40話
【死者の世界観光】
とは言うものの森も田園も、エルフや森の妖精の目からすれば『死にかけている』状態であることには違いがない。とても楽しい観光と呼べるものにはならないのは自明であった。
サムカは馬車には座らず、馬の背に乗っている。執事は馬車の荷台にかしこまって座って、小さな空中ディスプレーを介して、色々と指示を出しているようだ。もちろんオークは魔法を使えないので、無線機を使用している。
サムカが馬の背から振り返り、馬車の客席にレインコートをかぶって座っている不機嫌な2人に視線を投げ、とりあえず言い訳をした。
「済まないね。しかしこれでも私の領地は、生命の精霊場が強い方なのだよ。農作物の生産拠点でもある」
しかし、客は2人ともジト目のままである。レインコートは相変わらずのステルス仕様なので、顔と膝から先の足しか見えない。パリーは背が低いせいもあって、顔とつま先しか見えていない。
その『顔だけエルフ先生』が、口元を少し歪ませて微笑んだ。
「なるほどね。じゃあ、ここの王国連合に獣人世界の農産物が押し寄せたら、大変なことになるわね。冗談ではなく破産するかも。ちなみにエルフ世界の果物は、さらに生命の精霊場が強いのよ」
サムカが素直にうなずいた。
「そうだろうね。しかし、我が王国の宰相閣下はそれも対策済みだから、それほど私の領地の損害は大きくはならないだろうと思う。そういえば別の王国連合で、エルフ世界から密輸した生鮮果物を闇ルートで流した……という噂は聞いたことがあるな。詳しいことは知らないがエルフ世界にばれて、すぐに失敗したそうだ」
エルフ先生が空色の瞳を細めてクスリと微笑んだ。
「ええ、私もその話は聞いたことがありますよ。別のエルフ王国の話ですけどね。結構な騒ぎだったようで、私の国にも情報が流れてきていました」
そして、作物が育っている田園を馬車から眺めながら、整った眉を少しひそめた。パラリと数本の金髪が垂れ落ちてきて日差しを反射する。
「私やパリーがここで生命の精霊魔法を使えば、収穫量も品質も向上するのでしょうが……止めておいた方が良いのでしょうね。一時的な回復では、長期的に見てマイナス面の方が大きいでしょうし」
パリーは大あくびをして眠そうな声を出している。飽きてしまったのだろう。
「そうね~。魔法場は安定していることが~一番大事だもんね~。ふわわ、ねむい~」
横に座っているエルフ先生が心配そうな表情になって、パリーを見つめた。
「うーん……パリーは妖精だから、このステルスマントを被っていても消耗してしまうみたいね。妖精用に作られているわけじゃないから仕方がないのかなあ。私は大丈夫なんだけど」
サムカも馬上から振り返り、心配そうな顔で色々と思案している。
「うむむ。私の領地でも消耗してしまうか。困ったな。他の貴族の領地は、さらに厳しい環境だしな……」
サムカの愛馬も低く鼻を鳴らして、両耳をパタパタさせている。
馬車の荷台に座っていた執事が、サムカに提案してきた。
「旦那様。南部戦線の味方占領地へ避難なさってはいかがでしょうか? 敵のオーク独立国群にも隣接しておりますので大量のオークが居住しており、生命の精霊場もかなり強いと思われます」
サムカが大きくうなずいた。山吹色の瞳がキラリと輝く。
「おう、そうか。確か我が師匠も、戦線は生命の精霊場が強いと仰っていたな。私の感覚でも、確かに強かった記憶がある」
執事が手元で空中ディスプレーを操作しながら、話を続ける。通信状態がやはり思わしくないのか、時折、画面が砂嵐状態や真っ黒状態になっているが。
「旦那様の御領内のオーク自治都市内にもオークや家畜がおりますので、それなりに生命の精霊場は強いとは思います。ですが、確実性を期すのであれば、やはり南部戦線の占領地が最も良いかと……旦那様、現地のトラロック・テスカトリポカ右将軍と回線が開きました」
サムカが瞬時に〔空中ディスプレー〕を発生させて、執事が開いた回線に接続した。すぐに、赤紅色の大仏頭に白い鉛白色の顔の将軍トラロックの顔が出た。相変わらず、白い歯がよく目立つ。
画面の解像度はかなり悪くノイズが相当に入っているが、通話に支障は出ないようだ。時々、画面が停止してしまってはいるが。
「おう、サムカか。どうした急に」
「右将軍閣下。いきなりの申し入れ、申し訳ありません。実は……」
サムカが丁寧に状況説明をトラロックにすると、彼が大笑いし始めた。
琥珀色の大きな瞳が愉快そうにキラキラしている。彼は貴族の普段着姿だったのだが、さすがに仕立て具合はサムカの服よりも格段に上品だ。それなりに宝石類や装飾品も身につけている。恰幅の良い堂々とした体躯なので、『武闘派の将軍』と呼ぶにふさわしい。
「いや、すまんすまん。サムカよ、お前は相変わらず貴族らしくない振る舞いばかりするなあ。まあ、そこがワシの気に入っている点でもあるんだが。よかろう、客人を我が占領地で休憩させることを許可しよう」
「ありがとうございます、右将軍閣下」
トラロックがニヤリと笑って、サムカに向けて指差した。手袋はしておらず、かなり骨太い鉛白色の指だ。
「その代わりといっては何だが……せっかく最前線まで来るのだ、ひと暴れしてもらうぞ」
サムカが馬上で苦笑して、承諾した。錆色の短髪の先が馬の動きに合わせて揺れて、日差しを鈍く反射している。
「了解いたしました。ですが、私も客人に続いて再〔召喚〕される予定ですので、近場でお願いいたします」
こうして手続きを済ませたサムカが、エルフ先生に視線を向けた。
「済まないね。戦場の近くとはいえ、占領地は安全だ。ここで消耗して、魔法が充分に使えない状態で学校へ戻るのは、得策ではなかろう」
エルフ先生も意外と素直に同意してくれた。空色の瞳に少しだけ、諦めの色が浮かんでいるが。
「分かりました。その方が合理的ですね」
そう言ってから、ふと気づいたのかエルフ先生の細長い両耳がピコピコと上下に動き出した。
「ですが……私はこれでもエルフの国の機動警察官ですよ。エルフ世界への定期報告で求められれば、隠さず報告する『義務』があります。あなた方貴族社会にとって、不都合な事にはなりませんか?」
サムカが錆色の前髪を風に揺らしながら微笑んだ。木漏れ日が藍白色の白い顔に当たって、磁器のような反射をする。
「最前線の戦場や占領地では、様々な異世界からの密偵や情報員が昔から跋扈している。君たちは我々の王国連合軍の作戦に参加するという事にはならないし、単に安全地域で休憩するだけだ。だから、我々としても特に問題視する事にはなるまいよ」
エルフ先生も改めて考え直して、うなずいた。
「……そうね。1時間も滞在しないし。では、私たちの避難誘導をお願いします、サムカ先生」
「心得た。では、この馬車ごと〔テレポート〕しよう」
すかさず執事がサムカに注進した。
「しばしお待ちを、旦那様。右将軍閣下からの戦闘要請がありましたので、何か適当な武器甲冑を城から用意する必要があるかと存じます。それに、まことに申し上げにくい事ですが……今の旦那様のお姿で、右将軍閣下に目通りなさることは、少々憚られるかと」
そう言われたサムカが、短く切りそろえた錆色の前髪を片手でかいた。確かに、作業服のような姿では少々考え物だ。しかも、両袖が消失してボロボロだ。白煙はようやく収まったようで、腕の〔修復〕が始まったのだろう、サムカの両腕の輪郭が曖昧になって視認しにくくなっている。
「そういえば、〔召喚〕後に着替えたのであったな。元に戻すとするか」
サムカが指を鳴らすと、召喚時に着ていた礼装に衣装が変わった。執事にサムカが顔を向けて聞く。
「どうかね? 右将軍閣下に謁見するには、これで充分だと思うが」
執事が残念そうな表情で緩やかに首を振った。
「……旦那様。通常の謁見でございましたら、それで充分なのですが……今回は、戦闘も行う御予定でございましょう。いささか、華美に過ぎるかと」
エルフ先生も執事に賛同して、ニヤニヤ笑っている。
「そうね。その格好で戦闘なんかしたら、笑い者になるんじゃない? 派手派手だし」
サムカが腕組みをして首をひねった。まだ両腕の輪郭が定まっていないので、モザイクがかかったように見える。
「そうであったな。ではやはり、城門前に〔テレポート〕することとしよう」
【サムカの居城】
城門では、執事の小間使いが武装が収められた箱を用意して待ち受けていた。すぐにサムカが魔法で箱を開けて、中に収められていた鎧や武器を〔召喚〕して身に装備する。ボロボロの作業着と華美な礼装は、代わりに箱の中へ転送されていった。
サムカが銀糸の刺繍が施された黒いマントを肩に羽織って、クルリと回って身だしなみを確認する。
かなり年季が入った全身甲冑で、継ぎ目が少々錆びていたり、浸食を受けて擦り切れていたりしている。動くと、かすかに金属が軋む音がしたので、応急措置の魔法を施すサムカであった。
両腕も頑丈な籠手で覆われて、ようやく輪郭がはっきりする。腰のベルトを締め直して、吊るしている長剣の位置を修正する。この長剣も年季が入っていて、柄や鞘の模様が摩耗していた。
足元も革靴から金属製の甲冑ブーツに変わっているのだが、乗馬に対応するためにブーツの周りに分厚いフェルト製のクッションが巻かれていた。おかげで、足がかなり太く見えている。
そして、ワニ退治で使用した3メートルにも達する大槍を呼び寄せて、右の籠手で握った。
「うむ。特に問題はなさそうだな。いつもは着用しないから多少軋むが、まあ大丈夫だろう」
執事が小間使いに命じて酒樽を3つ用意させて、それをサムカの前に届けた。
「左様でございますね、旦那様。お土産は、これで構いませんか? 発酵最盛期ですので、耐圧樽です。開封の際にはご注意下さい」
サムカが黒マントの中に、二抱えもある大きな酒樽を3つも無造作に押し込んだ。ついでに大槍もマントの中に押し込む。やはり、マントの中で〔消滅〕しているようだ。
「うむ。師匠の好みだからな。これで良い」
そして、兜を背中のフックに引っかけ、エルフ先生とパリーに山吹色の瞳を向けた。
「待たせたね。では、南へ〔テレポート〕するか」
パリーは半分居眠りを始めていて、エルフ先生が肩を支えているようだ。ステルスマントなので、顔や手足の先くらいしか見えない。
「そうですね。サムカ先生の姿についてのコメントは差し控えます。エルフも妖精も甲冑には無縁ですので。しかし、さすがに城内は魔法場が強烈ですね。さっさと脱出しましょう」
甲冑は金属製なので大地の属性が強いのだろう。ノーム先生であれば喜ぶかもしれないが。
【テレポート道中】
ひとっ飛びでの空間移動は保安上認められていない。そのため他の貴族の領地を経由しながら、数回の〔テレポート〕を繰り返して、目的地の占領地へ到着するサムカ一行である。
貴族だけであれば闇魔法の空間〔転移〕をすれば済むのだが、今回はエルフ先生と妖精のパリー、オークの執事が同行する。そのため、より負荷が軽いソーサラー魔術を使った〔テレポート〕魔術を使用している。それでも馬車ごと〔テレポート〕しているが。
馬車の御者は執事が担当しているのだが、なかなかに上手い。揺れを最小限に抑えている。土道の状態は悪く、荷車のわだち跡が深く道に刻まれたままだ。サムカの領地以外では道の補修は、ほとんど為されていないようである。
そのような道を通り過ぎながら、他の貴族の領地の風景を見たエルフ先生が、日焼けした白梅色の顔を曇らせて、深いため息をついた。
枯れ木の目立つ森や草原ばかりで、住民であるオークの身なりも土などで汚れている。ちょうど農作業や荷車を引いていたのだが、サムカたちを見て慌てて道端に走っていって両膝をついて平伏した。サムカが無言で鷹揚に手を挙げて応えていく。
農地も貧相で、作物の生育も思わしくないようだ。豚や3本足の赤い鶏なども、道端に放し飼いにされている。どれも、あまり太ってはいない。畜舎などは見当たらなく、農作物を保管する倉庫も規模が小さいものばかりだ。
上空には100以上ものゴーストやシャドウが飛び回っていて、死霊術場の濃度が非常に濃いのがエルフ先生にも〔察知〕できた。さらに虹色や真っ黒い風船状の残留思念の大群も、そこらじゅうに漂っていた。もちろん、ゾンビやスケルトンの群れも大量にいる。
よく晴れている秋空なのだが陰気な雰囲気が漂っていて、暗く陰っているような錯覚すら覚える景色だ。
「……サムカ先生の仰る通りですね。他の貴族の土地は更に死んでいます。パリーも眠ってしまいましたし」
そう言えば、騒々しいパリーがレインコートにくるまったまま、すやすやと寝息を立てている。仰向けで寝ているので、サムカからはパリーの顔しか見えない。
他には、辛うじて秋仕様のサンダルの先が見える程度だ。ハゼノキの葉がサンダルの緒に差してあるので、その赤い色がよく目立っている。
サムカが馬上から振り返って、山吹色の瞳を細めた。
「寝顔は、それなりに可愛いのだがなあ……いや、失礼な事を口滑らせてしまった」
エルフ先生もパリーの肩を支えながら、微笑んで同意する。
「確かに可愛いですが、妖精ですからね。私たちとは思考も価値観も全て違いますよ。そろそろ到着ですか?」
サムカがうなずく。
「うむ」
【南の占領地】
その次の〔テレポート〕先が目的地だった。これまでの殺風景な荒野ではなくなり、熱帯の湿地帯のど真ん中に出現する。戦闘が続いているせいか森は見当たらず、田園風景でもない。
湿地帯を埋め立てて、ちょっとした高台にした場所があちこちに点在し、その上に質素ながらも活気のある町が形成されている。もちろん住人はオークばかりである。戦地から逃れて、貴族の支配下で暮らすことを決めた者たちだ。
エルフ先生が、周辺を見回して、ほっと安堵のため息をついた。
「ふう……確かに、ここは生命の精霊場が強いですね。これならば、パリーも消耗せずに済みそうです」
パリーも目を覚ましたようだ。レインコートがごそごそ動いている。まだ寝ぼけているのだろう。
サムカもほっとした表情になった。
「そうか、それは良かった。ではエッケコよ、館に向かおう」
馬車をゆっくりと走らせて町中を進む。馬車道は石畳で舗装されていて、ガタゴトと揺れるが気になる程ではない。住民であるオークの数が多く、町の通りを往来で埋めている。しかし、サムカのような貴族や騎士の一行が来ると自発的に道をあける規則なのか、馬車の通行には何ら支障は出ない。
エルフ先生がレインコートを被ったままで、馬車の客席から通りや町並みをキョロキョロ見回して不思議そうな顔をしている。
「戦場が近いというのに、皆の服装はきちんとしているのですね。負傷者も見当たりません。これまでに通ってきた貴族領のオークの方が、貧相で低栄養状態に見えます。町の建物にも傷が見当たりませんし、本当にここで戦争をしているのですか?」
サムカが馬上から振り返って答えた。
「戦争といっても、我が軍が圧倒しているからね。私も何度か来たことがあるが、占領地内で戦闘が起きたという話は聞いたことがない」
そして声を少し小さくして、エルフ先生に〔指向性の会話〕魔法で続きを話した。
「この通り、湿度と気温が高いのでね。貴族は誰も領地にしようとはしないのだよ。誰も治める者がいないので、こうして延々と戦闘地域のままになっている。駐留している王国連合軍は戦闘専門で、領土支配は管轄外なのでね。まあそれでもこうして、戦闘地域以外では治安は良好だ」
『貴族は古本説』は意外と的を得ているのかも知れない。
「だが。見ての通り、産業が育っていない。商店が少なく、物資は配給制なのだよ。仕事もないから、王国連合軍の傭兵や雑役になるオークがほとんどだと聞く」
エルフ先生が「なるほど」とうなずいた。
「そうね。一種の難民キャンプですものね」
そんな話をしている間に、大きな丸い湖のほとりに馬車が到着した。かなり正確な円形の湖で、その直径は1キロ程度だろうか。渚はビーチになっていて、オークの家族連れが10組ほどパラソルを広げてパーティをしているのが見える。サムカの姿を見て、慌てて膝を砂浜につけて頭を下げた。
それをサムカが片手を上げて鷹揚に応える。オークたちが再び立ち上がって、パーティを再開した。さすがに先ほどのような歓声は抑えられているようだが。
湖の中央には小さな島があり、館が建っているのが見える。その島まで橋が架けられていて、サムカたちの馬車が橋のたもとに向かう。その館に向かうようだ。
エルフ先生がステルスマントの中から顔をのぞかせて、岸辺を見下ろす。その顔が少し険しくなっているようだ。
「この湖って……何かの魔法が炸裂した『クレーター湖』ですよね、サムカ先生」
サムカが馬の背に乗りながら、錆色の短髪を片手でかいて両目を閉じた。
「うむ……私がやった戦闘の跡だよ」
橋の入口はゲートになっていて、そこで進入の許可を門番のゴーレムから得る。門が開いて、馬車が再び進みだした。橋はかなり丈夫な造りになっていて、馬車が走ってもびくともしていない。
その水面を見下ろしていたエルフ先生の日焼けした白梅色の顔が、呆れたようになった。
「水深いったいいくらあるんですか。100メートル以上ありそうですよ、これ。しかも、魚がほとんどいませんね。水だけは異常なほど澄んでいますが」
サムカが振り返らずに正面を向いたまま、やや機械的な声で答えた。
「……昔、ドラゴンがここに出現してね。戦っている間にドラゴンは勝手に因果律崩壊に巻き込まれて、どこかへ飛ばされたのだが、このクレーターが残った。そのドラゴンは水の〔浄化〕能力を有していたようでね。環境が徹底的に〔浄化〕されてしまって、この通り、魚も満足に棲めないような清い湖になってしまったのだよ。いわゆる『聖水』と呼ぶ類になるのかな。ゾンビ程度なら溶けてなくなる」
ここでサムカがエルフ先生の横顔を見た。そのまま、渚でパーティをしているオークたちに視線を移す。
「闇の魔法場まで〔浄化〕されてしまうほどだ。おかげで、オークを始めとした生者たちにとっては、快適なリゾートになっているがね」
エルフ先生が声を抑えながらもクスクス笑い出した。
「そ、そうですか……確かに湖に来てから、体が急に楽になってきました。そのドラゴンさんに感謝しないといけませんね」
執事は知らなかったようだ。杏子色の瞳を点にしている。
「そうでしたか、旦那様。私の代よりも前の話ですね」
サムカも口元を少し緩めた。錆色の短髪を馬の背の動きに合わせて揺らしている。
「貴族になって間もない頃の話だからな。私も、あまり思い出したくない場所だ。調子に乗って大暴れしていた時代なのでね。さて、そろそろ島に到着するぞ」
【ドラゴン湖の小島】
小島は丘のような地形になっていた。その丘の頂に館が見える。
馬車はそのまま道なりに坂道を上っていき、石造りの城壁に囲まれた門前に到着した。質素な造りだが、堅牢で年季もかなり入っている。400年以上は経過しているだろうか。
さすがに戦場にあるだけあって、門は城壁の一部にがっちりと組み込まれている。湿気や雨のせいで石の壁面全体がコケむしており、石組みの隙間から草や小さな木が生えている。
城壁の上には屋根が張られていて、対空戦にも対応しているようだが、その屋根の縁からも草木が生えている。縁に堆積した塵や土砂を苗床にして、勝手に生えてきたのだろう。
こんな見た目では、廃墟だと言われても納得するかもしれない。城壁の周囲は芝生で、これは良く手入れが行き届いているが、植木鉢や観賞樹や花木は全く見られない。王国連合軍の管轄なので、こうした方面への予算は出ていないのだろう。
石造りの門をくぐり、やはり芝生だけの中庭を通っていく。坂道を上り、建物本館の玄関に到着するが、この本館も城壁と大差ない見た目であった。
その玄関には白い鉛白色の顔で、鋭く輝く赤紅色の大仏頭をした、身長2メートルにも達する巨漢が仁王立ちして待っていた。大きな琥珀色の両目が、武人らしい厳格な光を帯びている。
一応、軍服姿ではあるが、かなり年季が入っておりヨレヨレである。足元も靴ではなくサンダルだ。刀剣などの武器も全く身につけておらず、帽子や手袋もしていない。
「おお、来たか。ずいぶんゆっくりだったな。町の観光でもしてきたのか? サムカよ」
堂々たる体躯で、真っ白な歯を見せて豪快に笑うトラロックだ。サムカが馬から下りて、片膝を芝生の上について丁寧に礼を述べる。
「右将軍閣下が自ら、御足労下さるとは畏れ入ります。サムカ・テシュブただ今、まかり越してございます。これなるは、エルフと森の妖精でございます。ご相談申しました通り、しばしの間、ここに留めおく許可を頂き、恐悦にございます」
丁寧にあいさつしてから、サムカが黒マントの中から3つの酒樽を取り出した。
「彼らの滞在には、この不肖私めが全責任を持つ所存でございます。手土産に、新酒樽を3つ用意いたしました。発酵中でガスが出ておりますので、排気弁の音が耳障りになるやもしれませぬ。その点はご了承ください」
そんなサムカの錆色の短髪を、上から遠慮なく《バンバン》と叩いて、「ガハハ」笑いを建物にこだまさせるトラロックである。
「ござるござると、慣れない言葉を使うものじゃないぞ。ワシもこうして普段着だ。やむを得ぬ事情で死者の世界へ来た客人とはいえ、エルフと知れれば煩雑この上もない手続きが必要になる」
エルフ先生が馬車の中でクスクス笑いながら同意している。
「あくまで先日、ワシが卿にここへ遊びに来るように誘った流れで、卿に同行してきた『従者』ということにしてある。多分、書類上は荷物持ちのオークか何かだな。ここにはワシ以外には情報部を含めて誰もおらぬから、そのステルス効果のあるマントも脱いで構わぬぞ。では、時間までゆっくりしていくが良い」
まだ半分寝ぼけているパリーを残してエルフ先生が馬車から降り、ステルスマントを脱いで頭を下げた。パサリと真っ直ぐな金髪が腰まで垂れ、熱帯の日差しをキラキラと反射する。
「ご厚意感謝いたします、右将軍様。もう1人は体調が優れません。ご無礼お許しください」
「うむ」と、白い歯を見せて微笑むトラロックである。そして、改めてエルフ先生の姿をまじまじと見た。
「ワシも、エルフ族を見るのは久しぶりだわい。前回は特殊部隊の男で、すぐにバラバラ死体になってしまったのだよ。おいサムカ、触れてはいけないのだったよな」
質問されたサムカが、自身の左の籠手を外して将軍に見せた。本来であれば、古代中東風のシャツを下に着ているのだが、あいにく袖が消滅していて、腕がそのまま露出している。
白い煙は既に収まっていたが、藍白色の白い腕の半分が崩壊しており、骨が露出していた。指を動かせるのが不思議だ。
「そうですね、このようになります」
ぎょっとしているエルフ先生を一目見て、将軍がゲラゲラと笑った。再び笑い声が建物の石壁に反響する。
「サムカは災難だったな。まあ、その程度の傷であれば、手当する必要もないか。とっとと〔修復〕して、ワシについて来い。卿の鈍った腕の錆落とし用に、適当な作戦を用意してある」
そして、執事に視線を向けた。
「君が執事か。出来の悪い弟子の世話をつつがなくこなしておるそうだな。後で褒美をやろう」
執事は既に馬車から降りており、芝生に両膝をついて頭を伏せてかしこまっていたが、さらに姿勢を低くしてトラロックにひれ伏した。
「畏れ多いことでございます」
トラロックがサムカを強引に立ち上がらせながら、執事に重ねて話しかける。
「リッチー協会理事のハーグウェーディユ殿からの情報も合わせてだが、くだんのバジリスク蛇の対処法をまとめてある。そこのエルフ殿が先に帰還するということだから、彼女に教えてやるが良かろう。ワシではサムカ以上に魔力が強いから、ここに居るだけで彼女らに悪影響が出るであろうしな。では頼んだぞ」
そう言って、無骨な指をくいっと動かす。と、執事のそばに〔空中ディスプレー〕が発生して、トラロックから渡された情報が表示された。
文章が貴族が使用している闇の精霊場を強く帯びた文字なので、魔力を持たない執事を介して翻訳し、無害なウィザード文字にしてから、エルフ先生へ情報を伝えることにしたのだろう。
「右将軍閣下の御意のままに」
執事が顔を伏せたままで答える。
サムカも立ち上がり、将軍と肩を組むような体勢になっていたが、執事に顔を向けた。
「済まないが、頼んだぞエッケコ。私は、これから作戦に参加することになりそうだ。クーナ先生たちが帰還する際も、見送ることは難しいだろう」
執事がようやく顔を上げてサムカに微笑む。
「はい、お任せ下さい。旦那様」
将軍が再び大笑いした。「ガハハ」笑いの声が、周囲の石壁に反射してこだまになる。
「良い執事を得たものだな、サムカよ。では、我々はこのまま、ひと暴れしてくることにしよう。エルフの客人よ、ゆっくりしていくがよい」
エルフ先生が微笑んで礼を返した。
「重ねてのご配慮、感謝いたします」
その言葉を背中で聞きながら、トラロックとサムカが肩を組んだままで空中に浮かび上がって、高速で〔飛行〕して去っていった。サムカは〔飛行〕魔術が不得意なので、師匠のトラロックに引っ張られているようにも見えるが。
執事が立ち上がって、自身のディスプレーを改めて操作した。次いで館のゴーレムに、馬車の横に置かれている新酒樽を運ぶように指示する。
「クーナ殿。外では何ですので、中に入りますか? お茶の用意を整えてから、右将軍閣下とハグ様が下さったバジリスク対策の情報を渡そうと思うのですが」
エルフ先生がステルスマントを小脇に抱えて、空を見上げた。
「そうね……でも、パリーの回復を考えると、外にいる方が良さそうかな。建物の中は、やはり死霊術場や闇の精霊場が強そうだし」
執事も同意して、禿頭を下げた。
「かしこまりました。それでは、しばしお待ちください。茶席をご用意いたします」
パリーがようやく馬車から、のそのそと降りてきた。ステルスマントを脱いで背伸びをしている。
「う~ん。やっと眠気がさめてきた~」
エルフ先生が苦笑気味に微笑んだ。ある意味、最良のタイミングで起きたものだ。
「おはよう、パリー」
そして、そのまま空を見上げながら、冷ややかな口調でハグを呼ぶ。
「いるのでしょ? ハグさん。一応、私は警官だから、この周囲の状況について精霊を飛ばして探るべきなのだろうけれど……どう思う?」
すぐに気温が1度ほど下がり薄暗くなったが、ハグの姿は見当たらず声だけが虚空から届いた。
「止めておいた方が身のためだろうな。サムカの領地と違って、ここは戦場に近い。諜報員や情報屋どもが蠢いておる場所だ。最新型の〔探索〕魔法が駆使されておる」
サムカの師匠の右将軍が言った通りのようだ。エルフ先生が軽く肩をすくめた。
「やはり、そうなのね」
ハグの口調が少しだけ軽くなった。
「エルフ嬢は警官とはいえ、こういった諜報活動は素人同然だろ? やったところで何も情報は得られないだろうし、それどころか〔逆探知〕されて何かに利用されることになるやもしれん。無論、貴族の軍の情報部にもな。今はこの建物の敷地内には右将軍が言ったように誰もおらんが、エルフ先生が余計な魔法を使うと、余計な連中を呼び寄せることになるだろう」
エルフ先生もここは素直に同意した。
「そうよね。多分、エルフ世界からの情報部員もどこかにいるだろうし、彼らの迷惑にしかならないでしょうね。環境情報だけ〔受信〕しておくかな」
馬車に視線を向ける。馬はアンデッドなので、今は人形のようにピタリと静止している。
「馬車のわだちに、〔念話〕と通常音声会話の〔録音〕術式を刻んでおいたのよ。そこから得た通話情報もまとめておけば、エルフ世界への定期報告でお茶を濁しておけるでしょう。それはそうとハグさん。ここは死者の世界なんですけど、それでも姿を見せることはできないのかしら?」
ハグの自虐気味な笑い声が虚空から響いた。
「声を送るだけでも、ほら、気温が下がるし暗くなるだろ? せっかく君たちが『養生』しているのに、それを邪魔するような無粋な真似はせぬよ。あの右将軍と同じさ。人形を送ろうにも手持ちの予備の人形がなくてね。手芸はなかなか難しい」
口調が真面目な感じになる。
「そうそう、君たちの生徒も何とか無事に校舎から脱出したぞ。今は校長や、〔石〕にならずに生き残った先生たちと一緒に森の中に避難しておるよ。バジリスクの〔結界〕の外だから、安心して時間を待てば良かろう」
エルフ先生の顔が引き締まった。隣のパリーはヘラヘラしているが。
「良かった。まだ無事なのね。基本的には〔石化〕は自動〔蘇生〕の対象外だから、バジリスクを殺さないと〔石〕から戻らないのよね。ソーサラー魔術のバワンメラ先生は〔石化〕魔術も習得していたと思うから、彼が何とか〔解析〕してくれると助かるのだけど……」
ハグの気楽な声が届いた。
「〔石化〕魔法にも様々ある。あのバジリスクが使う魔法は少々特殊だから、あの遊び人先生では対処などできまい。サムカ配下の魔族が自らを犠牲にしてくれたおかげで、サムカは〔解析〕して対処できたが……こいつでは、お手上げだろ」
エルフ先生がジト目になった。
「ですよね……騒がしいばかりで使えない先生しかいないのよね。まあ、ある程度は予想していたけど。エルフ世界も、私の所属するブトワル王国しか関心がないみたいだし。ここの戦場に潜んでいるエルフの数の方が多いかも」
パリーがエルフ先生の顔を見上げてきた。松葉色の瞳が、ちょっと真剣そうな感じである。
「クーナあ~。私には〔予知〕魔法って使えないけど~、獣人世界で~面倒なことがたくさん~起きそうよ~。私もさっき~遠くの森の妖精から~エルフ臭い場所がある~って知らせを受けたし~」
エルフ先生の表情も険しくなった。
「それ……もしかすると、エルフ世界の別の王国が建てた『違法施設』かもしれないわね。上司から私もある程度の情報は得ていたし、探索指令も受けていたのだけど。そうか、やっぱりあったか……確かに、これは面倒になりそうね。でも、パリー……森の妖精って、世界間通信までできるのね」
パリーがエルフ先生をウルウルした瞳で見上げているのに気がつく。すぐに微笑んでフォローする先生である。
「私の王国の宰相閣下は重要視しているのよ、パリー。パリーほどの強力な森の妖精ってエルフ世界でも、そんなにいないから。将来は、『守護樹』の派遣も考えているみたいなの。そうなれば、大勢のエルフが気軽に遊びに来ることが出来るようになるわ。私も長期滞在できるようになるし。空気が薄いから、ちょっとした装備を整えないといけないけど」
エルフ世界はなぜか空気中の酸素濃度が、他の異世界と比べるとかなり高い。
そんなエルフ先生とパリーの心温まる会話を中断させて、話を続けるハグである。
「そのバジリスクだがな、ウィザード魔法の〔召喚〕魔法の間違いで呼び出されておる。なので、魔力は元世界にいた頃よりも、格段に弱くなっているんだよ。ちょうど〔召喚〕時のサムカのようなものだな」
獣人世界でのサムカの魔力は、死者の世界の1割程度だ。ただこれは意図的に下げられているが。
「よって、君たちでも何とか殺すことはできるだろう。バジリスクが成体だったら『イモータル』化している場合があるので殺すことは無理だが、コイツは幼体で化ける前だからな」
エルフ先生がキョトンとした顔をしている。相変わらずハグの姿が見えないので、少しイライラしている様子でもあるが。ハグの声がしてくる方向の空に向かって質問した。
「え? そいつを殺しても、本体は元世界で生きているということ? サムカ先生の使い魔みたいに保険があるとか? ドワーフやティンギ先生みたいに、エネルギー情報だけ送って、現地で物質化させるクローンとかなの? で、〔石化解除〕はできるの?」
ハグの声のトーンがあからさまに下がった。
「……説明が悪かったか。サムカやバジリスクは分裂しないよ。本人が世界を超えてやってくる。しかし、世界を移動する際に、色々と面倒なことが起きてな。かなりの魔力が塞き止められて、〔召喚〕先の世界までたどりつかないのだよ。だから殺しやすくなる」
エルフ先生が感心する。
「へえ、そうなんだ。私は正規の世界間転移ゲートを通って、獣人世界へ来たけれど。だったら、私も魔力の低下が起きるはずなんだけど、そんな実感はないわよ?」
エルフ先生の言葉に少々カチンと来たのか、口調が少しだけトゲトゲしくなるハグであった。
「そりゃあ、そうだ。正規ゲート魔法は古代語魔法だからな。前にも触れたが古代語魔法には、世界を〔改変〕する魔法が多い。損失ゼロで世界を移動することなんざ容易いものだ」
そう言ってから、口調がどことなく後ろめたい感じになっていく。
「ワシがサムカの〔召喚〕に使用しているナイフはウィザード魔法世界の試作品だから、やはり損失が出てしまうのだよ。基本術式が古代語魔法ではなくてウィザード魔法だからな。ましてや、物の弾みで誤〔召喚〕された場合、損失の度合いは相当なものになる」
「へえ、そうなんだ。あんまりよく分からないけど」
まあ、エルフはウィザード魔法やソーサラー魔術にはそれほど馴染みがないので、詳しいことは知らないものである。ハグが少しため息混じりの口調で、エルフ先生に文句を言った。
「やれやれ。エルフやノームは精霊魔法に頼りすぎだ。もう少し他の魔法も勉強した方が良いぞ」
エルフ先生が日焼けした白梅色の頬をポリポリと指でかいて、微妙な笑顔になる。
「そうですけどね。精霊魔法って便利なのよ。では、ハグさん。私たちが復帰するまで、生徒たちのことをよろしくお願いします」
ハグの口調が元の気楽な調子に戻った。
「任せておけ。幼体バジリスク程度なら、ワシがひと睨みしただけで消し去れるよ。だが、ワシが出しゃばると因果律崩壊が起きる恐れがあるから、できるだけ君たちだけで退治してくれた方が良いな。ワシの攻撃のせいで、代償に森や学校がごっそり〔消滅〕するのは、あまり良くないだろう。それに闇魔法による魔法場汚染も無視できなくなる。『化け狐』どもも喜んでやって来るであろうしな」
そのままハグの気配が消えた。気温も日差しも元に戻ったようだ。エルフ先生が少し肩をすくめてパリーを見る。
「魔力が強すぎるのも大変なのねえ。顔をあわせて話をすることもできないなんて。あ。執事さんが、お茶の用意をしているわ。私たちも手伝いましょうか、パリー」
【湖近くの森の中】
「おいおい、サムカよ。何十年も着ていなかったな。鎧の継ぎ目が錆びついておるではないか」
トラロックが呆れた表情でサムカに文句をつけている。彼も鎧を装備しており、これは先日王都で新調したものだった。あれから何回か戦闘をしているのだろう、新しい傷がいくつか増えている。
「申し訳ありません、師匠。田舎の田園地帯ゆえ、鎧を装備しての戦闘自体がありません。しかしながら、動作には支障は出ないものと思われますので、師匠の足手まといにはならないように努めます」
サムカが緊張した面持ちで、自身の鎧を再び確かめている。右将軍が指摘した通り、かなり長い間使用していなかったようだ。鎧のプレート接合部を中心にゴミが浮いている。
大地の属性なので、空気中の塵を吸収して鎧の一部にしてしまっているのだ。そのために、接合部分が滑らかになっておらず、ガサガサと荒れている見た目になっている。
一方でトラロックの鎧とは異なり、傷はほとんど見当たらない。サムカの領地で魔族退治をする際ではこの鎧ではなく、もっと軽量で簡素な防具しか身につけていない。自身が展開している〔防御障壁〕だけで、防御面は基本的に間に合っているので、仕方がない。
サムカが携えている大槍の方は、かなり使い込まれているようだ。細かい傷が無数に槍の穂や柄に刻み込まれていて、それが太陽の日差しで乱反射して独特の錯乱光を発している。
トラロックもその槍を一目見て納得したようだ。
「まあ、槍の方はよく馴染んでおるようだから、これ以上は文句を言うまい。流れ魔族しか相手にしておらんようだから、本格的な甲冑をまとう必要はないんだろ」
「はい。師匠のご活躍のおかげで、連合王国内部は平穏そのものでございます」
サムカが本心からそう述べるので、トラロックも調子が狂ったようだ。「ガハハ」笑いをしながら、サムカの兜を《バンバン》と篭手で包まれた腕で遠慮なく叩く。そして、顔を前方の森の中に向けた。
今はトラロックとサムカの2人だけなので、サムカは『師匠』と呼んでいる。
既にここは最前線のようで、森の中では戦闘が行われている。爆発音や閃光、魔法発動による魔法場の拡散が、森の外にいるサムカと将軍にも伝わってくる。学校の授業とは明らかに異なり、軍用魔法ばかりで威力も容赦ない。
そんな森の中を、不敵な笑みを浮かべながらトラロックが馬上から眺める。馬は後方の自陣から拝借したものである。もちろんベエヤード種だ。
「ここの敵は、主にゴーレムと〔式神〕、〔召喚〕された魔族や魔法生物だ。ヒドラもいるぞ。数は1万ほどだな。指揮する敵オーク部隊は、その10キロ後方に塹壕を掘って潜んでおるようだ。数は推測で100ほど。異世界からの傭兵どもも同数いるが、クローンや〔影分身〕なので本体ではない。卿の再〔召喚〕までここで遊んでいこう」
サムカも借りたベエヤード種の軍馬に騎乗していたが、トラロックにとりあえず聞いてみた。
「師匠。私との2騎だけで森の中の敵に強襲ですか。さすがにそれは危険なのではありませぬか? 師匠が万一負傷なさると、軍全体に悪影響が及びます」
それを聞いたトラロックがあからさまに不機嫌な表情になった。馬まで不機嫌になっている。
「あのな、サムカ。ここにいるワシは、ただの〔分身〕だぞ。本体ではない。そんなことも〔知覚〕できないとは、嘆かわしいな」
「え? そうだったのですか。これは大変無礼なことを申し上げてしまいました」
サムカが恐縮しているのを、軽くため息をつきながら眺めるトラロックである。
「実戦から長い間遠ざかっておっては、こうなるのも止むをえぬか……ちなみに、この〔分身〕のワシの魔力は本体の100分の1もない。故に、卿と力を合わせねば、この森の中の敵全てを消し去ることはできぬぞ。まあ、卿の鈍った腕を叩き直すために、わざわざ用意した作戦だ。敵部隊をここまで誘導するにも手間がかかっておる。さて、始めるか」
「は。閣下の御意のままに」
サムカが兜の面当てを装着した。顔が兜に隠れて見えなくなる。しかし、兜に仕込まれた〔探知〕魔法のおかげで360度の全方位〔知覚〕ができる。トラロックも兜の面当てを引き降ろして顔を隠した。
「では、突撃だ!」
死者の世界はアンデッドのための世界なので、当然ながら貴族に最適化されている。末端のアンデッド兵であるゾンビですら、獣人世界の基準ではバンパイア以上の脅威と化すのである。
そのため、いくら異世界からの傭兵や支援兵器を充実させても、貴族には大した損害を与えることができない。それほどの圧倒的な戦力と魔力の差がある。
実際ここの戦場も、貴族にとっては大きな狩場やゲーム場という認識でしかない。
戦闘態勢に入ったサムカとトラロックの2騎が熱帯の森林内に駆け入ると、魔力の低いゴーレムや〔式神〕は、たちまち動作不良を引き起こして自壊してしまった。
ウィザード魔法の〔召喚〕魔法で呼び出された魔族や魔法生物も、サムカのひと睨みで即死する者が続出している。その中には、以前にペルたちが退治したヒドラの巨大種も含まれていた。
それでも、森の中に張り巡らされた各種の罠や、待ち伏せ攻撃、勇敢な魔族や魔法生物による直接攻撃などが、四方八方から絶え間なく2騎を襲い続けている。そのほとんどは〔防御障壁〕に遮られて、サムカや将軍に届かない。
しかし、〔防御障壁〕は基本的に単一系統の魔法のみに対応するものだ。複数の系統の攻撃魔法が同時に豪雨のような勢いでやってくると、中には〔防御障壁〕を抜けて命中する魔法も出てくる。敵が繰り出す攻撃魔法や直接攻撃も、当然ながら対アンデッドに特化したものばかりだ。
サムカの古びた鎧に命中した敵の攻撃魔法は、鎧にはっきりとした傷をつけた。その衝撃波を全身に感じながらサムカが槍を振り回して、身長6メートルほどある敵巨人の四肢を粉砕する。瞬間〔再生〕しようとする敵巨人だったが、その前に全身が消されてしまった。
トラロックもサムカの視界の範囲で奮戦している。サムカの槍とほぼ長さが同じの、3メートルほどもある大剣を風車のように振り回して、森の大木ごと敵をみじん切りにしている。
彼は〔分身〕ではあるが、鎧などに受けた傷はそのまま本体に〔反映〕されるようである。魔力が本体の100分の1もないので、ごくわずかなものではあるが、本体の鎧にかすり傷を与える程度には〔反映〕されるようだ。
殺到してくる敵をこの2騎が薙ぎ払うたびに、熱帯の森の中に盛大な血吹雪が巻き上がる。
騎馬で森の中を駆け回っているのだが、大木や潅木の障害物を物ともしない高速である。森の中は太陽の光があまり届かないために薄暗いので、残像のような黒い影になって見える。
〔召喚〕された魔族や魔法生物のどれ1つとして、彼ら貴族のスピードには追いつけないようだ。それでも必死で追いすがるが、でくの棒のように無造作に斬られて、粉砕されミンチになっていく。確かに、戦闘というよりは、一方的な虐殺にしか見えない。森の木々も、根こそぎ破壊粉砕されて消滅していく。
戦闘開始10分余りで、敵部隊はその3割を失って壊走し始めた。サムカが受けたダメージは、古びた鎧に刻まれた12本ほどの傷だけである。借り物のアンデッド軍馬は相当の致命傷を食らったが、そこはサムカが施した死霊術の〔修復〕魔法で瞬時に回復しており、現在では傷一つ残っていない。
一方のトラロックは見た目が変わらないので、受けた傷の数も数本程度だろうか。
敵部隊の撤退を目で追いながら、体長15メートルもあるヒドラの死体に槍を突き立てて〔アンデッド化〕させて甦らせるサムカである。隣ではトラロックも同じように巨人や魔族を〔アンデッド化〕させている。粉砕して破壊してしまった敵がほとんどだが、〔アンデッド化〕させた数は既に40体にも達していた。
サムカがそれらアンデッドに死霊術の〔修復〕魔法をかけ、瞬時に傷を治して行動可能な状態にする。生きたままの捕虜は、原則として受け付けないようだ。
それらアンデッドは敵の追撃には使わず、自陣に向けて撤収させている。
さらに、消滅したり破損したりした森の木々や草、岩などにも、ソーサラー魔術の〔修復〕魔術をかけて復旧する。本来ならば、こういった森林は排除して更地にした方が戦闘する上では都合が良いのだが、やはりゲーム感覚なのだろう。
トラロックが面を上げてニヤニヤしながら、サムカに話しかけてきた。大量の返り血を浴びているはずなのだが、〔防御障壁〕にはね返されて一滴も鎧に届いていない。
「うむ。まずまずの成果だな。最近になってようやく死体不足が解消されつつあるようだが、まだ需要は高い。軍の給料は低いからな。このようなオマケを貴族たちに支給しないと、へそを曲げてすぐに領地へ帰ってしまうのだよ。ああ、ヒドラのような魔法生物のアンデッドは不要だぞ、サムカよ。やはり魔族型や人型でないと使い勝手が悪い」
巨人のアンデッドが地響きを立てながら、森の中を自陣へ向けて歩いて戻っていく。その後ろ姿を見送りながら、サムカが同意する。そして、先ほどアンデッドにした巨大なヒドラを再び死体に戻した。
「さようでございますね。死体不足が和らいだとはいえ、それは魔法使いの世界の住人サイズの死体でございます。この戦場で獲得できるような、魔族や巨人型はまだまだ深刻な不足状況ですので、重宝されることでありましょう」
その時、サムカのそばで小さな〔空中ディスプレー〕が出現した。執事の顔が映し出されている。戦闘が一息ついた頃合いを見計らっての接続だ。
「旦那様。先ほど、客人2名様が無事に帰還なされました。体調も回復なされましたので、ご心配は無用かと推測いたします。バジリスクの情報も全てお伝えしております」
サムカが兜をつけたままうなずいた。面当ては外しているので、目元はちゃんと見える。
「ご苦労であった。エッケコも城へ戻るが良かろう。そろそろ、魔族討伐完了の知らせが入る頃合いだ」
執事が丁寧に頭を下げて、恭順の意を示した。
「はい。旦那様の御意のままに。では、私は先に失礼いたします」
そのまま、〔空中ディスプレー〕が消滅した。サムカがほっと一息つく。そしてトラロックに改めて礼を述べた。
「師匠。このたびは私のような者にご配慮下さり、まことに有難く存じます」
トラロックが馬の首を自陣の方向へ向けて白い歯を見せた。
「なあに、気にするな。たまには我が弟子の面倒も見なくてはならんだけだ。少しは鈍った腕前がマシになったか。だが、やはり御前試合には出せそうにもないな。領地でも稽古はやっておけよ」
サムカがトラロックの後ろに馬を進めながら、頭を下げた。
「申し訳ありませぬ。稽古は欠かさぬようにいたします」
将軍はサムカに振り返らず、そのまま前を向きながら大笑いし始めた。
「よきかな、よきかな。卿も生徒どもの師になったのだからな。恥じぬ振る舞いをすることだ。さて、まだ時間が残っておるか。では、茶でも飲みに陣へ戻るとしよう」
【魔法学校の西校舎1階の招造術クラス】
「まあ……ずいぶん派手に暴れたわね、この蛇」
エルフ先生がパリーと共に元世界に帰還すると、いきなりバジリスク幼体の蛇頭の真正面に出現した。幼体とはいえ、頭だけでもエルフ先生を一飲みにできるほど巨大である。
その頭には無数の樹状突起が生えており、爛々と赤く輝く瞳の光に照らされている。教室内は床、壁、机、イス、ゴーレムも、全て完全に〔石〕に変えられてしまっていた。
しかし、校舎自体はまだ破壊されずに無事なので、あれからバジリスク幼体は移動をせずにじっとしていたようだ。慣れない異世界なので、用心しているのだろう。
実際、通常の〔召喚〕魔法であれば1時間ほどで魔法の効果が失われてしまうので、そのまま元の住居へ帰ることができるはずである。が、エルフ先生たちが戻ってきてもまだ残っているということは、長時間の〔召喚〕だったのかもしれない。
というよりも、異世界からの〔召喚〕それ自体が異常なのだが。通常は同じ世界内での〔召喚〕に留まる。召喚ナイフの面目丸つぶれである。
このバジリスク幼体を呼び出したウィザード魔法招造術のナジス先生をはじめ30名の生徒たちは、級長のレタック・クレタ2年生を含めて、全員その姿を教室から消していた。
一瞬、(このバジリスク幼体に食べられたのか)と戦慄したエルフ先生だったが、腹の中には何も入っていないことを、光の精霊魔法のエックス線照射で確認して安堵する。
「どこかに〔テレポート〕して避難させたのね。良かったわ。食べられて破損でもしたら、〔石化解除〕の後で〔治療〕が追加で加わるし。しかし、幼体のくせに本当に巨大ね。成体になったら一体どうなるのよ、こいつ」
前もって〔防御障壁〕を自身の周囲に展開させているとはいえ、窓ガラスまで〔石〕になって光が外から差し込まなくなった教室内は、かなり暗い。
天井にはサムカたちを攻撃した際にできた大きな穴があいていて、そこから〔結界〕越しに陽光が薄っすらと差し込んでいるので、何とか教室内でもバジリスク幼体の姿を視認することができていた。
ともあれ、ここでは光の精霊魔法の魔力供給が期待できない。〔石化〕ガスは相変わらず教室内部に充満していて、机やイス、床に至るまで全てが〔石〕になっている。エルフ先生は既にバジリスク幼体の情報を得て、そのガスも〔解析〕していたので、〔防御障壁〕を展開することで〔石化〕を免れていた。
突然目の前に出現したエルフ先生とパリーに驚いていたバジリスクだったが、すぐに憤怒の色を両目から放った。無数に生えている樹状突起を赤く放電させながら、エルフ先生目がけて赤い色の〔光線〕をぶっ放してくる。
それを難なく〔反射〕して、バジリスク幼体にそのまま返すエルフ先生。
爆発と閃光がバジリスク幼体を包むのを見下ろして、エルフ先生がパリーを小脇に抱えながら不敵に微笑んだ。
「その〔赤い光線〕も、先ほど受けたから〔解析〕済みよ。でもこう暗いと、私だけでは魔力不足になって対処できそうもないわね。いったん退却しましょう、パリー」
パリーもバジリスク幼体の〔結界〕内部のせいで、充分な生命の精霊場を補給できない様子だ。またもや半分眠っていたが、同意する。無機物である石に囲まれているので、当然ながら生命の精霊場も弱いのである。
「そうね~、ここじゃ眠すぎる~」
エルフ先生が微笑んで、そのまま〔テレポート〕して、この暗い教室から脱出していなくなった。バジリスクは案の定、それほど傷を受けていないようだ。
今度は青い光を帯びた空中放電を始めていた。しかし、爆発の熱が収まるまでは敵の位置を調べることができないので、暗闇の中でじっとしている。やはり蛇に近いのだろう。視力よりも、温度センサーや匂いなどで、敵の位置を確認しているので、即座の反撃ができなかったのである。
エルフ先生たちはその隙に乗じてうまく退却に成功して、とりあえず学校の門の外に〔テレポート〕した。
「うん。〔結界〕の外に出れた。ここでは太陽光が充分に入ってきているわね。これなら魔法も使える」
パリーもすっかり眠気が覚めたようで、ヘラヘラ笑って背伸びをした。
「そうね~。ここなら眠くない~」
エルフ先生が森の中に風の精霊を飛ばして、避難している生徒や先生たち、警察部隊と帝国軍部隊の位置をすぐに把握した。
「皆、バジリスク幼体の〔結界〕の外に避難しているのね。まずは、シーカ校長先生に会いましょうか。それから作戦会議ね」
「エルフ先生~うわああん、来てくれて良かったあっ」
ミンタがエルフ先生の姿を発見するなり、飛びついてしがみついてきた。そのまま泣き出す。
バジリスク幼体の〔石化〕攻撃を受けたのか、ふわふわな金色の縞のある毛皮の巻き毛の毛先が〔石〕になっている。上毛を含んだ顔のヒゲの先にも、滴型の〔石〕がついていた。5本指の白い手袋も生コンクリートに突っ込んだ後のような状態になっていて、かなり〔石化〕している。
「ミンタさん、ずいぶんと無茶をしたみたいですね。〔石化〕は表面だけですか? 手足が痺れていたりしてはいませんか?」
エルフ先生がミンタの頭を優しく撫でながら尋ねると、ミンタが涙目ながらも気丈にうなずいた。
「大丈夫です、先生」
ミンタとほぼ同時にやって来たムンキンは、少し離れた所でニコニコしている。彼も細かい柿色のウロコの一部分が、頭と尻尾を中心に〔石〕にされているが、問題なさそうだ。エルフ先生と目が合うと力強くうなずいた。
ここはバジリスク幼体が展開している〔結界〕の外で、亜熱帯の森の中である。下生えの草や潅木もエルフ先生の背丈ほどはあって、視界はほとんど利かない状況なのだが、ミンタの嗅覚の障壁にはならなかったようだ。
やがて、他の生徒と先生たちも遅れてやってきて合流した。前もってエルフ先生が〔念話〕を送って、作戦会議を提案していたので、校長の他に、駐留警察署長と軍警備隊長も来ている。両者ともに険しい表情をしていて、狐の両耳と尻尾の張りに元気がない。
反対にパリーが生き生きとし始めて、背伸びをして可愛い声で間延びした雄叫びを上げている。それを横で聞きながら、エルフ先生がミンタに抱きつかれたままで校長に謝った。
「来るのが遅れてすいませんでした、シーカ校長先生。サムカ先生の〔召喚〕終了に巻き込まれてしまいました。それで、被害状況はどうなのでしょうか」
校長はいつものスーツ姿なのだが、避難誘導の指揮をしたのだろう。全身に泥や土汚れ、落ち葉や枯れ枝がまとわりついている。狐族なので靴は基本的に履かないのだが、その両足は泥に包まれたようになっていた。尻尾にも、泥や落ち葉が大量に付いている。
「ようこそ無事に戻って来てくださいました、カカクトゥア先生。マライタ先生が設置していた、緊急避難用の強制〔テレポート〕魔法具が、全教室で作動しました。そのおかげでバジリスクが暴れだす前に全校生徒と先生方を、この森の中へ避難させることができました」
ただの酒飲みではなかったようだ。
「〔石〕にされたのは、ウィザード魔法招造術のスカル・ナジス先生と、その教室で授業を受けていた選択と専門科目の生徒たち30名だけです。彼らも先生方の協力で壊されることなく、無事にこの森へ〔テレポート〕させることができました。ただ、ソーサラー魔術のバワンメラ先生では、この〔石化〕を解除することができないようでして……その点で困っています」
ミンタが栗色の目を輝かせながら、エルフ先生の顔を上げて自慢する。
「エヘン。私たちも〔石〕にされた生徒を救出する手伝いをしたんですよ。ちょっと〔石化〕ガスを浴びちゃったけど」
ようやくやってきたレブンとペル、ラヤンの3人に微笑んで、エルフ先生がミンタをきゅっと抱きしめた。ムンキンにも微笑む。
「よくできましたね。ですが、少々危険なことをした事については減点です。次はガスを浴びずに行動できるように作戦を立てなさいね」
「はーい!」
生徒からの元気な返事を聞いて、再び微笑んだエルフ先生が校長に視線を戻した。
「校舎内には誰も残っていないのですね。さすがです、シーカ校長先生。これで、討伐作戦が行いやすくなりました」
抱きついたままのミンタを優しく振りほどいて、エルフ先生がライフル型の杖を〔召喚〕する。魔力カプセルを何個か杖の底部に手早く取り付けて、すぐに起動を確認した。
ノーム先生が同じようなライフル型の杖を肩に担ぎながら、疲れた足取りでやってきた。彼もまた校長と似たようなスーツ姿で、足先の丸まったブーツに大きな三角帽子と手袋なのだが、やはり落ち葉まみれだ。泥汚れだけは魔法で落としているようだが。
「ようやく登場かねカカクトゥア先生。遅刻も程々にな。しかし、パリー先生が騒々しいな」
後ろにはドワーフのマライタ先生を始めとした、他の先生方が揃っている。クモの先生だけは見当たらないが、これはいつものことなので無視する。
マライタ先生が大きな口をへの字に曲げて、エルフ先生に詰め寄ってきた。ちょっと不機嫌のようだ。
「カカクトゥア先生よ。もう少し早く戻ってきてくれないかね。学校に張り巡らせている保安警備システムが、そろそろエネルギー切れで停止する。そうなるとバジリスクを抑え込む檻が消えて、厄介なことになるぞ」
エルフ先生が微妙な愛想笑いをしながら謝った。
「すいませんでした、マライタ先生。事故とはいえ、サムカ先生の帰還に巻き込まれるなんて、ブトワル王国の機動警察官として恥ずかしい失態でした。ご迷惑をかけてしまいましたね。しかし、そうでしたか。あのバジリスク幼体がなぜじっとしているのか疑問に思っていたのですが、マライタ先生のおかげだったのですね」
エルフ先生の腰の低い謝罪に、すっかり気分を好転させるマライタ先生だ。白くて大きな下駄のような歯を見せて笑い始めた。顔じゅうを覆う赤いモジャモジャヒゲも、枝毛の先が踊っている。
「分かってくれれば結構だ。ガハハ。しかし、オイ。『幼体』ってさっき言ったな。マジかよ……システムのエネルギー切れまで残り数分だ。後は頼んだぞ」
マライタ先生の座布団のような左手に、《バン》と背中を叩かれたエルフ先生が咳き込んだ。
「ケホケホ……ではまず、ハグさんから得たバジリスク幼体の情報から〔共有〕しましょう」




