29話
【シャドウと追いかけっこ】
サムカが視線を校長から運動場に戻し、シャドウからうまく逃げ回っている生徒たちの様子を観察して、うなずいた。特にラヤンの動きには無駄がないようだ。ティンギ先生の『お気に入り』なのも分かる。だが、まだ逃げ回るので精一杯で、反撃する余裕はなさそうだが。
「なるほどな。ティンギ先生が話していた未来〔予知〕か。ラヤンさんは、的中確率もそこそこ高いようだな」
ティンギ先生がパイプをふかしながら、やってきた。相変わらずヘラヘラ笑いを口元に浮かべている。
「70%程度かな、今は。専門クラス生徒は80%以上あるから、そこそこだね。良い敵役が出来て助かったよ、テシュブ先生」
サムカがティンギ先生に挨拶して、再び生徒たちを見守る。
「城の警備だが、良い結果を出しているようだ。良い会社を紹介してくれた、礼を述べるぞ」
ティンギ先生はパイプを優雅に吸っているままで、焦げた干し藁色の顔をニヤニヤさせているだけだ。警備会社の隊長も同様だったが、セマン特有の反応なのだろうか。
「私は『知り合い』を紹介しただけだよ。気にすることはないさ。一応、もう一度だけ忠告しておくけれど、警備会社だからといって完全に信用しないようにな。セマンは気分屋だから、何かのはずみで盗賊に一変することもあるからね」
サムカが苦笑しながら、ティンギ先生の忠告にうなずいた。
「分かったよ。まあ、魔法強制力が利いている契約書を交わしているから、ひどい裏切り行為はないと思うが。せいぜいスリ程度だろう。自慢ではないが、私の城には金目のものは何もなくてね」
ティンギ先生が青墨色の目でニヤリと笑った。プカリとドーナツ状の煙の輪を口から吐く。
「知ってるよ。一応、って言っただろ?」
その時、1人の生徒が運悪くシャドウに捕まってしまった。たちまち〔麻痺〕して運動場に倒れる。
校長が目を大きく見開いた。白毛交じりの尻尾が逆立つ。しかし、ティンギ先生がニヤニヤした顔のままで説明する。
「大丈夫ですよ、シーカ校長。手足が一時的に〔麻痺〕するだけです。内臓や神経、脳への悪影響はありませんから、ご安心下さい。特に今は選択科目の生徒も参加していますからね、〔麻痺〕も弱くしています」
「そ、そうですか」
ほっとする校長である。サムカがそのティンギ先生と校長のやり取りを、横で聞きながら頬を緩めた。
その倒れた生徒へ追撃してきたシャドウ2体を、別の女生徒が級長と組んで、見事に魔法で弾き飛ばした。ラヤンである。サムカが少し感心している。
「ほう。やるじゃないか、ラヤンさん。級長は確か……魚族のライン・スロコック君だったね。彼も占道術の専門だけあって、さすがだな」
ラヤンが倒れている生徒に駆け寄った。そのまますぐに麻痺解除の〔治療〕法術を発動して、瞬時に状態異常を〔回復〕させた。見事に作用したようで、すっくと立ち上がる生徒である。
さすが獣人族なので、動作も敏捷そのものだ。動作支援の魔法を各種発動させているせいもあるが、ウィザード先生はいうに及ばず、ソーサラー先生の動きよりも倍近く速い。
ティンギ先生がニヤニヤしながらパイプをふかしてサムカに告げた。紫煙がゆったりと秋の風にたなびいて上っていく。
「そうだな。2年生の竜族ラヤン・パスティだね。法術専門クラスでは中位の成績だそうだが、私のクラスでは選択科目ながら上位の成績だよ。〔運〕に恵まれているね、彼女は。級長の指示にも、よく応えてくれている」
サムカが、再び駆け回り始めたラヤンの姿を目で追いながら、何か思いついたようだ。
「そうだな……私のクラスでも、シャドウを使って何かやってみるか。〔麻痺〕などを『自力で回復する』経験を積ませておくのも悪くないな」
ティンギ先生と校長先生とが、呼吸を合わせたかのようにサムカに一言入れる。
「お手柔らかにお願いしますよ」
その場から離れてサムカが校長と一緒に、サムカの教室がある校舎へと歩き始めた。ティンギ先生はそのまま生徒たちの指導に戻っていく。といってもパイプを吹かして寛いで、日光浴をしているだけだが。
校長がサムカに話しかけてきた。
「テシュブ先生。先日の大深度地下からの大地の精霊騒動で、この運動場もデコボコになってしまったのですが、帝国軍の工兵部隊の突貫工事で何とか整地できました。重機が6台、土中に飲まれて分解消滅してしまいましたが」
校長の表情が再び真剣なものに変わっていく。
「カカクトゥア先生やラワット先生の話では、大地の精霊場の状況も平常に戻っているということです。テシュブ先生の見解はいかかですか? 何か未解決な異変が残ったままでは、生徒たちの放課後の部活動に不安が残ります」
今現在、運動場を駆け回っているティンギ先生のクラスは例外のようである。
サムカがそう言われて、改めて運動場を見回した。
「ふむ……私の感覚でも、特に変わった様子は見受けられないな。運動場の中央だけは若干、闇の精霊場が強いが……生徒たちに影響が出るほどの強さではない」
校長が安堵した表情で微笑んだ。白毛交じりの両耳と尻尾が、一緒にパタパタパサパサ動く。
「そうですか。それでは、今日から部活動の制限も解除することにしましょう。運動場の中央ですが実は……大地の精霊がその体の中に有していた希少な金属や土類をまとめた名残りなのですよ。無事に採集も完了して、残土処理も終えています」
サムカが「なるほど」と、うなずいた。
「そうだったか。私は大地の精霊には詳しくないが、深い地中にいる精霊は、貴重な鉱石を含んでいると聞いたことがある。魔法工学に長けているドワーフのマライタ先生が興味を持つのも当然だろう」
校長が口元のヒゲをピョコピョコ動かしながら同意した。
「その通りです、テシュブ先生。獣化するライカンスロープ病から回復するや否や、採集した金属や土類と『にらめっこ』していますよ。まだ本調子ではないので、根を詰めすぎないようにと注意してはいるのですが」
マライタ先生が部屋にこもって土くれや石ころと『にらめっこ』して分析している様子が、サムカにも容易に想像できて頬を緩めた。
「まあ……ドワーフの体力は尋常ではないから、それほど気にすることもあるまい。また面白い機械を作ってくれるだろう。だが、採集した金属の補給ができそうにないから、彼の研究だけで終わってしまいそうだな」
校長もその事は予想していたようだ。白毛交じりの両耳が、鼻先のヒゲ群と同調してピコピコ動いている。
「そうでしょうね。鉱山のように、一定量が継続して得られるような金属や土類ではありません。機械を作っても、部品交換ができませんからね。マライタ先生の遊び道具で終わってしまうでしょう」
そして、再び表情を真面目なものに変えた。
「この整地作業と並行して、運動場や校舎の敷地内に、対アンデッド用の埋設地雷を多数敷設してあります。テシュブ先生の見立てではいかがですか?」
サムカも既に気がついていたのだが、今まで黙っていた。校長に改まって聞かれて、ようやく口を開く。
「うむ。シーカ校長の心配が的中しているな。せっかくの手間だったので黙っていたが、残念ながら我々貴族には有効ではないようだ」
校長が肩を落とした。しかし、それは想定内だったようである。
「そうでしょうね。地雷の術式は、光と大地の精霊攻撃魔法なのですが、〔察知〕できる闇の精霊場や死霊術場は、バンパイアやゴースト程度までなのです。今、運動場で飛び回っているシャドウには反応しません。〔察知〕できないのです」
サムカが歩みを少し遅くしながら、校長に答えた。
「そうだろうな。闇の精霊魔法それ自体が、〔察知〕されにくい性質を持つのでね。さらに我々貴族ともなると、術式を暗号化していることが常識だ。しかも、暗号自体も日々変わっていく。暗号の復号化には闇魔法を使用するから、魔法適性のない者には〔察知〕や〔解読〕は困難だろう」
校長の小さな肩が、ますます落ちていく。
「そうですか……まあ、我々獣人族で魔力を有する者の割合は非常に少ないですから、別の方法を模索した方が良さそうですね。ペルさんやレブン君のような人材は、本当に希少ですから。あ。ジャディ君もですね」
サムカがそれを聞いて、軽く腕組みをした。
「……ふむ。死霊術場は生命の魔法場と反発するから、それを利用した検知手法を考案すれば良かろう。闇魔法はやっかいだが、対立する精霊魔法としては光がある。闇と光との〔干渉〕は原理上必ず起きるから、それを〔検知〕できるような術式を考案するしかないだろうな。ノームとエルフ先生に相談してみると良いだろう。ウィザード魔法使いでは中途半端な〔察知〕しかできないことは、この有様を見れば良く分かる」
「そうですね。その方向で再検討することにしましょう」
校長が素直にうなずいているのを、見下ろしながら、サムカが少しいたずらっぽい視線を混ぜた。
「そう簡単には開発できないとは思うがね。そういえば、もう1つの法術だが。死者の世界を訪問した後、何か動きはあったのかな?」
校長も鼻先のヒゲを微妙に動かしながら、視線を返してきた。尻尾と両耳が愉快な動きをしている。
「死者の世界の様子を記録した紙の式神を回収して、記録の〔解析〕を行っているそうですよ。相変わらず3宗派で互いに対立していますし秘密主義ですから、私にも何をしているのか伝わってきません」
サムカがため息をついた。
「そうなることは、予想はしていたよ。貴族としては、法術は天敵であることには変わりはない。なので、連中が低迷しているのは好都合ではあるのだがね」
さらにため息をついた。
「だがそうなると、カルト貴族どものような『良からぬ連中』が悪さをしやすくなる。我々普通の貴族の、世界間の貿易計画に悪影響が出てしまいかねない。ハグの召喚ナイフ事業にも悪影響が出ることも、容易に想像できるしな。法術使いも『それなり』に頑張ってくれないと、我々としても困るのだよ。我々貴族やリッチーの人口は少ないのでね、他の異世界まで網羅して監視できるわけではない」
校長が素直にサムカの言葉を受け取って、深くうなずいた。
「分かりました。私からも、法術の宗派に強く働きかけることにしましょう。果物の輸出に横槍が入るのは、我々としても好ましい環境ではありません」
そう言ってから、校長が白毛交じりの頭の毛皮を軽くかいた。
「一介の校長の身分では、できることは少ないですけれどね」
校舎入り口までやってきた。そろそろ授業開始の時刻になっており、生徒たちのいつもの大移動が始まっている。
「テシュブ先生。今回の授業からですが、帝国軍と警察から1名ずつ『研修生』という立場で、テシュブ先生の授業を見学することになりました。それと『分身』という形でカカクトゥア先生、ラワット先生、それとティンギ先生が受講します。生徒も実習限定ですが、ミンタさん、ムンキン君、そして法術クラスのラヤンさんが受講します。テシュブ先生の授業自体が毎週1回だけですので、こうした特例措置が実現しました」
サムカが校舎の入り口に立って生徒たちの流れを見つめながら、校長の説明にうなずいた。
「よかろう、了承した。実習は今後も数多く取り入れるつもりだから事実上、我がクラスの一員となるな。しっかり鍛えることとしよう」
校長が満面の笑みを浮かべて、サムカを見送った。
「闇の精霊魔法や死霊術の適性が乏しい生徒や研修生ばかりで、ご面倒をおかけしますがお願いしたします。ラヤンさんはマルマー先生との交渉がまだ未解決ですので、今回は不参加ですが」
サムカが鷹揚にうなずいて、校長に微笑みかけた。
「うむ、やってみよう。では、そろそろ時間だな。終わった後でコーヒーを頼むよ」
校長もにこやかな笑顔をサムカに返した。
「分かりました。収穫したばかりの新豆を焙煎しておきますよ」
【西校舎2階のサムカの教室】
「さて、それでは授業を始めるとしよう」
サムカが自身の教室の教壇に立ち、生徒たちに告げた。今回はいつものメンバーの、ペル、レブン、ジャディの3名だけである。軍と警察からの研修生や法術クラスのラヤン、エルフ先生クラスのミンタとムンキンは、次回からの受講になった。単純に机と椅子が無かったためである。
校長も教室に入って初めて、足りない事に気がついた有様であった。すぐに調整すると言い残して、足早に校長室へ戻っていく。
ドワーフのマライタ先生も、まだ病気から回復したばかりで本調子ではない。そのため、特注の椅子と机を作ることができる者がいなかった。土くれや鉱石と一日じゅう『にらめっこ』しているせいでもあるが。
サムカが教え子3人に山吹色の瞳を向けて、軽く肩をすくめてみせた。
「そういう状況だ。次回に期待するとしよう。そもそも、魔法適性のある我が生徒たちとは違うから、新入生や見学の先生たちには、使えない魔法ばかりの授業になる。見るだけで終わることになるだろうな」
ペルとレブンも(そうなるだろうなあ……)と思っている様子であった。ジャディは琥珀色の瞳をギラギラ輝かせて、凶悪な悪人顔をさらに凶悪な見た目にしている。彼にとってはサムカの授業を受ける事自体が喜ばしい事なので「立ち見でもいいから受講しろ」とでも言わんばかりだ。
サムカが穏やかな声で話を続ける。
「それでも実際に闇の精霊魔法や、死霊術の数々を〔見る〕という経験をするだけでも、学ぶ点は多いだろう。全くの未知なる魔法ではなくなるからね。少なくとも事前に〔察知〕できるようにはなるから、危険から逃れる機会が増える」
レブンが小麦色のセマン顔のまま、ジャディを明るい深緑色のジト目で見据えている。
「ジャディ君が暴れるせいですけどね。特注の机と椅子でないと、たちまち破壊されてしまいますし」
ジャディが鳶色の翼をバッサバッサ羽ばたかせながら、即座に反論してきた。尾翼も扇のようにパリッと広げて、団扇のように上下にピコピコと動かしている。凶悪な人相とのギャップが何とも言えないのだが、レブンもペルもあえて指摘していない。ちなみに羽毛はミンタとラヤンによる〔治療〕のおかげで、完全回復を遂げていた。黒い風切り羽もすっかり元通りになっている。
「うるせえな。オレ様は誇り高い飛族だ。こんな狭い場所にじっとすることなんか、できるわけねえだろ」
サムカが山吹色の瞳を細めながらも、首を少しかしげてジャディに聞く。
「そう言えば、エルフ先生に心酔していた仲間の飛族たちは、どうしているのかね? いつも上空を飛んでいたのに、オオワシ族に続いていなくなって見当たらないのだが。冬の棲み家の改装は、もう終えたのだろう?」
途端にジャディが少し涙目になって、サムカにすがりついてきた。羽ばたいて飛んできたので、猛烈な風が起きる。ジャディが座っていたイスと机があっけなく吹き飛んで天井にぶつかり、そのまま床に落下して派手にバウンドした。しかし、傷一つついていないのは、さすがにドワーフ製というところか。
当然、ペルとレブンは闇の精霊魔法の〔防御障壁〕を展開して、巻き上がった突風を消し去っているので、微動だにせず席に座っている。
「殿おおおおおおおっ!! オレだけは殿にぞっこんっスから! 何が起きても変わらねえっスから! 例え殿に狐の尻尾と耳が生えて、毛皮に包まれて声変わりしてもっス!」
それだけを聞いて、理解するサムカである。軽く錆色の短髪をかく。そして、足にすがりついているジャディの両肩に手袋で包まれた両手を乗せて、彼を立ち上がらせた。
「心配は無用だ。私は死者だからな。感染症になったりはしないよ。特にウイルス病にはかからないから、安心しなさい。クーナ先生に言わせると、私は古本だそうだからな」
そして、まだ「ウオンオン」と泣いているジャディを席につかせる。飛び散っていた机とイスは、ジャディが有する翼の生えたゴーストに命じて拾ってこさせた。
あれだけ派手に天井から落ちて、床でバウンドした机と椅子だったが、傷どころか全く歪みが生じていないようだ。
「ハグから一応、話は聞いていたのだが。そうか、まあ……クーナ先生も迷惑がっていたし、これで良かったのかもしれんな」
そして、再び少し首をひねる。
「エルフが狐化していたのか……想像ができないな。ハグが映像で見せてくれてはいたのだが、解像度が非常に悪くてね。よく分からなかったのだよ。他の先生も同様に狐化していたのだろう? 見てみたくもあったが」
すかさずペルが薄墨色の目をキラキラさせながら、席から跳び上がった。
3本の黒い縞模様が走るフワフワ毛皮で覆われた頭から立っている両耳が、嬉しそうにピコピコ動いた。さらに、黒毛交じりの尻尾もパサパサと元気よく振っている。顔のヒゲ群も見事な放射線状になって外に張り出していて、マンガの集中線が描き込まれたコマみたいになっている。
「すっごく美人さんだったんですよ! 元に戻るまでスーパーアイドルだったんです。学校の狐族の男子たちが皆、崇拝してました。ファンクラブまでできて、校長先生が会員番号1番になってたんですよ!」
思わず目が黄色い点になって、白い顔の人形のようになってしまうサムカである。ますますイメージできなくなったようだ。
「た、確かに……狐族は直立二足歩行しているから、エルフが狐化しても違和感はなさそうだが……うむむ、余計に想像できなくなったぞ」
それを聞いて大きくうなずいているのは、レブンとジャディである。正に、「我が意を得たり」と言わんばかりだ。
「テシュブ先生の反応は、至極正常ですよ。魚族で人化できる僕から見ても、エルフの狐化は異様に見えました。病気の症状ですから、それは当然の印象だと断言できます」
ジャディも琥珀色の涙目を羽毛で覆われた腕でゴシゴシとぬぐって、レブンのセリフに大賛成している。彼の制服はまだ用意できていないようで、今日も私服姿のままだ。
「レブンの、グス、言うとおり、グス、ですぜ殿。人間のくせに、グス、狐の尻尾や、グス、耳が生えたって、グス、似合うわけがねえっグス、羽や尾翼ならイイっすけど」
ペルはショックを受けている様子だ。つぶらな薄墨色の目を見開いて、ウルウルし始めながらレブンとジャディの顔を交互に見つめる高速運動を始め出した。軽いパタパタ踊りもしている。顔じゅうのヒゲ群も、てんでばらばらな向きになり始めた。
「え、えええ!? ……えええ? 何で!?」
サムカが短く切りそろえた錆色の髪を片手で撫でて、咳払いを1つする。
「感性は『様々だ』ということにしておこう。さて、授業に入ろう」
その一言で、3人の生徒たちの口論も終了した。生徒たちも新兵訓練に慣れてきたのか、サムカの山吹色の瞳に視線が集中される。
「ティンギ先生のクラスで、シャドウを使用した実習が行われているのは、君たちも知っているね?」
「はい!」と、一斉に返事をする3人である。
「ティンギ先生のクラスの生徒たちは、自身の〔運〕の強化のために、シャドウの接触攻撃を未来〔予知〕して避ける実習をしている。専門と、なぜか選択クラスの両方でだな。シャドウにはゴーストと違って、単純ではあるが意識があるからね。わずかだが自我もあるし、心理的な駆け引きもできるのだよ」
レブンがすかさず手を挙げて発言の許可を求めた。サムカが話を中断して、レブンを促す。
「ですがテシュブ先生。僕たちが有している固有のゴーストほど、機能的ではないように思えます。動物的な意識があるだけで、とても駆け引きと呼べる段階ではないかと。僕たちのゴーストは行動術式による動作だけですが、条件分岐の指定が100万ほど設定できます。こちらの方が優秀だと思うのですが」
ジャディが辟易した声と表情になって、レブンに文句を言った。
「ばあか。そんな面倒な作業、誰がやるんだよ。オレ様は嫌だぞ」
「むっ」とした顔になったレブンだったが、すぐに魚顔をセマンのそれに戻して考え直す。
「ジャディ君に指摘されるのは癪だけど、何事にも想定外っていうのはあるか……アンデッドが自律思考できるようになれば、こちらの命令と組み合わせることで、より最適解に近い行動ができることになるのかな」
ペルが尻尾を軽くパタパタさせながら同意する。
「うん。私みたいにすぐ混乱するような主人じゃあ、ある程度の自律機能はあったほうが良いかも」
そんな会話のやり取りを、黙って聞いていたサムカが口を開いた。
「用途によるな。私の場合では、城の警備や単純作業を担当するアンデッドは、行動術式による動作だ。一方、城下のオークの農作業や、出荷の手伝い、それに警備に使用するアンデッドは、自律思考がある程度できるものを使用している」
サムカが山吹色の瞳を細めた。
「レブン君の言うとおり、想定外の出来事が起きやすい群衆や自然相手の仕事だからね。そして、自律思考の割合が大きいのは、私や騎士たちの随伴兵だな。私も戦闘中は繊細な指示を出せないからね。敵の思考は絶えず変化するから、固定の行動術式での戦闘では対応できないことがあるのだよ」
「なるほど」と、うなずいている3人の生徒たちである。特にジャディは激しく同意している。
「まさしくっス、殿! 敵の攻撃の裏をかいてカウンターで倒すのが、一番効率が良いっス」
ジャディに言われて、改めて理解するペルとレブンである。こなしてきたケンカの場数が違うので、素直にジャディの言葉を受け入れているようだ。
サムカも3人の反応を確かめてから、銀糸の刺繍が施された黒マントの中から短いステッキを取り出した。
かなり使い込まれているようで、木目も黒く潰れて貫録がにじみ出ている。もちろん、サムカの手は死んでいるので手脂などは出ない。闇の魔法場に曝されたせいだ。
ちなみにサムカは魔法を使う時に、剣やステッキを使ったり、杖なども使うが、何も使わずに素手のままであることも多い。彼が話していた通り、貴族の魔法は思考がそのまま具現化するタイプなので、その思考を補佐するためだけの形式的なものでしかないのだろう。いわば、目が良いのに『伊達メガネ』をかけるような、オシャレの一環だ。
ハグのようなリッチーになると、そのようなオシャレにも興味が無くなって、あのようなファッションになってしまうようだが。
「それでは、君たちがそれぞれ有しているゴーストを出しなさい。自律思考を開始する術式を提供しよう。もちろん、先ほど言ったように用途に応じて、これまで通りの固定の行動に切り替える事もできるようにしてある」
「分かりました、テシュブ先生」
3人が一斉に答えて、すぐにそれぞれのゴーストを〔結界ビン〕から開放した。教室内が少し薄暗くなり、空気がヒンヤリとしてくる。
ジャディが所有しているゴーストは、見事に彼の姿に似せた『鳥の姿』である。半透明なのでハッキリとは見えないが猛禽類のような姿をして、ジャディの肩にとまっている。
ペルのゴーストは『狐の姿』である。これも半透明だが、闇の影響がより強いのか更に見分けにくい。大きさも小さい。ペルの机の上に乗っても、〔空中ディスプレー〕画面への自動筆記に支障が出ないくらいのサイズである。
レブンのゴーストはやはり『魚型』で、半透明のアンコウのような姿で空中に浮かんでいる。3人の中では最も死霊術に秀でているので、かなりリアルで魚らしい動きをしている。
サムカがそれら3体のゴーストを一目見て、満足そうにうなずいた。
「うむ。どれも良い出力と状態だな。ゴーストとしては充分だ。では、シャドウに〔更新〕しよう」
そう言って、サムカが短いステッキを無造作に一回振った。
森から大量の死霊術場の細い流れが、教室内に流れ込んでくる。運動場の地面からも大量に伸びてきている。
それらが3体のゴーストに接続された。同時に、森の中からいくつも虹色のシャボン玉状の残留思念群が飛び出してきて、ゴーストの中に吸い込まれていく。
教室の気温がどんどん下がって涼しくなり、曇天の夕方のように暗くなってきた。
ペルたち3人の生徒はさすがに緊張した表情になっているが、サムカの方は穏やかな物腰のままである。
「……うむ。このくらいでよかろう。更新に必要な死霊術場と残留思念は、無事に君たちのゴーストの中に収まった。これから、〔シャドウ化〕するための術式を発動させる。心配無用かと思うが、慌てたりせずに冷静でいるように。所有者認証でエラーが出ると、暴走して消滅してしまうからな。せっかく育てたゴーストが煙になって消えてしまうのは、もったいないぞ」
「はい。テシュブ先生」
すぐに答える3人である。ほとんど新兵と教官の関係のようになっている。
サムカが穏やかな声のままで3人に告げた。
「では、術式を発動する。ウィザード文字に翻訳してあるから、読み取れるはずだ」
同時にサムカが持つ短いステッキの先に、黒い闇の玉が発生した。光の玉とは違い、真っ黒な穴がステッキの先に生じたように見える。
レブンが少し興奮したような顔になり、明るい深緑色の目を輝かせた。術式が頭の中で駆けまわっているようだ。ウィザード文字は高分子模型に似ているので、長大な分子式のようにも見える。
「こ、これが〔シャドウ化〕の術式ですか。〔ゴースト化〕の時と比較すると、術式の文字数が桁違いに多いですね」
ジャディは目を白黒させて、背中の大きな翼と尾翼をバサバサさせている。旋風がいくつか教室内に巻き上がるが、今はサムカを含めて誰も意に介していないようだ。ちなみに、驚くと更に凶悪な人相になるようである。まだ、教室を管理しているサムカの使い魔の顔には遠く及ばないが。
「うへ。こりゃあ、ややこしい術式だな。だけど、はるかに強力だ。さすが殿! 明日までには全部暗記して、メンテできるようにしてくるっス!」
ペルも尻尾と両耳をパタパタさせていたが、混乱はしていない様子だ。顔のヒゲ群は左右対称に配置されている。
「うん……理解、できる。よかった」
2分後。〔シャドウ化〕が成功したのを確認したサムカが、ステッキを黒マントの中にしまって3人の生徒たちに微笑んだ。当然のようにステッキの形がマントの中で消え失せる。
「うむ。成功だ。これで君たちは『シャドウ使い』だな。学校の教育指導要綱ではゴーストまでしか書かれていないが、それではティンギ先生の生徒たちとバランスが取れないからね」
サムカが、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ちなみにティンギ先生のシャドウは、耐久性や環境への適応性などの面で、君たちのシャドウに比べて劣る。君たちのシャドウはゴーストからの『進化的な更新』だからね。ゴースト時に蓄積された様々な『情報』が、そのままシャドウへ受け継がれているのだよ。安定性や応用力でかなりの差が出るはずだ。まあ、これはゾンビやスケルトンを『リベナント』へ更新する時も同じだがね」
そう言ってから、視線をペルに向けた。
「ペルさんの場合は、魔力バランスも以前より良くなっていたから今回の〔シャドウ化〕が成功したと考えるようにな。今後も魔力バランスを良好な状態にする努力を怠らないように」
「はい!」
元気に返事を返すペルである。この成功がかなりの自信になったようだ。
サムカが穏やかな声のままで話を続ける。
「もちろん、このシャドウは自律機能を有する強力なものだ。会話は無理だが、ごく単純な思考ができる。君たちの良い相棒に育つことを期待するよ。ゴーストとは違い、ソーサラー魔術や精霊魔法を実装することができるし、魔力を付与した武器や銃器に魔法具の携帯もできる。どう育てるかは、君たちの『方針』次第だ」
(『方針』かあ……)と、考えている3人の生徒たち。サムカが再び、いたずらっぽい視線を向けた。
「とりあえず運動場に出て、シャドウで模擬戦をしてみないかね? 実際に動かしてみないと分からないこともあるだろう」
【運動場】
運動場には、この時間は誰もいなかった。サムカが周囲を見回す。数匹の小さな『化け狐』と、ツバメ等の小鳥の群れが、森の上空を気ままに飛び回っていた。森の中には猿やトカゲの姿が見られ、猫顔の人間のような原獣人族が数名、どこかに向かって移動していた。いつもの風景だ。
「ティンギ先生の占道術の授業が行われていたのだが、どうやら生徒全員が〔麻痺〕してしまったようだな。シャドウの初披露が出来なくて、少し残念だ」
確かに、運動場の地面には転がったり這ったりした跡が、びっしりと残されている。今頃は、教室に戻って〔治療〕中なのだろう。
「若干の闇の精霊場と死霊術場が残っているが……この濃度であれば支障は出ないだろう。クーナ先生は、「模擬戦闘は結界の中で行え」と言っていたが……まあ、今はしなくても構わないだろう。『化け狐』も少ないしな」
そして3人の生徒たちに、その白い磁器のような端正な顔を向けた。秋の日差しを浴びているせいか、体温があるかのような温かみのある印象である。
運動場へ出る前、サムカがノーム先生とマライタ先生に何か〔念話〕で話をしていたのだが、それも最終確認を終えたようだ。恐らくは、学校の敷地じゅうに仕掛けられている外敵排除用の罠に、サムカの教え子たちの作ったシャドウが引っかからないように『例外申請』をしていたのだろう。
実際、シャドウというかなり強力なアンデッドが3体も出現するのだから、当然の手順である。また、シャドウをドワーフの警戒システムが『認識』できるようにするための配慮でもある。現状ではシステムがシャドウを『認識』できないので、何かの誤作動が起きる恐れもあるからだ。パリーやエルフ先生が、ここへ殴り込んで来るのは避けた方がいい。
「では、君たちそれぞれのシャドウを起動させなさい」
「はい!」
3人の生徒たちが同時に元気良く返事をして、水晶でできた小さな〔結界ビン〕のフタを開けて、起動術式を展開した。前日に習得したばかりのソーサラー魔術の〔収納〕魔術だ。本来ならカリキュラム上、習得するのはまだ先なのだが、そこはミンタに頼んで教えてもらったらしい。休校の恩恵だ。
たちまち秋の日差しが弱くなり、気温が少し下がる。遠くからサムカと生徒たちを見ると、その場所だけが暗くなり、姿輪郭も明瞭ではなくなっていることに気がつくだろう。
闇の精霊場も連動して強まっているため、サムカたちがいる場所から届く光の量が少し弱まっているせいである。もし、レーダーなどで人物探知していれば、その反応が急激に弱くなったことにも気づいただろう。
サムカが周辺を見回して、学校防衛システムが反応していないかどうかを素早く確認した。何ともないようだ。
真っ先に出現したのは、やはりレブンのシャドウだった。元々、魚のアンコウのような姿のゴーストをシャドウに更新しているので、やはりアンコウ型である。
しかしゴーストだった時とは異なり、更に透明になり視認困難になっている。出力も桁違いに大きくなっているようで、人魂のような狐火のような、冷たい色の火の玉がいくつもアンコウの周りを衛星のように回っている。アンコウシャドウ自身も時折り、冷たい色の火花を発していた。
それを見たサムカが、満足そうにうなずいた。
「うむ。レブン君は死霊術の適性が高いから、シャドウの性能も高いな。ソーサラー魔術や精霊魔法も高出力のものを実装できるだろう。魔法の武器や道具の装備も適用範囲が広そうだね。〔結界ビン〕の扱いも合格点だ。自習だけでよく習得したものだ。バワンメラ先生の面目丸つぶれだが、問題あるまい」
照れているレブンの上空で、次にジャディのシャドウが起動した。
同時に強力な旋風が巻き起こり、彼のシャドウを包み込む。運動場の土埃も盛大に舞い上がるが、そこは〔防御障壁〕で難なく防いでいるサムカと生徒たちである。
サムカが上空10メートルほどに浮かんでいる鳥型のシャドウを見上げた。土混じりの旋風に包まれているので更に視認が困難になってるが、サムカにはハッキリと見えている。。
「うむ。ジャディ君のシャドウは予想通り、風の精霊場を強く帯びているな。機動力も高そうだ。武装はレブン君のシャドウほどの自由度はないから、風の精霊魔法と飛行機動を活かせるような種類にすれば良いだろう」
「了解っス、殿おおおおっ! うひょおおっ、カッコイイぜコイツう!」
既にシャドウと一緒になって上空を舞い始めるジャディである。
「せ、先生……起動できました」
3呼吸ほど遅れて、ようやくペルのシャドウが起動した。闇の精霊場が一気に強まり、サムカたちがいる場所が更に暗くなる。夕暮れみたいになってしまった。
起動したばかりのペルのシャドウは、子狐みたいで小さくて可愛らしい姿をしている。もちろん、ゴーストの時よりも闇の中に溶け込んでいて視認困難になっており、ほとんどシルエットしか確認できないが。
サムカが上空に向けていた視線を、ペルの隣の子狐に向けて微笑んだ。
「うむ。ペルさんのシャドウも予想通り、闇の精霊場を強く帯びているな。そこまでの出力だと、慎重に操作した方が良かろう。シャドウが触れた物を〔消去〕してしまう恐れが高いからな」
力強くうなずくペルである。
サムカが3人のシャドウを再び見回した。軍の教官のような印象だ。
「皆、更新を成功したと判断する。呼びだした時に暗くなったり冷えるるのは、魔力が漏れているためだ。今後はそうならないようにして、効率的な運用を目指すようにな」
「はい!」
3人の元気な返事を受けて、鷹揚にうなずく。
「では、始めるとするか」
サムカが黒マントを軽くひるがえすと、コウモリ型のシャドウが50体もマントの中から発生した。すぐにサムカの近くを浮遊しながら陣形を形成していく。
「魔力は、レブン君のシャドウの半分程度にしてある。武装はソーサラー魔術の炎と氷、風と水晶の魔弾を実装した小隊が10体。同じく〔攻性障壁〕を実装した小隊が10体。君たち術者向けの〔麻痺〕と〔石化〕魔弾を実装した小隊が10体。魔法支援小隊が10体、これは動作の〔高速化〕と〔回復〕が担当だ。そして、君たちへの遠距離攻撃を担当する小隊が10体、精神攻撃とロックオン〔阻害〕にシャドウへの指令〔妨害〕を担当する」
レブンが早速メモを取る。その作業が終わってから、サムカが話を続けた。
「死者の世界での反乱オークや魔族に対する制圧で、実際に用いられる編成を簡略化したものだ。本来は、これに自動追尾機能をつけた弓兵小隊などがつくのだが、今回は無しにした。さて、準備は良いかな?」
レブンが冷や汗をかいてサムカに質問する。メモ帳を危うく落としそうになり、制服のポケットに突っ込んだ。
「ちょ、ちょっと待って下さい、テシュブ先生! 〔石化〕って、それを食らったら僕たち、石になっちゃいませんか!?」
サムカが平然と答える。
「出力が低いから、命中しても表皮が石になる程度だ。筋肉や内臓組織まで石になることはないから安心しなさい。ああ、目には命中しないように気をつけることだ。〔防御障壁〕を別に設けて目を保護しなさい」
「ひえええ」と、慌てて自身の両目に別の〔防御障壁〕を、サングラスのようにかけるレブンとペル。ジャディは既にシャドウと一緒に上空を飛びまくっているが、彼の場合はケンカ慣れしているのだろう。既に両目両耳を始め、口元にも独立した〔防御障壁〕を貼りつけていた。
サムカが穏やかな声のままで模擬戦の開始を告げた。
「では、始めよう。通常の実戦訓練ではこんな至近距離で相対することはなくて、互いに数キロほど離れてから開始する。補助魔法や索敵の駆け引きも行うからね。今回は、単純な力比べの標的だ」
50体の敵シャドウが、一斉に立体陣形を整えて臨戦態勢に入った。
最前線にソーサラー魔術の小隊が陣取り、彼らの左右に闇障壁の小隊、その後方には術者攻撃の小隊、最後尾に回復と魔法支援の小隊の構成である。
慌てて3人の生徒たちも自身のシャドウを前に出して、それぞれが術式の詠唱を開始した。
敵シャドウ部隊も魔法の詠唱を開始した。見る見るうちに、炎の玉や氷の弾丸、水晶のナイフが空中に形成されていく。
円盤型の〔攻性障壁〕も毎秒10枚強のペースで空中に生まれて、敵部隊の前面に多重壁を形成していく。これは狼バンパイアが使った盾型の〔攻性障壁〕と同じタイプのようだ。
その円盤型〔攻性障壁〕群の外縁に沿って、別の魔法陣がこれも毎秒10個ほどのペースで発生していく。これは魔法陣の形と術式から、〔麻痺〕と〔石化〕をもたらす光線の発射台だろう。
支援魔法も詠唱されているようで、シャドウのそばに〔オプション玉〕が生まれて、攻撃魔法の詠唱を開始している。術式の高速化も徐々に進んでいるようだ。シャドウ群が詠唱している術式詠唱の声色が高音域にシフトし、耳障りな音になってきていた。
サムカが念のために補足解説した。
「この準備は、本来は数キロ以上離れている段階で完了する。今回は、ごく基本的な部隊編成とその事前準備を見せるために、至近距離で行わせている。君たちのシャドウの特性と方針に従って、参考にすると良いだろう」
「了解ッス! 殿っ。もう攻撃して良いッスよね」
ジャディが上空で羽毛を興奮で逆立てて、バサバサと背中の両翼を羽ばたかせホバリングしている。もう完全に戦闘態勢だ。ペルとレブンの準備も終えたようなので、サムカが頬を緩めた。
「よし、では始めよう。攻撃開始だ」
「ひゃああっほおおおおう!」
ジャディが雄叫びを上げた。完璧な悪人面である。同時に彼の鳥型シャドウが旋風をまとって、敵軍に突撃した。
<どかあああん!>
運動場を震撼させる大爆発が起きた。しかし、炎も煙も閃光も見えない。純粋に風圧だけによる爆発だ。気圧差が大きすぎたので爆発みたいに見えている。敵の陣形が見事に粉砕されて、円盤型の〔攻性障壁〕群も風で飛ばされて四散してしまった。
サムカが感心しながら見ている。
「ほう。さすがだな。純粋な風の精霊魔法による爆風か。炎やレーザー光線ではなかったか。これは想定していなかったよ」
ジャディがさらに調子に乗って、技名を叫ぶ。
「まだまだっスよ、殿おおお! 超スゲエ爆風の次は、超スゲエ魔弾っス! おりゃああ! 蜂の巣になりやがれえっ」
レブンが、ジト目になっている。
「超スゲエって……酷すぎる名づけ方だよ、ジャディ君」
レブンのアンコウ型シャドウには、ソーサラー魔術の〔分身〕魔術が起動していた。それによって毎秒10体強のペースで、手の平サイズの小型アンコウシャドウが量産されて『突撃陣形』を組みつつあった。
陣形の前面には、結晶で出来た『槍ぶすま』が五重の層になって形成されていく。運動場の土には石英やアルミに鉄が豊富に含まれているので、それで結晶体を作成して槍状にしているのだろう。もちろん、金属のような靭性と弾性を〔付与〕する支援魔術と、攻撃魔術も忘れない。
「敵の術式詠唱完了の予想時間を計算して、その前に僕の詠唱が完了するように調整しています。テシュブ先生、僕たちの勝ちですよ」
レブンがセマンの顔のままで、冷静な口調でサムカに告げた。サムカも満足そうな笑みを浮かべている。
「そのようだな。私の読みが甘かったようだ」
同時に、ジャディが殴りこみを命じた鳥シャドウから、100本もの闇の精霊魔法が全方位に放たれた。敵軍のほぼ中央に位置していたので、たまったものではない。ほとんどの〔防御障壁〕を爆風で吹き飛ばされた敵軍シャドウが、瞬時に穴だらけにされる。が、消滅には至っていない。
「ち! この程度じゃ、まだ不足だったかよ」
ジャディが舌打ちをして悔しがる。サムカが山吹色の瞳を細めながら指摘した。
「そうだな。敵がゴーストやゾンビであれば〔消去〕できたであろうが、これはシャドウだからな」
レブンがジト目のままで、ジャディに告げる。
「勢いに任せて攻撃なんかするからだよ。20秒間ほど時間を稼いでくれたことには感謝するけど。さあ、どいてくれ。僕の番だ」
文句を返すジャディを無視して、レブンが術式を発動させた。
アンコウ型の浮遊シャドウ40体が『密集突撃陣形』を形成して、空中に浮かんで待機していた。その前面には、結晶や金属で出来た『槍ぶすま』が六重になって構成されて空中に浮かんでいる。
それが、秒速2キロの初速で、敵シャドウ部隊に突撃を開始した。音速を軽く突破したので、爆風に近い衝撃波と爆音が運動場を駆け巡っていく。
100メートルほどあった彼我の距離など瞬時に詰めた『槍ぶすま』が、敵シャドウ部隊を文字通り粉砕した。ジャディの攻撃で全身穴だらけにされていた敵シャドウ部隊が、バラバラに千切れ飛ばされる。
アンコウ部隊はそのまま敵陣を突き破って通り抜け、大きな円軌道を描いて再度突撃進路をとる。初撃で六重の結晶槍の層が四重に減っていたが、構わずそのまま再突撃を実行するようだ。
あまりの速度のためにアンコウ部隊は上空彼方まで上昇していて、サムカや生徒たちの肉眼では見えないくらいに遠ざかっている。
レブンが冷静な口調でサムカとジャディ、ペルに告げた。
「継続して加速を続けています。今は秒速4キロくらいですね。衝撃波が強くなりますから、皆さん注意して下さい」
ジャディがアンコウ突撃の破壊力に目を丸くして驚いている。頭の上には、先ほどの鳥型シャドウを浮かばせている。
「す、すげえな。レブン。敵の半数がバラバラにされちまった」
サムカがレブンに指摘する。
「初撃は良かったな。シャドウに対しては、通常の武器では効果がないから、きちんと攻撃魔術を付与しているね。だが、敵部隊には回復担当小隊が居るぞ。ほら、もう〔修復〕を開始し始めた」
確かに、体の半分以上を破壊されたシャドウが急速に元通りの姿に戻っていく。結局、レブンの攻撃で減らしたシャドウは10体ほどに留まるようだ。
しかし、レブンは、そのことも想定していたようである。魚顔に戻らず、冷静なままである。
「大丈夫です、テシュブ先生。敵の小隊配置を観測するための初撃でしたから。次で回復担当の小隊を殲滅します」
と、レブンが話し終わるのを待たずに、第二撃が炸裂した。
秒速5キロに達していた突撃アンコウ部隊の水晶と金属槍が有する運動エネルギーが、そのまま敵シャドウ部隊に襲い掛かる。文字通り、亜熱帯の森で覆われた地平線の向こう側にいたものが、1秒後には飛んできて体当たりしてきた。軌道計算も完璧である。
次の瞬間。運動場に大きなクレーターができるほどの爆発が起きた。衝撃波も強烈なものが発散されたが、これはレブンが別に発動させていた〔結界壁〕群に〔吸収〕されて、運動場に面している校舎や施設には届かなかった。学校の防御システムも、運動場の縁部分だけが起動しているに留まっている。
砂塵が激しく舞い上がり、視界が利かなくなっていく。
サムカが満足そうな笑みを浮かべたままで、レブンに指摘した。
「うむ。良い攻撃だ。だが、君のシャドウ部隊も衝撃で壊滅してしまったな。本体のアンコウ君は大丈夫なようだが。これで分かったかと思うが、衝撃波に頼る戦術は自軍にも損害が出る。今後は、衝撃波を出さない方向で戦術を組んだ方が良いだろう」
「はい、そうですね。分かりました、テシュブ先生。飛行空域も広大になって、操縦に支障も出てしまいますね。パリーさんにも「騒音公害だ」と文句を言われそうです。改良してみます」
急いでアンコウ型シャドウを手元に戻すレブンである。確かに、この攻撃で〔分身〕は全て消滅してしまったようだ。衝撃波に攻撃魔術を乗せたせいだ。視界が土埃で全く利かない中、レブンとジャディが慎重に状況確認の〔探知〕魔術をかけていく。
サムカが穏やかな声で告げた。
「うむ。こちらも術式詠唱を完了した。発動させるぞ」
瞬時に視界が回復した。舞い上がっていた砂塵が全て〔消去〕されたためだ。同時に薄暗くなっていく。ほとんど日没直後のような暗さになった後、急速に明るさが元に戻っていく。サムカが先程指摘した、魔力漏れを『止めた』せいだろう。
その中から、まだ残っていた敵シャドウが20体ほど現れた。さすがに丈夫である。
同時に攻撃魔法が発動された。曲線を描いて150発もの魔弾が、3人の生徒たち目がけて襲い掛かる。炎の玉、氷の刃、闇の筋に水晶の弾丸の攻撃で、さらにこれに円盤状の〔攻性障壁〕群が付随している。3人とも1ヶ所に集まっておらず分散していたのだが、この大量攻撃の前には意味がなかったようだ。
「ちい!」
ジャディが叫んで、風の精霊魔法による旋風をぶつけて吹き飛ばそうとする。が、その旋風があっけなく〔消滅〕してしまった。先ほどのジャディの攻撃で術式が〔解読〕されてしまったせいである。〔飛行〕魔術まで〔解読〕されてしまったようで、これも〔無効化〕されてしまった。為す術もなく、上空十数メートルから地面に落下するジャディ。
しかし、受け身の練習はきちんと真面目に行っていたようで、コロコロと10メートルほど転がって衝撃を受け流し、膝立ちながらも起き上がった。それでも、さすがに全ての衝撃を受け流す事は出来なかったようで、それ以上は動けていない。
そのジャディを背中に隠すように、レブンが駆けて位置を変えた。
「では、僕が!」
レブンが1呼吸遅れて〔防御障壁〕を展開した。これは見事に全ての攻撃を受け止めている。だが、受け止めただけで、火の玉などは消えずに残っている。そして、一瞬遅れて到達した敵の〔攻性障壁〕が、レブンの展開している〔防御障壁〕に激突して爆発した。
「うは。突破されたか」
レブンの口元が魚に戻るが、それでも冷静である。2層目の〔防御障壁〕が発生して、爆発で生じた穴を塞いだ。レブンがサムカに向かって告げる。
「でも、それも想定済みです」
一方のサムカは微笑んだままである。
「そうかね?」
「!?」
レブンが展開していた〔防御障壁〕が、いきなり全て破壊されて〔消滅〕してしまった。魚頭に戻ってしまったレブンに、サムカが笑顔のままで指摘する。
「〔防御障壁〕が〔凍結〕されたんだよ。術式が停止したので、自己崩壊してしまったね。我が軍にはまだ〔石化〕攻撃が残っているよ。どうする?」
顔面蒼白になって、冷や汗をかき始めたレブンとジャディである。もう、彼らには〔防御障壁〕は残っていない上に、攻撃魔法と魔術を全て使ってしまったので丸腰状態である。
再度攻撃するには、術式の詠唱のために更に15秒間ほど必要だ。当然、そんな時間を敵が待つわけがない。
「お待たせ!」
ペルの声が2人の背後から届いた。同時に、襲い掛かってきていた50発以上もの敵魔弾が全てかき消される。
呆然としているレブンとジャディの頭上を、ペルのシャドウである子狐が跳躍して飛び越え、敵の中へそのまま飛び込んだ。
「発動!」
ペルが一言告げる。それだけで、残っていた20体ほどの敵シャドウが、文字通り〔消去〕されてしまった。爆発も閃光も起きず、ただ消えてしまった。何も残らない。運動場に子狐シャドウが、ちょこんと座っているだけである。
「ふう……」と、息を整えたペルが子狐シャドウを手元に戻しながら、レブンとジャディに謝った。
「ごめんね。遅くなっちゃった」
ジャディが腰と背中をさすりながら、ペルに土まみれの顔を向けた。
「いやいや、助かったぜ。ペル。危うく石になるところだった。危ねえ危ねえ……」
レブンはまだ周囲を警戒していたが、級友の無事を横目で確認して安堵したようだ。
「うん、ジャディ君に完全に同意だ。目だけは〔防御障壁〕をつけていたけど、それ以外の全身を石にされるところだったよ。表皮だけの〔石化〕とはいえ、そうなったら動けなくなるからね。タコ殴りにされてしまう」
ジャディとレブンが素直にペルに礼を述べる。
照れているペルに、サムカも微笑みながらうなずいた。
「そうだな。よく間に合った。ちなみに最後の一撃として用意していたのは〔石化〕攻撃だけではなくて、〔麻痺〕と〔凍結〕魔法も混ざっていたよ。火の玉や水晶弾丸にも残弾があったから、全てを受けていたら、回復に手間取っただろう。タコ殴りで済めば幸運というところだな。恐らくはミンチ状態になっていたはずだ」
「げげ……」と、恐れ入る生徒たちである。サムカが補足説明する。
「今回は、動かない上に簡略化した部隊編成と攻撃だったが、初めてにしては上出来だ。これまでの宿題をしっかりこなしていた成果だな。徐々に難易度を上げていこう。最終的には〔ロスト〕攻撃も混ぜた敵編成の高速機動攻撃にするから、そのつもりでな」
〔ロスト〕と聞いて、条件反射でジャディが全身の羽毛を逆立たせた。構わずにサムカが話を続ける。
「さて。今回の模擬戦で、それぞれの課題が見つかったと思う。この敵部隊を1人で対処するには、どうすれば効率的かじっくり考えて、繰り返し模擬戦をしておくようにな。この編成の部隊を1人で滅することができてから、段階を踏んで敵部隊の強化を行えば良かろう」
「はい。テシュブ先生」
即答する3人である。
サムカがマントの中から水晶の〔結界ビン〕を取り出して、3人の生徒たちに1つずつ手渡した。
「中には、先ほどのシャドウ部隊を封入してある。全滅させずに1体でもこの〔結界ビン〕に戻して、死霊術場と闇の精霊場を補給してやれば、翌日に全回復する。これでしばらくの間、訓練するように」
「はい。テシュブ先生」
サムカがペルに視線を向けた。
「ペルさんは、まだ魔力バランスが不安定だな。、闇の精霊魔法はできるだけ使わずに、他の魔法を使うようにしなさい」
ペルが素直にうなずいた。
「はい。分かりました。テシュブ先生。さすがシャドウですね。ゴーストとは出力が桁違いだわ。扱いには注意しないといけないかな」
ジャディが珍しく神妙な顔で、ペルに同調する。
「だな。風の精霊魔法も、オレ様が期待した通りの出力が、渋滞せずに出せたからなあ。まさに思い通りに扱えるな、これは」
レブンも2人と同意見のようだ。
「僕は、闇や風の精霊魔法だけじゃなくて、ソーサラー魔術も使ったけれど、何の制限もなく使えたから驚いたな。シャドウの構成術式を〔解析〕したら、もっと高出力な魔法や魔術でも使えるみたいだ。僕たちがしっかり学んで魔力を高めていかないと、シャドウを使いこなせないと怒られそうだよ」
サムカが微笑んだままで、3人の率直な感想を聞いている。
「設計上の許容出力は、レブン君が言った通りまだまだ余裕がある。詳しい事は術式を読めば分かるだろう。君たちのシャドウに実装して試しても良い。しかしペルさんにも言ったが、バランスよく魔力を高めていく事を『優先』するように。私と異なり、君たちは生きているからね。特定の魔法だけを強化すると、生命維持に支障が生じるのだよ」
ペルとレブンは理解できているようだったが、ジャディは首を左右に振り子のようにして振っている。サムカがジャディに視線を向けた。
「ジャディ君の得意な風の精霊魔法ですら、このまま際限なく強化し続けると大地の精霊が相対的に弱まる。君たちの体を構成する肉体や骨は、大地の精霊の属性を帯びているものが多いからね。病気にかかりやすくなったり、体力が弱まったりする恐れが出てくるのだよ。ジャディ君の場合は筋力が弱まって、羽ばたいて飛べなくなるということだな」
そう言われて、初めて認識したジャディである。直立不動の姿勢になった。
「な、なるほど。そうなんスか。分かったっス。オレもペルと同じように、満遍なく魔法を強化していくことにするっス! とりあえずは、大地の精霊っスね。あ、炎と光も連動するか」
サムカがうなずいた。
「うむ。ゴーストを使役する程度ならば、それほど気にする必要はない。しかし今後はシャドウを使役することになるからな。レブン君も含めて3人ともに魔力のバランスが、今後は重要になってくるだろう」
精霊魔法では風は大地に最も影響を与える。影響を与えすぎると大地の精霊場が弱まってしまうのだ。
「ほう。シャドウ使いが3人も誕生したか。良きかな、善きかな」
当たり前のように自然にハグ人形が上空に現れて、「ポテ」とサムカの頭の上に着地した。サムカも機嫌が良い様子だ。ハグ人形を頭の上に乗せたままで、これを払い落とそうとはしていない。
「おう、ハグか。どうだね? 我が生徒たちの勇姿は」
ハグ人形も口をパクパクさせて上機嫌な様子である。
「このままでも、既に充分使えるシャドウ使いだな。即戦力という奴だ。組織戦闘を学べば、どこの戦場へ出しても恥ずかしくないだろうよ」
それを聞いて大喜びになるのはジャディだけだった。ペルとレブンは難しい顔をしている。サムカが咳払いをして、やや厳しい表情になってハグに指摘した。
「ハグ。この世界では、シャドウを使うような大規模な戦場はないと思うぞ。私の領地でもせいぜい魔族との小競り合いしか起きないから、この魔力のシャドウは不要だ。オーク兵だけで間に合う」
ハグ人形もそれには同意したようだ。首をブンブンと加速度をつけて前後左右に振り回す。生身の体であれば、頚椎が折れるか外れるかしているだろう。
「サムカちんの領地は平和だからなあ。オーク連合国との戦争が続く、王国連合の最南部の国境付近でないと宝の持ち腐れだな」
そして、その顔を3人の生徒たちに向けた。
「今から、魔法使いどもの統べる世界にでも攻め込んでみるかね? そのシャドウ3体なら、地方都市を3つ制圧できるぞ」
ペルとレブンが目を文字通りに丸くした。
「え!? そうなんですか!?」
すかさずサムカが苦笑しながらフォローする。
「その次の瞬間に、ウィザード部隊の反撃を受けるよ。君たちはシャドウもろとも、〔ロスト〕しているだろうね」
「ですよねー」と、互いに顔を見合わせて笑う生徒たちである。ジャディだけは半分本気にして信じかけていたので、ハグに非難の目を向けているが。




