六・探偵の常識
「何だって!?」
千尋から市井早紀は殺害された可能性があるとの報告を受けた郷家警視は、応接間から離れて廊下の片隅で叫び声をあげた。
まったく、どうしてこうなったのだろう? その光景を栄一は横から眺めていた。
「しかし、現場は密室だっただろう」
慌てふためく郷家警視に、栄一は仕方なく説明をした。
「そりゃあそうですけど、二宮さん曰く、念のために調べておいた方が良いと言うもんで……」
「霧矢はどう思う?」
「……早紀が殺されたなんて信じられませんけど、疑問点をそのまま残すわけにはいきませんから、少しは調べておきましょう」
そう言われて郷家警視はうーん、と頭を抱えて唸った。
「親御さんには伝えておいた方が良いか、やっぱり」
「伝えない訳にはいかないでしょう」
「しかし事故死だとちょうど今、伝えてしまったからなあ。いまさら、あなたの娘さんは殺されたのですと言うのは、かなり勇気がいるぞ」
「もしかしたらショックで心臓が止まるかもしれない」
「……困ったなあ。俺は言いたくないぞ」
郷家警視はまた頭を抱えた後、ちらりと千尋の方を見た。
「郷家さん、まさかと思うんですけど」
「頼む。俺の代わりに行ってくれ」
「そんな、勘弁してくださいよお」
「これも経験だ。ほら、行ってこいっ」
郷家警視は千尋の背中を押して、早紀の父親が居る応接間へ追いやられた。
「さて、じゃあ俺たちは上へ向かおうか」
そう言って郷家警視は階段を上っていった。
この人、中々酷い上司だな……と思いながら栄一も階段を上った。
部屋に入ると、二宮はさきほど古本屋で買ってきた少女漫画を読んでいた。
「二宮君、聞いたぞ。君はこの事件が殺人だと言ってるそうじゃないか。少し説明をして欲しんだが」
郷家警視の問いに、二宮は漫画を読みながら答えた。
「あれ、大川さんから聞きませんでした? この遺体の手の指、両手とも何か握っていたかのように曲がっているんです。ですから彼女は死ぬ前、誰かと揉み合っていたと考えられます。つまり、彼女は犯人に突き飛ばされて、死んでしまったのだと考えられます」
「そんな……第一、ここは密室だったんだぞ。もしこの事件が殺人だったとして、君はそのトリックを説明できるのか」
「できませんよ、そんなの」
二宮のとんでもない言葉に、郷家警視は驚愕した。
「でっ、できないなんて、そんなの無責任じゃないか」
「だから可能性があるって伝えたでしょう。大丈夫です、これからゆっくり考えますから」
二宮はそう言って、再び神経を漫画に集中させた。
「そんな呑気に漫画を読んでいる奴の発言なんか、信用できるかっ」
二宮に向かって怒鳴った郷家警視は、栄一の方を見た。
「霧矢、外でタバコ吸ってくる。こいつの相手を頼むぞ」
郷家警視は怒ったまま、外へ出て行ってしまった。
「……二宮さん、あんたかなり大問題な人だな」
栄一はへらへらしている二宮に向かって文句を言った。
「えっ? そうでしょうか」
「あのねえ、自分の推理っていうのは、確信を持つまで決して人に漏らしちゃいけないんですよ。それぐらい常識でしょう」
「そうですか、覚えておきます」
……やはりこの男、大した奴ではなさそうだな、と栄一は安堵した。
そう思った時、漫画を読み終わった二宮が突然、栄一に質問をしてきた。
「そういえば霧矢さん、遺体の第一発見者でしたね」
「正確に言えば、早紀の妹の登美ちゃんと一緒に」
「そもそもあなたは、この家に何の用があって来たんですか?」
「ああ、そこの勉強机にノートがあるでしょ」
二宮は栄一に言われた勉強机を見て、そのノートを見つけた。
「そのノートを早紀から借りていて、返しに行こうとここを訪ねたんだけど、来てみたらこの有様で……」
「来た時は家の鍵が閉まっていたそうで」
「ええ、それで早紀の妹の登美ちゃんが鍵を開けたんです」
「そうですか」
質問が終わったところで、二宮は読んでいた少女漫画を閉じて机の上に置くと、部屋をうろうろし始めた。
「二宮さん」
「はい?」
「あなたは俺の助手として来たそうだけど」
「まあ、いちおうそういう事になってますけど」
「だけど今の質問はなんだか取り調べみたいだった。あくまで君は助手だろ? どうしてこんな事をするんだ」
「気にしないでください。事件について色々知っておきたいもんですから」
二宮はそう言って、またもや部屋をうろつき始めた。まったく、こいつの世話には手が焼ける。早紀の助手としての有能さを栄一は思い出した。
歩き回って、部屋の窓に目がいった二宮は、窓の鍵を勝手に開け、窓を開いた。
「ちょっと、勝手に開けられたら怒られますよ」
「大丈夫です。後で元に戻しておきますから」
そう言って、二宮は窓から見える、隣家の部屋を見た。
「この向かい側の家は?」
「その家は俺の家。で、ここから見えるその部屋が俺の部屋」
「ふうん、こんな漫画みたいに都合よく幼馴染同士の部屋って、隣り合うもんなんでしょうか」
窓の風景を見渡した二宮は窓を閉めて、鍵をかけた。そして勉強机のノートを手に取って、パラパラとページをめくった。すると二宮は急に声をあげた。
「あれえ!」
「そのノートに、何か」
「これ、あなたが借りてたノートですよね」
「ええ」
「それで、今日返しに来た」
「そうだけど」
「これ見てください」
そう言って二宮はノートを開いて栄一に見せた。
「最後に市井さんが記録したページです。ここに学校の先生のチェックマークと、日付が書いてあります。日付は十月十六日。これ、今日の日付です。どうして先生はあなたに貸していたはずの市井さんのノートを、チェックできたのでしょうか」
まずい、これは痛恨のミスだ。栄一は大急ぎで言い訳を考えた。
「ああ、そのノート、今日がノート点検の日だっていうのを忘れてて、家にノート忘れてしまったんだ。それで提出を明日に伸ばしてもらって、放課後に早紀のノートを借りさせてもらったんだよ」
「なるほど、そういう事だったんですか。納得しました」
二宮がそう言って栄一に満面の笑みを向けた時、下からバタバタッ、という物音と共に千尋が一階から上がってきた。
「ごっ、郷家さんいる?」
「いえ、外でタバコ吸ってますけど」
「何かあったんですか」
「い、いや、それが……」
千尋はしばらく言葉を言いづらそうにもじもじして、漸く口を開いた。
「娘さんは殺されたかもとご主人に言ったら、泣き出してトイレに行って、奥さんと娘さんと一緒に閉じこもっちゃって」
……この家のトイレ、そんなに広かったか?
部屋に居る全員がやれやれと顔を見合わせた所で、この日の捜査は終了した。




