五・追いつめられて
電車に揺られていると、連結部分の扉からパンツスーツを着た女性が現れ、香織たちが居る車両に入ってきた。
「愛知県警の大川千尋と申します」
そう名乗った女性はポケットから警察手帳を出した。どうやら本物の警察官のようだ。
「笹ヶ峰駅で殺人事件が発生しました。只今より皆さんに手荷物検査を行います。お手持ちの鞄を開けて、わたしが検査するまでそのままお待ちください」
殺人事件。つまり少女Aはあのまま死んだのだろう。車内が殺人というワードでざわめく。
手荷物検査は香織の予想通りだった。事件が駅で発覚して各電車に連絡が来ることも最初から予想できていたし、乗務員への対応も当然考えていたが、まさか本物の警察官がやるとは思わなかった。
千尋が香織たちの所へ来た。
「拝見します」
千尋はまず、通路側の座席に座っている二宮の鞄から調べた。
「なんだか、嫌な気分になるなあ」
二宮がぶつぶつと文句を言いながら、女警察官に鞄を見せた。
「大川さんだっけ? どうして警察の人がこんな所に」
「朝の通勤で乗ってたところを、上司から手荷物検査をしろとのお達しが来てこんな事を」
「あっそ。あとで警察からお詫びの品とか貰えません? せめてサブレとかでも」
「悪いけど、諦めて」
「メモ帳が筆箱にあるんで、そこに住所とか連絡先書きますから。お願いしますよ」
千尋が困り果てている横で二宮が筆箱からメモ帳を出し、自分の連絡先と伝言を書いた。伝言は恐らくお詫びの品のリクエストだろう。変な男だと香織は思った。
「あの、これは……」
「気にしないで。それじゃお願いしますよ」
「……では、次の方」
千尋が香織の鞄の中をチェックした。予想通りそこまで大がかりなものではなかった。鞄の奥にしまってある犯行の時に使った手袋は見られることも無かった。
「もういいですか」
「はい、ご協力ありがとうございました」
香織の検査は何事もなく終わった。
「あの、一つ聞きたいことが」
二宮が香織と千尋とのやりとりに口を挟んだ。
「何ですか」
二宮のこれまでの言動のせいか、千尋はうんざりしながら聞いていた。
「こんなおおざっぱなチェックで本当にいいんですか」
「大丈夫。一々全員の荷物を隅々まで確認していたらきりが無いから」
そう言って千尋は次の乗客の所へ行き、その乗客の手荷物検査を始めた。
「本当にいいのかなあ」
「お気の毒ね、女子高生の鞄の中身見れなくて」
二宮が香織の言葉で戸惑った。
「そんな、誤解ですよ」
「冗談に決まってるでしょう。大丈夫よ、君がやらしい目的であんな事を言うような人じゃないって思ってるから」
人を罠に落として楽しんでいるサディストだとは思っているけれど。
「それにしても犯人はかなり大胆な人物ですよねえ。人が多く行き交う駅で殺人を行うというのは、目撃者が多くなる大変危険なやり方です。このことに関して先輩、どう思いますか」
「うーん、犯人は無差別にこの画像の子を殺したんじゃない?」
香織は二宮を騙すため、嘘のヒントを教えた。
「つまり無差別殺人ですか」
「そう、その線はどう?」
「結構面白い考えだと思いますけど、それは無いんじゃないんでしょうか」
「どうしてそう思うの」
「無差別殺人だったら、周りに居た人も殺してしまったはずです。なにせ朝の通勤ラッシュ程、自分の事で頭が一杯で隙だらけの標的はいませんから」
「だけど、周りに人が居なかったんじゃないの」
「え、どうしてそう思うんですか」
「だって事件が起きた場所は駅の連絡通路でしょ。あそこ、人があまり通らないから」
「あの、先輩、今何とおっしゃいました」
「……あまり人が通らない」
「その少し前から」
「事件が起こった連絡通路は人が少ない」
「んー、どういう事かなあ」
「何が変なの」
「あの画像と一緒にあった文章にはこうあります“笹ヶ峰駅で人が血を出して倒れてた! とりあえず駅員さん呼んだけど、死んでる、よね?”これ、笹ヶ峰駅で事件が起きたことは書いてあるんですけど、それ以外に事件の発生場所に関する情報が無いんです。どうして連絡通路で事件が起こったと思ったんですか?」
あっ、と香織は自らのつまらないミスに対して、顔には出さなかったものの、内心激しく動揺した。どうにか誤魔化せないか。
「……地面の色」
「はい?」
「この画像の地面の色、連絡通路の地面の色と同じなのよ。だから連絡通路で事件が思ったの」
我ながら苦しい言い訳だと香織は思った。当然、二宮は反論した。
「僕たちが電車に乗ったホームは駅の入り口近くです。あなたは毎朝あそこに行って電車に乗ります。ですから連絡通路を通ることなんて無いんです。ましてや、通路の地面の色なんて覚えている訳ないと思うんですけれど」
このまま引き下がるわけにはいかない、香織は二宮に反論した。
「それはどうかしらね。そりゃあ普通の日はあたしが連絡通路を通ることなんて無い。だけど、他の日はどう? 言っておくけど、あたしは休日にあの連絡通路を通って別のホームから違う電車に乗って出掛けることだってあるのよ」
「嘘はいけません。さっきあなた別のホームの電車に乗ったことないと言ってましたよね」
「……だから何よ」
「はい?」
「言っておくけど、君が駅の事件の犯人があたしだと思っている事なんてお見通しよ」
「そんな、あなたが犯人だなんて、一言も言ってないじゃないですか」
二宮は白々しい態度をとった。
「どっちでもいいけど、もしあたしが犯人だと疑っているならあなた、とんでもない見落としをしているわよ」
「見落としとは」
「決定的な証拠が無いのよ。たとえ事件が起きた場所をあたしが知っていたとしても、それはあたしがその場所を知っているだけ。あたしがその被害者の子を刺したという証拠は無い。つまりあたしが犯人だなんて証明、できるわけないのよ」
流石にこれには二宮に反論のしようがない。
「残念だな。頭の良い後輩が出来たと思ったのに、殺人犯扱いされるなんて」
「……失礼しました」
二宮が席から立ち上がった。その時、車両に先ほどの手荷物検査をした警察官――千尋が入ってきた。千尋が二宮の近くまでやって来た。
「……さっきのメモの件だけど」
「ああ、すっかり忘れてた。あれ、どうだったんですか?」
千尋と二宮は電車の連結部分へ行って、こそこそと話を始めた。