四・思わぬ遭遇
警察が早紀の家に来たのは、現場に踏み込んだ早紀の妹の登美が連絡してから十分ほど経った頃だった。
やって来た何台ものパトカーから数人の刑事が出てきて、その中には郷家警視もいた。
玄関の前にいた栄一に向かって郷家警視が走ってきた。
「おい、一体どうなってんだ。ここで市井さんが死んだと聞いて飛んできたんだが、本当か」
「ええ、頭を強くぶつけて……」
「このことは、彼女のご家族には伝えたのか?」
「早紀の両親には連絡しました。妹の登美ちゃんは今、トイレに閉じこもって泣いています」
「そうか……とにかく入らせてもらおうか」
郷家警視はため息をつくと後ろを振り返り、部下に目配せをして家にぞろぞろと入った。後ろに続いて栄一も玄関に入った。
部屋に入ると、早紀を見て郷家警視はなんてこった、と呟いて頭を抱えた。
改めて早紀の死体を見ると、栄一の中で罪悪感が膨らんだ。やはり、良きパートナーが居なくなるというのは悲しいものがあった。
しかし殺してしまった以上、最後の最後まで逃げなければならない。それが栄一に残されたプライドだった。
「刑事さん、ちょっと外に出てきていいですか」
「……ああ。こっちは俺たちに任せてくれ」
そう言われて家を出た栄一は、暗くなった街をふらふらと歩いた。
歩いていると、栄一の目に古本屋が見えた。そういえば早紀は漫画が好きだったな、と思い出した栄一は何となくふらりと店の中へと入った。
店に入って店内を回ると、早紀が好きだった少女漫画のコーナーへ向かった。そこにはピンク色に染まった棚があり、その棚の前でひとり漫画を黙々と読んでいる人物がいた。
その人物を見て栄一はぎょっとした。漫画を読んでいたのは女性ではなく、黒い詰襟の学生服を着た男子学生だったからだ。
その奇妙な光景に面食らった栄一は棚から出した漫画を戻し、店から出ようとした。
棚に背を向けた時、栄一は後ろから突然肩を叩かれた。振り返るとそこには例の制服を着た学生が居た。驚いた栄一に学生が話しかけてきた。
「あなたもお好きなんですか、少女漫画」
「……は?」
「いえ。男性がこのコーナーへ来るなんて珍しいな、と思いまして」
それはこっちの台詞だ、と栄一は心の中で呟いた。
「お好きなんですか?」
「えっ?」
「少女漫画のことです。お好きでなんですか?」
「……いや、知り合いが好きで」
「彼女さんですか」
「まあ、似たようなものかな」
「一度自分で読んでみてください。一条ゆかり先生の『有閑俱楽部』なんか最高ですよ。少女漫画だからって偏見を持たずに、ほら」
そう言って学生は栄一に棚から漫画を出し、栄一に持たせた。やたら熱心に少女漫画を勧めてくる学生に、栄一はたじろくばかりだった。
その時、学生の所へパンツスーツを着た若い女性が来て彼に話しかけてきた。
「あっ、こんな所に居た。どうして高校生の男子が少女漫画のコーナーにいるのよ」
「ひどい偏見だな。大川さん読んでみてくださいよ。少女漫画を舐めてたら、どえらい目に遭いますから。ほら、これを」
学生は大川と呼ばれた女性に栄一に渡したものと同じ漫画を三冊押しつけた。
「ほら、明日までに読んで感想文を原稿用紙三枚に書いて僕に渡してくださいね」
学生に向かって頬を膨らませた大川は、その漫画を棚に乱暴に戻した。
「もう、ここに集まった目的忘れたの? ここにいるっていうから、わざわざ来たんじゃない。わたしは読書に来た訳じゃないのよ」
「判りましたよ。今から会計に行ってきますから」
そう言って学生は棚から何冊か漫画を出して、少女漫画コーナーから立ち去った。
「あの、あの人は何者なんですか」
栄一は大川にそう尋ねた。
「え、ええと、あいつは……あれ?」
栄一の顔を見た大川は驚いた顔をした。
「確か君、霧矢栄一君だよね」
「そうですけど、何で俺の名前を知ってるんですか……あっ、もしかしたら警察の方ですか」
「ええ、県警の大川千尋です。いつも郷家さんがお世話になってます」
そう言って千尋は警察手帳を栄一に見せた。
「あの、幼馴染の助手さんが亡くなったと聞いたんだけど……郷家さんの机の上にあなたと助手さんの写真があってね。あの写真じゃとても元気そうな子だったのに、この年で亡くなるなんて可哀想ね」
「ええ、全くです――で、あの人は?」
「ああ、彼は二宮浩太郎って学生でね。通称はニノ」
「ニノ、ですか」
「そう呼んでるの、わたしだけなんだけどね」
「いや、一人だけじゃ通称じゃないでしょう」
「……とにかく」
誤魔化したな。
「ニノ、君の居なくなった助手ちゃんの穴埋めとしてスカウトされたのよ」
……あの男が早紀の代役だって?
「彼がですか?」
「頼りないと思うけど、割と使える男だから。たぶん」
「たぶん、って」
会話が終わった時、二宮が二人の元へ来て千尋に話しかけてきた。
「あの、大川さん。頼みがあるんですけど」
「……あのさ、まさかと思うんだけど」
千尋が二宮の持っている漫画に目線を移した。
「ええ、財布忘れたので千円貸してください」
……こんな奴なら、自分が犯人だと見破れる訳が無いな。栄一は二宮を冷ややかな目で見ながら心の中で呟いた。




