優しい笑顔
「案外変わらないものね」
「安心した?」
「うん」
故郷の景色のあまりの変わり映えのなさに私は感動を覚えていた。
故郷を離れて五年以上が経っていた。それなりに変貌を遂げ、発展した街並みを想像していた私の想像はありがたい事に見事に打ち砕かれ、どこもかしこも慣れ親しんだ景色が広がってくれていた。おかげで変わり果てた故郷に寂しさを覚える事無く、純粋に故郷を懐かしみ、感慨に耽る事が出来た。
「やっぱり空気が違うね」
「そんなに違うもんかね?」
「違うよ。全然。やっぱり汚れてるよ。空気も、人も」
「あらあら。相変わらず大変そうだね」
「それなりにね」
「でも良かった、帰って来てくれて」
「ううん、私の方こそごめん。帰ってきなよって言ってくれてたのに」
「いいって。帰ってくるだけでもなかなか大変だもんね」
どれだけ離れていても、どれだけ時間が経っても、真由美はどこまでも真由美で本当に嬉しくなるし救われる。
それなりに友達はいる方だが、やはり幼少の頃から多くの時間を過ごしてきたという財産は大きいなと、真由美と喋っていると感じる。
「あ」
歩いていると、私の目が少し離れた所に見える大きな建物に向いた。私の視線の先にあるものに真由美も気付き、変わってないでしょと自慢げに口にした。
和泉小学校。私や真由美が通っていた学校だ。
「うわー懐かしいね」
遠目で見る小学校の佇まいは、自分の記憶そのままで一つの劣化も感じさせなかった。
「まあ、生徒は減ってきてるみたいだけどね」
田舎の小学校であれば仕方のない事なのかもしれない。
仕事やいろいろな事情で故郷を離れ、都会に移り住む人達が多いのは事実だ。かく言う私も都会に行った一人な訳だが、改めて故郷の空気を吸い、優しい空気に触れていると、こういう落ち着いた場所で勉強やら遊びやらに時間を費やす方が子供達にとってはいいんじゃないかと思える。
「千恵と初めてクラス一緒になったのって、確か二年の時だったっけ?」
「うん、そうだよ」
二年の頃の真由美の姿を思い出す。今でこそ髪も長く大人びた女性らしくなったものだが、当時はボーイッシュなショートヘアーと快活ではしゃぎ屋な性格は下手な男子よりも男っぽかった。
「もう二十代も後半か」
「早いね、ほんと」
あっという間の時間。
なんともいえない暖かい気持ちに包まれながら級友との時間を楽しんでいた私だったが、その傍ら、同じぐらい暗雲たる気持ちも立ち込めていた。
私の記憶が、頭の中に当時の景色を呼び起こしていた。
二年生。
真由美と過ごした同じ教室。
ざわつく教室の中で、私はおとなしく机に座っている。
そこにがらがらと扉を開き、一人の男性が入ってくる。
男性が黒板の前に立つと、騒いでいた生徒達は慌てて席に着く。
『よし、皆席についたね』
柔らかく、優しい声。
全てを否応なしに安心させてしまう声。
私はその声が好きだった。
優しく語りかける声。そしてそこにはいつでも思いやる優しさがあった。
「先生」
私はぽつりと呟いた。真由美も私の心を感じ取り、そっかと同じように呟く。
「もう同い年、ぐらいになっちゃうのか」
記憶の中で、先生はいつも笑っていた。
当時二年生だった私達の担任。
――宮下先生。
今でもやっぱり、頭の中の先生は優しく笑っていた。