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36話

【新たな洞窟】

 この際に、リボンを使って緊急〔テレポート〕しても良かったのだが……わざわざ気絶する必要はないという事で、各自でリボンを使わずに〔テレポート〕することになった。不満そうな表情のミンタとラヤンである。


 10秒後。全員が無事に洞窟の外に〔テレポート〕を済ませた。退避できたのを確認して、ほっと一安心したエルフ先生が、ライフル杖を洞窟内部へ向ける。念のために、杖の底部に錠剤型の魔力パックを上限の50個いっぱいまで詰め込んでいく。

「では、生命の精霊魔法を全て起動します。念のため、洞窟から充分に距離を置きなさい」


 生徒たちが機敏な動きで洞窟の入り口から離れて、物理と各種の〔防御障壁〕を展開する。エルフ先生が杖を振って、術式を起動させた。

 たちまち洞窟入口と周辺の更地が、若草色の草やコケで覆われていく。


「おお……」

 思わず歓声を漏らすミンタとムンキン。ラヤンも目を輝かせているが、法術専門クラスなので少し微妙な表情も残している。ペルも薄墨色の瞳を輝かせて、黒毛交じりの両耳と尻尾をご機嫌に振って眺めている。


 しかし、レブンは落胆した表情になった。頭全体が魚に戻っている。

「うう……かなり強力な生命の精霊魔法ですね。これじゃあ、中のゾンビワームたちは出てこれないなあ」

 ノーム先生がレブンの肩を軽く叩いた。

「新しく出現した洞窟の中には、この魔法は及ばない。今頃はもう避難済みだろうよ。予定では、穴に封じてから死体に戻すんだったから、そうならずに済んで良かったんじゃないかね」


 レブンもそう思い直したようだ。少しだけ魚頭からセマンぽい頭になる。

「……そうですね。探検するには充分な広さの新洞窟のようですし。ゾンビワームたちにとっては、これで良かったのでしょうね」

 そして、エルフ先生に顔を向けた。もう、すっかり気持ちを切り替えている。

「カカクトゥア先生。ゾンビワームたちを使って、新しく出現した洞窟内部を探査しようと思うのですが、どうでしょうか?」

 エルフ先生が微笑んだ。

「そうして下さい。〔探査〕魔法が使えない以上、実際に中に入って調査するしかないですからね。既に死んでいるゾンビであれば、心配なく探査に使えます」


 そして、エルフ先生がノーム先生に視線を向けた。

「ラワット先生。早速で申し訳ありませんが、発電の魔法陣を描いて起動させて下さい。今は生命の精霊場で覆っていますけど、それを突き破って洞窟からモンスターが出現してくる恐れもありますからね。その迎撃に使いたいのです」


 ラワット先生がうなずいた。ボサボサになっていた口ヒゲを左手で丁寧に整えている。

「了解したよ。早速始めようか。生徒たちに魔法陣を作らせるつもりだったが、こうなっては僕が直接作った方が良かろう」

 ライフル杖を洞窟入り口そばの地面に向けた。彼はエルフ先生ほど危機感を感じていないのか、杖の底部には追加の魔力パックを入れていない。

「でもまあ、せっかくだし、説明しながら進めるか。これから作る魔法陣は、大地の精霊魔法を使ったものだ。太陽光を電気に〔変換〕する魔法で、生命の精霊魔法の術式を使って洞窟内部に電気を流す。電気は光に〔変換〕できるから、洞窟内部でも光の精霊魔法を使用できるようになるんだ。もちろん、夜間は発電できないから、魔法陣に蓄電しておく」


 エルフ先生が補足説明する。

「このノームの魔法は、雨天でも充分に発電できる点で非常に優れたものです。エルフの精霊魔法では、大地とは相性が良くないのですよ。代わりに水を用いて発電しますが、池や川がない場所では、それができません。発電効率もノームの魔法より悪いですし。ですので、よく見て覚えなさいね。その後で、クラスの生徒全員に経験〔共有〕させてあげなさい」

「はーい、先生」と、元気な返事をする生徒たちだ。


 ノーム先生が術式を生徒たちに公開しながら作業を進める。

「この魔法陣の術式で、薄い膜を作るんだ。素材は術式で示されている通り、土類元素と有機物だな。土壌水分も使う。この薄膜が太陽光発電の機能を有するんだ。じゃあ、始めようか」

 ノーム先生がライフル杖を軽く振って術式を起動した。洞窟の入口の前には半透明な薄膜が形成されていき、それ自体が魔法陣を形成していく。


 熱心に観察している生徒たちとエルフ先生に、ノーム先生が話を続けた。

「ただの薄膜ならすぐに破れてしまうけど、これは大地の精霊魔法だからね。ここの大地の精霊場に『直接』描かれているので、簡単には破損しないよ。あの木の幹に記された、ソーサラー魔術の〔テレポート〕用の魔術刻印よりも強力だ。汎用性もかなり高いから、色々と応用が利くぞ」


 そして、改めてエルフ先生の顔に視線を向けた。

「先ほどカカクトゥア先生がノームの大地の精霊魔法は強力だと話してくれたけど、その理由の1つを説明しようかね」

 描いたばかりの大地の魔法陣にノーム先生が視線を向けた。すぐにライフル杖の先を動かして、空中に大きめの〔空中ディスプレー〕を出現させる。ちょうど、生徒たち全員が無理なく見ることができるような大きさである。

「この薄膜を構成している分子自体は、標準的な太陽光発電パネルで使われているものと同じだ。量子ドットによる発電だな」

 空中ディスプレーを見ているエルフ先生が、うなずく。

「そうですね」


 ノーム先生が話を続ける。

「この分子にできた量子ドットは、光を受けると電気を発生して色が変化する。その際に、パネルが持つ波動のバンドギャップよりも2倍以上長い波長の光がこの量子ドットに入射してくると、1つの光子から2つ以上の複数の電子が生じるんだ。だけど、これらは数十から数百ピコ秒すると再結合して1つの電子になってしまうんだよ」

 エルフ先生が同意する。

「その通りです。水を使った太陽光発電でも、全く同じ理由で発電量が小さくなるんですよね。超伝導状態にすることで損失を抑えてはいるのですが」


 ノーム先生がエルフ先生の話を聞いて、銀色の口ヒゲを指でつまんだ。

「うむ。ノームの場合は、もう1つ手段がある。この量子ドットの間隔を近くするんだよ。そうすることで、電子が『再結合する前』に電流として流してしまうんだ。こんな感じだな」


 〔空中ディスプレー〕には、薄膜の分子の配列の模式図が表示されている。分子の隙間が穴状になっていて、これが量子ドットとして機能している。

 その穴の間隔が『ぐいー』っと狭まり、ほとんど穴と穴とが接する寸前にまで接近した。エルフ先生の目が点になっている。生徒たちの目はキラキラと好奇心の光を放ち始めた。


「見ての通りだな。この精霊魔法は量子ドット間を厳密に〔制御〕することを主眼としている。整然と並んでいるだろう? これによって、発電量は7桁以上に増えるんだ。で、蓄電の術式を刻んだ魔法陣の別の場所で、この発電された電気を〔貯蔵〕する。これで、常時安定した電気を供給できるんだよ」

 そして、エルフ先生の顔を再び見た。特にドヤ顔になっている訳でもなく、学者が発表を終えた後のような雰囲気だ。

「こんな感じだな。生命の精霊魔法の術式を使った洞窟内への送電と、洞窟内で電気を光に〔変換〕して使う精霊魔法については、カカクトゥア先生に説明を任せるよ」


 ミンタが感嘆の声を上げた。金色の毛が交じった尻尾がブンブン振り回されている。

「すごーい。ちょっとした発電所並みじゃない、これ」

 ムンキンも興奮しているのが丸分かりだ。頭と尻尾の滑らかな柿色のウロコを膨らませて、所々ウロコが逆立っている。白い長袖シャツと紺色ベストに黒紺色の半ズボンの制服も、内部からウロコが盛り上がってきているようで膨らんでいる。何となく、サラパン羊が来ているスーツのようだ。

「うん。毎秒1発ずつ〔雷撃〕が撃てるくらいある。攻撃魔法の魔力場サーバーとして充分に使えるぞ、これ」


 ラヤンも少し興奮気味だ。ムンキンと似たような体の状態になっている。尻尾で盛んに地面をバンバン叩き始めた。

「そうね。電気を法術用に〔変換〕するのは容易だから、洞窟内でも〔蘇生〕や〔治療〕法術が遠慮なく使えるわね」


 一方のペルは残念そうな表情で寂しく微笑んでいる。薄墨色の瞳がさらに白っぽくなってしまった。

「あはは……闇の精霊魔法には応用できないよね、やっぱり。電子の塊の電気だもんねえ」

 レブンも同じような表情だ。こちらも深緑色の瞳が陰ってしまっていた。顔も魚のマグロみたいになっている。

「ゾンビには天敵だな。ははは」


 エルフ先生がノーム先生に礼を述べて、生徒たちに向き合った。

「今日は、ここまでにしましょう。ゾンビワームからの洞窟探索情報を充分に得てから、今後の対策を考えることにしましょうか」

 ノーム先生も同意して、大きな三角帽子を被り直す。

「そうだな。幸い、新洞窟からは、モンスターや攻撃魔法の類は外に出てきていないしな。洞窟全体をステルス偽装しているくらいだから、洞窟を保護することを最優先に設計されておるのだろう。ゆっくりと内部を解明していけば良い」


 エルフ先生がうなずいた。

「そうですね。では、解散。レブン君、内部調査は無理のない程度でお願いね」

 先程とは打って変わって、レブンが明るい深緑色の目をキラキラさせながら答えた。すっかりセマンの顔に戻っている。

「はい。カカクトゥア先生」




【新洞窟の概要】

 この新洞窟についてだが……翌日の昼休みには、大よその状況が判明してきた。

 7匹のゾンビワームに加えて、レブンとペルが所有するシャドウ2体も、この新洞窟の内部探索に動員されたためだ。


 なお、ジャディのシャドウは参加していない。

 彼のシャドウは飛行特化型なので、狭い洞窟内での使用には適さないという理由だ。しかし何より当のジャディが、狭い洞窟内での作業を嫌ったせいであった。今頃はどこか森の上空を、シャドウと一緒に飛んでいることだろう。当然、授業には出てきていない。


 せっかくなので、教職員が利用するカフェに生徒たちを呼んで、一緒にランチをとるエルフ先生とノーム先生である。リーパットやバントゥたちには『お呼び』がかからなかったのだが、ラヤンは当然のような顔をして参加している。


「アンタの担任の先生、無関心なのね。ラヤン先輩」

 ミンタがランチをパクつきながら、向かいに座っているラヤンを冷やかす。ラヤンも同じメニューのランチを口に運びながら、紺色の目を半分閉じて答えた。

「法術のマルマー先生は、先生である前に『布教』の神官としての使命があるのよ。布教と信者獲得が最優先。布教を怠ると、教会から減俸処分を受けるみたい。先生の立場上は仕方がないわ」


 そう言いながらも、ペルをチラリと見てからミンタに向けて不敵に微笑んだ。

「でも、私たち生徒には、そんな事情なんか知った事ではないけれどね。マルマー先生が授業を放棄したら、遠慮なく罵倒するわよ。ともあれ、洞窟探査の許可はしっかり認めさせてきたから、安心しなさい」


 ベジタリアンは参加者の中にいないので、皆同じランチである。

 今日は、小さめで柔らかいフランスパンのようなパンの間に、チーズやハムなどを大量に挟んだサンドイッチがメインであった。これにチキンスープと、どんぶりサイズの山盛りサラダ。これにコーヒーか紅茶が付く。

 獣人族は獣と異なり、雑食で野菜も消化できるので、エルフやノームと同じ食事が摂れるのである。もちろん、肉や魚の方が好みではあるが。


 ちなみに生徒たちは、寄宿舎内の食堂で食事を摂る規則になっている。そのため、ここ教員宿舎内のカフェで食べる機会は、まず無い。なのでペルたち生徒は、ここぞとばかりに好奇心に溢れた目でキョロキョロとカフェ内を見回している。ペルとレブンは何回か既にカフェへ来ているのではあるが、やはり相変わらず物珍しいようだ。

 カフェは建物の中にあるのだが、森の小鳥が数羽ほど入り込んでいた。ツバメも交じっていて、ウェイターからパン屑をもらっている。


 そんな生徒たちを微笑ましく眺めているエルフ先生は、これに芋虫の唐揚げを追加注文して小皿に入れている。 

 隣に座るノーム先生には、ウイスキーの氷割りの大ジョッキが追加されている。マライタ先生ほど巨大なジョッキではないところに、まだ慎みが見られる……というのは方便で、森の中で仕込んだ酒を味見しすぎて、二日酔い気味で大人しいだけであった。

 まだ炭酸ガスがサイダーのように噴き出す酵母発酵の期間中なので、味見するにも早すぎるのだが、我慢できなかったようだ。


 ウィザード魔法や法術、ソーサラー魔術の先生たちは少し離れたテーブルについて、手元に発生させた小さな〔空中ディスプレー〕画面と、にらめっこしつつ食事をとっている。〔念話〕もしているようで、集中しているおかげでカフェ内は意外と静かだ。


 ノーム先生がジョッキのウイスキー割りをチビチビと口に含みながら、彼ら同僚の先生たちを冷ややかな視線で見ている。ペルたちのキョロキョロ動作を見るのにも飽きた様子だ。

「先月までは、こんな真面目な先生たちとは思いませんでしたな。昼食時も仕事とは、何とも熱心なことだ」


 エルフ先生が苦笑しながら、ノーム先生による『賞賛』のセリフを聞いている。口にもう1つ唐揚げを放り込んだ。

「ラワット先生。残念ですが教育指導要綱に沿った仕事ではなさそうですけどね。本国からの無茶な指令なのでしょう。私も色々と余計な仕事が割り込んできていまして、授業の準備時間を確保するのに苦労しています」


 そのエルフ先生の愚痴めいた話に、即座に同意するノーム先生である。口ヒゲとあごヒゲを片手で撫でて整える。

「左様ですな。大深度地下の精霊が起こした騒動のせいで、僕も忙しくなりましたよ。本国から色々と指示や要望という名の、半強制命令も数多く飛んでくるし。今までは結構暇があって、楽に仕事ができたんだけどなあ……」


 エルフ先生も肩を少しすくめてうなずいた。命令の内容については、さすがにマナーとして聞かない。

「そうですよね……エルフ世界の緒王国も、どうも秘密裏に色々と行動しているようですし。我が国のようにタカパ帝国と正式に交流事業や条約を結べばいいのに、勝手にこそこそと……まあ、エルフらしいといえばそうなのですけどね。おかげで、私も彼らの秘密施設を探索するようにと命令が出ている始末です。本当に困ったものですよ」


「はあ……」と、ため息をシンクロさせてつくエルフ先生とノーム先生である。警察官なので、彼ら本国の上司からの命令は絶対だ。

 そのような話をしているエルフ先生とノーム先生の声は間違いなく届いているはずなのだが、ウィザード魔法や法術、ソーサラー魔術の先生たちは、興味を持ってなさそうだ。マライタ先生は、既に酔っ払って、いびきをかいて寝ている。

 校長や事務職員たちは昼休みの時間がずれているので、姿が見当たらなかった。



 エルフ先生が芋虫の唐揚げを1つ口の中に放り込んでから、レブンに報告を促した。

「では、始めましょうか。レブン君、洞窟の状況を報告して下さい」

 レブンはほぼランチを食べ終わっていた。コーヒーを1口飲んでから話を始める。

「はい。生命の精霊魔法を使った外の洞窟の方ですが、既にヒドラが14匹やってきて棲みついています。特に嫌がる素振りも見せていませんので、洞窟を去らずに越冬場所に決めるものと予想します。洞窟内に仕掛けた〔睡眠誘導〕の術式も順調に機能しています」


 エルフ先生と、ウイスキーをがぶ飲みしているノーム先生とが顔を見合わせて、安堵の表情を浮かべた。

「それは良い報告ですね。最大の懸念事項は『これ』でしたからね。パリーの話ではヒドラの渡りは今後1ヶ月ほど続くそうなので、継続して観察して下さい。例年では1000匹に達するようですから」

「よしよし、ちゃんと眠ってくれるか。これで新たに仕込んだ酒20樽は大丈夫そうだな」

 あれから更に仕込んだのだろう。ノーム先生が安堵した様子でサンドイッチを1口食べて、再びウイスキーで喉に流し込んだ。


 レブンが真面目なセマン顔で了承する。やはり緊張しているのか、小麦色の額にいくつか汗の玉が浮かんでいる。

「はい。分かりました。それで、その奥の新洞窟の方ですが……」

 コーヒーをもう1口飲んでから、報告を続けるレブン。ミンタとムンキンから興味津々な視線が向けられている。ラヤンもリボン作成を手伝ったせいか、興味があるようだ。

 一方ペルはそれほどでもない表情である。どちらかと言えば、不安の方が大きいと感じているのだろう。レブンも内心でそう感じているのか、口調が少し慎重になっている。

「ゾンビワームとシャドウによる内部探索が、一通り終了しました。結論から言いますと、新洞窟の最深部まで、特に宝のような物は存在しませんでした。なぜか、大量の罠はありましたが」


 ガックリと顔を伏せるミンタとムンキンである。ちょっとジト目になって、彼らの後頭部を見つめるのはラヤンとペルであった。ラヤンが遠慮なくミンタを冷やかす。

「残念だったわね、ミンタちゃん。お宝探しできなくて」


 ペルが苦笑しながら、無言でラヤンの袖を軽く引っ張って制した。しかしラヤンの一言は、確実にミンタの心を叩いたようである。

 ミンタが気だるげに顔を上げて、ラヤンを見上げた。 

 特に睨むような眼差しではないところから、彼女も大して期待はしていなかったのだろう。金色の毛が交じる両耳が、力なく前に伏せられている。金色の縞があるフワフワ毛皮も勢いが失せて、巻き毛の場所を中心にして、ガッカリ感をにじみ出していた。

「あれだけ大騒ぎしたのに、何もなかったんだもん。そりゃ、ガッカリするわよ」


 ムンキンも顔を上げて、濁った濃藍色の半眼でレブンを見た。こちらはミンタ以上に落胆している。全身の柿色の細かいウロコも全て縮んでしまっていて、迫力が失せてしまっていた。尻尾だけが物憂げに床を「ペシペシ」叩いている。

「はあ……もしかして、大昔に探検したセマンの冒険家がこっそり持っていったんじゃないのか?」


 ノーム先生が即座にその可能性を否定した。ジョッキを一旦テーブルの上に戻して、ムンキンに顔を向ける。 

 イスの背もたれに引っかけている大きな三角帽子を、ちょっと位置修正した。邪魔になっていたようだ。そして、少しボサボサになっていた銀色の垂れ眉を指で整えた。

「それはないな。セマンは発見した宝物は、どんなにショボイものであっても尾ひれをつけて大げさに宣伝するものだよ。日記には一切書かれていないから、本当に見つけていないと考えていい。あの〔ステルス結界〕はかなりの高等魔法だから、セマンの〔運〕でも〔探知〕することはできなかったのだろう。新洞窟の存在も気がついていないまま、去ったはずだ」


 レブンもノーム先生の意見に賛同した。彼はもう気を取り直しているようで、完全にセマンの姿である。気持ちの切り替えの速さは、魚族の特徴だ。

「僕もそうだと思います。セマンが侵入に成功したら、あの大量に設置された罠について何か記述を残していると思いますし」


 ここで、ようやくミンタたちが『罠』という単語に関心を持ったようだ。ミンタが首をかしげながらレブンに聞く。前に伏せられていた耳が、レブンに近い片耳だけピンと立った。

「罠って、そんなに大量に設置されていたの? 宝も何もないのに?」

 ラヤンも不思議そうな表情で、紺色の目をパチクリさせてレブンに聞く。彼女も関心が回復してきたようだ。 

 しかしムンキンと違って、先ほどから微動だにせずに目だけで会話を追っているために少々分かりにくいが。

「どんな罠だったのよ」


 レブンがペルと視線を交わしてから、ラヤンとミンタに顔を向けた。そして、手元からメモ帳を取り出し、小説を音読するような口調で読み上げ始めた。相変わらずのアナログ主義だ。

「ええと……落とし穴、吊り天井、壁穴からの〔ビーム〕攻撃、毒ガス、溶解液の噴出、大地の精霊魔法を使った〔底なし沼〕と隠し通路、炎の精霊の〔召喚〕攻撃、精神の精霊を〔召喚〕しての魔法攻撃、死霊術による敵の強制〔アンデッド化〕、闇の精霊魔法による室内の〔真空化〕、ソーサラー魔術の〔石化〕と〔塩化〕に〔樹脂化〕ガス、記憶〔阻害〕と〔改変〕魔法、平衡感覚を含めた〔五感の無効化〕魔法、〔蘇生復活の無効〕魔法、〔テレポート無効化〕魔法、大深度の大地の精霊〔召喚〕による敵の捕食消化攻撃、同じく敵のコピーを〔創造〕して襲わせる魔法、最深部付近では溶岩大地と溶岩で作られた40体ほどのゴーレム群の攻撃、魔法ではない物理兵器としては核地雷や中性子爆弾もあったかな。他にもあったけど省略するね。術式の〔解読〕は、〔暗号化〕されていて、できなかった」


「すっげー! 何だよソレ! 罠だらけじゃないか」

 ムンキンが濃藍色の目を見開き、全身のウロコを大きく膨らませて興奮している。ミンタとラヤンも興奮気味だが、それ以上に疑問点の方が大きくなったようだ。ミンタが即、質問してきた。

「レブン君。そんなに大量の罠があって、本当に宝がなかったの?」

 ラヤンも、ミンタの質問に被さる様な勢いで疑問を口にする。

「『隠し部屋』とかあるんじゃない? その中に宝物があると思うんだけど」


 しかし、冷静な表情のままでレブンが否定した。それでも、黒髪をかきながら遠慮がちに答えていく。

「僕もそう思ったんだけどね……ゾンビワームに命じて、新洞窟が穴だらけになるくらい、そこらじゅうを掘り起こしてみたんだけど……何もなかった。隠し部屋や通路は100以上発見できたけど、どれも空き部屋だったよ。〔結界〕のような亜空間の小部屋もあったけど、これも全部、罠だったし」


「ちょ、ちょっと待って。レブン君」

 たまらずにエルフ先生がレブンにツッコミを入れた。腰までの真っ直ぐな金髪から静電気が走り、何本か逆立っている。両耳も非対称な動きでピコピコと上下していた。

「どれもこれも『悪意の塊』のような、凶悪な罠ばかりね。暗号化された術式なのに、どうしてそんなに具体的に分かったのよ。まさか、ゾンビワームを『わざと』罠に突入させたの?」

 レブンがキョトンとした顔で肯定した。小麦色の顔で目立つ、明るい深緑色の瞳が点になる。

「はい、そうですが。何かいけないことでもしましたか? 僕。ゾンビたちも7匹全て元気ですよ」


 エルフ先生の顔に冷や汗が浮かぶ。べっ甲色の髪が静電気をさらに帯びて、火花を散らし始めた。

「いくら死んでいるとはいえ、無敵すぎない? そのゾンビワームたち……焼かれても食べられても、石にされても平気だなんて」

 レブンはまだ首をかしげている。乾いた黒髪がパサリと揺れた。

「ええ。だってゾンビですから」


 困惑の表情を浮かべ始めたエルフ先生とノーム先生、それにラヤンの顔を見て、ようやくレブンが察した。

「……ああ、そうか。もちろん攻撃を受けたら負傷しますよ。ですが、瞬時に自動〔修復〕魔法で治ります。ゾンビのサイズが大きいですから、あの狭い洞窟内では、体全てを同時に攻撃されるようなことにはなりませんし」

 微妙に論点がずれているレブンである。先生とラヤンも、特に何もコメントしなかったので話を続ける事にした。

「各種の罠は、どうやら『人間サイズ』の侵入者を対象にしていました。一番損傷を受けたのが、先ほどの亜空間〔結界〕でした。〔結界〕内に入った部分は、全て〔結界〕の自爆に巻き込まれて〔消失〕しました。ですが、〔結界〕の外にワームの体の一部分が残っていれば、それで1秒以内に自動〔修復〕して、元に復旧します。ですので、特に探索作業の支障には至りませんでした。洞窟内部には死霊術場が非常に高濃度で充満していますから、魔力補給も簡単でしたし」

 淡々と報告するレブンだ。エルフ先生とノーム先生の表情が、さらに深刻なものに変わっていく。予想以上の罠だったようだ。それを察してか、レブンがさっさと報告をまとめた。

「もちろん、カカクトゥア先生が使うような兵器級の光の精霊魔法には負けちゃいますけどね。とりあえず、報告はこんなところで。詳細はファイルにして、すぐに送信しますね」


 ペルが険しくなった雰囲気を和らげようと、明るい声をレブンかけた。

「巨人ゾンビ用務員さんほどじゃないんだよね、そのワームゾンビさん」

 レブンが残念そうな表情で同意した。

「だよね。巨人ゾンビさんは惜しいことをしたなあ」


 ドン引きしているエルフ先生に代わって、ノーム先生がウィスキーをぐいっとあおって飲んでからレブンに聞く。銀色の垂れ眉の下の小豆色の目が、意味深な光を帯びた。

「地中の洞窟とはいえ、ゾンビらアンデッドには魔力補給が『容易な』環境なのかね。であれば、我々生者がおいそれと探検するわけにもいかんな。精神汚染の恐れがある。それに罠の内容を聞くと、どうやら独自の『魔法場サーバー』を備えているようだな」

 ラワット先生が少し考え直した。

「……いや、もっと強力な『魔力サーバー』かな。魔力場保存だけじゃなくて、術式稼働にデータ解析なども併せて行う、人工知能搭載のサーバーみたいだな。洞窟内部には術者がいないから、魔法の発動や調整などを機械が行う必要がある。学校のサーバーよりも高性能かもしれないね」


 ここで、ラワット先生が銀色の垂れ眉をひそめて何か考えたようだ。ラヤンに小豆色の瞳を向けた。

「ラヤンさん。念のために、学校の『法力場サーバー』への不正接続が起きているかどうか、確認してくれないかな。ウィザード魔法の『魔法場サーバー』については、僕が調べてみるから」


 ラヤンが手元に〔空中ディスプレー〕画面を呼び出して、確認した。

「……そうですね。学校の『法力場サーバー』には、不正な接続痕跡は見当たりませんね。洞窟にサーバーがあると考えて良いと思います」

 ノーム先生が素直に肯定した。こちらも学校のウィザード魔法の『魔法場サーバー』確認を終えたようだ。

「こちらも正常に稼働しているね。となると……やはり洞窟内に『独自の魔力サーバー』があるという事か」


 ノーム先生に視線が集まっていく。銀色の口ヒゲを指で捻って思索を重ねながら、今度はレブンに視線を向けた。

「いや違うか。あくまでも推測だが、テシュブ先生やハグさんのように、自力で魔力を発生させる『魔法のコア』のようなものが、洞窟内にあるんだろうな。サーバーだと維持管理が大変だからね。しかし、要塞でもつくる予定だったのかな。それで洞窟には、野生ゴーストなどのアンデッドはいたのかね?」

 レブンが首を振った。

「いいえ。いませんでした。恐らく、あの〔ステルス結界〕のせいで野生のアンデッドにも新洞窟内の死霊術場を認識できないのでしょう。僕が使役していた7匹のゾンビワームも、新洞窟に直接入り込むまでは全く認識できていませんでしたし」


 ノーム先生がうなずいた。あごヒゲをひと撫でして思案を続ける。

「そうだったね。では、森を徘徊している野生ゴースト等が、呼び寄せられてくるような事態にはならないな。新洞窟がアンデッドの巣になる恐れはない。じゃあ『我々に対する危険性はない』ということで判断して放置して構わないだろう」

 ラワット先生の口調が和らいできた。

「罠が洞窟の外へ出てくる恐れはないし、洞窟内部に常駐しているアンデッドやゴーレムもいない。生徒たちには、罠があるので中に入らないように通達しておけば良かろう。罠の意味がやや気にかかるが、作成者の趣味だったのかもしれんな」


 ムンキンが明らかに落胆した表情になっていたが、それでもレブンに最後に1つ聞いた。

「なあ。本当に、怪しい場所はなかったのか?」

 レブンが苦笑して聞いていたが、「そういえば……」と2つだけ指摘した。

「最深部なんだけどね。ちょっとした広間になっているんだよ。岩石の壁と床天井だけで、宝も隠し部屋も何もなかったんだけど。その場所だけは岩石が魔法でメチャクチャに〔強化〕されていて、ゾンビワームが噛みついても傷一つ付けられなかったんだ」


 ムンキンが少し興味を持ったようだ。《バン》と床を尻尾でひと叩きする。

「その場所だけ、壁と床天井を魔法で〔強化〕か。宝箱を置く予定だったのかな」

 ペルが両耳を伏せ気味にして、おずおずと補足説明をする。

「あの、ええと、ね。その場所、闇の精霊場の濃度が均等になっていなくて、最深部の壁だけが異常に濃度が濃いの。まるで、何か〔結界〕があって、そこから魔法場が『漏れ出ている』ような……そんな感じ。でも、私のシャドウで調べてみたけど、特に何もなかったんだけどね。気流のせいで溜まったのかも」


 レブンが話を続ける。深緑色の瞳に少しだけ明るさが戻ってきた。

「2つ目なんだけど……どうやら、あの新洞窟の正式な入り口は、僕たちが入り込んだ場所みたいなんだ。あの〔ステルス結界〕に接するような洞窟は、他にはなかった」

 ムンキンの濃藍色の瞳に好奇心の光が灯り始めたのを、レブンが少し呆れた様子で眺める。しかし、ミンタやラヤンも同じような表情になってきたので、急かされるまま話を続けた。

「それでね。いくつか『特定の罠』を作動させたら、スイッチらしきものが入り口付近の壁に『発生』したんだよ。で、そのスイッチを押したら新洞窟全体に、かなり強力な〔ロスト〕魔法が発動したんだ。危うくゾンビとシャドウを失うところだったよ」


 エルフ先生とノーム先生が厳しい顔になって視線を交わした。

「〔ロスト〕魔法まで起動する洞窟か……ますます、私たちは入らない方が良さそうね」

「そのようですな」


 レブンはそれほど深刻な口調にはならずに、話を続ける。

「ハグさんが使ったような〔ロスト〕魔法ほど強力ではありませんでした。術式起動から、ロスト完了まで数分間の猶予があります。その間に緊急脱出すれば問題ありませんよ。実際、僕もそれで〔ロスト〕を回避できましたから」

 そして、ペルの顔を見た。

「この先の話は、僕よりもペルさんの方が専門だと思うので、任せます。どうぞ」


 いきなり話を振られたペルが、「アワワ」と黒毛交じりの尻尾をパタパタさせた。しかし、それでも深呼吸して落ち着いてから話し始める。頭の黒い縞模様を魔法の手袋をした両手で撫でて、逆立っていた毛並みを整えた。

「ええと……いきなり私に振らないでよ、もう。それでですね、ええと、最深部の闇の精霊場の挙動が、入り口のスイッチの挙動と『連動』しているようなんです」


 ミンタが<キラリン!>と、栗色の瞳を一瞬輝かせた。ついでに頭の金色の縞も輝く。

「それって、特定の罠を選択して起動させると、最深部で何かが起きるかも? ということ?」

 ペルがオズオズとしながらも、ミンタにうなずき返した。黒毛交じりの両耳の動きがかなり不規則だ。

「ただの可能性だけどね。魔法回路の流れで、そんな挙動になっているだけなのかもしれないよ」


 ノーム先生がウィスキーをきれいに氷ごと飲み干して、ジョッキをテーブルに置く。続いて、口元のヒゲについた酒の雫を袖で拭いた。小豆色の目元が早くも桜色になってきているようだ。

「まあ、良いんじゃないかね? 納得するまでスイッチと罠の組み合わせを試してみれば良いだろう。もし、発動させる罠の組み合わせ次第で、何か洞窟に変化が生じたなら、その時にまた、こうして集まれば良かろう」


 エルフ先生も少し考えてからそれに同意した。ノーム先生がウィスキーのおかわりをしようとして、席から立ち上がるのを肩を抑えて阻止する。

「そうしましょうか。ゾンビさんとシャドウさんに、また頼りきりになりますが、お願いしますね。〔ロスト〕攻撃の罠まであると分かった以上、私たちは新洞窟には入らないべきでしょう。校長先生に伝えて、洞窟を進入禁止にしてもらいます」


 残念そうな表情の生徒たち全員であったが、納得したようだ。

 洞窟の場所を知ったバントゥたちが入り込んでしまう恐れも充分に考えられる以上、進入禁止にするのは当然だろう。それと共に、ハグがやらかした〔ロスト〕魔法のトラウマが相当に効いていると見える。


 ラヤンだけは当時居合わせていなかったので新洞窟の〔ロスト〕罠そのものは怖がっていないが、他の大量の罠に圧倒されているようだ。

「法術の鍛錬場としては、良いかもしれないけれど……ヘマしたら即、石や塩にされたり、溶岩に飲み込まれたりするんじゃ、割りに合わないわね。法力場サーバーの管理をしている担任のマルマー先生に、無駄遣いだと怒られてしまうわ」




【新洞窟の継続調査】

 レブンのゾンビワームとアンコウ型シャドウ、ペルの子狐型シャドウによる、新洞窟の継続調査が進められた。今回も当然のようにジャディは不参加である。


 そして、何と翌日の昼休みまでに、罠発動の組み合わせの正解パターンが特定されてしまった。

「まさか、次の日に分かるなんて……」

 半ば、呆れているエルフ先生である。ノーム先生も感心して、教職員用のカフェで別のウィスキーの氷割りを大ジョッキで飲んでいる。先日はエルフ先生に『おかわり』を阻止されたので、その対策だろう。

「優秀ですな、本当に。ああ、来た来た」


 昨日とはうって変わって、目をキラキラ輝かせてやってくるレブンとペルである。既にある程度の話を聞いたのだろう、隣でスキップしているミンタとムンキンも嬉しそうだ。一方のラヤンだけは憂鬱そうな表情である。


 今日の教職員用のカフェも、昨日と同じソーサラー先生とウィザード先生たちが、テーブルについて食事をとっているのが見える。マライタ先生とティンギ先生は、まだやってきていない。今回も森の小鳥が数羽ほど建物の中に入り込んでいた。その中にはツバメの姿もある。


 早速、教職員用のカフェの一角を占拠して、ランチを注文する。日替わりセットメニューなので、今日はエビがメインの海鮮パスタと小魚のすり身団子のスープに、小さなクルミパンがついている。パスタとスープには大量のハーブが乗せられているので、かなり強い香りがカフェに漂っている。そして、お決まりの大皿サラダに、紅茶かコーヒーがつく。


 生徒たちは人の手の形をした5本指の魔法の手袋をしているので、問題なくフォークやスプーンを使いこなしている。ノーム先生は昨日と同じウィスキーの氷割りを『大ジョッキ』で頼み、エルフ先生はエビに合わせたのか、バッタとセミの素揚げを小皿で追加している。


 エルフ先生がパスタのエビとバッタを食べ比べて、満足そうにうなずいてから、生徒たちに顔を向けた。

「では、報告をして下さい。レブン君からで良いのかな?」


 レブンが手早く海鮮パスタを胃の中に収めて、報告を始めた。彼は魚族ということもあるが、本当に食べるのが速い。

「はい。ペルさんと協力して、トラップと入り口付近のスイッチ、最深部の壁の魔法場の変化を、網羅的に調査して収束パターンを調べました。結果として4通りのパターンが見つかり、その1つが予想通り、1万分の1ほどの確率で最深部の広場に変化をもたらしました」


 ノーム先生が首をかしげた。

「ん? 1万分の1? 1日の調査では無理じゃないかね?」

 レブンがペルに視線を送ると、ペルが少し照れながらノーム先生に答えた。彼女の皿には、まだ半分以上パスタが残っている。エビにはまだ手をつけていないようだ。

「はい、先生。私とレブン君では、確率〔操作〕はまだできません。ですので、闇の精霊魔法でハズレ回路全てと、確率計算回路を〔消した〕のです。新洞窟には自己〔修復〕機能がありましたから、それが発動した瞬間に闇の精霊魔法を再びかけて、その機能を丸ごと破壊してシステムを『初期化』しました」


 思わず目が点になるエルフ先生とノーム先生である。

「なるほど。『ルールがあるなら消してしまえばいい』か。最深部に何か隠されているのであれば、非常口も設けられているはずだね。非常事態にすれば、勝手に道が開けるのは道理に適っているな」

「サムカ先生、実用的な魔法の使い方を教えているわねえ」

 エルフ先生がやや呆れた表情になりながらも、感心している。

「それで……最深部では、どのような変化が起きたのですか? レブン君」


 ペルが再びパスタを口に急いで運び始めたのを横目で見ながら、レブンがコーヒーを全て飲み干して答える。食べ終わり一番乗りだ。

「はい。最深部の一番奥の壁に『扉』が現れました。同時に、部屋の床全体が溶岩に〔変化〕して、1体の番人ゴーレムが出現しました。どういう姿なのかは、〔ステルス障壁〕で包まれているので判別できていません」

「コホン」と軽く咳払いをするレブンだ。

「〔解析〕したところ、その番人は大深度地下産の鉱物や土類で構成されていて、何らかの魔法による〔強化〕が為されていました。そのために、溶岩の池の中にいても平気なのだと思います」


 ノームのラワット先生が怪訝な表情に変わった。

「溶岩かね……この地域には活火山や温泉は『ない』んだよ。〔召喚〕してもすぐに冷えて岩になってしまうしね。魔法で作り出した『冷えない溶岩』という事か」

 ちょっと何か思案したようだが、すぐにレブンに話の続きを促した。レブンも軽くうなずく。

「シャドウを使って戦闘してみましたところ、物理攻撃に大地、炎、生命、精神、闇属性には〔耐性〕があり、攻撃が効きませんでした。一方で、光と風と水が有効でしたが、ゴーレムの体が硬質で関節部分にも充分な防御装置が施されているようで、風や水は実質効きませんでした。さらに、電気と冷気が効くことも判明しました。ウィザード魔法の力場術などは、ある程度でしたら有効でしたが、自動〔修復〕が速い上に学習機能で耐性をつけてきますので、狭い洞窟の部屋での戦闘では利点は少ないと思います」


 ミンタがパスタを全て胃の中に収めて、口元を紙ナプキンで拭きながら一言。

「ふうん。じゃあ、光の精霊魔法の攻撃で簡単に破壊できそうね。少し拍子抜けだわ」

 ムンキンもほぼ同時にパスタとスープを食べ終えて、ミンタに同調した。

「そうだな。じゃあ、その最深部に〔テレポート〕用の魔術刻印をシャドウに刻ませて、遠隔攻撃で仕留めるか。光の精霊魔法だけを、ここから〔テレポート〕させて敵ゴーレムに当てれば良いだろ」


 レブンとペルが顔を見合わせる。

「ああ、そうか。もう新洞窟の仕掛けは、〔ステルス結界〕も含めて、全て初期化して機能していないから〔テレポート〕もできるのか。洞窟内部では、光の精霊魔法は使えないものとばかり思ってた。外で起動させて、洞窟内部へ〔テレポート〕させればいいのか。なるほど」


 感心しているレブンに、やっとパスタを食べ終えたペルが少し咳き込みながらうなずいた。

「けほ……攻撃魔法だけを〔テレポート〕させて相手にぶつけるのね。ゴーレムの光に対する〔防御障壁〕を、私のシャドウで〔弱めて〕おけば、効率よく倒せるかな」


 ここまで黙って聞いていた法術のラヤンが、肩をすくめながらため息をついた。彼女はマイペースで食べているので、食べ終わるのが一番遅い。

「はは……ダンジョンのボスをカフェで雑談しながら、遠隔攻撃で倒しちゃうのか。まあ、『魔法の正しい使い方』よね。ダンジョンに乗り込んで行って、罠をかわして守衛モンスターを倒しながら進んで、最深部の溶岩池で火傷を負いながらボスと戦う……と思っていたから拍子抜けだわ。〔治療〕〔回復〕と〔防御障壁〕支援で大変になるかなあ、って」


 ラヤンの感想に、不思議そうな顔を向けるミンタとムンキンである。

「格闘術の実習だったら、ボスと殴りあうのも悪くないとは思うけどね。射程が50キロ以上ある光の精霊魔法を、わざわざボスがいる場所まで出向いていって、『ボスの目の前』で使うなんて、そんな非効率な運用はしないわよ」

 至極もっともなミンタの答えに、同意するしかないラヤンであった。ムンキンは少し考え直して、残念そうな表情になっている。

「そうか……攻撃魔法の〔テレポート〕ができないままだったら、格闘戦も選択肢にあったのか。ちょっと残念だな」


 そんな生徒たちの会話を聞きながら、エルフ先生が最後のセミの素揚げを口に入れて、紅茶で流し込んだ。

「では、光の精霊魔法による遠隔攻撃を採用しましょう」

 そして、時刻を確かめる。

「……うん。まだ昼休み時間は残っているわね。じゃあ、早速やりましょう。まずはペルさんのシャドウで、敵ゴーレムの光の精霊魔法用の〔防御障壁〕を破壊して下さい」

「はい。カカクトゥア先生」

 ペルが急いで紅茶を飲み干して答えた。エルフ先生が話を続ける。

「光の精霊魔法での攻撃は、ミンタさんとムンキン君にお願いします。レブン君は、魔法の余波でシャドウとゾンビが破壊されないように保護して下さい。ラヤンさんはその逆で、ゾンビやシャドウが制御不能に陥った場合に備えて、攻撃法術の準備をしておいて下さい。私たち先生は、不測の事態に備えて待機しています。洞窟の自爆や核爆発を起こす罠が、まだ残っているかもしれませんからね」


「はい。先生!」

 生徒たちが元気に返事をして、術式の構築に取り掛かった。すぐにレブンがアンコウ型シャドウに命じて〔テレポート〕魔術刻印を最深部に刻ませる。その作業をドヤ顔で制止するミンタだ。

「校内だから『魔法場サーバー』が利用できるわよ。もっと便利なウィザード魔法幻導術の〔テレポート〕魔法陣とその術式が使える。私が『更新』してあげるわ」

 レブンのシャドウが刻んだ魔術刻印をミンタが『魔法刻印』に変えた。一気に取り扱える魔法の種類が増え、魔力の上限も大幅に増えていく。


「凄いな……」と驚いているレブンとペルに、再びドヤ顔でミンタが微笑む。

「もう少し勉強すれば使えるようになるわよ。じゃあ、始めましょ」


 これで他の生徒たちも最深部への魔法アクセスが確立できた。早速、簡易杖を取り出して、遠隔操作で溶岩池の最深部で魔法を展開していく。溶岩池に半身を漬けているゴーレムには、闇の精霊魔法の〔ステルス障壁〕やシャドウを認識できていないようだ。警戒待機のままで微動だにしていない。


 とはいうものの皆、カフェの一角のテーブル席に座ったままなので、昼食の雑談のついでのような印象だ。ノーム先生がチビチビとウィスキーの氷割りを喉に流し込んでいるので、余計にそう見える。


 その間にティンギ先生がカフェにやってきたが……何か忘れ物をしたのか踵を返してカフェから出て行った。 

 その際にラヤンにウインクして、右手の人差し指をクルクルと回した。それを見たラヤンが首をかしげたが、今はゾンビとシャドウの監視が優先なので半眼になって集中し直す。



 数分後。それぞれの術式が完成した。ノーム先生がエルフ先生とダブルチェックして、術式の記述間違いを修正する。


 ノーム先生が大ジョッキを空にして《ドン》とテーブルの上に置いた。結構、ご機嫌な顔である。

「よし。こんなもんで良いだろ。僕らは念のために後方待機している。失敗しても構わないから、思い切りやってみなさい」

 酔いが回っているようで、白銅色の顔が赤銅色に変わっている。当てになるのかどうか怪しい雰囲気だ。


 エルフ先生も生徒たちを促した。2人の先生ともに、本当に後方支援に専念するようだ。杖を持ち出しておらず、両手には何も持っていない。

「では、やってみましょう。最初にペルさんね。始めて下さい」


 ペルが緊張した表情でうなずいて、両耳をパタパタさせながら簡易杖を振った。

「はい! 始めます、えい!」

 モニターしているラヤンの顔色が変わった。

「うわ。ゴーレムの〔防御障壁〕が全部消し飛んだ。闇の精霊魔法って凄いのね」


 すぐに一同が座っているテーブルの上に〔空中ディスプレー〕を表示して、現場状況を映し出す。

 画面上では、厳しい扉を背にしている大きな金属質のゴーレムがよろめいたのが見えた。金属質な体表面が薄く剥離してキラキラと輝きながら空中に飛び散り、溶岩池に落ちて沈んでいく。

 ゴーレム本体は溶岩池に浸かったままで、魔法攻撃に自動的に反応して四方八方に赤い〔ビーム〕状の熱線を乱射している。


 〔防御障壁〕が破壊されて消えたので、敵ゴーレムの全体像が比較的はっきりと視認できるようになった。とはいっても岩石鉱物で出来ているゴーレムなので、岩の寄せ集まりにしか見えない。人型ですらなかった。岩と岩を魔法でつないでいるようで、岩自体が変形して動くようなものではない。


 姿が明らかになった敵ゴーレムと、その全方位ビーム攻撃に、頭と尻尾の赤橙色のウロコを逆立てているラヤンであった。

「……うは。遠隔攻撃で正解だったわね。現場で戦っていたら全員今頃は、コンガリと丸焼けになってたかも」

 そして、すぐにレブンに視線を向けた。

「ねえ。〔テレポート〕用の魔法刻印は無事?」


 レブンが即答する。彼は意外にも冷静だ。顔もセマンのままである。

「この程度の〔熱線ビーム〕攻撃なら大丈夫ですよ、ラヤン先輩。最初のソーサラー魔術の刻印のままでしたら、ちょっと危なかったかもしれませんが。よし、僕も急いで覚えようっと。魔力の消費量もあまり変わらないし」


 エルフ先生が少し凛々しく微笑みながら、レブンの返事に反応した。先生というよりは本業の警察官のような表情になってきている。両耳の角度も水平より上向きになってきていた。

「さすがね。敵ゴーレムの〔光の防御障壁〕の破壊を確認しました。では、ミンタさんムンキン君。始めて下さいな」

「「はい、先生!」」

 二人が同時に返事をして、術式を発動させた。


 次の瞬間。〔ディスプレー画面〕が真っ白に輝いて、何も映らなくなった。エルフ先生がミンタに視線を向けて咎める。

「こら。ちょっとやりすぎですよ」

「えへへー」

 ミンタとムンキンが照れ笑いしている。


 数秒後に光が収まり画面が回復して、現地の様子が再び確認できるようになった。ラヤンが首をかしげる。

「あれ? ゴーレムがいないぞ」

 ミンタとムンキンが、ラヤンに含み笑いをした。

「光に〔分解〕しちゃったから、もういないわよ」

「ついでに、溶岩池を作り出していた術式も〔分解〕した。暗号化されてたけど、それごと〔分解〕した」


 ミンタとムンキンのドヤ顔説明を聞いているエルフ先生が、困ったような笑みを口元に浮かべた。軽く腕組みをして、片耳の先を上下にピコピコ動かしている。

「そのせいで、結構大きな爆発が起きてしまいましたけれどね。先程の真っ白な閃光がそれです。洞窟の壁面が予想以上に頑丈でしたので、崩落はしませんでしたけど」

 真っ赤に溶けていた床が、黒くなって固まり始めた。魔法で作り出した溶岩なので、その魔法が切れると急速に冷えてしまうのだろう。


 同時に、奥の厳しい扉のロックが外れて『ゆっくり』と扉が開いていった。

 ちなみに、守護ゴーレムを破壊したせいで扉の鍵が開いたわけではない。ミンタたちが最深部の部屋の保安用の術式を破壊してしまったので、『非常事態』と判断されて扉が開放されたに過ぎない。そして、扉の中から補修担当の岩石ゴーレム群が10体ほど飛び出てきた。

 それらも、ついでに光魔法で破壊して、跡形も無く消し去るミンタとムンキンである。


 中にもうゴーレムが残っていないことを確認してから、レブンがシャドウを飛ばして扉の中に送り込んだ。

 思わず息を飲んで見守る一同。



 数秒後……

「……お墓ですね。宝らしき反応は無いです」

 レブンの報告に、ガックリする一同である。




【ダンジョンを攻略するという意味】

 エルフ先生が咳払いをした。両耳が水平よりも下に垂れ始めている。

「……では、続きは放課後にしましょうか。食べ終えた食器を、流し台に持っていきましょう」


「いえ。話し合いは『今』行った方が良いと思いますよ」

 いつの間にか、テーブルのそばに1人の人間型の男が立っていた。

 全身を覆う薄汚れたシーツのようなローブを頭からかぶっていて足先も手も見えない。ローブの奥からのぞいている顔もよく見えないが、全く血の気の無いことだけは直感で分かる。


「!!!」

 エルフ先生とノーム先生がほとんど条件反射的に、ライフル杖を手元に呼び出した。有無を言わさずに、その男に杖の先を向けて、威嚇なしでいきなり発砲する。

 たちまち40発以上もの光の精霊魔法と、ウィザード魔法力場術の〔光線〕、さらにソーサラー魔術の〔光線〕に、何と法術のアンデッド〔浄化〕法術までが、同時に2人の杖の先からほとばしった。

 その杖は各種の攻撃魔法を発しながら、過負荷によって柄の表面から火花が散っている。


 無言で撃ちまくりながら、エルフ先生とノーム先生とがライフル杖の底部に錠剤型の魔力パックを装填する。次の瞬間。カフェの空間全体が光の精霊魔法のまばゆい強烈な光に覆われて、世界の色が消えて真っ白になった。


「やれやれ……乱暴な方たちですね」

 冷静な声が光の渦の中で聞こえると、嘘のように光が消えうせ、カフェの風景に戻った。


「あ、ぐ……」

 エルフ先生がライフル杖をその男に向けたまま、真っ青な表情になっている。隣のノーム先生も全く同じ表情だ。今までの酔いが完全に冷め切っている。ミンタたちは全員、エルフ先生とノーム先生の後ろに避難して集まっていた。まだ、何が起きたのか理解できていないようだ。


 エルフ先生とノーム先生のライフル杖から、空になった魔力パックが全て排出され、床に落ちて散らばった。その数は50個に上る。

「うそ……計算上、貴族でも光に〔分解〕できる魔力だったのに。奴の〔防御障壁〕が1枚も破壊できていない。どうして!?」

 狼狽しながらも格闘戦の構えをとるエルフ先生に、隣のノーム先生も不敵な笑みをこぼしながら、格闘の体勢になる。


 カフェにいた他の先生たちは、先ほどの強烈な光を浴びたせいで一時的に視力を失っていてパニックに陥っていた。数名の先生は気絶しているようだ。カフェにやってきたばかりのマライタ先生も、巻き添えを食らってカフェ入り口あたりで昏倒している。

 ウェイターのゴーレムも機能停止していてピクリとも動かない。森の小鳥も全て床に落ちて気絶していた。ツバメだけは顔をエルフ先生たちに向けて、ピヨピヨと抗議しているが。


 当然、そんな彼らを無視するエルフ先生とノーム先生である。

「直接、殴るしかないようですな。エルフ先生」

「そうですね」

 エルフ先生とノーム先生の両拳と両足先が、光を帯びて明るく輝きだした。


「無駄だ。止めとけ」

「ポテ」と天井からハグ人形が落ちてきて、エルフ先生の足元で立ち上がった。ちょうど、先生と怪しい男の間に割り入った形である。そのまま、ハグ人形がエルフ先生とノーム先生の顔を見上げる。

「こいつは魔神並みの魔力持ちだよ。ワシでも太刀打ちできない化け物だ。例え、格闘戦で拳を当てても効果は期待できないぞ。そいつの本体はワシと同じく、ここには居ないのでな」


 エルフ先生もそのことは理解できているらしい。真っ青な顔のまま格闘の構えをして答えた。さすがに声が恐怖で震えている。

「そ、それは分かっています。ですが、生徒たちを守る義務が私たちにはあるのですよ。勝ち目が皆無でも、一歩たりとも、ここは引けません」

 ノーム先生も震える声でハグ人形に答えた。

「うむ。我らは、ここの先生でもあるが警官でもあるからな。引けないよ」


 そんな覚悟のセリフを半分ほど無視して、ハグ人形が怪しい男に顔を向けた。そういう熱血展開には興味がないらしい。

「それで、ここへは何用で来たんだね? 破壊行為をするつもりなら、ワシも及ばずながら対峙することになるが」


 しかし、全く血の気の無い怪しい男は、ローブに隠れてはいるのだが穏やかな表情と物腰のままで微笑みながら答えた。

「君はリッチーですね。エルフとノームに協力的とは珍しい。余計なことは控えて下さいよ。私も今ここで、この学校を破壊したくはありませんので」


 そして、優雅な所作でエルフ先生とノーム先生を見つめた。薄汚れてはいるが、ローブの裾がゆるやかに揺れる。

「あなたたちが『新洞窟』と呼んでいる、『墓所』の代表として来たのですよ。300万年ぶりの客人ですからね」

 その声を聞く先生と生徒たちの警戒心が、急速に意図的にかつ強制的に和らいでいく。ハグ人形が珍しくきつい口調で、墓所の代表と名乗る血の気の無い男に告げた。

「おい。〔魅了〕の魔法を使うなよ。こいつらを支配下に置くつもりか」


 男は穏やかな口調のままでハグ人形に答えた。先程までは、うっすらとローブの奥に顔が見えていたのだが、今はまた闇の中に沈んでしまっている。

「そのようなつもりはありませんよ。会話ができる精神状態にしただけです。さて……」


 男がハグ人形の動きを〔止めた〕。「ポテ……」と床に転がるハグ人形である。ハグ本体との通信が〔遮断〕されたようで、今はただの人形になっている。

「私のことは『代表』とでも呼んで下さい。名前などの私の個人情報を出すと、それだけであなたたちの精神を破壊してしまいますからね。まずは、私たちの眠る『墓所』を探し出した手腕に、素直に賛辞を贈ります。さすがは、この世界の住人ですね」


 そう話しながら、代表と名乗った血の気のない男が、カフェで目がくらんでいる他の先生たちの方を見た。それだけで呻き声すら上げることなく気絶して、床に突っ伏す先生たちである。余計な騒ぎを起こさないための処置なのだろう。

「……ふむ、なるほど。渡りヒドラの越冬地でもある、外の洞窟の調査で発見したのですか。墓所への入り口は、ゾンビ化した洞窟修復作業用のワームが偶然掘り当ててしまったようですね。セマン族の冒険記録にもない、と。〔ステルス結界〕は機能していたようで安心しました」

 スラスラとエルフ先生たちの記憶を〔調査〕して、情報を収集し始める代表である。


「ぐ……」

 ペルが必死の形相で、代表の魔法に抵抗していた。他の皆は放心状態になっていて、視線もカフェの天井をさまよっている。

 ペルだけが震える手足で、何とか先生と仲間の生徒たち全員を自身のそばに引き寄せて、闇の精霊魔法の術式を詠唱していた。ほとんど床に這いつくばっているような状態で、術式詠唱も高速処理ができない。そのために、術式の完成まで10秒以上もかかっているが。


 しかし、代表は特に何をすることもなく、薄汚れたローブの中で穏やかに微笑んだまま。ペルの抵抗を見守っている。再び口元辺りだけは、うっすらと見えるようになってきた。

「貴族の騎士見習いと、ほぼ同等の魔力ですね。頑張って下さい。私も魔力を封じていますが、微調整ができないのですよ。貴方が闇の精霊魔法だけでも〔防御障壁〕を作ってくれると、私としては助かります」


 反論する余裕もないまま、ペルが何とか術式詠唱を完了して発動させた。カフェが夕暮れ時のように薄暗くなり、呆然としていた先生と仲間生徒たちの目に生気と意識が戻ってきた。

 ほっとするペルと代表である。


 代表の姿が定まり始めた。ローブも質感が出てきて、実在感を感じられるようになってくる。その代表の手がローブの外に出たのだが、ロウ細工のようで生気が全く感じられない。

 そのくせに器用で滑らかな動きで、床に転がっているハグ人形を拾い上げた。

「これ、リッチーよ。いたいけな子狐に、このような無理をさせるとは何事ですか」


 ハグ人形が辛うじて手足を震わせて口を開いた。かなり憔悴しているような口調である。

「……う、うるさい。貴様がいきなり世界間の通信回線を〔遮断〕したせいで、軽い因果律崩壊が起きてしまったのだぞ。崩壊の衝撃波でワシの本体が〔ロスト〕して、たった今、ようやく復旧したばかりだ。新米リッチーならば〔ロスト〕して滅んでいたというのに、無茶な注文を言うな。この化け物め」


 代表が軽く両肩をすくめた。薄汚れたローブの裾が幽霊のように揺らぐ。再び、実体感が消失してしまった。

「やれやれ……300万年の間に、リッチーも貧弱になったものですねえ」


 ペルが手早く先生たちの状態をスキャンして、異常がないかどうか調べ終わる。当のペルも、かなりの消耗具合だ。全力疾走中のように、息が上がり切っている。

「良かった……異常なしで済んだ。全身の麻痺も、数分もすれば治るから安心してね」

 そして、きつい視線を代表に向けた。薄墨色の瞳が鋭い光を放っている。

「だ、代表さん! 貴方は一体、何者なんですか!」


 代表がフードの奥から、闇に沈んだ視線をペルに向けて穏やかに微笑んだ。ペルが展開した闇の精霊魔法の〔防御障壁〕による相殺効果のおかげで、代表の姿が再び見えてきた。ペルたちの脳で処理できるレベルにまで、『情報量』が落ちてきたおかげである。

 それに呼応するかのように、全身を包むローブが徐々に消えていく。


 どうやら代表は、俗に言う『姿を見ただけで死ぬ』という類の魔力の持ち主のようである。ペルの〔防御障壁〕のおかげで、代表が姿を見せても大丈夫だと判断したのだろう。確かに、話をするのに顔を見せないのは宜しくない。


 そんな代表の本体は、魔法世界ではどこにでも居そうな、普通の冴えない中年オヤジであった。

 身長はサムカより頭1つ低いくらいか。腹が少し垂れてガニ股、筋肉がかなり脂肪に置換されているような体躯で、顔も締りがなく垂れている。頭髪もかなり薄くなっていて、白髪が半分以上交じった髪はゴマ塩のような印象である。衣服は旅館の使い捨て浴衣のような、ラフ過ぎてだらしがないものであった。足元を見ると、擦り切れたゴム底サンダルである。

「300万年間、誰にも発見されなかった我々の墓所を、君たちが偶然とはいえ発見してしまいましたのでね。情報収集と分析調査が必要になったので、こうしてやってきたのですよ」


 そして、構わず一方的にペルたちの記憶を調査し終わった。

「〔ステルス結界〕の術式を改良しなくてはいけませんね。墓所内部の罠や警備ゴーレムも、突破された事実は事実ですから、これらも改善しなくては。300万年も経過すると魔法も変化して、我々が当初想定していたものとは異なる術式が多数生まれるのですねえ……」


 そして、次第に意識を取り戻してきているエルフ先生たちを見て、ペルに微笑んだ。見事なまでの、冴えない小太り中年オヤジの顔だ。

「彼らが正気に戻るまで、昔話でもして差し上げましょう」

 そう言われたペルも大出力の闇の精霊魔法の〔防御障壁〕を稼動させ続けているので、相当につらそうである。息が詰まり気味になってきていて、もはや話す余裕もない様子だ。それを見て、代表が手に持っているハグ人形に再び文句を言う。

「何を怠けているのですか、このリッチーは。さっさと、この子狐さんに魔力支援してあげなさい」


 ようやく手足が自由に動かせるまでに回復したハグ人形が、口をパクパクさせながら大いに不満そうな口調で代表に反論してきた。

「全ては貴様が、ここに居るせいだろうが。しかし、良いのか? ワシまでが魔力を出すと、この世界の『化け狐』どもが、また怒鳴り込んでくるぞ」


 だが、代表は涼しい顔のままである。

「問題ありませんよ。南極と北極、それと月面にいる狐たちは、元々我々が創造して配置したのですから。『管理者権限』というやつで、私と貴方、ペルさんの魔力解放には、今だけは反応しないように既に命令済みですよ」

 ハグ人形が悪態をついた。

「まさしく魔神級だな。世界〔改変〕や法則〔改変〕は自由自在か。では遠慮なく、ペル嬢に魔力支援をするとしよう。魔法場の後始末は、貴様に任せるぞ。この地を、死者と暗黒の世界にするなよ」


 代表が無邪気な顔でウインクした。冴えないガニ股の中年デブなので、何となく腹立たしく見える仕草だ。

「そのような下手は打ちませんよ。私では魔力支援をしようにも微調整できませんから、かえってペルさんに迷惑をかけてしまうのです。貴方の使った魔力で生まれた余計な魔法場は、後で〔結界〕に包んでこの世界から切り離して〔処分〕します。安心して魔力支援をして構いませんよ」


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