12話~九ちゃんと変態、志乃と小僧
急ぐぽっちゃり少年達を待つ九ちゃんと志乃。一晩を過し朝日は昇る。
一晩過した王城にて、妾は早朝に気晴らしを兼ねて客室から中庭へと散策に来ておった。敵情を視察しておいてなんじゃが、ものの見事に変態共が巣窟に辟易して踵を返した夜長。客室内部に結界を張り、王子達とモレク山からの顔見知りの兵士達を覗いて入れん様細工を仕掛け、特段眠くも無い故に異界の書物に目を通して一晩を過した。
志乃などは部屋に着いて早々にベッドへ直行。あどけない笑みを浮かべながら夢の中へ旅立ちおった……。少し前まで龍帝だったとは言え、敵地でこうも易々と眠れる精神の豪胆さは見事と言う他無いの。
一晩で目を通した書物は大まかに言うと伝記。古代の勇者伝説を綴った物語、その第一巻を暇つぶしに読んでみた訳じゃ。言うて、妾自体が伝記に登場する人物の様な者じゃが、存外楽しめたのう。やはりこう、空想の物語は童心に胸が高まりよる物じゃったわ。
特に、主人公の始まりが幼馴染との約束からと言うのは乙女心に必中しよる展開よの。
「朝飯は~何じゃろな~」
勇者・ルストが幼き日に交わした竜人の少女との約束。国に縛られつつも魔物との激闘を繰り広げる様は、一人の男として思う思い人への葛藤と恋しさが上手く表現されておったわい。事が済んだら更に読んでみたいものじゃて。
「黄色いそなたは何じゃろな~? そうです私が油揚げ――――お? これは良き休憩所じゃの」
鼻歌交じりに散策する中、何処とも無く進む内に生垣で囲われた小さな池がある場所に出た。爽やかな風が心地よき木漏れ日の影を揺らし、晴れやかな空に上る太陽が暖かな熱を王都の朝を照らす。
池の反対側に木製の長椅子を見つけた妾は、暫し朝方の冷たい新鮮な空気を味わうべく歩を進める。池自体はさほど大きくは無く、精々日本の田舎で見られる庭付きの家にある位かのう。水面を覗けば、小さくはあるが小魚も居るようじゃ……うむ、ちりめんじゃこの大根おろしが食べたいの~。
「どっこいせっと……う~ん、誠心地よき朝じゃ~」
夜風に吹かれた冷たき長椅子に腰掛け、うんと伸びをうてば全身の筋肉と関節が解されていくのが伝わる。何せ一晩中ベッドの上で読みふけっておったからのう、全身バッキバキの骨煎餅の如くじゃわい。
奏の字も何をして居るのか今少しの時間を要しそうじゃし、何やら付随して誰かを連れておるのう……。霊力から察するに女子の様じゃが、はてさて一体誰じゃろうの?
徹夜明けの少しだけボーっとする頭を新鮮な空気を胸一杯に吸い込みすっきりさせ、暫しの間木漏れ日を受けつつ目を閉じる。
これで邪気が巣食っておらねば心身ともに心地よさを感じる場面なんじゃがの……、そうも行かんのが現実と言うもの。早速この場に無粋な者が来寄ったわ。
「おやおや、こんな朝早くから可愛らしい御客人とお会いできるとは……ヒヒ、実に素晴らしい」
「……これは副次官様、お早う…御座いますなのじゃ」
おおう!? おのれ、自身の放った言葉に怖気を感じさせるとは奇怪なっ!
生垣の間に続く道から現れたのは昨晩も目にした変態次官、バルゲンとか申した男じゃった。昨日会った時と同じく気色の悪い視線を寄越す彼奴に一瞬芝居が崩れそうになったが、妾自身の体を襲う怖気と引き換えに難とかかんとか民草の言葉遣いと笑顔を維持したぞ。
震える表情筋を霊力で保持して無理やり作る笑み。ほぼ仮面みたいな笑みじゃが、彼奴を欺くらいの役割は果たしてくれそうじゃ。
長椅子の端にちょこんと座り直す妾に対して堂々と真横に座りおった事実に、こめかみさんと指先が一瞬震えるのを自覚する。意識して押さえ込まねば確実に彼奴を焼いてしまいそうな自身の感情を理解しつつも、あえて抑えているのも単に病巣を丸ごと切除する為の布石、いくら視線で侵されようとも耐える。
全身を舐める如く見られた後に何か一言で良いから理由をつけて立ち去ろうと、そう秒速で思考した矢先に彼奴めから話しかけてきよった。
「フヒヒ、確か……フォルカ王太子殿下に次いで御こしになられた――失礼、御名前を聞いても宜しいですかな? お嬢さん」
「……た、玉藻と申します、副次官様」
ゆ、許してたもれ玉藻よ! 九尾の一族であるそなたの名前、彼奴に名乗りたくないが為に使わせてもろうた……!
思わぬ所で嘘をついてしもうたが、妾に限らず霊力や神力をもつ者が他人においそれと本名を教える事はまず無い。五つの歳から共に過しておる奏の字も、普段妾を”九ちゃん”と呼ぶがそれも意識して変えてくれているのじゃ。心から信頼しておる奏の字と八百万の神々意外、妾の真名を知るものは現状いやせん。
真名を知ると言う事はじゃ、様々な事に対して制約を設ける事が出来る立場になる。所謂、名を知り支配する”主”となるわけじゃな。
それ以外にも呪術などにも長く使われてきた経緯があるからして、容易く教えるなんぞ持っての他と言うわけじゃ。ちなみに、日本古代の皇族に関しても忌み名で呼ばれておる場合が多いぞ。流石に現代社会では名を隠す事は難しいが、それでも生年月日だけは教えぬ皇族も居るとか……。
ま、それだけ大事な事なんじゃ。
「ヒヒ、タマモですか……良い名前ですね~」
表面上は友好関係を装うって居る様じゃが、果たしてこの気色の悪い笑みの裏には何を隠しておるのか分かったものじゃないの。
獲物を見つけた変質者の如き笑みで妾を見やるバルゲン副次官。いい加減朝方の寒さよりも怖気の方が強くなってきよった身体を腕で抱きしめる。一見すれば朝方の寒さに身体を温める少女にしか映らんじゃろ、早よう切り上げるとするかの。
「副次官様、私朝の寒さに体が冷えてまいりましたので部屋に戻ろうかと存じます。折角の朝の語らいですが、この辺で」
「おやおや、そうですか。残念ですね、折角昨晩の事を聞きたかったのに――――」
楽しそうに笑う彼奴に背を向け、一刻も早く立ち去ろうと右足を動かしたその最中。妾の耳を打つ言葉に一瞬身体が固まる。この機会で妾に接触した真意を確かめようと振り向いた先には、既に朝もやに溶け込むが如く彼奴の姿はなかった。
「ふむん、奇怪なのは変態だけでは無さそうじゃの……」
今少しの命じゃ、精々泳がせてやるとするかの。ばっちりと彼奴が消えた先を掴んでおる妾は、踵を返し朝飯へ向けて心を弾ませるのじゃった。
◆
姉上が散歩へと向かったの確認した後、私はゆっくりと寝具から体を起こし朝日で頭を覚醒させる。こと、人の身体を得てからと言うもの睡眠や食事がとても有意義に感じる昨今、恐らくこれより数刻で朝食の運びとなろう事実に胸が弾む。
龍族が食事など取らなくなってから久しく、龍帝ともなれば食事は自然から溢れる魔力で補える者が殆ど。下位の龍や竜族などは未だにその域まで達しては居ないが、仮に肉の食事で補おうとすれば地上の生物は消える定めになる。龍族は人身変化の術を編み出し食べる量そのものを減らす事を考え。自然に満ちる魔力と植物や肉を介して得る魔力の双方で肉体を維持していると聞く。
龍族の長として過していたのも遥か昔の思い出。最早霞み行く記憶の中で煌くガラス細工が如く、楽しくも寂しかった事は覚えているな。
「う~ん、よく寝た~! ……あ~、さてと。先に用を済ませておかんとな」
部屋に施してある結界は姉上が張った代物。別に私を封じるものでは無いから、一応書置きを残しておけば御心配されることも無いだろう。
備え付けの机に書物が何冊か置いてある。その端に書き物が置いてあるが、紙だけあればそれで事足りるから筆は取らずにおく。指先に霊力を垂らして……うむ、指では太すぎるか。
仕方無しに霊力を纏わせ爪を龍の物へと変化させる。鋭く尖った爪先は書き物をするのに最適だな~などとくだらない考えをしつつ、手早くヒューマニアンの文字を書き連ねていく。
「――故に、出来かけて参ります……と。書物に目を通していたと事実からして姉上も文字を理解できているご様子、これで心配をかけることも無いな」
霊力の文字は術者が意図した相手にしか見えない様に細工を施しておく。所謂術の重ね掛けであり、他の誰が読もうと目を凝らしても決して見える事は無い封印術の一つだ。これは姉上や主様に習った物ではなく、私が開発した固有の術。私以外に解ける者も居ない。
書き物も完了した後に部屋を出ようと外の気配を窺う。扉の外には一応兵士が二名、一晩中交代で見守っていた様だ。特段危害を加える意味も無いのでここは窓から行くのが得策と判断し、窓枠の扉を開けて飛び出す。
(うむ、一応穏行の印を施しておこう――ひっきしゅっ!? おおう、朝方は中々に冷えるな……主様の温もりが欲しい所だ)
隠密行動を取る際にと言われ、主様直伝の教えを賜った穏行の術。早速披露する時が来たようだ……!
言葉を使わない印術、一度結べば効果は約二分。周り一切の物音を断つ大変便利な印術で、欠点こそあるものの私に関しては大した事ではない。空気が限られるので時間が減るのであれば、空気を吸わなければ良いだけ。音が聞こえないのなら気配で感じ取ればいいだけ……。
言うまでもないが、主様も空気を吸わなければ云々意外は御自分で解決策を持っているとの事。更に言霊を用いれば一段階上の穏行の術が在るそうなので、これ事態は緊急性がある時を除けば上位の術者が使う事は無いらしい。
早速習いたての印を結び、自身の周りに特殊な結界が張られたことを確認すると屋根伝いに駆け上がる。石積みの屋根は朝露で冷たく湿り、調子に乗ると滑り転げ落ちてしまいそうになりながらも目的の場所へと移動。とんがったり平坦だったりと忙しい屋根を走りきること数分、一際豪奢な一角の中から見知った魔力を見つけた。
(うむ、どうやら此処の様だな……よし)
指先から風の霊力を用いて鍵のかかった窓を小さく切り裂く。丸く開いた窓ガラスの穴から手をいれ鍵を回し、印術で音が出ない事を最大限に使い大胆に窓辺から侵入を果たす。室内は朝日を遮る遮光布によって薄暗く、大きな寝具の上には唯一人だけの寝息が静かに規則正しく聞こえていた。
目的の人物である事を魔力の波長から導き出した私は、穏行の術を消してそろそろと近づいていく。部屋の外には数名の兵士が気配があり、部屋の主を警護する為の武器を携えた金属音が微かに耳に届いてくる。寝ずの番をする兵士には悪いが、こうも簡単に忍び込めるとは些か用心に欠ける体制ではないかと思わなくも無い。
ともあれ、今はそのざるの如き警備体制も私の目的を果たすのに役立っているのだからよしとするか。
これより起こることが外に漏れぬよう部屋全体に結界を張り、私は寝具で眠る人物へと近づく。今だ安らかに眠る様は豪胆と証すればよいか、それとも鈍感と非すれば良いのか今一つ判断の分かれる所。暖かそうな寝具から出ている顔は髭に包まれ嘗ての面影は無く、しかして年月が作り出す気迫は凛々しき面構えに変えた男のもの。
懐かしき泣き虫鼻垂れ小僧が心地良さそうな顔付きで寝ておる姿を見ると、頬が自然と緩んでしまうを否めんな。
「……さあ、起きよ小僧。私が直々に会いに来てやったのだ、早く起きて話をしようぞ――――ラドルフよ」
髭面に手を添えて優しく揺り起こす。やがて目蓋が小さく動き始めゆっくりと開き始め、完全に開ききった後暫くぼうっとしていたが、視界に映る私の顔をみて驚愕に顔を染める小僧。出会った時と差しても変わらぬその顔に、私の顔は更に笑みを深めるのであった……。
本日はこれにて御仕舞い!




