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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
アンデッドは津波に乗ってやってくる
104/124

103話

【リベナントとシャドウ】

 敵はその時、海中と空中の2ヶ所でドーナツ型の突撃陣形を整えつつあった。光の壁にドーナツの外側の一端が衝突するように、ドーナツ陣形を回転させ始めている。板を電動の丸ノコギリを当てて切るような印象だ。〔防御障壁〕の一点に絶えず連続して打撃を与える事ができる。


 2つのドーナツは直径が200メートルほどで、ほぼ全てのゾンビとスケルトンが海中のドーナツに、ゴーストが上空のドーナツに組み込まれている。

 それが徐々に回転を上げながら、ゆっくりと光の壁に向けて迫っている段階だった。ドーナツの中心には上空にシャドウ部隊が、海中にリベナント部隊が円錐陣形をとって待機している。

 しかし、それはほぼ全軍が狭い空間に集結してしまった事でもあった。


 ドーナツの背後に突如、新たな『光の壁』が発生した。規模は全く同じで、幅は恐らく100キロあるはずだ。浜辺から入り江を越えて沖合い1キロのライン上で、水平線の向こうまで一直線に壁が延びている。津波の高さがあるので、海面からは、ほんの数メートルしか壁の上端は見えないが。ちょうど、上下に並んだドーナツを挟むように長大な光の壁が発生した事になる。


「レブン君のシャドウのおかげね。海底の地形に沿って光の壁を作ったから、もう逃げ場はないわよ」

 沖合い1キロともなると水深は100メートル以上になるのだが、今のミンタには魔法場サーバーの援護がある。

 しかし、いずれにしても大魔法である事には変わりはない。白浜のビーチだけでなく、背後の熱帯の森や将校避暑施設にも、この魔法で発生した光の精霊場が容赦なく降り注いでいる。魔法場汚染もかなり酷くなるので、あまり長時間の継続稼働は良くない。

 森の木々も過剰な光を浴びてしまうと、活性酸素が植物体内で大量に発生し、細胞が壊死してしまう事になる。虫などの生物も同様だ。建物の場合は、コンクリートの劣化が加速してしまう。


 一応は、ペルとレブンのシャドウが闇の精霊魔法の〔防御障壁〕を建物にかけてはいる。しかし、この程度では気休めにしかならない。その2体のシャドウが、二重の光の壁から1キロほど離れて距離を置いたのを確認する。


「じゃあ、さっさと潰すわよっ」

 ミンタが簡易杖を鋭く振った。すると、沖合いの光の壁が岸へ向けて高速で移動し始めた。

 光の壁なので、移動しても津波で盛り上がっている海面には何も影響が出ていない。海域を三次元スキャンするような勢いで迫りくる、沖合いの光の壁。


 敵リベナントとシャドウ部隊が〔察知〕したが……ドーナツ陣形を変えずに、予定通りに手前の光の壁に回転ドーナツを衝突させた。同時に大爆発が光の壁の向こうで起こり、海水が爆発で吹き上げられて盛大なしぶきを上げた。

 今回は、ほぼ全勢力がドーナツ陣形に組み込まれているので、爆発で生じた水しぶきの中にはアンデッドの姿は見られない。壁の2ヶ所で連続した大爆発が継続し始めると、爆音も壮絶な音量と音圧になってきた。爆発の衝撃がミンタの立つ足元の白砂にも《ビリビリ》と伝わってくる。


 敵は後方から高速で迫ってくる沖合いの光の壁にも、この回転ドーナツをぶつけるつもりのようだ。シャドウとリベナントの一部が円錐陣から離れて、後方担当に回るのが見える。


 ミンタが簡易杖で自身の額を「ポコポコ」叩く。

「そうするしかないわよね。だけど無駄よ、それ」


 沖合いから迫ってきた光の壁が2つのドーナツに衝突した。大爆発がここでも連続して発生する。

 ミンタの足元に届く振動も2倍になり、空気の振動も相当なものになっていく。後方の将校避暑施設の建物の一部で、何かが割れて砕ける音がし始めた。そんな音は完全に無視するミンタである。


 沖合いからの光の壁は、その接近速度が全く落ちない。本当に実物のドーナツをプレス機で押し潰すような勢いで、容赦なくアンデッド群が光の壁に衝突して爆発していく。


「ああ、そうそう。忘れるところだった」

 ミンタが思い出したかのように、簡易杖を「ヒョイ」と振った。

 2つの光の壁の間に挟まれているのは、アンデッドや津波で盛り上がっている海水だけではない。地魚も大量にいた。ようやく入り江内の地魚の数が増えてきた段階なので、保護する必要があるのだ。


 2つの回転するドーナツ陣形が2つの光の壁に押し潰されて、真円形から楕円形に歪まされていく。爆発がさらに激しくなり、海水の温度が急上昇し始めていた。

 爆発の衝撃波で、すでにかなりの数の地魚が気絶して、海面に浮かんだり海底に沈んだりしている。しかし、このままでは気絶だけでは済まず、煮魚になってしまうのは確実だ。


 光の壁の外で気絶している地魚も含めてシャドウによる測位情報を基に、ミンタが全ての魚を〔ロックオン〕した。すぐに、それらを力場術で海岸側の穏やかな入江に引っ張り込む。

 さすがに今は、光の壁の手前にある入江も爆発の衝撃を受けて大きく波立っているが、壁の中よりは遥かに安全だ。ついでに生命の精霊魔法で、気絶状態や負傷を自動で〔治療〕する。


 間もなく、ミンタの手前の波打ち際まで真っ黒になるほどの大量の魚の群れが集まり始めた。そのために、今度は魚が酸欠にならないように追加の支援魔法をかける。海中の溶存酸素濃度を大きく上げる、招造術のウィザード魔法である。

 この場合は空中の酸素を海中に連続〔召喚〕している。それでも溶存酸素濃度には上限があるので、過飽和状態に維持する程度なのだが、今はそれで充分に間に合っているようだ。


「狭苦しいだろうけど、少しの間だけ我慢してね」

 ミンタが一言、魚の大群に詫びてから、視線を光の壁に戻す。

 すでに壁の中は海水が沸騰していて、なおも激しい爆発が連続して4ヶ所で起き続けていた。力場術で、壁の外に熱が漏れないように配慮する。磁場を使って熱が伝わる向きを変えるので、その遮断効果は8割程度に留まる。それでも、壁周辺の海水温度が危険値になるような事には至っていないようだ。


 しばらくの間、磁場の調整を行っていたミンタだったが……その耳に突然、大爆音が届いた。音響遮断の〔防御障壁〕をしていなければ、鼓膜を傷めたかもしれないほどの音圧で、さすがに驚く。

「うわあ……いよいよアンデッドの丸焼け大会が始まるのね。あまり見ていて気持ちの良い風景じゃないな」


 楕円形に潰れながらも耐え続けていたドーナツ陣形が、2つとも同時に崩壊した。結局、沖合いからの光の壁を押し返す事は全くできなかった。押し潰される速度すら変える事はできなかった。

 崩壊した陣からは、大量のゾンビやスケルトン、それにゴーストの大群がクモの子を散らすように溢れていく。そして、それらが両面から迫る光の壁に衝突して、爆発して燃え尽きる。

 今までは4ヶ所に集中していた火点が無数に増えた事で、壁の中の海水の温度が急上昇し始めた。ほとんど爆発に近い現象になって、高さ40メートルの海水の壁が全て水蒸気に変わる。

 同時にミンタの体を揺らすような激しい爆発音が轟き、衝撃波が襲い掛かってきた。


 液体の水が気体の水蒸気に変わると、その体積は水蒸気の温度に比例しながら100倍単位で膨張する。それが1、2秒の間に起きた。

 とりあえず、光の壁の手前の入江に移した地魚の大群を衝撃波から保護しつつ、シャドウ2体を呼び寄せる。


 光の壁は1つに合わさっていたが、水蒸気の煙が大量に発生しているので視界が1メートルもない。自身の〔防御障壁〕を再確認してから、2体のシャドウに人魚族の村へ向かうように指示を出す。真っ白い雲の中のような状況だが、真っ直ぐに目的地へ飛び去っていくのを、手元の〔空中ディスプレー〕画面を通じて見送った。


 そのミンタの前面の〔防御障壁〕が、〔マジックミサイル〕の攻撃を受けてまばゆく光った。即座に〔マジックミサイル〕を光に〔変換〕する自動防御が機能する。

 ミンタが残念そうな口調で鼻先のヒゲを前方に向けた。

「……やっぱり出てきたか」



 徐々に薄くなる真っ白な水蒸気の中、第二波、第三波の〔マジックミサイル〕攻撃が襲い掛かってきた。それを光の精霊魔法の自動処理で処分する。

 〔ロックオン〕されていないようで、ミンタの立つ周辺にも敵の攻撃が命中して爆発を引き起こした。背後のヤシとタコノキの林や将校避暑施設に、流れ弾が飛んでいって爆発している。しかし、特に気にするつもりもないミンタ。真っ直ぐに、光の壁の方向を見据えている。


 そうこうする内に、水蒸気の煙が攻撃の爆風で吹き飛ばされ、視界が回復してきた。

 そこには、光の壁から脱出に成功した14体のリベナントと4体のシャドウがいた。リベナントは全員がかなりボロボロで、腕や頭などが欠損している者ばかりだ。耐衝撃の戦闘服も見事にボロ切れに成り果てている。魔法兵器も全弾を撃ち尽くしてしまったようで、それらを海に投げ捨てた。

 シャドウも本体だけしか残っておらず、〔オプション玉〕などは全滅しているようだ。


 膝までの海水に浸かってジリジリと近づいてきている敵アンデッドに、ミンタが冷ややかな視線を投げた。

「突破されちゃったか。要修正ね。反省点を提供してくれて感謝するわよ、アンデッド」

 ミンタは2体の味方シャドウを呼び戻す事もせずに、そのまま1人で敵と対峙している。敵はミンタに襲い掛かるつもりのようだが、周辺に伏兵が潜んでいないかどうか警戒している。


 ミンタとしては特に準備する事はないので、水蒸気が晴れたばかりの光の壁を見上げた。1枚に統合された壁には、もう1体もアンデッドの姿が見えない。全滅したようだ。上空にもゴーストやシャドウといった敵影は見当たらない。

 ミンタ1人で、アンデッドの軍勢1万2000余りを殲滅した事になる。本来であれば、クラーケン族のゾンビ2000体は強力な戦力になるはずなのだが……ミンタには爆発の燃料に過ぎなかったようだ。


 そのミンタが顔を険しくした。

「津波がそのまま残っているわね。機械的な行動だから、これを操っているのは海の精霊かな」

 ミンタの予想通り、波が穏やかになりつつある魚だらけの浜に、次々に海水の人形が水面から登場してきた。海水の〔エレメンタル〕だ。

 先のシャドウからの観測では1000体ほどが遊撃隊として散開していたようだが、その生き残りだろう。ミンタが保護した地魚の体内に潜んでいたようだ。その数、50というところか。大きさはサムカ程度ほどある。


 そのエレメント群が腕らしき部分をミンタに向けた。同時に生き残りリベナントも棒切れを向けてくる。シャドウはいったん後方へ引き下がっていった。


 ミンタが簡易杖を敵軍に向けて、冷や汗を鼻先のヒゲに浮かべる。

「水の精霊場……レブン君が報告していた〔海水化〕攻撃ね」

 ミンタが精霊魔法を詠唱し始める。さすがにこの事態は予想していなかったようだ。作り置きして準備していないので、今になって新規に魔法の術式を用意する必要がある。しかし、圧縮詠唱なので、1分間弱で詠唱が完成して魔法が行使できるようになるが。


 それまでの時間稼ぎをするために、ミンタがさっさと森の中へ向けてジグザグに退却した。波打ち際からすぐに20メートルほど離れる。


 先程までミンタが立っていた場所へ、海水鉄砲が放水されてきた。たちまち白い砂浜が大きな海水の水たまりに変貌する。これには、さすがのミンタも目が点になった。

「うへ……冗談じゃない威力ね。海水にかかったら最期じゃないの」


 新たな放水攻撃が次々にミンタに向けられるが、距離さえ取れれば狐族にとって回避する事は大した作業ではない。ジグザグに後退しながら、海水を避けていく。

 それでも、大きな海水の水たまりが浜辺に次々にできていくので、カチップ管理人に内心で謝るミンタであったが。復旧作業の仕事をさらに増やしてしまっている。



 ちょうど浜辺と、ヤシとタコノキの林との境目まで後退したミンタが、その場に立ち止まる。

 林の中から、妖精3体が顔を出してきた。ミンタが『1キロ以上海から離れていろ』と指示したのに、来てしまったようだ。悪びれる様子もなく、イノシシ型の妖精がミンタに声をかけてくる。

「手伝おうかね?」


 同時に、海に膝まで浸かって待機していた14体のリベナントが、一斉にミンタに向けて突撃してきた。格闘戦で挑むつもりのようだ。それを確認したミンタが、妖精3体に頭を下げた。

「お願いするわ。あのアンデッドをまず片付けてちょうだい。私はまだ呪文詠唱が終わってないのよ」

 妖精3体が一斉に応える。

「心得た」


 それだけで、白い砂を蹴り立てて砂浜を疾駆して襲い掛かってきていた14体の全リベナントが一瞬で爆発して、燃えながら倒れた。数体ほどは海水の水たまりに頭から落ちて、そのまま海水になる。

 シャドウも全個体が飛んで来ていたのだが、これも瞬時に爆発して灰になってしまった。


 生命の精霊魔法を普通にぶつけたのだろうが、凄い威力である。

 砂浜に倒れて燃えて灰になっていく残りのリベナントを、ミンタが力場術を使って海水の水たまりに引っ張って落とし、海水にさせて完全処分する。

「さすが妖精ね」

 褒めるミンタに、挙動不審な不思議な動きをして反応する3体の妖精である。


 その一方で、海面が再び盛り上がって透明なクラゲ型の物体が姿を現した。海水でできた体表面が、嵐の海のように荒れ狂っている。ミンタがジト目で見据えた。

「出てきたわね。アレが海の精霊か。怒っているわねえ。あの状態じゃあ、説得は無理かな」


 その精霊が周囲の海水の〔エレメンタル〕群と共に、放水の一斉攻撃を仕掛けてきた。ミンタと妖精がいる場所を含めた、長径50メートルの楕円形の面積を一気に〔海水化〕させるつもりだ。広域攻撃である。

 これはさすがのミンタでも避けようがない。林の中から顔を出している3体の妖精に、振り返って微笑んだ。

「じゃあ、しばらくの間は頼むわね」


<バシャン!>

 〔防御障壁〕も無効化させた海水が、まともにミンタの全身を直撃した。あっけなく〔海水化〕して、ただの海水の水たまりになってしまった。

 林の木々も楕円形に〔海水化〕して消滅したが、3体の妖精だけは無傷で無事だ。イノシシ型の妖精が横の2体の妖精に告げる。

「仕方あるまい。我々で何とか食い止めよう」


 妖精はそれほど動揺してはいない。というのも、ミンタが張っている高さ40メートルの光の壁は、そびえ立っているままである。津波を押し留め続けている。

 水棲甲虫型の妖精が、棍棒のような巨大な一対の触覚を左右に向けながら了解する。

「あの狐娘の生命の精霊場は健在だ。生き残って、どこかに隠れているのだろう。海水になった奴は、〔分身〕か何かだろうな。我ら妖精をも欺くとは、大した小娘よ」


 クラゲ型の地下水の妖精が、椀状の本体から16本もの触手を出して答える。

「そうだな。本来ならば一獣人の頼み事などを聞く理由はないのだが……彼女には何度か世話になっているからな」

 そうして、触手の先から水を放水し始めた。水はあっという間に霧状になり、3体の妖精を包み込んでいく。


 その霧が、海の精霊や〔エレメント〕群から次々に放水される海水を受け止めて取り込んでいく。霧の量が加速度的に大きくなっていく中で、地下水の妖精が隣の2体の妖精に説明した。

「〔淡水化〕の魔法だ。淡水の霧に変える。塩類などは除外するから砂浜が塩だらけになるが……まあ海岸だし、良かろう。海水を淡水に変えたから、もう砂浜や森が塩水に変わる事はないぞ」


「おお……」と、感心している、草の生えたイノシシと甲虫である。

 しかし、当のクラゲ型の地下水の妖精が数本の触手を微妙にクネクネさせた。砂浜に汚れた雪のように降り積もっていく塩に触れないように、それに合わせて少しずつ自身の〔浮遊〕高度を数センチずつ上げている。

「魔力量の差は決定的なまでに敵の方が大きいな。敵の攻撃は無害化できるが、敵本体への攻撃までは余裕がないぞ」


 水棲甲虫型の妖精がそれを聞いて、触覚を大きく縦に振った。彼もまた降り積もっていく汚れた塩を踏まないように、〔浮遊〕高度を10センチに維持している。

「そうだな。我の力では、海水の〔エレメンタル〕を〔石化〕する事ぐらいだ。精霊本体への攻撃をするには、我が魔力が足りぬ」


 魚の大群の魚影のせいで黒く見えている入り江からは、次々に出来損ないの透明なテルテル坊主型の海水の〔エレメンタル〕が湧き出し続けている。

 それらに対しては、この甲虫型の妖精が〔石化〕して沈めているのだが、毎秒数体の勢いで〔石化〕しても、敵〔エレメンタル〕の数が減っていかない。


 イノシシ型の妖精が背中の草を大きく揺らせて自虐的に笑った。今はハマナス型の葉になっている。

「ミンタさんには妖精大戦争になると大見栄を切ってしまったが……こうして実際に戦ってみると、我らの非力さが否応なく実感できるものだな」

 甲虫型の妖精がイノシシ型の妖精に、冷静な口調で答える。

「これでも森の妖精の中では、それなりに上位なのだがね。海とは相性が悪い。それよりもだな、我ら妖精や精霊は不死だ。戦っても終わりがないぞ」


 クラゲ型の地下水の妖精も同意している。淡水の霧がさらに巨大になり、背後のヤシとタコノキの林や将校避暑施設までも包み込み始めた。一方で入り江の海上には霧が流れていかない。

「海水の精霊は、相当に怒っている様子だな。ほとんど全てが怒り成分だけだから、怒り成分を切り離す手法はとれない。さて、どうするかね」


 イノシシ型の妖精が、40メートルの光の壁を見上げる。

「ここは1つ、ミンタさんの手法を真似てみようかね」


 そう言うが早いか、いきなり海中から岩の壁が8枚顔を出した。岩の壁が互いの位置を調整して、怒り心頭の海水の精霊を包囲する。そのまま、いきなり精霊に向かって突入し、精霊を包み込んだ。


 岩の壁が互いに衝突する轟音が響き、入江の海面が大きく波立つ。そして、数秒後。そこには入り江に不自然なほどの違和感を帯びて立つ、1つの岩の塔が出来上がっていた。

 塔の中からは、台風の大波が岸壁に砕ける時のような爆音に似た轟音がしている。そのおかげで岩の塔を中心として、同心円状に新たな波が生まれていた。


 イノシシ型の妖精が背中の草むらを潮風に揺らせて、口元の一対の牙を噛み合わせる。その口元を少しだけほころばせた。

「……ふむ。一応は閉じ込める事ができたか。大地の精霊の助力も少し借り受けた。白浜を〔海水化〕してくれたおかげで、大地の精霊も怒り始めておったのでな。助力を得やすかったよ」


 同時に、海水の〔エレメンタル〕増殖が止まった。水棲甲虫型の妖精の〔石化〕攻撃で、順調に数を減らし始める。淡水の霧も入江の海上へゆっくりと流れ込み始めていく。〔石化〕した〔エレメンタル〕が、霧に触れて〔淡水化〕して消滅していった。


 イノシシ型の妖精が、入江の中に立つ岩の塔を見ながら頭を回す。

「……このまま封じるしかあるまい。数年も封じれば、怒りも収まるだろう」


 地下水の妖精がクラゲの触手を徐々に本体に収納しながら、同じように椀状のクラゲ本体をクリクリ回転させる。

「尋常ではないほどの怒りだからなあ。この精霊を生み出したのは、当然ながら海の妖精だ。奴の身に、よほどの事が起きたのだろうな。この封じた海水の精霊だが、これほどまでに怒りの成分だけで構成されている精霊は見た事がない。海の妖精から分離されて、攻撃隊の指揮官に仕立て上げたのだろう」


 水棲甲虫型の妖精が棍棒型の一対の触覚をクルクル回して、複眼を日差しに反射させる。

「おかげで攻撃一辺倒の無能な指揮官になってくれたよ。こうした搦め手が効いた」



 ミンタが張っている光の壁の上辺近くまで盛り上がっていた津波が、ようやくその水位を下げ始めた。やはり、この津波は魔法によるものだったようだ。


 水棲甲虫型の妖精が複眼の視線を、津波の向こう側に向ける。その方向にはカチップ管理人の故郷の人魚族の村が、岬下の海中にあるはずだ。今はまだ津波に飲み込まれたままで、岬は水没している。建設中の避難所も海中に沈んでいた。

「そういえば、2つのシャドウも、そろそろ作戦を開始する様子だな。援護するかね?」


 イノシシ型とクラゲ型の妖精がそろって体を震わせる。拒否の反応だ。

「そこまで面倒を見る義理はあるまい。仮にも我々妖精が、アンデッドと協力して事に当たったなどと噂になれば、色々と面倒になる」

 イノシシ型妖精にすぐに同意して、全ての触手を本体椀の中へ収納する地下水の妖精だ。

「そうだな。我らはここまでで良かろう。パリーと同類に見られるのは、少々困る」


 3体の妖精がそう結論づけて、さっさと背後のタコノキとヤシが茂る林の中へ戻っていった。

 〔海水化〕攻撃でかなりの木々が消滅しているが、早くも新たな木の芽や草の芽が大量に芽吹いてきている。海水の水たまりも、今は全て〔淡水化〕されている。

 浜辺に積もっている汚い塩などは、大地の精霊の餌にされていっているようで、どんどんと薄くなっている。塩の結晶なので、大地の属性を帯びているためだ。




【人魚族の村】

 岬の下では、ペルとレブンのシャドウによる作戦が開始されようとしていた。海水の水位がある程度減少した段階で開始されるように、行動術式が組まれてあったらしい。


 今や水位がかなり下がってきているので、人魚の村がある場所の水深も急速に元の状態に戻りつつあった。もちろん、まだ本来の水深である数メートルまでには届いていないが、魔力的に大丈夫と判断されたのだろう。

 一方で、岬の上に建設中だった避難所は基礎がむき出しになっていた。柱や壁などが全て洗い流されていて、瓦礫すら残っていない。津波は岬自体を飲みこんで水没させていたようだ。


 光の壁は残念ながらカチップ管理人の故郷である、この人魚族の村を守るようには配置されていなかった。技術的に光の壁を大きく曲げて張る事が困難だったせいなのだが、ミンタが面倒がったという点もあるだろう。


 そのために人魚族の村は、津波に飲まれている間は水深50メートル弱の海底になっていた。ここまで深くなると太陽光も届きにくくなって、かなり暗くなる。そんな場所はアンデッドにとっては好都合だ。

 今は、津波で発生した大量の泥や土砂が海中に充満しているので、ほとんど泥水のような状況だが。視界もほとんど利かない。


 人魚族の村は、村人が森の避難所へ脱出する際に貴重品が持ち出されて、家や部屋などには厳重に鍵がかけられていた。

 そのために、ゾンビやスケルトン群に海水の〔エレメンタル〕群が押し寄せても、これといった価値のある物は残されていなかった。


 普通の海賊であれば、それであきらめるのであるが……そこは感情がないゾンビやスケルトン、それに〔エレメンタル〕である。当初の予定通りに、家への破壊侵入と略奪物資の捜索を開始していた。泥水の中だというのに律儀なものである。


 ゾンビやスケルトン、〔エレメンタル〕は不器用で、ドアの鍵を開けるような細かい作業はできない。

 そのためアンデッドは手に手に大ハンマーや、ツルハシを持ち、振り回して全てを破壊して回っている。スケルトンは骨の手だし、ゾンビも魚のヒレ状態の手だ。そんな状態で道具を振り回している。腕がちぎれて飛んでいってしまうのは当然だろう。

 海水の〔エレメンタル〕は手がそもそも無いので、体当たりして手当たり次第に〔海水化〕して溶かしている。視界が利かない状況なので、海水の〔エレメンタル〕による『ソナー探知』で家の場所を判断している様子だ。


 もし、何か貴重品があったとしても、これでは破壊されるか、溶けるかされるだけのような気がするが……低級アンデッドとエレメンタルでは、この程度である。



 そんな雑な略奪作業を海中から静かに監視していた、ペルとレブンのシャドウであった。泥水なので可視光線による監視ではなく、単純に敵の魔法場の動きを追っている。

 ステルス性能がゴーストとは違うので、敵に見つかっていない様子だ。実際この2体のシャドウは、シャドウの中でもかなり強力な魔力を有する部類に成長している。特に、死霊術面ではアンコウ型のレブンのシャドウが秀でている。


 そのアンコウ型シャドウの顔の前に、釣竿のように伸びている提灯部分が反応した。同時に、隣の子狐型シャドウも情報を〔共有〕しているので反応する。


 今の海面は岬の上から14メートル下まで下がっていたが、それでもまだ平常時よりはかなり高い。しかも今は、海面を埋め尽くすように大量の木々の残骸が浮かんでいる。


 その泥で真っ黒の海面に、10個の小さな渦が発生した。渦の上空には旋風が起き、どんどん発達して互いに結合し、巨大化していく。海面上の渦も次々に結合して巨大化し、錐のように鋭く海深くまで伸び始めた。


 ペルとレブンのシャドウが移動して、海底へ向かって伸びてくる渦から逃れていく。

 その渦と旋風は、あっという間に人魚族の村まで到達して海水を吹き飛ばし始めた。急速に『陸地化』していく村である。


 村で略奪という名の破壊を機械的に行っていた敵は、この渦と旋風によって吹き飛ばされていく。

 陸地になった海底には、残った少数のゾンビとスケルトンが四つん這いになってしがみついているのが見える。海水の〔エレメンタル〕群も数えるくらいに減り、スライム状になって海底や家の壁に貼りついている。


 それらが一瞬で全てペルの子狐型シャドウによって〔ロックオン〕された。

 渦の外側にいたゾンビやスケルトン、それに海水の〔エレメンタル〕群が、仲間の救援に駆けつけてくる。それらも次々に〔ロックオン〕していくペルの子狐型シャドウだ。



 そして、15秒後。この辺りに展開していた全ての敵が捕捉された。まるで、誘引剤に惹かれて集まってきて、罠にかかった虫とナメクジのような風景になっている。

 2体のシャドウが、声もなく100個以上の〔オプション玉〕を放出し、作戦通りに〔オプション玉〕と本体シャドウから〔闇玉〕を放った。その数は合計で優に1000個を超えている。


『陸地』と化している海底に這ったり貼りついたりしている敵群との距離は、わずか15メートル弱にすぎない。その至近距離からの〔ロックオン〕済み攻撃である。外す方が難しい。

 1秒後。幸運な数体のスケルトンを残して、1000ほどの敵群がかき消された。敵が発していた魔法場も消滅している。

 その残った幸運なスケルトンたちも、次の数秒間で次弾の〔闇玉〕の直撃を受けて、この世から消えた。


 数秒間ほどその場に留まって、状況を〔調査〕していたペルとレブンのシャドウだったが……敵の殲滅を確認できたようだ。またもや機械的に、「スウッ」と音もなく上昇していく。

 同時に風の精霊魔法が終了して、海水が流れ込み始め、人魚族の村が再び海の底に戻っていった。


 しかし、戻る際に海水による酷い濁流の渦が起きたので、ほとんどの家が半壊状態になってしまったが。敵による略奪被害よりも、もしかすると大きいかもしれない。

 乱流で巻き上がった村の家々の破片や家具が、いまだ泥水で真っ黒い海面に浮き上がってくる。残骸の量がさらに増えてしまった。



(……まあ、半壊で済んだから良しとしましょ。シャドウでも、上手くいかないものなのね)

 ミンタが両耳をパタパタさせながら腕組みをしている。尻尾もお腹側に丸まって、腕組みをした両手をパサパサ掃いている。

 両目を閉じて気楽な表情をしているのだが、ここは土中であった。正確にいえば、〔海水化〕したミンタが立っていた砂浜の地下数メートルの場所だ。なので、土中と呼ぶよりは砂中と表現した方が良いのかも知れない。


 もちろん、この目をつぶって腕組みをしているミンタが本人である。〔海水化〕したのは〔分身〕だ。砂浜でカチップ管理人や3体の妖精と会って話をしていた段階から、〔分身〕に任せていた事になる。


 そのミンタであるが、今は何かを延々と詠唱し続けていた。高速圧縮詠唱なので、かなり耳障りな声というか超音波を含んだ音になっている。

(カチップさんの村だけど……確か復旧用のデータが、この施設の魔法場サーバーに保存されていたわよね。じゃあ、後で落ち着いたら〔修復〕の招造術でもかけてあげましょ)


 土中には充分な空気がないので、声にせずに頭の中で思うだけに留めている。ちなみに、ミンタが呼吸するための空気は、〔テレポート〕魔法で随時〔召喚〕している。呼気と吸気を別々に〔テレポート〕させているので、意外に面倒な魔法だが。さらに、土中なので真っ暗だ。そのために両目を閉じている。


 〔防御障壁〕を展開しているので、地下水や泥汚れなどの心配は無用になっていた。ノーム先生がよく使う〔隠遁〕魔法の真似事をしている状態だ。

 ミンタが隠れるための土中空間の確保のために生じた廃土は、適当に入江の中に〔テレポート〕させて捨てていた。これを〔逆探知〕すれば、ミンタのい所が分かっていたはずなのだが……そこは怒り心頭の海水の精霊であったので気づかれなかった。


 仕事を終えて浜辺へ戻ってきたペルとレブンのシャドウ経由で、ミンタが浜辺の現状を映像で確認する。〔空中ディスプレー〕を使わずに、直接頭の中で映像処理しているミンタだ。

(なるほどね。海水の精霊を岩の塔の中に封印したのか。やるじゃないの)


 〔海水化〕攻撃で被害を受けている浜辺や森、それに施設の一部も、シャドウからの映像情報で確認する。ほっと安堵のため息をついて、両耳と鼻先に口元のヒゲの緊張が和らいだ。

(ある程度、復旧作業までしてくれたのね。全体的に見ると、それほど大きな被害は出ていないようだし、さすがね。後で、3体の妖精さんに何か供物を供えに行きましょう)


 実際は、将校避暑施設のあちこちで、爆音や振動による壁の崩落や亀裂の発生が起きていたのだが……そういう点は無視するミンタであった。襲撃前からボロボロで『要建て替え』だったので、かえって都合が良いとも思っている様子だ。



 その時、シャドウからの警報が土中の狭い空間に鳴り渡った。思わず顔をしかめて、両耳を手袋をした両手でしっかりと押さえる。

 すぐに警報が鳴り止んで、脳内に観測情報がウィザード語で表示された。それを見たミンタの表情が、さらに険しくなる。

(げ。敵軍、まだ来るの? 時間差からして、どこかへ攻め込んでいた部隊かしら。数は……5000かあ。まあ、ゾンビとスケルトンだけの構成だし、私だけでも何とかできるわね)


 この海岸地域を侵攻する軍団の、予備部隊のような印象だ。ミンタが守るここだけではなくて、他の港や町にもアンデッド軍が同時に攻め込んでいるのだろう。実際に、隣の港町にも敵が攻め込んでいた。


 この将校避暑施設というか学校避難所が『難攻不落の要塞』という情報は、もちろん今は敵軍にも知られているはずだ。そんな場所へ、『戦力の逐次投入』という愚策は、いくら大ダコでも採用するはずがない。

 実際、この入江に入るギリギリの人数を揃えて部隊化している。あまり大軍を用いても、入江では身動きが取れなくなるだけだ。それでも身動きが取れなくなって、ミンタの光の壁プレス攻撃によって殲滅させられたのだったが。


 再び、自身の〔分身〕の作成を魔法で始めるミンタであったが、その魔法がいきなり途絶えて消えた。それだけでなく、他の魔法も一斉に途絶えて使えなくなってしまった。

 冷や汗をかき始めるミンタ。

(……え? まさか、魔法場サーバーが停止?)


(敵の工作部隊が侵入して、将校施設の地下にある魔法場サーバーを破壊したのか……)と思ったが違った。シャドウに確認させた所、そのような工作兵はいなかった。状況は、もっと深刻な事態だと直感するミンタである。

(帝国内のサーバーは全て、稼働状況の監視と、魔力や処理の融通のために、ネットワーク化されてる。それが攻撃を受けたのかもしれないわね)


 シャドウに命じて、施設地下の魔法場サーバーの内部を調べさせる。シャドウには相当に荷が重い作業だったので、得られた情報も少なかったのだが……おかげで確信するに至った。

(魔法回路に過負荷がかかっていた跡がある。サーバーに誰かが、偽の情報を流して、過負荷になるような魔力を流すように仕向けたのね。それで壊れた)


 ペルがいれば、こうなる前に〔察知〕して何か対処できたのかもしれないが、仕方がないと納得する。ここよりも学校のサーバーを保護する方が、選択肢としては重要だ。

 ミンタ自身は魔法工学を既に修了している身だが、しょせんは教育指導要綱に定められた、ごく基礎的な内容だ。こういった実際のサーバーの維持や修理をした経験が無いミンタでは荷が重い。

 下手に触ると、サーバーの魔法回路に回復不可能な被害が出る恐れもある。(森の中の避難所にいるはずの軍警備隊であれば、どうかな?)と考えるが……すぐに頭上からの轟音と振動によって否定されてしまった。

(光の壁も消滅しちゃったのか。津波が収まって低くなってきていたとはいえ、まだまだ高さが残っていたはずよね)


 大波が砕ける音と、瓦礫が互いにぶつかりながら流れる音、それにヤシやタコノキを始めとした熱帯の森と、将校避暑施設の建物が崩壊する轟音が頭上から響いてきた。ガックリと肩を落とすミンタ。

 今、まさに津波が頭上を通過中だと分かる。満足な〔防御障壁〕を有しない一般の兵では、サーバーの修理どころか津波の被害者に加わってしまうだけだろう。


 シャドウからの続報が頭の中に届いた。

(敵の到着まで、あと30分か……仕方がないな)

 大地の精霊魔法である〔土中の遊泳〕魔法を使って、ミンタが砂浜から顔を出した。やはり海中だ。すぐに〔防御障壁〕を展開して、押し寄せて来る流木や、将校施設由来の瓦礫の直撃から自身を守る。


 そのまま海上へ浮かび上がって、さらに空中数メートルの高さまで〔浮遊〕魔術で浮き上がる。金色の毛が交じる両耳と尻尾が、日差しを反射してキラキラと輝くが……元気はない。

「やられた……」


 ミンタの眼下には、真っ黒い濁流となった泥混じりの海水が渦巻く海面が広がっていた。

 幸いに、津波の高さは5メートル程度にまで下がっていたようだが、それでもヤシとタコノキの林と将校避暑施設が海に飲みこまれていた。さらに奥の熱帯の森にも津波が及んでいる。


 津波の高さは、将校避暑施設のある場所で4メートルというところだろうか。地上1階部分は全て水没し、さらに2階部分もほぼ水没している。何とか天井が見えるかどうかという程度だ。場所によっては3階部分も床上浸水を受けている様子である。

 窓ガラスや扉に看板などは全て、津波の水圧と瓦礫の突入によって破壊されていた。建物内部の家具や事務備品に室内用の植栽なども、マングローブの木々の残骸に混入して、ただの瓦礫の一部になってしまっている。

 建物自体も浜辺に近い物は倒壊したり、バランスを失って転覆して、瓦礫の増産に一役買っている。


 今は自身の魔力しか使えない状況なので、比較的安定している3階建ての建物の屋上へ降り立った。

「生徒の避難所としては、もう使えないわね」

 そして、熱帯の森の奥へ視線を向けて、少し安堵する。

「森の奥に避難所を新しく設けておいて正解だったわね。この水位だったら、避難所までは届かないはず」


 視線を再び将校の避暑施設に戻す。

 地下の魔法場サーバーがある場所も、完全に水没してしまっている。地下へ降りる扉が、階段ごと瓦礫に破壊されて大穴が開いていた。そこへ向けて海水が大量に流れ込んでいる。今頃は真っ黒い泥の中に埋まっている頃だろう。

 ……と思っていたのだが、ミンタの簡易杖に、地下の魔法場サーバーからの反応ビーコンが返ってきた。驚きながらもほっとするミンタである。もう一度シャドウを送って詳しい状況を調べる。


 その調査結果がすぐに送られてきたのを、手元の小さな〔空中ディスプレー〕画面で確認する。伏せ気味だった両耳と尻尾が、やや上向きになってきた。

「緊急用の魔力パックがあったのね。助かった。でも、瓦礫の衝突程度で大破する階段って、どうなのよ。そういう事は、前もって私に知らせてくれないと困るじゃないの」


 欠陥工事を恨んで、マライタ先生の配慮に感謝する。現状は、サーバーを保護する〔防御障壁〕が展開されていて、流れ込んでくる泥まみれの海水と瓦礫を押し留めているようだ。

 魔力パックの残量を確認してから、できるだけ長時間〔防御障壁〕を維持できるように、余計な魔法を全て終了させる。ようやくミンタの両耳が元気にパタパタ動いた。

「……これで24時間の〔防御障壁〕連続稼働ができるわね。後で、サーバーを地下室じゃなくて地上3階辺りに移動してもらうように提案しておくか」


 制服のポケットから〔結界ビン〕を取り出して、フタを開け、中から強化杖を取り出す。それの柄で肩と背中を「ポンポン」叩く。

「とりあえず、サーバーが復旧するまでの間、潜在的な危険を排除しておくのが良いわよね」


 急速に引き始めている津波のせいで、今度は海側に大量の瓦礫が流出していく様子を眺める。その瓦礫で埋まりつつある入江には、岩製の塔が立っていた。まだ爆音を中から響かせている。



 ミンタが立っている施設の屋上に、3体の妖精が津波の上を滑りながらやって来た。波間に浮かんでひしめいている大小様々な瓦礫の上に器用に乗って、ボートのように操舵している。

 イノシシ型の妖精が背中の草を揺らしてミンタに合図した。ヒルガオのようなツル性の葉に変わっている。

「ミンタさん、やはり無事だったか。済まないね。頼まれたのだが、この有様だ」

 ミンタが強化杖を肩に担いだまま、振り返って微笑んだ。

「私が油断して、〔海水化〕されたのが悪かったのです。謝る事はありませんよ、妖精様」


 そして、屋上へ跳び移った3体の妖精に、魔法場サーバーが機能停止してしまった事、それによって光の壁が消失して津波が押し寄せた事などを説明した。

 妖精からは、森の中の避難所が無事だという知らせを受けるミンタだ。内陸深い場所にあるので、この程度の津波では到達できないようで安心する。大地や森の精霊や妖精の支配地でもあるので、海水の精霊がいくら怒っていても限界がある。


「まあ、今の軍や警察は役に立たないものね。上層部が変わるだけで『こんなに』弱体化するなんて、想像もしていなかったわ。リーパットを見ていれば予測できたのに、自身の間抜けさに腹が立つ」


 この事態は、政権中枢部の派閥だったペルヘンティアン家のバントゥ党がテロリスト化して、それが元でペルヘンティアン家が没落した事が切っ掛けだ。

 その混乱の中でブルジュアン家が勃興して、今の有様になっている。今は、そのブルジュアン家も失敗続きで力を失って、宰相派に実権が集中しているようであるが。


 政治の世界の争いなので、地方商家のミンタは関心を持たなかったのだが……それが災いして、彼女の故郷の街が更地に近いほどの廃墟になってしまった。それでも、家族や親戚は無事だ。家や財産の多くを失ったが、今は復興特需に乗って大忙しだという知らせを親から受けている。

 このドライな割り切り方は、やはり商人の性質なのだろう。ミンタの性格にも相当に影響を及ぼしている。


 3体の妖精に、新たな敵軍5000が25分後に攻め込んでくると知らせる。今のところは敵の中に妖精や精霊は含まれていない事も知らせた。

 さすがに色めき立つ妖精たちだ。イノシシ型の妖精が、背中のツル草を逆立てて揺らしながら叫ぶような大声で吼えた。

「今度は、容赦せぬぞ。ミンタさんには悪いが、我らの我慢も限界だ。見つけ次第、〔妖精化〕して消し去る」

 次いで水棲甲虫型の妖精も、一対の巨大な触覚をグルグル振り回して複眼と単眼をギラギラと光らせる。

「うむ。森が内陸2、3キロまで浸食破壊されたからな。こうまでされて黙っていては、他の森の妖精から笑い者にされる」

 最後にクラゲ型の地下水の妖精が、数本の触手を本体の半透明な椀からのぞかせて上下に伸縮した。

「これほどの海水汚染を受けてしまってはな。地下水への海水混入も深刻になるだろう。もう、許す事はできぬよ。ミンタ嬢」


 ミンタがあっけなく同意した。尻尾が優雅に振られて日差しを反射する。

「分かりました。今度は私が、妖精のあなたたちを支援する番です。それでですね……」

 ミンタが長い強化杖の先で、瓦礫で埋まった真っ黒い海の只中に立つ、海水の精霊が閉じ込められている岩の塔を指した。

「あの精霊が邪魔なので、排除します。排除先は木星ですが、それで構いませんか?」


 木星と聞いてキョトンとなる3体の妖精。数秒間ほど動きが止まった。ややあって、クラゲ型の地下水の妖精が動きを再開して、ミンタに同意する。

「……地球の外へ追放するのかね。ふむ。我は構わぬよ。あの海水の精霊は、恐らくは海の妖精から分離した怒り成分で構成されている。怒りが鎮まるまでには、数年単位の封印時間が必要だ。我らと同じく不死であるから〔石化〕や〔樹脂化〕などで対処しようかと皆で相談していたのだが……そうかね」

 水棲甲虫型の妖精が触覚をフルフルと震わせた。

「我も構わぬ。封印したらしたで、管理が面倒なのでな。地球の外へ追放できるなら、我らの負担も無くなる。海水は、我の依代となっている昆虫にとって有害な物だ。反対する理由は何もない」

 イノシシ型の妖精が一対の牙を噛み鳴らして最後に告げた。

「我らの総意は決まったな。ミンタさんの案に賛同するよ。しかし、自我のない精霊とはいえ、不憫なものだな」


 ミンタが強化杖の先についているダイヤ結晶を青く輝かせ始めた。術式を土中に潜んでいる間に用意したらしい。

「了解を得られて感謝します。さて、木星の風の精霊場がこれより発生します。地球の精霊場とは違うので、一応、用心のために距離をとって離れて下さい」



 ミンタに言われるままに、3体の妖精が施設の屋上から跳んで海面の上に避難した。海上を漂流している、熱帯の木々の残骸の上空に浮かんでいる。津波がどんどん収まってきていて、沖に流れ出ていく瓦礫がちょっとした陸地のようにも見える。3体の妖精もその瓦礫の島の上に浮かんでいるので、一緒に沖合へ流れていく。


 ミンタがその3体の妖精たちの距離を目測で測って、彼女と岩の塔からそれぞれ300メートルほど離れたのを確認した。この距離であれば、異質な木星の風の魔法場が発生しても、ひどい衝突は起きないだろう。

 強化杖を高く掲げて、ダイヤ結晶の輝きを強めていく。

「では、〔テレポート〕魔法を発動っ」


 強化杖の柄の中に組み込まれている魔法回路に、強力な魔力が流れた。さすがに今はミンタが個人で有している魔力だけを使っているので、相当な負荷がかかっているようだ。

 よろめいて、ペタンと座り込んでしまった。それでも、魔法の手袋をした両手でしっかりと強化杖を握り支えている。


 やがて、300メートル先の瓦礫渦巻く真っ黒い海に立つ、岩の塔の頂上に巨大な〔テレポート〕魔法陣が発生した。それがゆっくりと下降を始めて、塔を飲み込んでいく。

 塔が頂上部から毎秒50センチ弱の速度で、〔テレポート〕魔法陣の中に飲み込まれて消えていく。しかし……それが途中で引っかかったようになって停止した。

 ミンタが座り込んだままでジト目になる。

「くう……さすがは、海水の精霊ね。前回の森の妖精とは桁違いだわ」


 どうやら、塔の中の精霊が〔テレポート〕に対して抵抗しているようだ。今は、ミンタの魔力は全て自前なので、長時間の魔法の使用には限界がある。1分間ほど、色々と対策を講じていたミンタであったが、冷や汗を鼻先のヒゲから飛ばし始めた。

「……うひゃ。どうしよう。私の方が先に魔力切れを起こしそう」


 この状態でミンタの魔力が切れると、岩の塔の上半分だけが〔テレポート〕されてしまう事になる。下半分は残ったままだ。怒り狂っている海水の精霊は、この下半分にいる。岩の塔から飛び出して、再び大暴れをし始めるだろう。それは同時に40メートル級の魔法の津波が再来する事を意味する。


「うう……困った。妖精様っ、申し訳ありません。もう一度、封印をして下さいますか? 私では、木星へ飛ばすだけの魔力が不足しています」

 調子に乗って、光の壁などの大魔法をポンポン連発した負荷が、今になって効いてきた。レブンのシャドウから、容赦のないツッコミを食らうミンタである。

「あの魚、あとでぶっ飛ばす」


 3体の妖精からの返事は通常音声だったので、なかなか聞き取れなかったのだが……あまり期待できない内容のようだ。彼らがいる場所が、今は海上である。精霊場の関係上、敵の勢力圏にいるようなものなので、発揮できる魔力が制限されてしまう。

 その事に気がついて、さらに険しい表情になるミンタ。

「シャドウを使って……ダメか。さっきの岬の攻撃で所有している魔力が切れてる。うう、どうしよう」


 森の中の避難所で震えている軍と警察部隊から、魔力パックを全量強引に奪ってみるという考えも浮かぶ。

「却下ね。この海水の精霊をそれで押さえつける保証はないし、後から攻めてくる5000の敵軍に対して丸腰になる」

 急いで考えを色々と巡らせるミンタであったが、数秒後、軽くため息を1つついた。

「……失敗ね。ここを放棄して避難所へ飛んで、一緒にどこかへ逃げるしかないか」


 強化杖のダイヤ結晶の光を弱めようとした時、岩の塔の上部で引っかかっているままの〔テレポート〕魔法陣から声がした。

「お困りのようだね、ミンタさん」

 ミンタがジト目になって声の主に答える。こちらも通常音声だ。

「どうも。雲用務員さん。アンタに供物を捧げようとしたんだけど、ちょっと大きすぎたわ」


 雲用務員から呆れたような口調で返事が返ってきた。まだ姿は見えない。

「我はゴミ捨て場ではないのだがね。まあ良い。我も海の精霊は取り込みたいと常々考えていたところでね。供物を受け取ろう」

 そういい終わると、〔テレポート〕魔法陣がパンケーキが膨らんでいくように分厚くなって膨張した。それを見たミンタが、「あ」と小さく驚く。

「そうか。立体物を〔テレポート〕させるんだから、〔テレポート〕魔法陣も立体化すれば良かったんだ。うわ……何という見落とし」


 含み笑いをしたような口調で、〔テレポート〕魔法陣の中から雲用務員の声が続く。

「我がこの〔テレポート〕魔法陣を習得したのは、君が通う学校の授業だったがね。宇宙空間では基本的に三次元で考えるものだ。穴も然り、『立体の穴』になる。〔テレポート〕はワームホールと同じく空間と空間を連結する穴だからね。こうして立体化すると都合が良いのだよ」


 確かに、これほどの〔テレポート〕魔法なのだが、全く因果律崩壊の兆しは現れていない。ジト目ながらも、素直に感心しているミンタの表情を見ているのか、雲用務員の声が明るくなった。

「では、供物をいただくとしよう。返還は一切受け付けないので、そのつもりでな」


 海上の瓦礫の上に浮かんでいる3体の妖精にも告げたのだろうか。妖精たちは木星の風の妖精の魔力に恐怖している様子で、ただ黙ってうなずいている。


 それは、感情がない精霊であるはずの、岩塔に閉じ込められている敵精霊にも影響が出たようだ。突如、塔の内部から発している、波による轟音の音圧が一桁ほど大きくなった。

 塔にヒビが走り始めて、岩片が剥離して海面に落下していく。塔周辺の海面も激しく波立ち始めた。超音波も含まれているのか、塔周辺を漂流している木々の残骸が、《ビリビリ》と激しく振動し始めている。中には自然発火を起こす残骸も出始めた。


 そんな最後の抵抗を全く気に留める事もなく、上空のパンケーキ状に立体化した〔テレポート〕魔法陣から、トカゲの口が現れた。

 その特徴ある口を一目見て、思い出すミンタ。(供物に出した森の妖精だ、これ)


 〔テレポート〕魔法陣は、今や直径が20メートルに達しているのだが、その直径一杯に巨大なトカゲの口が出現した。その口が大きく開かれると、ズラリとノコギリの刃のような歯がむき出しになり……

「がぶり」

 高さ10メートルまでに低くなっていた岩の塔が食われた。


 一瞬で高さ数メートルにまで低くなった岩の塔からは、海水の精霊の一部が海水をトカゲの口に目がけて放水しているのが見える。〔海水化〕攻撃だ。しかし、全く効果は出ていないようである。


 岩の塔を咀嚼し、飲み込んだトカゲの口が、再び魔法陣から大きくせり出してきた。

 海水の精霊が、全力で〔海水化〕攻撃を放って迎撃する。しかし、その海水ごとトカゲに飲み込まれてしまった。トカゲの口は更に伸びて海中に突っ込み、なおも岩の塔とその周囲の全ての物を貪っている。

 海水も、瓦礫も、運悪く気絶して浮かんでいる地魚の群れも、そして恐らく空気さえも一飲みにして、トカゲの口が〔テレポート〕魔法陣の中へ戻っていった。


 かなりドン引きな表情のミンタに、〔テレポート〕魔法陣の中から再び雲用務員の声がした。

「美味しくいただいたよ、ミンタさん。もう1口、2口欲しいところだけど、『化け狐』に見つかってしまった。という事で、我は木星へ戻るよ。ではまた授業で会おう」


 その嫌味なほどに明るく朗らかな声に、ミンタがジト目のままでため息をつく。

「また、面倒な奴らを呼び寄せたわね。でも、ありがとう。感謝するわ。では、また学校か木星で会いましょう」

「ははは……」と、好青年のような笑い声を残して、雲用務員の声と魔法場が消え、同時に立体型の〔テレポート〕魔法陣も消滅した。



 沖合いへ向かって流されている瓦礫の上に乗っている3体の妖精に、ミンタが手招きする。

「もういいわよ。戻ってきなさい。そのままじゃ、沖に流されてしまうわよ」

「お、おお……」と、慌てて瓦礫を簡易救命ボートのようにして、それを操って岸へ向かい始める3体の妖精だ。ミンタが強化杖を向けて、水の精霊魔法を使って救命ボートもどきの船速を上げてやる。

 海上を沖に向けて流れていく大量の瓦礫の山に容赦なく衝突するが、3体の妖精はご機嫌の様子である。歓声を上げてはしゃいでいる。


 ミンタが上空を見上げると、小さな『化け狐』の群れがいくつか旋回しているのが見えた。とりあえず、ペルとレブンのシャドウを呼び寄せて、〔結界ビン〕の中に収納する。


 次いで、森の中の避難所にいるカチップ管理人に連絡を取る。そこで、津波被害を受けた事を謝る。それについてはカチップ管理人も予想していたようだ。反対にミンタが慰められた。

 今のところは負傷者ゼロという事で安堵する。しかし、「次は分からない」と告げるミンタだ。

「敵の到着まで、残り20分を切ったのよ……それまでに、魔法場サーバーが復旧すれば良いけど。間に合わなかったら、さっさと退却するしかないわね。退却の準備は整えてあるとおもうけれど、再確認しておいてね、カチップさん」


 サーバーが自己防衛の〔防御障壁〕維持だけを行っているので、他の一切のウィザード魔法が使えない状況だ。

 幻導術も使えないので、代わりにソーサラー魔術の〔通話〕魔術を使っている。しかし、カチップ管理人には魔力がないので、ミンタが負担している。現状では魔力の節約が優先なので、音声だけの電話のような通信になっていた。


 そのミンタの手元にある小さな〔空中ディスプレー〕から、カチップ管理人の不安そうな声が届く。

「ミンタさん、退却準備は整えてあります。しかし、こちらの警備兵を応援に回さなくても、本当に良いのですか?」

 ミンタが鼻先のヒゲをピョコピョコさせた。ただし、口調は変えていない。

「敵は死体のアンデッドなのよね。陸上では長距離移動ができないのよ。多分、その避難所まで辿り着けないはず。なので、無理に戦う必要ないわよ」


 カチップ管理人との簡単な通信を終えて、一息つくミンタである。津波はすっかり引いて、今は平常の水位に戻っていた。ただ、瓦礫はそこら中に散乱していて、泥だらけだが。

「魔法場サーバーが、時間内に復旧してくれると良いけれどな」


 そして、まだ瓦礫だらけの入江で、救命ボートもどきをモーターボートのように操って、嬉々としてクルージングして遊んでいる3体の妖精に目を向ける。

「まったく……でも、もし魔法場サーバーの復旧が間に合わなかったら、彼らから直接魔力を供給してもらうしかないわね。暴走しそうで、やりたくないけど」


 エルフ先生ですらパリーの魔力供給で暴走しているくらいだ。ミンタでも間違いなく暴走するだろう。


 次第に入江の沖合いから、死霊術場の気配が強まってくるのを感じる。やはりアンデッドだけで、海水の精霊は混じっていないようだ。ほっとしつつも、苦笑するミンタである。

 ほとんど、死霊術使い並みのアンデッド〔察知〕能力を身に着けてしまっている。普通の魔法使いや法術使いでは、ここまでには至らない。

 敵のゴーストやシャドウまで区分けして〔察知〕できている事実に、内心で驚いているミンタであった。普通は、そのステルス性能のために、かなり接近しないと〔察知〕できないものなのだが。

「テシュブ先生の授業に出ていて良かった。って事なのかな、これって……」




【ラヤンの故郷】

 ミンタが守っている将校施設の地下に設けられていた魔法場サーバーの稼働停止は、タカパ帝国の全土で発生していた。

 学校のサーバーも停止しているという連絡を、ペルから音声だけの〔通話〕魔術で聞くムンキンとラヤンである。ムンキンとラヤンは、すでにそれぞれの故郷の自治軍に合流していた。


 ラヤンが彼女の故郷の城塞都市の中を歩いて、観測と通信用のソーサラー魔術刻印をペタペタ貼りつけて回っている。

「まったく、この忙しい時に。サーバー全滅って素敵な知らせね、まったく」

 尻尾を辺り構わずに《バンバン》叩きつけながら、それでも斜めに貼りつけたりはしていない。その辺りの真面目さはラヤンらしい。

「それで、ペル。学校のサーバーは緊急停止しただけなのね。爆発とかしていないわよね」


 サーバーが機能していないので、ミンタがした方法で音声通話だけのやり取りをしている。映像や画像資料などは送信できない仕様だ。そのペルからの声は、先程から謝ってばかりだった。

「安全装置が作動して、最悪の事態だけは回避できています。ごめんなさい。学校のサーバーまで攻撃を受けてしまうなんて……魔法工学を学んでいるのに恥ずかしいです」


 さすがにムンキンからの通話がイライラした声になった。

「ウジウジうるせえ。謝る時間があったら、さっさと学校のサーバーを直せよ、根暗狐っ」


 ラヤンも相当にイライラしているようだ。さらに10枚の魔術刻印をドアや窓に貼りつけて、尻尾を《バシン》と石畳の廊下の床に叩きつける。

 それでも、すぐに落ち着いたようだ。音声だけの通話しかできない〔空中ディスプレー〕画面に向かって、ペルを励ます。

「そうよ。そこにドワーフの酒樽先生もいるんでしょ。魔法工学の専門生徒と一緒に頑張りなさい。弱音を吐くのは、サーバーが直ってからよ」


 いきなりペルからの〔通話〕魔術に雑音が混じり始めた。

 しかし、よく聞いてみると一緒にいるドワーフのマライタ先生の怒声のようである。魔法工学専門クラスの生徒たちも揃っているようで、彼らも一斉に怒り始めたらしい。その声が一塊になって、聞き取りにくくなり、雑音と化したのだろう。

 慌てた口調でペルがマライタ先生に冷静になるように言っているようだったが……すぐに通話口へ戻ってきた。

「あ、あんまり過激な事はいわないでね。サーバーの回路が大変な事になってて、皆、気が立っているの」


「知るかよ、そんな事」

 一刀両断にペルの弁解を切り捨てるムンキンであった。ムンキン側も戦闘準備の最終段階になっていて、相当に騒がしい。


 それは、ラヤンの故郷の城塞都市でも同様だ。廊下を10名単位で竜族の自治軍兵士が駆けまわっている。ラヤンがジト目のままで自治軍兵士に道を譲り、さらに5枚の魔術刻印を廊下に貼りつける。

「まあ、私たち竜族の街には、『伝統的に』帝国からの支援なんて来ないのよ。だから、サーバーが復旧しても、大して変わらないわよ。安心して直しなさい」


「ええ~……」と、絶句気味に文句を垂れているペル。それを口元を少し緩めて聞いていたラヤンであったが、それもサイレンの音が鳴り響いた事で終了した。

「津波が到着する知らせね。うわ……やっぱり、津波に混じってゾンビやスケルトンどもが川を遡上しているわ。酷い光景ね、まったく」


 ムンキンがすぐに応答する。

「こっちは、まだ少し時間があるようだな。予想到着時間は10分後だそうだ。まあ、魔法で作り出した津波だから、本物の津波と比べると色々と貧弱って事だろうさ」

 そして、口調を改めた。

「じゃあ、ラヤン先輩。健闘を祈る」

 ラヤンが不敵な笑みを浮かべて返答する。

「法術の威力を見せてあげるわよ。じゃあ、ペルもサーバー修理、頑張りなさいね」


 ムンキンとペルからの返事を待たずに、一方的に〔通話〕魔術を終了する。これからは、魔力量の勝負になるので、必要ではない魔法や魔術は全て切る必要がある。

 念のために、マルマー先生と、故郷へ戻っているスンティカン級長に連絡を試みる。しかし、手元の〔空中ディスプレー〕画面は砂嵐状態のままだった。


「ふう……」と一息、大きく息をしたラヤンが「キッ」と顔を上げた。急いで〔テレポート〕して帰省したので、まだ学校の制服姿のままだ。

 頭のウロコが室内灯の光を反射して、金属的な赤橙色の光沢を放った。ついでに1回だけ尻尾で石畳の床を叩く。

「魔法場サーバーが設置される予定だったけど、かえって良かったのかもしれないわね。私も、こうして法術用の法力を詰めた〔結界ビン〕を100個用意している訳だし。さて、私なりに最善を尽くしますか」


 マルマー先生らによる布教が進んでいないので、ラヤンの故郷の街では真教の信者は10人ほどしかいない。これでは信者の信仰エネルギーを集めて法力に〔変換〕しても微々たるものだ。

「学校で、あれほど布教しておきながら……肝心の街での布教をしていなかった報いよね、これって」


 強化杖を〔結界ビン〕から取り出そうとして、ちょっと考えてから止める。簡易杖を右手で持って何回か素振りする。魔力の節約という面では、簡易杖の方が都合が良い。

「コレで頑張るか。そろそろ配属先に戻らないといけないわね」

 魔術刻印を貼る作業を止めたラヤンが、軽く首と肩を回した。


 敵襲を知らせるサイレンが鳴り止み、『総員が所定の部署に配置された』という知らせが、次々に手元の〔空中ディスプレー〕画面に表示されていく。

 ラヤンの街では、残念ながら魔法を使える者はいない。そのために自治軍の兵や、街の住民には魔法具の通信器が配布されていた。機能面では、いつもラヤンたちが使っている〔空中ディスプレー〕よりも相当に簡略化されたものだが、音声映像や画像の通信面では何ら支障はない。魔力の送受信ができないだけだ。しかし、これも長時間の使用はできないだろう。


 ラヤンも帰省してすぐに、自治軍の補給部から受け取っている。それを使用しながら、自身が放った紙製の〔式神〕10体と、6個の〔オプション玉〕からの観測情報を自動処理していた。レブンと同じく、処理した画像情報を自治軍本部へ送信している。


 ラヤンが指定された配属先は、緊急治療室であった。野戦病院の手術室の事務スタッフの1人である。そのため、学校の制服姿のままで、白衣や医療用の作業服などは着ていない。今は負傷者は誰も来ていないので静かなものだ。

 ラヤン自身には外科手術の知識はない。さらに医師資格や看護師資格もない。まあ、これもマルマー先生の怠慢のせいなのだが。

 従って今のラヤンの立場は、直接の医療行為ができない事務スタッフ扱いになっている。小間使いのようなものだ。


 現状では、この緊急治療室を含めた野戦病院の各所に、〔式神〕や〔オプション玉〕からの戦況情報を随時知らせるというものに留まる。自治軍本部へも知らせるように命令されていたので、1回線をそれに当てている。

(以前の自警団組織だったら、まだ自由に動く事ができたんだけどねえ……さすがに、自治軍に昇格すると無理か)


 しかし野戦病院長からは、手が回らなくなった場合に限り、法術を使用しての医療行為を独断で行う許可を得ている。もちろん、野戦病院長からの直接の許可を得る必要があるが。

 まだまだ獣人世界では魔法に対する信頼が乏しい。特にこうした人命に関わる場面では、医師や看護師を中心にして拒否反応が強い。それでもこうしてラヤンが配置されて、条件付きでの医療行為の許可を得ているのは、これまでの活躍のおかげだろう。


 さらに野戦病院長の指示で、ラヤンは医師や看護師、事務員に作業員の生体情報を保管している。彼らも長時間の激務で、精神的に参ってしまう恐れがある。その精神面での法術〔治療〕のためだ。

(まあ、そんな事態にならないように祈るわ。死者の〔蘇生〕や〔復活〕についても、サーバーの不備で出来ないのが痛いわね)


 つまり、ここの戦場では『死んだらそれっきり』という事だ。法力場サーバーが機能していないので、ラヤンも例外ではない。

 一応、学校のサーバーに彼女自身の生体情報と、組織サンプルは保管しているので、彼女だけは学校で〔蘇生〕や〔復活〕できる。しかし、生体情報の記録日時が『ここへ向かう前』なので、〔蘇生〕は別として〔復活〕したとしても、ここでの戦闘の記憶は失われる事になる。


 ラヤンが〔結界ビン〕の1つをポケットから取り出して、中を確認する。込められている法力は白色光を帯びている。〔テレポート〕の影響は出ていないようだ。

(私の法力がもっと強ければ、これを臨時サーバーに仕立てる事もできたんだろうけれどね。ま、出来ない事は仕方がないわ)



 外からの重低音を含んだ地響きが強くなってきた。緊急治療室は野戦病院の中にあるのだが、床が《ビリビリ》と震えている。

 ラヤンの〔式神〕と〔オプション玉〕群が撮影している城塞都市の周囲の映像では、真っ黒い津波が見えてきた。さすがに内陸なので、津波の高さは2メートル程度のようだ。レブンやミンタからの情報を基に考えると、高くなってもせいぜい数メートルに留まるだろう。

 しかし、それでも充分に壊滅的な被害を、城塞都市周辺の養殖場や田畑に与える事になる。


 泥を含んだ真っ黒い津波は、時速20キロ程度の速度で河川を逆流してやって来ていた。下流を破壊した際に得た大量の瓦礫が、津波の先頭部分で山のように積み上がり、津波と一緒にこちらへ向かっている。

 途中の家屋や小屋、林などが、この瓦礫混じりの津波に破壊されて、盛大に土煙を吐き出している。まるで火災でも起きているかのようだ。


 その瓦礫の上や水中には、大量のゾンビやスケルトンの姿が見え隠れしている。

 さすがにラヤンは見慣れてきているが、他の医者や看護師、それに事務スタッフの間から悲鳴が巻き上がった。外で迎撃態勢を終えている自治軍の兵からも、どよめきが広がっている。


「……そうよね。普通は、こういう反応をするものなのよね。慣れって怖いわ」

 ラヤンが少し自己嫌悪に陥りながら、簡易杖を掲げた。城塞都市の中の大雑把な精神状態を調査する。1人1人の精神状態を調べる事はラヤンの能力では無理だが、城塞都市の区画単位での全体的な動向は分かる。

「やっぱり、最前線の部隊に動揺が広がっているわね」


 ラヤンが〔念話〕で野戦病院長に進言して、精神安定の法術をかける許可をもらう。早め早めに対処すれば大きな法術を使う事にならないので、法力の節約にもなるのだ。

 パニックは伝染しやすいので、最前線の兵が混乱してしまうのは、後方の部隊に対しても良くない。


 許可を得たラヤンが、ちょっと席を外して緊急治療室の物陰に入る。そこで〔結界ビン〕を1つ開封して、その法力で簡易杖に準備した法術の術式を走らせた。

 城壁の外を飛行して観測を続けていた〔式神〕の群れの一部が、それに呼応して、城壁の外縁部に展開している自治軍の最前線部隊に向かう。警戒させないために一時的なステルス状態になった〔式神〕群が、兵の首筋に直接触れて法術を流し込み始めた。


 最前線の兵はフルフェイスの軍用ヘルメットを頭に被り、全身を防護服と防護アーマー、さらに衝撃吸収と動作補助のための外部骨格魔法具で体を包んでいる。

 そのために肌の露出部分は全くないのだが、首元には兵の生命状態バイタルを観測して自治軍本部へ送信する部品がある。法術なので、ここから接触する事ができる。

 裏を返せば、法術を兵器として使用することも容易という訳にもなるのだが……今はその事については考えないようにするラヤンである。


 1人の兵に対しては、ほんの1秒ほどの接触で施術を完了していく。最前線の兵士数は100名なので、2分弱で処方が終わった。

 この兵士たちがいる区画の精神状況が平常に戻っていくのを確認して、それを野戦病院長と自治軍本部へ報告する。返信はこないが、とりあえず安堵するラヤン。

 〔式神〕を再び城壁周辺の観測に復帰させて、すぐに事務スタッフが詰めている緊急治療室の一角にある彼女の席へ戻る。


 事務仕事も、ここ緊急治療室の空き状況をリアルタイムで城塞都市各所へ伝えなくてはいけないので、なかなかに忙しい。

 今は外部からの送電も津波による破壊で止まっているので、城塞都市の地下にある巨大な自家発電ユニットを回している。


 マライタ先生の授業でもあったように、電気は供給量と需要量とが常時ほぼ一致する必要がある。過不足になると、即、送電システムが崩壊して城塞都市全体が停電してしまう。

 ここ緊急治療室では、今は電力需要はほぼ無い。しかし、いったん負傷者が運び込まれると需要量が一気に跳ね上がる。これは発電側にとっては厄介そのものだ。

 そのため、少なくとも1分先の緊急治療室の電力需要量を、送電側の部署に伝えておく必要がある。その担当がラヤンも加わっている事務スタッフだ。


「ペルみたいに……私も魔法工学をもっと真面目に勉強しないといけないわね」

 刻々と変化する需要と供給量と、その予測の表示を、ラヤンが目の前の備えつけのディスプレー画面で確認しながら、彼女の担当医療班の電力消費量と予測を目で追っていく。


 このシステムは実はかなり自動化されていて、人工知能に任せる部分も多い。

 しかし、医者と看護師のわがままや思いつきによる行動までは機械では予測できない。そういった無理難題に対処するために事務スタッフが配置されているといっても過言ではないだろう。


 現にラヤンも、担当する緊急医療班の「アレが足らない」、「コレを用意しろ」、「コノ予備はどうなってる」、などなどのイジメにも似た要求に、ジト目になりながら対応している。

(……って、まだ負傷者も来ていないのに、この要求は無いわよね、まったく)


 自警団の時は、こういった組織的な医療体制は構築されていなかった。そのために、相当数の死者が出てしまった。その反省から、今回こうしてマトモな医療部隊が編制されたのだが……実務経験が乏しいので右往左往している印象だ。



 そうこうしている間に、《ドドン……》という地震にも似た揺れが緊急治療室に届いた。同時に木々が引き裂かれる音、岩などが城壁に衝突する音が城塞都市内に響き始める。

「来たわね」

 緊急治療室の各所にある、外の様子を映像で映し続けているディスプレー画面をラヤンが一目見る。

 津波が城壁に衝突して、盛大に真っ黒い波しぶきを上げて渦巻いていた。土煙も相当に立ち昇っているようで、視界が100メートルほどしか利かない。


 〔式神〕の1体からの報告で、城壁に数か所設けられている城門からの津波の浸水は起きていないか、起きていても軽微な状況に留まっていると知る。それを自治軍本部へ転送して、軽くうなずくラヤンだ。

(よし。城壁の防水処理は上手くいったようね)


 元々、竜族は河川の氾濫域に伝統的に住んでいる種族だ。洪水には比較的慣れている。そのため、城壁や城門に洪水対策を施してあるのは常識の範囲になる。

 今回は更に威力が高い津波だったので、ラヤンも少し気がかりだったのだが……特に問題は生じていないようだ。


 城門には流木や瓦礫に混じって、大量のアンデッドも押し寄せてきていた。

 渦巻く水中なのだが、大きなハンマーや流木を振り回して、城門を破壊しようと叩き続けている。かなり強力な打撃のようで、ラヤンがいる緊急治療室まで音が届いてくるほどだ。


 〔式神〕や〔オプション玉〕からの映像では、振り回し過ぎてアンデッドの腕がちぎれて飛んでしまっているようだが……そのちぎれた腕を、別のゾンビやスケルトンが拾って自身の体に突き刺している。

 突き刺された腕はすぐに馴染んで、力強く動き始めている。なので、ゾンビなのにスケルトンの足や腕が生えていたりしている。


 ラヤンがジト目になった。

「いくら死体だからって、適当すぎるわよ、まったく」

 ゾンビやスケルトンは津波の濁流に翻弄されながらも城壁に取りついて、壁をよじ登り始めていた。魚族なので手足はヒレなのだが、意外にも俊敏に城壁を這い上ってくる。


 ラヤンの席にある電力消費量のリアルタイム観測マップで、最前線の兵が配置されている区画の表示が強調された。電力消費量が跳ね上がっていく。

(迎撃の命令が下りたのね。もうちょっと早めに出しても良かったと思うけれど。電気の節約を考えたら、こうなるのかな)


 最前線の部隊が用いているのは〔ロックオン〕機能がついた兵器なのだが、津波と瓦礫の中に隠れている敵が相手では確実性に乏しくなる。

 一方で城壁を登ってくれれば、津波と瓦礫の外に出てくる事になる。確実に仕留めて灰にできる。


 城門を攻撃しているアンデッドは水中にいるので、これらに対しては〔式神〕と〔オプション玉〕の〔ロックオン〕支援を受けながら、確実に狙撃して水中で爆発させている。

 使用しているのは、ここでもドワーフ製とソーサラー魔術協会経由で調達した〔紫外線レーザー〕照射の魔法具兵器である。死霊術の塊であるアンデッドが相手なので、激烈な魔法場の反応が起きての爆発となる。

 しかし、〔紫外線レーザー〕というのは水中では急激に減衰してしまう。そのために、水深2メートル以上の位置にいる敵に対しては、爆雷で対応しているようだ。おかげで、爆音がさらに大きくなる羽目になっているが。


「……で、城壁が壊れてしまうのね」

 ラヤンがジト目になって、席の上のディスプレー画面を見てつぶやいた。


 爆雷の威力もそうだが、至近距離でアンデッドが爆発するので、城門にも大きな負荷がかかってしまったようだ。城門は堅牢とはいえ木と石と鉄などで出来ている。それが爆発による衝撃波で亀裂が入ってしまったらしい。

 そうなっては、亀裂が割れ目に成長していく。城門がバラバラに裂けて崩壊するのも、さほど時間はかからなかった。


 城門の1つが割れて崩壊し、津波に飲まれて瓦礫の一部になってしまったのを見たラヤンの耳に、城塞都市内の一斉放送が入った。

「連絡、連絡。たった今、南門が敵に突破されました。南門周辺の区画の住民は、至急、指定する避難場所へ移動して下さい。繰り返します。南門周辺の……」


 竜族の城塞都市は、門を抜けてもすぐに居住地区や商業地区などへ入る事ができない構造になっている。城門を突破した敵に対するために、城門の内部は包囲殲滅できるような内壁に囲まれているのだ。

 今回は洪水対策の一環で、防水処理された城門内壁に改修されている。侵入した津波と瓦礫も内壁に阻まれてしまっていた。当然アンデッド兵たちも、ここで足止めを食らっている。


 そのために今度は、この内壁を突破するために敵アンデッド兵が水中から扉を攻撃し始めた。打撃音が再び城塞都市内に響き始める。


 一方では突破された南門の穴が、城壁からの大量の岩の投下で塞がり始めた。南門を岩で埋めて塞ぐつもりなのだろう。こうすると、南門の復旧はかなり遅れてしまう事になるのだが、今は仕方がない。


 手際よく岩で埋まって塞がっていく南門の映像を席上で見ながら、ラヤンが電力使用量の跳ね上がりの様子にジト目になっている。

 大岩を大量に城壁まで運んで南門へ落としているのは、竜族ではなく機械である。どちらかというと、土木作業用の自律型アンドロイドだが、魔法に疎い獣人族は魔法機械として考えているようだ。アンドロイドなので魔力はそれほど必要としないのだが、その分、電力を必要とする。


 大岩群は積み重なって、南門前に巨大な防波堤を形成しつつあった。しかし、敵アンデッドにとっては登りやすい傾斜でもある。すぐに大量のゾンビやスケルトンの群れが津波の中から湧き上がってきて、岩の斜面を駆け上り始めた。


 それを〔紫外線レーザー〕で撃って爆破していく最前線の部隊である。すでに城壁に展開していて、岩の斜面を駆け上ってくる敵を十字砲火で駆除できる陣形をとっていた。

 岩の大きさは直径2メートルほどで、同時に樹脂が流し込まれている。岩と岩の隙間を埋めるためだ。その樹脂に足を取られて動けなくなる敵アンデッドが続出しているので、かなり楽な迎撃になっている。


 一方の、内壁に取り残されたアンデッド群も、爆雷の集中投下でほぼ殲滅できつつある。内壁の扉は当然ながら丈夫ではないので、一緒に爆破されているようだが。新たな水の侵入と敵アンデッドの侵入が止まっているので、このような強気な作戦が取れているのだろう。


「へえ。やるじゃないの。これは、緊急治療室は開店休業で済みそうかも知れないわね」

 ラヤンの紺色の瞳と、頭の赤橙色ウロコが室内照明の光で反射した。事務スタッフが詰めている、この区画も雰囲気が和らいでいく。一方で、医師団は拍子抜けしているようであるが。



 その時、停電が起きた。ラヤンが見ていた席上のディスプレー画面や、他のディスプレー画面も電源が切れて何も映らなくなる。医療機器も、一斉に停止してしまった。

 バックアップ電源を設けてあるので、それが起動する。それでも事務スタッフ向けの電力は全てカットされてしまう事に変わりはない。


 その次の瞬間。大きな爆音と衝撃波が伝わってきた。爆音の発生方向は、城塞都市の『中央部』それも地下方面だ。


 医師団が大慌てで各種医療機器の再点検を始める中で、ラヤンが席から立ち上がった。

 〔式神〕と〔オプション玉〕からの連絡は、法力を使用しているので問題なく届いている。手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面を呼び出して、魔力節約の各種調整を行う。それによって魔力が不足してしまう〔式神〕や〔オプション玉〕には、帰還するように命令を下す。

 そのラヤンの顔が険しくなった。

「テロか……」


 〔式神〕の1つからの観測報告では、城塞都市地下の自家発電ユニットが『何者か』によって爆破されたという事だった。その犯人を追跡するように指示を出す。追跡報告は、リアルタイム送信で自治軍本部と共有する設定にして、ため息を1つつく。

「テロを起こすには好都合だったものね。しかし、このタイミングと爆破の準備……大ダコと連携しているのかしら」


 帝国軍の情報部からは、この動きは全く知らされていなかった。テロ組織は帝国内にいくつもあるのだが、竜族に気づかれないように潜入するには、テロ組織も竜族に関わるものになる。

「『竜族独立派』……よね、多分。アンデッドは津波が引いたら、大地に縛られて動けなくなると予想してのテロ攻撃か。自治軍が混乱している間に、この街を制圧するつもりのようね。まったく……」


 サムカも言っていたが、アンデッドは生命が少ない場所を好む。従って、城塞都市を占拠して住民を皆殺しにすれば、それだけで立派な拠点になってしまうのだ。

 城塞都市を巨大な墓地にしてしまう……といえば分かりやすいだろう。


 エネルギー源である死霊術場も、大きな無人の空間に自然と集まってくる性質がある。そのために、城塞都市ほどの規模を占拠すれば、それだけで自動補給ができるようになってしまう。

 占拠後は、夜襲を周辺地域にかけていく事で、無人地域を拡大していくという戦術だろう。


 〔式神〕と〔オプション玉〕からの観測映像と各種情報が次々に更新されていく。南門の迎撃部隊が撤退を始めた。その区画の生命の精霊場が急速に少なくなっている。

 無線通信はバッテリー式なので指揮命令系統は健在なのだが、一時撤退して軍を立て直すつもりなのだろう。


 南門から上陸して城内へ侵入を果たした敵アンデッドは、現在100体余り。まだ増えていくだろう。内壁の敵も、残念ながら10余り残っているようだ。これらも門を突破していて、城塞都市内部へ侵入を開始している。


 爆破が起きた地下からは、負傷者発生の一報が無線で入り始めていた。この緊急治療室まで揺れるほどの爆発だったので、現地は相当に酷い事になっていそうだ。


 急に活気づく緊急治療室から、数名の医師団がトリアージの機材を肩に担いで駆け出ていった。

 爆破が起きた現場で、負傷者のランク分けを行うようだ。重傷者で、なおかつ回復する見込みのある者だけを、この緊急治療室へ搬送する手筈である。

 助かる見込みのない負傷者は、そのまま現場に放置する事になる。同時に軽傷者も後回しか、放置となる。


 その白衣の背中を見送りながら、ラヤンが半数の〔式神〕と〔オプション玉〕の術式を変更する作業に入った。敵アンデッドを灰にするための法術攻撃への変更である。

 ラヤンの〔オプション玉〕では魔力の上限が低いので、同時に複数の魔法や法術を使用する事が難しい。攻撃するには、それに特化した仕様に変更する必要がある。


 一方で、城塞都市内を逃げ回っていると見られるテロ実行犯への追跡を、その任務中の〔式神〕に改めて命令した。現場に残されている生命の精霊場を基に、犯人を追跡する事になる。

 もちろんこの手法は、魔法を使えない自治軍には理解できない。そのため、あくまでも容疑者の絞り込みの一手法としての参加にしかならないが。

 さらに野戦病院長からの許可が下りないと、行動する事は禁止されている。そのため現在遂行中の追跡任務以外については、今は申請しての許可待ちという状況になっていた。

「竜族独立派だとすると、同族の竜族を追う事になるのかあ……分かってはいるけれど、あまり気分の良い仕事ではないわね」


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