドヤ顔で振り向いた。校長は完全に無視されている。
「僕らの力を見せる時がきた。君の故郷を救えるのは君だけだ。武勲を上げて、宰相どもの鼻をあかしてやろうではないか。さあ、行こう!」
3人が腕を突き上げて吼えた。
慌てて校長が口を挟む。土まみれの尻尾がブンブン振られて、同じような両耳もパタパタ動いている。両耳の先や、口、鼻まわりのヒゲにも土埃がついたままだ。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! バントゥ君の故郷は帝都ですから、それほど問題は起きないでしょうが、チューバ君とラグ君の故郷は現在、帝国軍や警察部隊が駆けつけていません。自警団だけですよ。充分に注意して行動して下さい」
チューバがセマン顔のままで無機質な声になって答えた。黒い紫紺色の瞳の奥が冷たく光る。
「知っていますよ、その程度。だから僕が行くのです。魚族の町は海中ですからね、帝国軍は最初から当てにしていませんよ。では、バントゥさん。お先に」
そのまま〔テレポート〕して消えた。
竜族のラグも青藍色の目を据え、黄赤色の細かいウロコを膨らませて金属光沢を放ちながら、校長に視線を向けた。緊張のせいか、神経質そうに尻尾を細かいリズムで振っている。
「俺の故郷もそうだ。帝都から離れた田舎町だから、帝国軍や警察なんか来ないさ。俺の故郷は俺が守ってやる。バントゥさん。じゃあ後で」
ラグも校長の言を待たずに〔テレポート〕して消えた。
かなり不安そうな顔になる校長である。それを鼻で笑って、バントゥが高らかに宣言した。
「僕らの力を見せてあげますよ、校長先生。バジリスク幼体の退治に、ミンタたちだけを優遇した事は誤っていたとね」
校長が冷や汗をかきながらも、バントゥに聞いた。
「バントゥ君。君の仲間は他にも大勢いるでしょう。彼らはどうするのですか?」
バントゥが肩をすくめた。校長を見下すような視線になる。
「それぞれの担任の先生の指示に従うように言いましたよ。『僕がけしかけた』なんて話になっては、ペルヘンティアン家にとってよろしくないですからね。宰相と対立している勢力の筆頭ですから、余計な火種は抱え込まないに越したことはありませんよ」
さらに表情が曇る校長であったが、それでも気負っている様子のバントゥに声をかける。
「ともあれ、ケガや無茶はしないようにしなさい。万一、身の危険が発生した際には、迷わずにここへ〔テレポート〕して避難してきなさい。いいですね」
が、どこか上の空の様子のバントゥである。そのまま〔テレポート〕して消えてしまった。無言で、ただ悲しげにうつむく校長である。
【故郷へ】
その1分後。ラヤンが駆けてやって来た。警官志望なので、竜族の自警団がよく装備している防護服姿である。見た目は警察部隊が装備している防護服と大差ないので、なおさら警官のように見える。
彼女もやはり大きなリュックサックを背負っていて、法力を込めた〔結界ビン〕を大量に詰め込んでいるようだ。《ガチャガチャ》と音を立てて走りながら、手元の〔空中ディスプレー〕画面を操作してジト目になっている。
「フン……帝都や主要都市には警察や軍が展開しているから、それほど心配はいらないわね。問題は、森に近い田舎町や村か。帝国からの応援はシーカ校長先生が危惧している通り、期待できない。それと、属国や占領地にある竜族や魚族の町もね」
ムンキンもすぐに戻ってきた。彼も本格的な防護服装備で身を固めている。簡易杖も予備を数本用意して背中のバックパックに突っこんでいた。もちろん防御魔法や〔防御障壁〕も使うことができるのだが、長期戦になった場合に備えて、魔力の消費を節約するための防護服である。少なくとも、これで物理攻撃の大半は防御できる。
「そうだな。オレたち竜族は、帝国領になる前は独立国だった所が多いからな。オレは故郷の自警団に参加するさ」
やや遅れて、ミンタとペルもやってきた。彼女たちは特に武装しておらず、大きめのカバンを担いでいるだけだ。ミンタがムンキンにキラリと輝く栗色の視線を投げる。
「私の故郷は地方都市だから、警察や軍もいるのよね。彼らへの魔法支援になるのかな。ムンキンやラヤン先輩が、ちょっとうらやましいわね。大暴れしてきなさいよ」
「おう!」と勢いづくムンキンとラヤンから視線をペルに戻す。ちょっと不安そうな視線である。
「ペルちゃんの故郷は、確か田舎の村だったよね。襲撃を受けたらすぐに私を呼びなさいよ。熊の1000頭や2000頭なら、私だけで殲滅できるから」
ペルが微笑んだ。緊張して、全身のフワフワ毛皮が微妙に逆立っているのは隠しようがないが。
「うん。ありがとう、ミンタちゃん。故郷の村は木柵と堀で囲まれているから、少々の攻撃では何ともないよ。自警団もあるし、食料や水の備蓄もあるから。昔から狼族なんかの盗賊団が多い地域なんだよ」
「へえ……」と聞いているミンタの横で、ラヤンがジト目のままで首をかしげた。
「狐族って帝国民だから、良い生活をしているものばかりだと思っていたけど……違うのね。竜族の町みたいな城塞都市なんだ」
ズケズケと遠慮なく言うので、ペルの緊張が少し和らいだようだ。固いながらも笑みを返す。
「そうですよ、ラヤン先輩。田舎は治安も悪いの」
そんな話をしている間に、他の生徒や先生たちも準備を終えて寄宿舎前庭に戻ってきた。
力場術のタンカップ先生は大汗をかきつつ、自分の専門クラスの生徒たち向けに〔結界ビン〕詰め合わせセットを配っている。ただでさえ隆々としている筋肉が更に膨張して、何かの木彫りの彫刻みたいな姿になっている。
「ふはははは! この非常時を待っていたのだよ。さあ、者ども! 攻撃魔法を封じた、この〔結界ビン〕を受け取れ! 熊どもを殲滅してくるのだああっ」
「おおー!」
大いにノリノリの力場術専門クラスである。特に級長のバングナン・テパは褐色の瞳をギラギラ光らせて、狐の両耳と尻尾を逆立てている。白い魔法の手袋をした右手を振り上げて、専門クラス生徒に檄を飛ばした。
「タンカップ先生自作の攻撃魔法だっ。熊やフクロウごときにはもったいないが、故郷の皆に見せつけてやれ!」
「おおー!」
再び気勢を上げる専門クラスの生徒たち30名だ。タンカップ先生も次々に結界ビンを生徒に投げて渡しながら、一緒に雄叫びを上げている。
一方で、ソーサラー専門クラスの生徒たちは肝心の先生が行方不明なので大いに不服そうだ。物欲しそうにタンカップ先生のクラスを眺めている者も多い。リーダー格のラグもいないので、なおさら不満が高まっている。
級長が頑張ってまとめようとしているのだが、彼には少々荷が重いようだ。
他のウィザード先生2人は、かなり辟易とした顔をしていた。彼らの場合は、戦闘向けではない授業内容ばかりなので仕方がないところか。
幻導術のウムニャ・プレシデ先生はさすがにスーツ姿ではなく、趣味の花壇いじりで着る作業服にスニーカー靴である。相変わらず斜に構えた歩き方をして、専門クラスの生徒たちに一束の紙に〔幻術〕や〔心理操作〕魔法の術式を刻んだものを手渡している。
黒い深緑色で切れ長の吊り目が、今はさらに細い。その細い目が、かなり癖のある黒い煉瓦色の髪の下で鈍い光を放っている。相当に面倒に感じているようだ。
「いいですか。幻導術には攻撃的な魔法は比較的少ないのです。それ故に、最も普及している魔法でもありますが。配布したのは、敵に幻覚を見せる魔法です。攻撃予定地へ敵を誘導する目的で使用しなさい」
プレシデ先生が紙の束を手にして軽く振る。
「それと、敵の方向感覚を狂わせる魔法も加えています。これは、あなた方のお仲間が敵に襲われた際に、時間稼ぎの目的で使用しなさい。くれぐれも、前線へ出て敵と戦うような『愚かな真似』だけはしないように。〔念話〕や〔指向性会話〕、情報処理の分野に集中しなさい。組織戦闘は、情報が最重要な要素ですからね」
生徒たちも心得たもので、ほとんど気負った様子はない。普通の授業中のように返事を返している。『魔法は後方支援で真価を発揮する』というウィザード魔法の考え方から見れば、ある意味で最も『魔法使いらしい』先生と生徒たちだと言えよう。
級長のプサット・ウースス3年生が竜族特有の露草色の瞳を光らせて、専門クラスの生徒たちに顔を向けた。橙色の少し荒いウロコが、緊張で少し逆立っているようだ。
「プレシデ先生の仰る通りだ。戦闘は専門家に任せれば良い。僕たちは、彼らが存分に戦闘力を発揮できるように、環境を整える事に専念しよう。繰り返すが、組織戦闘では情報が最重要だ。肝に銘じておけ」
低い声で応じる専門クラスの生徒たち。
その生徒の中には、コントーニャ・アルマリーの姿もあった。彼女も気負った様子が全く見られず、背中に担いでいるカバンも二回りほど小さい。簡易杖で自身の肩を「ポンポン」叩きながら、〔空中ディスプレー〕画面を通じてミンタにちょっかいを出している。
「ミンター。あんまし羽目を外さないようにねー。私は商売の好機だからー、戦闘には参加しないわよー」
画面の中でミンタがジト目になっている。
「コンニー。不謹慎な事を言うなっての。そりゃあ私の家族からも、復興事業の見積もり資料に必要だからって、測量してこいとか何とか言われてるけどさ」
どうやら、早くも復興事業の入札に向けての『下調べをするよう』に、親から命じられているようだ。破壊前の写真や測量情報があれば、復旧事業に入札する上で有利になる。
コントーニャが両耳をパタパタさせて、鼻先のヒゲをモニョモニョ動かした。
「ミンタの会社は運送でしょー。道路情報だけでも調べておきなよー。私は土建会社だからさー、復興事業の主役なのよねー」
ミンタが画面の中で、呆れた表情ながらも頬を緩める。
「……そうよね。分かった。私も道路の破損状況を調べておくか。コンニーは魔力がそんなに強くないんだから、無理しないでよ。〔蘇生〕〔復活〕の法術かけるのって面倒なんだからね」
コントーニャがヘラヘラ笑いを口元に浮かべながら、生返事をする。
「はいはいー。昏睡状態になったり、死んだらよろしくー。じゃ、そろそろ行くわねー」
かなり呆れた表情をしているミンタが映っている画面を消去して、出発の最終確認を始める。意外にも、その顔つきは大真面目なものに変わっていた。
「さあてー。稼ぎ時が来たわねー」
招造術のスカル・ナジス先生は、この先生の中では最も『意欲がない』先生だろう。深い深いため息をつきながら、鼻をすすり上げている。いつもよりも更に影が薄く見えるようだ。白衣風のジャケットに両手を突っ込んだままで頭を振って、褐色で焦げ土色の髪を揺らし土埃を払い落とした。
「ずず」
「まあ、死なない程度に、適当に頑張りなさい。いくら〔治療〕の準備が完備されていても、ずず」
「ケガしたりするのは痛いからね。君たちは軍人でも警官でもないし、ずず」
「自警団みたいに戦闘訓練もしていないし、戦闘については全くの素人です。ずず」
「ですがまあ……それでは影が薄くなるから、ずず」
「適当に虫やネズミを〔操作〕して、救護所や炊き出し場の衛生管理をしたり、ずず」
「治療したり、壊れたものを直したりして、誤魔化してきなさい。ずず」
「紙製のゴーレムまでであれば、2体まで作成を許可します。それを使って、荷運び等を手伝ってきなさい。ずず」
相変わらずの、抑揚のあまり無いダラダラとした話し方だ。
専門クラスの生徒たちの半数は不服そうでジト目になっているが、残り半数は「へ~い」と返事をして同意している。まあ確かに、この招造術専門クラスで好戦的なのは、あのリーパット主従くらいしかいない。
好戦的であるのは精霊魔法クラスだが、ノーム先生がマライタ先生と共に酒を追って森の中へ消えてしまっているので、事実上はエルフ先生だけになっていた。
ノーム先生の専門クラス生徒たちも結局、面倒を見ることになったエルフ先生が、腰に両手を当てて困ったような笑顔で立っている。サムカのクラスを含めて3クラス、総勢60名プラス2名の視線を浴びる事になっていた。
「まったく……ラワット先生は。お酒さえ絡まなければねえ……さて、皆さん。自身の〔蘇生〕や〔復活〕用の生体情報と組織サンプルを、パリーに提出しましたか。それがないと、帰郷は許可できませんよ」
ミンタが代表して、大きな元気溢れる声で返事する。
「はい! 全員用意して提出しました。確認済みですっ。エルフ先生」
エルフ先生が壊れていない予備の簡易杖を出して生徒たちをスキャンし、うなずいた。さすがにもう笑みは浮かべておらず、警官の顔である。
「……はい。私も確認しました。では、〔テレポート〕を許可します。各自の簡易杖を使い、〔蘇生〕〔復活〕用の生体情報との常時接続しておくこと。こまめに最新版にしておかないと、記憶等が『欠損』しますよ」
保存してある生体情報に基づいて〔蘇生〕〔復活〕するため、その情報は最新版である必要がある。1日古いと、その1日の記憶は戻らない。
「それと、死んだら意識を失って、ここへ自発的に戻ってこれません。〔意識覚醒〕魔法も常時起動させておくように。そして、〔蘇生〕をしに学校へ必ず戻ってくること。〔復活〕魔法は、できるだけ避けるようにしなさい」
「はい!」
威勢の良い返事が返って来た。60名余りの生徒たちの士気は相当高いようだ。エルフ先生が頬を少し緩めたが、すぐに厳しい表情に戻した。
「本当は洞窟探検の時のように、全員に気絶時に発動する強制〔テレポート〕帰還の魔法具を装備させたいのだけど、今回は時間がないのよね」
リボンの量産は難しいようだ。
「あなたたち生徒が帰省先で死んでしまったら、私たちが救助隊を送ります。破片だけでも残っていれば回収して、〔復活〕時の記憶欠損を抑える事ができるけど、そうならないようにね」
そして、後ろで退屈そうに大あくびをしているパリーに振り向いた。
「じゃあ、パリー。生徒たちの〔蘇生〕〔復活〕用の生体情報と組織サンプルの保管をお願いね。実際の〔蘇生〕や〔復活〕の作業は、マルマー先生に任せて。パリーだとまた魔法が暴走するだけだし。くれぐれも、『魔力電池』として行動してよ」
「う~い。わかったあ~」
その返事だけで、現在の全校生徒360名とジャディの、生体情報の〔更新〕と〔保管〕が完了した。彼女の頭上に直径数メートルもの肉塊が発生する。生徒から提出された組織サンプルだ。
どよめきが広がる中、相変わらずヘラヘラ笑っているパリーが、その肉塊をツバメの群れに〔変換〕してしまった。
「これでおっけ~。こころおきなく死んでこ~い」
目を点にして、ツバメの群れを見上げるエルフ先生である。
「まったくもう……魔力の桁が本当に違うのよね」
そして、改めてキリッとした警官の表情に戻り、生徒たちに向き合った。
「行ってきなさい」
精霊魔法クラスの生徒たちが次々に故郷へ〔テレポート〕していく。やはりムンキンが真っ先に雄叫びを上げて〔テレポート〕していった。ミンタとペルも続く。やはりまだペルは少し術式に手間取るようで、他の生徒たちと比べて倍近い時間がかかっている。しかし、最終的には無事に〔テレポート〕して姿を消した。
〔テレポート〕に関しては、リーパット主従を除くとペルが校内最下位だったので、ほっと安堵するエルフ先生だ。そして足元のジャディを見て、軽く金髪をかいた。彼はまだショックで放心状態のままだ。
「さて、と。いつまでも、ここに寝かしておくわけにはいかないわね」
ジャディをとりあえず寄宿舎屋上に運んで、寝かせてきたエルフ先生が前庭に戻ってきた頃には、ほとんどの生徒が〔テレポート〕を終えていた。
残っているのは、なぜか魚族が多いようだ。レブンもその1人で、腕組みをして考え込んでいる。上空を飛び交っていたツバメの大群も、今は森の中に飛び去っていた。
「あら。どうかしたの? レブン君」
エルフ先生がレブンに尋ねると、レブンが顔を上げて難しい表情をした。
「はい。先程、僕の故郷の自治軍から回答がありまして、僕は不要だと言ってきました。確かに、組織戦闘の訓練をしていませんし、足手まといになるだろうなと思います。代わりに、町内会で組織する自警団に参加しても良いのですが、ここは専ら災害救助や避難誘導が主な仕事なんです。僕が行っても良いものかどうか迷ってしまいました」
「なるほどね」と、うなずくエルフ先生である。ただでさえ忙しいのに、訓練もしていない素人を参加させる余裕はないだろう。
「それで納得してしまうのは、レブン君らしいわね。自警団でも、現場で何か役に立つ仕事が見つかると思いますよ。まあ、熊やフクロウも海中には行けませんから、別に無理して行く必要はないかな」
レブンも納得する。
「ですよねー。それじゃあ、皆には申し訳ないけど、寄宿舎で待機していようかな。ムンキン君やペルさんの手伝いに呼ばれるかもしれないし」
エルフ先生が苦笑した。
「それは、ちょっと本来の趣旨から逸脱するかもね。それをしてしまうと、故郷へ行った生徒間で不満が生じることになるでしょうし」
レブンが少し赤面して頭をかいた。
「あー……そうですよね。僕としたことが……では、このまま寄宿舎で大人しく休憩することに……」
「ちょっと待ちなさい、レブン君」
低い冷徹な声がして、ラヤンが姿を見せた。リュックサックを背負った防護服装備のままである。
エルフ先生が(意外だ)という顔をした。
「あら。ラヤンさん。どうしたの? てっきりもう〔テレポート〕したものと思っていたわ」
ラヤンが目を閉じて、数回地面を尻尾で叩いた。
「担任のマルマー先生に呼ばれて、救護所でちょっと手伝っていました。後は、〔式神〕に任せておけば大丈夫」
かなり不満そうな声色である。そのままの雰囲気で、レブンに紺色の目を向けた。尻尾の赤橙色のウロコが所々逆立っている。
「レブン君。君の故郷へ『今すぐに』戻りなさい。私の〔占い〕で、そう出ているわ」
レブンの明るい深緑色の目が、ラヤンに呼応するようにジト目になった。
「〔占い〕ですか? 占道術は僕も選択科目で学んでいますが……どうもティンギ先生を含めて、〔占い〕の当たる確率が悪すぎる印象が……」
そういえば、担任のティンギ先生の姿が見当たらない。この非常時でも、相変わらずスリルを求めてどこかへ行っているのだろう。
そんな想像をしたレブンに、ラヤンが「コホン」と小さく咳払いをした。だいたい当たっている様子だ。
「ティンギ先生は当てにしない事。それで、〔占い〕だけど、『君程度の』魔力なら当たらないわね。私はちょっと違うのよ。何が起きるかは分からないけど、行かないと、君、後悔することになるわよ」
ラヤンとレブンがジト目合戦を始め出したので、エルフ先生が間に入って止めた。
レブンとエルフ先生との会話を聞いていた他の魚族の生徒たちが、帰省せずに自室へ戻っていく。やはり、レブンだけの問題ではなかったようだ。
……が。そんなことには無関心のラヤンである。ひたすらレブンのジト目を睨みつけている。
その真剣な表情を横で見ていたエルフ先生が、何かを感じ取ったようだ。レブンの肩に手をかけた。
「レブン君。ラヤンさんはね、ティンギ先生が素質があると認めているのよ。外れる確率も高いみたいだけど、ここは騙されたと思って故郷へ〔テレポート〕してきたらどう? 何も起きなければ、それが一番良いのだし。ティンギ先生の未来〔予知〕には、私も何度か助けられているのよ」
今度はラヤンがエルフ先生に食ってかかった。
「お言葉ですが、先生。当たり外れにこだわる人こそが、〔運〕という魔法そのものの事象を軽視しているのですよ。魔法を否定するような言動は、先生といえども黙認する訳にはいきません。そもそもですね……」
レブンがジト目のままでエルフ先生に手を挙げた。降参気味になっている。
「分かりました! 僕、〔テレポート〕してきます」
すかさず、『アンデッド教徒』のスロコックがニコニコしながらレブンに提案してきた。彼も魚族なので、残留するかどうか考えていたのだろう。ちなみに彼は占道術専門クラスの級長でもあるのだが、周囲には他の専門クラス生徒の姿は1人も見当たらない。
「それは良いなっ。では、我も同行しよう」
レブンと一緒にテレポートするつもりのようだ。慌ててレブンがスロコックに、提案を取り下げるように頼み込んだ。
「僕の小さな町に来ても、何もありませんよ。スロコック先輩の故郷の方が重要です。先輩はスロコック家の長男ですから、何か仕事が用意されているはずですよ」
しかし、一笑に付す先輩であった。セマン顔のままで、青緑色の瞳をキラリと輝かせる。
「我が行くと、かえって面倒な事になるのだよ。今頃は派閥ごとに大騒ぎだからな。父上が1人で指揮を執った方が良いのさ。まあ、今は船会社の保険調査と査定で大騒ぎだろう」
彼の実家は、帝国有数の海運会社だ。巨万の富を築き上げていて、帝国の南沿岸部一帯を支配する最大の魚族の名家である。宰相からも重用されているほどだ。そのような財力があるので、自治軍の規模も帝国内でずば抜けている。
レブンがセマンの黒髪をかきながら、うなずいた。
「そうですか……確かに、自治軍も精強ですしね」
目をキラキラ輝かせるスロコック先輩。しかし、レブンが即座にジト目気味で告げる。
「ですが、やはり僕と同行するのは避けて下さい。先輩が一緒に来ると多分、先輩を接待しようと、僕の町の役場や自治軍が大騒ぎになります。避難や警戒に支障が出るかもしれません」
にべもなく断られたスロコック先輩が、ガックリと肩を落とした。
「うむむ……だが、レブン殿の町の自治軍は帝国最強ではないかね。我が出向いても、それほど邪魔になるとは思えぬが」
しかし、断固として断るレブンであった。仕方なく同行するのをあきらめる先輩である。
「仕方あるまいな。『教祖』には逆らえぬよ。我はここで待機するとしよう。ついでに布教もしておくか」
レブンが口元を魚に戻しながら、きつい笑みを返した。
「ですから、僕は教祖でも何でもありませんってば。それと、変なカルト宗教の布教は止めて下さい」
ラヤンが呆れたような顔で、尻尾を数回地面に叩きつけた。
「さっさと〔テレポート〕しなさいよ。ここに留まると、余計に面倒な事になるわよ」
レブンが何かラヤンに抗議しようとしたが、その言葉を飲み込む。
「……ですよね。じゃあカカクトゥア先生、行ってきます」
エルフ先生が笑いを堪えながら片手を軽く振った。
「そうね。行ってらっしゃい」
【ムンキンの故郷】
竜族は川のほとりや、三角州があるような氾濫地を好んで住む種族である。そのために、大きな森と接していることが多い。
洪水や外敵からの脅威を防ぐために、城塞都市を築いている所が多いのも特徴である。タカパ帝国が征服する以前は、それぞれの城塞都市が1つの国として機能していた歴史を持っている。
城塞都市の外には、魚やカニ、淡水エビの養殖場が多く広がり、池だらけの印象だ。家も建っているが、洪水対策のために高床式になっていて、地盤も軟弱なためにどこも2階建てまでの家しか見られない。
今は車やトラックが舗装された道路を行き交っているが、洪水になる雨期になると、これが船に置き替わる。城塞都市も洪水に囲まれて孤立することになることが多いので、結構本格的な港湾施設も城壁に接して造られている。
その洪水のために、農作物は『浮き米』と呼ばれる、茎の長さが数メートルにも達する品種の稲を栽培している。
収穫期は雨期で水深2メートル以上になるために小船を出して、水面から飛び出ている稲穂部分を刈り取って収穫することになる。雨期は養殖場も水没するので、ネットで囲って生け簀のような形にして養殖を継続する。当然ながら、果樹や露地野菜は栽培が難しいので、それらは輸入がほとんどを占めている。
ムンキンの故郷も、そんな城塞都市の1つであった。
住民は当然竜族ばかりで、人口は5000人。養殖が大きな産業になっているのは変わらない。城壁は高さ10メートルで鉄筋コンクリート製のものだ。さらに魔法で強化されているので、少々の爆撃や砲撃では破壊されないほどの強度を誇っている。
その城壁の下には1000頭余りの巨大熊の群れが押し寄せていて、何とか城壁をよじ登ろうと巨大な熊手をガリガリと音を立てて突き立てていた。
魔法学校に押し寄せた種類とは少し違う熊のようで、毛皮の色は黒っぽい灰色である。身長は5メートルほどなので、この城壁で充分跳ね返すことができているようだ。
しかし、空の大フクロウの大群に対しては、城壁は無意味である。1000羽ほどの大群が城塞都市の上空を我が物顔で飛び回っていて、急降下を繰り返して竜族に襲い掛かっていた。
羽を広げると全長が5メートルにも達するような巨大なフクロウなので、身長が1メートルほどしかない竜族が、次々にその鋭い爪にかかって空へ引き上げられている。
今は攻撃衝動が優先なのか、食べることはせずに空中でそのまま引き裂こうとしていた。大フクロウの爪は長さ50センチほどもあって、鎌の刃のように湾曲している。そんな爪でつかまれたら、普通ならば重傷である。フクロウの性質として獲物を捕まえる際に、最初に蹴りを入れるので、なおさら爪の餌食になりやすい。
しかし竜族は丈夫な防刃仕様の防護服で完全武装しているので、爪は貫通せず、引っ張られた際の脱臼程度で済んでいるようだ。
大フクロウもすぐに引き裂くのに飽きて、自警団の兵士を10メートル下の、巨大熊がウヨウヨいる地面へ叩き落としたりしている。熊も魔法で強化されている防護服を粉砕することはできない様子だ。
落ちた兵士たちは手足や首を引っ込めて、押し潰されないように丸まって亀のようになっている。
当然ながら、城壁の上や町の外に出て戦っているのは自警団の男ばかりである。一般住民は、丈夫な建物の中に避難している。
自警団は500人規模で、防護服装備に、対空〔マジックミサイル〕を撃つ無反動砲のような形状の魔法武器を携帯している。他に、拳銃や小型の突撃銃、手榴弾などを携帯している兵士も多い。しかし、防護アーマーといった追加装甲は装備していないようだ。
このような装備の自警団が大フクロウの攻撃をかわすために、物陰や窪んだ場所から迎撃をしているのだが苦戦していた。フクロウの癖に〔防御障壁〕を展開するので、銃撃が全く通じないのだ。
〔マジックミサイル〕だけは、当初は効果があった。しかし、すぐにフクロウが対処済みの〔防御障壁〕に更新してしまったので、それ以降は数発当てないと撃墜できなくなってしまった。
おかげで今や、大フクロウは銃撃や砲撃をしてくる場所を『目印』にして、襲い掛かるようになっている。自警団の攻撃がほとんど効果を示さないので、大フクロウは物陰や窪地に潜んでいる兵士を爪でほじくり出し、空中に引っ張り出して振り回して、城壁の石畳の通路に叩き落としている。
しかし、さすがに勇猛な竜族である。悲鳴のような声は全く聞こえない。対衝撃の訓練もしているようで、叩きつけられてもすぐに立ち上がっている。
そんな兵士たちの罵声と怒声が城塞都市の建物の壁に反射していく。脱臼や、打ちどころを悪くしたことによる骨折や、気絶者は出ているが、さすがに死者は出ていないようだ。身長が1メートル程度で体重が軽いせいもあるだろう。そこへ……
「死にさらせえええっ! この鳥どもめえっ」
ムンキンの怒声が城塞都市に響き渡った。学校から〔テレポート〕して、城壁の上に着地するや否や、簡易杖を振って、100羽ほどの大フクロウを〔ロックオン〕する。次の瞬間。光の精霊魔法である大出力〔レーザー光線〕が、杖の先から吐き出された。
胴体に大穴を開けられた100羽の大フクロウが、断末魔の叫び声を上げて墜落していく。たちまち、城壁下の巨大熊群の餌にされてしまった。
自警団の1人が、驚愕した顔でムンキンを見た。何度か空中から叩きつけられたのか、顔にいくつもアザができている。
「おお! マカン家のムンキンじゃないかっ。学校じゃなかったのかよ」
ムンキンがさらに〔ロックオン〕を再開しながら、不敵な笑みを浮かべて振り向いた。
「おう、バタルか。よく持ちこたえたな。あとは俺に任せろ」
突如出現した新たな竜族に、数秒間ほど混乱していた大フクロウ群だったが、すぐに陣形を立て直した。同時に、光の精霊魔法用の〔防御障壁〕を大フクロウが次々に展開し始める。……が、ムンキンの不敵な笑みは消えていない。
「残念だったな、鳥ども」
大フクロウが今度は50羽で、鋭い爪を壁のように並べつつ、四方から飛びかかってきた。が、次の瞬間。大フクロウの胴体にムンキンの頭が入るくらいの大穴が開けられた。
敵は、光の精霊魔法用の〔防御障壁〕を展開しているのだが、ムンキンの魔法攻撃が〔防御障壁〕を素通りしたようだ。
再び、断末魔の絶叫を上げて撃墜されていく大フクロウ群。
今度は〔ロックオン〕数が500に達していたので、いきなり、ほぼ半数の大フクロウが撃ち抜かれて地面に叩き落とされた。空中に血吹雪が舞い上がる。
大混乱に陥った大フクロウ群を半眼で睨みつけながら、ムンキンが尻尾を《バン》と城壁の石畳に叩きつけた。
「光の精霊魔法に、ウィザード魔法幻導術の術式〔解析〕、〔解除〕魔法を乗せてあるんだよ。光速演算の前には、その程度の術式の〔防御障壁〕は無意味だぜ。量子暗号でもないしな」
そして、物陰に隠れていた味方の自警団員に大声で告げた。
「大フクロウは俺が片付ける。その間に、壁を登ってきている熊の相手を頼む」
熊が何と互いに肩車をして、城壁の上端にその爪を引っかけ始めていた。大フクロウどころではない、強大な爪が城壁の角に食い込んでいるのが見える。
自警団が雄叫びを上げて、城壁に取りついている巨大熊群に向けて、銃撃とマジックミサイルを浴びせ始めた。
それを横目で見ながら、ムンキンが残りの大フクロウに杖の先を向ける。隊列を再び整えつつ、何とか防御しようと、何枚もの〔防御障壁〕を重ねて展開し始めている。
「逃げないのか。普通の獣だったら、とっくに逃げ散っているんだけどな。〔錬金解除〕された魔法生物だからなのか、それとも誰かが命令しているのか」
ロックオンが完了した。ムンキンの濃藍色の瞳が鋭く輝いた。
「とりあえず、落ちろ」
【ラヤンの故郷】
ラヤンの故郷はムンキンとは別の城塞都市だったが、ここも1000頭を超える熊と大フクロウの大群に襲撃されていた。
やはり広大な養殖池と水田が都市を取り囲んでいる構造は変わらないが、ムンキンの故郷よりは数倍大きな規模である。当然、城塞都市の規模も倍以上だ。人口も1万以上ある。
しかし、帝国軍や警察がいない上に、自警団の装備も大したモノではないので、苦戦している状況は変わらない。
それどころか、死傷者もかなり出ているようだ。城壁も高さ10メートル以上で、ムンキンの故郷よりも丈夫で高いのだが……それが爆発を起こして崩壊する所が出始めた。ここの熊と大フクロウには、ソーサラー魔術の〔爆破〕魔術を行使できる個体がいるようだ。
爆破された城壁の瓦礫や鉄筋を蹴散らして、50頭単位の熊が城内へなだれ込む。立ち上がると身長が5メートルにも達するので、ちょっとした巨人のようにも見える。
自警団の隊長が苦虫を噛み潰したような表情になり、無線機で担当部隊に指示を飛ばした。彼は大フクロウの襲撃を避けるために頑丈な兵舎内の地下室にいて、15個もの〔空中ディスプレー〕を見ながら戦況を分析している。
「37工兵小隊は、86ブロックに向かえ。78から85ブロックまで閉鎖せよ。熊どもを他のブロックへ侵入させるな」
他にも矢継ぎ早に、様々な小隊に移動指示と作戦指示を出していく。住民の避難誘導も併せて行っている。
そして、1つの〔空中ディスプレー〕に鋭い視線を向けた。
「パスティ家のラヤン。用意はできたか」
そのディスプレーからラヤンの声がした。姿は見えていないので、ラヤン自身にカメラが取りつけられているのだろう。
「はい。準備完了しました。いつでもどうぞ、隊長」
「作戦開始せよ。頼むぞ」
ラヤンはムンキンのように戦闘が得意ではないので外には出ておらず、建物の中にいた。手元には別の〔空中ディスプレー〕が数個あり、熊や大フクロウが大暴れしている様子が、立体マップ上に記号化されて表示されている。
さらに、その〔空中ディスプレー〕の横には、紙でできた〔式神〕が3つ空中に浮かんでいた。大きさは竜族成人ほどくらいか。表面には法術の術式が模様のようになって、動きながらその文字の形を変えている。
ウィザード文字に似ているが、立体ではない。泡がいくつも重なり合っているような印象の文字だ。
その〔式神〕が突如消え、同時に〔空中ディスプレー〕画面中に記号化されて出現した。
「作戦座標への〔テレポート〕確認。術式を走らせます」
冷徹な低い声で、ラヤンが簡易杖を振った。尻尾を1回だけ《バシン》と床に叩きつける。
〔テレポート〕された〔式神〕の位置を示す記号に向かって、熊と大フクロウ群が吸い寄せられるように群がってきた。熊とフクロウの記号に〔式神〕の記号が埋め潰される……と、思いきや、反対に〔式神〕に接した熊と大フクロウの記号が消滅していく。
いったん目を閉じて大きく深呼吸したラヤンが、隊長に報告した。
「効果を確認。熊とフクロウの生命反応の消失が継続中。作戦の継続許可を申請します」
隊長も別のディスプレー画面を見て、実際に熊と大フクロウの数が急激に減少し始めたのを確認する。
「こちらでも確認した。作戦の継続を許可する」
隊長が各小隊に向けて、新たな指示を飛ばしはじめた。
その声を聴きながら、ラヤンが〔式神〕の記号と、次々に消失していく熊と大フクロウの記号に向けてささやく。
「紙だから、そのうち破れてしまうけれどね」
既に、交代用の〔式神〕も20体ほど準備されている。それを横目で確認して、ラヤンがディスプレー画面に表示されてきた情報を処理し始めた。
(ソーサラー魔術の〔魅了〕魔術の術式を更新しないとね。熊とフクロウの好みに最適化しないと、効率が上がらない。それと、〔細胞のガン化〕法術式も更新が必要かな。全身の細胞を標的にしたデフォルト設定から、熊とフクロウの心臓の心筋に変更……っと。せめて即死にして、楽に殺してあげるわね)
どうやらラヤンが仕掛けた作戦は、〔式神〕に〔魅了〕魔術と、接触で発動する〔細胞の瞬間ガン化〕の法術の組み合わせのようだ。ガン化の法術は以前に、ヒドラ退治で使用したものである。
もちろん、信者には熊やフクロウやヒドラはいないので、人間や獣人のガンの生体情報を加工したものだ。そのために、熊と大フクロウの細胞や遺伝子などに『最適化』させる必要があるので、随時更新をしている。
ちなみに、法術は参照する生体情報が信者の個人情報なので、他の魔法に比べると桁違いに多様性に富んでいる。そのために〔防御障壁〕で防御することが非常に困難なのだ。従ってラヤンにはムンキンのように、敵が術式を〔解読〕して対抗策を立ててくることを心配する必要がない。
その作業中に、再び隊長から命令が入った。
「救護所の応援を命じる。〔式神〕は予定通りに自動化処理を行うように。かなりの数の死傷者が報告されている。以降は救護所の責任者の指示に従え。以上」
「了解」
ラヤンが視線を変えずに、術式の更新作業をしながら、軽くため息をつく。
「……ふう。人使いが荒いことで。私は、まだ自警団の正式隊員じゃないんだけど。バイト代くらい出しなさいよね」
ものの数十秒で全ての処理を終えて、もう一度息を深く吐いたラヤンが、予備の〔式神〕群に視線を投げた。
「私の法力では、この程度ね。あの金ブチ狐なら、一度に50体の〔式神〕を同時に使えるんでしょうけど。私も、もっと法力を鍛えないといけないわね」
【ミンタの故郷】
その金ブチ狐のミンタは、故郷の実家でミルクティーを飲みながら退屈していた。
「……まあ、こうなるとは予想していたけどさ」
実家の居間のソファーに座ってビスケットをかじりながら、正面の大きなディスプレー画面を眺めている。別のソファーにはミンタの両親や祖父母、それに兄弟姉妹がズラリと揃っていて、さらに親戚も十数人やってきて、居間の絨毯敷きの床に腰を下ろして茶を飲んでいた。
ミンタの母や叔母たちはこれ幸いと、パーティか何かを始める準備を始めている。部屋の家具や調度品の質から見ると、かなり経済的に余裕がある一家のようである。
使用人も何人か雇っているようだ。セマン顔なので、魚族の出稼ぎだろう。パーティの準備を命じられて、食器やグラスに食材の下ごしらえまで始め出した。
兄弟姉妹や親戚の子供たちから、今までさんざんに魔法学校のことを聞かれて辟易したミンタが、カップを手にしてソファーから立ち上がった。窓辺のバルコニーに出て外を見回す。
いつもの平和で活気溢れる街並みがそこに広がっていた。子供のケンカ声や、泣き声、そして笑い声がミンタの狐耳に心地よく届く。
道路には車やトラックが走り、通りを行き交う獣人たちも平穏そのものだ。
空を見上げると、白い漆喰で固めた赤瓦の屋根と、中世風の建物の間に高木がいくつも伸びていて、鳩やヒヨドリのような小鳥の群れが飛び回っている。
ミンタの故郷は、地方の主要都市である。人口は数十万人で、工場や事業所が数多くある工業都市だ。ここには、帝国軍や警察も配置されていて、彼らがしっかりと仕事を果たして街の防衛をしている。
ミンタといえども『熊や大フクロウ退治の申し出』は、やはり当然のように却下されて、こうして今、実家に帰されている。当然ながら一般人の学生扱いだ。
外の平和な様子を見ながら、ミンタが〔空中ディスプレー〕を出現させた。これまた当然ながら、警察や軍の通信を傍受したり、情報を見ることも許可されていないので、普通の一般向け放送のニュースを見ている。
それによると、ミンタの故郷のこの街にも、大フクロウと巨大熊の大群が押し寄せているようだ。数は推定5万頭と見られている。しかし、「軍と警察の迎撃により、この街の防衛は完璧にできている」というニュースである。
ミンタが紅茶を1口飲んで、片耳を伏せた。
「さすが帝国軍と警察ね。普通の敵が相手なら5万でも圧倒しちゃうのか。学校では、ようやく『ヤラレキャラ』から脱したばかりなのに。それにしても、あの魔法世界製の巨人ゴーレムって、どれだけ危険な兵器だったのよ」
そこへ、ミンタの父親と叔父たちがウイスキーグラスを片手にバルコニーへ出てきた。
「ともあれ……できるだけ早く、この『熊騒動』が終息して欲しいものだよ。街の外へ出ることが禁止されているから、仕事どころじゃない。今日はこうして休日になってしまった。アルマリー建設会社は建設機械をかき集めているようで、大忙しの様子だがね」
「羨ましいなあ。俺の工場は、今日はラインを1本しか動かせない有様だ。大損だよ、まったく」
などなど、グチと文句を垂れ流す男親たちである。そのくせ、酒が回ってきているのか、足元がおぼつかなくなってきているが。
ミンタを酔っぱらった目で見据えて、ビシッと指差す父だ。
「これミンタ。お友達のコントーニャちゃんの仕事の手伝いでもして来たらどうかね? うちの会社に何か利益になる話があるやも知れない。道路情報を、何だったっけ……ええと、そうそう〔式神〕とやらに調べさせているのは、大変に助かるがね」
結局、親の会社の手伝いをする羽目になっているミンタであった。
「まあ、行ってあげても良いけど……私がいなくても大丈夫なの? 軍と警察を頼りにし過ぎちゃ危険よ、お父さん」
ミンタがもう1口紅茶を飲んで、軽いジト目になりながら指摘を続ける。
「……熊と大フクロウ群の数は推定120万頭だよ。その1割の12万頭が帝都に向けて侵攻してる。このタカパ帝国が滅ぶかもしれない危機的な状況なんだけどな。それに……」
ここから数キロほど離れた街中で、突然爆発音が轟いた。
さすがに外で遊んでいた子供らから悲鳴のような声が上がる。地響きも空気の振動もかなりの強さだ。ミンタの顔のヒゲ群が《ビリビリ》と揺れた。
ミンタの父親と叔父たちが、足をもつれさせながらもバルコニーの柵に体を預けて、キョロキョロと慌ただしく周辺を見回す。尻尾と両耳も同調してクルクルと回っている。部屋から、兄弟姉妹や親戚の子供らもバルコニーに飛び出してきた。
「何だ何だ、どうしたんだ」と、色めき立つバルコニー勢の中で、ミンタが風の精霊を3つ召喚する。精霊語で何事かを命じると、風切り音を立てて精霊群が爆発音がした方向へ飛んでいった。
「とりあえず風の精霊を放って、状況を調べさせるわね。テレビでは、さすがにまだ報道されないだろうし……あ」
ミンタが、若干興奮している父親に説明していると、にわかに下の道路が騒がしくなった。悲鳴もいくつか聞こえてくる。
……と。不意に、2人の竜族の男が走ってきたのが見えた。手には突撃銃らしき武器を携帯している。
(テロ組織か)
ミンタがほとんど反射的な動きで、バルコニーを丸ごと包み込むような対物理攻撃用の〔防御障壁〕を展開する。光の精霊魔法による〔防御障壁〕なので、外が見えにくくなるようなことは一切ない。
次の瞬間。路上の竜族2名が銃を乱射し始めた。やはりテロ組織だ。
悲鳴が急激に大きくなり、銃弾が建物や家の壁に食い込む音がそこらじゅうで鳴る。ミンタたちがいるバルコニーにも、数発の弾丸が襲ってきた。が、これらは全て物理〔防御障壁〕に阻まれて光になって消えていく。
これは、光の精霊界へ銃弾が〔テレポート〕されて光に〔分解〕されるという仕組みだ。
ミンタの周囲の親兄弟姉妹や親戚たちには、そこまでの魔法知識はない。ただ、〔防御障壁〕が明るく輝いた、という感想だけだ。ミンタがジト目になって、路上のテロ犯たちを見下ろす。
連中はまだ銃を乱射し続けているが、今度は大声で主張し始めた。
「聞け狐族よ! 我ら『竜族独立派』は真の独立を果たす! 貴様らは皆殺しだ、覚悟しろ!」
などなどと、かすれた大声を上げて、周囲を威嚇している。確かに、この区画は狐族だけが住んでいるといってもよいほど多いのだが、竜族も当然ながら住んでいる。
「無茶苦茶な事をするわね、こいつら」
そう言いつつ、ミンタが簡易杖を竜族テロ犯の男たちに向けて、光の精霊魔法に〔麻痺〕の術式を乗せた暴徒鎮圧用の魔法を発動しようとした瞬間。
別の乾いた音の銃声が数回鳴って、2人の竜族の男たちが血を噴いて路上に倒れた。ミンタが杖を向けていたので、男たちの生命状況もたちどころに知るところになる。
(即死。か……)
すぐに、倒れている竜族テロ犯の周りに、警官隊がやってきた。服装を見て瞬時に理解するミンタである。学校の駐留警察署にいた部隊だ。特殊部隊に近い性格の部隊である。
物陰には、軍の情報部と見られる私服の狐族の姿もあった。
父親と叔父たちがまだ興奮しながら、バルコニーから身を乗り出して、路上で起きていた銃撃戦を見物している。他の家のバルコニーにも、同じような狐族が何人も身を乗り出して見物しているのが見える。
「警察……? にしては見慣れない制服だな。どこの部署だろう」
呑気な感想を述べている父親に、内心で苦笑するミンタである。
……と、再び大きな爆発音がした。今度は遠くの区画のようだ。
(カカクトゥア先生。テロ、起きてますけど……それも、最大勢力の『竜族独立派』なんですけど)
【ペルの故郷】
(……そうなんだ。竜族のテロかあ。カカクトゥア先生の予想が外れちゃったね)
ペルが〔念話〕でミンタと会話している。ミンタの〔念話〕が返ってきた。
(でも、爆破テロを同時に4ヶ所もするなんて、とっさには無理だよね。実行犯の人数も50人以上になるみたいだし。これって、あまり考えたくないけど、誰かが仕組んだんじゃない?)
ミンタの考えに、すぐには同意できないペルである。黒い縞模様が走る頭のフワフワ毛皮に乗っている狐耳の片方がピコピコと動いた。
(パリーさんの行動を〔予測〕するなんて、ティンギ先生でもないと難しいと思う。それに巨大熊と大フクロウの大量発生も〔予想〕できないよ。原因不明なんだし。ん? そうだったっけ。ええと……あれ? 何か忘れたような気がする……ま、とにかく。これに爆破テロと、偶然が3つも重なっているから、全部を関連づけることは難しいと思う)
ミンタもペルにそう指摘されると、「ぐぬぬ」と唸るだけになった。ペルが微笑んで、ミンタに〔念話〕を続ける。
(忙しいところ、〔念話〕を送ってごめんね。ミンタちゃんはこれから、そのテロ事件の負傷者治療や、混乱収拾のボランティアに加わるんだね。がんばってね)
ミンタが少し嬉しそうな声色で〔念話〕を返してきた。
(そうね。幸い死亡者は出ていないみたいだし。テロ実行犯は、全員射殺されたから一安心かな。爆破火災現場は街の消防団が頑張っているから、私が口出しする必要ないし。暇つぶしにはちょうど良いかもね)
ペルが微笑みながらうなずく。
(そうだね。じゃあ、ミンタちゃんのご家族にもよろしくね)
そう言って〔念話〕を終了する。そして、微笑みを消して正面の熊と大フクロウの大群に向き合った。少なくとも1500頭はいて、空気を揺るがすような大声で咆哮している。
ペルと熊群の間には、闇の〔防御障壁〕が立ち塞がっていた。それはペルの背後にある故郷の村の周囲をぐるりと囲んでいて、さらに上空にも伸びてドームを形成していた。村がすっぽりと闇の〔防御障壁〕ドームに収まっている。
大フクロウ群は上空から何度か急降下突入を試みているが、全て失敗して〔消去〕されていた。現在は上空を旋回しながら、〔旋風〕魔法や〔氷槍〕魔法、〔雷撃〕魔法などを放ってドーム天井を攻撃している。
地上の巨大熊群も、闇の〔防御障壁〕に触れると、それだけで体が〔消去〕されてしまうので、今は接近してこない。後ろから押された不運な熊が時折、闇の〔防御障壁〕に飛び込んでしまって〔消去〕されるくらいである。
「ええと……『魔力のバランス維持』ですよね。テシュブ先生」
ペルが独り言をつぶやきながら簡易杖を様々に振って、大地や水に風などの精霊魔法やウィザード魔法を様々に発動させる。おかげで、闇の〔防御障壁〕の外側が光ったり、水が噴き出したり、つむじ風が起きたりして賑やかだ。
「これのせいで、敵さんが去ってくれないんだけど……」
本来、闇の精霊魔法には〔察知〕を困難にする作用がある。
〔防御障壁〕をそのまま張っておけば、そのうちに敵群が目標を認識できなくなり、自然と去っていくものだ。しかし現状では、ペルの魔力のバランスを維持する事が『最優先』なので、こんな有様になっていた。
こんな派手な〔防御障壁〕となると、敵群もなかなか興味を失ってくれないようだ。
ペルの背後の故郷の村は、堀と木の柵がかなり破壊されていて内側の家々が丸見えになっている。自警団が突撃銃を手にして警戒していた門も、薙ぎ倒されて瓦礫の山になっていた。
村の家の壁にも、巨大熊が刻みつけた爪痕がびっしりと残り、土壁や板壁が崩れた家もかなり多い。血のりや血吹雪も家の壁や通りについている。
倒れている人は村内にはもう残っていないが、大フクロウの爪に引っかけられて上空へ連れ去られ、引き裂かれて村の外に落ちた遺体は、闇の〔防御障壁〕の外に10体ほど確認できる。
それらも、今や巨大熊の餌になりつつあった。畑の作物は意外にも深刻な被害を受けていないようだ。
自警団はほぼ壊滅したようで、今はペル1人だけが敵と向かい合っている状況である。全ての村民は、村中央の地下シェルターに避難しているようで姿が見当たらない。ペルの両親だけが、崩壊して瓦礫の山になった門から顔を出してペルを見守っている。
そんな両親の顔を横目でチラリと見たペルが、軽く両耳を動かした。
(もう……過保護なんだから。でも、私の実家が熊パンチでペシャンコになっちゃったから、仕方がないのかな。避難シェルター内でも居場所はないみたいだし)
少々、上の空で思うペルである。落書きだらけのゴミ捨て場になっていた彼女の実家は、今は本当にゴミと瓦礫の山になっていた。とてもではないが、もう住める状況ではない。
巨大熊の咆哮に、再び視線を〔防御障壁〕の向こうへ向ける。その熊の爪と口元は血のりで真っ赤になっていた。
(……でも、私なんかでも来て良かった。軍も警察も手一杯で、こんな田舎の村までは保護できないのね)
確かに、ペルの到着があと1時間でも遅れていれば、村は全滅していたかもしれないほどの惨状である。
ペル自身の息や心拍の調子、手足の痺れなどが起きていないことを再確認して、今後の予定を考える。
(最優先することは、この〔防御障壁〕の『維持』。魔法で攻撃したりするのは、魔力を浪費するだけよね。ここにいる敵だけじゃないだろうし、多分まだ森の中にたくさん残っているはず。シャドウの『綿毛ちゃん2号改』は、自律索敵状態にしておけばいいかな。森の中の死霊術場から自動で魔力を補給するようにすれば、私の負荷も軽くなるし)
そう整理して早速、子狐型のシャドウを1体〔結界ビン〕から解放する。
シャドウが森の中へ消えていくのを見送ったペルが、もう一度深呼吸した。闇の〔防御障壁〕の向こうに陣取っている敵の数が、さらに膨れ上がったようだが不安はない。
「さーて。長丁場ね。にらめっこを始めましょ」




