23話
〔ロスト〕
「し、心配するな。大丈夫だ、まだ間に合う……」
サムカが頭を抱えながらフラフラの状態でようやく立ち上がった。アンデッドなので息をしていないのだが、かなり苦しそうだ。
それでも一瞬の動きで教壇からジャディが座っていた席まで移動して、落ちていた彼の羽を数枚拾い上げる。それを片手に掲げてエルフ先生に告げた。
「生命の精霊魔法で〔復活〕させてくれ、クーナ先生とラワット先生。あと10秒余りで、この羽も『存在』が失われてしまう」
ノーム先生が焦った顔でサムカに告げて、ライフル杖を向けた。
「そこから離れなさい! さもないと、君の右腕が消し飛ぶぞっ」
しかし、サムカは微動だにしない。
「構わん。撃て」
エルフ先生がピタリとライフル杖の先を、羽を掲げているサムカの手に向けた。
「恨まないでよ! 皆は、閃光と爆風に対処しなさいっ」
同時にエルフ先生の杖の先から光が放たれた。一呼吸遅れてノーム先生の杖からも同じような光が放たれる。
「ぐ……」
サムカの端正な白い顔が苦痛に歪んだ。羽を掲げている右手が光に包まれて、爆発した。
<どおおん!>
同時に、窓の外に広がる森から生命の精霊場の流れが起こり、それが爆心に流れ込んでいく。塵や水蒸気などが大量に教室内に巻き上がって視界が全く利かなくなった。廊下に集まっていた60名ほどの生徒たちが、悲鳴を上げて逃げていく。
やがて……粉塵が収まった教室には、サムカに肩を支えられたジャディの姿があった。呆然とした表情である。
「は? な、何が起きたんスか? 殿」
「わあああ」と、泣き顔で顔を腫らしたペルとレブンがジャディに抱きつく。ミンタとムンキンも安心して腰を抜かしたのか、床にペタンと座り込んでしまった。
サムカがほっとした表情を浮かべて、ジャディを見下ろした。
「うむ。きちんと〔復活〕できているな。服や記憶も完璧だ。さすがエルフとノームだな。私の今の魔力ではジャディ君を、私の記憶を基にして完全に〔復活〕させる事は無理だからね。『ひな形』しか作れない」
サムカの瞳が穏やかな山吹色に変わっていく。〔防御障壁〕を展開していなかったようで、錆色の前髪が爆風を浴びてバサバサになっていた。
「その『ひな形』に生命の精霊魔法を加える事で、こうして何とか〔復活〕できたという事だな。結構な賭けだったが、上手くいって良かったよ」
そう言ったサムカの右手を見つめる両先生である。言葉もない。
サムカの右手は完全に〔消滅〕しており、腕の先から煙が大量に噴き出していた。腕の先から、どんどん煙になって〔消滅〕していく。
サムカが左手を後方の教壇そばの床に転がっている剣に向けた。3本目の剣だ。それがまるで磁石に吸い寄せられるかのように、サムカの左手に収まる。そして無造作にサムカが剣を振って、右腕の肘から先を斬りおとした。
「ボトン」と鈍い音を立ててサムカの右腕が床に落ちるが、すぐに煙に包まれて〔消滅〕してしまった。血が全く出ていない斬り口は、闇魔法場の影響ではっきりと見えない。エルフ先生が特に険しい表情になったが、ペルたち生徒もサムカが死者なのだと改めて実感する。
当のサムカは平然とした表情のままで、右腕の傷に魔法をかけて応急措置を施した。
「生命の精霊魔法の直撃を受けたからな。生き返ってしまったようだ。法術でいうところの死体〔蘇生〕に近いか。まあ、この程度で済んで良かったよ。良い腕だな、クーナ先生、ラワット先生」
ラワット先生がライフル杖を下して、呆れた表情で微笑んだ。
「まったく。生命の精霊魔法は収束させにくいんだぞ。我ながら、それだけで済んだことに驚いているよ」
エルフ先生もライフル杖を下して同調した。険しい表情は今は収まっている。
「そうですよ、サムカ先生。光の精霊魔法のポンプ光作用が運良く適用できただけです。2種類の異なる生命の精霊魔法を『交差』したおかげで、波動が『収束』できました。でなければ、サムカ先生の半身くらいは〔消滅〕していても不思議ではありませんでしたよ」
エルフ先生が心配そうな表情になった。空色の瞳でじっとサムカの顔を見る。
「無茶しますね、まったく。痛くはないのですか?」
サムカが剣を黒マントの中に突っ込んで〔消去〕し、やや固い笑顔を向けた。改めて左手を傷口に当てる。
「痛みと言うよりは、魔法場〔干渉〕による衝撃だな。今は〔遮断〕してあるから問題ない。〔ロスト〕攻撃を受けてもそれが確定するまでに若干の時間差がある。その間に、〔復活〕作業が可能なのだよ。法術でも〔復活〕作業が可能なはずだから、後でマルマー先生に教えてあげてくれ。そちらの方が、生者にとっては便利だろう」
そして、山吹色の瞳を細めてジャディを見つめた。
「ともあれ、ジャディ君が〔復活〕して良かったよ。ようこそ『出戻り』君。『あの世』はどうだったかね?」
「え……と。覚えてないっス、殿」
ジャディは、まだキョトンとしたままである。というか、いつまでも抱きついて泣いているペルとレブンに逆切れし始めた。
「オイ、コラ。いつまで抱きついているんだよ! 気味悪いだろうがっ」
しかし、これも逆効果だったようだ。さらに安堵した表情で抱きついて、泣きじゃくるペルとレブンである。
「うわああん、本物のジャディ君だああ。良かったあああ」
「それでこそ、ジャディ君だよ。良かった良かった」
サムカが〔修復〕魔法を発動させた。自身の右腕が次第に元通りに直っていく。その様子を確認しながら、サムカが整った眉をひそめた。
「さすがに服や手袋までは〔修復〕できないか。エッケコにまた苦労をかけるな。少々、見苦しくなるが、我慢してくれ」
そして、悠然とした足取りで教壇に戻った。
「余計な邪魔が入ったが〔エネルギードレイン〕魔法はこういうものだ。用心して使うようにな。まあ、私のような貴族が敵だった場合には、集中砲火には用心した方が良いだろう。あの馬鹿人形がしたような集中砲火を食らってしまうと、ジャディ君のように〔ロスト〕して、〔復活〕不可能な状態にもなりえる」
まだキョトンとした表情のジャディに視線を向けてから、廊下の外にいる生徒たちを見つめた。
「法術での〔復活〕作業も、歴史上からの存在が消えてしまった後では不可能だからね。とにかく、〔ロスト〕が『確定』するまでに〔復活〕させる事だ」
〔ロスト〕魔法の集中砲火と聞いて、思わず身震いするエルフ先生とノーム先生であった。ジャディを含む教室内の生徒たちも同じ寒気を感じたようで、ピリピリした空気が教室と廊下に張りつめていく。
その様子を見て、ようやくジャディも緊張した表情になっていく。自身に何が起きたのか、徐々に理解し始めたようだ。
サムカが彼らの反応に鷹揚にうなずく。正常な反応だと安堵している。
「ただ、ハグが教えた『水晶や金属弾に術式を貼りつけて保存する手法』は、練習しておくと良いだろう。かなり強力な武器になる」
レブンがようやくセマンの顔に戻って、サムカに質問してきた。
「テシュブ先生。大地の精霊以外でも使えるのでしょうか?」
サムカがうなずいた。
「そうだな。ハグはああ言ったが、大地の精霊が特に相性が良いだけの話で、他の精霊でも問題ない。だが、炎の精霊は何かと誘爆する場合があるので、あまり使わない方が安全だろう」
(もしかして、テシュブ先生が冗談を今言ったのか?)
と、顔を見合わせるペルとレブンであった。ミンタとムンキンは「そんなの当然でしょ」と言わんばかりの表情だ。ジャディだけは琥珀色の瞳をキラキラさせて聞き入っている。
エルフ先生とノーム先生や、廊下の生徒たちの反応も一応確かめたサムカが、話を続けた。
「それ以外では、生命の精霊にすら貼りつけることが可能だ。森の虫どもを呼び寄せて、それらに術式を乗せてぶつける方法だな。魔神やドラゴン、巨人どもが使う戦法で、文献によると非常に強力だそうだ」
あまりピンときていない表情をしている生徒たちを見て、サムカが言い直す。
「数千万匹の羽虫の大群に術式を乗せて放てば、普通の軍隊では対抗できないだろう。先ほどのハグではないが、軍隊ごと〔ロスト〕させることができる。先ほどハグが黙っていたのも、それが理由だろうな。だが、正確な情報は知っておく必要がある」
廊下の生徒たちの間から、再びどよめきが上がってきた。ニクマティ級長も黒茶色の瞳を輝かせて、周囲の友人生徒たちと論じ始めている。サムカが廊下側の生徒たちに、「少し静かにするように」と合図を送った。
「ウィザード魔法に乗せることも可能だ。特に精霊や妖精などを〔召喚〕して、彼らに乗せると強力な武器になる。妖精には意識があるから、敵の攻撃を独自判断で回避しながら攻撃できるという点が優れているな。むろん、〔エネルギードレイン〕魔法を帯びているから、敵側の〔防御障壁〕を無効化できる。基本的に闇の精霊魔法でしか迎撃できないからね」
エルフ先生が思わず絶句した。腰まで伸びている金髪から何本も跳ね毛を飛び出させて、冷や汗もかいている。
「うわ……何ですか、その恐るべき攻撃方法は。機動警察部隊でも壊滅してしまいかねませんよ」
ノーム先生も同様である。口元とアゴの銀色のヒゲが大いにバラけた。
「ううむ……そんな攻撃、どうやって防げば良いんだね。あの時、カルト貴族が我々を完全に見下していたのも、それが使えるからだったのか」
サムカが完全に〔修復〕した右腕を軽く振りながら、微笑んだ。古代中東風の上品なスーツの右袖までは、残念ながら〔修復〕できなかったが。他には黒い軍用手袋も。
「ちなみに、この腕の〔修復〕は、闇魔法を用いて死霊術場の魔力を〔物質化〕したものだ。死霊術場由来なので〔修復〕後には腕組織は死んでアンデッド化し、私の意識下に組み込まれる。この術式はアンデッド以外の生者にとっては、かなり副作用が大きいと聞く。渡すことは控えるよ」
レブンが残念そうな顔をしているが、苦笑するだけのサムカであった。闇魔法なので、レブンには荷が重いのだ。
「ラワット先生の疑問についてだが、我が軍は対抗術式を用意している。だがこれは、残念ながら連合王国軍の機密事項なので教えることはできない。君たちの世界の警察なり軍隊なりで研究することを勧めるよ」
ノーム先生が手袋をした両手を挙げて、おどけた仕草をした。
「忠告感謝するよ。研究するとしよう」
サムカが教室の壁掛け時計に視線を投げた。ジャディの騒ぎがあったばかりなのだが、窓ガラスも天井の照明も、この壁掛け時計も全く無傷である。使い魔が不在でも、ドワーフの技術だけで何とかなりそうだ。
「ふむ。あと5分か。せっかくだから、もう1つ魔法を教えるとしよう」
【氷の精霊魔法】
サムカが修復されたばかりの右手と、黒い手袋に包まれたままの左手を胸の前に差し出す。あっという間に、両手の間の空間から雪が降り出して、下の教壇の上に降り積もっていく。
「氷の精霊魔法だ。生命のある者が苦手にする代表的な魔法だな。一方でアンデッドはこの系統が得意だ。精霊を使わない場合は、ソーサラー魔術では〔氷結〕魔術と呼ばれる。力場術では〔氷結〕魔法だな。一般には、この氷の精霊魔法は大したことないと思われがちのようだ。しかし、それは生命ある者の思い込みに過ぎないのだよ」
ミンタが首をかしげる。生意気そうな鼻先のヒゲ群が、動きに同調してフルフルと揺れた。
「実際、大したことないと思うけどな。マイナス200度ちょっとくらいしか温度が下げられないもの。炎系なら1000度2000度なんか当たり前に出せるわよ」
他の生徒たちや先生方も同意見のようだ。
それを確認してサムカが真面目な顔で1つ咳払いをした。
「物が『凍りつく』という点だけが注目されているが、氷系の脅威はそこではないのだよ。そうだな……ペルさんは闇の精霊魔法、レブン君は死霊術、ジャディ君は風の精霊魔法、ミンタさんは光の精霊魔法、ムンキン君は炎の精霊魔法を。クーナ先生は生命の精霊魔法、ラワット先生は大地の精霊魔法を何か1つ、それぞれ同時に発動してみようか。教室を破壊しない程度で頼むよ」
ノーム先生がツッコミを入れてきた。
「テシュブ先生。そんなに多くの種類の魔法を一斉に発動させたら混線状態になって、この教室の魔法場汚染が凄いことになるぞ」
しかし、サムカは平然としたままである。
「多分、大丈夫だろう。それでも、弱い魔法で頼むよ。では始めてくれ」
言われたままに、全員が一斉に魔法を発動させ……られなかった。
「???????」
廊下にいる生徒たちも、ニクマティ級長が先頭に立ってウィザード魔法やソーサラー魔術を、思い思いに発動させてみようとしたのだが、これまた術式が途中で停止してしまった。
生徒たちも驚いているが、とりわけ驚いていたのがエルフ先生だった。腰までの金髪が静電気を帯びて3、40本ほど四方八方に跳ねている。
「な、え? どうして? えええ!?」
しかも驚いている間に、発動途中の魔法が崩壊して〔消滅〕してしまった。ついでにエルフ先生が常時展開している〔防御障壁〕も全て崩壊してしまった。大混乱に陥るエルフ先生である。
腰まである長い真っ直ぐな金髪も、100本ほどが癖毛のようになって跳ね上がった。毛先から火花が散ってバチバチと音を立てている。
「ど、どどど……どう言うことなんですか!?」
ノーム先生も驚愕の表情である。彼の〔防御障壁〕も全て見事に崩壊してしまい、いわゆる丸腰状態になっている。バラバラにバラけた銀色の口ヒゲやあごヒゲを、整える余裕もない様子だ。
サムカが少しいたずらっぽい表情をして、穏やかな口調で説明を始める。
「これが氷の精霊魔法だよ。寒く感じないのは、空気は熱伝導が非常に悪いから、魔法がかかっている空間の外に冷気が及びにくいせいだ。私がしたのは君たちの術式そのものに、氷の精霊魔法を被せただけだ。分かったかな?」
ノーム先生が驚きの表情のままで、サムカを凝視した。エルフ先生と同様に口元のヒゲが2、30本も跳ねてしまっている。大きな三角帽子も少しずり落ちてしまったようだ。
「術式の実行速度を『落とした』のかい?」
ノーム先生のつぶやきを聞いた、エルフ先生とミンタが顔面蒼白になって同時に口を開く。
「ウソ……」
サムカが右手で短い錆色の前髪をかいた。ちょっと残念そうな表情をしている。
「もう見破られたか。さすがだな」
同時に、生徒たちや先生方が起動させていた魔法の術式が、次々に崩壊して〔消滅〕していった。それは廊下の生徒たちも同じで、呆然とする一同である。
一通り、廊下側にいる生徒たちの術式が破壊されたのを確認したサムカが、教室内の先生と生徒たちに視線を戻した。
「なかなか使える魔法だろう? 氷の精霊魔法というのは、伝達速度を『遅らせる』魔法でもあるのだよ。体験した通り、どんな魔法でも伝達速度がある値以下に落ちると、その魔法は術式実行エラーを生じて崩壊する」
サムカがエルフ先生に、いたずらっぽい視線を向けた。
「唯一の例外は光系の精霊魔法だが、これは光そのものを遅らせることはできないからだな。だが、術式は別だ。光の精霊場があっても精霊魔法の術式がエラーで機能しなくなれば、魔法が発動しなくなる」
驚いて声も出せない先生方や生徒たちをそのままにして、サムカが話を続ける。
「もう1つ、氷の精霊魔法の脅威を教えよう」
そう言って、サムカが黒マントの中から〔結界ビン〕を1つ取り出し、中から大きなスズメバチを1匹つまみ出した。
「教室へ来るまでに、1匹飛んでいたので捕まえておいた。普通のスズメバチだな」
サムカに右手の指でつままれて、毒針を指に突き刺していたスズメバチが急速に動かなくなっていく。最後はポトリと落ちて、サムカの手の平の上で完全に凍結してしまった。
「空気に含まれる窒素を冷やして液体にして、このスズメバチの中に詰めた。これをどうするかというとだね……」
凍結したスズメバチを、教室の後ろ正面の壁に向けてサムカが無造作に投げた。その放物線軌道を目で追いながら、サムカが指を鳴らす。「パチン」ときれいな音が教室に響いた。
<どかーん!>
爆発が起こって爆風がペルたちに襲い掛かった。教室の中を衝撃波を伴った爆風が吹き抜けて、塵が舞い上がった。しかし、生徒と先生は無事だ。いきなりの大爆発に驚いている。
教室はマライタ先生によってかなり強化されていたので、この程度の爆発では何ともなかった。窓ガラスにもヒビ1つ入っていない。
そして今現在、サムカ以外の先生と生徒たちには、1枚も〔防御障壁〕が機能していない事に気がついた。こんな爆風でも直撃を受けたら無事では済まなかったことにも気がつく。
教室の中と廊下の生徒と先生たちが、言葉を失ったようになって戦慄している。その様子を、穏やかな顔で一目見たサムカが授業を続けた。
「液体の窒素を、気体の窒素に一気に戻したのだよ。体積が液体から気体になる過程で膨大に膨れ上がるので、爆発したように見える。まあ、実際の現象は爆発といって良いだろう。これも、氷の精霊魔法の応用だな。もちろん、炎の精霊魔法を併用すれば気体の体積がさらに膨張するから、より強力な爆発を引き起こすことができる」
エルフ先生が真っ青な顔でサムカを見た。
「ちょ、ちょっと待って……これ、先に、私たちの〔防御障壁〕や〔回復〕術式を破壊してから、この氷爆弾を炸裂されたら、為す術がないじゃない……」
サムカがエルフ先生の顔を見て、柔らかく微笑む。
「直撃だな。ちなみに、私のような貴族相手でも有効だ。それと氷爆弾だが、別に虫を捕まえて仕立てる必要はないぞ。敵に触れることができれば、体の一部を虫に見立てて『爆弾化』すればいい。肺の中の空気でも良いし、生物であれば血液でも良い。爆発力は、密閉空間である敵の体内で起きた方が高いからね」
ノーム先生が感心した表情と声色で唸った。銀色の口ヒゲとあごヒゲはまだ逆立ったままだ。
「うむむ。さすがは多数の戦闘をくぐり抜けて来た者は違うなあ。ちなみに、この魔法を教えてくれたということは、テシュブ先生配下の軍勢には対抗術式を適用してあるということだね?」
サムカが鷹揚にうなずいた。先生や生徒たちにかけていた〔防御障壁〕を解除する。ソーサラー魔術による〔防御障壁〕とはいえ、サムカのようなアンデッドによる魔術だったので、解除されると呼吸が楽になり倦怠感も消えた。
「まあな。でなければ、こう易々とは教えぬよ」
そして、壁掛け時計を見上げた。
「うむ。ちょうど時間だな。マライタ先生ほどではないが、時間通りに終えることができたようだ」
終業のベルが鳴り響いてきた。サムカが廊下の生徒たちに視線を向けて微笑む。
「ここまでにしよう。術式は君たちの杖に転送しておいたから、後で復習しておくように。氷の精霊魔法は生者には馴染みが薄いので、別に『ソーサラー魔術』版を用意してある。〔凍結〕魔術だな。君たちには『ソーサラー魔術』版の方が使いやすいだろう」
生徒たちは素直に納得している様子だ。サムカが山吹色の瞳を和ませて話を続ける。
「魔法適性次第で、習得できる内容には差が出る。それは生まれついてのことだから、特に気にすることはない。少なくとも今回の魔法を経験したことで、〔察知〕できるようにはなるだろう」
そう言ってサムカが教壇の上に置いてある、〔結界ビン〕をつまんで持ち上げた。
「中に封入されているのは、野良バンパイアだ。咬まれて感染して〔アンデッド化〕したりはしないから安心したまえ。適宜、練習用に取り出して使うようにしなさい」
ビンの中に視線を向ける。
「こいつらは、我が領地へ攻め込んで悪事を働いた連中ばかりだから、遠慮なく術の標的にしてやると良いだろう。元は死霊術使いの魔法使いか何かだろうな。最終処分方法は、太陽光に当てれば良い。数秒で燃えて灰になるはずだ」
「はい!」
と、元気良く返事を返すペルたちである。
そして、ミンタとムンキンが簡易杖を出して〔空中ディスプレー〕を机の上に出現させた。杖の先にダイヤモンドらしき宝石をはめ込み、光ディスクをカバンから取り出して、それを〔空中ディスプレー〕と重なるようにして空中に浮かべる。
「よし。では〔記録〕、と。テシュブ先生のおかげで、魔法場の混線もなくなったわね。好都合だわ」
まずミンタが、次いでムンキンが、杖の先を浮かんでいる光ディスクに向ける。
「あ。レブン君、ジャディ君、私たちもしなきゃ」
ペルが慌ててカバンから光ディスクを取り出して、ミンタと同じ作業を始めた。レブンとジャディも始めている。が、レブンだけは手書きメモへの記入との同時作業をしている。
サムカが教壇から降りて、ミンタの席のそばに歩み寄った。とたんにサムカの〔防御障壁〕が激しく振動する。
「おお。これはエックス線かね」
「うるさい。黙っててよ」
集中しているミンタたちの代わりに、エルフ先生がサムカの隣へ歩いてきて解説してくれた。
「光の精霊魔法を使用した高密度〔記録〕ですよ。ミンタさんがエックス線を使いこなすようになりましたので教えたのですが、今では生徒たち全員が使えるようになってしまいました。魔法の習得速度が非常に早いですね。ですので、サムカ先生。離れた方が身のためですよ」
「うむ。そうしよう」
サムカが数歩後退して、生徒たちの〔記録〕作業を山吹色の瞳で興味深そうに見守る。
「クーナ先生。高密度〔記録〕と言ったが、青色光を用いた〔記録〕方式の何倍くらいなのかね?」
エルフ先生が少々ドヤ顔になってサムカに微笑んだ。
「10万倍くらいですね」
「何と!」
驚くサムカを見て、さらにドヤ顔になるエルフ先生である。
「普通のエックス線とは違う、特殊な『円偏向パルス』を使用しているからですよ。一般のエックス線記録と比較しても100倍ほど高密度です。ご説明しましょうか?」
ジト目になるサムカ。
「むう……説明されても分からないだろうが、聞くだけ聞いても構わないかね? 城に戻ってから辞書を引いて調べてみるよ」
エルフ先生がドヤ顔になった。まだ髪が跳ねているので、今ひとつ決まっていないが。
「よろしい。良い心がけです。貴族なのがもったいないくらいね」
「コホン」と1つ咳払いして、エルフ先生が説明を始めた。生徒たちは既に〔記録〕作業を完了させている。
「簡易杖の中から発せられているエックス線は通常の振動です。ちょうど蛇が体を『うねらせて這い進む』ような感じで、水平方向のみに振動する『直線偏光』ですね。この光を、杖の先に取りつけたダイヤモンドに通過させると、らせん状に振動する『円偏光』の光に変換されます」
エルフ先生が指をクルクル回して表現している。
「これで通常のエックス線よりも100倍ほどの記録密度を得られるのですよ。熟練すれば、ダイヤモンドを使わずに直接、『円偏光』のエックス線を杖から出すこともできます。ミンタさんは多分、来週にはできるようになるでしょう」
ミンタがダイヤモンドを杖の先から外して、カバンの中へ納めながら得意気に微笑んだ。金色の毛が交じる尻尾が元気良くブンブンと振られている。
「えへへ。カカクトゥア先生、照れちゃうよう」
他の生徒たちも〔記録〕を終了して、ダイヤモンドをカバンにしまっている。
エルフ先生がミンタにウインクして話を続けた。サムカに対するジト目顔とは別人のようだ。
「まだまだよミンタさん。この『円偏光パルス』は、立体を直接測定できる性能があります。不審者が服の中に何を隠し持っていても、その大きさから構造まで瞬時に探知できますからね。防犯に役立ちますよ」
『防犯』と聞いて、思わず注目するサムカである。しかし、現状では使えないであろうと予想してすぐに1人落胆しているが。
エルフ先生がそんなサムカの様子を興味深く眺めながら、話を続けた。
「さらに、『円偏光パルス』光自体も、ダイヤモンドの角度を変えることで瞬時に右回転、左回転の振動にスイッチすることができます。エックス線自体の周波数も操作すれば100倍以上の精度になりますからね」
「はい、先生」
素直に答えるミンタである。ジャディも含めた生徒たち全員も答えている。
この会話を完全に理解しているという事実に、驚愕するサムカであった。
「うむむ……ますます死者の世界が過去の遺物になりそうだ。私も頑張って学ぶとしよう」
ノーム先生が苦笑している。
「テシュブ先生。一応、光の精霊魔法だからね。体には気をつけてくれよ」
そして、ついでに生徒たちに告げた。
「今は光ディスクを使っているけれど来週までに、使わなくても構わないようになりなさい。宿題にしておくから、頑張ってくれ」
「ええ~……」
悲鳴にも似た文句が、60名に生徒たちから上がってくる。ペルとレブンはかなり深刻な表情だ。早くもミンタとムンキンにすがりついている。ジャディはなぜかドヤ顔をして鼻歌を歌っているので、無視するミンタとムンキンである。互いに顔を見合わせて、ジャディと同じようなドヤ顔になった。
「ペルちゃん。バシバシ教えてあげるわね。期待してちょうだい」
「レブン。竜族式で教えてやるから楽しみにしておけよ」
「うひ~……」
絶望的な表情になって、顔を見合わせるペルとレブンであった。
【子狐ゴーストの置き土産】
そこへ、息を切らした校長が走りこんできた。
「み、皆さん! た、た大変です」
一斉に視線を集める校長である。
「どうかしましたか? シーカ校長」
エルフ先生が首を少しかしげて尋ねた。全速力で走ってきたようで床に座り込んでいる校長が、苦しそうな顔を上げる。
「は、はい。一大事です。マルマー先生のクラスで……あ。テシュブ先生には、まだ説明しておりませんでしたね。法術には3宗派ありまして、マルマー先生は、その1つ真教宗派からの派遣です。他に2つありまして、新教と神教という宗派があります。残念ながら、彼らは先生の派遣をしてくれませんでしたが。一応、モニターして下さって助言を、することはしてくれています」
サムカもその程度の情報は既に知っていたのであるが、ここは校長の顔を立てて何も言わなかった。
校長が話を続ける。ようやく息も落ち着いてきたようだ。
「マルマー先生がライカンスロープ病ウイルスを無毒化して、ワクチン用のベクターに変える実験を行っていたのです。その作業の最中に、あの狐ゴーストが乱入してしまいまして……」
エルフ先生の顔から、また血の気が引いた。同時に怒りもわいてきているようだ。
「まさか、ライカンスロープ病ウイルスが漏れ出たのですか……?」
校長が両耳を前に伏せてうつむきながら肯定する。
「はい……その通りです。つい先ほど、マルマー先生を取り調べていた警察から報告を受けました」
ノーム先生も顔が青くなっている。
「おいおい。先ほどって……狐ゴーストが暴れていたのは、かなり前だぞ」
そして、ノーム先生が急いでライフル杖を取り出して高く掲げ、〔探知〕魔法を展開した。数秒もかからずに杖の先に赤ランプが灯り、ノーム語で警報が鳴り出す。
「……おいおい。ここもウイルス汚染されているじゃないか」
そして、別の〔診断〕魔法を展開して、生徒たちや先生たちにライフル杖を向ける。たちまち小さな〔空中ディスプレー〕が杖の脇に発生して情報を表示し始めた。ノーム語なので他の先生には読めなかったが、ノーム先生が自虐的に笑いだしたので、全てを察したようだ。
「全員……感染しているな。テシュブ先生だけは例外だが。さすがアンデッドだな。死体だからウイルスも感染しようがない。か」
サムカが錆色の髪の後頭部を軽く手でかいた。
「まあ……そうだな。ウイルスは生物にしか感染しないからな。それで、そのライカン何とかという病気は危険なのかね?」
エルフ先生が少し落ち着いた様子を見せて、ため息をつきながら即答してくれた。
「ライカンスロープ病ウイルスです。『獣化』するウイルスですよ。症状は狂犬病に似ています。姿が動物のようになり、狂暴になり、唾液をとめどなく垂らしながら、誰にでも咬みつこうとします。光や風の精霊を嫌うようになりますね。発症すれば、その後痙攣を起こして死亡します」
サムカが、のほほんとした表情でうなずいた。
「なるほどな。生きている者は大変だな」
(まったく、アンデッドは)
とでもグチったようなエルフ先生だったが、ジト目のままでサムカに補足説明してくれた。
「でもまあ、私たちは予防接種を受けていますので、感染して発症しても死ぬことはありませんよ。1日ほど寝込むことにはなるでしょうが……生徒たちは獣人族ですから、免疫を持っています。軽い風邪程度で済むはずです」
ノーム先生も同意する。ずれた三角帽子を整え、眉と口ヒゲの乱れを指で整えた。
「そういうことだな。多分、明日は休校日になるだろうよ」
「やりい!」と、歓声が生徒たち60名の間から沸きあがった。特にジャディは嬉しそうだ。バッサバッサと翼を羽ばたかせて、風圧で数名の生徒たちを吹き飛ばす。吹き飛ばされた生徒たちも「キャッキャ」と喜びながら廊下を転がっていった。その中に、ニクマティ級長の姿もあった。
そんな様子を見てエルフ先生が、生徒たちに凛とした声色で告げる。
「では、宿題を用意します。放課後、教員宿舎の事務室へ全員来なさい」
「うへ~」と、ガッカリする生徒たちである。
「そうだな、私も追加の宿題を出しておくか」
ノーム先生も同調したので、不平の声が大きくなった。
サムカもペルたちを見る。
「私も宿題を出そう。とは言っても、いつも授業の最後に出しているか。〔結界ビン〕の中のバンパイアどもを標的にして、今日教えた魔法を習熟しておくように。そうだな……君たち1人当たり、バンパイア3体を〔破壊〕できるようにしなさい」
さすがに負荷の大きい魔法なので、真剣な表情で顔を見合わせるペルとレブンである。しかし、ジャディは余裕の表情と態度だ。
「殿おおおおっ! 確かに、このジャディ、了解っス! 3匹のバンパイアどもを、見事に消し去っておくっスよ!」
サムカが鷹揚にうなずいた。
「うむ。術式で不明な点があれば、遠慮なくハグ人形を介して私に質問してきなさい。では、今日はここまで」
【地震】
校長は拍子抜けしたような顔のままで、サムカとエルフ先生、ノーム先生たちと一緒に歩いていた。今は、東西校舎の間にある広い運動場を、教員宿舎へ向かっている。
教室にはあれから警官と兵がやって来て、ミンタやペルたちに事情を聞いていた。やはり、今日の授業はここまでで終わりそうだ。
運動場には、今はもう人影は無くなっていた。運動場での取り調べが一通り終了した事もある。が、それ以上にライカンスロープ病ウイルスの漏出と感染拡大が判明してしまい、その対策に取り掛かったのだろう。
事務室は、2つある校舎とは別の平屋建ての赤レンガ建物の教員宿舎の中にある。サムカが初日に入った教職員用のカフェがある建物だ。職員や先生方の宿舎も入っている。
サンサンと照る亜熱帯の太陽は秋とはいえ、まだまだ強烈である。校長は鼻の頭に玉の汗をかき、それをハンドタオルで拭きながら、サムカたちと一緒に運動場を横切って教員宿舎の事務室へ向かっていた。一方のサムカやエルフ先生、ノーム先生は〔防御障壁〕を展開しているので汗一つかいていない。
サムカが上空と森の上を見上げて、エルフ先生に視線を向けた。エルフ先生がすぐに察してジト目になる。
「クーナ先生。手下どもが見当たらないのだが。どうかしたのかね」
こめかみに怒りのマークを浮かべていそうな表情のエルフ先生が、とりあえず笑顔で答えた。
「だから手下ではありませんって。オオワシ族たちは渡りの季節に入りましたので、南へ去っていきました。飛族たちは来る冬に備えて、巣を防寒仕様にする作業中です。亜熱帯とはいえ、これから寒くなってきますから、学校へ来る数は減ると思いますよ」
サムカが残念そうな表情になった。
「そうかね、残念だ。だが考えようによっては、来なくて幸運だったかも知れぬな。ライカン何とか病に感染せずに済んだのだからな」
エルフ先生とノーム先生が同時にツッコミを入れた。
「だから、ライカンスロープ病です」
ノーム先生がサムカに補足説明する。
「飛族も獣人だから、感染はしても発症はしないよ。ほぼ無症状のままで回復するだけさ。我々とは違うよ」
校長がここで会話に割り込んで参加してきた。
「そうでしたね。先生方は予防接種を受けておられましたね。失念しておりました」
エルフ先生が少々怒り気味な表情で校長に告げる。
「予防接種といいましても、感染、発病は避けられませんよ。明日は休講ですね、まったくもう」
ノーム先生もボサボサになっていた口ヒゲとあごヒゲを整えながら同意する。
「そうですな。ただでさえテシュブ先生のゴースト騒動で、今回の授業が予定通りに進みませんでしたからな。これ以上遅れると、補習授業を組まないといけなくなりますな」
サムカが錆色の短髪を日差しに鈍く反射させながら、軽く頭をかいた。
「今回は悪かったよ、謝ろう。それでシーカ校長。新しいゾンビ作成用の死体か人工生命体の用意は、できそうかね? ラワット先生の話では難しそうだが」
校長が申し訳なさそうな表情になった。両耳が前の方へ伏せられてきている。
「あの……すいません、テシュブ先生。前回の騒動で、帝国の方針としてゾンビを用務員に迎えることは、禁止になってしまいました。つい先程、教育研究省から通知が届きまして……」
サムカが少々驚いたような顔になったが、すぐに事情を察した。手袋をはめている左手で校長の小さな肩を軽く叩く。
「いや、そのほうが良いだろう。ゾンビは死霊術場を放出するからな。『化け狐』とやらの災厄を呼び寄せる恐れもある。では、ゾンビ以外のアンデッドで授業を進めるとしよう」
校長が恐縮して礼を述べた。
「ご理解感謝いたします、テシュブ先生。用務員業務ですが、必要ではあります。ですので、今後はドワーフのマライタ先生が授業で作成したアンドロイドを配置するつもりです」
思い出したかのように、サムカが森の上に視線を投げた。
「そういえば、『化け狐』が消えたな。巣へ戻ったのかね」
エルフ先生が両耳をピコピコ上下に動かして答えた。
「パリーが追い払ってしまったのよ。狐さんの本体が死霊術場の塊だと分かってね。ティンギ先生の命名だけど、『化け狐』って呼び名がしっくりくるわね。本当にお化けだったなんて」
その時、再び地鳴りが起こり《ビリビリ》と大地が揺れた。サムカが肩をすくめる。
「やれやれ。今日は地震が多いな」
エルフ先生も同意する。腰までの真っ直ぐな金髪をゆったりと左右に揺らして、周辺の様子を見回して探っている。
「森や上空には、不審な動きはありませんね。確かに最近、地震が多くなりました」
ノーム先生は違う意見のようだ。あごヒゲを右手で撫でて足元を注視している。
「直接大地の精霊と会話できないから、あくまでも『推測』なんだけれどね。大地の妖精が、この世界にはいるらしいんだけど連絡がとれない。妖精であれば、我々と会話や交渉ができるはずなんだけどね」
ノームといえども、色々と難しいようである。
「先日、パリーさんがバンパイア退治のために、大地の精霊魔法を使ったよね。森の妖精が使ったので、それを快く思わない大地の精霊が暴れ始めたのかもしれない。まあ……確証はないけれどね」
エルフ先生とサムカが微妙な表情になった。校長も押し黙っている。パリーの活躍も狼バンパイア相手では必要だったので、何とも批判が難しい様子だ。
ノームのラワット先生も察している様子で、銀色の口ヒゲの先を指で捻りながら話題を逸らした。
「原因はともかくとしてね、地面の中に何かいるんだよ。そいつが動いて地震みたいになっているんだ。生命反応は感じられないから、大地の精霊だろうな」
校長が不安気な表情になってノーム先生に尋ねた。緊張のせいで、鼻先や口元のヒゲ群の張り出し方向がバランスを欠いている。
「ラワット先生。こちらへやってきているのでしょうか。校舎への被害が心配です」
ノーム先生もサムカと同じように肩をすくめて答える。
「さあねえ……こいつらは、地中深い層にいる精霊みたいなんだな。僕らノームが関与できるのは地表近くの層にいる精霊だけだから、この連中の〔制御〕はできないんだよ。まあ……校舎は耐震構造だから、本物の大地震でない限りは、被害は出ないはずだよ」
そして、サムカの顔を見た。
「ちなみに、地中深い層にいる大地の精霊ってのは闇属性が強くてね。だから我々には〔制御〕しにくいんだ。大深度地下の大地の精霊って呼ばれてる。大地の妖精に頼めば、何とかなるだろうけれどね。テシュブ先生だったら可能かい?」
サムカが残念そうな表情で首を振って否定した。
「いや。私でも無理だな。魔力がかなり制限されているし、使用上の制限契約もある。そもそもが大地の属性だから、私の魔法が〔吸着〕されて機能しなくなるよ」
ノーム先生が片方の垂れ眉を指で撫でて、残念そうに唸った。
「むう……そうかね。推論ではあるが、前回の戦いでカルト貴族や狼バンパイアたちが大暴れして、闇魔法を大量に使用しただろ。それで闇魔法場がまだ土中に残留しているのかもしれないな。空中や森の中は、既に薄まって消えてしまっているんだけど……土中はなかなか薄まっていかないからね」
サムカは当時現場にいなかったので、実際にどれほどの闇魔法が使われたのか分からない。空中や森の中からは無くなっていたので、サムカも安心していたのだが……そうでもなさそうだ。
「そうかね……面倒な事にならねば良いが」
サムカの危惧を聞きながら、ノーム先生も垂れ眉をひそめた。
「闇魔法場に引き寄せられて、深い場所にいる大地の精霊が迷い込んで、地表まで上がってきているのかもしれないな。もしくは大地の妖精かも。これにパリーさんによる大地の精霊魔法の行使が加わってしまったと」
エルフ先生が、大筋同意しながらも首をかしげた。
「でも確か……大深度地下の精霊や妖精群の活動層は、地下1キロ以上ですよ。運動場の表層が闇魔法で汚染されたからといっても、離れすぎていませんか?」
その点を指摘されて、ノーム先生が再び垂れ眉をひそめた。
「そうなんだよね。もしかしたら、この学校の敷地の下には『地脈』が流れているのかもしれないな。ほら、先日の巨人アンデッドも活発に動けていただろう? 地中から大量の魔法場を得られれば、納得の現象だ」
サムカが足元の地面をじっと見つめる。数秒間ほどして首を振った。
「いや……『地脈』というか闇魔法場や死霊術場の大きな流れは〔察知〕できないな。闇の精霊場も弱い。ごく普通の地面と地中だ。あの巨人アンデッドは自力で動く型式だったよ。周辺からの魔法場吸収もしていたがね。巨人だから、貴族である私と同様に魔法場を自力で発散するのだろう」
ノーム先生がサムカに礼を述べる。
「済まないね。ということは……はぐれた大地の精霊が、偶然この近くを通過中ということだろうな。しばらくすれば、通過してどこかへ去っていくよ。ここには、連中の好む闇の性質を帯びた餌はないからね。巨人ゾンビ用務員もいなくなったし」
再び小さな地震が起きて運動場が揺れた。生徒たちはもう慣れてしまったようで、校舎からは騒ぎ声も起きてこない。校長がせっせと3人の歩行速度に合わせて小走りしながら、ほっとした表情になった。
「そうですか。生徒たちに危害が及ばないのであれば、無視して良いですね。このまま通り過ぎていくのを待つことにします。校舎に被害が出ても、また補修すれば良いだけのことですし」
そして珍しく校長が少しだけ、いたずらっぽい視線をサムカに送った。
「これまでの補修作業で、帝国の工兵部隊も錬度が上がったようです。悪いことばかりではありませんね」
サムカが軽く腕を組んで、校長に山吹色の視線を返した。
「意図的に校舎を破壊しているのではないからな。おおむね不可抗力か、敵の攻撃だ。まあ、今後は生徒たちの魔力制御も上手くなるから、減ってくるだろう」
エルフ先生がノーム先生と視線を交わして、少し呆れたような笑顔になっている。
「こういうところは、まさしく『闇の者』よね。変な面で楽観思考なんだから」
ノーム先生も同意した。
「そうだな。私だったら、生徒があんな悪さをしたら始末書を書かせて、この運動場を1万周ほど走らせる罰を与えるけどね」
「私だったら〔電撃〕を1発与えた上で、〔精神操作〕魔法をかけて性格矯正してしまうでしょうね」
校長が慌てて先生たちを諌める。冗談とは思えなかったようだ。
「あ、あの。体罰は最終手段です。しっかりと説いて聞かせて、納得させて反省させるようにお願いしますよっ」
【クシャミとアクビと】
そろそろ運動場を横断し終わって、事務職員がいる平屋建ての赤レンガ造りの建物に差し掛かってきた。外の観葉樹の木陰にいるサラパン羊が、ベンチに腰を掛けたままで出迎えてくれた。
頭には、やはりハグ人形が乗っている。フワフワの毛皮に覆われた羊の頭の上を、両サイドの丸まった角の間を往復しながらバタフライ泳ぎしていた。結構、大真面目な泳ぎ方だ。
「やあ、テシュブ先生。授業が終わりましたか。ゴースト騒ぎがありましたけど、何とかなって良かったですよ~。あまり騒動を起こさないように頼みますよ。私の出世に悪影響が出ますのでっ」
「カハハハハ」と、豪傑笑いをして、手持ちのミルクティー入りの紙コップをすすっているサラパン羊である。
警察や軍に、事務職員たちは、今頃ライカンスロープ病対策とゴースト騒動処理に追われて右往左往しているはずなのだが。
「こういう点だけは、一人前の役人だな」
サムカが毒づきながら、羊に歩み寄った。
「私も気をつけるが、貴公も〔召喚〕失敗をしないように願いたい。しっかりと術式を組み上げているのだろうな」
とたんに羊の両目がトロンとなって半分眠り始めた。
どうやら説教関連を聞くと、自動的に脳が拒否反応を起こして睡眠モードに入るらしい。校長がサムカをなだめながら、サラパン羊にも感心している。
「私も、彼のような度胸と自信が欲しいものだと時節思いますよ」
サムカが冷静にツッコミを入れた。
「いや、それは不要だ。シーカ校長。こいつに見習うべき要素はカケラもない」
ハグが羊の右角にタッチして泳ぎを止め、サムカの方に顔を向けた。
「『召喚主』に大層な物言いだな、サムカちん。彼は真面目に〔召喚〕しているだろ。まだ1回しか失敗しておらんではないか。今回、〔召喚〕時間を延ばしても問題が起きていないのは、このサラパン同士の魔法適性のおかげだぞ」
そして、何か考えついたような仕草をした。
「あ。そうか。サムカちんは、もっと劇的な登場を希望しておるのか。それはそれは失礼したね」
「おい、コラ、ハグ」
サムカがマントの裾を膨らませて、両足を踏ん張った。黄色い両目に警戒の色が濃く浮かび上がる。そんなサムカの様子には、あえて気づかない振りをするハグ人形である。
「サラパン同士! 『召喚の踊り』を決めないといけませんな。忘我の境地に至るような、そんな素晴らしい踊りを!」
「スゥ……」と、音もなく、サムカがマントの中から長剣を取り出した。エルフ先生とノーム先生は(またかよ)みたいな顔で見物している。
サラパン羊が「はっ」と目を見開いた。こういう事には眠気が覚めるらしい。モコモコの毛玉のような毛皮の胴体部分に相当する場所に、自身の短い右手を突っ込む。
ごそごそと何か探し、それを取り出した。いつもの召喚ナイフである。現在はサムカを〔召喚〕中なので、新たな命令は受け付けない仕様であることを知りつつ、サムカがジト目のままで羊に一応尋ねた。
「何か思いついたのかね」
羊の両目がキラキラと輝いた。高らかに召喚ナイフを右手で掲げる。
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
サムカの黄色い両目に殺気が走った。が、時間が止まったかのようにピクリとも動かなくなった。
「野蛮だなあ~も~サムカちん! ちょっと〔麻痺〕っていなさい」
ハグ人形が口をパクパクさせながら、サムカを全身硬直させて、羊の動作をコピーし始める。
「う、ぐ、おのれハグ……」
動けずにギリギリと奥歯を噛み締めているサムカを尻目に、ハグ人形がサラパン羊の頭の上で、あっという間に〔召喚〕ダンスを完全コピーした。そのまま羊と一緒に歌い踊りだす。
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
「最初にクシャミ、んでもってアクビ、ナイフをこすってアイアイアーイ」
以下略……
エルフ先生がジト目になってノーム先生に告げた。
「さすがリッチーだわ。『呪いの踊り』になってる。しかもひどいわ」
ノーム先生も呆れた顔のままで同意した。
「その通りだな。あまり聞くと我々も呪われてしまいそうだよ」
サムカはピクリとも動けずに歌声を強制的に聴かされて、踊りを強制的に見せつけられている。かなりの拷問のようだ。
数分ほど経過して、さすがに嫌気が差したエルフ先生が羊と人形に告げた。
「歌が単調すぎます。音程もずれています。拍子をきちんと合わせなさい。踊りで足元がふらついていますよ。もっと体を鍛えなさい。20点。落第です」
さすがにここまで言われると、「あうー……」と落ち込むサラパン羊と、頭の上のハグ人形であった。特にハグ人形には堪えたらしい。口をパクパクしながらエルフ先生に涙声で抗議してきた。
「そんなに、きつくいわなくてもいいじゃないかあ~。ぼくは、きずついたぞお~。リッチーの尊厳を傷つけたことの謝罪を要求するう~」
「そーだそーだ。羊だと思ってバカにするなあ~。差別はんたーい」
が、エルフ先生はピクリとも反応しなかった。氷のような厳しいジト目のまま――
「出直してこい」
……と、一言。
「あう」と、くぐもった声を羊とハグ人形が漏らして、泣きながら逃げ去っていった。
「ばーか、ばーか。このばーか。覚えてろよ、このばーか。うええええんんん、ちくしょー」
あきれ果てているエルフ先生とノーム先生の横で、やっと〔麻痺〕の解けたサムカが安堵の息をついた。
「やれやれ。あれでリッチー協会の理事だというのだから恐れ入る。先生方、ありがとう。助かったよ」
エルフ先生が微笑みもせずにサムカに顔を向けた。
「いえ。音程が外れている歌を聴くのが、大嫌いなだけです」
ノーム先生はかなり笑いのツボに嵌っているようだ。肩が小刻みに震えている。
「リッチーが泣きながら負け惜しみを言うなんて、初めてだよ。いや、貴重な経験をした」
校長がサムカの様子を気遣うが、何ともないと分かりほっとしている。
「さあ、建物の中に入りましょう。まだもう少し〔召喚〕終了の時刻まで、間が残っていますね。今年収穫したコーヒーが入荷したのです。試していきませんか」
【教員宿舎内のカフェ】
建物の中に入ると直射日光に曝されなくなったせいもあり、少しひんやりとした空気になった。校長がほっとした表情になる。サムカやエルフ先生、ノーム先生は〔防御障壁〕を体の回りに展開させているので、気温の変化を、それほど知覚していないようである。
そのまま建物の中央へ導く廊下を進む。学校の事務職員たちの仕事をしている姿が、廊下の左右に見える。校長が彼らの仕事を中断させないように気配りをしながら、サムカたちを中央カフェまで案内した。ここは、サムカが最初に〔召喚〕された際に案内された場所である。
カフェのカウンター奥にはアンドロイドが数体いて、調理や皿、グラス洗いをしている。カフェカウンター席の中央には空中ディスプレーがある。今は、先日の巨人被害を受けた軍キャンプ地の施設復旧作業の様子が、ニュースの1つとして流れていた。狐語から自動翻訳されているのだろう、ウィザード語の字幕になっている。
前回とはカフェの設備も変わっているようだ。
「げ」
嫌な顔をしてカフェの席から飛び上がったのは、法術のマルマー先生であった。紅茶を飲みながら手元の〔空中ディスプレー〕画面を見て、誰かと談笑?していた様子だったが……サムカの姿を認めるや、慌てて逃げ去ってしまった。白い桜色の顔が真っ赤になっている。
校長が慌ててマルマー先生を追いかけた。
「ま、待って下さい、マルマー先生! 流出したライカンスロープ病ウイルスについての情報が欲しいのですが!」
が、彼は豪華な法衣を勇ましくひるがえして、悲鳴を上げただけであった。そのまま脱兎のごとく、転がるように加速して逃げてしまった。
その後姿を見送りながら、肩を落とす校長である。ノーム先生が呆れた顔であごヒゲをさすりながら、校長が見送った先を見つめる。
「あの様子では、聞いてみたところで何も得る情報はないでしょうな。ああ、シーカ校長。ちなみにマルマー先生も感染していますぞ」
エルフ先生がジト目になってノーム先生の報告を聞いた。真っ直ぐな長い金髪が静電気を帯びて≪パチパチ≫と火花を発している。髪自体も、何かの動物の毛皮のような印象を持ち始めている。あえて例えれば『狐』か? そういえば逃げていったマルマー先生の髪も、いつもの茅色の褐色ではなかったような。
「まったく……法術神官のくせに、相変わらず役に立たないわね。お茶しているなんて、一体どういう神経なのかしら。しかも逃げ出すし」
サムカは平然としたままだ。エルフ先生が苛立っているのを、今ひとつ理解できていないようだ。
「軽症で済むのだろう? クーナ先生。何も問題ないではないかね」
エルフ先生とノーム先生が互いに顔を見合わせて、がっくりとうなだれた。
「これだからアンデッドは……アンデッドにもかかる病気とかないの?」
そうエルフ先生に返されて、首をかしげるサムカである。
「うむ……既に死んでおるからな。ああ、虫が巣食うことはあるぞ。体の手入れを怠った騎士見習いで時々起きる」
エルフ先生がすかさずツッコミを入れた。空色の瞳が怒りで白っぽくなっている。
「それは、ただの虫食い穴でしょ。本の紙を食べるムシって、カビとインクの味がして不味いのよ。そんな古本と同じって、サムカ先生、あなたね……」
場の空気が張り詰めてきたので、慌てて校長が間に割って入った。
「まあまあ。テシュブ先生の〔召喚〕残り時間も少ないですから、ここは穏便に。今年収穫のコーヒーを試してみませんか」
【コーヒーブレイク】
カフェのカウンターにいるゴーレムが今回はアンドロイドに『置き換わっている』ことに、ようやく気がつくサムカである。魔法場を一切発散させていないので意外に〔察知〕できないようだ。
アンドロイドは魔法使いたちとほぼ同じ背丈と体型で、男性タイプなのか黒の給仕服をきちんと身にまとっている。
エスプレッソ専用機械から蒸気が吹き上がった。アンドロイドが淹れたてエスプレッソを白い小さな専用カップに注いで、サムカたちに手渡していく。ゴーレムとは全く違う、その流れるような自然な動きに感心するサムカである。
「ほう。アンドロイドということは、マライタ先生の作かね?」
校長がウインナコーヒーを受け取り、サムカの方を向いて肯定した。
「はい。先日の授業で作成したものですね。巨人ゾンビによる校舎の破壊から免れた機体です。他は瓦礫に押し潰されてしまいました。今、作成しているアンドロイドは獣人族型だそうですので、こういった給仕には不向きで使っておりません。しかしながら、こう言っては角が立ちますが……ゴーレムよりも高性能ですね」
サムカがエスプレッソを口に含む。ちょっと羨ましいような視線をアンドロイド給仕に向けたが、すぐに話を変えた。
「ほう。良い香りだな。死者の世界の産とは別物だ。これも我が国王陛下に献上すれば、人気商品になるかもしれぬ」
校長が照れて両耳をパタパタさせ、白毛交じりの尻尾をパサパサと振っている。
「恐縮です、テシュブ先生。そうですか、コーヒーも輸出候補になりそうですか。果物がテシュブ先生の世界で好評という話が帝国上層部にも伝わりまして、本格的な輸出を検討することになっているのです。別の世界へ輸出している実績を積み重ねていけば、この私たちの世界の評判も上がりますからね」
ここで、校長の喜び顔に少し曇りが入った。
「……ですが、果物にしろコーヒーにしろ、この世界原産ではないのが少し残念です。ほとんど全てセマンの商人による違法持ち込みですから……どこか知らない世界の果物やコーヒーなのでしょうね。このエスプレッソ機械やアンドロイドの衣服も、セマン経由で輸入したそうですよ」
サムカがエスプレッソをもう一口すすりながら、校長の話に耳を傾けている。
「確かに。だが、死者の世界の果物や家畜なども、ほぼ全てがどこか異世界からの持ち込みが由来だ。気にすることはない。品種改良や育種と、死霊術とは相性が、かなり悪くてね。今でも原種に近いままなのだよ。それよりも気になる点だが、貿易をして君たちが得る死者の世界の物産は、どれも君たちにとっては負荷が高い。精神異常などを引き起こしかねない物ばかりなのだが……」
やや落胆している校長であったので、サムカがコホンと1つ咳払いをして口調を和らげた。ちょっと意地悪になっていたようだ。建設的な思考方法に切り替えた。
「死霊術や闇の精霊魔法に関連する物産を吟味すれば、こちらの世界でも使用に値する物があるだろう。魔法適性がなくとも、森の中を漂う残留思念群を追い払ったり滅したりできる使い捨ての道具が良いだろうな。または、闇の精霊魔法の空間〔消去〕魔法を誰でも使えるように加工した、使い捨ての魔法具とか……か。よろしい、陛下に具申してみよう」
校長の表情が「ぱっ」と明るくなった。毛並みまで一緒に明るくなるのが印象深い。
「そ、そうですか。よろしくお願いします。我が帝国は異世界との貿易を考えて、金本位制で通貨を発行しています。ですが、まだテシュブ先生の世界とは、通商条約も為替レートも何も取り決めがなされていません。申し訳ないのですが、テシュブ先生の世界で流通している通貨での決済取引は、まだ厳しいのです。物々交換で、当面は取引することになるかと思います」
サムカが鷹揚にうなずいた。
「そうなるだろうな。まあ、貿易業務は実際には貴族ではなくオークたちに任せる事になるだろう。我々は、金勘定が苦手でね」
サムカが少し姿勢を正した。背筋がビシッと伸びる。
「だがオークといえども、我々貴族が指定した正式の窓口だから不正な行いはしないと断言しておこう。使い魔が常時監視していて、不正が発覚すれば、すぐに厳罰に処せられるからね。それに輸出用の魔法具の生産で、オークの雇用も増えるであろうしな。無論、魔法処理は騎士や騎士見習いの仕事になるから、彼らの良い副収入になるだろう。何かと出費がかさむものなのだよ」
サムカがエスプレッソをすすりながら答えると、校長もウインナコーヒーをすすり、口元をクリームで白くさせた口で微笑んだ。口元のヒゲの先にもクリームの水玉がついている。
「分かりました。私も商売のことには全くの素人ですから、こういった事は専門家たちで詰めた方が良いでしょう。今回テシュブ先生が帰還なされる際に、一緒に持ち帰っていただく果物詰め合わせの箱の中に、貿易条件の叩き台というか草案を同梱してあるそうです。文章は私たちタカパ帝国の狐語ではなく、魔法使い世界の標準語で書かれています」
サムカが苦笑してうなずいた。
「ウィザード語か……まあ、良いだろう。我々も読み書きできる言語ではある」




