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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
魔法学校へようこそ
12/124

11話

【帝都の市場】

「あいたたた……」

 ペルとレブンが両足を思い切り挫いて座り込んでいる。何とか着地はできたが、足への衝撃は大きすぎたようだ。

 文句を交えながら冷かしつつも、法術で治療を施すミンタとムンキンである。こういう事を想定していたのか、法術を詰めたガラス製の〔結界ビン〕をいくつか持ってきていた。その1つを開けて法術を起動させている。


「まあ、最初はこうなるわね。捻挫だけで済んでラッキーだったわよ、ペルちゃん。ほい、治った」

 ミンタが数秒でペルの両足捻挫を〔治療〕し終わった。さすが全校生徒トップの成績の持ち主だ。文句を言いながらも、金色の毛が交じった尻尾がリズミカルに石畳を掃いているので、かなり機嫌は良さそうである。

「ご、ごめんねえ。ミンタちゃん」

 ペルが両足をさすりながら立ち上がり、ミンタに礼を述べた。大口を叩いたばかりでコレなので、かなり恥ずかしがっている。


 一方のムンキンも数秒遅れて、レブンの両足捻挫を完治させた。彼も濃藍色の目を細めてニヤニヤして、治ったばかりの足先を軽く殴る。「ポカン」と音がする。

「よし、こっちも治った。もうちょっと練習が必要だな、レブン」

 レブンが頭をかいて反省している。今はセマン顔なので、頭をかくための黒髪がある。

「ありがとう、ムンキン君。確かに、もっと練習しないとなあ」


挿絵(By みてみん)


 そんな様子を微笑みながら見守っていたサムカとエルフ先生。サムカが山吹色の瞳をキラキラと輝かせて、隣のエルフ先生に視線を向ける。

「では案内を頼もうか。果物市場はどこかね?」

 エルフ先生がサムカの浮かれ具合を見て、軽いジト目になっていく。

「そういう魂胆だったのですね、サムカ先生」

 笑いを含んだ口調で、エルフ先生がツッコミを入れる。瞳の色は空色で金髪に静電気も走っていないので、怒ってはいないようだ。


 この獣人世界では、まだまだエルフや背の高い人間型の種族は珍しい。どこへ行っても注目されることになったサムカとエルフ先生であった。それでも果物の食い倒れツアーを存分に楽しんだようである。

 ここでは建物のサイズが全て、身長1メートルほどの獣人族に合わせて設計されている。サムカやエルフ先生には少し窮屈であるが、それもすぐに慣れたようだ。特にサムカの喜びようには、エルフ先生や4人の生徒たちも驚いている。

 ついにはバレーボールくらいの大きさのスイカを抱えて、牙を刺してご満悦な表情になっているサムカ。それを見て、エルフ先生が釘をさす羽目になっている。

「教師としての威厳は、最低限維持して下さい。サムカ先生」


 我に返ったサムカが瞳の色を山吹色に戻しながら、短く切りそろえた錆色の髪を片手でかいて反省する。スイカは、ちゃっかりと黒マントの中に入れて収納してしまったが。

「そ、そうだな。これは失態を見せてしまった。指摘を感謝するよ、クーナ先生」


 生徒たちにとっては、市場で売られている果物は全てありふれたものばかりなので、サムカの浮かれ具合が今一つ理解できないでいるようだ。しかし、空気を察して何も指摘はしていない。


 実際、市場で売られている果物は、バナナにメロン、スイカ、オレンジにマンゴ、パパイヤ、パイナップルが主な品揃えだ。これに、遠方の温帯地域から運んできたミカンやブドウ、ナシにリンゴが、熱帯地域からきたランブータンやマンゴスチン、ロンガンなどが少し見られる程度である。

 不思議なことに、こうして記述できるほどに見慣れた果物ばかりである。品種の共有、というよりも異世界からの流入が起きている――ということになる。

 エルフ先生も見慣れている果物が多いことからして、恐らくは全て、あのセマンのせいだろう。密貿易はお手の物だ。死者の世界だけは闇魔法場の影響のせいで、それほど定着していないということなのだろう。


 そう言うエルフ先生も、次に巡ることになった昆虫売り場ではサムカに劣らない失態を演じることになった。

 亜熱帯なので昆虫の種類もエルフ世界並みに多く、獣人族も昆虫をよく食べる。そのため、売り場面積も果物市場ほどの広さがある。甲虫の幼虫や成虫、バッタにサソリ、シロアリにクモ、蝶や蛾の幼虫に、養殖したハエ、セミに蜂と、かなりの種類が山盛りにされて売られている。

 蒸したり焼いたりして処理している虫が多いが、活きの良い元気な虫もいて、ガラスケースの中で蠢いているのが見える。


 目移りしながらも、それでも何とか平静を装っていたエルフ先生であったが……手の平サイズの黒大スズメバチの幼虫とサナギの販売店を見かけると、我を忘れてしまった。

 すぐに店主と自動翻訳魔術で値段交渉して、サンプルとして幼虫を一匹、生のままで踊り食いし、まるでローティーンの女児のように黄色い声を上げて浮かれている。そのままの勢いで、即断で幼虫とサナギを1ダース購入して袋に詰め込んだ。


 ミンタを筆頭にして少なからずショックを受けた4人の生徒たちに、これ以上の精神的なダメージを与えるのは得策ではないと、サムカとエルフ先生とが気づいたのは、それからしばらくしてのことである。「コホン」と咳払いをしたサムカがエルフ先生に告げた。

「そ、そろそろ帰還の時間だな。学校に戻るとしよう」

「そ、そうですね、そうしましょう、サムカ先生」


 かなりのショックを受けているミンタとムンキンを、ペルとレブンが肩を貸して支えている。レブンが魚の口のままでサムカの提案に全面的に賛成した。

「そうして下さい。でないと僕たち、明日の授業に出席できる体力と気力が確保できません」

 ペルが半分気絶状態のミンタをフラフラになりながらも支えながら、サムカに聞く。

「テシュブ先生。そんなにここの果物って美味しいのですか?」


 サムカが申し訳なさそうな表情でペルに答えた。黒マントの裾が不自然なまでに揺れている。

「そうだな。死者の世界の果物とは、比較にならないほど美味だな。思わず私も自我を喪失しかけるほどだった」

 エルフ先生も細長い両耳を赤くしている。幼虫が入った袋はしっかり持っているが。

「そ、そうですね。これほどとは予想していませんでした。私も注意することにします」




【魔法学校の校長室】

 再び〔テレポート〕魔術を使って校長室へ戻ると、すでに校長とサラパン羊が待っていた。校長が満面の笑みを浮かべて、尻尾を振りながらサムカたちを出迎える。サラパン羊は眠そうな顔をしているが。

「お帰りなさい。報告は軍から受けています。見事な手腕でしたね。これでこの魔法高校も注目されます。卒業生の就職先や待遇も更に良くなることでしょう。ありがとうございました」

 手放しの喜びように、若干戸惑うサムカとエルフ先生である。


 遅れてパリーも校長室へ戻ってきた。彼女もニヤニヤしていて、不思議なリズムのステップを踏んでエルフ先生に抱きついた。ウェーブがかかった紅葉色の長い赤髪がリズムに合わせて揺れる。

「見てたわよ~。ずいぶん盛大に爆発させたわね~あの威力だったら~エルフ製の魔法兵器を買うかも~商売人なんだから~も~。あ。黒大スズメバチの幼虫とサナギだ~」


 そう言われて、初めて「はっ」とするエルフ先生とサムカであった。確かにそうだ。と共に、エルフ先生が慌てて袋を〔結界〕魔術の中に収納して、パリーの目から隠した。内心では相当に焦っているのが金髪に走る静電気の量で分かるが、表情は至って冷静そのものだ。


 その点については校長もパリーに同意してうなずいた。買い物は見なかった事にしたようだ。

「そうですね。先日あれだけ苦労した巨人アンデッドを上回る、魔法世界製の巨人ゴーレムが売り込まれて、それを今回エルフの魔法が一撃で粉砕しましたからね。裏で色々と交渉が行われるのでしょうね」


 校長がしっかりした視線をサムカたちに向ける。

「ですが、我々教育者としては、生徒たちへの教育が全てです。今回も4人の生徒たちへの良い実習となったようですし。ああ、そうですね。後で他の生徒たちへも経験記憶の〔共有〕を行いますから、あなたたちはテシュブ先生が帰還なされた後もここに残りなさいね」

「はい」と即答する4人である。

 サムカの専門クラスの生徒は他にジャディ1人だけだが、エルフ先生の専門クラスには他にも多くの生徒がいる。彼らにも今回の経験を〔共有〕させることで、魔法回路の構築や強化を図るのである。


 具体的には、今回エルフ先生が使用した光の精霊魔法の戦闘の経験〔共有〕になる。サムカが使用した闇の精霊魔法については、魔法適性がない生徒が多いので効果は期待できそうもない。


 サムカがペルとレブンにジャディへの経験〔共有〕を頼んで、壁時計を見た。

「さて、どうしたことか。〔召喚〕終了の時間なのだが」

 サムカが首をかしげる。


「ああ。サムカちんをカラオケに呼ぼうと決まってね。サラパン同士に再〔召喚〕をしてもらったんだよ」

 ハグの声がして、カフェのテーブルの上にハグ人形がポトリと天井から落ちてきた。ぬいぐるみに使用している糸は改良されて細いものになっているが、デザインと服装が相変わらず絶望的で見る者を脱力させてくれる。

「さあ。あと1時間延長したから歌いに行こう。サムカ君は、いい声しているから、楽しみだよ」

 そう言って、15センチの綿のぬいぐるみがコサックダンスをしてサムカを誘った。まだサムカを歌わせる野望を捨てていないようだ。


 ミンタとペルが一斉に黄色い声をあげた。

「きゃー、何コレー? キモいのに可愛いー」

 エルフ先生とパリーはキョトンとした顔をしている。


 そんな生徒と先生たちを見て、サムカが肩を落とした。これは説明する必要がありそうだ。ため息混じりの声でハグ人形を紹介する。

「……紹介しよう。私の召喚ナイフの親元、リッチーのハグが手作りしたゴーレムだ。全く、余計なことばかりに熱心だな」


 人形がすぐに大きな口をパクパクさせて、ボロ布をパッチワークにしたような服で仁王立ちになった。

「ハグで~す。リッチーやってま~す。これでもアンデッドで~す。強いで~す。うらららああ~素敵なハグさま~」

 ハグ人形がテノール歌手の独唱のように歌い始めた。うるさい。


 エルフ先生が呆然としている。

「これが、リッチー? アンデッド界最強の? 何も魔力を感じないわよ」

 パリーは「へたくそ~、音痴~」とか言って、からかっている。


 サムカが顔をしかめてエルフ先生に同調し、ハグについて補足する。

「少なくとも私よりは強いな。不本意だが。ちなみに、この人形は奴の通信の『端末機器』に過ぎない。本体は恐らく死者の世界だろう。この人形自体には魔力はないよ。ただのぬいぐるみだ」


 当のハグ人形もサムカとエルフ先生の顔を交互に見て、大げさな素振りで首を振っている。ヘビーメタルバンドのライブ演奏会場のファンみたいな動きだ。ヘドバンしている。

「だよ~ん。強いんだよ~ん。ほーら、お仕置きだあ~折檻だあ~ひゃっはー」

 いきなり脈絡も理由も何もなく、その場のノリでハグ人形がサムカにお仕置きを始めた。

「うわたたたたたっ。こ、こら、ハグっ」

 たまらずサムカが頭を抱えてうずくまる。


「さあ、カラオケに来るのだ~来るのだ~けけけけけ」

 ハグ人形が盆踊りを踊り始めた。両手を叩いて「パパンがパン」とかやっている。それを見たペルとレブンが、慌ててサムカに抱きついた。

「先生? どうしたんですかっ!?」


 そのドタバタを見ていたミンタが、冷静な顔になってエルフ先生を見上げる。

「カカクトゥア先生。分かりました。私、あんな風にはなりません」

 何かの笑いのツボに嵌ったのか、エルフ先生の口元がかなり緩む。しかしすぐに咳払いをして、ミンタと同じような真面目な顔に戻った。


 と、その時。<ボン>と煙を上げてサムカが消えた。サムカに抱きついていたペルとレブンも消えた。爆風は起きず、床には異常は見られない。

「あっ」

 驚くエルフ先生とミンタ。パリーがケラケラ笑い始めた。

 ハグ人形が頭をポリポリかいて首をひねっている。

「あれ?」


 エルフ先生が顔を蒼ざめさせつつハグ人形に詰め寄った。空色の瞳も混乱の色を帯びてきている。

「も、もしかして、ペルさんとレブン君は……」

 ハグ人形が笑い始めた。

「行っちゃったな。死者の世界に。あらら。サラパン同士、そういえば酔っ払っていたっけ。あはは延長失敗だ」

 パリーもケラケラ笑いが大きくなる。それと反比例するかのように、エルフ先生の顔が青くなっていく。

「ど、ど、どうするんですかっ」


 エルフ先生がハグ人形を握り締めて詰問する。ハグ人形がフルフルと首を振って肩をすくめた。トラ刈りの銀髪が一緒になって揺れる。髪の毛ではなくて細い銀色の毛糸であるが。

「あはははのは。1時間後に戻ってくるよ。心配しなさんな。ああ、死体になっちゃうと無理だけど」

 激高するエルフ先生。空色の瞳が怒りでギラつき始めた。

「死体になんかされてたまるものですかっ」


 エルフ先生の両手からハミ出している手足を、ハグ人形がプラプラさせる。

「ああ。1時間の滞在だから、次の授業は遅刻だな。かわいそうに」

 言葉とは裏腹に、全然そう思っていない明るい声だ。


 エルフ先生が光の精霊魔法を、ハグ人形を握り締めた両手にかけた。ハグ人形が青く光り始め、ぬいぐるみの手足の先から静電気の火花が放出される。

「何とか、しな、さいっ」

「あ~う~、死んじゃう~」

 ハグ人形がサメザメと泣くふりをする。と、何かひらめいたようだ。元気に口をパクパクさせた。

「おおう。そういえば、カカクトゥア先生とパリーさんも、歌が上手だと聞きましたぞ。しかめ面サムカちゃんを呼ぶより、こちらの方が楽しいかな?」


「は~ぐ~」

 エルフ先生がキレかかった。両手の光が一際強烈になる。

 右目の代わりに顔に縫いつけている黄色いボタンが、煙を出しながらポロリと取れた。左のボタンでも火花が散り、留めが緩んでボタンが顔から垂れ下がる。他の縫い目も焼き切れて、中の木綿が飛び出し始めた。ついでに木綿も焼けて燻り始める。

「あ~れ~、死んじゃう~」

 実に愉快そうに悲鳴を上げるハグ人形だ。それを見ながら、パリーもヘラヘラ笑いを満面に浮かべている。エルフ先生の空色の瞳が、ハンターの鋭さを見せ始めた。

「全く、だからアンデッドっていうのはっ。アンデッドっていうの……は。あれ?」


 エルフ先生の表情が急速に緩んでいく。目の焦点が定まらなくなり、夢でも見ているように上体が揺れ始めた。

 エルフ先生の両手の中で握り潰されているハグ人形が、顔から垂れ下がっている黄色いボタンの左目を、振り子のように左右に振り始める。

「我が自慢の〔魅了〕魔法をかけてあげよう。そ~ら、ハグ様はかっこいい、ハグ様は美男子、ハグ様は最高だあ。ここで遊んでいても何だし、歌いに行こうぜ、ベイビー」

 ハグ人形がナンパした。世界最強クラスの魔法でナンパした。


「そう、ですね……」

 そのまま、フラフラとハグ人形を握り締めたまま、隣の応接室へ向かうエルフ先生。

「せ、せんせーっ」

 ミンタが慌てて後をくっついていく。そのままハグ人形に食ってかかり、エルフ先生の手から取り上げた。

「先生に何すんのよっ。〔魅了〕魔法を解除しなさいよ!」

 ぎゅーっ、と力一杯ハグ人形を握り締めるミンタ。左の黄色ボタンも糸が切れて落ちてしまった。


 しかしハグ人形は苦しくも何ともないようだ。ケラケラ笑いながらミンタに教える。

「一曲歌えば魔法は解けるよ。さて、両目も取れちゃったし、ワシも戻るか。召喚親元の仕事をしないと、製造元から苦情がくるのでね。では、ベイビーバイビー」

 くだらないオヤジギャグをかましてハグ人形が消えた。床に落ちている黄色いボタンも一緒に消滅する。


「うわっ。消えちゃったあ。何って奴!」

 ミンタが地団駄を踏んで悔しがる。

「一杯勉強して、絶対負かしてやるんだからあっ。あっ、待って先生っ」

 慌ててエルフ先生の後を追いかけて、応接室へ駆けていった。それを見ていたパリーも、クスクス笑いながら後をついていく。

「おもしろい~。おもしろいわ~」




【サムカの居城】

「すまんな」

 自身の居城の門の前でサムカがペルとレブンに謝っていた。しかし2人は興味津々の顔で目をキラキラさせて、キョロキョロしている。

「うわー。ここが死者の世界なんですねっ」

「思ってたよりも、きれいだわ。緑も豊かだし」


 やはり出現時に爆風が発生したようで、門番のアンデッド使役兵たちが吹き飛ばされて転がっていた。

 が、そこは、さすがに死者の世界のゾンビである。すぐに立ち上がって何事もなかったかのように門に向かい、開門の合図を城内のゾンビ兵たちに知らせた。


 一呼吸ほど間を置いてから門が開いて、オークの執事エッケコと騎士シチイガが出迎えた。騎士シチイガは槍こそは持っていないが、戦仕度の物々しい甲冑姿のままである。

 執事がサムカの黒マントを預かりながら、1メートルにも足らない小さなペルとレブンの姿を認める。

「おかえりなさいませ。おや? 可愛いお客様連れでございましたか」


 サムカが領主らしい威厳に満ちた口調で執事に答えた。

「ああ。召喚側の手違いでな。1時間後には自動的に元の世界に帰るはずだ。それまで客人として丁重に扱ってくれ」

 執事が禿げ頭を垂れた。

「心得てございます。この城に異世界からの客人というのは、私の代では初めてでございますよ」


「うむ」と、サムカがうなずいて、執事と騎士シチイガを教え子たちに紹介した。

「この執事はエッケコという。オーク族だ。後ろに控えているのが、私付きの騎士でシチイガ・テシュブだ」

 騎士シチイガが微笑んで、サムカにするように丁寧に会釈した。ペルとレブンもおっかなびっくりの様子で、ややぎこちない仕草で礼をしている。


 サムカがズボンのポケットからマンゴを2個取り出して、騎士シチイガに投げ渡した。

「苦労をかけた。これは、1時間以内に味わうことだ。元世界に戻ってしまうのでな」

 帝国首都の果物市場で大量に買うのを忘れていた事に、今になって気がついたサムカである。スイカはあるのだが。

「さて……魔族どもはどうなったかね? ハグの知らせでは、演習になったということだったが」


 騎士シチイガがマンゴを受け取って、鎧の中に納めた。投擲弾を収めるラック穴に、すっぽりと収まったようだ。

「はい。両軍とも指揮官不在の状況になりましたので相手側と協議した結果、我がオーク兵への教練を依頼し、その報酬として魔族11世帯分の食料を提供することになりました。いかがでしょうか? 我が主」

 シチイガが顔を伏せて礼をしたままサムカに報告し、判断を伺った。


「うむ。妥当な線だな。よろしい。生徒たちを帰したら、すぐに魔族の長とも面会しよう。その旨、先方に連絡してくれ」

「は。御意のままに」

 そう言って、騎士が足早に馬屋の方へ去っていった。 

「ガチャガチャ」と物々しい金属音がマントに包まれた甲冑姿から響いてくる。


 それを見送り、一息ついたサムカがペルとレブンを見やった。

「どうかな? 100倍程度の闇魔法場だろう? 君たちの世界の死霊術場や闇の精霊場と似てはいるが、別物だ。気分は悪くなっていないかな?」

「はい、何とか、耐えることができそうです」

 そう2人が元気に答えた。それでも、かなり負担を感じているようだ。

 サムカが手袋をした手で2人の頭を撫でて状態を確認しながら、申し訳なさそうな顔で告げた。

「うむ。1時間だけ我慢してくれ」


 そこへ、サムカの悪友で貴族のステワが城の奥部屋から顔を出した。

「おお。可愛いお客だな、サムカ。召喚先の子かい?」

 蜜柑色の瞳をキラキラさせて、こちらへ歩いてくる。

「なんだ居たのかステワよ。手違いが起こってね。こら。ステワ。あまり近寄るなよ。貴族が2名も集まったら、それだけで魔法場の密度が上がる」

 サムカが気にして、悪友を邪険に追い払う仕草を見せる。


「何だよ、つれないなぁ。こんな楽しい罰ゲームを発案した私にそれはないだろう」

 とか何とか言って、大袈裟な身振りで悲哀の情を示す。サムカがひるんだ隙に、貴族ステワが右手片手でペルを抱き上げた。鉄錆色で肩上までの癖のある短髪がふわりと揺れる。

 身長がサムカよりも高く190センチあるので、床から2メートル半もある高所にペルが持ち上げられた。


「可愛いなー。ほう。我々と似た魔法の属性持ちかね。これは将来が楽しみだ。自己紹介がまだだったかな。私は貴族のステワ・エア。この近くで領主をしている」

 ペルは目を白黒させていて、返事や挨拶をする余裕が全くない。さらに、貴族の名前に込められている魔力を食らって、少し目を回しているようだ。


 次いで、ステワが左手片手でレブンを抱き上げた。レブンも床から2メートル半の高みに持ち上げられる。

「こちらの男の子は、サムカ卿が言うところの死霊術というやつかな? いい感じの波動じゃないか」

 レブンもおどおどしたままで、ステワに好きなように高い高いをさせられている。彼も挨拶を交わす余裕は全くなさそうだ。


 サムカと違い、ステワはまだ生者である獣人族と直接接したことがないので、自身の魔力制御が不十分なせいもある。実際、ペルとレブンは彼の魔力に当てられて、意識が少し混乱しているようだ。

 そのようなことを知らないステワは上機嫌だ。その身に装飾品や宝石をつけているので、それらが当たって風鈴のような心地よい澄み切った音が鳴る。サムカではありえない音である。


 サムカが腰ベルトに両手を当てて悪友に文句をつけた。腰ベルトに吊るされた長剣が、くぐもった音を立てている。

「こらこら。これでも、召喚先の世界では魔法高等学校の生徒だぞ。青年とお嬢さんとして扱ってくれ」

 そして、上空の教え子に山吹色の視線を向けた。

「さて、それでは、時間が来るまで城の中でも案内しようか。それとも、領地を見て回るかね?」


 ペルとレブンは一瞬顔を見合わせたが、すぐにキラキラした瞳で声を合わせて答えた。

「テシュブ先生の領地を見て回りたいですっ」

 ようやくステワから解放されて、石畳の床に降り立ったペルとレブン。少し足元が定まっていない様子だが、大丈夫そうで安堵するサムカだ。闇魔法場は城内の方が強いので、外に出た方が生徒たちにとっても良いだろうと判断する。


「うむ。では案内しよう。エッケコ、馬を引いてくれ」

 サムカの瞳が輝いた。その色は、高原を照らす太陽の色と全く同じだった。

「……ああ、それから、土産だ。部下のオークと共に食せ」

 黒マントの中から、大きなスイカと10個のマンゴが姿を現した。帝都の果物市場で、他の果物を買い忘れたことを改めて後悔するサムカである。

 珍しく驚いたような表情をしている執事の横で、悪友貴族のステワも呆れた顔をしている。

「サムカよ……何をしに行っているんだ卿は」




【サムカの領内】

 サムカの馬に3人乗りすることになったのだが、ペルもレブンも小さいので余裕でサムカの前に座ることができている。

 やはり男の子なのだろう、レブンが一番前に陣取って、明るい深緑色の瞳をキラキラと輝かせている。ペルはレブンのすぐ後ろにちょこんと座っているが、薄墨色の瞳の輝きはレブンに負けていない。


 サムカは渋ったのだが結局、悪友貴族も同行することになり、馬に乗ってサムカに並走するように歩みを進めている。サムカ付きの騎士シチイガも魔族への伝令の仕事が終わったようで、愛馬に乗って後ろからついてきていた。


 サムカは着替えずにそのままの服装なので、白い長そでシャツとズボンのシンプルな出で立ちではあるが、足ごしらえだけが厳重な装甲付きブーツである。長剣をベルトに吊るしているので、それほど突飛な違和感はないが。


 ステワもサムカに習って白い長そでシャツにズボン姿で革靴を履き、少し派手目なマントを肩にかけている。

 ベルトには長剣と共に、宝石や装飾品がついているので、馬の歩みに合わせて風鈴のような涼しげな音がする。サムカの服装と見比べると、ステワの方がはるかに威厳と華やかさが感じられるようだ。


 騎士のシチイガは鎧をつけたままの姿なので、3人の中では少し浮いている。ただ、兜は外していて、鎧の背中にあるフックに引っかけている。おかげで黒いマントが押しつけられて、裾の部分しか風になびいていないが。彼もまた、長剣を腰ベルトに吊るしている。


 悪友貴族のステワがニヤニヤしながら、楽しそうに冷かしてきた。

「おいおい、まるでどこかの王族の巡行警護並みだな、おい」

 そう言って、自身で笑うステワである。しかし、道端にひざまずいて頭を垂れるオーク住民には、貴族らしい鷹揚な仕草と表情で片手を胸の高さまで上げて応えている。ちなみにサムカも同じことをしている。


 オークに挨拶をしたばかりのステワが、再びニヤニヤ笑顔になった。

「貴族2名に騎士1名だからな。これでオーク兵が1000もつけば、戦支度の完了だな。どこに攻め込むつもりだい? 盟友サムカ。まあ、馬の鞍が安物だから、そう遠くまでは行けないか。それ、オークが使うような鞍だろ」


 サムカが渋い顔をしたままで、彼の隣で並走する悪友を山吹色の瞳でひと睨みした。

 鞍は〔召喚〕に巻き込まれてしまったので、サムカの手で泣く泣く〔消去〕したのだが……そんなことは頑として言わない。なお、鞍も魔力を帯びた物だったので、放置する訳にはいかなかった。謝って学校の事務職員が触れてしまうと、法術のマルマー先生が怒り狂ってしまうだろう。


 ちなみに〔消去ログ〕は保存していたので、城に戻ってから鞍を〔復元〕したのだが……〔召喚〕されなかった鞍の部分との接合ができなかった。結局、廃棄処分になった次第である。


「だから、あまり近寄るな。ステワ。魔法場が強くなるだろうが。この青年と、お嬢さんにとっては、このような濃い魔法場は経験がないのだからな。精神異常をきたしても不思議ではないのだぞ」

「大丈夫です! テシュブ先生」

 すかさず、元気な声で返答するレブンとペルである。

 ただでさえ馬に乗ることが初めてで、その自身の身長をはるかに上回る高さからの眺めに興奮している上に、美しい田園風景に釘付けになっている。


 獣人世界にも当然田園や農地はあるのだが、彼らの背丈が低いので、農地の畝や支柱などの仕立ても必然的に小さい。さらに、彼らの視点も地上1メートル程度と低いために普段の視界もそれほど広くなく、こうして高い視点から眺める経験自体が少ない。


 一方で死者の国の農園は、平均身長が150センチあるオーク住民が作業するためにサイズが大きい。さらに今は馬に乗っているので、普段より倍以上高い視点だ。見ていて飽きない様子である。


 意外な点で感動しているレブンとペルの反応に、内心驚くサムカたちであった。彼ら貴族にとっては数千年も変わらない、いつもの日常の風景なのだが。

 うららかに晴れた秋空に輝く太陽は、温かな日差しをまんべんなく降り注いでいる。森から吹き渡ってくるそよ風は、その心地よい太陽の火照りを拭い去ってくれる。人化しているレブンの黒髪がふわふわとなびいて、ペルの鼻先や口元にある細いヒゲも、眉に相当する上毛と共にそよ風になびいている。

 特にペルの頭と尻尾を包み込む繊細でフワフワしたキツネ色の毛皮には、日差しが乱反射している。そよ風の動きに合わせるように、ほのかに輝いているようにも見える。3本ある頭の黒い縞模様も、その輝きを強調するかのようだ。


 その様子を見ていた悪友貴族が、蜜柑色の目を細めてうなずいた。

「うむ。確かに青年とお嬢さんだな。命の輝きが眩しいほどだよ」


 それを聞いてサムカが何か思い出したようだ。背後に控えている騎士シチイガに向かって、馬上から振り返った。

「果物はもう味わってみたかね? まだであれば、今のうちに口をつけておきなさい。この客人が戻るときに合わせて果物も戻ってしまうからね」

 予想通りまだ口をつけていなかったので、サムカと悪友貴族らが騎士シチイガを急かす。恐縮しながらも彼が鎧の中からマンゴを取り出した。


「では、失礼して」

 ……と、牙を差し込む。

 とたんに騎士シチイガの目の色が驚きの色に変わった。シチイガの淡い山吹色の瞳が白っぽく輝き、黒錆色の髪の先が跳ねた。その変化を見て微笑むサムカである。


 隣の悪友貴族が蜜柑色の瞳をジト目気味にしながら、白い鉛白色の顔をしかめ、少し不満げな表情になった。

「おい、サムカ。次は私にも持って帰れよ。あの騎士があそこまで幸せそうな顔をしたのは初めて見たぞ。貴族に内緒でこのようなことをするのは、友人として許しがたいものがある」


 サムカが山吹色の瞳を細めて、いたずらっぽく笑いながら同意した。確かに今の騎士の、ふやけた笑顔を見せてしまうと致し方ない。

「わかったよ。次の〔召喚〕からは土産を気にかけることにしよう。しかしそうなると、陛下にも献上さしあげねばなるまい。うむ……校長に頼んでみるか」


 レブンがサムカの方へ振り向いた。明るい深緑色の瞳がキラキラしている。

「テシュブ先生。『陛下』ということは、ここも帝国なのですか?」

 サムカが「むう」と唸った。

「……そう言えば、死者の国の政治形態については講義していなかったか。魔法の講義しか教育指導要綱にはなかったから、知らないのも当然だな。よろしい、時間もあるし簡単に説明してあげよう」

 そういってサムカが教え子2人に、自身の世界のことを話し始めた。


 この死者の世界全体を治めるのは、イプシロンのミトラ・マズドマイニュで、その魔力は世界創造と破壊ができるほどだ。しかし放置主義なので、この死者の世界の住人にはほとんど関わってこない。いわゆる『見てるだけ』である。


 そのため、実質の統治者は貴族だ。総数約60万人の貴族がこの世界の全大陸に分散して住み、王国に所属している。その王国の総数は14300国にもなる。

 王国に所属する貴族から1名が国王に選ばれ、国王がグループを組んで連合王国を形成している。


「だから、正確には帝国という政治形態ではないのだよ。『王国連合』だな。私は、このウーティ王国のネルガル・クムミア国王陛下を支える40名の貴族の1人だ。無論、このファラク王国連合を支える貴族の1人でもある。それは、横の悪友殿も同じだな」


「へええ……」と感心して聞いているペルとレブンに、その悪友貴族が蜜柑色の瞳でウインクした。癖のある鉄錆色の短髪の毛先と、若干派手なマントの裾が同調して風に揺れている。かなり上機嫌のようだ。

「意外と忙しいんだぜ。何せ領土は広いのに貴族の数が少なすぎるからな」


 サムカが同意して話を続ける。

「確かに貴族の数が少ないな。それで我々貴族は、騎士やアンデッド兵等を擁することになるわけだ。我々貴族は自力で〔アンデッド化〕しているが、彼らにはそこまでの魔力が元々備わっていない。そこで、まずは我ら貴族が支援して〔アンデッド化〕させている」

 サムカが騎士シチイガに視線を向ける。ようやく、ふやけた表情から元に戻ったようだ。

「私が擁する騎士は、このシチイガ・テシュブ、1人だ。テシュブ家に属する。これに加えて魔力の低さに応じて正規兵が10名、一般兵が30名、使役兵が60名と分けて所有している」


 サムカが普通にシチイガの本名を口にしているが、何とか耐えるペルとレブンである。貴族ではないのでまだマシなのだろう。今使用しているのはウィザード語なので魔力が伝わりやすい。


 このサムカの解説のすぐ後で、悪友貴族のステワがちょっと胸を張って自慢し始めた。

 サムカに比べて少し派手なマントの中で、装飾品が打ち合って教会音楽のように鳴る。彼の見事な癖のある鉄錆色の髪も、音に合わせるかのように風になびいている。

「私の場合は、騎士3騎を抱えているがね。まあ、経済力の差だな」


 使役兵というのは、ゾンビやスケルトンにゴースト等を指す。意識も自我もないゴーレムのような存在だ。掃除などの雑用が彼らの仕事になる。

 意識があるのは一般兵からで、これも繊細な作業をするゴーレムのような存在だ。

 意識と自我の両方があるのが正規兵からになる。これはゴーレムとしてではなく人として扱い、生きていた時の意識や記憶も再起動される。


「といっても市民権も何もない奴隷身分だけどな。そして、見習い騎士になると市民権が与えられて、我々貴族まで至ると領地を任されることになるわけだ。まあ、騎士が一番気楽だな」

 微妙な顔をしている騎士シチイガを、白い鉛白色の顔でニヤニヤして見る貴族ステワである。さらに遠慮なく話を続ける。

「統治者の苦労を少しは理解しろと時々思うよ。なあ、サムカ卿」


 サムカは無言で肩をすくめただけだった。ステワがそれにもめげずに話を続ける。

「ここ死者の世界では、定期的に死者のセリが開催される。他の異世界から不死を希望してやってきた連中を、我々貴族がセリで落札して、〔アンデッド化〕させるんだよ。既に死んでいる者も多いがね。連中が生前に有していた記憶や自我は、魔力が低い間、創造主に一時預かってもらうんだ。一般には、騎士見習いにまで育ったら返してもらう事が多いかな」


 レブンも知らなかった様子で、明るい深緑色の瞳を輝かせてステワの話を集中して聞いている。メモを取りたがっているのか、ワキワキと指が動いている。ペルに至っては完全に知らない事ばかりのようで、少々混乱しているようだ。


 サムカが軽く補足した。

「魔力が低いと自我や生前の記憶を維持できずに、劣化させてしまうのだよ。劣化してしまうと復元が困難になる。これらは生命の精霊場に関わっているものだからね。死霊術場とは相性が悪い」


 ステワがサムカと視線を交わしてから、話を続けた。

「君たちのように元々、ええと……なんだったか、そうそう、闇の精霊魔法や死霊術の魔法適性がある者はまずいない。だから、最初はゾンビからのスタートになる者がほとんどだな。そして、経験を積んで魔力を高めていって、最終的に我々のような貴族になっていくんだよ」


 そこまで聞いていたペルが首をかしげた。黒毛交じりの尻尾も首の動きに同調して、尻尾の先の角度が首と同じになる。

「エルフのカカクトゥア先生から聞いた話では、貴族さまがエルフをいきなり市民権のあるバンパイアにしたことがあったそうですが……」


 サムカが藍白色の白い顔を曇らせながら寂しげに微笑んだ。ステワも似たような表情だ。サムカがステワに目配せしてから、ペルに山吹色の視線を向ける。

「ペルさん。それは詐欺だな。授業で話したように、我々貴族が作り出すのはゾンビやスケルトンにゴーストといった類だ。バンパイアではない。バンパイアでは沐浴による魔力の蓄積ができないからね」


 ステワがややジト目になりながら口を挟む。

「第一、汚物を垂れ流すようなアンデッドは衛生上よろしくない。生活しているオークがいる手前もある。なので実際の所は、魔法使いどもが不死化に失敗して〔バンパイア化〕することがほとんどだ。その話を良からぬ貴族によって詐欺に使われたのだろうさ」


 ステワのバカにしたような口調をサムカがたしなめて、穏やかな声で2人の生徒に告げた。

「市民権を与えるという口実で、貴族が悪ふざけですることがあるのだよ。もちろん、そんなことは我々貴族が認めない。下積みをきちんと修めていかないと、魔力の正しい蓄積ができないからね」



 そのような問答を続けていくうちに、道普請をしているゾンビたちの作業集団の横を通り過ぎた。

 サムカたちの姿を認めても、ゾンビやスケルトンたちは石畳や排水溝の補修を続けている。作業監督らしき一般兵だけがサムカの姿を見て、機械のような動きで一礼した。その後で、サムカに道普請の進行状況を記した紙を手渡す。


 レブンがそれを見て納得したようだ。興奮が落ち着いてきたのか、顔や口元がセマン族のそれに戻ってきている。

「なるほど。確かにゾンビやスケルトンはゴーレムに相当しますね。行動術式の通りにしか作動しないんですね。一方の一般兵は、意識があるからテシュブ先生を認識できたのですね。でも自我がないから会話はできないんだ」


 サムカが紙を一般兵の監督に返してレブンにうなずいた。錆色の前髪がパサリと揺れて、秋の日差しを鈍く反射する。こころもち黄色い秋の日差しのせいか、血の気の無い白い顔も少し温かく見える。

「うむ。そうだな。もちろん魔法適性がない者でも、強引に一般兵や正規兵ゾンビにすることはできる。しかし魔力が安定しなくなって、数週間で崩壊して灰になってしまうことがほとんどなのだよ」

 サムカが一般兵の監督を穏やかな目で見つめる。

「せっかくセリで競り落としたのだから、時間をかけてでもじっくりと最下層の使役兵ゾンビから育て上げることが、我々貴族の義務だと私は思っているよ」


 ステワが再び横から口を挟んできた。

「もちろん、我々貴族は死体をゾンビではなくバンパイアにする闇魔法も使えるぞ。だけど、無駄が多すぎるのでね。まず使うことはない。バンパイアというものは、単なるその場限りの使い捨てでしかないからね。非効率この上もないのだよ」



 そのような話をしながら、一行は石垣と木柵で厳重に囲まれた町に入った。オーク自治都市である。ちょうどサムカの居城を取り囲むように広がっている。正式名称は『ウーティ王国サムカ領自治都市』というらしい。

 城を中心にすると、城の周囲を森や草原が取り囲んでいて、その外側にこの自治都市が広がっているというドーナツ型だ。城が闇魔法場を強く帯びているので、こうなったのだろう。


 その自治都市の住人は全てオークだった。皆、サムカ一行に道をあけて、うやうやしくひざまずいて頭を垂れている。そのオーク特有の豚顔と禿げ頭を目を丸くして凝視していたペルとレブンだったが、しばらくすると目が慣れてきたようだ。町並みや商店の品揃えなどに興味津々の様子になった。


 ステワが店にちょっかいを出しているのをサムカがたしなめながら、2人の教え子に自治都市の概要を説明している。

「私の領地では、このようなオークを1500名ほど住民として認めている。他の貴族も大体同じようなところだろう」

 サムカがオークたちに片手を上げて応えながら、ペルとレブンに話を続けた。

「税とサービスを受け取る代わりに、彼らオークに自治権をある程度与えているのだよ。我々貴族は経営や商売に疎くてね、オークの手助けがないと厳しいものがあるのだ」


 サムカの話を聞いていた悪友貴族のステワが、白い鉛白色の顔をニヤニヤさせている。蜜柑色の瞳を輝かせながらペルとレブンに話しかけてきた。癖のある鉄錆色の髪も毛先が踊っている。

 先程ちょっかいを出していた果物屋からマンゴを1個奪ってきたのだが、今度は別の店から発酵中の安ワイン瓶を1本奪ってきていた。

「君たちも眼にした、執事のエッケコが特に優秀でね。農園や加工所、交易に、領地の財務管理まで任されているから、実質の領主はエッケコ様と言っても過言ではないな。このオーク自治都市の理事の1人でもあるから、なおさらなんだよ」

 ニヤニヤ顔がさらに緩んでいく。

「腕っ節は強いくせに、オーク執事の尻に敷かれた領主で有名なんだぜ? このサムカ卿は」


 サムカがむっとした表情になって、悪友貴族に反論した。ベルトの装飾品が長剣と共に、鈍い金属音を立てる。

「ステワ卿も同様だろう。我が王国連合では、財務管理を貴族がしている国や領地は聞いたことがない。従って、これは伝統であり正当であるのだよ」


 とか何とか冷やかしあいながら、オークの自治都市内での養鶏場や養豚場に酪農場を巡察して、病気の発生がないかどうか確認していく。

 さらに野菜や果樹に穀物栽培をしているオークたちと、施肥や病害虫駆除のスケジュールについて打ち合わせをする。その後は、貿易用に出す畜産品や農産物の加工や流通担当のオークたちとも、相場や他の産地の動向などの情報を共有する。


 あまりにもいつもの仕事ぶりに、悪友貴族のステワがサムカを指さして苦言を呈した。ついでに先程奪ったワインを開けて、味見した後で愛馬に飲ませている。マンゴは既に馬に与えたようだ。彼の馬もアンデッドなので、飲食は不要なのだが。ワインは発酵中なせいかサイダーみたいに発泡している。

「おいおい、サムカ。お客人に、そんな地味な仕事を見せてどうする。退屈するに決まっているだろうが」


 サムカが意表を突かれたような顔になった。山吹色の瞳が白っぽい光を帯びて、錆色の前髪が不規則に揺れる。ベルトの装飾品もカチカチと低くくぐもった音を鳴らす。言われるまで気がつかなかったらしい。

「……おお、言われてみればそうだな。1つ1つの仕事は、ほんの数分で終わるのだが……せっかく遊びにきたのだからな。このような、つまらぬことで時間を費やすのはいかんな」


 そう言って、懐からかなり年季の入った懐中時計を取り出し、その整った眉をひそめた。

「……むう。残り5分ほどしかないか。これは失敬した」


 しかし、ペルとレブンは目をキラキラさせながらサムカに首を振っている。

「いいえ先生。とても勉強になります。死者の世界でも、こうしてきちんと経済活動が行われているというのは、ほとんど知られていませんから」

 レブンがそう言って、しきりにメモをとっている。後で自由研究の発表ネタに使うのだろう。


 ペルもブンブンと首を振って派手にうなずく。黒毛交じりの尻尾も同調してブンブン振られている。

「魔法使いや法術先生の話と全然違うんですもの。彼らの話では、死者の世界の人たちは共食いして争っているとか何とか言っているんですよ!」


 サムカや悪友貴族ステワと騎士シチイガ、それにオークたちまでもが、それを聞いて思わず吹き出した。サムカが口元をかなり緩めながら、ペルに告げる。

「共食いしかしていなかったら、今頃この世界は住民が1人しかいなくなっているだろうな。この王国だけでもオークは6万ほど住民として住んでいる。我々貴族と違って彼らは食事をしないといけないから、こうした食糧生産設備は必要なのだよ」


 その隣の悪友貴族のステワがさんざんニヤニヤ笑った後で、ちょっと真面目な顔になって補足解説してくれた。

「我々も果実などに口をつけて、潜在魔力を吸収することはあるけどね。まあそれは嗜好品の類だな。欲張って生気まで吸うことは慣習上認められていない。基本的に我々貴族やゾンビは沐浴だけで充分だからね」

 思い出し笑いをしてしまったのか、「コホン」と小さく咳払いをした。よほど、笑いのツボに嵌ったようだ。

「我々の居城の補修に使う資材の生産や、武器に防具、我々の普段着に馬の世話などだが……兵士に任せるよりも生者であるオークにしてもらった方が、融通が利いて便利なのだよ。生気まで吸ってしまうと、オークが病気になるからな」


「なるほどー」と感心するペルとレブンである。果実のことは既にサムカから聞いているのだが、それは黙っている。当のステワが店から奪ったマンゴに牙を立てていたのも見ていたので、すんなりと納得しているようだ。


 我慢できずにメモを取りまくっているレブンと、忙しくキョロキョロしているペルに、悪友貴族のステワが聞いた。

「このサムカは朴念仁だからな。養豚場とか養鶏場とか見せてしまったが、大丈夫だったかね? 家畜を見てショックを受けておらねば良いが」


 ペルが首を振って微笑んだ。薄墨色の瞳の色が濃くなり、狐色の毛皮の毛先がほのかに光を反射している。

「いいえ、貴族のステワ様。私たちの世界でも、家畜を飼育しています。狐族と魚族は羊族と違って、菜食主義者ではありませんから。それでも豚や牛も小さい品種ばかりですので、このような巨大な家畜には驚きました」

 レブンもうなずいている。完全にセマン顔で、小麦色の顔にかかる黒髪がサラサラと揺れた。

「僕は魚族ですから、養殖した魚やエビにカニ、貝などが主食です。陸上での家畜飼育は伝統的に行っていませんので、とても勉強になります」


 サムカが感心したような表情で2人の返事を聞いて、山吹色の瞳を好奇心の光で満たしている。

 そして、磁器のようにきめこまやかな藍白色の白い顔で、深くうなずき腕組みをした。パラリと錆色の前髪が何本か垂れる。

「ふうむ。視点が違うと見る風景も違うということか。さすが我が教え子だな。良い話をしてくれた」




【サムカの領地の森の中】

 オークの自治都市を出て、来た道をそのまま逆にたどって居城へ向かう。オークの住民たちが50名ほど、自治都市の門まで来て見送ってくれている。サムカとステワが貴族らしく、鷹揚に片手を軽く上げて応えた。

 そのサムカが懐中時計を見て、渋い顔になる。

「……むう。そろそろ1時間になるか。急いで城へ戻っても構わんが、ハグのことだ。かなりの誤差があるかもしれんな」

 そう言って、サムカが前に座っているペルとレブンに視線を向けて馬を止めた。森の中である。


「名残惜しいが、ここで帰還してもらうとするか。馬から下りなさい、レブン君、ペルさん。帰還する際に、余計な物を巻き込む恐れがある。そんなことはもう起きないとハグは言っているが、信用おけない」


「はい」と素直に馬から下りるペルとレブンである。結構、つらそうな表情をしている。

 サムカが錆色の短髪をかいた。

「闇魔法場が強いからだな。死霊術場と闇の精霊場とが混じり合い、さらに他の闇系統の魔法場まで混じり合っている、死者の世界特有の魔法場だからな。適性持ちでも最初は慣れるまでに苦労するはずだ。もう少しの間だけ我慢しなさい」


 サムカが悪友貴族ステワと騎士シチイガに、教え子から離れるように指示する。気持ちだけでも魔法場の影響を和らげようとする配慮だろう。

 ステワが鉄錆色の短髪を片手でかき上げて白い鉛白色の顔をニヤニヤさせながら、芝居がかった口調でサムカを褒めた。蜜柑色の瞳もキラリと輝いている。

「おいおい。やれば気配りできるじゃないか。その調子だよ、サムカ卿」


 しばらくの間、談笑していると、森の奥から油膜のような虹色をした風船みたいなものが多数やってきて周囲を旋回し始めた。残留思念である。それを見上げながらサムカがレブンに告げた。

「レブン君。体に残留思念をまとわりつかせないようにしなさい。一緒に君の世界へ連れて行ってしまうからね。パリーを怒らせるのは得策ではないだろう」


「はい、先生」と、レブンがペルと共に、じゃれついてくる残留思念の油膜風船から逃れようと右往左往している。その可愛らしい動きに貴族と騎士がほのぼのしていたが、サムカが「コホン」と咳払いをしてレブンに告げた。

「レブン君。残留思念を追い払う『方法』をまだ教えていなかったね。うっかりしていたよ。確か教科書に記載されていたかな。次の授業までに予習しておきなさい。宿題にしておこう」

 ステワがサムカをひじで小突いた。

「この、うっかりさんめ。それはそうと、森の獣が急速に集まってきていないか? 誰か〔魅了〕の魔法でも使ったのかい?」


 言われてみれば、森の木の陰に100匹を超えるネズミやリス、それにトカゲや小鳥などが集まってきていた。じっとこちらを見つめている。サムカは既に気づいていたが、悪友貴族と騎士は不思議そうな顔をしている。

「ああ、すいません。私です、ステワ様」

 ペルがレブンの後ろにくっついて右往左往して、残留思念から逃げ回りながらステワに謝った。

「私は狐族ですから、〔魅了〕の魔法が常時発動されているんです。いつもは抑えているんですが、今はちょっと難しくて。すいませ……」

 突然、ペルとレブンの姿がかき消された。懐中時計を取り出して、再び渋い顔をするサムカである。

「むう。滞在時間が1時間と19分かね。相変わらずのひどい誤差だな」




【サムカの領地のオーク自治都市】

 本格的な秋の季節になった。

 ここサムカの領地は亜熱帯高原にあるので、それほど季節の違いというのは感じられない。それでも空は秋の色に染まり、渡り鳥の種類も増えてきた。

 先日のガーゴイルの群れのような魔族の渡りもあれ以降2回あったが、オーク住民の家畜被害は軽微で済んでいた。そのため、特に軍勢を繰り出して駆除するような事にはなっていない。


 オークが耕作管理している果樹園もこの微妙な季節の変化を敏感に察して、花が咲いて果実が実りだしている。

 マンゴが多く、これにライチ、オレンジなどの柑橘、イチジク、ブドウにオリーブの収穫が始まっていた。今年も良い出来のようで、オークたちの表情も豊かで充実している。

 ただ、品種は全て原種に近い感じである。獣人世界の市場で見かけるような果物ではない。


 学校もこの収穫時期は休校となっている。子豚のような顔のオークの子供たちが、転がるように駆け回りながら自治都市の賑やかさを盛り立てていた。男女ともに禿げ頭なので、野良作業着の姿でいると遠目では区別がつかない。


 サムカと騎士シチイガはいつものように自治都市内を巡回していた。収穫作業の進捗状況や、人手の配置、倉庫の手配、他の国や王国連合の収穫状況の調査報告、街道や海路の状況と山賊や海賊の動き、農作物の加工工場の人員配置、収穫祭の計画の承認、などなど忙しい。


 オークから献上されたマンゴの山から、いくつか手に取り牙を刺して潜在魔力を吸うサムカと騎士シチイガ。

「ふむ。今年の出来も良いな。これなら北のコゴゴーポガン王国連合でも良い値段で卸すことができるだろう。ご苦労だった」

 サムカが山吹色の瞳を細めて、栽培担当のオークたちをねぎらう。


 今日は式典も闇魔法を使用するような予定もないので、サムカの服装も汚れても構わないような地味な古着である。汚れについては事前に〔防御障壁〕を展開すれば問題ないのだが、そうすると魔法を使えないオークが魔法場酔いになる恐れが高いので、あえてこうしているのである。今の時期は子供オークも多く駆け回っているのでなおさらだ。


 古着なので色や刺繍が色あせており、生地自体も長年の使用で日に当たる場所を中心に退色している。しかし、つくりが丈夫なので、色さえ気にかけなければ問題なく着ることができる状態である。革のブーツも表面が剥げて傷だらけで泥や土まみれになっている。

 マントもいつもの渋い刺繍入りの黒いものや、黒茶色のものではなく、暗い赤土色の古着である。さすがに全体に色落ちが激しく色むらもあり、端の生地は弱ってほつれている。が、サムカは気にしていない。こうしてみると、辺境の流れ者といった装いである。


 サムカたちが所属するのはウーティ王国で、近隣の200ほどの王国と共にファラク王国連合を組織している。場所はティンネア高原を中心とした、乾燥した高原地域に相当する。


 そのファラク王国連合より北にある大陸の高原には、1000もの王国群で構成されるコゴゴーポガン王国連合が存在している。この王国連合は地域最大の勢力を誇っているのだが、温帯にあるためにマンゴなどの亜熱帯果樹は栽培できない。そのため、サムカが話したように海路で輸出して儲けているのである。

 この大陸とは地続きでつながってはいるのだが、間には広大な砂漠と大湿原がある。さらに数多くの魔族の村があり、盗賊団が跋扈している状況だ。そのために、隊商による陸上交易には適していないのである。


 ちなみに、ファラク王国連合の南にはヴィラコチャ王国やケルコアトル王国といった、オークだけで構成されるオーク独立王国がある。これらとは敵対して紛争状態である。


 そのさらに南には陸橋でつながる大陸があり、高原に100ほどの貴族による王国群からなるオメテクト王国連合がある。ここは完全に熱帯気候なので、あまりマンゴの需要は期待できない。ちなみに、この王国連合との交易も海を使った船の行き来で成立していて、陸路ではない。

 このように、3つの王国連合が南北に位置しており、互いに海を介して交易している状態だ。


 大洋の向こうには別の大陸があり、さらに多くの王国連合がある。しかしながら広い海が障害となって、それほど活発な交流は行われていない。

 空路は残念ながら、この死者の世界では商業ルートはない。精密電子機器が闇の魔法場によって浸食されてしまい、すぐに使い物にならなくなる環境のせいである。従って、船運は帆船が主流だ。


 サムカが騎士シチイガに目配せをし、マンゴを懐にいくつか収めて次の巡回場所へ徒歩で向かう。収穫時期は大勢の子供らが露地を駆け回って遊んでいるので、馬を出すと事故が起きやすいためである。

 もちろん、自治都市の自警団がサムカと騎士シチイガを警護している。しかしそれでも、収穫の賑わいで大通りがオークで一杯になっている状況では、あまり大した警護にはなっていないのが現状であった。


 サムカが2つ目のマンゴに牙を突き立てて、騎士シチイガに振り返った。

「獣人世界のマンゴも美味だが、我が領地のマンゴも捨てたものではないな。ほっとする味だ」

 騎士シチイガもサムカに断ってから、懐からマンゴを取り出して牙を立てる。彼も今日はいつもの服装ではなく、サムカと同じような頑丈一辺倒の色あせた古着で身を固めている。


 オークとはいえ生物だらけの中なので、アンデッドにとっては生の息吹がもたらす騒音が相当に耳障りなのだろう。不機嫌な様子で藍白色の白い顔をしかめている。しかし、マンゴの潜在魔力を吸って落ち着いたようだ。

「左様でございますね、我が主。嗜好品としては、このくらいが気楽でございます。たまに味わう分には、あの異世界の果物も良いですが……毎日ですと、ぜいたく病にかかってしまいそうです」


 サムカがその返事を聞いて、山吹色の瞳を細めて微笑んだ。

「そうだな。ぜいたくが過ぎると魔力の蓄積も鈍るというものだ。特に、あの悪友に与えすぎると領地統治をないがしろにしかねないな。うむ、よく指摘してくれた。私も心しておこう」


 そのまま賑やかな大通りを歩いて、ワイン醸造工場へ足を踏み入れた。隣には紅茶やコーヒー、チョコレート工場もあるのだが、貴族としてはまずワインなのだろう。

 中ではちょうど収穫したばかりの赤ワイン用のブドウを、圧搾して果汁を採取しているところだった。出迎えたオークの工場長に状況を聞いてうなずく。

「ふむ。今年も糖度に酸度もいつも通りか。良い管理だな」

 サムカが工場長を褒めた。恐縮しながらも嬉しそうな工場長である。工場長の部下もほっとした表情で仕事を続けている。


 ブドウの圧搾はオークが搾るのではなく、風の精霊を丈夫な風船の中に導入して、それを膨らませて搾る方式を採用している。手搾りや機械搾りではブドウの種までも一緒に粉砕してしまい、それが雑味になることがあるためだ。

 オークは豚頭をしているせいで豚のように嗅覚や味覚が鋭く、ことのほかグルメで味にうるさい。このあたり、味音痴な貴族や魔族とは決定的に違う。このブドウ圧搾機も、そのグルメが高じて導入することになった経緯がある。


 サムカを始めとした貴族や騎士は精霊魔法は苦手で、オークに至っては使用できないのであるが、それでも導入している。ただ、ノーム世界製の機械なのできちんと対応されており、魔法が使えないオークが使用しても問題なく動く仕様に改良されていた。


 その後、作業員の過不足の状況を確認し、ワインの発酵に使う酵母菌や乳酸菌の種菌の培養状況を視察し、発酵させるための樫のタンクと水の質をチェックする。サムカが満足そうな表情なので、おおむね良好なのだろう。


 そして、最後に杜氏が仕込んだばかりのワインを1グラスずつ試飲した。まさに発酵の真っ最中で炭酸ガスなどの気泡が大量に発生していて、ほとんどブドウジュースのサイダーである。赤ワインなので、色は鮮やかな紅色で濁っている。ステワが酒屋から強奪した1本よりも、はるかにサイダー状態だ。


 貴族は生物の持つ潜在魔力を吸うので、このような発酵最盛期で微生物の塊状態のワインを好む。

 いわゆる熟成したワインは、微生物の活性がほとんど停止しているので潜在魔力も少なくなっており、貴族には好まれないのだ。そうした熟成ワインはオークや魔族といった生者へ販売されている。


「うむ。良い発酵具合だな。この時期の楽しみの1つだよ。相変わらずの良い仕事ぶり、見事だ」

 サムカが微笑んでグラスを杜氏に返す。騎士も頬が緩んで、目尻が下がってしまっている。それを見てサムカが「コホン」と1つ咳払いをして、懐から古びた懐中時計を取り出した。

「むう。もう、セリの時間か。他の工場の視察は後日に回そう。行こうか、我が騎士よ」


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