願うべき事
暗い廊下。
視線の先は、暗く無機質な廊下が続いているだけ。
あの時と同じ景色。あの日その先に、先生が現れた。
先生はきっと、自分が死んでいる事に気付いていなかったんだと思う。
ひょっとすると、私の事を幽霊だと思っていたのかもしれない。そうと分かって七不思議に付き合ってくれたのだとしたら、優しすぎるというか、本当にお人よしが過ぎるなと思う。
ここに来て私はどうしたかったのだろう。
思いに駆られ訪れたものの、改めて考えるとよく分からない。
ここに来れば、先生に会えるかもしれないとでも思ったのか。
それも考えれば、先生にとってはよくない事だ。死してなお学校に残るという事は、魂が救われていないという事だ。
さすがに先生も今頃は天国でゆっくりしている事だろう。
そんな事を思っていた、その時。
がららら。
奥の方で、何かが開く音がした。
「え?」
そして、人影が一つ。
――……嘘……。
人影はゆっくりとこちらに近付いてきた。
――そんな、そんな……。
私は、全く身動きがとれなかった。
逃げるべきだとも思った。しかし、その人影が誰なのかを分かっていた私はそうしなかった。
あの時と同じ。全く同じ状況。
そして、影の顔が月明かりに照らされてはっきりと現れた。
「宮下先生……」
夢でもない。幻でもない。
宮下先生がそこにいた。
「君、こんな時間に何してるんだい?」
私は、過去へと迷い込んでしまったのだろうか。
そう思えてしまうほどに、全てがあの日をなぞっていた。
――どうして。
――どうしてまだ、先生はここにいるの?
先生は、救われていないのか。
――……まさか。
私は急激に体の温度が下がっていくのを感じた。
あの日の記憶を手繰り寄せる。
私が願いを伝えたあの日。
“戻ってきてください”
私の願い。
“待ってるから”
自分勝手な願い。
私は、今頃になってとんでもない間違えを犯した事に気付いた。
私は、願いを間違えたのだ。
願うべき事を、叶えるべき事を間違えた。
私は、先生の優しさが欲しくて。
ずっと先生が、私の世界から離れて欲しくなくて。
だから、あんな身勝手な事を口にしたのだ。
あの日、やはり八つ目の不思議はちゃんと起きていたのだ。
ただ、順番が違ったのだ。
七不思議を巡った後に八つ目の不思議が現れるというわけではなく、八つ目の不思議が既に存在し、七不思議を巡った後に願いが聞き入れられる。
私の場合、先生の黄泉がえりという八つ目の不思議が既にあったのだ。
そして、私の願いは叶った。叶ってしまった。
本来帰れるべき先生の魂は、私の願いのせいで帰れなくなってしまったのだ。
あの日以来、私は夜の学校を訪れる事はなかった。
嘘をついて家を出た事をこっぴどく叱られた事もそうだったが、もう夜の校舎を訪れる勇気もなかった。
でも、先生は待っていてくれたのだ。
ちゃんと、ここで。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
涙と共に懺悔がぼとぼとと零れ落ちた。
私は、なんて事をしてしまったんだろう。
なんて自分勝手な願いを、叶えてしまったんだろう。
「おいおい、君、大丈夫かい?」
先生は心配そうに私に声を掛けた。
そんな言葉をかけてもらえる資格なんて、どこにもない。
私のせいで、先生は死んだことに気付かずに学校の中に閉じ込められているのに。
「こんな時間に何しに来たんだい?」
全部私のせいだ。
全部が繰り返している。
――全部……?
私は顔を上げ、先生の顔を見つめた。
眉を下げ、困ったように見つめる先生の顔。
――全部……全部。
そうだ。
全部が同じ。
だったら、願えるはず。叶えられるはず。
私がここに来た理由は、ちゃんとあったのだ。
やり直す為。
先生の為の願いを今度こそ伝える為に。
――先生、ごめんね。
「私は……」
――今度は、ちゃんと願うから。
「私は――」
――先生の為に、願うから。
「八つ目の不思議を、探しに来ました」
もう一度願いが叶うと信じて。
私は本当に願うべき事を、心の中で準備した。
(完)