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このことを『支払われるべき魂』に話す機会は、意外に早く訪れた。彼があの店に行ってから一週間後のことだ。
「由美香ちゃんにお下がりを持ってきたわよ」
いとこたちのところからかき集めてきた古着を抱えてきた姑を、彼は玄関先で出迎えた。
「由美香はまだ保育園です。よければ一緒にお迎えに行きますか?」
「あら、いいわよ、私はここで洗濯でもして待ってるわ」
「いいえ、ぜひ一緒に来てください、みてもらいたいものがあるんです」
義息子の真剣な様子に気おされてだろうか、姑は息を飲むようにしてうなづいた。
「これからみるものの事は、けっして由美香には話さないでください」
彼がそう念押しながら姑を連れてきたのは、もちろんあのお母さん屋という店だ。水槽には、すでに半分ほど出来上がった女が浮かんでいた。
「まさか……香澄?」
姑が水槽に手を伸ばす。ワインを薄めたような薄桃色の液体の中には手足と下腹部が欠けただけの、傷一つない娘が浮かんでいるのだ、その驚きはどれほどなのか知れない。
「かす……み?」
姑の呼びかけに答えて、女はゆっくりと目を開いた。それはまったく生者の行為であった。
液体の向こうですうっと揺らめいた視線は、その一瞬の後に己の母親の姿を捉えてふんわりと目じりが下がる。
カウンターの向こうで腕組みを死ながらその様子をみていた老人は、実に退屈そうにあくびをしながら言った。
「ただの身体器質的な『反応』さ、心から笑っているわけじゃない」
それでも死んだはずの娘が生きて、自分をみて微笑んでいるという事実が姑の正気を奪った。
「まあまあまあ、これは、どうすればいいの?」
彼は、姑をまっすぐに見据えて言葉を吐いた。
「お義母さんの魂を、香澄にください」
「魂を?」
それが死に直結することだと言うのは、正気を失った彼女にさえ理解できた。
「私の魂を?」
「そうです、お義母さんの魂じゃないとダメなんです」
さすがに後ずさりする姑を、老人が呼び止めた。
「そんなに怖がることはありませんよ、奥さん。あたしゃあみんなの幸せのためにこんな商売をやってる、善人ですからね、悪いようにはしません」
「でも、魂って……」
「それはシステム上どうしても必要になるから、仕方なくちょうだいしているだけですよ。別に悪魔との取引に使うわけじゃなし、死んでからも永遠に地獄の業火に焼かれて苦しむとかありませんから、安心してください」
「そんなこと言ったって、死んじゃうのよ?」
「おや? あなたは娘さんを失った後で、『私が代わりに死ねばよかった』と、そうは思わなかったんですか?」
「思った……けど……」
「母親を失った家庭は悲惨だ。特に若い母親で、残された子が小さかったりしたら、家族は母親のしていた仕事……主に子育てですけどね、それを分担しなくちゃならない。それでも誰も母親と言う存在の代わりにはなってやれないのが口惜しいところですよね。お孫さん、由美香ちゃんですっけ? 母親に会いたがったりはしませんか?」
「由美香ちゃん……」
「考えても御覧なさい、娘さんにはこれから、そのお孫さんが大きくなってちゃんとした大人になるまでの苦労と楽しみがある。あなたはそうした苦しみも楽しみも終えて、これからの人生はあなたのためだけにある、そういう身軽な魂だ」
老人は静かに笑っていた。
「魂の価値は平等だなんて嘘っぱちですよ。そうは思いませんか?」
姑はゆっくりと頭を振って、水槽の中に浮かぶ自分の娘を見た。それは、ただの生理的な反応なのかもしれないが、ニコニコと無邪気に笑っていた。
「そうね、魂の重さは平等じゃないかも……少なくとも由美香ちゃんにとっては」
すっかり決意を固めてしまったのか、姑の視線は揺らがない。まっすぐに自分の娘の表情を見据え、そしてひとつだけ、「ほう」とため息をつく。
「そうね、これは由美香ちゃんに、おばあちゃんからの誕生日プレゼントなのだわ」
その言葉を聞いた老人は黄ばんだ歯をむきだしてにやりと笑った。
「最高のお誕生日になるでしょうね。いままでにも、これまでにもないくらいに」
「ええ、そうね」
「まあ、魂を食らわせる期限までは一週間もある。それに彼女はまだ体が出来上がっていないんだし、回収にはいけないでしょうよ。その間にきちんと身の回りの整理を付けておくといい」
「はい、ありがとうございます」
深々と頭を下げる姑の姿に、彼はひどい違和感を禁じえなかった。
確かに妻はもうすぐ――娘の誕生日のころには帰ってくるだろう。しかしこの姑は、その代償として死ぬのだ。
死ぬことに対して感謝を述べる行為がひどく自傷的であるような気がした。
(いや、そうじゃない。誕生日プレゼントなんだ)
娘が本当に欲しがるものを手に入れるためには対価が必要である。ならばその対価を払ってやるのが大人としての愛情であり、責任なのではないだろうか……そう思わねばやるせない。
彼は爪が少し掌に食い込むほど固くこぶしを握って、じくじくと膿のように湧き上がる後悔を握りつぶそうとしていた。




