42話
【森の上空】
「な、何事なの!?」
エルフ先生が絶句している。
森の上空では、墓用務員が言った通りの空中戦が展開されていた。アウルベアから解除されて誕生した大フクロウは、翼を広げると全長5メートルに達する巨体だった。それが1万羽もの大群となって飛族の巣に襲い掛かっていた。当然、飛族も全員が迎撃しているのだが、その数は1000に満たない。
風と雷の精霊魔法が両軍から放たれていて、上空は台風時のような暴風が吹き荒れていた。さらに50以上もの〔雷撃〕が空を切り裂いて轟いている。既に、魔法が無数に行き交ったせいで上空の魔法場汚染も酷い。もはや、まともに魔法が機能しないような有様になっている。
そうなると、当然ながら白兵戦になっていくものだ。
大フクロウは両足の鋭い爪を振り回し、飛族を蹴り飛ばして深手を負わせていく。一方の飛族も、槍や剣に刀を振り回して応戦している。
しかし、両軍ともに武術の心得は乏しいようで、ただ爪や武器を振り回しているだけだ。空中に浮かんだ状態なので、力が入らないのも原因だろう。フラフラした姿勢では、斬れる物も斬れないし、蹴れる物も蹴れない。
そんなグタグタな戦いの中で〔雷撃〕が飛族の武器に頻繁に落ちているのだが、そこは〔防御障壁〕で完璧に防御しているようだ。一方で、大フクロウの〔防御障壁〕はそれほど強力ではなさそうで、〔雷撃〕の直撃を浴びると燃えながら森に落ちていく。
その〔雷撃〕だが、実際は空気という絶縁体のせいで目標に届く前に曲がって、森の木々に落ちてしまう事がほとんどだ。なので、見た目は派手なのだが命中性は著しく低い。〔竜巻〕や雹による混乱の方が大きいように見受けられる。
飛族のうち100羽ほどはエルフ先生直伝の光の精霊魔法による〔レーザー光線〕攻撃ができる。そのため、頼りない〔雷撃〕や〔竜巻〕に頼らずに、10倍の敵に対しても互角に渡り合っているようだ。
日中は、光の精霊場で世界中が包まれているようなものだ。そのため光の精霊魔法だけは、それほど魔法場汚染の影響を受けない。
それを見て、とりあえずほっとするエルフ先生だが……すぐに深刻な表情に戻った。空が真っ黒い雲で覆われ始めて、視界が急激に悪化し始めたのだ。
これでは、間もなく視覚で〔ロックオン〕できなくなって、〔レーザー光線〕攻撃の優位性がなくなってしまう。暗くなってくる事それ自体が、光の精霊魔法にとって不都合にもなる。
「まずいわね」
エルフ先生がライフル杖の底部に魔力カプセルを全弾詰め込みながら、飛族の支族長の下へ飛び込んだ。
「お!? 何だ何だ? 狐になったエルフ先生じゃねえか! 邪魔だ、とっとと帰れ。これはオレたちの戦いだ」
ジャディに負けず劣らずの凶悪な悪人顔で、エルフ先生に突っかかる支族長である。手に持った刃渡り2メートルにも達する刀を振り回している。身長よりも長いので、当然ながら姿勢がフラフラしてエルフ先生に届きもしない。
暴風が吹き始めて、視界が急激に悪化していく。その中、さすがのエルフ先生も風に流されがちになっているが、それでも支族長の前で警察官の目をした。
「暴徒鎮圧は警官の仕事です。パリーが切れる前に、さっさと片付けますよ。〔レーザー〕魔法を使える仲間を全員ここに集めなさい!」
有無を言わさぬ迫力で、ライフル杖の先端を支族長に向けるエルフ先生である。
と、支族長が大泣きし始めた。
「あ、姐御おおおおおお! その、お言葉を待っておりやしたあああああ! うあおおおお」
「うるさい。さっさとやれ」
大フクロウを3羽、〔レーザー光線〕で撃ち落としながら「キッ」と睨みつけるエルフ先生である。確かに時間の猶予はあまりなさそうだ。
「姐御おおお、姐御が復活したぞおおおお、姐御おおおお」
支族長は、もう戦闘どころではなさそうである。感涙しっぱなしで「オンオン」泣いている。長い刀も、感極まったのか投げ捨ててしまった。
戦闘不能になってしまった支族長を、ジト目で見下ろすエルフ先生だ。
「もう、役に立たないなあ。仕方がない、私だけで迎撃するか!」
そして、射撃方向にいると思われる飛族に向かって、〔指向性の会話〕魔法を仕掛けた。〔念話〕は、習得していない飛族がかなりいるため使えない。双方向の会話魔法も使えないので、エルフ先生からの一方通行の魔法になる。
「飽和攻撃をします。撃ち落されたくなかったら、緊急退避しなさい! 3、2……今!」
現状で〔ロックオン〕できた敵を含めて、目の前に広がる暴風吹きすさぶ広大な空に向かって、エルフ先生のライフル杖の先がまばゆく光った。火薬を使っていないので無音であるが、無数の光の弾丸がばら撒かれる。
しかし、暴風は依然として終息しない。すぐに視界はほとんど利かなくなってしまった。こうなっては、視認してからの〔レーザー〕攻撃は無理だ。
ライフル杖の底部から10個余りの魔力カプセルが排出され、暴風に飲まれて飛んでいった。カプセルの残り数を確認する。その後で、エルフ先生が生命の精霊魔法を使って、生命反応を調べる。
「……やはり、〔ロックオン〕できなかった敵が、かなりまだ残っているか。それでも、敵を3000まで削ったかな」
口々に喚きながら、100人ちょっとの飛族がエルフ先生が飛んでいる空間へ飛んで合流してきた。手に手に刀剣や槍を持って振り回している。
「姐御おおおおおお! 待ってましたああああ」
「姐御おおおお! 姐御おおおおお! やっぱりカッコええええええっ」
ジト目ながらも、口元を少し緩めるエルフ先生である。
「だから、姐御じゃないってば」
そして、〔念話〕を飛ばした。この100人ほどの彼らは学校に来て、授業を受けて習得しているので使える。
(陣形を組みます。強襲突破型の円錐型突撃陣形にしましょう。武器は陣の最前列にまとめて並べます。手で持って振り回しては非効率ですからね。前面に〔雷撃〕の精霊魔法を集中、側面と後方は風の精霊魔法で機動力と防御を強化。まだ、敵は3000残っています、徹底して削りますよ!)
数秒で円錐型の突撃陣形をつくったエルフ先生と、その手下たちが、雄叫びを上げて真っ黒な暴風の中で突撃を開始した。突撃陣形の先端には100本の刀剣と槍がズラリと浮かんでいて、槍ぶすまのような見た目だ。しかも〔雷撃〕のせいで帯電している。
それを森の木々の枝に留まって見上げる、カラス型の使い魔が数羽いた。どこかへ通信しているようだ。
【学校周辺の森の中】
「うわわっ。何! 何? 何かたくさん来る!」
ペルが全身のフワフワ毛皮を逆立たせて、後方の森の中を見て叫んだ。周りは、レブン、ジャディ、ミンタ、ムンキン、ラヤンのいつもの面々である。
ペルたちは生徒たちの行列の最後尾にいて、談笑しながら森の中を学校寄宿舎へ戻っていたのだが……その足が止まった。他の生徒たちも数秒遅れて〔察知〕したようだ。一斉に騒々しくなってきた。バントゥ党とリーパット主従が、とりわけ大騒ぎし始めている。
レブンが青い顔になって、どんどん魚顔に戻ってきている。
「うわわ……殺気だ。殺気の塊がこっちにやってきてる」
さすがに残留思念を扱うだけあって、殺気の〔察知〕には詳しいレブンである。
ムンキンが顔の柿色のウロコを緊張で膨らませながら、レブンに聞く。
「オイ。敵の種類と数、分かるかレブン」
レブンの青い顔が、魚口をパクパクさせながらも答える。
「う、うん。熊……かな。かなり巨大な。数は……5000。もっと多いかも」
レブンの報告に、戦慄する一同である。
近くを一緒に歩いていた警察部隊の完全装備の警官がすぐに、ヘルメット内臓のトランシーバー無線で情報と指示を得たようだ。ミンタとラヤンにヘルメット顔を向ける。
「魔法強化された巨大な熊が5000ほど、〔テレポート〕されて出現したようだ。こちらへ一直線に向かっている。我々が迎撃するから、君たちは急いで寄宿舎へ避難しなさい」
そう言い残して、森の中へ飛び込んで見えなくなった。他の警官も同じく森の中へ入っていく。軍の警備隊も行動開始したのだろう、連絡員が無線で暗号通信を始めている。当然、何を話しているのか分からない。
ムンキンが高揚して尻尾を≪バンバン≫と地面に叩きながら、ミンタとレブンを濃藍色の目で見据えた。
「オイ、オレたちも戦おうぜ! たかが熊だ、数が多くたって撃滅できるさ」
レブンが冷静な口調でムンキンに反論する。顔は魚のままだが。
「いや。それは間違っているよ。ここは警官さんが言った通りにしよう。生徒全員の安全かつ迅速な撤退が最優先だ。僕たちは、まだ集団戦闘の訓練を積んでいない。今戦っても多分、勝てないよ。無駄に死んでしまうだけだ。自動〔蘇生〕や〔復活〕法術の実習には良いかもしれないけど」
そう早口で言ってから、ムンキンをジト目で見つめる。
「基本的に、ムンキン君。君が僕じゃなくて『オレ』と言い出した時は、無謀な行動が多くなる傾向があるからね」
ラヤンもレブンに同意した。同じように体中のウロコを逆立てて膨らませて赤橙色の金属光沢を放ちながら、尻尾を数回地面に叩きつける。
「私も同意。熊は肉食性だから、食い殺される死に方になるわね。胃の中で〔復活〕しても、すぐにまた消化されてしまうだけ。2頭以上の熊に食べられたら、五体満足な状況での〔蘇生〕や〔復活〕は不可能よ。食べ残しもあるはずだし。法力場サーバーの能力がもっと良くなれば、何とかできるんだけど、現状では無理ね」
ムンキンはそれでも戦いたがっている様子だったが、最後にミンタが首を振ったのでガックリと肩と尻尾を落としてしまった。
「わかったよ。1対1000とかで殴り合うのは疲れそうだしな。じゃあ、生徒全員の寄宿舎への〔テレポート〕を支援するか。前にやったような、一本釣りで構わないよな」
ミンタが不敵な笑みを浮かべながら、ムンキンに「チチチ」と指を振る。
「そんなんじゃ、間に合わないわよ。10名単位での一本釣りにしないと」
早くも森の奥で、爆発音と魔法強化された突撃銃の射撃音が鳴り始めた。熊とおぼしき咆哮も聞こえてくる。一気に緊張が走る。
ミンタが舌打ちした。
「ち。敵も迅速ね。既に、生徒のみんなも各自で〔テレポート〕し始めているのか。私たちは1年生をまず〔テレポート〕させましょう。上級生はバントゥたちを含めて後回しで問題ないわね? ラヤン先輩」
ラヤンが紺色の瞳を閉じて、不敵に微笑んだ。
「ええ。構わないわ。2年生3年生にもなって〔テレポート〕できない生徒は、リーパットと腰巾着を除けばいないし」
ミンタが大きくうなずく。そしてペルに顔を向けた。
「ペルちゃんは、闇の精霊魔法の〔防御障壁〕を展開して。それで〔察知〕が困難になるはず。時間稼ぎができるわ」
「うん、わかった」
早速ペルが闇の〔防御障壁〕を展開し始めたのを見ながら、ミンタが今度はジャディとムンキンに顔を向けた。
「ムンキン君、ジャディ君は、熊の迎撃をお願い。一本釣りは私だけでやるから」
「おう、任せておけ。ぶっ飛ばして1匹も寄せ付けねえよ。な、ジャディ」
「任せろ。くそ、飛べたらオレ様だけで熊の1000や2000、ハチの巣にしてやるんだがよ。まだ回復できてねえんだ」
ムンキンとジャディが二つ返事で応じたのを、ニヤリと微笑んで聞くミンタである。最後にラヤンに顔を向けた。
「ラヤン先輩は私たち全員の回復担当を、お願いね」
「ええ。任せなさい」
同時に、近くの森の中で閃光がひらめいて爆発が起きた。熊の断末魔の唸り声が途切れ途切れに聞こえてくる。
ペルとレブンが同時につぶやいた。
「くる」
「きたぞ」
同時に、森の中から2頭の巨大な熊が飛び出してきた。
身長は5メートルに達するだろうか。剛毛で覆われた筋肉の塊のような体からは、魔法強化による発光と火花が見られる。攻撃武器である幅1メートルほどの手の平には、ズラリと生えた5本の長い爪が燐光を放っている。巨大な口にも禍々しい牙が並んでいて、やはり魔法強化されていて発光している。
既に前面に展開していた〔防御障壁〕は全て破壊されていて、全身に銃弾と爆風を浴びて血まみれなのだが、動作に支障は出ない様子だ。地響きを立ててペルたちの目の前に立ち上がる。
……が。急に目標を見失ったかのような振る舞いを見せ始めた。ペルの闇の精霊魔法の〔防御障壁〕のせいで、標的である生徒たちの存在が希薄になったからである。実際、熊の前にはムンキンとジャディがいるのだが、気がついていない。
「喰らえ! 化け熊め」
「うらあああっ! 死にさらせえええっ」
ムンキンとジャディが叫んで、〔レーザー光線〕魔法と〔旋風〕魔法を発動させた。
ムンキンの簡易杖からは40本もの光の矢が放たれた。暗い森の中に漂う塵が〔レーザー光線〕に焼かれ、瞬時に燃えて気化し、さらにプラズマ化まで引き起こして、様々な色の光が火花のように発生する。
その〔光線〕の先では、巨大な熊が〔防御障壁〕を新たに数枚展開して防御を図っていたが……まるで何もなかったかのように〔レーザー光線〕が〔防御障壁〕を素通りして熊の巨体に命中していく。熊の〔防御障壁〕がムンキンの光の精霊魔法を認識できていないためだ。
たちまち〔レーザー光線〕によって、5メートルに達する巨体の全身が燃え上がり、気化し、プラズマ化で何種類もの色鮮やかな火花が舞い上がる。
一方のジャディの杖からは細いドリルのような〔旋風〕が30本も放たれて、超音波をかなり含む高音ノイズが森の中に響き渡っていた。これも、熊の身を守るはずの〔防御障壁〕全てを簡単に貫通して〔消去〕させ、熊の巨体に全弾命中した。その場所が大きく〔消去〕されて、熊の体がハチの巣のように穴だらけになった。
朽木が地面に倒れるように、地響きを立てて崩れ落ちる熊2頭である。不思議にも血も出ないで、ただの死体となった。しかし、神経信号はまだ生きているようで、断末魔の痙攣だけは続いている。
1呼吸ほどおいて、黒い煙のような残留思念が体から噴き出してきた。それをシャドウを使って捕まえて、すぐに元の死体の中へ突っ込むのはレブンである。死体だった熊がゾンビとなって立ち上がった。死霊術場が弱いので、全身焼肉状態と、穴だらけ状態のままで〔修復〕されてはいないが。
「ムンキン君とジャディ君への援軍だよ。数は多い方が良いからね」
ミンタが次々に1年生を〔テレポート〕させていくのを、横目で見るラヤン。応急〔治療〕法術を次々に作成して、発動キー入力だけで起動するように準備していく。
しかしこれは、種族ごと、魔法適性ごとに術式を都度〔調整〕する必要があるので、『応急』と冠がついているにも関わらずあまり汎用性がない。魔法適性のない一般の獣人向けでは問題ないのだが。そのために、少なくともここにいる全員分に1つずつ個別作成する必要がある。
ちなみにもっと高度な法術を使えば一括作成もできるのだが……ラヤンの法術の成績は中位なので、こんなものなのだ。
「〔テレポート〕して避難すること最優先で、正解だったわね。2頭倒すのにこんなに手間取っていては、1000頭相手では何もできないわよ」
実際その通りで、さらに30頭ほどの熊が森の奥から姿を現した。すぐにこちらに気づいて、猛ダッシュで襲い掛かってくる。再び、豪快な地響きと熊の咆哮が森の中に響き渡った。
ムンキンが舌打ちする。尻尾で地面を激しく叩いて、その滑らかなウロコが逆立った。
「ち。こいつらは、ほとんど無傷じゃないか。警察と軍の防衛線が崩壊しちまったか。今度は無傷で突っ込んでくるぞ!」
〔レーザー光線〕攻撃を継続するムンキンだ。彼の横に並んでいるジャディが仁王立ちになって、豪傑笑いを高らかにする。全身の鳶色の羽毛がバンと音を立てて膨らんだ。
「問題ねえよ! オレ様の一撃で消し飛ばす。さっきの攻撃で、熊どもの〔防御障壁〕術式は〔解読〕済みだからな!」
と、言い切ってすぐにレブンに顔を向けた。ドヤ顔のままである。
「術式の発動まで、もうちょっとかかる。時間稼ぎしてくれレブン」
レブンが魚の口で吹き出した。
「だと思ったよ」
ポケットから1つのガラス製〔結界ビン〕を取り出して、蓋を開けた。何かが高速で大量に飛び出して、敵に向かって正確に飛んでいく。まるで誘導ロケット弾のステルス版のようだ。
30頭以上の熊群はレブンたちまで、あと数メートルの位置まで飛び込んできていたが……その全てが一瞬で穴だらけになった。空間が歪んだようになり、熊の全身が〔消去〕される。
「うげ」
ジャディが変に高い悲鳴をあげた。レブンが魚の口で苦笑したまま、ムンキンに説明する。
「ハグさんが教えてくれた〔ロスト〕魔法だよ。石英結晶に術式を乗せて、命中して石英が砕けた瞬間に発動するようになってる」
ムンキンとラヤンが目を点にして感心する。レブンが少々照れたような表情になった。
「作り置きは、これで全部使ったよ。後は任せたからね、ジャディ君」
更に50頭ほどの熊が森の奥から突撃してくるのが見えた。地響きがちょっとした地震並みになっている。
「任せろ」
ジャディが一声、ドヤ顔のままでレブンに答えた。彼の簡易杖の先が薄ぼんやりとしている。闇の精霊魔法の影響で光が阻害されて、視認しにくくなっているせいだ。
同時に、100本ものドリル状の〔旋風〕が森の中にばら撒かれた。一瞬の後、森の中に熊群の断末魔の呻き声がこだまし、一斉に倒れる音がそれに続いた。しかし……地響きは弱まったとはいえ、まだ続いている。
敵の測位を続けているラヤンが呆れたような声を出した。
「うは……本当に一撃で熊を100頭以上倒したわね。『闇の精霊魔法』恐るべし」
ムンキンが少々悔しそうな顔をしながら、ジャディの肩をバンと叩いた。
「やるじゃねえか。さすがは飛族だ……あれ」
ジャディがそのまま「バタリ」と倒れて動かなくなった。浅くて速い荒い息をして軽く痙攣している。慌てるムンキンとレブン、ペル。
ラヤンが呆れたようなジト目になって、小さくため息をついた。
「大丈夫よ。石から〔蘇生〕したばかりで無茶したから気絶しただけ」
少し面倒くさそうな口調で、〔診断〕結果を皆に知らせる。見ただけで分かるようだ。そして、森の奥をその紺色の瞳で睨みつけた。
「敵は、もしかすると5000どころじゃないかも。次波、来るわよ」
ムンキンが光の精霊魔法で〔探知〕して、濃藍色の瞳を鋭く光らせた。尻尾を何度も≪バンバン≫と地面に叩きつける。
「くそ。ラヤン先輩の〔占い〕通りだな。次は100頭ほどの群れだ。こっちに突撃を開始しやがった。すぐに来るぞ」
レブンが簡易杖をブンブン振って、死んでいる熊を次々にゾンビ化している。
「味方は26頭まで増やしたよ。僕のシャドウも独自に攻撃を開始してるけど、敵の数が多すぎるな……」
ペルも自身の子狐シャドウを森の中に放って、熊を文字通りに消し去っているのだが……やはり敵が多すぎるようだ。
「あわわわ……そうだね。私たちのシャドウとゾンビたちだけじゃ、ちょっと防ぎきれないかも」
恐怖と緊張で声が震えているペルとレブンを無表情な半眼で見据えたラヤンが、ミンタに視線を移した。
「こら、全校1位の金ブチ狐。生徒たちの〔テレポート〕避難はまだ終わらないの? 手抜きしてたら、後でぶっ飛ばすわよ」
ミンタが顔じゅうのヒゲをピンと立てて、ラヤンを睨み返した。
「あ? 何だとコラ。1年生は全員無事に〔テレポート〕終了したわよ。今は、2年生、3年生でパニックになって残っている奴を、一本釣りしてるんだけど。それにね、敵はあんたたちだけを狙っているわけじゃないのよ。既にもう、ここに残っている全校生徒が襲われてるの。それを私の〔防御障壁〕で、はね返しているんだけど、先輩。おわかり?」
言われてみれば、そうである。5000頭の大群であれば、この最後尾だけを狙うわけがない。完全に敵に『囲まれている』ということでもある。包囲殲滅攻撃を受けているのは、実は生徒側であった。
「あ。そうなんだ」
ラヤンが半眼だった両目をパッチリと見開いた。すぐに簡易杖を向けて、実際にミンタが巨大で長大な〔防御障壁〕を張り巡らせて、生徒と先生たちを熊の突撃から守っているのを確認する。
ムンキンもミンタに加勢しているので、エルフ先生の精霊魔法専門クラスの生徒が、ノーム先生のクラスに編入されていた。その60名ほどを指揮しているビジ・ニクマティ級長に連絡を入れる。
「級長。クラスふたつ分の担当ですが、大丈夫ですか? ムンキン君を応援に向かわせましょうか」
すぐにニクマティ級長のドヤ顔が、〔空中ディスプレー〕画面に映し出された。狐の両耳をピンと立てていて、鼻先のヒゲも得意げに立っている。黒茶色の瞳を興奮で輝かせながら答えた。
「いや、問題ないぞ。敵熊群の位置情報が把握できているからな、迎撃も行いやすいよ。何たって、こちらには60名もいるからねっ。部隊指揮は任せてくれ」
ラヤンが軽く吹き出して、慌てて「コホン」と咳払いし、口調を淡白なものに戻した。
「そうですか、了解しました。他の戦力は力場術専門クラスだけなので、頼りにしていますよ」
その力場術のタンカップ先生だが、やはり先頭を切って攻撃を続けているようだ。〔空中ディスプレー〕画面を通じて見ると、相変わらずのタンクトップと半ズボンの姿である。木彫りの人形のような厳つい体を豪快に動かしながら、簡易杖を振り回していた。
「うらうりゃあ! 者ども、焼き尽せえっ」
自動追尾方式の〔レーザー光線〕や〔ビーム〕攻撃を、40本の単位で敵群に向けて放っている。彼の専門クラスの生徒たちも、バングナン・テパ級長の指揮の下で撃ちまくっているようだ。
幻導術のプレシデ先生は、〔防御障壁〕の維持と、幻術を使っての敵群の進路妨害に専念しているようだ。さすがに自慢のスーツと革靴が、泥や木の葉などで汚れてしまっている。ウースス級長がそばにいないので、怒って簡易杖を振り回していた。
「プサット・ウースス級長はどこですかっ。この忙しい時に行方不明とは何という失態。〔幻惑〕魔法を強化しますよ。これ以上、熊どもを近づけてはなりませんっ」
幻導術専門クラスの生徒たちが、気勢を上げて応じた。しかし、やはり生徒をまとめる役の級長が不在なので、今一つまとまりに欠けている。
招造術専門クラスも同様だった。こちらは、〔石化解除〕されて間もないので、元々戦力にはなっていない。さらに級長が不在なので、生徒の行動がバラバラだ。
担当のナジス先生が白衣風ジャケットを土と落ち葉まみれにしながら、鼻をすすってグチを垂らしている。
「レタック・クレタ級長はどこかねっ。私が1人で生徒の面倒を見るのはキツイんだが」
占道術のティンギ先生は実に嬉しそうだ。熊の群れに嬉々として飛び込んでいって、ヒラリヒラリと熊爪攻撃を回避している。
「これは良いですね、実に良いっ。あはははは。魔力がみなぎるう~」
〔防御障壁〕の中では、彼の専門クラスの生徒たちが呆れた表情で、ティンギ先生と熊のダンスを眺めていた。級長のライン・スロコックが口元を魚に戻しながらも、生徒たちをまとめている。
「我々の今の魔力では、ティンギ先生の遊びに付き合う事はできない。ここは悔しいが、〔テレポート〕して避難する事を最優先とするぞ」
「おう!」
専門クラスの生徒たちも、同感のようで、素直にスロコック級長に従っている。級長が、簡易杖を高く掲げた。
「待ち時間に、『アンデッド教』への入信を受け付けるぞ。素敵なアンデッドの世界へ加わるのだ」
「ぶー……」
一斉にブーイングが起きた。この非常時に不謹慎な勧誘は慎むべきなのだが、気にしないスロコック級長だ。
まあ、法術のマルマー先生が今も熱心に信者勧誘をしているので、それに倣っているのだろう。
その法術専門クラスは、負傷者の応急〔治療〕に大忙しであった。マルマー先生が勧誘を一時中断して、専門クラスの生徒たちに告げる。
「これはいかん。我らも〔治療〕を中断して、退避するぞ。負傷者を連れて〔テレポート〕避難するのだ」
マルマー先生の指示を受けたバタル・スンティカン級長が、仲間の生徒たちに指示を下した。
「班別に、順次〔テレポート〕するぞ。まずは重傷者治療班からだ。患者の容体を見計らって一緒に〔テレポート〕していけ!」
頼もしい気勢が、法術専門クラス生徒から上がってくる。それを鉄紺色の瞳を鋭く光らせて聞く級長だ。尻尾で地面をバンバン叩いている。
「さて。ラヤンさんにも、さっさと避難するように指示を出しておくかな」
一方その頃バントゥ党も、独自に生徒たちを次々に寄宿舎へ強制〔テレポート〕させつつ、ミンタの〔防御障壁〕を強化する協力をしていた。熊群への攻撃も、竜族のラグ班を中心にして盛んに行っているようだ。巨大な〔火炎放射〕が何本も放たれて、熊を火だるまにしている。
ベルディリ級長とチューバの魔法工学組は、先の戦闘で魔法具を全て使い切ってしまったようだ。名残惜しそうな仕草をしながらも、大人しく〔テレポート〕避難を支援している。
幻導術のウースス級長が〔テレポート〕魔法の混線防止に全力で取り組んでいる。その様子が、〔空中ディスプレー〕画面越しに知らされた。
「〔テレポート〕魔法の障害になるので、不必要な魔法は使わないように! 熊に食われて死ぬぞっ」
ウースス級長の警告を聞いた招造術専門クラスのクレタ級長が、生徒たちを誘導して手際よく〔テレポート〕魔法陣に流している。
「了解だ。幻導術での時間稼ぎ、頼むよっ」
総指揮のバントゥが緊張した面持ちながらも、ドヤ顔になって指示を次々に下している。その忙しい合間に、〔念話〕でミンタたちに告げてきた。彼は幻導術の専門で攻撃魔法にはそれほど詳しくないのだが、それでもソーサラー魔術の〔火炎放射〕を次々に放って熊を焼いている。
(僕たちがいる限り、敵に包囲されていても心配は無用だ。ミンタさんも攻撃に専念してくれても構わないよ)
ミンタが「フフン」とドヤ顔になって忠告を無視した。光の精霊魔法を使用中なので、全身が白く発光している。ペルに明るい栗色の瞳を向けた。
「もう少しで全員を〔テレポート〕し終わるわ。ペルちゃんはそれまで頑張りなさい。先生方も迎撃に協力しているから、応援は不要よ。最後尾を死守しなさい」
ペルが強くうなずいた。疲労と混乱と緊張のせいか、顔じゅうのヒゲが上毛を含めて四方八方に向いているが。
「うん、分かったよミンタちゃん。頑張る。よし、発動!」
<ドドドオオオン!>
地響きを伴った爆発音が、森の中から届いてきた。
「氷の精霊魔法の〔爆弾〕魔法だよ。ラヤン先輩、敵の座標情報の信号間隔を、もう半秒ほど短縮して下さい。それで、自動攻撃の術式に切り替えます」
ムンキンも気絶しているジャディをレブンに渡して、最前線に復帰した。
「オレからも頼む。〔レーザー〕攻撃の自動化に、術式を切り替えたい」
ラヤンが不敵な笑みを浮かべて眼の片方を閉じた。ウインクのつもりだろう。ついでに尻尾を1回と地面に叩きつける。
「了解。魔力を使いすぎないようにね。そこに転がっている鳥みたいに、邪魔な置物になってしまうわよ」
ムンキンが苦笑しながら、ラヤンが行っている索敵魔法の情報との〔同期〕を完了する。
「こんなことだったら、カカクトゥア先生に無理を言ってでも、精神攻撃型の精霊魔法を教えてもらうべきだったかなあ。熊なんかだったら、ちょっといじれば支配下に置けて同士討ちさせることができたのに」
【亜熱帯の森の上空】
「……ふう。やっと全部のフクロウを撃墜できたわね」
エルフ先生が額の汗をぬぐって、1つ安堵の息をついた。飛族も大フクロウの大群の攻撃で、残存兵力は50弱にまで削られていた。残った者も皆ボロボロである。
支族長がヨロヨロしながらも、エルフ先生に向かって飛んできて彼女の両手をつかんだ。
「あ、姐御おおお……さすがの武者振りでしたぞ! ギリギリで何とか勝てたのは、ひとえに姐御のおかげッス!」
で、「オンオン」と涙を流して男泣きを始めた。他の飛族の男たち50人弱も泣き始める。
かなりの音量なので、ジト目になって眉間にしわを寄せるエルフ先生である。しかも音程がずれている者が結構いるので、なおさら不快そうだ。
「う……ま、まあ、勝てて良かったわね。これでパリーも怒らずにいてくれるで……わ」
エルフ先生が上空から森の中を見下ろして、顔を引きつらせた。思わず、数メートルほど落下してしまう。
撃墜されて森の木々の枝に引っかかって気絶している、大フクロウと飛族が1万ほどいる。その彼らの姿が次々に〔分解〕されて、ヒヨドリやメジロ、森バトなどの小鳥に強制〔変換〕されていた。
同時にパリーが一番高い木の上に〔テレポート〕して出現した。右腕を頭上に上げている。そして『笑っていない。』
「うざいな~。消えろ」
エルフ先生が慌ててパリーに上空から呼びかける。
「ちょ、ちょっと待って、パリー! もう、騒動は終わったの! もう大丈夫なの! だから……!」
が、パリーが右腕を振り下ろした。森の全ての木々が白く発光し始める。
それを見たエルフ先生が、のどの奥で悲鳴を出す。すぐに、周辺にいる残存飛族たちに顔を向けた。
「い、急いでここから脱出しなさい! 森に『食べられて』死ぬわよ!」
しかし支族長はじめ飛族たちは、戦闘に熱中している。森の様子を見る余裕もない様子だ。
その間にも森の白い発光がどんどん広がって、地平線まで届く規模になってきている。上空にも白い光が届き始めてきた。
森の中に墜落していた大フクロウや飛族の中で、まだ飛べる者がようやく異変に気がついた。ボロボロの翼を広げて、刀剣や槍を放り出し、悲鳴を上げながら上空へ飛び出してくる。
が。白い光に包まれたかと思うと、全員の体から小鳥が発生してきた。瞬く間に元の姿がなくなって、小鳥の群れに〔変換〕されてしまった。
(ま、間に合わない!)
エルフ先生が直観で『全滅』を覚悟した。せめて周囲の飛族50人弱だけでも保護しようと、ライフル杖の先を向けて風の精霊魔法を起動させる。
たちまち猛烈な〔竜巻〕が発生して、飛族全員を飲みこむ。それを地平線の彼方に向けて〔竜巻〕ごと〔テレポート〕させた。ライフル杖の底部から、10個以上の魔法パックがバラバラと排出されて森の中に落ちていく。
「……何とか無事なら良いんだけど。森の中の飛族は、手遅れか……」
その1秒後。エルフ先生も白い光に包まれた。思わず緊張で両目を固く閉じる……が、特に何も異変は感じられない。ライフル杖と機動警察装備のブーツだけが小鳥の群れに〔変換〕されて、飛び去っていった。ほっと安堵するエルフ先生である。
「よ……良かった。生きてる。パリーと『精霊魔法契約』をしていたおかげかな」
上空を見回すと、空を黒く染めるほどの大量の小鳥の群れが『誕生』していた。
「あ~。クーナじゃないの~。どーしたの~?」
森の高木の頂上に立っているパリーがエルフ先生の姿を見つけて、声をかけてきた。もう、すっかりいつもの猫なで声に戻っている。正気に戻ったようだ。
さすがにエルフ先生のストレート金髪が、50本の単位で逆立って静電気を≪バリバリ≫放つ。すぐに急降下してパリーの立つ場所までいく。
「どうしたのじゃないわよ! アンタ、たった今、1万羽の大虐殺をしちゃったのよっ。〔妖精化〕なんてやっちゃダメでしょ!」
パリーは頬を膨らませて、「ブーブー」不満を漏らしている。
「だって~うるさかったんだもの~。いくら温厚なパリー様でも~これは無理~」
エルフ先生も半分以上は同意なのだが、そこは厳しく言い続ける。
「だっても、何もないわよ! 小鳥にしちゃった大フクロウと飛族たちを、元に戻しなさい! こんな大虐殺した森の妖精じゃ、エルフ世界の警察本部が『精霊魔法契約の解除』をしてくることになるのよ! 私、強制送還で失業よ!?」
それを聞いて、ようやく反応するパリーである。まだかなり面倒臭そうな様子だが。
「う~……それは~いや~。せっかく~、最近は面白いことが~多かったのに~」
もう一押しだと直感したエルフ先生が、駄目押しする。
「戻しなさい。今すぐ」
パリーがニヘラと微笑んだ。納得してくれたようだ。
「分かった~。元に戻す~。でも、またうるさくなると嫌だから~私の森には出入り禁止にするけど~それでいい?」
エルフ先生も同意する。逆立っていたストレート金髪も跳ね返りが収まって見栄えが良くなった。静電気の火花も収まっていく。
「仕方がないわね、飛族には可哀そうだけど、森からの追放処分は避けられないか」
今回の騒動については、飛族は完全に被害者であるのだが……やむを得ないだろう。
森の白い発光もようやく収まってきた。地平線辺りの森はまだ白く発光しているが、これも間もなく収まるだろう。
パリーが再び右腕を上げて下ろすと、上空を黒い雲のようになって乱舞していた小鳥の大群が〔再結合〕を始めた。《ポンポン》と次々に、大フクロウや飛族に再〔変換〕されていく。しかし、刀剣類や衣服は、残念ながら元に戻らないようだ。
まだ気絶状態なので、そのまま森へ落下していくが、そこはパリーが許さなかった。森の上空に見えないハンモックでもかけたように、1万羽の大フクロウと千人の飛族が、気絶したままで空中に〔浮遊〕している。
それを、まるでゴミの日に、ゴミ袋をゴミ捨て場に投げ捨てるような無造作な動きで、パリーが両手を上げた。《ブオン》と大きな音が鳴り、大フクロウと飛族の群れが地平線の彼方へ飛ばされていく。送風掃除機で吹き飛ばされる落ち葉か何かのようだ。
それを見送るエルフ先生。
「〔テレポート〕くらいしなさいよね……吹き飛ばしてどうするの」
それでも何とか死者を出さずに済んだので安堵している様子だ。これで、タカパ帝国側にも、エルフ世界のブトワル王国警察側にも、申し開きができるだろう。どっと疲れも湧いてきた。
パリーが木の上でピョンピョンと跳ねながら、エルフ先生に聞く。
「ねえ、クーナあ。魔法学校の先生と生徒たちはどうする~? 一緒に小鳥に〔分解〕しちゃったんだけど~」
「は!?」
先生たちと生徒たち、校長先生や事務職員たち、警察部隊に軍警備隊、ついでに情報部の派遣軍人たち全員が、小鳥状態から〔復活〕したのは、その1時間後であった。
巨大熊は小鳥のままにされたので、再度騒動が起きることはなかった。この作戦中に、警察部隊と軍警備隊員の半数以上が熊に捕食されて絶命していたのだが、彼らも無事に〔復活〕を果たしている。
森の木々の枝に留まって観測していたカラス型の使い魔数羽が、主に向けて報告をしていた。
(生体情報の収集に失敗。味方戦力は、その全てが棄損、作戦続行は不可能。作戦目標の達成率は17%……これより撤退する)
そう通信して、どこかへ〔テレポート〕しようと術式を展開し始めた使い魔群が……突如〔消去〕された。
「……ふうん。カルト派貴族の使い魔ですか。術式の採集ができましたし、墓所で〔解析〕してみましょうかね」
墓用務員が森の中に立っていて、先ほどまで使い魔たちが留まっていた枝を見上げている。そしてそのまま、墓所がある方向へ歩いていった。
【寄宿舎の前庭】
〔テレポート〕避難先の寄宿舎の前庭には、全校生徒と先生、それに事務職員たち全員が揃っていた。そんなに広い前庭ではないので、相当な混雑ぶりである。
パリーが強制的に全員を小鳥にして、それを元に戻したので、さらに訳が分からず、混乱の状況に拍車をかけている。
その中を校長が事務職員たちを指揮して、全員の安否確認をしていた。これまで何度も寄宿舎への避難が行われているので、意外に手慣れた作業運びだ。
そこへ、ペルたちが〔テレポート〕してきた。前もって座標情報を〔共有〕しているので、パリーが〔テレポート〕してきた際のような、森の土を持ち込む事故は起きていない。運動場に近くて集団から少し離れた場所へ無事に〔テレポート〕してきた。
すぐに校長が駆け寄って、負傷していないことを目視で確認して胸をなでおろす。彼の服装は、さらに土汚れを受けて茶色くなってしまっていた。護身用の杖型の魔法具をしっかりと握りしめているが、どうやらそれは、もう魔力切れになっているようだ。
「ふう……良かった。どうやらケガはしていない様子ですね。さすがです。あなたたちが最後の避難グループですね。なぜか一時、小鳥になっていたような気がしますが多分、気のせいでしょうね」
ラヤンが赤橙色のウロコを膨らませながら校長に顔を向けた。さすがの彼女も疲労困ぱいの表情だ。
「そうですね、何か起きたようですが、気のせいでしょう。シーカ校長先生。それで、ケガ人や死者は出ていますか? 私も〔治療〕に加わりたいのですが」
校長がすぐに〔空中ディスプレー〕を出して、ラヤンに情報提供をする。どうやら、寄宿舎裏に救護所テントが設営されているようだ。
「疲れているでしょうが、お願いします。この救護所へ向かって下さい。指揮は、あなたの担任のマルマー先生ですよ。私の記憶では死亡者がかなりの人数出ていたはずなのですが、思い違いでしたね。それでも、負傷者が収容されていますので、そこへ向かいマルマー先生の指揮に従って下さい」
「分かりました。では」
早速、ラヤンが寄宿舎裏へ向けて駆け出していった。ペルたちに挨拶もせずに、真っ直ぐ向かうところはラヤンらしい。
今は多くの魔法の術式が縦横に交差して飛び交っている状況なので、混線状態だ。この中で〔テレポート〕すると、別の場所へ飛んでしまう恐れがあるからである。
入れ替わりに、事務職員の狐族が校長のもとへ駆けてきた。
「シ、シーカ校長先生! 森の原獣人たちから、負傷者や子供を保護して欲しいと訴えが来ています」
校長が手早く手元の〔空中ディスプレー〕画面を操作して、負傷者と避難者の申請数を確認する。
「うーん……救護所テントでは収容できませんね。分かりました。原獣人族専用の救護所兼避難テントの設営を許可します。場所は運動場でよいでしょう。医療用のゴーレムをいくつか手配するように、ウィザード魔法招造術のスカル・ナジス先生にお願いしてみます。貴方は人員を選抜して下さい」
「はい!」と、ダッシュで戻っていく事務職員の後ろ姿を見る校長だ。手元に呼び出した小さな〔空中ディスプレー〕を通じて、ナジス先生に状況を説明して許可を得る。
いつもであれば、何かと理由を探してゴネる先生なのだが、今回は非常に素直である。校長も素直に礼を述べた。画面を切り替えて、次に教育研究省と警察に軍にも報告をする。
校長が1分間もかからずに一通りの報告作業を終えるのを見てから、ミンタが校長に尋ねた。彼女も大規模な光の〔防御障壁〕を長時間展開していたせいで、かなり疲労している。
「シーカ校長先生。私も救護所へ行きましょうか? 法術使えますよ、法術場サーバーの支援なしで」
しかし、校長は迷った表情になりながらもミンタの申し出を断った。
「いいえ……ミンタさんとムンキン君には、別にやってもらいたい事があるのです。救護所も重要ですが、こちらの方が優先だと判断します」
ムンキンも疲労困ぱいで地面に座り込んでいたのだが、「えいやっ」と立ち上がった。ついでに尻尾で地面を数回叩く。
「なんでしょうか?」
校長が新たに別の〔空中ディスプレー〕を出した。そこに映し出されているのは、警察と軍の配置図情報であった。いきなりの機密情報の提示に驚くムンキンとミンタである。ペルとレブンは急いでジャディを引きずってその場から離れようとしている。
「み、見ていませんから! ご心配なくっ」
「そうです、僕たちは何も見ていませんよっ」
「うええええええ? 何だよ引きずるなよコラ」
その動きを、微笑んで制止する校長。
「教育研究省経由の位置情報ですから、見ても問題ありませんよ。警察や軍の部隊などの装備情報は入っていません。まあ、取り扱い注意ではありますけれどね」
「なあんだ……」
ほっとする生徒たちだ。ジャディは文句をペルとレブンに言い続けているが。
校長が真剣な表情になって口を開いた。声の調子が一気に変わる。
「警察と軍の広報からの正式な情報はまだなのですが、この配置図では、部隊の移動が急に活発化しています。恐らくは、ここと同じ状況が帝国領のあちこちで同時に発生しているのかもしれません」
そして、小さなウィンドウを開いて見せた。
「これは、この学校に駐在している警官と、軍部隊の動向です。マライタ先生にお願いして観測システムを組んでもらいました。あ。教育研究省からの許可は受けていますよ。それによるとですね……」
その画面を見ていたムンキンが顔をしかめ、唸って腕組みをしながら全身のウロコを膨らませた。
「うは……警察も軍も、今ここに残っているのは数名かよ。救護所で寝ている奴を除いて、他全員がどこかへ緊急に駆り出されたってことか。人遣い荒いな。卒業後の進路に選ぶのは要再考だな」
レブンもセマン顔のままで、ムンキンの隣までやってきて同意する。
「そうだね。ここを放置してでも対処しないといけない『緊急事態』が起きている、ということだね。『大規模テロ』か、ここと同じような『熊の大発生』か、かな」
テロと聞いて、ムンキンの顔が険しくなった。
「……帝国で最大のテロ組織は『竜族独立派』だな。僕も何度か連中に勧誘されたことがある。断ったけれどね」
しかし、校長はムンキンの懸念を否定した。
「テロ組織ではないと思いますよ。この熊騒動は突発的ですからね。テロには準備が必要ですから」
言われてみればそうである。
校長がミンタとムンキンの顔を見ながら話を続ける。
「ご覧のように現在、この学校を守備する戦力が足りません。バントゥ君たちが頑張ってくれましたが、彼らもさすがに魔力切れです。まだ熊の残党がいるかもしれませんので、警戒の維持は必要です。熊の他に、まだ別の獣の群れがいる可能性も排除できません」
校長が少しの間だけ思い出す仕草をした。
「アウルベア……でしたっけ。そのモンスターの錬成〔解除〕後に発生する、熊以外のモンスターや、ヒドラやマンティコラが分離して、我々に襲い掛かってくる恐れとか、ですね」
実際、校長が懸念している通り、大フクロウの大群が発生していたのだが……この時点では彼らは知らない。それとジャディの故郷が無くなってしまったことも。
ペルがレブンに小声でささやいた。
「……歴史〔改変〕の影響かな。予測通り、アウルベアの存在そのものが〔消失〕してきているみたい」
レブンも同意する。そして、校長を含めた全員に提案した。
「僕たちにも、間もなく歴史〔改変〕の影響が出て、アウルベアの『存在』を忘れることになると思います。アウルベアが錬成〔解除〕されて派生するモンスターは、熊と大フクロウです。「大フクロウが町や村を襲撃する恐れが高い」と『記憶し直して』おけば、とりあえず今は充分だと思います。対空戦闘への警戒ですね」
「なるほど」と皆が同意した。すぐに、「大フクロウ群の襲撃に対して警戒をすべき」という『記憶』を改めて行う。理由は失われるが、それで充分だ。
実際その後、熊と大フクロウが15頭余り襲撃を仕掛けてきた。が、その程度の数ならミンタとムンキンの〔レーザー〕魔法の敵ではない。
1時間もすると、広範囲の〔探知〕魔法でも敵影が見当たらなくなった。ムンキンが首をかしげる。
「変だな。敵の総数は1万ほどもあったと思うんだけど。僕たちが倒したのは、せいぜい1500ぐらいだろ? 残りはどこへ消えたんだ?」
ミンタも不思議に思っているようだ。両耳が交互にパタパタ動いている。
「そうよね……もしかすると、皆の共通記憶になってる小鳥になった白昼夢と関係があるのかもね。まあ、大仕事にならずに済んで良かったじゃない」
ムンキンが尻尾を地面に叩きつけながら、うなずいた。
「だな。ハグか墓が何かやったのかもしれないしな」
レブンも同意見のようだ。シャドウからの索敵情報を〔空中ディスプレー〕画面で解析分析しながら、セマン頭の黒髪をかく。
「そうなんだよね。僕、確か熊のゾンビを20体以上作ったはずなんだけど、気がついたら1つも残っていなかったし」
ペルも子狐シャドウを索敵に出して、レブンと同じ作業をしていたが、強くうなずいた。
「うん。『何か起きた』のは間違いないと思う。でも、調べようにも〔ログ〕も魔法場残滓も残っていないけど。生命の精霊場だけが異常に強いくらいかなあ。あれだけの数の熊が出現したんだし、パリーさんが警戒するのも分かる」
ミンタも暇になったので、あくびをしながらペルの感想に同調した。
「そうね。先生たちもどこかへ飛んでいったし。もう大丈夫じゃない?」
確かに、15分前からウィザード先生と法術先生が血相を変えて、どこかへ飛んで行ったり〔テレポート〕して去ったりして姿が見当たらない。ミンタがあくびをもう一度しながら毒づく。
「違法に設けた魔法場サーバーが襲撃されていないかどうか、確認しに行ったのでしょ。シーカ校長先生に敵がいなくなったことを知らせて、私たちも寄宿舎へ戻りましょ。さすがに疲れた。でも、どうして熊の大群がいきなり現れたのかなー。確か直前までは、何もなかったんだけど」
「そうだよねー」と首をかしげる生徒たちである。
エルフ先生が戻ってきたのは、それから10分後だった。かなりボロボロになっていて杖もなく、ごつい機動警官用の制式ブーツもなくて裸足である。
驚いて駆け寄ってくるミンタとムンキンに「大丈夫ですよ」と微笑んだエルフ先生が、小鳥の白昼夢の謎を解明してくれた。
ムンキンが真っ先に怒り出した。濃藍色の瞳が怒りの炎に包まれる。
「はあ!? あの糞妖精、そんな暴走を仕出かしたのかよ!」
尻尾が16ビートで地面を叩き、頭と尻尾のウロコが逆立って盛り上がっていく。
ジャディはショックを強く受けていて、半ば放心状態になっている。羽も数枚ヒラリヒラリと抜け落ちた。
「ま、まじかよ、エルフの先生よお……」
レブンとペルがジャディの体を支えて、同情している。エルフ先生が、息を整えてからジャディに言い聞かせた。
「ジャディ君。明日、日が昇ったら私が風の精霊を飛ばして、飛族がどこに飛ばされているか調べてみます。丈夫な種族だから、それほど心配は要らないと思うわよ」
まあ確かに、エルフ先生に撃ち落されて上空100メートル以上から自由落下しても、平気な体の持ち主ではある。
そして次に、駆けつけてやってきた校長先生に顔を向けた。
「事情はお知らせした通りです、シーカ校長先生。それでジャディ君ですが、彼の一族が森から追い出されてしまいましたので、学校のどこかに彼の部屋を設けてほしいのです……飛族ですので、一般部屋ではかえってストレスが溜まります。寄宿舎の屋上の倉庫の1つを、彼に割り当ててもよろしいでしょうか」
校長が鼻頭の汗をハンドタオルで拭きながら、微笑んでうなずく。
「構いませんよ。後で、水道と電気、簡易の洗面所とトイレユニットを付ければ大丈夫でしょう。ただ、正規の部屋ではないので、書類上ジャディ君は寄宿舎に住所を持てませんが。あくまで、校外からの通学ということになりますよ。正式な入学試験も受けていませんから、生徒という公式な身分もありません。軍や警察からの受講生と同じ扱いです。それでも構いませんか?」
校長がジャディに顔を向けたが、ジャディは今それどころではない心理のようだ。まだ放心状態である。
それを見て、エルフ先生が校長に進言した。
「とりあえず、今は寄宿舎屋上の倉庫で休んでもらいましょう。彼が落ち着いてから、改めてどうするか決めることにしましょう」
校長もジャディのあまりの放心ぶりに驚きながらも同意した。
「その方が良さそうですね、分かりました。カカクトゥア先生」
校長が早速、携帯通信器でジャディの部屋の手配を事務員に指示する。それを手早く済ませた後で、改めてエルフ先生に真剣な表情を向けた。
「教育研究省から続報が入りました。帝国のあちこちで、ここと同じ事件が起きています。そして、カカクトゥア先生が仰ったように、妖精が棲む森から『熊が大量に追い出されている』という観測情報です。その一部が帝都に向けて進んでいますね。その数は推定12万頭。同じ数の大フクロウも加わっているという話です」
目が点になっているエルフ先生である。ムンキンだけが目を見開いて、元気に尻尾をバンと地面に叩きつけた。
「ここの警官と軍人が、根こそぎ駆り出されたのも納得だな。12万かよ。下手すれば帝都が熊とフクロウの群れで陥落しかねないな」
レブンが困ったような笑顔になった。口元が魚に戻っている。
「確かに。タカパ帝国『危急存亡の危機』だね。こんな辺境の魔法学校は、優先順位から見て放置されるよね、そりゃ……」
ペルが片耳をピコピコさせて、尻尾で地面を掃いた。
「え、と……ということは、ここはパリーさんの支配下にある森の中だから、もう熊と……ええと、大フクロウの襲撃はない……という事なのかな」
いきなりパリーが〔テレポート〕して姿を現した。暇になったらしい。
「そうよ~。もういない~」
いつものヘラヘラ笑いをしているので、ほっとするエルフ先生である。
校長や生徒たちは、パリーが実際に何をしたのか映像で見ていないので今一つ実感が持てない様子だ。
まあ、見た目が身長140センチほどの、よれよれの非常にだらしない寝間着姿で、草で編んだサンダルを引っかけた女の子である。
ウェーブがかった腰まである長い赤髪もヒョコヒョコとコミカルに動いているので、なおさらだ。生命の精霊魔法による〔妖精化〕とエルフ先生が呼んだ『小鳥化』も、白昼夢のような記憶しかない。なので、これ以上パリーを非難する気持ちは起きない様子である。
ムンキンが話題を変えた。尻尾が地面を打つリズムが早まる。
「じゃあ、俺たちがここに残っても特に仕事はないよな。故郷の町が心配だ。〔テレポート〕して援軍に行きたいんだけど」
「また、俺とか言ってるよ……」とジト目になるレブンであるが、彼も今回は同意見だ。セマン顔のままで、エルフ先生と校長先生の顔を交互に見つめる。
「僕も同意見です。僕たちを魔法学校へ送り出してくれた、親類が住む故郷が危険に曝されています。頼みの警察や軍も手一杯であるならば、僕たちには故郷を防衛する義務が生じます」
ラヤンも紺色の目を閉じて、尻尾を8ビートのリズムで地面に軽く叩きつけながら同意した。救護所が落ち着いたので戻ってきたのだろう。運動服には返り血が点々とついていて、手袋も赤っぽい。
「そうね。私たち竜族には、その『義務』が発生するわね」
ミンタも尻尾を勇ましく振って同調するが……隣のペルの表情が明らかに曇ったのを見て、尻尾を振るのを止めた。そして、ペルの小さな肩にミンタが手を乗せる。微笑んだり励ましたりしたりはせずに、ただ、手を肩に置いた。
ペルが小さく深呼吸して顔を上げる。目が少し潤んでいるようにも見える。
「わ、私も賛成です。故郷は、故郷です」
しかし、校長は渋い表情のままだ。両耳と顔のヒゲ群も少し力なく垂れている。
「あなたたちは学生です。警官でも軍人でもありませんし、戦闘訓練も受けていません。本当でしたら、断固として反対すべきでしょう。ですが……故郷の村や町が襲撃を受けてしまえば、あなたたちが在学して学ぶ余裕は、経済的にも制度的にも無くなるでしょう。退学して、どこかの難民キャンプに長期間住むことになるはずです。教育者としては、それは実に残念なことです」
そして、エルフ先生の顔をじっと見つめた。
「カカクトゥア先生。私としては立場上、彼らをそのまま送り出すことはできません。しかし、『分身』を送り出すのであれば、考える余地が出てきます。もしくは、ここ学校に〔蘇生〕〔復活〕用の生体情報とサンプルを完全な形で残すか……どう思いますか」
エルフ先生が腰に両手を当てて、両目を閉じながら両耳を数回上下させた。
「私はそれほどウィザード魔法やソーサラー魔術、法術について詳しくはありませんが……可能ですね。しかし、それぞれの魔法場サーバーが襲撃を受ける恐れは、まだ残っています。ですのでパリーに頼んで、彼女に〔蘇生〕や〔復活〕用の生体情報の『保管』をしてもらえば、生徒たちの身の安全はかなり保障されるでしょう。この森は、熊やフクロウの脅威を排除できましたし」
そう言って、エルフ先生がパリーを見つめた。
「どうかしら。パリー」
「いいよ~。そのくらい~。長い間の保管はできないけど~2日程度だったら大丈夫~」
二つ返事でヘラヘラ笑っているパリーである。
校長が深く深呼吸をした。
「……そうですか。では、許可します。他の在校生についても、許可することにしましょう。死亡してからの〔復活〕の場合、様々な悪影響が出るという事ですが……故郷が壊滅した際のショックに比較すると軽度でしょうからね」
一気にテンションが上がるムンキンとミンタである。特にムンキンは体中のウロコを膨らませて、尻尾をバンバン地面に叩きつけながら咆哮している。
ペルも決心を固めたようだ。薄墨色の瞳の輝きには迷いや揺らぎが見られなくなった。ラヤンは両目を閉じて石像のようになって微動だにしなくなる。全身のウロコは逆立って盛り上がっているが。
ジャディは放心したままであった。今もレブンが肩を支えている。




