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第一章 畜生

全三章で書き終わっています。二日ごとに一章のペースで投稿します。

第一章 畜生


「あっ、あっーーーー!」


 男が落ちる。

 こわばった手足は上方に残して、不幸にも頭を先頭に下へ。眼は驚きで見開いて、物珍し気に何かを覗き込むような、その視線は揺れながら迫る地面を捉え、その情報が頭の中で意味を作るよりも早く衝突することになった。

 哀れなその姿は、折れねじ曲がり潰された虫めいて、少しだけ震えて動かなくなった。


 その光景を、高層の窓辺から見ているものがある。身体は光沢がない外装で覆われて、顔は隠すようにスモークのメットを被っている。その人物は、地上の惨状に満足げに頷くと、手すりを乗り越えて、壁面の凹凸を走り跳んだ。そして、密集したビルを飛び移りその隙間に入り込んで、街灯の灯りも届かない街の暗がりに沈むように消えた。




 十畳ほど絨毯敷きの室内の一角に珍妙な塊が鎮座している。それは布団に毛布を、さらにその上から布団を、といった風に積み重ねたかのような布の塊で、ゆらゆらと蠢いている。ふと室内に来客を知らせる呼び鈴が響いて、その音に促されたかのように、布団の塊がひときわ大きく震えたかと思うと、いくつもの掛具が跳ね飛ばされて中から外套の男が姿をあらわした。どうやら男は安楽椅子の上、外套を着こんでさらに上から布団を重ねて寝ていたらしい。そんな異常な寒がりにも思える男は、掛具をひとまとめに抱えて、いくつかある扉のうちの一つ倉庫につながるものを開けてその先に放り投げた。男は、襟元を整えて、入り口につながる一番厚い扉の先から、訪問者を迎え入れた。


「ようこそいらっしゃいました。三方探偵事務所へようこそ」


 入ってきたのは、スーツを着込んだ男性で、メガネの奥の瞳が不安げな視線を向けている。外套の男は訪問者に椅子を勧めて、自分は対面に座った。


「一級調査官の三方和樹と申します。本日は私をご氏名とのことですが」


「私は、お電話させていただいた環境庁の石上と申します。先日から害獣の報告が何件か来まして、ぜひご対応いただけないかと。

 詳細については、こちらの書類にありますので、何卒よろしくお願いいたします」


 石川は鞄から取り出した封筒を三方に手渡して、よろしくお願いしますと重ねて念を押して去っていった。

 三方は安楽椅子に移動して、封筒の中の書類を少し読むと電話端末を取り出した。どこかに電話をかけて、…すぐにつながった。


「三方だ。鈴木さん。

 …例の仕事についてなんだけど」


「今は就業時間中だぞ。何の用なんだ」


 端末からは不機嫌そうな男性の声が流れた。


「いやいや、待ってくれよ。こんなの不可能だろ」


 三方が受け取った書類は、大手機械工業会社、スズキ重科学工業の重役である鈴木が行方不明者の身柄確保を依頼するもので、行方不明者についての情報と行方をくらます前の状況が書いてあった。しかし、その内容がおかしい。行方不明となったのは、鈴木重科学工業の主任研究員、井頭貴、44歳。先日の臨界反応事故に巻き込まれ行方不明となる。事故後に回収された肉片の一部が本人のものであると確認された。


「こんなの絶対死んでるじゃないか。何のための依頼だよ」


 電話の先の声は、呆れたように、


「全部読んでいないのか。見つけてほしいのは識別タグだけだ。どうやら事故現場からタグ持ち出されたようで、タグの反応が下水路に移動していた。人を何人か出したんだがへまをしたようでな。近くではワニを見たという付近住民からの報告もある。だから君に任せたんだ」


 書類をはじめの方しか読んでいなかった三方は、この段になって内容を把握したようで


「そうかい。楽勝だな。

 それで居るかもわからないワニはどうするんだ。一応環境庁から害獣駆除の依頼ってことになってるんだろ」


「そちらは失敗でいい。適当に報告しておくさ。

 もう切るぞ。まかせたからな」


 通話は切られ、三方は端末を懐に戻す。そして、のんびりと書類を、今度は隅々まで読むことにした。




 探しているタグは発信しており、リアルタイムで位置を把握できている。その反応を追って三方が辿り着いた地下通路ではところどころに水路が引かれ、落下してきたゴミなどを除くために重機が行きかっている。明かりと呼べるものは頼りない天井の電灯のみで、蜘蛛の巣のように広がり同じような景色が連続しており、たちの悪い迷路といって間違いはない。

 タグの発信を頼りに、体に埋め込まれた器械が進むべき道を示してくれているのだから、迷うはずもない。

 タグを追って三方は、農業用水を溜めておくエリアにたどり着いた。そこは明かりと呼べるようなものに乏しく、床と水面の境界があいまいに過ぎた。慎重にいかねば簡単に深い水へ落ちてしまいそうで、三方は面倒くさそうに眼球のパーツを暗視モードに切り替えた。一瞬のうちに視界は黒と白、明暗二つだけに染まって、暗闇をようやくうかがうことができた。

 ドーム状にしつらえられた空間、その端で動く影がある。こちらに背を向ける形となっているのか長い尾と足が見える。三方は、そういえば害獣がどうこうと話があったことを思い出して、タグの反応がそちらからきていることに疲れを覚えた。まさか、腹を捌かなきゃいけないのか?三方は想定していなかった作業を想像して苛立ちながら、獣に近づく。

 三方は尾を無造作につかむと獣を明かりがある通路の先へと投げ飛ばした。

 暗視モードを切った三方は、通路に出て、一方の獣は三方のほうへと頭を向けてきた。そして三方の視界に獣が映る。頭部らしきところからは上半身を覆うほどの長い体毛が伸び、強靭な脚と尾はワニのような鱗でおおわれている。見たこともない獣の造形が三方に不快感を抱かせた。

 そいつは身を低く、毛の塊の奥から窺うように油断ない鋭い視線を三方へ向けている。獣の姿をまじまじと見つめてた三方は、獣の首元、毛の塊に埋まるように金属製のタグが揺れていることを確認して、少しの躊躇もなく獣にとびかかった。




 三方は獣の首に腕をまわして、暴れるたびに力を込めて黙らせた。三方はぐったりした獣から取り外したタグを懐にしまい込んで、通路の脇道に入ると壁面のハッチをこじ開けて、居並ぶ端子とコードの群れから端子一つを選んで電話端末から伸ばしたコードを接続した。

 かけなれた番号への電話はすぐにつながった。


「鈴木さん。三方だけど、タグは回収した。害獣も捕まえた。

 害獣のほうはどうすればいいんだ?」


「ご苦労様。後で使いを送るのでタグは渡してくれ。害獣はどうでもいいから好きにしていいぞ」


「そうか。

 なあなあ鈴木さん。毛の生えたワニって初めて見たんだけど、とても珍しいよなぁ?」


 電話先の声は興味なさげに、


「珍しいと思うぞ。…もう切るからな」


 三方は目を輝かせて、端末をしまうと獣をつかんで引きずっていった。




 三方探偵事務所の一室、そこは三方が拾ってきた珍妙な生物の飼育室と化していて、大量の毛布に埋まるように、毛が生えたワニらしき生き物が休んでいる。そこにトレーを持った三方が入ってきた。三方はボイルした鶏肉が乗ったトレーを机に置いた。


「おいトッゲー。肉置いておくからな」


 肉の匂いを嗅ぎつけたのか、声に反応したのか、トッゲーと呼ばれた獣がゆっくりと毛布から這い出して来る。立ち上がったトッゲーに三方が触れようとすると、トッゲーは毛布の海に潜るように逃げてしまった。三方はしょんぼりと部屋から出ていった。

 トッゲーは三方が出た後に直立して肉をつかむと、毛布の下で寝ころびながらのんびりと食べ始めた。まだ三方への警戒を解いていないが、部屋から脱走しないあたり順調に餌付けされているらしい。


 


 もう深夜といって差し支えない時間帯、月明かりも頼りない中でベランダに出た女性が空をぼんやりと見上げながら煙草を吸っている。その穏やかな光景を破るように隣のベランダに艶消しの外装とヘルメットを身に着けた人物が音もなく現れた。女性はその不審者に全く気が付いていない。不審者は、ベランダの間にある空間を一息で飛び越えて、流れるような動作で女性を蹴り上げた。女性は錐もみ回転しながら宙を舞い、手すりすら乗り越えて落下していった。非道を行った不審者は、現れた場所に戻るように隣の部屋のベランダに飛び移ると窓に飛び込んでいった。




 すっかりトッゲー専用と化した探偵事務所の一室に、肉が乗ったトレーと水差しを持った三方が入ってきた。三方はトレーを机に置くと、ストロー付きのタンクに水差しの水を入れた。


「おうい、トッゲー」


 三方が呼びかけると毛布の山から毛の塊が、おそらく頭らしい、が出た。


「そら、取ってこい」


 三方はポケットから取り出したゴムボールを投げて、ボールは壁に当たって毛布に落ちた。トッゲーは動く兆候も見せず、仕方なく三方はもう一度ボールを投げて、今度はトッゲーの頭に軽くぶつかると三方の足元まで転がって戻ってきた。


「……ごめんな」


三方はボールを拾うと困り顔で部屋を出ていった。




 地下につながる床の扉から黒い影が這い出してきた。艶消しの黒で固めたその人物は丁寧に床を戻すと、メットを脱いだ。露わになった顔は三方のもので、三方は脱いだ衣装をロッカーに適当に投げ込んで、廊下を早足で通り過ぎ、自室に入っていった。

 扉を少しだけ開けて、そのようすをトッゲーが体毛に埋まった目で見つめていた。




 擦れた外套の三方が、探偵事務所に戻ると、紅のストールを巻いた女性と水色の服を着た子供が応接室に立っていた。三方は女性に頭を下げて、


「藤川さん。

 お忙しいでしょうに、わざわざ来ていただいて、連絡くれればこちらから向かいましたよ」


 藤川と呼ばれた女性は微笑んで


「いえいえ、これも務めです。お気遣いありがとう」


「はい、それで、本日は何用で?」


 そう言われ、藤川は傍らの子供に目を向ける。三方もつられて子供を見て、その服装に首を傾げた。活発そうな短い髪に上半身は薄手のシャツで、しかしその服は腰の結びから異常なほどふっくらと広がって、三方はてるてる坊主を思い出す。何かしら意味のある装束なのだろうか。

 藤川の優しい視線を向けられながら、子供はおずおずと前に進み出て、ためらいがちに口を開いた。


「わたし、とげー、です」


「三方といいます。よろしくお願いします。

 ええと、俺に何か用があるのかな?」


「………」


 子供は黙り込んでしまって、困った三方は藤川に視線で助けを求めた。


「ええと」


「まだまだお勉強中だけど、今日は自己紹介ができるようになったので、はじめて三方さんの前でおしゃべりしようということにしたんです。

 でも、だめですよ三方さん。トッゲーちゃんの毛が伸びてきたならちゃんと切って、お洋服も着せてあげないと。親代わり失格です」


 責めるような内容で、しかし声音は優しい藤川のしゃべった内容を三方の頭は理解できなくて。


「おしゃべり?お洋服?」


 いまだ事情が呑み込めない様子の三方を見て藤川は少し苦い顔をした。トッゲーと名乗った子供は、少し考え込んで、服の裾を持ち上げた。服の下には、三方も見慣れている、ペットの鱗に覆われた脚と尾が見えて、三方は我慢できずにまくし立てた。


「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。

 おかしいですよ。しゃべってるし。毛はないし。鱗も少ないし。

 騙すにしても、もっとましな嘘をついてくださいよ。

 いや、それよりも本物はどこですか。

 俺のトッゲー…」


 二人をすり抜けてペットの飼育室に向かおうとした三方を遮るようにトッゲーが立ちふさがり、自分の尾を前方に回して三方に握らせた。その感触に、三方はペットの尾を撫でた記憶が呼び覚まされ。確かに目の前にいるのはペットの……と納得しかけて、目に映る子供の姿が理解することを阻んだ。追い詰められ、板挟みになった三方の思考は余裕を無くして、理解できない、理解したくない断片的な情報が脳内を駆け巡って、終いに外に出てきたのは意味のない咆哮であった。


「ああっーーーー!」


思考を放棄した三方の絶叫は遠くまで響いたという。




「にく、はやく

 はやく」


 トッゲーに呼ばれて、食事の乗ったトレーを持った三方が飼育室に入る。三方が机に置いたトレーの上には栄養に気を付けた料理、藤川の勤めている病院から毎日送られてくる、が並んでいる。トッゲーは、料理を不器用にフォークを使って食べていく。三方は、疲れた様子で傍らの椅子に座った。

 最近頻繁に藤川が来ては言葉を教えているらしく、だいぶ意思疎通が可能になってきた。このまま成長するとトッゲーはどうなってしまうのだろうか。トッゲーの長い髪の下、その正体が明らかになってからも、三方はトッゲーが伝説の生き物、ドラゴンのように成長することをあきらめてはいない。


「みかた、はやく、ふく、はやく」


 呼ばれて、トッゲーの方を見ると、食事で服を汚したらしい。三方は、クローゼットから取り出した新しい服に着替えさせてやった。そして、汚れた服を洗濯するために持っていこうとして、呼び止められる。


「みかた、ぼーる、みかた、はやく」


 朝から髪を切るだの、食事が欲しいだの、じゃれあいなどで、あれこれ世話を焼かされた三方は、渋い顔をしながらもボールを取り出して、


「いくぞ、とれよっ」


 少しイライラした三方は、少しだけ力を込めてトッゲーにゴムボールを投げこんだ。三方の投げたボールをトッゲーは簡単につかむと、投げ返したボールは三方の右頬を捉えた。三方は頬をかいて落ちたボールを拾った。顔に投げ返してやろうとトッゲーを見ると、口角を高く目じりを下げて笑っていて、それを見た三方も嬉し気になって頷いた。




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