一・ライトノベル作家、極英フミヤ
人の家に招かれたときは、約束の時間の5分ほど遅れて着くようにするのが一般的なマナーです。
なぜ5分遅れなければならないのかというと、招いた側がゆとりをもって出迎える準備ができるようにするためだそうです。
なら最初から約束の時間を遅らせろとは言わないように。マナーというのはそういうものです。
「そうですか、向こうはぼくに脚本を書いてほしいと?」
「いや、そうじゃなくて、アニメ用のオリジナルエピソードのプロットを書いてほしいっていうの。大まかなあらすじだとか、オリジナルキャラクターの原案とかを、あなたに作ってほしいっていうの」
「なるほど、それを元に脚本化が実際に脚本を書くっていうわけですね?」
「そういうこと」
高校生ライトノベル作家、極英フミヤは自らの名で発表している小説シリーズ、『異世界ドラゴンレース』のアニメ化の打ち合わせを、担当編集者の坂井ちなみと行っていた。アニメの制作会社との話し合いはちなみが行い、その内容をフミヤに伝えている。
四年前、新人小説賞での受賞をきっかけに中学生ライトノベル作家として華々しくデビューしたフミヤは、中高生の心を掴む作品を次々と発表し、華々しく人気作家の仲間入りとなった。また、彼のルックスも平均以上のものであった為、本来ライトノベルを読まない女性からの人気も高かった。
「勿論あなたに必ずやれって言うつもりは無いわよ、これから出さなきゃいけない本が沢山あるもの。もし無理だっていうなら、また向こうと話し合うけれど……」
フミヤは数秒間考えて、ちなみに返事をした。
「ぼく、書きます」
「まだいいわよ、来週末までに向こうに返事すればいいから。それまでじっくり考えればいいし、それにやるとしたら刊行スケジュールなんかも調節しなきゃいけないでしょ。だから焦らず、ゆっくりね」
「……それもそうですね」
アニメの件は一旦保留となり、続いて三か月後に発売予定の新シリーズ第一弾の打ち合わせをした。といっても、もうその小説は既に書き終わっており、今回はイラストレーターが描いた挿絵のチェックや今後のストーリーの展開についての話し合いだった。
「よし。今日話し合っておくことは全部終わったから、会議はこれにて終了!」
「ではお疲れ様でした。失礼します」
「お疲れ」
フミヤが小さい会議室から出た時、目の前の会議室からひとりの女性が出てきた。フミヤの仕事仲間の作家、倉石京佳だ。
彼女もフミヤと同じく、高校生作家である。フミヤがルックスの良さから女性に人気があるように、京佳も売れっ子女優負けの美貌を持っているので、人気が高い。
もちろん、彼女の作品の人気も高く、読者からの人気ランキングもフミヤと一、二を常に争っている。だが二人の関係は険悪なものではなく、極めて良好で、むしろお互いに好意を持っている節もある。
「倉石さん、お疲れ様です」
「あっ、極英先生。そっちもお疲れ様です。読みましたよ、新シリーズの原稿」
「えっ、坂井さん、また勝手に見せちゃったの」
「あの人、極英先生の原稿をいつも真っ先にわたしに読ませてくれるんですよ」
「もう、未完成の原稿を人に見せるなっていつも言っているのになあ」
「いいじゃないですか。未完成の原稿を人に見せてるってことは、それだけ信頼されてるって証拠ですよ」
「じゃあ聞いちゃおうかな。どうでした、今回の話」
フミヤの問いに対して京佳は一瞬間を開けた。
「ぜーんぜん面白くなかったです」
「えっ」
フミヤの戸惑う表情を見て、京佳は笑い出した。
「冗談ですよ、最高でした」
京佳の明るい声を聞いて、フミヤは胸を撫で下ろした。
「悪趣味な冗談は止めてくださいよ、心臓に悪いですから」
「いいじゃないですか、極英先生の書く話、全部面白いから妬んでいたんですよ。たまにはこれぐらい驚かせたっていいじゃないですか」
「今度チャンスがあったらやり返しますからね」
「あっ、だけど――」
京佳はそう言って、唇に人差し指をあてた。
「最近なんだか雰囲気変わりましたね。どこがどう変わったとはハッキリとは判らないんですけど」
「……変わった?」
「いやいや、気にしないでください。別につまんなくなったとかそういったわけじゃないし、私の思い過ごしかもしれませんから」
「いや、酷くなっていないんだったら良いんですけど――」
フミヤは苦笑を交じえて京佳にそう言った後、自分の腕時計を見た。
「あっ、もうお昼の時間だ。倉石先生、一緒にお昼を食べに行きませんか」
フミヤの昼食の誘いを京佳は断った。
「ごめんなさい、これから打ち合わせなんですよ」
「そうか、残念」
「あっ、今日は駄目ですけど、今度先生のお家へ行かせてくれませんか?」
「はい?」
「お願いします。一度、他の先生の職場を見てみたかったんですよ」
京佳の誘いにフミヤは戸惑った。どうしたものだろうか。
「駄目だったら良いです。その、女の人に家を入れるの、ご両親に見られたら嫌だと思うでしょうし……」
「いや、ぼく、一人暮らしだからそういうこと無いですけど」
フミヤはデビューして暫くした時、自立やその他諸々の事情の為に、彼はアパートで一人暮らしを始めた。
「えっ、良いんですか。先生のお家へ行っても」
「あ、まあ……うん、いいですよ。来ても」
「じゃあ、明日の朝十時に伺います。確かお家は南ヶ丘のアパートでしたよね」
「うん、アルプスハイムってアパートの203号室」
「判りました、それじゃまた明日」
「うん、また明日」
京佳は廊下を歩いていき、フミヤはその姿を暫くぼおっとして見ていた。
「はーっ、倉石先生、奥手だと思ってたけど、意外と積極的なんだあ」
突然の声に驚いたフミヤが振り返ると、そこにはちなみがいた。
「驚かさないでください。それに倉石先生とは只の仕事仲間ですよ」
「隠さなくたっていいわよ。うちの会社のトップ・ツーの人気作家同士が恋人同士なんて、話題になれば本の売り上げがどっちも上がって担当者としては大喜びよ」
「止めてくださいって、もう」
そう言って呆れるフミヤに向かってちなみは笑いながら、自分の部署へ戻った。
その場でフミヤはぐったりとしてしまった、これからどうすればいいのだろう。
「あいつ……どうしようか」
廊下の片隅でフミヤはぽつりと、そう呟いた。