四・はた迷惑な男
フミヤと二宮がアパートに到着した時、建物の前には数台のパトカーが停まっていた。恐らく、死んだ巧を見た大家が通報をしたのだろう。
フミヤが住んでいる203号室の扉は開いており、刑事ドラマでお馴染みの“立ち入り禁止 KEEPOUT”のテープが貼ってあった。
フミヤはテープの向こう側で捜査をしている女刑事に声を掛けた。その声を聞いて、女刑事は二人が居る部屋の玄関に来た。
「あなたは住人の……」
「ええ、極英文哉です」
「県警の大川千尋です、で……」
フミヤを見た千尋は、次に二宮の方を見た。
「あっ、あっ、あんたは!」
「先生の友人の二宮と申します」
「あんた、前に電車で捜査情報を教えろと頼んだ……」
「えっ、何の話……? ああ。そういえばそんな事、あったなあ」
「そ、そんな事って! わたし、あの後物凄く上司に叱られたのに、そんなに軽く流さないでよ!」
この二人、前に何かあったのか?――まあ、聞かないでおくか。
「それに、先生ってのは?」
「あれ、知らないんですか? 彼、作家なんです」
「ああ、確か極英さんは人気作家だったっけ」
「そうです、この人、テレビに出てたでしょう」
「いや、最近はあんまりテレビ見てないから……」
「そうですか。あの、一緒に部屋に入っても宜しいですか」
「何言ってるの! 絶対止めてよ。またわたしが叱られる」
「気にしないでください。何でもお手伝いしますから」
「そういう問題じゃ……」
「大丈夫です、捜査の邪魔はしませんから」
二宮の態度に、女刑事は溜息をついた。
「……判ったわよ。但し、何もしないように」
そう言われた二宮は嬉しそうに部屋の中へ入った。
「あの、嫌だったら追い出した方がいいですよ。彼と出会ったの、ついさっきだから……」
フミヤは千尋にそう進言した。
「あの二宮君、いや、略してニノにそう言った所で、大人しく帰ってくれると思う?」
それは無理だろう、あの好奇心の塊が帰ろうとする筈がない。
「……それもそうですね」
そう言って二人は部屋の中に入り、居間へ続く廊下で、千尋はフミヤに説明し始めた。
「被害者は竹崎巧さん、二十四歳の男性です。職業は無職で、恐らく収入源が無い事から生活に困り、この家に侵入し、部屋の中の物品を物色するつもりだった。というのが警察の見解です」
「ちょっと待ってください。じゃあどうしてその被害者は殺されたんですか?」
フミヤは戸惑う演技をした。少々大袈裟だったか、と不安になったものの千尋はフミヤの演技を怪しんだりしなかったので、彼は一安心した。
「ええと、どうやらこの部屋に入った侵入者は被害者とペアでもう一人いた様で、二人との間に戦利品の配分による対立が起こり、もう一人の侵入者が被害者を殺害したとみられています」
「……そうですか」
フミヤはその見解を聞いて心の中でほくそ笑んだ。どうやら、自分の思い通りに事は進んでいる様だ。
会話を終えると、千尋が居間の扉を開けた。
巧の倒れている事件現場の居間には、数人の警官、鑑識官とアパートの大家がいた。そして、そこでは二宮が素手で巧の腕を持ち上げていた。それを見て千尋は青ざめた顔で叫んだ。
「ニノ!」
ニノという叫び声を聞いて、二宮が驚いた。
「あの、ニノというのは……」
「二宮略してニノ! いきなり死体を素手で触ったりしない!」
「え、死んでいるんですか?」
「死んでなきゃ、今頃病院よ! はい、この手袋をはめて!」
千尋は二宮に手袋を差し出した。
「いいんですか、国家権力がそんな簡単に民間人に屈しても」
フミヤは千尋に抗議した。
「もう、どうにでもなれって感じ」
千尋は諦めの表情でそう言った。それを聞いて溜息をついたフミヤは、大家に挨拶をした。その後、二宮が巧を調べている横で、千尋はフミヤに巧の顔を見せた。
「この男が被害者の竹崎巧です。この顔に見覚えは?」
「いや、全く知らない男です」
フミヤはさらりと嘘をついた。
「あの、この部屋、どうにか片づけられませんか。明日、人が遊びに来るもので」
「判りました、現場検証が終わったら全員で片づけをします。ほらニノもやるんだよ」
それを聞いた二宮が困惑した。
「嫌ですよ、そんな重労働」
「勝手に捜査に参加しているんだから、当然でしょう」
「いや、僕は肉体労働より、頭脳労働の方を……」
それを聞いた千尋は、何が頭脳労働よ、と言って一蹴した。
「あの、極英さん……」
横から大家がフミヤに尋ねてきた。
「どうしました、大家さん」
「遊びに来る人って……あの?」
「あの、って?」
「ほら、よく極英さんのお部屋にこそこそ出入りする人」
まずい、巧の事だ。まさか、顔を見られていたのだろうか。だとしたら、かなりまずいことになる。フミヤは額に汗が一筋、流れるのを感じた。
「あの、あの人は……」
どうしよう、次の言葉が浮かばない。早く何か言わなければ、とフミヤが思った時、大家が思いがけない言葉を放った。
「もしかしたら、女の子とかでしょ」
「……はい?」
「女の子よ。ガールフレンド、でしょ?」
ガールフレンド。今のフミヤには倉石京佳という想い人がいるのだが、他にごまかしが効かないので、そうですとフミヤは答えた。
大家はそう、と言って部屋を出ていった。
「ガールフレンドですか。まさしく、バラ色の如き充実した生活ですね」
二宮が横から口を出した。
「二宮さんはいるの、彼女」
「昔いましたけどね。すぐに別れましたけど」
「その人、大したものだよ」
フミヤは投げやり気味にそう言った。この男、とっとと帰ってくれないだろうか。
「あっ、そうそう、大川さんにこれ……」
二宮は千尋に、現場にあった巧の財布を見せた。
「これ、中身見ていいですか」
「どうぞ」
「どうも。では、拝見します」
二宮が財布を開いた。
「ええと、福沢諭吉が……五人、樋口一葉は三人、野口英世が四人、そして何故か夏目漱石が一人います。小銭は少しだけで、カード類は図書館の利用カード、プリペイドカードに保険証、整形外科の診察券です」
「整形外科って、自分の顔でも整形するつもりだったのかな」
千尋のその疑問にフミヤは出鱈目を言った。
「きっと、犯行を終えたら整形して上手く逃げるつもりだったんですよ」
「それもそうね」
千尋は、フミヤの言葉にあっさりと納得した。
「うーん、たがが泥棒をしただけで? 殺人とか強盗ならまだ分かりますが」
二宮が二人の会話に横槍を入れた。二宮の言動に苛々したフミヤのフラストレーションは上がる一方だった。
「すいません刑事さん。ぼく、外へ出掛けていいですか」
フミヤが千尋にそう言った。
「どうしたの」
「明日のお客さんに出す食べ物を買いに行ってくるんです。それに、あの二宮って人、うるさいし」
フミヤに同情した千尋は、フミヤの外出を許可した。買い物鞄を荒れた部屋から出し、フミヤはいつも利用しているスーパーへ向かった。
帰る頃には、二宮には帰っていて欲しいな、と思いながらフミヤは道をとぼとぼと歩いた。