三・コーヒーブレイク
「だからね、僕は甘いウインナーコーヒーが飲みたいの。どうして判らないかなあ」
「いや、お客様。ウインナーコーヒーというのは生クリームが乗っているコーヒーだということは判っているんです。ですけど、夏の間はウインナーコーヒーの代わりにコーヒーフロートを販売しているので、そちらのほうを……」
「分かってないなあ。夏の日にエアコンが効いた寒い部屋の中で、温かくて甘いウインナーコーヒーを飲むのが良いんじゃないですか。何で無いの」
女性店員に向かって、詰め襟の学生服を着た青年は子供のように駄々をこねていた。
学生を待てず、フミヤは彼の前に出て店員に注文をした。
「すいません、コーヒーフロート一杯お願いします。シリアルのトッピング付きで」
面倒な客の相手で困り果てていた店員だったが、フミヤの姿を見ると、顔をぱっと明るくした。
「コーヒーフロートのシリアル付き、一杯ですね。二百円になります」
目の前の学生が、コーヒーフロートという単語に反応した。
「あなた、今コーヒーフロートを注文しましたか」
「はあ、そうですけど」
「トッピング、シリアル付きとも」
「……ええ。それが何か」
学生が一瞬考える仕草をして、店員に注文をした。
「お姉さん、他にトッピングの種類はある?」
「チョコレート、ストロベリー、グラノーラです」
「レパートリー少ないなあ。まあいいや、ストロベリーでお願いします」
店員はやや怒り気味に注文の暗唱をした。
「……コーヒーフロート、ストロベリー一杯ですね、二百五十円になります」
「に、二百五十円って、この人より五十円高いじゃないですか」
「三百円です」
「さっきより増えてる! そんな事することないでしょう」
ここまで学生がやったことははっきり言って自業自得なのだが、フミヤは助け舟を出した。
「お姉さん、もう勘弁してあげてくださいよ。この人、たぶんここに来るの初めてらしいし、ね?」
顔立ちの良いフミヤになだめられた店員は、極英先生がそう言うなら、と言って学生のコーヒーフロート代を二百円に戻した。
「はい、二百円」
学生は不機嫌そうに店員に代金を払った。続いてフミヤが店員に代金を払った。
「あ、極英先生は常連さんなので百五十円でいいですよ」
店員はフミヤに笑顔でそう言った。
「え、ちょっと、それは無いでしょう。さっきの二百五十円と百五十円って、百円も違うじゃない」
学生がぶうぶうと文句を言った。フミヤは、なに言ってるんだこいつ、と心の中で呟いた。しかし延々と学生に喚き続かれてはうるさくて仕方がないので、フミヤが学生の分のコーヒーフロート代を一緒に払ってやることにした。
「ぼくがこの人の分も払っておきますよ。はい、三百五十円」
フミヤが三百五十円を店員に払い、その横で学生が声をかけた。
「そんな、いいんですか」
「いいですよ。じゃ、もう一杯はこの人の席に置いといてね」
そう言われた店員は学生に二百円を返した。
注文を終え、レシートを受け取ったフミヤはいつも座っている窓側の座席に座った。
さて、巧が死んだ今、これからどうやって執筆していこうか、とフミヤは考え始めた。何せ今年の刊行スケジュールにはフミヤの小説が四冊も載っている、更にアニメの仕事も加わったら、一人じゃ書ききれない。とはいえまたゴーストライターを雇うわけにはいかない、アニメのほうは断ろうか……
そう考えた時、フミヤの座っている座席の横に、さっきの学生が座った。
「あの、さっきはどうもすいません。あんな見苦しい所を見せちゃった上に、コーヒーフロートまで奢ってもらっちゃって……あ、僕、二宮っていいます」
二宮は妙に丁寧な話し方で、フミヤに声を掛けた。
「二宮さんですか。いいですよ、あんなの」
その時、店員がフミヤと二宮のコーヒーフロートを持ってきた。
「コーヒーフロート、二杯です。では、ごゆっくり」
店員がカウンターへ戻り、二宮がコーヒーフロートのアイスクリームの部分を食べ始めた。
「あ、このコーヒーフロート、結構美味しい。あとであのお姉さんに謝っておこう」
「その方がいいですよ。あんなに文句を言ってたんだから」
「それはそうですけど、あのお姉さん僕には厳しかったですけど、あなたにはずいぶんと親切でしたねえ。常連さんなんですか?」
「そんなとこですね。週に二、三回は通ってるから」
「そういえばお姉さん言ってましたけど、あなたの名前は極英さん、ですよね」
「ええ、極英フミヤです」
「それに先生とも」
「ラノベ作家をやっています」
「ライトノベル作家ですか」
二宮はそう言うと、少し考え事をし、何かを思い出したような仕草をした。
「思い出しました。先生、先週テレビに出てたでしょう。確か情報番組でゲストとして出てましたね」
「ああ、あの番組ですか。なかなか大変だったな」
フミヤは世間では物珍しい高校生作家として、テレビなどのメディアへの露出も多かった。それがゴーストライターを雇う要因になったのは言うまでもないが。
「どうでした、テレビ局は。僕、一度中学校の時の修学旅行でフジテレビに行ったんですけど」
「修学旅行で行ったんだったら、スタジオまで入ってないでしょ」
「ええ、丁度お昼の情報番組をやってて見学できませんでした。羨ましいなあ」
続けて、二宮がフミヤに質問をした。
「先生、そういえば思い出したんですけど、テレビに出た時にテロップで下の名前がフミヤとカタカナで書いてありましたね。あれって、本名じゃなくて、ペンネームなんですか」
「ええ、本名の極英文哉の文哉をカタカナにしただけなんですけど」
「それまたどうして。折角なら大胆に変えても良かったのでは」
「あんまり名前を変えちゃうと自分の小説って感じがしなくて、それでデビューした時に変えたくないと担当さんに言ったんですよ、だけど……」
そう言ってフミヤはさっきのレシートを出すと、ポケットに刺していたボールペンで自分の名前を書き入れた。
“極英文哉”
「例えば、本の背にこう書いてあったとします、これを見て二宮さんはどう思います?」
「何でしょうね。何だか、こう、漢字が多くて、堅苦しいような雰囲気がします。推理小説なんかではよくありそうですが」
「二宮さんはこの本、読んでみたいと思います?」
「僕はともかく、ライトノベルを読む人からはちょっと敬遠されるんじゃないかな」
「そうでしょう。だからね……」
フミヤはレシートの先ほど書いた名前の横に、次はこう書いた。
“極英フミヤ”
「どうですか、これでは」
それを見て二宮は感心した口調でこう言った。
「ははあ、何だか、堅苦しさが無くなって、軽い感じがしますね」
「そうでしょう。これを見て、買ってみたいと思いますか」
「ええ、さっきの全部漢字のバージョンより、ずっと読者に興味を持たれると思います。出版社の人も頭が良いですねえ」
「本当、あの人たちには頭が上がりませんよ」
フミヤはそう言って、溶け始めたコーヒーフロートのアイスクリームを食べ始めた。
「しかしライトノベルというのはあんまり読んだことがないものだから、本のタイトルが妙に長い本だとしか思っていなかったのですがね、こうやってみると、実に奥が深いんですね」
「あんまりラノベを侮ってもらっちゃ困るなあ。二宮さんはラノベ、読まないんですか」
「どうも未知の領域って感じがして、避けていたんですよ。推理小説なんかはよく読むんですが」
「……推理小説?」
「ええ、ミステリです。極英先生はお読みになりませんか?」
「読んでないってことはないけど……」
人を殺した後に、話題にしたい本ではなかった。
「そういえばテレビで言ってましたけど、先生、二か月に一冊のペースで本を出されているそうで。どうすればそんなにお話が湯水のように湧いてくるんですか」
二宮がコーヒーフロートの残ったコーヒーへ大量に砂糖を入れながら質問をした。
「それは……あの、二宮さん、砂糖入れすぎてませんか」
「いや、いつもこれ位入れて飲んでいるんですがね」
「だけど、ストロベリーシロップがかかったアイスクリームを食べた後に、そんな甘いコーヒーを飲むのはどうかと……」
「そうかなあ」
二宮は砂糖を入れ終え、その甘ったるいコーヒーを飲んだ。
「うん、良い感じです」
……この男の味覚神経は狂っている、とフミヤは思った。その様子を見ている店員も、二宮を怪訝そうな顔で見ている。
「まあ、好みは人それぞれだから……で、なんて質問だったっけ」
「どうやってそんなにたくさん本を出しているのか、です」
フミヤはこの質問に少し悩んだ、正直にゴーストライターを雇っているからと言える訳がない。
「そうだなあ。書き始めたら頭に話が浮かんでくるんです」
「成程、天啓の才能というやつですか」
「まあ、ちょっと偉そうだけど、そういうやつです」
会話していくうちに二人のコーヒーフロートは空になった。誰かから連絡が来るまで、もう少し店内に居ようと思ったフミヤは二宮に話しかけた。
「そうだ。ちょっとしたテストをしてみます?」
「テストですか、どんな」
「簡単な二択問題、イエスかノーで答えてください、第一問、あなたは嘘をつくのが上手ですか?」
二宮は少し考えた後、問題に答えた。
「ちょっぴり、あるかもしれません。あんまり、褒められたものではものではないと思いますけど」
「まあ、テストだからそれはさておいて。では第二問、読むのが好きですか?」
「本はよく読みます」
「ぼくの本も読んでください」
「はい、本屋さんに行ったら探しておきます」
「じゃあ第三問、見るのは好きですか……って、情報番組を見てるような人だから、テレビを見るの、好きでしょ」
ええ、それはまあ、と二宮は頷いた。
「では最後の問題、好奇心は強いですか?」
「かなりあります。昔から他人の面倒事に首を突っ込むのが好きなもので」
それを聞いてフミヤはそうですか、と呟いた。あまり事件には首を突っ込まないで欲しいものだ。
「あの、このテスト、もしかしたら小説家の適性検査とかじゃないですか?」
「察しが良い、これは小説家の適性検査みたいなもので……」
その時、フミヤの携帯が鳴った。予想より少し早かったな、と思いながらフミヤは電話に出た。
「はい、こちら極英です」
電話の相手はアパートの大家だった。フミヤの部屋の扉が開いていて、中を見ると泥棒らしき男が倒れていたという。完全にフミヤの計算通りだった。
「えっ、そんな、空き巣なんて……そうですか、判りました。すぐにアパートに戻ります」
フミヤはそう言って電話を切った。
「あの、どうかされたんですか」
フミヤの様子を見て、二宮が聞いてきた。
「アパートのぼくの部屋に空き巣が入ったんです。では、急がなきゃいけないので、これで失礼」
席を立ち、店員にご馳走様といってフミヤは喫茶店を出た。
店を出てアパートへ歩いていると、フミヤの後ろから、自転車に乗っている二宮がフミヤを追いかけてきた。
「先生、アパートまでご一緒します」
二宮が自転車に乗りながらフミヤに声を掛けた。
「いやいいですよ、そんなの」
「そんな、困った時はお互い様です。ほら、行きましょう」
別にあんたに来られても困るだけなんだけど、とフミヤは言いたくなったが、どう言っても必ず付いてきそうな気がしたので、結局、二宮を連れていくことにした。
言うまでもないが、フミヤはこの判断をしたことを後にとても後悔することになった。