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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
罰ゲームのはじまり
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1話

【死者の世界】

 夏の雨が終わり、乾いた北風がゆるゆると吹き始めた。

 太陽が天空にさんさんと輝く昼下がり。亜熱帯ではあるが、ここ標高2000メートルのティンネア高原では年間を通じて最高気温が30度以上になることはない。豊かな草原と、乾燥に強く葉が小ぶりで固く締まっている硬葉樹林が、地平線まで続いている。

 葉は強い日光から樹木を守るために表面ワックスが厚い。そのため日差しを反射しており、森自体が眩しくも見える。

 高原の西と東にはモミやツガなどの針葉樹で覆われた山脈が延びている。その壁は向こう側の海から吹き上がってくる雲をまとって、幽玄な姿を見せている。しかし、年間を通じて東西の山脈は分厚い雲で覆われている。そのために山脈の全貌はよく見えない。


 この東西の山脈ではかなりの降雨量がある。なので、高原の水源として地元民に知られている。ティンネア高原には大小数多くの川の源流は、この東西の山脈だ。それら全ての川は、高原に流れ出てから南に向きを向けている。

 雨は東西の山脈でほとんど全て降ってしまい、高原で降ることはあまりない。薄い雲や綿雲といった雨雲ではない雲が、高原上空を季節風に吹かれて流されていくばかりだ。乾燥した気候になるため、ここの森林はそれに適応した種類のものになっているのである。

 その一方で、河川や地下水は豊富なので、この高原には多くの動植物が棲みついており、小麦やジャガイモといった作物を中心とした穀倉地帯としても栄えている。


 しかしながら、この高原の主は『死者』であった。そしてその死者は、高原のみならず世界の主でもあった。生命ある者から見れば、『アンデッド』と分類される者である。

 ここ死者の世界は、『イプシロン』である死者の世界の主『ミトラ・マズドマイニュ』によって創造され管理されている。


『イプシロン』とは、世界の創造や破壊が行えるほどの強力な魔法を行使できる者の総称である。が、彼らの魔力が強大すぎるために、その姿を見せることは滅多にない。姿を現すだけで、彼らの持つ魔力により世界が破壊改変されてしまうことが多々起きてしまうからである。

 ちなみにミトラ何某も当然ながら本名ではなく、コードネームに類するものだ。名前にも魔力が宿る世界では、よくある事である。

 この世界では、闇魔法場の影響が非常に強い。他の世界の種族が数時間も滞在すると、体や精神の変調を覚えるほどである。


 そんな世界ではあるが、一見して豊かな自然がどこまでも広がっているのを見ると、ここが死者の世界とは思えない。森の木々の枝にはリスや猿が枝を揺らして忙しく動き回り、様々な鳥たちが羽を休めたり、葉や木の洞についている虫をついばんだりしている。

 上空には大きく羽を広げた猛禽がゆっくりと旋回しており、森の茂みの中にはイノシシや鹿に野生の馬などが群れをなして移動しているのが見える。蝶や蜂なども花の蜜や樹液を吸いに多く飛んでいる。これらの動物は死んでいるわけではなく、ちゃんと生きている。


 ただ、小鳥を中心に派手な色合いをした動物は見られない。特に赤系統の色をした動物は皆無なようである。花や果実でも、そのような色の偏重が伺える。おかげで、亜熱帯の森なのだが色合いがかなり渋めだ。


 他に、一般的な森と異なるものがある。森の茂みの中を時折、油膜でできた風船のようなフワフワしたものが、森の中の緩やかな空気の流れに乗って浮遊して彷徨っているのだ。これは『残留思念』と呼ばれるもので、生きている生物から絶えず漏れ出ている思念である。


 この風船状の残留思念は、動く死体であるゾンビなどを作り出す『死霊術』には欠かせないものでもある。風船の内部は静電気が走るようで、青くぼんやりと光っている。森の中なので、恐らくは虫やネズミなどの小動物の残留思念の集合体だろう。

 不気味な姿なのだが、浮遊する速度がかなり遅い。そのおかげで、森の動物や虫たちは慣れた仕草でその風船を避けている。風船にぶつかったり飲み込まれたりされても、静電気でビリビリする以外は、特に何も影響は出ていないようだ。



 その硬葉樹林の森の中。サラサラと流れる清流の流れの上に、地味だが筋骨たくましい馬に乗った『貴族』が2騎、水面上に浮かんでたたずんでいた。馬のひずめが川の中へ沈んでいないところを見ても、〔浮遊〕しているのは明らかである。

 それらの馬に騎乗している貴族が2人とも揃って弓を携えているところから察するに、狩の途中なのだろう。木漏れ日の中で、美しく乱反射する足元の川面の煌めきを受けて何事か話している。


 岸には従者の姿が何名か確認できる。それぞれ、主人の持ち物をいくつか担いでいる。その中には槍だろうか、長さ3メートルにも達するほどの長い武器も見受けられる。

 まるで絵画か、中世を舞台にしたどこかの映画の一場面のようだ。しかし、いわゆる中世西欧時代のような姿ではない。強いて言えば、古代中東風とでもいえるだろうか。それもイスラムや拝火教の影響を受ける前の多神教時代の。


「このあたりだな。気配がする」

 貴族の1人がつぶやいた。古代中東風の品が良く渋めのスーツ姿で、裾に銀星のような刺繍が施された大きな黒マントを肩からかけている。見た目は20代前半だろうか。身長は180センチほどである。

 短く切りそろえた鈍く輝く錆色の髪が、川面を吹くそよ風に優雅に揺れる。顔は磁器のようにきめ細やかな藍白色の白い肌で、水面からの乱反射を受けて輝いている。


 スーツ姿がよく似合うスラリとした馬上の美青年は、川の上に空いた森の切れ間からキラキラと降り注ぐ太陽の光を正面から受けている。彼の瞳は山吹色の色合いだ。その黄色系統の瞳だけでも、彼が人間とは違う異質な存在であることが分かる。


 スーツ姿と書いたが、よく見るまでもなく生地も仕立て方も別物である。一見するとスーツ姿に似ている……という印象の、上下のキッチリした服装だ。乗馬にも充分に耐えられるようで縫い目も太く、肘から先と膝から下の生地は二重構造になっている。

 足ごしらえもブーツに似て厳重であるが、乗馬に適した素材のようだ。フェルトのような柔らかいものを、何重にも重ねたものになっている。


 上体に視線を戻すと、マントの色と丈夫な生地に合わせたかのような黒い丈夫そうな手袋が目を引く。しかし、頭には帽子などを一切被っておらず、がっちりした衣装とのコントラストが大きい。

 携えている弓は馬上弓のようだが、弦も弓も異様なほどに太い。まるで城塞の石垣を破壊する攻城兵器のようだ。


挿絵(By みてみん)


 そのつぶやきを聞いて、隣の貴族が話しかけた。ガラスの風鈴が鳴ったような涼やかな音が、その貴族のマントの中から小さく響く。

 彼のマントも黒を基調としたものだが、刺繍や模様は青を基調としている。こういっては何だが……こちらの方がやや派手でセンスもある。

「斥候の報告でも、このあたりだったな。どうだい、サムカ卿。賭けから降りるなら今のうちだぞ」


 話しかけた彼も同じくらいの年のようだ。蜜柑色の瞳で、サムカよりも背が高く190センチほどか。鉄錆色で肩上までの癖のある短髪を、川のそよ風に任せている。

 同じように古代中東風の、サムカよりもやや派手めの長袖シャツとズボンに、黒マントを羽織った姿だ。

 その腕や首にはキラキラと輝く宝石が見え、彼の所作に合わせて打ち合って、鈴やガラス風鈴が鳴る様な小さいがきれいな音を立てている。

「サムカ卿は、弓は苦手だっただろう?」


 サムカと呼ばれた山吹色の瞳の貴族は、騎上から隣の蜜柑色の瞳の貴族を横目で見て、不敵に微笑んでいる。

「まあ、見ていろ。ステワ。賭けは私の勝ちだよ」

 その時、清流の岸向こうの潅木の茂みが、かすかに動いた。その瞬間。敵意を強烈に含んだ殺気が2人の貴族を捉えてくる。

 岸の上に控えていた従者がざわめく。

「領主様っ」

 よく見ると、従者全員には血色が全く見られない。そして、それはサムカたち貴族も同様であった。


 サムカが穏やかな声で答える。

「分かっておるよ」

 そして優雅な動作で矢をつがえて、攻城兵器のような強弓を構えた。実用重視なのか、弓と矢には装飾が全く施されていない。

 その弓が大きく変形し、弦が引き絞られて《キリキリ、キリ》と心地よい音がする。弓と張られている弦も、尋常ではない太さだ。それにサムカは軽々と矢をつがえて、片手の指の力だけで引いている。

 周りでニヤニヤ笑っている蜜柑色の瞳の貴族も何も言わないので、ごく当たり前の弓という認識なのだろう。



 川岸の茂みの中から、全長3メートルほどの目のない巨大なワニが大きな皮翼を《ドオオオン》と羽ばたかせて、サムカに飛びかかってきた。ワニのくせに翼がある。

 羽ばたいた際の風圧で、ワニの周辺の潅木の枝葉や落ち葉が大量に空中に巻き上がった。20メートル程あった彼我の距離が一瞬でなくなる。

<バン!>

 コントラバスのような重低音を立てて、弓から一筋の矢が放たれた。サムカの表情は何ら変わっていない。ただ、木漏れ日に鈍く輝く錆色の前髪が数本、矢が放たれた衝撃でフワリと動いただけだ。


 次の瞬間、絶叫を上げた大ワニが上空へ吹き飛ばされた。同時に矢が引き起こした衝撃波が、爆音と化して森の中に響き渡る。音速を軽く超えていたようだ。

 その割には矢を放ったサムカの前髪には、ほとんど影響を及ぼしていないのが不思議ではあるが。黒マントも裾がふわりと動いただけだった。それは隣の貴族にも言えた。

 岸向こうの従者たちは衝撃波に対応した耐衝撃姿勢をとっているので、彼ら貴族特有の何かをしたのだろう。


 衝撃波をまともに受けた大ワニは、皮膚などの体表組織を破壊されながら吹き飛ばされていった。巻き添えを食らった森の茂みの葉や木々の枝も、大ワニと一緒に吹き飛ばされていく。矢は大ワニの眉間に、深々と突き刺さっていた。



 それを見て、初めてサムカの顔が曇った。山吹色の瞳も辛子色に変わる。

 横で見ていたステワが、蜜柑色の瞳をキラリと輝かせてポンカン色に変える。そして、とってつけたように、ため息混じりにサムカに告げた。

「ほら見ろサムカ。浅かったじゃないか。あと、もう一押しというところだったかな」

 蜜柑色の瞳の貴族は、内心かなり嬉しい様子だ。華麗な装飾品や宝石が、カチャカチャと黒マントの内側でささやくように鳴っている。白い鉛白色の陶器のような顔の口元も、かすかにほころんでいるようだ。


 サムカも悔しがり、辛子色の瞳の色合いがさらに濃くなった。黒マントの中で鈍い金属音がするが、これは剣の柄がベルトに当たっているのだろう。

「……うむ。思ったよりも、奴の飛び込みが鈍かった。我ら貴族が2人もいたから、怖気づいたのだろうな。こういった種類の魔族は、面倒で困る」


「領主様っ」

 再び、血の気の全くない従者が叫んだ。今は耐衝撃姿勢から立ち直って、上空のワニを指差している。

「ああ、分かっておるよ」

 サムカが応え、一言呼んだ。気持ちを切り替えたのか、山吹色の瞳が鋭い光を帯びている。

「我が槍よ、来い」


 瞬間。3メートルはある笹の葉刃型の大槍が、生きているように従者の手から飛び出て、主人のサムカの手の中に飛び込んで収まった。当然ながら風が巻き上がって、今回はサムカの黒マントを大きく揺らす。

 同時にサムカが馬のあぶみを踏み直し、弓を撃つ姿勢から槍を振り回す姿勢になった。瞳の鋭さも、さらに厳しいものに変わっていく。


 弓はマントの中に収められたのだが、瞬時に弓の形が失われてしまった。黒マントの上からでは弓があることすら分からない。消えてしまったかのようだ。

 彼の馬も、主であるサムカの意図を瞬時に察して四肢を軽く曲げて重心を落とした。それでも川面の水面の上で浮かんでいるが。


 空中の大ワニが手負いの狂気を顕わにして、上空から森の木々の枝を突き破りサムカに飛びかかってきた。


 木漏れ日が煌めく川面の上で、サムカがグルンと槍を振ってしごく。

 次の瞬間。大ワニの眉間に突き刺さっている矢の矢尻に、3メートルの大槍の切っ先を突き込んだ。


 日差しを受けて鈍く輝く短く切りそろえた錆色の髪が、その槍の動きに同調して鋭い速さで空を切る。銀色の星の刺繍を入れた黒マントが優雅に舞い上がった。

 そのマントの中には、先ほど収められたばかりの弓と矢は、影も形も見えない。本当に消えてしまったようだ。


 一方の大ワニも歴戦の主だった。大口を無様に開けてサムカに咬みつくような平凡な攻撃はせず、口を閉じて自重をそのままサムカにぶつけて叩き潰す作戦だったようだ。しかし、残念ながらサムカには通用しなかった。

 大ワニの鱗も戦士の甲冑のそれほどではないにしろ、相当に硬い。斬りつける側の剣の向きが、斬りつける対象に対して少しでも歪んでいれば、剣の方が折れたり曲がったりすることが多いのである。これを『刃筋が狂う』と呼ぶ。

 ましてや、剣よりも精妙で扱いが難しい槍を相手にすれば、大ワニに慢心が生じていても仕方がなかっただろう。

 矢が命中した際の衝撃波によって皮膚の柔組織はかなり傷んでいたのだが、鱗自体は無事だったのも大ワニの誤算であった。


 矢は瞬時に槍の穂先に砕かれ、大ワニの頭蓋の中で爆発して粉と化した。そのまま槍先が大ワニの頭に突き刺さり、わずかに遅れてやってきた衝撃波と合わさって、頭蓋をガラスのように砕く。

 大ワニの頭蓋からコーン型の円錐状に広がった衝撃波とともに、肉片や血吹雪が飛び出していく。しかしそれら全ては、サムカが常時展開している〔防御障壁〕によって跳ね返された。美しい顔やスーツはもちろん、たくましい愛馬にも何の汚れも届いていない。


 大ワニの頭蓋だけが衝撃波で粉砕されているので、サムカが放った槍先が音速を突破したのは大ワニに命中した後だったのだろう。おかげで今回は、向かい岸の従者たちは耐衝撃姿勢を再びとっていない。


 その次の瞬間には巨大な水柱を上げて、頭を失った大ワニが清流の中に落下していた。体長3メートル級の大ワニの上空からの突撃だったので、相当の慣性ベクトルがあったはずなのだが……それすらも無かったことにされている。

 通常なら、いくら大ワニが破砕されても運動量はほとんど減らない。多少ベクトルは変動するだろうが、大ワニはそのまま標的のサムカに衝突する……はずだ。

 しかし現実には単に、重力に従って川に垂直に落下した結果にされている。


 このような芸当は、例え魔法使いたちの住む魔法世界の軍であっても、行える者は極少数に留まるだろう。貴族が日常的に使用する『闇魔法』の特徴で、任意のエネルギーと物質が〔消去〕されるのでこうなる。


 森の中のそよ風になびく錆色の髪や、ひるがえった渋い刺繍が施された黒マントも、何事も起きなかったかのように元の位置に戻っている。サムカが騎乗している馬も落ち着き払っていて、微動だにせずに川面に浮いていた。ただ、四肢は戦闘体勢ではなくなり、今は重心も元に戻っているが。


 みるみる清流が血の色に染まっていくのを騎上から見下ろしながら、サムカが軽くため息をついた。山吹色の瞳をいったん閉じて、肩を少しだけすくめる。そして、再び目を開けてステワに視線を向ける。

「……それで、罰ゲームとやらは何だね?」



「これだよ」

「カチカチ」と宝石や装飾品を打ち鳴らしながら、ステワが蜜柑色の瞳を輝かせた。サムカにウインクして、黒マントの中から短剣を取り出す。それを鞘から抜いて見せた。

 その所作に同調するように、鉄錆色で癖のある髪も毛先が肩のあたりで跳ねて揺れている。


 サムカの表情が徐々に険しくなっていく。

「……魔法世界で大量生産された機械打ちのナイフだな。ただ、帯びている闇魔法場は、尋常ではないようだが」

 魔法世界とは、サムカたちが住んでいる死者の世界とは別の異世界の事だ。


 ステワが慎重にナイフを持ちながら、サムカにニヤリと微笑む。

「サムカ卿も聞いたことがあるかな? 『召喚ナイフ』だよ。これの契約召喚魔として1年間働いてもらおうかな」

 嫌な予感が頭の中で膨らんでいくのを感じるサムカである。


 ステワが黒い上品なマントをひるがえし、彼が連れてきた従者に大ワニの死体を引き上げるように指示する。彼の黒マントに施された刺繍が、木漏れ日に当たってキラキラと反射して輝いた。

 大ワニは既に断末魔の痙攣も失せて、ただの肉塊と成り果てていた。早くも川魚が群がって、つついている。


 その大ワニの死体から、大きな残留思念が湯気のように吹き出てきた。

 たちまち、黒い雷雲のように変化して凶悪な形相になり、背後の深い森の中へ漂っていく。見るからに怨念の塊に見えるのだが、サムカや周辺の動物は気にしていない様子である。


 ステワも完全に無視して、蜜柑色の瞳を輝かせたままで話を続けていく。

「どうも売れ行きが良くないそうでね。これを購入した人から苦情が頻繁に届くそうなんだよ。これで召喚契約をしているのが、低級な魔族だったり、野良バンパイアだそうでね。役に立たないそうなんだ。外の世界では、彼らは日中ずっと寝ているだろ? ああ、それでいい。肉と皮は好きに使え」

 ステワの蜜柑色の瞳が無邪気に輝く。癖のある鉄錆色の短髪の毛先が肩先で再び跳ねた。馬のあぶみを踏み直してサムカの方へ身を乗り出す。

「このままでは、商売上がったりだと聞いてね。我らが手助けをしようという話になったという次第だよ」


「いきなり『我ら』かね。なるほど」

 サムカが山吹色の瞳を辛子色に変えながら、呆れた顔で首を振った。彼の愛馬も「ブルル」とため息をついて首を振る。

「つまり、私に欠陥商品の販促係をしろと。そういう訳だな?」


「な。罰ゲームには良いだろ?」

 ステワが自慢げに馬の上で胸を反らして笑う。蜜柑色の瞳がキラキラと輝きまくる。髪先も木漏れ日の中で躍っているので、なかなかに煩わしい。

 それに加えて、彼の馬も上品に前歯を見せながら笑っている。筋骨たくましい馬なので、これも主従そろって煩わしい。主従共に死んでいるのだが、まるで生きているような表情と仕草をしている。血色は全くないが。


 おかげで、すっかり辛子色のジト目になっているサムカ。

 馬を寄せて近寄ったステワが笑いをこらえながら、サムカの肩を「ポンポン」と叩いた。身につけている宝石や装飾品が打ち鳴らされて、「チリンチリン」と存外にうるさい。

「なに、たった1年間だ。すぐに終わるさ」


 そんな笑い成分を帯びた口調の説得を無視して、サムカが槍を岸辺に立つ従者に持たせる。従者は専用のグローブを装着していて、慎重にサムカの大槍を受け取った。

 次いでサムカが川面から岸に向かって馬を進めながらステワに聞く。

「それでステワ卿には、どのくらいの仲介手数料が入るのだね?」


 ステワが馬上で笑いを堪えきれずに、小さく吹き出した。

「いやー、小遣い程度にもならないよ。このナイフの販促依頼者は、貧乏なリッチーでねぇ。協会の理事のくせにケチな事、ケチな事」

 大袈裟な身振りを交えて答えるステワが愛馬を操り、サムカの後を追って岸に上がった。騎乗している馬自体が水面上に浮いていたので、ヒズメの先まで全く濡れていない。彼が身につけている宝石や装飾品が、木漏れ日に反射してキラキラと輝いた。



「……貧乏で悪かったな。君が契約者かね?」

 どこからか声だけがする。突然太陽が陰り冷気が立ち込めたかと思うと、老人が空間転移して出現した。


 どこにでもある安物の地味な中古ローブをまとっていて、つば広の大きな帽子を被った姿だ。帽子も古着屋で見つけたのかもしれない。背丈はサムカ達よりもかなり低く140センチほどか。

 足元の雑草があっという間に枯れて、塵になっていく。足は地面には触れておらず、先ほどのサムカ騎乗の馬のように、空中にわずかに浮いているのだが。帽子の陰になっているので今一つよく見えないが、彼もまた黄色系統の瞳を持っているようだ。


 その姿を一目見て、ステワがサムカに彼を紹介した。彼の瞳の色も穏やかな蜜柑色に戻っている。癖のある鉄錆色の髪が上品な黒マントと同調してなびき、風鈴のような涼やかな音がひそやかに鳴った。

「召喚ナイフの召喚親元をしているリッチーだよ」


 ステワから紹介されたリッチーが、帽子を取らずに軽い会釈をサムカにした。

「魔法を極めても、商売は別だな。聞いての通りだ。助けてはくれまいか、サムカ卿」

 リッチーが空中に浮かびながら歩み寄る。かなり高位のリッチーなのだろう。アンデッドなのにミイラ顔ではなく、どうみても普通の初老の人間にしか見えない。


 しかし、服装がかなり適当である。帽子、ローブ、シャツにズボンは『とりあえず着てみた』というだけで、カケラもセンスというものが感じられない。それは履いている革靴にもいえる。左右別物で、しかも形が崩れてヨレヨレである。当然、靴墨も剥げていて見るも無残な状態なのだが、リッチーは無頓着のようだ。帽子のつばも糸がほつれて毛羽立っている。


 帽子の下の顔も、不摂生を60年ほど続けたらこうなる……というような締まりのない肌であるが、さすがに無精ヒゲは生やしていない。顔に刻まれているシワもそれほど目立たないのだが、何となく異質感がある。まるで、人形にシワを刻んだようにも感じられる。


 だが、サムカとステワの貴族らも『その事』には触れないでいた。リッチーには、そういう者が多いのかもしれない。


「嫌も応もない。罰ゲームだからな。何にせよ、約束は果たすのが私の信条だ」

 サムカがリッチーを馬上から見下ろして、機械的に話す。血の気の全くない磁器のような藍白色の白い顔が、木漏れ日の中でさらに無機質に見える。相当、罰ゲームが嫌なようだ。瞳の色も辛子色である。


 しかしリッチーは読心術もしているはずなのだが、それを聞いて小躍りしそうな程に喜んでいる。

「そうかね。そうかね」

 そして、ステワが持っていた召喚ナイフをいつの間にか自身の手に持ち、その鞘を抜いてサムカに差し出した。ステワが自分の両手を見て驚いている。


 そんな彼の様子を無視して、リッチーがサムカに話しかけた。

「オマエさんが加わってくれると、強い宣伝効果が期待できるだろう。よろしく。ワシはハーグウェーディユ。リッチー協会の理事もしている。それでは、早速登録するとしようか。一応、安全のために馬から降りてくれ。この刀身に君の魔力の雫を一滴垂らしてくれれば、それで契約が結ばれる」


「やれやれ……」

 サムカが言われたとおり、馬から降りて地面に立つ。

 ガサガサと落ち葉や腐葉土を踏みしめる音がした。リッチーと違い、浮遊はしていないようだ。身長はリッチーよりもかなり高く、やはり180センチくらいか。降りた拍子でひるがえった黒マントが、重い布ずれ音を立てた。 

 同時にくぐもった金属音もかすかにする。ステワと比較すると、かなり地味な音だ。そして、黒い狩猟用の手袋を外して、白くて意外とゴツゴツしている手を見せた。やはり血の気が全くない。


 その中指の先を、リッチーが持っているナイフの刃の上に重ねる。刃には触れていないのだが、爪先から『闇が液体化』したような物体が1滴現れて、刃に垂れ落ちた。

 すると、ナイフが一瞬闇の中に沈んだように見えなくなり視認できなくなった。しかし次の瞬間には何事もなかったように、その形を再び現している。


「この契約は1年間だけ有効だ。今が秋の初めだから、来年の夏の終わりまでだな。ああ、そうそう。卿に制限事項を説明するとしよう。同意してくれたら、契約が確定する」

 リッチーがナイフを懐にしまいながらサムカに話しかけ、同時に〔高速念話〕で大量の情報をサムカに転送する。

「……まあ、このようなところだ。召喚先では血を吸ったり、むやみに危害を加えるような行為は禁止するぞ。評判が悪くなると、このナイフの売れ行きも悪くなるのでな」


 サムカの表情に険しさがのぞく。

 隣の馬上でニヤニヤしながら見下ろしていたステワも、この発言には気分を害されたようだ。少しムッとした表情になった。蜜柑色の瞳がやや鋭く光る。

 サムカが少し面倒臭そうな口ぶりでリッチーに指摘した。彼の方は穏やかな山吹色の瞳のままだ。身長差が40センチもあるので、大人が子供に諭すようにも見える。半歩踏み出してリッチーに寄ったので、再び枯草を踏む音がした。

「低俗な野良バンパイアどもと違い、貴族は血を吸わぬよ。触れるだけだが。我が配下の者たちも同様だ。リッチーもそのような迷信を信じているのかね?」


 リッチーがニヤリと微笑んだ。適当すぎる服装のせいか、意外と迫力がある。ここでようやく帽子をとった。

 サムカと対面しているので、邪魔になったのだろう。

 現れたのは、見事にトラ刈りになっている銀色の頭髪であった。適当に自分で切っているのだろう。おかげで、リッチーの威厳が半分以上吹き飛んでしまっているが。

 それでも、木蓮の花のような淡い黄色の瞳の奥が、鈍い光を帯びた。

「一応、注意したまでだ。君たち貴族の中には、そのような低俗な行いを為す連中もおるのでな」


 サムカがため息をついた。トラ刈り頭については言及しないようだ。狩猟用の黒い手袋を再び装着する。

「異端の『カルト派』の連中のことかね? まあいい、分かったよ。それで、ハーグウェーディユ翁、私は誰に召喚されることになるのかな?」

 とたんにリッチーの表情がなくなった。いきなり人形みたいな雰囲気になる。そこそこ迫力があった瞳も、ただの薄黄色のボタンのような印象になった。

「あ、ああ。羊だよ」

「は?」

 どこかで「メエメエメエ」と声がした。

「ん?」


 次の瞬間。聞き耳を立てたサムカの姿が忽然と消えてなくなった。ついでにサムカの周囲1メートル以内にあった空間も一緒に、土壌ごと消えてしまった。まるで何かに切り取られたかのようだ。


 リッチーが懐から召喚ナイフを取り出して確認する。

「おや、早速呼び出しだな。私のことは『ハグ』とでも呼んでくれて構わないよ。サムカ卿」


 後ろではステワが必死で笑いを堪えていて、その身震いで装飾品が「カチカチャ」と音を鳴らしている。瞳の色もハッサク色になったりザボン色になったりと忙しい。

「ひ、羊か。ハグさん。よりによって羊かね! 栄光ある貴族が、羊の召喚魔っ。羊のっ。これはパーティで話題独占だなっ」

 生命ある体であれば、おそらく呼吸困難に陥っていただろう。

 馬はサムカが突然消えたので驚いてバタバタと足を踏み鳴らして、いなないている。特にサムカの愛馬は混乱しているようだ。


 ハグも照れているのか、ぎこちなく微笑んで一応の弁解をした。トラ刈りの銀髪頭を申し訳なさそうに手で撫でる。ただ、瞳が黄色いボタンの印象のままだが。

「人気がなくてね。すまないとは思っているのだよ、これでも。他の召喚希望者は更にロクでもない連中ばかりだったから、サムカ卿には期待しておる。さて、しっかり働いてほしいものだが」




【召喚先の世界】

<ボン!>と小気味いい音がして、空気中の水分が凝結して煙のような水蒸気の雲ができた。

「おお、成功した」

「おお」

 と、声がする。どこかの事務所のようだ。人々が驚きざわめく気配がする。


 水蒸気の煙が消えて視界が回復し、サムカが周辺を一瞥した。

「やはり、羊か……」

 さすがに、落胆の気色は隠せないようである。


 サムカの周囲の半径1メートル円内も一緒に転送されたので、足元には土砂や落ち葉だらけだ。サムカが辛子色の瞳のまま、すぐに右手を振って床ごと〔消去〕する。それでも、いくばくかの落ち葉や腐葉土は残ってしまったが。

 その作業中に、視線のようなものを感じる。

(ん? 地下に魔法具が多く保管されているな。ほとんどは、ソーサラー魔術の道具のようだが。観測用の魔法具でもあるのかね)


 そんなサムカの様子には全く気づいていない様子で、1人の狐型の獣人が大喜びしている。上品なスーツを身につけた、二本足で直立する初老の狐だ。

 召喚ナイフを天井高く掲げた上機嫌の羊を、抱きつかんばかりに褒めている。大きな白毛交じりの尻尾が彼のスーツから生えていて、床を盛大に掃いているのが目立つ。


 狐の獣人に抱きつかれている羊も獣人のようだ。スーツ姿で直立しているが、大きな毛玉に無理やりにスーツを着せたようでフワフワな毛皮がスーツからハミ出ている。

 両者とも身長が1メートルちょっとしかなく、野山を駆け回っている狐や羊を強引にそのまま直立させて服を着せたようにしか見えない。それは、周辺で事務仕事をしている獣人達も同様であった。


 ちなみに羊や狐達が身にまとっているスーツは、サムカ達死者の世界の住人の古代中東風のスーツよりも、はるかに英国スーツらしい仕立て具合である。だがもちろん人間とは体の構造が異なっているので、人間用の仕立て方とは違うのは言うまでもない。


 また、5本指の白い手袋を全員が装着している。足ごしらえは簡素で、靴などは履いておらず裸足だ。そして足の形は完全に獣のそれであった。人の足の形ではない。壁際には、傘とつば広の帽子がここにいる職員の人数分かかっているのが見える。


「さすがですね、サラパン主事。見事に召喚できました。これは記念すべき快挙です」

 初老の狐にサラパンと呼ばれた羊は、もう自信最高潮、絶好調とばかりに天井を見上げて大笑いしている。

「うははは。私にはソーサラー魔術の適性がありますからなっ。ざっと、こんなものですよー」

 手足が短いので、そのまま「ポン」と跳ねていきそうだ。

「ああ、これでようやく教育指導要綱に沿った教育ができますよ。感謝感謝です、サラパン主事」

 初老の狐はそう言って、心底ほっとした様子で胸をなで下ろした。


 彼の横には、他に現場監督のような高級作業着をつけている中年の狐がいて、彼も狐目を大きく喜ばせてうなずいている。彼は野外にいる時間が長いのだろうか、毛並みが他の2人と比べると荒い。

「はい、そうですね。これで遺跡の発掘物の解明にも役立つことでしょう。楽しみです」



「狐もいるのか、ん? トカゲもいるな」

 サムカが気を取り直して普段の山吹色の瞳に戻り、事務所の様子を確認しながらウィザード語でつぶやいた。

 動物ばかりだ。しかも、この動物達は2本足で直立しており事務処理を前足を使って、てきぱきとこなしている。皆、身長は1メートル程度しかない。

 しかし、天井が亜熱帯仕様のために高いので、サムカのような180センチにもなる背丈でも背を低くする必要は感じない。

 獣人たちの言葉は狐語らしき現地語にウィザード語が混じっているが、意味は半分以上理解することができる。もちろん、サムカとリッチーが先ほどまで話していた言語とは別物だ。


「あ、ああ。これは失礼しました。ようこそ、タカパ帝国へ。私は魔法高等学校の校長をしております、スナマン・シーカと申します」

 初老の狐が、ようやくサムカに向き合った。


 サムカが部屋の床の中央を魔法で〔消去〕してしまったので、床の基礎や石組が露出している。それを軽々と飛び越し、サムカの目の前にやってきた。そのまま手を差し出し、いたって丁寧に礼儀正しく挨拶をしてくる。しかし、白い手袋はつけたままであるが。彼の言葉も、完全に流暢なウィザード語に変わった。


 サムカも黒い手袋をしたままで握手を返す。触った瞬間に、これは魔法具であると理解した。狐や羊の手のままでは事務仕事に支障が出るので、その補助のためだろう。(なるほど……)とうなずいてから、自己紹介する。

「ああ、私はウーティ王国で領主をしているサムカ・テシュブだ。ここは、何という世界だね?」


 サムカの質問を聞いた狐の校長が、それを聞いて慌てて説明し始めた。狐特有の白毛交じりの大きな尻尾がワサワサと揺れて、校長の心理状態を雄弁に物語っている。

「ああ、失礼しました。ここは『獣人世界』と不本意な呼ばれ方をされております」

「うむ、なるほど……な」

 サムカが落胆する。が、すぐに気を取り直した。

「我々の世界も、『死者の世界』などと呼ばれておる。あまり気にするな校長」


「はい、ありがとうございます。サムカ・テシュブさま」

 少し感激した様子の校長が、横の羊と狐を紹介する。校長の白毛交じりの尻尾が、今度はパサパサと嬉しそうに床を掃いた。

「えー、召喚ナイフの所持者が、羊族のラグラグ・サラパン主事です。タカパ帝国の教育研究省、高等教育部に勤務なされております」

「サラパンです。私に任せて下されば、全て順調ですよ、わはははは」

 相変わらず、天井を向いて大笑いしている毛玉羊である。

(……これは、役人としては根本的に不向きではなかろうか)とサムカが直感したが、もちろん顔にも口にも出さない。


 次いで、校長が同じ狐族の男を紹介した。

「えー、その隣の狐族は、タハン・アイル部長。同じく教育研究省の考古学部で、古代遺跡の発掘調査を指揮なされています」

「よろしくお願いします、サムカ・テシュブさま。発掘物の鑑定作業に手間取っておりまして。お力添え下さい」

 この狐族は、理知的で落ち着いた雰囲気を持っており、白い手袋をつけたままでサムカと握手を交わした。

 2人とも今は、完璧なウィザード語を話している。サムカよりも流暢かもしれない。


「いや、制限事項にもあるが、私は、この世界に影響を及ぼすような魔法の使用を禁止されておるのだが。それでも構わぬのかね?」

 サムカが不思議そうな顔をして3名に聞き返した。

 サムカの山吹色の瞳が疑問の光を灯して、磁器のようにきめこまやかな藍白色の白い顔を少し傾ける。部屋の照明で鈍く輝く錆色の前髪も、サラリと数本ほど揺れた。

「ごく初歩的な魔法しか、今は使えないのだが」


「え?」

 固まる狐たち。尻尾まで毛皮が逆立って固まってしまっている。まるで竹ホウキのような状態だ。口と鼻回りに生えている細いヒゲ群も、一斉にばらばらな方向を向いた。いったんは静まっていた事務所も、再び騒然となる。

「せ、制限事項があるのですかっ?」

 校長が慌てて、尻尾と両手をパタパタ上下させる。狐特有の大きい耳までパタパタさせている。

「そ、そのような説明書は、見たことがないですよっ」


 考古学狐のアイル部長も目を白黒させて、隣の校長と全く同じ動作をしている。何かのダンスのようだ。サムカが更に不思議がる。

「いや……普通は、説明書がついているはずだろう?」


 サラパン羊が、いきなり明るく笑い出した。

「あ? あの紙切れかい? ははは、おやつに食べてしまったよぅ」

「味はどうでしたか? 主事」

 役場の羊族事務員がすかさず聞くと、サラパン羊がモコモコな胸を張ってふんぞり返った。彼も立派なスーツに身を包んでいるのだが、服が弾け飛びそうだ。

「ああ、ちょっと苦かった。安物インクはいかんな!」

「あはははは!」と、羊族だけが大笑いを始める。


 一方で狐族は、混乱がみるみるうちに伝染していく。パタパタ踊りがダイナミックになっていき、次第に収拾がつかない状態になっていた。役場の狐達もダンスを踊り始めだしている。


 その様を眺めながらサムカが暗い山吹色の瞳で天井を見上げ、ハグに〔念話〕を仕掛けた。

(おい、ハグ。見ているのだろう? どうするのかね)

 ハグが〔念話〕で返信をしてくる。

(うーむ、仕方があるまい。緩和するよ)


「そうだな。妥当な線だろう」

 サムカも同意し、大混乱寸前の役場に視線を戻して普通の声で話しかけた。

「先ほど、召喚親元のハーグウェーディユ翁と協議した。私の魔法を、魔力に換算して1割程度まで使用できるように改定することになった」

 とたんに騒ぎとバカ笑いがパタッと終了した。


 反応を見てから、サムカが話を続ける。

「無論、個別魔法の魔力上限や、使えない魔法種は設定されるがね。これで、どうかな? シーカ校長とアイル部長」

 泣いていたカラスが何とやらの変わりようで、大喜びする校長と部長、それに狐族の事務所員である。

 サムカが初歩的な〔魅了〕魔法を、狐族の混乱と羊族の大笑いを鎮めるために無詠唱でかけた事にも気がつかない様子だ。


 羊族もマジメな顔に戻り、満足げに互いの顔を見合ってメエメエ鳴いている。

 唯一トカゲ族だけは、パタパタ踊りも大笑いもせずに無言で仕事を続けていたのだが、彼らも手を休めて安堵しているようだ。全身を覆うオレンジ色系の細かいウロコを逆立てて、膨らんだような姿になっていたのだが、その逆立っていたウロコが次第に元に戻っていく。


 校長もほっとして、胸をなで下ろした。

「ああ、よかった。さすが偉大な魔法使いリッチーさまが、術式を編んだ召喚ナイフですね。融通が利くのは私どもも大いに助かりますよ。他のウィザード魔法使いやソーサラー魔術師などが作成する召喚具は、こうした使用者向けの細かいサービスが無いので不便なんですよ」

 そう言いながら微笑んで、サムカに顔を向けた。まだ所々、白毛交じりの毛皮が逆立っているが。


 サムカも少しやる気を出したような顔をしている。早速、魔力設定が切り替わって、自身の魔力がぐんと増したのが実感できた。

「……うむ、確かに。死者の世界での魔力の1割程度までは使えるな。確認した」

 先程までは更にその1割以下だったので、相当な増量になっている計算だ。

(まあ、リッチーのハグにすれば、この程度の差は誤差にも等しいだろうが……うむ、この魔力量であれば充分だろう)


 サムカが自身の魔力量の変化を確かめて、話題を元に戻した。好奇心が沸いたのか、山吹色の瞳がキラキラ輝いている。

「魔法使いどもは、『異世界からの召喚』を実用化しているのかね。リッチー並みの魔法を使うのだな」


 それを聞いた校長が、手袋をした手を軽く振った。一緒に口元と鼻先のヒゲも同調して、ピコピコと跳ねている。

「いいえ……異世界からの〔召喚〕魔法は、魔法世界も実用化していません。世界間移動の魔法は非常に高度なものだそうです。そのため現状では、同じ世界にいる者を契約で〔召喚〕するだけですよ。〔空間転移〕魔法の応用に留まっています。ですのでリッチーさまが設計した召喚ナイフが、恐らくは初めての一般向けの異世界間〔召喚〕の魔法具ですよ」


「ほう」と素直に聞くサムカ。ハグから得た使用説明書や契約書には書かれていなかったようである。

 校長がサムカの反応を好ましく感じたのか、口調を和らげた。

「……ですが、何しろ前例がない術式だそうです。確実な〔召喚〕を為すためには、ナイフを使用する術者の魔法適性や力量に大きく依存するとか。この条件が、まだまだ厳しいのですよ。私では無理です」


 サムカが校長の話を聞いて同意しつつ、まだ残っていた落ち葉や土を〔消去〕していく。死者の世界のダニにカビやキノコなどが潜んでいるので、この世界に広まってしまっては良くないからだ。

 しかし、〔消去〕した跡が焦げ目のようになって、基礎組み石や梁柱に残ってしまっている。〔召喚〕の度に掃除をしなくてはいけない状況は、よろしくない。


「そうだろうな。世界間移動の魔法は古代語魔法で、軽々しくは使えない。この魔法も、まだまだ改善の余地は多いな。周囲を破壊してしまうのは良くないだろう」

 校長とアイル部長が、顔を見合わせて納得している。 


 その様子を見ながら、サムカが話を続ける。

「私は領地を任されている身分なのだが、これまでセマンの盗賊や特殊部隊以外の者には、ほとんど遭遇したことはない。異世界からの〔召喚〕魔法が商業利用されていれば、私の領地や城にも良からぬ輩が討伐と称してもっと頻繁にやってきていただろうな」


 サムカを見上げながら、校長が真面目な表情で同意した。床の焦げ目を気にする素振りは見せていない。

「そうですね。この魔法学校で雇用している先生方も、古代遺跡の世界間ゲートを経由して、おいでいただいています」

 校長がサラパン羊に視線を向けてから、すぐにサムカに顔を戻す。

「古代語魔法? と呼ばれる失われた魔法だそうですね。リッチーさまの召喚ナイフが商業利用されるようになれば、古代遺跡に頼ることなく安全確実に大量輸送ができるようになると思います。貿易や旅行も活発になるでしょうね」

 校長の口元のヒゲがピンと張る。

「サムカ・テシュブ様の危惧は当然ですが、その対処を行えば全体的には良い事だと思いますよ」


 サムカも校長にそう言われて、改めて考え直したようである。

 黒マントについていた土埃や落ち葉を手早く〔消去〕していく。勢い余って黒マントに施されている銀糸の刺繍の一部まで消してしまったが、これでようやく掃除が終わった。床に開いた大穴は無視することにする。

「そうか……死者の世界の物産を、他の異世界へ大量に輸出できるようになるわけか。そう言われてみればそうだな。まあ、実際には召喚ナイフの技術的な問題よりも、政治的な問題が大きく左右することになるとは思うが。確かに良い事ではあるな」


 校長もサムカの考えに同意しているが、「クスリ」と微笑んだ。そして、両耳をパタパタさせながらサムカに小声でささやく。

「現状では、この召喚ナイフを満足に扱う事ができるのは、省内ではサラパン主事だけです。ですので、あまり彼を苛めないで下さいね。何かの弾みで彼がサムカ・テシュブさまを〔召喚〕できなくなってしまいますと、学校運営に大きな支障が生じてしまいますので。お願いします」


 サムカは、そのサラパン主事とは先ほど初めて会っただけだ。彼については、ほとんど何も分からないのだが……素直に校長の申し出に従う事にした。

 サラパン主事当人はまだそこにいるのだが、サムカと校長の話し声は耳に届いていないようだ。まだ仲間の羊族職員と、バカ話に花を咲かせて「ゲラゲラ」笑っている。パンパンに膨れ上がった毛皮の上に着ている、スーツの上着のボタンが今にも弾けて飛びそうだ。

「よろしい。その主事は性格や能力に大きな疑問符がつくようだが、努力してみよう」


 それを聞いて、校長の黒い瞳が輝いて大きく安堵したのが分かった。口周りに生えているヒゲが、嬉しそうにピンピンとリズムを刻んで跳ね、眉毛に相当する上毛がピンと張っていく。

「サムカ・テシュブさま。あなたは貴族だそうですが、何とお呼びすれば良いでしょうか? 爵位ですかね?」

 隣の狐族のアイル部長も同じ事を感じていた様子で、校長と一緒にサムカに視線を送ってきた。サラパン羊も、とりあえず視線を同調させてきている。このあたりの反応は、さすがに公務員だ。


 サムカが「コホン」と軽く咳払いをする。アンデッドという死体なので息をする必要はないのだが、ここは習慣になっているようだ。

「うむ……私のことは『テシュブ』と呼んで構わぬよ。今は召喚契約者だからな」

 ステワのニヤニヤ顔が頭の中をよぎり、心持ち眉をひそめる。

「ちなみに我々貴族社会では、これといった爵位は存在していない。あえて挙げれば、国王陛下の他には、連合王国軍の将軍に宰相といった役職名くらいだな。私は単に『領主』という役職だ」


 少し考えてから、補足説明を加える。

「ああ、そうだ。この貴族という呼び方は、アンデッドの種族名だと考えてくれて構わぬよ。我々の世界の言語では、単に『人』という意味合いなのだが、それでは対外的に色々と面倒らしくてな」

 サムカにそう言われて、素直に納得する校長たちである。


 最後に1つ注意事項を述べた。

「我々貴族の名前には魔力が含まれている。今は私が召喚魔法陣の中にいるので何ともないだろうが、外に出ると君たちにとって危険だ。今後は私をフルネームでは呼ばない方が、君たちの健康に良いだろう」


 校長がサムカに真面目にうなずく。このあたりの知識は知っているようである。サラパン羊ですら知っている素振りだ。

 校長がアイル部長とサラパン羊に軽く挨拶し、事務職員たちにも一声かけてからドアの方向をサムカに指し示した。

「そうですね……先生として〔召喚〕しましたので……『テシュブ先生』とお呼びしますね。では、テシュブ先生。次は私が魔法高等学校まで、ご案内いたしましょう」


挿絵(By みてみん)




【役場の外の森】

 役場を出ると、周りは亜熱帯の森で覆われていた。サムカの世界の森とは違って、湿度が高く雨も多く降るのだろう、葉の形も大きくて薄い。枝にはコケやシダにランなどが着生しているので、木の幹も緑色になっている。

 しかし普通は街の中に役所があるものなのだが、ここは違うようだ。


 少し不思議そうな顔をしたサムカに、校長が自虐的な笑みを浮かべて口を開いた。口元のヒゲが、四方八方にバラバラに向いている。

「すいません、テシュブ先生。獣人世界では魔法は、まだまだ異端なのです。異世界人も最近になってようやく見慣れてきたという現状でして……」

 校長が説明をサムカにしながら、視線を森の中に向けた。

「異世界からの〔召喚〕魔法は、大魔法に分類されます。その行使には、万一に備えた万全の態勢で臨むことになっているのです。大きな爆発や、広域に及ぶ『魔法場汚染』の恐れがありますので」


 不得手な者が魔法を失敗し、その魔法が暴走すると、魔法場〔干渉〕で爆発等が起きる。市街地では危険というのは道理だろう。サムカの世界みたいに魔法が日常であれば、そのような危険はないのだが。


「加えて各種魔法具の保管庫や、取り扱い注意の物が役場の地下にあります。そういった理由で、町から遠く離れた場所に建てられたのです。魔法が暴走しても被害が軽くて済むように……ということですね。幸い、この森は建材や家具用の材木を生産する人工林ですから、妖精や精霊もおりませんし。この役場は教育研究省の倉庫棟という位置づけですね」


「なるほど」と納得するサムカである。

 サムカの領地にはオーク族の自治都市があるのだが、オーク族も魔法が基本的に使えない。そのため、サムカも魔法場汚染には常に気を配っている。魔法適性のない者にとっては、魔法というのは脅威以外の何物でもないし、実際そうであるからである。


 校長はそのまま役場を出て、中庭にサムカを案内した。身長1メートル程度しかない獣人用に設計されているので、ミニチュアのようにも見える庭だ。だが、手入れは充分になされている。芝もきれいに刈られていて、観賞木の落ち葉や落ち枝も見当たらない。


「それでも、この手袋が帝国じゅうに普及してからは、かなり魔法に対する警戒感も薄まりました。これは魔法世界からの輸入品なのですが、これがない間は、奴隷に全てを任せておりました。私たちの手の形が、人型ではありませんからね。素手では、満足に物を握る事もできません」

 校長が両手につけた白い手袋をサムカに披露して、手袋を外して手を見せた。確かに獣の狐の前足だ。


 サムカが一瞥して、(なるほど。先ほどから帝国と呼んでいたのは、そういう背景があったせいか)と理解した。恐らくは、人間のような手の形をした獣人種族を奴隷として使役していたのだろう。

「うむ。その手袋にかけられている術式では、魔法適性のない者が魔法場汚染を被る恐れはないだろうな。私がつけている、この黒い手袋は逆だ。私が帯びている魔力を伝えないために使用している」


 校長が白毛が混じる毛皮を、木漏れ日に反射させて微笑んだ。白毛交じりの尻尾もキラキラと木漏れ日を反射している。老いているが、毛並みは艶があってしっかりしている。

 何よりも、好奇心の光が宿る黒い瞳の輝きは、サムカには少々まぶしいくらいだ。

「なるほど、そういう目的の手袋もあるのですね。あ。ここですテシュブ先生。ここから魔法高校へ向かいます」


 見ると、中庭の中央に魔法陣が描かれた一角がある。

 空間転移用の〔テレポート〕魔法陣だが、かなり原始的というか初歩的な術式だ。普通はウィザード文字が魔法陣に印されているものだが、どこにもない。

 不思議に思ったサムカだったが、すぐに校長がカードのような魔法具をスーツのポケットから取り出したのを見て理解した。

「ふむ。そのカードに術式が記載されているのか。これなら、魔力がない者でも転移魔法が使えるな」

 校長が鼻先のヒゲをピコピコ動かして、ちょっとした自慢顔になった。

「私はそれなりに魔法が使えますけれどね。役所の手続きなのですよ。では、参りましょうか、テシュブ先生」

 そのまますぐに魔法陣を介して〔テレポート〕した。




【移動先の森の中】

 移動先も同じような森の中だった。しかし先程の人工林ではなく、明らかに自然林に変わっている。

 ここも魔法を使う施設という事なのか、やはり周辺には人家も施設も何もない。サムカの感触では、この〔テレポート〕魔法による移動距離は100キロ弱といったところか。

 この場所も良い天気だ。歩道を歩くと、無数の鳥や獣、虫の鳴き声が重層的なフーガ音楽のように響いてきて面白い。こうして比較してみると、死者の世界の森と動物よりも桁違いに多くの生命で満ち溢れている。


「さすがに、生き物で溢れているなあ」

 サムカが瞳の色を輝かせながら感心する。


 それを聞いて、横を歩いている校長が嬉しそうに話しかけてきた。耳や頭の毛皮に交じっている白毛が、日の光を反射してキラキラと輝く。ついでに眉や口元、鼻周辺の細いヒゲも光を反射している。

 こうして見ると、かなり身だしなみには気をつけているようだ。スーツの肩にも狐の毛1本すら見られない。

「ああ、お分かりになりますか。さすがに耳が良いですね。我々以外の種族では、この『音で溢れた森』というのが理解できないそうなのです。エルフやノームですら、静寂な森とか言っていますから驚きです。音だけではなくて、臭いや気配も森に満ち満ちているのが、お分かりになりますか?」


「ああ、少し厄介なくらいだね」

 口元を少し固くしながら答えるサムカである。アンデッドであるサムカには、この生の息吹というものは耳障りな雑音として聞こえ、悪臭として感じてしまう。


 時々、ゴースト等の野良アンデッドが生者を襲うというニュースが流れるが……それはこの雑音と悪臭にイライラして『思わずカッとなってやってしまった』という事がほとんどなのだ。実際には、彼らゴーストには自我も意識もないので、制御できずに反射的な行動になっている事が多いが。

 アンデッドが拠り所とするのは、死霊術場という魔力場だ。これは生命の精霊場とは相容れない。それどころか生命の精霊場が強すぎると、場合によっては身体的な危害をアンデッドが受けることさえある。


 しかし貴族であるサムカには、直射日光と同様、この程度の雑音や悪臭は許容範囲だ。

 厳密に言えば実際に聞こえている音も、サムカと校長とでは異なっている。その点は言及しないサムカであった。森の中が騒がしいという認識を共有できれば、この場はそれで充分である。


 そんなサムカの配慮は、アンデッドにほとんど接した経験がない校長には当然理解の外だ。無邪気に微笑んでサムカとの会話を楽しんでいる。

「ははは、それは私たちも同じです。それはそうと、テシュブ先生は、その……アンデッドなのでしょう? 太陽に当たっても苦しくはないのですか?」

 校長が『よくある質問』を投げかけてきた。白毛交じりの初老の狐なのだが、キラキラとした黒い瞳が年を感じさせない。鼻先のヒゲがピコピコ動いているので、感情が丸分かりだ。


「貴族である私は平気だ。下級の輩は、その限りではないがね」

 サムカが校長に微笑みかける。山吹色の瞳が淡い光を放ち、短くそろえた錆色の髪が穏やかに太陽の光を反射した。


「そうですか、よかったです」

 そういって喜び安堵する校長。口元と鼻先と眉から生えている極細のアンテナのようなヒゲが、見事に彼の心理状態を表現していた。ふよんふよん、と上下している。

 ついでに白毛交じりの尻尾も、パサパサと小気味良く揺れてリズムを刻んでいる。両耳に至っては、パタパタし続けっぱなしだ。

「実はこれまで何度も、魔法世界からアンデッドの先生にお越しいただいたのです。ですが皆、日中は寝てしまいますので授業を行えませんでした。地下室で頑張った先生もおられたのですが、無理がたたって体調不良で帰国なされてしまいました」


 申し訳なさそうな顔で話を始めたので、急に尻尾のリズムが鈍くなる。

「テシュブ先生を〔召喚〕する前にも、実は何度か死者の世界から先生をお呼びしていました。ですが皆、私たちの姿を見るなり、お怒りになって帰ってしまいまして……サラパン主事には内緒でお願いしますね」


 サムカもさすがに内心で苦笑した。確かに罰ゲームでもなければ、このような生命溢れる世界で働こうとは考えないだろう。

「異世界へ足を踏み入れるのは、私はこれが初めてだ。しかし、それでも貴族の立場から言えば、この世界に滞在する利益は少ないだろうな」

 少し考えてから話を続ける。

「我々アンデッドは闇魔法場を〔吸収〕して魔力を高めていくのだが、この世界ではそれが微弱なのだよ。死者の世界に留まっていた方が、魔力を高めることができる。一応、我々貴族社会の間でも魔力を高める競争は存在しているのでね。魔力が育たないと、領地を広げる許可を得られないし、領民の統治にも支障が生じる」


 校長が大きくうなずいた。黒い瞳が好奇心の光を強く放っている。

「なるほど。そういう事情があるのですね。テシュブ先生のような貴族の方も記録では、お呼びしていたようですが……全員が即答で拒否なされたとありました。次善の策として、魔族の方や自由身分のバンパイアの方も呼んだそうですが、これも数日以内に去ってしまわれています」


 サムカが短く切りそろえた鈍く輝く錆色の前髪を軽くかき上げ、小さくため息をついた。バンパイアや魔族という単語に反応したようだ。

「……うむ。貴族や騎士ではなくて、野良バンパイアや魔族を先生として呼ぶことも手段としてはあると思うが……連中の有する魔力は圧倒的に弱い。大したことは教えられないだろう」

 サムカの口元がわずかに緩む。

「かといって、リッチーを呼ぶと魔力が強力過ぎて授業を行うどころではなくなる。ここにいる理由や利益がない以上、彼らも早々に去ってしまうことは自明だろう」


 校長が少し顔をうなだれた。

「教育指導要綱では、『死霊術』と『闇の精霊魔法』の講義は必須科目ではありません。しかし、魔法高等学校である以上は、いつまでも空白にして放置するわけにもいきません」

 口元のアンテナヒゲの張りが弱まっていく。

「次善の策として、ノームの先生やソーサラー魔術使いにお願いをしたのですが……彼らも専門ではありません。魔法世界の死霊術使いは、人口が少ない上に引く手あまたの職業なんですよ。このような辺境の世界の先生には来てくれませんでした」

 両耳の先が前に倒れていく。

「来ていただいても、先程述べたようにすぐに帰国されてしまっています。ですので他の科目と比較した場合、その教育水準が低迷していました」

 校長がここで顔を上げた。目がキラキラしている。

「しかし、これで何とか打開できそうです」


「ふむ。それは私も光栄だが、シーカ校長……」

 サムカが言いよどんだ。磁器のようにきめこまやかな藍白色の白い顔の眉間に、やや深い溝ができる。

「私もここへ〔召喚〕される際に、その単語を学んだが……『死霊術』に『闇の精霊魔法』か。ものすごい命名だな。魔法使いやエルフ、ノーム連中が勝手に分類したのだろうが、困ったものだ」


「テシュブ先生の世界では、何と?」

 校長が好奇心を顔に出して聞いてきた。つぶらな黒い瞳が日の光を反射してキラキラしている。両耳と口ヒゲもピンと張っている。淡々とした口調で答えるサムカ。

「いや、単に魔法や術と呼んでいる。我々貴族ともなると、魔法は日常使う行為だ。これといった名前もつけていないことが多いな。体系づけは、しているのだがね。死霊術と闇魔法は共に、貴族が使う闇魔法の一部として考えるのが妥当だろう」


 そんな風にサムカが説明したが、校長には理解できない様子だった。

 サムカも、それ以上は説明せず「それよりも、シーカ校長」と、話を元に戻した。山吹色の瞳が、校長の黒い瞳にしっかりと向けられる。

「その死霊術や闇の精霊魔法とやらだが。それほど困るということは、その魔法適性を持つ生徒がいるということだね」


「はい、仰る通りです。テシュブ先生」

 素直に校長がうなずく。

「3学年360名の生徒がいる我が校で、2名だけなのですが居ます。しかし、教育がきちんとなされないと魔力を制御する方法を習得し損ねて、暴走してしまう可能性があるのです。これまでも我々の歴史の中で、そういった方が悲劇を起こしてしまう事がありまして」

 校長がつらそうに説明する。必然的に、白毛交じりの尻尾も元気なく垂れ下がってしまった。

「しかし、これでもう大丈夫ですね。テシュブ先生」

「うむ。しかし契約では、私は1年間だけの召喚契約だぞ」


「え、ええ?」

 またパニック気味に驚く校長。再び尻尾と顔じゅうのヒゲが、あらぬ方向にパタパタと振られ始めた。

 サムカが機先を制して校長のパニックを鎮める。

「その点は、リッチーが何とか後任を見つけるだろう」

 リッチーの名前にも魔力が含まれているので、あえて言わないサムカであった。


 すがるような視線を校長がサムカに投げかけた。身長差が70センチもあるので、見上げるような姿勢になっている。それだけではなく、校長がさらに踏み込んで来てサムカの〔防御障壁〕に触れそうになった。

(!)

 サムカが慌てて展開している〔防御障壁〕をいくつか消去する。同時に、自身から発する魔力を大幅に落とした。そうしないと、校長が魔法場汚染を受ける恐れがあるのだ。


 とりあえず上手くいったようで、校長には何も影響が出ていない。ほっとするサムカ。

 そんなサムカの気持ちには気づかないまま、校長が不安げな瞳でサムカを見上げ続けている。

「お願いしますよ、テシュブ先生」

「……うむ。考慮しておく」


 サムカが「コホン」と咳払いを1つして、もう1つ校長に聞いた。瞳の色が〔防御障壁〕操作の一瞬だけ辛子色になっていたが、今はもう山吹色に戻っている。

「もう1つ聞いてよいかな? なぜ、今になって魔法教育なのかね? その魔法の手袋が普及している割には、見たところ……皆、魔法に関する知識が乏しいように見受けられるのだが」


 校長がサムカから数歩離れた。両耳が前に伏せられている。

「恥ずかしい事なのですが……私たち獣人族は基本的には魔法を使えないのです。使えるのは生まれつき魔法適性を持った者だけです。彼らの人数も割合も全体の人口から見れば、ごく少数です。魔法を研究してその知識を探求していくようなことは、歴史上していませんでした」

 校長が赤面する。

 ただ、頭全体が白毛混じりのフワフワした狐色の毛皮で覆われているので、鼻先や耳が赤くなる程度であるが。その代わりに、顔じゅうのヒゲが顔の毛皮の中にペタリと埋もれてしまっている。


 サムカも魔法を使うことができない種族はオーク族などがあることを知っているので、特に何も言わなかった。


 校長がおずおずとした口調になりながら話を続ける。

「5年前、魔法世界群が5000年ぶりの世界移転を終えましたよね。その際に、それぞれの異世界から代表者が集まって記念会議が開かれました」

 校長の口調がさらに沈んだものになっていく。

「しかし、私たちの世界には何の招待も、知らせも来なかったのです。あの戦乱の亜人世界にすら、知らせだけは届けられたというのに。これは深刻な事態だ……となりまして。各帝国や王国の代表が集まって、話し合いが持たれました」


 校長がサムカに視線を向けた。

「そこで出た結論は『魔法世界から注目を引くような文明を持たなくてはいけない』ということでした。そうして、外世界から大勢の契約教師や技師が呼ばれるようになったのです」


 そう、校長が長々と話しているのを聞きながら――

(そんな知らせは、私の世界にも届いていないよ)

 ……と、心の中でつぶやくサムカだった。


 魔法世界は誕生して300万年ほど経過している。別の異世界への引越しは、その間5000年ごとに繰り返して行われているのであるが、校長はそのことを知らない様子である。

 魔法世界の動向についてはあまり関心はなかったので、サムカも校長に指摘しなかった。そのまま校長の話を遮ることなく聞く。


「魔法も、私たちは普通学校で伝統的な教育を行っていましたが、それではいけないとなりまして。魔法世界の教育システムを導入する事になったのです」

 校長の黒い瞳が、再び生気を取り戻していく。

「この高等学校には、普通学校で魔法適性が大きいと判断された子供や成人が選抜されて、強制的に入学してきます。大学や企業、役所入試に合格していても、それを3年間延期するという規則ですね。その3年間で魔法を習得します。魔法文明を受け入れる人材育成のためですね」


 校長の両耳が再びピンと上に張った。

「3年間は、ここの学生寮に全員が入ります。外出は原則として禁止されます。中途半端な魔法を使用して事故を起こす恐れがあるからです。魔法学校が広大な森の中に建てられていて周辺には人家や集落がないのも、魔法事故を危惧しているためです」

 校長の鼻先と口元の細いヒゲが、次第に元のピンと張った状態に戻っていく。

「現在は、私が校長をしているこの魔法高等学校が、この世界で唯一の魔法学校です。ここで色々と試行錯誤して、確かな学校教育と運営ノウハウが確立できた際には、他の帝国や王国でも魔法教育が本格化する運びになっています。そういう意味では、実験場のような位置づけですね。責任重大です」


 校長の表情やヒゲなどの変化に感心しながら、サムカが素直にうなずいた。

「……ふむ、なるほど。確かに、中途半端な魔力では危険に陥ることが頻繁に起きるものだ。命に関わるような事故も起きるだろう」


 同意するサムカに校長がさらに話を続ける。口調がやや早くなってきているようだ。

「はい、その通りです。なぜか私たち獣人族には、魔力を有する者が少数ながらも一定割合で誕生するのですが……彼らの魔法適性はかなりの広範囲に渡るのです。魔法使いやエルフ、ノームは特定の魔法適性を有して、それぞれウィザード魔法やソーサラー魔術、精霊魔法に法術と専門に分かれます。ですが、私たちにはその全てに適性が出てしまうことが多いのです」

 サムカが少し驚いたような表情になった。山吹色の瞳がキラリと光を帯びる。

「ほう。そのような話は初めて聞く」


 校長がさらに真剣な表情になって話を続ける。白い毛が混じる尻尾にも、心なしか緊張が走ってきたようだ。両耳もさらにピンと真上を向き、鼻先のヒゲも上向きになってきた。

「はい。ですので、魔力を制御できずに暴走させてしまう者が出やすいのです」


 ソーサラー魔術では自力で行使する事が多いのだが、ウィザード魔法や精霊魔法、法術では魔神や精霊などと契約を結ぶ必要がある。その相性や組み合わせが悪いと、魔法が行使できなくなったり暴走してしまうのだ。


 これまでにもそのような暴走事故が起きていたのだろう、校長の表情が曇る。

「今までは、離島や僻地に隔離されておりました。ですが、魔法学校ができて魔法文明を導入するという国家方針が決まりますと、一転して優秀な人材となります。この魔法学校では、魔法適性試験の結果に基づいて、最も自身の魔法適性が高いクラスに専門生として在籍しつつ、他の魔法の授業も選択科目として多く受けます」

 サムカが興味深く聞いている。死者の世界では通常、貴族や騎士は、闇魔法とソーサラー魔術の適性しか得られないので、かなり驚いてもいるようだ。


 校長も察したようで、口調を少し柔らかくした。

「……ですが、さすがに死霊術と、闇の精霊魔法の適性が高い生徒というのは、これまで出てきませんでしたので、授業の内容も初歩的なままだったのです。ましてや死霊術と、闇の精霊魔法の専門クラスに在籍すべき生徒が出てくるような事態は、残念ですが想定していませんでした。今年、いきなり2名も入学してきたので慌てて手配した……というのが実情です」


 サムカが両目をキラキラさせながらも、真面目な表情で腕組みをする。

「うむ。普通は生命ある者で、死霊術や、闇の精霊魔法とやらの魔法適性が出るようなことは無いな。我らのように死者であることが前提の魔法分野だ。魔法使いも自身を〔アンデッド化〕したり、疑似的に死者になったりすることで、魔法を使えるようになっていると聞く。想定していないのも無理はなかろう」


 そして校長に深い山吹色の瞳で微笑みかけた。白い磁器のような顔が、亜熱帯の太陽の直射日光を浴びて冷たく照らされる。そしてそれは校長から見ても不快な色では全くなかった。

「動機はどうあれ、学ぶという姿勢は大事なものだ。死霊術と、闇の精霊魔法とやらを教えればよいのだな。よろしい。1時間ほどしか〔召喚〕時間はないが、その間は私も微力を尽くそう」


「え? 1時間しか呼ぶことができないんですか?」

 校長が、またひっくり返って驚いている。

 サムカが眉間にシワを寄せて校長を見下ろす。が、彼の背が高いので校長には、そのシワは見えないようだ。

「……リッチーのハグに頼んで、取り扱い説明と契約書のコピーを取り寄せたほうが良さそうだな、シーカ校長」


 かくいうサムカも、先ほどは契約内容を確認せずにハグとの『召喚ナイフ契約』を結んでいたりするが。あまり偉そうなことを言える立場ではないのだが、自覚していないようである。

 まあ、貴族という者は基本的にこのような性格だ。契約や実務作業は、執事任せであることがほとんどなのである。気に食わないことが起きれば、決闘や賭けをして決める……というのが伝統的な貴族のやり方だ。


 校長が冷や汗をかいている様子は分かるのだが、立派な毛皮と仕立ての良いスーツに包まれた狐なので、実体としての冷や汗は見ることができない。鼻先や口元のヒゲの先から細かい雫が散る程度である。

「は、はい。そうします。あ。着きました」


主な登場人物(死者の世界):


●サムカ・テシュブ

短く切りそろえた鈍く輝く錆色の髪に、磁器のようにきめこまやかな藍白色の白い肌、古代中東風のスーツ姿がよく似合うすらりとした美青年の山吹色の瞳。身長180センチ。テシュブ家当主で領主。


●騎士 シチイガ・テシュブ

短い黒錆色の髪で直毛、淡い山吹色の瞳。サムカほどではないが陶器のように滑らかな藍白色の白い肌。身長175センチで骨太。


●領地のオーク執事 エッケコ

身長150センチ、やや肥満、渋い中年だがハゲ頭、豚顔で牙が少し見える、動作は優雅でソツがない、目は落ち着いた杏子色、皮膚は薄い赤柿色。領地のオーク自治都市の理事の1人でもある。


●ウーティ王国のオーク宰相 ワタウイネ

小豆色の鋭い眼光の瞳で、薄い栗色の皮膚。見事な禿げ頭。身長140センチでオークとしては小柄。自治都市理事たちの長で、国内の財務や内政を行う。


●ウーティ国王 ネルガル・クムミア

くちなし色で少し赤みのある黄色の瞳。博物館展示されている青磁器のような白菫色の白い肌。重厚に輝く黒茶色の癖のない短髪。身長170センチ。オークにも部下にも信頼されている名君。


●悪友貴族 ステワ・エア12世

蜜柑色の瞳。温州ミカンの色。鉄錆色で肩上までの癖のある短髪。白い鉛白色の肌。身長190センチ、少し派手目のスーツにマントを羽織っている。エア家当主で領主。


●近隣王国コキャングの貴族 ピグチェン・ウベルリ

魔法剣士で、身長190センチでボクサー型、真っ白い肌に刈安色で緑がかった鮮やかな黄色の瞳、切れ長の涼しい目、肩下までのウェーブかかった赤銅色の髪、雪色の肌。ウベルリ家当主で領主。


●ファラク王国連合軍の右将軍 トラロック・テスカトリポカ

身長2メートルの筋肉質、骨太で顔もごつい、白い鉛白色の肌に、鋭く輝く赤紅色の大仏頭、琥珀色で大きな目、白い歯、無骨な身ごなしで太い声。サムカの師匠で右将軍。


●カルト派貴族 トロッケ・ナウアケ

体温もあり血液も流れていて普通の人にしか見えない。細目の吊り目で、辛子色の沈んだ茶色がかった黄色の瞳。枯草色の茶髪は直毛で癖がない。肌の色は茶褐色で血色が良いが、化粧などで偽装して白銅色の陶器のような白い肌にしている。南方のオメテクト王国連合の領主の1人。


●ハーグウェーディユ(ハグ)

身長は140センチ。食事は一切せず、香りだけを楽しむ。淡黄色の木蓮の花の色の瞳。象牙色の肌。主人公が罰ゲームで契約した召喚ナイフの召喚親元。リッチー協会理事の1人。


●魔族の長 ルガルバンダ

身長4メートルで筋肉質の4本腕。瞳は朱色。毛皮の薄いヒグマのような顔で、白い牙が良く目立ち、血色は非常に良く、豪傑笑いをする。太い眉。黒褐色の固い髪を紅白色の太い綱でまとめて縛っており、兜の後ろから垂らしている。

ダエーワ:身長4.5mの2本腕2本ハサミ魔族。傭兵をサムカ軍に送っている。

オメシワトル:身長6mのイボイノシシ顔で小さな羽つきの魔族。同上。


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