123話
【門の側の召喚場】
<パパラパー!>
水蒸気の煙が召喚魔法陣の上に発生して、中からサムカが現れた。
今回は、古代中東風の長袖シャツにズボン、黒い革靴に黒のマントの貴族らしい姿だ。腰の年季の入ったベルトには、中古の長剣が吊るされている。
「おお、成功だ」
聞き慣れた校長の声がする。水蒸気の煙を〔消去〕しながらサムカが山吹色の瞳を向けた。
「10日ぶりだな、校長。体調は戻ったかね?」
にこやかに微笑む校長がすぐに、狐族の事務職員数名に、召喚魔法陣の消去と供物の撤去を指示する。
モップで魔法陣を消す作業が開始されて、サムカが召喚場の外に出た。いつもの学校の門のそばに設けられている召喚場には、先日サムカが大槍で開けた屋根の穴が、まだ修理されずに残っていた。
それを見上げたサムカが整った眉をひそめる。
「誰だね。屋根に穴をあけたのは」
校長がサムカと一緒に屋根の穴を見上げて、首をかしげている。
「誰がやったのかは不明のままです。後日修理しておきますね、テシュブ先生」
そのような会話を聞いて大あくびをしたサラパン羊が、夏毛で覆われたモコモコ体で背伸びした。
「さあて……では私は食堂で休憩してきましょうかねっ」
召喚ナイフを鞘に収めたサラパン羊が、上品なスーツの内ポケットではなく、直接羊毛の中に押し込んだ。そのまま、適当な挨拶をサムカと校長にして、スキップして転がるように地下階への階段へ向けて去っていく。
「相変わらずだな、あの羊は」
サムカが頬を緩めながら、モコモコ夏毛の玉にしか見えないサラパン主事の後ろ姿を見送る。すっかり春の日差しに変わっていて、羊の姿も若干スリムになっているようだ。
校長はもう見慣れてしまったようで、羊の後ろ姿を見る代わりにサムカに狐顔を向けた。白毛交じりの頭の毛皮が日差しを反射してキラキラ輝く。機嫌が良いのか、両耳がパタパタ動いている。
「では、私たちも向かいましょうか。今日は野外実習という事ですので地下の教室ではなく、直接木星へ通じる〔テレポート〕魔法陣へご案内します。クモ先生は既に木星で準備をしていますよ」
サムカも校長に続いて、運動場へ向けて歩き始めた。門を通じて、森の外から農家や商人の荷駄が行き来しているので、彼らの通行の邪魔にならないように気をつける。
サムカが農家からの挨拶に、白い手袋の左手を上げて応えながら校長に微笑む。
「見たところ、すっかり通常業務に戻ったようだな。獣化のショックで大変だとハグから聞いていたのだが、回復して何よりだ」
校長が白毛交じりの頭を魔法の手袋をした右手でかいて、尻尾で通路を掃きながら振り向いた。
「お恥ずかしい限りです。獣の狐になっていた間の記憶が全く無いのですよ。気がついたら森の中で、服も着ていませんでした。何が起きたのか、全く分かりません」
サムカが「コホン」と軽く咳払いをして、山吹色の瞳を細める。
「私もだよ。ハグの話では『とあるメイガス』が犯人だという事だ。真相は永遠に闇の中だろうが、いずれ、賠償などが行われるだろう」
校長の表情がパッと明るくなった。尻尾の動きが大きくなり、鼻先のヒゲがピンと張る。
「賠償交渉は、すでに始まっていますよ。タカパ帝国の国王陛下とドラゴン世界の全権大使との会合が、今日から始まりました。帝国復興資金の全額賠償と技術支援が確定しています。まあ、その……タカパ帝国以外の国との交渉はしない模様で、周辺国からは非難を浴びていますが。この魔法学校も、ようやく地上校舎と寄宿舎の再建が始まるそうで、ほっとしています」
(そう言えば、もうすっかり地下階の教室に慣れてしまっていたなあ……)と思うサムカ。アンデッドの身では、生命や光の精霊場が弱い地下の方が、気楽で居心地が良いものだ。しかし、ここは素直に校舎建設に賛意を示す事にする。
「そうかね、それは朗報だな。パリー先生やクーナ先生の機嫌も良くなるだろう」
ここで校長が、申し訳なさそうにサムカの顔を見上げた。
「テシュブ先生。まだ公式発表はされていないのですが、全生徒の授業日数が規定を下回ってしまいました。休日の補修授業や試験の先送り等をしてきましたが、対応限界を超えてしまいました」
サムカが少し怪訝な表情になった。首を少しかしげて、軽く腕組みをする。今は運動場の中を2人で歩いていて、周囲には誰もいない。パリー先生やエルフ先生、それにソーサラー先生のクラス生徒が、運動場の一角に集まり始めている段階だ。
それでも学校の保安警備システムは稼働しているので、マライタ先生辺りが『盗聴』している可能性は高い。とりあえず〔遮音〕と口元の動きを〔偽装〕する魔術をかけた〔防御障壁〕で、サムカと校長を包む。
「……それはつまり、生徒たちは全員『留年』という事かね?」
校長が両耳をペタリと前に伏せて、顔じゅうのヒゲを顔の毛皮の中にめり込ませた。白毛交じりの尻尾が、不規則にパサパサ動いている。
「はい……獣化事件が起きなければ、何とかできたのですが。長期停電と、職員が突如獣化して暴れたせいで、省のシステムが緊急停止して、そのままになっておりまして。その復旧見通しに今後1週間ほどかかるそうなのです。学校現場にも当然ながら影響が及びます。明日、明後日には省から正式な発表が行われる予定です」
サムカが軽くため息をつきながら、〔防御障壁〕を解除した。校長も息苦しさから解放されたようで、深呼吸して背中を丸めている。その丸まった校長の背中をサムカが、白い手袋をした左手で「ポンポン」叩く。
「むしろ、これまで良く頑張ったと思うぞ。タカパ帝国存亡の危機が、短期間に何度も起きていたのだからな」
そして、サムカの瞳の色が落胆のあまり辛子色に濁った。
「しかし……私のこれまでの〔召喚〕実績も水泡に帰したか。ままならぬものだな」
校長もガックリと肩を落としたが……それでもサムカの歩調に合わせて、ちょこちょこと小走りでついてくる。
「テシュブ先生の授業は元々、選択科目の扱いでした。教育指導要綱に規定されている授業内容は多くありません。実際に、ほぼ履修終了の勢いですよね」
サムカが鷹揚にうなずく。
要綱ではゴーストとゾンビの作成と、その廃棄処理方法くらいしか項目がない。応用編として、野良ゴーストや他人が作成したゾンビを、退治したり逆に操作したりする実習を行う程度だ。その内容は、既に授業で教え終えている。
そのため今はサムカや生徒たちの発案で、実際に用いられている罠の解除や、回避の実習等を好き放題やり始めている状況だ。
「まあな。だが、貴族や魔族がこの世界へ傭兵等で来る可能性がある。私のような召喚ナイフ契約が、今後、普及するとなると特にな。その際に対処できるような実習を行っている状況だな、今は」
校長が素直に同意した。
「そうですね。現に、狼バンパイアや、ゾンビ化した魚族の襲撃が起こりましたし。テシュブ先生の授業情報を共有した軍情報部の大将閣下も、「大いに助かった」と非公式に感謝しています。防衛網が構築できたのは、「テシュブ先生の授業を参考にしたため」だそうですよ」
(なるほど、そういう面もあるのか……)と思うサムカ。
確かに、アンデッドの事はアンデッドに聞くのが実用的だろう。思い返せば、オメテクト王国連合のカルト派軍をサムカとエルフ先生が迎え撃ったのも、軍情報部が立案した作戦の一環として考えればいくつか腑に落ちる点がある。
当のサムカには、その記憶は全くないのではあるが、ルガルバンダの話ではそのような事をしていたらしい。
狼バンパイアや魚族のゾンビ群であれば、タカパ帝国の軍や警察、自治軍等で対処できる。しかし、敵が強力な騎士や貴族、魔族となると、とても太刀打ちできない。
サムカとエルフ先生に対処してもらうように、御膳立てを整えるのは合理的だ。しかし、獣化がノーム先生やマライタ先生たちにまで及んで、さらに情報部の全員が獣化してしまった事は、想定外だっただろうが……。
運動場にはパリー先生やエルフ先生、それにバワンメラ先生の姿が見え、サムカと校長に手を振って挨拶している。サムカと校長も、にこやかな笑顔で手を振り返す。
そこへ墓用務員と、なぜか墓次郎用務員も運動場に現れた。サムカと校長にニコニコ笑顔で手を振っているのが見える。そのまま、こちらへ向けてガニ股歩きで中年腹をたゆませながら、えっちらおっちら歩いてきた。
少し怪訝な表情になるサムカに、校長が愛想笑いを向ける。
「用務員さんからも、テシュブ先生に一言あるそうですよ。墓さんは国宝ですから、破壊しないで下さいね」
仏頂面で機械的にうなずくサムカだ。校長が2人の用務員に手招きしながら、サムカに話を続ける。サムカも再び盗聴対策が施された〔防御障壁〕を展開して、自身と校長の2人を包んだ。
その〔防御障壁〕の中で、校長がサムカに情報を補足する。
「授業日数不足が決定的になったのは、法術とウィザード魔法ですね。テシュブ先生が〔召喚〕された当時の要綱内容では、補修をすれば何とかなったのですが……追加の授業内容が大幅に増えてしまいまして。サーバーが増強された事で、授業内容もいきなり高度なものになってしまいました」
確かに、ある時期から法術やウィザード魔法、ソーサラー魔術の先生が一斉に教育熱心になった。恐らくは、サムカの登場で刺激された、エルフ先生やノーム先生の授業に対抗するためなのだろう。
サムカが目を閉じ、腕組みをして唸った。
「うむむ……そうかね。授業日数が減った上に、高度な授業内容に変更されては、留年決定になるのも頷けるな」
そして、校長がじっとサムカの山吹色の瞳を見つめている事に気がつく。「コホン」と軽く咳払いをするサムカだ。
「あー……ナイフ召喚契約だが、私ひとりでは決められないのだ。私は国王陛下に仕える領主であるしな。契約解除するか継続するか、内容を変更するか、今後どうするかについては、しばらく時間をくれないか」
校長が真剣な表情でうなずいた。
「そうですね……良い御返事をお待ちしております。テシュブ先生が居られなければ、一連の大騒動でタカパ帝国が滅んでいた可能性があったと、私は強く確信しているのですよ。ペルさんやレブン君も魔法制御を失って、帝国と敵対する事になっていたかも知れません。バントゥ君たちの事件と違い、魔力量が桁違いに多い2人ですからね。都市への被害も大変な事になっていたと思いますよ」
サムカが再び両目を閉じて、錆色の短髪を白手袋でかく。
「騒動の一部は、私をつけ狙っていたドラゴンのせいだと思うがね。私も、熊人形が暴走して迷惑をかけてしまったし。過大評価はしないでくれ」
そこへ、ニコニコ笑顔の用務員2人が歩いてやって来た。相変わらず、瓜二つの姿である。頭髪の黒髪と白髪の割合の差と、声質で何とか判別できる程度だ。
苦労しているのか白髪成分の割合が高い墓次郎用務員が、丁寧に校長とサムカに頭を下げて礼をした。当然ながら礼を返さないサムカである。
「これはテシュブ先生。〔召喚〕成功おめでとうございます。世界間のつながりが、また不安定になっていますね」
盗聴防止の〔防御障壁〕を解除したサムカが、思わず首をかしげて墓用務員を見る。墓がニコニコ笑顔をやや垂れた中年オヤジ顔に貼りつかせたままで、朗らかな口調で答える。
「詳しくは、後でメイガス協会から発表があると思いますよ。墓次郎さんは大事な仕事ができましたので、離職する事になりました」
思わず顔を見合わせるサムカと校長に、墓次郎が全く同じニコニコ笑顔を顔に貼りつかせて、穏やかな口調で話し始めた。
「私の製造元の一族ですが、まだ生き残りがいるのですよ。居場所がドラゴンゾンビのせいで消滅してしまいましたので、金星へ移住する事になりました。短い間でしたが用務員の仕事を通じて色々と学ぶ事ができ、有意義でしたよ」
〔ロスト〕攻撃を受けたはずなのだが……生き残った上に記憶も残っているようである。
サムカと校長は歴史〔改変〕に伴う記憶の欠如があるので、『ドラゴンゾンビ』といわれても理解できていない様子だ。それでも校長が残念そうな表情になりながらも、白い魔法の手袋をした両手で墓次郎の両肩を軽く叩く。
「そうですか。残念ですが仕方ありませんね。製造元の皆様にも宜しくお伝えください。金星での御活躍を祈っていますよ」
サムカが横で聞きながら、ジト目になって半分感心している。
(さすが墓所の魔法だな。どう考えても整合性がないのに、シーカ校長を納得させている。こんなゾンビを商品化するような製造元って、どこにもないぞ)
墓次郎がサムカの考えを読んだようで、軽く微笑んだ。
「私がいた痕跡は記憶も含めて数分後には全て消えますから、ご安心を。では、私はこれで。楽しかったですよ」
そう言い残して、墓次郎の姿が煙のように消えてしまった。
そして……最初から墓次郎などいなかったかのように、平然と用務作業の報告と相談を始める墓用務員であった。校長も平然と受け答えをしている。
その様子を横から見ていたサムカが、軽く肩をすくめた。
「もう、記憶と痕跡を〔消去〕し始めたのかね。迅速だな」
そう言ったサムカも、数秒後には墓次郎の存在を忘れてしまった。
知っていそうな者は、いつの間にかサムカの頭の上に出現したハグ人形だけかもしれない。ニヤニヤ笑いながら、サムカの錆色の短髪で寝転がった。
「おい、サムカちん。そろそろ授業開始の時刻だ。遅れるとクモ野郎に怒られるぞ」
校長が手元に時刻表示を呼び出して、跳び上がった。パタパタ踊りを始めながらサムカを急かす。
「わ、わわわ、本当だ。先程までは5分前でしたのに。思わず話し込んでしまいましたか。すいませんテシュブ先生、急いで〔テレポート〕魔法陣まで向かいましょうっ」
【木星へ】
サムカが地上をテケテケ走っていく校長を抱きかかえた。とりあえず、墓に軽く手を振って別れる。
「シーカ校長、どこに向かえば良いかね?」
校長がパタパタ踊りを自制しながら、鼻先のヒゲを運動場の一角に向けた。ちょうど寄宿舎が建っていた辺りだ。今は、完全に更地になっている。
「は、はい。あちらですっ」
「うむ」
サムカが腰ベルトに吊るしている地味な長剣の柄を、軍手で「ポン」と叩く。それだけでサムカが校長を抱き上げたままで、空中に浮かび上がる。驚いている校長に、山吹色の瞳を細めるサムカだ。
「飛行ホウキの術式を〔複製〕して、剣の鞘に導入しているのだよ。ちょっとしたホウキの代わりだな。後でマライタ先生に頼んで、新たなホウキ作成キットを購入する予定だ。では、時間がないので急ぐとしようか」
その方向へ向けて、サムカが無音で〔飛行〕していく。闇魔法の〔防御障壁〕と魔法場なので、実に静かだ。〔飛行〕による土埃も立たない。しかし、さすがにホウキそのものではないので、速度も遅く、高度も上がらない。校長が全力疾走するよりも若干速い程度だ。
それを見ていたエルフ先生とパリー先生が、にこやかに微笑んで手を振った。
「サムカ先生! 私も後で木星へ見学に向かいます。一応、サムカ先生とクモ先生が失敗した時に備えて、特殊部隊も衛星周辺に展開しています。ですので、心置きなく魔法を使って下さいね」
パリー先生もヘラヘラ笑いを満面に浮かべている。
「特殊部隊が失敗しても~森の妖精がいるから平気よ~。隕石なんか虫の群れにしちゃうし~」
本当にやりそうで、思わず頬を緩ませるサムカだ。無音〔飛行〕を続けながら2人の先生に右手を振る。左手は校長を抱えているので使えない。
「クーナ先生、パリー先生、済まないね。多分、今回は私も闇魔法は使わずに済むと思う。録画記録はするが、直接見にいった方が楽しめるだろう。私も、古代語魔法のクモ先生の実習授業を見るのが楽しみでね」
一方のソーサラー魔術のバワンメラ先生は、仏頂面でそっぽを向いていた。校長が小声でサムカに解説する。
「バワンメラ先生はこれまでの悪い行いが知れて、学校外への移動が禁止になっているのですよ」
サムカが小声で聞き返す。
「ん? そんなに悪行をしていたとは思えないが」
校長が少しジト目になった。
「一連の騒動の最中に、帝都の宝物庫や、教育研究省の地下施設の魔法具保管室、他の魔法協会や法術教会の魔法具保管庫に侵入して、色々と盗み出したそうです。果ては、諸外国の宝物庫や魔法具保管庫まで手を伸ばしていたとか何とか」
声を小さくしていく。
「ティンギ先生は証拠不充分で見逃されましたが、彼はダメだったようです。記憶はないという調査結果なのですが、監視カメラ映像に先生の姿が残っていまして……そのため『何者かに操られていた』という診断ですね」
(なるほど……だから最近姿を見かけなかったのか)と納得するサムカであった。そういえば、バワンメラ先生やティンギ先生の頭の中に、『赤い糸』があるかどうかハグ経由で調べていなかった。
校長にその事を伝えると、微妙な表情で両耳をパタパタさせた。
「帝都も、外壁や町の一部が大破したままです。操られていたとはいえ、侵入も容易だったのでしょうね。ともあれ、バワンメラ先生の処分がこれだけで済んだのは幸運でした。離職なされると、後任探しが大変なのですよ」
相変わらずのヒッピーのような服装のバワンメラ先生を見て、サムカも納得する。あれ以上の無頼漢な先生が来ると、さらに学校の授業が遅れてしまいそうだ。
校長が、地面に描かれている〔テレポート〕用魔法陣を指さした。
「ああ、着きました。ここです。では、慌ただしくて申し訳ありませんが、すぐに木星へ向かって下さい。私は宇宙空間に耐えうる〔防御障壁〕を作れませんし、魔法具も持ち合わせていませんので、ここまでです。生徒の皆さんは、既に現地木星に到着していますよ」
慌ただしくサムカが〔テレポート〕魔法陣の上に立ち、校長が陣の外に退避した。すぐに校長がカード型の魔法具を取り出して認証を行い、魔法陣を起動させる。
「すみません、テシュブ先生。この魔法陣は私が認証しないと動かない仕様なのですよ。クモ先生の要望でして。大勢が勝手に木星へ〔テレポート〕してしまうと、現地で魔法場汚染が起きて混線してしまうと、きつく警告を受けておりまして……不便ですが、ご理解下さい」
サムカが宇宙用の〔防御障壁〕を展開しながら、校長に微笑む。
「混線は面倒だからな。現地に着いたら闇の精霊魔法をペルさんと使って、魔法場と術式の交通整理でもしてみよう」
校長が再び深く頭を下げて、何か言ったが……同時に〔テレポート〕魔法が起動してしまったので聞こえなかった。
次の瞬間。真っ暗でほぼ真空の宇宙空間に出現する。目の前には巨大な木星が浮かんでいるのが見える。
すぐにクモ先生の声が届いた。〔念話〕ではないので少し驚くサムカだ。
「ようこそ、テシュブ先生。発射準備は完了している。観測位置へ。生徒や先生たちも、別の観測位置についている。幸い、魔法場汚染や術式の混線は起きていない。安心してくれ」
サムカがキョロキョロして上下左右を見回すと、数キロほど離れた木星側に、青白い繭型の〔防御障壁〕を展開しているクモ先生の姿が見えた。
胴体の大きさは直径2メートルほどだろうか。クリクリとよく動く頭には、一対の若芽色の大きな複眼が鎮座していて、四対の白緑色をした単眼がキラリと星のように輝いている。
サムカが自身の防御障壁の状態を確認してから、クモ先生に挨拶した。
「見物にきたよ。しかし……〔念話〕は不要という事かね。さすがだな、助かるよ」
【古代語魔法のショー】
サムカが礼を述べて、所定の観測位置へ〔飛行〕して向かう。
そこでは既にハグ人形が、撮影カメラのぬいぐるみを肩に担いで撮影を始めていた。周囲には50個ほどの撮影観測用の〔オプション玉〕が浮かんでいる。
サムカが剣の鞘を持って操縦しながら〔飛行〕して到着し、ハグ人形の隣に陣取った。
「早いな、ハグ。しかし予想通り、古代語魔法の人気は相当なものだな。この〔オプション玉〕は全て死者の世界のものかね?」
まだキョロキョロしているサムカに、ハグ人形が鼻で笑って答える。人形なので〔防御障壁〕もかなり適当だ。
「むしろ、魔法世界や亜人世界からの〔観測玉〕が多いぞ。リッチー協会がこうして撮影するほどの魔法実験だからな。ああそうそう、貴族どもは来ておらぬぞ。口だけで、余り関心がないとは。残念だわい」
ひとしきり貴族の悪口を述べてから、ニヤリと口元を緩めた。かなり表情が豊かになっている。
「ドラゴンや巨人に魔神も、こっそり隠れて見ているようだな。連中の隠しきれない膨大な魔力を、そこらじゅうで感じるわい」
サムカが錆色の短髪をかいた。
「うむむ……予想以上に注目されているのかね」
そう言いながら、教え子たちとの通信回線を開いて、手元の〔空中ディスプレー〕画面に映す。
すぐにペルの元気な声が入ってきた。
「こんにちは! テシュブ先生っ」
次いで、ジャディの興奮し切った凶悪な顔が画面に映る。琥珀色の両目が爛々と輝いていて、宇宙空間なのに背中の翼をバサバサさせている。
「と、殿! 見ていて下さいッス! やってやるッスよっ」
ミンタの顔も映っているが、こちらはジト目になって辟易したような表情だ。
「うるさいな、もう。〔テレポート〕魔法の座標計算が狂っちゃうでしょ、このバカ鳥」
たちまち、画面の中でジャディとミンタの口ゲンカが勃発した。それを慌てて諫めるレブンとペルである。
ほとんど様式のような流れに、思わず口元を緩めるサムカであった。隣のハグ人形は遠慮なくケラケラ笑っているが。
「クモ先生に迷惑をかけてはいけないぞ。『木星砲』は私も文献で見ただけの大魔法だ。クモ先生の指示に従って、慎重に行いなさい」
「ははっ! 了解しましたッス、殿っ!」
即座にジャディが「ピシリ!」と、タカパ帝国警察方式の敬礼を返して、術式の最終確認を始めた。
ミンタもため息を1つついて、無言で最終確認を行う。数秒もかからずに確認を終えたミンタが、画面上でクモ先生に報告した。
「クモ先生。最終確認を終えました。衛星を〔ロックオン〕完了です」
ジャディからも元気な報告が上がった。
「こっちも万全だぜ、クモ先生よお」
クモ先生から返事が音声で届いた。
「了解。では、ティンギ先生の〔予知〕通り、エックス線バーストが届くのを待つと……お。もう来たか」
クモ先生とジャディ、ミンタの〔防御障壁〕から反応メッセージがウィザード語で表示された。先行する微弱なエックス線が、〔防御障壁〕の自動観測術式で捕捉されたようだ。この観測術式は、他のペル、レブン、それにラヤンにも実装されているようで、一斉に〔防御障壁〕の色が青緑色に輝き始めた。
サムカが思わず目を丸くする。
「ほう……これは」
木星をドーナツ状に取り巻く内部磁気圏が、青白く輝き始めた。衛星イオの公転軌道まで余裕で飲み込む、とんでもなく巨大な発光だ。木星半径の6倍もある、巨大なドーナツ型の発光現象が始まった。
木星の北極と南極も同時に青白く発光し始めて、巨大なオーロラが幾重にも発生していく。
木星の大気にも大きな影響が出始めて、一見すると赤褐色と黄褐色の、大理石模様のような大気の帯と渦が活発に変形し始めた。木星の赤道付近までオーロラが発生している。
星がまるで生きているかのような、ダイナミックな模様の変化だ。
ミンタの冷静な声が画面から届いた。
「エックス線バーストの到着を確認、木星内部磁気圏への捕捉を完了。これより、衛星イオの火山ガス由来のイオンを、亜光速まで粒子加速します。カウントダウン、3、2……今」
木星の半径の6倍はある巨大な発光ドーナツが、更に眩しく輝き始めた。青白いプラズマが無数に発生し、この巨大なドーナツの中を埋め尽くしていく。
クモ先生の声が入った。こちらも、ひたすら冷静沈着そのものの口調だ。
「磁場強度、プラズマ強度、粒子加速ともに規定値に達した。ジャディ君、開始しなさい」
ジャディが画面の中で凶悪そのものの顔で吼えた。
「おう! 木星の風の妖精っ。ハグ人形っ。頼むぜ! ジャディ・プルカターンの名において要請する。〔加護〕しやがれっ」
どこからか、「ぷっ」と吹き出す声がした。雲用務員の口調で音声が割り込んでくる。
「どこまでも、面白い奴ですねえ。では、君との契約により、所定の魔力を支援します」
ハグ人形も、ぬいぐるみの撮影カメラを肩に担いで撮影を続けながら、両足で「ポフポフ」と拍手した。
「因果律崩壊に気をつけろよ、バカ鳥。ワシも魔力支援を始めるぞい」
数秒後。木星内部磁気圏の青白い輝きが100倍に跳ね上がった。プラズマが束になり、濁流のように磁気圏の中を流れ始める。
それを見て、サムカが軽く錆色の短髪をかく。
「……やはり、プラズマの中に『渦』ができているな。放置するとプラズマが散逸するから、渦を闇の精霊魔法で撃って消す事にしよう。ペルさん、レブン君、頼めるかな?」
「はい!」
即座に元気な声が返ってきた。前もってシャドウを出していたのだろう。シャドウが2体、高速でプラズマの濁流の中に飛び込んでいった。
数秒後。渦が除去され始めたのか、ドーナツの輝きがさらに10倍に跳ね上がった。さすがにサムカが〔防御障壁〕の術式を修正する。
「これほど輝くとはなあ……低級アンデッドなら残らず灰になってしまう強度だよ」
チラリと隣で呑気に撮影を続けているハグ人形を見るが……ろくに〔防御障壁〕を展開していない癖に平気のようだ。
「これは、ただの『ぬいぐるみ』だからな。ピカピカ光っても問題ないぞ」
「そういえばそうだったな……」とジト目になるサムカであった。どうも納得がいかない。
そこへエルフ先生とノーム先生の声がして、〔空中ディスプレー〕画面に顔が映し出された。
「お待たせしました。あら、もう始めていたのですか。しかし、凄い光の精霊場ですね。サムカ先生、大丈夫ですか?」
エルフ先生の心配そうな顔に微笑んで、白い手袋をした左手を振るサムカ。しかし、微妙に優雅な所作ではなくなっている。
「今のところは問題ない。しかし、これ以上光が強まると、逃げる必要がありそうだよ」
ノームのラワット先生が大きな三角帽子の中から小豆色の瞳を輝かせて、銀色の口ヒゲの先を手袋をした右手の親指で捻った。
「文献では、もっと光の精霊場が強まるようですぞ。観測撮影は僕も行っていますから、きつくなったら退避した方が良いでしょうな」
「むむ……」
さすがに、ひるんだ表情になるサムカである。そんな彼を見て、軽く笑ったエルフ先生がムンキンに指示した。
「ムンキン君。プラズマ流の『渦つぶし』を手伝ってあげなさい。シャドウではそろそろ光の精霊場に負けて、爆発してしまうわよ」
レブンが画面隅でガックリと肩を落として降参の仕草をした。
「すいません。予想以上の光の精霊場です。これ以上はシャドウでは無理です。ムンキン君、後はよろしく」
ペルもお手上げの仕草をした。
「私も、ここまでだよ。ごめんね、ムンキン君に任せちゃって」
ムンキンが画面でドヤ顔になった。青緑色に光る〔防御障壁〕の中で強化杖を振り回す。既に杖のダイヤ単結晶コアが青く光っていて、杖自体も薄っすらと発光している。
「しょうがねーなあ。それじゃあ、後は僕に任せとけ。地球の風の精霊魔法をぶち込んでやるよっ。木星とは別の精霊場だからな、渦を潰すには最適だぜ」
既に、〔テレポート〕魔術刻印を巨大なプラズマドーナツの中に多数撒いていたようで、瞬時に6000以上もの風の精霊魔法が起動した。それに応えるように、プラズマがさらに輝き始める。
サムカの〔防御障壁〕が数枚消し飛んだ。
「うお……私も退散するとしよう。クーナ先生、ラワット先生、済まないが、後をよろしく頼むよ」
サムカが更に5万キロほど木星から離れていく。ケラケラ笑って見送るのは、ハグ人形であった。
「この、へっぽこ貴族め~。やーいやーい、貧弱貧弱う」
エルフ先生とノーム先生が顔を画面の中で見交わして、クスクス笑いながらサムカに手を振った。
「分かりました、サムカ先生。安全な場所まで下がって構いませんよ。後は引き受けます」
「テシュブ先生も、こうなっては形なしだなあ、ははは」
しかし、エルフ先生も笑いながら超巨大ドーナツを見据えて、口元をこわばらせている。
「物凄い密度のプラズマですね。核融合も出来そう……って、してるじゃないですか。うわあ……」
ノームのラワット先生も三角帽子を被り直して唸っている。
「磁場による閉じ込め領域が広大すぎるので、核融合も瞬間的なものだね。ヘリウムが主体の核融合かな。それでも、この圏内で無数に発生しておるようですなあ。くれぐれも、生徒たちはプラズマ流の中に入らないようにしなさい」
プラズマ流が濁流のように流れている光るドーナツは、木星を包み込んでいる形状ではない。遠くから見ると、木星を中心にした穴の開いた円盤型ドーナツだ。円盤の外では、それほど危険ではない。
ただし、アンデッドのサムカは除くが。
クモ先生の機械的な声が届いた。
「通称、木星砲の射撃準備が完了したと見なす。ミンタ、射撃を許可する」
ジャディの雄叫びが響いた。
「ひゃっほう! 撃ってやれミンタ狐っ」
ムンキンも雄叫びを上げている。
「よっしゃあ! 伝説の古代語魔法だ、いっけー!」
ミンタがジト目になりながらも、両耳と尻尾、それに鼻先のヒゲをピコピコ動かした。
「うるさいな、もう。射撃許可を確認。カウントダウン開始、3、2……今!」
木星を中心にした超巨大ドーナツの曲線に接線になるような角度で、眩しい〔ビーム〕が放たれた。〔ビーム〕の直径は優に100キロある。
その場所に浮かんでいた運の悪い観測用の〔オプション玉〕が、数個ほど消し飛んだ。
その〔ビーム〕の観測値が瞬時に〔解析〕され、先生や生徒たちの手元の〔空中ディスプレー〕画面に表示されていく。数値の洪水だ。
「げ! マジかよ」
思わず声を裏返してしまったムンキンが、演算処理を終えた数値を凝視している。
「うひゃあっ」
「うわわっ」
ペルとレブンが同時に悲鳴を上げた。一瞬遅れてジャディも悲鳴を上げる。
「うげえっ! やべえっ、くそったれがあっ」
ジャディも含めた3人が、自身の〔防御障壁〕を維持できずに崩壊してしまった。慌てて地球へ〔テレポート〕して退却していく。
「ごめんね、ミンタちゃんっ。いったん逃げる」
ペルに続いてレブンも残念そうに呻いている。
「うう。ムンキン君、後は頼んだよ」
力強く答えるミンタとムンキン。
一方のジャディは、何とか〔防御障壁〕を維持しようと翼をバサバサして抵抗していたのだが……数秒ももたなかった。
「ちくしょー! おい、ミンタとムンキン! そのニヤケ顔、忘れねえからなっ。後でぶっ飛ばす!」
……などなど、負け惜しみの罵声をミンタとムンキンに投げかけるジャディであったが、その声も途中で途切れてしまった。
ペルとレブンからの謝罪の言葉も途中で途切れてしまい、ミンタとムンキンが画面を通じて視線を交わして、軽く肩をすくめる。
「……まあ、光の精霊魔法の専門生徒じゃないものね。後で、学校でからかってあげましょ。特にあのバカ鳥を」
ミンタの提案にムンキンもニヤリと笑う。
「おう。ついでに何か学食をおごらせるか。授業放棄しやがったからな、あいつら。特にあのバカ鳥からな」
ミンタが微笑んでうなずきながら、手元の〔空中ディスプレー〕画面を操作して、クモ先生に報告した。
「〔テレポート〕開始しました。標的の木星衛星には20秒後に命中予定です」
サムカの声が届いた。〔ビーム〕発射の影響で映像が届いておらず、サムカの音声だけだ。
「20秒か。授業時間内に終わりそうだな」
衛星の映像がミンタとムンキンの手元の〔空中ディスプレー〕画面に映し出された。現地からの観測情報によるものだ。
ムンキンが「フン」と低く鼻を鳴らして、尻尾をクルクル回す。
「改めて見ると、でかいな。直径170キロか。こんなのが地球に衝突したら、大騒ぎだな」
ミンタも素直にうなずいている。
「そうね。ティンギ先生の〔占い〕では、ご丁寧にも、タカパ帝国の帝都に落ちる軌道みたいね。本当に、あの糞ドラゴンめ、最後まで騒ぎを起こしてくれるわね、まったく」
本当は、追放されたメイガスによる最後の抵抗だったのだが……それは知る由もない。
不意に画面が真っ白になった。ノイズが画面に走って映像が映らなくなる。
「命中を確認。さて、どうなったのかしら」
数秒ほどで画面が回復した。そこには何も見当たらない。薄いガスが充満しているようだが、それも急速に凝集して岩石質の塵になっていく。
数秒間ほど周辺観測を続けていたミンタとムンキンが、揃って画面越しに顔を見合わせて、満足そうに笑った。
「クモ先生。標的の消滅を確認しました。蒸発しての消滅です」
ミンタの報告に、ムンキンも続く。
「こちらの観測でも、衛星の残骸は観測できず。気化したものと思われます」
「おお……」
エルフ先生とノーム先生が、画面越しに感心した表情を浮かべた。少し遅れて画面が回復したサムカも、同じような表情を浮かべている。
クモ先生が機械的な口調でミンタに告げた。
「上出来だ、ミンタ。では、実験をこれで終了する。後片付けをしてから、地球へ戻るように」
ノーム先生が撮影術式を終了しながら、周辺を見回した。銀色のあごヒゲを手袋をした左手で引っ張って、軽く肩をすくめる。
「尋常ではない光の精霊場の放出でしたな。しかし、これでも一般の物理化学法則に反していないので、因果律崩壊は起きず、か……恐るべき魔法ですな」
ハグ人形も撮影カメラ型のぬいぐるみを口の中に押し込んで、消去しながら同意した。いつの間にか、エルフ先生とノーム先生がいる場所に来ている。
「だな。ワシも初めて見たわい。記録の〔解析〕と術式開発が過熱しそうじゃな。では、ワシはここで去るとしよう、パパラパー」
宇宙空間なのでラッパ音も水蒸気も出ないまま、ハグ人形の姿が消えた。同時に周辺に浮かんでいた50個の観測用〔オプション玉〕も全て消えてなくなる。
エルフ先生がハグの言葉を聞いて、首をかしげた。
「ん? この木星砲って、ハグさんと木星の妖精さんの、1回限りの魔力支援があったから可能になったのよね。また撃てるのかしら」
ノーム先生が銀色の口ヒゲを手袋をした左手でねじりながら、同じく銀色の垂れ眉毛を上下させた。
「いや、今回限りだよ。ティンギ先生の〔占い〕では、エックス線バーストも今後は弱まっていくらしいからね。貴重な古代語魔法の実験だった。僕も論文をいくつか書いておくとするかな」
【実験の後】
学校の〔テレポート〕魔法陣が描かれた寄宿舎跡地では、木星から戻ってきた生徒と先生たちが、まだ興奮冷めやらぬ様子で感想を言いあい、議論を始めていた。
最後に木星から帰還したエルフ先生とノーム先生が、生徒と先生たちの状態を素早く簡易杖を使ってスキャンする。ほっとするエルフ先生だ。
「良かったわ。というか皆、タフになったものね。木星からの超長距離〔テレポート〕をして、大量の光の精霊場を浴びたというのに異常なしなんて」
ノーム先生もにこやかに微笑んで、大きな三角帽子を被り直した。日差しの角度が西に少し移動したので、それに合わせたのだろう。
「左様。ノーム警察の実習生として欲しいくらいですな」
実際に、木星へ〔テレポート〕して見学していた生徒は160名にも上っていた。これに、ウィザード魔法の先生方とドワーフの先生、それに法術のマルマー先生まで木星へ行っていたようである。
ラヤンも木星へ行っていたのであるが、今回はミンタやペルたちとは別行動をしていた模様だ。尻尾を数回地面に「パンパン」叩きつけて、軽くジト目になっている。
「救護班、必要なかったわね。残念、木星砲を近くで見たかったのにっ」
まあ、それでも、数名の生徒が運動場で転んだり、木星で運悪く宇宙塵に衝突したりして負傷しているが。しかし、これらは法術専門クラスの1年生に任せても良い程度の軽傷なので、彼らに任されている。2年生のラヤンたちには仕事が回ってこなかったので、かなり暇そうにしている。
出迎えたのは、校長や事務職員が主だった。ソーサラー魔術のバワンメラ先生は、森際で1人ブツブツ文句を言って、ふて腐れている。
そして、やはりというか、リーパット率いる70名の党員が「わーわー」騒いでいる。特にリーパットは魔力不足のために木星へ行けなかったので、かなり機嫌が悪そうだ。
簡易演説台を側近のパランとチャパイに用意させて、その上に仁王立ちになって、両手を振り回して演説を始めた。
「我が帝国が危急存亡の危機に最中にあるというのに、このような木星遊びは不謹慎であろう! 今、我々がすべき事は、帝都各地に飛んで住民の〔治療〕や復興支援をする事ではないのかっ」
しかし、聞く耳を持っている一般生徒は1人もいない。コントーニャも眠い目をこすりながら大あくびをしている。ニクマティ級長は元気いっぱいで、仲間と興奮気味にはしゃいでいる。
先生たちも事実上無視して、木星での古代語魔法の実験の映像と観測情報を見ながら、熱い談義をしているばかりだ。唯一バワンメラ先生だけが「そうだそうだ」と森際から、リーパットの演説に全面的に賛同しているだけだった。
ドワーフのマライタ先生とセマンのティンギ先生は、ほくほく笑顔で100個ほどの〔結界ビン〕の山を抱え、地下階へスキップして降りていく。
ノームのラワット先生が、軽いジト目になりながらも小豆色の瞳を細めて微笑んでいる。
「やれやれ……山のようにサンプル採集してきていますね、あの2人。また、良からぬ事が起きなければ良いのですが」
ノーム先生の不安に、素直に同意するエルフ先生だ。
「ですよね。今のうちに撃っておこうかしら」
他には10名に増えたアンデッド教徒たちが、やはり黒いフード付きローブ姿でレブンを取り囲んで、談笑しているのが見える。特にスロコックは青緑色の目をキラキラさせているのが、遠くからでもよく分かる。
ムンキン党員もバングナンを中心にした15名が、同様にムンキンと肩を組んで大声で何やら笑っている。ミンタとペルの周りにも20名ほどの生徒たちが輪になっていて、木星での出来事について色々と話し合っているようだ。ニクマティ級長とコントーニャも、やって来て話に加わり始めた。
ジャディは既に森の上空を旋回していて、何やら風の精霊魔法を空撃ちしている。
そんな生徒たちを、目を細めて微笑みながら見つめていた校長が、隣の事務職員に言われて手元に時刻表示を呼び出した。
「あらら。もう、こんな時間ですか。では、次の授業の準備を始めて下さい。まだ、放課後ではありませんよ」
サムカも手元に時刻表示を呼び出して、軽く唸っている。
「うむむ……〔召喚〕時間が終了する頃だな。木星砲の観察記録が中途半端になってしまったか」
そして、スタスタ歩いてノームのラワット先生に頭を下げた。
「済まないが、先生の観測記録を融通してはもらえないだろうか。このまま帰還すると、少々よろしくない。国王陛下や宰相閣下も、今回の実験に関心を抱いているのだよ」
ノーム先生がにこやかな笑顔でうなずく。
「構いませんよ。今は生データを演算中ですから、1時間後にハグさん経由で提供しましょう。それでよろしいですかな?」
ほっとするサムカ。
「助かるよ。礼といっては何だが、次回の〔召喚〕で『湖の水』を持ってくるとしよう。低級なアンデッド退治には良く効くぞ。爆発に注意すれば扱いも容易だ」
ノーム先生がにこやかにうなずいた。
「それは興味深いですな。では、10リットルほど用立てて下さい。それだけあれば、〔解析〕が可能でしょう」
エルフ先生が、そんな2人の会話を横で聞いて頬を緩めている。
「本当に、サムカ先生って変わり者ですよね」
【サムカの館】
ほどなくして〔召喚〕時間が終了し、サムカが館の前に戻ってきた。
春の日差しが麗らかに館と物見矢倉を照らしている。風も既に暖かくなってきており、施設周辺の雑草や植え込みの緑が明るくなってきている。
すでに執事と騎士シチイガが待機していて、サムカを出迎えた。ステワもそわそわした様子で腕組みをして待っている。サムカの姿を見るなり、早速文句を言う。
「おい、サムカ卿。古代語魔法とやらの映像が届いていないぞ。何をやってんだよ」
サムカが錆色の短髪をかいて謝った。
「予想以上に光の精霊場が強力でね。撮影どころではなかった。後でノームのラワット先生がハグに撮影情報を送ってくれる手筈だ。1、2時間ほど待っていてくれ」
ステワが露骨なジト目になった。彼の服装は、いつもの通りに古代中東風の上品な長袖シャツとズボン姿だ。マントもきちんと肩にかけているので、サムカとは大違いの高貴な印象である。
「まったく……私も一緒に木星へ行けば良かったか。とりあえず、遅れる事を宰相閣下に知らせておけよ」
サムカが素直に同意する。
「そうだな。卿のいう通りだ」
そう言って、サムカが軍手をした左手を掲げた。すぐにシャドウが1体出現する。
そのカラス型のシャドウに、宰相向けの伝言を託して離した。真っ直ぐに音も立てず、王城方面へ向かってカラス型シャドウが飛んでいく。
その飛んでいく様子を見つめているサムカに、執事が禿頭を下げて立礼した。
「お帰りなさいませ、旦那様」
騎士シチイガも、軽く腰と膝を曲げて立礼する。
「我が主、留守中は特にこれといった事件は起きませんでしたが、王城から知らせが届いております」
手紙を騎士シチイガから受け取ったサムカが、一応、自身の服装を確認する。
「今回は服が傷む事にはならなかったようだな。さて、宰相閣下からの手紙か……何であろう」
宰相はオークなので魔法が使えない。そのために、魔法具によって記された手紙を使い魔などに託して送っているのだ。その封を切る。
サムカの表情が明るくなった。首をかしげてサムカの顔を見ている騎士シチイガと執事に、サムカが笑顔で知らせる。
「朗報だ。獣人世界でテロ実行犯として非業の死を遂げた、バントゥ党の3名の思念体を捕獲したそうだ。さすがは、師匠の軍属のファントムだな」
騎士シチイガと執事が顔を見交わして微妙な表情になった。この2人にはバントゥ党との面識がないので、当然の反応だ。サムカも気がついて、ごく簡単に説明をする。
「無論、弱い思念体の状態だから、〔アンデッド化〕してもごく普通のゴーストからの再出発になる。まあ100年ほどかければ、会話ができるまでに成長するだろう。熊の素体に入れてゾンビにしても良いかもな」
騎士シチイガが今ひとつまだ理解できない様子でサムカに聞く。
「我が主。その3体の思念体ですが、どうするおつもりなのですか? 後輩の騎士ができる事は、私も歓迎ですが……」
サムカが山吹色の瞳を細めた。
「いや。可能であればの話だが、タカパ帝国に戻すつもりだ。少なくとも、騎士見習い相当にまで育てておけば、帝国軍のアンデッド部隊の要として使えるだろう。ハグが進めている召喚ナイフが普及すると、良からぬアンデッドの輩が跋扈する恐れが増えるからな。カルト派は、南のオメテクト王国連合にもまだ少数残っているだろうし、他の王国連合にもカルト派はいる。奴らが生体情報を求める限りは、タカパ帝国軍に対応部隊を設けておく事は必要だろう」
騎士シチイガが、少し呆れたような表情で微笑む。
「本当に獣人世界の彼らの事が、お気に召したのですね、我が主。なれば、このシチイガ・テシュブも彼らの育成に力を尽くしたく存じます」
ステワも呆れた表情をしている。
「サムカ卿……罰ゲームを勧めたのは我だが、ここまで面倒を見る必要はないぞ」
サムカもその点は理解しているようで、少し困ったような笑顔を浮かべた。
「まあな。私のわがままだと思ってくれ。彼らから、意外に信頼されているようなのでね。私も、それ相応の行動をとらねばなるまいよ」
そこへ、ハグ本人が姿を現した。当然のように気温が下がり、辺りが薄暗くなる。
「ワシも信用されてほしいものだがね、サムカ卿」
執事が慌てた様子で、茶席の用意をしに館に駆け戻っていく。その後ろ姿に薄黄色の瞳を向けて細めるハグ。
今回も『繊維の束』とした表現のしようがないボロを身に巻きつけているだけだ。しかし、履いているサンダルだけは新品になっているが。
いつものように空中に浮かんで、サムカと騎士シチイガ主従の周囲をゆっくりと周回し始めた。
ステワは早くも数歩ほど退いていて、ハグから距離をとっている。そんなステワにハグが軽く会釈してから、執事の背中に声をかけた。
「執事よ、紅茶は薄めにしてくれよ。前回の香りは少々くどかったぞ」
容赦のない注文に、ジト目になるサムカと騎士シチイガであった。「コホン」と軽く咳払いをしたサムカが、ハグに聞く。
「何か起きたのかね? 次回の〔召喚〕に支障が出そうなのか?」
ハグが空中で停止して、サムカの顔を正面から見据えた。当然のように、ハグの足元の雑草や土が塵になり始める。さすがに石畳まで粉を吹き始めたので、数センチほど〔浮遊〕高度を上げていく。
「うむ。つい先ほど、メイガス協会から公式連絡が入った。獣人世界にちょっかいを出していたメイガスが逮捕されて、奴の管理する世界ごと追放されたそうだ。それに伴い、世界間の調整作業が再び始まる」
嫌な予感が頭をよぎっていくサムカだ。ステワも不穏な空気を感じている表情をしている。サムカがジト目になりつつもハグに聞いてみた。
「また、各世界で天変地異が起きるのかね?」
ステワと騎士シチイガが「ギョッ」とした顔になった。
ハグに注目が集まる中、他人事のように呆気なく認める。
「うむ。しかしまあ、今回はメイガス協会が調整作業を行うから、大した変動は起きぬはずだ。5000年ごとの世界の引っ越しと同じ程度の混乱だろうさ」
そう言われても、首をかしげるばかりのサムカたち3人である。それを見て、ハグが言い直した。腰に両手を当てて、ややケンカ腰になっているが。
「具体例を挙げた方が良いな。『世界間移動ゲートが、一時使用中止になる程度の混乱』と言った方が適切だな」
サムカが険しい表情になった。錆色の短髪をかいて、困ったようなジト目をハグに向ける。
「それは困るな……まだ本格的な交易は始まっていないが、獣人世界との試験的な交易事業が中断されてしまうというのか。どのくらいの間、使えぬのかね?」
ハグが両手を挙げて肩をすくめる。
「さあな。まあでも、魔法世界の引っ越しと同じと考えれば1週間程度だろう」
それを聞いて、少し安堵するサムカであった。
「その程度であれば、問題なさそうだな」
ステワも同じように安堵したようだ。蜜柑色の瞳に光が戻る。
「確かにな。我の領地では今、世界間交易に備えて、倉庫や運送業者の強化拡充を進めているのだよ。頓挫してしまうと、大赤字だ」
ハグが再び空中に浮かびながら、サムカと騎士シチイガの周囲をゆっくりと回り始めた。表情が先程とは変わっていて、ニヤニヤ笑いを口元に浮かべ始めている。
「それも気になるが、大事な事を失念しておるのではないかね? サムカちんとステワちん」
そう言いながら、ハグが上空を見上げる。サムカとステワが顔を見合わせ、一緒にハグが見上げた空に視線を向ける。
そこへ、サムカの使い魔が大慌ての様子で、こちらに飛んできた。勢い余って、サムカの肩に衝突して地面に「ドスン」と音を立てて落ちて、地面を這って痛みに悶絶している。
その使い魔を、サムカが慎重に拾い上げて顔の高さまで持ち上げた。
「どうかしたのかね?」
目を回していた鳥型の使い魔が、正気に戻ってサムカに大声で報告した。超音波を含んだ高音に、思わず顔をしかめる騎士シチイガとステワ。
「領主様! 多数の侵入者を発見しましたっ。セマンやドワーフ、それに魔法使い共の集団が、領地に〔テレポート〕して来ています!」
再びサムカとステワが顔を見合わせる中、騎士シチイガが跳び上がった。
「至急、確認をして参ります、我が主っ」
そう叫んで、館の方向へ駆けだしていく。
その後ろ姿を見送ったハグが、ニヤニヤ笑いながら説明した。
「『空間の亀裂』という奴が、たくさん発生しておるんだよ。サムカちんも気をつけろよ。歩いていたら、いきなり別世界に転移してしまった……なんて事が起きているからな、今」
そう言って、茶席を用意してこちらへ向かっている執事と数名のオークの小間使いたちに、無邪気に手を振った。
「おーい、早く持ってこーい」
サムカが大きくため息をついた。
「つまり……今は、そこらじゅうで『強制的な異世界転移』が起きているのかね。とんでもないな」
ステワがようやく事態を把握したようで、跳び上がって両手をパタパタする。
「こ、これは領地に大至急戻るべき事態だな。それじゃあ、宰相閣下へはしっかりと謝っておけよっ。では!」
ステワが〔転移〕して姿を消した。
サムカとハグは見送りもせずに周囲の状況を調べ始めている。数秒後。ハグがサムカの周囲を巡回しながら、サムカにニヤケ顔を向けた。一方のサムカの表情は険しくなるばかりだ。
「おい、サムカちん。侵入者は結構な人数だぞ。手下の騎士では、荷が重いんじゃないかね?」
サムカが錆色の短髪をかいて同意した。山吹色の瞳が黄色っぽい光を帯びている。
「……そのようだな。私も駆除に加わるとするか。ハグは執事のエッケコと茶を楽しんでいてくれ。30分もあれば片が付くだろう」
執事がポケットから通信用の魔法具を取り出して、自治都市と連絡を取る。
「旦那様。自治都市の自警団の出動準備が整いました。いつでも出撃できます」
鷹揚にうなずくサムカ。
「敵の駆除は、私とシチイガで行う。敵の戦力が不明だから、今は自治都市の防衛に専念してくれ」
「はい、旦那様」
執事が通信用の魔法具で、サムカの指示を自治都市側へ伝えていく。
その様子を一目見てから、サムカがハグに山吹色の瞳を向けて真面目な表情になった。
「契約ナイフの件だが、もう1年延長できるかね? 宰相閣下の認可を経ないといけないが、私は別に構わないよ。バントゥ君らを鍛えるにも、その方が良いだろう。我が教え子がそろって留年したからな……このままでは貴族としての名誉に関わる」
ハグが執事を見て、軽く肩をすくめる。
「本当に優秀な執事に恵まれたな、サムカ卿。よかろう、ワシとしても異存はない。むしろ今、契約解除されたりされると困る」
サムカが山吹色の瞳を細めた。
「では、その方向で検討してみるとしよう。さて、侵入者の駆除に向かうとするか。エッケコ、ハグの相手を頼む」
サムカが館の方へ駆け去っていく。その後ろ姿を見送るハグに、執事が紅茶を注いだカップを手渡した。直接リッチーであるハグに触れると即死してしまうので、注意している。
「お。これは済まぬな」
ハグがカップを受け取った。早速、湯気を顔に当てて、満足そうに微笑みながらうなずく。
「うむ、このくらいの香りが良いな。執事君も茶にしてはどうかね?」
執事も紅茶を注いだカップを、小間使いのオークから受け取る。
「恐れ入ります」
通信器は胸のポケットに突っ込んでいて、小型マイクを通じて情報収集と指示出しを続けている。それでも、落ち着いた様子で紅茶を1口含んだ。紅茶の出来を確認して、ハグに禿頭を下げる。
「騒々しくなり、ハグ様には申し訳ありません」
ハグも紅茶をすすりながら、空いている左手を軽く左右に振った。
「気にする事はない。むしろ、こういった活気のある場にいる方が楽しめて良いものだ。リッチー協会は、本当に陰気な場だからな、逃げ出して外でこうして寛ぐのが一番なのだよ」
(なるほど、だから召喚ナイフの親元に名乗り出たのですね……)と何となく納得する執事であった。
「旦那様が戻るまで、もうしばらくかかりそうですね。タカパ帝国産のコーヒーを、少量ですが入手しております。それも試してみますか?」
ハグがにこやかに微笑んだ。早くも墓地の向こうから、爆発音やドワーフと思われる断末魔の悲鳴が聞こえてくる。それらの音も心地よく聞いているようで、紅茶をもう1口すすった。
「そうだな。では、一杯所望するとするか。今日も良い天気になりそうだな」
執事がコーヒーを淹れる指示を小間使いに命じながら、ハグと一緒に青空を見上げた。雲がハケで描いたようなものから、綿菓子のような形に変わっている。
「そうですね、自治都市の復興作業や新規事業が進んでおりますので、洗濯物が大量に出ているのですよ。助かります。この日差しでしたら、夕暮れまでに全て乾くでしょう」
了
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
召喚ナイフ第2稿これにて終了です。
獣人世界とオメテクト王国連合と金星が大変な状況ですが、この先は国の偉い人たちによる仕事になりますので、学生と田舎貴族の出番はここまでになりますね。




