22話
【ゴースト騒動】
エルフ先生とノーム先生の専門クラス生徒全員が、にわかに活気づいた。両先生がライフル杖を窓から出して射撃体態勢を維持しながら、視線を交わして頬を緩めている。
一方のサムカとその教え子3人は手持無沙汰の様子だ。レブンとジャディがキラキラした視線を向けてきたので、サムカがジト目になって首を振った。
「今は自重しなさい。これ以上、死霊術や闇の精霊魔法を使うと混線状態が酷くなるばかりだぞ」
「ぐぬぬ」と低く唸って従うジャディであった。レブンも仕方なく従う。ペルはそれどころではないので、パタパタ踊りを続けたままだ。
軽く錆色の短髪をかいたサムカが、改めて運動場と向かいの校舎に視線を向けた。
運動場では、校舎から無事に避難してきた法術専門クラスのラヤンの姿もあった。同じ竜族のスンティカン級長もいる。法術のマルマー先生もいて、揃ってエルフ先生とサムカに向かって指をさして何か叫んでいた。
ラヤンとスンティカン級長の尻尾が激しく運動場に叩きつけられている事からして、相当に怒っているようだ。
そんな彼らを無視して、ノーム先生が気楽な顔と声でサムカに話しかける。
「これでゴーストも、すぐに運動場へ出てくるだろう。ああ、そうだ。テシュブ先生はまだ知らないかな? 森の妖精のパリー氏を講師に迎える運びになりそうだよ。僕が教える生命の精霊魔法の授業では、基礎的なことしかできないから彼女に頼んでいるんだ」
サムカがうなずいた。ゴーストの処分はエルフ先生とノーム先生に任せることにしたようだ。サムカは特に何もしておらず、生徒と一緒に窓から運動場を見下ろしている。運動場では生徒たちと先生たちがパニック状態で右往左往しているのだが、これにも特に対処しないようだ。
ソーサラー魔術専門クラスの生徒たちは、先生が消えて不在なためもあるのか全く統制がとれずにいる。各々が勝手に〔光線〕や〔火炎放射〕に〔爆破〕魔法を、あたり構わずに撃ち出していて、それが法術専門クラスの生徒たちに流れ玉として命中している。幸いなことに皆〔防御障壁〕を展開しているので、派手に吹き飛んでも特にケガはしていないようだが。
よく見ると、ソーサラー魔術専門の竜族のラグと、法術専門の同じ竜族のラヤンとが、いつの間にか一騎打ちのような対決を始めていた。
一方では、法術専門のスンティカン級長に対して、魔法工学専門のベルディリ級長とチューバが2人で対峙して、何か激しく口論を始めている。
……のだが、同じようなケンカがあちこちで発生しているので、誰も止める者がおらず放置されていた。
サムカも当然のように無視して、パリーの話題を始める。
「パリーか。なるほど、適任だな。しかしあの性格で、きちんと教えることができるのかね? 昼寝の時間になりそうな気がするのだが」
エルフ先生が攻撃術式を調整し終わり、テストランしながらサムカの危惧に同意した。
「私の精霊魔法の契約者なので、あまり悪くは言えないのですが……そうですね。パリーが眠ったり暴走したりしたら契約者の私にも情報が伝わるので、何とかパリーに先生をやってもらうようにしてみます」
サムカが少し首をかしげた。
「契約か。以前からそのことを聞いているが……エルフというのは、精霊魔法を自力では使えないものなのかね?」
エルフ先生が少々ジト目になった。腰までの長い金髪から数本、静電気を帯びた髪の毛がピンと跳ね上がる。カチンときたようだ。
「使えますよ。ですが、強力な魔法は使えません。私たちは生身の体ですからね、体に大きな負荷がかかってしまいますから。エルフ世界では私たちエルフはそれぞれ1本の守護樹を所有していて、それで体への負荷がかからないようにしているのです」
エルフ先生が森の方をチラリと見て、再びサムカに視線を戻す。
「この世界には私の守護樹を植物検疫上、持ち込めない規則です。そのため、現地の森の妖精であるパリーと、魔力提供の『契約』を結んでいるのですよ」
ノーム先生が補足説明してくれた。
「僕たちもそうだ。だが、ノームの場合は大地の精霊や妖精と『契約』しておるから、どこの世界でも使える魔力は、そう変わらない。地球の岩石組成は、どの世界でも同じだからな。まあ、テシュブ先生の故郷の死者の世界は、闇の力が強いから例外だろうけど」
そう前置きしてから、学者っぽい口調で話し始めた。
この世界のほとんどの獣人は、魔法適性を有していない。その一方で、有している者は複数の適性があるのが普通だ。あのペルですら、法術の適性があったほどだ。
エルフやノームは、特定の精霊魔法では複雑で大出力な魔法を使える。しかし、魔法使いのウィザード魔法やソーサラー魔術はそこそこだし、法術は信仰上の問題であまり使えない。それは魔法使いも同様である。
ところがここの生徒たちは、当たり前のように精霊魔法、ウィザード魔法、法術を使いこなすことができる。
原則としてウィザード魔法は、魔力を提供する魔神等と『契約』しないと使えないし、精霊魔法も似たようなものだ。しかし獣人たちは、そんな『契約』なしで使うことができる。
実際に、サムカの教え子であるペルやレブンにジャディも、死者の世界の創造主やリッチーとは何も『契約』を結んでいない。それにも関わらず、ペルは騎士見習いくらいの強力な闇の精霊魔法を使える。
もちろんペルは例外で、他の生徒たちが強力な魔法を使う場合は、それなりの『契約』をする必要があるが。
ラワット先生がゆっくりとした口調で話しながら、銀色の口ヒゲの乱れを軍用グローブで整えた。
「ところが、その『契約』も好き勝手に結ぶ事ができる。本来は魔神やドラゴン、巨人には派閥や対立関係があるので細々とした制約が多いのだが、それを無視できるんだ。その理由は、今も謎のままだね。ティンギ先生の〔運〕並みにメチャクチャで、我々の世界ではありえないことだよ」
確かに、そう言われてみればそうだ。サムカも素直に同意している。エルフ先生もノーム先生の話に引き込まれたのか、イライラが収まってきていた。
ノーム先生が2人の様子を見ながら口元を少し緩めて、話を締めた。
「だからこそ、こうした魔法学校が運営できているわけだがね。そういう点においては、この世界の住民は特殊だと言えるかな」
サムカが腕組みをして、素直に感心している。
「ううむ、そういうことなのかね。死者と生者とでは、魔法の出力制限も異なるということか。私は自力で魔法を使えるから気がつかなかったよ。ラワット先生の説明にも納得できるな。確かに、私が使用できる魔法は限られているからね。この世界の者ほど自由には使えないなあ」
「ああ、そうそう」
と、ノーム先生が思い出したように付け加えた。
「エルフ先生の子分たちのオオワシども、渡りの季節になったので泣く泣く旅立っていったよ。次に来るのは来年だろうね」
サムカが「はっ」と気づく。
「おお。そう言えば、あの鳥どもがいなくなっているな。残念だったな、クーナ先生。手下が減って『百人隊長』の役は退役か」
エルフ先生がジト目でサムカとノーム先生を見据える。ちょうど、打ち込んだ攻撃術式のテストランが終わって、エラーが返ってこないことを確認したところだ。
「あのですね。彼らは弟子でも何でもないと、何度言えば……まあ、いいです。射撃準備が完了しました。ペルさん、ごめんなさいね」
ペルの落ち込みはかなり回復してきていたが、それでも元気がない。黒毛交じりの尻尾が物憂げにパサ、パサと廊下の床を掃いている。
「いいえ、私のせいですから。お気になさらないで下さい……うう。『綿毛ちゃん1号』さようならあ」
レブンがゴーストの死霊術場に反応した。
「あ。出てきた。テシュブ先生、ペルさんのゴーストが運動場へ出てきました」
サムカも同時に気がついていた様子だ。鷹揚にうなずいた。
「うむ」
少し遅れて、エルフ先生が空色の冷静な目でそれを捉えた。
「〔ロックオン〕……完了。今度こそ消えなさい」
ノーム先生による〔レーザー〕攻撃も同時に始まった。
やはり両者ともに音がしない。生徒たちが展開している光の精霊魔法の〔防御障壁〕には、特に何も変化が起きなかったが、サムカのだけは大きく揺らいだ。すぐに落ち着いた顔と声色で、揺らいだ〔防御障壁〕を補強する。
「2人とも紫外線か。なるほど、アンデッドには有効だな」
エルフ先生が横目でサムカを見て、呆れている。
「あなたもアンデッドでしょ。でもさすがね。直撃じゃないとはいえ、何ともないなんて。空気中の塵や水蒸気で乱反射してるから、ちょっとくらいは受けているでしょうに」
サムカが不敵に微笑んだ。
「その〔レーザー〕攻撃を直接受ければ、別だがね。そろそろ、ゴーストも消滅だな」
数秒間の〔レーザー〕照射を受けて、ようやくペルの暴走ゴーストが爆発を何度か繰り返しつつ〔消滅〕した。
爆発が起きるたびに悲鳴と怒声を上げて、運動場を逃げ回っていた生徒や先生、校長たちも、ほっとした様子で、こちらに手を振っている。ラグ先輩にラヤン先輩とニクマティ級長や法術先生は、迷惑この上もないという表情で何か叫んでいるようであるが。
ソーサラー先生も〔回復〕したようで、森の中から空中に飛び上がって上空を旋回している。彼も同じようにエルフ先生やサムカに向けて、指を立てて何か叫んでいるようだ。服がさらにボロボロになっているが、特に気にしてはいない。
サムカが運動場の連続爆発を見終えて、軽くうなずいた。
「うむ。完全に滅したな。クーナ先生、ラワット先生、感謝するよ」
ライフル杖から魔力パックを外しながら、ノーム先生が口を尖らせた。
「そうだな。後で、何かおごってもらおうかね」
エルフ先生も同じ動作をしながら、サムカに軽く微笑んだ。
「私は対アンデッドの試射ができましたので、満足ですよ。お構いなく。ほぼ仕様通りの性能でした。私の癖に合わせて微調整だけすれば、本格使用できますね」
そうして、ソーサラー先生や法術先生にかけられていた、〔ロックオン〕情報を解除する。余計なことをしていれば、撃つつもりだったのだろう。一息ついて杖に浮き出ている時刻表示を見て、軽くうなだれた。
「授業の残り時間は、まだあるけれど……今日は、このまま終了かな」
運動場には、学校に駐在している警官と、詰所にいる帝国軍の兵士が数名ほど駆けつけてきていた。これから事件の調書を取るのだろう。運動場には大きなクレーターが2つほどできているので、この調査もする事になりそうだ。とても、このまま授業を再開できるような雰囲気ではない。
ノーム先生もエルフ先生と同じような表情で、運動場を見下ろしながら同意した。
「左様でしょうな」
【エネルギードレイン魔法】
サムカが教室の壁に掛けられている時計を廊下から見上げる。
「だがまあ……授業はできそうだ。警察や軍がこちらへ調べに来るまで、それなりに時間がかかるだろう。ではせっかくなので、私の授業を見ていくかね? 先日の貴族やバンパイア戦のことをハグから聞いてね。光の精霊魔法の他に、闇の精霊魔法での有効な打撃法を教えようと思うのだが」
エルフ先生が少しジト目になった。
「あら。私は闇の精霊魔法を使えませんよ」
サムカが山吹色の瞳をいたずらっぽく少し輝かせる。
「見て理解するだけでも有用だと思うがね。アンデッドの攻撃から身を守ることができるぞ」
エルフ先生とノーム先生が、共に怪訝な表情になった。微笑みながらサムカが自分の教室へ足を運ぶ。
「〔エネルギードレイン〕魔法だよ。よく聞くだろう?」
驚愕で目が点になっているエルフ先生とノーム先生である。ノーム先生がたまらず質問した。
「ちょ、ちょっと、テシュブ先生。そんな魔法を軽々しく教えても良いのかね? 敵の魔力上限を強制的に落とす魔法だろう? 貴族が使う基本技とも聞く。テシュブ先生の立場が悪くならないかね?」
サムカが教室の扉に手をかけて、ノーム先生を見た。
「もちろん、基礎的な魔法だけだ。カルト貴族やその手下のバンパイアどもが、またここへ泥棒しに来る恐れもあるだろう。その際に我が教え子たちが何もできないというのは、先生として宜しくないと思うだけだよ。公開授業にするから、興味ある者は教室に入りなさい」
とはいうものの……サムカの最初の授業の悪い評判が災いして、教室へ入ってきた生徒はミンタとムンキンだけだった。他の60名ほどの生徒たちは用心深く外の廊下から窓越しに覗いていて、教室の中には足を踏み入れてくれない。運動場にいる他の生徒たちは、軍と警察の取り調べを受けている最中である。
落胆しているサムカに、エルフ先生が含み笑いを浮かべて追い討ちをかけた。
「サムカ先生。生徒たちを穴だらけにしたせいですよ」
そう言いながら、サムカの教室へ入る。少しの間、教室の中を見回してから、廊下の窓のそばにもたれかかった。やはり教室に充満している、死霊術場と闇の精霊場の影響を受けやすいのだろう。窓際が教室内では最も魔法場が弱いので、この場所に陣取っている。
サムカが錆色の短髪をかきながら、教壇に立つ。
「うむむ……これほど警戒されているとは思わなかった」
窓の外から首を出している生徒たちが一斉に騒ぎ始めた。
「だって、また穴だらけにされるの嫌ですもん」
「ゴーストに襲われるのも勘弁」
「ゾンビには興味あるけどさ、ゾンビにされちゃうのは嫌だし」
「この教室だけ、異常に強化されているんだもん。何が起きるのか怖いわよ」
わいのわいの言われて、さらに落ち込むサムカである。それを見て、ムンキンが濃藍色の目を半眼にして指摘した。
「ゾンビは凄い人気でしたよ。それだけがプラス評価ですね。一応、僕たち生徒も、先生の『授業評価』をすることができるんですよ。帝国の税金で学校が運営されていますからね。気をつけて下さい」
サムカが腕組みをし、首を傾けて唸った。
「そうだったな。つい新兵の訓練の要領で教えてしまう癖があるな、私は。ゾンビだが、この世界では死体を提供してくれるような『奇特な』団体はないだろう。医療用の人工生命体がどうなるか次第だな。当面はゴーストで我慢してくれ」
ノーム先生もエルフ先生の隣に立っていて、ヒゲの手入れをしていた。射撃を終えたので、大きな三角帽子を被り直している。
「普通は、遺族が反対するだろうな。医療用の人工生命体しか使えないだろうが、前回の業者は逃げてしまったようでね。今は製造会社に直接打診をしているところだよ。だけど、あまり期待しない方が良いだろうな」
サムカが固い表情でうなずいた。
「うむ……校長は楽観的だったが、そうかね。では、仕方あるまい」
レブンが手を挙げてサムカに告げた。
「先生。僕たちそろそろソーサラー魔術の〔結界ビン〕魔術を履修する予定です。それを使えるようになれば、ゾンビ等は〔結界ビン〕の中に常時入れて、ポケットやカバンの中に携帯することができます。ですので、用務員室などで保管する必要性はなくなると思います」
サムカがレブンに顔を向けて微笑む。
「うむ、そうか。それは助かるな。ゾンビやゴーストといえども、保管場所では死霊術場が濃くなりやすいからね。森の中にいる、野生のゴーストを呼び寄せてしまう恐れがあるのだよ」
サムカが視線を窓の外の森に向けた。今は特に異変は起きていない様子だ。視線を再び生徒たちに戻す。
「実際、用務員ゾンビを用務員室で保管してもらったが……やはり死霊術場が周辺に漏れたのか、『化け狐』の数が増えていたからね。〔結界ビン〕の中に保管するのであれば、その問題も気にしなくて済むだろう」
そう言って、サムカがマントの内側から一つの〔結界ビン〕を取り出して、生徒たちに見せた。透明ビンの中では真っ黒なガスが渦巻いていて、激しく放電している。
「例えば、この〔結界ビン〕の中には軍用のアンデッドが封入されている。先日の狼バンパイアが使った物は、ゾンビやスケルトン程度のアンデッドが1000体ほどしか入っていなかったようだな。これはより強い魔力を持つ、狼バンパイア程度のアンデッドが10体ほど入っている」
サムカは気楽な表情と声色で説明していたが、エルフとノーム先生の視線が大いに冷たくなったのを察した。
「ええと、コホン。開放はしないから安心したまえ。私が言いたいのは、そのような魔力はこの〔結界ビン〕からは感じられないだろう? ということだ」
レブンが真っ先にうなずいた。
「はい。テシュブ先生。全然そんな気配は感じられません」
サムカが〔結界ビン〕を教壇の上に無造作に置く。放電が凄まじいが、見ようによっては一種の室内用インテリア小物にも見えなくはない。
「空間が断絶されているからだな。いわば、この〔結界ビン〕の中は異世界とも言える。しかし、ここで注意して欲しいことが一つある。『アンデッドは眠らない』のだ」
サムカが生徒と先生の反応を伺う。特に驚いた様子は見せていないので、ある程度の知識はあるのだろう。サムカが話を続けた。
「無論、外にいれば日中は活動が著しく低下して、眠っているようになる。しかし、それは光の精霊場の影響によるものだ。シーカ校長も誤解していたがね。このような〔結界〕の中にいると、活動低下は起こらない。言い換えると、常時一定量の死霊術場を消費しているのだよ。しかし、空間は断絶されているから、そのままでは燃料切れを起こして停止してしまったり、動作不良を起こすことになる」
サムカが〔結界ビン〕を軽く振った。中に封じ込められている真っ黒い雲がピカピカと放電する。
「強力なアンデッドを封入した場合ほど、頻繁に〔結界ビン〕を開放して、外の死霊術場の流れに〔接続〕して〔魔力補給〕を行うようにすることだ。動作不良の例は、先ほどのペルさんのゴースト暴走を見れば理解できるだろう」
ガシガシとノートに書き込んでいるレブンを筆頭に、ジャディとミンタが強くうなずいた。ペルはまた少し落ち込んだようで、両耳を前に伏せている。ムンキンは少し残念そうな表情だ。
サムカがミンタとムンキンの顔を交互に見つめた。
「そういえば、森の中を漂っている残留思念の『掃除』は、君たちミンタさんとムンキン君が行っているのかな?」
ミンタが即答する。金色の毛が交じる両耳と、口元のヒゲがピンと立った。
「そうよ。ペルちゃんとレブン君の支援を受けてだけど、2、3日に1回の割合でやってるわ。そんなにたくさんいないから、10分もかからないで終わるけど」
ムンキンも柿色のウロコで覆われた頭を、ドヤ顔にして答える。彼もすっかり残留思念や死霊術場が〔見える〕ようになったようだ。このあたりは、さすがに獣人族である。
「弱々しい残留思念ばかりだけど、良い実戦訓練になるよ。テシュブ先生」
エルフ先生が微笑みながら補足した。
「おかげさまで、私もパリーも調子が良いですよ。パリーは残留思念は見えないから、特に喜んでいます」
サムカがうなずいた。
「うむ。まあ、実戦訓練という程ではないがね。残留思念が溜まらなくなれば、野性のゴーストも近寄らなくなるだろう。バンパイアなどが来ても、簡単には魔力補給できなくなるはずだ。まあ、私のような貴族相手では、あまり意味はないがね」
ペルがようやく落ち込み状態から自力回復して、サムカに薄墨色の視線を向けた。
「テシュブ先生。ミンタちゃんもムンキン君も凄いんですよ! 光の精霊魔法で、どんどん残留思念を〔消滅〕させるの。私の魔力支援なんか必要ないくらいです」
ミンタが、すかさず謙遜した。でもかなり嬉しそうで、金色の毛が交じった尻尾がリズム良く左右に揺れている。
「そんなことないって。ペルちゃんの〔ステルス障壁〕がなかったら、近づく前に気づかれて逃げられてしまうもの。それと、レブン君の死霊術が良い撒き餌になってくれているから、効率よく残留思念を集めて処分できているのよ」
そんな会話のやりとりを微笑ましく聞いていたサムカだったが、「コホン」と1つ咳払いをして、本題に入ることにした。
「先日、この学校で暴れた不届き者のカルト派貴族だが、残念ながら直接罰することはできなかった。私が所属する王国連合とは別なので、内政干渉に相当するそうなのだ。我が国王陛下の言なので、そうなのであろう。抗議文書を送りつけることしかできなかった。この点は私の力不足だ。率直に謝るよ」
廊下の外から覗いている大勢の生徒たちから、ため息が漏れた。「先生ダメじゃん」とか何とか言う生徒もいる。
エルフ先生も無念そうな表情で、両目を閉じて腕組みをしている。
「領主の身分でも無理でしたか。ですが、それも想定の範囲内ですよ。私の武器が強化されましたので、次は対等に渡り合えると思います」
ノーム先生が不敵な笑みを口元に浮かべながら、エルフ先生に同意した。
「死者の世界の政治については情報が乏しくてね。ちなみに私の武器も、かなり強化されたよ。法術先生たちも研修を受け直したし、警察部隊や軍の対策と装備も強化されたようだ」
サムカが先生たちの反応を見て、再び頭を軽くかいた。
「我が国王陛下は死者の世界の『イメージ向上』を望んでおられるのだが、なかなか簡単に進まぬものだな」
そして、そのままペルとレブン、ジャディの顔を真剣な面持ちで見つめた。
「対抗手段を持たねば、カルト派貴族と交渉することもままならぬだろう。奴らがこの世界へ泥棒しにやって来た際に、私が直接会うのが最も合理的なのだが、ハグから禁止されているのだ。同じ場所に2人も貴族が出現して、さらに戦うようなことになれば、この世界へ与える影響が無視できなくなるらしい」
エルフ先生とノーム先生が顔を見合わせた。ノーム先生が素直にうなずく。
「だろうね。少なくとも、『化け狐』たちが大喜びで大挙してやってくるよ」
サムカが肯定した。
「うむ。前回は、南極大陸にいる『化け狐』のカケラがやってきたそうだな。もし、貴族が2人も出現して争いだしたら、ラワット先生が危惧する通り『そのカケラ』がやってくる程度では済まないだろう。南極にいる狐の『本体』が襲来する恐れがある。そうなれば、この地は凍結して壊滅だ」
この地域は亜熱帯の森なので、なかなか想像できない様子の生徒たちである。サムカも実は完全に想定できていない様子だ。「コホン」と小さく咳払いをして話を続けた。
「もちろん、私とカルト貴族の2人が共同で迎撃して狐『本体』を滅ぼすことも可能ではある。が、そうすると、今度はこの世界の気象が変わって天変地異が起きる恐れがある……そうだ」
ミンタがツッコミを入れてきた。
「そこまで行くと、もう怪獣か何かよね。その狐もテシュブ先生も。世界を滅ぼさないでよね」
サムカが微妙な笑顔を浮かべて、軽く左手を振った。
「私の場合は〔召喚〕時に90パーセントほど『魔力削減』を受けているから、大したことはできないよ。ハグが制限解除してくれない限りはね。問題は、それほど制限のないカルト貴族だな。そこで、これから君たちに〔エネルギードレイン〕魔法を教えることにする」
エルフ先生がすかさず手を肩まで挙げて質問してきた。興味があるのか、空色の瞳がキラキラしている。
「サムカ先生。改めて聞きますが、その魔法はアンデッドの中でも強力な種類が使う、『奥の手』の〔エネルギードレイン〕ですか? 生気や魔力を根こそぎ吸い取るタイプのアレ……ですよね?」
サムカが鷹揚にうなずいた。
「そうだ。必ずしも根こそぎ吸い取る訳ではないがね」
そして、レブンに視線を向けた。
「私が使う戦闘用の闇魔法や死霊術もそうなのだが、カルト派貴族が使う魔法や術も、基本的には〔暗号化〕されている。術式が〔解読〕されて無効化されたり、術式を改ざんされて乗っ取られることを防止するためだ。この〔暗号化〕技術はそれぞれの術派の機密事項でもあるから、私でもカルト派連中の暗号は〔解読〕できないことが、ほとんどなのだよ。ハグが余計な口出しをして迷惑をかけてしまったようだな」
レブンが慌てて手を振って否定した。
「い、いえ。良い経験になりました」
ミンタが手を挙げて質問する。
「でも、死者の世界で標準的に使われている暗号って、相当に古いものでしょ? 私たちが習得しているウィザード魔法の暗号〔解読〕魔法は有効じゃないの?」
それについては、ノーム先生が答えてくれた。
「有効だよ。だけど、敵と相対している状況では〔解読〕にかかる『時間』が長すぎて、実用的ではないんだよ。長くても1秒以内に〔解読〕しないと話にならないからね。相手が動かない場合……例えば罠とかね。そうでもないと、ウィザード魔法の〔解読〕魔法は使えないことが多いんだ」
エルフ先生も同意して補足する。
「そうね。アンデッドと戦闘する場合はほとんどが夜中だし、罠だらけの室内であることが多いのよ。敵は基本戦術として、闇魔法の〔ステルス障壁〕を展開して隠密行動をとるから、相当に至近距離にならないと〔察知〕できないのよ」
「なるほどー」と、うなずいている生徒たちである。廊下の外の生徒たちも興味津々の様子で話を聞いている。
サムカもうなずいている。
「うむ。さすが警察官だな。さて、〔解読〕できない術式であれば、闇魔法……君たちの場合では闇の精霊魔法を直接ぶつけて術式を破壊する方法が正攻法だ。暗号ごと術式を〔消去〕させる方法だな」
ペルが両耳をピンと立たせた。黒毛交じりの尻尾も毛皮が逆立っている。レブンがペルを見ながらサムカに報告した。
「実は、ペルさんが採用した戦術がそれだったんです。負傷者の体に食い込んでいる闇魔法の〔攻性障壁〕に、ペルさんが闇の精霊魔法を直接ぶつけて〔消去〕しました」
ペルが思い出したようで、顔を真っ青にして頭をフラフラさせている。
「うう。血が凄く出て、ほとんど気絶しちゃいそうでした」
『しちゃいそう』でなはなくて『しちゃった』のだが……
ジャディだけはその現場に居合わせていなかったので、キョトンとした顔をしてペルを見ている。情報〔共有〕を面倒臭がってやっていなかったようだ。
「なんだよ。オレ様と同じ戦法をとったのかよ。やるな、オマエ」
サムカが山吹色の優しい目で、ペルとジャディを見つめた。
「とっさの判断としては上々だ。よくやった」
ジャディが嬉しさのあまり、雄叫びを上げて羽ばたき始めた。旋風が巻き起こるが、机や椅子は微動だにしない。窓ガラスも少し軋んだだけで、黒板型ディスプレーや天井の照明も無傷である。
しかし、風そのものは軽減されたわけではないので、〔防御障壁〕を展開し損ねた廊下の生徒たちが10人ほど吹き飛ばされて、廊下を悲鳴を上げて転がっていった。今は廊下にガラス片が散らばっていないので、チクチクはしていないだろう。
それを見送ることもせずに、サムカが話を続ける。他の生徒や先生方も気に留めていないようだ。『慣れ』とは恐ろしいものである。
「だが、この手法には1つ問題点がある。敵の術者本人への攻撃が難しいことだな。敵が大量に攻撃魔法や〔攻性障壁〕を繰り出してくると、こちらは防戦一方になりがちだ」
サムカの言に、まさしくそうだと同意するペルたちである。レブンが感心している。
「さすが、テシュブ先生です。まるで僕たちの戦いを見ていたみたいだ。その通りでした、先生。ラワット先生とカカクトゥア先生の支援に向かったのですが、敵貴族の圧倒的な集中攻撃に手も足も出ませんでした。ゾンビたちを陽動して貴族の攻撃を分散したのですが、それでもハグさんの助けがなければ、僕たちは消滅していたと思います」
サムカが錆色の短髪をかいて、微妙に口元を緩ませた。
「ハグもたまには役に立ったようで良かったよ。ちなみに、その戦術は『落第点』だな。貴族の魔力を甘く見ないことだ。死んでしまうと、死者の世界へ強制的に連れ去られてしまうぞ」
廊下を含めた生徒たちが無言になって戦慄している。ペルとレブンも顔が真っ青だ。
サムカが軽く目を閉じながら、軽く錆色の短髪をかいた。
「また、少々言い過ぎたか……しかし、君たちが奮戦したおかげで、敵は目的の『生体情報』を得られずに退散したわけだ。死んだまま生きようとするカルト派にとっては、それは失敗だ。誇ってよい」
「どよどよ……」と、低くざわめく生徒たちである。判断に困っている様子だ。ノーム先生とエルフ先生は、生徒以上に不満気な表情であるが。
あえて、それらを無視してサムカが話を進めた。もたついていると、運動場にいる警官や兵士たちがこの教室を調べに来てしまう。
「さて。敵本体への直接攻撃だが、〔エネルギードレイン〕魔法がよく使用される。これは、敵術者の魔力を『強制的に低下させる』ことで、強力な魔法を維持発動できなくさせることが目的だ」
「コホン」と小さく咳払いをする。
「もう習っているかもしれんが、一応説明するとしよう。物は原子核の集合体だ。その原子核は陽子と中性子とで構成されている。その原子核の性質は中性子の数の多少によって決まる」
「原子核の状態が全ての現代魔法の基礎であり、始まりだ。この原子は500個ほどあれば充分だから、通常は脳内のどこかに収納されている。分子状態である事が、ほとんどだな」
「君たちや我々も同じく、この原子核の中性子の数を魔法場から得たエネルギーによって『増やす』ことで魔法を使う」
ミンタとムンキンが退屈そうな顔でツッコミを入れてきた。
「知ってるわよ、そのくらい。入試でやるもの。ちなみに先生、原子核じゃなくて分子全体での疑似中性子を扱うわよ。私たちの体内だと、原子単独状態よりも有機態の分子や錯体状態の方が安定しやすいのよ」
「先生、時間の無駄だよ。さっさと先に話を進めていいよ。眠くなるから」
ちなみに、原子核の中性子の数を『増やす』と普通は放射性原子になって有害になる。魔法使いの体内が放射線被曝を受けて死んでしまう。
しかし、魔法場の魔力を物質化して『疑似的な中性子』を作り出すと、放射性原子にはならない。本物の中性子ではないからだ。その一方で、エネルギーはしっかりあるから『放射線を出さない放射性原子』という変な状態になる。いわゆる、原子核レベルで起きる『因果律崩壊』だ。
その現実と物理化学法則との差異によって、『魔法』が使えるようになる。
さらにミンタが指摘した通り、現代魔法では原子核ではなく分子を扱う。その方が『疑似中性子』の増減〔操作〕が容易で、確実性も増すためだ。この点はサムカの不勉強である。
つまるところ魔法の威力と質は、この『疑似的な中性子』の『数』で決まる。しかし、これの〔操作〕と数の〔維持〕は、個人の努力では非常に難しい。
ウィザード魔法や法術では、サーバーがこれらを負担している。これによって術者は低い負荷だけで、多様で大出力の魔法や法術を行使できるのである。
ソーサラー魔術使いは基本的に自身の魔力を行使する建前だが、それではウィザード魔法や法術に対抗できない。結果として、ソーサラー魔術協会から魔力支援を受ける仕組みが併用されている。顕在魔力を高めたソーサラー魔術使いはその限りではないが。
ムンキンが、キラリと輝く濃藍色の瞳をサムカに向けた。
「精霊魔法使いも基本的には精霊や妖精と魔力供給の『契約』を結ぶから、外部依存の割合が多いって訳です。テシュブ先生」
ムンキンのドヤ顔解説に、窓の外の生徒たちも一斉にうなずいている。本当に入試レベルの一般教養だったようだ。
しかしジャディは例外だったようだ。目を輝かせて、背中の大きな翼をバッサバッサと羽ばたかせている。
「何か知らんけど、スゲー。スゲーっスよ、殿!」
サムカが再び両目を閉じて、短めの錆色の髪を手でかいた。
「そうだったな。君たちは入試の時点で知っている話だったか。失礼した。君たちは生者だから、原子よりも有機分子の中の疑似中性子を〔操作〕するのだが、ここは話を単純化するために原子核を使って話を続けるぞ」
「コホン」と咳払いを1つして、サムカが話を続ける。
「精霊魔法、ウィザード魔法やソーサラー魔術、法術や妖術の術者の『成長』というのは、どれだけ分子状態の原子核の『疑似中性子』を『増やしているか』と同義だ。それは死霊術や闇魔法の術者であっても変わらない」
サムカの口調が少しだけ熱を帯びた。
「反対のことを言えば、術者が有している原子核の『疑似中性子』の数を『減らす』ことで、高出力の強力な魔法を使えなくさせることができる」
ここでエルフ先生をチラリと見た。
「光の精霊魔法によるアンデッド〔消滅〕魔法の原理は、この原子核に強制的に正常な中性子を叩き込んで、原子核を『因果律に即した状態』にさせることだな。『普通』の放射性原子にしてしまう。これによって、死霊術の術式が機能不全に陥り、普通の死体へと戻る。実際には、激烈な反応が生じて爆発して灰になってしまいがちだがね。生者に対しては精神錯乱を引き起こすことになるようだ」
エルフ先生が、素直にうなずいた。
「そうですね。アンデッドに対しては、それで合っていると思いますよ。生物に対しては、魔力に依存していた体内器官が機能不全に陥るのでショック状態になりますね。魔力に依存している器官は脳神経が多いので、代表的な症状は、やはり精神錯乱かな。他には筋肉や内臓筋の痙攣や弛緩でしょうか」
エルフ先生が少し間を置いた。
「私は一介の警官ですから、詳しい仕組みについては知りません。ブトワル王国の魔法研究所の人に言わせると、『カオスと乱流による伝播確率操作』だとか何とかだそうですけど」
ノーム先生が、エルフ先生にツッコミを入れた。
「簡単に言うねえ。さすがエルフだな。私も一介の警官の身分なので、詳しい仕組みは知らないよ」
サムカがノーム先生の発言を聞いた後で、話を続ける。
「一方、闇魔法では反対に『疑似中性子』を強制的に『排除』させて、原子核の状態を因果律的に安定化させる。この場合は、正常な中性子を増やすことによる安定化ではなくて、減らすことによる『エネルギー準位の低下』だな」
サムカが一呼吸ほど間をとった。
「知っての通りだが、高度で威力の高い魔法であるほど、『疑似中性子数』が多い原子核である必要がある。『エネルギー準位』が高くなるからだな。低くなると、必然的に低出力の魔法しか使えなくなる。この原理はアンデッドだけでなく、君たち生者にもそのまま通用する」
ガシガシとノートに書き込んでいるレブンを一目見て、サムカが話を続ける。
「これが〔エネルギードレイン〕の原理だ。目標が敵の魔力の源である『疑似中性子』に特化しているので、敵の〔防御障壁〕が反応して弾くことはない。敵自身が有する『疑似中性子』も弾くことになるからね」
「闇の精霊魔法を直接ぶつけて迎撃するか、回避するしか手がない。他の精霊魔法やウィザード魔法、ソーサラー魔術では、〔防御障壁〕が反応しないために攻撃を認識できず、防御も迎撃もできない」
廊下側の生徒たちの間から、どよめきが広がった。ノーム先生の専門クラスのニクマティ級長も、その狐顔の黒茶色の瞳をキラキラ輝かせて聞いている。サムカが生徒たちの反応を確かめながら話を続けた。
「唯一の例外は法術だな。私は詳しくないので仕組みは知らないのだが、強力な法術が使用できる者はこれに対して〔耐性〕があると聞く。とは言うものの、私がこれまでに戦った法術使いにはいなかったがね。それと、新人のリッチーには通用するようだ。ハグには残念ながら効果はないが」
ペルが首を少しかしげながら、手を挙げて質問してきた。
「テシュブ先生。ということは、〔エネルギードレイン〕魔法って、アンデッドにも私たちにも関係なく攻撃できるのですか? その割には、狼バンパイアさんもカルト貴族さんも、私たちに対して使いませんでしたが」
サムカがうなずいた。
「そうだ。敵の『疑似中性子』を〔ロックオン〕できれば、生きていようが死んでいようが関係ない。原子でも分子でも同じ事だ。『疑似中性子』は魔法に必要なエネルギーを常時発しているから、その固有波動を〔ロックオン〕するだけで充分だ」
レブンがガシガシとメモを取る音がする。まだ先程のゴースト騒動を気にしているのか、〔空中ディスプレー〕画面は使用していない。
サムカがレブンのメモの進み具合を見ながら話を続けた。メモは狐語なので読めないが。
「そして、2つめの質問だが、敵の目的は、君たちの生命の精霊場を始めとした『生体情報』収集だった。君たちを〔エネルギードレイン〕してしまうと、劣化した情報しか集められないのだよ。それでは、やってきた意味がない」
「へええ……」と、声があちこちから起きた。先生2人も同じ声を出している。サムカが教壇の上に置いた小瓶に視線を投げて話を続ける。
「もちろん、この魔法は高度なものだ。発動させるまでにかなり時間がかかるし、術者への負担も大きい。我々の場合は、戦いの前にあらかじめ術式をほとんど完成させておく。出会った敵の固有魔法場を最後に入力し〔ロックオン〕してから発動させることが多いな。これで1秒以内に撃つことができる」
この辺りの攻撃手順は、他の魔法や魔術でも普通に行われている。生徒たちの反応を見てうなずくサムカ。
「だが。私でも、何百発も撃てる魔法ではないのだよ。ペルさんでは2発が限界だろう。他の者は1発だけだ。くれぐれも外さないようにな」
ペルが力強くうなずきながらも、他の生徒よりも1発分多く撃てると聞いて驚いている。サムカが微笑みながら、穏やかな声で話を続けた。
「なお、〔ロックオン〕した固有魔法場と、目標の原子核の『疑似中性子』が発する魔法場とが、一致しているほど、『疑似中性子』を弾き出す効果が高い」
サムカが少しの間だけ話を中断した。(どう説明すれば良いか)考えた様子だ。すぐに決まったようで、何事も無かったかのように話の続きを始めた。
「同じ魔法を使う場合でも、術者の錬度によって敵の回復に大きな差が出る。素人の魔法では、せいぜい1日もあれば原子核の状態が元通りになる」
サムカの山吹色の瞳が少しだけ光を帯びた。
「一方で私のような者が戦闘で用いる場合では、時間が経っても元通りにはならない。また、せっせと魔力を高める修行をして、回復する必要があるのだよ」
サムカの口調が少しだけ軽くなる。
「数百年かけて高めた魔力が、一撃で『なかった事』にされるわけだから大変だぞ」
改めて「コホン」と小さく咳払いをするサムカであった。色々と思い出か何かがあるのだろうか。
「下げられた魔力では、〔復元〕魔法も起動エラーが非常に起きやすい。従って、ドレイン前の状態へ自身を〔復元〕するという、その手段も非現実的だ」
レブンが手を挙げてサムカに質問した。
「テシュブ先生。闇の精霊魔法の〔エネルギードレイン〕魔法は分かりました。死霊術版はあるのですか?」
サムカが微笑んでうなずいた。
「うむ、良い質問だな。死霊術にもある。しかし、闇の精霊魔法版ほど汎用性はないな。基本的に生物限定の〔エネルギードレイン〕魔法になるから、精霊や罠、ゴーレムには効果がない。アンデッドには有効だ。残留思念を使用した擬似生命だからね」
そうして、サムカが生徒たちの顔を一巡して見つめた。
「ふむ。魔法適性を鑑みて、ペルさん、ジャディ君、ミンタさんには『闇の精霊魔法版』の〔エネルギードレイン〕魔法を。レブン君、ムンキン君には『死霊術版』の魔法の術式を渡すことにしよう。2つ同時に修得すると、君たちの今の魔力では制御ができなくなる恐れが高いからね」
生徒たちが素直にうなずいた。サムカが、まずペルに視線を向ける。
「ペルさんは特に、闇の精霊魔法の適性が飛びぬけて高いので、この魔法は出来る限り使わないようにしなさい。使う時は『必ず』他の精霊魔法やウィザード魔法などと併用して、魔力のバランスを取ることだ」
少々、残念そうな表情になるペルだが、素直に従った。
「はい。分かりました。テシュブ先生」
次にサムカがジャディに視線を向けた。
「ジャディ君は風の精霊魔法と併用するように心がけることだな。単独では使用しないように。ペルさんほどではないだろうが、この魔法が暴走する恐れがあるからね。最悪の場合は精霊化してしまい、あの『化け狐』の一部になってしまう」
ジャディが感極まったようで、琥珀色の両目からダバダバと大粒の涙を垂れ流し始めた。背中の翼が大きく広げられたが、羽ばたく余裕は無かったようだ。広がったままになっている。
「と、殿おおお……了解ッス。このジャディ、決して忘れないッス。うおおおん」
大泣きを始めたジャディを放置して、サムカがエルフ先生の教え子2人に視線を向けた。
「ミンタさんとムンキン君は元々の魔法適性が弱いので、気にせず全力で使用しなさい。単独で使用しても大丈夫だろう。むしろ、光や生命の精霊魔法とのバランスが取れるから、良いかもしれぬ」
ミンタとムンキンが互いに顔を見合わせた。まだよく把握できていない様子だが、サムカに了解の返事をする。
鷹揚にうなずいたサムカが、最後にレブンを見た。
「そしてレブン君だが……死霊術の適性が高いので、あまり使用しないようにしなさい。死霊術は精霊魔法ではないから、使いすぎで君が〔精霊化〕することはないが……それでも精神汚染は起こりうるからね。疑似生命であるホムンクルスなどが発症しやすい、精神の暴走状態や硬直状態になる。発狂化や人形化だな。最終的には、これも『化け狐』の一部になる」
「はい」と、真剣な表情で答えるレブンである。
エルフとノーム先生と、廊下の外から覗いている生徒たちにサムカが顔を向けた。
「さて。君たちだが……魔法適性が弱いので使うことはできないな。その代わり、この術式の魔法場を事前に〔察知〕できるようになるはずだ。敵が〔エネルギードレイン〕魔法を仕掛ける前に、〔テレポート〕などの回避策を取る時間を得ることができるだろう。特に、罠などを見抜くことは容易になるはずだ」
サムカが再び数秒間ほど黙って、間をおいた。廊下の生徒や先生の状態を勘案したようだ。
「私のような貴族でも、君たちを攻撃するまでに約1秒間ほどかかる。その1秒間の間に、逃げたり〔テレポート〕したりして対処できるということだな。これは大きな利点になるだろう。だが、ハグのようなリッチー相手では諦めることだ。奴の場合は瞬時に攻撃ができるのでね」
そして少し、いたずらっぽい視線になった。
「さて。闇の精霊魔法版と死霊術版、どちらの術式を希望するかね? 両方は無理だぞ」
とたんに、廊下側の生徒たち60名ほどが一斉にサムカに向かって希望する版を大声で訴え始めた。ひと際大きな声でサムカにアピールしているのはニクマティ級長だ。それらの要望を見事に聞き取るサムカである。
「先生方はどうするかね? 私の見たところ、クーナ先生は闇の精霊魔法版、ラワット先生は死霊術版が適しているように思うが」
エルフ先生とノーム先生が互いに顔を見合わせて頬を緩めた。
「ええ。それで構いませんよ」
「うむ。異存はないな。というか我々の魔法適性など両方とも低すぎて、どちらも同じようなものだろうに」
サムカがウインクして微笑んだ。
「便宜上だ。君たちの魔法適性は限りなくゼロだが、少しでも高い方が〔察知〕力も高まるはずだ。さて、では術式を渡すとしよう。杖を私に向けなさい」
一斉にペルたちの簡易杖が5本、先生たちのライフル杖が2本、そして廊下にいる生徒たちの簡易杖が60本ほど、サムカに向けられた。
サムカもマントの中から中古の杖を取り出す。さすがにもう、マントからは土埃が舞わなくなったようだ。
「先生方と廊下の生徒たちに渡す術式は、〔察知〕できれば良い程度の軽いものだ。負荷もほとんどないはずだ」
サムカが廊下の生徒たちと先生たちに穏やかな顔を向けてから、ミンタとムンキンに視線を移した。
「ミンタさんとムンキン君に渡す術式は、それよりも強力だ。ゾンビやスケルトン、ゴーストに一般的な罠に対する〔エネルギードレイン〕は確実にできる。しかし、それ以上のカルト貴族のような相手には、不意打ち狙いでやることだ」
ミンタとムンキンからの力強い返事を聞いたサムカが、ペルとレブン、ジャディに視線を向けた。
「そして、君たちに渡す術式はちょっとした『兵器』級だ。私を含めた貴族やリッチー相手にも充分に通用する。しかし、その分負荷も大きい。レブン君とジャディ君は1発、ペルさんは2発が限度と思いなさい」
「はい!」という元気な返事を聞いて、サムカが山吹色の瞳を細めた。
「それと、効果は君たちの魔力バランスに依存する。私の見るところでは、ドレイン効果は最大で数日間というところだろうな。その後、失われた敵の魔力は回復するだろう。まあ、〔召喚〕されてくる連中ばかりだろうから、それで問題ないはずだ」
先生を含めた生徒たち全員が、真剣な表情で同意したのを確認して、サムカが優雅な所作で中古の杖を振り上げた。
「では、いくぞ」
杖をサムカに向けている先生と生徒たち全員が、いきなり自分の体重以上の負荷がのしかかったようなショックを受けた。視界もぼやけて、頭がぼうっとなり、ひどく眠くなる。杖にもかなりの負荷がかかっている者がいて、杖の表面が軽くスパークしている。
エルフ先生とノーム先生も、何とか意識を保って両足を踏ん張っていた。尻餅をついて床にへたり込んでしまいそうになるのを耐えている。
そんな、くぐもった悲鳴や呻き声が1分間ほど続いたが……その後は皆、回復したようだ。安堵の声が先生と生徒たちから漏れ聞こえる。廊下にいる60名ほどの生徒たちのうち、10余名ほどは耐え切れずに尻餅をついて床に倒れ伏して苦しんでいたが、それも間もなく回復できたようだ。頭を振りながらフラフラと立ち上がってきた。
「ふええ……疲れたあ」
ペルが机に突っ伏して、くたばっている。レブンとジャディも同様だ。
心配したミンタがペルの隣まで歩いていって、ペルの肩に手を当てて魔力支援している。レブンとジャディには、ムンキンが同じ仕草で魔力支援している。
サムカがややジト目になりながら、ペルとレブンに告げた。
「やれやれ……この術式は基礎中の基礎だ。この程度で根を上げていては、この先、大変だぞ」
エルフ先生とノーム先生からの厳しい視線を感じて、サムカが口調を和らげた。また、うっかり新兵訓練のノリになっていたようだ。「コホン」と小さく咳払いをするサムカ。
「……何はともあれ、事故も起きずに済んで良かった。ご苦労だったなミンタさんにムンキン君、そしてジャディ君。席に戻りなさい」
エルフ先生が少し呆れながらも、目元を細めた。
「まったく、本当に新兵の訓練ね。私も懐かしくなる光景だわ」
ノーム先生も銀色のあごヒゲを撫でながら同意している。
「まあ……初めての『軍用』の術式だからな。木刀から拳銃に変わったようなものだ。今までの教科書の魔法とは魔力の桁が違うよ。それでも1年生の段階で、ここまでできるんだから上々だろうさ」
【ハグ人形の乱入】
その時。天井からハグ人形がまた落ちてきて、サムカが立つ教壇の上に着地した。
「おお。本当にやりおったか、サムカよ。容赦ないな、お前」
とたんにサムカの機嫌が悪くなったのが、一瞬で生徒たちに伝わる。
「なんだ、ハグか。まだ授業中だぞ。何をしに来た」
ハグ人形が、口をパクパクさせながらサムカに食ってかかる。
「おい。仮にも召喚ナイフの『親元』に向かって、その口の利き方はないだろう。それでも民に慕われている領主様かね?」
そう言いながらケラケラ笑うハグ人形。しかし、ふと何か思い出したようだ。糸が所々ほつれた顔をペルたちに向けた。
「そうそう。ワシからも1つ助言をしてやろう。顧客サービスは充実させないといけないのでな」
(何を今更……)と顔に表すサムカと、ペルたちである。特にミンタとムンキンは敵意むき出しでハグ人形を睨みつけている。エルフ先生がハグ人形にナンパされたのが余程頭に来たらしい。当のエルフ先生は記憶が飛んでしまっているのでキョトンとしているが。
「その〔エネルギードレイン〕魔法だが。携帯する方法が、君たちのような低い魔力持ちでもあるぞ。教えてもらいたいかね?」
ハグ人形の突然の提案に驚く生徒たちとサムカである。特にレブンの食いつきが良くなった。
「ハグ様。それは一体どういう工夫でしょうか? 確かに、この術は強力だと思いますが、術式を準備するのが大変です。時間がかかりすぎては実用的ではありません。僕の場合ですと、準備に1時間以上は確実にかかります」
ハグ人形が口をパクパクさせて盆踊りのような動きを始めた。すかさずレブンがツッコミを入れる。
「授業中ですので、ギャグはお控え下さい」
至極残念そうにうつむくハグ人形である。何か新しい芸を考えてきていたようだ。
「ぐぬぬ……サムカちんだって、『余計な余計な』おしゃべりを続けておったではないか。これは差別だなっ。後でお仕置きだ、サムカちん」
「はあ!?」
思わずサムカがマントを翻して、中から新たな長剣を取り出した。が、次の瞬間。頭を抱えてうずくまってしまった。
剣が床に転がって派手な音を立てる。闇の魔法場が刀身から黒い靄のように噴き出してきたが、ハグ人形が見つめると、すぐに消えてしまった。今回2本目の剣の〔消去〕だ。
この教室を守護しているサムカの使い魔は、今回もエルフ先生やノーム先生がいるせいか休業中のようである。主人が苦しんでいるのだが、割り切りのよい魔族だ。
「あたたたたたっ! コラ! やめろハグ! 一体私が何を……あいたたたたっ」
ハグ人形が教壇の上でラジオ体操のような動きをしながら、床に崩れ落ちて呻いているサムカを見下ろす。
「さあて……気が済んだところで、話を続けるとするか。サムカちんは、しばらくそうしておれ。しかし、先ほど〔消去〕した剣もそうだったが地味な剣だな。もう少し、オシャレ感覚をだな……」
「う、うるさい! あいたたたたっ」
多分サムカの言いたいことは、ペルたち生徒や先生方と全く同じだっただろう。ハグ人形の着こなしは、相変わらず絶望的である。とりあえず事態をこれ以上悪化させないように、ペルが冷や汗をかきながらハグ人形に話を促した。
「あの、ハグ様。それで、どのような工夫なのですか?」
ハグ人形が「おお」と我に返って、生徒たちに顔を向けた。
「そうだったな。この魔法は精霊魔法としても振る舞うから、他の精霊魔法と組み合わせることができるのだ。例えば、大地の精霊と組み合わせるとかな。大地の精霊魔法の特性は何だったかね?」
ミンタが思わず席から立ち上がった。金色の毛が交じる尻尾が椅子を弾いて、後ろに飛び転がしていく。
「あ!! そうか!」
ノーム先生も思いついた様子だ。目を丸くして、口をあんぐりと開けている。
彼らの反応を見て、嬉しそうにうなずくハグ人形である。すっかり、隣の床で転がってうずくまっているサムカの事など忘れてしまったようだ。
「おお。察しが良いな。純粋な結晶や欠陥のない格子構造の金属を用意して、その表面に〔エネルギードレイン〕術式を〔乗せる〕んじゃよ。大地の精霊魔法は、その特性として他の精霊魔法を〔吸着〕するからな。それを利用する」
生徒と先生たちも、ハグ人形の話に集中している。すっかり放置されてしまったサムカであった。ハグ人形がサムカに目も向けずに話を続けていく。
「ただし、結晶内部や格子金属内部は〔吸着〕機能が強固だから、君たちでは術式が走らずに停止してしまう。一方で、死者の世界の鉱物や結晶は闇の性質を帯びておる。なので、闇の精霊魔法と死霊術に限り、停止せずに起動させることができるがね。この世界の鉱物では無理だ」
ハグ人形が、銀色の毛糸でできた髪をポリポリかいた。一瞬、何の話をしているのか見失ったようだ。
「……ええと、横道にそれてしまったな。ドレイン魔法の術式だが、あくまで表面に貼り付けることだ。表面だけは、どんな結晶や格子金属も毛羽立っていて完璧な状態ではないから、貼り付けやすいのだよ」
そう言ったハグ人形の腕に空気中の塵が集まって、瞬時に水晶になって出現した。もう一方の腕の先には〔エネルギードレイン〕術式が発生している。
「水晶や金属の上に、この術式を貼りつける。でもって、はがれないように大地の精霊魔法の術式を〔被せる〕。これで完成じゃ。敵の固有波動の入力は、この大地の精霊魔法の上に貼りつければ良い」
廊下の窓から顔を出している60名の生徒たちも、ハグ人形の両手の先に生じた水晶と術式の禍々しさに目を奪われている様子だ。エルフ先生とノーム先生に至っては冷や汗をかいている。
ハグ人形が相変わらずの口調で、サムカを見もせずに臨時授業を続けた。
「これを敵の体にぶつけて、大地の精霊魔法で結晶や金属を〔破砕〕する。まあ、普通に敵に撃ち込めば、敵の体内で勝手にバラバラになるよ。その際に大地の呪縛が解けて、止まっていた〔エネルギードレイン〕術式が起動する。という原理だ」
「おおー……」
ジャディを除くレブンとペルが、思わず声を上げた。
少し遅れて、ミンタとムンキンも唸る。複数の魔法を組み合わせる手法は決して初心者向けではないのだが、ここにいる生徒と先生たちには理解できたようだ。ただ、ジャディだけは首を左右に振っているが。
生徒と先生からの反応に気を良くしたのか、ハグ人形の口調が明るくなった。
「保管についても〔結界ビン〕の中に入れておけば充分だ。〔結界ビン〕の素材も結晶ではないがガラスだからな。相性が良いのだよ。1週間に1度の割合で、ビンを開けて闇の精霊場や死霊術場を補給してやれば、ほぼ永久に術式を保管できる。ワシやサムカちんのようなアンデッド以外の、生ある君たちであってもな」
その通りにハグ人形が実演すると、ペルとレブンの目がキラキラと輝いた。
「凄いです、ハグ様! これなら、暇なときに作り置きできますっ」
「なるほどなあ。早速練習してみます、ハグ様」
ジャディは今一つ分からない様子である。首をひねって、ペルとレブンのはしゃぎ様を見ている。ハグ人形がジャディの目を見つめて口をパクパクさせた。
「ジャディ君。君が一番の使い手になれる術なんだがね。こんな風に……」
ハグ人形がジャディに先ほどの〔結界ビン〕の口を向けた。ビンの中にはいつの間にか、10個以上もの水晶が入っている。
「射出する場合にも、精霊魔法を使えば良い。風が一番便利だろうな、ほれ」
同時に、〔結界ビン〕の口からマシンガンの弾のように水晶が撃ち出された。
「げ!」
ジャディが慌てて席から飛び上がって回避しようとしたが、撃ち出された水晶弾は音速を軽く突破する速度だった。あえなく全弾命中して、そのまま〔消去〕されてしまった。数枚の羽だけがヒラヒラとジャディが存在していた場所に漂って浮いている。
エルフ先生とノーム先生が、反射的にライフル杖をハグ人形に向けた。他の生徒たちは一瞬の出来事だったので、理解が追いついていない。辛うじてミンタが真っ青な顔で一言だけつぶやいた。
「こ、殺しちゃった……」
サムカがハグに抗議しようと起き上がろうとするが、再び頭を抱えて床に転がってしまった。ハグ人形は気楽な声のままで生徒たちに説明を始める。
「まあ、こんなもんだな。あの鳥男は〔エネルギードレイン〕魔法を食らったので、存在エネルギーがゼロになった。分子状の原子核の『疑似中性子』が全て『排出』されて原子崩壊して真空に帰した。〔ロスト〕ってやつで、初めから存在していなかったことになるわけだな。君たちも今は驚いているが、あと数分もすれば因果律修正のおかげで、鳥男の存在を最初から知らなかった状態になる」
ペルとレブンが目を皿のようにして驚いた。
「そ、そんな! ハグ様、ジャディ君は確かに傍若無人ですが、僕たちの級友なんです! 消したりしないで下さいっ」
レブンが必死になってハグ人形に訴えている横で、ペルはパニックに陥って泣きだし始めた。
ミンタとムンキンが杖をハグ人形に向けて、容赦なく光の精霊魔法の詠唱を始める。廊下からもニクマティ級長が怒りに燃える黒茶色の瞳でハグ人形を睨みつけて、簡易杖を向けた。
周辺のノーム先生の専門クラス生徒たちも、級長に従って一斉に簡易杖を傍若無人なハグ人形に向けた。エルフ先生の専門クラス生徒たちも、ミンタとムンキンの攻撃魔法の術式詠唱に加わる。
エルフ先生とノーム先生もライフル杖をハグ人形に向けたまま、攻撃魔法の詠唱を始めた。リッチー相手なので、最初から最高威力の攻撃魔法をぶっ放すつもりのようだ。いくつもの魔法陣が出現して、それらが立体化して組み上がっていく。
ハグはリッチーなので、魔力の比較では、サムカよりもはるかに上の存在だ。攻撃魔法を撃ったところで効果は期待できないだろう。しかし、それでも手をこまねいている訳にはいかない。意思表示は大事だ。
それを見てハグ人形がおどけた仕草をして、1人タンゴを踊り始めた。
「おっと、光魔法を食らうと死んじゃう~。ここは退散する~パパラパー」
消えてしまった。
ミンタとムンキンが地団駄を踏んで悔しがる。
「あー!! 消えやがったあああっ! あと1秒以内に撃てたのにっ」
ペルのパニックが更に酷くなった。ほとんど号泣状態である。
レブンが完全に魚頭に戻りながら、簡易杖をジャディがいた辺りに向ける。
「ロ、〔ログ〕が残っているはず、探さなきゃ!」
(無駄あだようん、魚坊主。〔ロスト〕した際には、〔ログ〕なんか残らないものなのさっ)
ハグの声が〔念話〕を通じて、関係者全員に届いた。レブンとミンタが必死で簡易杖をあちこちに向けるが、愕然として、持っていた杖を床に落としてしまった。ミンタがショックで卒倒しかかったが、辛うじて足を踏ん張って耐える。
「う、ウソ……本当に、〔ログ〕も何も残っていないなんて」
レブンは言葉を発することもできない状態に陥って尻もちをついてしまい、全身を細かく震わせている。ムンキンは突然の悲劇に思考が停止してしまったようで、その場に立ち尽くして口を半開きにしていた。




