9話
【サムカ領の収穫済み野菜畑】
執事と騎士の不安はサムカも同様に感じていたが、それは意外に早く現実のものとなってしまった。
食料品の価格高騰に乗じた販売攻勢のおかげで、サムカの領地の自治都市は大いに潤った。しかしやはりというべきか、魔族を呼び寄せることにもなってしまったのである。
この世界の魔族は元々、貴族たちが異世界から連れてきたりしたものが起源である。しかし長い年月の間に、ほとんどが独立してしまった。貴族王国やオーク王国の傘下に加わっている魔族もいるが、それは少数である。大多数は世界中に散らばって、独自の村組織を作り上げているのが現状だ。
貴族と異なり、魔族はアンデッドではない。そのためオークと同様に食料が必要となり、そのために越境して襲撃を繰り返している。現在では魔族の村でも農園を運営するようになり、リスクの高い襲撃はかなり減少しているが……それでも貴族王国やオーク王国にとっては、大きな脅威であることには変わりはない。
先日のガーゴイルや大ワニも魔族であるが、ほとんど野生化してしまっていても魔力は大きい。ましてや村組織を営むまでに知能を発達させた魔族は、ソーサラー魔術も使いこなす、やっかいな敵である。
そして今回の敵は、身長4メートルで筋肉質の4本腕をもつ魔族が率いる山賊だった。魔族はその2本の腕で魔法杖を1本ずつ持ち、残る2本の腕で槍を構えたり盾を装備している。もちろん魔法処理された完全装備の甲冑姿だ。
前衛にはアンデッドでいうスケルトンに相当する、500体ほどの兵士が弓を構えている。これらは魔族が大量生産しており、見た目もスケルトンそのままだ。機動部隊もあり、体高2メートル近い巨大な魔犬群が四肢を踏ん張って指令を待っている。
彼らの総勢は骨の弓兵を含めても510名というところだろうか。主力となる魔族自体は10名だ。対するサムカの兵は、前回同様アンデッド兵が100体にオーク兵が500。
魔法を使わない戦いであれば、ほぼ互角の戦力であるが……さて。
身長が4メートルを超える4本腕の巨漢の魔族が、地響きを立てて進み出てきた。歴戦の勇士らしく、甲冑や槍に杖も使い込まれて、体になじんでいるのが分かる。魔族軍の大将だろう。
その彼が大音声を上げた。
「こらあ、サムカああっ。売る余裕があるなら、大人しくよこしやがれーっ」
「おおおおおっ」と、配下の魔族が同調する。彼らも大将と同じ種族で、身長や体格も同じようなものだ。
「豚よこせー」
「肉食わせろー」
大音声のせいで、上空を舞っていたツバメやスズメにツグミ等が、鳴きながら一斉に森の中へ飛んで逃げていく。逃げ遅れたと思われる1羽のツバメだけが、上空を右往左往していた。どこかで見かけたような個体である。
その挑発を受けて、サムカが騎乗したまま前に進み出た。すぐ後ろに騎士シチイガが続く。渋いが実用重視な鎧を身に着けている。足元はいつもの柔らかいフェルト靴ではなくて、甲冑で覆われた強固なブーツだ。
その上にいつもの渋い刺繍が施された黒マントを羽織って、風にたなびかせている。戦闘用の籠手に似た手袋をした手には、3メートルに達する槍が握られていて、腰には長剣がベルトに吊るされているのが見える。
それぞれの愛馬にも防御装甲が装備されていて、いつも以上に厳めしい。しかし、機動性を重視した軽装備に分類されるものだ。全身を隙間なく甲冑で包み込むような重装備ではない。
サムカが馬上から返答した。こちらも堂々とした声だ。
「文句はガーゴイルどもに言うのだな。対策を充分に立てずにいた報いだ。代金さえ払えば、好きなだけ食わせてやるぞ。金がなければ、土木作業やゴミ清掃に雇ってやってもよいがね。もちろん定員になり次第、募集を締め切るぞ」
背後のオーク兵が大笑いする。
「金欠野郎は、雑草でも食ってろー」
「ゴミ拾いして、三べん回ってワンと鳴いたら、恵んでやってもいいぞー」
しばらくの間、両軍双方が誹謗中傷合戦を繰り広げていた。が、頃合いを見計らって、サムカが大槍を持っていない方の手を挙げて制止した。
「このくらいでよかろう。彼らは優れた戦士だ。これ以上の誹謗中傷は、誇りある我が軍のすることではない」
穏やかながら有無を言わせない圧力が、オーク兵たちを瞬時に黙らせた。
「おお。さすがは、ウーティ王国に名を知られたテシュブだな」
低い笑い声を出しながら、4本腕の魔族の大将が大槍と杖2本を《ドシン》と地響きを立てて地面に突き刺した。
「では、我も名乗りをあげよう。我が名はルガルバンダ! 南の森の王だあっ。いざ、尋常に……」
<ボン!>と煙を上げて、大将がかき消された。
あ然とするサムカ軍。魔族軍にも動揺が広がっていく。
「あ~っ、大将が〔召喚〕されちまったあああっ」
「何で、こんな時にいいっ」
配下の魔族9名が頭を抱えているのがよく見える。動揺しているようで、魔族たちの甲冑が「ガチャガチャ」と音を立てている。
騎士シチイガが、それを見て独り言をつぶやく。
(どうやら、連中も召喚契約をしているようだな……配下の魔族の苦悩がよく分かるよ)
動揺する魔族軍に向かって何とか苦笑を噛み殺したサムカが、穏やかながら圧力のある声で告げた。
「大将は別件で忙しいようだな。どうするかね? このまま戦いを始めるかね?」
「う~」
さすがにバツが悪くなった様子の魔族軍。士気も一気に低下した模様だ。機動部隊の巨大な魔犬群が、お座りして耳の裏を後ろ足でかき始めた。
サムカ軍もそれは同様で、最後尾に控えるオーク兵たちの間からざわめきが広がっていく。その緩んだ空気を背中に感じながら、サムカが「コホン」と咳払いをした。
「では今日のところは、引き上げるがよかろう。この状態で戦っても、互いの名誉にはなるま(メエメメメ、メエ)」
サムカも消えた。
「マジかー」
騎士シチイガが天を仰いだ。
サムカの愛馬の手綱を手早く取り、混乱を鎮めてやる。彼の愛馬も驚いた様子なので、一緒に鎮める。馬に装備された装甲の金属プレートが打ち合って、「ガチャガチャ」と音がした。
今回はサムカの馬具の消失は起きなかったようで、ほっとする騎士シチイガである。貴族用の馬具はオーダーメードなものが多いので、制作に時間がかかる上に高価なのである。
対峙している魔族が驚いたような声を上げた。
「噂には聞いていたが、マジだったのかよ。うちの大将と同じかよ」
騎士シチイガが不機嫌な顔になって答えた。
「ああ。不本意ながら……な」
魔族と一緒にされたのが気に障ったようだ。それでもすぐに、真面目な表情に戻って思案を始める騎士シチイガである。
「しかし……うむ、両軍とも指揮官不在か。どうする? 指令がなければ攻撃はできないぞ」
敵山賊軍の魔族の副官らしき者も、騎士シチイガと似たような挙動で思案をしている。
「むう、困ったな……」
オーク兵の自警団隊長も困惑したままだ。
しばらく考えていた騎士シチイガが、魔族の副官らしき者に話しかけた。彼の装備も大将に準じた甲冑だ。やはり使い込まれていて、4本腕のたくましい体に非常によく馴染んでいる。魔法が得意なのか、大きな杖を3本持って地面に立てている。
「君が副官かね? 今日のところは、このまま解散としようではないかね? こんな緊迫感のない状態で戦っても、面白くも何ともない」
魔族の副官が微妙な表情になった。
「いや。手ぶらで帰ったら母ちゃんたちにドヤされちまうんだよ。子供も腹減ったと言って、泣き喚くしよ」
隣の甲冑姿の魔族と顔を見合わせながら、騎士シチイガに答える。騎士も腕組みをして唸った。
「そうか、それは大変だな」
魔族副官も腕組みをして、兜からのぞく顔を杖を持たない腕でポリポリかいている。
「そうなんだよ。出稼ぎの予定も当面ないしよ」
騎士シチイガが後ろのオーク兵の自警団隊長に振り返って、訊ねた。
「食料だが、いくらか都合できないかね?」
キョトンとした顔になりながらも、丁寧に答えるオークの隊長だ。
「え? ええ、11世帯ほどの魔族の食料でしたら、すぐにでも用意できますが」
オーク兵の自警団隊長が、(変な雰囲気になってきたな……)と思いながら簡単に在庫状況を伝える。少し動揺しているのか、隊長の甲冑や兜と弓矢などの武器が当たって「カチカチ」と金属音がしている。
一通りの在庫状況を理解した騎士シチイガが、顔を魔族副官に向けた。
「確かに余裕はあるか。であれば、別に戦う理由はないな」
しかし、なおも魔族の副官は難しい顔をしたままだ。
「いや。タダでもらっては、乞食みたいで好かん。と、いっても金もないから、こうして攻め込んで来たのだ」
騎士シチイガが素直にうなずいた。口調が少し柔らかくなる。
「そうか。貴公らの気持ちも分かる。では、こうしよう。我がオーク兵の教練を申し込みたい。素人兵ながら、最近はなかなか使えるようになってきたのでね。実戦訓練を行いたいと考えていたところだ」
騎士シチイガがそう言って、オーク兵の自警団隊長を見る。隊長も肩をすくめはしたが、何も言わない。
魔族の副官がうなずいた。
「それなら構わんぞ。サムカ軍の教練をしたなんて言ったら、他の魔族にも自慢ができる」
「よし」
シチイガがうなずいた。愛馬2頭もようやく落ち着いたようだ。
「せっかく実戦装備で来ているから、このままルガルバンダを不在の将とする魔族軍と演習に入る。オーク兵、前へ出よ。」
【魔法学校の校長室】
<ボン>と小気味いい音を立てて水蒸気の煙が立ち、眉間にシワを寄せたサムカが現れた。戦支度のままなので、いつもと違ってかなりの重装備である。
サムカの出現直前に爆風が発生したようで、校長室がかなり破損していた。校長の机もイスも見事に粉砕されて、瓦礫の一部になっている。窓ガラスも全て吹き飛んでいた。床も絨毯が爆風でちぎれ飛んでしまい、タイル地が露出している。
「おお、成功だ」
「成功だ」
校長室ではいつものサラパン羊が、ヒーロー気取りで召喚ナイフを天高く掲げて、瓦礫が散乱する中で自身の主題歌を歌っていた。そばには校長と、ウィザード魔法の幻導術プレシデ先生、力場術タンカップ先生がいる。どうやら、彼ら魔法使いが展開した〔防御障壁〕のおかげで、全員無事だったようだ。
(うむむ。土砂の持ち込みは無くなったが、今度は爆風が発生したのか。ハグめ、調整作業を怠り過ぎだ)
サムカが藍白色の白い顔を天井に向けて、とりあえずハグに向けて睨みつけた。
2人のウィザード先生はサムカの〔召喚〕を初めて見たのだろう。驚いてはいるが、何か含み笑いをした顔でサムカを見つめている。
特に幻導術のプレシデ先生はいつも斜に構えた姿なのだが、今日は更に斜めになっている。褐色で辛子色の顔に刻まれた、切れ長の黒い深緑色の吊り目も斜めに傾いている。
彼の肩下まで伸ばして結んでいる黒い煉瓦色でかなり癖のある髪も、毛先が斜め踊りをしていた。服装はきちんとしたスーツ姿に革靴なのだが、斜めに構えた雰囲気のせいでだらしなく見えてしまっている。
力場術のタンカップ先生はアメリカンフットボールの選手のような筋骨隆々とした体型に、健康的に日焼けした小麦色の肌がよく目立っている。やや癖のある黒柿色の髪に、目尻の上がった鉄黒色の大きな黒目が、体育会系の雰囲気を全面に押し出している。
彼もまた含み笑いをこらえている様子だ。いかつい肩が細かく震え、マジックで描いたような太い一本眉毛も微妙に同調してピクピク動いていた。こちらの服装はタンクトップシャツに半ズボン、スニーカーという、トレーニング帰りのような汗臭いものだ。
サムカが錆色の前髪についた埃を払い落としながら、校長に詰め寄った。
「シーカ校長。今日は、〔召喚〕予定の日ではないと思うのだが」
校長の背丈が低いので、途中でしゃがんで距離を詰めていく。
校長が目を白黒させて、白毛交じりの尻尾をパタパタさせた。両耳も不自然に、あちらこちらを向いている。
「い、いいいいえ、あのですね。先生方の間でどうしても分からない謎が生じまして。それで急遽、〔召喚〕したのです。テシュブ先生」
鼻先のヒゲと、鼻頭に浮いた汗をハンカチで拭きつつ答える。
サムカが何かを察したようだ。
「ん? 何か問題が起こったのかね?」
サムカの青白い顔から、怒りの表情が和らいでいく。
銀糸の刺繍が施された黒マントの中にある剣などを始めとした武具が、くぐもった金属音をようやく鳴らした。3メートルの長槍は、召喚直後に黒マントの中に収めてしまっている。
不機嫌が高じて闇魔法場を発散させていたので、今まで音が〔消去〕されていたようだ。だが、ここに居合わせている者たちは闇魔法の特徴に詳しくないので、サムカから音がし始めた事についてはあまり気にしていない様子である。
サムカの迫力が和らいだので、ほっとした校長。尻尾で床を一払いして、興味津々な表情でサムカの顔を見上げた。爆風で砕け散った、調度品や机の細かい破片が巻き上がる。
そういえば床も新調されていて、絨毯の穴から露出しているタイルの模様が変わっていた。しかし、この大破した状況では、すぐにまた新調し直さないといけないだろう。
「はい、バンパイアなのですが。月のない闇夜でも、物は見えるものなのでしょうか?」
サムカがキョトンとした顔になった。
「ん? 野生のバンパイアがこの学校に現れたのかね? アンデッドとしては沐浴ではなくて、食物の潜在魔力や生気を吸収するから、魔力も低くて弱い連中だな」
そう言いきってから、少し考えた。サムカにはバンパイアの友人はいないので、伝聞情報のみになる。
「バンパイアでも下等な連中は闇の中を見ることはできない。しかし上級クラスであれば、知覚も発達して鋭敏になっているから、見ることができるぞ。我々の支配する死者の世界では、ネズミと同じくただの害獣だが」
校長に促されるままに、バンパイアの説明を始めるサムカ。まだ、キョトンとした顔のままだが。
「だが、死者の世界の主であるミトラ・マズドマイニュは、他にも別の死者の世界をいくつか管理しているそうだ。その中にはバンパイアだけの世界もあると文献で読んだことがある」
「おお」という反応が、校長と2人の先生の間から漏れた。その様子に、さらに首をかしげるサムカだ。
「まあ……連中は見るというよりも、周辺の温度差や空気の流れ、匂いなどを基に知覚する方が得意だがね。君たちの世界で例えると、夜行性の蛇のような知覚だな」
本当にサムカというか貴族は、バンパイアを人とは認めていない様子である。
「一応、コウモリや狼に〔変身〕できるし〔霧状〕になることもできるが、我々貴族が常時展開している〔防御障壁〕は備えていない。だから魔法攻撃に弱いし、魔法を帯びていない通常の武器も有効だ。木の杭とかな」
サムカがそう答えると、校長室の中が騒がしくなった。2人のウィザード先生が、何やら小声で討論めいた事を始めている。
そんな様子を見ていたサムカが、自身がまだ戦支度の甲冑姿のままだということに気がついた。
貴族の武具は鎧を含めて、闇魔法場を強く帯びていることが多い。校長のような魔力適性が低い者に触れてしまうと、それだけで精神異常をもたらす恐れがある。
一歩引いて距離を置くサムカだ。が、サムカのそのような気遣いをウィザード先生たちは意識していないようである。
「ふふふ。どうだタンカップ。見えるというじゃないか」
「いや、低級なバンパイアの場合は見えないと言ったぞ。だから俺様が倒した奴の場合では、見えないんだよ。プレシデよ」
ウィザード先生たちの論争が過熱し始めた。サラパン羊の主題歌がまだ続いているが、誰も気にしていない。
そのような議論の声を背にして、校長が目を輝かせてサムカに聞いてきた。
「では、その、サムカ先生。夜目が利くという上級バンパイアの場合、闇夜での視力はいったいどのくらいあるものなのですか?」
白毛交じりの尻尾の先が上向きになって、床を掃きまくっている。鼻先のヒゲも両耳と共に、一斉にサムカの顔に向けられた。
サムカの疑問が大きく膨らんだ。何かがおかしい。
「シーカ校長。バンパイアが校内に出現したのではないのかね?」
サムカが不思議そうな顔をして反対に聞いた。少し気分が落ち着いたようで、山吹色の瞳が帯びている光も和らいでいる。
校長がキョトンとした顔で答えた。尻尾の動きも一時停止する。
「いえ。出ていませんよ」
サムカがさらに首をかしげ、錆色の短い前髪がサラリと揺れた。
「いや。先ほどからバンパイアの話をしているだろう?」
校長が微笑みながら、白い魔法の手袋をした両手を「ポフ」と合わせた。
「ああ。タンカップ先生と、プレシデ先生の体験談が異なっていまして、論争になったのです。『闇の中でバンパイアの視力はいくらか』という。でも、そうですか。魔力の強弱によって能力が異なるのですね。そして、出身世界によっても大きく異なるということですか」
校長が朗らかな顔で2人の先生たちに振り向いた。先生たちもニコニコしている。
「魔力クラスがあったとは、盲点だったなあ」
「それに、さほど視力には頼っていないようだし」
ウィザード先生たちも加わって「うんうん」とうなずいている。
「それで、闇の中での視力はどのくらいなんですか?」
サムカの表情がこわばり始めた。
「……お前たち」
笑っているようにも見え、瞳から山吹色の成分が急速に消失していく。
「まさか、そのことのために私を〔召喚〕したのかね?」
サムカのドスが効き始めた問いに、校長がニコニコしながら素直にうなずいた。
「ええ。論争に決着をつけるには、『呼び出したほうが早い』と皆で合意しまして」
白毛交じりの尻尾もリズミカルに、埃にまみれた床を掃く。サラパン羊の歌がようやくサビ部分に入ったようで、朗々と歌い始めた。
「……で、闇の中での視力は、どのくらいなんですか?」
「貴様らあああっ」
サムカの怒りの声が校長室に響き渡った。長剣を黒マントの中から抜き放って校長たちに突きつける。
「魔族との合戦の最中だったのだぞっ。貴様らのせいで、我が軍の士気と名誉に、あいたたたたたっ」
サムカが頭を抱えて、甲冑に包まれた膝を床についた。長剣を床に突き立てて体を預ける。闇魔法を帯びているのだろう、長剣が突き刺さった床面のタイルが瞬時に消滅して、しっくいやモルタルが露わになった。
「サムカちーん。短気は、いけませんよう」
ハグ人形がサラパン羊のモコモコした頭から首を出してきた。ぬいぐるみ頭の口をパクパクさせている。黄色いボタンを目の代わりに縫いつけた人形なので表情はないのだが、どう見ても笑っているようにしか見えない。
サラパン羊はようやく主題歌を歌い終わり、モコモコ毛皮の中から小さな鏡を取り出して、歌の採点をし始めた。どこまでもマイペースな羊である。
「ハグ、貴様っ。あいたたたたたたっ」
サムカが何か言おうとしたが、すぐに頭を押さえてうつむいた。銀糸の刺繍が施された黒マントの中で、「ガチャガチャ」と派手な金属音が続いている。
「心配しなさんな。サムカちんと敵の大将が消えたおかげで、合戦もお流れになったよ」
そう言いながら、ハグ人形がサムカの顔の前に小さな〔空中ディスプレー画面〕を発生させた。白黒画面だが、合戦地の映像が映っている。
「敵の大将も、別のリッチー制作の召喚ナイフ契約をしていたようでね。今は手持ち無沙汰なもんだから、魔族軍とサムカ軍とで合同演習してるぞ。見ての通り、なかなか白熱しているようだな」
確かに、軍事演習を行っているようだ。
「ああ、そうだ。今回からサムカちんの空間指定範囲を、もう少し厳密にしたからね。マントの内側だけにした。う~ん、何という素晴らしい顧客サービスだろうか。そうは思わないかね?」
ハグ人形が愉快そうに笑いながらサムカに説明し、〔空中ディスプレー画面〕を消去した。空間指定範囲の改良とか、どうでもいい改良だけは熱心なようだ。確かに今回は巻き添えになって〔召喚〕された土塊などはないが、この爆風である。そしてハグ人形が、黄色いボタンの目をキラキラさせながら口をパクパクさせた。
「……で、闇の中での視力は、どのくらいなんだい? サムカちん」
「知ってるだろう、貴様、そのくらいっ」
サムカがやっとの事で文句をハグ人形に言う。激痛のせいか、両目が濁った辛子色だ。
「うーん、まだ、お仕置き具合が足りまちぇんねー。サムカちん、悪い子ー。えい」
人形の体から何本か飛び出している解れた糸を手に取って、ハグ人形が「ピンピン」つまびき始めた。突如、サムカがすっくと立ちあがる。さらに両手両足をパタパタ動かし始めた。
「ちょ、こら、ハグ、お前っ」
ハグ人形がサラパン羊のフワフワな羊毛頭の上で、場末のロックギタリストのように頭を振って弾き始めた。
「おどれー、おどれー、輪になっておどれー。うらうら」
サムカの体が勝手に動いてサンバのように踊り始めた。校長たちも巻き添えを食って、強制的に一緒に踊り始める。
「くいかいまにまにまにまにだすきーくいかいほーくいかいほー」
「それは、フォークダンスだろうっ」
サムカのツッコミにも平然として、サラパン羊のリズムに合わせて糸をつまびくハグ人形。あれから特訓したのか、今回は見事にリズムが合っている。
「おーにこでぃーもーおーちゃりやりうーんぱー。うんぱ。うんぱ。うんぱ。うんぱ」
「何語だ、それはーっ」
【校長室の外】
10分後。色々な意味で疲労困ぱいしたサムカが、校長室を後にした。
校長たちはこれからカラオケ大会に流れ込むようだ。校長室の隣にある応接室で、サラパン羊がマイクテストをしている。カラオケ機械の調整はハグ人形が行っていた。見た目に反して、かなり器用になってきているようだ。手芸の効果だろう。
先日の巨人ゾンビ大暴れ事件で、校舎が半壊したので復旧されたのだが……ちゃっかり遊び道具は最新式のものに更新されている。校長室の床もそうだったが、校舎全体もあちこちが新しくなっていた。
モニターも以前はここになかったが、新しく設置されたその画面には今はニュースが流れている。恐らくはドワーフ世界製だろう。
廊下に出たサムカの耳には聞こえてこないが、賑やかな繁華街でのインタビューで狐族のカップルが何か答えている。サムカの領地にあるオークの自治都市のメインストリートよりも、はるかに華やかで賑やかなので、内心驚いているサムカだ。
行き交う者は皆、獣人族で、おしゃれな服装だ。人間とは姿が違うので服の仕立ては全く似ていないのだが、それでもファッションセンスを感じる。衣装を彩るネックレスやイヤリング、帽子などにも気品が感じられる。店の構えや歩行者天国のようになっている通りも、かなりおしゃれである。
(首都の繁華街なのかもしれないな……)と思うサムカであった。武器や魔法の杖などを身につけている者が全く見当たらないことも、サムカからすれば新鮮である。
しかし、代わりに武装した警官の姿が、画面の隅にチラチラと散見されている。彼らによる治安維持が効いているのだろう。帝国なので当然である。警官にはやはり狐族が多いようだ。
校長は校長室に残っていた。今はサムカが剣を突き立てて〔消去〕したタイル床を、手慣れた手つきで補修している。少し申し訳なく思うサムカであった。
モニター画面が切り替わり、狐族の政治家らしき初老で恰幅の良い紳士が登場した。何か演説をしているようだ。音声はサムカがいる廊下までは届かないので、何を話しているのかは分からない。
現地語でテロップも表示されているのだが、サムカはこの世界の言語をまだ十分に習得できていないので理解できない。そこは大して気にしないのが貴族である。〔念話〕で充分であるし、先生や校長とはウィザード語で会話できているので、今後も完全習得する気はないだろう。
サムカが狐族の演説には関心がない様子で、モニターから視線を外した。
校長室からウィザード魔法の幻導術プレシデ先生と、力場術タンカップ先生が揃って、サムカがいる廊下に出てきた。まだカラオケ機械の設定が済んでいないので、ハグ人形とサラパン羊から追い出されたのだろう。まだ授業時間中でもあるのだが。
とりあえず挨拶されたので、会釈を返すサムカだ。
「先日の巨人ゾンビの件で、校舎がまた一新されたようだな。アンデッド警戒システムも新たに導入されたように思える。校舎内の魔法場が変わったようだが、そうなのかね? ウィザードの先生方」
幻導術のプレシデ先生が「フフン」と鼻で笑った。
身長は160センチほどなので、サムカと比較すると小柄に見える。肩下まで伸びた黒い煉瓦色でかなり癖のある髪の先が、先生本人の動きに合わせてヘロヘロと揺れた。
褐色の辛子色に日焼けしている顔には、切れ長で細い、黒い深緑の目が刻まれている。それが鼻で笑うのに同調して、目尻が吊り上がる。こう見えて意外にアウトドア派なのだろうか。
一方で服装は、先生らしい気品のあるスーツ姿である。改めてよく見ると前回見た時よりも、少し生地が高級になっていて、革靴も同様にアップグレードされていた。
「いかにも。既に更新も終わって、今は調整作業中ですよ。〔念話〕などが今は通じにくいかもしれませんが、それも2時間後には復旧するはずです。幻導術の魔法場サーバーも増強されましたからね。今度は前回までのように、ただ傍観しているだけにはならないはずですよ。あの巨人ゾンビと飛族騒動で何もできなかったことを、本国の偉い人たちも問題視してくれましてね。私の待遇も、少しだけ良くなりましたよ」
サムカが「そうか」と軽くうなずいた。
「待遇が良くなったことは喜ばしいことだな。ウィザード魔法は魔法場サーバーが必要らしいと聞く。それが増強されるのも、生徒にとって良いことだろう」
サムカが何気ないコメントをした。が、幻導術プレシデ先生の顔が突然(あ、しまった……)というメッセージを発した。顔色も少し青ざめているようだ。新しい革靴が「キュキュ」と音を出す。
「あ……魔法場サーバーは、その……タカパ帝国から借り受けている施設内のやつですからね。決して、秘密の施設なんて造ってないからね!」
何か、かなり痛いセリフを吐いたような気がするプレシデ先生であったが、サムカは特に関心もない様子だった。「ふむ、そうかね」と適当に相づちを打つ。
ほっとした表情に戻ったプレシデ先生が、サムカに改めて黒い深緑色の視線を向けた。
「ああ、そうだ。1つだけいいかな。テシュブ先生」
「なんだね?」
プレシデ先生の細い切れ長の目の奥で、瞳がキラキラと輝いた。かなり癖の強い黒い煉瓦色の髪の先が、肩下の辺りでピョンピョン跳ねている。
「〔念話〕の関連でね。調整してはいるんだけど、どうしてもノイズが混じるんだよ。どこか異世界からの割り込みの疑いがあるんだけど、何か知らないかな? テシュブ先生。ハグ人形さんにも聞いたけど、別に何もしていないという回答だったから、一応念のための質問だけどね」
サムカが肩を少しすくめて両手を上げた。手袋が授業用の薄手の白いものに変わっている。
「いや。私も知らないな。何か被害を受けそうなのかね? ウムニャ・プレシデ先生」
ここでようやく深刻そうな顔になるプレシデ先生である。褐色の顔に刻まれた深緑の細目が、さらに深さを増す。
「術式によっては〔念話〕を盗聴される恐れがある。テシュブ先生も〔念話〕をする際には、使い捨てのパスを使った量子暗号化をしてくれないかな」
サムカが素直に従った。
「うむ、了解した。我々アンデッドの〔念話〕魔術は、ウィザード魔法と比べても、かなり世代落ちする未熟なものだからね。盗聴される危険性は、私が一番高いだろう。用心することにするよ」
そこに力場術タンカップ先生が口を挟んできた。
巨人ゾンビ事件から更に筋力アップをしたのだろう。盛り上がったタンクトップシャツから見える、肩や腕回りの筋肉が一回り大きくなっている。プレシデ先生と違い、服装にはあまり進化は見られない。やや癖のある角刈りの黒柿色の髪も変化なしだ。スニーカー靴が新調されたくらいだろうか。
身長は185センチあるのでサムカよりも若干高い背丈である。しかし筋肉量が多いので余計に大きく見える。赤褐色で小麦色の肌は、秋が深まり始めたせいもあって少しだけ日焼けが収まり、吊り気味の鉄黒色の目の色が少し目立つようになっていた。
「テシュブ先生よ。魔法場サーバーの話は他言無用で頼むぞ。俺様も今は、彼のサーバーの世話になっているからよ」
サムカがキョトンとした顔になってうなずいた。本当に気にしていなかったらしい。
「うむ。それは守るから心配無用だ。タンカップ・タージュ先生は力場術だったな。君の派閥も魔法場サーバーを増強したのかね?」
タンカップ先生がドヤ顔になって筋肉で盛り上がった胸を張った。タンクトップシャツを着ているが、木彫りのような筋肉の陰影がしっかりと分かる。
魔法の行使にこのような立派な筋肉が果たして必要であるのかどうかは、この際不問にしたほうが良いだろう。
「おうよ。エルフとノーム先生の活躍を見せたら、上層部も態度を一転させたぜ。プレシデ先生のところほど迅速対応じゃなかったが、それでも来週には魔法場サーバーの増強が済む予定だ。これで、次もし巨人ゾンビが出現しても、俺だけで片付けることができるぜ。ひとひねりだ。がはは」
……と、肩を揺らして高笑いをしていたが、突然となってサムカに詰め寄った。小麦色の顔に冷や汗がいくつか浮かんでいる。
「魔法場サーバーは、俺のところもタカパ帝国に登録した正規の場所にあるやつだからな。違法な魔法場サーバーなんて造ってないからな!」
どうやら……この先生も隠し事は苦手なようである。
サムカがやはり素直にうなずいた。初対面時とはサムカに対する態度や言葉遣いがかなり変わっているような気がするが、気のせいだろう。
「うむ。分かった。私の場合は魔法場を自力で発生させているから、今一つ理解できないが。ただ、充分な魔法を行使するために、魔法場サーバーを増強することは理に適っているな。シーカ校長によると魔法に対する警戒心もまだまだ残っているそうだし、他言無用な話は秘密にしておくよ」
タンカップ先生がニッカリと笑って、サムカの背中を≪バン≫と叩いた。〔防御障壁〕を修正しておいて良かったと思うサムカだ。
「助かるぜ。そうそう、俺様の事はタンカップと呼んでくれ。タージュ姓だと、ちょっと堅苦しいからなっ」
隣のプレシデ先生はややジト目になってサムカを見据えた。体が斜めに傾いていく。
「私の事はプレシデと呼んで下さい。礼節は守るべきですからね」
サムカが鷹揚にうなずいた。
「うむ。そうするとしよう。私の事はテシュブで構わぬよ。先生まで付けると、名前の魔法効果もかなり和らぐと思う」
(おーい、ウィザード先生方。機械の設定が終わったよ。歌おうぜえ)
サラパン羊が生意気にも〔念話〕魔術を使用して、こちらを手招きしてきた。しかし、自力の魔術ではなく何かの魔法具を使用しているようだが。
早速、嬉々としてカラオケ部屋に入っていくウィザード先生たちを見送るサムカである。
ハグ人形がサムカにも手を振って呼んでいるが、これを無視する。〔念話〕も何か仕掛けてきたようだったが、これも受信拒否する。
【東校舎】
廊下を少し歩くと、同じ階にある法術先生の教室から、仰々しい読経に似た法術式の詠唱が廊下にまで響いてきた。
(どうやら、〔治療〕関連の授業のようだな)
サムカが法術式を聞いていると、展開している〔防御障壁〕がチリチリと焼け始めた。さらに、サムカの体である死体の体細胞組織までも騒めいてくる。
(……ふむ。〔防御障壁〕のない野生のバンパイアであれば、これで仕留めることができるな。だが、シャドウに対しては難しいか)
「やれやれ……」と、ため息をつく。この場に留まってもよろしくないので、銀糸の刺繍が施された黒マントを整えて〔防御障壁〕を強め、上の階へ向かう事にしたようだ。
すでに甲冑などの全武装をマントの中に収めて〔消去〕し、白い長袖シャツとズボンの地味な姿になっていた。靴だけは戦仕様でいかついままだ。しかし、これを〔消去〕してしまうと靴下で歩くことになってしまう。
「ふむ、困ったな……金属製だから、どうしても音が出てしまう」
錆色の短髪をかいて思案していたサムカが、事務職員が詰めている部屋に顔を出した。理由を述べて、職員からスリッパを借りる。魚族が普段使用しているスリッパを、魔法世界からの来客用に大型化したものだった。
スリッパを履いて、サムカがうなずく。
「旧人仕様か。なるほどな。今回の〔召喚〕で使うので助かったよ。ありがとう」
礼を狐族の事務職員にして、黒マントの中に金属製の足の甲冑を収める。やはり跡形も無く消滅してしまった。
「レブン君がいつもスリッパを履いていたのを思い出せて良かった。さて、これで音を立てずに歩き回る事ができそうだな」
それでも、「ペタペタ」と小さな音は出ているのだが……この程度の音であれば授業の邪魔にはならないだろう。
さらに歩くと、上の階からソーサラー先生の賑やかな声が、廊下まで響いて聞こえてきた。校舎内に魔法で簡易〔結界〕が施されてるのだろう、ブロックごとに魔法場が別のものに変わっていく。
法術先生の読経に似た法術式の詠唱は、ここでは聞こえてこなくなっていた。今はサムカの〔防御障壁〕に、さざ波が立っていない。
その代わり、まるで何かのロックコンサートでもやっているかのような重低音を含んだ騒音が、サムカの耳に押し寄せてきた。当然、サムカのスリッパ音よりもはるかに騒々しい。気を利かせてスリッパに履き替える必要は無かったかもしれない。
「法術にしろ、ソーサラーにしろ、起きている間じゅう、ずっと騒がしい連中だな」
サムカが山吹色の瞳を若干、辛子色に濁らせた。ソーサラー先生クラス発の騒音を〔防音障壁〕で遮断し、そのまま通り過ぎかけて……足を止めた。
(ふむ……そういえば巨人ゾンビを用務員仕様にした後で、体組織を採取していたな。連中も何か副業を持っているのかもしれぬな)
「後で巨人ゾンビの様子も見てみるか……また発掘されてくれば良いのだが」
先日、サムカとジャディとで巨人ゾンビを無力化させて、用務員にした際に気づいていた。なぜか〔ステルス障壁〕を展開して姿を隠したソーサラーのバワンメラ先生が、牛状態になった巨人ゾンビをこっそり削っていたのであった。恐らくは肉片を採取していたのだろう。
〔ゾンビ化〕しているとはいえ巨人族なので、その体組織は強靭な〔再生〕能力を有している。が、削り取った程度の量の肉片では、魔力不足で巨人に育つことはない。いつまでも削り取った際の形の肉片のままだ。
腕1本や足1本程度のまとまった肉量であれば、それが元となって巨人に育つ可能性はあるだろう。ただその際でも、大量の死霊術場が必要になる事は変わらない。
しかし反面それは、標本として見れば安全な状態であるともいえる。少なくとも500年間ほどは新鮮な状態なままだ。ディスプレー用のコレクションとしてオークションにでもかけて売れば、小遣い稼ぎにはなるだろう。
バンパイアの組織とは異なり、触ったり食べたりしても感染の恐れがないので売りやすいのは確かだ。胃腸で消化してもすぐに元に戻って〔再生〕してしまうので、結局そのまま噛みちぎられた形で糞と一緒に排出されてしまうだけだが。コンニャクみたいなものだ。
校舎の奥のほうに進んで、ドワーフのマライタ先生の教室をのぞいた。ここでは、魔法場そのものがほとんどない。廊下の窓からのぞくと、先日話していたようにアンドロイドの作成を生徒に行わせているのが見えた。
生徒の種族に似せた動物型の直立アンドロイドを、生徒たちがそれぞれ1体ずつ作っていた。ほぼ出来上がりのようである。
生徒たちも先生もヘルメットを被り、極小の複雑な機器がたくさんついている手袋をはめている。サムカの目にはこれも新鮮に映ったようだ。好奇心の光がサムカの山吹色の瞳に灯った。
「やあ、マライタ先生。お邪魔してよろしいかな?」
サムカが静かに扉を開けて、中に入って挨拶した。
「げ」
小さな悲鳴じみた声が生徒の間から漏れた。が、すぐに平常の雰囲気に戻る。このあたりは工学系の生徒ならではの反応だ。
「おお、テシュブ先生じゃないか。どうしたんだい? 今日は『召喚の日』じゃないだろ?」
野太いが陽気な声で、マライタ先生がヘルメットを被ったままサムカを迎え入れた。ヘルメットから赤いモジャモジャヒゲが盛大にはみ出し、巨大な鼻が自己主張をしている。
「ああ。つまらぬ用事で呼び出されてね。時間が余ったので来たのだが、見学してもよいかね?」
「大歓迎だ。こっちこっち」
サムカがマライタ先生に勧められるまま、教壇のイスに座る。この時点になると、もう生徒たちもサムカを睨みつけたり、嫌悪の視線を向けたりする者はいなくなっていた。ただ2人、魚族の男子生徒のチューバと、狐族で級長のマスック・ベルディリ以外は。
さすがにバントゥ派の側近的な取り巻きだけあるが、今はサムカに文句を言うようなことはしていない。
そんな感情には無頓着な様子のサムカが、生徒たちにそれぞれ1つずつ与えられている機械の山を興味深そうに眺めた。山吹色の瞳が好奇心の光を強く帯び始めている。
「アンドロイドか。生徒の実習にしては高度な内容だと思うが。教育指導要綱にあるのかね?」
サムカが、生徒たちの作業の妨げにならないように、静かな声でマライタ先生に聞く。
マライタ先生が下駄のような白い歯を見せてニッコリ笑った。
「ははは。ないよ、そんな項目。指導要綱には、杖とかホウキとか錠前作りしか書かれていない。それじゃあ、面白くないだろ? この世界の種族は手先と目先が優れているからね、アンドロイド作成にしたんだよ。魔法工学全般の技術と知識の集大成ってやつだ」
ドワーフならではの樽のような筋肉質な体型に、これまた丸太のような両腕と両足。顔を覆うひどい癖毛の赤ヒゲは、そのままヘルメットの中の髪につながって一体化している。
このような姿にも関わらず、このような緻密で繊細な作業ができるギャップが、サムカには新鮮に映るようだ。
サムカがマライタ先生に重ねて聞いた。
「……と、いうことは。このアンドロイドは魔法も使えるのかね?」
サムカの山吹色の瞳が好奇心でキラキラと輝いている。マライタ先生が赤いゲジゲジ眉を上下させた。
「ワシらドワーフは、魔法は使えないけどな。だけど、アンドロイドに市販の魔法を装備させることはできるんだよ。お前さんが世話になってる、召喚ナイフと同様だ。どうだい、テシュブ先生も触ってみるかい?」
「ああ、ぜひ」
サムカがうなずくと、マライタ先生が自分の手本用のアンドロイドを教壇の上に乗せた。ドワーフ型だ。しかも女性のようだ。しかしドワーフ族なので、ごつい体格で腕も足も丸太のように太い。ただ、顔を覆うようなヒゲは生えていない。
「女性型なのはワシの好みだ。さて、今は指先の神経回路の仕上げをしている。目とか耳鼻の他の感覚センサーは、もう作成終了してしまってね。有機素材で設計したから、今回の指先は無機素材で作成するんだ。耐久性も必要な部分だし、何よりここは魔法を発動させる重要なポイントだからな」
確かに、魔法を発動する部位には既存の物理化学法則を超えた力がかかりやすい。丈夫にする必要はあるだろう。
「神経回路の線幅は1ナノメートル。それをマンガン窒化物に、光と電気の魔法処理した、ゼロ膨張素材のチューブ状基盤の上に、透過性エックス線電子レーザー照射で魔法回路を多層プリントして、立体型の魔法回路基板を形成させるんだ。これだよ」
そう言いながらマライタ先生が、サムカにもヘルメットを被せる。そのスコープ越しにアンドロイドの指先を見せた。
「おお。これはまるで立体魔法陣のような複雑な回路だね」
サムカがヘルメットの中から、驚き感心した声をあげた。
マライタ先生が「ガハハ」と笑う。
「へへ。立体魔法陣か。面白い表現だな。確かに、魔法回路はグラフェン製で、演算素子なんかもグラフェンで作って一体化しているからなあ。グラフェンしか使ってないから、墨絵や炭彫刻のように見えるのも分かるよ」
そこへ魚族の男子生徒チューバがやって来て質問した。端正なセマン顔で、チラリと黒い紫紺色の瞳でサムカの横顔を見る。
「マライタ先生。これでどうでしょうか?」
手には、設計したばかりの神経回路が乗っていた。グラフェン製で炭素しか使っていないので、見た目は本当に炭細工のようだ。
「よし、どれどれ」
マライタ先生が手袋をはめてヘルメットを被り、生徒から回路を受け取る。そして、手袋にゴチャゴチャとついた極小の機器で検査を始めた。
「回路の線幅と組みあがりは良いな。さて、電気信号の伝わり具合から見てみるか。それじゃあデータを渡すからチューバ君、ゲート電圧と主な演算素子部分でのドレイン電流の相関グラフを作成してみな。どのくらい差があるかな?」
そう言って、マライタ先生が空中ディスプレーを発生させて、そこに生測定データを流し込み、チューバに見せた。彼の場合は魔法ではなく、実際にホログラフ状態の空中投影でこのディスプレーを表示している。
「はい、計算してみます」
チューバが簡易杖を出して空中ディスプレーに当てて、数式計算の術式を起動させた。すると、すぐに空中ディスプレーに渦巻いていた生データが消えて、1枚のグラフになった。
横軸がゲート電圧と呼ばれる魔法回路を流れる電圧だ。縦軸は演算素子から流れ出た電流の値になっている。
この電流の値の落差が大きい程、魔法回路の電気信号が明瞭に流れるという意味だ。指定した魔法を使えという命令と、使うなという命令が明瞭に伝わるので、魔法がよりクリアに発動できる。さらに漏電のリスクも減るので節電ができる。
横軸の電圧はマイナス10ボルトからプラス10ボルトまでだ。プラスとマイナスは演算素子にかかる電圧の向きを示している。つまり、電圧を回路に順路でかけるとプラスに、逆路でかけるとマイナスになる。
縦軸は演算素子から流れ出た電流の量だ。このグラフでは、マイナス10ボルト時では10のマイナス5乗アンペアで、プラス10ボルト時では10のマイナス10乗アンペアの値になっていた。グラフの傾斜が急こう配になっているので、それだけ差があるという事なのだろう。
「うん、いいんじゃないか。魔法回路のオンオフ比は基準を満足している。良質な信号が得られるな。では、次は基盤の熱膨張係数を検査しよう」
マライタ先生がニッカリと笑って、大きな下駄のような白い歯を見せ、再び炭細工のような回路を手に持った。
「テシュブ先生。先ほどの検査はね、電気信号のテストだよ。魔法使いも結局は自分の神経回路、つまり電気信号とイオン信号、たんぱく質自体の変換による信号もあるけど、それらを使って魔法回路を組み立てて発動させているだろ」
「同じことをもっとシンプルかつ高速で実現させるために、こうしてアンドロイドの神経回路を組んでいるんだ。電気を流す向きを、正負の2方向にするだけのシンプル操作だな。原始的な2進法だ。生徒の実習にはちょうどいい」
またもやサムカには理解できない単語が次々に出てきた。マライタ先生が構わずに話し続ける。次第に早口になってきているようだ。
「で、今やっている検査だけど、これは回路を乗せている基盤のテストだ。どんな物質でも固体は熱膨張するという宿命を持つだろ。でも、この微細世界じゃ、その宿命すら制御しなきゃいけない」
熱膨張とは、一定の圧力の下で温度を上げると、物質の体積が大きくなる物理現象の事だ。
専門用語を使うと、パウリの排他律によって固体中の原子が互いに近づけない環境で、温度上昇によって原子の熱振動が激しくなると、原子間の距離が広がる現象を指す。魔法工学では基礎常識なので、当然のように解説しないマライタ先生であった。
「素材ごとの熱膨張には特徴ってのがあって、回路が過熱するにつれて膨張していくんだけどな。ある温度帯でいきなり膨張する素材が多いんだ。そうなると急激な歪みが回路にかかって、ちぎれてしまう。これじゃ良くない」
特に、常温帯でいきなり膨張や収縮するような素材では、杖が壊れてしまう。
「そこで、できるだけ緩やかな熱膨張をする素材を探す事になる。今回のは窒化マンガンの一部を、銅や錫で置き換えた素材を使っている」
「この割合を調整する事で、穏やかな熱膨張が期待できるんだよ。3つのマンガン原子と1つの窒素原子で構成されている格子に、銅と錫原子を半個ずつの割合だな。これを1気圧のアルゴン気体中で860度で焼いてセラミックスにする」
セラミックを選んだのは、金属よりも熱膨張しないためだ。その分、衝撃に弱くなってしまう欠点があるが。
「理論上では、これで室温条件下では熱膨張がゼロ近辺にまで小さくなる。ゼロ膨張ってやつだ。さて、結果が出たな」
さすがに技術系だけあって、難解な専門用語を何の注釈もなしに世間話のような気楽さでサムカに話してくる。
「うむむ……後で辞書を引いて、よく調べねばならぬな」
サムカも口元をへの字に曲げて、錆色の短髪をかいた。それでも、マライタ先生の言葉を全て記憶したようだ。
横目でサムカを見ていた魚族の生徒が「コホン」と1つ咳払いをした。
「魔法工学はアンデッドには難しいと思いますよ。テシュブ先生、自己紹介します。僕は魚族のチューバ・アサムジャワ。2年生で、この魔法工学の専門です」
サムカが穏やかな声と表情のままで、挑発的なチューバの物言いに応じた。
「そうかね。確かに死者の世界では、電子機器は非常に使いにくい。おかげで基礎知識もあやふやだ。つまり、こうして学ぶことができる機会は貴重なのだよ」
意外な反応に、警戒の視線を和らげるチューバである。が、すぐに元通りの顔に戻ってしまったが。
そこへ、マライタ先生の声が割り入ってきた。
「おい、チューバ君。熱膨張係数が1未満じゃないな。これじゃダメだ」
マライタ先生が口をへの字に曲げて評価を下した。口調も少し厳しめだ。そして魚顔に少し戻っているチューバを見る。
「制作時の加熱温度操作は、1気圧を維持しつつの860度ぴったりで行ったかい? それと、不純物の混入や、銅と錫原子の割合が理論値から外れたかもな。ほら、見てみな」
そう言って、再びマライタ先生が空中ディスプレーを出現させた。データを注いでやると、グラフが表示された。
横軸が温度で、縦軸が基準温度と比較した熱膨張の量を描写している。この熱膨張の量は、絶対温度300度の時の素材の長さを基準にして、その温度での素材の長さを記している。
そして描写されたグラフは、温度0度から水平気味になり、100度から再び上昇する傾きが生じていた。サムカが見ても、このグラフの水平具合が今ひとつに感じられる。じわじわと上昇していて、水平を維持できていなかった。
その感覚は正しかった様子で、チューバが急に悔しそうな表情に変わっていく。そんなチューバの背中を、マライタ先生が《バン》と叩いて説明を加えた。
「熱膨張量は、温度変化を示す物理量を温度微分したものだ。この傾きが熱膨張係数で、素材ごとに固有の値になるんだが……その絶対値が1未満じゃなかったな。1以上だと、ゼロ膨張とは呼べないんだよ。この素材で回路を組むと、魔法を使う際の発熱で魔法回路が膨張して焼き切れるぞ。まあ、まだ時間はあるから、やり直してみな」
丁寧に説明して、生徒を作業机に帰すマライタ先生。
さすがに顔を伏せて魚顔になりながら、そそくさと自分の席へ戻っていくチューバだ。
そんな彼を3年生の学年章をつけた狐族のベルディリが、軽口を言いながら出迎えた。落ち込んでいるチューバの背中を叩きながら励まし、同時に鋭い視線をサムカに向けてくる。当然ながら気にしないサムカである。
専門用語とグラフの嵐だったので、今は理解するためにしきりに首をかしげているサムカである。
そんな彼にマライタ先生がヒゲ顔を向けた。
「係数値が3だったんだよ。惜しいんだけどな。やはり作る以上は1未満であることを目指さないと。大出力の魔法を使うと、魔法回路に大きな負荷がかかって発熱するんだ。1未満でないと魔法回路が熱膨張で焼き切れてしまって、杖が破損するんだよ。よく起きる魔法事故だな。まあ。時間もまだあるから、再挑戦だ」
そう言ってニッカリと笑った。
「1未満でも、非常に強力な魔法を使うと杖が壊れてしまうけれどな。杖が壊れるのは宿命みたいなもんだ。ミンタ嬢とか杖を壊しまくってるんだぜ。テシュブ先生も何か作ってみるかい?」
サムカが手元に呼び出した空中ディスプレー画面にマライタ先生の話を入力しながら、明るい顔でうなずいた。
「そうだな。アンドロイドは後日の目標ということにして、教育指導要綱にある杖やホウキなんかで基礎を勉強したいものだ」
マライタ先生が大きくうなずいた。
「よしきた。基礎は非常に大事だよ、うん。じゃあ、先生用の教材を探してみるよ。次の召喚の時にでも時間を15分程度つくってくれ。組み立ての説明をするから。まあ、杖もホウキも消耗品だからな。壊れてしまう事を前提にして使う事だ」
入力を終えたサムカが微笑んだ。
「うむ、心得た。私は初心者だから、お手柔らかに頼むよ。ここに居ては授業の邪魔だろうから、私はそろそろ退散しよう」
そう言って、サムカが教室を後にした。まだ、時間まで余裕があるようだ。
「さーて、ボディができた子はいるかな? 次は頭脳回路を組むぞ。これは出来合いの量産品とはいえ、量子回路でややこしいからな、気をつけろよー」
教室の中からマライタ先生の元気な声がするのを背中に受けながら、サムカが向かいの校舎に視線を向けた。
「さて、次はどこに行こうか」
【西校舎2階の精霊魔法専門クラス】
「あら。サムカ先生。どうしたんですか?」
エルフ先生の教室に顔を見せたサムカに、授業を行っていたエルフ先生が驚いたような顔を向けた。今日も、いつもの機動警察の制服姿で、足元も実用本位のごついブーツで固めている。
生徒たちも一斉にサムカを見つめて、どよめいている。
先日の舎弟宣言は本当だったようで、生徒たちの倍ほどの人数の飛族とオオワシ族も、窓の外の空中に多数控えていた。100羽以上いる。
その向こうでは狐の精霊が4匹に増えていて、森の上空をウロウロしているのが見えた。
サムカが気楽な口調で話す。
「いや、つまらぬ用事で召喚されてね。時間が余ったので顔を出したのだが。見学しても構わぬかね?」
「あ、ああ、はい、どうぞ」
予想外の展開にかなり動揺しているエルフ先生。空色の瞳を水色や青紫色にしながらも、とりあえずサムカを教室の中に招き入れた。
サムカが教室の末席に、その大きな体を丸めて座る。
「私は光の精霊魔法は使うことはできないが、こんな機会でもないと学ぶことができないからね。さあ、私に構わず授業を続けてくれたまえ」
そう言って、教え子のペルとレブンに目配せをした。専門生徒のミンタとムンキンもいるので、今回は選択科目生徒との共同授業なのだろう。
(魔法適性の強弱から見て、専門クラスの生徒数は10名余りだな)と察する。残りは別の授業に出ているのだろう。
窮屈そうに座っているサムカの姿を見つめていたエルフ先生が、我に返ったかのように空色の目を瞬かせて教科書に目を戻した。
「ええと。では……『記録媒体への光の精霊魔法による書き込み』でしたね。光の波長が短いほど、多くの情報を少ない面積に書き込むことができるのは、これで判りましたね?」
「はーい、先生」
一斉に生徒たちが、かわいい声を上げる。
「では、これからちょっとした実習にしましょう。皆さんで光の精霊魔法を発動させて、〔記録〕してみましょう」
そう言って、エルフ先生が生徒たちに数枚の光ディスクを渡していく。サムカにも渡した。
「光の波長は、赤よりも青、青よりも紫外線の順に短くなりますから、できるだけ短い波長の光を発動させてみましょう。記録するサンプルデータは、皆さんの杖に転送しました。はい、では始め」
早速、見覚えのある狐娘のミンタと竜族のムンキンが気合と共に、青い光を簡易杖の先に灯した。さすがは適性があるだけあって、次第に青い光の色が消えていく。可視光線の領域から外れていって紫外線領域に移行しつつあるのだろう。サムカの〔防御障壁〕が振動し始めた。アンデッドには紫外線は有害なのである。
サムカが感心した声で静かにうなずいた。
「ほう。光の精霊魔法で、このようなことができるのかね。なるほど。道理で死者の国のネット回線が遅い訳だ。紫外線は除外されているからね」
錆色の短髪が紫外線のせいなのか、数本ほど跳ね上がっている。
エルフ先生が生徒たちの間を歩いて指導しながら、サムカの感想を聞いて顔を向けた。
「サムカ先生の世界では、記録は青色光までなんですか?」
腰まで真っ直ぐに伸びている、べっ甲色の金髪には静電気の火花などは走っていない。サムカに対して、それほど嫌悪感は感じていないようだ。
サムカが肩をすくめて答えた。軽く錆色の頭をかく。
「そうだな。よく知らぬが、多分そうなのだろう」
光の種類についてはアンデッドは詳しくないものだ。エルフ先生もサムカにつられて、少し肩をすくめた。
「そうですか。今は紫外線領域での記録が標準ですから、かなりの速度差になりますね。研究機関などでは、エックス線領域での記録もしていますよ」
素直にサムカがうなずく。
「なるほどな。死者の世界が時代遅れだと言われるのも、分かるな」
エルフ先生の日焼けした白梅色の顔の表情が、少し緩んだ。
ちなみに身長は145センチほどなので、サムカから見れば中学生あたりの体型に見える。ただ、トレーニングは欠かしていない様子だ。ごつい機動警察の制服の上からでも、まるでボクサーのような体であることが容易に見て取れる。
なお、エルフは種族の特徴として、結婚して子供を作る段階になって初めて女性らしい体型、筋肉質な男らしい体型に変化する。それ以外の時は、男女ともに少年のようなスレンダーな姿のままである。
「まあ……そんなに気になさらなくても良いと思いますよ。光の精霊魔法をこうして使いこなすのは、私たちエルフとノームくらいですから。他の種族や魔法使いたちは、ここまで高度な情報処理魔法は持っていません」
そこへ、ミンタが「はい!」と、左手を上げた。
魔法の白い手袋をしているのだが、長袖シャツの制服との隙間から、巻き毛混じりのフワフワな毛皮がのぞいている。一方の右手は杖をしっかりと握っていた。
「カカクトゥア先生っ。紫外線領域になったと思いますっ。見てくださいっ」
エルフ先生が一目見て、空色の瞳に穏やかな光を浮かべながら微笑んだ。
「ええ。波長も揃っていますね。では、サンプルデータの〔記録〕をしてみて」
「はいっ」
喜び勇んで、ミンタが杖を振りかざした。
続いて竜族のムンキンが、いつもの濃藍色の目を大きく見開いて声をあげた。
「級長として、ミンタさんには負けてられないなっ。先生! どうですかっ」
ムンキンが掲げている簡易杖の先に、同じような紫外線光を感じるサムカだ。次第に居心地の悪い場所になってきている。
(この程度であれば、〔防御障壁〕を調節すれば問題ないが……光速だから対処が後手に回るなあ。〔予測〕魔法を使うとするか)
サムカが右手の指をクルリと回して、事前予測を開始する。と同時に次々に生徒たちが、紫外線光を簡易杖の先に点し始めた。
微妙な表情になっているサムカを見て、エルフ先生が空色の瞳を細めてクスクス笑っている。
「サムカ先生。無理して授業を見学しなくても構いませんよ」
サムカが少しジト目になって、小さな席に座りながら腕組みをした。
「いや、大丈夫だ。私の教え子たちの様子も見ておきたくてね」
しかしサムカの教え子たちは、悪戦苦闘しているようだ。特に闇の精霊魔法の適性が強いペルは、半べそをかきはじめている。サムカが見る限り、ペルとレブンもちゃんと杖の先に光を灯しているのだが。
不思議に思うサムカに、エルフ先生が寂しげな口調で説明した。
「サムカ先生の仰る通り、ペルさんもレブン君も光の精霊魔法を発動させる事は、できるようになりました。しかし見ての通り、白色光です。全ての波長領域の光が混合状態になっているので白く見えるのですが、あの状態から特定の波長の光を強めていくのが、まだできないのです」
エルフ先生が日焼けした白梅色のきれいな顔を曇らせて、サムカにささやいた。細長い両耳の角度がやや下がっている。サムカも瞳を辛子色に曇らせて教え子たちを見た。
「クーナ先生が魔力支援しても、ダメだったのかね?」
「ええ。白い光の出力が高くなるだけでした」
「そうかね、うむむ……」
2人して、しばらくの間思案していたが……サムカがふと顔を上げた。
「闇の精霊魔法を応用すれば、可能かもしれん」
「え?」
エルフ先生の青い目が点になり、キョトンとした顔をする。
サムカが山吹色の瞳をキラリと輝かせ、エルフ先生の顔を見た。
「余計な波長の光を闇の精霊魔法で〔消去〕すれば、最終的に目的の波長の光だけにならないかね? 私も、このような魔法を使ったことはないが」
エルフ先生が空色の瞳を点にしたままで答えながら、困ったような顔をした。
「え、ええ。理屈ではそうですね。でも、2系統の魔法を同時発動するなんて」
「まあ、一度試してみる考えではあるよ。どうかね?」
サムカがいたずらっぽく微笑んだので、つられてエルフ先生も苦笑した。
「そうですね。試してみましょうか。ペルちゃん、レブン君。聞いての通りよ。できそうかしら?」
「イメージが湧きません~」
ペルが泣いて答えた。レブンも首を振るばかりで、ほぼ黒マグロな顔になっている。
それを見たサムカが穏やかな声で励ました。
「いきなり紫外線以外全部消すのではなく、徐々に他の光を消していくイメージだろうな。先日の風の精霊魔法を、闇の精霊魔法で包んだイメージの応用だ」
いきなりミンタが叫んだ。
「徐々に『消去』。これねっ」
教室じゅうの生徒と先生が、一斉に視線をミンタに向けた。光が見えない。紫外線領域の光を出しているようだ。サムカの障壁が《ビリビリ》と波を立てた。かなり強烈な光である。
「赤い電球、青い電球、というイメージを作って、その電球を消していけばいいのよっ。ペルちゃん、レブン君、やってみなよっ」
ミンタが机の上に立って、泣き虫狐と魚君を大上段から指差す。ものすごく決まっている。練習したのかもしれない。
サムカが首をかしげながらエルフ先生に聞いた。
「クーナ先生。あの子には、闇の精霊魔法の適性がないはずだが」
エルフ先生がミンタを見つめながら肯定する。
「ええ。ありませんよ。ミンタさんがしたのは、純粋に光の精霊魔法の手法です。光のスイッチを『消した』といったら分かりやすいでしょうか」
「優秀だな。魔法の応用を、瞬時にできるとは」
サムカが感心すると、エルフ先生も同意した。
「ええ。ミンタさんは1年生ですけど、もう3年分の授業を習得しています。精霊魔法だけ、先生に恵まれなかったために履修が進んでいませんでしたが。習得は非常に早いですよ」
サムカが山吹色の瞳を向けた。
「おや? クーナ先生も新任なのかね?」
エルフ先生が空色の瞳を和ませて微笑む。
「私はここに来て2年目ですよ。ミンタさんが魔法高校へ入学する前の、普通校での先生のことを言っているんです。彼女は、この魔法高校入学時に既に卒業資格相当だったのですよ、精霊魔法以外は」
いわゆる天才と呼ばれる生徒なのだろう。
「今は彼女向けの授業を、それぞれの教科の先生が考案して行っています。ほとんど研究職の段階まで達しているようですよ」
ドヤ顔をして机の上にモデル立ちしているミンタを、サムカが眺めた。
「なるほど。それでは、近いうちに彼女の博士論文が拝めそうだな」