七・残された謎
翌日の夕方、栄一と郷家警視は昨日と同じファミレスで待ち合わせをし、店の中で前に話題に上がったハイヒールの謎について話し合うことになった。照明と外からの夕日で店内が照らされている。
「あのハイヒールの件だが――何か思いついたことはあるか?」
「……いいえ、何も」
郷家警視の問いに、栄一は声のトーンを落として答えた。
「当たり前か。昨日はそんなこと、考える気にもならなかっただろうからな」
郷家警視はテーブルにある自分のコーヒーを飲み干し、カップを空にして席を立った。
「まあいい、この事はこっちなんとかするから……お前はしばらく休んでいてくれ」
「……ありがとうございます」
「それじゃ、飲み物代はこっちで出しておくからな」
じゃあな、と言った郷家警視は会計を済ませるとファミレスを出ていった。
自分のコップにあるコーラを飲みながら、栄一はぼんやりと店の窓に目を向けて、外の景色を見た。
空の夕焼けを見て目線を下げると、そこには詰襟の制服を着た見覚えのある学生が居た。二宮だ。店の窓から栄一の方を見てニコニコと微笑んでいる。その姿を見て、栄一の額に冷や汗がたらりと流れた。どうしてあいつはあそこにいるんだ?
栄一と目線が合った二宮が店に入って来て、栄一の横に来た。
「お疲れ様です。郷家警視と一緒にあなたがこのファミレスに来ていると聞いたもんだから、お話を伺いにここに来ました」
「あの女刑事さんから聞いたのか」
「ええ、確か前の事件の証拠のハイヒールに付着していた謎の血について話しているとか」
「よく知ってるな」
「大川さんから色々聞いておいたもんですから」
そして二宮は失礼します、と言って栄一の向かい側の席に座り、テーブルにある注文ボタンを押して店員を呼んだ。ピンポーン、という音が店内に響いてすぐにテーブルへ女性店員が来た。
「ご注文ですか」
「はい、ええとね」
二宮がメニューを開いてデザートのページを開いた。
「ここの“チョコバナナとマスカルポーネのパンケーキ”だけどさ、このマスカルポーネって、何?
」
「マスカルポーネとは、イタリアで生産されているチーズの一種で、乳脂肪分が多く、甘いのが特徴です。主にティラミスなどに使われています」
「へえ、美味しそうだなあ。じゃあ、それ一つね」
「チョコバナナとマスカルポーネのパンケーキをお一つ、ですね。了解しました」
注文を終えた店員は、厨房へ行った。
「マスカルポーネ、美味しそうな響きだ。楽しみだなあ」
場の雰囲気に置いてけぼりにされた栄一は、二宮に声を掛けた。
「……あの、二宮さん。俺の事忘れてないですか」
「いえ、忘れてなんかいませんよ」
「早いこと帰りたいから、聞きたい事があるなら早く言ってくださいよ」
「判りました。ではすぐに終わらせますので、少々お待ちください」
二宮が席を一旦立って、ドリンクバーへ行ってコップに冷えた水を入れてきた。
栄一は自分のコーラを飲み干しながら、早く色々と面倒なこの男から遠ざかりたいと思った。コーラを飲み終えると、二宮が席へコップを持って戻ってきた。
「お待たせしました。ええとですね、昨日あなたが市井さんから借りてたノートの件なんですが……」
「またそのノートか、こだわるなあ」
「すいません、いくつか気になる事があるもんですから」
「まあいい。手短にしてくださいよ」
「はい、ではあのノートですが――あなたはあれを昨日、学校で市井さんから借りたんですよね」
「そうだけど」
「そして写し終えて市井さんの家に返しに行ったと」
「ああ」
「んー、これがどうも引っかかるんですよね」
二宮がそう言った時、さっきの店員が二宮の注文したパンケーキを持ってきた。
「チョコバナナとマスカルポーネのパンケーキでございます」
「わあ、美味しそうだ」
テーブルに出されたパンケーキを見て、二宮は目を輝かせた。
「では、ごゆっくり」
仕事を終えた店員は、厨房へと戻っていった。
二宮はフォークとナイフを出してパンケーキに手を付け始めた。
「あの、二宮さん。俺の事忘れてるでしょ」
そう言われた二宮は明らかに動揺した。
「あ、いえいえ、そんな事ありませ……あ」
コップを持とうとした二宮は手を滑らせ、コップの中の水を絆創膏をしている栄一の手にかけてしまった。
「痛っ、ちょっと、なにしてるんですか」
「ごめんなさい、今ちょうど絆創膏持ってますから、こいつと貼り換えといてください」
二宮は自分のポケットから絆創膏を出し、水でふやけた栄一の絆創膏と交換した。
「ありゃあ、こんなに血が付いてる。とりあえずこの絆創膏は僕が捨てておきますので」
そう言って使用済みの絆創膏を、二宮はポケットにしまった。
「それで気になる事って、何なんですか」
「はい、確かあなたと市井さんの部屋は、お互いの部屋の窓が向かい合ってるんですよね」
「ええ」
「それが気になるんです。あなたがノートを写し終えて市井さんに返すならばですね、窓を通して直接返した方がずっと早くて楽なはずなんです。しかしあなたはわざわざ家を出て玄関を通って、彼女にノートを返しに行った。どうしてこんな面倒な事をしたのか、教えて欲しいのですが」
「別におかしいことじゃないだろ」
「どうして」
「二宮さん。早紀が死んだ時、あの家の鍵は全部閉まってた。覚えてますね」
「はい」
「つまり話は簡単だ。死んでいる早紀は俺が窓を開けろと言っても、死んでいるから開けることができなかった。だから彼女が死んでいるとは知らなかった俺は仕方なく、外を出て早紀の家の玄関を通ったんだ。これなら問題ないだろう」
「なるほど、しかしそれはおかしいと思うんです。普通ですね、早紀さんが窓を開けられない状態にあったのだとしたら、彼女に電話でもかけて、部屋に行って窓を開けてくれとでも頼むはずです。しかしあなたはそうしなかった」
「何を根拠に」
「もし電話をかけて彼女が出なかったとすれば、彼女には電話に出られないような、何か事情があると考えるはずです。だったらノートを返すのを待つなりするはずです。少なくともわざわざ呑気に家へ行って、ノートを返したりする訳が無いと思うんです。それに関して納得のいく説明をして欲しいんですが」
二宮の追及を受けた栄一は、はあ、と溜息をついて、席を立った。
「二宮さん、ひょっとしてあんたは俺を疑っているんじゃないか」
「そんな、そんなこと、一言も言ってないじゃないですか」
「誤魔化すんじゃない。言っておくけど、俺が早紀を殺したって証拠はあるのか?」
「……いいえ」
「そして、俺がどうやってあの密室を作ったのか。それが説明できるのか?」
「できません」
「なら俺を犯人扱いなんてしちゃいけないな。それが判ったら、また俺の所へ来てくれ」
そう言って栄一は二宮に背を向けた。
「出来る訳がないけど」
最後にそう言い残して、栄一はファミレスを出ていった。




