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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
ドラゴンと貴族を討つ者たち
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119話

【一斉退化】

 リーパットの演説を放送していた大型の〔空中ディスプレー〕画面が、砂嵐状態に変わった。ため息をついて、簡易杖を向けて画面を消去するノーム先生。

「帝都は今、大パニックでしょうな。パリー先生。帝都などの町や村の獣化……〔退化〕でしたか、それも森の妖精たちが担当しているのですかな?」


 パランとチャパイが60名の党員を引き連れて、鬼の形相で怒声を放った。

「貴様ああっ! 成敗してくれるわあっ」

「覚悟しろっ。この悪徳妖精め!」

 攻撃用の魔法具をいくつか振り回し、パリー先生に向かって魔法攻撃を始めた。地下の食堂で、爆発が連続して発生する。テーブルやイスなどが爆風で吹き飛ばされて、爆炎に焼かれて四散する。朝食も炭にされて、床に散乱していく。


 しかし、パリー先生はヘラヘラ笑いを浮かべたままで、全く効果は出ていない。〔マジックミサイル〕程度では、パリー先生には効かないようだ。地下食堂もかなり強化されているようで、天井の照明器具も無傷である。


「おのれパリー……ぐはっ」

 その彼らが苦悶の表情を顔に浮かべて、床に崩れ落ちた。そして数回ほど痙攣した後、皆、獣の狐に〔退化〕してしまった。やはり「ワンワン」吼えながら、食堂から外へ四足で駆けて逃げ去っていく。制服と攻撃用の魔法具は床に残されたままだ。


 その様子を、にこやかな笑いを浮かべながら見送ったパリー先生が、ノーム先生の質問に答えた。

「そうよ~。獣にした方が~森の妖精としては庇護しやすいからね~。多分~世界中で同じ事が起きてる~はず~」


 食堂内では、リーパット党員までもが獣に変わったので大パニックに陥っていた。さらにテーブルやイスが宙を舞い、朝食が床にぶちまけられる。皆、食堂から我先に出ようと出口へ殺到し始めた。


 おかげで、ミンタとペルの周囲には14名のミンタの友人の他には誰もいなくなっていた。彼らに〔テレポート〕魔法陣を使って、この場から逃げるように指示するミンタ。ペルも室内で入り乱れている魔法場を闇の精霊魔法で整理して、彼らの脱出を手伝う。

 おかげで数秒後には〔テレポート〕魔法陣が正常に起動して、ミンタの友人たちが全員無事に脱出していった。


 同じことをレブンがアンデッド教徒たちに、ムンキンが党員たちに行っている。それらを見ながら、ペルに礼をのべたミンタが相当に呆れた表情でつぶやく。

「『獣人最後の日』って、こんなに呆気ないのね」


 残っている招造術のプレシデ先生と幻導術のナジス先生が、血相を変えて生徒たちと一緒に出口へ駆けていった。簡易杖をブンブン振り回して〔テレポート〕魔法を発動させようとしているのだが……発動しない。

「な、なぜ魔法が発動しないのですかっ!?」

「ペルさん! 余計な魔法は使わないっ。ここは幻導術に任せなさい!」


 ペルがそれを見て、パタパタ踊りを始める。

「そ、そんなに一度にみんなが魔法を使ったら、整理できなくなっちゃいますよお」


 そして……因果律崩壊の兆候である、空間の裂け目が生じ始めてしまった。空中に火花が散り始める。呆然とするペルとナジス先生だ。ミンタがペルの肩を抱きながら、小さくため息をつく。

「あらら。これじゃあ、もう魔法は使えないわね」


 ナジス先生がペルに怒りの視線を向けてきた。体は出口に向けて一直線に走っているが。

「ぺ、ペルさん! 余計な事をするなといったでしょうがっ。どうするんですか、こんな惨状」

 ペルは顔を青くしてパタパタ踊りを続けるばかりであった。

「す、すいません。すいませんーっ」

 ミンタがペルの肩をさらに抱き寄せて、ペルが持っている簡易杖を押し下げる。

「ペルちゃんが悪いんじゃないわよ。こんな狭い場所で大勢の人が一斉に魔法を使うからこうなったんだから」


 ミンタが指摘した通り、狭い空間で大量の魔法が行き来している状態では、混線して魔法が使えなくなってしまう。先程はリーパット党がパリー先生に魔法攻撃を仕掛けたせいで、魔法場汚染も発生していた。


 魔法が使えないと知ると、さらに青い顔になっていくウィザード先生たちである。ついにはパニックに陥って、バカの一つ覚えのように出口に向かって、生徒たちと押し合い圧し合いをし始めた。


 パリー先生がそんなパニック状態を眺めながら、「心外だ」とばかりに口を尖らせて拗ねている。

「なによ~も~。せっかく親切心でやってあげてるのに~。感謝しなさいよ~」


 エルフ先生がパリー先生の両肩を撫でる。

「今は混乱しているだけよ、パリー。妖精さんの協力がなければ今日、本当に獣人族が絶滅するところだったのね。エルフの特務機関の分室長として礼をいいます」

 ノーム先生もポケットからパイプを取り出して、火をつけた。「ふいー……」と細い紫煙が立ち上っていく。

「左様。ノーム警察の特務機関分室長としても礼を申すよ。タカパ帝国がこんな事で滅んでしまっては、ノーム政府がこれまで費やした投資や支援が全て無駄になってしまうからね」

 そして、さらに真面目な口調になってパリー先生に聞く。

「……それで、タカパ帝国以外の諸外国は大丈夫なのかい?」


 パリーがニヘラ笑いをうかべた。

「知らない~。一応は~世界中の森の妖精に~警告出しておいたけど~」

『タカパ帝国以外、世界滅亡』という悪夢がよぎったが……とりあえず落ち着く事にするノーム先生とエルフ先生であった。ノームのラワット先生が、紫煙を吐き出して小豆色の目を閉じる。

「……今は、諸外国でも〔退化〕している事を祈るとしようかね。ノーム警察にも報告しておくよ」


 緊急事態のために、タバコには注意をしないエルフ先生だ。ジト目になりながらも、ノーム先生に賛同する。

「そうですね。私もとりあえず、本国のブトワル警察に緊急連絡を入れておきます」


 早速、手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面を呼び出したエルフ先生に、パリー先生がニヘラ笑いを向けた。

「そんな時間ないと思うけど~。あんたたちも〔退化〕の対象なのよ~。範囲指定が面倒だったし~」

「!?」

 声にならない音を上げて、目を点にするエルフとノームの先生。パリー先生がヘラヘラ笑ったままで説明を続ける。

「地球の精霊場が落ち着いたら~元に戻してあげる~。魔力が切れたら~おサルさんね~ぷぷぷ~」


 慌ててパリーの肩を揺するエルフ先生とノーム先生だ。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、ぱりー!」

「今、そんな事をしたら、誰がこの場を収拾するんじゃ!」


 そのような抗議を、実に心地よく聞くパリー先生であった。

「じゃ、がんばってね~。私は忙しいから~また後で~」

 そう言い残して、勝手にどこかへ〔テレポート〕して姿を消してしまった。愕然とする先生と生徒たちである。



「マジかよ……」

 ムンキンが全身の柿色のウロコを方々に逆立てながら、絞り出すような声で呻く。

「こんな大事件なら、もっと早くに俺たちに知らせるべきだろうが!」


 食堂内ではテーブルやイスが散乱していて、そこらじゅうに学生のブレザー制服や、事務職員用の制服、厨房用の作業服が落ちている。朝食も散乱している。

 生徒と先生たちは全員が逃げ出していて、今はエルフ先生たちだけだ。


 そのエルフ先生が、食堂の片隅のテーブルの下に潜って震えている校長とサラパン主事の姿を見つけた。すでにペルが闇の精霊魔法の〔防御障壁〕を彼らに被せているので、今のところは獣になっていない。


 ペルが緊張しながらも、固い笑みをエルフ先生に向ける。

「テシュブ先生の〔召喚〕に必要ですよね。妖精さんの認識を阻害するように〔防御障壁〕を被せています。効いて良かった」


 言われてみれば、食堂のテーブルやイスには何も変化が起きていない。パリー先生が魔力節約のために、手当たり次第に〔退化〕させるような魔法をかけなかったためだ。テーブルやイスとしてパリー先生に認識させるような魔法をかけておけば、一時しのぎにはなるという事だろう。


「さすがね、ペルさん。でも、これでも一時的な効果しか期待できないわよ」

 そういいながら、軽く首をひねる。

「サムカ先生を〔召喚〕か……今回は、こんな有様だし。〔召喚〕しなくても良いと思うけど。今日の授業では何か重要な事があるの? ペルさん」

 ぎこちなく微笑みながら、ペルが両手をパタパタ振って否定した。

「い、いいえ、特には。でも、こういった事態には、助っ人が多い方が便利かな……と思います」


 エルフ先生が、食堂内に残っている人数を再確認する。

 エルフとノーム先生。校長と羊。ペルとレブン。ミンタとムンキンにラヤンの9人だ。腕組みをしてノーム先生に顔を向ける。

「この他に戦力になりそうなのは、サムカ熊先生と墓用務員かしらね」


 ノーム先生が同じように腕組みをして軽く呻く。

「そうさな……じゃが、テシュブ熊先生は起動させない方が良かろう。また暴走されては困る。墓さんは、墓所の用事で忙しいのではないかな」


 墓用務員の姿はどこにも見当たらなかった。このような騒動になったら、どこか隅の方でニコニコしながら見物しているのだが。ノーム先生が推測する通り、墓所の用事があるのだろう。

 これまでも、墓用務員が役に立った事はあまり無かったので、今回も期待しない事にするエルフ先生たちだ。


「現状では、ここにいる者だけで対処する必要がありますね。サムカ熊先生には申し訳ありませんが、活動停止してもらいましょう」

 そう言ってエルフ先生とノーム先生が、サムカ熊先生用の制御術式を起動した。これでサムカ熊先生は、ただのぬいぐるみだ。


 続いてレブンが口元を魚に戻しながら、心配事を口にする。

「魚族の生徒ですが、もしも〔退化〕してしまった場合は……やはり、魚に戻ってしまいますよね。陸上にい続けると呼吸ができなくなって死んでしまいます」


「ハッ」とする先生と生徒たち。校長も〔防御障壁〕の中で小さく体を丸めながら、レブンを深刻そうに見上げている。羊は単純にパニックになって震えているだけだが。


 エルフ先生に皆の注目が集まった。先生の空色の瞳が青灰色に濁っていく。

「……その恐れは充分にありますね。では、レブン君が全ての魚族の生徒たちを引き連れて、比較的安全な場所へ避難する事にしましょう。そうですね、南の将校施設の避難所が最適かな。入江の内に入って、海水に浸かった状態でいれば、魚に〔退化〕したとしても生き延びる事ができるはずですね」


 レブンが即座にうなずく。校長も険しい表情になりながらも、〔防御障壁〕の中で了解する。

「それが最善の避難案になりますかね……分かりました。魚族の生徒全員の緊急避難を認めます」

 校長の表情が険しくなって曇る。

「魚族の事務職員については、既にパリー先生がどこかの海へ〔テレポート〕させたと言っていましたね。彼らの無事を祈ります。生徒については、現地の責任者はレブン君が最適ですね、よろしくお願いします」

 ペコリと頭を下げた校長に、レブンが明るい深緑色の瞳を輝かせて立礼した。

「了解しました。では、早速向かいます」


 そのまま、食堂から駆けだしていく。地下階で既に魚に戻っている生徒がいるかもしれないので、その回収のためだろう。

 ペルが声をかけた。

「レブン君! 〔退化〕している間は意識がないと思うの。入江の湾内から出ていけないように、何かの工夫をした方が良いと思う」


 レブンは既に食堂を出ていたが、廊下から返事がきた。

「そうだね、わかったよ。あ。やっぱり生徒が魚に戻ってる。回収、回収っと」

 〔結界ビン〕を使って、魚に戻ってしまった生徒をビン内に〔封入〕している。それが済むと、そのまま駆け去っていき、足音が小さく聞こえなくなった。


 ラヤンがテーブルにもたれて、つらそうな表情をする。

「まったく……法術が一切効かないって、反則も極まれりね。面目丸つぶれよ。クソ妖精先生は逃げてしまったし」

 右手を顔の前まで上げて、白い魔法の手袋を外す。細かくて滑らかな赤橙色のウロコに覆われたトカゲの手が現れる。それが急速に完全なトカゲの足先に変化し始めていた。「フン」と鼻先で自嘲する。

「あらら。私も〔退化〕してしまいそうね」


「ええー……」

 ミンタたちがジト目になった。ムンキンが大袈裟な仕草で肩をすくめる。

「おいおい。気合いが足らねえぞ、ラヤン先輩……っとっと」

 そのムンキンも立ちくらみを起こしてしまった。慌てて近くのテーブルにしがみついて、倒れるのを我慢する。


 その様子を見たペルが、顔中のヒゲをフワフワ毛皮に包まれた顔に埋め込む。ついでに両耳も前に伏せられている。

「〔エネルギードレイン〕魔法に似ているのかも……だったら、私たち全員が最終的には〔退化〕しちゃうよ」


 エルフ先生が顔を伏せて、こめかみを軍用グローブの指で押さえた。

「ぱりー……アンデッドの魔法なんだけど、それ。生命の魔法を操る森の妖精が、そんなの覚えてどうするのよ」


 ノームのラワット先生も、微妙な笑顔で口ヒゲを軍用グローブでつねっている。

「まあ、時間との勝負というところですかな。僕も、魔力がどんどん失われていくのを実感していますよ。法術が効かない以上、〔退化〕を止めたり〔治療〕したりする事はできないですな。魔力が残っている内に、学校の保安警備システムなどの保全を行っておく方が先決でしょう」


 校長が〔防御障壁〕の中で荒い息をしながら、手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面を生じさせた。今は食堂内が混雑していないので、校長でも魔法が使えるようになっているようだ。

 その画面を手早く操作して、苦しそうにしながらもノーム先生に微笑む。

「今、学校の保安警備システムを『自律稼働』にしました。サーバーが動いている限り、大丈夫ですよ。運動場の太陽光発電の魔法陣も健在ですから、当面は魔力切れも起こさないはずです」


「おお」と安堵する先生と生徒たち。しかし校長が白毛交じりの頭をかいて、尻尾で床を掃いた。

「……ですが、術式通りにしか作動しませんので、農家や商人は誰も校内へ入れなくなります。恐らく、警察や軍も同様でしょう。一方で、学校から外へ出るには支障ありませんよ」


 ノーム先生が「ポン」と両手を叩いて納得する。

「なるほど。獣に〔退化〕した者たちが、判で押したように学校から逃げ出して行くのは、保安警備システムから圧力を受けているせいですか。学校敷地を取り囲む溝も、出ていく者には攻撃をしない仕組みですから、逃げてもケガはしないでしょう。まあ、パリー先生が庇護すると宣言した以上、森の中へ入ってしまえば大丈夫だとは思いますよ」




【シャドウで魚族狩り】

 一方その頃。地下階から運動場へ駆け上ったレブンが、強化杖を呼び出してアンコウ型シャドウを飛ばした。そのシャドウを、運動場のあちこちで混乱して右往左往している生徒たちの中に突入させていく。

 シャドウは〔ステルス障壁〕を展開しているので、ほとんどの生徒には〔察知〕できていない。そのせいで突然、目の前の魚族の生徒が次々に姿を消していくという『結果』だけを見る事になる。当然ながら、生徒たちが大混乱に陥り始めた。


 説明や説得する時間がもったいないので、レブンが無言のまま有無を言わさずに、魚族の生徒全員を〔結界ビン〕の中へ〔封入〕した。手元の〔空中ディスプレー〕画面で生徒の照合を行い、全員を無事に〔封入〕した事を確認する。


 異変に気がついたアンデッド教徒たちが、何か喚きながらレブンの立つ階段へ駆け寄ってきた。スロコックは狐族なので、レブンのシャドウの対象外だったため無事である。

「レ、レブン殿っ。これはいったい、何が起きているんだ?」


 レブンがシャドウを呼び戻して、〔結界ビン〕への〔封入ログ〕を最終確認しながら手短に謝る。

「すいません、スロコック先輩。今は1分1秒を争う緊急事態なんです。後で説明しますねっ」

 スロコック以外のアンデッド教徒は3人だけだった。彼らにも頭を下げるレブンである。南の将校施設の学校避難所への〔テレポート〕術式が起動した。

「よし。〔結界ビン〕は正常だな。では、皆さん失礼しますっ」


 あっという間にレブンの姿が消えてしまった。その数秒後に駆けつけてきたアンデッド教徒たちが、不満そうに文句を言っている。元過激派の教徒だろうか。

 彼の肩を押さえて、スロコックが狐顔で鼻先のヒゲをピコピコ動かした。

「心配は無用だぞ。レブン殿の〔テレポート〕先は既に把握しているからなっ」


 どうやらスロコックが、レブンの魔法場の痕跡をつかんだようだ。集まって何事か話し合ったかと思うと、彼らも〔テレポート〕して姿を消してしまった。レブンを追いかけたのだろう。




【将校の避暑施設】

 レブンが転移した先は予定通り、学校避難所の白い砂浜の上だった。急いで穏やかな湾内に飛び込んで、腰までの深さまで進む。ここで、ようやくほっとする。

「ふう……間に合った。お疲れさまでした、もうビンの中から出てきて良いですよ」


 アンコウ型シャドウが海中で消滅すると、同時に〔結界ビン〕が開封されて、魚族の生徒全員が姿を現した。混乱している彼らに、出来る限り落ち着いた声で説明を始めるレブンである。


 そこへスロコックを含めたアンデッド教徒たち4名も〔テレポート〕して白浜に到着した。

「おお~い、レブン殿ーっ。我らも来たぞお」

 レブンに無邪気に手を振っている。軽いジト目になって左手を振り、彼らに応えるレブンだ。その白い手袋の中の手に異変を感じる。

「急がないといけないな。説明を一時中断します。すいません」


 強化杖のダイヤ単結晶が青く光り、入江と外洋の境界面に〔光の壁〕が発生した。

「これでよし。ミンタさんほど高く丈夫じゃないけど、魚が外洋に逃げ出さない程度にはなるはず」


 足先から感覚が消失していくのを感じる。浜に人魚族のカチップ管理人が、数名のキジムナー族の従業員を引き連れて駆けてきているのを見つけた。彼らにはアンデッド教徒と違って、きちんと礼儀正しく挨拶をするレブンだ。


 腰までの深さの海中にいる魚族の生徒たちが苦しみ始めたかと思うと、次々にマグロのような魚に変わり始めている。そのまま、普通のマグロのように入江の中を泳ぎ始めた。

 海面には生徒の制服が次々に浮かんで、波間に漂っていく。


 そんな急激な変化に大混乱中の生徒たちが、レブンに詰め寄って殺到してくる。

「どういう事だよ、レブン!」

「きちんと説明しろっ。何が起きてるんだよ!」

「うわわわあああ、魚に戻ってるぞ、助けてくれ」

 そんな彼らに制服をつかまれながらも、微笑んだままのレブンである。

「ギリギリ間に合ってよかった。しばらくの間、湾内で遊んでいてよ」


 その最後の言葉を聞いた生徒はいなかった。残ったのは、穏やかな波に漂う制服の山だけである。


 レブンが使った魔法は、シャドウに命じて該当者を〔結界ビン〕の中へ送り込むものだった。ソーサラー魔術の〔封入〕魔術である。本来は人に向けて使うべき魔術ではないのだが、緊急事態だったのでやむを得ずレブンが使用している。短時間の〔結界ビン〕への〔封入〕だったので、酸欠などの問題は出ていなかったようだ。ほっとするレブンである。

「〔結界ビン〕の中で、魚に〔退化〕してしまわないか不安だったけど、間に合って良かったよ」


 〔封入〕しても時間が停止する事にはならない。〔結界ビン〕の中には水がないので、長時間封じ込められてしまうと、魚状態では死んでしまう恐れがあった。


 入江の内側の海中を優雅に泳いでいる、元魚族のマグロの群れを見ながら、レブンが黒髪をかく。

「物だったら、闇の精霊魔法で〔消去〕して持ち運びができたんだけどね。さすがに生徒を〔消去〕するのは倫理的に良くないよね。事故が起こらなくて良かったよ」


 100匹以上もの黒マグロの群れが泳いでいる湾内で、ほっと安堵しているレブンに、浜辺に到着したカチップ管理人が呑気な声で手を振った。黒装束のスロコックたちには、少し怪訝な視線を向けているが。

「どうかしましたかー? おや、レブン君じゃないですか。ちょうど良かった、先程から外部との連絡が取れなくなっているんですよー」


 レブンがカチップ管理人に手を振って、腰までの深さの海に浸かりながら、魚に戻っている口元を手袋でかいた。レブン自身に残された時間も、そう多くは残っていないようだ。

 砂浜上では、黒いローブ姿のアンデッド教徒たちが苦しみ始めて、砂浜の上に次々に倒れている。カチップ管理人とキジムナー族は、既にここの森の妖精の庇護下にあるので、平気なようだが。

「ここの将校さんたちも、すぐに〔退化〕するんだよね……さて、どう説明したらいいだろ」




【マライタ先生】

 エルフ先生たちは食堂から出て、運動場へ向かう階段を上っていた。校長はノーム先生が背負い、羊はエルフ先生が背負っている。

 廊下や階段には制服だけが散乱していて、獣の姿はどこにも見当たらなかった。ノーム先生が推測した通り、森の中へ逃げていったのだろう。


 そんな状況を整理しているペルが、冷静な表情でつぶやく。

「学校内は、それで大丈夫ですね。では他の場所で、無人化すると困る事を想定……あ。こんにちは、マライタ先生。まだご無事だったのですね、よかった」


 階段の上から、足を引きずりながらマライタ先生が降りてきた。かなり疲弊した表情だが、それでも白い歯を見せてニッカリ微笑む。

「よお、まだ無事だったか。さすがだな。外の連中は、どんどん獣に変わっているぞ。何が起きたんだよ」


 ノーム先生が階段の下から呆れた様子で見上げている。

「意外ですな。まだ生き残っているなんて。魔力のないドワーフなのに」

 マライタ先生が苦しそうながらも不敵な笑みを浮かべた。胸ポケットの中を作業用の手袋をした手でゴソゴソ探っている。

「対魔法防御については、ドワーフも色々と研究してるんでな。それに、現地製造のクローンだからな、この体は。使い捨てが利くから色々と装備してるんだよ。それでも、ここまでのようだ。おい、ペル嬢。ちょっと来い。渡したい物がある」


 言われるままにペルが階段を上がって、虫の息になりつつあるマライタ先生から小さな〔結界ビン〕を1つ受け取った。

 首をかしげているペルに、階段に座り込んだマライタ先生が震える口を開く。急速に意識が遠のいていっている様子だ。視線が虚空を彷徨い始めている。

「ワシの趣味の監視ネットワークの操作端末だ。誰でもワシの代わりに使えるように調整してある。ワシが復帰するまでの間、預かってくれ。くれぐれも無くすんじゃないぞ」


「ええー……」

 大いに困惑しているペル。半分失神状態になりつつあるマライタ先生を、エルフ先生が容赦なく非難する。

「マライタ先生! この非常時に何を生徒に押しつけているのですかっ。そんな覗き見趣味のシステムなんか、生徒に悪影響しか及ぼしませんよ! そもそも……」

 マライタ先生が、エルフ先生の文句を無視してペルにウインクした。

「頼んだぜ……」

 そのままガックリと意識を失って、階段に寝そべるような姿になった。


 それもほんの数秒で、あっという間に、毛深くて手足の太いサルに変わってしまった。「キーキー」と鳴きながら、階段を凄い勢いで四足で駆け上がって森の方向へ去っていく。


 何の感慨もなく、ジト目のままで見送るエルフ先生であった。

「本当にドワーフは……ペルさん、そんな犯罪じみた悪趣味の詰め合わせなんか、捨てても構いませんよ」


 ペルも黒毛交じりの両耳をパタパタさせて、かなり考えあぐねている。小さな〔結界ビン〕を見つめながら、遠慮がちにエルフ先生に体を向けた。

「あそこまで必死な先生は初めて見ました。大事な物なのだと思います。私も〔退化〕してしまう予定ですから、ここはカカクトゥア先生に預かってもらえたらと……どうでしょうか」


 ジト目のままで腕組みをして考えるエルフ先生。隣のノーム先生がニヤニヤしながらも、真面目な口調で助言する。

「ここは預かってみてはどうかな? 我々の中では、カカクトゥア先生が一番生き延びる可能性が高いからね。何せ、パリー先生と『精霊魔法契約』を結んでいる間柄だ。妖精契約であればパリー先生との個人契約だけど、精霊魔法契約は精霊世界との契約だからね。いくらパリー先生でも、そう簡単には勝手にできないはずだよ」


 2人から勧められて、軽くため息を漏らすエルフ先生であった。渋々ながらも、ペルから小さな〔結界ビン〕を受け取る。

「……仕方がありませんね。ゴミが1つ増えたと思う事にしましょう。ですが、私もサルに変わる可能性は充分にありますよ。何せ、あのパリーですからね」




【獣だらけの運動場】

 運動場では、多くの生徒たちが次々に倒れて獣に姿を変えている最中だった。狐や大トカゲに〔退化〕した生徒たちが、何かに追われるように森の中へ駆けこんでいく。

 運動場に散乱しているのは制服や手袋ばかりで、森からの緩やかな風に吹かれて土まみれになっていた。


 先生たちもかなり苦しい様子で、立っているのはタンカップ先生〔分身〕だけだ。本人がネズミにされたというのに、頑健な〔分身〕である。その彼も夢遊病者のようなフラフラな動きになっているが。

 悪い事に、本人不在によって制御不能に陥っているようで、トラのような唸り声を上げて周囲を威嚇している。加えて、辺り構わず力場術の〔ビーム光線〕や、〔火炎放射〕などを無差別に撃ちまくっていた。何人かの生徒が直撃を食らって、空中を舞っているのが見える。


 ノーム先生の精霊魔法専門クラスのニクマティ級長が、1人で暴走タンカップ先生〔分身〕に対峙していた。乱射される〔ビーム〕や〔火炎放射〕に対して、〔防御障壁〕を飛ばして生徒を守っている。

「この出来損ない〔分身〕がっ。後で抗議するからな、覚えてろ力場術!」

 いつもは理知的な級長が、黒茶色の瞳を怒りで光らせて激高している。


 彼の近くには、幻導術のプレシデ先生と招造術のナジス先生の2人が地面に倒れてもがいている。彼らにも悪態をつくニクマティ級長だ。

「先生も何やってるんですかっ。生徒を守る義務があるでしょっ」

 しかし、当然ながら反応しない2人の先生であった。よそ見をしたニクマティ級長に、暴走タンカップ先生〔分身〕の〔レーザー光線〕攻撃が命中して、爆発する。


「げ!」

 爆炎に包まれて4メートルほど吹き飛ばされる級長。何とか耐えて運動場に仁王立ちになった。不敵な笑みを浮かべている。

「く、くくく。ここまでか……」

 そして、ノーム先生に顔を向けた。

「あ、後は頼みますっ。ラワット先生!」


 紺色のブレザー制服が「バサリ」と地面に落ちて……1匹の狐が姿を現した。

「わんわんわん!」

 犬のように吼えながら、一目散に森の中へ駆け去っていく。


 ラワット先生が小豆色の瞳を細めて頬を緩める。

「大した級長だよ。とはいえ、僕も残り時間はあまりないんだけどね。しかし、困ったな。あの暴走筋肉は何とか排除しないといけない。余計な魔力は使いたくないのだが」


 そんなタンカップ先生〔分身〕から、安全距離を置いて集まるエルフ先生たち。今はとりあえず地下階へ降りる階段を盾にしている。魔力がどんどん消耗しているので、少しでも節約するつもりのようだ。


 時々、タンカップ先生〔分身〕の無差別攻撃魔法が階段の壁に命中して、派手な爆発を起こしている。その衝撃波と熱風を、〔防御障壁〕なしでやり過ごしているエルフ先生だ。森の方向にライフル杖を向けていたが、首を振って断念する。

「……ダメか。パリーからの応答がない。本気で私たちを獣に〔退化〕させるつもりのようね」


 ペルも通信を試みていたが、残念そうに首を振る。

「レブン君からの応答も途絶えちゃった。ジャディ君は多分、あの大ワシのどれかだと思うけど……」

 先生と生徒たちがペルの指さす方向を見上げると……森の上空に数羽の大ワシが弧を描いて飛んでいるのが見えた。ムンキンがジト目になって、尻尾で地面を叩く。

「本当に、肝心な時に役に立たないバカだなっ」


 いつもは同調してジャディをバカにしているラヤンが、何も言わずに座り込んだまま、ついに動かなくなってしまった。浅い息をしながら、急速に体が人型からトカゲ姿に変わっていく。

「私はここまでだわ。思ったよりも苦痛はないのね。魔力量が多くないのに、食堂で法術を使いまくったせいかしらね」

 すっかりトカゲと化した手をミンタとムンキンが握ろうとするが……ラヤンがジト目になって断る。

「余計な魔力は使わない事。トカゲになったら暴れるかもしれないから、ここでお別れするわね」


 強化杖を振って、最後の魔力を放出した。ラヤンの体が空中に浮き上がる。そして、〔ビーム〕を乱射しているタンカップ先生〔分身〕に向けて、無言のままで飛んで突撃していった。

 数発ほど〔ビーム〕の直撃を受けたが、先生〔分身〕の魔力も底を尽いていたようで火傷で済んだようだ。そのまま衝撃音と共に、タンカップ先生〔分身〕の筋肉質の巨体に激突した。


 反動で吹き飛ぶラヤンの体が、空中で完全に大トカゲに変わった。

 さすがに獣に戻ると敏捷になるようで、空中で体をひねって、見事に四肢を地面に同時につけて着地する。制服や強化杖は地面に散らばってしまったが、もはや気にする素振りも見せない元ラヤンの大トカゲである。

 倒れずに両足を踏ん張って耐えているタンカップ先生〔分身〕に、大きなトカゲ口で噛みついた。


 さすがにたまらず、地面に倒れる先生〔分身〕。おかげで無差別攻撃が中断された。タンカップ先生〔分身〕も魔力が尽きたのか、急速に大型のサルに変化し始めている。

 しかし、そのせいで、先生〔分身〕も体力が増えてしまったらしい。毛むくじゃらの丸太のような両腕を振り回して、足に噛みついているラヤン大トカゲを殴り飛ばした。再び空中高く舞う元ラヤンだ。


 ムンキンがジト目になって腕組みして、階段の陰から見ている。ムンキンの体はまだ変化していないが、苦しいのは続いているようだ。

「うわ……俺もああなるのかよ。勘弁してくれ」


 ミンタがニヤニヤしながら、ムンキンの背中をポンと叩く。

「撮って記録に残してあげるから、楽しみにしていなさい。でも、見たまま、トカゲとサルのケンカになってるわね。見た目は酷いけれど、暴走していた筋肉先生〔分身〕を排除してくれたのは助かったわ。〔ビーム〕や〔火炎放射〕が邪魔だったのよね」


 地面に転がりながら、取っ組み合って噛みついたり殴ったりしていた大ザルと大トカゲであったが……不意にピタリとケンカを止めた。両者ともに、頭をキョロキョロさせて警戒の唸り声を発している。

 それも数秒間ほどしか続かず、急速にパニック状態になった2匹が悲鳴を上げて、森の中へ全力で逃げ去っていった。その四足の見事な走行に、少し感心しているミンタである。

「まるで産まれた時から獣だったような、見事で無駄のないキレイな逃げっぷりね」


 他の生徒も、先生〔分身〕の魔法攻撃を受けた数名ほどが完全に狐や大トカゲに変わり、2匹に続いて森の中へ逃げていく。しかし、まだ獣人の姿のままで運動場に倒れて呻いている生徒も多い。

 2人のウィザード先生もうずくまって動かないが、人間の姿のままだ。幻導術のプレシデ先生が着ている高級そうなスーツは、見事に土まみれになっているが。招造術のナジス先生も自慢の白衣風ジャケットが土まみれになっている。ティンギ先生の姿はどこにも見当たらない。


 ペルが校長とサラパン羊を見て、黒毛が交じる両耳と尻尾をパタパタさせながら首をかしげた。今もペルが〔防御障壁〕を被せて2人を保護している。

「あの……校長先生、サラパン主事さま。獣化に対して、何か対処していませんか? 私の〔防御障壁〕だけでは魔法適性の弱い方は耐えられずに、獣に〔退化〕していても不思議じゃないんですが……」


 校長と羊に皆の視線が集まる。確かに2人ともかなり苦しんではいるが……獣の狐や羊に〔退化〕する兆候はまだ見られていない。彼らよりも魔力量が多い生徒や先生が『先に』獣になっているので、これは不自然だ。


 校長と羊が顔を見合わせた。すぐに何か思い至ったようだ。校長が荒い息を続けながらも、しっかりとした視線を先生と生徒たちに向ける。

「そういえば〔召喚〕儀式の開始前に、紅茶を飲みました……サラパン主事がテシュブ先生から頂いた湖の水を、カップに数滴ほど垂らしましたかね。私に内緒で。後でバレましたが」


 羊が苦し気な表情を浮かべながらも、丸々と膨れた夏毛毛皮に包まれた体を手袋をした両手で「ポフポフ」と叩く。冬毛と違い、空隙の量がかなり多い毛皮になっている。

「は、はハは……私も飲んだガ平気だっタからね。動物実験ナんかするのは面倒じゃなイか」


 どうやら、校長に湖の水を飲ませたらしい。それも本人の了解もなく。エルフ先生とノーム先生が揃ってジト目になって羊を見下ろしているが、羊は全く悪びれていない様子である。

 険悪な空気になってきたので、慌ててペルが間に割って入った。

「それって多分、その湖の水が、〔退化〕を遅らせる効果があるという事じゃないかな」




【湖の水の効能】

 エルフ先生がジト目を止めて、真面目に考え始めた。運動場では更に数名の生徒が狐と大トカゲになって、森へ逃げ込んでいくのが見える。

「……可能性はあるかもしれないわね。生命の精霊場については、私も研究者じゃないから詳しく知らないのだけど、何種類かあるという話ね。〔干渉〕し合っているのかも」


 ノーム先生が銀色の口ヒゲの先を、グローブの指で引っ張りながらうなずく。

「左様。1種類では、多様な姿の森の妖精は成立しえないですからな。皆、同じ姿になるはず。そう、『化け狐』のように。妖精の種類だけ精霊場の差異があるという事でしょうな。そして湖の水は、ドラゴン由来の生命の精霊場。差異はかなり大きいはずだね。〔干渉〕〔反発〕するに充分な差異になっているのかも知れないな。似ていると反対に〔共鳴〕して、〔退化〕が加速されるはずですからな」


 あくまでも推測に過ぎないのだが、エルフ先生がノーム先生と視線を交わした。エルフ先生が生徒と校長たちに視線を向ける。

「人体実験は許されませんが、今は緊急事態です。私の責任で皆さんに、湖の水を服用する事を命じます」

 ノーム先生が口元を少し緩めた。

「まあ、それでも〔退化〕を少し遅らせるだけの効果だろうがね」


 ミンタとムンキンがジト目になって、ペルとサラパン羊から受け取った小さなガラス瓶を両手に持っている。

「マジでこれを飲むのかよ」

 ムンキンが吐きそうな声でつぶやく横で、ミンタも同じような声で応えた。

「何か起きたら、あのアンデッド先生に厳重抗議するわよ。ムンキン君」


 ペルが軽くパタパタ踊りを始めているので、意を決してさっさと飲む2人であった。思い切りの良さはさすがである。

 ムンキンがキョトンとした表情になった。濃藍色の瞳をパチパチさせて瞬いている。

「……お? マジかよ。ちょっと体が楽になったぞ」

 ミンタも口元のヒゲを全て四方八方に向けながら渋々同意した。

「……そうね。時間稼ぎはできるみたいね」


 先生とペルも続いて水を飲んだ。先生にも効果が現れてきたようで、ミンタとムンキンと似たような微妙な表情になっている。コメントはさすがに控えたが。


 少し気持ちに余裕ができたのか、ノーム先生が銀色のあごヒゲを片手で撫でながら今後の事を考え始めた。

「さて、と……タカパ帝国全土で、この〔退化〕現象が起きていると想定しようか。我々も、遅かれ早かれ〔退化〕して獣になるだろう。元に戻るまでの間、何をしておくべきか、考えておくべきだな」


 エルフ先生と生徒たち、それに校長にも異論はない。羊は面倒臭そうな表情で苦しんでいるのだが、特に文句はない様子である。

 ペルがエルフ先生に顔を向ける。

「カカクトゥア先生。マライタ先生から預かった、覗き見趣味の操作端末を使って、帝都のインフラ施設の稼働状況を調べる事はできますか?」


 言われるままに、エルフ先生が小ビンを取り出して封を開けた。すぐに、認証画面が先生の手元に表示されるが、消えて操作画面に切り替わった。エルフ先生の顔が曇る。

「ドワーフ語ね。ええと……自動翻訳を起動っと」

 簡易杖を画面に向けると、表示がウィザード語に切り替わった。

「翻訳精度が高くないから、半分くらい文字化けしていて判読できないわね。でも、それでも何とか使えるかな」


 文句をいいながらも、テキパキと操作するエルフ先生。しかし、すぐにジト目になった。

「……何コレ。帝都の市場とか酒屋、道具屋ばかりじゃないの。発電所や変電所に工場の監視情報は1つもないわね」

 ムンキンがジト目になって、吐き捨てるようにつぶやく。

「使えねえー……」


 エルフ先生がため息をつきながら、監視システムを終了して、画面も消去した。〔結界ビン〕の蓋を締めて、今度は完全に無造作に制服のポケットに突っ込む。

「本当に、ただのゴミだったわね」


 ノーム先生も落胆していたが気を取り直して、ソーサラー魔術で共有回線を臨時に構築した。これで無線通信や情報の送受信ができる。

「本当はウィザード魔法の幻導術による通信網の方が便利なんだけどね。サーバー負荷を減らしたいので、こうしてみた。さて……大地の精霊魔法で〔探査〕してみるか」


 全員の手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面が生じて、同じ画面に統一された。サラパン羊にも一応画面が割り振られている。肝心の羊は、ふて腐れて、腹と頭を抱えて呻きながら地面に転がっているので見ていないが。


 ノーム先生がそんな羊を無視して画面を操作していく。帝国全土の地図が表示されて、何種類かの『印』が500個ほど記載された。

「詳しくは註釈を見てくれ。とりあえず、大地の妖精が把握している帝国内の重要インフラ施設と、工場を地図上に表示した。彼らが帝都に攻め込んでくれた際に得た情報だね」

 発電所などのインフラ整備では、白金などの希少鉱物が微量だが使用されている。微量だったので大地の精霊や妖精の襲撃を逃れたのだろう。大量に保管していた帝都の魔法協会施設に向かってくれた。


 ノーム先生がいくつかの演算プログラムを呼び出す。

「無人になって電気や水道なんかの供給が停止した場合、起こり得る災害をこれから表示するよ。演算しながら表示しているから、ちょっと時間がかかる」


 それでも20秒後には、帝都全土マップ上に『赤い印』が新たに表示されて、その横にウィザード語で解説文がついた。ざっと、それらを見たノーム先生が銀色の口ヒゲを撫でながら唸る。

「むう……発電所は、軒並み爆発しそうだな。復旧中で、安全装置の設置が間に合っていない。本来ならば、安全装置を万全に設置してから復旧作業に取り掛かるべきなんだけど、政府の混乱で徹底されていなかったようだね。数は、ざっと見て300ヶ所か。これは、爆発炎上して周辺の町まで燃えそうだ」


 今ひとつ理解できていないエルフ先生に、ノーム先生が簡単に説明する。

「この形式の発電所というのは、燃料を燃やして、それで湯を沸かして、その水蒸気で発電機を回して、電気を生み出しているんだよ。水蒸気は一定の圧力である必要がある。発電機が回り過ぎたりすると壊れてしまうからね。この調節に電気を使っているんだ」


 緊急事態が起きて、急いで燃料を燃やすのを止めても炉の高熱はそう簡単には下がらない。水蒸気が発生し続けて、排出できずに溜まり過ぎると、ちょっとした事で爆発してしまう。


「発電所の職員が、水蒸気の排出弁を開いていれば大丈夫だけどね。小さな獣人では手動で動かすのは無理なんだよ。でかいし、熱いし。予備電源を使って弁を開けるしかない」


 嫌な予感が背筋を走るのを感じるエルフ先生と生徒たちだ。ペルが軽く毛皮を逆立てながら、恐る恐るノーム先生に聞いてみる。

「それって、その……予備電源が全ての発電所に行き渡っていない……という事ですか?」

 無言で銀色の垂れ眉を上下させるノーム先生であった。

「復興中だからね。安全装置が行き渡っていないのさ。さて、次だが……」


 今度は、別の記号が河川沿いに表示された。数は発電所の半数くらいだが、ムンキンの顔が一気に険しくなる。

「これって、化学肥料工場ですか? ラワット先生」

 先生が固い表情でうなずいた。表示をざっと斜め読みしながら、重たい口を開く。

「左様。ほとんどが国営工場だからなあ。やはり安全装置が充分に行き届いていないね。ここも高温の炉を使う。爆発しやすい化学物質を多く使用しているんだよ。ちなみに肥料を製造する際の反応触媒に、希少金属が使われてるんだ」

 そして、皆に顔を向けた。一転して気楽な表情になっている。

「お手上げだな、これは」


 しかし、ペルだけは異論がある様子だ。かなり緊張した面持ちながらも、両耳をピンと立ててノーム先生に抗する。

「いえ。まだ手はあります」

 共有画面となっている、手元の〔空中ディスプレー〕画面の全ての点をじっと見つめてから、エルフ先生に提案する。

「私が、この全ての場所の炉を闇の精霊魔法で〔消去〕します」


 即座に却下するエルフ先生である。ついでに、ペルのフワフワ毛皮の頭を「コツン」と叩いた。

「許可できません。そんな事をしたら、ペルさん、あなた。魔力のバランスを崩して『化け狐』になってしまいますよ」

 それでも食い下がるペルだ。覚悟はしているのだろうが、やはり涙目になってきている。


 隣のミンタは、悔しそうな表情をして押し黙っている。光の精霊魔法では、炉を光に〔変換〕する事はできても、熱までは光にする事ができない。光に〔変換〕されて消えた炉から膨大な熱が周辺に溢れ出て、結局、大爆発を起こしてしまうだけだ。

 ムンキンも同様に口をパクパクさせて、尻尾で地面を《バンバン》叩きながら黙っている。


 そんな2人に空色の瞳をむけて微笑むエルフ先生。ペルにも視線を向けて、ちょっと、いたずらっぽく微笑んでいる。

「適任者を呼びましょう。死んでも構わない人がいるでしょ」




【門の側の召喚場】

 学校の門の側に設けられているサムカ召喚場には、誰もいなかった。校長がエルフ先生の背中におぶさりながら、少し落胆している。

「学校の事務職員たちに命じて、テシュブ先生の〔召喚〕儀式を先行して行わせていたのですが……やはり、全員が狐になってしまったようですね。〔召喚〕儀式が途中で中断されています」


 サラパン羊はノーム先生に担がれているのだが、彼は通常通りだ。地面に降りて、夏毛で丸まった体を背伸びしてほぐしている。

「大丈夫ですよ、わはは。この『天才召喚士』の私が来たからには、何ら問題ありませんとも。わはは」

 役人らしいスーツで押さえつけられている、分厚い夏毛の中に手袋をした両手を突っ込んだ。腹や腰、背中の辺りをゴソゴソして、召喚ナイフを探している。

「ええと、どこにナイフを収めていたっけ……」


 慌てて校長が、エルフ先生の肩越しに両手をパタパタ振って制止した。

「ま、待って下さい。まだ〔召喚〕儀式の途中です。サラパン主事の出番はもう少し後ですよ」


「むう……」と残念そうに、ふくれ面になる羊であった。それでもまだ、自身の分厚い夏毛の中に両手を突っ込んで、ナイフを探している。

 校長がエルフ先生の背中から降りた。やはりかなり消耗しているようで、足元がフラフラしている。しかし、それでも魔法陣の状況を確認していく。

(そういえば、魔法陣の上に置かれているはずの供物がないわね…)と思うエルフ先生。


 一通り魔法陣の状況を見て確認した校長が、ペタリと座り込んでしまった。すぐにペルとミンタに体を支えられるが、急速に野生化が進行し始めた。

「私もどうやら、ここまでのようですね。魔法陣は、そこの部分がまだ描画の途中でした。〔召喚〕方法は、ナイフに記録されていますので、それを参照して下さ……ワンワン!」

 犬のような吠え声を上げたかと思うと、校長が完全に狐になってしまった。


 校長がスーツを脱ぎ捨てて、門を通って外の森の中へ駆けこんで逃げてしまった。高齢のはずなのだが、かなりの敏捷さだ。


 ミンタがジト目になりながら、軽くため息をついて見送る。

「本当に、少しだけ獣化を遅らせる効果しかないのね。数分間というところかしら」

 ペルが肩をすくめて、薄墨色の瞳を白っぽくさせた。鼻先のヒゲも垂れてしまっている。

「そうみたいだね。サラパン主事さんは、大丈夫ですか?」


 ペルとミンタの視線の先には、立派な夏毛で丸まった羊が四足で寝転んでいた。視線を浴びて、羊が驚いて跳ね起きる。

「めえ~!」

 高級そうなスーツを全て脱ぎ捨てて、校長の後を追うように門に向けて四足で駆け出した。


 そのまま突っ込んで来たので、ペルが黒毛交じりの尻尾を竹ホウキ状態にして間一髪で避ける。そのまま地面に倒れ込みながら叫んだ。

「召喚ナイフが毛皮の中に残ったまま!」

「おう! 逃げるなこの野郎っ」

 ムンキンが横からタックルして、羊をはね飛ばして路面に転がした。そのまま組みついて、尻尾で羊の後ろ脚を絡めとる。すぐにノーム先生も参加して、羊の頭を路面に押さえつけた。

「めえ~! め、めえ~!」

 自由に動く前足をバタバタさせて、もがく元サラパン主事である。もう、完全にただの羊だ。


 ムンキンとラワット先生の2人がかりで押さえつけて、分厚い夏毛の毛皮の中に手を差し込んでナイフを探す。ムンキンが呆れた表情になっている。

「格闘術のクラブに入っていて良かったよ。しかし、どこにあるんだよ」

 肘まで毛皮の中に突っ込んで、かき回して探すムンキンだ。


 隣で同じように、肘まで手を突っ込んでいるノーム先生も、ため息をついた。

「左様。いくら春先だからといっても、毛皮の手入れくらいはしないと……お、これかな」

 ノーム先生が分厚い毛皮の中から片手を引き抜いた。鞘に入ったナイフが、羊毛まみれで姿を現す。


 用が済んだので2人から解放された羊が、「め~め~」悲鳴を上げて門から外の森の中へ、四足で駆けて逃げていった。もう、誰も見送らない。


 鞘やナイフのグリップに付いている羊毛を、ノーム先生が手で引き抜いて取り除く。

「さて、困りましたな。このナイフを扱えるのは、逃げた羊さんだけのはず」


 黒い縞模様が3本走る頭を手袋をした片手で撫でて、ペルが飛んできた羊毛を払い落とす。次いで、隣で羊に向けて〔マジックミサイル〕を撃ち込もうとしていたミンタに抱きついて落ち着かせながら、ノーム先生に微笑んだ。

「じゃあ、ハグさんに頼みましょう」


 待っていたかのようなタイミングで、<パパラパー>音がどこからか鳴り響く。<ポン>と水蒸気の煙をまとって、ハグ人形がペルの整えたばかりの頭の上に着地した。さすがにジト目になるペルだ。


 そんなペルには気づかない風のハグ人形が、明るい声で口をパクパクさせた。

「何かね? 願い事を1つだけかなえて進ぜよう」



 エルフ先生がかなり呆れた表情でハグ人形を睨みつけた。腰までの真っ直ぐな金髪の表面が、薄ぼんやりと青く発光し始めている。

「どうせ、しっかり見ていたのでしょ? 状況は説明しなくても構わないわね。サムカ先生を〔召喚〕したいのよ。協力しなさい、アンデッド」


 ハグ人形がペルのフワフワ毛皮の頭の上で、ひっくり返って手足をジタバタさせてゴネ始めた。

「いやだいやだ、いやだい~。ワシにもちゃんと説明しろよ~」


 エルフ先生とミンタが、同時にライフル杖と強化杖を向けて〔ロックオン〕した。エルフ先生の空色の瞳が冷たく光る。

「遊んでいる時間はないのよ。撃つぞコラ」

 ムンキンはノーム先生と一緒に路面に座って見物している。かなり息が上がっていて、すぐには動けないようだ。

「撃っちまえ、カカクトゥア先生」


 ハグ人形が腹を見せて万歳する降参のポーズをした。ジタバタ動きもピタリと止まる。ほっとするペルだ。

「仕方あるまい。管理人権限で、エルフのカカクトゥア先生を一時的に召喚ナイフの『所有者』とするよ。使い方はナイフを持てば勝手に理解できるぞ」


 心底嫌そうな顔になるエルフ先生であった。しかし、ライフル杖を縮小して、警察制服のベルトにある収納ホルダーケースに差し込む。ケースの隣にある草で編んだポーチが可愛く揺れた。

 空いた手で、嫌々ながらもノーム先生からナイフを受け取り、大きくため息をつく。

「……分かったわよ。今回限りって事でいいわね? どうやら、一番元気なのは現状、私だけのようだし」


 ハグ人形が「とう!」とジャンプして、ペルの肩に飛び降りる。そのまま空中に浮かんで、ゆっくりとエルフ先生に近づいていく。

「さすがエルフじゃな。生命の精霊場汚染に耐性があるから、〔召喚〕士の代理としては最適だわい」


「なるほど」と納得する先生と生徒たちである。ハグ人形に言われるままに、エルフ先生が召喚ナイフのグリップを人形に向ける。そのグリップに、ぬいぐるみの手を器用に動かして触れるハグ人形。

 エルフ先生が立ちくらみを覚えたが……すぐに立て直す。

「……おっと。やっぱり、かなりの負荷がかかるわね」

 そして、ナイフを持つ軍用グローブから、禍々しい魔法場が溢れているのに気がつく。ジト目になって詰問するエルフ先生である。

「コラ。何よコレ」


 ハグ人形は既にナイフのグリップから手を離していて、再びペルの肩に飛んで戻っていく最中だった。空中でエルフ先生に振り返って、両手を大げさにバタバタ振る。

「オマエさんの魔法適性じゃ、普通に触れると〔干渉〕して爆発してしまうからな。緩衝用の〔防御障壁〕をグローブにかけたんだよ。サムカちん〔召喚〕用の闇魔法場を、その中に込めてある。詳しくは、ナイフを鞘から抜けば分かるぞ」


 早速、エルフ先生がナイフを鞘から抜いて、頭上に掲げた。再び脳に負荷がかかったようで、足元がふらついている。しかし、それもすぐに収まり、ジト目ながらも安堵するエルフ先生だ。

「……なるほどね。使い方は理解できたわよ。でも……」

 エルフ先生の顔が見る見る曇っていく。

「これから〔召喚〕再開すると、サムカ先生を呼び出せるのは1時間後なんですけど。どうにかならないの。召喚ナイフの管理人アンデッドさん」


「ええ~……」

 ノーム先生と、ムンキン、ミンタにペルが軽い絶望顔になっていく。その様子をニコニコしながら見つめるハグ人形だ。

「無理じゃな。まあ、頑張れや。まずは、魔法陣を描き終えて、供物を配置する事からだな」


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