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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
アンデッドと月にご用心
32/124

31話

【右将軍】

 大柄の貴族が、立派な馬に乗ってサムカたちの下へやってきた。身長は2メートルに達し、さらに筋肉質で骨太、顔も角ばっていて厳ついために、他の貴族や騎士たちとも印象がかなり異なっている。

「よお、不肖の愛弟子サムカよ。久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

 そう言って、巨漢の貴族が無骨な太い声で笑った。大きくて琥珀色の瞳が鋭く輝いている。


 その白い鉛白色の顔には、鋭く輝く赤紅色の大仏頭が良く似合っている。白い大きな歯を見せて笑う様子は、豪傑そのものの風貌だ。

 装備は長年使い慣れて、ほとんど体の一部になっているような印象のある実用本位の甲冑である。兜は背中のフックに引っかけられてぶら下がっている。鎧も兜も傷だらけで、さらに風化浸食を激しく受けていて、元々あった装飾や文様などがほとんど消えてしまっていた。 


 その巨漢貴族が、サムカの横にいるステワに目配せした。

「ここの御仁の尽力のおかげかな。この引きこもりに代わり、私から礼を申すぞ。こやつは、放置しておくと、また数百年間は王都に顔を出さないだろうからな」

 サムカがさすがにジト目になって、巨漢の貴族に文句を言う。

「トラロック師匠。わが師とはいえ、あんまりな物言いでございますね。これでも、領地での仕事が忙しいのですよ。今回は輸入果物や観光客誘致の件で、宰相閣下に呼び出されたので参上した次第なのですが」


 が、ステワはそんなサムカの言い訳を無視して、トラロックと呼ばれた大柄の貴族に馬を寄せた。

「右将軍トラロック閣下。このような田舎領主に、お声をかけて下さるとは何という心遣い。感謝に堪えません。南の国境はどのような戦況ですか。オークどもを散々に蹴散らしていると聞き及んでおりますが」


 トラロックが馬上から豪快に笑いかけてきた。

「がはは。ワシが南で好き放題に暴れられるのも、サムカたちが兵站を整えてくれているおかげだ。このパーティに参加するために、敵オークの部隊を数十ほど潰してきた。ワシが戦線に復帰するまでは、敵も回復できずにいるだろうから、何も気にすることはないぞ」


 そして、大きな琥珀色の瞳を輝かせながら、白い歯を見せ、自身の甲冑を《バンバン》と叩いた。

「そろそろ新品の装備に衣替えしなくてはいかんのだが、王都へ戻るのがおっくうでな。ここまで擦り切れてしまった。ワシも王都へ戻るのは10年ぶりになるか。このどんよりした雰囲気は久しぶりで、心地よいな。オークだらけの前線は生き物が多すぎてな。赤系統の鮮やかな色をした動物や、元気な植物ばかりで目が疲れるのだ」

 そして、サムカの顔を琥珀色の大きな瞳で、にこやかに見据えた。

「今回、我が不肖の弟子が王都へ顔を出すと、宰相殿から聞いてな。ワシもやってきたというわけだ。異世界に〔召喚〕される契約を結んだそうだな。そんな暇があるなら、オークや魔族どもを薙ぎ払いに南へ遊びに来い」


 サムカは軽く目を伏せて聞いていたが、ここでようやく視線を交わした。

「師匠。私は、ご存じのように出来の悪い弟子です。南へ向かいましても、兄弟子たちの足手まといにしかなりません。こうして、後方で兵站業務を手伝う程度が、私の小さな器に向いております。戦闘でしたら、ここにいる我が友人のステワ卿も優れておりますよ」


 悪びれも恐縮もせずに、その友人が胸を張ってサムカに返事をした。

「まあそうだな。金勘定ばかりして、稽古不足でナマクラに成り果てているからな、サムカ卿は。撃ち合えば10回に1回程度は、ナマクラなサムカに勝てる自信はあるぞ」


 そんな容赦のない指摘を聞いたトラロックが、馬上から豪傑笑いをこぼした。馬も笑っているように見える。

「がはは。いかにもサムカらしいな。戦闘の勘はそこそこ良いものを持っておるのだから、積極的に外に出て討伐に加わっておればなあ。今頃は大隊長にはなっておっただろうに、もったいない。まあ、今の食料増産と経済活性化の手腕も見事だから、ワシとしては文句を言えぬよ。宰相殿のお気に入りの貴族というのも貴重だろうし。な」


 そう言ってから、少し考えるトラロック。

「稽古不足であれば、金星に飛んで現地の精霊を狩ればよかろう。不死だから狩り放題だぞ」

 精霊や妖精は不老不死に属するので、殺してもいずれ復活する。

 サムカが両目を閉じて遠慮した。

「ご助言は有り難いのですが……連合王国軍の訓練を邪魔する事になるかと。金星は軍事訓練場として人気ですから。射爆場も数多くありますし」

 地球では魔法場汚染が深刻になる魔法も、金星であれば遠慮なく使用できる。そのせいで死者の世界の金星は、獣人世界や人間世界よりも平坦だ。山や丘がことごとく攻撃魔法の的にされて〔消滅〕したせいである。


 ステワもサムカの遠慮に賛成している。

「そうだな、サムカ卿。金星をウロウロさまよっていたら、それだけで我が連合王国軍の邪魔になるからなっ」

「ぐぬぬ」顔になるサムカであったが、事実なので仕方がない。

 そんなサムカの様子を見ながら、ご機嫌な表情を浮かべるトラロックであった。


 そんなトラロックが話を本題に移してきた。やや、表情と目つきが真面目なそれになる。森の中で繰り広げられているワイバーン狩りが、そろそろ終わると見たのだろう。

「サムカの様子が分かっただけでも、こうして王都へ戻ってきた意味があったわい。さて。もう1つの用件だが、そろそろ御前試合の時期になる。いつもの3連合王国の対抗親善試合だが、今回はワシが出ることになった。左将軍のアックカル・ナラシュは前回出たのでな」


 ウーティ王国はファラク王国連合の加盟国である。左右将軍は、王国には属さずに独立して王国連合の連合軍を指揮しており、事実上ファラク王国連合の中では最強の軍団といえる。

 もちろん作戦命令は王国連合加盟国の国王たちによる会議によって決まるし、将軍の人事権もこの会議にある。


 実際の戦闘ではオーク兵の大部隊が、その物量で戦況を左右している。そのため、食料などの兵站が非常に重要になっている事は、他の異世界の軍と同様だ。

 アンデッド部隊も、死霊術による行動術式の〔調整〕や体の〔修復〕が必要なので、そのための機材の運搬のためにオークが従事している。サムカが以前話していたように、魔法による〔修復〕の方が、得体の知れない肉片や血液などの生体部品を使って〔補修〕するよりも効率的なのだ。 

 敵オークを殺して、その血肉でアンデッド兵をメンテするようなことはしていない。


 ただ、魔法を使う際に必要となる機材がかさばるために、その運送仕事が必要になっている。大量の死霊術場と残留思念を収集するために、巨大な掃除機のような機械を使用しているからである。

 その収集した魔力を〔物質化〕させて負傷部位を〔修復〕する作業にも、様々な触媒や溶媒を使用した方が効率が良い。その関連で、液体の溶媒や固体の触媒を持ち込んでいる。溶媒は使い捨てのものが多いので、荷物も増えるのである。


 また、貴族や騎士の武器や鎧、馬具の手入れも、結局はオーク頼りになっている。当然、魔法の装備ばかりなので、これまたオークが精神異常を起こさないように様々な防護服や装置に各種消耗品を必要とする。これまた荷物が増える。


 そのオークたちを支える食料供給は、前線で戦っている将軍ほど、その重要性を理解しているものだ。従って、サムカが治めている穀倉地域と良好な関係を維持することは、軍の能力の維持に直結する重要事でもある。


 その元締めであるウーティ王国の宰相には、将軍といえどもなかなか逆らえないものなのだ。なので、こうしてウーティ王国主催のパーティにも出席している。他の小国でのパーティには、当然ながら出席するようなことはない。


 さて、王国連合は他にも北と南に1つずつあり、政治外交ゲームで丁々発止のやり取りを延々と300万年間も続けている。

 南の国境付近で、長い間ずっとオークの独立王国群がファラク王国連合と互角に戦争を続けていられるのも、裏で他の王国連合からの支援を受けていればこそである。

 反対に南北2つの王国連合に敵対する勢力への軍事支援をファラク王国連合が裏で行っていることは、半ば公然の秘密ともなっている。

 もちろん、こうした裏の動きは決して表面化することはない。そのため白々しくもこうして定期的に、3連合参加の御前試合という親善パーティが続けられているのだが。


 そんな事情は、トラロックを始めとしてサムカや悪友貴族たちもわきまえているので、誰も何も言わない。

 右将軍が今回やって来た理由は、その御前試合に出場できる貴族や騎士を探すためだったようだ。

 パーティの余興のようなものなので、右将軍配下の腕利きを呼ぶほどではない。むしろ御前試合の間は、前線の監視と打撃戦力が低下してしまう。左将軍に文句を言われる事になる。


 トラロックが赤紅色の大仏頭を、表面が擦り切れて傷だらけの籠手で無造作にかいた。サムカを見て微妙な表情をしている。

「……暇なサムカにしようかと考えておったのだが、これは無理そうだな。確かに、稽古不足でナマクラになっておるようだ。ワシの弟子としては出すわけにいくまい。金星にコヤツを送り込んで鍛え直すには、少々期間が短いしな。半年前に気づくべきだったか」

 そして、サムカの隣で騎乗している悪友貴族を見つめた。

「ふむ。君の方が使えそうだな。親善試合に出てみるかね?」


 悪友貴族は喜色を素直に顔に表している。

「はい。ステワ・エアと申します。将軍閣下のチームに加わることができるのであれば、望外の喜びでございます」

 やや不満な表情のサムカであったが、特に何も言わない。事実、この悪友の方が試合には適していると認めているようだ。トラロック将軍もサムカの表情を横目でチラリと見て、かすかに口を緩めた。


 そこへ、一騎の貴族がトラロックのそばへ駆け寄ってきた。

「待たれよ、ご一同。私も話に加わろうではないか」

 その声を上げた貴族は身長190センチほどの長身で、雪色の真っ白い肌に、刈安色で緑がかった鮮やかな黄色の瞳をしている。肩下までのウェーブがかった赤銅色の髪が、木漏れ日を反射した。


 サムカよりも明らかに高級で手間がかけられている古代中東風のスーツに、黒地に金銀の派手な刺繍が施されたマントを羽織っている。宝石類を散りばめた装身具も悪友貴族より多く派手で、スーツを見事に彩っている。

 腰にはこれまた見事な大剣を吊るしており、鞘の装飾も派手で目を引く。剣自体からただならない魔力が漏れ出ている様子からして、魔法剣士なのだろう。腕に自信があるのか、従者は1人もついていない。


 その華麗な姿の貴族を一目見るなり、サムカと悪友貴族の機嫌が明らかに悪くなった。蜜柑色の瞳をジト目にさせたステワが、早速口を開く。

「何だ。金貸し屋が何の用だよ」


 そんな悪口には全く耳を貸さず、その貴族がトラロック将軍に馬上から丁寧に礼をした。

「トラロック右将軍閣下。私はコキャング王国の領主、ピグチェン・ウベルリと申す。そこのサムカ卿が治めるウーティ王国の隣に接する領地を任されております」


 トラロックが鷹揚にうなずく。

「うむ、紹介かたじけない。ワシの話を聞いていたようだな。卿も御前試合に共に参加したいのかね?」

 そして改めてじっくりと、その華麗な姿の貴族を見つめた。

「ふむ……確かに卿の実力も相当なもののようだな。少なくとも我が愚弟子のサムカよりは使えそうだ」


 サムカがジト目になるが、やはり何も言えないようだ。トラロックが豪快な笑顔を見せた。

「良かろう。これで2名確定だな。ワシを加えて3名、これで御前試合に臨むことにしよう」

「は、喜んで加わりましょう。右将軍閣下」

 悪友と隣国の貴族が同時に頭を下げて、恭順の意を示した。


 トラロックが白い歯を見せて笑いながら、琥珀色の大きな瞳をキラリと木漏れ日に反射させる。

「親睦のための、お遊び試合だ。引き分けになるシナリオに従えばよい。気楽にやってくれ。ワシの愚弟子のサムカが参加するとなれば、名声目当てで真剣勝負も起きるかも知れぬがね。ま、こやつはナマクラなので参加辞退ということにすれば、いつもの緩い試合で楽しくできるだろう」


 どうやら、最初からサムカを誘うつもりはなかったようだ。単にサムカの顔を見に来て、からかっただけであった。そんな当のトラロックは気楽に笑ったままだったが、ふと、森の奥に視線を向けた。

「おう。数頭討ち漏らしたか。まあ、新米騎士と稽古不足の貴族では、詰めが甘いな」

 森の奥の様子は街道からは木々が邪魔で見えないが、気配を察したようである。サムカたち3名の貴族も同じ方向に顔を向けた。サムカが錆色の短髪を軽くかいて同意する。

「そうですね、師匠。ワイバーン3頭が飛んで逃げたようです。騎士たちの馬は速く飛行できない種類ですから追いつけず、追撃は無理でしょう」


 トラロックがサムカの言を聞いて、鋭く輝く赤紅色の大仏髪を同じように軽く片手でかいた。

「竜族とはいえ、ワイバーンを取り逃がすか……ドラゴンが攻め込んで来たら大変なことになるだろうな」

 そしてサムカの顔を見て琥珀色の大きな目を細め、白い歯を見せて笑った。

「サムカよ。お前が昔ドラゴンと戦った古戦場は、今も保存してあるぞ。魔法場が面白い状態に変化してな、闇魔法場がかなり弱い。おかげでオークどもの良い休養地になっておるわい。仕出かした責任者として一度見にやって来い」


 サムカが微妙な表情になる。

「私を〔ロスト〕しようとして、闇魔法場を無効にする空間を作ったのでしたよね、あのドラゴン。しかし、そのせいで奴自身が因果律崩壊を起こして〔消滅〕してしまいました。今もどこかで元気にしているのでしょうかね」

 ステワがサムカの『のんびり』した話しぶりに、半ば呆れている。

「おい、サムカよ。あのワイバーンが飛び去っていく方向、卿の領地だぞ」


 それを聞いて、ようやく慌てるサムカである。ピグチェン・ウベルリも、ステワの隣でニヤニヤしている。

「日頃怠けているから、この距離では仕留められないか。サムカ卿の領地にいる騎士であれば3頭くらいなら対処できるだろうが、他の業務に支障が出るかもな」

 サムカが渋々、ステワに藍白色の白い顔を向けた。

「むう……こうなるのであれば、私も狩に参加していれば良かったか。確かに、もうかなり遠くまで飛び去ってしまったようだ。私の攻撃魔法では届かないな。済まないがステワよ、私の代わりに仕留めてくれるかね」


 トラロックが呆れた表情になる。

「師匠の目の前で白旗を揚げるか。まったく、サムカは割り切りがはっきりしすぎだな」

 サムカも少し恥ずかしそうに、錆色の前髪を片手でかく。

「自分の器量は『わきまえている』つもりでございます。実際、稽古不足は事実でありますから。ここで私が意地を張って追撃に失敗すれば、状況はより悪くなる事でありましょう。我が友人に頼むほうが成功する確率が高いのであれば、私は迷わず頼みますよ」


 ステワがまんざらでもない表情で、片手をワイバーン群が飛び去っていった方向に向けた。もちろん、森の中で視界が遮られているので、飛行中のワイバーン群の姿は見えない。

「そういう奴だよ、卿は。後でワインを1杯おごれよ。炭酸ガスがモリモリ湧き出ているやつな」


 そして無造作に、攻撃魔法を発動させた。

 といっても闇魔法なので、光も炎も何も発生しない。ステワが突き出した片手の先の空間が、闇に包まれたように見えただけであった。


 すぐに雷鳴のような低い轟きが伝わってきた。ステワの攻撃により、ワイバーンが3頭とも〔ロスト〕されて、存在そのものが最初から無かったことにされた。そのワイバーンが占拠していた空間が、因果律の乱れから潰れたので起きた『時空震』である。光速で伝わる空間の揺れだ。

 因果律の修正によって術者を含めて記憶も修正され、〔ロスト〕魔法を放ったことだけが記憶として残り、ワイバーンのことは記憶からも〔消去〕されていく。

 しかし、そこはリッチーの場合と異なる。より魔力の低い貴族の魔法なので、〔消去〕も時間がかかる上に完全ではない。そのため、ステワが忘れる前にサムカに早口で告げた。

「〔ロスト〕した。ワイバーン3頭な。ワイン1杯をおごれよ、サムカ」


 サムカが〔消去〕されつつある記憶とは別に、このセリフを記憶する。〔ロスト〕魔法を発動させた後なので、改めて記憶をやり直しているのである。

 貴族の魔力なので、記憶が消えるまでの時間も長い。そのため、記憶のやり直しをする余裕がある。リッチーが行うような〔ロスト〕魔法では、ここまでの時間的な余裕はないが。


「了解したよ。発酵はピークを過ぎつつあるが、まだまだ微生物の活性は高いままだ。お気に召すと思うよ」

 一方で森の奥からは、騎士たちの狩り完了の歓声が漏れ聞こえてきた。

 彼らからは、逃げた3頭のワイバーンの記憶は先ほどの〔ロスト〕魔法のせいで〔消去〕されてしまっている。記憶のやり直しもしていないので、ほぼ完全に忘れてしまっているようだ。


 トラロックが満足そうな表情でステワを見つめた。

「うむ。敵目標までは40キロ以上あったが、一撃で〔ロスト〕できたか。さすがだな。これなら、御前試合も面白くなるだろう」


 一方の隣国の貴族は、大いに不服そうな表情をしている。実は彼も、サムカと同じように稽古を怠けている口だったので、何もできずにいたのだった。

 トラロックもそのことは察しているようで、穏やかな表情のままで彼にも顔を向けた。

「御前試合は、遠距離戦ではないから気にするな。パーティの余興の1つに過ぎない『遊び』だからな、勝ち負けよりも見栄え優先だ。演劇のようなものだと思えば良い」

 そして、そのまま愛馬の進む向きを変えた。

「では、詳細はまた後で知らせる。楽しみにしているぞ。では」


 トラロックが愉快に笑って、場を後にして駆け去っていった。狩りが終わったので、国王の下に戻ってパーティの続きをしなくてはならないためだろう。


 サムカがため息をついて、悪友貴族に礼を述べた。

「とりあえず、礼を述べておくよ。師匠のイビリがこの程度で終わって助かった」

 悪友貴族はニヤニヤしているままである。そのそばにいた隣国の貴族もニヤニヤしていたが、軽く咳払いをしてから馬の向きを変えた。

「さて……私も戻るか。では、ステワ卿。また後で会おう。サムカは残念だったな」

 サムカがジト目になって返事をする。

「うるさいな。稽古不足なのはピグチェン卿も同様だろう。御前試合までに鍛えなおすのであれば、私も協力する事にやぶさかではないぞ」


 隣国の貴族が明るく笑いながら、サムカの申し出を断った。

「ナマクラ同士で稽古しても意味はなかろう。もっとふさわしい相手と稽古するさ。サムカ卿はいつも通り、金勘定でもしておれ。ではな」

 ステワがニヤニヤしながら、サムカに蜜柑色の視線を送る。

「そうだな。サムカ卿と稽古するよりも、私とした方が効率的だろうな。サムカ卿は、うまいワインを用意してくれれば充分だ」

「お前らな……」

 呆れながらも口元を緩めるサムカであった。



 そうこうする内に、森の中から騎士たちが満足そうな表情で現れて街道に戻ってきた。〔ロスト〕魔法のおかげで、討ち漏らしたワイバーンのことは記憶から消されている。そのため、全頭を仕留めたと思い込んでいるようだ。

 だが、しょせんは貴族による〔ロスト〕魔法なので、完全に記憶が消されているのは騎士以下だけだ。貴族は皆、ニヤニヤして騎士たちの帰還を喜んでいる。


 王都所属の楽団が演奏を始めた。狩りが終わったので王城へ戻り、パーティを再開するのだろう。

 サムカと悪友貴族も愛馬の手綱を操り、街道を王城へ向けて引き返す。サムカの表情があからさまに曇ってきた。

「はあ……パーティか。芸術や詩歌集や歴史故事の話ばかりで苦手だ。宰相閣下との用事も終えたことだし、もう領地へ帰っても問題なかろう」


 ステワがサムカのグチを聞くなり、とたんに蜜柑色のジト目になった。体じゅうに付けている装飾品が打ち合って、鈴のような音を立てる。

「お前なあ……仮にも貴族なんだから、社交の知識くらいは最低限、頭に詰め込んでおけよな。〔圧縮記憶〕魔法を使えば、1晩で100年間分の流行と出来事は詰め込めるぞ。まったく……異世界の学校授業の組み立ては行うくせに、貴族の嗜みとしての知識は放置するかね。そんなことでは領主失格になるぞ」


 サムカもステワにそこまで言われると「ムッ」とした顔になった。藍白色の磁器のような額に1本の縦じわが刻まれている。

「興味がないと、詰め込み学習も面倒になるのだよ。ステワ卿。最近は、ハグの紹介で始めた異世界間のネット交流掲示板での書き込みが面白くてな」

「回線速度が絶望的に遅いから複雑な映像や術式は使えないが、文章の交換ならば問題ない。ウィザード語で通じるし、自動翻訳機能もある。掲示板の参加者は皆、私と同じ召喚契約者ばかりでな。共感できる悩みが多いのだよ。苦労しているようだ。まあ、憂さ晴らしに罵詈雑言を書き込む輩も多いが」


 ステワが蜜柑色のジト目のままでサムカの話を遮った。結構な真面目顔である。

「ちょっと待て。そんなことしてたら、さらに領地に引きこもって出てこなくなるだろ。それ、ハグの策略だぞ。卿が領地に引きこもって外出しなくなればなるほど、〔召喚〕しやすくなるからな」

 サムカが「ハッ」とした表情になった。

「う。まさか……いや、しかし、ハグならば有り得るか。やはり、リッチーとは恐るべき智謀の持ち主なのだな」

 再びステワが電光石火の速攻でツッコミを入れた。

「いや。リッチーの智謀とか関係ねえから、それ。オークでもできるぞ」


 同時にハグ人形が、森の木々の枝先から「ポトリ」とサムカの頭上へ落ちてきた。ハグの魔法場を〔察知〕したサムカの顔が途端に険しくなる。

「おい、ハグ。今は貴族の狩り交流会の最中だぞ」


 ハグ人形が構わずにサムカの錆色の短髪頭の中で、手足をバタバタさせた。縫い目が目立たなくなった顔をのぞかせて口をパクパクさせている。手足の動きから察するに、平泳ぎか何かをしているのだろう。

 そういえば、目玉代わりの黄色いボタンも新しくなっている。

「そんな物言いはリッチーへの差別発言になるぞ。やあ、悪友貴族のステワ君。ごきげんよう」


 ステワが爽やかな笑顔をつくりながら、癖のある鉄錆色の髪を優雅に森のそよ風になびかせ、ハグ人形に仰々しく会釈した。マントの中で色々な物が涼やかな音を立てる。彼の愛馬までステワに同調して、両足を折り曲げている。

「これはこれは、召喚親元殿。いつもサムカ卿の異世界での武勇談をして下さり、心が癒される日々でございますぞ。ハグ殿のおかげで、最近は充実した毎日を送ることができます。感謝を申し上げますよ」


 面白くなさそうな顔をしているのは、サムカだけであった。

 彼の愛馬ですら、主が時々煙のように背中から消えていなくなる事を楽しんでいるようだ。ハグ人形の姿を首を傾けて見て、歯を見せて低くいなないた。意外にも、この人形は馬には好評のようである。

「それで、何か用かね。急用以外は受け付けかねるぞ、ハグ」


 そんなサムカの無機質な声色には、全く動じないハグ人形だ。髪の中から浮き上がって、手足をパタパタさせた。

「急用かどうかは、サムカ卿に委ねよう。先程、魔法学校のソーサラー魔術のテル・バワンメラ先生から知らせが入ったんだよ。君の教え子たち3人が、無事に〔テレポート〕魔術を習得したとな」


 サムカの表情が和らいだ。髪をハグ人形にいじられているが、特に何も言わない。

「ほう、そうかね。それは良かったな。だが、そんなことは今知らせる必要はないだろう」


「……お前さん、ソーサラー魔術の教育指導要綱を読んでいないだろ」

 ハグ人形が呆れたような声で、サムカの鼻先までフワフワと浮遊しながら下りてきた。「うぐ……」と声を詰まらせるサムカに、容赦なく話を続ける。

「〔テレポート〕魔術ってのは、『魔術刻印』や『記憶している場所』へ瞬間移動する魔術ってことぐらいは知ってるだろ、サムカちんよ。オマエさんもよく使うからな。それで教育指導要綱ではだな、術者が最初に〔テレポート〕する指定場所は、生まれ故郷ってことになってるんだよ。魔術刻印じゃ試験にならんし、記憶も学校内じゃ近すぎて簡単すぎるからな」


 サムカがおとなしく聞いている……という事は、彼はソーサラー魔術の部分の教育指導要綱をよく読んでいなかったようだ。ハグ人形がサムカに腕を指し伸ばした。

「君の教え子3人はこれから、それぞれの生まれ故郷へ〔テレポート〕していく事になるわけなんだが……「お前さんも行ってみてはどうかね?」っていうソーサラー先生からの提案だよ」


 ここまで説明されて、ようやく理解したサムカであった。

「おお、そういうことか」

 馬上で膝を打ってうなずいている。ステワが同じく馬上から、白い鉛白色の顔でニヤニヤしてサムカを見やった。

「ほう。家庭訪問かね。生意気に先生みたいな事を……土産は何でもいいぞ。サムカ先生の記念日だからな」


 しかし、当のサムカは少々戸惑っているようだ。師匠のトラロックが去った方向を見て、ハグ人形に山吹色の視線を戻す。

「だが、今は抜けるわけにはいかん。右将軍の弟子が勝手な行動をするのは気が引ける。困ったな」


 ハグ人形がぬいぐるみの右手を振り上げて、サムカの鼻頭にチョップした。「パフ」と音が鳴る。

「おいおい。ワシはリッチーだぞ。お前さんの意識体をコピーして、3体くらい異世界へ飛ばすことなんか造作もないんだがね。ほれ、こんな風に」


 サムカの許諾も同意もとらずに、いきなり魔法を行使するハグ人形である。「おい、コラ」などとサムカが文句を言うが、お構いなしにサムカの体から意識体を引っ張り出して、それを無造作に3つに裂いた。

「ちょ、ちょっと待て、コラ……!」

 サムカがさすがに慌てて何とかハグ人形に抗おうとするが、全くの無駄であった。何も手出しも邪魔もできないまま、ハグ人形によって3つの意識体が完成する。サムカ本人には全く影響が出ていないのが、癪に障る。


 ステワも面白がって、声を殺して肩を細かく震わせている。周辺の貴族や騎士たちも、ようやく異変に気がついたようだ。サムカとその周りに出現した3つの半透明な意識体に視線が集まってきた。


 ハグ人形が頭をフリフリしながらステワと視線を会わせる。上機嫌のようだ。

「まあ、簡単に言えば、お前さんの『生霊』だ。自立型にしたから、魔力提供は不要だぞ。こいつらが自動的に魔力補給するから。お前さんには特に何も悪影響は出ていないはずだろ? ん?」

 サムカが山吹色の瞳を閉じて藍白色の眉間に深いシワを寄せ、低い声でうなずいた。その通りなので悔しい。

「う、うむ……まあ、そうだな。『アンデッドの生霊』とか、もう何でもありだな。では、私の代理として、こいつらを送り込むのかね?」


 ハグ人形が晴れやかな声色で口をパクパクさせ、サムカの鼻を使ってリンボーダンスを始めた。

「うむ。向こうの獣人世界に送り込んだ後で、〔実体化〕させてやろう。幽霊みたいなままじゃ、家庭訪問先で騒動になりかねんからな」

 確かにそうだ。サムカがダンス中のハグ人形に同意した。この上もなく鬱陶しいダンスを鼻先でされているが、握りつぶしたり、剣で両断したりせずに我慢している。サムカもずいぶんと成長したものだ。

「仕方がない。では、頼むぞ。くれぐれも粗相のないようにな、ハグ」


「まかせておけ。んじゃ、送り込むぞ。パパラパー!」

 ハグ人形の合図と同時に、3体のサムカ意識体が消えた。ハグ人形もついでに消える。


 心配そうに森の中から空を見上げるサムカである。意識体が戻ってくるまでは、サムカのコントロール下から外れている。意識体が見聞したことや行動記録が、リアルタイムで得られない。何か失態をしでかさないか不安でいっぱいのサムカであった。




【魔法学校】

「うわわわっ!? テシュブ先生が3人だとお!?」

 ソーサラー魔術のバワンメラ先生がいきなり登場した3人のサムカを見て、尻餅をついて驚いている。自慢の盗賊ヒゲも、驚きで毛羽立ってしまっている。その隣ではペルとレブン、ジャディの3名も同じような状態になっていた。


 同時に登場したハグ人形が愉快そうな声を上げている。3人並んでいるサムカのうち、中央のサムカの錆色の短髪頭の上で、あぐらをかいて見下ろしていた。

「サムカ本人は、ちょうど王族パーティに参加中でな。代わりにサムカの意識体を3つ作り出して持ってきた。ちゃんと〔実体化〕させているから、このまま好きなサムカを連れて故郷へ〔テレポート〕してこい」

 が、まだ驚いている最中で動けない生徒たちである。


 腰を抜かしていたソーサラー先生が、ようやく四つん這いになりながらも体を起こしてハグ人形を大きな紺色の目で睨みつけた。無意識のうちに乱れた口ヒゲを、撫でて整えている。

「こ、こらアンデッド人形! 〔分身〕魔術は、大量の魔法場を周辺から〔吸収〕するので危険なんだぞ。下手すれば、生徒たちの生気まで吸われて昏倒することになる……って、あら? こいつら〔分身〕じゃないな」


 ツンツンとサムカたちの体を指でつついて、首をひねるソーサラー先生である。中央サムカの頭の上で逆立ちを始めたハグ人形が、ため息をついた。

「やれやれ。こいつらは〔分身〕じゃないぞ。サムカの意識エネルギーを、そのまま〔物質化〕させただけだ。行動に必要な魔力は死霊術場から取り出しているから、君たちには何の影響も出ないはずだが」


 実際その通りで、先生や生徒たちには全く影響が出ないようだ。ほっとするソーサラー先生である。しかし悔しそうで、整えたばかりの口元のヒゲがまたバサバサに跳ねていく。それをまた整えながら、口を尖らせた。

 力場術のタンカップ先生ほどではないが、彼もかなりの筋肉美な体をしている。オシャレな口ヒゲと、それに続く盗賊ヒゲには変なファッションセンス感すらある。今は毛羽立っているが。

「ま、まあそうだな……では、ペル、レブン、ジャディ。初〔テレポート〕実習を許可する。それぞれの故郷へ〔テレポート〕して、10分後にここへ戻ってきなさい」

「はい、先生」と、元気に返事を返す3人。驚いていた顔はすっかり高揚している。


 すぐにそれぞれが1人ずつサムカを選んで、その裾を片手でつかんだ。とりわけジャディが感極まった声を上げている。が、いつものことなので皆、無視しているが。

 ジャディも普段であれば、ここで背中の翼を羽ばたかせて暴風被害を発生させるのだが……ハグ人形がいるので今回は非常に大人しい。ペルとレブンが顔を見合わせて、少し微笑んだ。


 サムカ3人衆の姿は、ハグが言ったように意識体エネルギーを単に〔物質化〕しただけだ。本物のサムカが着ていたような古代中東風の礼服姿ではない。とりあえず、土中に数十年ほど埋まっていたような古着を着せただけで、ハグの趣味に従っている。それはつまり、かなり見ずぼらしい服装と、絶望的なファッションセンスということと『等価』であった。

 ジャディはウキウキしているのだが、ペルとレブンは微妙な表情だ。


 結構なドヤ顔をしているハグ人形が、サムカの頭から浮き上がった。そのまま空中に浮遊しながら、寝そべり態勢になる。

「あ。一応補足するが、そのサムカどもは自立行動できるとはいえ、単純な自我しかないぞ。〔分身〕ではないのでな。いわば出来の悪いゴーレムみたいなものだ。簡単な会話しかできないぞ」


 そして、ペルが裾をつかんでいるサムカの鼻頭をコツンと叩いた。

「よきにはからえ」

 サムカが機械的な声を発した。ハグ人形が再び鼻頭を殴る。

「よきにはからえ」

 ペルたち3人の表情が曇り始めた。まさか……

「よきにはからえ」

「よきにはからえ」

「よきにはからえ」

「よきにはからえ」

「よきにはからえ」

「よきにはからえ」

 以下略。


「殿じゃねええええええええっ! ただの人形じゃねえかああああ!」

 ジャディが真っ先に切れて暴れはじめた。暴風がソーサラー先生の教室の中で発生し始め、窓ガラスが鋭い軋み音を上げて、イスと机が浮き上がり始めた。

 3体のサムカ人形がバタリと倒れて、暴風に巻き込まれて床を転がっていく。慌ててジャディを取り押さえるペルとレブンである。

「ちょ、ちょっと落ち着いて! ハグさんに見られてるからっ」


 レブンの一言で、「ひ」とか何とか声を発したジャディが硬直した。暴風がたちまち消滅する。安堵したペルが薄墨色のジト目視線を、空中で呑気に浮かんでいるハグ人形へ向けた。

「ハグさん! こんな人形を連れていったら、かえって騒ぎになります」

 レブンも同じような視線をハグ人形に向けている。彼の場合は相当に魚顔に戻ってしまっているが。

「そうですよ。僕たちを笑い者にする気ですか。っていうか、会話すらできていないし!」


 珍しく大声を上げて抗議するレブンだったが、ハグ人形には通じていないようだ。ぷかりと空中に浮かんで遊泳しながら、のんきな声で鼻歌を歌っている。

「世界をまたいで、サムカちんの姿を送ってやったというのに。文句しか言わぬとは。こんな芸当はウィザード魔法使いでも、なかなかできないぞ。せいぜい声だけとか幽霊みたいな映像だけしか、別世界へ送ることができないものだ。もしくはワシのような人形に〔憑依〕させることくらいだぞ」

「その方が、まだマシです」

 レブンが即答する。完全にセマン顔になっているのでマジなのだろう。さらに、

「ドワーフ技術の方が高性能ですよ。マライタ先生とかティンギ先生は、現地合成のクローンですし」


「うぐぐ……」となるハグ人形であった。何か反論しようとしたが、口を数回パクパクさせただけでガックリとうなだれて床に落下した。

「くそう、くそう! 覚えておれよ、この魚め! ちくしょうううう、オマエのカーチャンでべそーっ、うわあああん」

 泣きながら負け惜しみのセリフを吐いて、ハグ人形が消滅した。


「逃げた……」

 あっけにとられているペルの横で、ジト目のレブンが腕組みをする。

「僕は魚族で卵生だから、ヘソなんかないんだけどな」

 途端に元気になるジャディである。

「お! 奴め逃げたのかよ! ばーかばーか」


 こういった騒ぎは実はソーサラー先生は大好物なので、ニヤニヤして見守っていたが、決着がついたので満足した表情になった。

 はしゃぎ始めるジャディの周辺の空気圧を10分の1程度まで減らして暴風発生を予防しつつ、3人の生徒たちに向き合う。ジャディは鳥の肺組織を持っていて、少々減圧されたくらいでは酸欠にはならない。今も気にせずにはしゃぎ続けている。「なるほど、こういう暴風制御方法もあるのか」とメモを取るレブン。


 ソーサラー先生が先生らしい口調で3人に告げた。

「では、そのサムカ人形を連れて故郷へ行って、再びここへ戻りなさい。10分後に会おう」




【ジャディの故郷】

 そのジャディは、サムカ人形を引き連れて故郷の巣へ〔テレポート〕した。

 そこには一面の大森林が眼下に広がっていた。所々にそびえ立つ高木の枝には、同じ飛族の巣が点在している。

 廃材や板に枯れ枝などを樹脂で固めた質素な造りで、見た通りの鳥の巣である。雨よけのために、枯れ枝や落ち葉を樹脂で固めて屋根に加工している点が、一般の鳥の巣とは異なるくらいだろうか。

 今は寒さ対策のために、分厚い草マットが床や壁に貼りつけられている。飛族は羽毛で覆われているので、この程度の風よけで充分なのだろう。


「おお。すげえ。ばっちり成功だぜ」

 ジャディがサムカ人形を『それなりに丁重に』応接用のイスに座らせて、背伸びをする。

 たちまち、周辺の高木の枝にある巣からジャディの仲間が「ギャーギャー」喚き散らしながら飛び立って、こちらへ飛んできているのが見えた。その数はざっと300羽というところだろうか。


 ジャディが立派な羽毛で覆われた鳥胸を張って、巣の端に立ってふんぞり返った。ちなみに服装は、肩丸出しのタンクトップシャツに半ズボンのいつもの姿だ。シャツが膨らんだ羽毛に内側から押されてパンパンになっている。

「野郎ども! ジャディ様のご帰還だぜ! ぶっ飛ばされたい奴は、どいつだあああっ」


 高速で飛んできている300羽が一斉に雄叫びを上げた。全員のようだ。その中には、ジャディの家族や親戚も交じっている。

 早速、100羽ほどがエルフ先生直伝の〔レーザー〕魔法を放って攻撃を開始してきた。が、ジャディに命中しない。闇の精霊魔法の〔防御障壁〕のせいで、測位が狂わされているせいである。


 そんなジャディの顔が不敵に笑った。同時に彼の周辺に、風の渦が発生し始める。その中心は暗闇で何も見えない。

「よおおし、また羽をむしり尽してやるぜ。親と親戚どもも覚悟しな!」




【レブンの故郷】

 レブンはその頃海中にいた。姿が人魚のように変化している。片手にサムカ人形をつかんでいるが、さすがアンデッド。呼吸をしないので海中でも全く問題ない様子だ。それを確認するレブンである。結構海流が強く、岩場の海藻やウミシダの群生が揺らいでいる。

「よし。無事に予定座標への〔テレポート〕完了、と。サムカ人形も損傷なしだ」


 亜熱帯の海中なので、見事なサンゴ礁が海底をどこまでも覆い尽くしている。ほとんどがテーブルサンゴで、直径は少なくとも10メートルはあるものばかりだ。

 そして、文字通り山のような姿の石サンゴが、テーブルサンゴで覆われた海底から生えている。かなり立体的な風景で、テーブルサンゴ同士も幾重もの層を形成している。


 サンゴとサンゴの隙間の底には真っ白いサンゴ砂が堆積していて、海面から降り注ぐ日光を反射してまぶしい。

 サンゴの最上部は海面すれすれまで迫っているが、最深部の水深は20メートルほどだろうか。無数の魚が舞い踊り、クエなどの大型魚が悠然と泳いでいる。文字通り魚だらけの海だ。


 レブンがかなりの高速でサンゴ礁の海を進んでいく。姿はセマンのままだが、肺をエラ構造に戻して、脇腹に大きな排水用のスリットが生まれている。これにより、水中での呼吸も自在だ。

 さらに、足先が大きく平坦になり、ダイビング時に装着する足ヒレのような形状になっている。水の精霊魔法を発動させているので、普通の大型魚並みの機動性だ。

 この航行でサムカ人形が、かなりヨレヨレになってしまったのを反省するレブンである。

(〔防御障壁〕で囲むのを忘れてた。すいませんテシュブ先生)


 サムカ人形が口をパクパクさせたが、「マウマウ」という音しか出せなくて声にはならなかった。水中なので、陸上用の発声魔法ではうまく機能しないようだ。


 海中の一角に、一辺が50メートルほどの生け簀が見えてきた。上端は海中に没していて、底は海底に接しておらず、中には無数の養殖魚が群れをなして回遊している。サバのようだ。

 他にも同じような巨大な生け簀があちこちに見え、レブンと似たような人の姿の魚族が作業をしている。


「よお、誰かと思えばレブンじゃないか。休暇かね」

 日に焼けて黒くなった顔の中年男が、無骨な手を振ってレブンを出迎えた。一緒に談笑していた他の魚族の男たち数名が、レブンの姿を見るなり嫌悪の表情になって逃げるように泳ぎ去っていく。しかし、レブンにとっては慣れたことなのだろう、気にしていない。


 レブンが丁寧に会釈して、男と握手を交わした。水中なので声も超音波に近い。クジラやイルカが互いに意思疎通する際に使う音波を、さらに複雑多様化させたものだ。

「はい。久しぶりですね叔父さん。〔テレポート〕魔術の実習です。10分ほどしたら、また学校へ戻らないといけませんが……お元気そうで良かったです。どうですか、サバやアジの様子は。イカも始めたのでしたよね」

 叔父がたくましい顔を少し曇らせた。

「まあ、概ね順調だがね。海賊どもが最近ちょくちょく出没していてな。町の自治軍との衝突が頻発してるよ。こちらまでやってこないと良いんだがねえ」


 レブンも笑みを抑えて真剣な顔になる。周辺の生け簀を見回し、はるか向こうの海中に向けて簡易杖を差し出して、水の精霊魔法による〔探知〕魔法をかけた。

「……今は、それらしき連中はいませんね。海賊って、やはりクラーケン族ですか? 叔父さん」

「まあな。連中は大食いだからな。魔法もぶっ放すし、面倒だよ」


 クラーケン族というのは獣人族の一種族で、海中を回遊している。イカ型で大きさは数メートルに達し、水の精霊魔法にかなり通じている。飛族のジャディが風の精霊魔法を得意にするように、様々な種族が特定の精霊魔法を使えるのである。

 彼らも飛族と同じくタカパ帝国には属さず、自由気ままな生活を信条としている。

 ただ、飛族と異なり大食いである。養殖業を営んでいる魚族の領海にたびたび侵入して、魚を略奪しているのが問題となっている。


 自治軍というのは、魚族が独自に編成運用している町単位の軍である。

 タカパ帝国から軍事物資の供与と技術支援を受けている。タカパ帝国軍は狐族中心で、水中戦闘は苦手だ。そのために、こうしてタカパ帝国軍の下部組織として組み込まれているのである。


 クラーケン族のような海賊行為を働く連中が多いので、海運の航路安全上でも彼ら魚族の自治軍は重宝されている。おかげで魚族の居住地は属国扱いではあるのだが、他の属国と比較してかなり優遇されている。税控除や免除を始め、各種の優遇措置があり、帝国民としての人権も認められている。

 ただ、教育制度は帝国の方針に従うことが義務づけられており、魚族の独自の言語や文化を学校で教えることは認められていない。また、自治軍への徴兵制度もあり、その間の数年間は仕事や学業をすることが禁じられている。唯一の例外が、レブンが通う魔法高校であった。


 その点では、叔父も誇らしく思っているようだが……やはり表情が少し曇る。

「レブンよ。お前は我ら支族の誇りではあるのだが、その、どうなんだ? 死霊術とやらの悪影響は」

 レブンが真っ直ぐな目で叔父を見つめた。

「専門の先生が赴任したんですよ。おかげで、かなり制御できるようになりました。今は、他の一般の魔法も使えるようになってきています。今回も、ソーサラー魔術の〔テレポート〕魔術をこうして習得しましたし。まだ油断はできませんが、着実に安定化してきていますよ。叔父さん」


 それを聞いて、叔父も少し安堵したようだ。無骨だが素直な笑みが再び顔に浮かんだ。

「そうか。期待しているぞ。じゃあ、中央役場へ行って来い。あまり時間がないのだろ。お前のことは俺から親兄弟親戚に知らせておくから、任せておけ」

 そして、先ほどから気になっていた物を見て指をさした。

「……で。この人形はなんだね」




【ペルの故郷】

 ペルは落胆しながらも落ち着いた顔で1人、畑のあぜ道に立っていた。大きなサムカ人形をしっかりと抱きしめている。人形というよりは、『よきにはからえボット』と化しているが。


 100メートルほど先には堀を伴った木柵の壁があり、狐族の自警団が数名ほど突撃銃を持って武装して、門と壁を警備している。その向こうには村があり、木造1階建てや2階建ての簡素な住居が門の奥に見える。簡易な城塞都市の様相といえる。辺境の村では当たり前の風景だ。

 しかし、門の奥に見える家は瓦屋根ではなく、板ぶき屋根が多い印象だ。帝都首都と違い、あまり裕福な村ではないのだろう。


 門と木柵に囲まれた村の表通りでは、狐族の子供が10名ほどボール蹴りをして遊んでいるのも垣間見えた。農民が結構ひっきりなしに門を出入りしていて、商人の姿も見える。


 ペルが立っている畦道あぜみちに接している畑は広く、狐族の小作人の姿も40人以上いる。今は冬野菜の手入れの時期で、カリフラワーやブロッコリー、ニンジンにキャベツといった作物がすくすくと育っていた。小麦は既に収穫が終了していて、切り株がよく目立つ広大な空き地になっている。

 ただ、それでもサムカの領地で見た、オークが耕作する農地面積に比較すると、大した広さではないのだが。


 畑には日陰で休憩するための木立があちこちに点在し、石造りの用水路もあって牧歌的である。小鳥の群れも多く、せわしげな鳴き声が四方から聞こえてくる。畦道あぜみちには農民や小作人、商人が行き交うので、簡易な石畳の道になっている。しかし、誰もペルに話しかけたりしていない。見ようとすらしない者もかなりいる。


(それでも、魔法高校へ入学できてから変わったよね。それまでは、石とか投げられてたし……)

 ペルが落ち着いているのは、そういった背景があるせいもあるのだろう。今もまだ、小石などが時々投げられてきてはいるが〔防御障壁〕を展開して弾いている。


 そんなペルの顔がパッと明るくなった。門から2人の狐族が出てきて、こちらへ走ってくる。ペルと違って走るのが速い。これが本来の狐族の身体能力なのだろう。

「ただいま! お父さん、お母さん」




【サムカの居城】

 1時間後。サムカの居城の執務室に、3体のサムカ人形が戻ってきた。1体は海水に濡れてヨレヨレである。


「ふむ……なるほど。我が教え子たちの家庭環境も複雑なようだな」

 サムカが執務室の自分のイスに腰掛けて腕組みをしながら、サムカ人形が記録した情報を自身へ〔転送〕している。隣にはハグ本人もいて、床から10センチほど浮かんで眺めていた。相変わらずのファッションセンスである。

「まだパーティは終わっていないのかね。まったく、これだから貴族どもは」

 ハグが文句をサムカに垂れている。口調がハグ人形時とは別物だ。何というか威厳らしき雰囲気がある。


 サムカが軽く肩をすくめて、錆色の短髪をかいた。

「仕方があるまい。これが貴族のつきあいだ。私も、すぐに王城へ〔転移〕して戻らないといけない。師匠が来ているからね」


 そして、報告を全て自身に入力し終わり、サムカ人形を全て〔消去〕した。ついでに石畳の床に残った水たまりも〔消去〕する。

「ペルさんは、村の中に入ることはできなかったか。余程、闇の精霊魔法とやらは忌み嫌われているのだなあ。次回の〔召喚〕では、何か私がしてやれることがないか聞いてみるとしよう」


 ハグが淡黄色の目を半分閉じてサムカを見た。

「難しいだろうな。300万年かけて築き上げられた悪い印象は、そうそう簡単には変わらないだろう。法術の連中がまず反発する。エルフやノームも同様だろう。安易な慰めは逆効果だぞ」

 ハグの口調が少し寂しげなものになった。

「ワシもペル譲の実家を見に行ったが、ゴミ捨て場にされておったよ。落書きもあった。それでも、親は娘の帰郷を喜んでいるのだ。悲観することはあるまいよ。地道に魔力のバランスをとりながら成長していけばよかろう。どうせ寿命は我々よりも、はるかに短いのだ」


 そして、サムカに少しいたずらっぽい視線を投げた。床と壁が少し軋む。

「サムカ卿が思慮を以って接することを希望するよ。村を消し去っても無意味だぞ」

「そのようなことくらいは、分かっておるよ」

 サムカが頭をかいた。少しは思っていたらしい。そして、ハグのせいで軋み始めた床と壁をソーサラー魔術で〔補強〕する。効果を確認してから、次の話題に移った。


「レブン君も困難な人生を歩みそうだな……やはり死霊術も危険という印象を受けるようだ。魚族の町では就職は難しいかもしれんな」

 ハグが軽くうなずいた。この程度の動きであれば、執務室へのダメージは出ない様子である。

「死者を操る魔法だからな。どう考えても一般会社への就職には厳しいだろうよ。彼の町と実家へも行ってみたが、ペル譲ほどには嫌われていないようだがね。いざとなれば、彼の叔父の養殖手伝いで暮らせるだろうさ」

 サムカも同意する。ハグが1つ指摘した。

「海賊のクラーケンどもだが、レブンの隣町でも襲撃事件が起きておる。結構な量の財宝や食料が、略奪されておったよ」


 サムカが再び腕組みをした。ハグの話の方が情報量が多いというのも考え物である。

「そうかね……魔力のバランス次第だが、海賊を追い払える程度の魔法は、使えるようにしてやりたいものだな。最後にジャディ君だが……」


 ハグがニヤリと微笑んで、指をクルクルと回した

「あの乱闘で、見事に200羽ほどを丸裸の鳥肌にしたそうじゃないか。さすが武辺者サムカ卿の弟子だよ。飛族は『強者が正義』という社会だから、あれはあれで良いのかもな。勝ったおかげで、彼の親兄弟が調子に乗ってカツアゲなどをやり始めているようだが。その点だけジャディ鳥にきつく言っておけば良いだろう」

 ハグの提案を聞いて、サムカも賛同する。

「そうだな。彼が住む森は、パリーが支配する森でもあるからね。飛族内部で抗争が起きれば、パリーが介入して余計に面倒な事態に発展しかねない。こんなところかな」


 サムカが窓の外に視線を向ける。軽くため息をついて、ハグに視線を戻した。

「では、私はまた王城へ戻るとしよう。あと数日間はパーティにつき合わないといけないからね。では、また何か起きれば呼び出してくれ、ハグ」

 そう言って、〔転移〕して消えるサムカである。それを見送ったハグが軽く肩をすくめた。

「おいおい。客のワシを放置して消えるかね」


 入れ替わりに執事のエッケコが執務室へ入ってきた。全くそつのない入室のタイミングと動きである。

「ハグ様。紅茶の用意が整いましてございます。ご一服なさいますか」

 ハグが小さくため息をつきながらも、執事に微笑んだ。

「そうだな。今日の銘柄は何だね」


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