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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
アンデッドと月にご用心
31/124

30話

【シャドウ使い誕生】

 サムカの錆色の短髪の上で、ハグがトランポリンのジャンプみたいな真似をしながら、話を続ける。

「武器や魔法の出力だけでは、戦闘の優劣は決まらないものだからな。作戦の優劣で決まることが多いものだよ」

 行動はともかく、セリフはマトモである。

「ともあれ、君たち3人のシャドウの出力は充分に強力だ。さらにステルス機能もゴーストとは比較にならんほど高性能だからな。即戦力と言ったのは、そういう理由だからだよ。そこらのチンピラや盗賊相手なら、造作も無く制圧できるだろう」


 サムカの髪の上で、ハグ人形が前方3回転ひねりを見せて「ポフ」と音を立ててサムカの脳天に着地した。しかし、着地姿勢が今ひとつだったようで数歩ほどよろめいているが。

「ただ、戦闘行為よりも、この世界では災害救助や危険作業の代行の方に使われるだろうな。むう、足の操作感覚に若干の違和感があるか。要修正だな」


 サムカがジト目になって黙っているのをよい事に、ハグ人形が再び髪の上で跳ね始めた。

「ワシもざっと、この世界を調べてみたが、君たちほどの死霊術使いはいないな。ほいっと。シャドウ使いは恐らく、この世界初かもしれん。ほいっと。警察や軍の特殊部隊員でも、魔法世界からの出稼ぎで、ゴーストやスケルトン、ゾンビ使い程度ばかりだからな。ほいっと。その魔法世界でも、シャドウ使いの数は少ないはずだ。君たちのシャドウであれば、ほいっと、先日の狼バンパイア程度なら滅することができるだろう。その主のカルト派貴族が相手では、まだ無理だが。よし、着地成功じゃ! どうよ」

 再び、前方3回転ひねりをして、サムカの脳天に着地した。今度は1歩だけよろめいただけだ。


 しかし、サムカを含めて3人の生徒からの反応は素っ気ないものだった。ある程度は、既にサムカから聞いていたせいもあるだろうか。


 思ったような反応が返ってこないので、ハグ人形が少し落胆してしまった。

「何だ。サムカから聞いていたのか。まあ現状では、君たち生徒の魔力ではシャドウが限界だな。精進して魔力を高めることができれば、さらに上のクラスのアンデッドも〔使役〕できるようになるだろうが」

 レブンに顔を向ける。

「レブン君は、頑張れば数年後には『スペクター』程度までは扱えるようになれそうだが、その上の『ファントム』のクラスは厳しいだろうな。生者ゆえの限界という奴だ」

 レブンも初めて聞くようなクラスだったので、首をかしげているばかりで反応がない。それを見て、さらに落ち込むハグ人形である。

「うぐぐ。会話というものは難しいな」


 ハグ人形がサムカの髪の上で悶絶して、手足をジタバタさせている。それを放置しながら、サムカがジト目のままでハグの話を言い換えた。

「『スペクター』は、『騎士見習い』みたいなものだ。実体化を好まない者もいるのだよ。隠密行動とか諜報活動を希望するアンデッドもいるのでね」

 しつこくハグ人形が手足をバタバタさせているのだが、なおも放置するサムカであった。


「『ファントム』は、スペクターの上位互換で、『騎士』みたいなものだな。両者とも実体を持たないので市民権は無い。騎士のように領地を統治することに興味がなく、戦闘だけを求める者がなる。部下を持たないファントムがほとんどだな。部下を持つと装備や住居手配などで金がかかるから、それを面倒がるのだよ」

 なおもしつこくハグ人形が、サムカの髪の上でジタバタしている。次第に不機嫌な表情になっていくサムカ。


「……そして、ファントムの中から充分に魔力を高めた者は、貴族として認められる。だが、貴族になると社交の場に出ることが増える。それを嫌って、貴族にならずにファントムのままの者がほとんどだが」

 ついにサムカが手を伸ばして、頭の上で駄々をこねているハグ人形をつまんで投げ捨てた。床に「ボトリ」と落ちたのだが、それでも手足をバタバタさせている。

 軽くため息をついたサムカが、話の続きをした。

「つまり、ファントムを〔使役〕できるということは、騎士を〔使役〕することに近しいのだよ。私のような貴族ですら、騎士とは『主従』契約を結んでいて、『使役』契約ではない」


 サムカが生徒たちの反応を見て、「コホン」と小さく咳払いをした。

「ああ……補足しておくが、使役契約ではファントムが使用する魔力の全てを、契約主が負担する。主従契約では、それはファントムによる負担になるな。無論、主人が必要に応じて魔力支援をすることもあるがね。まあ、そのような強力な魔力を使えるような生者は、ドラゴンや巨人に魔神くらいだろう。だから、ハグの戯言だと聞き流すのが良いな」


 先程まで床に転がって駄々をこねていたハグ人形が、跳ねるように飛び起きた。

「アンデッドでは、ワシのようなリッチーになるかなっ」

 サムカの指摘に、ハグ人形は全くひるんだり悪びれたりする気配がない。さすがリッチーである。このあたりの社会性というか、常識がない。


 いきなりの魔法講義になっていたが、そこはレブンであった。そつなくメモ帳にガシガシ書いている。速記能力も大したものだ。今は生徒たち全員が、〔空中ディスプレー〕での自動〔記録〕をする魔術を習得していたのだが、レブンだけは手書きメモを併用し続けている。




【古代語魔法】

 サムカが話し終わって1呼吸ほどしてから、レブンが好奇心の瞳を輝かせながらハグ人形に質問した。

「ハグ様。貴重な情報をありがとうございます。テシュブ先生の話によると、ハグ様は基礎古代語魔法を使えるほどの、高位の魔法使いなのですよね?」

 ハグ人形が胸を張っている。かなり得意気だ。レブンが質問を続ける。

「授業でも一応講義はあるのですが歴史の話ばかりで、実際の魔法は今まで見たことがありません。ミンタさんだけは、特別に実習授業を受けているようですけど。僕たちが習っているような魔法とは、何が違うのでしょうか」


 ハグ人形がサムカの錆色の短髪頭の上で、再びポンポン跳ね跳びながら、口をパクパクさせて答えた。

「そうだな。古代語魔法というのは、魔法使いどもによる便宜上の分類に過ぎない。300万年前の魔法大戦で使用された、危険すぎる戦略兵器魔法を『総称』したものだ」

「かく言うワシも300万年前の大戦後に誕生しているから、実際に使用された魔法なのかどうかは知らん。今では、ウィザードどもが使えない高度な魔法全般を指すように変わってしまったな」

「ワシが使える魔法も300万年前の魔法ではないが、ウィザード連中には使いこなせない魔法なので、古代語魔法に分類されているという現状だな」


 レブンが速記メモしながら、ハグの話にうなずいている。

「なるほど。ウィザード先生では使いこなせないほどの、高い魔力の魔法全般を意味するのですね。でも、古代の魔法という事ではない、と」

 ハグが含み笑いをこぼして話を続ける。

「ふふふ。まあ、そういうことだな。魔法というのは、科学や法則で説明できない事象を生じさせる行為を指す。高度すぎて分類できない魔法は、それを表現する言葉もないのだよ。言葉で表現できるような程度の魔法は、その程度の魔力しかないのでな」


(そういえば、テシュブ先生が使う貴族の闇魔法も、考えた事が具現化する魔法だったっけ)と思い出すレブンだ。(日常的に使う魔法も含めて、これといって特に魔法を命名している訳ではない)とも言っていたなと、メモ帳のページを素早くめくって確認している。

 手慣れているせいか、手元の〔空中ディスプレー〕画面で起動している、自動〔記述〕魔法の履歴や単語検索をするよりも早い。


 サムカもハグの話に興味を抱いたようで、注意して聞き始めた。ハグ人形の口調が、次第に軽妙になってきているようだ。

「さて。便宜上、古代語魔法も基礎と応用に主観で分類されている。魔力の大きさ、というか、魔法の効果の大小で適当に分けられているな。ちなみにワシのようなリッチーでは、基礎古代語魔法しか使用できない。それ以上の強力な魔法は、ワシの存在では支えることができないのだよ」


 リッチーといえば絶大な魔力を誇る存在として有名だ。アンデッドの世界では最強とも言えるだろう。

 そのリッチーが呆気なく力不足を認めたので、生徒たち3人が驚いた様子で注目していた。レブンに至っては、サムカの顔とハグ人形の顔とを交互に見ている。


 ハグ人形が更に調子に乗った口調になってきた。

「基礎古代語魔法で代表的なものは、世界間移動魔法だろうな。ゲート魔法とも呼ばれる。召喚ナイフの起動術式もソレをウィザード魔法に簡略化させたものに当たる」

「昔は、世界間通信も基礎古代語魔法だったそうだが、今ではウィザード魔法や精霊魔法に簡略化された術式が発明されているな」

「ゲート魔法も、貴族数名が組めばそれなりに代用できるまでには簡略化されてきている。先日のカルト貴族の侵入は、残念ながら他のリッチーが親元の召喚ナイフによるものという線が濃厚になってきているがね。どのリッチーが協力したのかは、不明のままだ」


「なるほどー」

 レブンが速記メモしている隣で、ペルとジャディも目を好奇心でキラキラさせながらハグの話を聞いている。

 ペルが首を少しかしげて、ハグに質問してきた。

「ハグ様。応用古代語魔法は、どのような魔法なのでしょうか?」


 ハグ人形が腕組みしながら答えた。どこまで述べて良いのか、考えながらの話しぶりに切り替わっていく。

「ワシも詳しくは知らんが、基礎古代語魔法でも上級のものは、世界〔改変〕や物理法則の〔調整〕ができる。なので、その延長線だろうな。世界を作ったり、壊したり。物理化学法則を新たに作ったり、無くしたり。そのようなものだろう」

「術式を記述する言語も、基礎古代語魔法では、九次元対応の神代語で何とかなるんだがね。応用古代語魔法ともなると、全ての次元に対応した神代語を使うことになる。ワシの魔力でも演算しきれない膨大な情報量を扱うから、魔神でないと使用は無理だな。他にはドラゴンや巨人という連中くらいか」


『魔神』と聞いたサムカが口元を緩めた。速記メモをしているレブンは気がついていなかったようだが、ペルとジャディがサムカの反応を見て視線を交わす。

 死者の世界の創造主である魔神は、放任主義だと何度かサムカがグチめいてこぼしていたので、色々と貴族として思う所があるのだろう。


 ハグ人形もサムカに続いて、口調をやや柔らかいものに変えていた。

「ワシや貴族が使う〔ロスト〕魔法も、ある意味で世界〔改変〕の魔法だ。規模は非常に小さくて狭いがね。その〔ロスト〕魔法が際限なく強力になったようなものを使う……と想像すれば、当たらずとも遠からずだろう」

 ジャディが全身の羽毛を見事に逆立てて、まん丸な羽毛の玉になっている。やはり経験者は違うようだ。


 ここでハグ人形の口調が少し自虐的なものになってきた。

「この、世界〔改変〕魔法だが、かなり難しいのだよ。世界を〔改変〕した際に、術者本人が改変後の世界に馴染めなくて『異物』となってしまう場合がある。そうなると、改変後の世界から排除されてしまうか、対消滅みたいに存在そのものが消えてしまう」

「その失態で〔消滅〕してしまったリッチーが、実はかなり多い。300万歳以上のリッチーがほとんどいない理由も、それが大きいようだな」

 もはや、サムカまでもがハグの話に聞き入っている。


 ペルがさらにハグ人形に質問を重ねてきた。

「ハグ様も闇の精霊魔法を、ご使用なされていますよね。でも、私が使っている魔法とは、何か根本的に違う印象があるのですが……それも基礎古代語魔法だからでしょうか」


 レブンとジャディが、ペルに顔を向けた。

「そうなのか? ペルさん。僕には違いは分からないよ」

「はあ? 精霊魔法なんだから、同じだろう。殿が最初の授業で見せてくれたように、最上位精霊を使えるかどうかの違いなんじゃないのかよ」


 サムカは薄々感づいているようで、微笑んだまま黙っている。頭の上のハグ人形が口をパクパクさせた。

「ほう。さすがペル嬢だな。サムカちんが『騎士見習い』相当だと評価するだけの事はあるようだ」


 思わずハグ人形から褒められたので、照れているペルである。そのまま、ハグ人形が話を続ける。

「実際に闇の精霊魔法を使いこなしていくと気づくが、他の精霊魔法と『根本的に違う点』がある。ペル嬢は、それが何か分かるかな?」

 ペルがおずおずと両耳を前に伏せながら、伏し目がちに答えた。

「あの……精霊の姿も気配も感じられないのです。闇の精霊って、本当は『いない』のではないでしょうか。他の精霊魔法では、精霊の上位存在として妖精がいますけど、闇の精霊魔法では、妖精の気配も全く感じられません」

 それを聞いて、ハグ人形とサムカが同時に微笑んだ。 


 サムカは黙ったままなので、ハグが答える。

「しばし待て。この先ワシが話しても世界に影響が出ないかどうか調べておる……うむ、問題ないな。その通り。『便宜上、いる』事にしているだけだ。そうしないと、これも古代語魔法に分類されて危険視されてしまうのでな」


 驚愕の表情になる3人である。サムカが微笑みながら補足説明した。

「性質上は、精霊魔法に『似た振る舞い』をしているから、同類にしているだけだよ」

 ハグが口をパクパクさせて両腕をブンブン振り回しながら、サムカの言葉に同意する。

「だな。魔法は本来、説明がつかないものだと言っただろう? 分類して理論立てて術式を組み立てる事ができるような魔法は、実は大した魔力は持たないのだよ。だから、ウィザード魔法や精霊魔法は、我々アンデッドが使う闇魔法に大変苦労する羽目になる」


 ここで、いったんハグ人形が口を閉じて、数秒間ほど動きを完全に止めた。言っても問題ないのかどうか、念入りに調べているようだ。

 その作業が終わったのか突如、ハグ人形が動き始めた。話もいきなり再開される。

「ワシが説明できる範囲で答えるとだな……闇の精霊魔法というものは、『真空』と密接な関わりを有していると言えるな。実は、真空自体は何もない空間ではなくて、エネルギーに満ち溢れているものなのだよ」


 レブンを除いた生徒たちが『理解不能』というような表情になった。

 サムカが「コホン」と軽く咳払いをして、軽く右手を上げてハグの話を中断させ、補足説明を始めた。

「君たち生徒が学ぶ魔法は、教育指導要綱に沿ったものだ。そこでは、死霊術は他のウィザード魔法と同じく、死者の世界の誰かと契約を結んで魔力供給を受けるという事になっている」

 サムカの口調が少しだけ軽くなる。

「魔神殿は当てにならぬので、ハグのようなリッチーと契約する場合がほとんどだ。召喚ナイフ契約もそうだな。私のような貴族が魔力供給する事も多いらしい。金星旅行で経験しているような感じだな」


 確かに言われてみればその通りだ。ジャディは今もハグを警戒しているようだが、ペルとレブンは素直に納得している様子である。サムカが1呼吸置いてから、話を続けた。

「しかし現実には、レブン君もペルさんもジャディ君もそのような契約はせずに、『自力』でゾンビやゴーストを作り出せている。つまり『別の原理』も存在するということだ」


「あ。そうか」と、互いの顔を見合わせる生徒たちである。サムカがさらに話を続ける。

「さて。闇の精霊魔法だが、実際には、そのような精霊は『存在しない』。これも『別の原理』があるということだね。実はこの2つの魔力源は共通しているのだよ。それが、教育指導要綱にも書かれている『暗黒物質』だ」

「これについては、教科書と参考書に書かれているから後で読んでおきなさい。後日、『暗黒物質』について私が質問して、君たちが理解できているかどうか確かめてみよう」


「うへ~……」となる生徒たちである。サムカが少し頬を緩ませる。

「だが、暗黒物質は特殊ではあるが物質だ。エネルギーではない。教育指導要綱を書いた者は、我々貴族やリッチーではなくて、生者のウィザードやソーサラーにノームだ。故に、ここに誤解というか理解の及ばない領域があるのだよ」

「まあ、暗黒物質もエネルギーを帯びてはいるし、魔法を使って暗黒物質をエネルギーに〔変換〕することもできるが、やはり主たる魔力源ではない。あくまでサブ魔力源だな。しかし、我々以外の生者が通常使用するような、初歩的な死霊術や闇の精霊魔法であれば、このサブ魔力源だけでも充分に使える、という事だ」


 ハグ人形が空中水泳をしながら口を魚のようにパクパクさせ、サムカの解説に礼を述べた。

「うむ。サムカちんが話した通りだ。おかげで、ワシが話すことができる部分も少し多くなったな。その『主たる魔力源』について、この世界秩序に差し障りが生じない範囲で軽く話すとするか……エヘン、コホン」


 レブンの明るい深緑色の両目が、キラキラと好奇心で輝き始めた。ペルも同様だ。ジャディはそれほどでもないが。レブンが手を挙げて、発言の許可をサムカからもらう。

「暗黒物質については、ちょっと予習してきました。ほかのどの物質やエネルギーとも相互反応を起こさない物質ですよね。つまり、この何もしない物質が存在する空間を無と捉えて、虚無のエネルギー場と定義することで、死霊術や闇の精霊魔法の魔力源に使うという事だったかと。確かに『かなり無理がある定義』です」


 ジャディは全然理解できていない様子だが、なぜか堂々としている。後でレブンとペルから聞けば事足りると思っているのだろう。一方のペルは薄墨色の瞳を白黒させながらも、両耳をパタパタ動かして集中して聞いている。

 レブンが一息ついて、自身の気持ちを落ち着かせた。

「ソーサラー魔術の魔力源は『真空のエネルギー』だそうです。ウィザード魔法や法術に精霊魔法は、専用の魔力場サーバーや、契約者からの提供で魔法を発動させていますが、ソーサラー魔術にはそれがありません。術者自身が真空とチャンネルをつなぐことで魔力を得ています。おかげで術者の技量に大きく依存して不安定ですが」


 サムカが少し口を挟んだ。

「真空からエネルギー供給を受けて魔力に〔変換〕する方法は、確かに不安定だな。実務上では信頼性が低くなるので、時間をかけて習熟する必要がある。ゾンビの時から始めて、騎士見習いまで至る間に習得するということが標準かな。騎士からは安定して使えるようになる」

 ハグが手足をパタパタ動かしながら、サムカの頭の上で円を描いて移動し始めた。かなり挙動不審な動きである。そんな動きをしながら、ハグ人形が話を始めた。

「だが、逆説的なのだが、その真空を満たしているエネルギーを『排除』していくことで、闇の精霊魔法と呼ばれる『事象』が発生するのだよ」


 口をあんぐり開けて聞いているペルだ。レブンも思わず魚顔に戻ってしまっている。唯一、ジャディだけは鼻歌を歌って堂々としているが。

 ハグ人形がこの三様の反応を見て、愉快そうな口調になった。

「もちろん、ペル嬢が使っているような魔法は、わずかしか排除していない。実際の魔力というかエネルギーは、真空のエネルギーに頼っている。その、ちょっとだけ排除した行為が、ソーサラー魔術ではなく、闇の精霊魔法としての〔発動キー〕になっているのだよ」


 ペルが目を白黒させて驚いている。

「そ、そうだったんだ。闇の精霊場って、ソーサラー魔術で使う『真空のエネルギー場』だったんだ」

 ジャディもその点だけは理解したようだ。

「なるほど。だから、ソーサラー魔術を使える奴は、闇の精霊魔法も使えることが多いのか。森の奥にいるような化け物連中は、そんなのばかりだもんな。〔石化〕魔術を使うコカトリスも闇の精霊場を帯びているし」

 サムカも腑に落ちるところがあるようだ。

「なるほどな。魔族にもそんな傾向がある」


 ペルがキラキラした好奇心一杯の瞳で、ハグ人形に話を促した。ハグ人形も面白く感じてきたようで、話を嬉々として続ける。

「なるほどな。教師というのも面白いものだな。さて、これでペル嬢も気がついただろう。一般的な闇の精霊魔法は、実はソーサラー魔術の『変形』だ。〔発動キー〕だけが闇というだけだな。死霊術も同様だ」

 ソーサラー先生が怒りそうだが……

「一方で、ワシやサムカが使う闇魔法は、真空からエネルギーを『排除』していくことで発動させている。今までワシやサムカが闇の精霊魔法、というか闇魔法を様々使用したのを見ただろうが、空間や物質、エネルギーを文字通りに〔消去〕していただろう? 低エネルギーになった真空は、低くなった分だけ、触れるもの全てを『真空のエネルギー』に変換してしまうんだよ」


 サムカが大きくうなずいた。

「その通りだな。ハグよ、教師になれそうだな」

 ハグ人形が照れる仕草を見せた。ペルの薄墨色の瞳に、黄色いボタンの目を向ける。

「ペル嬢の闇の精霊魔法の適性というのは、この低い真空エネルギー状態の空間を、魔力で作り出せる能力の『強弱』を指す。今現在は、まだまだソーサラー魔術の手法である『真空のエネルギー』をそのまま使っているから、我々の魔法との『違和感を感じている』ということだよ」


 ペルが何とか理解しようと頑張っている。

「え、ええと。方法論が『逆』ということなのかな。私も真空のエネルギーを『削っていく』ように魔力を育てていくべきなのですよね?」


 ハグ人形が優しい口調で答える。

「そういうことになるな。まあ、ペル嬢は気がついていないだけで、サムカが提供している闇の精霊魔法の術式は全て、『真空のエネルギーを使う』ものではなくて、逆の『エネルギーを削る』ものだ。我々が使う闇魔法を簡略化させたものだな。今まで通りに精進していけば良い。死霊術も同様だ」


 ペルが意表をつかれたような表情になってサムカを見る。

「そ、そうだったんだ」

 サムカがうなずいた。

「まだ今の段階では、真空のエネルギーを多く使う形式だけどな。比率としては、削ったものが1で、真空のエネルギーが1万という割合だ。だから、ペルさんが我々の魔法と違うと感じるのは正しい」

 サムカが軽く肩をすくめて微笑む。

「とはいえ、かくいう私もハグほどには闇魔法を使いこなせてはいないのだがね。通常、私が使う闇魔法は、削ったものが1で、真空のエネルギー由来が10程度の混合割合だ。ハグの場合では真空のエネルギーは、ほぼ使用していない。それほどに、真空のエネルギーを低くする術は難しいものだ」


 ハグ人形がここでパタパタ動作を止めて、じっとペルたちを見据えた。

「真空からエネルギーを排除して『本当の真空』にしていくほど、闇の精霊魔法というか闇魔法の魔力は、飛躍的に強くなる。死霊術では、本来動かない死体が動いて自我を持つようになるまでに育ち、世界の法則を歪めてしまう。ワシのようにな。だけど、それは『全てを無に帰す』魔法でもあることを覚えておくことだ」


 明らかに厳しい口調に変わったので、3人の生徒たちも緊張した表情になった。サムカも真面目な表情になったのを、ハグ人形が頭の上から確認する。

「『全てを無に帰す』魔法である闇魔法は、ワシがこれまで確認できた理論上『完全な真空』ができた時に無限大の魔力になる。無限大の魔力を制御する術は原理的に存在しないものだ」

 ハグ人形の声色から、色と温度が急速に消えていく。

「つまり、エネルギーゼロの完全な真空を生み出した瞬間、世界がその真空に飲み込まれて、光速の速さで『消滅』してしまうのだよ。『真空崩壊』と呼ばれる現象だ。恐らく、世界創造と破壊を司る応用古代語魔法が、それなのだろう」


 おぼろげながらも、ペルは直感的に危険性を理解したようだ。黒毛交じりの尻尾が見事に逆立ってしまい、竹ホウキ状態だ。顔じゅうの細いヒゲも全て四方八方に向いてしまっている。隣のレブンとジャディは、今ひとつ理解できていない様子だが。


 そんなペルにハグ人形が、ゆっくりと口をパクパクさせた。

「まあ心配せずともペル嬢やサムカちん『程度』の魔力では、そんな事にはならないから安心せい。ワシの計算では、そんな魔法を起動させるには、太陽を包んでいる磁場程度の巨大なエネルギーを、スターターのスターターとして使う必要があるのでな」


 それを聞いていたペルの目が、焦点を軽く失っている。混乱しているようで、黒い縞模様が刻まれたフワフワ毛皮の頭がゆっくりとコマのように回転している。

「た、太陽って……太陽の磁場に接続するなんて、それだけで途方もない魔法だと思います」


 レブンも同意している。彼は何とか今は、魚顔には戻らずに耐えているようだ。

「そんなことができたら、それだけでこの世界というか地球を丸焼けにできると思いますよ。ハグ様」

 ジャディはドヤ顔になって、困ったようにニヤニヤ笑っている。彼は余裕である。

「だよな。太陽風の精霊を見たけど、ありゃあ正真正銘の化け物だぜ? ハグの旦那でも、あいつらを〔使役〕するなんて無理だろ」


 しかし、ハグ人形は不敵な笑みをジャディに返してきた。

「リッチーという種族を甘く見ては困るな、そこの『鳥』。地球を丸焼けにすることくらいなら造作もないんだがね。だが、そんなことをすると、上位の応用古代語魔法を使う魔神どもから怒られて、罰として強制〔ロスト〕させられてしまうから、やらないだけなんだが」


 まだ不審の眼差しの生徒たち3人に、サムカが曖昧な笑みを口元に浮かべて説明する。

「ハグの言ったことは、恐らく本当だ。君たちの魔力ではまだ実感できないだろうが、ハグ本体の魔力は途方もなく巨大なのだよ。あまりにも強大すぎて、この世界に出現するだけで災害を引き起こしてしまう。だから、こうして人形を操って、それを通じて君たちと接しているのだ」

 ハグ人形が偉そうにふんぞり返った。サムカが無視して話を続ける。

「ちなみに、ハグ本体は恐らく死者の世界にいるはずだ。そこから世界をまたいで、この世界の人形を操っている。古代語魔法というものは、それほどの代物なのだよ」


 そう言われても、当然ながら理解できていない生徒たちである。サムカ自身がリッチーほどの魔力を有していなく、古代語魔法を使うことができないので、彼自身も充分に理解できていないから当然ではある。



 レブンが授業の残り時間を確認して、ハグ人形にもう1つだけ質問をした。

「すいません、ハグ様。もう1つだけ。この学校でも古代語魔法の授業があるのですが、そこで教えられている歴史内容と、ハグ様の教えとが違う気がするのです。説明できない魔法全般を古代語魔法と呼んでいるという説明でしたので、一応はそれで納得してはいるのですが……」


 ハグ人形がサムカの頭の上で寝転んで答えた。飽き始めたようだ。

「そりゃそうだな。ワシはアンデッドだ。この学校の先生はクモだろ。生きている存在だから当然、生命の精霊場の影響を強く受けている。ついでに光もだな。立場が違えば、当然だが使える古代語魔法も異なる。君たちはアンデッドではないから、クモ先生の教えの方が身につきやすいと思うぞ」


 ある意味、元も子もない言い方である。が、ペルが「ポン」と手を合わせて納得した表情になった。

「ああ、そうか。だからミンタちゃんが、クモ先生の授業を一番に理解できているんだ」


 ハグ人形が同意した。銀色の細い毛糸で出来ている、人形の髪を整え始めている。

「だな。ミンタ狐の魔法適性はズバリ、光の精霊魔法だ。加えて、エルフ先生の愛弟子でもあることから分かるように、生命の精霊魔法にもすこぶる適性が高い。その系統の基礎古代語魔法の解説を理解できるのも、まあ、当然といえば当然だな」


 ペルとレブンが素直に納得しているのを微笑ましく見て、ハグ人形が話を続ける。

「まあ、君たちにはまだ理解が難しいとは思うが一応、説明するとだな。クモ先生の教える基礎古代語魔法は、ワシが使う魔法とは全くの『別物』だ。この世界は基本的に、エネルギーも物質も拡散希釈されて、エネルギー準位が低くなって劣化していく。最終的には真空のエネルギーになってしまうのだよ。ワシの魔法は、それを『加速』させる方向だな。最終的には真空のエネルギーすらも無に近づける」


 当然のように理解できていない様子の3人の生徒だが、構わずに話を進めるハグ人形であった。

「が、例外が2つだけある。『重力による集合』と、『生命活動』だ。クモ先生は生命活動の方だな。『世界創造』の系統だと呼べば想像しやすいか」

「身近な魔法で置き換えると、〔回復〕魔法や〔修復〕魔法が、世界創造の系統の末端にあたる。法術も一応そのグループに含まれるが、信者だけの思念場を用いるから『いびつ』で応用が利きにくい欠点がある。修得するなら、生命の精霊場を直接扱う精霊魔法の方が、発展性は高いとワシは思うよ」


 アンデッドのリッチーから、法術ではなく生命の精霊魔法を学ぶように勧められたので、面食らっている3人の生徒だ。サムカも思わず吹き出したが、気にせずに話を進めるハグ人形であった。

「もう一方の重力は、ワシもよく知らん。大地の精霊魔法や石化、塩化、錬金といった系統の大元締めだという認識程度だ」


「へえ……」と、聞き入っていた3人の生徒たちとサムカに、ハグ人形がいつものおどけた口調に戻って、空中に時計のディスプレーを表示させた。

「さて、時間だな。サムカちんは〔召喚〕が終わるまで、いつものタイムラグがあるから、適当に時間を潰しておいてくれ。ワシは先に帰るよ」




【ウーティ王国王城でのパーティ】

 サムカも話していたが、貴族ともなると、死者の世界の王国で開かれる社交パーティに頻繁に呼ばれる。サムカの場合は、参加しても得るものが少ないので何かと理由をつけて欠席し、代わりに悪友貴族のステワに押しつけていた。


「それも、とうとう年貢の納め時になったわけだな。サムカ卿」

 自らの愛馬に騎乗したステワが、隣で同じように自身の愛馬に乗っているサムカに軽口を叩いた。

 相変わらずのサムカよりも、ステワは少し派手目な装飾や刺繍が施された、古代中東風のスーツにマントの姿である。癖のある鉄錆色の髪は、今回は少しだけ整髪されている。


 その蜜柑色の瞳に映し出されているサムカは、これも古代中東風のスーツにマント姿だ。しかし先日、〔召喚〕先で大地の精霊の攻撃を受けて穴だらけにされてしまったので、今回は古着で代用している。もちろん、執事のエッケコが出来る限り仕立て直してはいるのだが、ひいき目に見てもやはり古着である。


 そんなサムカをニヤニヤしながら見るステワだ。

「合同の狩りパーティに出席するのは、かれこれ30年ぶりになるかな、サムカ卿? 卿の引きこもりも相当なものだなあ。代理参加し続けている私の身にもなれよな」


 悪友に言われて渋々、サムカも馬上から反論する。

「引きこもってなぞ、おらんぞ。農園仕事や貿易実務が忙しいので、こうしたパーティに参加する余暇をつくれないだけだ。今回も、陛下に献上した果物の評判が良くなければ、わざわざ参加なぞしておらぬ」


 ステワがジト目になって首を振りつつ、サムカの真面目くさった顔を横目で見る。

「サムカよ。土いじりも程々にしろよな。貿易仕事だって、オークに任せれば済む事にわざわざ首を突っ込んでいるだけじゃないか。隊商の護衛とか、商船の警備とか、保険会社や警備会社の訓練指導とか……貴族がやるような仕事じゃないぞ」

 一気に畳みかけるように言うステワである。が、サムカが「ムッ」とした表情になってきたので、方針を少し変えることにしたようだ。

「……まあ、我々貴族は、金勘定や農作業に牛飼い仕事には『本当に疎い』ことは認めるけどな。宰相の内政指示も、何を言っているのかよく分からぬのが率直な感想だ。多分サムカ、お前だけじゃないかな。宰相とまともに会話ができそうな貴族っていうのはさ」


 悪友ながら親友でもある貴族にそう言われて、サムカが微妙な顔になって両目を軽く閉じた。

「顔を合わせるたびに同じことを言うなよ。卿の意見は、しっかりと頭に刻んである」

 そして両目を開けて、自身の服装を調べ始めた。黒マントや古代中東風のスーツみたいな服の、裾や縫い目に目を向ける。

「それはそうと。この衣装だが、古着の仕立て直しなのだ。パーティの場には耐えることができそうかね?」


 ステワがニヤリと微笑んで、サムカが話し終わる前にうなずいた。

「大丈夫だ。卿は引きこもりの田舎貴族だと、ウーティ王国全ての貴族が理解しているからな。野良作業着で駆けつけても問題ないぞ」

 さすがにサムカがジト目になった。

「おいおい。そこまでひどい立場なのかね、私は」


 ステワが蜜柑色の目をつぶってウインクし、白い鉛白色の顔でニヤニヤしながらうなずいた。

「何だ。今頃、気づいたのかい?」

 ニヤニヤしながら指を鳴らすステワである。サムカよりも少し派手なマントの中で、様々な宝石がついた装身具が涼やかな音を立てた。

「心配無用だ。おしゃれな私がついているからな。卿は武芸では、将軍にも一目置かれているのだ。武辺者が見苦しい姿をしているのは、恥ずべきことではないさ。古着でも結構。虫食い穴があいていなかったり、カビで変色していなければ、卿なら許される」


 サムカのジト目が厳しくなる。

「お前な……まあ、卿がそう言うのであれば、私も気にしないことにしよう」

 サムカが前を向く。そして、少し首をかしげた。

「それはそうと、『狩りパーティ』と聞いたのだが、どこで行うのかね?」



 国王と共に、サムカたちは総勢100名余りの集団でそれぞれの愛馬に騎乗して、ゆっくりと森の中の街道を進んでいた。貴族の他には国王直属の近衛兵隊と、オーク兵に各種のアンデッド小隊がつき従っている。

 街道は事前に狩りの知らせが行き渡っていて、人払いが完了していた。そのため道端には、ここの住民のオークや隊商の姿は見られない。


 ステワがサムカと同じ方向を俯瞰しながら、鷹揚に答えた。

「そろそろだ。偵察部隊の知らせ待ちだな」


 確かに、パーティ一行の進みが急に遅くなった。街道の両側に広がる森は手入れがなされているので、地面まで日差しが差し込んで明るい。雑草などの下生えも適度に刈り取られているので、街道からでも森の奥10メートルまでは見通しが利く。サムカの領地にある狩り場の森のようにゴチャゴチャとはしていない森だ。


 馬の歩みが遅くなると、それを待っていたかのように3人のオーク人夫が引く人力車が1台、後方からやってきた。その人力車に優雅に座っているオークが、サムカに声をかけてくる。

「これはテシュブ領主様とエア領主様。狩りパーティへのご参加、ありがとうございます」

 宰相のワタウイネである。

 宰相は乗馬が出来るのだが、彼の主義で人力車での遅くて不自由な移動方法に固執している。もちろん、周囲に貴族や騎士などがいない場では、移動時間の短縮のために乗馬して移動しているようだが。


 ステワが位置を変えて、サムカと宰相とが並行して走るようにする。丁寧な会釈をする宰相に、サムカが穏やかな表情で声をかけた。

「ワタウイネ宰相閣下。わざわざ、このような田舎領主に声をかけて下さり、こちらこそ恐縮しておりますよ。久しぶりの狩りですので、何か無作法なことを仕出かすかと思います。その際は、ご容赦下さい」


 人力車の座席できちんと背筋を伸ばして座ったままで、宰相がサムカに微笑みかけた。オークなので豚顔のハゲ頭の肥満体型なのだが、気品がある。王国の経済財政を一手に引き受けている、その頭の賢さと、眼光の鋭さは隠しようもないが。


 隣の悪友貴族はどうも、この宰相が苦手のようだ。 

 必要以上に距離を置いて、サムカを盾にするように宰相から見て遠くへ移動している。仏頂面な悪友ステワを横目で見ながら、内心苦笑してサムカが話を続けた。

「ワタウイネ宰相閣下。今年の公共事業、オーク商人や農民から高い評価を受けておりますね。私の領地でも、交易幹線路の道普請が整うにつれて、交易港までの陸運時間が短く済むようになっておりますよ」

 この場合では普通は天気の話や、狩りの獲物の動向について雑談するのだが……いきなり仕事の話をしている。

「悪路部分も減りましたので、運送中の農産物や加工品の荷傷みも少なくなりました。農地改良の事業も順調ですし、南部戦線でのオーク兵の常駐数の拡大にも対応できそうです」


 オークの宰相はサムカの話を、小豆色の瞳を細めながら微笑んで聞いている。

「そうですか。街道整備と農地改良は地味な事業ですから、多くの領主や貴族は興味をもって下さらないのですよ。泥とオークの汗の臭いがきついですからね。しかし、こうしてテシュブ領主様からの話を聞くと、私も元気づけられますよ」


 実際、サムカの領内で、渡りガーゴイル群やネズミ群を迅速簡単に駆除できたのも、街道が他の領地に比べて格段に整備されているおかげだ。戦闘部隊の高速移動と配置が可能なので、初期被害の一報を受けてからの迎撃作戦が迅速にできている。

 他の領主が支配する場所では、なかなかこうはいかない。なので、ウーティ王国内からの完全な害獣駆逐は出来ておらず、毎年こうして騒ぎが起きている。


 しかし一方では、良い事ばかりでもなさそうである。サムカの後ろに避難している悪友貴族に言わせると「街道が整備されすぎると、盗賊団や魔族軍も容易に進退できるようになる」という事だ。実際、サムカの領地は、早くも今年2回目の魔族軍の攻撃を受けている。


 そんなジト目の悪友貴族を無視して、サムカが宰相に話を続けた。

「おかげさまで輸出量も増えてきていますが、船荷証券や損害保険が扱う規模も大きくなってきております。それに伴い、船会社や保険会社が渋る場面も増えてきておりますね。銀行も同様です」


 宰相が少し厳しい表情になった。しかし、声色は穏やかなままである。

「そうですね。私も気になってきているところです。悪天候や海獣群の襲撃等で貨物船が損傷したり沈んだりする危険性は、以前と同じで変わりませんからねえ。船の稼働率が上がれば『遭遇する件数』も上がりますし。水夫たちの疲労も溜まりやすいでしょうね」


 サムカも大いに同意するのを見ながら、宰相が軽く肩をすくめた。

「水夫には通常の人夫と異なり、船荷扱いの専門知識や船上での戦闘訓練などが必要ですから、なかなか急には増えません。騎士殿や貴族様がおられれば、海獣被害などはなくなりますが……海の上で長時間拘束されますから、どなたも乗り気ではありません。難しいところですね」


 さすが商売に詳しいオーク出身だけあって、懸念事項も具体的だ。死者の世界では、電子機器類の誤作動が起きやすい。そのために、物流手段は中世時代のような荷馬車と帆船、人力船である。航空機は存在していないし、風魔法を利用した飛空船もない。


 サムカも渋い顔になって同意した。

「そうですね。私も領地に居ないといけませんし、騎士の派遣も難しいところです」

 それ以前に、ほとんどの貴族や騎士はオークの交易に関心を持っていないのだが、その点には言及しないサムカと宰相であった。


 他の理由としては、潮風に当たると衣服や装備の手入れが増える。死体の体が潮風に晒されて、塩類が溜まり、漬物状態になってしまうのだ。その脱塩処理で魔法を使うのが面倒という面がある。

 長期の交易船への乗船警備をせずに〔転移〕魔法を使っての都度警備も面倒がられている。交易船が航行している関係で、座標を毎回修正しないといけないためだ。うっかり間違うと、海中に〔転移〕してしまう。これまた漬物の出来上がりだ。


 宰相が再び穏やかな表情に戻って、軽く手を振った。

「いいえ。テシュブ領主様の領地の生産が滞るようになれば、それは本末転倒ですよ。私の方から船会社や保険会社、銀行などに圧力をかければ良いだけです。王国の発展を妨げるようなオークは、容赦なく粛清しなくてはいけませんからね」


 サムカの後方で縮こまっている悪友貴族が、思わずツッコミを入れかけたようだったが……指先が動いただけで抑えたようだ。

 サムカがその気配を察して、内心で苦笑する。

(まあ、オークがオークを粛清とか、何かの冗談と思われても仕方がないか)


 宰相はそれには気がついていない様子で、表情も口調もそのままで話を続けている。

「ふむ……物流量と貿易量が増えると、通貨量も再検討することになりそうですね。手形決済に先物取引や再保険などで、仮想通貨量も増えそうですからね。周辺国や貿易先の王国連合の通貨価値とのバランスが崩れると、また面倒な政治問題に発展します。早目の対処をするように心がけておきましょう」

 サムカが素直に頭を下げた。

「手数をかけてしまい、申し訳ありません。よろしくお願いいたします、ワタウイネ宰相閣下」


 実際、サムカにも宰相の話を完全に理解できてはいない。このあたり、貴族は決定的に商売に不向きだという証左でもある。


 貿易を行う上では、金貨などの現物通貨を直接受け渡しして決算するが、手形や先物に保険の中にはそれらを必要としないものが多い。自身が持つ現物通貨や商品や資産や情報を『担保』にして仮想通貨を生み出して、それで運用するからである。

 いわばギャンブルであるが、銀行や保険会社はそれを用いて商売し利益をだしているものである。従って、分の悪い賭けになりそうな場合ほど、嫌がるのは当然の反応だ。


 そしてそれは、その王国の通貨価値それ自体にも影響が出てくる。危険な事業が多い国の通貨価値は当然ながら下落する。事業が失敗すれば、下落幅は大きくなる。 


 そして、そのような状況は銀行や保険会社や船会社にとっては『望ましくない』場合が多い。いわばジェットコースターに乗って商売しているようなものだからだ。


 獣人世界等ではこういった重要産業は国有化されていて、国が運営する事が多い。民間会社と違って、同じ財布を使うために乱高下は最小化されるのだが……死者の世界では別だ。

 貴族や騎士にまるで商売っ気が無いので、オークが経営する民間会社に丸投げしている状況だからである。会社は当然ながら国とは違うので、利益の最大化を最大の目標とする。面倒事は避けたいのが本音だ。そのために、このような話をする羽目に陥っている。これもある意味では宰相の言う、『本末転倒』だろう。


 宰相はもちろんこれらを理解した上で、サムカに話しているのだが……やはり難しいようである。次の話題になった。

「テシュブ領主様の〔召喚〕先で生産される果物ですが、これが大変な人気になっておりますよ。さすがは生者が溢れる世界の産物ですね」


 ステワが横から、サムカに口を挟んできた。

「ほら、私が言った通りになっただろう? まったく、サムカ卿は味オンチだからな。箱1つだけで間に合うわけがなかろう」

 そしてニヤニヤしながら宰相の人力車の横に馬を寄せてきた。話の雰囲気が変わると、途端にこの変貌ぶりである。

「土いじりが好きなくせして、この体たらくだからなあ。牙と一緒に舌も入れ替えた方が良かったかもな。なあ、サムカ卿」


 サムカがジト目になって、悪友貴族を見据えた。

「言いたい放題だな、卿は。しかし、そうですか。獣人世界のタカパ帝国も、通商拡大に興味を抱いていると聞いております」


 宰相が満足そうにうなずいた。口元からのぞく一対の牙が可愛く見える。

 禿頭にまばらに生えている髪の毛が、そよ風になびいて揺れた。もちろん、散髪して髪を短く整えているので、このくらいでは見苦しくならない。

「そのようですね。こちらでも市場調査を進めておりますよ。その調査結果を元に、具体的な通商契約を結ぶことになるでしょう」

 どうやら、宰相の指示で色々と調べているようだ。

「死者の世界と他の世界との世界間貿易は、これまでの事例が少ないのですが……そこは試行錯誤しながら、徐々に最適化していけば良いだけです」


 ここで、宰相が軽く肩をすくめて見せた。口元から見えている一対の小さな牙の先が、軽く自己主張をする。

「ただ、為替レートもありませんから、少し時間はかかるでしょうね」


 サムカが山吹色の瞳を厳しく輝かせて、宰相に質問した。

「ワタウイネ宰相閣下。我が方からの輸出品もあるのでしょうか? 我が領地の酒や加工食品は、風味の点で獣人世界産のものに劣ると思うのですが」

 宰相が苦笑して、サムカの真っ直ぐな視線に向き合う。

 オークなので『こういった場合』には豚鼻が鳴ったりするのだが、そこは宰相である。音を出さずに鼻をひくつかせている。

「残念ながら、テシュブ領主様が危惧なさる通りですね。飲食物では対等の取引にはならないでしょう。向こうの世界の、闇の性質を強く持つ魔法生物の餌としてであれば需要があるでしょうが……」


 1秒ほど考えを巡らした宰相が、再び軽く肩をすくめた。

「一般向けではありませんね」


 宰相が持つ通信器から小さな音がした。サムカとステワに断って通信器を腰ベルトのホルダーケースから取り出し、数秒間ほど話をする。暗号を用いた通信のようで、サムカとステワにも理解できない。


 すぐに通信を終えた宰相が話を中断した事を謝って、通信器を元のホルダーケースに収めた。

「失礼しました。ええと、闇の精霊場と死霊術場……と、向こうで呼ばれているのでしたっけ。ひどい名称ですが」

 大いに同意するステワである。その彼に宰相が微笑みながら、話を続けた。

「それらが体内で強くなると、魔法適性の弱い者の中には病気にかかる者が続出するでしょうね。反対に、向こうの世界の死霊術使いや、闇の精霊魔法使いにとっては貴重な魔力強化食材となるでしょう」


 再び、1秒ほど考える宰相である。しかし、今回も思わしくない結果だったようだ。

「……ですが、そんな魔法使いの人数が少ないですから、商売としては成立できないでしょうね」


 宰相がサムカの山吹色の瞳を見つめた。よく見ると、宰相はコンタクトレンズを付けている。裸眼で貴族を直視しないようにするための工夫なのだろう。

「ですので、テシュブ領主様には申し訳ないのですが、食料品の輸出は現在考えていないのですよ。一般向け魔法具といった物品になると思います」


 サムカもそのようになる事は想定していたようで、特に落胆した表情にはならなかった。

「妥当な判断だと思いますよ、ワタウイネ宰相閣下。ただ、魔法具も、獣人たちは基本的に魔法適性が全くない者が大多数です。従いまして、使い捨ての魔術書や〔結界ビン〕などの、術者が魔力を消費しないタイプが良いかと思います」


 宰相もサムカの意見に同意する。

「そうですね。テシュブ領主様の召喚報告を参考にしていますので、使い捨ての低出力の魔法具になると思いますよ。古代遺跡から発掘された魔法強化された武具などは、良いヒントになるでしょう。ただそれでも現状、最も低い魔法出力の武器がシャドウ専用ですからね……それよりもさらに、低出力に調整し直さないといけませんが」


 それを聞いていたステワが少し呆れたような笑みを口元に浮かべながら、ため息をついた。

「シャドウ未満の者か……それは確かに、調整が大変かもなあ。意識も自我もないゾンビやスケルトンに、魔法の武器を与えるようなものか。そりゃあ大変だな」

 獣人世界の住人をゾンビやスケルトンと同じく扱っているようだが、今は指摘しないサムカである。ステワが思考を進めながら話す。

「使役兵ゾンビやスケルトン兵の武器は、通常の金属に魔力をメッキしただけのものだからなあ。ものの2、3か月で、魔力メッキがはげ落ちてしまう代物だ。そんな商品じゃ売ることはよろしくないな……」


 ステワがそう言いながら大いに首をかしげて、宰相に視線を向けた。

「宰相閣下。メッキ塗布した武器ではなく、我々が普段使用しているような量産品の魔法具を獣人たちに与えると、どういった『不具合』が起こるのですか?」


 サムカが代わりに答える。

「私の経験とハグの話とを総合すると、『呪いの魔法具』みたいなことになってしまうようだな。魔法具に組み込まれた術式が生み出す魔法場に耐えられずに、発狂などの精神障害を引き起こしてしまうようだ」

 セマンの発狂冒険家の顛末を思い起こす。泥まみれになって、巨大ミミズ型の大地の精霊に食べられてしまった。

「誰も彼も見境なく攻撃する、出来の悪い狂戦士のようなものだな。無茶な動作をし過ぎて、すぐに筋肉組織や腱を断裂させてしまって、動かなくなりそうだ。そういう意味では、古代遺跡出土の武具はよく考えられていると言えるな」


 宰相が真面目な表情でうなずきながら、サムカの説明に同意した。

「そうですね。我々オークも、貴族様や騎士殿の所持する魔法具をそのまま装備すると、精神障害を起こします。異世界の種族であれば我々オークよりも耐性が低いでしょうから、もっと深刻な症状になるでしょうね」


 ステワが意外そうな表情のままで、腕組みして首をひねっている。マントの中で涼やかな音色が、かすかに鳴った。

「ふうむ……そのようなものなのかね。我々貴族には、全く想像できないなあ」


 宰相が穏やかな表情で微笑んだ。

「ですが、この低出力魔法具を研究すれば『魔法を使えない』我々オーク兵でも装備できる、魔法具を開発できます」


 現状では弓矢や槍の穂先に、魔法を『その都度』かけている。 

 かける魔法もオーク用なので、アンデッド兵が装備する武器よりもかなり弱いものばかりだ。


 さらに、魔法を表面にメッキしただけなので、矢や穂先の金属と魔法とが〔干渉〕してしまう。大地の精霊属性が強い金属なので、メッキした魔力が〔吸収〕されたり〔不活性化〕してしまうのだ。

 加えて、魔力の持続時間も短い上に、効果自体も不安定だ。金属も闇魔法による〔侵食〕を受けてしまうので、強度が落ちてしまう。

 かといって、闇の魔力を帯びた金属や土類は貴族や騎士が独占したがるので、オーク用には使いにくい。ステワが危惧する通りだ。


 宰相の小豆色の瞳が鋭い眼光を放った。禿頭が森の木漏れ日を反射してキラリと輝く。

「それが改善できるとすれば、我が王国の戦力にも大いに資することになります。現状では、騎士部隊と自我のあるアンデッド兵部隊が圧倒的な戦力を有していて、オーク兵部隊との格差が開きすぎていますからね。長期戦や大規模な組織戦では、オーク兵部隊は戦場を『面で制圧する』意味で必要不可欠です。しかし、兵站の面で見ると食料を大量に必要としますから、運用効率が悪いのです」


 素直に感心しているサムカとステワである。貴族には、そこまでの思慮はなかったようだ。まあ、敵との最前線にいるような貴族ではないので、平和ボケしているといえばその通りなのであるが。


 サムカが馬上で腕組みをして考え込んでいる。

「ワタウイネ宰相閣下は魔法を使えないにも関わらず、我々貴族よりも詳しいのだな。私も〔召喚〕先では学校の先生をしているが、さらに勉学に励まなくてはいけないようだ」


 ステワがすかさずサムカにツッコミを入れてきた。木漏れ日がマントの中の宝石に当たってキラキラと輝く。

「柄にもないことを言うなよ、サムカ卿。卿の長所は、実戦経験から得た叩き上げの知識と技だろう。付け焼刃の知識を仕入れたところで、それを生徒に教えても大した効果はないぞ。充分な実証の裏づけがない技や知識は、ケガの元だ」

 そう言いながら、ステワが愛馬を駆って、サムカの隣に戻って来た。

「サムカ卿の教え子は我々と違い、生者だからな。小さな間違いが即、生命の危機に直結するはずだ。経験に裏打ちされた、安定性と安全性の高い技を、慎重に教えた方が生徒たちのためにも良いだろうよ」


 悪友に言われて、錆色の髪の頭を片手でかくサムカである。

「うむむ。そうか、そうだな。ついつい、貴族の感覚で物事を考えてしまうな。反省することにしよう。もちろん我々貴族が使う魔法と、生徒たちに教える魔法とは根本的な方針から異なるから、それを加味しておかなくては意味がないだろうがね」


 宰相が人力車の座席の上で微笑みながら、サムカの顔を見ている。

 そういえば、人力車を支えているオークたちは微動だにせず息も全く上がっていない。小太りで脂肪が巻いている体格に衣服を着ているので、強そうな印象はないのだが、相当な訓練をしているのは間違いない。

「さすがは、オークの農作業や食品加工に、貿易までご指導なされているテシュブ領主様ですね。思考がかなり柔軟です。国境にいる戦闘狂の貴族たちとは違いますね。そうそう、もう1つありました」


 やや表情が固くなる宰相に、サムカと悪友たちも気がついた。そのまま宰相が話を続ける。

「テシュブ領主様が先日招待なされた、法術使いの〔式神〕です。法術使い自身は、この死者の世界へ来るためには『かなりの』準備をする必要があります。下手をすると、この世界の空気に触れるだけで〔干渉〕が起きてしまいますから。その点では、ただの紙である〔式神〕を経由して訪問するという発想は、安全で優れたものです」


 サムカが素直にうなずいた。

「そうだったな。〔式神〕に見聞情報を〔記録〕させて、元の世界へ戻ってから法術使いが記録を〔再生〕するという方式だな。まあ、双方向の同時通信ではなくて、ただの録画記録だから、〔式神〕経由での法術使いとの会話は無理だったが。やはり、直接本人が訪問してくれた方が、私としては楽しめる」

 ステワが蜜柑色の瞳を鋭く光らせながら、サムカに反論した。

「いや、法術使いは我々とは正反対の立場だから、直接訪問は望み薄だろう。我々と親しいと法術信者どもに知られたら信者に逃げられてしまって、その法術も弱くなってしまいかねん。下手すれば神官失業だ。一般的には、我々の敵だからな」


 宰相が真面目な表情のままで、サムカに語る。

「エア領主様の仰る通りですね。法術使いの生業の一つは、アンデッドや魔族を『浄化する』ことですから、我々とは相容れない点ばかりです」

 宰相の眼光が鋭くなっていく。

「ですが、敵の情報は必要です。新たに開発された法術の情報や、強力な法術使いの動向などを知ることは、我々の利益になります。そういった点で、法術使いたちとの交流は必要なのですよ。『情報戦の場』として、ですね」


 サムカの表情が少し曇った。

「うむむ……騙し合いか。確かに必要だが、私には不向きだろうな。商取引は『信用の積み重ね』がものを言うのでね、こういったスキルや行為は、商取引先に知られるとマイナスに作用する恐れすらある」

 宰相が素直に同意した。サムカの口調が砕けたものになってきているが、気にしていないようだ。

「その通りですね。分かりました、法術使いの〔式神〕観光は、私が責任者となりましょう。スペクターやファントムの方々に、ひそかに監視してもらうようにすれば、対処できると思います」


 サムカとステワが顔を見交わした。ステワが微妙な表情になって指摘する。

「そこまでしなくても構わぬと思うが。シャドウで事足りると思う」

 サムカもステワに同意した。

「死者の世界には、法術の魔力源となる信者はいないからな。サーバーもない。私もシャドウで充分だと考えるが」

(そういえば、森の妖精のパリーも、ここでは眠っていたなあ……)と思い起こすサムカであった。


 ちなみに、スペクターはシャドウの上位アンデッドである。騎士見習いに相当する魔力を有する者が多い。ファントムは、スペクターの上位アンデッドだ。騎士に相当する魔力持ちが多い。どちらも、戦闘狂ばかりなので、南の紛争地域に集まっている。


 宰相が素直に従った。

「分かりました。では、そのように手配してみましょう。ただ、テシュブ領主様の領地観光をしたいというような申し出もあると思いますので、それは私のほうで調査調整しておきますね」

 サムカが再び、錆色の短髪頭を片手でかいた。

「そうしてもらえると助かる。これ以上の心労の種は、遠慮したいのが本音だな」

 宰相が笑顔で了解した。

「我が王国の兵站基地ですからね。食糧生産に支障が生じるような案件は、私としても望みませんよ」


 そして、再び真面目な表情に戻った。

「そうそう、セマン族の警備会社ですが、やはり他の貴族様や騎士殿からは『かなり』警戒されています。ステルス部隊の存在がやっかいですね。テシュブ領主様の下で、警備の経験と信用を300年ほど積んでもらい、徐々に歩み寄るしか方法はないでしょう。私が宰相でいる間では無理でしょうね」


 サムカがうなずいた。

「分かった。これからも警備状況と結果の定期報告は、欠かさぬように送るとしよう。セマンの寿命は100歳程度しかないからな。後任者のセマンを数世代ほど、継続して観察してみないと判断はできないだろう。ワタウイネ宰相閣下の次の代の宰相にも、そうすると誓約するよ」


 ステワが前方右方向の森の中を指差して、口を挟んできた。

「宰相閣下。どうやら狩りが始まるようです。安全な場所までお下がりください」

 宰相が軽くため息をついて、ステワに視線を向けた。

「もう少しテシュブ領主様と四方山話をしたかったのですが……仕方がありませんね。私は後列に引き下がるとしましょう。テシュブ領主様、この後のパーティでまた会いましょう。では」


 人力車を引いている3人のオークに命じて、宰相がそそくさと後方へ下がっていった。早速、腰のホルダーケースから通信器を取り出して、指示を下し始めている。


 入れ替わりに、血気盛んな騎士たちの一群がやってきた。セリ会場でよく合う面々なので、サムカたちを追い抜きながら、馬上から一礼して前方へ駆け抜けていく。大地を蹴りたてる音が森の中で響き渡り、緊張感が高まってきた。


 彼らの馬はサムカたちの愛馬の種類とは異なり、尻尾がクジャクの羽のようになっている。ブラーク種と呼ばれる馬で、ゆっくりとだが飛行することもできる美しい容姿の馬である。

 しかし、サムカたちの愛馬であるベエヤード種とは異なり、長時間の騎行や荷役には向かない。馬具も、サムカたちと比較しても相当に華美な印象である。


 一方で、馬同士は意外に仲良しのようだ。互いに鼻を鳴らして、挨拶を交わしている。ちなみに、貴族や騎士が乗馬に用いるので生きてはおらず、どれもアンデッド馬である。


 サムカは気楽な表情のままで、騎士たちの一群を見送った。彼自身は狩りのために前線に出ることもなく、集団での位置も変えない。狩りをする気はあまり無い様子だ。

 ゆっくりした馬の歩みを続けながら、隣のステワに視線を送った。

「ステワ卿は、狩りをしないのかな?」


 自身の使い魔からの情報を聞いているステワが、サムカを見もせずに答えた。巨大なカラスのような姿の使い魔で、それが数羽いる。

「ただのワイバーン、飛竜の群れだからなあ。新米騎士たちの相手にしかならないよ。この前のような有翼ワニだったら考えるけどね」

 ステワがぶっきらぼうだが、どこか拍子抜けしたような声でサムカに答えた。

「ちなみに補足するとだな、サムカ卿。この辺りの森には、ワイバーンくらいしか渡ってこないんだ。しかも、まだ時期が早かったようだな。シーズン中であれば、群れの数も100頭単位になるんだが。それでも、まあ、日頃運動不足の貴族たちには『体の錆落とし』になるだろうよ」

 貴族を錆びた鉄か何かのように言っている。


 実際、サムカと同じような非戦闘地域を治める貴族たちは、先行する騎士たちを追いかけて前方へ馬を走らせている。そんなレクリエーションかアトラクションを楽しむような表情と行動をしている、貴族たちを見送りながら、サムカも頬を少し緩めて同意した。

「そうだな。ワイバーン程度であれば、戦術も陣形も何も考えずに、ただ攻撃すれば良いからな」



 早速、森の中から派手な爆発音がし、その閃光が木々の隙間から漏れて見えた。ワイバーン特有の、しゃがれたシューシュー音と、威嚇の鳴き声がかすかに聞こえてくる。


 サムカも自身のコウモリのような姿の使い魔からの情報を聞いて、落胆気味に悪友ステワに告げる。

「ワイバーンの群れも10頭余りしかいない小さなものだったようだ。確かにこの程度の数であれば、新米騎士だけで充分対処できるだろうな」

 そして少し考えて、ステワに顔を向けた。

「森とはいえ、王都近郊だからなあ。大した獲物は望めないか……」


 ステワがジト目になりながら腕組みをして答える。マントの中の宝石で飾られたベルトや短剣が、風鈴のようなかすかな音を立てた。

「当たり前だ。社交の場なんだから当然だろ、サムカよ。ガチの狩りなんかやってどうする。渡りガーゴイルとか、有翼ワニなんかが相手だと、パニックになる貴族もいるんだよ。王都とその周辺じゃ、流れ魔族もいないからな。穀倉地帯でもないから、ネズミ魔族も出没しないし」

 そういうものらしい……

「王都周辺の領主たちは、オークや貴族相手の賃貸住宅業や倉庫業で暮らしている。サムカ卿がしているような槍仕事なんか、100年単位でやっていないさ」


 サムカがそれを聞いて、軽くため息をついた。ピンと伸ばしていた背筋が少したわむ。

「まあ、知ってはいたが……であれば、またしばらくの間は、領地に引きこもっても構わないということだな」

「お前なあ……」


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