33話
【洪水去って】
ミンタとムンキンが教室の床に、音を立てて着地した。
他の生徒たちもチューバと共に床に降り立った。ムンキンがすこしジト目になって、まだ空中に〔浮遊〕しているラヤンを見上げて、尻尾を床に数回打ちつける。
「うるさいな、法術使い。細かい範囲指定なんかやってられるかよ」
確かにラヤンが指摘した通り、割れた窓ガラスや、ノートに筆記用具、壁に貼られていた各種お知らせの紙などが洪水に飲み込まれていた。それらの物が見当たらない。タコも水槽ごと消えている。
机やイスにカバンは、さすがに大きいので転送に巻き込まれなかったようだが。
と、同時に校舎内のあちこちで爆発音がしてきた。ミンタが真面目な顔で、ラヤンを見上げる。
「溺れていた人の肺の中にあった水も、転送範囲に指定できなかったから、後、お願いね、先輩。私はドワーフ製の器械を完全破壊しないといけないから。漏電して暴走し始めたみたい」
そう言いつつ、ミンタとムンキンが大地の精霊魔法を発動させて、散乱している破片や瓦礫を加工して槍を作った。それに炎の精霊魔法を付与し、さらに風の精霊魔法で空中に浮かばせる。それをソーサラー魔術で500個ほど〔複製〕して増やし、一斉に射出する。器用に廊下の中を飛んでいった。
チューバはミンタとムンキンの魔力に内心驚いている様子だったが……顔には出さず、先生を含めた10余名の生徒たちに顔を向けた。
「僕たちは運動場へ降りて、救助の手伝いをしよう。いくぞ!」
嫌がるナジス先生の肩をガッシリつかみ、チューバが生徒たちを引き連れて窓から飛び降りていった。レブンが感心して見送る。
「さすが、バントゥ党だね。集団行動に慣れてるなあ」
ミンタも同意見のようで、レブンにうなずく。そして、第二波の魔法の槍攻撃を繰り出してから、ラヤンに再び顔を向けた。
「じゃあ、よろしくね。ラヤン先輩」
ラヤンがジト目のままでため息をついた。興奮して膨らんでいた赤橙色のウロコがしぼんで、ラヤンの姿がスリムになっていく。
「もう……分かったわよ。じゃあ、巡回してくるわね」
教室の床に着地して〔浮遊〕魔術を解除する。すぐに簡易杖で負傷者の居場所を確認して、教室の外へ駆け出していった。
それを〔浮遊〕したままで見送るレブンとペルである。レブンがペルに顔を向けた。
「仕方がないな。ペルさん、ラヤンさんに君のシャドウを護衛につけてあげて。襲われたら、また気絶することになってしまうから」
「そうだね。分かった」
ペルが急いで簡易杖を操作して、自身の子狐型シャドウを飛ばしてラヤンの後を追わせる。
レブンも教室の床に静かに着地して、同じく音を立てて着地したペルに指摘する。さすがにレブンはソーサラー先生の部活動に入っているだけある。〔飛行〕や〔浮遊〕などのソーサラー魔術が得意になってきつつあるようだ。
「ペルさん。法術と死霊術とは相性が最悪だから、あまり接近しないようにね。敵シャドウは僕が滅するから、ペルさんは攻撃せずに防御に専念して」
ペルが素直にうなずいた。両耳についている水滴を振って飛ばす。
「うん、分かった。そうするね」
実際……ティンギ先生が使用しているシャドウよりも、レブンが使役しているアンコウ型のシャドウの方が魔力が桁違いに強い。まさしく、アンコウが小魚を餌として食べるように、全てのシャドウを食い尽くしてしまうまで数分間もかからなかった。
また、ペルが使役している子狐型シャドウもアンコウほどではないが強力で、しかも闇の精霊魔法の出力が桁違いに強い。敵のシャドウがラヤンに襲い掛かってきても、難なく弾き返してしまう。そればかりか闇の精霊魔法で、敵シャドウを〔分解〕〔消滅〕させて返り討ちにしてしまうほどである。さらに、敵の攻撃魔法も〔無効化〕してしまうので、護衛には最適だ。
レブンが苦笑いをしながら、ペルにつぶやいた。
「これで、また『アンデッド不足』になったわけか。本気でどこかに死体がたくさん埋まっている場所ないかなあ……」
ペルも苦笑する。
「テシュブ先生に頼んで、またシャドウを補充してもらうしかないかもね」
その後、10分ほどラヤンが校舎内を駆け回って手当てをしながら、〔念話〕でミンタたちに状況を知らせてきた。
(死者や重症患者は出なかったね。〔蘇生〕や死者〔復活〕の法術は使うのが面倒だから助かった。これって後遺症が残るしね)
面倒というか、ラヤンでは少々荷が重い。
(カカクトゥア先生、ラワット先生、それからティンギ先生も気絶していたけど〔回復〕した。無事よ。それと暴走している器械も、全部破壊されて停止しているのを確認した。見事に泥に〔変換〕されてる。これで一安心ね)
それを聞いて、ほっとするミンタとムンキンである。
「良かった。水の精霊を吹っ飛ばしたのは正解だったわね」
ムンキンが教室内を見回してニヤリと笑った。
「まあ、タコも一緒に海へ飛ばされてしまったけどね。 授業の後で焼いて食べようかと思ってたんだけどな」
このあたり、さすが竜族である。残念そうに尻尾をバンバンと床に叩いている。
レブンがアンコウ型シャドウを専用の〔結界ビン〕に一旦戻しながら、冷静な声でつぶやいた。
「僕も残念だよ。焼いたタコは美味しいんだよねえ……今日は、これで授業は中止かな。先生もいないし。また宿題の量が増えそうだ」
ミンタがニヤニヤして、ムンキンとレブンを見た。
「分からないことがあれば、私が教えてあげるわよ」
【魔法学校】
校舎の洪水被害はそれほど深刻なものではなかったようで、翌日からは通常通りの時間割で授業が再開された。
気絶してしまったせいとはいえ、水の精霊が暴走してしまった事を反省して、落ち込んでいるエルフ先生である。ドワーフ製の機器は全て破壊されて泥になっていたが、完全に復旧されて元通りになったいた。
闇の精霊魔法の爆発はレブンたちが推測したとおり、ドワーフのマライタ先生の教室から起きていた事が分かった。
「がはは。さすがに希少な鉱物と土類だったな。帯びている闇の精霊場の強さが半端なかったよ。ワシはドワーフだから、魔法場の察知には疎くてな。気づかなかった。今はもう完璧に対処済みだから、爆発はもう起きないよ」
森の中でパリーとエルフ先生が仕込んだ、虫やゴミまみれで発酵中の自然酒をマライタ先生が上手にろ過して、それをグラスジョッキに注ぎながら朗らかに笑う。全く反省の様子は見られない。
隣ではノームのラワット先生が同じ酒を飲みながら、満面の笑みを浮かべている。
マライタ先生は、校長を含めて全ての先生からの非難の嵐を、今現在も教員宿舎内のカフェで受けているのだが……全く平気のようだ。堂々と森から盗んできた酒を、ジョッキで飲んでいる姿からしてそうだが。
「闇の精霊魔法に対する『自動の防御障壁発生器』の再設置もするし、今回のデータを活かして術式強化もする。次回はここまで騒ぎにならないさ。心配するな」
そう言って、ノームのラワット先生と同じジョッキで乾杯して、ぐいっと酒をあおった。盗んだものだが。
「くはー、うめー!」
「アルコール添加して度数を上げた効果も出ていますな、マライタ先生」
酒宴が勝手にカフェで始まった。
呆れた校長が文句を言いながらも、事務職員を連れて退散していく。このまま居続けると強制的に、この自然酒を飲まされる展開になるからだろう。
さすがにこの傍若無人な光景を見て、怒りのジト目になるエルフ先生であった。先ほどまで落ち込んでいたのがウソのようだ。
「これだから、ドワーフは!」
詰め寄ってくるエルフ先生の姿を認めるや否や、マライタ先生が酒壷を抱き寄せて守り、ノーム先生がジョッキ片手に杖を掲げてエルフ先生を迎撃する態勢になった。よほど、酒宴が大切なようだ。
「来るなエルフめ! この酒は渡さんぞ」
「そうだぞ。ノームの名にかけて酒壷を死守する」
どこかのネズミみたいに「キーキー」騒ぎ出した小人2人に、さすがに呆れ果てるエルフ先生。
「私とパリーがハゼの木の洞に仕込んだヤマブドウ酒を、堂々と横取りしておいて、よく言えますね。しかも、ろ過して、酒精強化までするなんて。アルコールに弱いくせに。さらにハゼの木の毒まで、ろ過するなんて……そこまでして飲まなくても良いでしょうに」
小人2人とエルフが目を据わらせて睨みあっている。そこにティンギ先生がパイプをふかしながらやってきて、エルフ先生を手招きした。
「エルフ先生。そうなったドワーフとノームは、もうテコでも動きませんよ」
そう言われて、「そうだそうだ」と勝利宣言して酒宴を再開する小人たちに、大きなため息をつくエルフ先生である。
「分かったわよ。好きに飲んでいいわよ。まだ森の中にたくさんあるから」
そう言って、エルフ先生が酒宴から離脱した。ブツブツ何か文句を言いながら首を振る。そして、数メートルほど離れたベンチに座っているティンギ先生の所へやってきて、隣に座った。
他の先生たちは更に遠巻きになって、酒宴を冷めた目で見ている。しかし、各自の仕事もあるので1人また1人と、ブツブツ文句を吐きながらカフェを退出していった。
「エルフの私とパリー以外には、この自然酒は飲めないものだと油断していました。まさか、専用の『ろ過器』と『酒精強化用アルコール』まで用意してくるなんて」
苦々しい表情のエルフ先生の隣で、ゆったりとパイプから紫煙を吐き出しながらティンギ先生がなぐさめる。エルフが炎の精霊を嫌っていることも知っているはずだが、そこは無視しているようだ。
「ドワーフの執念は凄いですからね。私も、後で飲んでみますよ。ろ過処理されているから、私が飲んでも腹痛になることはないでしょう」
「まあ、それはそうでしょうね……彼らが森の中で樽に仕込んだ酒を、代わりに分けてもらうことにします。強制的に」
そして、話題を変えるエルフ先生である。一旦、パイプから立ち上る紫煙に不快な視線を向けるが、すぐに真面目な顔に戻ってティンギ先生の顔に視線を戻した。
「先ほど、パリーと話したのですが……やはり森の中にはシャドウへ加工できそうな、強力な残留思念は無いそうです。弱い残留思念をたくさん束ねて使うしかありませんね。ゾンビやスケルトンにできそうな死体も、森の中ではネズミや虫ぐらいしかないみたいです」
ティンギ先生がパイプから再び紫煙を一筋吐き出して、ため息をついた。同時に、エルフ先生の腰まで伸びた真っ直ぐな金髪に数本、静電気の火花が走る。
「やはり、そうですか。ネズミのゾンビなんか作っても使い道がありませんな。シャドウを再び作った方が良さそうですね。分かりました。テシュブ先生にはそう言って、再度お願いしてみますよ」
エルフ先生はアンデッド製造の話なので、少々怪訝な表情である。それでも、これまでの巨人ゾンビ用務員などの活用実績もそれなりに評価しているので、条件反射的な拒絶はしてこない。
このあたりは、実利的な機動警察官ならではの反応である。普通のエルフではこうはならない。
「アンデッド対策を学ぶ上では必要ですから、仕方がありませんね。ティンギ先生、その……シャドウは便利なものですか?」
ティンギ先生が紫煙をゆっくりと吐き出して、うなずいた。もはや『わざと』紫煙を見せているようにも思える。
「そうですな。実体を持たないので荷役はできませんが、情報収集や伝令には便利ですよ。基本的に視認されにくいステルス仕様ですから、あまり騒ぎになりません。魔力が高いですから、直射日光に当たっても平気ですね。とにかく丈夫ですよ。ある程度なら自動〔修復〕もしますから管理も楽ですね」
エルフ先生は特に返事をせず、黙って聞いている。
その後さらに色々とティンギ先生からシャドウ使用の状況を聞いて、最後に微妙な微笑みを浮かべた。
「……なるほど。シャドウは敵として現れると非常にやっかいですが、味方だと便利なのですね」
軽くため息をつく。
「私たちエルフは死霊術を使えませんから、シャドウやゾンビを〔操る〕ことはできません。それでも、こうして経験することで、ステルス性の高いシャドウを〔察知〕しやすくなりました。ゴースト程度でも構わないので、私でも使えるようになれれば勉強になるので良いのですが……難しいでしょうね、残念です」
そして、奇声や大声を上げて歌いながら酒盛りをしている小人2人を、冷ややかな目で見つめた。小人たちはアルコールを酒に添加して酔いやすくしているので、非常にご機嫌なようだ。
「そうそう、ティンギ先生。森の中が酒の香りで充満しているので、あの小人みたいに引き寄せられてくるモンスターが続出しているようです。森の中を散歩する際には、少し用心した方が良いと思いますよ」
【森の中の酔っぱらいども】
エルフ先生の危惧は見事的中したようだ。翌日の朝、森の中からパリーが現れて、エルフ先生の教室に無理やり〔テレポート〕してきた。妖精なのにソーサラー魔術を使っている。
しかし〔テレポート〕先の空間を、問答無用で押し広げての移動だった。運悪くその場所に座って授業を聞いていた生徒数名が、空間震の衝撃波に巻き込まれて派手に吹き飛ばされる。
当然、吹き飛ばされた先にも生徒たちが席について座っているので、まともに体当たりを食らって一緒に吹き飛ばされた。とっさに〔防御障壁〕が発動したので、ケガをするまでには至っていないが。
「こ、こら! パリー! いきなり〔テレポート〕してきちゃダメでしょ! っていうか、我流でソーサラー魔術なんか使うなっ」
エルフ先生が教壇の上からパリーを叱りつけた。
空間そのものを〔テレポート〕してきたので、パリーの周辺は直径2メートルほどが、森の腐葉土のフカフカ大地に置き換わっている。
そしてその場所を中心にして、同心円状に吹き飛ばされた生徒たちと机やイスが散乱していた。
当のパリーはいつもと全く変わらない寝間着姿と表情のままで、エルフ先生をぼんやりと見つめ、そしてヘラヘラと笑い始めている。そういえば、サンダルが秋仕様に変わっている。ハゼノキの赤い葉を、数枚ほど鼻緒に差し込んだだけだが。
「歩くの面倒~なんだもの~。森の上をソーサラーがよく飛んでるから~真似してみた~。おはよ~クーナ」
「おはよー、じゃないわよ」
さすがにジト目になっているエルフ先生である。改めて生徒たちにケガがないかどうかを〔診断〕して、全員が無事なのを確認して安堵する。
教室の床だけは、強引に〔テレポート〕してきた森の空間が入り込んだせいで物凄い歪みが生じ、割れ目が無数に走ってしまっているが。
「それで、どうかしたの? パリー」
「おお~そうだ~」
ぼーとしていたパリーが用件を思い出したようだ。
「森に仕込んでいたお酒~、ほとんど全部飲まれちゃった~」
「な、なんですって!?」
今度はエルフ先生が素っ頓狂な声を上げた。ライフル杖を瞬時に呼び出して手に持つ。
「あ、あのドワーフ! 私まだ飲んでないのにっ! 許さん!」
文字通りの怒髪天を衝く状態で、静電気の火花を散らして怒り狂っているエルフ先生。すかさずパリーがヘラヘラ笑いながら、ツッコミを入れてきた。
「ちがうちがう~。ドワーフじゃないよ~。いくらなんでも~ドワーフ1人だけで~私たちが森中に仕込んだお酒全部を~飲み干せるわけないでしょ~」
それを聞いて、我に返るエルフ先生であった。冷たく鋭く光っていた瞳も通常の空色に戻り、ライフル杖を消去して教壇に戻る。重力を無視して逆立っていた長い金髪も、大人しく重力に従ってパサリと垂れた。体じゅうを包み込んでいた静電気や火花も消える。
「そ……そうね。仕込んだ量って、確か20トンくらいあるものね。小人じゃ飲み干せないわね。うん、確かに。売りさばいたというなら別だけど」
そして、パリーの顔をようやく真っ直ぐに見つめた。
「それで、いったい誰が飲んでしまったの? パリー」
もはや授業の事など、完全に頭の中から消えてしまっているエルフ先生である。
一方のパリーもヘラヘラ笑いを続けながら、エルフ先生に指摘も注意もせずにのんびりとした声で答える。彼女もここが、学校の教室で授業中だということを忘れているようだ。
「渡りのヒドラみたい~。現場に残っていた臭いがそんな感じ~」
再び、ライフル杖を出現させて手に持つエルフ先生である。錠剤タイプの魔力カートリッジも警察服のポケットから取り出して、残量を確認する。
「ヒドラですって? それで、その蛇どもは何匹? 手持ちのカートリッジだと、通常サイズなら100匹までなら光に〔分解〕することができるけど」
パリーがニヘラと笑う。紅葉色の赤髪がふわふわと跳ねて揺れた。
「え~とね~、臭いの量からすると50匹くらいかも~。渡りの最初の群れだから少ないわ~」
エルフ先生がライフル杖の底部に数個の錠剤を装填して、不敵な笑みを浮かべた。空色の瞳が冷たく輝く。
「ふ……余裕ね。1分で、この世界から完全に消してあげるわ」
今にも出撃しそうなエルフ先生に、さすがに生徒たちがしがみついてきた。
「カ、カカクトゥア先生~! 今は授業中です~」
再び、正気に戻るエルフ先生であった。
「……そういえば、今は選択科目の授業中だったわね。うーん、残念だけどパリー。ヒドラ退治は放課後にしましょう」
これは、幸運だったとも言えようか。もし、エルフ先生の専門クラスの時間であれば、当然ながらミンタやムンキンがいる。彼らは先生を止めないので、余計に燃え立って30名の生徒全員を引き連れて森の中へ突撃していただろう。
今の時間は選択科目なので、受講している生徒たちは専門外で精霊魔法の素人ばかりである。ペルやレブンもエルフ先生の選択科目の時間に登録しているのだが、幸いこの時間には参加していなかった。
今の選択科目の授業には、バントゥ党のウースス幻導術級長と、クレタ招造術級長が参加していた。2人ともパリーの乱入で吹き飛ばされて、すっかり怯えてしまっている。リーパット党では側近のパランが参加していたのだが、こちらも吹き飛ばされて同じように怯えてしまっている。
そのパリーは面白くなさそうな顔をしていた。
「う~、つまんな~い。さっさと殲滅しよ~よ~クーナーあ~。あ、そ~だ。アンデッド不足なんでしょ~? だったら~、このヒドラを殺して~アンデッドにすればいいじゃな~い。レブン君を拉致してこよ~よ~」
物騒な申し出を平気でするパリーである。妖精には社会の常識は通用しにくいようだ。
エルフ先生が素敵な笑顔のままで、この申し出を断った。
「いいえ、パリー。ヒドラなんかアンデッドにしたところで使えないわよ。手足が無いから用務員の仕事なんかできないし。かえって図体が大きい分、邪魔になるだけね」
そして、少し考える。
「ねえ、パリー。ヒドラを片付けてから、お酒をまた仕込んでも良いかしら?」
パリーもちょっと首をかしげて考えている。
「そうね~。森の中の果実類は~ほとんど使い切ってしまったし~難しいかも~」
ガックリと肩を落とすエルフ先生である。
「そうよね……ますます許せないわね」
先生~授業を再開して下さい……と、何人かの生徒が口にするが、まだそれどころではない精神状態のようである。
そこへ、騒がしく足音を立てながらミンタとムンキンが教室に飛び込んできた。ムンキンの仲間も数人いて、ムンキン党の幹部と自称しているバングナン・テパ、通称バンナも駆けつけていた。なぜかペルとレブンも連れてこられている。
ムンキンが濃藍色の目を鋭く光らせて怒りながら、エルフ先生に大きな声で聞いた。
「せ、先生! 空間震が先生の教室から出たので、緊急招集をかけましたっ。敵はどこですかっ」
そして、パリーの姿を認めるや否や、簡易杖を向けて威嚇した。同時に尻尾を床に打ちつけたので、ひと際大きな打撃音が鳴る。ムンキン党の仲間も同じように尻尾を床に激しく打ちつけ、杖をパリーに向けて威嚇する。
狐族のバンナも尻尾を逆立たせて、褐色の瞳を燃え上がらせながら簡易杖を突きだしている。力場術専門クラスの級長なので、かなり強力な攻撃魔法を準備してきたようだ。高速詠唱を始めた。
ウーススとクレタ、それにパランが、ついに怒った。口々に乱入者に向かって非難を浴びせる。
「今は授業中だぞ! とっとと帰れっ」
「教室内で魔法戦闘なんかするな!」
「このバカモノどもがっ」
しかしムンキンの耳には、そのような非難は届かなかったようだ。爛々と燃える濃藍色の瞳で、ヘラヘラ笑いを続けているパリーを睨みつけた。
「また、お前かパリー! 何を仕出かしたんだよ!」
が、当のパリーはヘラヘラ笑いの顔を全く変えずに、上体をフラフラ揺らしている。ウェーブがかった赤髪の先が、2拍子ほど遅れてリズムを刻んでいる。
「森のお酒が盗まれたから~知らせにきたのよん~」
「酒!? 何を言ってるんだコイツ」
ムンキンが臨戦態勢を完了させて、攻撃魔法の術式をパリーに〔ロックオン〕する。ムンキンの仲間のクラスメイトたちも、今にも咬みつきそうな凶悪な表情だ。彼らもムンキンに続いて〔ロックオン〕をし、攻撃魔法の発射準備を終えた。
そばにいるミンタも険しい表情をして、簡易杖をパリーに向けている。
「パリー。最後に聞くわ。どうして教室の机とイスが散乱していて、生徒たちがおびえているのか説明しなさい。返答によっては排除するわよ」
ミンタとムンキン党の奥には、目を白黒させているペルとレブンの姿が見える。
さすがにパリーも不機嫌そうな表情になった。松葉色の瞳が怪しい光を帯び始めていく。
「あら~、ずいぶん生意気な狐とトカゲね~」
パリーの周囲の空間が放電を始めた。森からパリーと一緒に〔テレポート〕されてきた森の腐葉土からも、大量の草木の芽が伸びてきた。土の中で休眠していた種子が、強制的に発芽しているのだ。
口をへの字に曲げたエルフ先生が、パリーとミンタたちの間に割り入って両者を制した。
「こらこら、止めなさい。パリーも簡単にケンカを買わない。また、この校舎が大破するでしょ」
そういって、まずパリーの両肩を押さえて制する。身長差があるので、まるでエルフ先生が駄々をこねている子供を『あやしている』ようにも見えなくもない。そして次に、ミンタとムンキン党へ顔を向けた。
「あなたたちもですよ。空間震はパリーが森の中から教室まで歩いてくるのを面倒がって、勝手に〔テレポート〕してきたせいです。ケガ人や机の損傷も起きていませんから、その杖を下げなさ……」
「うおおおお! 仕込んだ酒を飲みやがったのかあああ、糞エルフめえええっ」
ミンタとムンキン党の背後から、マライタ先生とノーム先生が発狂気味な顔をして足音も荒く駆け込んできた。
「ワシらが腕によりをかけて樽仕込みした酒を、よくも飲んでくれたなあああっ! 許さんぞっ」
ドワーフのマライタ先生が丸太のように太い両腕を風車のようにグルグル振り回して、飛び込んで来た。そのまま、エルフ先生に殴りかかる。
「本当に、ドワーフって!」
一言そう言い捨てて、エルフ先生が再びライフル杖を出現させた。流れるような動きで杖を構えて、腰だめの姿勢から、警告も威嚇射撃も無しで、即、発砲する。
もちろん、銃弾を発射したわけではないので音もなく、指向性の強い〔レーザー〕光弾なので傍からでは光も見えないが。
「「ぐは!」」
苦悶の声を上げて倒れ伏すドワーフとノーム先生である。
それでも、ジタバタもがいている。そんな2人を、冷ややかな空色の瞳で見下ろすエルフ先生だ。ライフル杖の先を向けたままで、もう一言。
「光の精霊魔法の神経〔麻痺〕です。光速の魔法ですから、回避も防御もできませんよ。そこでしばらくの間、頭を冷やしていなさい。ラワット先生もですよ。まったく、酒が絡むと豹変するんだから」
そして、ため息をついて、パリーとミンタたちに顔を向けた。
「渡りのヒドラが50匹ほどやってきて、森の中で発酵熟成していたお酒を『ほぼ全部』飲み尽くしてしまったそうです。それを知らせにパリーがここへ〔テレポート〕してきたんですよ。と、いうか、マライタ先生。どうして知っているんですか。しかも正確じゃない情報を」
口が麻痺して話すことができないマライタ先生の頭に、エルフ先生がライフル杖の先をコツンと乗せる。
「なるほど。この教室に盗聴器を仕掛けていたんですか。それと森の中の酒樽にも」
麻痺しながらも、不敵に笑うマライタ先生。下駄のような白い歯が見えている。
ゴミを見下ろすような視線になったエルフ先生が、無言でもう一発、光の精霊魔法を放った。《ビクン》と魚が跳ねるような動きを見せたマライタ先生が、白目を剥いて完全に気絶する。
ピクピクと指先と足先を、わずかに痙攣させて気絶しているマライタ先生を見て、満足そうな顔のパリーである。
「ほら、クーナあ。そこのノームもやっちゃえ~」
ギクリと身を震わせるラワット先生を見下ろしながら、エルフ先生がライフル杖を消去した。
「パリー……森の管理ってストレスが溜まる仕事だというのは分かるし、同情もするけれど、だからといって、無差別攻撃はいけないわよ」
そして、ラワット先生に素敵な笑顔で微笑みかけた。
「ヒドラ退治は放課後に行いましょう。お酒の恨みは、その時に」
教室の腐葉土と草むらは、ミンタが〔テレポート〕して森の中へ返送したのでキレイに片付いていた。ムンキンたちは「草なんか焼き払えばいい」と主張したのだが、「パリーの逆襲が起きて、放課後のヒドラ退治ができなくなる恐れがある」とレブンが指摘したので渋々、承諾したのだった。
それでもなお教室内に残った土ぼこりや、森の腐葉土の中にたくさんいるダニなどは、ペルが闇の精霊魔法で丁寧に〔消去〕していた。教室の床も割れ目が消えてきれいになっている。これはミンタがかけたウィザード魔法招造術の〔修復〕魔法によるものである。
エルフ先生が半分感心しながら、ペルを褒めた。
「まあ……ここまできれいに掃除できるのね。闇の精霊魔法も便利ねえ」
ちょっとドヤ顔になるペルである。
「えへへ……テシュブ先生の『方針』のおかげです」
【ヒドラ退治】
そして……放課後。ヒドラ退治に参加するのは、エルフ先生、マライタ先生、ノーム先生、パリーと、ミンタ、ムンキン、ペル、レブン、それにラヤンであった。さらに4人の生徒が加わっている。
エルフ先生がその生徒たちに『掃討作戦』を説明していると、校舎から4名の生徒がソーサラー魔術の〔飛行〕魔術を使って飛んできた。ムンキンがニヤリと笑い、レブンが軽いジト目になる。
「やっぱり来たか。ムンキン党」
ムンキン党の有力者で狐族のバングナン・テパ1年生が、他に3名の竜族のムンキン党員を引き連れて到着した。褐色の瞳がキラキラ輝いている。
「よお、ムンキン。俺たちも参加させろや。楽しく狩りをやろうぜ!」
しかし、ムンキンは残念そうな表情で断った。濃藍色の両目を軽く閉じて、柿色のウロコが反射する頭と尻尾を微妙に振る。
「すまない。バンナには後方支援を頼みたいんだ。森の中での戦闘になるから、パリーを刺激するのは避けたい」
他にも色々と理由を説かれて、ガッカリするバンナたちであった。
エルフ先生とノーム先生からも、参加を認められなかったのがトドメになったようである。加えて、彼の担任である力場術のタンカップ先生からの許可を受けていないと、すぐにばれてしまったので仕方がない。
バンナが大きくため息をついて、両耳と尻尾を垂らしてしまった。鼻先のヒゲも全て垂れてしまったが、すぐに気を取り直したようだ。ヒゲが再びピンと立つ。
「了解だ。次からはタンカップ先生からの許可を得ておくよ」
そう言って、隣の狐族ビジ・ニクマティに視線を向けた。彼はノーム先生の精霊魔法専門クラスの級長だ。
「何だ、ニクマティ。お前も後方支援かよ」
ニクマティ級長が黒茶色の瞳を理知的に光らせた。尻尾も優雅に地面を掃いている。
「私は3年生なんだがね。上級生には敬語を使えよ。私も後方支援担当で参加する。今回の掃討作戦では、魔力供給が最重要だ。何せ、敵ヒドラの数が50以上もいる。魔力の補給を適宜行わないと魔力切れになって、ヒドラから返り討ちに遭いかねない。私たちの役割は非常に大きいと思うがね」
バンナたちもその事は理解できているようで、渋々ながらも同意した。
「まあな。今回は後ろで我慢してやるさ、ニクマティ先輩」
ニクマティ級長がバンナたちに作戦内容を〔送信〕しながら、背後の生徒3人に視線を投げた。
「君たちも情報〔共有〕してくれ。森は広大で見通しが利かないからね」
法術専門クラスのスンティカン級長が鷹揚にうなずいた。竜族なので、渋い柿色の尻尾でパシンと軽く地面を叩く。
「ラヤンに頼まれた以上は、役割を果たすさ。ケガ人が出る恐れは充分にあるからな」
魚族のスロコックも、黒いフードを脱いで同意した。彼はレブンを教祖とする『アンデッド教』という秘密結社を着実に拡大させているようだ。校舎の隅に2人ほど黒いフードを頭から被った生徒がいる。その彼らに何か合図して、顔をニクマティ級長に向けた。
「我の占道術も必要になるであろう。我らアンデッド教は、レブン殿の魔力支援を重点的に行う所存だ」
当のレブンが、痛いものを見るような顔になっている。スンティカン級長に早速何か謝り始めた。
そんなレブンとスロコックを楽しそうにニヤニヤ笑いながら眺めていた狐族のミンタの友人が、最後にスンティカン級長にウインクした。コントーニャ・アルマリーである。
「ミンタが面白そうな事をするって聞いたから、来てみましたー。私は幻導術専門だけど、そんなに成績は良くないから、当てにしないでねー」
ミンタがジト目になって、口を尖らせた。
「コンニー。アナタね、危ないから森の中へ入っちゃダメだからねっ。本当に騒動好きなんだから、まったく」
コンニーがニヤニヤ笑いながら、ミンタに手を振った。
「騒動が好きなのは、お互いさまでしょ、ミンタ。ペルちゃん、ミンタの事をよろしくねー。この子、すーぐ暴走するからさー」
いきなり頼まれたペルが、アワアワしながらパタパタ踊りを始めた。
「は、は、はいいい……全力を尽くしますっ」
そんなペルとミンタに、にこやかな笑顔を向けていたコンニーが、ジト目になった。
「……げ。バントゥ党まで来ちゃったかー」
確かに、バントゥとその党員たちがこちらへ駆けてやってきているのが見える。コンニーがミンタとペルにペロリと舌を出して片耳をパタパタさせた。
「ごめんねー。私は今はバントゥ党員なのよねー。ミンタの味方にはなれそうもないので、よろしくー」
ミンタがジト目になって、軽くため息をついた。
「コンニー……『寄らば大樹の陰』っていう処世術も良いけれど、度が過ぎると友達を失うぞ」
しかし、もうミンタの忠告は聞いていない様子のコンニーであった。早速バントゥ党をニコニコ笑顔で出迎えている。揉み手擦り手が実に自然だ。
レブンが今になって思い出したように、上空を見上げた。
「ジャディ君は不参加かな。連絡が取れないんだよねえ。またどこかでケンカしてるのかなあ」
ペルも森の上空を見上げた。
「今回は障害物だらけの森の中だから、興味がないのかも」
他の飛族ですら1羽もやってこない。先日来のエルフ先生の狐化以降、すっかり興味を失ってしまったようだ。
まあ、これにはエルフ先生も内心安堵している様子である。
ミンタが栗色のジト目になったままで、今度はラヤンに文句を言った。
「ラヤン先輩。アンタね、〔防御障壁〕とかキチンとできるの? ヒドラは蛇だけど魔法生物だからブレスも吐くのよ。足手まといになったら、すぐに〔テレポート〕で森から追い出すからね」
ムンキンも濃藍色の目でラヤンを凝視しながら、頭と尻尾の柿色の細かいウロコを膨らませる。
「作戦時間も、日没までの1時間ほどしかないんだ。全体〔治療〕の法術もミンタや僕ができるから、特に何もしなくて構わないぞ。先輩」
ラヤンはムンキンと同じく竜族だ。紺色の目をジト目にして赤橙色のウロコを膨らませて、尻尾で地面をバンバン叩いて不満の意思表示をしている。が、特に反論しないところを見ると、戦力にはあまりなりそうにないことは自覚しているようだ。
ミンタもムンキンも、「ラヤン先輩」と口では言っているが相当にぞんざいな扱いだな……と、少し冷や汗をかいて思うペルとレブンであった。
ラヤンの後ろからリーパットとパランが走ってやって来た。バントゥ党よりも早い。怒り心頭の表情で、狐族ながら顔が真っ赤である。喚き散らしながら駆けてきたリーパットが、咬みつきそうな勢いで吼えた。黒茶色の瞳が怒りで燃え盛っている。
「貴様らあっ! 我を無視して討伐を始めるとは、どういう了見だあっ」
腰巾着のパランも、リーパットの勢いに乗って非難の声を上げた。こちらも狐の毛皮を逆立たせ、同じような黒茶色の瞳をギラギラさせている。
「リーパットさまに、お伺いを立てるのが筋というものであろう! この劣等種族がっ」
「やっぱり来たか……」と、ガックリと肩を落としているのは、同じ狐族のミンタとペルである。ムンキンがイライラした顔で、尻尾を数回ほど地面に叩きつけた。
「オイ、誰だよ。あいつらに知らせた奴はよ」
校舎の窓の奥に、ソーサラーのバワンメラ先生と招造術のナジス先生の姿が見えた。こちらを向いてニヤニヤしている。それだけで察するムンキンであった。
リーパットが皆のいる場所までやって来て、エルフ先生に向かってタックルしてきた。手下のパランも一緒になってエルフ先生に体当たりする。しかし、身長差が40センチ以上ある上に、機動警察官の訓練を欠かさないエルフ先生なので、びくともしていない。
反対に下手なタックルをしたせいで、顔面に衝撃を食らったリーパットであった。涙目になった顔を両手で包みながら、それでも気丈に叫ぶ。
「校長先生の許可も何も得ていないそうではないか! バカか貴様っ」
パランも顔にかなりの衝撃を食らったようで、同じような涙目になっている。それでも、さすがは腰巾着というべきか、主人のリーパットに合わせて非難を怠らない。
「そうだ、そうだ。この暴走教師どもめ!」
その次の瞬間、爆発音がした。
「きゃん!」
悲鳴を上げて、数メートルほど吹き飛ばされるリーパット主従。ムンキンが濃藍色の瞳を冷たく光らせて地面に転がっているリーパット主従を見下ろし、尻尾を1回だけ地面に叩きつけた。
「おい。赤点コンビなのに偉そうに言うなよ。自動〔蘇生〕法術も満足に使えない貴様らじゃ、ただの足手まといだ。とっとと帰れ」
隣にはミンタもいて、同じような視線を向けている。
「そうね。ヒドラに手足を食べられたら、アンタ、出血多量でそれでおしまいよ。自力で〔治療〕できないでしょ」
怒声を上げて殴りかかって来るリーパット主従に、再び〔爆破〕魔法をぶっ放す2人である。
「きゃん!」
さすがにフラフラになって、立つのがやっとの状態になってしまった。目の色だけは怒りで燃え盛っているが。
エルフ先生が微妙そうな笑みを口の端に浮かべ、ミンタとムンキンの肩に手をかけた。
「このくらいにしなさい」
まだ攻撃し足りない様子のミンタとムンキンだが、ここは素直に従って身を引いた。ブツブツと文句は垂れ流しているが。代わりにエルフ先生が歩み出て、膝が震えているリーパット主従に空色の瞳を向けた。
「あなたたちの魔力では、ヒドラの駆除は認められません。ケガをするだけです」
そこへバントゥとその党員、総勢6名がコンニーの先導で到着した。彼女がしれっとした顔でバントゥ党に加わったので、総勢7名だ。「さらに面倒な事になったよ……」とジト目になるミンタとムンキンである。
バントゥが余裕しゃくしゃくな態度で、エルフ先生とリーパットに視線を向けた。
「ご心配なく。魔力が低い者でも使用できる魔法銃を用意していますよ、エルフ先生」
そして、手下のチューバに命じた。
「チューバ君。リーパット君とパラン君に、その魔法銃を貸してあげて下さい」
セマン顔のまま澄ました表情のチューバが、〔結界ビン〕をポケットから出して、中から2丁の魔法銃を取り出した。見た目は『ただの木の杖』である。それをリーパットとパランに突きつける。
「さあ、受け取りなさい。これで『赤点』の君でも戦力になるでしょう」
目元が笑っているバントゥとチューバに、ギリギリと歯ぎしりをしながらリーパットが歩み寄る。
そのまま無言で奪い取るように、チューバの手から魔法銃を受け取った。バントゥを黒茶色に燃える瞳で睨みつける。
「礼などは言わぬぞ、バントゥ・ペルヘンティアン」
そして、そのままの勢いでエルフ先生を睨みつけた。
「これで文句あるまい! さあ、我らも連れていけっ」
ムンキンが柿色のウロコを膨らませた。頭と尻尾が金属光沢を帯びる。尻尾をひと際強く地面に叩きつけて、濃藍色に冷たく輝く半眼を向けた。
「こいつら……何も分かっていないな。そんなもの使って森の木を焼いたら、パリーが怒鳴り込んでくるってことが分からないのかよ」
しかしリーパットは魔法銃を肩に担いで、余裕の表情になっている。
「心配無用だ、そこのトカゲ。我は魔法銃の扱いには習熟しておる。トカゲの貴様よりも腕は立つぞ。誤射して森の木を焼く恐れは皆無だ」
パランも魔法銃の状態確認を始めている。実に手慣れた感じだ。
「そうだぞ、リーパットさまの腕前は凄いのだからなっ、そこの竜族」
へーへーそうですか、とでも言いそうなムンキンである。濃藍色の目をジト目にして、簡易杖で自身の肩をポンポン叩いた。
「射撃場や運動場じゃないぞ。僕とミンタさんが森の残留思念狩りで、どれだけ木々にぶつかったと……まあ、いいや。お手並み拝見といこうか、先輩方」
一方のバントゥ党7人も自信満々の表情だ。彼らは通常の簡易杖を持っている。代表のバントゥがゆったりと狐の尻尾を揺らして、赤褐色の瞳を光らせた。
「僕たちは、この『学生支給の簡易杖』で充分ですよ。ソーサラー魔術の〔飛行〕魔術も修めていますし、〔火炎放射〕や〔光線〕魔術も数種類使えます。そこの死霊術の君や、闇の精霊魔法使いの女子生徒よりは、はるかに強力ですよ。試してみましょうか?」
レブンとペルの表情が暗くなって、力なくうつむいた。コンニーも申し訳なさそうな顔で2人を見つめている。
ミンタが軽く肩をすくめながら、コンニーをチラリと見た。そして両耳をパタパタさせて、落ち込んでいるペルの肩に手を置く。
「まあ、それは事実だけどね。でも、まあペルちゃんにはペルちゃんの良さがあるわよ。でなけりゃ、こうして私が友達やってないし」
ムンキンもレブンに濃藍色の瞳を向けた。
「気にすんな、レブン。ムンキン党員なんだから胸を張れよ」
そう言いながら、ムンキンとミンタが背中を《バンバン》と叩いて元気づけた。むせているレブンとペルである。ムンキンがバントゥに濃藍色の瞳を冷たく光らせて煽った。
「そうだな。じゃあ、その威力とやらを見せてくれよ。先輩方」
バントゥが自信満々な顔のままで、鷹揚にうなずいた。簡易杖を真上に向ける。
「良いだろう。精霊魔法使いだけが、このところ目立っているからね。僕は幻導術専門で戦闘狂ではないが、それでもソーサラー魔術の攻撃魔術はいくつも習得している。チューバ君もそうだ。ラグ君はソーサラー魔術の専門だ。他の仲間たちも級長ばかりだぞ」
そして、何かの演劇の場面のような『仰形』な仕草で、彼の配下たちに顔を向けた。
「では、見せてあげましょう。皆さん」
バントゥが自信満々で声を掛けた仲間には、側近のチューバとラグの他に、魔法工学のベルディリ級長、幻導術のウースス級長、招造術のクレタ級長がいた。皆、成績優秀者である。なので、コンニーだけがかなり場違いな印象だ。
それでも分け隔てなく、バントゥがドヤ顔で号令した。
「撃て!」
7人のバントゥ党が一斉に杖を真上に突き出して、ソーサラー魔術の〔火炎放射〕魔術を放った。
爆音と爆風が起きて、真っ赤な炎の竜巻が彼らの頭上に発生する。竜巻の直径は優に10メートルはあり、それが渦を巻きながら上空50メートルまで噴き上がっていく。
空中を舞っていた森の羽虫が、500匹ほど一瞬で焼けて灰になった。
「あちちっ」
熱風が運動場に吹き渡り、慌てて〔防御障壁〕を展開する先生と生徒たちだ。レブンとペルはその巨大な炎の竜巻に目を丸くしている。ムンキンもさすがに渋い表情になった。
「ち。さすがは上級生だな。俺と同じくらいの〔火炎放射〕魔術だ。いや、温度はそっちが上か。くそ」
ミンタは平然としたまま、ムンキンに栗色の瞳を向けて微笑んだ。
「しかも、精霊魔法じゃないから、どこでも構わずに撃てるのよね、これって。まあ、こんな火炎放射なんか森の中で使えるとは思えないけど」
そして、目を丸くしたままのペルとレブンにも微笑みかけた。
「大丈夫よ。ペルちゃんたちの魔法もかなり強力になってきてるわ。この私の指導のおかげでねっ」
さすがに、いつまでも炎の竜巻を起こしておくわけにもいかないので、エルフ先生が命令して魔術を終了させた。
悔しそうな顔をしているのは、リーパット主従である。彼らの魔法銃では、ここまでの威力は望めない。軽く地団太を踏みながら、バントゥ党を睨みつけるのが精一杯のようだ。
エルフ先生が真っ直ぐな金髪をかきながら、困ったような表情になった。ノーム先生に顔を向ける。
「どうしましょうか、ラワット先生。どうしても討伐に加わりたいという意欲は買いますが……」
ノーム先生も銀色の口ヒゲをさすって首をかしげて、困ったような笑顔を浮かべた。
「……仕方ないだろうな。来るなと言っても、来るだろう」
マライタ先生も下駄のような白い歯を見せて、赤いゲジゲジ眉を愉快に上下させた。
「がはは。男の子はこうじゃないとな! ケガをしたら即、ここ運動場へ退却するようにしておけば良かろう」
エルフ先生が「ふう……」と大きくため息をつく。
「……そうしましょうか。いいですか。あなたたちの1人でもケガをしたら、強制的にここへ〔テレポート〕しますからね」
リーパットとバントゥの返事を聞かずに、先頭に立ったエルフ先生が、ライフル杖を右手で掲げて合図を送った。
「さて。時間もありませんから、さっさとヒドラ50匹を退治してきましょう。パリーからの情報だと、ヒドラの他にも、アウルベアやマンティコラとかが色々と呼び寄せられて来ています。こいつらも酒飲みだから、ついでに見つけ次第『駆除』しましょう」
「おう!」
威勢よく応じるのは、マライタ先生とノーム先生の小人コンビであった。よほど酒を飲まれたことが許せないらしい。
ちなみに、ヒドラと呼ばれているモンスターは、体長数メートルの巨大な魔法生物である蛇が互いに巻きつき合っている『集合体』を指す。集合することで魔力が強まり、知性も飛躍的に高度になり、様々なソーサラー魔術や精霊魔法を使用できるようになるのである。
一般的には、10匹ほどが集合してヒドラとなっている。もちろん、もっと数多くの蛇が集まれば、より強力なヒドラになる。その反面、巨大なサイズになるので、森の中で活動しにくくなってしまう。森の木々に引っかかるのである。
また、多くなることで意思の統一が困難にもなる。右に行きたいグループと左に行きたいグループが生じると、それだけで呆気なく分裂してしまうほどだ。
アウルベアとマンティコラも野生の魔法生物で、それなりに精霊魔法を使える。地域によって若干の差異はあるが、基本的にアウルベアはフクロウの頭に熊の体をしたような姿で、マンティコラは猿の頭にトラの体でサソリの尾を持つ。
ヒドラよりも小さく、魔力も弱く、群れの数も少ないので大した脅威にはならないが、酒を盗み飲む習性はヒドラと同じである。
即席のヒドラ討伐部隊は、これらの面々8人に、リーパット主従、バントゥ党6名と決まった。後方支援部隊は、バンナたち7人とコンニーだ。
リーパットが暴露していたが、他の先生も誘うとかえって面倒な事態になりそうなので、校長先生も含めて誰にも何も伝えていない。警察にも軍にも伝えていない。
普段のエルフ先生やノーム先生では考えられない暴挙だが、それだけ酒の恨みは激しいのだろう。ティンギ先生は知っているのに『あえて』討伐に参加せず、ラヤンを送りつけてきている。校舎の窓の奥から見ていたソーサラー魔術のバワンメラ先生と、招造術のナジス先生の姿はもう見当たらなくなっていた。
ムンキン党のバングナン・テパが両耳を立てて森の中を伺っていたが、すぐに7名の後方支援部隊に振り向いた。やはり攻撃に参加したかったようで、褐色の瞳には今ひとつ精彩がない。
「よし。それじゃあ、俺たちも始めるとするか」
バントゥ党から1人運動場に残ったコントーニャ・アルマリーが、幻導術の〔共有〕魔法を各種展開した。
「おっけー。全員の座標と魔力量、それに生体情報をリンク完了。魔力支援できるわよー、バンナ君」
「よし、開始だ」
森の中の索敵なのだが、これにはマライタ先生も参加していた。
彼はドワーフなので魔法ではなく、探査機器を用いて協力している。マライタ先生お手製の『使い捨て型無線機』をシャドウに運ばせて、森の中に配置していた。これによって、網目のような探査網と魔力伝送網を構築している。
この無線網を使う事で、遠く離れた運動場から効率的に魔力を討伐部隊に送り届けることができる。また、討伐部隊員それぞれの位置情報や行動、発言もリアルタイムで共有できる。法術〔治療〕に必要な、各個人の生体情報も常時観測されて共有されている。
この無線機は元々、森の泥を固めてそれに有機物を塗って、その上にウィザード魔法幻導術の〔念話〕回路をプリントしただけの代物だ。なので、一晩も経てばカビが生えてすぐに分解してしまう。森の妖精のパリーにも優しい仕様だ。
もちろん、パリーが自身の魔力でこれら全てを行うことも出来る。しかし、面倒なのか興味がないようだ。
実際、以前の飛族の集団をエルフ先生が撃墜した際にも、魔力支援が膨大すぎた。そのため、このような小規模なネットワークでの通信と魔力支援には、意外に適さないのかも知れない。それにパリーの場合は、生命の精霊場を使うので、ヒドラたちに〔察知〕されてしまう恐れもある。
獣人たちには常識だが、先生たちも文献を通じてヒドラについて知っている。そのため、敵であるヒドラについての基礎情報は、全員が〔共有〕しているので会話には上らない。
作戦も順調だ。森の中でパリーと合流して、サクサクと森の中を走るような速度で進軍していく。ペルとレブンのシャドウが先行して、森の中を索敵しているので可能な速度だ。
もちろん、パリーから森林内でのシャドウの使用許可は得ている。パリーも狩りイベントに喜んでいるので、あっけないほど簡単に了承してしまった。
「いいよ~。面白くなりそうだし~」
ヘラヘラと笑いながら即答していたパリーに、面食らうペルとレブンであった。のほほんとしているくせに、かなりバイオレンス好きなのだろう。しかも、細かいことは全く気にしないようだ。
索敵が終了したペルとレブンのシャドウが戻ってきた。すぐに敵ヒドラの位置情報を全員で〔共有〕する。他に、少数のアウルベア群とマンティコラ群も捕捉した。
エルフ先生がライフル杖を肩に担いで、こめかみを軽く指でかいた。両耳もピコピコと上下している。
「やれやれ……予想通り、森のあちこちに分散しているわね。一網打尽にするのは無理か」
シャドウが調べてきた敵ヒドラの位置情報によると、53匹のヒドラの位置情報が表示されている。100ヘクタールほどの森の中で、かなり分散しているようだ。各ヒドラの魔力量の情報も更新され始めた。
マライタ先生が丸太のような腕をブンブン振り回しながら、「フン」と大きな鼻息をつく。
「ワシらの酒を飲んで酔っ払って徘徊しておるのだろう。1匹たりとも逃さんぞ。この自動追尾ロケットランチャーを食らうがよいわ!」
パリーがジト目になって、口を挟んできた。
「こらあ~。森の木々を傷つけたら~私が許さないわよ~」
確かにその通りである。
ノーム先生が苦笑しながら、討伐隊に提案した。
「ここは当初の計画通り、皆で散開して、敵標的を至近距離から各個撃破していく戦術が適しているでしょうな。その方が、魔法攻撃の範囲指定を精密にできるので、森への被害も最小限に抑えることができます」
パリーを含めた討伐隊全員が同意する。
エルフ先生が告げた。
「それでは、ここで散開して敵を各個撃破しましょう。作戦状況は、この『共有マップ』で知らせて下さい。では、作戦開始」
パリーを除く討伐隊の全員が、放射線状に森の中へ走って見えなくなった。しかし、森の中に構築されている無線通信網のおかげで、誰がどこにいるのか容易に認識できる。運動場の魔力支援組も杖を掲げて、それぞれ魔法場サーバー、法力場サーバーに接続した。
魔力支援を得たので、森の中を〔飛行〕する事に切り替えた討伐部隊である。〔防御障壁〕も展開しているので、森の木々や藪も難なくすり抜けていく。
森の中なので視界は数メートルもないのだが、それも魔力支援と、シャドウによる地形情報のおかげで、木々を透過して1キロ先まで明瞭に〔知覚〕できている。頭の中では文字通り、見通しの良い風景が見えているのである。
たちまち、リーパットの腰巾着であるパランが負傷したという情報が、全員に〔共有〕された。まだ1分も経っていない。ムンキンがうんざりした口調で、森の中を〔飛行〕しながらコメントする。
「だから言ったんだよ。森の木に正面衝突って……ちゃんと〔防御障壁〕を張れよバカ」
エルフ先生が早速リーパットに通達する。
「では、リーパット君。あなたも一緒に退却してもらいます」
「ま、待て! 我はまだ1発も撃っていないんだぞっ」
リーパットの狼狽した返事に、冷たい声でバントゥが答えた。
「やはり、付け焼刃の魔力強化では無理ですね。ここは我々に任せなさ……げ」
バントゥも森の木に正面衝突したようだ。次いで、魚族のチューバも岩に激突する。その30秒後には最後に残っていた竜族のラグもマンティコラにぶつかって、そのまま踏み潰されたようだ。
結局、リーパットだけが最後まで残ったが……それもすぐにアウルベアに叩き落とされた。結局、ヒドラがいる位置までたどり着けた者はいなかった。
ため息をつくエルフ先生である。
「訓練をしていないと、やはりこうなるわよね……」
ムンキンやミンタが「ばーかばーか」と大笑いしているのを聞きながら、彼らを運動場へ強制〔テレポート〕させた。
「いた」
ペルが〔飛行〕しながら敵ヒドラを目標に捉えた。彼女は運動が苦手なので、自力ではこれほど俊敏には動けない。ましてや小回りの利く高速〔飛行〕など出来ないのだが、魔力支援により難なくできている。
簡易杖を前方へ差し出して、500メートル先にいるヒドラを〔ロックオン〕した。
敵の魔法適性と、現在展開している魔法である〔防御障壁〕の情報が瞬時に〔解析〕されて、杖の先に表示される。
「やっぱり生命と水、大地の系統には耐性が強いな。じゃあ、炎と風で組み立てようっと」
瞬時に敵の魔法適性の強弱をつかんだペルが、術式を発動させた。事前に準備していたのだろう。サムカの言いつけを守って、闇の精霊魔法は封印して使用しないつもりのようだ。
数秒後。ヒドラまで数メートルの至近距離まで飛び込む。この時に至ってヒドラもペルの襲撃を〔察知〕したようだ。10個の蛇頭が一斉にペルの方向に向けられる。が、それだけだった。
数メートルの巨体を誇るヒドラが、瞬時に炎に包まれた。周辺への延焼を防ぐべく、風による〔防御障壁〕が火だるまのヒドラを包み込む。ヒドラが暴れるが、それも風の〔防御障壁〕に抑えつけられて、どこにも逃げることができない。
「うん。これなら周りに火の粉が飛ばないな。じゃあ、温度を1500度まで上げて……っと」
ペルが〔浮遊〕しながら、簡易杖を軽く振る。それだけで、風の〔防御障壁〕の中の炎の色が、赤から青色に変わった。完全燃焼状態に移行している。
ヒドラは断末魔の叫びを上げているのだろうが、それも風の〔防御障壁〕に遮られて全く聞こえない。それどころか、これだけの高温の炎なのにペルは熱さを全く感じていないようだ。熱もかなり〔遮断〕されているのだろう。
2分後。風の〔防御障壁〕を解除すると、真っ黒い炭の塊になったヒドラの姿が現れた。炭すらも青い炎の中で燃えて、炭酸ガス化してしまったのか、思ったほど大した量ではない。ペルが再び杖を振る。
すると、まるで底なし沼に落ちたように炭の塊が、腐葉土で覆われた森の大地に沈んで見えなくなった。大地に飲み込まれたのである。
ヒドラがいた場所も炎で焼け焦げていたが、それも森の大地に飲み込まれてしまい、何事もなかったかのように跡形もなくなってしまった。
〔浮遊〕しながら、それを確認するペルである。
「よし。これならパリーさんも怒らないかな。じゃあ、次の場所に移動っと……あ。途中にアウルベア群がいる。ついでに駆除しておくかな」
その様子を木の枝にぶら下がって見ていた猿顔の原獣人が、何か文句を叫んで枝を揺らしている。ペルが愛想笑いを浮かべた。
「ごめんなさいね。騒がしいのもすぐに終わるから、少しの間だけ我慢してね」
すると、その猿顔の原獣人が大人しくなった。瞳をキラキラさせて尻尾をクルクル振り回している。
(あ。しまった)と思うペルである。狐族は『魅了体質』持ちなので、注意しないとこうなってしまうのである。
「ワカッタ。オトナシク、スル」
丁寧に返事までしてくるので、「コホン」と咳払いをするペルである。
「じゃ、じゃあね。それじゃ」
そのまま、再び〔飛行〕体勢になって飛び去っていく。見送る原獣人の視線を背中に感じて、反省するペルである。離れれば〔魅了〕効果も消えるので、放置しておいても大丈夫だろう。