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37話

【フードを被った中年男】

「……はあ。助かったあ。もうダメかと思っちゃった」

 ペルが安堵のため息をついた。ハグがその膨大な魔力を、ペルの〔防御障壁〕稼動に振り向けてくれたので負担が軽くなったおかげである。それでも、ハグ人形が不安そうな口調でペルに聞いてきた。

「ワシも繊細な魔力支援はできないのだよ。ペル嬢とワシとでは、魔力量の差が大きすぎるのでな。それでも、この代表とやらに任せるよりは安心ではあるのだが……大丈夫かね?」


 ペルが冷や汗をハンカチで拭きながら、健気に微笑んだ。頭と心臓と肺への負荷が物凄かったので、まだ鈍痛が残り、手足の先も冷たくなって痺れている。一方で、エルフ先生たちは順調に回復しているようだ。まだ、全身麻痺が残っているので、話したり〔念話〕をする余裕はないが。

「はい、大丈夫です。もうあと1分間も維持できない状態でしたから、本当に助かりました。ハグさん」


 しかし、まだそれでもハグ人形は不安なようだ。

「生身の体で強力な闇の精霊魔法を使ったから、ペル嬢の体内の魔法場バランスが大きく闇側へ傾いているはずだ。〔防御障壁〕維持はワシが行うから、嬢ちゃんは今すぐに魔法場を中和すべきだな。とりあえずは、全力で光と生命の精霊魔法を、何でも構わぬから使うが良かろう」


 ペルが素直にうなずいた。確かに、急速に体の皮膚感覚が弱まってきている。指先や尻尾の先が、鈍痛を伴って痺れ始めている。闇の精霊魔法を使いすぎたせいで、体が〔侵食〕されてきているのだろう。このまま放置すると〔精霊化〕してしまい、化け狐の仲間になってしまう。

「そ、そうですね。ハグさん」

 すぐに、簡易杖を麻痺して倒れている先生と仲間たちに向けて、光と生命の精霊魔法をフルパワーで放ち始めた。同時に麻痺〔治療〕の法術も術式起動させる。


<パン!>

 破裂音がして、エルフ先生とノーム先生が持っていたライフル杖が粉々に砕けてしまった。さらにミンタとムンキン、それにラヤンの簡易杖も破裂する。レブンの簡易杖も大きな音を立てて亀裂が走った。

 ペルの簡易杖にも大きな亀裂が走ったので、慌てて両手で簡易杖を握りしめる。

「うわわ……砕けちゃう」


 気絶して床に倒れて痙攣している他の先生たちからも、次々に簡易杖が砕ける音が鳴り響いてきた。ハグ人形が、銀色の細い毛糸の髪の毛をかきながら、慌てているペルを落ち着かせる。

「ペル譲、魔法場の相互〔干渉〕が起きている。杖は使わずに、魔法を使った方が良かろう」


 代表もペルの状態を〔診断〕したのだろう、しばらくしてから安堵した口調になった。顔は相変わらずぼやけているままだが。

「確かに危ないところでしたね。ペルさんは素手で構いませんから、そのまま魔法や法術を全力でかけ続けていて下さい。5分も行えば、あなたの体内の魔法場バランスも正常に戻るでしょう。さて、ではあなたと彼らの体調が回復するまで、昔話をしましょうか」

 ハグ人形もかなりの魔力を使って〔防御障壁〕を維持しているのだが、無視されている。


 カフェには他にも先生たちが倒れている。しかし杖が壊れていては、身を守る術がない。このまま、ここに残ると魔法場汚染を受けてしまう。

 代表がハグ人形にまた1つ命令した。

「これ、怠け者のリッチー。彼らをここから退避させなさい。ペルさんの〔防御障壁〕の外にいては、死んでしまうじゃありませんか」

 顔を真っ青にするペルだ。これ以上の人数を、自身の〔防御障壁〕の中に収納する事はできない。

「え、ええっ!? ど、どうしよう……」


 ハグ人形が面倒臭そうな仕草をして、ペルに黄色いボタンの目を向けた。

「仕方あるまい。ちょいと待っておれ」

 次の瞬間。苦悶の呻き声を漏らして、痙攣していた先生たちが全員姿を消した。ゴーレムと森の小鳥もついでに消える。

「運動場に〔テレポート〕した。太陽の下だから、闇魔法の影響も緩和されるじゃろ」


 本当はハグとしても、エルフ先生たちやペルたちも一緒に〔テレポート〕で退避させたいのだが……代表がいるせいで使えなくなっていた。理由はもちろん、『代表が話をしたいから』である。


 さて、さすがに魔神級とハグが指摘しただけの事はあるようだ。彼が立っているだけで、カフェの床やテーブルなどが急速に粉をふいたようにボロボロに劣化し始めてきていた。恐らく、5分後にはテーブルとイス全てが〔風化〕して、粉に帰してしまう勢いだ。そして、それは的中するだろう。


 しかし当の代表は、血の気のない顔色を全く変えることなく平然としたままで、昔話を語り始めた。

「今からおよそ300万年前のことですが、大きな戦争が起きました。世界そのものを自在に〔創造〕できる魔法が開発されたのですが、その利権を巡っての争いが起きたのです」

「無限の領土と資源エネルギーを手中にできるのですから、それは熾烈を極めました。結果、元世界は魔法場汚染が極限にまで達してしまい、魔法を禁止せざるを得ない環境に陥りました」

「無数に〔創造〕された世界は、大戦の大混乱のせいで互いの連結が切れて、ほぼ全てがどこかへ飛んでいってしまいました。辛うじて連結が残っていた10余りの世界が、あなた方の所属する現在の世界です」


 ペルが少々ジト目になりながら、代表にツッコミを入れた。

「知ってます。歴史の授業で習ったもの。私の記憶を調べたのでしょ。だったら、別に改めて説明する必要はないですよ」

 ハグ人形は無言で〔防御障壁〕を維持しているが、含み笑いをこぼしているようにも見える。


 代表もハグ人形と同じような口元になった。口調が子供に言い聞かせるようなものに変わっていく。

「言葉を発することにより、世界が決まる。魔法の基本ですが、私が今こうして話しているだけで、『言葉のあや』ですら世界〔改変〕を起こしてしまうのですよ。その先手を打って、あなたの記憶にある世界の歴史を、私が改めて口にすることで、世界を改めて決めたのです」


 そして1呼吸ほどおいて、満足そうにうなずいた。

「無事に世界が落ち着いたようですね。では、話を続けましょう」

 ハグ人形が、首をかしげているペルに補足説明してくれた。

「奴の魔力は魔神並みと言っただろ? 「世界よ滅べ」と奴が口走っただけで、本当にこの世界が〔ロスト〕するんだよ。そのくらい強力な魔力ってことだな。さっき奴が世界を『再規定』したから、もし、奴が滅べと口走っても、今度は奴が再規定したこの世界の因果律と衝突する。いきなり〔ロスト〕するようなことにはならないんだ」


 ペルはまだ完全には理解できていない様子であったが、そこは無視するハグ人形と代表である。ハグ人形がそのぬいぐるみの頭をクリンと何回か回した。

「ふう……世界の『再規定』に感謝するよ。これでかなりワシも楽になった。これほど魔力を消耗したのは、誕生後初めてだわい」


 代表が穏やかに微笑んだ。それでもカフェの床やテーブル、イスの〔風化〕は止まらないが。

「それは良かった。さて。大きな戦争でしたので、難民も大量に発生しました。その避難先として、私たちがこの世界を〔創造〕したのですよ。とはいえ私たちには魔力が強い者が多いので、何かの弾みでこの避難先の世界を破壊してしまう恐れもありました。ですので皆、生命活動を停止して死者の状態で眠ることを選択したのです。その場所が、この『墓所』なのですよ」


 とりあえず理解しようとしているペルである。一方のハグ人形が代表に質問した。

「我々のように、『自らを変化させて』世界に適応させる手段もあるのに、どうして眠ることを選択したんだね?」

 代表は相変わらず穏やかな笑みを浮かべたままで、その質問に答えた。

「アンデッド化や、魔法使いたちのような魔力の簡略化、エルフやノームのように別の人類になるという選択肢ですね。まあ、『世界改変魔法を手放す決心ができなかったため』とでも答えておきましょう」

 それを聞いたハグ人形が、口をパクパクさせて腕組みした。

「なんとまあ……永久に眠ることになってでも魔法は捨てられない……か。非常に人間らしいというか、何というか」


 代表もやや自嘲気味な笑いを浮かべている。そのせいか、彼の輪郭が更に不安定になって、蜃気楼のようにぼやけている。

「納得しての選択ですから、後悔はしていませんけれどね。この世界も目立たないように、極力魅力がなくて地味であるようにしています。それでも他の世界から移民してくる者もいるでしょう。私たちの安眠を妨げないよう、騒ぎが起きれば排斥できるように、3つの守護者……貴方たちの言う『化け狐』を配置したのですよ」

 代表の口調が、さらに親しみを帯びてきた。

「ペルさん。あなたたちを〔創造〕したのも私たちです。住人がいる方が、この世界の維持安定に繋がりますからね。ただ、魔法を使える住人は必要ではあるのですが、少ない方が都合が良いのでこうしました。その代わり、様々な魔法を使えるようにしていますが」


 ようやくミンタが、話をできるまでに回復してきたようだ。少々混乱して「アワアワ」しているペルに替わって文句を代表に言う。

「私たちの神様ってわけ? こんな小太り中年オヤジが? ガッカリだわ」


 代表が苦笑いして、ゴマ塩頭の髪をかいた。

「すみませんね。私たちは世界の初期設定を行っただけですよ。この300万年間の進化までは管理できないものなのです。今のあなたたちの『その姿や魔力』は、文明や帝国も含めてあなたたちのものです。私たちが手を加えたわけではありませんよ」

 ハグ人形もミンタに続いて代表にツッコミを入れた。

「そりゃそうだろうな。何せ300万年も寝ていたんだから、管理も監視もしてないわな」


 ミンタがジト目になって代表に重ねて聞く。

「それで。私たちは貴方たちを『神様』として祭り上げた方が良いのかしら? 死者で寝ているから、お供え物は不要みたいだけど」

 代表が微笑んだままで答えた。

「無用ですよ。もう、神でも創造主でもなく、ただの『死人』ですから。私も、用が済めば再び墓所で死人として眠ります」


 続いてレブンが復帰したようだ。まだ魚頭のままだが、代表に質問してきた。

「代表さま。難民と仰っていましたが、お仲間はどのくらい居るのですか? 20人程度でしたら、外のゾンビワームたちに命じて警備を厳重にしますが」

 代表がゆっくりと手を左右に振って否定した。

「この世界のあちこちに墓所があります。貴方たちが『古代遺跡』と呼んでいるものですよ。罠や偽装遺跡もありますけれどね。難民の数は、そうですね2000万人ほど……とだけ伝えておきましょうか」


「は!?」と、目が点になってしまったレブン、ミンタ、ペルである。他のムンキン、ラヤンと先生2人も麻痺がほぼ解消されてきているので、同じような表情になっている。


 レブンの顔も驚きで黒マグロ状態になり、青磁のような銀色の顔色になった。冷や汗を浮かべている。相当に予想外だったようだ。

「そ、そんなにいるんですか!? タカパ帝国の人口よりも多いじゃないですか」

 ミンタがペルと顔を見合わせて、事情を飲み込み始めた。

「そんなにいるのか……じゃあ、永久に眠っていてくれた方が助かるわね、ペルちゃん」

「うん。そうだね、ミンタちゃん。大騒ぎになっちゃうわ」


 そうこうするうちに、ムンキンとラヤン、それにエルフ先生とノーム先生が回復を果たした。ハグ人形による〔防御障壁〕が役に立ったのだろう。4人とも闇の精霊魔法が苦手なので、どうしても回復が遅れて最後になってしまうようだ。


 早速、エルフ先生がライフル杖を代表に向けようとしたが……杖自体が粉々になっていたので舌打ちをした。隣のノーム先生も同じく杖を探して、ガックリと落胆している。

 元は杖だった破片と粉を、エルフ先生が指でつまんで眺めてから、代表に空色の瞳を向けた。まだそれほど生気が戻っていなくて濁っている。

「おおよその事情は分かりました、代表さん。それで、ここへ来た目的は何ですか?」

 回復したばかりで、まだ頭がフラフラしているようなエルフ先生である。両耳も力なく垂れ下がっている。


 代表が「コホン」と咳払いをした。

「そのことなのですが、この学校に連絡員を1人置いてもらいたいのです。私たちが眠る墓所が、あなたたちによって発見されたのは事実です。墓所を守る魔法を〔修正〕しなくてはいけません。そのためには、外の世界の情報収集をする必要があるのですよ。これまでは適当な防具や武器をばら撒いて、寄ってきた住人や異世界人から情報を収集していたのですが、それでは不充分だったようです」


 顔を見合わせるエルフ先生とノーム先生である。ノーム先生が肩をすくめながら、ボサボサ状態の銀色の口ヒゲを整え始め、エルフ先生に小豆色の瞳を向けた。

「応じるしか選択肢はないな、これは。我々は一介の警官兼教師だから、あとは偉い人たちに任せよう」

 エルフ先生も肩を落としたまま同意した。

「そうですね。代表さん。交渉前で恐縮ですが、とりあえず今は、私たちには危害を加えないとだけ約束してくださいますか」


 代表が穏やかな表情でうなずいた。

「もちろんですよ。連絡員は『学校の用務員』として使ってください。魔力を極力弱くしておきますので、建物を傷めることは起きないでしょう」


 そして、砂の山になりつつあるカフェのキッチンに視線を向けた。既にテーブルとイスの半数は崩れ落ちて砂の塊になっている。その砂も蒸発するように水蒸気のような煙を上げながら、ゆっくりと消滅していっている。

「その生ゴミで創造しましょう」

 そう代表が告げただけで、いきなり人間サイズの中年オヤジが誕生して、カフェのキッチンに現れた。しっかり用務員の制服を着ている。代表の姿に似せているので、まったく冴えない姿である。


「このままでは、生きていますから食費がかかりますね。殺しましょう」

 代表がそう告げると、それだけで用務員オヤジが絶命した。血の気が完全に失せて、人形のような印象に変わる。

「ゾンビにしました。管理者権限は私にありますが、皆さんの指示にも従うようにしています。用務員の仕事を命じてください。太陽光には耐性を持っていますので、日中でも行動できますよ」


 呆気にとられて見つめている先生とペルたちである。 

 ハグ人形が口をパクパクさせながら、説明してくれた。

「こやつの魔法は、ワシたちが使う魔法とは違うんだよ。古代語魔法でもない。こんな未知の魔法を使われると、因果律崩壊が起きてしまう。そうなっては、ワシでは止められぬぞ」

 代表がちょっと真面目な表情になった。

「このゾンビ人形は、皆さんの使う死霊術を使用していますから不都合は生じないはずですよ」


 そして少し考えてから、代表がしみじみとした口調で話を続けた。

「しかし……確かに私たちの魔法と、あなたたちの魔法とはかなりの違いがありますね。できるだけ世界を崩壊させないことを第一に考えて、構築されている魔法なのですね」

 代表が〔風化〕しつつあるカフェを見回しながら、少し感心した表情になった。今や、カフェだけでなく建物の天井も〔風化〕していて、砂のような粉が天井からサラサラと降り注ぎ始めている。

「この世界の理に従い、妥協点を探りながら使う魔法ですか。なるほど、これは興味深い。墓所の〔結界〕や罠が破られたのも、世界に従うという基本設計のおかげですね。設計概念が大きく異なる魔法をぶつけられたのでしたら、私たちの〔結界〕や罠があっけなく破壊されたのにも納得がいきます」


 生徒たちはよく状況が理解できていない様子だが、エルフとノーム先生はさすがに冷や汗をかいている。それでも、努めて平静を保ちながらノーム先生が代表に話しかけた。

「では、そのゾンビを我が校の『用務員』として校長に推薦しておこう。人手不足でね、問題なく採用されるはずだ」


 しかし、代表は微笑みながら軽く手を振って、申し出を退けた。

「ご心配なく。歴史〔改変〕して、このゾンビを学校創立以来の住み込み用務員だとすれば、それで済みます」

 ハグ人形が慌てたような声を上げたが、代表は構わずに指を1回だけ鳴らした。

「因果律崩壊は回避していますから、ご心配なく。今『歴史』を変えました。このゾンビは『最初から』学校の住み込み用務員ですよ。あなたたちだけには、歴史改変前の記憶を残しています。あなた方の偉い人たちとの交渉は、これで不要になるでしょう。私たちは目立ちたくないので。では、この連絡員をよろしくお願いしますね」

 そう言い残して、幻のように姿を消す代表であった。同時に、カフェの崩壊が止まる。


 ノーム先生が早速ゾンビ用務員に視線を向けた。

「では、最初の仕事をしてもらおうかね。用務員さん、カフェを掃除して直しておくれ」

「はい。ラワット先生」

 明瞭な声で返事をしたゾンビ用務員が、てきぱきと大量の砂のかき出しを始めた。


 それを見たハグ人形が腕組みをして、残念そうに首をひねる。

「うむむ……しまった。奴にもっと多くのゾンビを作らせておくべきだったな。死者の世界で高く売れるのに、ワシとしたことが……」


 ジト目になってハグ人形を見下すエルフ先生である。まだ本調子ではないので瞳には力が入っていない上に、べっ甲色の金髪も跳ね毛だらけだ。

「まったく……これだからアンデッドは。でも、本当に歴史を変えてしまったのね。彼がゾンビ化する前の、生前の名前や履歴まで出来ているなんて。何という、即席でっち上げ歴史改変……」

 右手を振り〔空中ディスプレー〕を発生させて、ゾンビ用務員の情報を更に確認していく。

「名前は、『墓』さんですか……センスも全くないわね」


 レブンも口元を魚に戻して、エルフ先生とノーム先生と同じく〔空中ディスプレー〕を呼び出して調べた。簡易杖が壊れて使えないので直接、手を振っている。

「300万年も寝ていた方ですからね。ええと、この学校の事務職員一覧にも載っています……墓さんは、自律型ゾンビですね。名目上の管理者名は校長先生ですが、タカパ帝国の初代皇帝陛下の所有財産として登録されています。破壊命令は出せないようになっていますね。『国宝』ですよ、彼」


 それを聞いたペルとミンタ、ラヤンが一斉に吹き出した。文句こそ言わなかったが、かなり不服そうだ。

 しかし、ムンキンは遠慮なく文句を口にした。まだ彼も尻尾を振り回す元気はない様子だ。

「これが国宝って……オイ。学校の雑用をする国宝って何だよ、それ。ガラスケースの中に放り込んでおけよ」

 レブンも大いに同意したが、ムンキンの肩を軽く叩いて落ち着かせた。


 ノーム先生が手を振ってデータベースと接続し、色々と調べる。ものの数秒ほどで調べ物が終わったようだ。かなり呆れたような顔をして、銀色の口ヒゲとあごヒゲが再びボサボサ状態になっている。

「巨人ゾンビ地雷や、カルト派貴族の襲撃事件も、うまいこと記述されているね。どちらも定期メンテナンスで王宮に戻された間の出来事になっている。……うん、確かにこの歴史改変であれば、墓所のことは秘密にしたままでも良いな。我々が上司に報告しても意味がないだろう」


 エルフ先生もノーム先生が調べた情報を〔共有〕して、同じような呆れた顔になった。

「そうですね、ラワット先生。洗脳を通り越して、歴史上の事実になっていますものね、コレ。私たちが騒いでも意味がないどころか、狂人扱いされてしまうだけです。少なくとも教師はクビになりますね。国宝を敵に回すわけですし」


 その時、ペルが両耳をピクリと反応させた。黒毛交じりの尻尾も少し毛皮が逆立っている。

「レブン君。代表さんのいる新洞窟が『消えた』よ。魔法場がなくなった。〔ステルス障壁〕が復旧したみたい」

 レブンも急いで現地のゾンビワームとシャドウに命じて確認する。

「確かに。跡形もなく『消えた』な……これで、墓所があったという証拠も消えたのか。凄いな」


 そして、カフェの掃除を黙々と行っている中年ゾンビの背中を眺めた。

「ああ見えて、きちんと情報収集しているんだな」


 ノーム先生が咳払いをして、生徒たちに顔を向けた。さらに色々とノーム世界のデータバンクや演算装置を使って調べていたようだったが、肩をすくめて全ての〔空中ディスプレー〕画面を終了させて消去する。

「ここまでしっかり歴史〔改変〕されているから、我々が何をしたところで変わることはないだろう。では、この『匿名の闇の精霊の突発的な暴走事故による、カフェ崩壊』のせいで、運動場へ飛ばされた先生方を迎えに行こうかね」




【ウーティ王国王城】

 死者の世界では、ようやくウーティ王国主催のパーティが終わろうとしていた。

 城の大広間の壇上に立ったネルガル・クムミア国王が王妃と共に、列席している賓客たちに感謝の意を述べてパーティの閉会を告げた。相変わらずの質素な古代中東風の礼装とドレス姿だが、国王夫妻としての威厳は充分に保っている。


 続いて、国王夫妻と入れ替わりに壇上に上ったオークのワタウイネ宰相が業務連絡を始めた。それぞれの貴族や、賓客付きの馬車、騎馬隊などの行動スケジュールを、簡略に説明しながら詳細情報を別途送っている。 

 サムカのような田舎貴族『以外』の普通の貴族たちは、騎士や騎士見習いの他に、配下の従者や警護に召使いなどの魔族を何人も引き連れてパーティに参加しているので、ちょっとした大名行列のような形になるのである。


 サムカは1人で参加しているので気楽なものだ。行きは食材輸送のためにオークの荷駄隊と一緒であったが、彼らは既に領地へ帰還している。騎士やアンデッド兵も連れてきていないので、自分の愛馬を呼び寄せて鞍に荷物を乗せれば、それで撤退準備は完了である。

 王城を出るまでは礼装のままという慣習なので、サムカも借りてきた猫のような姿だ。普段着ていないので違和感がかなりあるが、悪友貴族『以外』からは、からかわれたり指摘されたりはされていない。


「やれやれ……ようやく領地に戻ることができる」

 サムカが手早く小さな〔空中ディスプレー〕を発生させて、領地で留守番をしている執事のエッケコに話しかけた。

 執事はちょうどサムカのシャツをアイロンがけしている最中だった。サムカに顔を向けたまま、手馴れた動作でアイロンの魔力スイッチを切って答える。

 動力源は城内に充満している闇魔法場なので使い放題だが、そこは執事の立場をわきまえているのだろう。補足説明すると、闇の精霊場や死霊術場は闇魔法場の構成成分の1つだ。

「旦那様。お勤めを無事に終え、祝着でございます。こちらでは特に問題は起きておりません」


 サムカが執事の顔をディスプレー越しに見てうなずく。その間に、執事がアイロンがけが終わったシャツを手早く畳み終わった。シャツを見ることもせずに畳むので、サムカとの会話に支障は出ないようだ。

「うむ。留守番ご苦労だったな、エッケコ。私の出立の順番は最後の辺りだが、夕暮れまでには城へ戻ることができるだろう」

「左様でございますか、旦那様。では、それまでには書斎と寝室の掃除を終えておきましょう」

 もう一言二言ほど執事と言葉を交わして、サムカが〔空中ディスプレー〕を消す。


 トラロック・テスカトリポカ右将軍が、従者である貴族や騎士を10名ほど引き連れてサムカの横を通っていった。白い鉛白色の肌に、鋭く輝く赤紅色の大仏頭なので、琥珀色の大きな目がよく目立つ。鎧は新調されたようで、キラキラと日差しを反射して輝いている。が、既に何本か傷が入っているところを見ると、実戦形式の稽古もしたのだろう。

 トラロックが馬上から、地上のサムカに声をかけた。

「よお、サムカ。不肖の弟子よ。お前も礼服が全く似合わないな。御前試合が終わったら、すぐにでも遊びに来い。ナマクラになった腕前を叩き直してやろう。敵オーク中隊を薙ぎ払わせてやるから、武器の手入れをしっかりしておけよ」


 新たにもう1人、サムカの身なりを茶化す御仁が増えたことに内心苦笑しているサムカである。が、もちろんそのような表情は表に出さない。山吹色の瞳を柔らかく光らせ、膝を曲げて立礼をした。

「かしこまりました。仰せの通りに予定を組みましょう。御前試合には私も観に参ります。今年のワインを何樽か持って参りましょう」


 馬上からトラロック師匠が白い歯を見せて、琥珀色の大きな瞳を細めた。

「うむ。ではまた会おう」

 ガハハ笑いを豪快に四方に響かせて、将軍一行が地響きを立てながら王城を出ていった。将軍一行の馬はサムカと同じベエヤード種なので無音騎行もできるのだが、そこは『慣習』というやつである。一礼してそれを見送るサムカであった。


「今年のワインか。私も味見したいものだな、なあサムカ卿」

 貴族や騎士たちの群集をかき分けて、悪友貴族のステワが徒歩でやって来た。彼も礼装のままなのだが、さすがにサムカより遥かに着こなしている。

 癖のある鉄錆色の髪を大仰に肩先で揺らして蜜柑色の瞳をキラリと光らせたステワが、一拍子遅らせて美麗なマントをたなびかせる。涼やかな音色を立てて、彼が身につけているクリスタルや結晶、貴金属の装飾品がマントの中から星の瞬きのように光った。身長も190センチとサムカよりも背が高いので、マントを揺らす所作が見事に映える。

「いつもいつも、古くなったオーク用のワインしか飲ませてくれないケチだからな、サムカ卿は。そろそろ酵母発酵も終盤だろ。泡が立ち上る旬のワインを今年は飲みたいものだ。おお、そうだ。将軍閣下へ献上するからには、その品質を確かめる必要があるな! サムカ卿では心もとないから、不本意ながら、この私が品評してやろう」


 サムカが錆色の前髪を片手でかき上げて、山吹色の視線を悪友貴族に向けた。

「古いのではない。熟成が進んだと言うのだ。オークや魔族たちの間では、高値で取引される『価値ある』ものだぞ」

 そんな言い分けを聞いたステワの蜜柑色の瞳が、間髪置かずにキラリと光った。

「断じて、あのような『泥水』には価値などない。土の香りだとか、なめし皮の匂いだとか、キノコ臭とか、ろくなものではないぞ。香りを楽しむのならば、紅茶にコーヒー、ハーブに香があるではないか」

「う……」

 さすがに言葉に詰まるサムカである。


 それでも何とか反論しようとしているのを、容赦なく無視する悪友貴族であった。ステワの視線はサムカを外れて、新たにやってきた貴族の行列に向けられている。

「これは隣の王国コキャングのピグチェン卿。ご帰国ですかな。見事な隊列、眼福の至り」

 ステワが馬上のピグチェンに声をかけた。

 ピグチェンは裕福な国の貴族だけあって、礼装姿もステワたち以上に華麗である。配下の騎士や見習いたちの装備ですら、サムカの衣装よりも見栄えがする。

 ざっと見て、魔族を加えて総勢20名ほどの行列となっている。これにアンデッド兵たちの荷物持ちが続く。


 馬上から、そのピグチェンが微笑んで答えた。

「大人数ゆえ、ここで立ち止まって世間話をする余裕がないこと、ご容赦願いたい。御前試合の稽古の件、後ほど詳細を決めることとしよう。では」

 サムカは完全に無視されているようだ。ピグチェンの領地に住むオークたちがサムカの領地での農作業のために、大量に『出稼ぎ』として出ていってしまい人手不足に陥っているので、当然といえば当然だろう。


 ピグチェン・ウベルリが所属するコキャング王国は、企業誘致に熱心だ。さらに、優遇税制や低利長期の土地の租借権のおかげで、王国連合でも指折りの富裕国となっている。

 特に、銀行での秘密個人口座の充実や貸し倉庫、カジノの充実ぶりは、他の王国連合と比較しても有名である。一方では、脱税や資金洗浄の拠点となっている……との噂があるが。真偽のほどは確かではない。


 オークはそこで雑務や労役をしているのだが、意外と給料が乏しい。貴族経営の会社や銀行ばかりなので、労務が効率的ではなく無駄が多い上に、収益を貴族たちで独占しているせいだろう。

 そのため、サムカの領地での季節の農作業や出荷作業に殺到しているのである。普通であれば、農作業手伝い程度の報酬は一般的に低賃金である。しかし、オーク執事であるエッケコの裁量のおかげで作業効率が非常に高くなっており、このような逆転した有様になっているのであった。


 カジノや金庫業では『わがままな貴族』を相手にするので、それだけ人手が必要になるのだろう。契約書や法律を決めても、それらを無視して最終的には決闘や賭け事で決める習慣のある連中だ。

 必然的にトラブルだらけになる。それらはリスクになり、コスト高に直結していく。具体的には闇魔法によって損耗した物品や施設の修繕費である。


 一方で農畜産物は文句を言わない。暴れて農場や畜舎を破壊する事も無いので、作業効率を高めやすい。ある意味で貴族や騎士は、鶏や豚よりも分別が無いものだ。


 1分間弱ほどかけて、そんなピグチェン卿一行の行列が王城門から出立していくのを見送るサムカとステワである。ピグチェンは外賓なので、他の貴族たちよりも先に出立する慣例だ。他の外賓の貴族らも続いて王城を離れて出立していく。

 サムカやステワたちはウーティ王国の所属なので、最後辺りの順番になる。従って、出立までにはまだ時間があるのだ。


 ステワが蜜柑色の瞳を退屈で曇らせながら、両腕を上げて背伸びをした。

「サムカ卿をからかうのも少し飽きてきたな。では、私もそろそろ出立の準備を始めるとするかね」

 そう言いながら、癖のある鉄錆色の髪を軽く左右に振り、普段よりも少し豪華な礼装用のマントの裾をパンと払った。

「荷物はないが、馬具の締め具合でも確認しておくか。では、また後でな、サムカ卿」

 言いたい放題言って、悪友貴族がサムカから離れていく。そのまま、貴族や騎士たちでごった返す人ごみの中に消えていった。


 サムカが律儀に見送って晴れた青空を見上げ、軽くため息をついた。

「やれやれ……私も馬具の確認でもしておくか」



 やがて……外賓貴族が全て出立したので、見送っていた国王がほっとした表情で、王妃と共に城の中へ引き上げていった。音楽隊も演奏を止めて片付けを始める。

 宰相だけは残っていて、残りの貴族や騎士たちの出立を見届けている。しかしながらピグチェンを始めとする企業経営をしている貴族たちは、オークの宰相に礼もせずに去っていく。お金が絡むと人間関係がややこしくなるのは、どこの世界でも同じようだ。


 サムカは馬上で〔空中ディスプレー〕を手元に呼び出し、執事と再び話をしていた。

「ふむ、そうか……では、その洞窟に棲みついた野生魔族の討伐をする必要がありそうだな」


 サムカの周辺では、同じように愛馬に騎乗した貴族や騎士たちが出立の準備を整えている。10名はいるだろうか。 

 彼らはサムカと異なり、数名のアンデッド兵やオークの供がついている。その兵とオークたちはせっせと荷造りをしていた。彼らを含めると100名余りにもなる。荷の大きさを見ると、このパーティで何か買い物をしていたのだろう。マントの中にしまい込むには量が多いようである。


 荷造りに手間取っているオークを、貴族や騎士が叱り飛ばしてから精神系の魔法で罰を与えている。その姿が、あちらこちらで見受けられた。

 気絶したり、ショックで痙攣を起こしたオークが15名ほど出ているのだが、貴族や騎士は気にする素振りも見せていない。

 一方でアンデッド兵に対しては、文句を言いながらも破壊したり攻撃したりはしていない。アンデッド不足が深刻になってきているせいだろう。


 サムカも特に貴族たちに指摘することはせずに、馬上から傍観している。

(これを多少なりとも改めれば、南の独立オーク王国との衝突も和らぐのかも知れぬが。まあ、希望的な推測は止めておこう)


 気持ちを切り替えたサムカが、執事からの画面を通じた報告に耳を傾けてから、討伐作戦を指示した。

「復唱する。身長4メートルのアシナガグモ型の魔族が20体。前2本の足は腕として機能するが、武器装備も魔法もなし……だな。斥候の調査報告を見る限りでは、我が騎士だけで充分に討伐できるだろう」

「だが、オーク兵と友軍魔族のルガルバンダ勢との共同作戦だからな、錬度を上げる目的も兼ねておる。作戦指揮は今回、シチイガに任せることとしよう。私が城へ戻るまでに犠牲者を出さずに討伐完了できているか、私が楽しみにしていると伝えてくれ」


 執事が杏子色の瞳に深い光を宿らせて、深々と恭順の意を示した。

「はい。旦那様の思し召しのままに。道中ごゆっくり、お越し下さい」

 サムカが山吹色の瞳を期待で輝かせ、マントの裾を風になびかせた。

「うむ、そうしよう」


 手元の〔空中ディスプレー〕を消去したサムカの耳に、聞き覚えのある馬の蹄の音が届いた。いつもの悪友貴族の愛馬のものだ。サムカがいる周辺には、他の貴族や騎士たちの馬に加えて荷駄を引く馬が合計で100頭以上もいるのだが、こういった音はすぐに分かる。


「おお、ここにいたか。良い知らせが入ったぞ、サムカ卿」

 ステワが暇つぶしに開いていた〔空中ディスプレー〕画面を指差した。そこにはニュース番組が映し出されている。ウーティ王国の国営放送だ。

 アナウンサーはオークのオッサンなので、禿げた頭以外には華やかさは微塵もない。こんな地味な見た目だが、現職宰相の代から本格的に始まった『国営放送』である。


 まだまだ貴族や騎士たちには、こういったニュース番組に馴染みがないのは、仕方がないところか。実際、この放送を見ているのは、ここにいる10名ほどの貴族や騎士たちの中ではサムカと悪友ステワだけである。


「何だね? その、『良い知らせ』とは。南部戦線の敵オーク軍が総崩れになって敗走したというのなら、私が出かける必要もなくなって好都合なのだがね」

 そんなサムカの儚い願望は、軽く一蹴するステワであった。蜜柑色の瞳が太陽の光を跳ね返してキラリと輝き、同時に、体中に身につけている高価そうな装飾具が涼やかな音を立てた。

「それよりも『良い』知らせだぞ。とある魔法世界で大量の水死者が出たそうだ。何かの魔法の誤作動で、島ごと海中に沈没したらしい。〔浮遊〕魔法なんかの他の魔法も、なぜか発動できなくなって溺死したんだとさ」


 サムカが首をかしげた。短く切りそろえた錆髪の前髪が風に揺れる。

「変な話だな。魔法が得意な、魔法使いどもの世界だろう? どうしていきなり魔法が使えなくなったり暴走したりしたんだ? 魔力サーバーの一斉ダウンでも起きたのかね。田舎なので、簡易な魔法場サーバーだけだったのかもしれないな。それが壊れたのか?」


 そのニュースのアナウンサーが世界間通信を使って、現地世界の専門家らしい魔法使いからコメントを引き出している。

 その魔法使いの専門解説者によると、「いきなり世界法則が変化したため、魔法が制御不能になったり使用不能になった」ということであった。その世界法則変化は「一時的なものだったため、現在は既に正常化している」とも話している。そのような世界法則を変えるような高等魔法の使い手は、ごく限られている。そのため、現在「容疑者リストを作成して、取調べの最中」らしい。


 それを聞いても、サムカの疑念は残ったままのようだ。首が傾いたままである。

「話に聞く、高等魔法の研究者である『メイガス』の仕業、ということかね? 私もメイガスには直接会ったことがないから、よく知らないのだが」

 サムカがツバメに〔憑依〕して観察していたメイガスを思い出した。そういえば周囲にはもう、そのような動物は見当たらない。飽きたのだろうか。もしくは、別の手段に切り替えたのか。


 そんな事を考えていたサムカに、ステワが同じように首をかしげて口元を緩めた。

「あのな、サムカよ。そんなことはどうでもよいだろ。我々の世界には影響ないことだ」

 ステワがかしげていた自身の首を元に戻した。ついでにサムカの傾いた首を、右手を差し伸べて物理的に立て直す。


 そのニュース解説者がペラペラ長々と得意げにドヤ顔で解説しているのを、辛抱強く聞くサムカとステワである。

 ステワがイライラしながら微笑んでサムカに顔を向けた。手をマントの中の長剣の柄にかけている。

「……なあ、サムカよ。叩き斬ってスッキリしたい欲求が、沸々と湧き上がってきているんだが。どうしてくれようかね、この魔法使い」

 サムカもステワと同じような表情である。が、そこはハグや羊に『鍛えられた』おかげだろう。何とか理性を保っているようだ。

「いや……我慢しろ、ステワよ。こやつの言う情報は、とりあえず今だけは聞くに値する」


 ドヤ顔で頬杖をつきながら解説を続ける、〔空中ディスプレー〕画面の向こうの魔法使いによると、おおよそ以下のようなことらしい。

「うむ。脳細胞が死んでいる君たちにも理解できる言葉で言うとだね……その大量の水死体が、ウーティ王国のセリにやってくるんだよ。ダイエットに励んでいる宰相君による入札で決まったのさ。数は数千体にも上るから、これで一気に死体不足が解消できるだろうね、おめでとう、おめでとう。はっはっは」

「通常であれば、水死体は魔法世界の遺族のもとに返されて、葬儀が行われるんだがね。今回は司法解剖の結果によると、全ての魔法適性が消失しているそうなんだよ。普通はありえない。原因も不明だ」

「そこで、組織サンプルだけ採取してから、異世界へ放出処分することにしたんだね。変な魔法場の発生源ともなりうるからね。その放出先が死者の世界になったんだ。まあ、ここならどんな死体が来ても大丈夫だからな。はっはっは」


 ステワが素敵な微笑みを顔に浮かべて、〔空中ディスプレー〕画面のドヤ顔魔法使いにうなずいた。

「うむ、ご苦労だったな。褒美に何か適当な〔呪い〕をかけてやろう。遺伝する〔呪い〕にすれば、世界にとっても幸いだろう」


 が、隣で同じディスプレー画面を見ていたサムカは、別の反応を示した。

「おお! それは良い情報だな」

 サムカの瞳がキラキラ輝き始めた。

 ステワがジト目になって、サムカの山吹色のキラキラ瞳を『まじまじと』のぞき込んだ。彼らの愛馬も顔を見合わせて「ヒヒン」と鼻を鳴らしている。

「まったく……鈍感にも程があるぞ、サムカよ。……まあ、いいか。この魔法使いの血統を絶とうと思ったが、サムカのその瞳に免じてやろう」


 が、そんな命拾いをした事には当然気がついていない魔法使いの解説者が、ドヤ顔のままで話を続ける。

「セリの開催日は、まだ未定だけど、近日中に行われるだろうね。貴族の皆さん、必要な死者の数を改めて計算しておいてくれたまえよ。計算間違いはナシですぞ。1たす1は2ですからな、お忘れなきよう。はっはっは」

 散々に言いたい放題言われている、視聴者サムカとステワである。

 しかし実際、指摘されるまでもなく数の勘定は、全ての貴族が苦手にしているというのも事実である。なので、ぐうの音も出せない様子だ。


 そんなサムカに更に様々と追い討ちをかけて、画面向こうからドヤ顔でからかう魔法使いの解説者であった。

 が、突如。姿が消えて、ニュースが別の話題になった。

 〔空中ディスプレー〕画面下で見切れている場所から、何かうめき声がか細く聞こえてきているが……気のせいだろう。


 新たに差し替えられたニュースでは、先日逮捕されて処刑が完了した『オーク独立運動家』の初老のオークの顔が映し出されていた。 

 ごく軽く肩をすくめたステワが、低い声でつぶやく。

「オークどもの独立運動か。連中は確かに商才はあるが、圧倒的に武力が弱い。我々貴族の庇護の下で、自治都市運営をしておれば良いものを。渡り魔族にすら太刀打ちできぬ武力では、独立したところで蹂躙されるのがオチであろう。わざわざ殺されるために独立しようとしている……と思えてならぬよ」

 しかし、少し考えて腕組みをして首をひねってから、言い直した。

「だからこそ、南の辺境の大密林の中でしか独立できていないのだろうな。我々貴族は、あのような高温多湿の森の中に領地を構えようとは考えないものだ。せっかくの衣服や宝具がすぐにカビてしまうし、屋敷もコケむしてしまって不潔になってしまう。アンデッド兵の維持管理にも、余計な手間がかかるようになるしな」


 サムカもその処刑されたオーク独立運動家の顔を眺めていたが、彼だけは目をやや伏せて弔意を示した。

「我らとは決して相容れぬ相手だが、自力で生きる国を興したいという気持ちは、何となく分かる。だが、現状は他の世界からの軍事支援などを受ける羽目に陥って、連中の操り人形に成り果てているようだがね」

 ステワがややバカにした口調になって、サムカの言葉を継いだ。

「そうだな。力なき正義や主張は、さらなる悲劇を招くものだ。お。話をすればホレ、連中の処刑も行われたようだな」


 ニュースは続けて、他の異世界からの不法侵入者の逮捕と処刑報告に移っていた。先ほどのオーク独立運動家の時とは異なり、1つの表でまとめて報告がなされただけである。

 魔法使いの特殊諜報部隊員が1人、ドワーフの冒険者が3名、セマンの盗賊が2名だ。顔写真はなく、文章でごく簡潔に罪状と処刑方法とが書かれているだけであった。もちろん、彼らの出身世界の政府からの釈放要求などは、この死者の世界では全く無視されている。


 もう飽きてしまったのかステワがあくびをして、サムカに話題を振った。

「そういえば、セマンの警備会社と契約していたよな。どうだい、その後は」

 サムカも表情が明るくなった。

「おかげで、かなり盗難被害は減ったよ。といっても、陛下や宰相閣下、君たちのような貴族に献上するための果物や酒しか、我が城にはないがね。私や騎士が使う武具は魔力を帯びているから、盗まれる恐れはないし。おかげで、今回はこうして収穫物を全て無事に王城へ届けることができた。良かったと思うよ」


 ステワもあくびを噛み殺しながらもサムカに同調して、明るい表情になった。

「そうか。私も今回は久しぶりに、満足できる供物を味わうことができて楽しかったよ。やはり、サムカの領地で育った果物は、良い潜在魔力を帯びている」


 一応、補足説明するが、貴族はアンデッドという不死の存在なので食事は不要なのである。生命活動をしていない体なので、そもそも食物を消化できない。嗜好品というか趣味の範囲で、こうして生鮮果物に牙を当てて、その潜在魔力を吸収して楽しむのである。

 生気は吸わないという暗黙のルールがあるので、果物が腐ったり溶けたり灰になったりはしない。タバコのような喫煙に近いといえようか。

 潜在魔力を吸った後は、オークへ下賜される決まりである。栄養上や衛生上は何ら問題がないので、そのままオークの食料になる。



 そんな雑談をしているうちに、ようやくサムカたち貴族の出立の順番が回ってきた。サムカもマントの裾を正して、愛馬の手綱を引いた。やはりどう見ても、『借りてきた猫に、強引に正装衣装を着せた』印象しかない。


「さて……ようやく我々の順番か。領地へ戻ったらエッケコに……(メ、メメメ、メエエ)」

 《ドロン》と馬上からサムカの姿が消えた。


 隣で馬を進めようとしていたステワが、呆れてジト目になる。

「おいおい。こんな時に〔召喚〕かよ」

 とりあえず周辺にサムカがいないことを確認して、改めてため息をついた。

「仕方がないな。サムカの馬は私が連れて行くか」


 貴族と騎士を壇上から見送っていた宰相も、一瞬あっけにとられたような表情になっていた。が、すぐに事情を理解して苦笑している。そして、ステワにさりげなく、「サムカを頼みますよ」とでも解釈できそうな合図を送ってきた。


 宰相にそうまでされては他の選択肢はない。悪友といえどもサムカの愛馬を、きちんと責任を持って彼の居城まで送り届けなくてはいけない。

 肩をすくめて、宰相に愛想笑いを向けて了承するステワであった。愛想笑いながらも、目元が笑っているので、別に不機嫌なわけでもないようだ。

「仕方がないな。では、サムカの城まで行くとするか。馬を届けに」




【化け狐の巣】

 サムカが〔召喚〕された先は、一面の氷雪と岩石の荒野だった。夕暮れ時のような空の色である。

 凍りついた風が、凍りついた大地を吹き抜けていく。草木は1本も生えておらず、生き物の姿も気配も感じられない。


「また、〔召喚〕先の座標を間違えたようだな、あの羊め。しかも、予定にはない〔召喚〕だぞ。まったく……」

 サムカが礼装姿のままで文句を言う。たちまち衣服が凍り始めたので、軽く体を動かして氷を払い落とした。 

 気温は氷点下なのだろうが、サムカの体は死んでいるので息が白くなるようなことはない。


 いきなり《ドラドラドラ……》と、わざとらしい音がサムカの近くで鳴り始めた。そして、<ポン>と音がして、わざとらしい赤と青の煙が巻き上がり、その中からハグ人形が姿を現した。何かのキメポーズまでとっている。

「あらら。せっかく煙を〔練成〕したのに、風で吹き流されてしまった。残念」


 サムカがジト目になってハグ人形を出迎えた。強風で吹き流された赤と青の煙には見向きもしていない。

「おいハグ。どこだね? ここは」

 ハグ人形が当たり前のように空中〔浮遊〕して風に流されながら、サムカの問いに答えた。

「南極じゃな。そんなことよりも、どうだったかね? ワシの登場は。ある英雄王の登場を真似てみたが」

 口が必要以上にパクパクしているので、ちょっと得意気なのだろうか。


「リッチーとしての威厳が感じられないな。どこかの妖精のようだぞ」

 サムカが『にべもなく』即答したので、言葉もなくショックを受けているハグ人形である。口パクしていないので分かりやすい。

 そんなハグ人形は無視して、サムカが腕組みをして凍りついた烈風が吹きすさぶ空を見上げた。

「仕方がない。また、自力で〔テレポート〕するか」


「おお。ちょっと待ってくれ、サムカちん」

 素早く立ち直ったハグ人形が、サムカに顔を向けて口をパクパクさせた。もちろん、口パクしてもしなくても話をすることはできるのだが、そこはハグのこだわりポイントのようだ。

「この間、この世界で応用古代語魔法が使われてね。世界の法則やら何やらが『少し』変わったんだよ。サムカちんが〔テレポート〕しても、使用しているのが古い座標のままだから、正確な場所へ行けないぞ」


 サムカの黄色い瞳が点になった。

「世界〔改変〕したのか? ハグ。そう言えば、先ほどの報道番組でも解説者が色々と話していたな。まさか、オイ、ハグ……おまえ」


 ハグ人形が両手をでたらめにブンブン振り回した。空中〔浮遊〕しているので、大きな虫がジタバタして飛んでいるようにしか見えない。

「違う違う。ワシじゃない。この世界を〔創造〕した連中だよ。まあ詳しいことは学校へ着いた後で、先生たちから聞いてくれ。ワシが話すと、それだけでまた世界がおかしくなりかねないのでな。とりあえず、しばらくの間は『因果律の崩壊』が起きやすい状況だ。魔法を使う際には、細心の注意を払ってくれよ」


 サムカが辛子色の瞳になり、整った眉をひそめた。南極の凍りついた暴風のせいで、再びサムカの錆色の短髪が凍り始めて白くなっていく。

「また、良からぬことを仕出かした連中がいたのか。存外に、この世界も物騒だな」


 そして、空を見渡して、右手を真っ直ぐ真上に突き出した。白い手袋にまとわりついていた氷が砕けて、細かい破片になる。それと同時に上空が、急速に分厚い雲で覆われ始めた。

「うむ。確かに座標がずれているな。……よし、修正した」

 ハグ人形を無造作に左手でつかむ。

「さっさと退散した方が良さそうだな。狐殿が、お出ましになられたようだ」


 真っ黒い雲の中から、巨大な狐状の頭が現れてサムカをじっと睨んできた。『化け狐』である。かなり巨大で、頭だけでも長さは数キロに及んでいる。

 その口が大きく裂けて、ズラリと並んだ鋭利な歯を見せた。かと思うと突然、氷雪の暴風ブレスをサムカ目がけて吐き出した。

 凍りついている大地が更に凍りつく。魔法なので物質だけでなく、空間と時間までも〔凍結〕させてしまった。


 次の瞬間。因果律が崩壊して、氷の暴風に曝された場所が、この世界から弾き出されて無に帰した。この宇宙は膨張し続けているので、〔凍結〕されてしまうと『置いてけぼり』を食らってしまうのである。


 残ったのは、深くえぐられた岩盤だけである。大気も弾き出されたので真空状態になり、周辺から空気が吹き込み、砂塵が立ち上って視界が閉ざされてしまった。消失面積は数十平方キロにも達するだろうか。


 ……が、サムカという獲物を仕留め損なったようだ。巨大『化け狐』が再び大きな口を開いて吼えた。

 それだけで、凍りついた大地が振動して氷が砕け散る。分厚い黒雲が急速に消えていき、それに伴って巨大『化け狐』も、その姿を凍りついた空に溶け込ませて幻のように消えていった。




【魔法学校の校長室】

「やれやれ……礼装は無傷のようだな。エッケコに、これ以上心配をかけるのは良くない」

 サムカが左手にハグ人形を握りながら、自身の服装を確認する。〔テレポート〕先は、いつもの校長室だった。


 いつもの魔法陣が床に描かれており、ウィザード文字の立体文章が変形しながら魔法陣の中を流れている。文字と言うよりも、有機高分子の模型に多くの衛星が回っているような印象だ。

 水が入ったグラスや、果物が収められた籠、その他もろもろの供物も、きちんと魔法陣の各ポイントに置かれている。供物や贄の種類は、その季節や月齢などによって、その都度変化するので面倒なのだが……さすが校長である。


 今回、サムカが緊急避難して〔テレポート〕してきたのだが、校長室には特に被害は出ていない様子だ。手元のハグ人形が口をパクパクさせている。

「な。言ったとおりだろ? サムカちん。あの程度の魔力でも因果律崩壊が起きる」

 サムカが素直にうなずいた。ハグ人形に小声でささやく。

「うむ。そうだな。私も用心することにしよう。因果律崩壊を起こして、この学校を〔ロスト〕させて、歴史上なかったことにするのは心苦しい」


 大汗をかいた校長が尻尾と両手をパタパタさせながら、サムカに駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫でしたか!? テシュブ先生っ。また〔召喚〕失敗で申し訳ありません」

 が、尋常ではない冷気に驚いて、慌てて後ずさりする。鼻先と口元のヒゲと、眉に相当する上毛の先端部分が凍りついた。上品な仕立てのスーツの表面も、若干凍りついてしまったようだ。


 一方の羊は口笛を適当に吹いて、愉快そうに何やら踊っている。召喚ナイフの切っ先を頭に突き立てているが、分厚いフワフワ毛皮のせいで皮膚には届いていないようだ。さすがは冬毛の時期である。

 他には、狐族で考古学調査のアイル部長と、エルフ先生、ノーム先生、それとマライタ先生がいて、ほっとした表情でサムカを出迎えた。半分凍りついているハグ人形の方には、残念ながら注意が向けられていないようだ。


 サムカが思わぬ大勢の出迎えに驚きながら、校長と先生たちに説明した。

「いいや。校長や羊のせいではなさそうだ。座標設定の術式がエラーを起こしただけだな。既に〔修正〕したから、もう大丈夫だ」

 礼装が凍結しているので、ソーサラー魔術で自己発熱して解凍を始める。


 その間に羊がコソコソと校長室から逃げ出そうとしているのを、校長と考古学部長とが押さえつけた。じたばたと大きな毛玉がもがいているが、そこはさすがに狐である。獲物を押さえつけるのは手馴れている様子だ。 

 頭に刺さっている召喚ナイフも引き抜かれて、鞘に納められる。それでも、汗をかきながら校長がサムカに顔を向けた。彼のヒゲとスーツも解凍され始めて、表面が濡れている。

「テシュブ先生、術式エラーの影響もあるのですが……」


 そこへ、ノーム先生が校長の話に割り込んできた。校長に手袋をした右手を差しだして、校長に話を中断してもらう。

「歴史を少し『変えて』しまったのだよ、テシュブ先生。墓所が作り出したゾンビが、この学校創立以来の配属ということになった」

 少しボサボサになった銀色の口ヒゲの先を手で整えながら、少しだけ視線をサムカから逸らしている。彼にしては珍しい。

 そして、簡潔に先日起きた事件をサムカに説明した。

「……ということで、墓所の住人の連絡員として、ここに用務員として住み込むことになったんだ。『国宝』扱いだから、テシュブ先生も扱いには気をつけてくれな」


 サムカが事情を理解して、山吹色の瞳を軽く閉じた。解凍が完了して礼装が若干湿っているので、細かい水滴が、床に数滴ほど落ちている。

「……また、面倒なことになったものだな。国宝扱いのゾンビなど聞いたこともない」


 エルフ先生がサムカに完全に同意した。片方の細長い耳をピコピコと上下させて、首を少しだけ傾けている。

 警察制服の腰ベルトに両手をかけていて、草で編んだ若草色の小さなポーチが揺れた。簡易杖は、替えの物に取り換えていた。あの後、動作不良でも起こしたのだろう。今はベルトのホルダーケースに収まっている。ノーム先生も同様だ。

「まったく同感です。おかげで、エルフ世界にまで歴史〔改変〕の影響が出てしまったのですよ。歴史公文書館の記録まで書き換えられていたのを知った時には、さすがに背筋が寒くなりました」


 ノーム先生も肩をすくめてうなずいた。銀色の垂れ眉が一緒に上下に動く。

「左様。ノーム世界の資料館でも同じ書き換えが起きていたよ。しかも、国宝級のゾンビの『定義』まで出来ていた。この300万年間で3度起きているという前例まで捏造されているし」

 肩をすくめながら大きくため息をつく。データ重視のノームとしては許されざる捏造行為なのだろう。

「ちなみに定義は、『死霊術的に完璧なゾンビ』だそうだ。術式のバグが皆無なので、死霊術場の魔力を100%利用できる。まあ、それでも能力的には、ただのゾンビなんだがね」

 そう言うノーム先生は短期間に様々なゾンビや上位種と戦っているので、今やちょっとした「ゾンビ」博士になっているようだ。

「違うのは太陽光に当たっても平気で、体の劣化も無いことぐらいだ。通常の会話ができるので、能力は普通のゾンビよりも高いな。しかし、ウィザードやソーサラーの光魔法などで普通に破壊もできる。法術によるアンデッド〔浄化〕も、もちろん有効だ」


 サムカにも世界〔改変〕前の記憶が残っているが、(これは死者の世界にいたからだろうか……)と考える。

「私には影響は出なかったが……記憶はしっかりと残っているぞ」

 ハグが口をパクパクさせて、サムカにツッコミを入れてきた。

「当然じゃ。ワシがどれだけ苦労したと思っておるんだね。リッチー協会を挙げての大仕事だったのだぞ。サムカちんどもが、のん気にパーティをやっている間になっ」


 サムカがそれを聞いて、少々呆れながらも感謝した。

「うむ。そうかね。私にはよく分からないが、礼を述べておいた方が良さそうだな。ハグ、感謝するよ」

 そして、さらにハグに尋ねる。

「もしや、とある魔法世界で『突如魔法が暴走、無効化して大量の水死者が出た』という事にも関わっているのかね? ハグ」


 少々興奮していて『荒ぶるハゲタカ』の構えをしていたハグ人形が、サムカの疑問をあっさりと肯定した。魔力の低いノーム先生やエルフ先生から出来事の『説明』がなされたので、ようやくハグ人形が話しても問題が生じなくなったようだ。

「そうだろうな。この世界は互いに結びついておる。世界〔改変〕や歴史〔改変〕が起きると、何らかの悪影響が様々な世界で起きるのは道理だよ。まあ今回は、『この程度で済んで良かった』というべきだろうな。ワシも驚いたよ。こんな魔法を当たり前のように使用したのが300万年前の大戦ということにな。そりゃ、大変な有様になるわけだ」


 ノーム先生も同意しつつ、まだ押さえつけられているサラパン羊を横目で見て呆れながら、サムカとハグ人形に打ち明けた。

「それもあるんだが……多分、今回、座標が狂った一番の理由は、この羊さんが1人でやってたキノコ鍋だろうな。見事にトリップして上機嫌になって、テシュブ先生を勢いとノリで〔召喚〕しちゃったんだな、これが。秋真っ盛りだから、キノコも旬でね」


 確かに、校長の机の隅には1人用の土鍋がある。しかし、食事を摂らないサムカとハグ人形は、それを見ても特に反応がない。鍋から発散されているキノコの香りも、カビ系統なので本能的によろしく思わないようだ。本当に古本と同じなのかもしれない。


 エルフ先生も呆れたような表情のままでキノコ鍋を見つめる。

「パリーが悪ノリしたのよ。サラパンさんに精神興奮作用のある野生キノコばかりを渡したみたい。私に一言聞いてくれれば、こんな事にはならなかったのに」


 すかさずマライタ先生がエルフ先生にツッコミを入れてきた。顔を覆うひどい癖毛の赤ヒゲを更にクシャクシャにさせて、額の太いゲジゲジ眉をひそめる。丸太のように太い両腕が、樽のような胴体の腰を《バン》と叩いた。

「おいおい。エルフは毒への耐性が尋常じゃなく強いだろうが。エルフには普通でも、ワシたちには致命的な毒キノコだって数多くあるんだ。カカクトゥア先生の監修でも、同じ結果だった可能性が高いな」


「ムッ」としているエルフ先生を無視して、ドワーフのマライタ先生がサムカに怪訝な視線を向けた。赤いゲジゲジ眉がさらに変形する。

「それで、テシュブ先生よ。その場違いなキラキラ衣装はどういうことなんだい?」

 校長をはじめ、この場にいる全員が思っていたことを、容赦なく指摘するマライタ先生である。


 サムカがようやく短い錆色の髪を片手でかいて反応した。

「うむ……先ほどまで王城でパーティがあったのだよ。これは礼装だ」

 エルフ先生が怪訝な顔になった。切れ長の目が、さらに細くなる。

「そんな華美な服が礼装なのですか。理解に苦しみます。その姿でパーティですか……えええ……」


 ノーム先生が銀色のあごヒゲを右手で撫でて整えながら一応、補足説明を入れてくれた。

「エルフ世界では、基本的に衣服というものが『無い』のですよ、テシュブ先生。樹皮や草コケを身にまとうらしい。だけど、それでは『対外的に物議をかもす』ということで、簡単な衣服を着ているんですよ。エルフ先生のその機動警察制服も、ありふれた自然素材ですしね。まあでもノームの目から見ても、テシュブ先生の服装は無駄に華美な印象はあるかな」


 サムカも同じ気持ちのようで、頭をかきながら同意した。

「実は私も、この礼装は苦手でね。汚してはいけないから、気を使う。では、着替えることにするか」

 中古の杖をマントの中から取り出して、それを頭上で一回転させた。瞬時にサムカの礼装が消えうせて、作業着みたいな服装になる。

 エルフ先生がジト目のままで苦笑し、マライタ先生と同じく両手を腰に当てて、軽く首を傾けた。

「その中間の服装はないの? それじゃあ、まるで用務員よ」


 校長がそれを聞いて別の話題を切り出してきた。意図的に白毛交じりの尻尾を元気に振る。

「テシュブ先生。その墓所から送られたというアンデッドの用務員なのですが、会ってもらえますか? 歴史〔改変〕が起きたのかどうかは、私には分かりませんが……実際に記録を見ると、まだテシュブ先生には会っていないのです」

 まあ、その通りではある。

「私がこの学校に赴任した際には、このゾンビ用務員さんは既に配属されていた記憶があります。ですので、かなり混乱してはいるのですが……」


 ハグ人形が空中遊泳をしながら、校長の頭上から声をかけた。

「まあ、そのことは深く考えないことだな。ワシも見てみたい。早速だが、その用務員をこの部屋に入れてもらえるかね? 校長が口にしたから、もう我々が会って話を交わしても問題ないはずだ」


「では」と、校長が扉の外に控えていた、用務員ゾンビを呼ぶ。ガチャと扉が開いた。

 サムカと似たような服装のゾンビが、挨拶をして部屋に入ってきた。

「どうも。『墓』と申します」


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