15話
【ウィザード魔法占道術の授業】
レブンとムンキンが向かったのは、セマン族のティンギ先生が教えるウィザード魔法占道術の選択科目だった。
ムンキンは1年生の中では学年2位の実力の持ち主だ。竜族らしく親分肌なので、同学年の生徒たちが数多く舎弟となっている。
今もクラスの最前列の席に陣取っているムンキンの周りには、ざっと10余名の1年生の男子たちがたむろしていた。自称『ムンキン党』だそうだ。
ムンキンが竜族なので仲間の大半は同じ竜族なのだが、狐族や魚族の男子も混じっている。皆、血気盛んで口調も男らしさ全開だ。絶えずプロレス技の掛け合いや、スパーリングをしていないと気が済まないタイプと言えよう。
そんな中に紛れている魚族のレブンはひっそりと座っているせいもあり、若干場違いな雰囲気を周囲に与えている。
教室には他にも2年生や3年生の生徒たちがいるのだが、徒党を組んでいるムンキン党には近づいてこない。
ただ、やはり目障りな存在ではあるようで、遠くからジロジロ見て何かボソボソ言い合っている。
ムンキンは先刻承知ではあるのだが、特に何も言わずに無視している様子だ。代わりに仲間たちと大声で談笑し、互いに小突いたり、組みついたり、尻尾を床にバンバンと打ちつけている。竜族は勇猛で誇り高い種族だと自称しているので、無駄に騒がしい。
レブンもムンキンたちの騒々しい輪の中に加わっているのだが、やはり場違い感は否めない。そんな雰囲気は周りの3年生や2年生にも伝わるようで、レブンを揶揄する嘲笑が混じった話し声も聞こえてくる。
(まあ、死霊術の魔法適性があるし。不気味な存在だよねえ……僕って)
小麦色をしたセマンの顔を変えずに、ぼんやりと考えるレブンである。嘲笑されるのは昔から慣れているので、特に気にしていない様子だ。
その一般生徒たちの中に1人だけ、魚族の男子生徒が手を振ってレブンに挨拶してきた。制服の学年章から3年生だと分かる。そして、いきなり〔念話〕を仕掛けてきた。
(レブン・イカクリタ君だね。初めまして。我は同じ魚族のライン・スロコックだ。この占道術専門クラスの級長をしている。よろしく)
レブンが深緑色の瞳を暗くして、少し警戒しながら〔念話〕で返す。
(ご丁寧にありがとうございます。僕が、何か無礼な事をしましたか?)
そう伝えながら、隣で取っ組み合っているムンキンたちを見て、すぐに謝った。
(す、すいません。そろそろ授業開始ですね。ムンキン君たちには、僕の方から注意しておきます)
急いで席を立ってムンキンたちを諫めようとしたレブンに、級長が笑い声で〔念話〕を送って来た。かなり口調が柔らかくなっている。
(竜族の男子生徒たちは、いつもの事だから気にしていないよ。レブン君。いや、レブン殿と言うべきだな、失礼した)
途中で口調が変化して、レブンを敬うような感じに変わった。ますます不思議に思うレブンだ。殿と聞いて、思わずジャディを思い起こしてしまった。
(殿……? 僕は1年生ですよ。成績も良くないですし、そのような……)
スロコック級長がニッコリと微笑んだ。セマン顔ながら、見事な笑顔だ。
(死霊術使いとして尊敬しているのだよ。学年は、この際関係ない。今後も『レブン殿』と呼ばせてもらう。よろしく頼むよ)
何か、面倒事が起きた予感を、ひしひしと感じるレブンだ。
(あ、あの……スロコック先輩は、死霊術の魔法適性をお持ちなのですか? でしたら、テシュブ先生に知らせて、選択科目の席をお願いしてみますが)
スロコック級長が今度は残念そうな口調で答えてきた。今は顔をレブンに向けずに、正面の黒板型ディスプレーを凝視している。
(残念だが、我に魔法適性はない。あっても、ごくわずかだろう。とても貴族先生の授業を受けるような魔力は持ち合わせておらぬ。気持ちだけ、有難く頂戴しておくよ。レブン殿)
ようやく、レブンが状況を理解し始めた。瞳の警戒色が和らいでいく。
(そうですか……しかし、死霊術に興味があるだけで、僕としては嬉しいです。僕で良ければ、死霊術の話をしますよ)
スロコック級長が嬉々とした返事をしてきた。
(そうかね。それは朗報だな。楽しみにしているよ。まだまだ死霊術は嫌われている魔法であるからな。こうして、〔念話〕を介して君に接触するしかないのが現状だ。許してほしい)
レブンも同意する。
(そうですね、分かりました。今日の夜にでも、用務員室で会いませんか。ゾンビを紹介します)
一通り会う約束を交わしてから、〔念話〕を終了する。最後にスロコック級長がレブンに手を軽く振ってきたので、レブンも手を振り返した。
すぐに手元の空中ディスプレー画面を操作して、スロコック級長の事を調べる。たちまち、顔色が変わるレブンだ。
「うわ……スロコック家の長男じゃないか。僕なんかとは家柄から何から違う。確かに、死霊術なんかに関わったのが知られたら、家名に傷がつきかねない……か」
魚族のスロコック家は、タカパ帝国の南沿岸部一帯を支配する名家だ。周辺国との貿易で巨万の富を築いていて、帝国宰相からも重用されている。レブンの町も事実上は、スロコック家の勢力下に組み込まれているといってよい。ちなみにレブンは名前の通り、イカクリタ家の人間だ。ただの庶民の家系になる。
いきなり名家とのパイプが出来てしまったのだが、とりあえず今は忘れる事にするレブンであった。(学友という関係に留めておいた方が、両者にとって都合が良いだろうなあ)と思う。
いつの間にか緊張していたので、軽く深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。魚族は気持ちの切り替えが得意なので、すぐに平常心に戻った。教室の壁掛け時計を見て、そろそろ授業開始の時刻だと気づく。
そして、狐族のたくましい男の子の首に三角締めを仕掛けているムンキンに話しかけた。
「そろそろだね。ねえ、ムンキン君。ティンギ先生だけど、僕の時は死者の世界から戻るのに1時間ほどかかったから、自習かな」
ムンキンが豪傑笑いをした。取り巻きの1年生たちも同調して肩を揺らしはじめる。
「そうだな! だったらいいけどな」
と、言い終わらないうちに、教室の前のドアを開けてティンギ先生がヒョコヒョコ歩いて入ってきた。
ガックリするムンキンとレブンである。特にムンキンは口をとがらせて、先生に文句を言い始めた。
「ドワーフ製の生体ゴーレムかよ! 何度目だよ全く。ティンギ先生本人から授業を受ける回数なんて、ほとんどないじゃないかよ。授業放棄する先生ってことで、校長に言いつけるぞコラ!」
結構な大声で威嚇するムンキンである。ムンキン党の十数名も一斉に文句を言い始めたが、一方のレブンは恐縮して冷や汗をかいている。
これには2年生や3年生たちも異論はない様子で、ムンキンに味方してゴーレム先生を非難し始めた。こっそりとスロコック級長とその仲間たちも、ムンキンに迎合している。
ゴーレムとはいえ、姿は本人と寸分違わない。しかし獣人族からすれば臭いや声色が違うので、すぐに偽者だと分かるのだろう。
そのような非難を散々に受けているゴーレムだが、平然としたままで教室に入ってきた。
「ビデオ授業じゃないだけ有難いと思えよ、このガキども。このゴーレムは本人と意識が同期されているんだから、本人と同じだぞ。ほらほら騒ぐな。授業を始めるぞ」
ゴーレムのティンギ先生も手慣れた様子で、生徒たちの非難を無視して教壇に立った。黒板型の大きなディスプレーを起動させる。
占道術の専門クラス級長であるスロコック3年生が席から立ち上がって、教室の生徒たちに鋭い視線を投げかけた。
「苦情は、後ほど我が受け付ける。今は授業時間である。これ以上の非難は授業妨害とみなすぞ」
生徒たちもいつもの事なので、素直に大人しくなって授業を聞く姿勢になった。ムンキンたちも教科書と参考図書にノートを机の上に広げる。
2年生や3年生は、手元に個人用の空中ディスプレーだけを表示させている。本やノートは、この年次にもなると不要なのだ。1年生も間もなく、同様の勉強スタイルを習得する予定である。
黒板型ディスプレー画面にウィザード文字が表示された。起動したという意味合いの表示だ。続いて、先日の騒動で大破した学校校舎の映像が表示された。
ゴーレムのティンギ先生が、大きな黒い青墨色の目をキョロキョロと動かして手元の資料を読み込み、自己主張の激しい大きなワシ鼻を「フン」と鳴らした。
意識を同調させているはずなのだが、本人とは性格が異なるようだ。本人ならば、まず最初にパイプに火をつけるはずである。
「さて。今日は非接触、非破壊の手法で、対象の構造物の内部亀裂を〔測定〕する方法についてだな。ちょうど先日、校舎が盛大に破壊されたのは諸君らの記憶に新しいだろう。破損した建築物や構造物の損傷程度を、素早く調査して把握することは重要だ。復旧作業の計画や予算作成が間違えたものであれば、二次災害の危険も増すものだ。そこで、今回は、校舎復旧作業を参照しながら授業を進めるとしよう」
黒板ディスプレーに校舎の壁が大写しになった。それを見上げて、ティンギ先生の生体ゴーレムが癖の強い赤墨色の短髪と大きな右耳をかく。
「電磁波を照射して測定対象を強制的に加熱すると、わずかに膨張する。その際に亀裂部分が開いたり閉じたりする。その動きはごくわずかなものだが、そのひずみ変化を〔測定〕することで亀裂の大きさと深刻度が分かる。電磁波が届かない内部の調査については、力場術の極小地震波を用いた〔エコー検査〕が有効だ」
さすがに先生と言うべきか、いつもの散歩大好きなティンギ先生の面影は消えていた。今は、まともに授業を行っている立派な先生にしか見えない。パイプを吹かしていないので、違和感がかなりあるが。
「だが、今回のように校舎全体が破壊された場合、そんなことをチマチマやっていては時間がかかり過ぎる。そこで、占道術を使って大まかな被害分布を〔予想〕するんだよ。目的は校舎の迅速な復旧なので、作業量や予算にはある程度の余裕がある。厳密な調査は必要ないのさ」
口調がいつものティンギ先生に戻りかけてきたので、少し脱力するレブンである。どうして、この先生は緊張感が持続しないのだろうか。
「では、術式を皆に渡すから各自で〔予想〕してみてくれ。この黒板に映し出されている壁の復旧にかかる作業量と資材量、そして経費だ。経費には標準作業員の日当を最新版にして使用するように。1日当たりの作業時間と休日も規定の通りにすること。復旧計画案は、今日作製の翌日認可にするか。作業開始は3日後からだな。では始めてくれ」
「はい先生」
一斉に生徒たちが机に向かって測定作業を開始した。
レブンも参考書と黒板からの情報を読み込みながら、机の上に自身の空中ディスプレーを出して演算を開始する。
(テシュブ先生が仰っていた通り、魔法を使う『方針』ってのは重要なんだな。これなんか、公共事業の入札にそのまま使えるよ)
人件費の計算をしながら、ふと思う。
(……そうか。作業員が全員ゾンビかスケルトンだったら、夜間作業の追加手当が不要になるのか。いやいや、生きていないから人件費ではなくて機材費として消耗品扱いで計上できるな。なるほど……あ。ゾンビやスケルトンをリースする会社があれば、さらにコストが抑えられるかな? 死体じゃなくて医療用の素体だったら、安定調達もできそうだし)
【法術の授業】
ペルは1人で法術の選択科目のクラスに参加していた。後ろの隅の席にちょこんと座って、教科書と参考図書を広げ、空中ディスプレーを出してサイズの調整を行っている。闇の精霊魔法の適性が高いので、彼女の座る場所が何となく暗く見えている。
教室内には他にも生徒たちがいるのだが、ペルの周辺には誰も座っていない。数人の生徒たちは、レブンに対してしていたようにコソコソと小声で何か話し合いながらペルの方向を見ている。
さすがにペルはレブンと違って、割り切ることはできていない様子だ。背を丸くして耳を伏せて、なるべく目立たないように音を立てず準備している。
「はあ……」と密かにため息をつく。
(テシュブ先生は『方針』次第だと仰っているけれど、闇の精霊魔法の適性持ちの私なんか、みんな怖がるよね……しかも今回は、法術専門クラスとの合同授業になっちゃったし。なおさらよね……)
「ここ空いてるわね。ペル・バンニャさん」
「ひゃい!?」
いきなり隣から呼びかけられて、ペルがイスから思わず転げ落ちかけた。何とか足を踏ん張って机にしがみついて、声がした方に顔を向ける。
そこには竜族の女の子がいて、既にペルの隣の席に立っていた。制服の細いネクタイの色が2年生であると示している。竜族らしい堂々とした威圧的な雰囲気だ。
「ちょっと驚き過ぎ。何をビクビクしているのよ」
ペルの返事を待たずに、当然のように席に座った。すぐにカバンを開けて、中から教科書などを取り出して机の上に置いていく。本来ならば2年生にもなっていれば、〔空中ディスプレー〕画面だけで足りるはずなのだが、彼女はそうではないようだ。
教室でペルをネタに談笑していた十数名の生徒たちが驚いてざわめいたが、そんなことには全く関心を払っていない。
顔を覆う細かくて滑らかな鱗が、廊下側の窓から入る光を反射してきれいだ。赤橙色の金属光沢を放っている。竜族特有の紺色の目を半分閉じて、彼女用の〔空中ディスプレー〕を手元に出現させた。その調整をテキパキと行いながら、横目でペルの驚いた顔を冷静に見ている。
同じ竜族のムンキンと違い、立派な尻尾は微動だにせず、腕と目だけが最短距離と動作で動いている。もちろん竜族なので筋肉質な体躯で、ペルにとってはかなりの圧迫感を感じる。身長差はそれほどないのだが。
「私は竜族の2年生、ラヤン・パスティ。専門クラスは法術で、担当教官は今日の先生、真教ブヌア・マルマー先生よ。よろしく、貴族先生の教え子さん」
少しドスの効いた低い声で自己紹介されて、慌ててペルも自己紹介した。
相手は一学年上の先輩でもあるので、なおさら緊張してしまっているようだ。頭の黒い縞が走るフワフワ毛皮も所々が逆立っており、黒毛交じりの尻尾が不規則なリズムで振られて、時折ピンと硬直する。両耳も絶えずあちこちを向いて、顔の細いヒゲ群も統一された動きを全くしていない。
「こ、こここ、こちらこそ、よ、よろしくお願いします! わ、私は闇の精霊魔法と死霊術の専門クラスの……あれ? わ、私の名前をご存じなんですか!?」
ちょっと混乱気味になって軽いパタパタ踊りを始めているペルに、2年生のパスティが初めて顔をペルに向けた。
「ええ。私の担当教官を、何度もコケにしてくれた貴族先生の教え子ですからね。私は選択科目ではティンギ先生から占道術も学んでいるのよ。今は死者の世界へ連れていかれてるわね。今日は二重の意味で、私に挑戦しているって事」
あくまで冷徹な声色で話す2年生に、恐縮しまくりのペルである。両耳がほぼ完全に頭のフワフワ毛皮の中に埋没しかけている。
「あう……で、ででも法術のマルマー先生が先に、テシュブ先生に言いがかりをかけてきたんですよ。そ、それと、ティンギ先生は自ら望んで、死者の世界へ一時訪問なされています」
小声ながら必死で、抗弁するペルである。机の上の両手は手袋をしているのだが、それでも震えているのがよく分かる。
そんなペルの反応には、あまり興味なさそうな竜族の先輩である。顔をペルから教室正面の黒板ディスプレーに向けて視線を固定し、口を開いた。
「知ってるわ。ちょっとした意地悪よ。気にしないで。私の担当先生が不甲斐ないせいだから。私のことは、ラヤンとでも呼んでちょうだい。私もあなたのことをペルと呼ぶから」
かなり一方的な会話になっているが、ペルも了承する。
「わ、わかりました。よ、よろしくラヤン先輩」
「よろしく、ペル。ちょうど先生がいらしたわね」
半開きの目を一瞬だけペルに向けたラヤンが、教室に入ってきた法術の先生の姿をとらえた。顔も首も微動だにしていない。
教室に入ってきたのはラヤンが言った通り、法術のブヌア・マルマー先生だった。確かに、これまで何度もサムカに撃退され続けている先生である。
身長は185センチほどでサムカより少し背が高い。白い桜色の肌で、茅色で褐色の癖のある髪は短く切りそろえてあって、いかにも聖職者という雰囲気である。豪華な装飾や刺繍が施された法衣も立派だ。白い手袋をしているが、これはサムカのように魔力制御のためではなく、単なる決まり事なのだろう。
そんなマルマー先生だが、さすがに魔法場を瞬時に〔察知〕してペルの存在を知ったようだ。
上から目線の微笑みが消えて、あからさまに表情が険しくなり白い桜色の眉間に深いしわが刻まれた。そして、大きなため息をつく。
「やれやれ……教育指導要綱があるから、『闇の眷属』といえども無下に追い出すわけにもいかぬな。選択科目の生徒であるし、皆の邪魔にならないようにそこで大人しくしていなさい」
再び教室内がざわめき、生徒30名の視線が一斉に教室後ろの廊下側の隅にいるペルに向けられた。ほとんど反射運動で頭と肩を低くして、背と尻尾を丸めるペルである。
「は、はい……すいませ……」
「気にする必要は全くないわよペル。授業を受ける正当な権利と義務を、あなたは負っているのだから。無駄話をする時間が惜しいので、早く授業を始めて下さい。マルマー先生」
ペルの隣で彫像のように微動だにせず、ペルの顔も見ようともせず、ラヤンが低く威圧的な声を出した。
教室の空気が一瞬で凍って、凄い緊張感が生徒たち全員にのしかかる。が、当然そんな空気は無視するラヤンである。
「ここのペルさんは法術の法力適性も一応有しています。ですから、こうして選択科目を学ぶ義務と権利が発生しているだけです。それだけの話。早く授業を始めて下さい、マルマー先生。ただでさえ、授業が遅れて時間が足りなくなり、こうして選択科目の時間まで使うことになっているのですから。私たち、法術専門クラス生にとっては、良い状況ではありません」
「うぐぐ……」と口ごもるマルマー先生である。教壇の上で地団駄を数回ほど踏んだが、すぐに冷静な表情になった。それでも、ブツブツと経文のように文句を垂れているが。
背を向けて黒板ディスプレーに向き合い、起動させる。すぐに複雑な何かの分子模型が表示された。
「ふん。私がどれほど苦労しているのか知らないくせに。貴族相手にここまでできる神官は、そうはいないんだぞ。そもそも、辺境手当も保険も出ぬし、給料も新人並みだ。その癖に、要求と仕事だけは山ほどあるんだぞ。それを上層部は分かって……ぶつぶつ」
などと猫背になりながら、なおも小声でブツクサと文句を黒板に向かってつぶやくマルマー先生。豪華な法衣をまとって猫背になっているので、なおさら小者のように見える。
ペルが伏せていた両耳を少し頭から離して、隣のラヤンに顔を向けた。まだ伏し目がちで尻尾も丸まったままだが。
「あ、ありがとうございました。ラヤン先輩」
ラヤンはもう視線をペルに向けることもしていない。黒板と自身の〔空中ディスプレー〕画面とを交互に見ながら、機械的な声で返事を返してきた。
「権利はしっかりと行使しなさい、ペル。それと、いつまでも恐縮していないで勉強しなさい。法術を学ぶことは、あなたの義務でもあるのよ」
「は、はい。そうですね」
慌ててペルも自身の〔空中ディスプレー〕と黒板の表示を同期させた。その下にノートと参考書、教科書を置いて開く。それは隣のラヤン先輩や3年生を除く他の法術専門クラスの生徒たちも同じだった。やはり相当に授業が停滞しているのだろう。
授業は、複雑な高分子の自己組織化と、その時間制御に関するものだった。それぞれの患者に症状に応じて個別処方する各種の薬の調合では欠かせない。破壊された神経組織を、法術で直接〔治療〕する際にも使われている。
薬の合成や、神経組織などの複雑な生体組織の〔治療〕では、その材料となる各種分子を手順通りに反応させて、目的の薬分子や神経組織にしなくてはならない。
しかし、魔法を使用せずにこれを効率よく行うのは至難の技だ。材料分子が勝手に反応したり、意図するタイミングで反応を開始しなかったりするからである。
「ウィザード魔法やソーサラー魔術では、こういったタイミング操作や反応のプログラミングは、術者の経験に頼ることが往々にして起きる。愚かなことだ。薬は患者ごとに組成や分子装飾が異なるべきものだし、生体組織も同様だからな。そうしないと薬の副作用が出たり、精神疾患になる恐れが高いのだ」
法術のマルマー先生が講義を進め、黒板型ディスプレーにその事例を次々に表示していく。
薬の分子式が表示され、分子の装飾部分が強調された。生体組織ではタンパク質などを合成する部分が表示されたが、それにも分子装飾がついており、それが同じように強調されてマークされている。このマークされた部分が患者ごとに異なるのだろう。
「が、我々の法術は違う。法術の魔法場を我々は法力場と呼ぶが、これは信者から集めたものだ。それには生体情報も当然含まれているから、いわば信者の分身とも言える」
「ウィザード魔法場は契約した魔神等からの魔力が基本だし、ソーサラー魔術場は術者個人が高めた魔力だ。多様性という面では欠陥だらけの代物だ。法術の魔法場である法力場は、信者の数が多ければ多いほど、その多様性を増す。その多様性を以ってして、個人個人に適合した最適医療ができるわけだ」
「特に我が真教は、最も信者数が多い宗派だ。新参宗派の新教では信者数が少ないし、カルト宗派の神教では、このような多様性は期待できない。我が真教に入信することを強く推奨するぞ」
早くも宗教勧誘を始めたマルマー先生である。
すぐに彼の隣に〔空中ディスプレー〕画面が2つ出現して、神官姿の男の顔が大きく映し出された。
「何をほざくか、我が新教こそが多世界時代に最適な宗派だ。マルマー、貴様のような真教は、教えが古すぎて今の時代には合わない! 生徒たちよ、信仰するならば、我が新教だぞ!」
「真教も新教も、信者は人間ばかりではないか! 我が神教は亜人や君たち獣人にも広く門徒を受け入れる用意がある。我が神教こそが、最も君たちに適した宗派だ!」
などなど……口論を含めた宗派勧誘競争が始まった。
ペルのような選択科目の生徒は驚いた顔をして口論を見ているが、ラヤンのような専門クラスの生徒はウンザリした表情になっている。
口論が始まって、ものの数秒でラヤンが手を挙げて注意した。
「派閥批判と勧誘は、空き時間に好きなだけして下さい。そのせいで、私たち専門クラス生徒の授業時間が削れてしまっているんですよ。今は教育指導要綱に基づいた授業中です、先生。こんな口論と勧誘ばかりの授業では時間の無駄ですから、退席して図書室で自習をした方がマシです。給料に見合った授業を真面目にして下さい。先生の給料は私たちが支払っている税金なのですよ。それに、同じ説明を何度も繰り返すことも不要です」
微動だにせず、紺色のジト目のままで口だけを動かすラヤンである。隣のペルの方が、目を白黒させてワタワタしている。
マルマー先生と〔空中ディスプレー〕画面に映っている2人は、誰が見ても容易に分かるような不機嫌な顔をしたが、ラヤンは全く動じていない。というかピクリとも動かない。半眼の眼光だけが鋭く光っている。教室の空気も凍りついたままだが、関係ない様子だ。
「うぐぐ。獣人の小娘が。ぶつぶつぶつぶつ」
などと再び、何か小声で文句を言い始めた先生だったが、すぐに冷静になった。ディスプレー画面の2人も、同じようにブツブツと文句を垂れ流しながらも、画面ごと姿を消した。
マルマー先生が大げさに咳払いをして、生徒たちに向き合う。
「では、要望の通りに、我が真教が独自開発した術式を公開するとしよう。杖をこちらに向けなさい」
「分子の自己組織化は、法力場の法力供与によって開始される。しかし、法力場が高い時に起きた自己組織化は、法力が抜けてしまうと再度変化して別の自己組織化を起こして失敗することが多い。低い法力場の中で起きる自己組織化があるからだ」
「ところが我が真教の、この術式を用いれば、そんな失敗を回避することができるのだ。他の2宗派ではこうはいかん。そもそも……」
ラヤンが再び手を挙げた。
「マルマー先生。御託は不要なので、さっさと術式を提供してください。時間の無駄です」
隣ではペルが簡易杖を先生に向けたままで、どう反応していいのか分からずに黒毛交じりの尻尾をパタパタさせている。級長はいないのだが、1年生や2年生の法術専門クラスの生徒10余名は完全にラヤンの仲間のようだ。一緒になって強迫気味の視線をマルマー先生に投げかけている。
一方で10名ほどいる、ペルを含んだ選択科目の生徒たちはザワザワして落ち着かない様子だ。
彼らの中には、「こらラヤン、ツッコミするなよ」と訴えかける視線を投げる生徒もいるが、ラヤンにはどうでもよい些末なことのようだ。
「さあ。早く術式を渡しなさい、マルマー先生」
【木星の衛星軌道上】
その頃、ミンタ狐は宇宙にいた。サムカがやったように、自身を包むように〔防御障壁〕を展開している。その〔防御障壁〕の最外殻は青白い光を放っていて、遠くから見るとまるで発光クラゲのようである。
そのミンタの眼前には、巨大な『木星』の姿があった。
一応は衛星軌道上にいるので、木星本体からはかなりの距離がある。しかし、遠近感がおかしくなる宇宙空間では、まるで手を伸ばせば木星大気に触れることができそうな錯覚になる。
地球に比べればかなり弱い太陽光に照らされて、大赤班や縞模様の大気渦流が幽玄に浮かび上がっている。
縞模様の中では多くの泡状の渦が発生していて、それらがまとまって褐色の大理石の模様のように見える。渦の中では雷光が輝き、何かの美術品のような印象をミンタに与えている。
極方面では見事なオーロラも発生している。幾重にも重なる青白色のリングがユラユラと揺れながら、その形を変えていた。大気の渦の色も青みがかっている。
(いつ見ても木星はきれいだけれど、自己主張が激しいよねえ。今日は特にそうかも)
ミンタがやや呆れたような顔で、木星の渦流を見下ろした。
その隣には胴体の直径が1メートルほどの、ミンタよりも少し大きめサイズのクモがいる。ミンタと同じような〔防御障壁〕を自身の周りに展開して浮かんでいた。古代語魔法の先生である。
自在に自身の大きさを変えることができるようだ。以前にサムカが教員カフェで会った際にはもっと大きかったのだが、今はミンタの身長に合わせているのだろう。クモの〔防御障壁〕の外側も発光クラゲのように、ぼんやりと輝いている。
(うむ。その通りだ、ミンタ。そろそろ外銀河で発生したエックス線バーストが本格的に届く頃だ。周辺の宇宙空間のエネルギーが上昇してきている)
クモ先生がミンタと〔念話〕魔術を介して会話をしている。
ミンタがクモ先生に顔を向けた。〔念話〕魔術は別に顔や口を相手に向ける必要はないのだが、そこは生徒としての礼儀なのだろう。そういえば、ミンタの他には生徒の姿は1人も見えない。
エックス線バーストとは、その名の通り、エックス線の爆発的な発生だ。主にエックス線を多く含んだ宇宙放射線が大量に天体から発生し、周囲に放射される現象を指す。
(クモ先生。先行して届いたニュートリノから、このバーストを予測したのですよね。これは、前から挙動が怪しかった、活動銀河核エンジンが活性化したと考えて良いのですか?)
ミンタの質問を聞いたクモ先生が、巨大な丸い胴体についた1対の若芽色の複眼が目立つ頭をクリクリと回した。4対の単眼も一緒に動き、白緑色の光を放った。一方で8本ある足は微動だにしていない。
(うむ。そうだな、ミンタ。このエンジンはよくあるもので、はるか遠い外銀河のものだ。故に、ここまで届くのは、弱いエックス線を含む宇宙線だ。が、それでも木星のオーロラに変化をもたらすには充分だろう。今回の授業で用いる、木星の内部磁気圏にもな)
(はい、クモ先生)
ミンタがやや緊張した表情になって返事をし、簡易杖を取り出して術式を起動準備した。
太陽系が属する天の川銀河もそうだが、ほぼ全ての銀河の中心には太陽の10万倍から10億倍の質量を持つ巨大ブラックホールがある。その中で、ガスを激しく吸い込むものは活動銀河核と呼ばれる。そこから放出されるエネルギー量は、その銀河に属する1000億個もの恒星の総和を上回るものだ。
ブラックホール周辺で、ガスの重力エネルギーが放射エネルギーに変換されているためである。そのエネルギー変換システムをエンジンに例えている。燃料が、タイヤを回す運動エネルギーに変換されるようなものだ。
その活動銀河核エンジンから放出されるエネルギーは、主に可視光線や、エックス線を含む宇宙線なのであるが、10の34乗から38乗ワットに達する。
放出場所は主に2つに分かれている。1つはブラックホールから遠い降着円盤領域で、主に可視光線の放出。
もう1つはブラックホールから近い高温電子領域で、主にエックス線を含む宇宙線の放出である。
ブラックホールに流れ込むガスの量が増えると、エックス線の放出が爆発的に増加する。そして今回のようにエックス線バーストとして、ミンタがいる別の銀河まで影響が及ぶのである。
(高エネルギーのエックス線粒子数が、そろそろ閾値を超える。術式起動のトリガーに指をかけておきなさい、ミンタ)
クモ先生がやや機械的な口調で〔念話〕をミンタに送信した。ミンタも「はい」と〔念話〕で返信する。
実際にはミンタの簡易杖には引き金は付いていないのだが、指をかける仕草をした。同時に今までクラゲのように光っていた、それぞれの〔防御障壁〕の発光が弱くなっていく。
木星の両極のオーロラ冠も薄くぼんやりとなる。閾値を超えた合図である。
活動銀河核エンジンが放つエックス線バーストには特徴がある。ブラックホールに吸い込まれるガスの量が増えると、放出されるエックス線のエネルギー値が高いものから低いものへと切り替わる。
銀河によってかなり異なるが大まかに言えば、3から10キロ電子ボルトのエックス線粒子の放出が、毎秒8個以上になるあたりが閾値となる。
それを超えると、エックス線の構成成分が変わってエネルギーの低いものになる。2、3キロ電子ボルトぐらいか。しかし、総放出量が多いために、エックス線バースト全体としてのエネルギー量は桁違いに大きくなるのである。
車のエンジンでいえばギアを低速から高速へ切り替えることで、車の持つ運動エネルギー量が跳ね上がるようなものだ。
(きたぞ、ミンタ)
クモ先生がさらに機械的な音声になって〔念話〕をミンタに送ってきた。
確かに、急激に〔防御障壁〕が青緑色に強く輝き始めた。木星のオーロラも色が少し変わって、より青い色で強く輝き始めていく。しかもオーロラ発生域が、極地域から中緯度地域にまで広がり始めている。エックス線領域の波長の光が、木星本体の大気へ大量に衝突し始めたためだ。
ちなみに、木星の大気組成は地球とは異なるので、発せられるオーロラの光も別の色になる。地球の場合は、上層の大気層では緑色だ。
(はい、先生。術式解放します)
ミンタが杖のトリガーを引く仕草をした。
同時に木星の周りの宇宙空間が、ぼんやりと青く発光し始める。木星の内部磁気圏の発光である。ミンタとクモ先生が浮かんでいる場所までは届かないが、それでも木星半径の6倍ほどもあり、木星を取り囲む巨大なドーナツ状になって発光し始めている。
木星は太陽に次いで大きな磁場を持ち、その強さは地球の磁場の1000倍以上もある。この磁場が木星の磁気圏を形成している。
今、ミンタが使用しているこの磁気圏は木星内部磁気圏と呼ばれ、地球でいうところの放射線帯に相当する。
文字の通り、高エネルギー電子が詰まった場所だ。木星の衛星イオの公転軌道を中心に、木星をドーナツ状に取り囲んでいる。
この内部磁気圏に入った電子や陽子に中性子は磁場で加速され、イオン化されている木星周辺ガスと衝突して発光することになるのである。いわば、自然の粒子加速器とも呼べる。
ただ、普段は発光しても極端紫外光領域なので目視することはできない。今はミンタの魔法によって波長が〔変換〕されているので青い光として見えている。
木星の周辺に充満しているイオンは、その大半が衛星イオからの火山活動で宇宙空間へ放出された火山性ガスだ。主成分は二酸化硫黄で、もちろん有毒ガスである。
ガスは衛星イオの周囲で特に濃く漂っているので、ミンタの魔法でイオ自体も青く光り始めた。イオの木星公転周期は42時間ほどなので、引き離されたガスはイオから彗星のように尾を長く伸ばしている。こうして見ると、突如彗星が発生したようにも見えないことはない。
もちろんミンタ個人の魔力では、このような膨大なエネルギーを操作することはできない。今回はエックス線バーストのエネルギーを借りて、波長〔変換〕を一時的にしただけである。
それでもかなり疲労しているようで、大きく肩で息をしているミンタだ。クモ先生の早春の木の芽の色のような複眼の目立つ頭がクリクリと動き、〔念話〕を送ってきた。
(うむ。波長〔変換〕を5秒間持続できたか。課題は達成できたな、ミンタ。これで、この古代語魔法は習得できたと判断する)
既に青い木星ドーナツとイオ彗星は消えてしまっていたが、ミンタは荒い息をしながらも嬉しそうだ。
(はい。ありがとうございました、クモ先生。それで、この波長〔変換〕魔法ですけど何かに応用できるのでしょうか)
(現状の君の魔力では、ここまでだ、ミンタ。地球のオーロラの色を少し強める程度だろう。本来、この古代語魔法は、木星磁場や太陽磁場を用いたビーム砲だったのだが、今の時代ではメイガスやリッチー、魔神にドラゴン、巨人どもの一部ぐらいしか使えまい。無論、彼らより魔力で相当に劣る君では、到底使えぬよ、ミンタ)
クモ先生がミンタに初めて頭を向けて解説してくれた。声色は機械的ではなくなり、狐族の声に近くなっている。クモ先生なりにミンタに配慮しているのだろう。
ミンタも察したのか明るく微笑んだ。ようやく息も整ってきたようで、〔防御障壁〕の揺らぎも収まっている。
(実用的ではなくても、古代語魔法が使えるだけで嬉しいです。クモ先生。それはそうと、木星砲とか太陽砲とか、ずいぶん物騒な魔法だったんですね)
クモ先生もミンタの呆れたような口調に同意したようで、同じような口調の〔念話〕になった。
(そうだな、ミンタ。300万年前の魔法戦争のせいで、地球周辺の他の宇宙人文明が全滅してしまったほどだ。おかげで、地球は現在一人ぼっちに近いな)
クモ先生が呆れた口調のままで、ミンタに〔念話〕を送り続ける。
(その後メイガスどもが世界〔改変〕したせいもあって、現在でも魔法文明を構築できた宇宙人は他にいないようだ。ワープ航法を確立した宇宙人文明は、同じ銀河系の中にいくつかあるがね。その程度では、メイガスどもの使う魔法には太刀打ちできぬ)
そう説明されても、ミンタには想像が難しいようだ。両耳を交互にパタパタさせて聞いている。
そんなミンタの反応を楽しむかのように、クモ先生が少し軽めの口調で〔念話〕を送ってきた。
(昔の木星砲や太陽砲は小競り合い用の攻撃魔法でな、主力魔法として使われたのはエックス線バーストだった。ブラックホールの発生源から出たばかりの強力なものを、空間〔転移〕魔法で攻撃目標の座標に転送するというやつだ)
〔念話〕を聞いているミンタの目が驚きと呆れとで点になっている。
その表情を楽しんだクモ先生が、もう少しだけ解説を続けた。
(文字通り、太陽系ごと吹き飛ばして塵すらも残さない威力の魔法だ。その銀河を構成する恒星すべてのエネルギーを上回る攻撃が、太陽系の狭い空間に放射されるわけだからな)
話を聞いているミンタが呆れたような笑みを口元に浮かべて、両耳をパタパタさせた。もはやそこまでいくと、冗談か何かにしか思えない。同時に〔防御障壁〕の発光が急速に弱まってきたことに気がつく。木星のオーロラも、再び極地域に戻り始めていた。
(今回のエックス線バーストはここまでみたいですね、クモ先生。外銀河から来てるから、こんなものなのかな)
(いや、断続的に数か月間ほど続くはずだ。いつまで続くかは、占道術にでも聞けば良いだろう。では、教室に戻るとしよう、ミンタ)
クモ先生の授業終了の宣言に、ミンタが手を挙げた。
(クモ先生。この古代語魔法をもっと練習してもいいですか? せっかくですので、木星に落ちる隕石や氷のかけらを撃ち落してみたいです)
クモ先生の頭がクリクリと動いて、2本の前足で軽く腕組みをした。が、すぐに腕を解いて元の位置に戻す。
(うむ。よかろう、ミンタ。君の魔力ならば、練習を積めば、小さな隕石程度までなら何とか蒸発させることができるだろう。実用的ではないという点では変わらないが。粒子加速器として、光の精霊魔法の補助魔法装置としても、それなりに利用できるだろう)
ミンタが片耳をパタパタさせて聞いた。
(粒子加速器……ですか。通常の宇宙線の成分は、ほとんどが陽子ですよね。それを木星大気に衝突させると、中性子やミュオンといった素粒子が大量に発生します。それを使った実験ですか? クモ先生)
クモ先生が再び頭をクリクリと動かした。
(そうだな、ミンタ。中性子は電荷がないから扱いにくいが、ミュオンなら色々と遊ぶ事ができるだろう。エックス線バーストの時期であれば、粒子加速用のエネルギー源には不自由しまい。また、木星は太陽から離れているから、月のバケモノや、太陽の龍どもにも見つかることはないだろう。好きにやりなさい)
【放課後】
そんなこんなで、彼らの今日最後の授業時間が終わった。
3人が作成したゾンビは無事に校長の許可も得て、巨人ゾンビの用務員室に収まった。予想通り、それなりの闇の精霊場と死霊術場が部屋の中に充満している。これならば、窓から差し込む日差しに対しても問題なさそうだ。
一方で、法術のマルマー先生を筆頭にしてリーパット主従やバントゥ党を始めとした多くの生徒が、反対意見を校長に示して抗議してもいた。しかし、教育指導要綱には勝てなかったようである。
さらに、先日の地雷巨人ゾンビの威力が帝国上層部にまで伝わっているようで、アンデッドへの関心がかなり高まっていたことも追い風になった……とティンギ先生やマライタ先生から、後日聞くことになったペルやレブンたちである。
用務員室は東西の校舎に付属する形で1部屋ずつあり、教員宿舎にも1部屋ある。その内の、精霊魔法の教室がある西校舎の用務員室が、巨人ゾンビとペルたちのゾンビに割り当てられた。
他の東校舎と教員宿舎の用務員室には、ゴーレムが配置される事になったようだ。ちなみに生徒たちが住む寄宿舎は、生徒たちで用務員の仕事をする事になっている。
巨人ゾンビに命じて、ペルとレブンが行動設定を変更する。放課後に教室から用務員室まで、ゾンビを殻付きのままで持ってこさせて、この部屋をゾンビの拠点とするようにするためだ。
ちなみに、教室から用務員室までの途中にあった植木などの障害物は、ジャディが風で吹き飛ばしてくれたので、殻も壊れることなく運ぶことができた。
(後で先生や校長先生に叱られて、警察にも呼び出しを食らうのだろうなあ……)と思うレブンとペルである。ジャディは逃げる気満々だ。
レブンが3人ともに設定修正を無事に終えた事を確認する。
「これで、この用務員室からペルさんとジャディ君のゾンビは半径100メートル、僕のゾンビは半径150メートルの圏内で行動できるようになったね。この西校舎の用務担当って事になるのかな。東校舎は運動場があるから、遠くて範囲外になるね。まあ、これは巨人ゾンビ君に任せよう」
忘れていた点があったようだ。レブンが軽く頭をかいた。
「あ、そうだ。パリーさんを怒らせないために、森へは入らないように『制限』をかけておかないと。その修正術式を送るね。ペルさん、ジャディ君」
もちろん、日中は太陽があるので野外には出ることができない。そのため、巨人ゾンビだけがノソノソと外へ出て、清掃や教材搬入などの仕事をする。
用務員室の中ではその間、3人のゾンビたちが帳簿記入などの学校事務の仕事をすることになった。夜間は外に出ることができるので、巡回警備の仕事である。
本来は駐留警察署の仕事であるのだが、魔法災害がいつ起きるか分からない学校なのでゾンビたちが代わりに行うことになった。
ちなみに警察は学校敷地の外の巡回警備もしている。最近は飛族や狼族、原獣人族から、「検問が多くなった。邪魔だオマエラ」等々、という文句が警察に出されているようだが。
用務員室の外にはミンタとムンキンがいて、リーパット主従とバントゥ党の十数名を相手に口論をしていた。が、ペルが外に出てきたのを見てミンタが駆け寄って抱きついた。栗色の瞳に若干の不安が見える。
「ペルちゃん、どう? うまくいった?」
ペルが薄墨色の瞳を夕日に輝かせて、大きくうなずいて微笑んだ。眉に相当する上毛や、口元、鼻周りの極細のヒゲも夕日を反射して金色にきらめく。
「うん! もう安全だよ。ごめんね、ミンタちゃん。せっかく来てもらったのに、部屋の中に入れなくて」
ミンタも夕日に全身のフワフワ毛皮を輝かせて、ところどころ巻いて跳ねている毛先を振りながら首を振った。
「いいのよ。私の魔法適性じゃあ、この部屋の中に入ったら調子が悪くなるだろうし。巨人ゾンビまでいるから、かなり死霊術場の濃度が高いのでしょ?」
ミンタの意外にサバサバした口調の問いに、レブンが明るい深緑色の目を伏せてうなずいた。
「うん。多分、僕たち3人以外の生徒が中に入ると目まいや悪寒を覚えるほどだと思う。夜中になると更に強くなるから、全校生徒に注意するように伝えないといけないかな」
それを聞いて俄然勢いづくのは、やはりリーパットであった。黒茶色の瞳を鋭く光らせて、ドヤ顔気味にレブンに歩み寄る。後ろには腰巾着のパランもいて同じようなドヤ顔をしている。
「ほら見ろ! とんでもない危険物じゃないか。シーカ校長の決定だろうが何だろうが、こんな化け物を学校に置くなんてできるかっ。我ら生徒がゾンビにされてしまうぞ!」
「そーだ、そーだ」と、後ろで拍手までしながら主人のリーパットを応援しているパランを無視して、レブンが反論した。口元がやや魚のそれに戻っている。
「リーパット・ブルジュアン先輩。事実誤認がありますよ。このゾンビには感染能力はありません。死霊術も攻撃的なものは入っていませんから、触れても失神などのショックを受ける恐れはありません。その程度のことは、先輩方も授業で習っていると思いますが……」
ジャディが早速、「しょーがねえなーもう」と嬉々とした表情でケンカの準備を始めるのを、ペルと一緒に抑え込む。
一方、抑える者がいないリーパットが狐顔を赤らめて怒りながら、レブンの反論を途中で断ち切った。
「う、うるさい! この劣等種族め。そのくらいのことは知っておるわ! 高貴な狐族に逆らうとは大した度胸だな。貴様なんぞは、我が〔魅了〕の魔法でいくらでも……あれ? なぜ効かないのだ」
呆れた顔で見ていたムンキンが面倒臭そうに口を開いた。ジャディを抑える手伝いも一応している。
「バカか貴様は。そのくらい、日常設定の〔防御障壁〕で常時無効化してるぞ」
レブンが何とかジャディをなだめて、セマン顔をムンキンに向けた。
「表現方法が直接的に過ぎるよ、ムンキン君。リーパット・ブルジュアン先輩と腰巾着のパラン・ディララン先輩は、3年生にも関わらず成績は学校最下位なんだ。赤点スレスレなんだよ。的確な指摘はよくないよ」
「な!?」
さらに激高するリーパットの横で腰巾着のパランがヘラヘラと笑い、左の狐耳をかく。
「あはは。そうなんだよ。おかげでリーパットさまと俺も、卒業後の就職先がまだ決まっていなくてね。ブルジュアン家のコネに頼ろうかと思案中なんだ」
「コ、コラ! 余計なことを言うなっ」
リーパットが激高しながら両耳の先を真っ赤にした。
微妙な間が空いて、リーパットが「コホン」とイライラしながら咳払いをする。既に逃げ腰になっていて、つま先が寄宿舎の方向へ向いている。
「と、ともかくだ。我がブルジュアン家に訴え出て、この化け物どもを撤去させてやる。そこの魚族! 死霊術使いなどどいう危険極まりない輩は、すぐに隔離島へ送ってやる。あ、ええと、その……」
リーパットが口よどんだので、すぐにパランが補佐に入った。意外に優秀なのかもしれない。
「リーパットさま。その魚族の名前は、レブン・イカクリタです。隣の竜族はムンキン・マカン、狐族はペル・バンニャ、飛族はジャディ・プルカターンで……」
「覚えられるか! 後で表にまとめろパランっ」
リーパットが頭から湯気でも出しそうな勢いでパランに食って掛かった。そして、そのまま逃げ足を止めずに顔だけをレブンたちに向ける。既に数メートルは逃げている。
「く、首を洗って待っておれ! 劣等種族ども」
負け惜しみにしか聞こえない捨て台詞を吐きながら、足早に退場していくリーパット主従であった。その尻尾がホウキのように逆立って、「キャン」と鳴いて飛び上がった。
「買えもしねえケンカを売るなってんだ、バカめ」
レブンが見上げると、ジャディが右手をリーパット主従に向けていた。そこから発せられている闇と風の精霊場を感じながら、レブンがため息をつく。
「……ジャディ君。撃っちゃだめだってば。まあ、だけど、これで僕たちの名前と顔を覚えられてしまったかなあ。面倒なことにならないといいけど」
レブンと一緒にジャディを抑えつけていたムンキンも、柿色の金属光沢を放つ頭のウロコを夕日に輝かせながら半眼になった。再び、リーパット主従が跳び上がって悲鳴を上げる。逃げる速度が倍以上に加速したようだ。
「ジャディ、貴様だけずるいぞ。俺にも撃たせろ」
レブンがジト目になってツッコミを入れた。
「もう撃ってるじゃないか」
リーパット主従が寄宿舎の中に逃げ込むまでの間、ニヤニヤしながら交互に魔法を撃ち込んでいるジャディとムンキンだ。
呆れて彼らから離れたレブンに、今度はバントゥが党員生徒を引き連れて寄ってきた。やはり同じようなドヤ顔をしている。
「レブン・イカクリタ君、安心しなさい。あの純血主義者はブルジュアン家の次男に過ぎない。何の権力も有していないさ。もし何か起きても、我がペルヘンティアン家が守ってあげよう。死霊術使いというだけで、種族差別をすることは良くないからね」
(赤褐色の大きな瞳を輝かせたドヤ顔のままで、そう言われてもなあ……)と思うレブンである。が、ここは素直に頭を下げることにしたようだ。
「ご配慮ありがとうございます。もう、僕の名前をご存じなのですね」
「コホン」と1つ咳払いをしたバントゥが、いかにも大衆受けするような笑顔を浮かべた。
「ここの全ての生徒たちは、帝国の重要な人材だからね。ああ、私たちも自己紹介をしておこう。僕は、バントゥ。ペルヘンティアン家の三男だ。幻導術の専門だから、なかなか君たちと会う機会がないのが残念だよ」
レブンが形式的に挨拶をする。
ジャディとムンキンは狙撃に夢中で、バントゥたちには興味がない様子だ。それはミンタも同様で、ペルの隣であくびをしながら、逃げていくリーパット主従を眺めている。ペルはどうしてよいか分からず、尻尾をパタパタ振ってオドオドしている。
バントゥはそんなミンタとムンキンに不快な視線を向けたが、すぐに愛想笑いの表情に戻る。そしてレブンの挨拶に応えた。
「礼儀正しいね、君は。良い心がけだ。さて、僕の仲間も紹介しよう。『バントゥ党』だ。彼はチューバ・アサムジャワ君だ。君と同じ魚族だが上級生の2年生で魔法工学の専門だよ。成績は学内でも上位だ」
バントゥの紹介を受けたチューバがレブンに黒い紫紺色の瞳を向けて、セマン顔で微笑んだ。赤褐色の癖のある短髪が夕日を浴びて鈍く輝く。
「よろしく、レブン君。イカクリタ姓ということは、帝国海運の要衛の町か。自治軍の精強さは有名だね。僕の町は田舎でね。自警団しかないし、職も乏しい。君が羨ましいよ」
レブンの表情に大きな影が生じた。それを意図していたのか、口元が少し緩むチューバである。バントゥも察したのか、声色が少しだけ明るくなった。
「その隣の彼は、竜族のラグ・クンイット君だ。ソーサラー魔術の専門で3年生だよ」
青藍色の瞳を夕日に輝かせたラグが、レブンに軽く挨拶した。ムンキンと違い、尻尾が貧乏ゆすりのように絶え間なく地面を叩いている。神経質な性格なのだろう。
金属光沢を放つ黄赤色の細かい頭のウロコも、尻尾のビートに合わせて振動しているので、余計に神経質そうに見える。
「よろしく。レブン君。学校や帝国への不満があれば、俺に相談しなさい。力になるよ」
他にも多くのバントゥ党の生徒がいるのだが、ここで時間切れになったようだ。巨人ゾンビの用務員が、定時業務のために部屋から出てきた。そのまま無言で、のっしのっしと校舎へ歩いていく。
バントゥがその巨人ゾンビの後ろ姿をおっかなびっくりな表情で見送る。その後で改めてドヤ顔になって、レブンに視線を戻した。
「多民族共栄を掲げる我が帝国にとっては、死霊術使いの魚族であっても歓迎するよ。だが、ゾンビはゴーレムやアンドロイドと同じように、仕事を奪う存在だ。魔法文明を取り入れること自体は非常に良いことだが、それで失業率が上がっては本末転倒だ。治安の悪化にもつながる」
バントゥが瞳をキラリと輝かせた。かなりの、上から目線になっている。
「君も、その点を承知してほしい。特に、ゾンビは死体を利用するからね、くれぐれも暴走させたりはしないように。さもないと、我々も排除に動かざるを得なくなるからね」
レブンが深緑色の瞳を曇らせながら、うつむいて従う。もう既に排除の動きを示していると思うのだが。
「はい……慎重に扱うつもりです」
そう言った彼の口元や目元が、魚のそれに戻り始めていた。ペルが慌ててレブンを慰める。
そんなやり取りを見ていたミンタが呆れ顔になり、ドヤ顔のバントゥに鋭い視線を向けた。
「バカね。暴走したら即、破壊すればいいだけでしょ。何をそんなに怖がっているのよ、この名家の狐さんは」
その栗色の瞳も、大いにバントゥ党の連中を見下した色を帯びている。ちょうどリーパット主従が無事に寄宿舎へ逃げ延びたので、バントゥに意識が向いたようだ。
早速ジャディが、ミンタに向かって「なんだとコラ。壊せるもんなら壊してみろやコラ」とか何とか突っかかっていくのを、抑えつけるレブンとペルである。今までの話を全く聞いていなかったらしい。ペルがさすがに呆れた表情になって、ジャディに指摘した。
「怒る相手を間違えているよ、ジャディ君」
ムンキンはミンタに同調して尻尾を数回地面に叩きつけ、頭の柿色のウロコを膨らませた。
「だよな。ゾンビごときに何をびびってるんだよ。バカじゃねえのか、上級生様よ」
「何だと!」と、魚族のチューバと竜族のラグが激高してムンキンに詰め寄ろうとするのを、制止するバントゥだ。怒りの声を上げ始めた他の党員の竜族の男子生徒2人や、他の仲間たちにも自制を求める。
「まったく……いくら魔力が強くて成績上位であっても、品性が欠けていては帝国要職に就く道が細くなる一方だぞ」
そして、優雅な所作で視線を別方向へ向けた。彼の視線の先にはマルマー先生が立っている。両手で何かの合図をバントゥに送っていた。「フッ」と、鼻先で笑うバントゥ。
「法術のマルマー先生が僕たちを呼んでいるようだ。そちらへ向かおうじゃないか」
確かに、巨人ゾンビにつかず離れずの距離でマルマー先生が尾行しているのが見えた。監視するつもりなのだろう。バントゥ党を手招きしている。
ぶつぶつ文句を言いながらも、チューバとラグがバントゥに同行して去っていった。リーパットのように捨て台詞を残さないあたりは、まだ紳士的と言えそうだが。
ムンキンが濃藍色の目を据えて、柿色の尻尾で何度も地面を叩きながら大きく舌打ちした。
「あんなのが、帝国の要職に就くんだよなあ。困ったもんだぜ。多民族主義とか何とか抜かしやがるけど、俺たち竜族の街には警察も軍も置かずに放置だ。ただの方便だってのはバレてるんだぞコラ」
レブンが少し同意しながらも、ムンキンの怒り肩に片手を乗せた。
「それは魚族の町だって同じだよ。少しずつ変えていくしかないよ。それに確かペルヘンティアン家って、反宰相派だったと思う。分家のバントゥ先輩は、日和見的な宰相派だったかな。なかなか面倒なんだと思うよ。リーパット先輩のブルジュアン家も宰相派とは仲が悪いようだし。複雑な勢力図になってるから、あまり関わらない方が良いと思うよ。ムンキン君」
ジャディは解放されて大空へ舞い上がっていく。鳥目のために夕暮れが進むと帰れなくなるので、少し急いでいるようだ。鳥目と言っても夜間飛行は充分にできる。狩りやケンカをするには不安があるという程度だ。