人間狩りゲーム
今日の標的が自分であることを知った野口六郎は、ベットから急いで飛び起き、パジャマの上に上着を重ねると、マンションを飛びだした。
表に出るとすぐに午前七時になった。ルールどおり狩り開始の時間である。標的から半径百メートル近辺のゲーム参加者のスマホがビービーと警報を鳴らしながら点滅する。だから人ゴミには近づけない。やむをえず野口六郎は裏通りを抜け、近くにある雑木林の中に身を隠した。
野口六郎は今日という日が、人生最大のピンチであると認識しつつ同時に最大のチャンスであると考えている。このまま明日の朝七時までだれにもつかまらずに逃げおおせれば、一万五千ラッキーポイントをもらえるのである。もしつかまれば一万五千ラッキーポイントはすべてその人間に行く。さらに野口六郎自身もゲーム実行協会から罰金として千ラッキーポイントを没収され、借金生活を余儀なくされる。ラッキーポイントの借金生活とは、すくなくとも借金を返すまで何ひとついいことは起きないことを意味している。まさにおさき真っくらやみだが、うまくいけば、一生遊んでくらすことができる。一万五千ラッキーポイントは、これから百年生きつづけるとしてもお釣りがくるぐらいの輝かしい未来を保証されるようなものだ。
この世界での運と不運は、すべてラッキーポイントをいくつ持っているかで決まる。完全なる機会均等をめざす国連政府の政策により、地球上のすべての人類は生まれたときに平等にラッキーポイントを割り当てられるようになった。つまり、この世界では、あの人は運がいいとか悪いとか、そんなことはだれも口にしない。みんな平等にいい時もあれば悪い時もあるというのが常識なのだ。しかし、一旦割り当てられたポイントを個人的にどう処分するかはすべて個人の自由に任せられている。だから、お金めあてで自分の幸運を売るものもおり、必然的に金持ちの中には、相対的にポイントをほかの人よりも多く持っている人間もいる。とはいえ、他人に受け渡すことは十八歳以上の成人本人の意思確認がないかぎり認められないというのが全世界共通のルールである。よって、特定の個人に大量のポイントが集中するということは基本的にないのだが、宝くじなどの公営くじとこの人狩りゲームだけは特定の個人による大量のポイント取得を認めている。
ーーーだから、野口六郎には林に身を潜めているあいだにもひっきりなしにメールや電話がくる。恋人からも来た。父親からも妹からも来た。親友や会社の同僚、直属の上司からも届いている。そのすべてが、野口六郎の安否を心配し、支援をみずから申し出る趣旨のメールや伝言だ。ルールではその支援を受ければ、標的である野口六郎は支援者に十ポイントを渡さなければならない。十ポイントを一度に手にするというのは、ふつうに暮らしているかぎりまずありえない。渡す本人にしてみても、痛い出費だが、最後に一万五千ポイントを得られると思えば、取るに足らないポイントである。そのかわり、支援者は最後まで野口六郎を助ける義務を負う。しかし、支援を行うかどうかの判断は、最後まで彼ら個人の判断に委ねられている。万が一、居場所を教えて、支援を求めても、その人間の気分が直前で変われば、簡単につかまってしまう。支援者の顔をした人間こそがもっとも一万五千ポイントに近いポジションにいるのだ。それは標的である野口六郎にしてみれば、もっとも危険な人物ということになる。
それゆえ野口六郎はだれに対してもいっさいの返信は行わずにいるが、このままそこでじっとしていることはできない。なぜなら同じエリアに三時間以上いるとGPSが感知し自動的に関係者に居場所を教えるからである。そのまえにできるだけ遠くの別のエリアに移動して、やがてこの場所を特定し間違いなく探索を開始する彼らの追跡をかわさなければならない。
ただどうしても自分ひとりではここから別のエリアへ移動することはできそうもない。別のエリアに移動するには、かならず人ゴミを通ることになり、そうすると警報がいやが応にも鳴り響くからである。そうならないためには支援者の助けが必要だ。その支援者とスマホを交換するのだ。そうすれば一時間だけ警報がミュートされる仕掛けになっている。そのあいだに人ゴミをかきわけ移動して、一時間後にふたたびスマホを交換すればよいのだ。
問題はだれを支援者に選ぶかだーーー。もっとも信用できるのはだれか?
考えたすえに野口六郎は、桜井さくらを選んだ。他の人間と違い、さくらからは今日一日メールも電話もない。六郎が今日の人間狩りの標的となったことは全国的に一斉周知されている中で、自分からはアプローチしてこない唯一の知り合いといえる。ーーーだからこそ、元カノのさくらは信頼できるとおもったのだ。
メールで連絡をとると、すぐにさくらから返信があった。しかし、考えさせてほしいという。野口六郎にしてみればさんざん迷惑をかけた過去のいきさつがあるのでそれ以上強くもいえない。十五分待つから、返答を聞かせてほしいとだけ、メールをうった。十五分後に、「わかった。すぐ行く」との返信があった。
さくらは約束どおりやってきた。しかし、すぐにかけよったりはしない。そればかりか、到着すると野口六郎はさくらを遠ざけつつスマホを足元に置くよう指示した。信用していないわけではないが、万が一さくらが裏切るとすれば、さくらはやさしい笑顔ですりより、すきを見て野口六郎の腕をつかむはずである。それで一万五千ポイントはさくらのものになるのだ。ただ自分のスマホを手にしていなければ、標的をとらえたとしてもその資格はないというのがこのゲームのルールである。だから、念には念を入れ、先にさくらのスマホをうばい、相手の牙をぬいたところで、はじめて野口六郎は笑みを見せた。
「ごめん、一年ぶりだし、もしかしてとおもって…」
と言い訳しながらちかより、自分のスマホをさくらに渡した。さくらもそこではじめて笑った。
「時間がない。すぐにとなり町の森林公園まで逃げよう」
そういって、野口六郎はさくらの手を取り、走り始めた。
そうして、さくらとスマホをなんども交換しながら森や林を転々とし、山の中まで逃げ込んだ。やがて日が暮れ、夜になり、そして夜明けが訪れた。もう自分たちでも元来た道がわからなくなるほど、山奥まで分け入った。その間、ふたりは一睡もせず、ほとんど会話もせずに逃げまわっては、息をひそめ、あたりに注意をはらいつづけた。
ゲームの終了時間まで残り一時間にせまったところで、不覚にも野口六郎は居眠りをしてしまった。ハッと我にかえったとき、六郎のかたわらには、桜井さくらが体育座りをしたまま、あたりの気配をうかがっていた。その真摯なまなざしを見て、あらためて自分の目に狂いはなかったと確信した。六郎はじわじわと胸にわき上がる勝利のよろこびをかみしめながら、さくらの肩に手をかけ、抱きよせようとした。しかし、案に相違して、さくらは、六郎の誘いをさりげなくこばんだ。
そのとき背後でガサガサと枝を踏みしめる音がした。立ち上がってふりかえると、見たこともない男が立っている。
さらに驚いたことに、その男にさくらが歩みより、ごく自然な動きでその男と腕を組んだ。さくらはいった。
「わたしたち、もうすぐ結婚するんだ。ラッキーポイントはあんたからのご祝儀ってことで遠慮なくいただくわね。さんざんもてあそんどいて、こんなときにだけ頼るなんて虫がよすぎるでしょ?」了