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01

「あなたは、魔術師になるべきではない」

 魔法術研究学院の教授で、同時に一石の魔術師でもあるゲパルド先生が私に言った。

 黄昏の蔵書室で、二人きりだ。小さな窓から入り込む光が、先生の姿をほの暗い朱に染めている。黄褐色の瞳はいつも理知的に輝いているのに、今は古びて黒ずんだ血のようだ。

「なぜですか」

「ただ、なるべきではないのです」

 淡々とした答えに、全身が震える。

 最も単純で厄介な呪いは、言の葉だ。

 これは魔術師を志す学徒が、最初に教わることだった。実際、痛いほどの真理だと思う。男の人の低い声は耳からするりと入り込み、私を徹底的に打ちのめした。

 私が魔術師を志し、この学院の学徒となったのはゲパルド先生が理由だった。先生の持つ一石の肩書きは、三種ある魔術師のランクで最高位だ。憧れであり、目標だった。

 だから、限りなく絶望に近い。その人に否定されると言うことは。

「エリサ?」

 名を呼ばれ、はっとする。

 目の前にいるのは同級生のトゥルキアだ。彼は少し困ったように、私を見ている。

 むりもない。今は授業中で、私たちはペアだった。片方が何か失敗したら、もう一人まで減点されることになる。

「ごめんなさい。ぼんやりしてしまって」

「大丈夫? 具合でも悪い?」

 顔を曇らせ、赤い唇でさらりと気づかう。絵に描いたような優等生で、姿までもが整っていると学院の女子には人気があった。

 私は慌てて首を振り、席を立つ。参考になる本を探すと断りはしたが、信じたかどうかは分からない。彼は苦手だ。一緒にいると、女子から風当たりが厳しいし。

 魔法術研究学院は、膨大な量の書物を所蔵する。だから蔵書室は長い年月を掛けて肥大化し、まるで迷宮のようだった。

 迷ったことのない学徒はいないと、ため息まじりにささやかれるのも納得だ。

 天井まで届く書架が所狭しと立ち並び、段差や階段も多かった。おまけに書物を太陽光から守るため、窓が小さく昼間でも暗い。だから皆、灯りを手にして駆けずり回る。

 今日の授業は本草学。課題は大陸の北側に自生する主要な薬草の特徴と、それらを組み合わせて得られる薬効をまとめることだ。

 使えそうな本がどの辺りにあるか考えながら歩いていると、頭をぶつけた。私の背が特別高いわけではない。それでもぶつかったのは、通路を横切る梁の位置が低いからだ。

 いつもぶつかりそうになって、気を付けなさいと注意された。梁をくぐると、大きな机が置いてある。私物であふれたその上で、魔法陣に守られた小さな明かりが揺れていた。

 それを見た瞬間に、涙があふれる。

 自然と足が向いていた。蔵書室の奥まった位置にあるこの場所は、ゲパルド先生のお気に入りだ。昨日、私は魔術師になれないと言い渡されたのもここだった。

 足を抱いてうずくまり、膝に額を押し付ける。ぼろぼろとこぼれる涙が止まらない。あの時はちゃんと我慢したのに、どうして今になって泣いたりするのか。

 分からない。

 確かに劣等生だったけど、がんばれば何とかなると思っていた。……でも先生が言うのなら、きっと私はそうなのだろう。

「もう、だめね」

 ぽつりとこぼれたその一言が、運命を変えてしまった。そう気付いたのは、あとになってからだったけど。

 ふわりと甘い香りを感じるのと同時に、背後からそっと抱き締められた。

「駄目だなんて、どうしたの?」

 欲深い、と思う。声を聞き、心のどこかで落胆している。大好きな人でないことに。

 体をよじると、その腕は簡単にほどけた。かわりに彼の指先は、涙をぬぐって頬をなでる。たまらず私は立ち上がり、それからも逃れた。

「……何でもないわ、トゥルキア」

「きみが泣くところなんて、初めて見たよ?」

 何でもないはずはないだろう。そんなふうに、彼はそばの机に目をやった。

「ゲパルド先生と、何かあった?」

 青いくらいに白い顔が、ほのかに笑う。何かに気付いているように。

 自分の浅はかさが恥ずかしい。誓ってそんなつもりはなかったが、当て付けがましいまねをした。先生の不在にこの場所で泣いていたら、何かあったと察するはずだ。

 急いで立ち去ろうとして、腕をつかまれる。つかんだのは当然、トゥルキアだ。

「離して」

「駄目」

「……どう言うこと?」

 断られるとは思わなかった。

 よほど変な顔でもしていたのか、彼は少し吹き出した。そして楽しげにクスクスと、花のように笑う。ただし、日陰に咲く花だ。

「ねぇ、先生に復讐したいと思わない?」

 めまいがするほど甘い香りのする中で、初めて彼の笑顔を恐いと思った。


   *


 三つの頃だと思う。

 一番古い記憶の中で、私は鼻水をたらして泣いている。

 大好きなお兄ちゃんに置いて行かれるのが悲しくて、玄関先で上着にしがみ付いて離そうとしなかった。学院の授業に遅れると言うのに、毎朝これでは困っただろう。

 両親をなくしたばかりで寂しくて、人恋しいのもあったかも知れない。けれど本当にお兄ちゃんが大好きだった。今の家に引き取られ、十数年の年月を経ても変わらずに。

 思い出した。すぐ泣く女はみっともないと思っていたけど、まさに私がそのタイプだ。

「嫌われたんだわ」

 ぼろぼろとこぼれる私の涙を、困り果てた顔でぬぐうのはトゥルキアだ。自分で拭けばいいのは分かる。けれど今は、目の前のお茶菓子をやけ食いするので忙しい。

 お菓子は、トゥルキアのお母様が用意したものだ。突然お邪魔したのに喜んでくれて、我が家に若いお嬢さんがいるなんて! とテーブルの上へ焼き菓子を山盛りにして行った。

 そのご好意をむさぼり、めそめそと泣く。

「きっと、心の中で軽蔑してたのよ。そうよね。才能もないのに、むだな努力をしてたんだもの。でも、先生もつらかったと思うわ。夢をあきらめろなんて、言いにくいはずよ」

「おかしいなぁ……」

 トゥルキアがつぶやく。私の隣で、疲れたように長椅子に沈む彼がいた。こんな姿は見たことがない。いつでも礼儀正しく、もの憂げな花のような美少年なのに。

 口いっぱいに焼き菓子を頬張り、食べかすをまき散らして泣く女を見たことがないのだろうか。

「どうかしたの? 大丈夫?」

 さすがに心配になって声を掛けると、トゥルキアは隠しもせずにため息をついた。

「どうかしたのは君だよ、エリサ。どうしてそんなに普通なの?」

「普通じゃないわ」

 だって、こんなに傷付いている。

 誘われたからと言って、いきなり男性の自宅まで付いて行く子女はいない。まして、お呼ばれした先でお茶菓子をむさぼる女など正気のわけがないだろう。

 首をかしげた私の口元に手が伸びて、彼は指先で食べかすをぬぐった。それからぐいっと顔を近付け、赤い唇で触れそうにささやく。

「解らない?」

 分からない!

 余りのおどろきに声が出ず、思いっ切り開いた目で訴えておいた。すると、トゥルキアは何だか情けないような表情で体を離した。甘い香りがふわりと舞って、鼻をくすぐる。

「今日の授業にも出てきたと思うけど……それより、どうして君には効かないんだろう」

 ぼそぼそと聞こえてきたつぶやきに、今度はこちらが情けないような表情になった。

 学院では、ありとあらゆる学問を学ぶ。

 魔法術に始まって、人体の構造とその機能。それを支配するための知識。薬や毒、医術を司る本草学。体術もだ。我が国の魔術師となるには、あらゆる素養を求められた。

 そして授業は二人一組、成績の反比例する者と組む。一番の優等生は一番の劣等生と。つまり、トゥルキアと私。新入生の頃からもう二年、ずっとペアを組んだままだ。

 だから知っていた。こんな時、彼は実に察しがいい。あいまいに笑って黙っていれば、決まってヒントを出してくれた。

 私が授業で分からない時、とりあえずあいまいに笑っているのは彼のせいだ。

「今日は、本草学の授業があったよね」

「ええ、そうね」

 私たちはそのために、蔵書室にいた。薬草について調べてまとめるのが目的で。そうか、薬草か。その二文字に引きずられ、甘い香りの正体が頭の中で瞬いた。

「ドルセ・コンフェシオン」

「正解」

 やれやれと言うふうにほほ笑む彼に、私はあきれた。

「あなたは、私に復讐の仕方を教えてくれるのではなかった?」

 先生に復讐したいと思わない?

 そう言って自宅へ誘ったはずだ。

「もちろん」

「ではなぜ、私に暗示を掛けようとするの?」

 半分は勘だ。否定されたらそれまでなのに、彼は笑みを深めて肯定した。

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