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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
アンデッドと月にご用心
28/124

27話

【お使いハグ】

 その言葉を待っていたかのように、校長の白毛交じりの頭の上にハグ人形が現れた。

「やあ、ティンギ先生。サムカ先生から言付けを2つ預かってきたよ。まず1つ目は、警備会社の紹介に感謝しているってさ。先ほど無事に業務契約を結んだところだよ」


 いきなりの登場で目を白黒させている校長であるが、そこは慣れてきたのだろう。パタパタ踊りをするまでには至っていない。一方の警察署長と帝国軍の将校は、思い切り驚いて踊っているが。


 ティンギ先生がその踊っている2人を微笑ましく眺めながら、ハグ人形に挨拶する。また、何となく〔予知〕していたのだろう。

「礼には及ばないよ。私はただ、紹介しただけだからね。しかし、その、シラミか何かが湧き出るような登場の仕方は改めた方が、初対面の人たちに対する印象が良くなると思うが」

 その土台にされている校長が、さすがに苦笑する。

「シラミって……特にかゆくも何ともありませんよ。ですが、出現なさる前に何かしらの前兆を用意して下さると、私としても助かります。ハグさま」


 ハグ人形が校長の頭の上で座禅を組んで、上下サカサマになった。

「ふむ……印象か。召喚ナイフの販売促進にも影響するだろうから、考えておくよ。さて2つ目だが、君がサムカに頼んでいた『シャドウ』のことだ。サムカが〔召喚〕されるまで、まだ日数がかかる。その間、無為に過ごすのも退屈だろう。君も先ほど仕事が欲しいような口ぶりだったからな」


 ティンギ先生が少し目を輝かせた。ハグとは意外に気が合うのかもしれない。

「お。提供してくれるのかい?」

 ハグ人形が口をパクパクさせながら、大げさなアクションをとって反応した。

「察しが良いな。うむ、そうだ」

 そう言って、ハグ人形がその懐から小さなガラスの小瓶を取り出して、ティンギ先生に投げて渡した。〔結界ビン〕だ。

 受け取ったティンギ先生の手の平の上で、そのガラス瓶がムクムクと5倍くらいに大きくなる。圧縮されていたようで、それが解凍されたのだろう。ちょうどティンギ先生の手の平に収まるサイズになった。


 ハグ人形が解説を続ける。

「中には、シャドウが1体入っておる。意識を有するが、会話できるような自我は持っておらん。所有者の登録と認証は、先ほど、君が触った時に完了しておるぞ。今後は、君しか〔結界ビン〕を開けることはできない」


 断りもなく勝手に登録と認証が完了してしまっているのだが、ティンギ先生は特に気にしていない様子だ。ハグ人形が解説をさらに続ける。

「まあ……何らかの理由で君が死んだり気絶してしまうと、登録や認証は〔初期化〕されてしまうがね。その時にシャドウが外界に出たままだと、制御不能になって暴走する。そうなると君がすぐに〔蘇生〕や〔復活〕をしたとしても、そのシャドウを破壊するしかなくなる。用心することだ」


 ティンギ先生が小瓶を両手の中で転がしながらうなずいた。

「分かったよ。なるべく死なないように努力しよう。それでこのシャドウは、どのような仕様なんだい?」


 ハグ人形がサカサマ座禅のままで、校長の頭でホッピングしながら話を続ける。

「既に、マニュアルは君の頭の中に〔転送〕されていると思うが。登録も終わっているから、そのシャドウの術式も自動的に環境に合わせて最適化される。ああ、それでも校長にも一応、聞いてもらう方が良いか」

 校長が頭を動かさずに同意した。ハグ人形を落とさないための配慮だろう。

「そうですね。概要だけでも教えて下さると助かります」


 それを聞いてハグ人形もうなずいた。

「シャドウというのはアンデッドの一種でな。実体を持たぬ幽霊のようなものだ。半実体という状態だな。ゴーストの上位種となる。専用の魔法処理をされていない武器や器具を使わないと有効打を与えることはできないぞ。魔法攻撃はそれなりに有効だがね」

「ふむふむ」と両耳を立てて聞き入る校長だ。ティンギ先生は、それほど集中していないが。


 ハグ人形が話を続ける。

「一方、シャドウは君たちに『触る』ことができる。初期設定では〔麻痺〕にしてある。〔麻痺〕といっても心臓が停止するようなモノではないから安心してくれ。手足の主な筋肉の運動神経が極端に鈍る程度だ。それも、数分以内に解除される弱いものにしてある」

 校長と軍将校と警察署長が、〔麻痺〕という単語に緊張したが、ハグの説明を聞いて納得したようだった。鼻先のヒゲが揃ってリラックスしていく。ティンギ先生もポケットからパイプを取り出しかけて……止めた。


 ハグ人形が校長たちの反応を確かめてから説明を再開した。

「サムカが実際に戦闘で使用するようなシャドウは、〔麻痺〕ではなくて、〔石化〕、〔塩化〕、〔液化〕に〔呪い〕、精神〔破壊〕系統の魔法で武装している。一応、追加機能で、それらも使用できるようにはしているが、生徒相手の実習では、慣れてから徐々に使うようにした方が面倒がなくて良いだろうな」

 その通りだと同意する校長たちである。ハグ人形も彼らの反応を再度確認する。慎重に対応してくれている様子だ。

「とりあえず初期設定では、起動後すぐに100体に増殖するようにしてある。ティンギ先生の担当するクラスの生徒数である30人に、3体ずつのシャドウが割り当てられることになるな。回避と行動〔予知〕の実習には、3体を相手にするくらいでちょうど良いだろう」


 ティンギ先生がニヤニヤしたまま同意した。

「そうですな。3体相手であれば、複雑な攻撃術式を組むことができますね。感謝します」


 ハグ人形もティンギ先生を真似したニヤニヤ笑い顔をつくろうと、自分の顔をあちこち引っ張り始めた。一応ニヤニヤ笑いをする行動術式の更新は済ませているのだが、まだセマンのニヤニヤ笑いを実現するまでには調整が進んでいないのだろう。

「初期設定では、シャドウの攻撃は相手に直接『触れる』ことでしか発動しないようにしてある。もちろん追加設定で、飛び道具も使用できるが……それはマニュアルに詳しく書かれているから省略しよう。また、シャドウに〔防御障壁〕やウィザード魔法を使わせることもできる。装備できる魔法リストも添付してあるから見ておいてくれ」


 警察署長と軍の将校が、共に顔を青くしているのがよく分かる。校長も冷や汗をかいている。それを楽しげに横目で見るティンギ先生である。

「分かったよ、ハグさん。かなり追加機能をつけてくれたね。これで相当に楽しく遊べそうだ」

 ハグ人形が口をパクパクさせた。

「まあ、この世界では魔力源である死霊術場が弱いからなあ。追加機能を発動させても、それほど強力にはならないよ。この学校の生徒なら、直撃を食らっても気絶するだけで終わるだろうな」


 ちょっと残念そうな表情になるティンギ先生だ。校長と警察署長に軍将校からの非難めいた視線を浴びて、背筋をピンと伸ばす。ハグ人形がその署長と将校に視線を移した。黄色いボタンの目だが。

「君たち一般の警官や軍人は、防御服を完全装備しておかないと後遺症が残る恐れがある。気をつけることだ。ここの生徒と違って魔法適性がないからね」

 言われた警官と軍人が、思わず緊張している。校長もハグ人形に同意した。

「そうですね。魔法適性を持たない方は事務職員にも多いですね。対策するよう指導します」


 ハグ人形が満足そうにうなずいた。

「うむ。これで2つの『ことづけ』は終わりだ。では、ごきげんよう。何か用事があれば気楽に呼んでくれたまえ。パパラパー」

 そのまま、<ポン>と音を立てて煙になって消えた。


 ポカンと口を半分開けた状態で見送る警官と軍人に、校長が微笑みかける。

「彼が依代人形のハグさんです。サムカ先生の〔召喚〕を管理している、リッチーのハーグウェーディユさんが使用しています。彼が自身の姿をこの世界に直接現すと、その強力すぎる魔力のために悪影響が起きるそうなんですよ。それを回避するために、こうした対話方法を採用しています」


 警察署長は以前に見たことがあったので、まだ落ち着いているように見える。

「見た目は普通の人形なのに、そんなに強力な魔法使いなんですか。彼は」

 校長が首を少しかしげながら、曖昧な笑みを浮かべた。

「さあ。私も、テシュブ先生から聞いているだけですから。ですが、彼は嘘をつくような方ではありませんから、そうなのでしょうね」


 軍人の方は、ティンギ先生が持っているガラス瓶に興味津々な様子である。

「私の部隊の訓練でも使えそうですね、それ。生徒相手の授業の空き時間に、お手合わせできないものでしょうか」

 ティンギ先生が面倒臭そうな表情になった。

「別に構わないけど……私のオヤツの時間と散歩の時間は遠慮してもらいたいかな」


(それって、時間なんてないということですよね、ティンギ先生……)

 と、思わずツッコミを入れかけた校長である。



 ティンギ先生が嬉しそうにガラス瓶をお手玉しながら、仮設テントへ戻っていく。その後ろ姿を見送りながら、校長が軍の将校に尋ねた。

「巨人ゴーレムが暴れた軍キャンプ地ですが、施設の復旧は完了したのですか?」

 聞かれた軍将校がドヤ顔になって、両手を腰に当てた。今は拳銃などの武器は携帯していないので、普通のベルトに手をかけている。

「はい、おかげ様で。魔法場汚染がそれなりにありましたので、除染作業に少し手間取りましたが。今は、仮設ではありますが全部署が入って機能していますよ。施設の本格復旧は、来月末には終わる予定です」


 校長が素直に喜んだ。白毛交じりの尻尾もリズミカルに揺れる。

「そうですか。帝都防衛の拠点ですからね。早期の復旧を期待していますよ。帝都が安定しないと、辺境のここ魔法学校の防衛施設の増強もなかなか思うように進まないものですから」


 軍将校がこれまた実直そうな表情で深くうなずいた。技術職上がりの雰囲気が良く出ている。

「そうですね。我々工兵部隊も更に練度を向上させて、迅速な施設機能の復旧が行えるようにならないといけませんね」

 そして、運動場を整地している数台の重機を指さした。

「ドワーフ製重機は魔法に頼る部分が少ないので、我々一般の工兵にも扱いやすいですね。この運動場は、様々な魔法が使用されたせいで事実上、魔法禁止区域になっています。今はソーサラー魔術くらいしか安全に使えないようです」

 あれだけ先生と生徒が魔法を使いまくったのだから、当然である。

「ですが、除染作業を並行して行っていますので、明日には魔法場汚染も弱まって復旧できるでしょう。そんな現場での作業では、魔法に依存しないドワーフ製機械が本当に重宝しますよ」


 確かに、運動場にはゴーレムの姿が見当たらなかった。将校が工兵に指示を下しながら、校長に話を続ける。

「ですが……校長がご指摘なされた通り、秘密の部品や回路、ブラックボックスが多く仕込まれているのも事実です。軍の情報を漏えいさせているのでしょうね。なかなか難しい面もあります」


 その点には校長も全くの同意見のようだ。軍将校の尻尾の動きに完全に同調している。

「魔法高校の保安警備システムや機器類も、ドワーフ製はそのようですね。教育研究省としても難しいところだそうです。我々は盗聴システムを識別できませんからねえ。今の所は、情報漏えい被害は顕在化していませんので、問題は表面化していませんが……将来も大丈夫とはとても言えませんね」


 警察署長も似たような経験をしているのだろう、苦虫を噛み潰したような顔でうなずいている。

「どこも、ドワーフ製機器には不安な様子ですねえ。我々警察としては実害が出て証拠も挙がってこないと、ドワーフ政府に抗議ができません。苦慮しているところですよ」

 証拠なんか見つからないよ……とどこかのドワーフ先生は豪語していたようだが。

「将来は我々タカパ帝国独自の技術だけで、こういった機器の製造や、保安警備と人員管理システムの構築と運用を行わないといけませんね。そういう意味でも、この魔法高校の卒業生には期待しているんですよ」


 校長が少し緊張した表情になった。両耳もピンと真上に伸びる。

「私も努力は惜しまないつもりです。反面、魔法事故も起きますから、警察と帝国軍の皆様にはこれからもご苦労をかけることになると思います。よろしくお願いしますね」


 軍の将校はニコニコしてうなずいたが、警察署長は微妙な表情である。

「実は……先日の軍キャンプ地での巨人ゴーレム騒動と、ここの魔法学校の各騒動のおかげで、警察の人員リソースがかなり割かれているようなのですよ。我々警官の人員は、そう簡単には増やせませんから。そのために、治安維持のために割く警官数が不足する地域が出始めているという噂が流れています」


 軍の将校も表情を険しいものに改めて、警察署長を見た。

「それは、つまり……帝国内のテロ組織が活発化しつつあるということですか?」

 警察署長が表情を変えずに機械的にうなずく。

「そういうことですね。詳しい情報は、我が所轄には入ってきませんので不明ですが……特に、竜族独立派の動きが最近怪しいという話を聞くようになりました。どこからか、資金源を得た模様です。まあ、ここ魔法学校はテロの標的には、ならないと思いますよ。官庁街や観光地ではありませんからね」




【魔法学校と接する亜熱帯の森】

「カカクトゥア先生~」

 運動場を横切って、森の端にやってきたエルフ先生の後ろから、ミンタとムンキン、それにペルとレブンが走って追いついてきた。

 休校中なので制服姿ではなく、学校指定の運動服である。いわゆる『芋ジャージ』姿で、若草色と白の2色の上下服だ。これは1年生から3年生まで共通で、名札の色だけが学年ごとに異なる。ミンタたち1年生の名札の色は小豆色だ。


 運動場は帝国軍の工兵部隊による整地作業中の真っ最中で、重機も数台がうなりを上げて稼動している。当然、危険なので立ち入り禁止なのだが、そこは、すばしこい獣人族である。そんな名目上の禁止事項に従うつもりは全くない様子だ。

 実際、作業している工兵たちも生徒たちのことなど気にしていない。現場監督官もあくびをして、生徒たちに手を振って、にこやかに応えているのは感心できないが。指揮官である工兵部隊長も、警察署長や校長と一緒に談笑している。


 その代わりにエルフ先生が腰に手を当てて仁王立ちになり、生徒たちに相対した。

「こらこら。工事現場の中ですよ。勝手に入ってはいけません。寄宿舎に戻りなさい」

 そんなエルフ先生の言葉には文字通り耳を傾けず、ミンタとムンキンが走りきった勢いのまま《どーん》と、エルフ先生に体当たりした。

 生徒の身長は1メートル弱しかないので、エルフ先生の両足が半歩分だけ、その勢いに押されて後ずさっただけで済んだ。ペルとレブンはさすがに体当たりをせずに立ち止まっている。


 ミンタが太陽のような明るい笑顔で、エルフ先生の顔を見上げた。明るい栗色の瞳がキラキラと輝いている。

「だーいじょうぶですよ、カカクトゥア先生。あんなノロノロ動いている機械なんかに私たちが当たるわけないですもん」

 ムンキンもエルフ先生に抱きついたままで、顔を上げて濃藍色の目をパチクリさせる。

「そうですよ。目をつぶっていたって、あんな鈍重なメカなんかに当たりませんよ」


 それはエルフ先生にも充分に理解できていることのようだ。空色の瞳を細めて、少し困ったような顔で生徒たちを見下ろすだけである。

「あのね……私はこれでも警官なのよ。どのようなものであれ、規則は規則です。まあ、現場監督さんが文句を言わないのも問題なんだけど。それで、宿題は済ませたの?」


 そのエルフ先生の質問は、全校1位と学年2位の生徒に対しては無用なものだったようだ。「ぱっ」と、エルフ先生から離れたミンタとムンキンが胸を張って、お澄まし笑顔をする。

「当然です。ペルちゃんと、レブン君も済ませていますよ!」

 ミンタが金色の毛が交じる尻尾をブンブン振り回して即答する。ムンキンも細かいウロコで覆われた顔を膨らませて、大きな目を瞬かせている。

「あの不良生徒のジャディ君ですら済ませていますよ、先生」


「不良とはなんだよ。吹き飛ばすぞ、このトカゲ野郎」

 ジャディの声が響いたので森の中を皆が見ると、木の枝にいつの間にかジャディが留まっていた。先ほどまでいたパリーの姿が代わりに見えなくなっている。どこかへ去ったようだ。

「カカクトゥア先生。その変な姿、いつになったら元に戻るんだよ。飛族がかなりショックを受けて塞ぎこんでいるぞ」

 エルフ先生にストレートに言い放つジャディである。彼はサムカ先生『命』なので、エルフ先生はどうでもよいという考えなのだろう。撃ち落されたことも微妙に根に持っているようだ。


「はあ!? 何言っているのよ、この鳥は。かっこいい耳と尻尾でしょうが!」

 すかさずミンタが烈火のような口調で、樹上のジャディに食ってかかった。今までエルフ先生との会話に加われずに、オロオロしていたペルもミンタに加勢する。とはいえ「そうよそうよ」とパタパタ踊りをする程度だが。


 一方のムンキンは半分ジャディに同意しているようだ。それは魚族のレブンも同様のようである。2人とも微妙な顔で「ゴニョゴニョ」何か言っている。


 一触即発な雰囲気になったので、すかさずエルフ先生が咳払いをして、空気中に静電気を帯電させた。たちまち、毛皮と羽毛が総毛立って火花が飛んだので、押し黙る狐と鳥である。

「工事の邪魔になりますよ。大人しくしなさい。この耳と尻尾ですが多分、明日には消えると思います」

 エルフ先生がジャディに向けて語る。「えー……」と、不満をもらすのはミンタとペルだ。


 エルフ先生が少し冷や汗をかきながら、ジャディに聞いてみた。

「やはり、異様な姿に見えますか。ジャディ君」

 ジャディが背中の大きな翼を、数回羽ばたかせてニヤリと笑った。元々が凶悪な形相なので、悪人そのものの表情になっている。

「だなあ。翼と尾翼が生えたら、あいつら狂喜しただろうけどな。狐みたいな毛皮に獣耳と尻尾だったから、コレジャナイってショックを受けてんだよ。まあ、先生も迷惑してたみたいだし、これで穏やかな生活に戻れるだろ」


 確かに毎日、護衛だなんだという名目で、100羽以上の飛族が常時エルフ先生の周囲にいる状況が続いていた。それから開放されるのは、エルフ先生にとっても歓迎すべきことであった。

「まあ、そうね。正直に言うと、ほっとしているわね。狼バンパイアや巨大ミミズの時も勢いに任せて攻撃していたから、ヒヤヒヤしていたのよ実は。あなたたち飛族やオオワシ族は、ジャディ君を除いて自動〔蘇生〕法術は習得していないものね。死んだらオシマイなのよ」


 そんなエルフ先生の指摘に、完全に同意するミンタである。

「そうよ。私たちと違うのよ。飛族もオオワシ族も、暴れるのは別に構わないわよ。でも、調子に乗って死んじゃったら、それっきりなんだからね。ジャディ君も前回〔ロスト〕しかかったでしょ。自動〔蘇生〕法術だって、昨日やっと習得できたんだし。私たちの特訓に感謝しなさいよね」

 そう言われると、さすがに「ぐぬぬ」と唸ったきり、言い返せないジャディだ。


 エルフ先生も生徒たちと一緒に森の中に入りながら、地面に舞い降りてきたジャディに重ねて指摘する。森の中に足を踏み入れると、たちまち運動場での整地作業の音が聞こえなくなった。さすがはパリーの〔結界〕である。

「〔蘇生〕法術は万能ではありません。五体満足な状態でないと機能しませんからね。爆発でバラバラになったり、〔石化〕や〔液化〕されても同様です。生き埋め状態や、水の底に沈んでいても、そこから脱出できない限りは窒息して、また死んでそれっきりになるわけですからね。それと〔ロスト〕にも効果は期待できませんよ」

「ぐぬぬぬ……」と、さらに苦虫を噛み潰したような顔になっているジャディである。


 ペルもおずおずと口を開く。

「え、ええと……ジャディ君。闇の精霊魔法を受けて体の一部が消失しても、その自動〔蘇生〕法術では〔修復〕できないから、注意してね。〔修復〕には、闇の精霊魔法を使わないといけないの。だから〔ログ〕だけは絶対に紛失しちゃダメだよ。二度と〔修復〕できなくなっちゃうから」

 レブンも「やれやれ……」と言わんばかりの表情でジャディに告げる。

「分かっていると思うけれど、死霊術を受けて〔アンデッド化〕しても、〔蘇生〕できないからね」


 皆に集中攻撃を受けたジャディが、頭を抱えて羽ばたいて再び飛び上がって木の枝にとまった。

「うるせえ、うるせえよ。分かってるから、くどくど言うなって!」

 そのジャディの頭の上に、ポトリとハグ人形が落ちてきた。

「〔ロスト〕されても、まだ性根が直っておらんようだな。もう一度〔ロスト〕し直してみるか? 鳥」


「うひゃあああああっ!」

 意外と可愛い黄色い声を上げて、ジャディが頭の上のハグ人形を両手で払い落とした。


 払い落とされたハグ人形が見事なスカイダイビングを見せながら、レブンの頭の上に着地する。ちなみに、レブンは今はセマンの姿である。

「居心地は羽毛の方が良いな。レブン君よ、毛髪を羽毛にしてみる気はないかね?」

 レブンはいたって冷静なままで即答した。口元も魚のそれに戻っていない。

「いいえ。そんな変身は趣味ではありません」


 代わりに驚きの表情になったのはエルフ先生だった。

「げ。リッチーじゃないの」

 ハグ人形の適当な作りにも不快感を覚えたようで、さらに表情が険しくなった。

「ここは、森の精霊パリーの〔結界〕内ですよ。すぐに退散した方が身のためだと思いますが、アンデッドさん。というより、よくここが〔探知〕できましたね。〔結界〕内は生命の精霊場が強いのに」


 ハグ人形は平然としたままである。レブンの黒い髪の毛を「ポンポン」と叩いて座る場所を確保しながら、パクパクと口を開け閉めする。

「この程度の〔結界〕、ワシには意味はないぞ。それに、ここにいるのはワシではなくて、ただの操り人形だからな。森にも影響は出ないよ。改良を重ねておるから、死霊術場や闇の精霊場の漏出もかなり減っておるぞ。感謝しろよ」


 ……が、ジャディには影響が思い切り出ているようで、羽毛で覆われた顔を真っ青にしている。それを見上げて、ハグ人形が愉快な声で笑いかけた。

「〔ロスト〕された記憶は残っておるようだな。あの時はショックで一時的に忘れておっただけか。ふふふ。完全に〔ロスト〕が終了するまでは、意識があるのだよ。なかなか面白い体験だっただろ? 自身の存在が急速に〔消滅〕して、『最初から存在しなかった』ことになっていく感覚は」


 再び黄色い悲鳴を上げて、飛んで逃げ去っていくジャディであった。よほど酷いトラウマになったのだろう。皆がジャディを見送る。特に誰も引き留める者はいないようだ。ハグ人形がレブンの頭の上で寝転がった。

「良いことをすると気持ちが良いなあ。ははは。これで、あのうるさい鳥も少しは大人しくなるだろう」


 エルフ先生が少しだけ口元を緩めながらも、ジト目になってハグ人形を見据えている。

「まったく、これだからアンデッドは。それで、アンデッドのリッチーさん。何か用事なの?」

「うむ」

 ハグ人形が、おもむろに起き上がってエルフ先生に顔を向けた。声の調子が一転して真面目なものになる。

「サムカの牙が折れてしまってな。貴族の〔修復〕魔法や、オークどもの歯科技術では直らぬのだよ。それで、誰か歯科医師のツテはないかと探しておるのだが……知っとるけ?」


 ペルとレブンが同時に驚いた。レブンが頭の上のハグ人形を両手で持って、顔の前に移す。明るい深緑色の瞳が驚愕の色を放っている。

「それって、本当ですか!?」

 ペルも足を絡ませながら慌てて駆け寄ってきた。

「ええ!? テシュブ先生がケガしちゃったの!?」

 ペルの驚きに続いて、レブンも顔を魚のそれに戻しながら、ハグ人形に詰め寄って重ねて聞いた。

「巨大ミミズの攻撃のせいですか?」


 ハグ人形がレブンの両手の中で正座しながら、愉快そうな口調で頭をかいた。

「まあ、そうだな。貴族は牙だけは〔修復〕が難しいんだよ。牙から潜在魔力を〔吸収〕するんで、その部位だけは生命の精霊場を帯びておるからな。〔再生〕や〔修復〕の闇魔法と衝突してしまうんだ」

 エルフ先生が意外そうな表情で反応している。

「へえ……そうなのですか」


 ペルがパタパタ踊りをしながらハグ人形に詰め寄った。まだかなり混乱している様子だ。

「あ、あのっ。テシュブ先生はそれで、病気みたいになっているんですか?」

 レブンも同調して、顔がマグロに戻ってきている。

「魔力を〔吸収〕できない、ということは、魔力の維持ができないのでは……」


 ハグ人形が面倒臭そうに手を振って否定した。

「いやいや。牙が折れた程度では、貴族は寝込んだりしないぞ。魔力補給は、基本的に沐浴によって行うからな。何度も言っているが、牙から潜在魔力を〔吸収〕するのは趣味嗜好みたいなもんだ。サムカちんも元気だから心配するな」


「なぁんだあ……」と、ほっとするペルとレブンである。一方のミンタとムンキンには特にコメントする気はなさそうだ。

「だが。牙が欠けておるままでは貴族としては恥ずかしいそうでな。サムカは、ただでさえ華やかな社交場へ出向かない性格だからなあ。さらに悪化して、城に引きこもるようになるやも知れん」


 サムカが引きこもっている姿を、想像できない様子のペルとレブンである。パタパタ踊りを止めた代わりに、首をかしげて考えて込んでいる。

 ミンタとムンキンにも想像ができていないようだったが、妙に笑いのツボを刺激したようだ。肩を震わせて笑いをこらえているのが丸分かりである。エルフ先生も失笑を隠しきれない様子だったが、何とか冷静を装って、狐の両耳と尻尾をパタパタさせながらハグ人形に質問した。

「そ……それで、歯科医師は見つかったのですか?」


 ハグ人形がフルフルと頭を振った。

「テントの中を見たが……ドワーフは寝込んでおるし、ノームやウィザードどもは錯乱したままで話を聞ける状態ではないな。困っておる。連中の本部事務所に行って聞くべきなのだが……面識がなくてなあ。こんな人形が出向いても、怪しまれるだけだろう」

 エルフ先生も素直に同意した。

「そうでしょうね。先生たちはまだ、ライカンスロープ病から完治していません。まだ意識も混濁したままですから、質問には満足に答えられないでしょうね。ですが2、3日後には、元に戻ると思いますよ」


 ハグ人形が改まって、エルフ先生に顔を向けた。黄色いボタンの目を縫いつけている糸が少し緩んだのか、両目がわずかに跳ねる。

「エルフ世界の医者では、何とかできないかね?」

「え?」

 エルフ先生の目が点になった。一瞬、理解できなかったようだ。


 ハグ人形が腕組みして頭を傾けながら、言葉をつなぐ。

「アンデッドへの歯科治療だから、相性は最悪だと思うが……牙が欠けたままでは、次の〔召喚〕を恥ずかしがって拒否しかねないのでな。ワシとしても都合が悪いのだよ。何とかできないかな」

 ペルとレブンが同時にエルフ先生にすがりついた。

「カカクトゥア先生! テシュブ先生が登校拒否なんて嫌です」

「僕も嫌です。何とかできませんか? お願いします」


 ミンタとムンキンもサムカが来なくなる事には反対のようだ。エルフ先生の服の袖を持って見上げる。

「先生。私も、もっとテシュブ先生から色々と教わりたいので、お願いします」

「僕も同意見です」


「うーん……」と、困ったような顔で考え込むエルフ先生である。両耳と尻尾がクルクルと円を描いて回っている。

「そうね……私も、助けてもらった事があるし。とりあえず、本国の医局に聞いてみるだけ聞いてみるかな」

 そして、ハグ人形に視線を戻した。

「ハグ。今から〔念話〕で打診してみるわ。でも、あてにしないでね。警察と医局は別組織だから」

「ああ、分かっておる。無理は承知じゃ」


 意外なほど真面目な返答をするハグ人形に少し面食らいながらも、エルフ先生が手早く術式を展開して、エルフ語で何事か話を始めた。早速、相手につながったようである。生徒たちに合図して、1人背を向けて話をし始めた。

 ペルがオドオドしながらエルフ先生の背中を見つめている。

「どうかな……うまくいけば良いな」

 レブンも魚顔に半分戻りながらも、両手でしっかりとハグ人形を持っている。

「うん。うまくいくと良いな」


 ものの1分もしないうちに、エルフ先生がこちらを向いた。交渉が終わったようだ。キョトンとした顔をしている。

「……構わないって。ブトワル王国の医局長ディ‐ナファス‐プンバントゥ‐モスさんが、次回のテシュブ先生の〔召喚〕に合わせて、こちらへ往診にやってくることになったわ」


「やったあ!」と、大喜びの生徒たちである。エルフ先生はそれでも不思議がっているままだ。

「大変忙しい方だと聞いているんだけど、最優先でサムカ先生の歯を診察するって。簡単に決まっちゃった」


 ハグ人形も、こんなにあっさりと決まるとは予想していなかったようだ。エルフ先生と一緒に首をかしげていたが……

「ま、いいか」

 と、割り切ったようだ。

「色々と裏がありそうだが、まあ、よかろう。では、サムカにも伝えておこう。これで、次回の〔召喚〕も確実になったな。よしよし」


 エルフ先生も同じ結論に達したようである。

「そうですね。この後は、サムカ先生の問題ですし。ブトワル王国は他のエルフ王国と違って、異世界との接触に積極的ですからね。現に私がこうして、ここに先生として派遣されていますし。死者の世界との接触の足がかりになると考えたのかもしれませんね」


「あんまり~、関わるのは感心しないな~」

 眠そうな声がして、パリーが森の奥から姿を現した。 

 ハグ人形の姿をレブンの両手の中に認めるなり、露骨に不機嫌な表情になる。すぐにハグ人形がパリーに会釈した。

「これは森の妖精殿。何かするつもりはないので心配せずとも良いぞ」

 エルフ先生もここはハグ人形に味方する。

「そうよ、パリー。リッチー本体じゃなくて人形だから、不愉快な魔法場は発散させていないわよ」


 他の生徒たちもエルフ先生に味方したので、ため息をついて肩の力を抜くパリーであった。

「まったく~。リッチーも~ずる賢くなったものね~。まあ~、確かに~その人形には~害がないし~、先日の~狼バンパイアたちが~傷つけた森の復元も~手伝ってくれたから~、とやかく言うつもりは~ないけどね~ぶつぶつ」

 パリーの嫌味を皆、辛抱強く聞いてくれている。ハグ人形も余計なツッコミを入れるのは、今は得策ではないと心得ているのだろう。ヘラヘラとした愛想笑いをして、本当の人形のように首を振っている。


 パリーが話し終わって一呼吸ほど間を置いてから、ハグ人形が話を続けた。

「感謝するよ、パリー殿。ワシの用事は終わったから、後はここにいるエルフ嬢の用事につき合うよ。そのために、森の中まで歩いて来たのだろう?」


 エルフ先生が「コホン」と咳払いをした。そして、空色の瞳でパリーを真っ直ぐに見つめる。狐型の大きな両耳も、しっかりパリーの立つ方向に正確に向けられている。

「パリー。申し訳ないのだけど、少し力を貸してもらえないかしら……ん? 何? この良い香りは」

 鼻をクンクンさせるエルフ先生である。獣化しているので、嗅覚が鋭敏になっているのだろう。他の生徒たちも、すぐに気がついたようだ。そして、それが何なのかも瞬時に理解したようである。揃ってジト目をパリーに向ける。


 そのパリーがヘラヘラ笑いながら、ヒョウタンを1つ裾から取り出して見せた。

「えへへ~。今年のお酒よ~ん」


 エルフ先生もジト目になってパリーを見据える。

「パリー……しばらく姿を消していたと思っていたら、これを取りに戻っていたの?」

 パリーは「少々意外だ」というような表情になっている。

「あら~。喜んでくれると思ったのに~。新酒だよ~? あ、これはヤマブドウのお酒ね~。アケビのお酒もあるのよ~。明日には、イチジクのお酒もできるわ~」


 エルフ先生の目が<キラリ>と輝いた。が、慌てて理性を取り戻す。尻尾がバッサバッサと地面を掃いているので、心情を隠しようもないのだが。

「え、ええと。コホン……お酒の話は、後でね。ええと、ええと、何を話そうとしていたんだっけ、私」


 ペルが鼻をクンクンさせて、ミンタにささやいた。 

 鼻先のヒゲが、ぎこちなく上下に動いている。口元のヒゲに至ってはピクピク細かく振動していた。未成年なので、酒を警戒しているのだろう。

「ミンタちゃん。もっと隠しているわ。パリーさん」

 ミンタもジト目のままで同意している。彼女のヒゲもペルと同じような挙動だ。

「うん。1年分のお酒を仕込んだみたいね、あの妖精」

 そして、森の奥をキョロキョロして見通した。

「やっぱり。森じゅうの木のうろの中に仕込んであるわね。この酒乱妖精め」


 レブンとムンキンが顔を見合わせた。こちらもジト目になっている。

「そうか。だから森の虫や蛇が酔っ払っているのか。どんだけ大量に酒を仕込んでいるんだよ、まったく」

 ムンキンが濃藍色のジト目にして文句を言うと、レブンも魚の口に戻った顔で同意している。

「酒に強いはずのコウモリや鳥も酔っ払っているよね」


 パリーはそういったことには無頓着なようだ。仮にも森を守護管理する妖精なのだが。ヘラヘラした猫が、さらにマタタビの臭いをかいで酔っぱらってしまったかのような、締まりのない笑いを口元に浮かべたままだ。

 酒が入ったヒョウタンを持って寝間着姿でフラフラしているので、酔っぱらいのようにも見える。

「いいじゃな~い。あ~、でも、そろそろ~『ヒドラ』や~『アウルベア』みたいな連中が~越冬しに南下してくるのよね~。連中~大酒飲みだから~面倒だな~。かといって~立ち入り禁止にしたら~、他の森の妖精に~文句言われるし~う~ん、困ったな~」


 などと、ニヤニヤ笑いをしながら全然困っていない様子のパリーである。本音としては酒が引き起こす騒動に期待しきりなのだろう。でなければ、森中に酒を仕込みまくるわけがない。


 森の中で定期的に残留思念掃除をしているミンタとムンキンが、露骨に不快な表情になった。ペルとレブンもそれほどではないにしても、やはりジト目が顔に貼りついたままだ。


 ミンタが両耳をパタパタさせて、虫を追い払うような仕草を見せる。

「ただでさえ、この森には野牛とかの大型動物が多く棲みついているのに。さらにヒドラとアウルベアまで大群でやってくるの? ちょっと勘弁して欲しいわね」

 ミンタが遠慮なくズケズケ口調でパリーに抗議するが、パリーはヘラヘラ笑ったままである。ムンキンも「フン」と鼻を鳴らして、顔の柿色のウロコを膨らませた。

「やっとオオワシ族が出て行ったというのに、今度はヒドラとアウルベアかよ」


 しかしエルフ先生は予想よりも平然としていた。脱力してはいるが、優しい微笑みでミンタとムンキンに諭す。

「渡りは毎年の恒例行事だし、森は広大だから問題はないでしょう。去年も特に騒動は起きませんでしたからね。でも、パリー。お酒の仕込み過ぎは、騒動を起こす危険性を上げることになります。ほどほどにして下さいね」

 エルフ先生もそのようなパリーの思惑は当然知っているのであるが、口頭での注意だけで済ませてしまった。


 ちなみに、ヒドラというのは巨大な多頭蛇で魔法も使える。アウルベアは、熊と大フクロウとが融合した凶暴な肉食獣である。どちらも太古の古代文明によってつくられて、野生化した動物だと言われている。

 いつもは、もっと北の落葉樹が生い茂る森を徘徊している。しかし寒くなると森に餌が少なくなってくるので、暖かい南の森へ渡りにやってくるのである。渡り鳥のようなものだ。

 そして連中の渡りには、それぞれの森の妖精の政治的な駆け引きも加わっているようである。パリーといえども、自身の勝手で出入り禁止処分にすることはできない決まりだ。


 エルフ先生もペルやミンタと一緒に、森の中を漂っている酒の香りをかいでいたが、本題をようやく思い出したようだ。軽く咳払いをして、狐型の両耳を数回上下にパタパタと動かす。

 そしてパリーに真面目な視線を向けて、話の続きを始めた。尻尾も数回パサパサと落ち葉に覆われた地面を掃いて、小さなキノコを数個弾き飛ばす。しかし本物の狐族とは違って、鼻先や口元のヒゲまでは自在に動かせない様子である。

「私たち異世界の者たちが全員、ライカンスロープ病にかかってしまったの。私は見ての通り、狐みたいになってる。おかげで、精霊魔法が使いにくくなっているのよ。パリーに魔力支援してもらいたいんだけど、いいかな?」


 エルフ先生の見事な狐型の尻尾が再び遠慮がちにパサパサ動いたのを見て、パリーの顔が弛緩した。ほのぼのとした表情に戻っていく。

「いいわよ~。どうせなら~、ずっ~と~このまま獣のままでも良いのよ~。というか~、そう~しなさいよ~」

 大いに賛同するペルとミンタだ。一方のムンキンとレブンは微妙な顔をしている。


 エルフ先生が困り顔で微笑みながら、両手を振って遠慮した。

「ダメよ、それは。私は先生として、ここに来ているのよ。魔法が使えなくなったら、エルフ世界へ帰ることになるわ。ついでに警察の仕事も失業してしまって、無職になって、独り寂しくエルフ世界の森に引きこもることになるわね」


 これにはミンタが涙目になって反対してきた。ムンキンも頭と尻尾の柿色のウロコを逆立てて、目を見開いて反対する。

 さすがにエルフ先生にそう言われると、パリーも折れるしかないようである。紅葉色の赤髪の下の松葉色をした瞳を無念そうに閉じて、眉間に小さなシワを寄せた。

「う~ん……良いアイデアだと~思ったんだけどな~。仕方ないな~、じゃあ、手伝う~」


 ハグ人形がニヤニヤして眺めている。早くもセマン型のニヤニヤ顔をマスターし始めたようだ。

「森の妖精としては人よりも獣の方が、接する機会が多いのは当然だな。獣人の世界だしな、ここは」

 そして、パリーに質問した。

「パリー殿が『人の姿』をしているというのは、エルフ嬢との妖精契約のためなのかね? 妖精は本来、固定の姿を有しないからな。ずっと『人の姿』のままということを、不思議に思っておったのだが」


 パリーがヘラヘラ笑いを浮かべながら答える。すっかり上機嫌のようだ。

「そうよ~。『人の姿』をしていないと~、クーナに適した魔力供給が~できないもの~魔法は形から入る~ってゆーでしょ~」

 そして、改めてエルフ先生の顔を見つめた。

「それで~、用事って~何~?」


 エルフ先生が自身の柔らかそうなキツネ色の頬を、その細い指でかいた。当然だが、蚊などの虫除け魔法を展開しているので、虫刺され跡などは全く見当たらない。それは生徒たちも同様である。

「……ええと、ね。ドワーフのマライタ先生からの、たってのお願いなの。運動場に山盛りになっている、大地の精霊の残骸の中に、かなり貴重な鉱石や希土類が含まれているそうなのよね。彼の授業で使いたいみたい。機械か何かを作る材料にするのでしょうね」


 パリーが小首をかしげながら聞いている。森の妖精の身としては、地下深くの鉱物についての知識は乏しいようだ。エルフ先生が両耳を後ろ向きにしてパタパタさせた。

「でも、そのマライタ先生も病気のせいでフラフラでね。とても、採掘できるような体力は無いのよ。帝国軍の工兵部隊にお願いしても、どれが貴重な鉱石なのか分からないみたいでね。このまま放置していたら、他の大地の精霊に〔吸収〕されて、どこかへ行ってしまうのよ」

 ノーム先生が元気であれば彼に任せるべきなのだが、彼は入院中だ。


 エルフ先生が話をしながら肩を軽くすくめた。

「そこで、動ける私が頼まれたんだけど、私も充分な精霊魔法を使うまで回復できていないの。おまけに大地だから、エルフにとっては苦手な分野だし。そこでパリーに魔力支援をお願いしたいのだけど……どうかな?」


 ハグ人形が「うんうん」と、うなずいている。

「確かにな。大深度地下にいる大地の精霊だったからな。珍しい鉱石や希土類の塊でもあるわな、そりゃ。このまま放置しておれば、他の大地の精霊どもの餌にされてなくなってしまうだろうよ」


 パリーが「にへら」と、笑った。

「いいよ~。じゃあ、やっちゃおう~」

 と、言ったが早いかパリーが両手をエルフ先生の両肩に「ポン」と置いた。

「あっ。ちょっと待って……!」

 エルフ先生が慌てて術式を発動させる。普通の採集用の精霊〔使役〕魔法である。この場合は、大地の精霊がターゲットになる。

 が……


 運動場が泥沼状態になっていく。その泥沼の深さがどんどん深くなり、まるで液体のようになり、ついには渦を巻き始めた。実際は流砂の大規模なものなのだが、見た目は完全に渦潮である。

 森の中から急いで出てきて『運動場だった場所』を、呆然と見つめるエルフ先生たちだ。笑っているのはハグ人形と、エルフ先生に抱きついているパリーだけだ。


 たまらずペルが悲鳴を上げた。

「軍人さんたちが! 流砂に飲み込まれちゃう!」

 レブンが真っ青な顔の魚頭に戻って、エルフ先生に叫ぶ。

「エルフ先生! 魔力が強すぎます! 停止して下さいっ」

 エルフ先生も負けず劣らず真っ青な顔で、抱きついているパリーに叫んだ。

「無理! 魔力供給が膨大すぎて〔操作〕できない! パリー! 弱くして! 早く!」

 パリーはヘラヘラと笑っているばかりである。

「え~。そんなことできな~い」


「ぱりー!!!」

 半分パニックに陥っているエルフ先生にようやく気がついたパリーが、頬を膨らませた。

「ぶ~。じゃあ~魔力提供やめる~」

 が、さらに慌てたエルフ先生が、それを制止した。

「待って、待って! 今、魔力を停止したら、渦に飲み込まれた兵士たちが土中で窒息死してしまうわ!」


 ハグ人形が、ニヤニヤ笑いながら補足する。

「というより、圧死だな」

 そして、ミンタとムンキンに顔を向けた。

「エルフの先生は、今は使い物にならん。お前たち。土中に沈んでおる兵隊どもを、ソーサラー魔術の〔テレポート〕魔術で釣り上げてやれ」


「あ。そうか」

 我に返ったミンタとムンキンが、急いで術式を展開する。ソーサラー魔術なので、かなり自由に発動させることができるのである。


 ちなみにウィザード魔法では、このような暴走状態の精霊を相手にする場合には、禁止事項に該当して使えないことが多い。理由は単純で、魔神がいる異世界で、魔神と妖精とが険悪な関係になることを嫌うからである。精霊の上位存在が妖精という認識だ。


 例えばこの場合、魔神が家の補修をしようとしても大地の妖精と険悪だと、修復素材の土石が反乱を起こして使えなくなる。それは、魔神の日常生活にとって都合が悪い。そのため禁止事項と称して、ウィザード魔法術者が、余計な揉め事を持ち込まないようにしているのである。


 もちろん、獣人世界の精霊は下位精霊なので、意識らしきものはあっても会話できるような自我は有していない。しかし、不満や敵意という信号は生じる。それが上位精霊である妖精が棲む魔神の世界まで伝わってしまうのだ。


 一方ソーサラー魔術は、術者本人だけの魔力で術式を発動させて誰の助けも必要としないので、使い勝手が良いのである。暴走した精霊が後日、術者にクレームを入れてきても、お供え物を何か渡せばそれでチャラになることがほとんどである。自我を有していないので丸め込みやすく、比較的簡単になだめることができる。


 ハグ人形が次にペルとレブンに顔を向けた。2人とも何をしたら良いのか分からないのか、揃ってパタパタ踊りをしている。

「ホラ、お前らも。闇の精霊魔法で精霊の動きを抑えつけろ。死霊術で残留思念を大量にぶち込んで、大地の精霊に負荷をかけさせて動きを鈍らせろ」


 ペルとレブンの目が点になった。踊りも止む。

「そんなことができるんですか? 確かに、数多くの魔法が使われた場所では、闇の精霊魔法が効果的だというのは、先日の救護所で経験しましたが……死霊術もですか?」

 ハグ人形がレブンの両手の中で、わざとらしい動きで転んだ。ついでに何かの効果音まで出ている。

「サムカはそんなことも教えておらんのか? まったく、あのボンクラ貴族め。つくづく教師には向いておらんようだな」


 ペルとレブンが抗議するのを聞き流して、ハグ人形が指示する。

「さっさとやれ。さもないと、兵隊どもが土中で潰れて死ぬぞ。地下1メートルに沈んだだけでも、数百キロほどの圧力を全身に受けているのだからな」



 10分後。

 ようやくパリーがエルフ先生の両肩から離れると、運動場が固体に戻った。ドワーフ製の重機群は、全て大地に飲み込まれて消えていた。


 作業にあたっていた帝国軍の工兵部隊は、ミンタとムンキンの一本釣りで、何とか全員救出できたようである。運動場に隣接している東西校舎の屋上に、まとめて〔テレポート〕されていた。

 まあ、全身泥まみれになって顔の見分けがつかなくなっているのは、仕方がない。しかし、ざっと見て、救助された工兵は100名以上もいる。さすがはミンタとムンキンというところだろう。


 そして運動場の中央には、貴重な水晶や金属、泥が寄せ集まってできた、高さ10メートルほどの鍾乳石のような外観の塔ができていた。ちょうど、先日の大地の精霊が残した石の山によく似ている。


 すっかり固まった運動場に足を踏み入れて、鍾乳石のような塔を見上げるエルフ先生と生徒たち。

 ミンタがジト目になって見上げている。

「思ったよりも、かなり見苦しいわね。美しくない石の塔だわ」


 エルフ先生も顔をしかめて同意しながら、〔結界ビン〕を1つ取り出して栓を開けた。

「宝石の類ではないのね。まあ、ドワーフの趣味なんてこんなものでしょ。さて、採取しましょうか」


 運動場の向こう側では、校長と警察署長、そして工兵部隊長の将校が口をあんぐりと開けて、放心しているのが見えた。騒ぎを聞きつけてリーパット主従と、バントゥ党の10余名も何か叫んでこちらへ走ってきているようだ。(また、面倒なことになりそうだなあ……)と、思うエルフ先生である。




【サムカの居城】

 その翌日。早速セマンのセキュリティ会社からの部隊が、サムカの城にやってきていた。門で応対した執事のエッケコから知らせを受けて、感心するサムカである。

「ほう。もうやってきたのか。さすが迅速だな。分かった、私が出向こう」


 執務室で書類整理をしていたサムカだったが、すぐに万年筆を机に置いて椅子から立ち上がった。部屋着だったので急いで、来客に対応しても良いような謁見用の上着とマントをまとう。スリッパを脱いで来客用の皮製のブーツに替え、髪型を簡単に整えて、壁に立てかけられていた杖をつかむ。


 ここまでわずか1分も経たず、そのまま扉に足を向けたが……ふと思い直して、学校の授業で使う手袋を探して両手にはめた。相手が魔力の弱いセマンであるためだろう。机の上の読書灯の明かりと、執務室の照明を視線だけで〔消し〕、執務室から外に出る。


 そのまま執事と共に謁見室に向かう。石造りの城なので、廊下も全面石造りの重厚なものだ。化粧塗りや装飾をほとんどしていない、切り出した石の表面がそのままの荒々しい建築である。


 そんなサムカも城持ちの領主なので、簡素ながらも謁見室を設けている。かなり質素で、言われないと分からないような部屋ではあるが。赤い素焼きタイルの床に、申し訳程度の絨毯が敷かれている。

 外の森の景色が見える窓は、質素な木製枠に普通の窓ガラスをはめ込んだだけである。鬼火の灯も必要最小限の数しかない。覆いもかけられていないので、炎がそのまま見えて揺れている。


 謁見室にはセマンの部隊長らしき人物が1人だけいて、質素なソファーにどっかりと腰を下して、パイプを吹かしていた。とは言え、ドワーフやノームと同じ小人族なので、パッと見では生意気な子供がふんぞり返っているようにしか見えないが。

 服装は、警備員という警察官風のものではなく、傭兵のような軍人風である。武装は一切していない。サムカたちに余計な不安をかけないようにしているのだろう。


 謁見室へ入ってきたサムカとエッケコの姿を認めて、その彼がパイプを口から外した。しかし、腰を深くソファーに沈めたままで、起立する素振りさえ見せない。 

 両足が床につかずに浮いていて、軽くパタパタ動かした。

「やあ、あなたがテシュブ領主ですな。初めまして。素性を明かせないので、自己紹介は省かせてもらうよ。オレの事は『隊長』とでも呼んでくれ」


 サムカが鷹揚にうなずいた。

「うむ。よく来てくれたな。まずは礼を述べよう」

 サムカも向かいのソファーにどっかりと座る。山吹色の瞳で隊長を一目見て、そして満足そうにうなずいた。

「うむ。私が望む技量を持ち合わせているようで安心した。『隊長』で良いのかな。契約の通りに処遇することを約束しよう」

 隊長が再びパイプを吹かしてニヤリと笑った。

「そりゃあ、どうも」


 そんな不敵な笑みを浮かべている隊長に、サムカが重ねて話しかける。

「ここ、死者の世界は、君たちセマンの世界とは違って闇の精霊場と死霊術場が桁違いに強い。それに加えて、私や騎士を含めたアンデッド兵は、闇魔法場を強く発散している。対策は済ませているとは思うが、君たちの体や精神に何らかの異常が生じた際には、遅滞なく申し出てくれ。下手すれば君たちの命に関わることだからね」

 隊長が鷹揚にうなずいた。

「恐らくは問題ないと思うが、もしそうなった場合には遠慮なく申し出るよ。では、顔合わせはこの程度で良いかな? 契約を履行したいのだが」


 サムカがうなずいて執事に顔を向けた。

「うむ。では、この執事のエッケコに従って配置についてくれ」


 パイプをくゆらせながら、執事の後に従って退室するセマンの隊長を見送るサムカである。彼は丈夫そうなブーツを履いているのだが、歩いても足音が全くしないことに内心で感心する。

 セマンそのものが魔力をあまり有していない種族なこともあるが、気配や魔法場が体から全く出ていないことにも内心で驚いているサムカである。確かに、これでは〔察知〕することは難しい。

(ふむ。これで、泥棒騒ぎが少しは収まれば良いのだが……)


 セマンの警備部隊はその後、実際に巡回警備を行う城の城壁を確認した。警備人員数の調整が行われ、翌日には11名に固定された。

 警備部隊の隊員の服装はかなり派手だ。隊長いわく「領主や騎士の甲冑姿を参考にした」そうで、古代中東風の少し古めかしくも厳しい印象を見る者に与える。ちょっとした近衛兵のようにも見える。


「あえて、こうした姿にしてるんでさ。我々が目立つことも警備の仕事の1つですんでね」

 パイプから紫煙を景気良く吐き出しながら、隊長が城壁の上でサムカに答えてくれた。紫煙が風に流れていく。

「もちろん、こいつらの他に、完全ステルス装備の部隊もいるから安心してくれや。旦那」


 そう言われたがサムカには、その『ステルス部隊』という存在は〔察知〕できなかった。ステルス部隊の人数も当然のごとくに教えてもらえない。隊長が悠然とパイプを吹かしながら、サムカにニヤリと微笑みかけた。

「大丈夫だよ、旦那。我々は契約した警備場所以外には入らないから。これは、セマン族の名誉にかけて誓っておくよ」

 そう言われれば、そう信じるしかないサムカである。

(うむむ……他の貴族たちも興味を持っているのだが。これでは、安易に推薦することは難しいか)


 サムカが治める領地は、軍事的には大した価値のない普通の田園地域である。交通の要衝でもないので、こうしてハグの召喚ナイフ事業にも付き合えている。

 田園地域は、オークや魔族などの生身の体を有する種族にとっては重要なのだが、貴族自身は飲食を基本的に行わないので、重要性はかなり低いのである。

 もちろん、貴族やその配下のアンデッドだけでは、城の維持管理に補修や、衣服に小物や文具の生産は無理だ。それらの仕事を請け負うオークたちを養うためには重要ではある。


 貴族が重要と認める地域は、沐浴をする際に重要となる闇魔法場が強い場所や、有翼ワニなどの狩りの獲物が多い場所だったりする。敵対勢力である魔族や、オーク王国と接する地域も重要で人気が高い。

 そのような場所は、荒野や陰気な泥沼であったりする。決して、のどかな田園地域や生き物で溢れる森林地帯ではない。


 サムカのように武力が高いのに、オークとの畑仕事を優先するような奇特な貴族はそれほど多くはない。そしてサムカの友人貴族には、奇特な者が多い傾向があるようだ。


 ちなみに悪友貴族のステワは、サムカよりも軍事的に重要な地域を治めている領主である。彼は、貨物船や客船が停泊する大きな交易港へ向かう街道の関所を、主な収入源とする領主だ。

 関所といっても王国連合内であるので、関税はほとんど無い。なので実質は巨大な倉庫を持つ、陸上物流の中継拠点といった趣であるが。同時に貴族軍や王国連合軍の部隊移動や補給にも関わっている。


 そのような貴族は当然、サムカよりも多くの機密を抱えているものだ。異世界のステルス部隊の常駐を易々と認めるようなものではなかった。


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