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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
アンデッドと月にご用心
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26話

【ミミズ退治】

 ソーサラー先生が率いる生徒たちによる先陣と、それに続く飛族たちによる風の精霊魔法に触発されたのか、向かいの校舎に布陣しているウィザード魔法の力場術の先生と生徒たちも、〔レーザー光線〕を巨大ミミズに向けて斉射し始めた。

 光の精霊魔法ではないので、非常に無機質な印象のある〔レーザー〕攻撃魔法である。精霊場を使用していないため、他の精霊場の〔干渉〕を受けない。そのため、巨大ミミズを取り囲んでいる光の壁を素通りしている。


 生徒の中には、ムンキンといつもプロレスごっこをしている、狐族の1年生バングナン・テパの姿もあった。

 1年生ながらも、既に力場術の級長の実力のようで、今も生徒たち30名を見事に統率していた。タンカップ先生の攻撃命令を次々に実行している。


 ムンキンも精霊魔法専門クラスの生徒たち30名とペルとレブンを指揮しながら、ニンマリと笑って見ていた。

「へっ。やるじゃねえかよ、バンナ。俺も負けてられねえな」


 一方のエルフ先生は冷静なままで戦況を観察していた。タンカップ先生が見事な筋肉美を見せつけながら、〔レーザー光線〕やビーム光線を放っているのを、少々呆れた様子で見ている。

 爆発と閃光が次々に巨大ミミズを包み込むのだが、彼らの攻撃はどうも今ひとつ効果的ではなさそうだ。エルフ先生が腰まで届く真っ直ぐな金髪を突風になびかせながら、独り言をつぶやいた。

「威力は弱いのよね。ウィザード魔法場のエネルギーを、レーザーやビーム光線に〔変換〕する際の損失が大きいのでしょうね。術式を改良して、〔変換〕効率を上げないと」


 エルフ先生の手元に小さな〔空中ディスプレー〕が生じて、エルフ語で何か表示された。それを見て空色の瞳をキラリと光らせる。

「よし。風の精霊の動きが演算できた。まったく、バワンメラ先生が余計な事をしたばかりに……では、その修正パッチを皆に〔転送〕するから、各自で術式を微調整しなさい」

 エルフ先生がライフル杖を動かさずに、片手だけを生徒たちに振って、修正パッチの術式を生徒たちの簡易杖に〔転送〕した。紫外線の円偏光による通信なので一瞬で終わる。


 一応、生徒たちの総隊長であるミンタが確認をとる。ムンキンとニクマティが揃ってドヤ顔で、完了の合図を送った。竜族と狐族なのだが、なぜか似たような印象の表情だ。

 ミンタが満足そうにうなずく。

「みんな、修正完了したわね。あ。ペルちゃん、落ち着いて入力して。そう、それでいいわ」

 ペルとレブンが最後に攻撃魔法の術式を修正し終えたのを確認して、ミンタがエルフ先生に報告した。

「先生。完了しました」


 エルフ先生がミンタを見て、微笑んだ。既に空色の眼光はハンターのそれになっている。

「分かりました。他の先生方が先陣争いをしてしまったので、私たちの部隊が最後になってしまいましたね。見るところ私たちが攻撃をしなくても、あのミミズは消滅するでしょう。ですが、それでは皆さんの実習になりません」


 巨大ミミズのトゲが再び破裂して、無数の弾丸が光の壁を突破してこちらまで飛んできた。しかし、エルフとノーム組の生徒たちは屋上に伏せて杖を構えているので、ちょうど西校舎が盾となってくれて無事である。多少スライム化しているが。

 空中を飛び回っているソーサラー組と飛族もミミズから1キロ以上離れているので、弾道を見極めて回避している。それでも弾速は秒速1キロほども出ているので、かなりきわどい回避の仕方であるが。


 巨大ミミズはソーサラー組による〔液化〕魔術の直撃を受け続けていて、急速にプリン化してきていた。土の塊でないと大地属性を維持できないので、液体化すること自体が弱体化に直結するのである。すでに炎の精霊は消滅してしまったようで、巨大ミミズの温度も常温になっている。


 これに、さらにウィザード魔法による〔レーザー〕と〔ビーム〕攻撃を受け続けていて、液化した体が沸騰して蒸発していく。〔防御障壁〕で防御しようとしているようだが、幻導術と占道術組によって〔妨害〕されているようだ。


 射出している弾丸も、急速に弱々しい貧弱なものになっていた。当然、飛族が巻き起こしている〔旋風〕に捕らわれやすくなり、弾道が風で曲げられて散らされていく。 

 そのため、ソーサラー組や飛族組が回避運動をする必要もなくなり始めてきた。


 そんな状況なので、エルフとノーム合同組が攻撃に参加する必要性はなくなっていたのだが……そこは授業中である。


「射撃用意。この一発で終わると思うから、きっちりと〔ロックオン〕しているかどうか、もう一度確認しなさい。いいかしら?」

 生徒たちが一斉に確認完了の声を上げた。エルフ先生の口元が軽く緩む。

「では、カウントダウンします。3、2……撃て!」


 60名ほどの生徒たちが構えていた杖の先から、一斉に光魔法が放たれた。音もなく、指向性が非常に高い〔レーザー光〕なので、杖の先から放たれた光そのものも視認できない。辛うじて、突風で巻き上がる土砂や塵に〔レーザー光〕が散乱して、ぼんやりと青く光る線が空中に見えるかどうか……という程度である。

 これに加えて、生徒たちそれぞれが得意とする風や水の精霊魔法が付与されていた。ペルとレブンは風の精霊魔法を併用している。

 見た目は、ぼんやりと青く光る帯の中に風と雨が混じっている神秘的な光景だ。


 これはさすがに、敵である大地の精霊には効果が非常にあった。瞬時にミミズみたいな動きが硬直したかのように停止したかと思うと、プリン状になりつつあるその巨体が突然崩れた。かなり液化しているので、泥水の塊に化していく。既に巨大ミミズの成分はほとんどが『水』に置き換わっているためだ。

 さらに加えて、光魔法によって大地の精霊場を吹き飛ばした。こうなるとさすがに精霊の具現化を維持できなくなって、体が崩壊する。あとは消滅するだけだ。


 〔結界壁〕である光の壁はこの泥水に対する『堤防』の役割も果たしている。そのため発生した大量の泥水が、運動場の中だけを覆い尽くしていく。まるで泥沼だ。だが、周辺の校舎や森には何ら被害は及んでいない。


 エルフ先生がその泥沼を校舎の屋上から見下ろしながら、ため息をついた。

「もう……もう少し耐えてくれないと、生徒たちの訓練にならないわね。残念だけど、今回の攻撃実習は成績評価には反映できません。相手が弱すぎました」

 血まみれで穴だらけの警察制服のままでそう言われても、あまり説得力はなさそうだが……生徒たちは反論しなかった。


 ノーム先生がようやく、照れ笑いをしながら屋上へやってきた。大きな三角帽子に穴があいていて、ブーツやスーツにも穴が数個ほどあいている。被弾数はエルフ先生と同じくらいだったが、当たり所が悪かったのだろう、エルフ先生以上に血まみれである。

 それでも、大地の精霊魔法により、急速に血のりが〔分解〕されて消失していっている。

「やれやれ。見苦しい姿をさらしてしまったなあ。おや、もう終わりですかな。残念」


 エルフ先生が彼を出迎えた。彼女にもまだ血糊が目立っているのを、ノーム先生の姿を見て思い出したようだ。 

 水の精霊魔法を使った〔洗浄〕処理をし始めた。石けん泡のようなものが、彼女の体を服の上から包みこみ、ゆっくりと、だがキレイに洗っていく。

「私もこのような有様です。上司にまた叱られて、始末書を何枚か書かないといけなくなりそうですよ。もう、お体の方は回復したのですか?」


 ノーム先生がライフル杖の底部から、錠剤型の魔力パックを排出しながらうなずいた。

「おかげさまで。こういう時は、法術使いの人のありがたみを痛感しますなあ。僕の生命の精霊魔法を使った自動〔蘇生〕魔法では、ここまで迅速な回復は望めませんよ。全治1週間ほどかかると思いますね。下手すれば傷跡も残りますし」


 エルフ先生が生徒たちを屋上から追い出して、自身のライフル杖の底部から錠剤型の魔力パックを取り外し、〔結界ビン〕の中に戻した。29錠残っているので、今回、1錠だけ使用したのが分かる。

「精霊は退治しましたが、なぜ襲ってきたのでしょうか。闇の性質を帯びているのでしょう? 相当深い場所にいる精霊が、地表まで迷い出てくる理由って一体何だと思います?」


 ノーム先生が屋上から泥沼になっている運動場を見下ろして、ある一点をエルフ先生に指し示した。

「恐らく、古代遺跡からの発掘品が発する魔法場に惹かれたのではないかな。現にほら、精霊がいた重心部分に、発掘品が集まっているようだ」

 エルフ先生も屋上からノーム先生と一緒に見下ろす。確かに、先程まで大地の精霊がいた場所には、大量の岩石状の金属が山を築いていた。

「……そうですね。そういえば発掘品は、どれも闇系統の大地の精霊場を帯びているとサムカ先生が指摘していました。でも、そんな微量の魔法場に惹かれて、わざわざ地中深くからやってくるものなのかな」


 ノーム先生が肩をすくめた。

「さあね。事実としては、大深度地下の大地の精霊が巨大ミミズに具現化した体内に、古代遺跡の発掘品を取り込んでいた……という事だね。闇の精霊魔法場が呼び水となったのは間違いないだろう。パリーさんが暴れたせいも、少しはあるだろうし」

 銀色の口ヒゲの先を引っ張って、さらに思考を進める。

「セマンが精神支配を受けて古代遺跡の門番をしていたから、誘引効果のある何かの魔法もかけられているのかもな。まあ今後は、発掘品には闇の精霊魔法を〔遮断〕するように、〔結界ビン〕などに入れておく方が良いだろうね」

 エルフ先生も同意した。

「そうですね。シーカ校長にも、そう進言します。あら。ティンギ先生とマライタ先生が泥の海でサーフィンしていますね。まったく、本当に運だけは良いんだから」




【ウーティ王国城】

「ふむ。これが噂の巨人地雷か。ガラス玉なのだな。確かに装飾はほとんど施されておらぬな。実用一辺倒という事か」

 ここは死者の世界。サムカが仕えているウーティ王国の王城の『謁見の間』である。

 慎ましい生活を心がけているネルガル・クムミア国王の意向を反映して、質素な印象を受ける。調度品や壁に飾られている絵画、彫刻なども、それほど高価なものではない。何となくだが、禅寺のようだ。

 その代わり、禅寺に負けず劣らず徹底的に掃除が行き届いていて、塵一つない。空気中に漂う塵埃すら見当たらない。

 しかし貴族が発する闇魔法場の浸食作用によって、床が風化し、緩やかに窪んでいる。それは、出入りが多いドアや出窓にも見られる。


 その潔癖すぎる謁見の間の一段低い床にサムカが片膝をついて頭を垂れて、国王への謁見を許されていた。 

 もちろん、国王に謁見するための古代中東風の儀礼服姿なので、魔法学校で着ているような気楽な服装ではない。しばらくの間、クローゼットに収まったままだったのだろう、アイロンで伸ばした特有の、生地の伸びが一目で見て取れる。


 大地の精霊の弾丸に体中を蜂の巣にされたばかりであったが、既にそのような痕跡はどこにも残っておらず、サムカの顔もいつもの錆色の短髪白顔である。さすが貴族の〔修復〕魔法というところだろう。


 一方、壇上に立つ国王も同様の儀礼服で応対している。彼もサムカと同様に地味な服装だ。しかしこちらはアイロン跡など見当たらず、よく着こなした感じが出ている。齢はサムカの倍以上の9000歳に達するのだが老人という印象は全くない。威厳のある中年というところだ。


 その国王が、サムカから献上された巨人アンデッド入りのガラス玉を興味深く観察していた。巨人が解放された時の様子は、既にハグ経由で映像情報が国王に伝えられているので、その威力も理解しているようである。

 くちなし色の赤みがかった黄色い瞳が光り、興味深そうに白スミレ色の白い顔をかしげた。王冠を乗せた黒茶色の癖のない短髪の毛先が揺れて、重厚な輝きを放っている。

「余が鑑定したところでも、それなりに強力なアンデッドが封じられておるな。我が軍の歩兵小隊程度の戦力にはなりそうだ」


 そのガラス玉を、そばに控えているオークの宰相に手渡した。切れ者として有名なワタウイネ宰相だが、さすがに魔力は有していないので実感は得ていない様子である。しかし、慎重に部下に渡して担当部署へ持っていかせる。

 魔法場汚染の防止のために、かなり巨大な防護用手袋と防護服をしているせいで、熊の着ぐるみのような印象と姿になっていた。


 その後姿を見送ってから、サムカが国王に願い出た。

「陛下。そのガラス玉の殻なのですが、中のアンデッドを開放した後、獣人世界へお戻し願えないでしょうか。向こうの世界の獣人たちは、ほとんどが魔力を有しておりません。そのため、危険と知らずに誤って触れて、誤作動を引き起こす恐れがあるのです。その注意喚起のための材料としてガラス玉の殻を展示したい、との要望なのですが」


 国王が気楽にうなずいた。熊の人形のような姿の宰相に声をかける。

「よかろう。宰相。そのガラス玉の殻、アンデッドを封じる術式を〔解析〕した後でテシュブに返却しておけ。ただのガラスだから、問題あるまい」

「はは! 陛下の御意のままに」

 宰相が膝を床につけて頭を垂れ、すぐに部下に命じた。


 国王が興味深そうにサムカに、くちなし色の視線を戻す。

「しかし、ガラスとは意外だったな。普通は金属や水晶の殻を使うものだが。面白い術式が得られそうだ」

「はい。左様で」

 サムカが錆色の頭を垂れたまま、国王の言葉に恭順する。


「テシュブ。卿の城にもこれと同じ地雷を1つ……ということだが、何に使うつもりかね」

 国王の質問に、恐縮しながらサムカが回答する。

「はい、陛下。いったん開放してから、死霊術の行動術式を〔改変〕して使う所存でございます。我が領地はオークとの紛争地ではありませぬ故、収穫作業や商品輸送の『人夫』として〔使役〕する予定でございます」


 国王が微笑んでうなずいた。

「まあ、その方が使い勝手が良いか。今後も地雷が発掘されれば、優先的に我らに提供してもらえるように、余からも正式な文書を書くとしよう。対価は、宰相がその威力を確かめてから算定する。何せ、死体不足は深刻であるからなあ。量がある程度確保できるようであれば、正式な貿易契約も結ぶ用意があると、先方に伝えておいてくれ、テシュブよ」

「はい。陛下の御意のままに」




【ウーティ王国の城内】

 謁見の間から退出して、ほっとするサムカである。

 すぐに、悪友貴族のステワが白い鉛白色の顔をニヤニヤさせながらやって来た。王宮内なので彼も、古代中東風の儀礼服姿である。

 周辺を警備している近衛兵たちも、ほっとした表情になっている。近衛兵たちにちょっかいをかけて遊んでいたのだろう。近衛兵は国王直属ではあるが騎士なので、なかなか貴族には逆らえないのである。

「よお、サムカ卿。お疲れだったな」


 サムカが山吹色の瞳を少し輝かせて答えた。

「領主としての勤めだからな。私も巨人アンデッドを1体入手できたことだし、満足しているよ」

 それを聞いて、蜜柑色の目の貴族であるステワが声を潜めて笑った。癖のある鉄錆色の髪が少し揺れる。身長はサムカよりも高い190センチなので、よく目立つ。加えて、彼の儀礼服からは、サムカと違って多くの宝石や装飾品がチラチラと見えている。

「私が宣伝したおかげだな。また地雷が発掘されたら、今度は私にも分けてくれよ」


 サムカが目を閉じて腕組みした。整った眉もやや険しくなっている。

「私は卿に何も頼んだ覚えはないのだがね。まあ……よかろう。次回、入手できたら卿に渡そう。私の城には、当面は1体あれば事足りるようだ。そう、執事が言っておったからな」


 サムカと一緒に王宮の廊下を歩きながら、ステワが蜜柑色の瞳を細める。

「まったく……サムカはエッケコ殿がいないと、ただのバカ領主だっただろうな。感謝しておけよ、サムカ。オレの城にもエッケコが欲しいくらいだよ。クローン培養して増やしてくれ」

 悪友貴族に、さんざんに言われるサムカである。実際その通りなので、サムカも反論できないのが悔しそうだ。


「ぐぬぬ……」と少しの間唸っていたサムカであったが、ふと何か気づいたのか、悪友貴族に真顔になって質問した。

「そういえば卿は、セリで死体や素体を入手できているのかね? 陛下も仰せられていたが、全国的に死体供給不足なのだろう?」


 思わぬ真面目な質問にキョトンとするステワである。マントの中の宝石類と装飾品が、鈴のようなかすかな音を立てた。そして、「コホン」と咳払いをして軽く肩をすくめた。

「……そうだな。相変わらずの品薄状態だ。私も他のセリ会場へ出向くことが多くなったよ。場合によっては、別の連合王国でのセリにも顔を出す有様だ。しかし、諸外国でも品薄だな。おかげで私の城でもアンデッド兵を傷つけないように運用しなくてはいけない状況だよ。下手に酷使すると、崩壊してしまうからね」


 サムカが悪友貴族から話を聞きながら、苦笑するでもなく真面目な顔でうなずいた。

「そうか……他の王国連合でも死者不足かね。巨人ゾンビがもっと発掘されることを祈ろう」

 祈る先は、放任主義の魔神なのだが、この際仕方がない。


 サムカが話題を変えた。目の色が少し鋭さを帯びている。

「それはそうとだね。先日のセリに参加してきた異国の貴族。……ええと、トロッケ・ナウアケと名乗っていたか。彼の素性がハグを通じて少し分かってきた。カルト派の貴族だ。確か、カルト派は我々以上に大量の死体と、まだ生きている素体とを必要とするそうだな。連中も、かなり深刻な状況なのだろう」

 サムカの口調が、次第に真剣なものに変わっていく。

「私が〔召喚〕される先の魔法高校にまでやって来て、情報収集をしたよ。何とか撃退できたが、今後も死体不足が続くようでは、また何か仕出かすかもしれぬ」


 そして、サムカが悪友貴族に頭を下げた。少し驚くステワである。再び、彼のマントの中から風鈴のような涼やかな音が、かすかに鳴った。

「ステワ卿の方でも申し訳ないが、カルト派貴族の動向を気に留めてくれないだろうか。私とハグだけでは限度があるのだ。2人とも引きこもりの類だからな、社交に乏しい。オークの交易商人からだけでは情報が集まりにくいのだよ」


「ふむ」と額にしわを寄せるステワである。今回はさすがに少し動揺が大きかったのか、マントの中の音が大きくなった。

「……協力すること自体は、やぶさかではない。何せ、卿を『罰ゲーム』に誘ったのは私だからな。あのような小さくて可愛らしい教え子ができたのだ、肩入れしたくなる気持ちも理解できるよ。オークだけでは、我々貴族の動向情報などに接触することは難しいだろうしな」


 深刻そうな表情だったのはここまでだった。すぐにニヤリとするステワである。

「私も、美味いマンゴを味わいたいしな。よかろう。無償の範囲内で協力するよ。そのカルト派貴族どもの動向を調べて知らせれば良いのだな? 別の王国連合だから得られる情報は大したものではないだろうし、恐らくは偽情報も混じることになるだろうがね」


 サムカが顔を上げて、素直に喜んだ。藍白色の頬が明らかに緩む。ほっとしたのか、マントの中で色々な音がした。くぐもった音ばかりだが。

「そうかね。助かるよ。くだんのナウアケ卿は、あれ以来、我が王国主催のセリには顔を出していない。他の王国でのセリに出席したという知らせも、エッケコによると無いらしい。なので、もう懲りて獣人世界へ危害を加える気は失せたのかもしれん。ハグも一応、監視するとは言ってくれた。このまま、何事も起こらなければ、それが最良なのだがね」


 しかしステワはニヤニヤ笑いを浮かべたままで軽く首を振り、サムカの希望的観測をそっくり否定してきた。

「それはどうかな。カルト派は、死体もそうだが、まだ生きている素体を大量に消費する派閥だ。既に、こちら世界でのセリに頼らずに、独自の調達ルートを開拓したのかもしれないぞ。カルト派が死体や命ある素体の深刻な不足状態になれば、そのニュースくらいはこちらにも流れてくる」

 ステワの表情が、少しだけ真面目っぽくなった。口調はそのままだが。

「……が、そんなニュースはまだ無いからな。サムカの他にも、召喚ナイフ契約を結んでいる貴族や魔族がいるのだろう? であれば、獣人世界ではないかもしれないが、別の世界で調達交渉をしていると考えるのも自然な話だろうよ。もしくは単に略奪しているか……だな」


 サムカの目が点になっている。予想外の答えだったようだ。

「……ステワ卿よ。カルト派について詳しいな」

 ステワが少々呆れたような笑顔になった。

「サムカ卿が知らなすぎるだけだ。この引きこもりの田舎者め」


 サムカが「ぐぬぬ」と唸ったので、気を良くするステワである。ややご機嫌な口調で話を続けた。

「さて。この推測が正しければ、これは組織立った『計画的な』ものだな。我々のような普通の貴族よりも魔力の弱いカルト派貴族が、単独でそんな魔法を行使できるとは思えない。少なくとも10人単位で必要だろう」

 少し考えてから話を続ける。

「……それも、恐らくは『儀式魔術』の形式で、時間をたっぷりかけてだろうな。『口で術式を唱えて異世界へ、ひとっ飛び』という訳にはいくまい。かなり周到な計画と手間暇をかけているはずだ」


 ステワの口元が、あからさまに緩んだ。『舌なめずり』という印象すら与えている。

「そして、そういう場合ほど情報が漏れやすい。儀式魔術で必要な物品の物流履歴記録を追えば、おおよその『アタリ』はつけられるだろう。召喚ナイフを使えばさらに楽だろうから、どこかのリッチーが一枚噛んでいる可能性もあるだろうな。現に、サムカと同盟を組んでいる魔族の大将が、召喚ナイフ契約をしているからな。その両方で探ってみれば、何か分かるだろうよ」


 スラスラとそんな話をしてくれる悪友貴族に、目をパチクリしているサムカである。

「お、おお。そうなのかね。私では思いもつかない着眼点だな。さすがと言おうか、何というか」


 ステワのニヤニヤ笑いが調子に乗り始めてきた。ドヤ顔になって、鉛白色の顎をしゃくってサムカに臨んでくる。

「そうだろう、そうだろう。親友は大事にしろよサムカ卿。というか、このくらいの知識は常識だぞ。田舎に引きこもり過ぎの悪影響だな」

 同じことを2度も繰り返して言うステワである。ニヤニヤ笑いが深まり、肩まで上下し始めている。マントの裾がゆるゆると揺れ、涼やかな音が心地よくマントの中で鳴る。サムカは「ぐうの音」も出せない様子だ。


「現状、人間型の死体や素体の供給元は、魔法世界だからな。死体不足になれば、死者の世界の王国が一斉に困ることになるのは、当然の流れだろうよ。いわゆる死体素体の絶好の商機っていうやつだな」

「うむむ……そうだな。そうなるな……」

 深刻そうな表情になって考え込むサムカである。歩きながら話していたので、今は王城内の中庭にいる。

 行き交う貴族や騎士たちに王城警備の近衛兵、オークの文官たちは、サムカの深刻そうな表情を見て察して、会釈するだけで何も声をかけずにいる。


(この田舎領主は、気がついていないのだろうな……)と思うステワだ。


 ちなみに、古代中東風の王城の中は意外にあちこちが補修や改修されていて、つぎはぎだらけの印象だ。貴族が発する闇魔法場の〔風化〕作用のせいである。

 床や壁のタイルや、天井の梁、柱に階段も、古い部分と新しい部分とが入り混じっている。サムカの城でもそうだったが、特にドアや窓の枠や金具、ガラス部分に至っては劣化が激しいので、頻繁に補修や交換が為されている。

 植栽も、貴族がよく行き交う場所ほど〔浸食〕されて枯れやすいために、新しい物との入れ替えが頻繁に起きている。そのために、小さい背丈の植栽ばかりだ。奥まった場所の植栽は結構大きく育っているのだが、それでも森の木ほどには大きくなっていない。


 ウーティ王国の建国は、生命の息吹が比較的強い地であったために他の地域と比較すると新しい。オーク独立国との紛争が激化し始めたせいで、オーク兵用の食料を生産する農業国が必要になり、新たに開拓されて建国した歴史を持つ。そのために城も比較的新しいのだが、それでもこの有様だ。


 そんなパッチワークのような城の中で、サムカの様子をニヤニヤしながら見て楽しんでいた悪友貴族のステワであったが、不意に真面目な顔に戻った。サムカの口元の異変に気がついたようだ。

「おい、サムカ。牙が片方、欠けて折れているんじゃないか? ……おい! ポッキリと折れているぞっ」

 ステワが、そう言いながらサムカに詰め寄ってきた。やはり友人なのだろう、先ほどまでのニヤニヤ笑いは消えている。


 サムカが困ったような笑顔を向けて、悪友に折れた牙を見せた。ちょうど、右上の犬歯が途中から折れて欠けている。

「先日、〔召喚〕された際に、大地の精霊の攻撃を受けてね。他は既に完治したのだが、牙だけは〔修復〕できなかった」


 サムカの少々気楽そうな返事を無視するステワだ。

 深刻そうな表情のまま、さらに額のシワを深くした。癖のある鉄錆色の前髪の下の、端正な鉛白色の顔の影も深くなる。蜜柑色の瞳に心配そうな色が濃く浮かんだ。

「牙だけは……そうだな。魔法による〔修復〕が効きにくいと聞く。地道に時間をかけて〔修復〕するしかあるまい。それで、潜在魔力の〔吸収〕には支障ないのか?」


 サムカが錆色の後頭部を右手でかいて、照れながら答えた。

「牙は、あと3本あるからな。今のところは特に支障はないよ」

 ステワがそれを聞いて蜜柑色の瞳を細めた。その瞳は深刻そうな色合いのままだが。

「まあ確かに、潜在魔力の〔吸収〕は牙1本残っていれば可能だな。しかしそのままでは、見た目が悪いぞ。やはり一刻も早く〔修復〕した方が良いだろう」


 サムカが頬に片手を当てて同意する。

「……そうだな。私の見た目のせいで、領民や騎士の肩身が狭くなる恐れがあるか。卿の忠告、ありがたく思うよ」

 そして、少し思案する。

「しかし、歯の〔修復〕か……そのような技を有する者は聞かないな。仕方がない。次回の〔召喚〕でノームやドワーフに聞いてみることにするか。加工の技では、我らよりも優れているからな」


(それって、差し歯にするってことじゃないのか?)と、思うステワであるが、それも愉快なネタになりそうな予感がしたので黙っている。




【サムカの居城】

 しかし、そんなサムカの希望に暗雲がかかってしまった。

 〔召喚〕がなされない日が続いたのである。契約上では、サムカは週に1回、1時間半の〔召喚〕を受ける事になっていたのだが……〔召喚〕予定日を過ぎても全く音沙汰がなかった。


「どういうことだ? このようなことは、これまで起きなかったのだが」

 サムカが居城の執務室で事務仕事を片付けながら、窓の外を眺めた。すっかり秋の空になって、雲も薄く白いものばかりである。とはいえ亜熱帯なので、気温はそれほど変わっていないのだが。


 サムカが窓の外を眺めながら、「コホン」と咳払いをした。

「おい、ハグ。〔召喚〕されないのだが。向こうで何か起きたのかね」


 すぐに執務室の一角に闇が立ち込めて、ハグ本人が姿を現した。相変わらずのセンスの欠片もない服装である。

 今回はヨレヨレのレンガ色のチェック柄が入った長袖シャツに、作業ズボンにサンダルであった。もちろん古着である。

 また自分で散髪をして失敗したようで、銀髪のトラ刈りと円形ハゲ、ひし形ハゲが、さらに目立っている。 

 しかも、切り損ねた髪の毛が、水田に生える雑草のように長く伸びているのも見える。アンデッドなので新陳代謝も何もなく、髪の毛が伸びることも本来はないのだが。何か余計な魔法の実験でもしているのだろうか。


「リッチーを事あるごとに呼びつけるとは、貴族の癖に大した身分だな。あの羊と大差ないぞ。……まあ、よい。君も察しが良くなったな。人間や亜人の先生どもが皆、ライカンスロープ病を発症したのだよ。授業をするどころではなくなって、休校だ」

 サムカが呆れた表情になって、ハグを見た。とりあえず、事務仕事を終えて筆を置く。そして、ハグの発する魔力にあてられないように、部屋の隅に立たせてあるゾンビ3体に急いでシートを被せた。


 ゾンビへの魔力の蓄積に関して言えば、ハグの登場は歓迎することではある。……が、ハグの発する魔力が強すぎるために、こうして魔力〔遮断〕効果のあるシートを被せる必要があるのだ。過剰な闇魔法場はゾンビの体を崩壊させてしまう恐れが高い。ちなみに、このシートはセマン製である。


「確か、予防接種とやらを受けていなかったか? 感染しても1日休めば回復するようなことを言っていたが」


 ハグが木蓮の花の色のような淡黄色の瞳を細めて、声もなく笑った。そのまま、床から10センチほど浮き上がって室内をゆっくりと回っている。床の絨毯が退色して風化しないように……との配慮だろう。

「ウイルスは変異しやすいのだよ。予防接種で想定していたウイルスの型ではなかったのだろうな。まあ、死者である我々には縁がない話だが。参考までに、昨日の午後の映像だ」


 ハグが無造作に手を振って〔空中ディスプレー〕を出現させた。

 その画面には、野戦病院のように簡易ベッドが数多く配置されていて、そこに毛皮が乗っている映像が映し出されている。音声もなく、白黒映像で、解像度もそれほど高くない。

 そのために、画面中の看護師や医者たちの表情も詳しく分からない。医者と看護師は、駐留警察署と軍警備隊詰所の技官のように見える。僻地なので、町の病院から来てもらう事ができなかったのだろうか。


 サムカがすぐにベットの上の毛皮の『正体』に気がついた。

「ん? これは、毛皮ではないな」


 ハグが薄黄色の瞳を意味ありげに細めて肯定した。クルリとその場で1回転する。ゾンビ3体を包んで保護しているセマン製のシートから、埃が舞った。浸食してシートの表面を〔風化〕させてしまったようだ。

 当然ながら、気にしないハグである。

「うむ。毛皮ではないな。先生たちだよ。見事に獣化しておるだろう?」


 確かにそうだ。解像度が悪いので、よく見ないと分からないが……手足と胴体がベッドに拘束固定されている。どうやら暴れているようで、ベッドが跳ね動いている。

 最も跳ね動いているベッドはマライタ先生のものだろう。特徴的な酒樽体型で区別がつきやすい。続いて、力場術のタンカップ先生とソーサラー魔術のバワンメラ先生の筋骨たくましい長身が、ベッドの上で暴れているのが伺える。


 サムカが少々呆れたような顔になった。

「医者も看護師も耳栓をしているな。そんなに騒がしいのかね? この症状は」

 ハグも象牙色の顔をニヤニヤさせている。

「うむ。音声までは拾えなかったが、断片的な音響情報は得た。狼や犬みたいに「バウワウ」と吠えておるよ。言葉も忘れておるようでな、まあ、よくある〔発狂〕状態だ」


 サムカが整った眉を軽くひそめた。

「ふむ。〔発狂〕しているのか。脳神経などが焼き切れてしまうと面倒だな。回復に時間がかかるから、休校が続いているのか。金星での実習授業を色々と考えていたのだが……」


 サムカの懸念に、ハグが軽く首を左右に揺らした。田んぼの雑草のように、まばらに長く生えている銀髪が数本、同調してゆらゆらと揺れた。

「その点は大丈夫だろう。発症前の生体情報をサーバーに保存してある。それに、全身の神経や免疫システムの保護も薬剤投与でできている。同時にワクチン治療もしておるから、そのうちウイルスも消えて完治するだろうさ」


 サムカも病気には縁がないので、今一つ理解できていない様子である。ましてやウイルスというものは、生きている細胞の遺伝子に侵入するので、死者には無縁だったりするのだ。一部の細菌やカビ、原虫は別であるが、馴染みが薄いことには変わりはない。

 そのため、サムカも腕組みをして首を少し傾けている。

「ふむ。生きている者には不便なことだ。ハグ。それで我が教え子たちも病気にかかっているのかね?」


 ハグが微笑んで否定した。執務室の石壁が軋んで、天井からは石の粉が吹く。セマン製のシートからも盛大に粉が噴き出している。

「いや。発症したのは地元住民以外だよ。獣人族は感染はしているが元気だな。ピンピンしている。医者や看護師を見てみろ」

 サムカが安堵した表情になった。確かに、白黒画面に映っている医療関係者は皆、キビキビと治療を行っている。改めて見ると、狐族ばかりのようだ。1人2人ほど竜族の看護師が混じっている程度か。


「そうか。それなら良い。しかし困ったな。私の牙の1つが欠けてしまってね。王国内では〔修復〕できそうにないから、ドワーフやノーム先生に聞いてみようと考えていたのだが……いつまで休校が続きそうなのかね」

 ハグが窓にもたれて、いつの間にか『あやとり』を始めながら適当な声で答える。床や天井の保護に飽きてきたようだ。

「そうだな。2、3日後には元通りになるだろうよ。だが、ワシの未来〔予知〕は、異世界のことまでは保証できないのでな。あくまで目安だ」


 サムカが執務机に片ひじを立てて目を閉じた。心理状態を反映するかのように、机の上の読書灯がチカチカと瞬く。

「むう……3日後かね。ハグ。申し訳ないが、校長に私のことを伝えて、歯科医師を探すように頼まれてくれないか」


 ハグが口元を少し緩めながら、象牙色の顔でうなずいた。

「よかろう。君の負傷もワシの責任だしな。恐らく、ウィザード魔法の招造術使いの中にいるだろう。他には、魔法工学の奴もかな」

 サムカが困ったような笑みを浮かべて、肩をすくめた。

「頼むよ。どうも……牙が欠けたままだと、落ち着かないのでね」


 サムカの言葉に、ハグがいたずらっぽい視線を返した。窓枠が鈍い音を立てて軋み、石の粉やら金属の錆やらが吹き出す。ゾンビを覆っているシートの端が〔風化〕して崩れ落ち始めた。ようやく、少し気にする仕草を見せるハグだ。

「貴族の〔修復〕魔法では、牙は無理だろうな。牙から潜在魔力を吸収するから、闇魔法では対応できないのだよ。言い換えれば、君たち貴族にも唯一、生命の精霊魔法が作用している場所だからね」


 それを聞いてサムカが驚いた顔になった。思わず背筋がピンと伸びる。ちなみに今は古代中東風の白い長袖シャツに地味なズボンで、スリッパを履いた姿である。腰のベルトには、短剣が1本だけ吊るされている。

「ほう。我ら貴族に、そのような秘密があるとは知らなかったよ」


 ハグがウインクをして微笑んだ。

「我々アンデッドが獣人世界の空気に触れても平気なのは、そのおかげだよ。完全に異質な存在は、その世界の因果律に弾かれて、すぐに獣人世界の外に飛び出してしまうものだからね。もしくは、強烈な魔法場汚染を引き起こすか」


 そして、作業ズボンの汚れたポケットからクシャクシャになった紙束を取り出した。

「実は、コレを届けにきたんだよ。セマンの保安警備会社との『契約書』だ。君の要望は、ほぼ全て受け入れられているようだぞ。確認してサインをしてくれ。ワシがその会社まで届けてやろう」

 クシャクシャだった紙束があっという間に新品同様になり、それをサムカが受け取った。


「わざわざクシャクシャに加工するとは。そんな手間をかける必要があるのかい? ハグ」

 サムカが苦笑しながら紙束を執務机の上に置いて、万年筆を取り出した。


 ハグが肩を少しすくめる。ハグがもたれている窓枠周辺が彼の魔力で冷やされて、気圧も下がっているようだ。そのために気流が起きて、窓の外に石の粉が流れていく。

「ワシの魔力が強すぎるのでな。意図的に劣化させておかないと、本当に劣化してボロボロになるのだよ。文面やサインには、それなりの魔力が維持されておらねば契約書を交わす意味がないだろう。魔力の失せた契約書なぞ、ただの紙切れに過ぎん。紙を意図的に劣化させることで、この魔力の喪失を防いでおるのだよ」


 サムカが契約書に目を通してうなずきながら、ハグの言葉に頬を緩める。

「うむ。確かに、私にとっても不利な面のない契約だな。了解した、サインしよう。しかし、ハグよ。リッチーともなると、色々と面倒な事が起きるものなのだな。魔力が強い者ほど、気楽だとばかり思っていたよ」


 サムカが優雅な所作でサインを入れた契約書を、ハグが受け取る。たちまち、紙束が再びヨレヨレのクシャクシャになった。

「見た目を劣化させることで世界を騙し、本来の状態を保護する魔法だな、これは。ちなみにワシの顔や体には、逆系統の魔法をかけておる。本来の姿はただのミイラだからな。劣化して崩れると大変なことになる。新米リッチーや出来損ないリッチーはその魔法が下手だから、ミイラや骨という本体の姿が見えてしまっておるがね」


「へえ……」

 と、サムカが山吹色の瞳を輝かせて聞いている。ある程度は想像していたようだが、直接リッチー本人から聞くのは嬉しそうである。ハグが軽くトラ刈りの銀髪頭をかいて、話を続けた。

「君たち貴族には、そこまでの魔力はないから、ワシのような苦労はせずに済む。ワシよりも魔力が強い連中、例えばイプシロンの死者の世界の創造主ミトラ・マズドマイニュなどは、姿をこの世界に現すだけで天変地異を起こしかねない魔力だからな。なかなかうまくいかないのが、この世の理でもあり、また面白い」


 紙束を再び、薄汚れた作業ズボンのポケットの中に無造作に押し込んで、ハグがサムカに片手を上げた。

「これは、ワシが責任を持って届けよう。2、3日ほどゆっくりしておいてくれ」


「うむ」とサムカもうなずき、別の話題をハグに投げかけることにした。

「ステワ卿が言っておったのだが、今回のカルト派貴族の学校襲撃事件。召喚ナイフが関わっている可能性はあるのかね?」

 ハグが首をかしげて肩を少しすくめた。

「うむ……可能性はあるな。ワシの方でも内偵を出して探っておる。何か分かれば、知らせよう。まあ、しかし、ワシと同じリッチーだったら特定は難しいがね」

「その時は仕方あるまい、では頼むよ」


 サムカの返事に軽くうなずいたハグが右手を上げた。

「では、去るとしよ……ん?」


 ハグが浮かんでいる窓際に、1羽のツバメが飛んで来て止まった。そのツバメが帯びている尋常ではない魔力に、警戒の目を向けるハグとサムカだ。

 サムカが腰に吊るしている短剣の柄に手をかけた。それを軽く左手を振って抑えるハグだ。サムカが柄から手を離したのを確認してから、淡黄色の瞳をツバメに向けた。

「以前から、何度か我らを監視しておるツバメか。何用かね?」


 ハグの問いかけに、ツバメは全く反応しなかった。ハグとサムカの顔を交互に眺めて、首をひねっている。ハグがため息をついて、再び問いかけた。

「茶番演技は、もうしなくてよいぞ。この魔法場は、魔法使い、それもかなり高位だな。メイガスの使いかね?」

 サムカが興味津々な表情になった。

「ほう。話には聞いていたのだが、これがメイガスかね」


 ツバメが両の翼を広げて、降参のポーズをとった。いきなり鳥から人間臭い動きに変わる。

「さすがはリッチーだな。ごまかしは効かぬか」

 サムカとハグが険しい表情になった。声は確かに人間のものなのだが、完全に人工的な響きだ。声や魔法場から正体を探ろうとしても、途中で手がかりが無くなってしまう。まるで、雲や霞と話をしているような印象だ。


 面食らっているサムカを放置して、ハグが険しい表情のままでツバメを見据えた。

 瞬時にツバメが灰になった……かに見えたのだが、何も起きておらず、ツバメの姿のままだ。ハグがため息をついて普通の表情に戻り、ツバメに聞いた。

「……して、何用かね?」


 ツバメが微笑んだかのように見えた。実際は、完全にツバメの頭なので笑顔などできるはずはないのだが。

「理解が早くて結構。召喚ナイフについて若干、興味があるのだよ。リッチー協会理事のハーグウェーディユ君」


 世界間移動は、今のところ古代語魔法によるゲートを介するのが標準だ。セマンやドワーフの盗賊や冒険家のような例外はあるのだが、ほぼ全ての者がゲートを利用している。

 しかし、このゲート魔法は国家管理の場合が多く、利用手続きが煩雑なのである。ウーティ王国でも王城の中にしかなく、利用にはファラク王国連合の許可が必要だ。

 召喚ナイフはそのような煩雑な手続きを無視して、比較的自由に世界間移動ができる魔法として注目されているのである。


 サムカがハグから聞いた話を思い出した。

「そう言えば、私のような多数派の貴族が契約したのは初めてだったか。これまではバンパイアや魔族に、カルト派貴族のような少数派ばかりだったそうだな」

 ハグがサムカに淡黄色の瞳を向けて、曖昧にうなずいた。

「まあな。しかも、不具合が多発する欠陥魔法だ。ワシの魔力でも、なかなか改良が難しい」

 それでも徐々に、〔召喚〕される範囲や、〔召喚〕時の被害が改善されつつある。それもこれも、サムカが実験台になっているおかげだろう。


 ツバメが小さくさえずり、広げていた翼を畳んだ。

「サムカ卿が参加してからは、急速に改善されているではないかね? 世界間貿易についても現実味を帯びてきたようだ。魔法使いが興味を持つには、充分な状況だよ」

 このツバメ、もといメイガスは、獣人世界での出来事も把握しているようだ。ハグとサムカが視線を交わした。


 しかし、ハグもサムカもこれ以上特に話すネタは持ち合わせていなかったので、無言でツバメを見つめるだけだ。ツバメもその事は理解しているようで「チョチョ」とさえずりながら数歩窓枠を行き来した。

「君たちの事業の成功を祈っているよ。では、我はこれで。また何か進展したら会おう」

 そう言い残して、パッと翼を広げて森の中へ飛び去っていった。


 サムカが軽く肩をすくめて見送る。

「ほう……あれがメイガスの使いか。初めて見たよ。こう言っては何だが、ハグよりも遥かに魔力が高いな」

 ハグが空中に浮かんだままでジト目になった。

「フン。闇魔法に関しては、ワシの方が上手じゃわい」


 すぐに表情を通常に戻して、軽く咳払いをする。

「我々の〔召喚〕事業が方々で注目されているという事だな。召喚ナイフの宣伝に繋がるし、悪い事ばかりではあるまいよ」

 とか何とか、1人で言い訳みたいな独り言を始めるハグだ。


 サムカが山吹色の瞳を細めて、藍白色の頬を緩める。

「確かにそうだな。私も貴族の名に恥じないような振る舞いを心がけるとしよう。罰ゲームとしては少々、話が大きくなってきている気もするがね」

 ハグが口元を大きく緩めて、吹き出した。

「ぷぷ。そう言えば、元々これは、サムカちんの罰ゲームだったな。忘れておったわい」


 これでハグの気持ちも少し楽になったようだ。いつもの口調に戻って、右手を挙げた。

「では、ワシはそろそろ退散するとしよう。部屋が〔風化〕して大変な事になりそうだからな。では、また。パパラパー」

 闇がハグの体を包み込んで、そのまま消え去った。サムカが万年筆を執務机のペン立てに差し込んで見送る。


 執務室の中に微妙な振動がしばらく続いていたが、それもやがて収まった。

(リッチーだな、さすがに。魔力が強すぎるのも困ったものだ。念のために後でゴーストらに巡回させて、石組みの強度を確認させるとしよう。劣化や〔風化〕対策を何か講じないといけないな……セマンの警備会社に聞いてみるか)

 今後1年弱に渡り、たびたびハグ本人と話をする機会がありそうだ。来年の今頃、サムカの執務室が〔風化〕して消えてなくなっていてはよろしくない。


 そこへ、さっき消えたばかりのハグ本人が再び姿を現した。頭を申し訳なさそうにかいている。

「すまん、すまん。1つ忘れていた。ティンギ先生に渡すシャドウの件だ。君が作って、〔召喚〕されてからティンギ先生に直接渡せば良いのだが、それでは3日後になりそうだな。ワシが代わりにシャドウをいくつか作って渡すようにしようと思うが、それで構わないかね?」


 サムカも忘れていたようで、「……ああ」と、指を小さく鳴らした。

「そういえば、そういう話をしていたな。分かった。ハグの提案に任せよう。武装はどうするつもりかね?」

 ハグがちょっと考える素振りを見せる。

「……そうだな。シャドウの攻撃や行動の未来〔予知〕と、その回避の実習目的だからな。ごく初歩的な装備で良かろう。先日の狼バンパイアがやったような、〔唱える者共〕、〔オプション〕、〔シャドウ〕、〔ミラー〕あたりで足りるだろう」


 サムカが首を少しかしげて注文をつけた。

「ハグ。それでは数が足りないぞ。30名ほどいる生徒を相手にするのだから、まずは30体以上に増やした方が良いだろう。」

 ハグもサムカに指摘されて思い直したようだ。

「ふむ、了解した。生徒1人あたりにつき、シャドウを3体ほど割り当てた方が実習効果は高そうだな。では、起動して瞬時に100体ほどに増えるようにしておこう。それに必要な死霊術場は、死者の世界から自動補給するように術式を組めば問題あるまい。ワシの人形がやってるようにな。基本的には、シャドウが接触すると強制的に〔麻痺〕になる術式を使えば良いのだな」

 サムカがうなずく。

「そうだな。後は、生徒の力量に応じて発動するシャドウの追加術式を、いくつか組み込んでおけば充分だろう」


 ハグが腕組みをして考え込んだ。そのあたりのノウハウはサムカのように軍を有していないので、リッチーといえども分かりにくい様子である。

「サムカよ。君の軍で組んでいるような術式で良いかな? ワシの基準で装備してしまうと、良くないだろ。あのジャディとか言うバカ鳥をからかっただけで、大騒ぎになったし」


 サムカがややぎこちない表情でうなずいた。からかって〔ロスト〕攻撃するのも、かなりどうかと思ったのだろう。

「〔気絶〕や〔狂乱〕、〔石化〕、〔腐敗化〕の術式を、全て簡略版に変更すれば大丈夫だろう。シャドウには、自己〔修復〕と敵の術式〔反射〕、自身の〔高速化〕と敵の〔低速化〕、自身の〔防御強化〕と敵の防御障壁〔無効化〕などを標準装備させれば良かろう。それと、ジャディ君は私の教え子だ。侮辱は控えてもらおうか」


 ハグが少し微笑んだ。再び執務室の天井や壁が軋み始め、石の粉が吹き始める。ゾンビを覆うシートからも埃のような粉が吹き出してきた。

「ほう。ずいぶんと控えめな術式装備だな、サムカ卿。飛び道具は使用しないのかね?」


 サムカが錆色の短髪をかいて、微妙な笑みを浮かべた。石の粉と埃が天井から舞い降りてきてサムカの髪や肩についているが、今は気にしないようだ。

「最初の授業で失敗したことは知っているだろう、ハグ。飛び道具は、生徒たちが充分に慣れてから、最後の更新時に選択肢として出してくれ。それと、〔ロスト〕はもちろんだが、〔ゾンビ化〕や〔バンパイア化〕も除外しておくようにな。まだアンデッドへの偏見が強い」

 ハグが両肩を大げさにすくめてみせて、了解した。

「相手がアンデッドではないから、加減が難しいな。彼らは一応、死んでも〔蘇生〕や〔復活〕できるようだが……まあ、よかろう。サムカ卿の注文の通りにしよう」


 サムカがうなずいた。嫌味として、これ見よがしに右手を見せてプラプラと振る。

「うむ。そうしてくれると助かる。慎重に設定すべきものは、〔ロスト〕の他に、〔石化〕、〔塩化〕、〔液化〕魔法も含まれるだろうな。精神〔破壊〕系統の魔法も危険だと思う……我らと勝手が違うから、気を使わせて済まないな、ハグ」

 ハグが軽く手を振った。《ギシリ》と天井が軋んで音を立てる。

「なに、気にするな。では、ワシはそろそろ去ろう。あまり長居すると、君の執務室の石壁が崩れてしまいそうだ。では、改めてパパラパー」

 そう言い残して、かき消されるように消えたハグを見送るサムカである。


「リッチーも大変だな。さて。3日間ほど時間ができたのか。では、たまっている仕事を片付けるとするか」

 サムカも執務室から外に出て、執事のエッケコを探しに歩いていった。やはり、執事なしではマトモに仕事ができないという自覚はあるようである。

「エッケコ、エッケコはどこだ」




【魔法学校】

 魔法高等学校はハグの言った通り、休校になっていた。

 事務職員が詰めていた赤レンガつくりの平屋建ての教員宿舎は、中にあったカフェと一緒に見事に破壊されていて、ただの瓦礫の山と化していた。運動場も大地の精霊が暴れたおかげでデコボコになっており、帝国軍の工兵部隊が総出で整地作業をしているのが見える。


 ドワーフ製の土木重機が数台ほど稼動している。ブルドーザーやパワーショベルのような機械だ。確かに、運動場を含む広い面積を整地するには、身長1メートル程度しかない狐族や魚族、竜族の力だけでは無理がある。

 重機には帝国軍工兵が乗り込んでいて、器用に操作している。ガソリンなどの燃料を使用しない、内燃エンジンが無いタイプのようで、実に静かだ。気難しい森の精霊がすぐ隣の森の中にいるので、彼らへの配慮だろう。


 おかげでパリーもあくびをしながら森の木の枝に腰掛けて、重機群の作業を見守っている。彼女が余計なちょっかいを軍に出してこないので、それだけでも効果があったと見るべきだろうか。


 森の端にいるそんなパリーを見た校長が、図面と工程表が記された紙を広げて、帝国軍の将校や駐留警察署長と一緒に話をしている。警察では人事異動があったようで、これまでの警察部隊の隊長が、ここを管区とする駐留警察署長になっていた。見た目は身分証が変わっただけだが。


 校長が白髪交じりの頭を、日差しにキラキラと反射させて安堵している。

「迅速な対処、ありがとうございます。この分でしたら3日後には学業を再開できそうです」

 駐留警察署長も同様の表情だ。

「そうですな校長。今回は負傷者ゼロでしたし、ようやく危機管理が機能し始めたように思います。生徒たちは我が帝国の優秀な人材ですからな。粗相のないようにせねば、我が帝国警察の面目にも関わりますよ」


 帝国軍の将校は工兵部隊の責任者なのだろう。軍人らしからぬ繊細な印象のある狐族である。先日の狼バンパイア騒動時に来ていた人とは別人だ。まあ、情報部と工兵部なので違っていて当然ではある。

「工兵の錬度が上がるので、こちらとしても文句はありませんよ、校長。しかし前回のバンパイアとは異なり精霊ですので、専用地雷などの迎撃兵器を配備することができません」

 校長としては運動場が地雷だらけになるのも、あまり歓迎していない様子だが。将校が話を続ける。

「大地の精霊に反応するセンサーは、ただの土と凶暴化した土とを区別できないのです。申し訳ありませんが、また襲撃が起きても迎撃することはできません。迅速な避難をする訓練を地道に行ってください」


 校長が素直に深くうなずいた。白毛交じりの毛皮で包まれた頭が、日差しを弾いてキラキラと穏やかに光る。

「分かりました。今回は、ノーム先生ですら襲撃の直前でしか〔察知〕できない様子でした。機械のセンサーは更に感度が低いでしょうから、仕方がありませんね。避難訓練を充実させましょう」


 警察署長がキョロキョロと辺りを見回す。彼はまだ若いので白毛もなく、警察帽の下の顔の毛並みも力強い張りだ。

「そういえば校長。先生方は、まだ病気から回復していないのですか?」

 校長が固い笑みを口元に浮かべて頭をかいた。白毛交じりの尻尾も申し訳なさそうにパサパサと揺れる。

「はい。医師の診断では、明日、明後日には完全に回復するだろう……とのことです。既に発熱や下痢、知覚障害や精神錯乱の症状は治まっていますから、このまま『結界テント』内で寝ていれば大丈夫でしょう」


 そう言って校長が、運動場と接する森の縁にある大きなテントを指差した。これは、狼バンパイアとカルト貴族たちが襲撃した際に用いた救護所テントと同じ形状であるが、収容人数が多いので10倍くらい大きい。

 その中に、ライカンスロープ病になった先生たちが全員収容されていた。ハグが言っていた通り、予防接種があまり効かない種類のウイルスだったようだ。

 事務職員たちも住む場所がなくなったので、同じテント内の一角で寝泊りしている。校長も当然それに含まれていて、そのため、あわせて50名弱が寝泊りする避難テントになっている状況だ。


 帝国軍の将校も苦笑を隠せない様子である。彼も工兵上がりのせいか日焼け気味だが、良い毛並みだ。

「ええと……確か、記録では法術のマルマー先生が授業で使うために、近くの森の中でウイルスを採集してきたのでしたよね。まさか、ここまでとは」

 感染している先生たちが寝ているテントに向けて一礼する。そして、やや暗い瞳で校長を見た。

「私たちの世界のウイルスは、かなり凶暴なのかもしれませんね。他の世界の人たち全てに感染してしまって、しかも重症化させてしまうのですから」

 校長も同意して肩をすくめる。将校も同じような仕草をして話を続けた。

「予防接種もあまり効果ありませんでしたし、現状では発症後の治療ワクチンも効きが悪いようです。我々が発病しない病気ですので、研究開発されていませんからね。兵器開発部あたりが良からぬ考えを巡らさなければ良いのですが」

 校長が冷や汗混じりで口をキュッと結んで、腕組みをした。

「そうですねえ……通商部が調子に乗って、これを輸出品目に加えないことを祈りますよ」


 そこへ、結界式の避難テントの中からエルフ先生が出てきた。

「おお……」

 校長以外の2名の口から、一斉に感嘆のため息がもれた。目が一様に点になっている。さすがに校長だけは毎日同じテント内で顔を合わせているので、表情の変化は見られない。


「あら。シーカ校長さん。こんにちは」

 エルフ先生がまだ疲れたような笑顔で、校長に挨拶した。足取りもまだ確かなものではなさそうで、フラフラしている。

 校長がエルフ先生を気遣いながら挨拶を返した。

「カカクトゥア先生、こんにちは。かなり回復しましたね。ああ、でも足元には注意して下さいよ。転んでケガをしてしまいます」


 隣の警察署長と帝国軍の将校は、まだ口を半開きにさせたままでエルフ先生の姿を凝視していた。両耳と顔のヒゲ全てがエルフ先生の方を向いていて、尻尾が逆立っている。

 それもそのはずで、エルフ先生には大きな狐型の尻尾と、立派な狐耳が生えていた。

 耳は本来の細長いエルフ特有の形が、そのまま狐の耳に変換されているといった方が良いだろう。色は髪の色と同じ、べっ甲色である。ミンタやペル、校長のように縞模様や白毛がないので、意外に艶めかしく見える。


 服装も、大きな尻尾を想定した仕立ての服などを持っていないので仕方なく、飛族が着ているツナギ作業着みたいな服をそのまま着ている。尾羽を通す部分から狐の尻尾を出しているのだが、尻尾が大きいので歩くバランスがとりにくい様子だ。


 校長が凝視している2人に軽く肘打ちして、正気に戻す。そのまま、そつなくエルフ先生と穏やかな笑顔のまま会話を続けた。

「さすがエルフですね。他の先生方はまだ寝込んだままですよ」


 エルフ先生が頭をフワフワ揺らして、気恥ずかしげに微笑んだ。両耳と狐尻尾もゆらゆらと揺れている。

「ようやく、意識が正常に戻ってきました。お恥ずかしい姿をさらして、すいませんでした」

 校長が穏やかな笑顔のままで、優雅に手を振った。

「いえいえ。錯乱状態に陥ったのは病気のせいで、あなたのせいではありませんよ。大して暴れませんでしたし、誰も迷惑に思っておりませんからご安心を。もっと暴れている先生方も、現在進行形でいらっしゃいますし」


 エルフ先生が大きな狐耳をパタパタさせて照れている。尻尾も連動してパタパタしている。

「そうですね……耳や尻尾も次第に小さくなってきていますし、今日中には元に戻ることができるでしょうね。一時は口ヒゲが生えて、毛皮が体中を覆っていましたので慌てました。精霊魔法も使えなくなってしまいましたし……錯乱状況が大したことなかったのは多分、エルフが精神の精霊魔法に通じているおかげだと思いますよ。さて、パリーに会ってくるかな」

 そして、校長たちに会釈して、伸びをしてから森のほうへ歩いていった。


 それを見送っていた警察署長と帝国軍の将校がそろって、校長に少し興奮した表情を向けた。2人とも目がキラキラしている。

「校長……人間に狐族の耳や尻尾が付属するだけで、ずいぶんと親しみやすい印象に変わるものなのだね。驚いたよ」

「最初は驚いたけれど、目が慣れると受け入れやすいな」


 校長がにこやかな笑顔を2人に返した。『我が意を得たり』という心情なのか、尻尾もうって変わって元気に振られている。

「そうでしょう? やはり、我々との共通点が増えるとそれだけで親しみが増すのでしょうね。ただ、あの姿も今日一杯まででしょう。少し残念な気もしますが、回復が最優先ですから仕方がありません」


 そこへ、ティンギ先生が散歩がてらやってきた。彼だけは獣の姿にもならず、病気に感染もせず、1人だけ元気である。

「やあ。エルフの先生が回復してきましたか。さすがですな」


 校長が感心しながらティンギ先生を出迎える。尻尾の動きも大人しくなった。

「これはティンギ先生。先生方で発病しなかったのは、あなただけでしたよ。〔運〕の威力というのは、底知れないものですね。ですがもし体調に異変を感じたら、遠慮なく医師たちに申し出て下さいね」

 ティンギ先生が気楽な声で笑い始めた。

「ははは。発病したら、そうするよ。しかし、休校が続くと暇を持て余してしまうな。何か仕事はないかい?」


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