10話
【光の精霊魔法】
そうこうするうちに、ミンタの的確かつ少々強引な指導によって、ペルとレブンの白色光が青くなっていった。
歓声が沸き上がる教室。ペルとレブンも、泣きはらした顔のまま集中している。
「まだまだよっ。まだ青い色がついてるっ。根性入れなさいっ! ペルとレブンっ」
もう体育会系の先生のような叱咤激励をするミンタに、教室の生徒たちもすっかり乗せられて応援団のような声援を送っている。特に竜族のムンキンが、一際大きな声で応援し始めた。傍から聞くと怒鳴っているようにしか聞こえないが。
そして……
「やったー」
2人同時に大声を上げた。すぐにエルフ先生の方を見る。ミンタはじめ教室じゅうの生徒たちも見る。
「ええ。波長もきれいに揃っているわ。よくできました」
そう言って、エルフ先生が空色の瞳を細めて微笑むと、教室中が歓声に包まれた。ペルが大粒の涙をこぼして泣き出し、レブンも魚頭のまま口をパクパクさせて、むせいでいる。
「闇の精霊魔法は結局使わなかった……か」
サムカが少し残念そうな表情でつぶやいた。瞳の色がやや辛子色の山吹色だ。
それを見て、エルフ先生がニンマリと笑った。こちらは空色の瞳がキラキラ輝いて、ドヤってきている。
「そうですね。今は光の精霊魔法の授業ですから」
その時、サムカの〔防御障壁〕が一際激しく波打ち、火花が派手に散った。サムカとエルフ先生の手元に、それぞれ警報が表示される。その警報が示している先にはミンタの姿があった。
「先生っ。これっ」
ミンタが得意気な顔をして簡易杖を掲げた。もちろん、可視光線の波長域ではないので目では見えない。
とたんにエルフ先生の顔がこわばる。空色の瞳が凍りついたかのようになった。
「止めなさい! それは危険ですよっ」
「え?」
思わぬ叱責に慌てたミンタの杖が、異常な音を立て始めた。
「いかんな」
サムカが一言。次の瞬間、ミンタの簡易杖が闇で包まれた。真っ暗な球形の空間の中で杖が見えなくなる。
「サムカ先生!?」
エルフ先生が素早い動きでミンタを、異常振動をしている簡易杖から引き離した。ミンタを左手でしっかりと抱きしめながら、光の精霊魔法の〔防御障壁〕を球形の闇の玉で包まれた杖の回りに数枚展開していく。
サムカが山吹色の瞳から鋭い光を放ちながらも、ゆっくりとした声で答えた。
「大丈夫だ。何とか〔消去〕することができ……」
突如、闇の中に沈んだミンタの簡易杖が爆発した。
闇の中だというのに、爆発光が見える。光が闇魔法を突き破って外に飛び出しているのだ。同時にサムカの〔防御障壁〕が大きく揺らいで、エルフ先生が展開した〔防御障壁〕も眩しく輝いた。
数秒後。
「……ふう」
ようやくサムカが一息入れ、同時にエルフ先生も安堵のため息を漏らした。
まだ事態を理解できていないミンタが、エルフ先生に抱かれたまま恐る恐る顔を上げる。
「せ、先生? 私?」
狐色のフワフワ毛皮が見事に逆立っていて、頭の2本の金色の縞が薄くなっている。明るい栗色の瞳も今は濁った色だ。
「こら、ミンタさん?」
エルフ先生が空色の瞳で微笑みながら、軽くミンタの頬を引っ張った。
「紫外線領域だけで充分でしょう? エックス線領域は体に有害なのよ」
キョトンとした顔のミンタに、サムカも山吹色の瞳を向けた。やや呆れつつも感心している。
「そうだな。しかも、エックス線爆発するとは思わなかったよ。ちょっとした兵器並だった」
そう言いながら、サムカが銀糸で渋い刺繍の入った黒マントを整えて教室の中を見渡す。
「うむ……闇と光の二重〔防御障壁〕で遮ったから、放射線被曝は起きていないようだな」
ミンタを始め、教室中の生徒が目を丸くした。
「ほ、放射線被曝?」
エルフ先生がサムカをたしなめる。
「こら、サムカ先生」
そして「コホン」と軽く咳払いをして、落ち着いた口調で生徒たちに告げた。
「被曝の心配はありませんよ。かなり強いエックス線が数秒間発生しましたけれど、〔遮断〕できました。でも、ミンタさん。どうやったんですか? 光の波長を削る方法では、ここまでの大出力エックス線は出ませんよ」
さすがにミンタが事態の大きさに気づいて泣き出した。濁った栗色の瞳の目から、ポロポロと涙がこぼれだす。
「エックス線領域に近づいた光に、紫外線を当てたんです。そうしたら……」
エルフ先生が驚いたような呆れたような顔をした。
「まあ。ポンプ光を当ててしまったのね」
そして、優しくミンタの頭を撫でで席に着かせ、生徒たちにも席に戻るように指示した。サムカもついでに席に座る。
「そうですね。せっかくですから説明しましょうか。光は相互で共鳴したり干渉します。エックス線領域に近づいていた雑多な光に、安定した波長の紫外線をミンタさんが偶然に当てたんですよ。それによって光が共鳴を起こし、エックス線領域に移相して急激に増幅されてしまった……という事ですね。もちろん、ミンタさんの持つ、魔力の大きさも関わっていますけれどね」
努めて穏やかな声で説明するエルフ先生。ここで終業のチャイムが鳴った。この後は昼休みだ。
「さて、時間も来ましたし、今日の授業はここまで。ディスクは次回の授業までにサンプルデータを入れて提出すること。いいですね? それから、気分が悪くなったりしたら、すぐに私に知らせて下さい。以上です」
「うひ~」と、悲鳴が漏れる教室からサムカと出るエルフ先生。
教室を出る際に、サムカがレブンに目配せした。レブンが瞬時に察して、ペルと一緒にミンタとムンキンの席へ駆けつけていく。
それを横目で見てからサムカが廊下に出た。既に生徒たちで溢れかえっている。学食システムなので、何かの先着競争があるのだろう。
その生徒たちの集団の流れに乗りながら、サムカがエルフ先生に話しかけた。
「どうかね? お茶にでもしようかね? クーナ先生」
サムカが履いている来客用のスリッパが「ペタペタ」と音を鳴らす。しかし、それよりも生徒の話し声や笑い声、駆け回る足音が大きいようだ。
スリッパの隅を生徒たちに時々踏まれて姿勢を崩すサムカに、エルフ先生がぎこちなく笑いながら応じた。
「そ、そうですね。あ。でも、サムカ先生は」
エルフ先生はまだ、腰までの金髪が数本ほど跳ねている。動揺が収まっていない様子だ。それを見て、サムカが廊下の奥のほうを向いた。
「そうだな。お茶では無意味だな。あれには潜在魔力がない」
【運動場】
サムカとエルフ先生が珍しく2人並んで校舎の廊下を歩いていく。そのまま広い運動場を2人で横切って、教員用のカフェに向かっているようだ。
いい天気である。生徒たちの騒がしい声が、周辺の亜熱帯の森に吸い込まれていく。2人は髪の色がべっ甲色と錆色で異なるのだが、共に秋の日差しに反射してキラキラと輝いている。しかし、心情は日差しほど明朗ではなさそうだ。
「姐さーん。大丈夫ッスかーっ」
早速、上空で待機していた100羽もの飛族とオオワシが舞い降りてきた。全員が凶悪な悪人顔ばかりなので、エルフ先生とサムカが襲撃を受けているようにも見える。
「え、ええ。大丈夫よ。あなたたちも体に異常はなさそうね。良かった」
エルフ先生が無理して笑みを作り出し、100羽の状態を確認していく。
「でも今日は、すぐに帰って休みなさい。もし体調に異変があったら、すぐに私に知らせること。いいわね」
それを聞いて、「おおおおおおんんん」と感激の涙を流して、運動場を転げまわる飛族たちであった。オオワシは上空を乱舞している。
「あ、姐さんの優しいお言葉っ。優しいお言葉あああああっ」
「今日の当番で良かったあああああっ」
もう、それで今日は充分なようだ。
さすがにジト目になるエルフ先生。
「だから、姐さんじゃないって」
サムカが冷静な声でツッコミを入れる。
「いや、これは充分に指揮官の姿だろう。百人隊長殿」
「もう。サムカ先生まで」
エルフ先生がサムカを小突く。互いの〔防御障壁〕が《バチン》と火花を散らした。
少し緊張が解けたのだろう。エルフ先生がサムカに空色に戻った視線を向ける。
「先ほどは、ありがとうございました。サムカ先生の障壁がなければ……多分、ミンタさんは被曝して入院していたでしょう。私も」
「いや、私も大いに反省しているよ。元はといえば、私の不用意な提案が発端だったからね」
サムカもそう言って、エルフ先生の視線を受け止める。
「まさか、杖が原子崩壊するとは思わなかった。杖の質量の一部が、あの強烈なエックス線に変換されたのだろう。簡易杖だったのが幸いしたな」
サムカがそう付け足して森の方を見た。パリーがニヤニヤしながら運動場に足を踏み入れている。まだ運動場を転がっていた飛族が慌てて飛んで逃げだして行った。オオワシ群も悲鳴を上げて飛び去っていく。
「森のお嬢さんも〔察知〕したようだ」
「もう、パリーってば」
【教員宿舎のカフェ】
パリーのニヤニヤは、教員宿舎のカフェでも変わらなかった。彼女は学校関係者ではないのだが堂々とカフェの席に座っている。それを咎める者は誰もいない。
背丈は130センチほどしかないが、同じように背の低い小人族が堂々とカフェで酒を飲んでいるので目立たないのもあるのだろう。
「そうなんだ~。核爆弾不発だったか~残念~」
エルフ先生がジト目になって、右手の人差し指でパリーを指す。
「あのね、パリー。だから、その表現は止めなさい。放射線被曝は起きてないから」
そのパリーがエルフ先生から話を聞いて、カフェのテーブルで果物ジュースを飲みながら残念がっている。相変わらずの間延びした、緊張感のカケラもない声だ。腰まで伸びているウェーブがかかった紅葉色の赤い髪の先が、声に合わせてピョコピョコしていた。
サムカはマンゴを1ダース注文して、それに牙を差し込んで潜在魔力を吸っている。相当美味なのだろう、ご機嫌のようだ。
その様子を見ながら、エルフ先生がグアバジュースを飲む。次いで、芋虫の香草蒸しをパクついてから不思議そうな顔をした。
「本当に、バンパイアでも貴族となると違ってくるんですね。マンゴをそんなに喜ぶバンパイアって、初めて見ましたよ」
サムカが我に返ったような顔をして、「コホン」と咳払いした。血色が全く無いので頬を赤らめたりすることはないのだが、それでも黄色系統の瞳の色が微妙にコロコロ変わっている。一目瞭然である。
「あー……死者の国では、このような美味なものはなくてね。それよりもクーナ先生は、もう大丈夫かな? 大分、顔色も良くなってきたようだが」
「ええ。やっと落ち着きましたよ、この2人を見て。サムカ先生は他のバンパイア同様、血を吸うことはあるんですか?」
いきなりエルフ先生が質問を投げてきたので、サムカが9個目のマンゴを皿に戻した。
「……どうやらシーカ校長や君たちは、誤解をしている部分があるようだな」
「コホン」と咳払いをして、真面目な表情に戻る。
「貴族は、生からの解脱を求めて自らアンデッドになった者を指す。この通り、体は死体だ。だから栄養を摂る機能は失っているし、摂る必要もない。血を吸ったところで消化も吸収もできないのだよ」
エルフと妖精が興味津々な様子で聞いているので、不思議な感覚になるサムカであった。とりあえず、話を続ける事にする。
サムカの話によると、貴族はバンパイアとは異なり、魔力の蓄積も沐浴を通じて行う。命ある者からの潜在魔力の吸い上げ程度では魔力は高まらないし、品質の差がバラバラで体調を崩す恐れすらある……という説明だった。
サムカがマンゴを1個手に取る。
「せいぜい、こうした嗜好品程度だな。生気を吸い取ったところでも、大した利益はない」
バンパイアは、沐浴を通じて魔力を高める術を持たない連中という説明だった。連中も体は死体なので、摂取した血液の消化吸収はできないらしい。アンデッドとしては欠陥品だと断じるサムカだ。
理由としては、潜在魔力を吸収した後の腐った血液を排泄しなくてはならない事、日光にも弱い事をまず挙げた。
「体臭がかなり酷い傾向があるな。君たちでも、すぐに感知できるだろう」
他にはバンパイア自身の魔力が、水や金属や結晶に漏れ出して流出してしまうくらいに安定性が悪い事も挙げた。
「魔力が我々とは比較にならないほど弱いために、領土の統治能力も低い。魔族やオークですら村や国を治めるという時代なのだがね。ワニやガーゴイル、ネズミといった野生の魔族とほぼ同じだよ。私の領地では、害獣扱いだ。まあ、どこか別の世界では、国などを興しているようだがね」
そして、口直しに手に取ったマンゴに口をつけた。
「従って、貴族とバンパイアとは全く違うのだが……この吸い上げる行為が、どうやら誤解される元となったようだな」
それでもピンと来ない様子のエルフ先生である。
「アンデッドは、私もこれまで数多く滅ぼしてきたのですが……」
エルフ先生がそう話し始めた。機動警察官の制服姿なので、カフェのジュースやサムカの前にあるマンゴの山がなければ、そのまま逮捕者の取調べ風景にもなりそうだ。
「どれも、生者の血を吸ったり肉を食べたりしていました。これは、サムカ先生の仰ることと矛盾はしていないのでしょうか」
「恐らくは、破損した肉体の補修用に使うのだろうな」
サムカが次のマンゴに手を伸ばした。既に口をつけた物は、執事のエッケコへの土産にでもするのだろう、マントの中にしまいこんでいる。
「死霊術者の負担を少なくするためだ。死体のキズを魔法で〔修復〕するよりも、前もって備蓄しておいた血肉を貼りつけることの方が、術者の負担は少ない。しかしまあ……しょせんはツギハギだ。強度が下がるし、機動性も低下する」
エルフ先生が血肉と聞いて少し顔を険しくしながら、質問を続けた。
「ではサムカ先生は、配下のアンデッドに生者を襲わせるような事を指図していないのですか?」
サムカが鷹揚にうなずく。
「そうなるな。闇魔法で〔修復〕させた方が長持ちするし、魔力の蓄積も滞りなく早い。一定量まで魔力が蓄積されると自我も芽生えて、能力も飛躍的に向上する。私には現在1名の騎士がいるが、ゾンビからの叩き上げだ。苦労してきただけ、気配りも利く」
そう言いながら、10個目のマンゴに牙を差し込んだ。
「もちろん私は領主だから、盗賊や敵の襲撃を何度も退けている。殺した敵の数は万を超えるだろう」
「それは、防衛ということですから罪はありませんよ。そうですか。バンパイアにも、あなたの様な方がいらっしゃるのですね。知りませんでした」
そう言って、エルフ先生がジュースとフライを平らげた。意外と大食漢のようだ。いまだにサムカのことをバンパイアと呼んでいるので、(話はほとんど理解できていないのだな……)と内心思うサムカであった。
サムカにとっては、エルフの生態については全くと言ってよいほど知識がないし、知ろうという意欲もないので、まあ、こんなものなのだろう。
「この2つは騎士への土産にするとしよう。実に良い潜在魔力だ」
サムカが席を立って、白い長袖シャツのポケットの中にマンゴを2個入れた。
「先生っ」
ミンタがカフェに飛び込んできた。どうやら、また秘密の通路を使ったらしい。
「先生っ! ごめんなさいっ。お体大丈夫ですかっ?」
そのままエルフ先生に抱きついた。そして、明るい栗色の瞳を潤ませて、先生のきれいな空色の瞳を見上げる。
「あら。ここは生徒は入れませんよ。もう、困った子ね」
そう言いながら、優しく抱きしめるエルフ先生。そして微笑みながら、ミンタのつぶらな栗色の瞳を見つめ返した。
「私は大丈夫よ。それよりも、ミンタさんの体のほうが心配です。気分が悪くなったりはしていない? エックス線被曝はしていないから、その影響はないと思うけど」
「よ、よかったああ。先生が無事でえ」
ほっとしたのか目から大粒の涙をこぼしながら、エルフ先生に抱きついたまま泣き出してしまったミンタ。エルフ先生が小声で歌を歌いながら、フワフワした彼女の小さい頭を優しく撫でる。一枚の絵のようだ。
パリーがケラケラ笑いながらジュースを飲み干した。
「クーナは丈夫よう~。核爆弾の直撃食らっても平気なんだから~。丈夫で長持ち~。エルフ印は5000年持ち込み保証~でも持ち込めないのよ~鎖国してるから~」
「もう、パリー。私は用務員の巨人アンデッドではないのよ。ああそうだ。サムカ先生。あのアンデッドですが、従順で大人しくなって用務員の仕事を手伝っていますよ。今は名前を生徒から募集中です」
エルフ先生がパリーをたしなめて、サムカに先日の巨人族アンデッドのその後の話をした。(ああ、そうだった。見に行くのを忘れていた)と気がつくサムカである。
「うむ、それは良かった。さすがに巨人族アンデッドといえども、核爆弾の直撃を食らえば消滅するしかないだろうがね。さて、共犯者も呼ばねばなるまい」
サムカがそう言って、やっぱり柱の影に隠れているペルとレブンを呼び寄せた。
「すいません。先生方。ミンタちゃんが、どうしてもって聞かないので」
ペコと頭を垂れて、2人が顔を出してカフェにやって来た。恐縮しきっている。
「テシュブ先生、お体の方は大丈夫ですか?」
心配そうな顔の教え子2人に、サムカが穏やかな声でうなずいて微笑んだ。山吹色の瞳に穏やかな光が宿っているので、機嫌は良さそうだ。
「ああ。気遣い無用だ。少々驚いたがね。兵器級のエックス線だったが、発動まで時間がかかった。それに闇と光の精霊魔法の二重〔防御障壁〕という、これ以上ない組み合わせで対処できたから、被害も出ずに済んだよ」
ペルとレブンを安心させた後で、ミンタにも視線を向ける。
「しかし、ミンタさんはかなりの魔法の使い手になれそうだな。ペルとレブンにも述べたが、これからの方針次第では、大勢の命を守ることができるようになるだろう。反対の方針をとれば、今日のようなことにもなる。大きな力を授かった者は、同時に大きな責任も負うことになる事が分かったかな。心して勉学に励みなさい」
ようやく泣き止んだミンタが、大きくうなずいて笑った。
「はい、テシュブ先生」
サムカを見る視線が、先ほどとはかなり違っているように見える。警戒心もなくなったようで、金色の毛が混じる尻尾がリズミカルに振られていて、両耳や鼻先の細いヒゲも素直にサムカの顔へ向けられている。
一方のムンキンは、まだ少し警戒心を残しているようにも見受けられるが。それはエルフ先生も同様である。
その2人の様子をすぐに察したのか、ミンタの態度と視線が元の冷たいものに戻ってしまった。
「へえ。さっきから話を聞いていると、どうやらまた何か仕出かしたようだな。エルフとアンデッドの先生」
既に若干酔いが回っているような声が小人たちがたむろしているテーブルからしてきた。
ドワーフのマライタ先生がウィスキーをジョッキで飲んでいる姿が見える。赤い煉瓦色のモジャモジャヒゲと髪の毛で顔が覆われていて、その空地に小麦色の赤ら顔が見えるような印象だ。服装は、実習授業の時の作業服のままであった。
彼の隣ではノームのラワット先生が、少し小さめのジョッキにたっぷりと注がれた赤ワインをチビチビとすすっている。香りから察するに、がぶ飲み用のテーブルワインのようだ。相変わらずの巨大な三角帽子をかぶりスーツ姿であるが、さすがに今は大きな手袋はしていない。酔いが回ってきているのか、白銅色の顔がほんのりと赤くなっている。
セマンのティンギ先生もちゃっかり座っていて、ヤカンサイズの紅茶ポットからマグカップに紅茶を注いでいる。ポットの隣にはミルクポットと、紅茶の濃度を調整するための湯が入れられたポットが並んでいるが、これもサイズが大きい。隣にはブランデーが入ったガラス瓶が鎮座している。
ホットケーキが数枚乗せられた皿もあるので、バター皿やシロップ容器もあり、彼の席だけは物置のようになっている。服装は3人の中で最も先生らしいスーツ姿であるのだが。
小人3人とも酔っぱらいの声なので、適当に返事をするだけのエルフ先生とサムカである。今は泣き止んだばかりの生徒たちの方に優先権がある。
が。マライタ先生は構わずに、ドラ声で酔っぱらいトークを続けてきた。
「なあ。エックス線を魔法障壁で遮断できるってのは本当かよ。すげえな。どんな仕掛けなんだよ。専用の防護服とかじゃないんだろ?」
「コホン」と軽く咳ばらいをしたサムカが、ようやくマライタ先生の方へ藍白色の白い顔を向けた。
「うむ。貴族の場合は、考えたことや行動がそのまま闇魔法になるのでね、厳密な理詰めで説明することは難しい」
闇魔法とは本来そういうものなのだろう。
「私が授業で教える魔法は、闇魔法ではなくて闇の精霊魔法と死霊術だ。教育指導要綱に定められた術式に基づいて、生徒たちに1つ1つ作成して編んだ術式だな。それを生徒に渡して、行使してもらう事で魔法回路を形成させるという手法を採用している」
そう言ってから、軽く肩をすくめた。
「学者ではないのでね、教えることには慣れていないのだよ。どうしても、新兵への教練形式になりがちだな」
(そういえばそうだな)と思うペルとレブンである。
エルフ先生も、サムカと似たようなものであるらしい。チラリと空色の瞳でサムカとマライタ先生を見るが……それだけで、後は軽く肩をすくめただけだった。
「私も教師ではなくて警官ですからね。勉強はしていますが、精霊魔法をエルフ以外に教えるのは難しいものですよ。ですので、授業ではソーサラー魔術に似せた術式を使っています。この方が、エルフやノーム以外の種族でも比較的扱いやすいようですね」
精霊魔法はエルフやノームといった種族が得意とする魔法分野だ。
ウィザード魔法やソーサラー魔術がウィザード語を使うように、精霊魔法も精霊語を本来は用いる。しかし、精霊語を使いこなすには、魔法適性が高くないと難しい。
この魔法学校の生徒では、唯一ミンタだけが精霊語を行使できるようだ。他の生徒や先生は、ウィザード語を精霊語へ魔法で〔自動翻訳〕して対応している。
「〔防御障壁〕ですが……授業で教えるものは、ウィザード魔法の力場術の術式もかなり採用していますよ。〔空間操作〕魔法ですね」
この手の〔防御障壁〕は、簡易〔結界〕という亜空間を作成して、敵の攻撃をその亜空間へ誘導して逃がす術式一般を指す。一種の〔空間転移〕魔法だ。〔防御障壁〕の壁面が、そのまま亜空間への入口になっている。もちろん、魔法出力を節約すれば、〔空間操作〕なので攻撃の軌道を逸らしたり弾いたりすることもできる。
一方で、精霊語による精霊魔法の〔防御障壁〕は少し異なる。直接精霊を呼び出して、その精霊が住む世界、精霊界へ攻撃を〔世界転移〕して誘導する。
「今回のような強力なエックス線発生の場合は、〔防御障壁〕の転送速度を超えていました。危うく、全てを精霊界へ飛ばすことができずに、障壁面を突き抜けてしまうところでした。サムカ先生の〔防御障壁〕との二段構えだったので、何とかできたということですよ。マライタ先生」
ドワーフのマライタ先生は丸太のような腕を組んで、同じように太い首を傾けていた。が、反対側に頭を傾けて下駄のような白い歯を見せて笑った。
「分からんな、ガハハ。まあいいや。つまりは攻撃のベクトルを空間操作してどこかへ飛ばしてしまうってことだな。うん、それならワシたちもやってることだよ。魔法は使わないけどな」
そして、ウィスキーが入っているジョッキをぐいっと飲み干した。
それを隣で見ていたノーム先生が、ワインジョッキを傾けてチビチビ飲みながら補足する。
「ドワーフの科学力は充分に魔法だよ。重力操作とか電磁場操作で回避するし。世界間に自然発生している時空の亀裂発生を確率予想して、そこに攻撃を誘導して逃がす手法なんかもね」
ノームらしい学者先生のような口調になっている。少し酔っているようだ。
「ちなみに、ウィザード魔法や精霊魔法の〔障壁〕魔法というのは、古代語魔法の世界間移動魔法という巨木の枝の1つなんだよ。超絶簡易版というところだね。ソーサラーの〔結界〕魔術は、同じく世界創造魔法の超絶簡易版だな。世界の根幹を為す魔法の末端だから、よほど無茶な使い方をしない限り、因果律崩壊に巻き込まれる心配はない」
酔ってご機嫌な口調のノーム先生の隣では、ティンギ先生が軽いあくびをして聞いていた。紅茶を口に含みながら、パンケーキをムシャムシャ食べている。
「面倒だなあ、魔法も科学も。〔運〕に頼れば万事解決なんだけどな」
彼の担当はウィザード魔法の占道術なので、仕事完全否定なコメントだったのだが、そこは誰も指摘しないようだ。
この頃には、ウィザード魔法招造術のナジス先生とソーサラー魔術のバワンメラ先生、それに法術のマルマー先生もカフェに姿を見せていた。しかし、サムカの姿を見つけるなり、背中を向けてどこかへ立ち去っていく。相当に苦手意識を抱いてしまったのだろう。実際、先日の騒動でも、あまり活躍はできなかったのは事実である。
代わりに校長先生が軍服姿の隊長格の軍人を連れて、大汗をかきながら走ってカフェにやってきた。どちらも狐族だが、さすがに初老の校長とは違い、隊長は精悍な体躯をしている。動作も別次元で機敏である。
今はヘルメットを外しているので頭がよく見える。やや硬めな毛皮は短く刈り込まれていて、彫りの深い顔を強調している。鋭く光る眼光も、校長とはまるで別物だ。
そんな隊長を従えた校長が、息を詰まらせながらサムカに駆け寄った。相当に急いできたのだろう、両肩も大きく上下に動いていて、白毛交じりの尻尾も肩の動きにシンクロして上下にパサパサと振られている。
「す、すいません。テシュブ先生。お時間よろしいでしょうか。緊急事態が帝都近郊の軍キャンプで発生しまして、ご助力をお願いしたいのです」
「どうかしたのかね? シーカ校長」
サムカが穏やかな声のままで、息を切らして中腰になっている校長に尋ねた。校長の身長が1メートルほどしかない上に、今は息を切らして中腰になっているので、さらに小さく見える。
エルフ先生もすぐに校長の心理状態を察して、真剣な表情に戻った。小人たちは相変わらず酒盛りをして、ご機嫌なままであるが。それは生徒たち4人も同様である。
校長が息切れしていて、まともに話すことができなくなっているので、代わりに軍の警備部隊の隊長が説明をすることになった。
軍の隊長も狐族なのだが、校長と違い野性味がかなりある。その彼の彫りの深い精悍な顔が、さらに深刻度を増した。先日の巨人ゾンビや飛族騒動が契機となって、今は警察だけではなく帝国軍も魔法高校へ部隊を派遣しているようだ。背景には政治的な色々があるのだろう。
「では、小官が代わりにご説明いたしましょう。先日、当校で発生したアンデッド巨人の破壊力に、我が帝国軍上層部が興味を持ちまして、魔法世界に巨人兵器のサンプル導入を申し出たのです。届いたサンプル巨人兵器はアンデッドではなく生体兵器の合成ゴーレムだったのですが、試験発動後に誤作動を起こしてしまいました。現在、制御不能な状態で、帝都近郊の軍キャンプ地の敷地内で暴走しております」
魔法世界とは、ウィザードやソーサラー、法術使いたちが住む異世界である。魔法文明が栄えている世界で、魔法場汚染から逃れるために5000年に1度の割合で、新たな異世界を創造して引っ越している。
ちなみにサムカは死者の世界出身、カカクトゥア先生はエルフ世界の出身である。他にもノーム世界やドワーフ世界などが数多く存在している。そのような世界の総数がいくつあるのかは、いまだに不明だ。実際、この獣人世界も近年になって発見されている。セマン族の冒険者や盗賊は、かなり前から存在を知っていたようであるが。
カフェの隅で聞き耳を立てていたウィザード魔法招造術のナジス先生が、ニヤニヤしながら鼻をすすって話に参加してきた。彼の身長が150センチほどあるので、腰を少しかがめての参加である。
肌荒れが目立つ薄い杏子色の白い肌と、顔に刻まれた細い垂れ目の紺色の瞳がヘラヘラと光を反射している。白衣に似た薄手のジャケット姿で、その下はジーパンとTシャツぽい服装である。足は短めのゴム長靴だ。両手を白衣風ジャケットのポケットに突っこんでいて、少し猫背になって歩いて鼻をすすりつつ、こちらへやってきた。
「ああ、それは軍用の巨人型ゴーレムですね。ずず」
「兵站物資の搬送や、土塁を築いたり塹壕を掘ったりする作業を主に想定して製造されていますよ。ずず」
「敵の攻撃に曝されても良いように、かなり丈夫な構造です。ずず」
「〔防御障壁〕は持っていませんし、生体組織ですので傷はつけやすいのですが、ずず」
「巨人遺伝子を導入していますので、瞬間〔再生〕が可能です。タカパ帝国軍の戦力では、ずず」
「破壊することは困難を極めるでしょうね」
《ずず》、と鼻をすするナジス先生である。最後はなぜかドヤ顔になっているが。
サムカがそれを聞いて、少し呆れたような表情になった。ナジス先生に山吹色の視線を向ける。
「……巨人族の遺伝子を活用した人工生物というところかな。確かに、通常兵力では破壊することは難しいだろうな」
サムカの顔を見ないまま、ナジス先生が口元を片方だけ持ち上げて微笑んだ。褐色で焦げ土色の髪が、肩の上でだるそうに揺れる。パリーの髪に負けず劣らず手入れ不足で、枝毛や切れ毛だらけだ。
白衣風ジャケットのポケットの中に突っこんでいる両手が、もぞもぞと動く。ついでに鼻もムズムズするようで、ひくひくと鼻の穴が動いている。
「まあね。ずず」
「授業で教えるような代物ではないから、自己破壊術式は搭載されていないよ。ずず」
「私では、どうしようもないな、残念ながらね。ずず」
(なるほど、責任逃れのために話に参加してきたのね)と察するエルフ先生である。まあ確かに発展途上世界の辺境の雇われ学校教師では、魔力も大して持ち合わせていないだろう。
エルフ先生がサムカと同じように、穏やかな表情と声でナジス先生に礼を述べた。
「情報提供ありがとうございます、ナジス先生。では、瞬間〔再生〕能力を上回る攻撃力で破壊しなくてはいけませんね。実は私。あの巨人ゾンビ事件以降、新たな攻撃魔法を試験提供されています。巨人ゾンビを一撃で〔分解〕できる威力ですから、この巨人ゴーレムに対してもかなり有効だと思いますよ」
ヘラヘラ笑顔が消えて、苦虫を噛み潰したような表情になるナジス先生である。「ふん」と鼻を鳴らしながらすすって、猫背を向けた。
「魔法場サーバーの増強が済めば、ずず」
「私一人でもあんなゴーレム程度ならば、〔強制使役〕魔法で支配して無力化できますよ、ふん」
「それまでは、せいぜい頑張って下さい。ずず」
「私は明日の授業の準備がありますので、これで」
《ずずっ》と鼻をすすって、そそくさと退散していくナジス先生である。校長だけは「さすがですね」と感心しているが、他の全員は冷ややかな視線を送るだけであった。
彼も何か隠れて違法な魔法場サーバーの増強をしているのかもしれないが……特に関心のないサムカは、視線を校長に戻した。
「ふむ。私の〔召喚〕時間もまだ余裕が残っているようだ。ハグめ、きちんと要望を聞いているようだな。では、現地へ〔テレポート〕して、クーナ先生を支援して巨人ゴーレムを破壊してこよう。ハグからの許可も出ているようだ。学校の外でも活動できるぞ」
校長と軍の警備部隊の隊長が笑顔になった。校長が礼を述べ、隊長が〔空中ディスプレー〕を出現させて上司に報告する。
「ありがとうございます。先生方。転移先座標は、これです。どうぞ受け取って下さい」
校長がすぐに関連情報をサムカとエルフ先生に送った。さすがに魔法高校の校長だけあって、こういった情報系のウィザード魔法幻導術は得意なようである。
「うむ。確かに受け取った。では、〔テレポート〕するか。クーナ先生。〔テレポート〕先の座標はここで良いかね?」
エルフ先生が腕組みをして、サムカが表示した〔空中ディスプレー〕画面をのぞき込む。互いの〔防御障壁〕が接触しないように少し距離をとっているが。
「……はい、そうですね。帝国軍部隊の指揮所が本来の手順なのでしょうけど、緊急ですから、いきなり作戦座標へ飛ぶのが良いでしょうね。私たちが攻撃する許可は取ってあるのですよね? シーカ校長先生」
校長と隊長が同時にうなずくのを横目で見ながら、ペルがサムカにすがりついてきた。サムカの顔を見上げる薄墨色の瞳が曇っている。
「あ、あの、テシュブ先生! 〔テレポート〕魔術なのですが……私たちまだ習得できていなくて」
「ん? そうなのかね」
思わず首をかしげてペルの顔を見つめるサムカに、レブンもペルと同じくサムカに抱きついた。そして同じく曇った深緑色の目をして見上げる。
「すいません、テシュブ先生。〔テレポート〕魔術はソーサラー魔術ですが、習得に手間取っていて、今も使えなくて困っています。テシュブ先生が先日〔テレポート〕魔術を見せて下さったのに、申し訳ありません」
教え子2人の必死な訴えを聞いたサムカが、エルフ先生に視線を向けた。
「クーナ先生。そうなのかね?」
エルフ先生の日焼けした白梅色の顔も曇った。彼女にしがみついているミンタとムンキンも、エルフ先生と同じような表情をしてペルたちを見ている。
「ええ。かなり様々な魔法を使えるようにはなってきていますが、まだですね。〔テレポート〕魔術は魔力の消費量が大きい上に、座標指定などの高度な術式を駆使しますから、彼らにはまだ荷が重いのです。来週には習得できるようになると思いますが……現状では、まだ無理ですね」
ソーサラー魔術は自力で行使する魔法だ。ウィザード魔法のように魔法場サーバーからの魔力供給は基本的に想定されていない。
「ウィザード魔法幻導術でも〔テレポート〕魔法はありますが、これは魔法場サーバーの有効受信圏内でないと使えません。帝国内では、まだ都市や役場以外では圏外になるのですよ」
「そうか……なかなか魔法適性というものは、厄介なものだな」
サムカが残念そうな表情で2人の教え子たちを見下ろした。
「では、私が魔力支援して、前回の場合と同じようにして我が教え子たちを一緒に連れて行こう。やはり実習体験させる方が良いであろうからね。構わないかな? シーカ校長」
校長が白毛交じりのフワフワ頭をかいて、少し首を傾けた。
「生徒たちの安全を保証して下さるのであれば、構いません。保護者の方々から預かっている、大事な生徒ですからね」
ペルとレブンの顔が一層暗くなったのをサムカが察したが、それは無視して校長に視線を戻した。
「それは保証しよう。大事な子息だからな。スカル・ナジス先生から得た情報では、この巨人ゴーレムには自爆機能や大量破壊兵器の武装に術式は装備していない。問題なかろう」
エルフ先生も、校長に空色の視線を向けてうなずいた。
「大丈夫ですよ。巨人兵器の性能情報ですが、一介の教師がアクセスできて取得できる情報には制限がありますので、そのまま鵜呑みにして信用することはできません。しかし、私の〔探知〕魔法による情報でも、危険はないという判断です。光と闇の精霊魔法の実習相手としては適当でしょう」
マライタ先生も新たにウィスキーを注いだジョッキを飲みながら、エルフ先生に賛同した。
「問題なかろう。ワシが行った探知でも武装はされていない、ただの生体兵器だと分かっている。魔法攻撃の標的としては適しているよ」
ノーム先生も赤ワインをぐい飲みしながら微笑んだ。
「そうだな。問題ないだろう。作業用だしな。だけど今回、私は遠慮するよ。新しい杖がまだ届いていなくてね」
ティンギ先生は大あくびをしている。
「行ってきなよ。退屈過ぎて寝てしまいそうだが、生徒の勉強のためなら価値はあるだろうさ」
パリーもティンギ先生同様、退屈そうな顔をしている。
「すきにすれば~。私の森の外だし~どーでもいい~」
法術のマルマー先生はつい先ほどまでカフェの隅にいたのだが、ソーサラー先生と共に姿を消していた。実際、彼らでは大した戦力にはならないだろう。ちなみに駐留警察署の署長も姿を見せていない。
軍の警備隊長が〔空中ディスプレー〕を介した通信を終えて、校長に精悍な顔を向けた。
「シーカ校長。軍本部からも作戦許可が下りました。2キロ手前からの遠距離魔法攻撃による、一撃殲滅作戦が採用されました。実行者はエルフ先生と貴族先生の2人です。巨人には遠距離用の武装も魔法もありませんので、反撃される恐れもないでしょう」
校長がそれを聞いて、ようやく同意した。
「分かりました。では、許可します。訓練ではない実戦ですので不測の事態が起きるかもしれませんが、責任は私が負います。心置きなく存分に学んでください。ペルさん、レブン君、ミンタさん、そしてムンキン君」
「やったー」と歓声を上げる4人である。
サムカとエルフ先生が目を合わせて微笑んだ。そして、サムカがまだ履いていた来客用のスリッパを脱いで、校長に手渡した。
「借り物だからな。返しておくとしよう。さすがにスリッパを履いたままで外出すると、見た目が悪いからね」
サムカが黒マントをバサバサ揺らすと、中から甲冑仕様の軍用ブーツが落ちてきた。それを手早く両足に装着する。「ガチャリ」と金属音がして甲冑ブーツが〔変形〕し、サムカの足に完璧にフィットした。
エルフ先生が空色の瞳を好奇心で光らせて、注視している。
「へえ……魔力を帯びた武装なのですね。〔変形〕もするのか……」
サムカが軽く足踏みしながら、エルフ先生と校長に注意する。
「貴族が装備している武装は、魔力を帯びている物が多い。装着者に応じて〔変形〕もする。しかし、君たちが触れると魔法場〔干渉〕でケガをする恐れがある。不用意に触れない事だ」
校長がスリッパを抱きながら、思わず一歩後ずさった。触ろうとしていたらしい。
「そ、そうですか。あわわ……」
サムカがペルとレブンに藍白色の白い顔を向け、黒マントを広げた。
「君たちは大丈夫だ。魔法適性があるからね。さあ、私につかまりなさい」
そう言って2人を黒マントの中に入れる。やはり、この2人には影響ない様子である。一方のエルフ先生は、ミンタとムンキンの肩に手を置いている。
サムカがエルフ先生に山吹色の瞳を向けた。
「では、行こうか。クーナ先生」
「そうですね。サムカ先生。〔テレポート〕魔術刻印の転移先座標を渡しますね」
次の瞬間。校長たちの前からサムカたちの姿が消えた。
エルフ先生は光の精霊魔法を併用したソーサラー魔術の〔テレポート〕なので、一瞬白色光が発生した。一方のサムカは闇の精霊魔法なので、反対に一瞬その場が暗くなった。
風も巻き上がらず音も全くしないので、本当にかき消されたという表現が合う。
校長と警備隊長も、サムカたちの〔テレポート〕を見送った後ですぐに校長室へ駆け戻っていった。教育研究省と帝国軍本部へ提出する様々な文書の作成をするためだ。事後承諾になっているが、前後していようとも手続きは手続きで守らないといけない。
一方の小人先生たちは再び酒盛りを始めて、陽気な歌声を上げだした。先程まで姿をくらませていた他の先生たちも、ほっとした表情になってカフェのカウンターへやってきている。早速、何か文句を言いながら、飲み物をカウンターの作業ゴーレムに注文し始めた。
「くそ。あと数日後であれば、我が法術で片付けることができたものを……」
などと、グチグチ言いながらカウンターに陣取るマルマー先生である。彼も何か陰で行っているようだ。それはソーサラー先生も似たようなものだった。
「巨人ゴーレムの組織サンプルかー……欲しいな」
カラオケをし終えたウィザード先生たちがサラパン羊と一緒になって、ようやくカフェに顔を見せた。表情から、何が起きたのかはまだ知らない様子である。
「あ~も~、つまんな~い。かえる~」
パリーが退屈の極限に達したようだ。猫のように背伸びをして、そのまま姿を消してしまった。小人たちが酔い潰れ始めてきて、話し相手がいなくなったせいもあるのだろう。
【タカパ帝国軍の帝都近郊の基地】
「ほう。あれが巨人ゴーレムかね」
2キロ先の倉庫を盛大に破壊している、身長10メートル弱の巨人の姿をサムカが視界にとらえた。
全身が犬のような毛皮に包まれていて、衣服などは着ておらず全裸だ。兵器なので当然ながら性別はない。肉体が魔法で強化されているので、この身長であっても普通の人間をそのまま巨大化したような姿を保っている。
今は倉庫を素手で殴って破壊しており、すごい轟音と地鳴りがここまで響いている。
エルフ先生がサムカから10メートルほど離れた場所に〔テレポート〕して、感想を述べた。
「なるほどね。骨格や肉体全てが魔法で〔強化〕されているのか。丈夫さでは、今壊している倉庫の鉄筋やコンクリートなんかよりも上ね。通常の攻撃が効かないのも分かるわ」
2人とも巨人に発見されにくいように空中ではなく、軍キャンプ地の地面の上に正確に座標指定して〔テレポート〕している。
当然だが2人の前面には、巨人から〔察知〕されないようにするための〔ステルス障壁〕がすでに展開されていた。巨人自身は武装していないが、発見されてしまうと瓦礫を投げつけてくる恐れがあるからである。
その巨人だが動作がかなり俊敏で、倉庫を殴り壊す腕の振りは目にも留まらないほどの高速だ。両足の足さばきも高速で、砕かれた瓦礫がさらに足で粉砕されて舞い上がっている。パッと見は、巨人が両手両足を振り回して、駄々をこねているようにしか見えないが。
よく見ると、周辺の建物はすでに破壊されつくされて、今はもう瓦礫の山になっている。残るは、この倉庫だけである。
サムカが〔ステルス障壁〕を調節して対巨人へのステルス効果を高めてから、その情報をエルフ先生と〔共有〕した。
「ふむ。どうやら、あの倉庫が最後の破壊目標のようだな。あれを破壊し終わったら、別の建物を破壊しにどこか近くの村へ移動するのだろう。間に合ってよかったな」
サムカが冷静な声でエルフ先生に、〔指向性の会話〕魔法で話しかける。
エルフ先生も同意見のようで、空色の視線を巨人に向けたままで軽くうなずいた。
「そうですね。ナジス先生からいただいた情報では、あの型式の巨人ゴーレムの平原走破速度は、時速140《ガガガピピピ》以上です。……あ、失礼。エルフ語からの〔自動翻訳〕にエラーが出てしまいました。ともかく、いきなり最大速度に達する加速性能ですから、動き始めたら厄介ですね」
そう言うエルフ先生の表情も冷静そのもので、少しも厄介だとは思っていないようだが。
サムカの黒マントの中からペルとレブンが顔を出して、そのままサムカから離れた。ミンタとムンキンもエルフ先生から数歩分の距離を置いている。通常であればサムカやエルフ先生にしがみついて接触状態になり、術式を学ぶ手順だ。
しかし今回は、大出力の攻撃魔法を放つ。その術式の予期せぬ反動から身を守るために、こうして離れる事になった。
それでも、それぞれの精霊場を介した回線は接続している。いわば無線の通信回線である。そのため、生徒たちにも接触状態ほどではないにしろ、充分な情報が届くので問題はない。
ただ、サムカとエルフ先生の魔法属性が違いすぎるために相互〔干渉〕を防がなくてはならず、2人の距離がこれだけ離れている。精密射撃をする作戦なので、これも仕方のないことだ。会話は〔音声指向性の会話〕魔法で行うので支障はない。
「す、すごいな……2回目だけど、これが〔テレポート〕魔術なんだ。お、覚えなくちゃ」
ペルが目を白黒させている。レブンも同様だ。しかし、前回ほどの動揺はしていない。ペルの尻尾もレブンの頭もそれほど変化は生じていない。
サムカが2人の状態を見て確認する。
「うむ。体に異常は出ていないようだな。まあ、この程度の魔法で根を上げているようでは、私の教え子であるとは呼べないがね」
「はい! 大丈夫です、テシュブ先生!」
思わず、軍隊調に返事を返すペルとレブンであった。
その様子を苦笑しながら横目で見るエルフ先生である。
長さ1メートル半はありそうな、ライフル型の杖を〔結界ビン〕から取り出し、魔力パックをいくつか杖底部に取りつける。機動警官だけあって手際が良い。数秒で各種設定を終えて、〔空中ディスプレー〕を呼び出し、この軍キャンプの司令官と通信リンクを結んだ。
「作戦座標に到着。攻撃準備を完了しました。いつでも撃てますよ、指令」
〔空中ディスプレー〕に顔が映っている狐族の軍人が返信する。かなり焦燥している様子がありありと分かる。
「了解した。こちらの全部隊も作戦地域からの撤退を完了している。攻撃を許可する」
「了解。攻撃を開始します」
エルフ先生がディスプレーを表示したまま、サムカに顔を向けずに〔指向性の会話〕魔法で告げた。エルフ先生の口はサムカの方向に向けられていないのだが、声は問題なくサムカに届いている。
「サムカ先生。許可が下りました。攻撃を始めましょう」
サムカも黒マントの中から短剣を取り出した。慣れた手つきで鞘から抜き、切っ先を正確に2キロ先の巨人に向けて〔ロックオン〕する。何の装飾も施されていない地味な短剣と鞘であるが、その分、刀身部分の鈍い輝きが目を惹きつける。
刀身から溢れ出す闇の魔力量は尋常ではないので、刀身の周辺の空間だけが夕闇に包まれているようだ。
10メートルも離れた場所から刀身を見たミンタとムンキンが目まいを覚え、慌てて視線を逸らして短剣を見るのを止める。
レブンも目まいを感じたが、何とか耐えることができている。ペルは余裕の表情である。魔法適性の違いのせいだろう。
サムカが冷静な口調で答える。
「分かった。いつでもよいぞ。クーナ先生が初撃を撃つが良かろう。私は第二撃を担当しよう」
「では、お先に」
エルフ先生が視線を巨人に向けたままで答え、術式を発動させた。杖にはボタンも引き金も何もないので、エルフ先生の思念だけで発動する仕組みなのだろう。
光の精霊魔法なので弾丸や砲弾や炎などが飛び出すことはなく、杖の先がぼやけて見えなくなっただけであった。反動も音響も何もない。
……が。同時に、2キロ先で倉庫をぶん殴って破壊していた、10メートルもある背丈の巨人が破裂した。
生体兵器なので内臓も骨格もあり、血液が体中を循環しているのは普通の人と変わらない。それがいきなり風船が破裂したかのように呆気なく破裂し、ミンチ状になった体組織と血液を周囲半径20メートル円内にぶちまけた。建物の鉄筋よりも丈夫なはずの骨格も、粉みじんとなってミンチに混じり四散している。
残っているのは毛皮で覆われた足だけである。が、次の瞬間。周辺の建物の瓦礫ごと〔闇玉〕に包まれて〔消去〕された。「カチン」とサムカが短剣を鞘に納める音がする。
エルフ先生が点けっ放しにしている〔空中ディスプレー〕の画面に、エルフ語で何かメッセージが表示された。ライフル杖の底部から、魔力パックが脱離して地面に落ちる。
エルフ先生が「ふう」と息を吐く。ライフル杖の先を、巨人がいた方向から逸らして上空に向けた。誤射を防ぐためだろうか。
地面に鋭い振動が走り、その直後に水タンクが爆発したかのような重低音を含んだ衝撃音が先生たちが立つ場所まで届いてきた。2キロも離れているので、振動や音が伝わってくるまで少し時間がかかるのである。
ディスプレー画面を指で操作していたエルフ先生が、ほっとした表情になった。
「標的の完全破壊を確認。〔再生〕もしていませんね。作戦終了を通知します、指令」
【帝都】
タカパ帝国軍の部隊が現場検証のために巨人が破裂した場所へ走って急行していく。その様子を見ながら、サムカが上空の太陽を見上げた。
「ふむ……まだ時間が残っているな。せっかくだから、もう少し〔テレポート〕魔術を実演してみようか。どこに行きたいかね?」
サムカに問われて、「うーん……」と首をかしげて考えているペルとレブンである。
その間に、エルフ先生が歩いてこちらへやってきた。〔空中ディスプレー〕を介して、ここの司令官と何やら通信をしていたが、それも終えたようだ。その画面を消去して、サムカに顔を向けた。
「そうですねえ。ここは帝都近郊です。帝都の大通りにでも〔テレポート〕して時間をつぶしましょうか。サムカ先生は、まだ帝都を見た事がなかったですよね」
エルフ先生の申し出に、素直にうなずくサムカである。
「そうだな。教え子の故郷にも興味はあるが……」
サムカがそう言いながらペルとレブンの表情をうかがう。案の定、2人の顔色が明らかに曇った。
「……まずは、帝都を見学するのが順序だろうな。それで構わないかね?」
ペルとレブンの表情に明るさが戻った。
「はい! テシュブ先生」
「うむ」とうなずいたサムカがエルフ先生に顔を向けた。
「では、そうすることにしよう。転移座標はどこが良いかね? クーナ先生」
「ほう、これは大した賑わいだな……」
サムカが思わず口にした。〔テレポート〕先は、帝都メインストリートを真下に見下ろす4階建てビルの屋上であった。屋上には、数十もの〔テレポート〕魔術刻印が刻まれている。確かにここは〔テレポート〕先の座標にするには好都合な場所だ。
ただ、獣人世界では魔法を使える者が少ないせいか、他に魔術刻印を使用している人影は見当たらない。
周囲にはこれよりも高い建物はなく、赤レンガで建てられたどこか中世欧州風の整然とした街並みが眼下に広がっている。大通りは片側2車線の立派な石畳の舗装道路で、従来型の燃料電池式の車両が自動運転で整然と車間距離をとって走っている。よく見ると、1割程度は魔法駆動の自家用車やバイク、トラックに置き換わっているようだ。
歩道も幅数メートルはある。亜熱帯の日差しを和らげるために植栽された常緑樹の林が、適度な日陰を提供している。木々の枝にはウィザード魔法を使った照明装置がぶら下がっていて、商店の垂れ幕型の広告とともに通りを飾っている。
歩行者の姿は過半数が狐族で、かなりおしゃれな服装である。民族割合としては次いで竜族、羊族、魚族の順だろうか。彼らもおしゃれな服装で歩いている。
自動運転で走っている車両やバイクは全て化石燃料を使用しないタイプなので、排気ガスも水蒸気だけのキレイなものである。魔法駆動の車両は排気ガスすらも出さないので、通りも清潔そうだ。
実際、ゴミ箱があちこちに設置されていて、通りにはゴミ1つ落ちていない。そのゴミ回収は木製ゴーレムが担当しているようだ。巨大なリアカーを引いた木製ゴーレムが、ゴミ箱からテキパキと効率よくゴミを回収して回っている。
通りには多くのカフェや軽食屋が軒を並べていて、歩道に張り出した席には多くの獣人たちが座って軽食や喫茶を楽しんでいるのがよく見える。この通りを行き交う人々だけで、その人数は数百を超えるだろうか。
大通りに面した赤レンガ造りの建物群は3階建てが多い。屋上には家庭菜園があり、洗濯物が干されていて穏やかな風に揺れている。オフィスや商店がテナントとして、それぞれの建物に入っているようで、窓ガラスの奥で働いている獣人族の姿が見える。やはり狐族が過半数を占めているようだ。
目を大通りから外すと、一軒家の住居地区がメインストリートの裏から広がっている。亜熱帯気候で雨が多いせいか、赤瓦を真っ白い漆喰で固めた屋根だ。
どうやら車両が走る道路沿いには3階建て程度の建物が建ち、その間を埋めるように一軒家の赤レンガ屋根が配置されているようだ。道路網が碁盤の目のように整然としているので、幾何学模様のようにも見える。
所々に塔が建っているが、これは法術宗派の教会や、魔法使いたちの協会施設だろう。森のような公園もあちこちに配置されていて、緑地率は3割ちょっとというところだろうか。
王城は大通りの最深部にあり、高さ十数メートルもの立派な城壁を巡らせた中に収まっている。ざっと見たところでは、その敷地面積は数ヘクタールほどだろうか。身長1メートルほどしかない獣人族としては、それで充分なのだろう。赤レンガはさすがに使用されておらず、大理石や花崗岩などの華やかな色合いの巨石だ。それらを積み上げて、城壁と城施設とが建てられている。
「魔法兵器もそれなりに配備されているのだな。レーザー砲と自動追尾式のミサイル塔が多いようだ。上空には浮遊砲台も浮かんでいるし、首都防衛機能はまずまずといったところか」
サムカが王城を眺めながら、さらっと感想を述べる。横に立つエルフ先生が少し呆れた笑顔をしながらサムカに顔を向けた。
「さすがは領主ですね。真っ先に防衛兵器の評価ですか」
そして、サムカと視線を同じくして王城方面を見る。
「この世界では、この程度で充分でしょうね。帝国ですから、属国や占領地も多いのですよ。敵対する国家群もありますし、属国の中には不充分な市民権しか付与されていないものもあります。ゲリラやテロ組織も活発ですしね。華やかな大通りと着飾った市民たちを支えているのは、属国や下等市民からの富の収奪でもあります」
思いがけない帝国批判を始めたエルフ先生に、「ぎょっ」としている4人の生徒たちである。が、エルフ先生は特に表情も声色も変えないまま、そのまま話を続ける。
「ですが、私が知る限り、魔法世界やノーム、ドワーフの世界も似たようなものですね。エルフ世界にも実質上の帝国があり、国家間の対立もありますし。魔法文明をもってしても社会問題は解決できないのでしょう」
エルフ世界には公式の帝国は存在していない。王国だけだ。しかし非常に広大な版図を有する王国はある。しかも衛星国まで有している。
やや顔が曇り始めてきたエルフ先生の横顔を眺めたサムカが、これまた感情を抑えた口調で、エルフ先生の話にコメントした。
「生きている以上、より良い暮らしを求めるのは当然の権利だ。そして、世界が有限である以上、魔法をもってしても不公平が生じるのは避けられまい」
やや口調を明るくする。
「何せ、死者の世界ですら権力闘争があるくらいだ。世界とは、そういう仕組みなのだろう。さて、ここから眺めるのも良いが、通りに下りてみないかね?」
サムカがペルとレブンに顔を向けた。
「〔浮遊〕魔術や〔飛行〕魔術は習得しているかね? 4階の屋上から通りに飛び降りたら、石畳の通りに穴があいてしまう恐れがある」
ペルとレブンが顔を見合わせてから、サムカにドヤ顔で微笑んだ。
「大丈夫です、テシュブ先生。昨日、習得したばかりです!」
「降下速度の調整に多少不安がありますが、できます!」
それを聞いてサムカの口元が緩んだ。
「良かろう。着地に失敗して骨折しても私は関知しないぞ。では降りようか」