3話
【死者の世界】
サムカが帰還した先は、自身の居城の門前だった。居城といっても住んでいる人数が少ないので規模も小さく、城というよりは城壁を巡らせた館のような趣である。
ただ、造りはしっかりとしており、重厚な石組で見る者を圧倒する。サムカの性格を反映してか華美さは微塵も見られず、ひたすら拠点防衛の用途に特化した地味な館である。
カフェの床がごっそりと一緒にサムカについてきたので、再びせっせと〔消去〕するサムカだ。
門番に立っている2名の一般兵は、当然ながらアンデッドであるが意識はある。
「お帰りなさいませ、領主様」
サムカの姿を確認すると、2人そろって片膝を落として深々と黙礼し声を合わせた。
すぐに立ち上がって、門を開けるように門の中にいる使役兵たちに命じる。そして、サムカが〔消去〕し損なったゴミを掃除し始めた。貴族は掃除に慣れていないので、どうしてもゴミがそのまま残ってしまうものなのだ。ゴミ袋1つ分くらいは残っている。
サムカが門番兵たちの手慣れた掃除を見ながら、錆色の短髪の後頭部を左手でかいていると、城門が開く音がした。使役兵たち4名が中から門を押して開門する。
門が動く際に出る重低音が響いて、城壁の上にとまっていた小鳥たちが一斉に羽ばたいて上空へ飛んでいった。かなりの重量がありそうな門だが、意外にスムーズに動いている。
開いた門から姿を見せたのはリッチーのハグとオークの執事だった。
執事の後ろには、もう1人オークがいて、ひざまずいて深く頭を下げているのが見える。執事服ほどではないが、かなり良質な生地で仕立てられた礼服を着ている。やはり古代中東風の仕立てが施された礼服だ。
「お帰りなさいませ、旦那様」
執事が礼儀正しく踵を揃えて禿げた頭を下げ、主人を出迎えてマントを預かった。オークらしい、やや肥満体型の禿頭だ。落ち着いた杏子色の目に、肌も薄い赤柿色と典型的な姿である。
ただ、物腰は優雅で柔和、声もかなり渋い低音。その鋭い眼光を口元の対の牙と同様に、知的な雰囲気で隠している。身長はサムカよりも頭一つほど低いので150センチほどだろうか。
一方のハグは、やはり適当すぎる服装のままでヨレヨレの帽子をかぶっている。執事よりも10センチほど背が低いが、帽子のおかげでほぼ同じくらいの背に見える。彼の方は、地面から数センチほど浮いていた。
「ハグ。生き物は持ち込めないのではなかったのかね?」
サムカがハグに訊ねて、ポケットから生徒がくれたマンゴ2個を取り出して見せる。
ハグが腰に両手を当てて、軽く肩をすくめる。
「〔召喚〕と同じだよ。君が接している物と一緒に戻ってくる。転送空間の範囲指定が、あまり厳密にできないのでね。召喚契約をしている君とは有している魔法場が異なるから、そのナイフによって自動的に識別排除される。まあ、1時間後には自動的に元の世界へ転送されるよ。生物の場合は、それまでに死んでしまうと状態が変わるので無理だがね」
そう言いながら、サムカが持っているマンゴの果実を眺めた。リッチーだからか、路傍の石でも見るような目つきだ。
「そのマンゴも、燃えたり腐ったりしたら戻っていかないぞ。状態が変わるからな。宝石や装飾品のような命のない物体でも、ナイフに登録されている君の所有物一覧に加わっていない場合は、1時間後に戻ってしまう。壊したりして状態を変更すれば残るけど。まあ、せっかくの贈りものだ。食したらどうだい?」
ハグが丁寧に説明したのだが、ちぐはぐなコーディネートの服装のせいでピエロか何かのようにも見える。
今回も靴は左右ともに別々の中古品で、靴底がはがれている。おかげで、召喚ナイフの説明もかなり信憑性に乏しいような印象を見る者に与えているのだが……そこはリッチーなので気にしていないのだろう。
サムカも貴族で大雑把な面があるので、あまり疑わずにそのまま信用したようだった。オークの執事だけは心持ち眉間にしわを寄せて聞いてはいたが、特に何も言わない。門を警備しているアンデッド兵も、門前の掃除を終わらせた後は聞き流して、直立不動の姿勢を続けている。
「なるほど、そういう裏道があるとはな。では、〔召喚〕時や帰還時に一緒についてくる床や地面は放置しても良いのだな」
サムカがマンゴに牙を差し込む。思わず、山吹色の瞳が驚きでキラリと輝いた。
「おう……これは」
ハグがニヤリと微笑んだ。
「美味かい? 何せ本物の太陽と自然がつくった果物だ」
サムカがそれを聞いて、もう1つのマンゴを差し出した。
「味わってみるかね? ハグ」
やはり、石でも見るような表情のハグである。サムカの申し出に軽く左手を振って断った。
「いや、遠慮しておこう。ワシには、もう不要な感覚なのでね」
「そうか。さすがに高度な解脱を目指すリッチーだけはあるな」
サムカが納得して2つ目のマンゴにも牙を差し込んで潜在魔力を味わった。生きているので、果物といえども表に現れない形で存在する『潜在魔力』を微量ながら含んでいるのである。
潜在魔力というものは、具現化されていない魔力であるために反応性が低い。そのままでは魔法を使うための魔力としては使えないものだ。
しかし、摂取した者の体内で変化し、顕在型の魔力に〔変換〕される性質がある。顕在化した魔力を使って魔法を行使するのが一般的な魔法の使い方だ。
もちろん前提条件として、魔法を行使できる者である必要があるが。果物は能動的に魔法を行使することができないために、魔力が潜在化しているのである。
これは他の、魔法を行使できない生物や器物にも同じことがいえる。魔法を使えない獣人やドワーフが、無意識に体内に蓄えている魔力も潜在魔力である。従って、魔法が使えない者が使う魔法具は、この潜在魔力を術式で顕在化させて魔法を発現させる仕組みという事になる。
このマンゴは、死者の世界の果物よりも潜在魔力の量が格段に多く質も高いようだ。「ふう」と満足のため息をつくサムカである。
「むう……こういう余得があるとはな。これならば契約を希望する貴族の潜在需要は多いだろう。暇を持て余している貴族連中は、我が悪友ステワをはじめ、相当数いるわけだし」
しかし、少し首をかしげて考え……そして軽く首を振った。
「だが、この程度では『沐浴』による魔力蓄積の効率には及ばぬ……な。私が身に着けている鉱物からの魔力吸収の効率と比較しても低い。余得程度のものか……」
貴族はその魔力を蓄えるために、死霊術場や闇の精霊場や、それらをまとめたような闇魔法場が強い場所で沐浴をして魔力を吸収する。ただ、沐浴といっても服を脱ぐことはせずに、部屋着のような気楽な服装で行うことが習慣になっているが。
また、闇の魔力を有する鉱石や器物を身につけて、そこから魔力を吸収することも行っている。その行為で得られる魔力に比べると、潜在魔力を吸収する方法は非効率なのだろう。
(なるほど、バンパイアなどの魔力が桁違いに小さい理由はこれか……)と納得したサムカが、魔力を吸った後のマンゴを執事に渡した。
「うまいぞ。心して食せ、エッケコ。それで……後ろの者は商人かね?」
顔を地面すれすれにまで伏せたままで、礼服姿のオークが意外に野太い声で返事を返した。
「ははあっ! テシュブ領主様におかれましては、ご機嫌うるわしゅう存じまする」
すぐに執事のエッケコがサムカに紹介する。
「この者は、連合王国間で交易業を営んでいる商人でございます。隊商が領地に入る許可を求めに来ております。申請では、自治都市の中央公園にて2泊し、南に向けて旅立つということでございます」
それを聞いてサムカが鷹揚にうなずいた。顔を伏せたままのオークの商人を一目見てから、エッケコに視線を戻す。
「そうか。そろそろ隊商が行き来する時期になるのか。よろしい、滞在を許可しよう。決まり事はエッケコから説明してくれ。オークの領民とも交易を許可しよう。節度をもって行動するようにな」
「ははあっ! ありがたき幸せにございまする」
顔を伏せたままのオーク商人に軽く微笑んだサムカが、ハグに山吹色の瞳を向けた。彼は相変わらず空中に浮かんでいるのだが、足元の石畳が〔風化〕して粉を吹き始めている。
「出迎えに感謝するよ、ハグ。後で報告書を提出するとしよう。では少々仕事が残っているので、これで失礼するよ」
ハグに軽く会釈して、そのまま居城に入っていくサムカである。
領主とはいえ、配下の騎士に任すことができない種類の仕事は結構ある。このまま執務室へ直行するのだろう。
乗馬用の柔らかい革靴を履いたままなので、歩いていく足音はほとんど聞こえない。腰に下げた剣から発する、かすかな金属音と、ベルトなどに施された装飾品や宝石類が互いに当たって出る、くぐもった小さな音だけが館の中に響く。サムカはそのまま正面階段を登って2階へ行き、玄関から姿が見えなくなった。
執事のエッケコが頃合いを見計らって、まだ頭を伏せているオーク商人に合図を送る。
「もう、頭を上げて良いですよ。隊商を自治都市内へ移動して下さい」
オーク商人が跳ね起きて、執事のエッケコに深々と礼を述べた。早くも商人の顔になっている。
「了解でさっ。良い品をたくさん仕入れてきたんで、楽しみにしててくだせえっ」
いきなり、ざっくばらんな言葉遣いになった商人だ。満面の笑顔になって、そそくさと城外へ駆け出して行った。やはり小太りなので、それなりにユーモラスな駆け足である。城門警備のアンデッド兵達は微動だにせず、彼を見送った。
「さて、と……」
ハグがサムカを見送りながら中古品の安い帽子をとり、オーク執事に断りを入れた。リッチーなのにミイラ頭ではなく、どこからみても普通の人間種の老人にしか見えない。
髪も全く手入れがなされていないままだ。適当に自分で切ったのだろう、見事なトラ刈りになっている。刈り損ねた部分の銀髪が、手入れの甘い水田に生える雑草のヒエのようにも見える。それらが頭のあちこちで跳ねて自己主張しているのだが、切りすぎた部分はちょっとした円型ハゲになっている。
「執事君にも、今後、色々と迷惑をかけることになろうな。1年間の契約だ。許せよ」
ハグの言葉に、エッケコが踵を揃えて深く頭を下げる立礼をした。
「心得ております、ハーグウェーディユ様。幸い、このウーティ王国は治安が安定しておりますので、差し支えないものと愚考しております。王国連合にも遠征などの動きはありませんし、敵対する南のオークの国にも目立った動きは見られていません」
執事が杏子色の両目をやや伏せたままで返答し、状況説明を続けた。
「騎士殿もおりますし。連合軍への招聘が来たとしても、領主である旦那様がわざわざ出向かれる事態になるような事はまず起きません。召喚の件は、ネルガル国王陛下もご了承なされたと文書で通達が来ましたので、これも心配なき事かと」
ハグの服装や髪のスタイルには一切言及しないあたり、なかなかの配慮の持ち主である。だが、何も事情を知らない者から見れば、執事が乞食に何か申し立てているようにしか見えない。
執事の低く穏やかな口調に、ハグも頬を少し緩めた。
「うむ……そうではあるがな。なにせ〔召喚〕するのが羊だ。予測が立てにくくてな」
そう言いながら、ハグが木蓮の花の色のような淡黄色の瞳を細める。懐から召喚ナイフを取り出し、鞘を指で小突いた。サラパン羊が持つナイフとは別の、管理者用のナイフだろう。
そういえば、ハグの顔は老人のように見えるのだが顔に刻まれているシワは深くない。リッチーなので、サムカのような貴族とは異なり、ミイラや骸骨のような姿になるはずなのだが……そこは膨大な魔力で何とかしているのだろう。この姿も、もしかすると幻術の一種かもしれないし、本当に肉体持ちなのかもしれない。
とはいえ、その身から溢れ出る膨大な魔力のせいで、ハグが浮かんでいる場所も浸食され、次第に〔風化〕されていく。その様子が執事の目からも容易に確認できた。
「そのようでしたら、旦那様のご不在の際に起きた諸問題につきましては、ハーグウェーディユ様からも、お力添えをお願いしたく存じます」
召喚ナイフを見てめまいがしたのか、体を大きく揺らせた執事だったがすぐに姿勢を立て直す。
そんな執事を見て、すぐにナイフを鞘にしまうハグだ。
「そうだな、そうしよう。そうそう、ワシの呼び名はハグで構わぬぞ。オークには魔力を帯びている我が名では色々と不便であろう。では、いずれ」
ハグが消えると、とたんに冷気が去り、玄関に差し込む亜熱帯の陽射しに力強さが戻った。しかし、初秋の日差しなので高地の涼しさの方が勝っているが。
執事が玄関周辺を見渡して、ハグが残したかなり強力な闇魔法場による、建物や建具への影響を確認する。〔風化〕されてはいるが、どうやら表面だけに留まっているようである。特に気にするような劣化は起きていない。
サムカもそうだが、リッチーも膨大な魔力の持ち主である。そのために、その場にいるだけで魔法場が濃くなり魔法場汚染が起きやすいのである。早めに換気などを行って、濃くなった魔法場を希釈してやる必要があるのだ。
さもなければ、サムカなど貴族が通っただけで闇魔法が誤発動することになりかねない。
例えは悪いが、人工衛星を打ち上げるための巨大な打ち上げロケットのエンジンと、その燃焼ガスのような関係である。ロケットが飛び去っていかずに打ち上げ台に居続けると、燃焼ガスの熱で周辺が大変なことになる。
「さて。どうなることやら……」
執事がマンゴを丸ごと口の中に放り込んだ。種ごとバリバリと食べている。杏子色の両目が驚きのせいで大きく見開かれた。
「ほう。これは確かに美味ですな」
【自治都市】
サムカの領地は20キロ四方ほどある。4000平方キロくらいだ。
乾燥した気候に適応した葉の硬い森林やイネ科やマメ科の草原で覆われており、川もいくつか流れている。これは平均的な貴族の領地規模で、この領地の中に居城と、オーク達が暮らす自治都市がある。
自治都市の周りには、農地や果樹園、畜舎もある。見たところ、きれいな田舎の城下町という風情だ。ただ、いわゆる中世西洋風でも東洋風でもなく、死者の世界独特な雰囲気を色濃く持ち合わせている。
強いて言えば古代中東風とでも指摘できようか。むろん後世のイスラムやキリスト教、拝火教などの影響が生じる前のだが。
このティンネア高原では雨があまり降らない。オーク自治都市の建物には雨よけの屋根がなく、そのままバルコニーや家庭菜園として使われている。
石造りの壁はツタなどのツル性観葉植物でびっしりと覆われており、花壇がぎっしりと配置されている。そのために、町全体が見事に緑化されていて、森の一部といっても差支えないような印象だ。
空気が乾燥しているので本来ならば埃っぽいのだが、豊富な地下水を汲みあげた路面散水設備が絶えず稼働しているので、干されている洗濯物も真っ白いままで乾燥されている。
湿った路面にはゴミは1つも落ちておらず、路肩の花壇には亜熱帯の観賞植物がびっしりと植えられて、色鮮やかな花や葉を見せて通行人のオーク達の目を楽しませている。上下水道も完備されているのだろう、悪臭も一切感じられない。しかし、色合いという面では、オークの肌の色を除いて赤系統の花が見当たらない。
街灯は獣人世界の魔法照明とは異なり、死霊術による鬼火〔召喚〕による照明方式になっている。今は日没前なので、まだ鬼火群はやってきていないが。
森の中で見られた、油膜状の風船の姿をした残留思念の大群が、強化ガラス製のチューブの中を高速で流通している。このチューブの中を流れているのは死霊術場と呼ばれる魔力場で、残留思念はこの魔力を輸送するポンププログラムの役目をここでは果たしている。
このチューブは町中に張り巡らされていて、オークが調理で使う熱源や、空調設備の動力源などのエネルギーとして死霊術場が使われており、残留思念がポンプ駆動と流量調節を行っている。ガス管や燃料パイプラインのようなものだろう。
ゴーストのような半透明のアンデッドも、大量に浮遊して町中を飛び回っている。これらは通信などの情報伝達、そしてもちろん警備の仕事をしている。
ゾンビやスケルトンなども大量に街中を駆け回っていて、オークの仕事の手駒となっている。かなり力持ちのようで、二抱えもあるような荷物を軽々とゾンビやスケルトンが単体でせっせと運んでいるのが見える。まだ日中だが、ここは死者の世界なので平気で活動しているのだ。
ちなみに、これらのアンデッド達はサムカの兵ではない。魔法具によりオーク達が直接使役している。そのため、サムカの城の門を開け閉めしているような使役兵よりも、はるかに低出力で性能も悪いのだが……こういった自治都市内での単純作業では差支えないようである。
このように、他の異世界とは雰囲気がかなり異なる。それは創造主である死者の世界の主、ミトラ・マズドマイニュを信奉し、その絶大な魔力の恩恵を受けている世界であるせいだ。
城にはサムカと騎士以下、それほど多くの者が暮らしていないために大きくはない。大きな砦といっても構わないような規模である。一方の自治都市にはそれなりに住民がいるようで、城を取り囲んで広がっている。これは立派な田舎町の規模になっている。
自治都市の中央公園には、すでに隊商が到着していた。今は、領主からの滞在許可証を、立て看板にオーク語で貼り付けて掲示してから雑貨市の開催準備を始めている。オークの住民も興味があるようで、早くも人だかりができ始めていた。
オークの住人の服装も古代中東風だ。清潔で機能的なもので、綿や麻などの自然素材メインで仕立てられており、この町の雰囲気にもよく馴染んでいる。革靴を皆が履いているので、獣人世界とは異なり結構な靴音が通路に響いている。
オークの姿は頭が禿げた豚であり小太りで短足であることを除けば、人間とほぼ同じだ。手足の指も人間と同じで、獣人達のように魔法の手袋をする必要はない。もちろん、人に比べると骨格がかなりがっしりとしていて、骨も太いので筋肉量も多い。それなりの威圧感はある。
サムカたち貴族は国王であるネルガル・クムミアに仕え、ウーティ王国の運営に加わっている。サムカは、この国王から賜った領地を統治している貴族の1人だ。国王は直轄地も別に持つが、こうして貴族に統治を任せる土地もある。
この高原には王国が他に200ほどあり、ファラク連合王国という地域連合を形成している。連合王国も他に複数あり、ファラク連合王国の北と南にも1つずつある。
サムカであるが、領民であるオークが運営する農園と畜舎を巡回するのも、彼の日課である。
農園ではトウモロコシやジャガイモ、ブドウなどの育ち具合いを話し、畜舎では今朝生まれた子豚やヒナ鳥の様子を見る。巡回とは言いながらも、話は栽培論や飼育論といった実際の作業手法にまで及ぶことが多い。
しかし、貴族はもっぱら果実の潜在魔力を吸い、家畜から吸う事はしないが。やはり臭いなどの問題があるのだろう。
「うむ。このヒナ鳥の病気だが、今流行している気道炎を誘発する熱病だな」
サムカが温度管理されたドーム型鶏舎の中で、腰を下ろしている。床には分厚く木屑が敷き詰められており、鶏糞もすぐに乾いていて悪臭を出していない。しかし、それでもハエやノミダニは居るのだが、気にしていない様子だ。
サムカの体は死体なので、温かい血液が通っていないせいもあるのだろうか。これらの害虫もサムカを避けているようである。そのサムカが軍手をした手でヒナ鳥を持ち、ソーサラー魔術で〔診断〕してオークたちに答えていた。
鶏によく似ているのだが、足が4本生えている種類で羽色も赤くて大柄である。体重もヒナ鳥の段階で1キロほどあるだろうか。
亜熱帯気候なので、年間を通じて日照時間の変動は少ない。しかし、家畜の生産効率を上げるためにこうして密閉型のドーム式鶏舎にして、人工照明を用いているのだ。空調も完璧なようで、穏やかな空気の流れが施設内に生まれている。
エサも配合飼料で、緑餌として新鮮な葉野菜も複数種類与えられており、大きさや体調に応じて配合を調整しているようだ。飲み水からもかすかな芳香が感じられる。
鶏舎の床は木屑を主にして、小麦殻や大豆の空鞘などを数十センチほど厚く敷き詰めたものだ。一律に乾燥していて、酒蔵のようなかすかな発酵臭が漂っている。
もちろん、このような管理作業はアンデッドにやらせていて、オークはその監督である。そして、このような病気等が発生するとサムカに報告することになっている。
「やはり、そうでしたか。領主様。交易担当の者も、そのようなことを申しておりました。我が王国連合の北部で流行していると聞き及んでおります」
鶏舎を所有しているオークたちも不安げに顔を見合わせている。
後ろに立って護衛している騎士に、サムカが振り返って呼びかけた。鶏舎の中で舞っている綿ぼこりがいくつか、サムカの切りそろえた短い錆色の髪の上に乗っていたが、それらがフワリと空中に飛んでいく。
弱っているヒナ鳥に影響が及ばないように、自身が周辺に展開している〔防御障壁〕を解除しているのだろう。
今は現場巡回中なので、衣装も作業着に近い印象でかなり地味である。袖口や襟元の生地も擦り切れて少し毛羽立っている。マントも羽織っているが、これも作業着に合わせたかのように赤茶色で刺繍もない地味なものだ。少々日焼けして色落ちしている。
靴も乗馬用ではあるが、かなり履き潰したヨレヨレ状態である。
しかし、腰ベルトに吊るしている長剣や、その他の装飾品を貴族らしく装備している点だけは、サムカなりのこだわりがあるのだろう。時折、くぐもった音が鳴る。
「うむ。私のところにも、その病気の情報が届いておる。対処方法もな。さて、病原体の特定もできたから、これから魔法で〔消去〕させよう。用意はいいかな? 我が騎士シチイガよ」
「は。いつでも発動できます。我が主」
きびきびした動きで、剣を抜く騎士。サムカの渋い擦り切れたマントに合わせた色合いの、やはり渋い無地のマントをひるがえしている。かなり使い込まれていて装飾もすり減っているが、溢れ出る魔力はオークが本能的に危機感を抱くほどである。
「うむ。手順はさきほどの念話の通りだ。ではいくぞ」
サムカも、マントをひるがえして剣を抜き放ち――
「〔消去〕」
……と、だけ言葉を発した。瞬間、世界が真っ暗になったかと思ったが、すぐに元に戻る。
ひるがえったマントが元の位置に戻る頃には、全てが終了していた。サムカと騎士の剣も鞘に収められている。
ややあって、ぐったりしていた数百羽のヒナ鳥達が、むくりと首をもたげた。
それを見て、山吹色の瞳を細めるサムカ。
「うむ。これで大丈夫だろう。この一帯の病原体は毒素ごと全て〔消去〕した。しかし、森の中などには、まだ潜んでいるやもしれぬ。1ヶ月ほどは警戒を怠ることなく、町の獣医師の処方に従いなさい」
そう言い残して鶏舎を出る。オークたちが感謝の言葉を後姿に投げかけている。
そのサムカの背後を歩きながら、騎士のシチイガが、その血の気の全くない藍白色の白い顔を軽くしかめていた。短く切りそろえた黒錆色の直毛の髪にまだ残っていた綿ぼこりを〔消去〕していく。
彼の淡い山吹色の瞳が、不満の色をにじませていた。軽く猫背になっているせいで、サムカよりも背が低く見える。
「やれやれ……鳥のヒナとはいえ、あれだけの数がいると、さすがに雑音と臭いがひどいものでございますね、我が主。我々は鶏肉や卵も触らないのに面倒なことでございます」
悪臭は実際には、ほとんどなかったのだが……それでも気になったらしい。本当のところは、生命の精霊場に当てられて不快になったのだろう。心臓の鼓動音や血流の音ですらイライラを感じるのだから仕方がない。
そんなグチを背中で聞きながら、サムカが口元を緩ませた。
「その通りだが、オークは生きているからなあ。食料がないと死んでしまうから仕方がないだろう。彼ら全員をアンデッドにしてしまうと、あのような複雑な仕事はできなくなってしまう。まあ、騒がしいのと生臭いのは完全に同意するがね」
待たせていた愛馬をアンデッドの一般兵に命じて呼び寄せる。ちなみに、馬も死んでいる状態だ。
命がある状態では、サムカや騎士シチイガが帯びている魔力に耐えられない。いわゆる『死の馬』と呼ばれる種類である。
馬が来るのを待つ間に、まだ不満を漏らしている騎士シチイガに振り向いた。
「そう文句を言うな。これも貴族の務めだよ。さて、次は西の森だったな」
サムカが騎士に確認した。しかし、騎士のシチイガが時間を気にする。
「はい。しかし、そろそろ〔召喚〕の時間ではありませんか?」
「まだ2時間ほど後だよ。森の巡回をして城へ戻っても、まだ余裕がある」
サムカがそう笑って、アンデッド兵が連れてきた愛馬のたずなを受け取ろうとした。
「では、行こ……(メエメエメエ、メエ)」
<ボン>と音がしてサムカの姿が消えた。たずなも半分ほどが消失している。馬は巻き込まれていなかったが、アンデッド兵は片腕が見事に消えてしまっていた。今回もサムカが立っていた場所の地面がごっそりと消滅している。
後に残された騎士シチイガが思わず目を点にしている。
サムカの愛馬も驚いた様子で、「ブヒヒ……」と鼻を鳴らして首を上下左右に振った。騎士が乗る馬も興奮して鼻を鳴らす。
すぐに馬2頭を手早くなだめて、負傷したアンデッド兵に〔修復〕魔法をかけてやる。腕が瞬時に〔修復〕されたのを確認した騎士シチイガが、ため息をつく。サラサラした黒錆色の髪を2回ほど片手でかき上げた。
「おいおい……2時間も予定と違うのは、よろしくないな。とりあえず、執事に連絡するか。その後で、西の森の巡回だな」
【魔法学校】
呼び出された場所は前回と異なり、魔法高等学校の校長室だった。異世界からの者たちに配慮しているのか、前回の役場よりも天井が高くて3メートルほどもある。この天井の高さのせいで、部屋の天井側の空間が異様に目立つ。校長たちは身長が1メートルほどしかないので、机や戸棚、本棚なども小さく作られているためだ。
サムカが出現した場所は、ちょうど校長室の中央の絨毯の上だった。
しかし、今回も〔召喚〕に巻き込まれて一緒についてきた、地面と馬のたずなと、アンデッド兵の片腕などが現れたおかげで、ゴミ捨て場のような有様になっている。
「おう、成功だ。成功だ」
無邪気に喜ぶ毛玉羊のサラパン主事と初老狐の校長。しかし、呼び出されたサムカは不機嫌な顔をしている。今回は掃除するつもりはなさそうだ。
「2時間も早く〔召喚〕するとは、どういうことかね?」
〔召喚〕時に魔法陣から発生していた水蒸気の霧を突っ切り、サムカがそのまま歩んで校長に詰め寄っていく。しゃがんで、顔を校長に近づけた。山吹色の瞳には黄色く鋭い光が宿っている。
「え? え? どういうことですか? 私たちはきちんと計画通りの時間に〔召喚〕したのですが?」
校長が(訳が分からない)という顔をして困惑している。尻尾も混乱したように不規則に揺れ動いている。
それを見て、サムカも首をかしげた。
「計画通りだと?」
校長室にかけられている壁時計を見ると、確かに2時間後の時刻を指している。
「ん? ここの世界では、今は11時なのかね?」
ようやくサムカが校長の襟首から手を離した。
「はい、そうですが」
校長は、まだ困惑している様子だ。鼻先や口元のヒゲの先から、汗の玉が伝って床に落ちている。
「もしかして、テシュブ先生の世界では11時ではなかったのですか?」
サムカが立ち上がって、腕組みをして考え込む。
「これは……おい、ハグ聞いているか。返事をしろ」
すぐに、気楽な声の調子で、ハグの返事が校長室に響いた。
「ははは。やはり、時間が合わなかったかね」
この声には校長と主事にも届いているようで、目を丸くして驚いている。とりあえず今は彼らに説明をしない事にするサムカだ。構わずに、ハグの声がした天井に視線を向ける。
「理由を知っているようだな。説明してもらおうか」
相当にイライラしている声色だ。瞳の黄色い光もその強さを増している。
しかし、ハグの声は気楽な口調のままだ。
「君の世界と、ここの世界とが別世界だから、時間の流れも別々なんだよ。だから10分早かったり、遅かったりするんだね」
サムカが言下に否定した。彼が帯びている闇魔法場が強まったのか、部屋が少し暗くなる。
「10分どころではないのだがね」
イライラが募って、サムカが発している闇魔法場の勢いが更に強くなってきた。〔防御障壁〕で抑えているのだが、それでも漏れ出た魔法場が校長室に飾られている絵や花を脱色していく。しかし混乱している校長や、のほほんとした毛玉羊は気づいていないようだ。
ハグの口調は相変わらずだ。むしろ、更にのんびりした印象すらある。
「ワシが言っているのは、ここでの1時間での違いだよ。数日間もあれば、そりゃ、数時間は違ってくるぞい」
かなり楽しんでいるような雰囲気も感じる。
サムカが少し切れた。
「何とかならんのかね、ハーグウェーディユ、リッチー協会理事殿っ」
サムカの語気に、さすがに力がこもった。
〔防御障壁〕を貫通したサムカの魔力が校長室の赤レンガ壁に衝突して、クレーターみたいな窪みをつけた。これには、さすがに校長や毛玉羊も驚いた顔をしている。クレーターをまじまじと眺めて、白い魔法の手袋をした手で触っている。
ハグもようやく少しだけ真面目な口調になった。
「無理だね。この調整には古代語魔法の行使が必要だ。何せ、世界間の仕組みをいじる訳だからね。それも恐らくは応用古代語魔法の部類だろうな。そんなことをしたら、我が世界の放任主義の主様から、お叱りを受けてしまうよ。そもそもワシは全次元神代語なんぞは詠唱できん。九次元までがやっとだ」
あっさりとサジを投げるリッチー。
「諦めてくれ」
呆れるサムカ。赤茶けたマントの中で、剣や装飾品がカタカタ当たる音がする。
「おいおい……それがリッチーのいうセリフかね。世界最強の魔法使いのくせに」
「ははは。死者の世界最強ではないと思うが、上位100人ではあるかもな」
そう言ってハグが、サムカの恨み節を軽く受け流す。
「どうしてもというなら、我々の世界の放任主義な主様に直談判することだな」
と、他人事のように提案した。
さすがに落胆するサムカである。
「出来るわけがないだろう、ハグ。イプシロンとまともに対峙すれば、私の存在そのものが耐えられなくて〔ロスト〕してしまいかねない」
「分かっているようで嬉しいよ。では、また何かあったら呼んでくれ」
ハグの声が途切れて、そして、ガラス窓越しの陽射しが通常に戻った。いつの間にか暗くなり涼しくなっていたようだ。
「ど、どうしましょうか。テシュブ先生?」
早くもパニック気味な校長が、部屋の中を意味もなくウロウロしながらサムカに聞く。一方でサラパン羊は少々不満げな表情を浮かべていた。
「あ? もう終わり? つまんねー」
どうやら、貴族とリッチーのケンカでも起こるものと期待していたらしい。
しばらく、何か考えているようなサムカだったが……校長に顔を向けた。
「シーカ校長には済まぬ事をした。私も、向こうの領地での仕事があるのでね。まあ仕方がない、部下に託すことにするとしよう。さてシーカ校長。私の授業だが、どういった手順で行えばいいかね?」
「はい。そのことなんですが」
やっと我に返ったような顔をした校長が、ドアの方を指し示した。
「教室まで、ご案内します。歩きながらご説明しますね」
そう言って、サムカを連れて校長室の外に出た。確かに、ここは魔法高等学校の敷地内である。
きちんと仕立てた狐サイズのスーツのポケットから、校長がハンドタオルを取り出して鼻頭を拭く。口元や鼻先の細いヒゲの先にも細かい汗の雫がついている。
一方で、早くも昼寝の準備をし始めていたサラパン羊が間延びした声で見送った。
「いってらっさーい」
校長室には、まだアンデッド兵の腕や、その他諸々が散乱しているのだが、全く気にしていない。元々、毛玉のように丸々とした姿だったが、さらに丸くなって短い手足を毛玉の中に潜りこませてしまった。
【運動場】
校舎の1階にあった校長室から、そのまま校舎の外に出た。広い運動場を横切って歩いて、向こう側の校舎に向かっていく。
途中には、警察と思える警備隊が駐在している建物があった。狐族の完全武装済みの警官隊が校長とサムカに敬礼をする。今見えるだけでも、ざっと20名の隊員はいる。
エルフ先生の機動警察の制服に似ている丈夫そうな服だ。ヘルメットと簡易盾、魔法具である杖を持ち、裸足ではなく頑丈そうなブーツを履いている。鎧のような防護服は装着していないが、暑いからだろう。亜熱帯の日差しは現地の狐族にとってもきついようだ。
いい天気だが……ふとサムカが森を見ると、やはり数頭の鹿や猿がこちらをじっと向いているのが見えた。まあ、校長が混乱していたので仕方がない。
そのまま森の上空を見上げると、初秋の色が出始めた青い空が広がっていた。そしてやはり、先日の狐の姿をした精霊が1匹、上空数百メートルの空中に浮かんでサムカをじっと見つめている。
校長がそれには気づかずに歩きながら、サムカに説明を始めた。
「サラパン主事ですが、テシュブ先生の〔召喚〕時には、この高等学校に来て下さることになりました。校長室がその間、彼のデスクになります」
サムカが視線を校長に戻して、素っ気ない声で答えた。先ほどまでのイライラは収まった様子である。
「役場でもヒマそうだったからな。良い運動になるだろう」
校長が口元のヒゲを数本ピコピコと動かし、白毛交じりの両耳の先を揺らした。
「テシュブ先生の担当クラスですが……〔召喚〕時間の関係上、死霊術と闇の精霊魔法の科目を、専門と選択を合わせて1つにします。すいません。大変だと思いますが、何とかやりくりして下さい」
そうお願いしてから、校長が話を続けた。
「受講生徒の登録は、2回目の授業後に行って下さい。専門か選択かの科目受講用の申請用紙を生徒が持ってきます。それにサインして、事務員や私に提出して下さればいいですよ」
校長がスーツのポケット内を探り始めながら話を続けた。ガラス瓶が当たって鳴る音がする。
「教育指導要綱に記載されている魔法具や資料は、今回分は、すでに教室に配置してあります。ですが、他に必要なものがあれば遠慮なく仰って下さい。手配してみます。これが、テシュブ先生が使う教室と備品ロッカーの鍵です」
校長が説明を続けながら、ガラス瓶を1つ開けた。その中からは、いくつもの鍵を束ねた物が出てくる。
それをサムカに差し出した。身長が1メートルほどの狐の世界なので、鍵も狐サイズで小さい。見たところ、何の魔法加工もされていないようだ。
サムカが軍手の状態を念のため再確認し、鍵束を受け取った。「ジャラジャラ」と金属音がする。
「2回目の授業後に受講生徒が確定するということだね。では、今日の授業は、講義内容の紹介程度でよいのかな?」
そのままではサムカが発する魔力で鍵が劣化してしまうので、鍵の表面に耐性効果を付与する魔法をかけている。
校長がうなずき、簡単に学校の履修システムについて説明を始めた。
「はい。その通りです。生徒は魔法世界の教育システムに準じて、それぞれが有する魔法適性で最も強い分野を専門科目として履修します」
具体的には、ウィザード、ソーサラー、精霊魔法と法術のうちから1つを専門科目にする事になる。
サムカのクラスは精霊魔法とウィザード魔法の2つにまたがってしまうが、区分け上は精霊魔法クラスになるそうだ。
校長が曖昧な笑みを口元に浮かべる。
「ですが……私たち獣人族の生徒は、広範な魔法適性を持つことが多いのですよ」
そのため魔法適性診断を参考にしつつも、他にも自由に選択科目を選ぶことができる。この点が魔法使いの魔法世界や、エルフたちの亜人世界の教育システムとは決定的に異なる。
例えば、ウィザード魔法の幻導術を専門科目とする生徒は、〔幻術〕や〔念話〕〔通訳〕に〔心理操作〕関連の魔法をそこで学ぶ。しかし、ソーサラー魔術でも独自の〔念話〕などの魔術がある。これを学びたい生徒は、それを選択科目として登録する事ができる。
または、全く別の分野の魔法や法術を知りたいという生徒がいる場合は、精霊魔法や、法術の選択科目を選ぶ事もできる。
校長が屈託ない笑顔をサムカに向けた。
「テシュブ先生の教室にも、先日の2人以外に何名か、登録申請に来る生徒がいるかもしれませんね。専門クラス登録は2名だけですが、選択科目で増えてくれると、私としても教育研究省に色々言えるようになります。やはり死霊術や闇の精霊魔法には、ひどい先入観がありますので……」
「その通りです、シーカ校長!」
突然、サムカと校長の前に、狐族の生徒が2名走り込んで立ち塞がった。校長の顔が少し険しくなる。
「これ、無作法ですよ。リーパット・ブルジュアン君、パラン・ディララン君」
そして、すぐにサムカに顔を向けて謝った。
「すいません、テシュブ先生。時間がありませんので、急ぎましょう」
しかし、2人の生徒達は頑として立ち塞がったままだ。尻尾が45度の角度でピンと立ち、顔じゅうの細いヒゲ群も緊張で四方八方の方向に向いている。
「無礼は貴様だ、シーカ校長! 我は帝国皇帝陛下の覚えめでたきブルジュアン家の次男であるぞ。そこのアンデッドに一言警告するだけだ」
黒茶色の両目に琥珀色の光を宿しながら、生徒の1人が叫んだ。さすがに校長も不満そうな表情ながら1歩引く。サムカは内心で苦笑していたが、もちろん目や表情には出さない。
(ううむ……どこにも似たような者がいるのだな)
そのまま、いきり立っている狐族の生徒に機械的に聞く。
「承ろう。何かね?」
リーパットと校長に呼ばれた狐族の生徒が鼻で笑って、サムカを見上げた。隣の生徒はまだオドオドしているが、虚勢を張って同じような仕草をしている。
「ふん。タカパ帝国は我々狐族のためだけのものだ。貴様ら異世界人どもに媚びを売ったせいで、竜族や魚族に羊族のような劣等種族と机を共にする羽目になった。さらに奴隷として使っていた原獣人どもまで手放す有様だ。この屈辱が貴様に分かるか!」
まくし立てていく。
「聞けば、貴様は魚族のガキを教えるために特別に呼ばれたそうではないか。何という無駄。もう一方の狐族のガキも辺境の農民の田舎者だ。何という無駄だ」
レブンとペルの事を指しているのだろう。
「帝国は妖精や精霊と長年に渡って友誼を深めてきたというのに、よりにもよってアンデッドを教員として迎えるとは。我がご先祖様に申し開きできぬではないか。さっさと死者の世界へ帰れ! そもそもだな……」
いきなり長い長い非難演説を始めた狐族の生徒である。
それを無造作に遮るサムカであった。
「リーパット君……といったかね。私は召喚契約に従っているだけだ。文句を言うならば、親元のリッチーや帝国宰相閣下にすべきだろう。重鎮の家柄であれば、発言にはそれなりの重みが生じるものだ。君が申し述べた内容は、君が仕える皇帝陛下への批判でもあるのだよ。心しておくことだ」
「こ、この下郎、アンデッドの分際で……!」
リーパット狐が激高して、琥珀色の鋭い視線をサムカに向けた。が、サムカの山吹色の瞳を直視してしまったのか、全身の毛皮を逆立てる。思わず悲鳴を上げて後ずさった。
ついには、口をパクパクさせているだけになってしまった。隣の狐族の生徒もリーパットが飛びのいたので、慌ててサムカから遠ざかっていく。
サムカが目を閉じて、錆色の短髪を軍手でかいた。
「魔法適性が弱い者は、私の目を見ない方が良いぞ。シーカ校長、彼の魔法適性はどの程度なのかね。私が触れても構わない程度であれば、こうして〔防御障壁〕を調整する手間が省けるのだが」
校長が鼻先のヒゲの先に汗の水玉を浮かべながら、手元に空中ディスプレーを呼び出して検索する。
「……ウィザード魔法の招造術専門ですが、成績は学校最下位ですね。テシュブ先生の魔法場とは別の魔法適性ですし、魔力も低いですから、触れない方が良いかと思いますよ」
校長の素直な意見に、サムカも素直に従った。
「そうか。では、君は私に触れない方が良いだろう。精神疾患を引き起こす危険がある」
「き、貴様……! 校長も覚えておれよ!」
リーパット狐が数秒間ほど、琥珀色の鋭い視線をサムカと校長に向けて睨みつける。しかしすぐに臨界点に達したのだろう、軽い悲鳴を上げて尻尾を巻いて逃げていった。それでも捨て台詞を吐くのは忘れていない。
「この屈辱は忘れぬからなっ!」
「リ、リーパットさまっ。お待ちくださいっ」
もう1人の狐族の生徒も、悲鳴を上げて一緒に逃げていく。
その2人の生徒が、逃亡していく進路上の生徒達に向かってキッチリと殴る蹴るをしていく。一般の生徒達が悲鳴を上げて、右往左往してリーパット主従から逃げまどっている。
その様子を見て、サムカがジト目になった。
「本当に、どの世界にも居るのだな」
校長が申し訳なさそうに頭と尻尾を垂れて、サムカに謝った。
「すみませんでした、テシュブ先生。これも校長の指導が行き届いていないせいです。ブルジュアン家は宰相と共に帝国の重鎮なのですが……狐族の純血主義で、多民族参画社会を否定している者が多いのです。それと、ブルジュアン家と宰相とは別の派閥になります」
しかし、サムカには特に何も感慨はないようだ。
「貴族にも多い。よくあることだ、気にすることはない。さて、授業開始の時間に遅れてしまうぞ。急ぐとしよう、シーカ校長」
【西校舎】
ようやく西の校舎に到着した。
ちょうど、授業終了の時間になったようである。廊下には大勢の生徒が騒ぎながら、次の選択科目の教室に移動を始めていた。皆、校長よりも背が低いので、まるで小人の群れのように見える。
ちなみに、サムカの身長が180センチなのに対して、校長や羊は100センチ程度、生徒達の平均身長は90センチになるだろう。
実に1メートル近い差がある。しかし、サムカの衣服が作業服に近いものなので、それほど威圧感は出ていないようだが。出入りの電気配線業者の作業員のようにも見える。
校長は生徒達の混雑に巻き込まれて、まっすぐに歩けない様子だ。しかしサムカはなぜか、その巨体にも関わらず、誰にもぶつからずに真っ直ぐ廊下を歩いている。
「テシュブ先生、それも魔法の1つですか?」
校長が生徒達にぶつかりながらも、必死でサムカに追いつこうと小走りでついてきながら聞く。校長が追いつくために、歩みを遅くしたサムカが振り向いた。
「ああ。私が常時展開している〔防御障壁〕だよ。人払いにも使えて便利だ」
サムカが説明しながら廊下の窓の外を見る。ちょうど精霊魔法教室のある西校舎の2階に来ていた。窓の外には運動場の向こうに広がる広大な亜熱帯の森林が、延々と地平線まで続いているのが一望できる。
しかし、その見事な眺めには関心を払わず、サムカは晴れ渡った空の一方を見ている。先ほどの狐の姿をした精霊は姿を消していたが、浮かんでいた場所には尋常ではない量の風の精霊場ができているようだ。魔法場汚染とも言う。
(ほう……あの狐の精霊め、かなりの魔力を持っていたようだな。騎士見習いと同等ぐらいか)
興味を引いたのか、サムカが注視して狐の精霊が浮かんでいた場所を調べる。
「むむ? 風の精霊だけではないな。闇の精霊場と死霊術場もかなりの強さだ。何者だ? 森の動物精霊が発散できる量と強度ではないぞ」
そんなことをつぶやきながら、校長を待つ間しばらく考えるように窓の外を見ている。やがて、吹き溜まりのようになっている上空の混合魔法場に惹かれて、鳥のような者たちが集まり始めた。
「来るだろうな。あれだけの魔法場だ。吸収すれば相当の魔術が使えるだろう」
やがて、息を切らしながら校長が追いついた。さすがに初老の狐なので、急ぐと息が上がるようである。
「お待たせしました、テシュブ先生。おや、どうかなさいましたか」
「いや」
サムカが山吹色の瞳をいったん校長に向けて、断りを入れる。そして視線を戻して、軍手で上空を示した。
「あの鳥人間と、大きなワシは知り合いかね?」
見ると、上空高くには数名の羽の生えた人のような姿と、大きくて首と尾がヘビのように長いワシが数羽、旋回しながら威嚇しあっているのが見える。
「え、どこですか?」
校長がキョロキョロしてやっと見つけた。
「ああ……『飛族』ですね。誇り高い種族です。風系の精霊魔法だけを極めることを善しとして、この魔法校には参加しておりません。一方のワシは渡りの途中のようですね。一生を空中で過ごす種族で、この南の森の上空で子育てを考えているのでしょう」
サムカが強くなる殺気を感じながら、校長にも聞こえるようにつぶやく。
「しかし、どうやら友好的な雰囲気では……なさそうだな」
校長も少し考える様子になる。
「そうですね、縄張り争いでしょうか」
周辺に群がっている生徒達も、一緒になって上空を見上げている。しかし、すぐに次の授業の予鈴が鳴ったので慌てて廊下を走り出していった。
校長も我に返って、サムカに顔を向ける。
「あ。時間です。どうぞ中へ。ここがテシュブ先生の教室ですよ」
ガラガラと引き戸を開けて、教室に入っていった。サムカも上空から視線を戻して、校長に続いて教室の中に入った。
【西校舎2階の教室】
教室は定員が30名ほどの普通サイズの広さだった。正面には、幅が3メートルほどの大きな壁ディスプレーが備えつけられている。
思ったよりも参加者がいて30名の満席というところか。校長とサムカが入ってくると同時に、騒がしく談笑していた生徒達がピタリと静かになった。
先日の魔法適性を持った生徒である狐族のペルと魚族のレブンは、最前列に並んで座っている。この前よりも、余りオドオドとはしていないようだ。
校長が嬉しそうな顔で教壇に立った。白毛交じりの尻尾がワサワサと上下左右に揺れる。
「みなさん、死霊術と闇の精霊魔法の選択科目に興味を持ってくれたのですね。ありがとう。私も先生をお迎えした意義があったというものです。ご紹介しましょう、こちらが講師のサムカ・テシュブ様です。皆さんは『テシュブ先生』と呼んで下さいね」
そう言って、簡単にサムカを紹介した。フルネームを口にしていたのだが、今回は狐語だったので特に問題は生じていない様子だ。校長がサムカに微笑んで、ウィザード語に戻す。
「このまま〔召喚〕時間終了まで授業をして下さっても構いませんよ。それでは、私はこれで」
校長が浮き浮きした様子で教室から出ていく。
「うむ」
代わって、地味な赤茶けたマントを肩から外したサムカが教壇に立った。剣や装飾品に宝石類を身につけていたはずだが、きれいさっぱり消えている。ついでにマントも消えてしまった。
貴族が着るにふさわしい白い長袖シャツには、白で渋い刺繍が施されている。その襟元はきちんと閉じられていて、黒光りする銀色の紋章入りのタイ留めが、銀色に鈍く輝く細いネクタイを優雅に留めている。つい先ほどまでの退色して擦り切れた作業着とは大違いだ。
上品で青黒い生地のズボンには、きちんと折り目がついている。腰に巻かれているベルトは漆黒の色で、窓ガラスから入る日の光を鈍く反射している。皮靴も黒で、よく磨き上げられている。
このような姿なので、鈍く輝く錆色の髪と、磁器のような藍白色の白い肌がよく映えている。手袋も作業用の軍手から、白い事務用の薄手のものに変わっていた。
サムカなりに、この世界の住人が着ているスーツに合わせて仕立てたのだろう。古代中東風の貴族の服装ではないので、威圧感はかなり緩和された印象だ。しかし、これを仕立ててきたエッケコの苦労が透けて見えるようである。
教壇に上がっているので180センチ以上ある身長がさらに高くなって、生徒達が見上げるような格好になる。そして、穏やかな声だが、有無を言わせない圧力を感じさせる雰囲気で話し始めた。
「テシュブだ。君たちの言うところのアンデッドの世界で、貴族をしている。この世界へは、政府からの〔召喚〕で1時間ほど滞在することになる。この講座で教える内容は、私の世界での魔法とはかなり異なるが、それは魔法場の強さが異なるためだ。従って、この世界の魔法場に即した内容の授業になることを了解しておくように」
「テシュブ先生。ちょっとよろしいですか」
サムカの話を遮って、狐族の生徒が座ったままで口を挟んできた。ちょうどペルとレブンが座っている席の隣で、前から2列目中央にいる。その両隣にはトカゲ顔とセマン顔の生徒が座っていて、サムカを睨みつけていた。
(うむむ。ここでもか)
生徒の無礼な態度には特に何も言わず、サムカが内心で苦笑した。
狐族の生徒が当然のように話を始める。
「僕はバントゥ・ペルヘンティアン。帝国重臣ペルヘンティアン家の三男です。まずは、テシュブ先生のご就任を歓迎いたします」
「先程は校庭でブルジュアン家の次男坊に絡まれていたようで、申し訳なく思う所存です。あの者は、多民族主義者ではありませんので、お気になさらずとも結構です。帝国の要職へ就く予定は、ありませんから」
「異世界の民と共に改革を遂げていくという、我が帝国の方針は、まことに素晴らしく崇高なものです。テシュブ先生も、こうして教壇に立たれたからには、帝国のために……」
サムカが再び、演説の途中で無造作に遮った。
「ああ、すまないが。私の〔召喚〕時間は限られているのだ。短時間に効率よく教えたいのでね、授業をそろそろ始めてもよろしいかね?」
途端に険悪な表情になるバントゥ狐と、その両隣に控える2人の生徒である。彼は校内でも有名人なのか、その他に十数名ほどが、サムカに嫌悪の視線を投げかけてきた。
当然、そんな視線を無視するサムカである。教室内の黒板ディスプレー装置や、ロッカーの備品、関連する術式を手早く確認する。
「ふむ。私でも使えそうな設備だな。では、早速だが授業を始めるとしよう。この世界は魔法場が死者の世界のそれとは別なものが多いので、少々手間取るかもしれないが……少しの間だけ我慢してくれ」
主な登場人物(獣人世界の生徒):
●狐族ペル・バンニャ
闇の精霊魔法適性。瞳の色は薄墨色。黒い縞が頭頂部に3本、右手に1本ある。尻尾にも黒い毛が混じる。運動は苦手。身長90センチ。
●魚族レブン・イカクリタ
死霊魔術適性。瞳は明るい深緑色。姿はセマンのような感じで細いが筋肉質。セマン時の顔は小麦色の肌に黒髪。マグロ時は青磁のような銀色。身長90センチ。
●飛族ジャディ・プルカターン
赤黒い赤褐色の鳶色の羽毛。風切り羽は黒。琥珀色の鋭い眼光を放つ凶悪な顔。鋭い歯が並ぶ口。身長130センチ。翼と尾翼を広げると2メートル。熱血漢でうるさい。
●竜族ムンキン・マカン
光系精霊魔法適性。エルフ先生クラスの級長。瞳は濃藍色。柿色の金属光沢を放つ硬くて細かい鱗で全身が覆われている。故郷は人口数千。友人はバタルで自警団の部隊長。ムンキン党を持つ。身長90センチ。
●狐族ミンタ・ロコ
狐色でふわふわな産毛の毛皮には、ところどころ巻き毛が混じる。黄金色の縞が頭頂部に2本、左手に1本ある。尻尾にも黄金色の毛が混じる。瞳は明るい栗色。光系精霊魔法適性。かなり勝気。身長90センチ。
●竜族ラヤン・パスティ
目は紺色でいつもは半眼状態。赤橙色で金属光沢を放つ細かいウロコで全身が覆われている。2年生の女の子で成績は中位。真教ブヌア・マルマー神官の法術クラスに所属。身長90センチ。占道術にも優れている。
●狐族ビジ・ニクマティ
ラワット先生の精霊魔法専門クラスの級長。学者肌でいつも冷静。黒茶色の瞳。3年生。身長90センチ。
●狐族バングナン・テパ
力場術専門クラスの級長。ムンキンと仲が良く、ケンカ早い。褐色の瞳。身長90センチ。
●魚族ライン・スロコック
占道術専門クラスの級長。3年生。黒いフード付きのローブを頭から被って秘密結社を運営している。青緑色の瞳。身長90センチ。
●狐族コントーニャ・アルマリー
幻導術専門クラスの1年生。利を重んじる合理主義者だが、ミンタとペルに対しては別。身長90センチ。
●竜族バタル・スンティカン
法術専門クラスの級長。3年生。熱血正義感だが、竜族の中では冷静な性格。専門クラス生徒なのでミンタが知らない法術も多数使える。鉄紺色の大きな瞳。渋い柿色のウロコ。身長90センチ。
●狐族バントゥ・ペルヘンティアン
幻導術専門。ソーサラー魔術も。帝国重臣ペルヘンティアン家の三男。成績は上位。赤褐色で大きな瞳。狐色のやや固めの毛皮。身長90センチ。
●魚族チューバ・アサムジャワ
水の精霊魔法と魔法工学の専門。黒い紫紺色の瞳。セマン時は小麦色の肌に赤褐色の癖のある短髪。マグロ時は青磁のような銀色。レブンとは別の魚族町。2年生。身長90センチ。
●竜族ラグ・クンイット
ソーサラー魔術専門。尻尾が貧乏ゆすりのように絶え間なく地面を叩いている。青藍色の強い瞳。黄赤色の細かいウロコが金属光沢を放つ。神経質な性格。身長90センチ。
●竜族プサット・ウースス
幻導術専門。3年生。級長。露草色の瞳、橙色の少し荒いウロコ。気が弱くストレスのために病弱。身長90センチ。
●竜族レタック・クレタ
招造術専門。2年生。級長。瑠璃色の強い瞳、渋柿色の少し荒いウロコ。言葉は丁寧だが傲慢。鼻で笑う癖。身長90センチ。
●狐族マスック・ベルディリ
魔法工学専攻で級長。3年生。ペルにも優しく接する穏やかな男学生。クルミ色の瞳。身長90センチ。
●狐族リーパット・ブルジュアン
招造術専攻だが成績は学校最下位。3年生。瞳の色が黒茶色。身長90センチ。
●狐族パラン・ディララン
狐族純潔主義者で他民族否定派だが比較的穏やか。招造術専攻だが成績は学校最下位。身長90センチ。
●狐族チャパイ・ロマ
調子者。招造術専攻だが成績は中の上。身長90センチ。