20話
【サムカの居城】
結局、王国連合の最南部で起きたテロだが、オーク住民の死傷者は23名、建物施設の損壊は1ヶ月ほどの修復期間が必要との事だった。
10名余りのオークの実行犯は数日後、国境周辺の潜伏先で発見されて、そのまま処刑されて終わった。貴族の社会では、市民登録されていないオークには何らの人権も認められていない。発見され次第、即処刑される事になっている。
サムカの居城の中にある倉庫では、執事のエッケコが支援物資のリストを確認しながら杏子色の瞳に安堵の色と表情を浮かべていた。
「さすがは、ナラシュ左将軍の直属部隊でございますね。オーク住民の不安も広がらずに済みましたから、南部へ送る支援物資の量も少なくて済みそうです」
それを聞いていたサムカも、リストを確認しながら同意した。部屋着の上に肩掛けをして作業用の麻色の手袋をし、丈夫そうな作業靴を履いている。
ある程度掃除されているとはいえ、倉庫なので少々埃っぽい。窓から差し込む日の光に、倉庫の中を漂う細かい塵や埃が乱反射している。
「そうだな。南のオーク独立国も大した動きは見せておらぬようだ。ステワから話を聞いたのだが、思ったよりも大規模な作戦だったそうだぞ。実行犯は10名程度だったが、武装ゴーレムが1000体ほどいた様子だ。
〔防御障壁〕も展開する軍事用ゴーレムだったそうでな。が、その程度の数では、ナラシュ左将軍の直属部隊の敵ではない」
ファラク王国連合では各国王が合議制で統治しており、サムカのように領主をしながら国王に仕える貴族がほとんどだ。
しかし、領地を持たず、特定の国王にも仕えず、王国連合の合議に従って治安活動や軍事活動を専属で行う貴族たちがいる。いわば『連合国軍』という位置づけの組織があり、ファラク王国連合では2名の将軍によって分担されている。
その1人がサムカの武芸の師匠でもあるテスカトリポカ右将軍で、もう1人がナラシュ左将軍である。
元々、貴族には領国統治や経済活動を苦手とする者が多い。必然的に、彼ら将軍の配下になりたがる貴族や騎士が多いのだ。しかし、オーク住民の管理をはじめ、兵站や居城、砦、武器や馬などの管理がなくては、軍団が機能しないのは明白な事実である。
そのために、将軍の配下に加わるのは非常に狭き門となっている。武芸や魔法が優秀な貴族しか採用されず、ほとんどの貴族や騎士は選考から外れているのが現実であった。いわば、領主や国王は、落ちこぼれなのである。
ちなみに、サムカは軍団に入ろうと思えば入ることができる腕前ではある。なのだが、どちらかといえばオーク住民と豚や鶏の世話をしたり、作物栽培を支援して豊作にすることの方に、喜びと関心を持つタイプだ。なので、こうして領主に納まっている。
サムカに言わせれば、「私のような腕の貴族など、いくらでもいる」ということらしい。
実際そうなのであるが将軍の配下になっていれば、恐らくは大隊の指揮官ほどの地位にはなっていただろう……というのが大方の貴族やウーティ国王の共通した見解である。
一方、オークは貴族に住民と認められないと存在が許されない。これに不満を持つオークたちが団結して、建国した『オークの国』が世界中に存在している。
そもそも貴族や騎士たちは食物を摂取する必要がなく、基本的には沐浴と称される方法で自身の魔力を維持、強化している。闇魔法場が濃い状態で溜まっている場所に、その身を横たえて吸収することを沐浴と呼んでいる。
その魔法場は、生物が多くいる場所では強くならない性質がある。そのために貴族や騎士たちは、居城などを設けて生物がいない大きな空間を用意し、そこへ流れ込んでくる魔法場で沐浴をしている。サムカの執務室なども、その沐浴の場の一つである。
しかし。城を造り維持するだけでも、単純作業しかできないゾンビ等では非効率だ。そのため貴族たちは生者であるオークを使役しているのであるが、これもできれば最低人数であるほど都合が良い。オークは子沢山なので、必然的に住民登録されずに領地から追放されるオークが出てくるのである。
ファラク王国連合の南にはこうしてできたオークの独立国が2つあり、軍事衝突を繰り返している。オークにとっては領土を拡大して貴族や騎士を追い出すことが至上命題になっているので、衝突は深刻かつ激烈なものである。オーク側には異世界の魔法使いや、亜人たちが様々な支援をしているのが常だ。
しかし死者の世界は、創造主の代理として統治している貴族に最適化されている。貴族側の方が圧倒的に優位な戦闘力を有しているのだ。
……のであるが、貴族や騎士自体の人数が少ないので、新たな領土を得ても統治管理が事実上できない。結局、放置されて再びオークの実効支配地域になる……というのが長年のパターンであった。
オーク執事のエッケコがサムカの話を聞いて、優雅かつ丁寧に腰を低くして頭を下げた。
「左様でございますな、旦那様。不心得者のテロ犯人のせいで、我々オーク住民までも肩身が狭くなる思いでございます。人口調整もして貴族様や騎士様のご不興を買わないように努力しておりますのに、水泡に帰すような所業には怒りを感じざるを得ません」
サムカが窓の外を向きながら腰に両手を添えて、軽く目を閉じた。
「連中の主張も、私個人としては分かるつもりでおるのだよ。だが、オークのみならず生物が増えすぎると、我々の居心地が悪くなる。現に我が配下の騎士も、オークの自治都市への出入りは苦手だからなあ」
執事が少し慌てた様子で、周辺を見回している。誰もいないようなので、ほっとした表情になった執事にサムカが寂しく微笑んだ。
「我々は数が少ない。オークがここで我々と不毛な戦いをせずに、どこか遠くの島に移住してそこで暮らしてもらえれば、双方とも関与せずにいられて良いと思うのだがね。まあ、甘い夢想でしかないことは重々承知しているが……」
執事が豚顔の禿げ頭に柔和な笑みを浮かべて、サムカの言葉を途中で遮った。
「旦那様。独り言はその辺りにした方がよろしゅうございますよ。わたくしを始め、城下のオーク住民は皆、旦那様のお人柄は充分に存じ上げているつもりでありますから」
サムカが目を細めて窓の外を見ながら、やや自嘲気味につぶやいた。
「解脱への道は、遠いものだな、まったく」
その時、廊下を誰かが急ぎ足で走ってくる音がしてきた。瞬く間にサムカと執事がいる倉庫の入り口まで、騎士シチイガがやって来て一礼する。
「我が主!」
「シチイガか。どうした、慌てて」
相当に急いで来たのだろう、黒錆色のサラサラ短髪がクシャクシャになっている。彼もサムカと同様に普段着だ。
「は、我が主。休戦協定を結んでいる魔族のルガルバンダ勢に、他の魔族が攻撃を仕掛けてきております。救援要請が届きました」
そう言って騎士シチイガが腕をサムカへ差し出して、1通の手紙を渡した。既に封は開けられているので、彼が検閲したのだろう。
サムカが文章を一読する。この魔族はウィザード語を使えるので、紙面に埋め込んだウィザード文字が紙の中で自転している。何かの分子模型が紙の中で回転しているようにも見え、さらにいくつもの衛星のような装飾文字が回っている。ただ、ルガルバンダが急いで記したせいか、全体に乱れた印象になっているが。
「分かった。我が方から援軍を送る。シチイガ。卿と私で向かおう。一般兵も半数連れて行く。卿は〔分身〕を1つ用意せよ。その〔分身〕を城に置いて、後詰とオーク自治都市の防衛指揮をやってもらおう」
サムカが冷静に素早く、騎士騎士シチイガに指令を下していく。
「こちらへも攻め込んでくる恐れがあるからな。連絡は〔念話〕で密にとることにしよう。5分後に出る。シチイガよ、それまでに準備を完了させておけ」
「は。我が主!」
踵を返して、倉庫から駆け出していく騎士シチイガである。
サムカが執事に視線を向けた。きりりとした涼しげな山吹色の瞳には、既に武辺者と評される気迫がみなぎっている。
「我が軍やオーク自治都市の自警団と演習相手をしていることが、他の魔族どもの癪に障ったのだろうな。演習と訓練の成果を見せる良い機会だ。エッケコは、〔分身〕シチイガの指揮の下でオーク自治都市と連絡を取れ」
「はい。仰せのままに」
執事も急いで倉庫から駆け出していく。
それを見送ったサムカが倉庫内を見回して、厳しい視線を投げかけながら口を開いた。
「聞いての通りだ、セマンの諸君。追いかけっこは一時中断だ。あまり悪さをしないで頂けると嬉しいのだがね」
「ケラケラ」と数名の笑い声が倉庫の中にこだました。サムカが声の発信源を探るが無駄だったようだ。
「我々としても、願ったり叶ったりだよ。死者の世界の組織戦闘を実況できるとはね。しっかりと記録をつけさせてもらうよ、領主様」
サムカが不敵な微笑みで返した。
「しっかり記録しておけよ」
【魔族の軍勢】
きっかり5分後に愛馬を駆って城から飛び出していく、サムカと騎士シチイガの部隊である。
当然普段着ではなく、戦闘用の無骨で無機質な甲冑に全身を包んでいる。前回、ルガルバンダ勢と対峙した際に着用していたもので、乗馬仕様となっている。なので、軽装備の部類だ。
これまた実用本位のマントの裾からは、無骨な鞘に収められた長大な剣が2本、腰ベルトから吊り下げられて伸びているのが見える。馬に取りつけられている防御甲冑も機動重視の軽装備だ。
前後を走っている4名の一般兵も、機動重視の武装をしている。サムカ主従が履いている剣に負けないほど長い、抜き身の長剣を片手に1本ずつ持っていた。それを振り回しながら、高速で駆ける馬の足並みに見事に揃えて飛ぶように走っていく。
時速は70キロほどに達するだろうか。舗装されていない田園風景の中をのびる田舎道を、土煙を上げながら爆走している。獣人世界の学校で用務員の仕事をしていたゾンビとは、まるで別物の運動性能だ。恐らくは獣人世界の警察部隊よりも高速だろう。
田園に広がる畑で野良仕事をしているオーク住民たちが、サムカ主従のスクランブル出撃に目を丸くさせて驚いている。すぐに、オーク自治都市から拡声器で魔族の侵攻が伝えられた。それを聞いて、慌てて自治都市へ駆け戻っていく。
オークは基本的に魔法が使えないので、サムカや騎士たちが行うような〔念話〕や、〔空中ディスプレー〕越しの魔法などは一切できない。代わりにノーム製の通信器を介して無線通信をしている。が、野良仕事中のオークは当然ながら携帯通信器を持っていないものだ。
うららかな秋の日差しの中、作物の収穫も最盛期で、オレンジや梨、ブドウにコーヒー畑にも大勢のオークたちが作業していたが、彼らも慌てて自治都市へ逃げ戻っていく。野菜や米、雑穀の収穫も始まっていたが、これも中断されていく。サムカの表情が次第に険しいものに変わっていった。
その自治都市へ戻る流れに逆行するように、いくつかの影がサムカ主従を追いかけていくのが見える。セマンの連中だろう。本当に騒ぎが大好きなようだ。
城の展望台から、裸眼のままで様子を観察しているのは騎士シチイガの〔分身〕である。彼も完全装備に身を固めており、やはり実用本位のマントからは2本の長剣の鞘が突き出ている。
既に各所への兵士の配置を完了しているのだが、全く気配も音も発していないので無人の城かと錯覚するほどだ。この辺りは、さすがアンデッドというところか。
伝令の使い魔群が次々に展望台へ戻ってきては〔分身〕騎士シチイガに報告し、彼の指示を受けて再び飛び去っていく。使い魔はカラスのような姿をし、どれも凶悪邪悪そのものな顔をしている。この場面だけを見れば、〔分身〕騎士シチイガは完全に悪役に見える。
執事のエッケコは自治都市に入って陣頭指揮を執っているのだろう。他のオークも含めて姿が見えない。
戦闘態勢が敷かれた城に生者がいると強烈な闇魔法場の影響を受けてしまい、心身に悪影響が出てしまうのである。またアンデッドにとっても、生者がいないだけで調子が良くなるものだ。執事やオークの使用人たちが一斉に城からいなくなるのは、手順ともいえる。
「まったく、セマンどもめ……せいぜい見ごたえのある記録をとることだな」
〔分身〕騎士シチイガが毒づきながら、手前の〔空中ディスプレー〕を操作している。モニターしているのは、敵の規模と動き、味方魔族の状況、オーク住民の避難状況に自治都市での自警団の展開状況などである。
それらの情報を〔念話〕でサムカや本体騎士シチイガ、そして専用端末を持つ執事のエッケコに伝えている。
ただ、獣人世界で見たようなイメージ付の〔念話〕システムではない旧式なので、言葉だけでの報告になる。イメージは、先ほどから飛び回っている使い魔によって配送されている。
(我が主。敵勢力の詳細が明らかになって参りました。敵の展開位置は、変わらず。友軍の魔族ルガルバンダ勢に集中しております。その他地区への敵の侵入は〔察知〕しておりません)
ここで一息入れた〔分身〕騎士シチイガが、〔空中ディスプレー〕画面の情報を読み上げた。
(敵勢力は2部隊。身長4メートル半の2本腕2本ハサミ魔族20名が率いる、スケルトン仕様ゴーレム隊200。それから、身長6メートルのイボイノシシ顔で小さな羽つきの魔族14名が率いる、スケルトン仕様ゴーレム隊300です。武装は、ゴーレム隊が弓と長槍。魔族は弓と格闘戦用の斧を主体とした武装で、〔防御障壁〕を展開しております)
(少し分かりにくい言い方だったかな……)と反省する〔分身〕騎士シチイガ。整理しながら報告するように努める。
(友軍魔族は、全軍が出撃しております。魔族数は20。これにスケルトン仕様ゴーレム隊が300です。現在は防御陣を展開しており、友軍の到着待ちの状況です。自警団も兵200を、ただ今援軍に差し向けました。武装は弓と長槍です。戦場到着は20分後。自治都市防衛には兵900を配置済みです。この〔念話〕のイメージ映像は、2分後に使い魔がそちらへ到着して届けます)
連絡を済ませた〔分身〕騎士シチイガが、そのまま別の使い魔10体に命じる。
「我々の領地周辺の警戒を行え。貴様は隣接する領主へ面会し、情報窓口となれ。貴様は国王陛下の緊急窓口に知らせて、王城との連絡回線を確保しろ。行け!」
凶悪な形相の使い魔群10体が、旋風を巻き起こしながら無言で飛び立っていく。
「周辺からの援軍は必要なさそうだが、戦死者は出るだろうな。棺などの在庫も確認するか」
魔族もオークと同じ生者である。300万年の昔に死者の世界ができた際に、貴族たちが身の回りの世話をさせるために持ち込んだのがきっかけで、この世界の住人となった。
オークが使用人として使われたのに対して、魔族は狩りやボディガード要員として使われていたのである。しかし、主の貴族たちが300万年間の間に次々と崩壊していなくなるにつれて、主から解放された魔族が独立して村を築くようになっていた。
ただ、オークとは異なり、子沢山な種族ではなかったために国を築き上げるようには至っていない。
少数の人数での集落で暮らしており、傭兵や使い魔として、現在は貴族の王国連合やオーク独立国に雇われている。一方で盗賊稼業に精を出すグループもおり、今回もそうした連中による騒動であった。
実際、戦況監視のために上空を飛んでいる使い魔たちには故郷を同じくする者が、サムカ側と攻撃魔族側の双方に多く含まれている。雇われているとはいえ同郷の者同士で戦う理由は全くないので、上空を飛び交う魔族たちは気楽なものだ。
そう。実は〔分身〕騎士シチイガが得ている情報のほとんどは、敵側に雇われている使い魔の魔族からもたらされたものである。当然、見返りに敵側へもサムカ軍の情報が筒抜けになって伝わっているのだが。もちろん、雇い主が大敗北しては報酬がもらえないので致命的になる情報は渡さないし、もし得ても雇い主には伝えなかったりする。
実際に、敵味方入り乱れて上空を飛んでいる使い魔たちの会話を拾ってみると、このようなものであった。
「なあ、今回の大将は、どこまでやるつもりなんだろうな」
「さあ。うちの大将は、結構いきり立っていたぜ。ルガルバンダの野郎、うまい汁を吸いやがって許さねえ、とかさ」
「ははは。まんまと武辺者のテシュブ領主に取り入ったからなあ。ポイントは執事のエッケコだよな。これで食うことに不安はなくなったわけだ」
「おーい。収穫したばかりのオレンジだ。酸味と甘みのバランスが良いぞ。食っていけ」
「これはこれは。下の真面目な連中には見つからないようにしないとな」
などなど……当然、〔空間指定の指向性〕会話魔法を使用しているので、雇い主たちには聞こえない。顔や姿も凶悪そのものなので、こんなに和やかな会話をしているとは誰も思っていないようである。
地上で激突している魔族軍の両陣営では、それぞれの大将が割れた大鐘を叩き壊すような大声で互いに罵り合いながら、手持ちのスケルトン型のゴーレム部隊を繰り出しあっていた。大音響のせいか、鳥が一斉に森の奥へ飛んで逃げていく。1羽のツバメが危うく矢に当たりそうになったが、辛うじてかわして森の方へ飛んでいった。
大量の自動追尾方式の矢が飛び交って、スケルトンに次々に突き刺さっていく。矢には攻撃魔法が付与されているようで、矢が突き刺さった部位で爆発や閃光が派手に起きている。ゾンビと異なり、スケルトンは少々骨が粉砕されても、それを束ねる魔法の糸が切れない限りは問題なく動くことができる。そのために、派手な爆発や閃光に包まれても、その中から平然と姿を現して敵を攻撃してくるのである。
後方からスケルトン部隊を操っている双方の魔族たちにも自動追尾の矢が大量に降りかかっているが、これらは展開している〔防御障壁〕に弾き返されてしまっていた。
その攻撃側の2本の腕に2本のハサミがついた腕を持つ、4本腕の魔族の大将が仲間と共に、対戦している4本腕の魔族ルガルバンダを大音声で罵っていた。身長が4メートル半と、ルガルバンダほどもある。腕の太さはこちらの方が太い。
「こらああ! 貴族に尻尾を振った犬め! 我ら魔族の恥さらしで裏切り者め! 叩きのめしてくれるわああっ」
「乞食に成り下がった魔族め! 恥を知れ!」
「俺たちにも肉寄こせや、こらあああっ」
もう一方の攻撃側の魔族で、背中に小さな羽が生えている巨大なイボイノシシの姿の大将も声を張り上げた。こちらはさらに巨大で、身長が6メートルもある。ちょっとした巨人だ。
「ルガルバンダなんぞより、オレたちの方が強いってことを教えてやる! 完膚なきまでに叩き潰す!」
「パワーでは、オレたちの方が断然上だからなっ」
「お前らが訓練したところで、強くなるわけねえだろ!」
そんな口上を、堂々と胸を張って聞いた守備側の魔族の大将ルガルバンダが四本腕を振り回して、ふんぞり返った。
「乞食は、お前らだろうが! テシュブ領は今年も豊作だぞ。食い物たっぷりだ。地べたに這い回って懇願するなら、分けてやらんでもないぞ! がははは、この貧乏人どもめ」
「三べん回ってワンと鳴けよ! オレンジうまいぞ! ワインも新酒樽が山積みだあ!」
「テシュブ軍の装備をしているのを気づかないのかよ! そんなナマクラな武器が通用するわけねえだろ、この愚か者どもめ!」
余裕の表情でガハハ笑いをしているルガルバンダ大将の近習が、戦場の外れの森の中を指差して叫んだ。
「あ! テシュブ軍が来たぞ!」
「「「よーおし!」」」
異口同音に叫んで目を輝かせる魔族の大将3匹。まず、ハサミ腕の魔族の大将が大音声を上げた。
「我こそは、西の森の主、陸蟹の王、ダエーワだ! 見よ! 我が技をっ」
スケルトン群の乱戦戦場へ踊りこんで飛び込み、2本の巨大なハサミ腕を振り回してスケルトンを紙のように切って分解していく。このハサミが非常に鋭利で、まるでサムカが使うような魔剣のような破壊力を見せている。
その一瞬後に、今度はイボイノシシ顔の魔族の大将が負けじと大音声を上げた。
「我は北の森の王、オメシワトル! 見よ! 我が力をっ」
そう言って、やはりスケルトン群の中に突撃していく。丸太のような強烈な筋肉質の腕が振り回されて、スケルトンが文字通り粉になって粉砕されていった。スケルトン勢よりも3倍ほど背が高いので、攻撃力には目を見張るものがある。
それを見て、ガハハ笑いをしたままのルガルバンダが大げさな身振りをして驚いた表情になった。
「おお! これは凄まじいな! さすが勇名高き者どもよっ」
サムカが馬上からジト目になり、大きくため息をつく。
「……貴様ら」
騎士シチイガがジト目ながらも頬を緩めて、スラリと長剣を抜き放った。短い黒錆色の前髪を軽く左右に振る。
「我が主。くだらぬ出来試合のようです。いかがいたしましょう」
言葉とは裏腹に、既に突撃準備は万端のようである。
サムカが目を閉じて腕組みをし、その青白いあごをしゃくった。
「好きにしろ」
「御意!」
騎士シチイガの愛馬が、一際凶悪に鼻を鳴らした。双方合わせて800体のスケルトン型の武装ゴーレムと、魔族の長たちが入り乱れて乱戦中の戦場へ一直線に飛び込んでいく。4体の一般兵も前後左右を守りながら双剣を振り回し、騎士シチイガと一緒になって戦場へ駆け入っていった。
「うおおりゃああ!」
騎士シチイガがスケルトンを文字通り粉砕して空中へ吹き飛ばしながら、ハサミ魔族の大将に襲い掛かった。
淡い山吹色の瞳が、彼の持つ大剣の刃先のように鋭く輝く。馬の跳躍は素晴らしく、軽々と地上4メートルまで跳び上がった。
「げえ!」
あまりの高速接近に慌てた大将がハサミ腕を振り回す。その腕が2本とも切り離されて空中に舞い上がった。さらに次の瞬間、大将の頭が叩き潰されて消えた。
「な!? テシュブの騎士か!?」
断末魔の絶叫を聞いて、同じくスケルトン群のなかで乱戦中だったもう1人の魔族の大将が振り向く。ついでに、そこにいたスケルトンを粉砕した。
その塵の向こうから騎士シチイガが騎馬突撃をしてきた。露払いの一般兵が粉砕されたスケルトンの粉塵を、双剣を扇風機のように振り回して霧消させる。再び騎士シチイガが馬を駆って、地上6メートルまで跳び上がった。
「!」
声を上げる間もなく、イボイノシシ頭の魔族の大将の頭が潰された。
血吹雪どころか棒のような血の噴射が、両大将の頭があった部分から噴き出す。
それを見た、攻撃側、守備側双方の魔族から悲鳴が上がった。その瞬間。魔族によるスケルトン型ゴーレムの操作が中断されて、乱闘中の軍勢が一斉に停止してしまった。
「うおりゃあああっ」
騎士シチイガが再び叫んで長剣を振り回し、愛馬を巧みに駆って戦場を超高速で駆け抜けていく。おかげで、ものの10秒余りで全てのスケルトン型ゴーレムが完全に粉砕されて、消滅してしまった。
「ふん」
息ひとつ乱さずに剣を鞘に収めて、マントの下にしまう騎士シチイガである。もちろんアンデッドで死んでいるので、息が上がることなど起きないのだが。
あっけにとられている両魔族軍を無視して、サムカが乗馬のまま骨粉だらけになっている戦場へ乗り入れていく。
そして、頭を潰されて倒れて痙攣している2人の大将を馬上から見下ろした。どちらも巨漢なのでまるで山のような姿だ。早くも首から頭が〔再生〕してきている。
「やれやれ……急いで来た意味がなかったではないか。そら、とっとと復元しろ」
冷たい視線のままでサムカがそう言うと《ベキバキ》と音がして、大将の首から生えてきている頭が急速に元の大きさに育っていく。切り離されたハサミ腕も生えてきた。「おおー」と歓声が上がる。
しかし〔蘇生〕した本人たちは激痛で悶え苦しんで、地面を這い回って転がっている。恐らく、ゾンビなどの〔修復〕用の魔法を使用したのだろう。
「まったく……収穫時期の今、このような茶番に付き合う暇はないのだがね。ルガルバンダ大将」
ため息をつきながらサムカが文句を言うと、守備側のルガルバンダ大将が頭をかきながら笑った。ヒグマ顔がほころんで、白い牙がズラリと並んで見える。
「済まねえな、領主様よ。こいつらがテシュブ軍と傭兵契約したいって聞かねえんでな。一芝居打った。だが、ちょっと弱すぎたな。これじゃあ無理だろ」
サムカが騎士シチイガと顔を合わせる。
騎士シチイガは淡い山吹色の瞳を細めて笑いを堪えながら、たくましい肩をすくめている。真っ直ぐで短い黒錆色の前髪の先についた土埃を剣を持っていない手で払い落とし、率直な感想をサムカに述べた。
「残念ながら、傭兵として雇うには少々物足りないかと判断します。まだ、我々の一般兵の方が使えるかと」
あまりにもあっけなくやられたので、さすがに意気消沈して背を丸めて落ち込んでいる2人の大将。2人とも、そのたくましい腕で地面に『の』の字を描いているのが可愛らしい。
サムカも〔念話〕で城の〔分身〕騎士シチイガに事の顛末を伝えてから、大将たち3人に視線を向けた。もう呆れてはいないようだ。
「心意気は買おう。我が軍とオーク自治都市の自警団の教練と演習で、ルガルバンダ勢の世話になっているのは貴君らも知っておるだろう。それに参加するが良かろう。そこで良い成績を上げた者と傭兵契約を結ぶ……という事でどうかね?」
さっきまで泣きそうな顔になっていた、2人の大将の顔が喜びで輝いた。
「おう! それで良いぜ! 貴族の大将!」
「次は、ばっちりと鍛え上げて、その黄色い目を瞠目させてやるからな! 覚悟しておけ!」
連れの魔族たちも、すっかり士気が元通りに戻って雄叫びを上げている。
その豹変ぶりに、サムカが愉快そうに目を細めている。その表情のままでスマホ型の通話機をマントの中から取り出して、執事を呼び出した。
「エッケコ。済まぬが、この魔族たちに何か食事を出してやってくれ。暴れすぎて空腹になっているだろうからな」
しかし、執事からの返事は思いもよらないものだった。
「それは問題ありませんが、旦那様、ゴミ捨て場にいる清掃獣どもが暴れだしております。戦死体が全く出ないことになったので、期待はずれによるものと推察いたします。このままでは、オーク自治都市内へ乱入してきそうな勢いでございます」
清掃獣とは、城や自治都市で発生したゴミを食べさせて処分している低級な魔族の総称である。見た目は牛サイズの幼虫型や、全長10メートルほどのミミズ型のものが多い。土石以外は金属でも糞尿でも何でも食べて、泥状の土くれとして排出してくれるので重宝されている。
通常、戦闘による戦死者は自軍であれば丁重に埋葬し、敵軍であればゴミとして清掃獣に与えるのが習慣になっている。その敵軍死者が出なかったので、怒って暴れだしたのだろう。
サムカが魔族たちに「軽食の用意をしたので自治都市へ来るように」と伝え、さらに「清掃獣が暴れているので、何人か有志で制圧作業を手伝って欲しい」旨を伝える。
力が有り余っている魔族たちなので「喜んで参加する」という返事が即答で返ってきた。うなずくサムカである。
「分かった。では軽食前の軽い運動でもしに行くとしよう。全軍、ゴミ捨て場へ向けて進軍せよ。なお、清掃獣は殺してはいかんぞ。ゴミ処理できなくなってしまうからな」
サムカたちが馬を揃えてゴミ捨て場へ向かい始めると早速、ルガルバンダ大将が走って合流した。今は騎馬の速度も戦闘時ではないので、時速20キロ程度ほどだ。
オーク兵とも合流する必要があるので、この程度の低速走行で充分なのである。頭を失って回復したばかりの両魔族にとっても、このくらいの速度の方が有難いようだ。
「そういえば、サムカ卿。ワシのところにもオーク独立軍とやらがやってきたぜ。ワシが契約している召喚ナイフの親元を紹介してほしいってよ」
世間話をするような気楽な口調で、ルガルバンダがサムカに告げた。結構な大声なので、ほぼ全軍の兵にも聞こえているだろう。
サムカが少し表情を曇らせつつも、口元を緩めた。
「そうかね。確か、ルガルバンダ殿の『召喚契約』は傭兵や要人警護だったな。オークどもでは難しいだろう。世界間の正規ゲートを通じたのではまずいような、人身売買や違法商品の闇取引等でも画策しているのかね?」
サムカの指摘に、大きな4本腕を扇風機のように振り回しておどける魔族の大将である。
「そうだろうな。ワシが請け負っている仕事は、それなりに重労働でな。とてもオーク程度の体力では耐え切れないんだよ。一応、召喚親元のリッチー殿に伺いを立ててはおいたが、案の定、即答で却下されたよ。人身売買なんかで召喚ナイフを使われちゃあ、ワシの信用にも悪影響が出るし、まあ、当然の対応だな」
召喚ナイフの初期設定では、サムカの周囲の空間まで一緒に〔召喚〕されていた。それを悪用するつもりなのかもしれない。
サムカが首をかしげた。
「ハグの説明では、付随して〔召喚〕された物や人は1時間後には元の世界へ戻される仕様になっているはずだが?」
ルガルバンダがニッカリと笑いかけた。
「抜け穴ってのがあるんだぜ、テシュブの旦那」
念のために周囲をチラリと見回してから、サムカに小声で伝える。
「〔召喚〕先での自由時間は1時間ある。その間に略奪なり仕事なりをすれば良いって寸法さね」
目が点になるサムカであった。ルガルバンダが苦笑しながら話を続ける。
「死者の世界に連れ込んで殺してしまえば、後はゾンビなどにして運用できるんでさ。物品なら破壊してしまえば良いんで。その逆も然り。〔召喚〕先の世界で現地作成のクローン体を作れば、それは1時間が経過しても死者の世界には戻らない、ってこともあるんですぜ。テシュブの旦那」
ルガルバンダが再びニッカリと笑った。
「まあ、そんな下らねえ真似は、ワシはしないけれどなっ。ガキどもの教育に良くねえし」
そのような、サムカとルガルバンダとの会話を後ろで聞いている騎士シチイガは、かなり不満げな表情になっている。しかし、特に何も言上しないようだ。サムカも肩をすくめて、上空を見上げた。
「ルガルバンダ殿、情報に感謝するよ。そうか。オークどもめ、それほど異世界へ進出したいのか。だが、リッチーたちにも知れてしまったし、もう召喚ナイフ契約に漕ぎつけるオークは出ないだろう。愚かなことだ」
そうこうするうちに、ゴミ捨て場が田舎道の先に見えてきた。確かに、全長10メートルほどもある巨大なミミズ群が身をくねらせて大暴れしている。まるで怪獣映画の一場面のようだ。
普通のミミズとは違い、巨大で鋭い歯をズラリと口に生やしている。歯の生え方も一列の単純な配列ではなく、5、6列もあって規則的に並んでいる。これでゴミをかみ砕いて細かくすり潰すのだろう。
目や耳鼻などの感覚器官は見当たらないが、体表面にセンサーがついているのだろう。機敏な動作で暴れているのに、互いに衝突したりはしていない。声を発する機能もないので、地響きと破壊音ばかりの無声映画のようだ。
サムカが後ろを振り返り、オーク兵や魔族軍が隊列を組んだまま、しっかりと後ろを走っているのを確認する。サムカと騎士の愛馬は戦闘速度ではないので普通に地面を蹴って走り、オーク兵や魔族軍と一緒に地響きと土煙を盛大に立てている。この地響きだけでも、充分に先方のミミズ群には脅威に感じるだろう。
「では、軽くひねってくれ。殺してはならんぞ」
「おう!」という雄叫びが全軍から上がった。軽く微笑むサムカである。
【真っ暗】
それから数日が過ぎた。魔族の騒動も一応の決着がつき、サムカと騎士シチイガは今日も領地の巡回に出ている。相変わらずの良い天気で、刷毛で掃いたような真っ白い筋雲がいくつか青空に刻まれている。
周辺は相変わらずのどかな田園風景が広がっていて、秋の気配がかなり濃厚に漂ってきていた。既に収穫のピークは過ぎて、畑や果樹園にもオークの姿はあまり見えなくなっている。
そんな穏やかな風景を馬上から見上げ、その山吹色の目を細めるサムカである。
「メ、メメメ、メエメエ……」と、どこかで羊の鳴き声がした。
「!」
慌ててサムカが愛馬から飛び降りて、石畳の街道に降り立つ。
付き従ってきている騎士シチイガに顔を向けた。今日は〔召喚〕される予定の日だったので甲冑姿ではなく、普通の貴族が着ているような古代中東風のスーツの上下姿だ。いつもの黒マントを羽織っている。
降り立った拍子に黒マントが大きくひるがえり、裾に施された銀糸の刺繍が流れ星が流れたような軌跡をとる。
「〔召喚〕だ。後はよろしく頼んだぞ、シチイガ」
「は。御意のままに、我が主」
騎士シチイガが馬上から急いで返答すると、すぐにサムカの姿がかき消されてしまった。ため息をつく騎士シチイガである。今回はサムカと一緒に巻き込まれて消える物はなさそうだ。地面も無事である。
「やれやれ……もう数秒間ほど余裕を持って〔召喚〕できれば良いのだが」
「ん?」
サムカが<ボン!>という音と共に〔召喚〕された……のだが、真っ暗である。しかも空気がない。それどころか……サムカが次の瞬間気づいた。
「土中か!」
確かに土中である。急いでウィザード魔法の幻導術を発動させて、現在位置と本来の〔召喚〕位置の座標を特定する。そして、ソーサラー魔術の〔テレポート〕魔術で空間転移した。
次の瞬間。サムカは無事に校長室の〔召喚〕場所へ姿を現した。〔防御障壁〕を展開していたのだが、それでもマントや靴に手袋などが土まみれになっている。
「あはは~、失敗しちゃったよ~。あははははははははははははははっは、はははのは」
全く反省の色が感じられない気楽な声が、見慣れたモコモコ毛玉から発せられた。言うまでもなく、〔召喚〕係のサラパン羊である。
サムカが無言のままで黒マントの中から剣を取り出して、そのまま鞘から抜いてサラパン羊の脳天に振り下ろした。
が、その切っ先は、サラパン羊のモコモコ毛皮に覆われた頭の上に不意に出現した、ハグ人形によってたやすく白刃取りされてしまった。
その次の瞬間。サムカが振り下ろした剣先が音速を突破していたために引き起こされた衝撃波が、校長室の中を荒れ狂った。爆音も発生して、校長室の窓ガラスが全て粉砕されて吹き飛んでいく。
しかし、室内の壁掛け時計や戸棚、校長の机などには何らの影響も及んでいない。居合わせていた校長と、古代遺跡発掘担当のアイル考古学部長も無傷だった。ただ、あまりのことに腰を抜かして、絨毯が敷かれた床にへたり込んでしまっているが。サラパン羊はそもそも何が起きたのかすら把握していないようで、ヘラヘラ笑っている。
そのサラパン羊のフワフワ頭の上にすっくと英雄立ちした15センチほどしかないハグ人形が、口をパクパク開け閉めしてサムカをからかった。白刃取りされているサムカの剣は、びくとも動かない。
「おいたはいけまちぇんね~サムカちん。ちょっと泥汚れしただけでちょ?」
「そこをどけハグ。心配するな。その羊の頭を叩き潰しても、後できちんと〔修復〕してやる」
サムカが鋭い眼光をハグ人形に向ける。ここで、ようやくサラパン羊の表情から笑いが消えてキョトンとした表情に変わった。まだ把握できていないようだ。
羊特有の上弦の月型の瞳がキラキラつぶらな光を放っているのが、さらに癪に障るサムカである。
校長とアイル部長は既にパニックの真っ最中で「アワアワ」言いながら、手足と尻尾を上下にパタパタ振って踊り始めている。顔のヒゲ群も文字通り四方八方に向けられていて、さらに角度をランダムに変えていた。
サムカの剣先をぬいぐるみの腕でしっかりと挟み込みながら、ハグ人形が口をパクパクさせる。
「ちょっと頭を冷やして来た方が良さそうだな、サムカちん」
次の瞬間。サムカの姿が校長室から消えた。
驚く狐2人と、再びケラケラ笑い出した羊。ハグ人形がその腕で挟んでいたサムカの剣を、絨毯の床に放り捨てて顔を向けた。剣は当然ながら魔力を帯びている魔剣で、闇魔法場の塊でもある。床があっという間にボロボロになって〔風化〕されていく。
「な~に、頭を冷やしてもらっているんだよ。すぐに落ちてくるから心配ないよ」
ハグ人形の気楽な物言いに校長とアイル部長が揃って首をかしげた。
「落ちてくる? どこへ強制〔テレポート〕したのですか? この近くでしたら森の中に大きな沼がありますが、そこですかね?」
校長の疑問にハグ人形が答えてくれた。サムカの剣による床の〔風化〕が進行中だったが、それも剣ごと〔消去〕してしまった。ボロボロになった床だけが残る。
「もっと冷える場所だよ」
ぬいぐるみの片腕を真っ直ぐ上に向けた。
「成層圏の上の方だ。そこならマイナス80度くらいあって、ひんやりしているからね」
唖然としている校長とアイル部長である。
サムカは絶賛自由落下中であった。眼下に広がるのは緑の大森林で、大気の青色を帯びて水蒸気で霞んでいる。
まだ成層圏を落下中なので周辺には雲はほとんどなく、眼下の大森林を包み込む白い雲が太陽光を反射してまぶしい。
落下の風圧で黒マントがちぎれそうになっており、古代中東風の上品なスーツも型崩れするのは避けられないだろう。短く切りそろえた錆色の髪が太陽の光を浴びてキラキラと反射している。当然、風圧で強制オールバックな髪型になっているが。
「おのれ、ハグめえええっ」
サムカが珍しく叫んでいる。ハグがサムカの魔力を完全に封じているので、〔防御障壁〕を展開して風を避けることもできず、〔飛行〕魔術で落下を止めることも何もできない。
重力に従って自由落下するのみである。ただ、ハグが風の精霊を呼び出しており、それによってサムカの落下軌道がぶれないように〔調整〕しているようだが。
そんなハグ人形が校長室の壁掛け時計を見た。
「そろそろ運動場に落下する頃合いだな。見に行こうぜ野郎ども」
サムカは為す術もなく落下して、運動場の真ん中に墜落した。
その墜落ポイントには、サラパン羊の頭の上に乗ってサンバを踊っているハグ人形と、校長、アイル部長がいて、彼の到着を出迎えてくれた。
運動場に激突する、その一瞬前。サムカが罵倒しながらハグ人形を睨みつけたのは、さすが誇りある貴族であると言えよう。次の瞬間。運動場にちょっとしたクレーターを作り、ただのミンチになってしまったが。
さすがにその程度のダメージでは大したことはないので、瞬時に〔復元〕を果たすサムカである。衣服やマントも〔修復〕したが、完全に元通りとまでは……いかなかったようだ。あちこちがほつれて穴があいている。
ハグ人形が口をパクパクさせながらサラパン羊の頭の上で座禅をし、空中〔浮遊〕してサムカを見下ろす。
「良かったな、ワシが温情篤いリッチーで。1時間ほど君の魔力を封印したままで放置すれば、君の体は崩壊して……この世から滅してオシマイ、にも出来たんだがね。感謝することだな」
まだ激痛が体中を走っているので、起き上がることも反論することもできないサムカである。
「ホレ、さっさとそこをどけ、サムカちん。クレーターを元に戻しておかないと生徒たちが迷惑するだろ」
【墓標】
寄宿舎の前庭はすっかり復旧されていた。新しい植栽が植えられて、花壇も設けられている。
その一角に南洋杉の木が植えられており、ちょっとした土盛りと、その上に森で拾ってきたらしい自然石の小さな墓標が乗っていた。同じく森で採集してきたのだろう、地味だが可憐な花が移植されて彩を添えている。
「生徒たちが作った、巨人ゾンビたちの共同墓です」
校長がサムカに説明する。サムカが墓標の前に腰を下して右手をかざした。
「うむ。確かにあのゾンビたちだな。完全に灰になってしまったのか。こうなっては、さすがに〔修復〕するのは無理だな」
そう言って、かざしていた手を胸元に引き寄せ、頭を下げて礼をするような仕草を見せた。
「この杉の一部となり、末永くこの学校を見守るがよい」
立ち上がったサムカが校長に顔を向けた。
「灰となったゾンビを、よく弔ってくれた。アンデッドとして礼を申すよ。なかなか、このような手厚い弔いというのはされないのでね」
校長が目を細めて、軽く尻尾を振った。ところどころ交じる白毛が日の光を反射してキラキラしている。
「いいえ。礼を述べるのでしたら生徒たちにお願いします。特にペルさん、ミンタさん、レブン君にジャディ君は、少なからずショックで落ち込んでいるでしょうから」
サムカが山吹色の瞳を少し曇らせてうなずいた。
「うむ。そうしよう」
サラパン羊と頭に乗っているハグ人形は、墓標周辺に植えられている森の花に群がっている蝶を追いかけて「キャッキャウフフ」的なことをしている。それを見ながら校長が何かを思い出したようだ。
「そうそう、テシュブ先生。あのカルト貴族と狼バンパイアの襲撃の反省から、学校の敷地中に対アンデッド用の『光と大地の精霊魔法の地雷』を多数埋設してあります。私たちには反応しませんが、闇の精霊場や死霊術場を一定値以上有している者が近づくと自動発動します」
校長が運動場や校舎の周囲に視線を巡らせながら、サムカに説明を始めた。サムカも素直に聞いている。
「貴族が発する闇魔法場そのものには、残念ながら反応できないのですが、この2つの魔法場測定で間接的に〔察知〕することができるようです。テシュブ先生の波動は『例外』として術式設定してありますので、ご心配なく」
校長の白毛交じりのフワフワ毛皮に覆われた頭の上に、いつの間にかハグ人形が乗っていて、サムカに告げた。
「カルト派の闇の精霊魔法と死霊術に、特に反応するように術式を入力してある。基本の術式が、派閥によって異なるからな。結構、面倒な作業だったぞ。むろん、術式は死者の世界の秘密事項であるから一切明かせないがな」
サムカが整った眉を少しひそめて、首をかしげる。
「ハグ……私もそうだが、貴族は通常『暗号化した術式』を使うぞ。闇魔法の〔察知〕が無理なのは分かるが、死霊術場と派生する闇の精霊場も、〔察知〕することは困難なものだ。それでも問題ないのかね?」
ハグ人形の動きがパタ……と止まった。
サムカが口元を少し緩めながら両目を閉じ、痛い顔になっていく。どうやらハグは、暗号化される前の術式だけを想定していたようだ。
「……まだまだ改良の余地がありそうだな。ハグ。それでも大雑把ででも〔察知〕できるようにはなっただろうから、進歩はしているはずだ。侵入場所と人数は分からなくとも、『侵入したという事実』を知らせてくれるだけでも充分役に立つだろう。前回はアンデッド兵と狼バンパイアしか確認しかできなかったのだろう?」
「ぐぬぬ……」と、腕組みしているハグ人形だ。その人形を頭に乗せた校長が、サムカにおずおずと尋ねた。
「あの、テシュブ先生。前回の襲撃なのですが……我が帝国の警察と軍が、かなり危機感を抱いているようなのです。テシュブ先生から教えを請いたいという話が来ています。追加で『召喚契約』を増やして頂けないでしょうか?」
サムカが更に眉の間にしわを寄せた。
「それは……現在よりも頻繁に私を〔召喚〕したい、ということかね?」
「は、はい。その通りです。もちろん、1回の〔召喚〕時間は1時間半と同じですが……」
校長の申し出に、サムカが首を振って拒否の意思を示した。
「無理だな。知っての通り、私は領主だ。〔召喚〕される時間と回数がこれ以上増えると、私の本来の仕事に大きな支障が出ることになる。私が一介の騎士であれば問題ないのだが、領民も領地もある身だからな。我が国王陛下への忠誠が損なわれることになっては、本末転倒だ」
一方で、〔召喚〕時間が1時間半に延長されていた。これについては歓迎するサムカであった。以前に、サムカがハグに注文していた事でもある。
ともあれ、サムカの返事を聞いて校長がうなだれた。尻尾も両耳も顔のヒゲも全部、力なく垂れてしまっている。
「そ、そうですよね。無礼な質問でした。お許しください」
その様子を見て、サムカも少し反省したようだ。サムカも領主という中間管理職なので、少しは校長の置かれた立場にも配慮できる。「コホン」と咳払いをして、話を続けた。
「うむ……だがしかし、『私の授業を聞きにくる』というのであれば、一向に差し支えはない。もちろん、私の契約は生徒たちへの教育だから、来るにしても『生徒の学業の妨げにならない』という条件付きではあるがね。そうだな……軍と警察からそれぞれ1名、私への質問は生徒たちが優先だ。それで良ければ構わないよ」
ハグ人形も校長の頭の上で、腕組みしたまま口をパクパクさせている。
「……ふむ。まあ、仕方がないか。サムカちんの『その条件』であれば、ワシも異存はないよ」
シーカ校長の顔が、うって変わって明るくなった。尻尾も元気に上下にパサパサ動いて、口元と鼻先のヒゲ群もピコピコ上下に動いている。
「そ、そうですか。良かった。良かったです。エルフのカカクトゥア先生と、ノームのラワット先生からも既に承諾を得ておりますので、軍と警察からそれぞれ3名を受け入れることができます。これで、生徒の卒業後の就職先の開拓も、より確かなものになりそうですよ」
「なるほど」と、うなずくサムカ。いくら学業の成績が良くても、就職がおぼつかない状況では片手落ちだろう。3年間を無職で過ごしたのと同然なのだから、卒業後に仕事探しする際には、この3年間は不利になる。新入生の入学数にも影響するだろう。
また、既に職に就いていて学校へ入学する者も、卒業するまでは原則的に寄宿舎住まいだ。当然、外出禁止なので、仕事が全くできない状況が3年間ほど続くことになる。その間は当然、仕事の技能向上は見込めない。同期の社員と比べると明らかに出世競争では不利である。
卒業して職場に復帰しても左遷されたり、配置換えを受けたりすることになるだろうし、場合によっては退社することになるかもしれない。その場合、転職先の候補が多ければ多いほど、生徒にかかる不安は軽減されるだろう。
もちろん、魔法文明を扱える『人材の育成』が帝国の目的であるので、相当に国からの支援と便宜は得られる上での悩みではあるのだが。それでも現状では、ビジネス環境で魔法を活用することは少ないのだろう。
校長がしみじみとした口調でサムカに補足した。
「まだまだ、魔法を使う職業は少ないですからね。魔法が使えない者の方が圧倒的に多いですから、少数者としての悲哀もあるのです。魔法を使えない人にとっては、魔法を理解することは難題難問ですから」
これもサムカのような貴族にとっては、言われないと分からない指摘であった。貴族やリッチーにとって魔法というものは、日常使う『ありふれたもの』なのである。あまりにも当たり前すぎるので、魔法に名前もつかない場合が多いほどだ。
今まで校長の横で黙って話を聞いていた考古学部のアイル部長が、ようやく口を開いた。
「ですが、魔法を必要とする職業や仕事は、今後どんどん増えてくるでしょう。特に軍や警察ではね。卒業生の就職先は、あまり心配することはないと思いますよ。校長」
アイル部長は今も野外の古代遺跡発掘を続けているようで、毛皮が日焼けしたままだ。その分、校長よりも精悍な印象ではあるのだが、言葉遣いは至って腰が低い。
アイル部長の指摘については、校長もある程度認めている様子だ。
「そうですね……前回の騒動のおかげで、法術のマルマー先生も再研修することになって1週間ほど休講することになりましたし。これまで起きた騒動の解決には、法術は全く役立っていませんでしたからね。今後はより強力な法術を生徒たちが学べるようになるでしょう。それに卒業後、法術関連の仕事に就ける可能性がこれで高まったと思いますよ。短期的には授業の質と量が激増するので、生徒の負担が増えてしまいますが」
校長の話に黙ってうなずいていたサムカが、アイル部長に藍白色の白い顔を向けた。なかなか話し出すきっかけがつかめなかったようで、少し嬉しそうだ。
「アイル部長。その後、古代遺跡で『巨人が封じられた地雷』は発掘されているのだろうか。死者の世界での死体不足が次第に深刻になってきていてね。困っているのだよ」
アイル部長が残念そうに首を振った。野外作業焼けの頭の毛皮がパサパサと揺れる。
「テシュブ先生、申し訳ありません。あれからまだ1つも出土していないのです。地雷であれば、地雷原という言葉もあるように、一度に大量に出土しても良さそうなものなのですが……ですが、それ以外でしたら、校長室に持ってきましたよ」
サムカが落胆したような声になった。藍白色の表情には、あまり変化が見られないのではあるが。
「そうか。その地雷は、土砂崩れか洪水などで他所から流れてきたのかもしれないな。私の周りでも、その地雷の話が広まってきていてね、注目されてきているのだよ。出土したら、すぐに私かハグに知らせて欲しい。後で時間があれば、校長室で出土品の危険鑑定をしてあげよう」
アイル部長が日焼けした顔をほころばせた。
「分かりました。実はあの地雷の話は帝国上層部にも伝わっておりますよ。『これは貿易での良い商品になるのではないか?』とかですね。まあ、遺跡の出土品なんてものは大した量なんか出ないものですし、大半が壊れてしまって使い物にならないのですが……」
温和な印象だったアイル部長の瞳が、野心のような光を帯び始めた。
「ですが、我々考古学部の予算増加の良い機会だと捉えています。今後、発掘予算の増額申請と人員確保が行いやすくなると思いますし。未発掘の古代遺跡もまだまだ数多く残っていますので、それらの発掘もできるかもしれません」
サムカが首をかしげた。
「そんなに多くの『古代遺跡』とやらが、眠っているのかね? 君たち獣人族の遺跡ではないのだろう?」
アイル部長が肯定する。
「はい。私たちの祖先が残した遺跡ではありませんね。サイズが我々のものではありません。恐らくは人間、ちょうどテシュブ先生ぐらいの体格の人々が残した遺跡でしょう。我々の文明が残している遺跡群はどれも規模が小さいですから、すぐに判別できます。それにかなり高度な魔法を使用している遺跡が多いですね。私たちが発掘できているのは、その魔法が使われていない場所だけです。ゴミ捨て場とか」
興味深く聞くサムカである。
「ふむ。その人間らしき者たちは、現在どこにもいないのかね?」
アイル部長がこれまた素直にうなずいた。
「はい。その通りです。完全に世界から姿を消しています。発掘状況から見て、少なくとも100万年前には姿を消していますね。何らかの原因で絶滅したか、他の世界へ引っ越したか、というのが我々考古学者の大方の見解です」
ハグ人形が校長の頭の上で正座しながら口を挟んできた。
「ワシの知る限りでは、この100万年間は大規模な移住なぞ起きておらんぞ。病気で絶滅というのも、にわかには信じがたいな。巨人族をアンデッドにして兵器として加工できるような高等魔法を駆使できる連中であれば、自身を不死にすることも難しくないはずだ」
アイル部長も同意する。
「そうですよね。不死とまではいかなくても、現在の魔法使いたちのように、寿命を1万年単位で延ばすこともできるでしょうね」
サムカも首をかしげたまま同意した。
「そうだな。現に、この世界の死霊術場は非常に弱い。大量の人々がアンデッドと化しておれば、もっと死霊術場が強くなっているはずだ。別の存在……例えば、イモータルに変化したのかも知れぬな」
ハグもサムカの意見に同調する。珍しくダンスも変なポーズもとっていない。
「その可能性はあるな」
校長とアイル部長が(いもーたる? って何)と、まさしく顔に書いていたので、ハグ人形が「コホン」と咳払いの仕草をして説明した。
「イモータルというのは、『不死ではあるが死んではいない』者たちの総称だよ」
そう切り出したハグ人形が、ちょっと考えた。言っても問題ないかどうか調査しているようだ。
その作業が終わり、何事もなかったかのような口調で話を続ける。
「例えば、この前出現して貴族を食べた『狐の巨大精霊』や、月からやってきた『光る狐』とか、そういう輩が『命』を得た存在だな。あ。『『化け狐』』と今後呼ぶことにするぞ。こやつらは自然現象とほぼ同一だから、意識はあるかもしれんが自我がない。餌を探して食べる機械のようなものだ。しかし、その上位存在になると、自我を持って我々とも会話ができるようになる。それらが『イモータル』だ」
校長とアイル部長が、なおも首をかしげながら顔を見交わした。尻尾も一緒に同調して床を掃いている。
「あの……ハグさま。精霊の上位存在となると『妖精』になるかと思うのですが。イモータルとは妖精の事でしょうか?」
校長の遠慮がちな質問に、気楽にうなずくハグ人形だ。
「おお、そうだったな。死者の世界には妖精などは居らぬから失念しておったわい。妖精はイモータルの一歩手前の存在だな。かなりの不死ではあるが、絶対の不死ではない。せいぜい、ほぼ無限の寿命を有する程度の不死だな。リッチーと同じだ」
リッチー本人がそう言っているので、そうなのだろう。
「イモータルというのは『絶対の不死』なんだよ。どうやっても死なぬ。素粒子に分解しても復活する。それどころか、真空に帰しても復活するほどだ。魔神でも殺す事は不可能だ」
「ええ~……」
かなりドン引きしている校長とアイル部長だ。ハグ人形も察したのか口調がかなり柔らかくなった。
「むろん、そのような相手ともなると、ワシでも制御できるかどうか怪しくなるがね。サムカちん程度では、恐らく対峙するだけで精一杯だろうよ」
聞いていたサムカがジト目になって、ハグ人形を見つめる。
「解説はその通りだが、どうも不愉快だな。ドラゴンであれば退治しているのだがね。アレもイモータルだ」
そう反論してから、サムカなりに状況を整理していく。
まず、イモータルというのは社会性を有していないモノばかりというのが常識だ。強烈な魔力を有するが故に集まるとそれだけで魔法場が濃くなって、ひどい魔法場汚染が起きるからだ。『化け狐』も、南極大陸や北極海の底、月面といった、不毛の地に棲んでいる。そうしないと、蓄積した魔法場がその場所の自然や気象を破壊してしまうからだ。
もし、月の『化け狐』がここに棲みつけば、圧倒的な光のせいで夜も影も消えうせる。その場所にいる全員が失明して、さらに精神異常を起こして死んでしまうだろう。強すぎる光は体組織を破壊し、体内時計を狂わせてしまうせいだ。森も過剰な光のせいで枯れてしまう。
月以外の『化け狐』の場合は死霊術場を帯びている。そのために、たちまち森が腐って死んでいく。森の獣を含めた全ての生物や獣人が死んで、ゴーストかゾンビになる。
加えて魔法場の相性で、光は熱を、死霊術は冷気を従える性質がある。そのために、酷暑か極寒になるのも避けられない。
そう言った点を整理しながら、サムカが疑問点を述べた。
「大量のイモータルがこの世界にいるとすれば当然、極端に魔法場に汚染された場所が数多く存在しないといけないのだが……そのような事態にはなっていない。確かに、興味深い謎だな」
「うらあああっ! これでも喰らえええ! アンデッド先生めっ」
いきなり罵声が飛んできて、ついでに攻撃魔法がサムカを襲った。レーザー光線式の〔退魔〕魔術だと、サムカが瞬間的に〔解析〕する。
〔レーザー光線〕はサムカの胴体ほどもある太さで、それが2本、十字砲火をする形でサムカに命中している。運動場なので土埃が舞っているのだろう、青い〔レーザー光線〕の光が塵に錯乱されてサムカの隣の校長やアイル部長にもよく見えた。
「何の真似かね? バワンメラ先生」
サムカが少々呆れた声色で、攻撃者を見た。
全くの無傷であることに、大いに落胆するソーサラー先生の姿が、運動場中央の上空10メートルに出現した。
大きな紺色の目を残念そうに曇らせ、銀灰色の長髪と、頬から顎を覆う立派な盗賊ヒゲを風になびかせている。190センチの立派な体躯で背伸びして、日焼けした飴色の長い手足をバタバタさせた。なぜか、服装がいつもにも増してボロボロである。
彼から30メートルほど離れた空中には『光の玉』が浮かんでいる。ソーサラー魔術の攻撃支援魔術の1つ〔オプション玉〕だ。術者と全く同じ魔術を使える〔分身〕である。これを使って先ほどの十字砲火を行ったのだろう。
「くそお、まだ効かねえか。貴族相手じゃ使えねえぞ、まったく。うちの協会の『対策チーム』も杜撰だな、オイ」
ひとしきりソーサラー魔術協会への文句を言い放ってから、にこやかな笑みをサムカに向けた。いきなり爽やかな表情になっている。しかし、顔を覆う盗賊ヒゲと、ヒッピースタイルのゴテゴテした服装のせいで、怪しさが増しただけに終わったが。
「テシュブ先生よ、悪かったな。新たに実装された攻撃魔法を試し撃ちしたんだよ。気にしないでくれ」




