4話~食は戦と見つけたり
食の前に善悪無し、唯只管に口に入れねば己の食い扶持が消えていく。by、奏慈
「おうっ!! 帰ってきたか、我が息子よっ!!」
「お帰りなさい、奏慈君。お先に頂いちゃってるわ~」
「ただいま、母さん、ナミさん」
気風がいい女、粋でいなせ腕が立つなんて言葉がよく似合う母さんと、御淑やかな淑女のナミさんが御猪口片手に出迎えの挨拶をしてくれた。
が、畳と飯台に突っ伏している男達を介抱している状況なので、幾ばくかの苦笑が混じってしまうのも仕方が無いだろう。実際、母さん達は手伝ってくれる様子もなく飲み続けているのだから。
「まったく、あたし達二人に酒で挑もうなんて無謀の極みってもんだぜ。なあ、ナミ姉」
「うふふふ、そうね。二人ともまだまだ子供っぽい所があるから、私達に勝てないっていうのが悔しかったんでしょう」
上機嫌にお酒を煽りつつ、撃沈した男達二人をにこやかに見つめる母さんとナミさん。正直、つぶれた二人の介抱もせずに、尚も飲み続ける母さん達も大して変わらない子供だと思うのは僕だけだろうか?
まだまだ酒盛りを続ける様相の二人をしり目に、ようやく晩御飯の準備が整ったのが見えたので素早く自分の席に移動する。先程運んできた料理に加え、さらに六品ものおかずがいい匂いを漂わせて僕を待っていた。小皿に九ちゃん特製のお稲荷さんを取り分け、主菜である桜鯛の煮付けをはじめとした日本の家庭料理が所狭しと並んでいる。
「奏の字、今夜は妾も稲荷寿司以外の料理に挑戦してみたのじゃ! よ~く味わって食べるがよいぞ」
腰に手を当てて誇らしげに胸を反らす九ちゃんを微笑ましく思いつつ、視線は目の前の料理から離れることはない。先のスーさんの言葉じゃないけど、これ以上別の事に気がとられれば僕の荒魂が暴走しそうだよ。
「分かってるって、九ちゃん。では、早速……いただきます!」
素早く両の手を合わせて目を瞑り、食材となった作物や動物達に感謝の祈りを捧げる。次に僕の為に料理をしてくれた九ちゃんやツク姉、あーちゃん達に感謝の気持ちをこの一言に込めて捧げる。
箸置きに置かれた小豆箸を手に、まずは醤油と生姜の香りが食欲を刺激する桜鯛の煮付けに手を伸ばす。箸を入れるとふわっと身がほぐれ、煮汁がよくしみ込んだ皮に包まれた真白の身が姿を表す。それを一口大に切り崩して口に運べば、新鮮な身でしか味わえないぷりぷりとした触感と甘味に出汁の旨みが口一杯に広がるのであった。
「ん~! これはさんざん待たされたかいがある味だよ!!」
「むふふん! そうであろう、そうであろう。なんせ、この煮付けは月の字お手製の出汁で煮込んだ一品だからのう!」
九ちゃんの解説も右から左に聞き流しながら、今は目の前の一品を心から味わう事に専念する。やっぱり、ツク姉の料理は絶品の一言でしか言い表せないよ。
「……ちなみに、桜鯛はそこで伸びておるスーさんからの土産だと言っておったぞ。日本海の庄内港で今朝釣ってきたそうじゃ」
「さすがはスーさん、相も変わらず良い腕だね~」
「うむ、そこは素直に同意するのじゃ。……さて、奏の字の食べる姿を見ておったら妾もお腹が空いてきたのじゃ。早速頂くとするかのう~!」
ほっこりとした心持ちで煮付けを頂いていると、九ちゃんが辛抱堪らんといった表情でいそいそと僕の隣に腰を下ろした。まずは手元にお稲荷さんが大量に載った大皿を引き寄せて、手元にある小皿に十個程一気に盛り付けた。嬉々としてさらに盛り付けようとする九ちゃんだったが、さすがに小皿程度の大きさでは無理がある量に気が付いた様で、早速お稲荷さんを食べ始めるのであった。
「ん~~っ!! やはり、お稲荷さんは最強じゃな!!」
「よく噛んで食べなきゃダメだからね、九ちゃん」
「分かっておるわい!」
目からハートマークを出さんばかりにとろけた表情を見せる九ちゃん。僕の注意も何のそのと聞き流し、次々とお稲荷さんを平らげていく様子に苦笑を禁じ得ない。
まあ、かく言う僕もすでにお稲荷さんを七個ほど平らげているので九ちゃんの事は言えた義理でも無いかな?
「ふむ、二人とも実に美味そうに食べるのう。昼過ぎから奔走した甲斐があった訳じゃな、妹よ」
「そうね、姉さん。やっぱり、奏ちゃんと九ちゃんの食べる姿は料理する側にとって一番の報酬ね」
各々の配膳が終わってこちらに来たあーちゃんとツク姉が、貪る様な速さで料理を食べている僕達の姿に目を細めて笑みを浮かべる。それぞれエプロンと割烹着を脱ぎ、僕達と対面の席へと腰を下ろした。
「うむ、では……頂きます」
「……頂きます」
静かに目を閉じ両の手を合わせ、食材たちに感謝の祈りと言葉を捧げたあーちゃん達も嬉々として箸をとる。僕と同じように一口めは桜鯛の煮付けに手を伸ばしたあーちゃん。そのぷりぷりとした身を口に入れて咀嚼した瞬間、凛々しい顔がほっこりとした笑顔に変わる。
そして、そんなあーちゃんの隣では、ツク姉がお味噌汁を一口飲んで出来を確認するかのように頷いている。鯛のあらで採った出汁が溶け込んだスープに、鯛の切り身と深い緑が鮮やかなアオサが御椀に彩を添えている一品である。
まだ酒飲みをしている親達を放って、僕らは黙々と、だけどももの凄い勢いと食欲でもって料理を平らげていく。見目麗しい容姿を持つあーちゃんとツク姉も見た目と相反して中々の健啖家である為に、五十個程の数が盛られたお稲荷さんの大皿が見る見るうちに二皿も空になった。
それから暫くしてスーさんが目を覚まし、僕達の方を向いてため息を一つ吐いて夕餉に加わる。意外にもスーさんは姉二人程の健啖家ではなく、僕達よりも大分少ない量をいつも腹八分で食べ終える。昔はそれなりに食べていたらしいけど、結婚したのを境に自然と落ち着いていったそうだ。
「まったく、相変わらずよく食うな……。見てるだけで胸焼けになりそうだぜ」
食べる勢いが一向に衰える気配がない僕達を見かねたのか、はたまた僕達の食欲に呆れただけか、うへぇといった顔でスーさんが小さく唸った。
「うむ……昔、牛一頭丸ごと焼いて食べておった者がその様な事を言うとは。お前も丸くなったものよのう」
「へっ! いい感じに油が抜けたんだよ、……俺はな」
スーさんが自分で釣って来た桜鯛をつつきながら、あーちゃんの皮肉(?)に対して余裕をもって切り返す。そんな余裕っぷりにカチンときたのか、ひじきの煮物にお箸をつけようとしていた手がぴたりと止まり、鮮やかな桜色の唇が怒りを堪えるように引き攣っていた。
「……ふふん。油が抜けすぎて干物になっていなければよいがな」
「…………」
そして、今度はあーちゃんがさらに皮肉めいた言葉を返した事で、スーさんの額に太い血管が浮き上がり、ご飯を口に運ぼうとしていたお箸が握り折られた。もう、メキメキという音がぴったりな感じでゆっくりとお箸が破壊されちゃったよ。
「けっ! 姉貴も所帯を持てばわかるさ、これがな」
「…………ほ~う」
徐々に高まっていく二人の怒気をしり目に、僕と九ちゃんの二人は食べる速度が全く落ちない。なぜならば、これはある種の突発的でありながら見慣れた日常だからだ。
僕が物心つくずっと前から二人は微妙に反りが合わないらしく、スーさんが結婚して家を出て行ってからも偶に会うとすぐに喧嘩を始める。正に売り言葉に買い言葉で、言葉の応酬がドンドンと過熱していくのを僕は日常として見てきたんだよね。
「表に出るか? マザコン愚弟よ」
「ハッ! 上等だ。一丁ここいらで片を付けてやるぜ、引きこもりがっ――――あいたっ!?」
「おうふっ!?」
そして、こうやって肉体言語を交えた喧嘩が始まろうとした時は、それまで沈黙していた人が動き出す。
「……お食事中は静かに。それと、スーちゃん。箸は折っちゃだめだよ……ね?」
騒いでいる二人を凌ぐ怒りを静かに燃やしながら、どこからか取り出したハリセンを振りぬいた姿勢からゆらりと立ち上がるツク姉。顔こそいつもの笑顔が浮かんでいるものの、目とその身に纏う闘気はツク姉の静かな怒りを如実に表していた。
「そ、そう怒るなって月姉。な、姉貴!」
「う、うむ。ちょっとした再会のじゃれ合いではないか、大目に見てくれ妹よ」
さしもの二人もツク姉の前では争う気は無い様で、今はただ手と手を取り合い必死になって言い訳を並べていた。
そんな二人の態度に笑顔で一つ頷いたツク姉は、和服の袖の中にハリセンを仕舞い込んだ。ああ、そのハリセンあんな所に隠してたんだ……。
「うふ、うふふふ。次はありませんよ、二人とも?」
「分かったよ、月姉」
「うむ、承知仕った。姉弟仲良く夕飯を頂くとしようぞ」
一件落着といったところかな? 大人しく席に着いた二人を確認してツク姉も座り直し、満足げに笑みを浮かべ再び箸を取る。スーさんは若干不貞腐れながらも酒を一口、あーちゃんは何事も無かったかのようにお稲荷さんを頬張り始めた。
大人達は我関せずといった様子で酒盛りを楽しみ、あーちゃん達三人の怒気に中てられた巫女さん達が隣の部屋で小さな悲鳴を漏らす。九ちゃんが二皿目のお稲荷さんを食べ終えれる頃には、僕は何時の間にかスーさんのとあーちゃんの分まで箸を伸ばしていた。
「こらっ! 奏慈!! てめえ、いくらなんでも食べすぎだろうが!!」
「モグモグ……、喧嘩をしていたスーさんが悪いんですよ~。あ、これも美味い」
「ぬおっ!? 坊よ、それは我の佃煮ではないか!?」
「ふっふっふっ! あーちゃんにしては守りが薄いよっと……美味し」
僕の食欲に対して注意をするより食べ終えた方が早いと思ったのか、あーちゃん達の食べる速度が極端に早くなる。二人は競い合うように箸を動かし、僕はその合間を縫ってちょこちょことおかずを摘みまくる。
「ほんに美味いのう、この煮物は……うむん」
「あらあら、お口の周りに食べかすがいっぱい。九ちゃん、拭いてあげるからこっち向いてね?」
「むむっ、むう。有り難うなのじゃ、月の字!」
「どういたしまして。さ、どんどん食べましょう」
隣は何とも平穏でほんわかとする光景が広がり、九ちゃんとツク姉が年の離れた姉妹の様に食事を楽しんでいた。両手を使ってお稲荷さんを頬張る九ちゃんにほっこりと心が温まる。ツク姉は自身も食べ進めながら、折を見て九ちゃんのお皿にバランス良くおかずをよそってあげている。
声に出して言うとツク姉から怒られるだろうけど、姉妹というよりは母娘って印象を受ける光景だね。
「ぬぅあ! 締めに一口だけ残しておいた俺の芋羊羹がっ!?」
「おおおっ!! 最後まで気を抜くではないわ、愚弟が! 隙を見せれば一気に喰われ――――って、わ、我の桜餅までもが……!?」
ほんのりと甘い芋の味が口に広がり、緑茶で甘さを一旦流して今度は上方風の桜餅を頬張る。塩抜きをした桜の葉から華やかな香りが口一杯に広がり、桜色の餅と粒を若干残した餡子がまったりとした甘味で、いつの間にか三つあった餅をすべて平らげていた。
「うんうん、食後の甘味は別腹だよね!」
「「お前が(坊が)言うんじゃねえっ(言うで無いわっ)!!」」
「御馳走様でした」
半泣きで叫ぶ二人を見ながらお茶を啜る。夜桜が暖かな春風に吹かれて優雅に花弁を散らし、田舎ならではの澄んだ星空に浮かぶ月を眺めるのは僕の密かな楽しみなんだよね。
腹八分を優に超えたお腹をさすり縁側の淵に座ってボーっと空を眺める。恐らく、この後に待っているであろう問題事を考えたら、ゆっくりとしていられるのはこの僅かな時間だけだろうし。今この瞬間の風景を思い切り堪能しておこうと思う。
「さて、次はいよいよ家族会議か~。夜は長いね、こりゃ」
何が待っているのか、そんな心配も満たされたお腹と心から夜風に乗って夜空に飛ばされ行くのであった。